森達也「悪役レスラーは笑う [卑劣なジャップ]グレート東郷」岩波新書
「例えばプロレスでは古典的な技の代名詞であるヘッドロック、あれは絶対に左脇に相手の頭を抱えるんです。注意しながらテレビを見てください。右脇に抱えるレスラーは存在しません。つまり右サイドのヘッドロックは、プロレスの型として存在しないのです」 ――斉藤文彦
【どんな本?】
1950年代~60年代、アメリカのプロレス界で「卑劣なジャップ」を演じて大活躍し、日本でも力道山と共にプロレス業界の立ち上げに大きな影響を残したレスラー、グレート東郷。だが、彼の素顔はほとんど知られていない。当時の彼を知る者のインタビューを通してプロレスの歴史をたどり、娯楽としてのプロレスが映し出す庶民の素朴なナショナリズムを浮き彫りにする。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2005年11月18日第1刷発行。新書で縦一段組み約244頁。9ポイント42字×16行×244頁=163,968字、400字詰め原稿用紙で約410枚。小説なら標準的な分量。
文章そのものはエッセイ並みのよみやすさ。ただ、出てくるレスラーが力道山やバーン・ガニアなど懐かしい顔ぶれなので、若い人にはピンとこないかも。また、今と違い当時はプロレス団体が少なく、演出重視のレスラーとストロング・スタイルのレスラーが同じリングで戦う、カオスな状況であった由をご了解いただきたい。
あ、それと。「プロレスなんて八百長じゃね?」などと言う人には向きません。まあ、そういう人は興味を持たないだろうけど、一応念のため。
【構成は?】
プロローグ――ある<記憶>をめぐって
第1章 虚と実の伝説
第2章 伝説に隠された<謎>
第3章 笑う悪役レスラー
あとがき
主要参考文献
基本的にグレート東郷の時系列ではなく、著者視点で調査の時系列に沿って話は進むので、話はアチコチに飛ぶ。当時のプロレスの様子を懐かしみながら楽しむエッセイの感覚で読むといい。
【感想は?】
当時は鷹揚な時代だったんだなあ。
今でこそ「プロレスには演出がある」由は多くの人が了解してるけど、当時は「プロレスは八百長か否か」が熱く語られた時代。いや少し考えりゃ、ミル・マスカラスやデストロイヤーなど覆面の外人レスラーが覆面したままでビザを取れるはずもなく、ちゃんと正規の手続きを経て来日してるに決まってるんだけど。
米国でのグレート東郷というレスラーの演出も、アメリカのナショナリズム剥き出し。裸足に下駄履き、ニタニタ笑いながら敵の目に塩を投げて目潰しにする。やられれば土下座して許しを請い、相手が油断した所で凶器攻撃。アメリカ庶民が持つ「リメンバー・パールハーバー」感覚を「これでもか」と刺激する挑発ぶり。今なら煩い方々に睨まれること間違いなし。
これで大人気を博した(つまり徹底的に憎まれた)というから、時代だよなあ。今でも残ってるかもしれないけど。どれぐらい憎まれたか、というと。
東郷の腹と背中には、抉られたような大きな傷が四箇所ずつある。小さな傷は百箇所以上もあり、その半分はレスラーとの乱闘よりもむしろ、観客の襲撃によるものだという。「流した血は、ドラムカンで四杯はあるんじゃなかろうか」(桜井康雄「プロレス悪役列伝」週刊大衆1982年6月14日号)
とはいえ日本も似たようなもんで、「狂乱の貴公子」リック・フレアーなんて可愛いもんで、「黒い魔人」ボボ・ブラジル(今 Wikipedia を見たら、なんとアメリカ人w)とか「アラビアの怪人」ザ・シーク、「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シンとか、当時の日本人が、他国をどう見ていたかが、よくわかる。
話を東郷に戻す。「悪役レスラーもリングを降りれば紳士」な話が最近は多いが、グレート東郷に関し日本のプロレス関係者の評判はすこぶる悪い。「金に汚い」「人としての品性に欠ける」「嫌いだ」…。見事に悪評ばかり。
唯一の例外が、力道山。他の者には「先生」と呼ばせた尊大な力道山が、東郷にだけは「リキさん」という親しげな呼びかけを許す。プライベートにみならず、リングでもタッグを組む。ベビーフェイスの力道山と悪役グレート東郷のタッグじゃ無茶ありすぎだろうに、それで興行しちゃうんだから意味がわからない。ビジネスとしても、東郷は外人レスラーとのパイプ役を果たしていたため、尊重する必要はあっただろう、という推測も…
力道山の死後、日本のプロレス界は徹底した東郷外しに出る。つまり、力道山以外のすべての関係者に嫌われていたわけだ。これはビジネスの問題では説明がつかない。
などと謎を膨らませつつ、大きな爆弾が落ちるのが、終末近くのグレート草津とのインタビュー。焼酎のワイン割りなんぞという凄まじいシロモノを飲みながらのインタビューで、酔いに任せて草津氏しゃべるしゃべる。東郷に限らず、爆弾発言の連続。これを引き出した著者の力量も見事。ここで謎に包まれた東郷の正体が明らかになるか…
ベビーフェイスとヒールが明確だった時代。わかりやすかった当時のプロレスを懐かしみながら、気楽に読もう。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:ノンフィクション」カテゴリの記事
- キャス・サンスティーン「恐怖の法則 予防原則を超えて」勁草書房 角松生史・内藤美穂監訳 神戸大学ELSプログラム訳(2024.11.03)
- ローマン・マーズ&カート・コールステッド「街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する」光文社 小坂恵理訳(2024.10.29)
- サイモン・マッカシー=ジョーンズ「悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」インターシフト プレシ南日子訳(2024.08.25)
- マシュー・ウィリアムズ「憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき」河出書房新社 中里京子訳(2024.05.31)
- クリフ・クアン/ロバート・ファブリカント「『ユーザーフレンドリー』全史 世界と人間を変えてきた『使いやすいモノ』の法則」双葉社 尼丁千津子訳(2024.04.22)
コメント