2025年11月 7日 (金)

村上柾勝「シェークスピアは誰ですか? 計量文献学の世界」文春新書

本書では、文章の数量的な性質の中から、個人を識別するのに役立つ「文章の指紋」ともいうべき性質を探すことによって、作者の推定を試みた内外の研究を紹介した。
  ――おわりに

著者を推定するということから始まった文章の計量分析の研究は一層の広がりを見せ、現在では文章の数量的性質の変化から、著作年や、著作順序を推定したり、さらには思想の変化や精神状態の変化を探るという方向にも進んでいる。
  ――はじめに

【どんな本?】

 計量推計学は、文章の特徴を統計的な手法で数値化し、著者の真贋や著作年などを調べる技術である。その数値化も、着目点や技法は様々だし、文献の性質により使える技法や問題点は異なる。例えば英語は単語が分かれているが、日本語は分かれていないので、形態素解析が必要だ。

 本書は計量文献学の歴史や手法をザックリと語るとともに、シェークスピアの正体や源氏物語の著者など読者に馴染みの深い事例を披露し、「計量文献学とは何をして何ができるか」を紹介する、一般向けの解説書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年10月20日第1刷発行。新書で縦一段組み本文約185頁。9ポイント42字×16行×185頁=約124,320字、400字詰め原稿用紙で約311枚。文庫でも薄い部類。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も比較的にわかりやすい。一部に数式も出てくるが、加減乗除と分数までだし、なんなら読み飛ばしても構わない。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  • はじめに
  • 1 かい人21面相の脅迫状と文体分析
    グリコ・森永事件/書き手は二人?/作家・内田康夫氏の推理/脅迫状・挑戦状の漢字含有率/かい人21面相の文章の模倣
  • 2 筆跡鑑定にかわる「文章の指紋」
    筆跡鑑定がむずかしくなった/文体から書き手を推定する/「パウロの書簡」をめぐる古くからの疑問/文章の指紋/この三人の作家の正体は?/一人三人作家/三つのペンネームによる文章の共通点 読店の付け方
  • 3 文学作品と哲学書の著者を推定する
    • 1 シェークスピアは誰か?
      Did he exist or did'nt be?/シェークスピアの候補たち/単語の長さの分析から/シェークスピア別人説その後
    • 2 プラトンの『第七書簡』は贋作か?
      贋作説の背景/二重母音、不変化詞を分析すると/文の長さの分析で贋作説を否定
    • 3 マーク・トウェインの戦争経験談?
      南北戦争経験談『Q.C.Sレター』はマーク・トウェインの著作か/単語の長さを分析すると/マーク・トウェインのシェークスピア別人説
    • 4 『静かなドン』をめぐる疑惑
      ショーロホフとソルジェニーツィン/『静かなドン』は盗作か/コンピュータの分析では
    • 5 『紅楼夢』は一人の作者が書いたものか
      /曹雪芹はどこまで書いたか/47の虚詞/81回以降は高蘭墅の作品か
  • 4 聖書と宗教書の著者を推定する
    • 1 『キリストにならいて』は誰が書いたか
      著者はケンピスかジェルソンか/語彙の豊富さを計るK特性値
    • 2 『旧約聖書』の中の『イザヤ書』の著者
      聖の預言者イザヤ/著者は三人か/文章の一貫し性に疑問/分析の問題点
    • 3 『新約聖書』の『パウロの書簡』
      パウロの14通の手紙/本当にパウロが書いたのか
  • 5 政治や犯罪の文献をめぐって
    • 1 英国内閣を攻撃した投書『ジュニアス・レター』
      200年以上謎のままだった著者の正体/人物の識別指標とは/区間推定法を用いた著者の推定
    • 2 『連邦主義者』の著者の推定
      作者は合衆国大統領?/記述内容に関係しない言葉の分析/執筆者の好みが現れる言葉の使用率
    • 3 パトリシア・ハースト誘拐事件
      誘拐、転回そして銀行強盗/法廷でのやりとり/声明文の執筆者は?
    • 4 東京の保険金殺人事件
      深夜のひき逃げ事件/犯人の告白書・遺書/四通の文章の類似点は/犯人逮捕
  • 6 日本古典の謎をめぐって
    • 1 『源氏物語』の計量分析
      古典文学の最高峰『源氏物語』/作者に関する疑問/「宇治十帖」の作者は本当に紫式部か?/数値でみる『源氏物語』の全体像/言葉の使用率で「宇治十帖」をみる/『源氏物語』を品詞から分析する/グラフでみる「宇治十帖」の異質性/「宇治十帖」を書いたのは別人か?/『源氏物語』の成立順序の疑問/助動詞に基づく成立順の推定/安本美典氏の計量分析/本居宣長の犯したミス
    • 2 日蓮遺文の著者の推定
      日蓮遺文の真贋問題/問題となっている五編の文献/日蓮の好みの言葉で/言葉の情報に基づく分析/品詞の情報に基づく分析/五編の文献の真贋は/『三大秘宝稟承事』の異なる写本を用いた分析
  • 7 文体の変化とこころの変化
    • 1 川端康成の文体の変化
      心のありようと文章/読点の付け方の変化
    • 2 日蓮の文体の変化
      佐渡流罪の前と後
  • 8 日本語の計量分析の課題と限界
    日本文の分析のむずかしさ/ワープロ、パソコンと手書きでは文体は異なるか/日本の古典は宝の山
  • おわりに
  • 参考文献

