ヴィトルト・リプチンスキ「ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語」早川書房 春日井晶子訳
「彼はどんな道具を使っていても、見る者に喜びを与えてくれました。とりわけ、長さ一八インチのやすりを扱っているところは、たいした眺めでした」 --発明家・起業家ヘンリー・モーズレーを評した職人の言葉
著者ヴィトルト・リプチンスキは、「この千年で最高の道具(工具)」というテーマのコラムの依頼を受ける。自らの手で家を建てた経験もある著者は、工具箱を漁り錐・のこぎり・釘・ものさし等を引っ張り出すが、発明が古過ぎたり特化しすぎたりで、どうもしっくりこない。が、妻のひと言で鉱脈を掘り当てる。
「ねじ回しはいつだって何かに必要なのよ」
かくして著者はねじとねじ回しのルーツを辿って図書館を廻り博物館を巡礼し、ねじとねじ回しの起源に迫り、その普及と発展の歴史を辿っていく。果たして最古のねじは…
本文160頁ほど。文章は早川の翻訳物にしては、まあ合格点。その気になればあっさり読み終えられるけど、工具に詳しくない人には不慣れな名詞が頻出する。図版も多いのだが、それでも私はPCでぐぐりながら読み進めました、はい。いや言わないでしょ普通、「フィリップスねじ」なんて。プラスねじだよねえ。「ロバートソンねじ」(ねじ穴が四角錐のねじ)も日本じゃ見ないよなあ。六角のねじは多いけど。
ねじの歴史を追って中世の書見台に至った著者は、突然ひらめく。「技術革新は兵器から始まる事が多い。じゃ、銃を手繰ればいんじゃね?」かくして博物館に足を運び銃を眺めると、その隣の甲冑が目に付く。なんと大兜の後ろに、見事な蝶ねじがあるではないか。
さて甲冑の歴史だが、6世紀ごろのアーサー王の時代は甲冑ではなく鎖帷子だった。鉄板が使われるようになったのは13世紀頃。まずは脛と膝、ついで腕が覆われた。体全体が覆われるようになるのは1400年ごろ。そもそも中世の馬上槍試合というのは…
と、まあ、そんな感じに、一直線にルーツに迫るのではなく、あちこちフラフラと道草をくいながら、工具の意味と発展の歴史を探っていく。一見軽いコラム風でありながら、技術と技術史の面白さを、少ない頁数に凝縮した一冊。夏休みの読書感想文の課題には持ってこいですぜ、そこの中高生諸君…って、もう遅いか。
ねじ製作の歴史が、これまた面白い。中世のヨーロッパでは、女性の刺繍と同様、旋盤いじりが紳士のたしなみだったとは。当時は手工業でねじ山を切っていたので、生産効率が悪く精度が悪かった。1760年にイングランドのワイアット兄弟が旋盤を工夫して大量生産を可能にする。ねじの頭も、当時は作りやすい「マイナスねじ」が中心だったが、溝をナメてダメにしやすい。カナダ人のロバートソンが四角錐にする事を思いつき…
などと、ねじ製作が工業化され大量生産を追及していく過程で、旋盤も精度向上を目指し進歩していく。この機械工作の精度向上が、ピストンやシリンダなど高精度の部品を求める蒸気機関や内燃機関の実現と普及を支える。こういう技術進歩の相互作用とダイナミズムが、肌で感じられる過程はゾクゾクしてくる。ワットが蒸気機関の父なら、精度に拘り標準化を達成したモーズレーは産業革命の母と言っていい。
第6章「機械屋の性」は、ハッカーを気取るソフト屋の魂と激しく共振する。
第一に、彼らが仕事をしていた世界では、熟練した技術のみならず、発明の才も必要だった。たんに伝統的な手法に代わるものをデザインするだけでなく、それまでは想像もつかなかったような精度を可能にする工具を発明していたのだ。
これ、某ハッカーの言葉、「道具を作るんじゃなくて、道具を作る道具を作りたい」と、どこかで繋がっている気がする。
最終章、ねじの歴史を追った著者は、とんでもないシロモノ(リンク先を見ると重大なネタバレになってしまうので、そのつもりで)を発見してしまう。このシロモノも日本じゃ馴染みのない名前で、リンク先の名称の方が一般的だと思うが、それはともかく。この道具の洗練されたアイディアには、ひたすら感動をおぼえた。天才って、いるもんなんだなあ。
ちょっとした工夫で少しだけ便利にしようとする、そんなハッカー気質の人には至福の一冊。
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