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2010年8月 6日 (金)

マルク・レビンソン「コンテナ物語 世界を変えたのは[箱]の発明だった」日経BP社 村井章子訳

「コンテナは単に輸送手段の一種と考えるべきではない。コンテナリゼーションはシステムである。コンテナの全面活用を念頭において設計されたロジスティック・システムで使われてはじめて、コンテナの効果は最大化される。」 --合衆国海軍大将フランク・ベッソン

 いまや陸海空すべての運送分野でお馴染みとなったコンテナ。そのコンテナは、いつ、誰が、どんな目的で、どのように導入されてきたのか。また、導入過程で起きた軋轢や、コンテナが世界に与えた影響を、物語風に描くドキュメント。著者は主張する。コンテナは船の構造や港湾施設だけの問題ではなく、運送システム全般、いや製造から小売に至る産業全般に関わる問題であり、その導入は、国家の枠組みさえ超える商取引、いわゆるグローバリゼーションの基盤である、と。

 ハードカバー350頁ちょいに加え参考文献が80頁もあり、一級の資料だろう。かといって文章は決して堅苦しくなく、物語としての面白さも手伝って、エキサイティングで楽しみながら読める。特に主役を勤める風雲児マルコム・マクリーンの個性が劇的で、彼が政府や海運業界に挑み出し抜く様は、まるでドラマの様な波乱に満ちている。

「要するに私は起業家で彼らは経営者だった。経営者の集団に起業家を入れるとろくなことにならない。」 --マルコム・マクリーン

 マルコム・マクリーン、1913年生まれ。一台のトラックから出発し、徹底したコスト削減策で陸運会社事業を拡大する。やがて陸運のコスト削減のため、トレーラーごと船に乗せる事を思いつき、海運会社を買収する。今でいうRO-RO船だ。更なるコスト削減を追求した彼は、RO-RO船を実現する前に、更に偉大な発想に辿りつく。「トレーラーの荷台だけ船に乗て運べばいい」。

 当時、港の積み下ろしは沖仲仕(いわゆる波止場人足)に頼っていた。人手頼りなので時間的にも経済的にも効率が悪く、船が沖合いで数日間も埠頭の空きを待つ事も多かった。貨物も倉庫に長期間置きっぱなしになりがちで、荷主にとっては時間的にも海運は不安定だった。そこにコンテナが登場する。クレーンやトラックが入れる埠頭などの設備を必要とする反面、人足が不要で積み下ろしはスピーディーになる。当時、海運業は船を運用する企業であり、Door To Door を構成する一部、などという発想はなかった。だが、門外漢であるマクリーンにとって、海運は輸送ルートを構成する一部であり、それにかかる費用や時間は、陸運と組み合わせて計算すべき要素だった。

 コンテナ導入は多くの沖仲仕の仕事を奪い、組合から大反発を食らう。陸と海をシームレスに統合して考えるマクリーンの発想は、護送船団方式の米海運業界に激烈なアレルギーを引き起こす。陸運と海運を分けて考える政府や自治体が、規制を盾にマクリーンの前に立ちはだかる。

 当時は海運を含む運送費用が、関税以上の貿易障壁となっていた。コンテナを中心とした輸送システムは劇的な輸送費用の削減を引き起こす。もはや工場を港の傍に作る必要はない。いや、海外だっていい。コンテナはグローバリゼーションの恩恵を世界中に浴びせる…ただし、大型コンテナ船を扱える港を備えた国にだけ。波に乗ったのはシンガポール、乗り遅れたのはロンドンとリバプール。

 末尾近く、「世界のコンテナ港上位20」が怖い。トップが香港、次いでシンガポール・上海・深セン・釜山・高雄と続き、東京は17位で、ドバイに負け、タイのレムチャバンに猛追されている。頑張れ千葉港。

 当頁の冒頭の引用は、ベトナム戦争の兵站ででマクリーンと組み、米軍の兵站のコンテナ化を進めた海軍大将フランク・ベッソンの言葉。なんとまあ、今じゃ「フランク・S・ベッソンJr.大将級兵站支援艦」なんてもんまである(WORLD MILITARY GUIDE より)。

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