ウィリアム・パウンドストーン「選挙のパラドクス なぜあの人が選ばれるのか?」青土社 篠儀直子訳
本書が問うているのはごく単純な問いだ。公正な投票方法、表割れに左右されない投票方法を編み出すことは可能だろうか?ごく最近まで、答えは絶対にノーであると、識者の誰もが言っていた。彼らは、ノーベル経済学賞受賞者ケネス・アローの仕事を引き、その有名な不可能性定理を持ち出したものだ。
どんな本?
公正な、少なくとも最も有権者の不満の少ない投票形式は、どんなものか?様々な選挙方式を紹介し、それぞれの利点と欠点、そして欠点が露呈した具体例を挙げ、理想の投票形式を探求する。
とはいっても、本書は無味乾燥な解説書ではない。
実際の選挙は生臭い。ライバルのスキャンダルをあげつらうネガティブ・キャンペーンもあれば、「敵に敵は味方」として政治姿勢が全く異なる候補を支援する時もある。本書では、基本に数学のモデルを置きながら、同時に計算高い候補者や投票者の行動の配慮も忘れない。
選挙方法の模索に尽力した科学者・数学者の生涯や、アメリカ史上で有名な選挙戦、そして今実際に新しい選挙制度の導入に尽力している人々を紹介しながら、ドラマ仕立てて各種の選挙方式を学べる、典型的な「面白くでタメになる」本。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は William Poundstone, Gaming the Vote; Why Elections Aren't Fair ( and What We Can Do About It ), New York; Hill and Wang, 2008。日本語版は2008年7月8日第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約366頁。9ポイント47字×19行×366頁=326,838字、400字詰め原稿用紙で約818枚、小説なら長めの長編の分量。
翻訳物のわりに、日本語の文章は比較的自然な方だが、元々の文章がクセが強いようだ。ややスラッシュドットや O'Reilly っぽいセンスがある。読者として現代のアメリカ人を想定しており、アメリカの文化や風俗に通じていないとツラいかも。例え話にディルバートが出てきたり。
また、アメリカの政治情勢も常識レベルには必要。とはいえ民主党と共和党の違い、ニクソンとケネディの対決ぐらいだけど。「数学は苦手」という人は、ご安心を。足し算が出来れば充分理解できます。
構成は?
プロローグ 魔法使い(ウィザード)とトカゲ(リザード)
Ⅰ 問題
1 ゲーム理論
2 ビッグ・バン
3 票割れ小史
4 アメリカで最も邪悪な男
5 ラン、ラルフ、ラン!
6 スポイラーの年
Ⅱ 解
7 キリバスのトラブル
8 新しい鐘楼
9 即時決選投票
10 循環なんてこわくない
11 バックリーとクローンたち
12 バッド・サンタ
13 ラスト・マン・スタンディング
14 ホット・オア・ノット?
15 出席すれども投票せず
Ⅲ 現実
16 民主主義の未来の姿
17 ブルーマン大当たり
用語解説/謝辞/訳者あとがき/ウェブサイト/文献/原注/索引
感想は?
