草森紳一「中国文化大革命の大宣伝 上・下」芸術新聞社
笑顔は、毛沢東下の宣伝写真の大きな特長である。同じ国家宣伝写真でも、ナチスの場合、あまり笑わない。女性も笑わなかった。中国共産党の宣伝にあって、男も女も、よく笑っている。女よりも男が、薄気味悪いくらい、嘘笑いする。同じ東洋でも、日本帝国の宣伝写真は笑わせなかった。
【どんな本?】
雑誌「広告批評」に10年に渡り連載された記事をまとめた本。「共産主義国は、いっさいが宣伝である」という視点で、文化大革命勃発から毛沢東の死までの時代を中心に、「毛沢東語録」をはじめ中国内や日米欧の新聞・「毛沢東の真実」などの暴露本から、果ては大字報(壁新聞)に至るまで大量の資料を漁り、毛沢東が事実上の独裁者として君臨した当時の中国の政治状況や、四人組・周恩来・林彪などの権力抗争、そして中国政府の宣伝手法を分析・解析する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
雑誌連載は1989年1月号~1999年5月号まで。書籍は2009年5月30日初版第1刷発行。ソフトカバーA5版で上巻592頁・下巻600頁。縦一段組みで9.5ポイント50字×20行×(592頁+600頁)=1,192,000字、400字詰め原稿用紙で約2980枚。長編小説5~6冊分の大ボリューム。
文章はノンフクションとして読みやすい部類であるものの、私はかなりてこずった。というのも、当時の中国の政治状況や権力者をある程度把握している者を読者として想定して書かれているため。また、中心人物である毛沢東が漢詩・漢詞の達人であり、それを漢詩に詳しい著者が解説する部分も多く、古典的な教養に乏しい者は相当に難渋する。というか、しました、はい。
【構成は?】
上巻
宣伝体
紅衛兵
スローガン
下放
米中外交
林彪/四人組
大義、親ヲ滅ス
毛主席万歳
万里の長城
付録 主要登場人物紹介 / 初出一覧 /
跋(一) 草森紳一さんのこと 天野祐吉
下巻
壁新聞
筆蹟/肖像
数詞の霊力
革命模範劇
中国文化遺産の発掘
天安門
刊行にあたって / 付録 文化大革命と『大宣伝』年表 / 初出一覧 /
跋(二) ?東有書鬼 椎根和
【感想は?】
中国、おっかねえ。
文化大革命という大荒れの時代ではあるものの、価値観の変転が半端じゃない。例えば文化大革命の主役の紅衛兵。はじめこそ造反有理などと持ち上げて大暴れするものの、やりすぎと見るや労働者にボコられ下放と称して田舎に飛ばされる。今は「孔子平和賞」などと言って持ち上げている孔子も、当時は「頑迷な奴隷制擁護の思想家」として、批林批孔と叩かれている。次に何が叩かれるかわかったもんじゃない。これじゃ創作物なんざ怖くて出せやしない。そりゃロクなコンテンツが出てこないわけだ。
その孔子、子孫が今世紀まで世襲貴族として君臨していたというから驚いた。
孔府は、世襲貴族であり、兵まで擁していた。単に祭典のみを行うだけでなく、それを地租収入で補ったが、滞納者の逮捕拘留判決の権限さえもっていた。(略)「皇帝下賜のこれらの武器でなら人を殺しても命をつぐなう必要はなかった」
もはや貴族というより王だね。
批林批孔で孔子と並び批判されたのが林彪。後に毛沢東暗殺未遂で失脚するのだが、党内序列二位に躍進しブイブイいわせていた頃の彼の方針「毛主席にピッタリつき従う」を、著者は写真で分析する。大柄な毛沢東から三歩下がり小柄な林彪が「ピッタリつき従って」いる映像を、林彪は意識して撮らせていた、と。
そんな彼の失脚の兆しが、なんとも切ない。それまで林彪は「たいてい、人民解放軍の帽子か人民帽をかぶっていた」。が、人民画報1971年7・8月合併号が、「なんと禿げ頭の林彪なのである」。隠してた禿を暴露されるのが失脚の兆しって、そりゃあんまりにも切ない。切なすぎる。
