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2011年1月12日 (水)

海堂尊「イノセント・ゲリラの祝祭」宝島社

 だが、この俺を甘く見てもらっては困る。俺の上昇志向の欠落ぶりは筋金入りだ。尻尾を振って依頼に飛びつくだろうなんて、読みが甘すぎる。

どんな本?

 「チーム・バチスタの栄光」で鮮やかにデビューした海堂尊による、白鳥・田口コンビの医療シリーズ第四弾。今回は大きな事件は起きず、主な舞台は厚生労働省の会議場となる。とはいえそこは海堂尊、相変わらずAi(オートプシー・イメージング)を巧く広報すると共に、厚生労働省の闇をバッサリと切り裂く。医療行政への強烈な政治的メッセージと、メリハリの利いたわかりやすい(そして面白い)ドラマを見事に両立させている。

 東城大学病院の不定愁訴外来で平穏な日々を送る田口の元に、高階病院長から依頼が来た。なんと厚生労働省で講演をしろ、というのだ。しかも、黒幕は厚生労働省の火喰い鳥こと白鳥圭輔。単発の講演と思って渋々と依頼を受けた田口は、いつの間にか委員の一人として定期会合に出席する羽目になる。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2008年11月21日第一刷発行。ハードカバー縦一段組み約364頁。今は文庫本が出ている。文字は10ポイントとやや大きめだが、行間は詰まり気味。364頁×18行×40字=262,080字、400字詰め原稿用紙で約656枚。元々スピード感のある彼の作品の中でも、前作や螺鈿迷宮で多用された大げさな比喩も少なく、読みやすさではシリーズ随一だと思う。

 ロジカル・モンスター白鳥をはじめ、アクの強い人物が多数登場するこのシリーズ。できれば第一作の「チーム・バチスタの栄光」から読むのがベストだが、この作品に限れば最初に読んでもついていけるだろう。

感想は?

 今までのシリーズでは、これが一番好き。前作の「ナイチンゲールの沈黙」「ジェネラル・ルージュの凱旋」そして「螺鈿迷宮」が、陰鬱なシーンが多く音楽で言えば短調の作品だったのに対し、今作はコミカルとさえ言えるほど明るい場面が多いのがいい。今回の「事件」は本編でキチンとケリをつけた上で、末尾のヒキでは意味深な台詞で閉め、次回作への期待を煽る手腕は、最早ベテランの職人芸の感さえある。

 色々な点で、作家としての自信に溢れた作品だ、と思う。今まではミステリという枠を意識してか、何かしらの事件を中心に物語が展開していたのに対し、今回は芯となる事件がない。基本的には会議での論戦という、地味で見栄えのしないシーンがハイライトだ。ナイチンゲールとジェネラルで使われたオカルトじみた大げさな仕掛けもない。にも関わらず、ドラマとしてはシリーズ中最高にエキサイティングで面白い。

 というのも、やはりテーマそのものの掘り下げが良く出来ているからだろう。この作品こそ、作者が書きたかった作品なんだろうと思う。というのも、この作品の主題、そして田口が出席する会議の議事が、ズバリ「解剖と Ai」なのだから。

 現代の日本だと、死因を調べる場合、大抵は解剖する。ところが、この解剖、時間と費用が半端ではないため、往々にして嫌われるし、現実問題として体制的に多くの遺体を解剖できる状況でもない。そこで、精度は解剖に劣るにせよ、手間と費用は安く上がる Ai を併用しましょうよ、というのが作者の主張だ。

 ところが、この主張に対し、様々な立場の人が様々な事情で反対を唱えている。法医学者、法学者、解剖学者、そして厚生労働省の技官など、それぞれに各自の事情を抱えている。こういった現実にある議論を、作者は見事に会議で戯画化して見せるのだ。この戯画化はややデフォルメ過剰であるものの、白鳥をはじめとした他の登場人物も極端にデフォルメされているために、巧く作品世界にマッチしてしまう。そこまで計算してやっているとしたら、作者は恐るべきアジテーターである。

 ミステリ作家の仮面を脱ぎ捨て、医療行政改革の扇動者という素顔を晒し、その上でなお娯楽作家としての豪腕を示した今作。コミカルな演技を楽しみながら、シリアスなテーマへの理解を深められる、海堂尊ならではのおトクな作品。

 ただし、一つだけ文句が。氷姫の出番がないのは悲しい。

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