【感想は?】

 本書のテーマはシェークスピアの正体をめぐるミステリではない。いや、それも少し触れてるけど、あくまでもネタの一つとしてだ。本題は、計量文献学の紹介である。まあ、その辺は副題や構成を見ればわかるんだけど。

 計量文献学とは何か。文章から特徴を洗い出して数値化する技術だ。数値化することで、客観的な比較ができる。贋作を見分けたり、真の書き手を見つけたり、成立順を並べ直したり、そういう事ができる。

 私が興味を持ったのは、「どう数値化するか」だ。これが思ったより遥かに色とりどりで、工夫に富んでいる。

 パッと思いつくのは、文の長さだ。私が読む本だと、一般に学者が書いた本は文章が長い。対して新聞記者などジャーナリストの文章は短い。これは書くのが商売か否かの違いだろう。カート・ヴォネガットも、記者時代に「とにかく文を短く」とシゴかれたとか。でないと、読んでもらえないのだ。

 日頃から「読んでもらいたい」と思ってる人なら頷けるだろうが、こんな指摘があった。

「短文というのは、修練がいる」
  ――1 かい人21面相の脅迫状と文体分析

 そうか。やはり意識して訓練しないと、文は長くなっちゃうのか。某カクヨムの作家さんで、やたら文章が短い人がいて感心してたんだが、相当に訓練したんだろうなあ。

 もっとも、商業作家、それも娯楽作品で稼いでる人は文の長さを気にするだろうけど、学者さんは違う。以下は宗教書『キリストにならいて』(→Wikipedia)の分析で得た傾向なのだが…

文の長さの平均値や文の長さのバラツキを示す四分位範囲と呼ばれる統計量は作家間で異なるが、同じ作家の作品ではほぼ同じ値となるという結果を得た。
  ――4 聖書と宗教書の著者を推定する

 だそうです。

 さて、文の長さつまり句点「。」の次は、読点「、」だ。最近読んだ「日本アニメ誕生」は、やたら読点が多いと感じた。栗本薫も多いんだよなあ。この二人は商業作家だから意識して付けてるんだろうけど…

読点は文章を読みやすくするために付けられるが、多くの人はほぼ無意識に読点を付けている。個人の文章の特徴は、このような無意識に書く所に現れやすい。
  ――2 筆跡鑑定にかわる「文章の指紋」

