フェリペ・フェルナンデス=アルメスト「食べる人類誌」ハヤカワ文庫NF 小田切勝子訳
1920年代には、プリモ・デ・リベラ将軍が、産業化時代の仕事のパターンに合わせてスペインの食事時間を "近代化" する計画を立て、午前11時に簡単な昼食をとることを定めたが、その時点で彼の独裁政権は運が尽きた。
どんな本?
副題は「火の発見からファーストフードの蔓延まで」。本書は、多様な視点で食を総括する。煮炊きから電子レンジに至る調理、飼育から「緑の革命」までの食糧調達、小麦からジャガイモなど作物の移植・流行・変遷、そしてレシピからマナー等の「食べ方」。
食事をあらゆる角度から見直し、文献を掘り起こし、分析する事を通して、人類の歴史を独特の観点から見直す、美味しい文化人類学書。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は Near a Thousand Tables - A History of Food, by Felipe Fernandez Armesto, 2002。日本語訳は2003年7月に早川書房が単行本を発行し、2010年6月15日にハヤカワ文庫NFで文庫化。
本文と解説が縦一段組み約465頁に加え、巻末に横組みで原註27頁がつく。9ポイント41字×18行×465頁=343,170字、400字詰め原稿用紙で約858枚・堂々たる長編のボリュームですな。
人類史というおカタい内容にも関わらず、身近で興味深いテーマも手伝って、思ったより読みやすい。文化人類学を修めた人によくあるパターンの皮肉なユーモアや、ちょっとしたトリビアを随所に散りばめており、複雑でバラエティに富んだ内容ながら、読者を惹きつける力は充分にある。
構成は?
はじめに
第一章 調理の発明――第一の革命
第ニ章 食べることの意味――儀式と魔術としての食べ物
第三章 食べるための飼育――牧畜革命:食べ物の「収穫」から「生産」へ
第四章 食べられる大地――食べるための植物の管理
第五章 食べ物と身分――不平等と高級料理の出現
第六章 食べられる地平線――食べ物と遠隔地間の文化交流
第七章 挑戦的な革命――食べ物と生態系の交換
第八章 巨人の食物――19世紀と20世紀の食べ物と産業化
解説/小泉武夫
原註
大雑把な構成として、過去から現代に向かう形で綴っている。第一章は文明の黎明期の火の発見から始まり、第八章は食品産業の発展から現代の食事事情で終わる。章どうしで多少時代が重複するが、各章内も時系列で過去から今へと向かう流れの中で、豊富なエピソードを紹介していく。
感想は?
人類史とか聞くと思わず構えちゃうけど、食べ物の話だと親近感がわく。読者の興味を惹くという点では、テーマ選定で既に成功だろう。文明の起源では欠かせない「火の発明」も、本書ではそれを「調理の発明」と捉え、「食べ物を変質させるからではなく(略)社会を変容させるからである」としている。
焚き火は、そのまわりで人びとが食事をともにするとき、親交の場となる。調理とは、たんに食べ物を煮炊きする方法ではなく、決まった時間に集団で食事することを中心にして社会を組織する方法なのである。
親しい人と共に食べる食事が美味しいのは、誰でも知ってるよね。逆に、人と親しくなるには、飲食を共にすればいい。だから人は歓迎会だの結成会だのと理由をつけては、宴会をする。ところがこの習慣を、現代の火、即ち電子レンジが壊している、と著者は警告する。便利ではあるけど、同じテーブルでいっしょに食べる必要がなくなり、「われわれを前社会的な進化の段階へと引き戻す」と。
飼育というと普通は牛や羊や豚を思い浮かべるけど、著者は牡蠣とエスカルゴを例に出し、「軟体動物(巻き貝)が始まりなんじゃね?」と意外な説を展開する。「小さくて扱いやすい生き物は、大量に手に入るのなら、大きな猟獣より利点が多かったはずだ」と。そういえば、日本の遺跡も貝塚が多いなあ。
狩猟は古代から乱獲がつき物で、「南フランスのソリュートレ近くには、旧石器時代に猟師に追われて崖から落ちた一万頭の馬の骨が眠っている」そうな。現代の狩猟といえば漁。ここでも乱獲は付きまとい、「20世紀には、漁獲高が40倍近くに増加した」。
今、東京近郊ではちょっとした米騒動が起きてるけど、著者はジャガイモを持ち上げている。曰く、「充分な量を食べれば、ジャガイモだけで人間の体に必要なすべての栄養分を摂取できる」。実際、「ジャガイモは現在、小麦、コメ、トウモロコシについで世界の食糧消費量の第四位に位置している」とか。
ジャガイモは高地アンデスから世界に広まった。一般に庶民は食に関して保守的なのに、なぜジャガイモは成功したのかというと、これが戦争だってんだから切ない。「ジャガイモは地面の下に隠れているので徴発をまぬがれ、農民はほかにの食べ物が不足すると、ジャガイモを食べて生き延びた」「ジャガイモの分布域はヨーロッパで戦争が起こるたびに広がり、それは第二次世界大戦までつづいた」。なんだかなあ。
現代の洒落たレストランは、食事の皿を少しづつ運んでくる。けど、昔は一気に全ての皿を並べていた。これ、フランスが発祥だと思っていたけど。
19世紀のなかばには、ロシアが起源とされ、"ロシア風サービス" と呼ばれる給仕スタイルが西洋で流行した。これはまずフランスではじまり、そこから周辺諸国へ広まったようだ。(略)給仕の慎重かつ優雅な所作は、富裕層の後援のもとで独自の専門的な訓練を経て上演される、新しいかたちの演劇だった。
つまり、スマートなウエイターや綺麗なウエイトレスに見とれるのは、正しいのですね。メイド喫茶はまさしく原点回帰なのです。そんな風に、食習慣は変わっていく。「イギリスでは、お茶のために何もかもが止まる五時のお茶の習慣はなくなった。昼食を一日のメインの食事とするドイツやイタリアでさえ、出勤日の時間を節約するためにオフィスのカフェテリアで食べねばならない」。
しかし、ちゃんと古きよき習慣を守り続けている人々もいる。冒頭の引用は、スペイン人が家族との食事を大切にする様子を表すエピソード。
小難しい歴史も、食べ物を介すと一気に親しみやすく楽しくなる。「インド カレー伝」とか「チーズのきた道」とか、この手の本って、つい手が出ちゃうなあ。
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