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2010年8月10日 (火)

小野不由美「黒祠の島」祥伝社文庫

 神道は、そもそも非常に民俗的なものであり、土俗的なものである。それが徐々に統合され、体系化されていった。特にこれを決定的に促したのが、明治政府の執った祭政一致政策だった。(略)
この統合に与しないものは迷信として弾圧されなければならなかった。
 「そう--ここは黒祠あのですよ」
 黒祠とは、統合されなかった神社を言う。それは迷信の産物であり、言わば邪教である。

 プチ屍鬼。十二国記で名を挙げた小野不由美が描く、横溝正史風の離島ミステリ(って実は私は横溝正史を読んだ事がないんだけど)。文庫本で約470頁、所々に見慣れない漢字が出てくるけど、それはテーマの性質上、むしろ必須でしょう。しかも初出の時にはルビがついてる親切仕様。こういう離島ものはやたら修飾語が多くて鬱陶しいかなあ、と思っていたらさにあらず、さすが主上、文章は自然で意外と読みやすく、舞台が島に移ってからもスラスラ読める。

 式部剛は表向き探偵事務所の看板を挙げているが、実際はライターや作家の取材の請け負いを主にこなしている。ノンフクション作家の葛木志保は彼の常連客で、主に刑事事件を取り扱う。冷静で偏りのない志保の仕事を、式部は高く評価していた。彼に鍵を預けて消息を絶った志保を追う式部は、志保の出身地である夜叉島に辿りつく。海が荒れれば本土と切り離され、民宿が一つしかなく、駐在所すらない小さな島。迷信深い島人は、よそ者を嫌うといわれる。島に乗り込み聞き込みを始めた式部は、島人が何かを隠している、と感じ…

 「なんでも大昔、夜叉岳に鬼が棲んでいたとかで、その鬼をカンチと言うんだそうです。村に降りてきては村人を取って喰らうのを、旅の行者が鎮めて祀ったのがこの神社の始まりだとか」

 入り組んだ血縁関係、狭い社会に隠然と君臨する名家、不思議な由来の神社、島人が信じる奇妙な迷信、それをなぞるように行われる凄惨な事件、何かを隠している島人、外からやってくる探偵、探偵に協力的な一部の人々。体裁はいかにも教科書どおりの離島ミステリのフォーマットに沿っているし、犯人も推理小説のルールに沿い、早い段階で登場する。

 とまれ、この作品のテーマにミステリのフォーマットはあまり合ってない気がする。ミステリは、その性質上、どうしても主題が結末近くで明らかになるため、少ない文字数で語らねばならず、充分に語りつくすのが難しい。これが十二国記のようなファンタジーや、屍鬼のようなホラーなら、同じ主題に対し、作中の様々な人物が各々の立場で繰り返し語られるため、主題が読むに従い自然と明らかになるんだが、ミステリじゃ結末近くで全てが明らかになるため、素直に読み進めただけだと、私のように不注意な読者には、巧く伝わってこない。かと言って、ネタバレありのレビューを読みながら、ってのも、ミステリの読み方としては邪道だし。

 などと色々文句言ってますが、それは結末近くに登場する人物の活躍が少ないのが不満だからなのですね。いやもう、少ない登場場面で鮮やかにスポットを攫っていきます。かと言って物語の構造上、序盤から登場させるわけにもいかないお方でして、この辺の不満が屍鬼じゃ充分に解消されています。

 やっぱ、ミステリのレビューって、難しいわ…って、己の文才のなさをミステリのせいにするなよ→をれ。

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