 もっとも、本書の注目点は読点の数じゃない。どの文字の後で読点を使うか、だ。たいてい助詞、いわゆる「でにをは」の後なんだが、この頻度に書き手の特徴が出るのだ。とまれ、この章でサンプルとして出てきた作家の長谷川海太郎(→Wikipedia)のペンネーム使い分けの芸には脱帽した。やっぱプロの作家は凄いや。

 読点・句点の次は、やっと単語だ。でも、最初の例は虚詞。これは中国語の助詞や副詞などを含むシロモノで、単独では意味をなさない。そんなモノに注目するのも、ちゃんと意味がある。

一般に文章の書き手を推定する場合には、虚詞のような記述内容に依存しない言葉で、かつ多数回使用される言葉の頻度に着目することが多い。
  ――3 文学作品と哲学書の著者を推定する

 先の長谷川海太郎のように傾向の違う本だと、出てくる単語の種類は大きく違ってくる。例えば丹下作善は「剣」が、牧逸馬は「銃」が多い…んじゃ、ないかなあ。そういう、テーマに依存する単語は、計量文献学じゃ使いにくいワケです。

 先の引用は『紅楼夢』の話。あれぐらいの大長編だと、統計的にもサンプルが多いので取り組みやすい。対して犯罪の予告状や脅迫状だと、文章の量が少なすぎて計量統計学じゃ扱いにくい。そこで、多数の手法を組み合わせることとなる。

1.どのような助詞がどの程度もちいられているかに関する頻度情報
2.どの助詞の後にどの助詞が出現するかに関する頻度情報
3.どの文字の後に読点がつけられているかに関する頻度情報
  ――5 政治や犯罪の文献をめぐって

 と、様々な角度から分析していくワケですね。

 終盤では、ついに出ました日本文学の金字塔『源氏物語』。いや読んでないけど。しかも作家複数説まであるとは知らなかった。ばかりか…

『源氏物語』に関して問題が指摘されているのは、作者複数説だけではない。54巻の成立順序に関しても、多くの研究者が現在の巻序の順かどうかについて疑問を呈している。
  ――6 日本古典の謎をめぐって

 大長編でよくある、前日譚や外伝的な章を後から付け加えるパターンね。人気が出たので読者のリクエストに応えた的な。

 この分析過程でガツンとやられたのが、紫式部の才女ぶりを示すくだり。いや村上氏の意図は違うんだけど。

『源氏物語』の中に「あはれ」に関する言葉は、「あはれ」(名詞・感動詞)、「あはれがる」(動詞)、「あはれさ」(名詞)、「あはれなり」(形容動詞)など41種類出現する。
  ――6 日本古典の謎をめぐって

 この41種類って所に、彼女の語彙の豊かさが出てるよなあ、などと感嘆したのだ。私なんて二言目には「面白い」「興味深い」ばっかだってのに。

 などと本題とは違うネタばかりになったが、計量文献学の魅力そのものは充分に伝わってくる本だった。何より、従来の文学者による主観的な分析に対し、力づくながらも客観的で数値化できる手法なのが心地よい。コンピュータと相性がよさそうな分野だけに、さすがに2004年と古いのは辛いが、「軽量文献学とは何か」を知るには手軽で楽しく読める格好の紹介書だ。文系と理系の狭間に興味がある人にお薦め。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年11月 5日 (水)

アンディ・グリーンバーグ「サンドワーム ロシア最恐のハッカー部隊」角川新書 倉科顕司・山田文訳

本書では、サイバー戦争によってディストピア化を進行させているならず者の最も明確な例として、サンドワームの話を紹介する。
  ――はじめに

【どんな本?】

 2015年のクリスマスイブ。ウクライナは大規模な停電に陥る。事故ではない。事件だ。物理的な攻撃ではない。サイバー攻撃である。目標はサーバでもパソコンでもない。制御システムだ。そして目的は愉快犯でも金銭でもない。政治的・戦略的・経済的にウクライナに打撃を与えることだ。単独犯による犯行ではない。組織によるものだ。それも、大規模で高度な技術を擁する。

