米本和広「カルトの子 心を盗まれた家族」文芸春秋
親がカルトに嵌った家庭の子供に焦点をあてたドキュメント。宗教を扱った本は多々あれど、子供を扱った本は少ない。どころか、私はこれ以外知らない。もしあれば是非教えて欲しい。このテーマを選んだ著者のセンスはズバ抜けている。「センスで選んだんじゃねーよ」と著者は言うかもしれないが。
とにかく怖い。下手なホラーより、遥かに怖い。小説ならいいのに、と思いつつ読んだ。ドキュメントなんだ、悲しいことに。正義感が強く行動力に溢れた人、敏感で落ち込みやすい人、共感能力豊かで人の痛みを自分の事のように感じる人には勧めない。こんな現実が今の日本に存在する事に耐えられないだろう。
扱う集団はオウム・エホバ・統一教会・ヤマギシ会、最後に少しだけライフスペース。質・量ともにヤマギシ会が最も充実している。いや充実して欲しくないんだけどね。それだけ多くの子供たちが深く苦しんでるって事だから。著者はどんな顔をして取材したんだろう。本書を読めば、著者がカルトに強い怒りを抱き、子供たちを救えない自分の無力さに呆然としているのは明らかだ。取材にその気持ちを抑えて臨んだのは確かで、この辺はさすがプロというか。
まず、オウム。主に扱っているのは、親が出家したため教団施設で育った子供たち。親と離され、子供たちだけの集団となり、それを世話係が監視する。修行以外は、ほとんど野放し。特に体罰が厳しいわけでもない。とはいえマトモな教育は小学生で一日1~3時間。酷いのは食事で、一日二食。肉や魚どころか野菜もなく、途中からは米すらなくなった。当然、菓子類もなし。衛生状態も劣悪で、捜査員は「土足でなければ入れなかった」と証言している。よって子供たちの発育は悪く、53人中47人が平均身長未満。
警察の手入れで子どもたちは児童相談所に保護される。以後、マトモな食事を取ってから、急激に身長が伸びている。躾もなっちゃない。箸を使えず、風呂で体も洗えず、トイレも使えずパジャマに着替える習慣もない。そういった解りやすい部分だけでなく、子供として素直な感情表現が出来なくなっているのも怖い。以下、引用。
泥んこ遊びをしているときに「楽しいか」と聞くと、楽しくな~い!
おやつを食べているときに「おいしいか」と聞くと、おいしくな~い!
「親に会いたいか」と聞くと、会いたくな~い!
矢崎はこれを「三無い主義」と名づけ、「三無い」がなくなったときに、教義の呪縛は解けると直感した。
教義に縛られて、素直な感情表現ができない。これに対する矢崎氏の対応は実に見事で、さすがプロと感心してしまう。最初は受動的にアニメを見ていた子供たちも、最終的には「○○を借りてきて」とリクエストを出すようになる。矢崎氏をはじめとする児童相談所の対応は、このままマニュアルにしていいぐらい素晴らしいと思う。
次にエホバの証人=ものみの塔。ベルトや定規で叩くなど過激な体罰が有名だが、全ての家庭でなされるわけではない。地域により違い、体罰を積極的に勧める地域もあれば、控えるように指導する地域もある。とはいえ著者が会った9人中8人が殴られている。うち四人は「それほどひどくない」というが、それでも定規で1~2ヶ月に1回。子供を叩くよう周囲が親に圧力をかける地域が多い。
学校に入った子供は友達と遊びたがるが、戒律が邪魔をする。クリスマスや七夕、年賀状すらご法度。クラス委員選挙も選挙だからダメ。プロレスごっこ、ロックやジャズもだめ。バレンタインデーも不許可。しかも仲間の前で「私はエホバだからできない」と「証をたて」ないといけない。自然と学校でも孤立し、いじめの対象になる。子供時代に友達と遊べないなんて、とんでもない話だよなあ。
しかし、児童虐待だけが問題なのではない。エホバから離れても、子供たちの心はハルマゲドンの恐怖に囚われている。自由に遊んでも、罪悪感から逃れられない。そして、エホバから離れるほど、信者である家族とは疎遠になっていく。家族か自分の人生か、どちらかを取らなければならない。家族から離れても、なかなか社会に馴染めない。歌手も競馬も野球も知らない。共通の話題がないのだ。「楽しいから旅行に行く」という感覚もない。「なんでそんな必要があるんだ」と。
次に統一教会。キリないんで、簡単に引用。克子が母親、好美が娘で五歳。
母「あの頃は統一教会の影響を国会にも広げようと自民党の国会議員の選挙応援を熱心にしていましたので、泊り込みで四十日間も選挙カーで走ったりしていた。」
子の保育を担当した人「好美ちゃんは日中保育所にいるとき、(お母さんの帰りを待ちわび)いつも玄関に座り、靴をなめていますよ」
結婚の自由もない。文鮮明が決めた相手と結婚しなければならない。親が相手を呼びつけ、包丁で脅して交際をやめるように迫る。
最後にヤマギシ会。ここが最も著者の力が入っている部分なんだが、読んで最も怖いのもここ。申し訳ないけど私の気力が尽きたんで、簡単に。一言で言えば強制収容所。親から隔離され、子供たちと「世話係」による集団生活。世話係は暴君として振る舞い、子供たちに際限なく暴力を振るう。食事は一日二食。映画「キリング・フィールド」の世界だと思っていただければ結構。なんで、こんな無茶がまかり通ってたんだろう。
以降は、私の妄想。カルトに限らず、親が特定の宗教や思想に極端に入れ込み、子に強制した場合は、いつでも似たような事が起こるんだろうと思っている。条件付の愛情で子供を縛り、子供が子供らしく素直に感情を表現できなくなる。多様な友達と遊べなくなり、社会に適応できなくなる。家庭内が冷たくなり、子供が自分の感情を閉じ込める。カルトは組織的にやっていて、教義も極端に浮世離れしているために、被害を受ける子供も目立つ。カルトという目立つ共通の属性でまとまっているから解りやすいだけで、似たような状況で育つ子供は他にも沢山いるだろう。秋葉原通り魔の加藤智大がそうだった。
信仰の自由や親権の問題もあって、急激な変化は期待できないけど、国や自治体による児童虐待対策の充実は一つの対策になるだろう。一度、犯罪者の家庭の宗教環境を調べて欲しい。邪魔が入るのは確実で、とても難しいと思うけど。
| 固定リンク
「書評:ノンフィクション」カテゴリの記事
- キャス・サンスティーン「恐怖の法則 予防原則を超えて」勁草書房 角松生史・内藤美穂監訳 神戸大学ELSプログラム訳(2024.11.03)
- ローマン・マーズ&カート・コールステッド「街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する」光文社 小坂恵理訳(2024.10.29)
- サイモン・マッカシー=ジョーンズ「悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」インターシフト プレシ南日子訳(2024.08.25)
- マシュー・ウィリアムズ「憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき」河出書房新社 中里京子訳(2024.05.31)
- クリフ・クアン/ロバート・ファブリカント「『ユーザーフレンドリー』全史 世界と人間を変えてきた『使いやすいモノ』の法則」双葉社 尼丁千津子訳(2024.04.22)
コメント