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2011年5月10日 (火)

ヴィクトル・ペレーヴィン「宇宙飛行士オモン・ラー」群像社ライブラリー25 尾山慎二訳

「会議があったのは七月十五日だ。つまり七月十五日までわれわれは戦後を生きてきた。そしてその日以来もう一ヶ月経っているが、いまやわれわれは戦後を生きているんだ。わかるかな、どうだ?」

どんな本?

 ロシアSF界の一大潮流ターボ・リアリズムの第一人者、ペレーヴィンの初期代表作と言われる長編。インタープレスコン賞中篇部門、青銅のカタツムリ賞(いずれもロシアのSF関係の賞)受賞のほか、「このSFが読みたい!2011年版」海外編でも、軽視されがちなロシア作家というハンデを乗り越え、フリッツ・ライバーの「跳躍者の時空」とテリー・ビッスンの「平ら山を越えて」を抑え8位にランクインした怪作。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書はОМОН РА, Виктор Олегович Пелевин、1992。キリル文字なんで綴りには自信なし。日本語版は2010年6月24日初版発行。

 ソフトカバーで新書より少し大きめのサイズで縦一段組み、本文約175頁。9ポイント42字×16行×175頁=117,600字、400字詰め原稿用紙で約294枚。短めの長編というか、長めの中篇というか。

 ロシア文学というと異様に長い内省的な文章がダラダラと続く退屈なシロモノという印象があるが、この作品には当てはまらない。文章の長さは常識的だし、会話も多い。物語の起伏も激しいが、視点は主人公固定、時系列も一直線で混乱はない。ギャグもたんまり入っているが、感情を抑えた冷静な文体なので、生真面目な顔した芸人がドツキ漫才をやっているような雰囲気があって、ツボに入ると笑いが止まらない。

どんなお話?

 親父は飲んだくれで、母親は早く死んだ。父は僕を警官にしたがったようだが、僕は空を飛びたかった。そして、幼いころに行った国民経済達成博覧会で自分の運命を知った。僕は宇宙飛行士になって、月へ行くんだ。親友のミチョークと共に。

 …というと宇宙飛行士を目指す少年の爽やかな成長物語のようだが、とんでもない。今はなきソビエト連邦社会の出鱈目っぷりと、そこで生きるロシア人を徹底的におちょくりまくる、グロテスクなまでに毒と風刺がたっぷりつまったドタバタ悲喜劇だ。

感想は?

 あらすじは主人公のオモン・ラーが宇宙飛行士の候補生になり、宇宙開発の現場で働くというお話。なのだが、著者曰く「本書はソヴィエトの宇宙開発についてではなく、ソヴィエト人の内面の宇宙をテーマにしたもの」だそうで。

 まあ確かにロケット関係の科学的・技術的側面の描写は無茶苦茶、というか「銀河ヒッチハイクガイド」や「馬の首風雲録」なみのやりたい放題。その出鱈目っぷり毒舌ぶりは「おいおい、ロシアでこんなん書いて大丈夫なのかよ」と読んでいて心配になったが、ソビエト崩壊は前年の1991年なのであった。それにしてもよく書けたなあ。度胸があるというかなんというか。まあ、こういう本が出て賞を取れるなら、ロシアの未来は悪くない気がする。

 ただ出鱈目なりに、時折マニアックなくすぐりも入ってて、宇宙開発に詳しい人は思わずクスッとしてしまうから油断できない。ベルカとストレルカ(Wikipedia)とか、いったいどういう人を読者として想定しているのやら。それとも、ロシアじゃ有名なのかしらん。私は古川日出男の「ベルカ、吼えないのか?」で知ったんだけど。

 こういった細かいネタを挟みつつも、著者の奔放な妄想力は暴走しまくる。

「…テクノロジーの面でわれわれは西側に勝利できなかった。(略)なぜならマルクス主義はなにものにも打ち克つ真実である…」

 正しいはずのマルクス主義が、現実にはアメリカの後塵を拝している。この矛盾を解消するためにソビエトが取った方法は、というと…いやあ、三段ロケットの切り離し方法も無茶だけど、ICBMの制御方法も、よくもまあ、んな方法を考えたもんだと感心する。もっとも、そういう手口の先達は我が国なんですけどね。

 他にも来ソしたキッシンジャーを歓待する方法とか、ソビエトの核兵器の実態とか、月面車のエンジンとか、凄まじいブラック・ジョークの連発。笑っていいのか泣くべきなのか。いや私は笑い転げましたけどね。ロシア人って生真面目って印象があったけど、こういうジョークを言わせると最高にいいセンスしてる。中でも私が気に入ったのが、これ。

「ある一行が火星に向かって飛んでいたんだ。丸窓から向こうをのぞくと、ようやくそばまで来たことがわかった。そしてふと振り返ると、全身赤ずくめの小柄な男が厚刃のナイフ片手に立っていて一言、『どうされました、ソヴィエトから出るおつもりですか?』」

 これ、NASAだと、税務署員が来るんだろうなあ。

 ちなみに、上の矛盾、今はイスラム諸国が抱えてたりする。「ユダヤ教は Version1.0、キリスト教は Ver2.0、俺たちは Ver3.0、なのに、なんで俺たちが Ver2.0 に負けてるんだ?」って疑問。その疑問の回答が「きっとユダヤとキリスト教はズルしてるに違いない。正義の鉄槌を!」となって911につながる。そう考えると、この作品、中東が騒がしい今こそ、読まれるべき作品なのかもしれない。

 以下、余談。

 この作品ではコケにされまくってるソビエトの宇宙開発だけど、実際にはトップを争う実績を残しているし、今も大型ロケットでは老舗の貫禄を見せつけている。費用の安さも相まって、業界では大きなシェアを維持している。

 この作品の主題からして技術的な描写の出鱈目さは意図的であるのは明らかだけど、同時に著者がその辺に詳しくないのも確かだ。まあ、それが問題になる作品じゃないけど。ロシアSFといえば他に有名なのはストガルツキー兄弟なんだが、彼らも決して科学的・技術的な詳細に拘る作家ではない。

 ロシアじゃ野尻泡介や谷甲州、またはスティーヴン・バクスターのような作風は受けないのかしらん。ロケットの実績を見る限り、優れた能力を持つ科学者や技術者は豊富にいるはずなんだけど、そういう人材と出版界は断絶してるんだろうか。科学の分野じゃアメリカと得手不得手は違う国なんで、そういった異なる分野で活躍している優秀な科学者・技術者、またはその卵が書いた、おもいっきりサイエンスしてる作品が読みたいんだけど、無理なのかなあ。

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