登場人物は大きく分けて三種類に分かれる。学者と政治関係者と民間人だ。学者は選挙の理論を考え、政治関係者は制度を利用し、民間人はよりよい選挙方式を実現しようする人。その中で、読んでて最も面白いのが、学者のエピソード。浮世離れしているというか(知的)欲望に忠実というか偏っているというか。
冒頭のクルト・ゲーデルから、いきなり爆笑。不完全性定理で数学者を絶望の淵に叩き込んだ、あの人。ナチスを逃れアメリカに逃れたゲーデル、1947年に市民権を取得しようと思い立つ。審査の立会人は親友のアルベルト・アインシュタインとオスカー・モルゲンシュテルン。それまでノンポリだったゲーデル、熱心にアメリカの政治システムを学び始める。ところが審査の前日、ゲーデルはとんでもないことを言い始める。「合衆国憲法に論理的矛盾を見つけた」と、大真面目に。困った人だ。
ツレのモルゲンシュテルンも変わった人で、「重要な新しい発見に出会うと、モルゲンシュテルンは自分の研究を放り出して、まるでステージ・マザーのようにその新しいアイディアを売り込んで回るのだ」。研究所内の広告屋とでもいいますか。彼の貢献として最も有名なのが、フォン・ノイマンのゲーム理論。
Q:ジョニー(フォン・ノイマン)、モリゲンシュテルンの貢献というのは、ほんとうのところどういうものだったんだい?教えてくれよ。
A:オスカーがいなかったら、わたしは『ゲームの理論と経済行動]を書くことはなかったよ。
本書で扱うモデルの大半は、日本だと小選挙区制で知られるモデルだ。つまり、ひとつの議席を複数の候補者が争う形。勝手な想像だが、大選挙区制だとモデルが複雑すぎて扱うのが難しいんだろう、たぶん。
候補者が二人なら、大きな問題は起きない。ところが、三人以上になると、奇怪な現象が起きる。
例えば、一般に保守系と思われる共和党が、超リベラルな"緑の党"を支援したケースが語られる。「スポイラー」と言われる状況だ。共和党と民主党が熾烈なトップ争いをしている所に、緑の党が候補者を立てる。緑の党は、主に民主党の票を奪う。この場合、共和党は緑の党を支援すると、ライバルの民主党に対し有利になるのだ。
ということで、記憶に新しいブッシュJr・ゴア・ネーダーの例も出てくる。バラク・オバマの肩書きが「上院議員」になってるのも、感慨深い。
肝心の選挙方式。我々日本人に馴染み深い「各有権者が一人の候補者に投票する」方式は、相対多数投票という名前で出てくる。著者はこれをあまり高く評価せず、範囲投票を最も高く評価している。他に紹介されるのは、ボルダ式得点法→Wikipedia・即時決選投票(IRV)→Wikipediaの比例代表制・単記移譲式投票(STV)→Wikipedia・コンドルセ投票→Wikipediaの投票の逆理・累積投票・是認投票・範囲投票。
累積投票は、例えば有権者全員が持ち点10を持ち、それを各候補者に配分する。是認投票は、有権者が全候補者に対しYESかNOかを投票する。範囲投票は是認投票の拡張版。有権者が、各候補者を、10点満点で何点かを評価する。
感心したのが是認投票の例。数人の仲間と食事に行く際、複数の案で意見が分かれた時、これで行き先を決めると手っ取り早いよ、などとアドバイスをくれる。中華料理店が二つ、洋食屋が一つで、10人中6人が中華を好み4人が洋食の場合、相対多数投票は票割れを起こして洋食になりかねない。そこで、レストランの名前を読み上げ、各員が手を挙げるなどでYESかNOかを表明し、最も多くのYESを勝ち取った所に行けばいい。もっとも、大阪人なら、「全部の店を食い荒らす」という解を見つけるかも。
著者お勧めの範囲投票、ここじゃ満点を仮に10点としたけど、ありがちなのは5段階評価。「最高・良い・普通・悪い・最悪」で評価する形って、アンケートとかじゃ良くあるよね。Amazonの書評やGoogleの星とか。面白いのは、表現による親しみやすさの違い。「点数」を「五段階」に代えただけで、ぐっとわかりやすくなる。
現実には選挙制度が政治状況を作り出す面もあるよ、と著者はちゃんとクギをさしている。現行の選挙制度が二大政党制を作り、「穏健派」を多く排出している、と。適切であるからと言って、それが現実に施行されるとは限らない。数学と政治と言う対極的な世界を橋渡しする本書の末尾で、ケネス・アローの言葉が巧くそれを表現している。
科学者であれば、「おやおや、わたしが去年言っていたことは間違いだったよ!」と言える。それが、先端を行く寛容な知的進歩というものだ。だが政治だと、これはかなりまずいことになる。
翻って日本の選挙制度を見ると、抜本的な選挙制度改革は話題にならず、区割りでガタガタしている。あまり頻繁に変えるのも問題だけど、全く進歩がないってのも、なんだかなあ。
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