林彪を追い落とした四人組も、やがて倒れる。その後の扱いが、また徹底している。なんと、写真を修整して四人の姿を消してしまうのだ。
まず『人民画報』の11月号(11月5日発行)を見る。なるほど、弔問式で、幹部が整列して毛沢東に遺容を拝している写真から、四人組が消えている。ネームを見ると、幹部名を書きつらねたくだりで四人が該当する箇所に『×××』が記されている。さらに見ていくと、追悼大会で、大群衆を背にして、天安門の楼上に勢揃いした幹部が、黙祷礼拝している写真があり、二ヵ所すっぽり空白になっている。これかと思った。たしかに空白部分に群集が描きこまれている。
誰が失脚するかわからない社会だが、とりあえず毛沢東を持ち上げておけば安心か、というと。
<忠豚>というものが発明された。これはよく肥えた豚を選び出し、その額の毛を剃って、ハートの枠に<忠>の字が浮き彫りになるようにするのである
そうやって毛沢東への忠誠を示すわけで、「おお、なかなか考えたなあ」と思うが…
豚は、食用である。そのため、いつの日か殺さねばならぬ。殺せば、ハートの忠の字が消え、毛沢東への忠誠の否定になりかねない。
面倒なことよ。
古来の迷信を否定した共産主義だが、毛沢東は神格化され崇拝の対象となるのが、また皮肉なところ。以下はハンス・W・ヴァーレフェルトの「毛沢東の中国」が「北京週報」から引用した、おばあさんの話。
「二年前までは、封建時代の人たちが天地や祖先を祭った木札や位牌をおいていた。文化大革命になってから、家族総動員でこの木札や位牌をあとかたもなく壊してしまった」
「嫁は何十華里も離れたところから毛主席の肖像を三十数枚買ってきて、家の中に三つの肖像欄をしつらえた」
なんの事はない、天地や祖先が毛沢東に変わっただけで、基本構造は同じなわけ。これに使われた毛沢東のポスター、大人気だったのだが…
「何日もしないうちに、毛主席の笑顔は一枚残らず大急ぎではずすことになった。噂では、農民は壁紙のかわりにポスターを使ったのだという。毛沢東のポスターは最高級の紙に印刷してあったし、無料でもらえたからだ」
庶民とはしぶといものよ。
著者の分析が鋭いと感服したのが、「英雄的な第四小隊」の記事の分析。洪水で溺れかけた紅衛兵を解放軍の兵たちが助けた、という記事なのだが、これを紅衛兵の没落を示すもの、と解釈している。つまり、「イザという時に頼りになるのは青臭い紅衛兵より解放軍」というメッセージなんだよ、と解説している。確かにねえ。
同様に、兵馬俑など古代遺産のニュースも政治的意図がある、と、魯迅研究家シモン・レイの言葉を引用して示す。
「一つは、<文化革命>が古代の文化遺産を破壊したどころか、文化遺産の出土品を増やしたのだということを示すことである」
「もう一つは、毛沢東主義とユマニスムは相容れないものでないことを証明し、古代アジアの文化遺産を尊重する中国政府は、外交上の相手としても話のわかる、理性的かつ思慮深い相手だということを示すことである」
歴史の浅い欧米の劣等感を刺激する意図もあった、というわけ。封建制の旧王朝を批判はしても、その成果はちゃっかり利用する。したたかなもんだよなあ。
当時とは政権も交代し政策も変わってきたとはいえ、相変わらず情報は厳しく統制している中国。「いっさいが宣伝である」という観点は、かの国や金王朝発のニュースの読解に役立つだろう。
にしても、このボリュームはさすがに堪えた。
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