ジョン・ノーブル・ウィルフォード「地図を作った人びと」河出書房新社 鈴木主税訳
問題の一つは、ほとんど例外なしに海洋の測量だけを目的とする船がなかったことである。軍艦や探検を目的とする船が、ときどき海岸の「移動測量」に時間を割くだけであり、それらは正確さの点でも詳しさにかけても、おおむねクックの仕事には遠く及ばなかった。その結果、恐るべき災厄につながることがあった。ナポレオン戦争のとき、イギリスが失った船の数は、悪天候および海図が不備だったために遭難したものが、敵の攻撃によるものの八倍もの多きに達したのである。
【どんな本?】
副題は「古代から観測衛星最前線にいたる地図作成の歴史」。地球の大きさを測ったエラトステネス、投影法を考えたメルカトル、航海用時計を作ったジョン・ハリソン、大航海を成し遂げニューファウンドランドやニュージーランドの正確な地図を作ったジェームズ・クック、プレスター・ジョンの伝説など、地図の歴史のエポックメイキングな事柄や人びとのエピソードをギッシリ詰め込むと共に、伝統的な地図作りの基本である三角測量、現代の地図作りで活躍する航空写真や人工衛星の技術を紹介し、また重力異常や南北半球の不均衡など、意外と歪な地球の姿を明らかにする。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Mapmakers - the story of the great pioneers in cartography from antiquity to the space age, John Noble Wilford, 1981, 2000。日本語版は1988年5月31日初版発行、2001年1月30日改訂増補版発行。ハードカバー縦一段組みで本文約601頁。9ポイント48字×21行×601頁=605,808字、400字詰め原稿用紙で約1515枚。長編小説なら3本分ぐらいの大ボリューム。
文章そのものは翻訳物の科学啓蒙書・歴史解説書としては標準的な読みやすさ。加えて中学生レベルの数学と理科の知識が必要。ったって、三角測量の原理(二つの角度と一つの辺の長さが判れば、もう一つの辺の長さも判る)と、ドップラー効果(救急車のサイレンの音は近寄るとき高く遠ざかるとき低くなる)程度が判っていれば充分。
【構成は?】
はじめに
第1部
プロローグ
第1章 地図という着想
第2章 地球を測量した図書館長
第3章 プトレマイオスの基本原理
第4章 神話とドグマの世界
第5章 1492年
第6章 円を四角に――メルカトル
第2部
ヤキ・ポイント
第7章 一度の長さの問題
第8章 フランスの地図を作った一族
第9章 ジョン・ハリソンの航海用時計
第10章 海上と陸上の測量者たち
第11章 兵士と教師、そしてインドの測量
第12章 アメリカの地図――境界線を引いた人びと
第13章 アメリカの地図――西に向かう地形学者たち
第14章 メートル、子午線、新しい世界地図
第3部
ブライト・エンジェル・ポイント
第15章 翼をもった地図製作者たち
第16章 アマゾンをおおうレーダー
第17章 地下に広がる地平線――層準
第18章 氷の下の大陸
第19章 海底の山脈
第20章 大陸間に精度を求める
第4部
飛翔
第21章 宇宙から地球を測る
第22章 宇宙からの地図作り
第23章 新しい地理学への地図
第24章 地球の外に目を向ける――月面図
第25章 地球の外に目を向ける――火星
第26章 宇宙の地図をつくる
エピローグ
謝辞/訳者あとがき/改訂増補版への訳者あとがき/参考文献/索引
多少の前後はあるが、おおむね時系列で話が進む。
【感想は?】
前半は歴史上の出来事の話が中心なので社会科、後半は地球の性質などが絡んでくるので理科、という感じ。特に終盤は人工衛星や画像処理の概要まで出てきて、もはや科学解説書の感がある。私は尻上がりに面白く感じた。特に第4部はエキサイティング。
