古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」文春文庫
これはフィクションだってあなたたちは言うだろう。
おれもそれは認めるだろう。でも、あなたたち、
この世にフィクション以外のなにがあると思ってるんだ?
どんな本?
第二次大戦当時。米軍の上陸に備え、帝国陸海軍はアリューシャン列島のキスカ島より撤退した…四匹の軍用犬を残して。残されたのは、ジャーマン・シェパードの正勇と勝とエクスプロージョン、そして北海道犬の北。そして生き延びた犬たちの子孫は、アメリカで・朝鮮で・ベトナムで・アフガニスタンで・シベリアで、人間達が引き起こす動乱に巻き込まれつつ、逞しく20世紀を駆け抜ける。
「アラビアの夜の種族」で奔放な想像力を見せ付けた古川日出男による、激動の20世紀を舞台とした、犬たちの大河ドラマ。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
単行本は2005年4月発行。文庫本は2008年5月発行。文庫本で9ポイント縦一段組み382頁。39字×18行×382頁=268,164字、400字詰め原稿用紙で約671枚。ときおり犬に語りかける詩的な文章は、力強いリズムがあって、巧くノリが合えば心地よく読める。
感想は?
犬、それも軍用犬が主人公の大河ドラマ…といえば、キワモノを想像しそうだが、とんでもない。これぞ大河ドラマの王道を行く、アクションあり過酷な運命あり切ない恋ありファミリーの愛情ありの、濃ゆ~いドラマがぎっしり詰まった、娯楽小説の力作にして傑作。
キスカ島に取り残された犬たちは、やがて米軍と遭遇し、それぞれの運命を辿る。優秀な軍用犬として軍に残る犬もあれば、民間に払い下げられる犬もいる。それぞれに子をなし、広大な系譜を作り、世界中に散らばっていく。
多くの子孫達は、様々な飼い主に出会う。ブリーダーに飼われドッグショーの花形となる犬もいれば、北の地で犬橇を曳く犬もいる。血筋を愛でられ純血種として番う血筋もあれば、あらゆる血を飲み込む犬もいる。運命を飼い主に翻弄されながらも、犬たちは難しく考え込まず、犬の本能に従って逞しく生きていく。時には野良にもなるが、そこは犬。人と違って貧乏だからってガックリきたりはしない。
沢山のドラマが詰まっている中で、私が最も気に入ったのは、怪犬仮面の物語。メキシコの裏家業の二代目のボンボン、幼い頃に父親の裏商売を知った上に愛犬を失って落ち込むが、教会で啓示を受けて開き直る。「天の国でのイヌの幸福を願う前に、やることあるだろう。まずは反道徳の代償、払いなさい!」なんともまあ、気さくなジーザスなこと。
反省したボンボン、怪犬仮面としてルチャ・リブレ(メキシコ流のプロレス)にデビューする。ルチャドール(プロレスラー)として観客を楽しませる事で、反道徳の償いとし、心置きなく家業に励むのでありました。いいのか、おい。全般的に舞台は寒い地域が中心のためか、殺伐とした雰囲気が多くを占めるこの作品の中で、このボンボンの能天気さと割り切りの良さ、そしてノリの軽さは異彩を放っている。あいや、裏家業なんで、やっぱり硝煙の匂いは付きまとうんだけど、どしても南国風の明るい感じになっちゃうんだよね。
当初は二代目にありがちな線の細さを感じさせたものの、立ち直りの早さと抜きん出た行動力で、ぐいぐいと物語をひっぱり、舞台をアチコチへ広げていく。このテンポのよさが、ひたすら気持ちいい。
軍用犬として続く系譜は、銃弾飛び交う戦争へと駆りだされる。朝鮮で、ベトナムで、アフガニスタンで。飼い主を変え、所属国家を変え、戦場を変え。走り、唸り、噛み付き、戦い、番う。
犬を中心に据えて人の20世紀を俯瞰するという、奇想天外にして前代未聞な形を取りながら、出来上がった作品は王道の大河ドラマ。一見、「変なお話」に見えるけど、実はど真ん中に剛速球を投げ込む、正攻法にして真っ向勝負の物語でありました。
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