アントニー・ビーヴァー「スペイン内戦1936-1939 下」みすず書房 根岸隆夫訳
最近の調査では長い間の疑いが証明された。プロイセン首相でドイツ空軍司令官のヘルマン・ゲーリング大将は、部下がコンドル兵団としてフランコのために戦っている最中に共和国に武器を売りつけていたのだ。
【はじめに】
細かい部分は上巻の記事に譲るとして、漏れた点をひとつ。以下、訳者解説より引用。
本書は冒頭に書いたように英語版から訳されている。この英語版は、スペイン語版からスペイン人でない読者にとって興味のない枝葉末節を省いてある。
ということで、完全版を読みたければスペイン語を習得しなければならない模様。しくしく。
【感想は?】
外から見るとスペインは一つの国に見えるけど、この本を読む限り地方色豊かというか独立心盛んというか。バスクは前の記事で触れたけど、カタルーニャもそうで、カタルーニャ語なんてのはあるんだねえ。後にフランコが禁止するけど。当時のカタルーニャは無政府主義者が優勢で…
たぶんマドリードとバルセロナの最大の対照は、ホテルの使い方に見られた。マドリードでは、ホテル・ゲイローズは共産党上級幹部とロシア人顧問のために豪華な宿舎として接収された。バルセロナでは、ホテル・リッツをCNTとUGTは食事施設第一号、つまり誰でも入れる食堂として使った。
共和国派の劣勢が明らかになるに従い、国民軍はフランコの地歩が固まるのに対し、共和国派内は内輪もめが激しくなる、とうか、本書によるとスターリンの意を受けた共産党があからさまに権力奪取を狙い、社会主義者や無政府主義者がこれに対抗する、という形になっていく。将校は共産党に入らなければ昇進しないし、武器も渡さない。どころか1937年4月にはバルセロナの市街で戦闘が始まる始末。
これには国際的な背景があって。米英仏はヒトラーを刺激するのを恐れ不干渉政策を取り、双方への武器と兵力の供与を断つ…ポーズを取る。ところがドイツとイタリアはフランコを支援する。共和国派はソ連に頼るしかないが、スターリンもヒトラーと衝突したくない上に、慈善事業をする気はない、という構図。介入した国で最も利益を得たのはドイツで、例えば…
コンドル兵団は間断なく共和国軍の後方を爆撃、機銃掃射しながら、山岳地帯に通常の爆弾を命中させるのがむずかしいことを発見した。そこでドイツ航空部隊は焼夷弾に石油缶を取り付け、ナパーム爆弾の原型を実験したのである。
などの工夫を、「コンドル兵団は新兵器システムの効果を綿密な報告にまとめ上げた」。
攻勢にさいして砲兵の砲撃で共和国歩兵が地面に伏せ、砲撃がやんで国民軍歩兵がただちに敵陣数百メートル前の突撃に移っているときに敵塹壕を機銃掃射すれば効果絶大である。また爆撃機隊は敵の形成区域と、兵力増派阻止のために後方連絡線を爆撃すべきである。
爆撃も「その後、空からと地上の両方で綿密に写真が撮られ、爆弾の特性と破壊効果が測定された」。
対するソ連は、「トゥハチェフスキー元帥の粛清裁判の後では、近代的装甲戦術を唱道できなかった」。つまりスターリンは粛清に忙しくて、戦術研究どころじゃなかったわけです。
戦闘だと、実は共和国派、防衛戦だとそこそこ善戦してる。ところが無茶な攻勢をしかけだ挙句に撤退を拒否して、戦力を消耗してるわけ。例えばエブロの戦闘では無茶な渡河作戦を実施した挙句に7万5千人の死傷者を出した。共産党が認め「後退をいっさい認めない共産党員によって指揮されていた」にも関わらず、モスクワへの報告は「ミアハ将軍とその他の中部戦線の指揮官たちのサボタージュと悪意ある行動のせいだ」。
ってな具合に、本書では共産党が最大の悪役として描かれている。かといってフランコも決してベビーフェイスじゃない。例えばバルセロナを「開放」した後…
このモロッコ兵たちはその数日間、所有者が赤だろうが白だろうがお構いなく商店、アパートのビルで略奪することを、「戦争税」として許可されていた。共和派は陥落前に囚人のほとんどを釈放したが、お返しに国民派とその支持者は「解放」の最初の五日間でおよそ一万人を殺戮した。
そこ後の政策も典型的な独裁的統制経済で、農産物の価格統制は闇市を栄えさせ、「マドリードで公定価格1.25ペセタの小麦粉1キロは、12ペセタの闇値で売られた」。一部の批評家は、「フランコの国有化計画が1945年以後のソ連衛星国のそれと酷似していると観察した」。
このソ連またはその衛星国と似た性格の国家形態は、末期の共和国派も似たようなもんで、軍事調査部(SIM)なんてもんを作り上げ、密告と拷問が横行、「バルセロナにはSIMのおもな監獄が二つ」あった。
共和派の兵と民衆の多くはピレネーを越えてフランスに避難するが、待っていたのは収容所。9万人を収容した最大のサン=シプリアン収容所の「死亡率は高く、毎日100人におよんだ」。留まるも地獄、戻るも地獄。どないせえちゅうねん。その頃、最後の共和国首相ネグリンとその一派は…
ネグリンは自分の政権下で没収した資金をもとにして設けた信託基金を個人的に管理して、ロンドン近郊の田舎に大邸宅を買った。ここの1945年まで住まい、十数人の共和派政治家に宿を提供した。
ああ、格差社会。
意外だったのが、第二次世界大戦勃発時のフランコの姿勢。他の本ではヒトラーにつれない態度を取っていたように書かれてるけど、この本によると吹っかけはしたものの、枢軸側として参戦の意思はあった模様。1940年10月23日、フランスのアンダイエでフランコとヒトラーは会談し、「議定書は作成された」。
フランコは要請があれば参戦すること、ジブラルタルはスペインにあたえられること、ほかに後日定めることにするアフリカの地域をもってフランコに報いるという、あいまいな約束が盛られていた。
最終的にはフランコの強欲に呆れたヒトラーが蹴ったんだけど。ジブラルタルを枢軸側が押さえたら、大変な事になってただろう事を考えると、吹っかけるのもわかるなあ。
全般的に陰鬱で殺伐とした雰囲気が漂う本書だけど、最後は唯一希望が持てる記述で締めくくろう。
そのとき10歳たらずだった少年が、(フランコ)総統の後継者になると決められた。しかし1975年に総統が没するや、その少年こそが、スペインが民主主義と自由へと成功裏に回帰する舵とりになる。
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