どうも変な所に目がいっちゃうんだよね。例えば1971年に打ち上げたマリナー9号が送ってきた火星の写真。モノクロで解像度は700×832、ただし各画素は9bit(512階調)、とか。これをパサデナのジェット推進研究所で受信して磁気テープ(たぶんオープンリール)に記録し、フラッグスタッフの宇宙地質学研究所まで航空便で運び、専用プログラムで画像処理(コントラストの調整とか)して…ってな事をやってる。今ならZIPで送りPhotoshopで処理するんだろうなあ。
地図作成の最初の偉人として出てくるのがエラトステネス。夏至の正午、シエネの深い井戸の底に太陽光が差し込む(すなわち太陽が真上に来る)事を利用し、同じ日にアレクサンドリアのオベリスク(塔)の影の長さを測って、地球の大きさを測る。シエネの位置が北回帰線より北に60kmずれてたりシエネ・アレクサンドリア間の距離が間違ってたりで、16%の誤差が出たけど(実際は約4万km、エラトステネスの推測は4万6250km)。
投影図法で有名なメルカトルは16世紀に活躍した人。彼の目的が「船乗りが一定の規則に従って航行すれば目的地に到達できるようにする」事、ってのも意外。最短距離は大圏航路(→Wikipedia)なんだけど、これだと方位を常に調整しなきゃいけない。メルカトル図法の地図で直線を引けば、羅針盤で得た方位を一定に保てばいいわけ。なお、地図帳によく使われる「アトラス」という名称も彼が神話の巨人アトラスから採ったのが起源だとか。
「一度の長さの問題」から、地球の性質が地図の精度と大きく関わってくる。1736年に測量のためアンデスで大冒険を繰り広げたブーゲ、高地では重力が小さい事を発見する―地球の中心から遠いことを差し引いても。意外な事に、山地は密度が小さいそうな。このあたりになると、地球は赤道付近が少し膨らんだ回転楕円体なのが判明してきて、「一度の長さ」は場所と方角により違う事がわかってくる。
ちなみに実際はもう少し複雑で、西洋梨みたく北極が少し突き出してる。「もっと正確に言えば、南北が対称である地球と重ねてみると、北極はそれよりも19メートル突き出ており、南極は下から26メートルへこんでいる」。なんでそうなってるのかは不明。不思議。
航海時計を作ったジョン・ハリソンの苦労も涙。緯度は正確に測れても経度は難しい。1714年に英国議会が海上で経度を測る方法を公募、誤差30分(一度の半分)以内は2万ポンドの賞金を出すと決める。これに挑戦した貧しい大工の倅ハリソン、第一号は高さ1メートルで1736年に試験され好印象を与える。改良を続け出来た第四号は直径約12cmと小型化にも成功、1761年11月に試験航海を開始。第一号から25年。英国からジャマイカまで5ヶ月の往復で経度誤差は28分5秒(時間だと約99秒!)。
出自の卑しさと、当時は月から経度を求める方法が主流だったので、全額出費は一旦見送られるが、時の国王ジョージ三世の鶴の一声で形勢逆転。なお、二世紀後にダウニング街10番地(首相官邸)のパーティで一人のアメリカ人が彼を称える。「ご臨席の皆さまがたが、われわれの旅だちに先鞭をつけて下さったのです」。彼の名はニール・A・アームストロング、最も遠くまで旅をした男。
地図帳には南極大陸の地図も載ってる。氷に閉ざされてる大陸の形をどうやって調べるかというと、航空機による電波音響探査。航空機から下に向け電波を発信し、地表での反射を捉えるわけ。一種のレーダーだね。スキーを履いたC-130を使ってたりする。応用範囲広いなC-130。他にも70を越える氷底湖が見つかってて、古代の生物が見つかるかも。宇宙細胞はこれをネタにしてたのか。
やはりSF小説「鯨の王」のネタになってた海底の熱水間欠泉の生物の群生を発見するエピソードを含む海底探査の物語、GPSにも応用されてるドップラー方式の基本アイデアはスプートニクの頃からあったという話、1854年のロンドンのコレラ流行の原因究明に地図が活躍する話など、面白エピソードが満載。
今やカーナビは常識だし、Google Map なんて便利なものまで出てきて、個人がそれぞれの目的に応じた地図(主題図)を作れる時代になった。今後10年ぐらいは地図激動の時代が続くんだろうなあ。
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