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2011年10月13日 (木)

スティーヴン・ロジャー・フィッシャー「文字の歴史 ヒエログリフから未来の世界文字まで」研究社 鈴木晶訳

完全な文字とは、次に挙げる三つの基準を満たすものである。

  • 意思の伝達を目的としている。
  • 紙など耐久性のある表面、あるいはPCモニターなど電子機器の表面に書かれた、人工的な書記記号の集合体である。
  • 慣習的に、分節言語(有意味な音声の系統的配列)と関係のある記号、あるいは意思の伝達がなされるようなコンピュータ・プログラミング関係の記号を使っている。

【どんな本?】

 結び目文字からヒエログリフ、楔型文字からアルファベット、そして漢字からマヤ文字まで、世界中の文字は、どこでどのように生まれ、どう流浪・変化し、どう使われてきたのか。なぜラテン文字は大文字と小文字があるのか。文字にはどんな種類があって、どう使い分けているのか。そして、今後、文字はどう変化していくのか。豊富なサンプルの図版や系譜図を元に、文字の歴史をひもとく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A History og Writing, 2001, Steven Roger Fischer。日本語訳は2005年10月21日初版第一刷発行。ハードカバー縦で一段組み本文約414頁。9ポイント45字×18行×414頁=335,340字、400字詰め原稿用紙で約839枚。長めの長編の分量。

 正直言って、文章は硬い。教科書として、読みやすさより正確さを優先した文章だ。また、「膠着語」や「声門音」など、言語学の用語が頻繁に出てくる。言語学の基礎が分かってないと、つらいだろう。というか、つらかった。未知の単語でも字面をみればある程度の意味が推測できるのは、日本語の長所かも。

【構成は?】

 はじめに
第一章 刻み目から書字版へ
第二章 話をする図像
第三章 スピーキング・システム
第四章 アルファからオメガまで
第五章 東アジアにおける文字の「再創造」
第六章 アメリカ大陸
第七章 羊皮紙のキーボード
第八章 未来のシナリオ
 訳者あとがき
 引用文献
 精選参考文献
 索引

 第一章から第四章までは、主に地中海沿岸を中心として、文字の発生からセム系のアルファベットの歴史を、時代を追って記述する。第五章は中国・朝鮮・日本を中心に扱い、第六章は南北アメリカ大陸の文字を追う。第七章は文字というより書体/字体の歴史に近い。

【感想は?】

 お腹いっぱい。歯ごたえあります。

 随所で文字の系統図が出てくるのでわかるのだけど、今あるアルファベット、ラテン文字からアラビア文字までのルーツは、原始西セム文字。で、更にルーツを辿ると、エジプトのヒエログリフにたどり着く。ナポレオンの時代にエジプト学が盛んになったのも、自分たちの文明のルーツがエジプトにある由を本能的に悟っていたからかも。

 「え?アラビア語が右から左に書くけど、ラテン系は左から右だよね?」と疑問を持つ人もいるだろうけど、実はこういう書法は意外と柔軟に変わっていくものらしい。

 そのエジプトのヒエログリフ、表音記号は子音だけを書いたそうな。kwsk("詳しく"を意味する2ちゃんねるの俗語)みたいな雰囲気?そのヒエログリフからして、右から左・左から右・上から下と、書法は自由で…

記号はつねに、各行の始まる位置に、「正面を向けている」。右から左に読まなければならないなら、たとえば、鳥の嘴は右を向いている。(略)右から左へ読むのが、「標準の」方向だった。

 表語文字と表音文字や決定語が混在していたヒエログリフがカナンの地を流離い変形し流れ流れてギリシャにたどり着く。ここで起きた大きな変化が、「母音音素を系統的に、一貫して表した」。これはギリシア語の性質によるもので。

フェニキア語の単語はすべて子音ではじまるが、ギリシャ語の単語の多くは母音ではじまる。

 ということで、母音を表す文字が必要なわけ。当然といっちゃ当然だけど、文字は「話し言葉」に応じて変化していくわけです。

 欧州の文字は結構古いのが今まで生き延びてて、例えばルーン文字は「スウェーデンのいくつかの地域では、20世紀の初めまで、まだルーン文字が書かれていた」。どころか、今は北欧メタルの人が愛好してるらしい。

 民族系音楽としちゃ少し前にケルト系が流行ったけど、古アイルランドのオガ文字も凄い。縦に長い棒をひいて、それに交差させる短い横棒をひく。これだけ。横棒の数・角度・左右への出っ張りなどで、文字を形成する。洋服に書かれてたら、模様と区別がつかない。

 さて、我々に馴染み深い漢字。中国政府の見解は「単独発生」、つまりメソポタミアで発生した文字とは関係ないよ、という見解だが、著者は「文字というアイディアは借用したと考えるのが自然」という立場。また、漢字は表意文字と言われるけど、これにも疑問を呈し、「むしろ表語文字と言うべき」と主張している。

 中国文字は主として音節文字であるが、ほとんどの文字が表意要素(意味識別符)をもっているので、音節表記システムであるとはいえない。このため中国文字は「形態素・音節文字」と呼ばれているが、文字の世界でもユニークな位置を占める中国文字の表記システムを定義するのに、この呼び方がいちばんふさわしいだろう。

 その漢字の数、どれぐらいあるかというと。

1716年にできた清王朝の「康煕字典」は、今でも中国古典文学の基準となる権威ある字書だが、四万七千を超す漢字を擁している。最も新しい中国の辞書(1986~90年)はには、六万もの漢字が載っている。歴史上存在した漢字の数は、書体の違いなどは無視しても、八万字にのぼると推定されている。

 はい、16bit じゃ全然足りませんです。どうでもいいけど康煕字典が変換一発で出てきたのは感動。やっぱ日本語入力システムを作ってる人には馴染み深い名詞なのね。同様にインドも凄い。

 本書「文字の歴史」が五巻からなるとしたら、インド系の文字だけで三巻は占めるだろう。(略)あるインド人によれば、「今日インドでは新しい文字が三ヶ月に一度の割で創作されている」という。

 アップル社はよくもまあ、MacOS ヒンディー版なんて作ったなあ。
 悲惨なのがマヤ文字。「16世紀、スペインの侵攻に続いてマヤの書物が大々的に破壊されたため、現在は奇跡的に焚書を逃れた四冊の絵文書しか残っていない」。

アメリカのマヤ学の権威マイケル・コウ博士はこう嘆く。「エジプトのアレクサンドリア図書館消失でさえ、一つの文明の遺産をこれほど跡形なく消し去りはしなかった」

 さて、今は口語で書くのが主体だけど、少し前まで文章は文語で書いてた。これは一般に書き言葉が保守的で変化しにくいのに対し、話し言葉は変化しやすいためだそうで。

 教養ある人の特徴は、たいていの場合、その人が「いかに書きことばに近いことばで話すか」である。

 雰囲気わかるけど、今は奇妙な例外が出来ちゃってるんだよね。「だお」なんて語尾で話したら馬鹿みたいだお。あれ、今後どういう変化を日本語にもたらすか(またはもたらさないか)、なかなか面白い研究材料だと思う。

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