ジョセフ・F・エンライト&ジェームズ・W・ライアン「信濃! 日本秘密空母の沈没」光人社 千早正隆監修 高城肇訳
世界最大の航空母艦「信濃」は、1944年11月29日、水曜日、処女航海において17時間で沈んだ。沈没箇所は、北緯33度07分、東経135度04分--最寄りの陸地より南東へ65マイル離れたところだった。
どんな本?
大和・武蔵に続く三番艦として就航する予定だったが、後に空母に改装された信濃。その信濃は、処女航海でジョセフ・F・エンライト艦長率いる合衆国潜水艦アーチャー=フィッシュの四本の魚雷により沈没する。信濃とアーチャー・フィッシュの戦闘を、日米双方の資料と丹念な取材によって生々しく描いたノン・フィクション。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は1987年の Joseph. F. Enright with James W Ryan, SHINANO! The Sinking og Japan's Secret Supetship,。日本語版は1990年12月6日第一刷。A5ハードカバー縦一段組み約350頁。軍人さんが書いたドキュメントにしては、文章はこなれていて読みやすい。軍物にありがちな「俺達のチームはサイコーだぜい」的なノリがある反面、上級士官らしく下品なジョークは控えめで、いかにも優等生的なのも、まあ味のうちかな。敢えて言えば、距離のヤード・ポンド法は括弧つきのメートル法を併記して欲しかった。
構成は?
序文
謝辞
プロローグ
1.接触
2.目標
3.回避
4.挫折
5.逃走
6.執着
7.楽観
8.実現
9.之字
10.猛襲
11.被雷
12.反響
13.消滅
14.勝利
エピローグ
注釈
解説
訳者あとがき
時系列は真っ直ぐながら、信濃とアーチャー=フィッシュを交互に描く構成。これが見事に効果を上げて、互いにハンデを隠しながら手の内を読み会う様子が、ドラマを見ているかのような緊迫感を盛り上げている。
感想は?
そのまんままるで潜水艦物の映画の原作と言っても通りそうなほど、ドラマチックで迫力に満ちた本だ。合衆国海軍の潜水艦乗りジョセフ・エンライトは、かつて決断の誤りにより帝国海軍の空母を逃すという大失敗を犯す。失意に沈み暫く陸上の仕事に戻り、再起を図って乗り込んだのが、このアーチャー=フィッシュ。
対する信濃の安部艦長は、無茶な条件での重い責任を無口無表情の仮面の下に押し隠し、冷静沈着かつ誠心誠意で己の使命に全力を尽くす、謹厳実直なサムライに描かれる。
新造艦でコンディション最高のアーチャー=フィッシュに対し、信濃の状況は酷い。元々が戦艦を改造した空母で構造的にかなりの無理をしている。加えて無茶な突貫工事で作業員は疲弊の極み、しかも機密保持で作業員の補充や交替もできない。厳重な機密保持が敷かれたため、写真もほとんど残っていない。スケジュールの無茶が進水式に祟り、ドックの扉が決壊して海水が雪崩れ込み、信濃の艦首はドックに衝突して破損。速攻で再度のドック入りとなる。
信濃の不幸は始まったばかりで、横須賀から呉への初就航には航空援護すらつかない。空母だってのに航空機がないとは呆れる。防水扉などの気密検査もされず、これが信濃の命運に大きく関わってくる。
その日、横須賀海軍工廠長から引渡証書を受け取った阿部艦長の手が、怒りのあまり震えていたことは、どうにも忘れられない。阿部艦長の反応を見て、その場にいあわせたものはみな察した。--艦長は引取証書の受けとりを拒否したがっている、それもれっきとした理由があって…
護衛の駆逐艦は浜風・磯風・雪風の三艦。ところがこの三艦も満身創痍で、ソナーもレーダーもほとんど効かない。しかも、信濃のエンジンの軸受けは過熱し、全力が出せなくなる。「なんでここまで」と言いたくなるような不幸が、次々と信濃に襲いかかってくる。それでも阿部艦長は最善を尽くし、最も安全と思われる航路を取るが…
著者ははアーチャー=フィッシュの艦長エンライトのため、それらは「幸運」と表現されているけど、読んでるこっちは「うわあ、不幸だあ~」と叫びたくなるような展開の連続。とは言うものの、その多くは、運と言うより人為的に引き起こされた事故に近い。
敗色濃い状況で逼迫したスケジュールが元で、蓄積した作業員の疲労がミスを招き、検査など手順の省略が欠陥の発見を不可能にする。典型的なデスマーチ突入のパターンだよね。しかも偉い人は末端の窮状がわからないから、書類の上で数字をいじって現場に責任転嫁する。沈没後、査問委員会まで開いたというから呆れる。
後の話によると、「信濃」の士官たちは、委員会の詰問口調に憤慨したという。審問する士官の態度は、「信濃」沈没の責任は乗員たちにありと、審査の前から決め付けているという印象を与えた。
…あー、すんません、身につまされて、つい熱くなってしまった。さて信濃。魚雷を喰らったのが1944年11月29日03:18、沈んだのが同日10:55。約8時間に渡り足掻き続けた計算になる。手抜き工事の即席空母とはいえ、さすが巨艦というべきか。
書評の途中で感情的になってしまったけれど、それもこの本が丹念な取材に基づく傑出した臨場感に溢れているせい。潜水艦物のマニアは勿論、デスマーチに悩む計算屋にもお薦め。
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