 以前から、連中にはコードネームがついていた。サンドワーム。

 雑誌 WIRED のシニアライターを務める著者が、ウクライナ政府のみならず世界中の港湾施設や病院などのコンピュータを停止させた謎のサイバー・テロ組織サンドワームを追い、世界を巡ってその被害者やセキュリティ関連企業に取材した、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Sandworm: A New Era of Cyberwar and the Hunt for the Kremlin's Most Dangerous Hackers, Andy Greenberg, 2019。日本語版は2023年1月10日初版発行。新書版で縦一段組み本文約423頁に加え、著者あとがき7頁。9ポイント41字×16行×423頁=約277,488字、400字詰め原稿用紙で約694枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章は比較的こなれている。内容も、少なくとも技術的には難しくない。というか、著者はあましITに詳しくない。取材相手からDNS(→Wikipedia)の講義を受けてたり。そのためか、多少IT系の言葉遣いがあやしい。と思えば、幾つかの用語を説明なしに使ってたり。その例は以下。

  • マルウェア:不正プログラム(→Wikipedia)
  • フォレンジック:証拠の保護およびシステムの保全?(→Wikipedia)
  • ハクティビスト:政治目的を掲げる(広い意味での)ハッカー(→Wikipedia)
  • ゼロデイ攻撃:修正プログラム配布前の脆弱性を突く攻撃(→Wikipedia)

 あと、「ハッカー」は悪党の意味で使ってる。かと思えば、.vbs(→Wikipedia)やDNSは簡潔な説明がある。また、ド「メインコントローラ」(→Wikipedia)って言葉も出てくるんだが、これマイクロソフトのシロモノだよね。同様に「ワード」も、マイクロソフト・ワードを示すんだろうけど、KWord(→Wikipedia)やEGWORD(→Wikipedia)とかもあったんだぜ。最近は~WORDではなく~Writerが流行りみたいだけど。いったい、どういう読者を想定してるんだろう…って、雑誌 WIRED の読者か。

 という事で、索引か用語集が欲しかった。

【構成は?】

 前の章を踏まえて後の章が展開する構成なので、なるべく頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • はじめに
  • プロローグ
  • 第1部 出現
  • 1 ゼロデイ
  • 2 ブラックエナジー
  • 3 アラキス
  • 4 戦力倍増
  • 5 スターライト・メディア
  • 6 ホロドモールからチョルノービリまで
  • 7 マイダンからドンパスまで
  • 8 停電
  • 9 視察団
  • 第2部 起源
  • 10 回想 オーロラ
  • 11 回想 エストニア
  • 12 回想 ジョージア
  • 13 回想 スタックスネット
  • 第3部 進化
  • 14 警告
  • 15 ファンシー・ベア
  • 16 Fソサエティ
  • 17 ポリゴン
  • 18 インダストロイヤー、あるいはクラッシュオーバーライド
  • 第4部 神格化
  • 19 マースク
  • 20 エターナルブルー
  • 21 ノットペチャ
  • 22 全国規模の大災害
  • 23 崩壊
  • 24 損害
  • 25 事後分析
  • 26 距離
  • 第5部 アイデンティティ
  • 27 GRU
  • 28 離反者
  • 29 情報敵対
  • 30 ペナルティ
  • 31 バッド・ラビット、オリンピック・デストロイヤー
  • 32 偽旗
  • 33 74455
  • 34 タワー
  • 35 ロシア
  • 36 ゾウと反乱者
  • 第6部 教訓
  • 37 ブラックスタート
  • 38 回復力
  • エピローグ
  • 付録 サンドワームとフランス選挙ハッキングのつながり
  • 謝辞/著者あとがき/出典について/参考文献

