ポール・ロレンツ監修 F.クライン=ルブール著「パリ職業づくし 中世から近代までの庶民生活誌」論創社 北澤真木訳
夜が明けると、風呂屋の番頭が開店を告げて回る。ビザンチン帝国との交流により公衆衛生が普及していたのである。やがて、魚、鶏肉、生肉に塩漬け肉、にんにく、蜂蜜、玉葱、セルフイユ、サラダ用生野菜、バターやチーズなどの販女(ひさぎめ)らが、ぞくぞくとやって来る。小麦粉に牛乳、桃、梨、林檎、桜んぼ、卵を呼び売りする女たちの声に、服や食器、家具の修理屋の声が重なる。
書名どおり、中世から近代までの、パリを中心とした欧州にあった様々な職業を紹介しつつ、同時に当時の人々の生活ぶりを描き出した本。冒頭に引用したように、当時のパリは行商人が盛んに声を張り上げながら行きかっており、かなりの喧騒に包まれていた模様。「昔は静かだった」なんて、大嘘ですね。物を売る者ばかりでなく、刃物の研ぎ屋や煙突掃除など保守・修繕に関わる職業や、ガス灯に火を灯す街灯点火夫や死刑執行人などの公務員、釘工などの職人も、給料や勤務時間などの労働条件や特権も合わせて紹介していて、当時の社会構造が垣間見えてくる。
ハードカバーで本文240頁ほど。文章はややクラシックな雰囲気があるかな。全16章に分かれていて、それぞれが職業ごとに2~3頁程度の紹介文で構成されており、興味のある所だけをつまみ食いできる構成になっている。挿絵も豊富で、眺めているだけでも楽しい。給料や物の値段が具体的な数字で出てくるのはいいけど、リアールやスーなど当時の単位なのが、ピンとこなくてちょっと不親切かな。
今の日本じゃ行商といえば竿竹に焼き芋ぐらいだけど、当時は行商人が活躍していた模様。商人はランクが三つあって、店舗を構えた商人・露天商、そして行商人となる。各商人は細かく組合に分かれていて、例えば錠前も鉄と真鍮で異なる組合に分かれてたそうな。商店や露天商にとって行商人は天敵で、行商人をパリから追い出すために組合が訴えを起こしたりしてる。
ルネサンス時代の床屋は、村に入るとラッパを吹いた。すると、髭を剃ってもらいたい男たちが三々五々集まってくる。似たような風習はヨーロッパの至る所にあり、とりわけスペインでは盛んだった。
など、今では店舗を構えるのが当然の職業も、当時は流しが多かったのも意外。庶民向けの木製食器を売る木地屋、ヒースの束で作ったほうきを売るほうき屋、クリーニング屋の元祖?染み抜き屋まで行商するとは。どころか、セーヌ川が汚れてくると、はるばるオランダにまで洗濯物を頼んでいたそうな。中世のグローバル経済、おそるべし。
奇妙な職業も沢山載ってて、ツケボクロ師なんてのもある。ホクロは肌を白く際立たせるというので、ツケボクロが流行ったのですね。目元は情熱的、口元は色好み、ほおの真ん中は恋する女など、場所によって意味があるのはアクセサリのお約束。形も丸ばかりでなく、星型・三日月・ハート・人物など、様々。女性の装飾にかける情熱は今も昔も変わりなし。ツケボクロ製造にまで独占権が設定されているってのも、当時らしい。
更に変なのが、移動便器屋。折りたたみ式の便器を持って、大きなコートを着る。コートを広げれば、客の姿は隠れる。客は人に見られず服を脱いで、用が足せる。今、そんな格好をしてたら、ただの変態オヂサンだけど。
パリの夜警も、最初は自警団のようなモノだった模様。1130年のルイ七世の公布で、五つの同職組合に夜警の義務を負わせている。これが二十年後には、すべての同職組合に人の供出を義務付け、職人が駆り出されて夜警についていた。やがて専門の国王夜警となり、1261年には決まった詰め所に常駐する駐在夜警になる。こういう変化も、民兵が専門化して軍に編成されていくのと似ていて、面白い。
今はスーパーやコンビニに行けば、大抵の物は揃う時代で、流しの行商人といえば竿竹屋と焼き芋屋ぐらい。織物や釘も工業化され、大量生産が当たり前。夜も電灯で生活に不自由しないし、メールで必要な要件も即時に伝えられる。肉や魚も冷凍すれば問題ない。こういう生活に慣れると、昔の人はよく生きてこられたよなあ、などと妙な感心してしまう。
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