鵜飼保雄・大澤良編著「品種改良の世界史 作物編」悠書館
歴史は、人間が死に直面する戦場をほめたたえはするが、生に不可欠な農耕地について語ることを軽蔑する。また、王の私生児の名は教えるが、小麦の起源については何も語らない。 ――アンリ・ファーブル
どんな本?
「品種改良の世界史 家畜編」に続くシリーズで、作物編では農作物の歴史と現状を綴る。イネ・コムギ・トウモロコシなど穀物から、テンサイ・サトウキビなど加工用作物、トマト・タマネギなど野菜、ブドウ・リンゴなど果物に加え、園芸用としてバラも扱う。前作同様に各作物について歴史や考古学資料から原種を推定するなど社会学的な側面、市場動向など経済的な側面、そして含有成分や遺伝子構造など科学的側面と、それぞれ総合的な見地で記述してゆく。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
2010年12月28日初版発行。著者は鵜飼保雄/谷崎隆俊/太田正次/佐藤和広/山田実/春日重光/河瀬眞琴/大澤良/森元幸/岩永勝/島本義也/永富成紀/加屋隆士/望月龍也/生井兵治/小島昭夫/山田昌彦/國賀武/阿部和幸/武田善行/福井博一。A5ソフトカバーで本文約544頁+用語集4頁+編者あとがき2頁+参考文献23頁+索引14頁。9ポイント48字×19行×544頁=496,128字、400字詰め原稿用紙で約1241枚の大著。
文章そのものは読みやすいが、倍数体やトランスポゾンなど遺伝学・栄養繁殖や矮生など植物学用語が頻出する。特に前半に顕著なのが困りもの。ところが有難いことに、末尾に「用語集」がついている。せっかくなんだから、用語集は冒頭に置いて欲しかったなあ。
構成は?
はじめに 鵜飼保雄
第1章 イネ 谷崎隆俊
第2章 コムギ 太田正次
第3章 オオムギ 佐藤和広
第4章 トウモロコシ 山田実
第5章 ソルガム 春日重光
第6章 アワ 河瀬眞琴
第7章 ソバ 大澤良
第8章 ダイズ 鵜飼保雄
第9章 ジャガイモ 森元幸
第10章 サツマイモ 岩永勝
第11章 テンサイ 島本義也
第12章 サトウキビ 永富成紀
第13章 トマト 加屋隆士
第14章 イチゴ 望月龍也
第15章 アブラナ科作物(ブラシカ) 生井兵治
第16章 ネギとタマネギ 小島昭夫
第17章 ブドウ 山田昌彦
第18章 カンキツ 國賀武
第19章 リンゴ 阿部和幸
第20章 チャ 武田善行
第21章 バラ 福井博一
用語集
編者あとがき
引用(参考)文献
索引
著者略歴
遺伝学・植物学の素人は、まず「用語集」から読みましょう。専門用語がビシバシ出てきます。各章は独立しているため、興味があるところだけを拾い読みも可。各章内は、だいたい「特徴」「起源」「伝播」「品種」「現状」といった流れ。家畜編でだとモノクロの写真しかなかったけど、作物編の後半はカラー写真が多く、特に「バラ」の項はなかなかの迫力。
感想は?
イチゴが野菜だとは知らなかった。いやあ、お恥ずかしい。アブラナ科の品種の豊富さにもビックリ。ナタネはともかく、キャベツ・ハクサイ・ダイコンまで含んでいるとは。
家畜編ではロバート・バークウェルが脚光をあびてたけど、作物編ではロシアのニコライ・イワノヴィッチ・ヴァヴィロフがスターを務める。「世界各地を何回にもわたり精力的に探索調査して、栽培植物を集めてまわ」り、単純な方法で明確な熱論を出した。
- 植物の変異は地球上の特定の地域に局在している。ここを「多様性中心」と呼ぶ。
- 種の起源地では遺伝的に優性の形質が多く、そこから伝播した二次的地域では劣性形質が多い。
- 栽培植物には二種類ある。
- 古代から栽培された一次作物:コムギ・オオムギ・イネ・ダイズ・アマ・ワタ
- 畑に雑草として生えていた二次作物:ライムギ・エンバク・ダッタンソバ・ナタネ・ニンジン・トマト・クローバ・ライグラス
20世紀の品種改良には遺伝学が重要な役割を果たす。ここでは、質的形質と量的形質の違いも大事。
- 質的形質:花色や刺の有無など表現がはっきりしていて分類しやすく、環境の影響で変化しにくい。ふつう一個または少数の遺伝子に支配される。
- 量的形質:収量や開花期など重さ・長さ・時間で測る。環境の影響を受けやすい。多数の遺伝子が関与する。
全般的に家畜編と比べ遺伝子工学的な内容が充実してるのも、作物編の特徴。特にアメリカが開発した一代雑種が大きな影響を及ぼしてて、例えばイネだと1890年の1ヘクタールあたり約2トンが1950年には3トン、2010年には5トンを超えてる。最近はどの品種も病気や害虫への耐性が改良の重要な目標になっている。
遺伝学が苦手な人は、用語集に続けて第17章のブドウの項を見るといいかも。作物編だと倍数体が重要なキーワードとなるんだけど、その辺を巧く説明している。
ブドウは一般に二倍体で、1番から19番までの19本の染色体を二本ずつ、計38本の染色体を持つ。(略)片方は母親に、他方は父親に由来する。一つの染色体に乗っているDNAが着色する働きを失っても、もう一つの染色体上のDNAが機能すれば果皮は着色する。