【感想は?】

 つくづく、ロシアはロクな事をしない。

 ロシアのサイバー・テロ組織「サンドワーム」を雑誌 WIRED の記者が追ったドキュメンタリーだ。その過程で最大の標的となったウクライナはもちろん、ジョージア・オランダ・イギリス・米国などを飛び回り、被害者やセキュリティ企業そして国家の治安機関などに話を聞いている。

 残念ながら技術的な詳しい話は出てこない。そもそも著者はプログラマじゃないし。また、情報セキュリティ関係者に役立つネタも、ほぼ出てこない。だから、その辺は期待しないように。あくまでも「記者がテロ組織を追ったドキュメンタリー」であって、技術書じゃないのだ。

 冒頭から、標的にされたウクライナの悲惨な状況が切々と描かれる。マルウェア(不正プログラム)が蔓延しているのだ。

「ウクライナでは、攻撃されていない場所がありません。どの岩をひっくり返しても、コンピュータネットワークへの工作の痕跡が見つかるんです」
  ――第1部 出現

 素人が面白半分で仕掛けてるんじゃない。組織的に、ウクライナを標的として攻撃を仕掛けているのだ。その結果、ウクライナでは大規模な停電が起きた。

長年身を潜め、能力を高め、偵察活動をしてきたサンドワームは、これまでそのハッカーも踏み出したことのない一歩を踏み出した。実際に停電を引き起こし、数十万人の民間人が利用する現実世界のインフラを無差別に破壊したのだ。
  ――第1部 出現

 実質的な被害を考えれば、戦略爆撃みたいなモンだろう。犯罪どころか戦争行為である。これには、予兆があった。2007年4月のエストニアだ。DDoS(→Wikipedia)攻撃で、エストニア国内の多くのサイトが使えなくなった。

エストニアで起こったこの2カ月間の出来事は、一部の専門家のあいだでは、史上初のサイバー戦争、あるいは、刺激的に“第一次ウェブ大戦”と言われるようになる。
  ――第2部 起源

 政府が大胆にITを活用する国として有名なエストニアだが、悪党にとっては魅力的な標的だったのだ。もっとも、エストニアを狙った理由は、もっと下世話なものだけど。だってNATO加盟国だし。

 また、ロシアは実際の軍事侵略にサイバー攻撃を組み合わせた先例も作った。2008年のジョージア南オセチア戦争(→Wikipedia)だ。北京オリンピック期間中でもあり、軍事衝突ばかりが話題になったが、その陰でロシアはサイバー攻撃もしていたのだ。

(2008年8月のジョージアに対する)サイバー攻撃の実際の効果よりも重要なのは、ロシアが歴史的前例をつくったことだ。ハッカーによる破壊工作と伝統的な戦争をこれほど公然と連携させた国はこれまでになかった。
  ――第2部 起源

 この時はサイバー攻撃による大きな被害はなかったが、ニュース・メディアはサイバー攻撃について大きな報道をしなかったし、各国の政府も表向きは問題視しなかった。

ジョンズ・ホプキンス大学で戦略と軍事を研究しているトマス・リッド教授の指摘によると、そのように(攻撃への非難や反撃を)放置された状況のもとでロシアは技術力の限界を押し広げるだけではなく、国際社会が許容する限界を探っているという。
  ――第3部 進化

 つまり、ツケあがらせてしまうのだ。平和を維持するには、小競り合いでもキチンと反撃してメンツを保つのも大切なんです(「戦争と交渉の経済学」)。

 さて、ロシアのサーバー・テロ組織としては、「情報セキュリティの敗北史」でファンシー・ベア(→Wikipedia)が挙がっているが…

サンドワームのハッカーは、姿を見せないプロの破壊活動家だ。一方、ファンシー・ベアは恥知らずで下品なプロパガンダ活動家のようだ。
  ――第3部 進化

 「140字の戦争」にはロシアが運営するトロール(荒らし)工場が出てくる。著者もセキィリティ関係者も、その三者は見分けにくいというか、どうも連携してる雰囲気があったり。