伝統的な品種改良の手法もわかりやすい。
…突然変異が起きた細胞だけから構成される枝ができることがある。その枝が目に見えるちがいがあった場合、(略)「枝変わり」と呼ぶ。(略)枝変わりの枝を台木に接木して増やせば、新しい品種を栽培することができる。
拾い読みする人に是非とも読んで欲しいのが、第10章のサツマイモ。著者の岩永氏がサツマイモに抱く熱い想いがひしひしと伝わってくる。わざわざ独立させたコラムで、「こんなに素晴らしいんですよ!」とサツマイモを売り込んでます。
- 粗放的作物:雑草の繁殖を抑えるので手がかからず、収穫期も長いので労力の自由度が高い。
- 環境保全的:栄養吸収力が強く音頭条件さえ満たせば土壌が悪くても収量が期待でき、農薬使用量も少ない。
- 気象災害:風害に強く土壌浸食も防ぐ。水分蒸発も防ぐので干ばつに強い。
おまけにビタミンA・B1・C・カリウム・カルシュウムなどミネラル豊富で食物繊維も沢山…などと言われると、つい焼き芋が食べたくなるでしょ。享保飢饉でもサツマイモを栽培してる鹿児島じゃ餓死者が出るどころか、逆に人口が増えた。19世紀半ばじゃサツマイモを栽培してる西日本の藩は国力が充実し、明治維新につながった、とまで持ち上げる。
第二次戦争後も代用食として活躍したけど、それがアダになり「戦争時代の苦しさを連想させるサツマイモは食卓から遠ざけられて、最近の生産量は最高時の14%に減少している」。世界でも生産量が多いのは中国・ナイジェリア・ウガンダ・インドネシア・ベトナム・カンボジアと続き、日本は7位。やっぱり貧しい国が多いんだよね。戦後生まれが増えた今こそサツマイモは売り込みのチャンスなのかも。近所のスーパーの焼き芋もすぐ売り切れちゃうんだよなあ。
と、優れた作物であるイモも、災害をもたらす時もあって、有名なのがアイルランドのジャガイモ飢饉。単一品種で塊茎で増えるクローンだから病気が流行れば一網打尽。ところが原産地のアンデスだと、「一つの畑にいくつもの品種を混ぜて栽培する習慣が伝統的に存在した」。賢い。
もう一つ、ジャガイモで賢いと唸ったのが、フランスのA・A.・パルマンティエの工夫。保守的な民衆にどうやってジャガイモを普及させたか、というと。
1773年にパリ郊外の畑でジャガイモの試作をおこない、柵で囲った畑を昼間は警備員を配して厳重に守った。これほど厳重な警備をするからには美味いものに違いないと民衆に思わせ、夜間は警備の手をわざとゆるめて盗むにまかせた。
対するロシアは法令で強制したけど「悪魔の食物は受け付けない」と一揆が起きたとか。
そのロシア、意外な事にソバ大国。「ライ麦の代わりはあってもソバの代わりはない」そうな。ウクライナもソバ好きで、「そばカーシャ(粥)は母、ライムギパンは父」だとか。
他にもテンサイからの製糖で「ドイツの科学は世界一~」だったりアメリカじゃ機械収穫に合わせてトマトを品種改良したりエチオピアじゃ国情不安定でソルガムの品種改良が頓挫したりと、お国柄が垣間見えるのも楽しい。
ところでネギの生産量は日本が世界一で、欧米はタマネギばかり。ナガネギはほとんど生産・流通してないんだよね。ここはぜひ初音ミクさんに頑張ってもらって…
関連記事
| 固定リンク
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- ジョフリー・ウェスト「スケール 生命、都市、経済をめぐる普遍的法則 上・下」早川書房 山形浩生・森本正史訳(2024.11.25)
- 藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」光文社新書(2024.10.23)
- ダニエル・E・リーバーマン「運動の神話 上・下」早川書房 中里京子訳(2024.10.20)
- アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」柏書房 穴水由紀子訳(2024.09.19)
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- ダニエル・ヤーギン「新しい世界の資源地図 エネルギー・気候変動・国家の衝突」東洋経済新報社 黒輪篤嗣訳(2024.12.02)
- アンドルー・ペティグリー「印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活」白水社 桑木野幸司訳(2024.10.15)
- ジョン・マン「グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界」原書房 田村勝省訳(2024.10.09)
- クリストファー・デ・ハメル「中世の写本ができるまで」白水社 加藤麿珠枝監修 立石光子訳(2024.09.27)
- クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ「写本の文化誌 ヨーロッパ中世の文学とメディア」白水社 一条麻美子訳(2024.09.30)
コメント