 さて、本書の主な舞台はウクライナだが、他国の情報セキュリティ企業の関係者も、テロリストが武器として使った不正プログラムを手に入れ、解析している。その結果、かなりヤバい事がわかってきた。

「このマルウェア(CRASHOVERRIDE,→IPA 独立行政法人情報処理推進機構/pdf)のすばらしさは、どの国でも、どの変電所でも実行できることです」
  ――第3部 進化

 変電設備は国により様々なメーカーや機種があり、操作・命令系統も異なる。この違いを吸収するために、ロシア製の不正ソフトウェア CRASHOVERRIDE は、設備への命令部分をモジュール化していた。他国を攻撃する際は、そこだけ差し替えればいい。つまり、わが国がいつ攻撃されても不思議じゃないのだ。

 更にロシアはよりより凶悪な不正プログラム NotPetya を発動、2017年6月27日にウクライナ中のパソコンが狂ってしまう。

ウクライナのインフラ相ヴォロディミール・オメリヤン「政府が機能停止しました」
  ――第4部 神格化

 ばかりではない。NotPetya は世界中で猛威を振るい、例えば世界トップの海運企業マースク(→Wikipedia)の社内でもパンデミックを起こし、各国の港湾が麻痺状態に陥った。病院も被害を受けたというから恐ろしい。

 この被害を…

ホワイトハウスの評価では、結果として合計100憶ドルを超える損害があったという。
  ――第4部 神格化

 これはあくまでも表沙汰になったモノだけで、水面下でどれぐらいの被害が出たのかは不明だ。最近も日本じゃアスクルやアサヒグループホールディングスが被害を受けてたり(→YaHoo!ニュース)。いや犯人はサンドワームじゃないようだけど。

 さて、これらの不正プログラムの感染源となったのは、会計支援アプリケーションのアップデート・サーバだ。脆弱性を塞ぐために最新版にアップデートしたら、おまけに不正プログラムまでついてきたのだ。病院でワクチンを受けたら病気に感染した、みたいな話で実に怖い。その会社の担当者曰く…

単に狙われるとは思っていなかった
  ――第4部 神格化

 発電所などのインフラでもなく、軍のような安全保障のキモでもない、ただの民間企業だから、と油断してたワケです。ありがちですね。

 これらの事故というより事件の裏にはロシアのスパイ組織GRU(→Wikipedia)がある、そう情報セキュリティ企業が明言しているにも関わらず、西側の政府はダンマリを決め込んでいたが、2018年にやっと…

ジェレミー・ハント英外相「同盟諸国とともに、われわれは国際社会の安定を脅かそうとするGRUの企てを明らかにし、それに対応する」
  ――第5部 アイデンティティ

 と、声明が出た。それまで、オバマ政権もトランプ政権も黙っていたのだ。その理由の一つは、イランの核燃料濃縮施設を狙い明国とイスラエルが共同開発した不正プログラムStuxnet(→Wikipedis)だろう、と著者は推測している。「俺たちが使えなくなったら困るじゃないか」、そういう理屈だ。

 先に述べたように、ロシアが狙うのはウクライナだけとは限らない。というか、既にマースク社などが巻き添えで大きな被害を受けている。幸か不幸か、当時のウクライナはあまりコンピュータが浸透しておらず、従来のアナログな技術が多く残っていた。そのため、コンピュータを切り離すことで復旧できたのだ。

 だが、現代の米国や日本は、もっとIT化が進んでいる。加えて、若い担当者はアナログな時代を知らない。これが示す現実は怖ろしい。

「アメリカの送電網を停止させるのは、ウクライナでやるよりむずかしいでしょう」
「でも停止させたままにしておくのは簡単かもしれません」
  ――第6部 教訓

 などの本筋の迫力に加え、情報セキュリティ企業が不正プログラムを集めるため敢えて囮とするサーバを運営しているとかの、情報セキュリティ系のゴシップも山盛りで楽しかった。技術的にはあまり役立つ内容ではないが、ロシアの悪辣な手口や、それに対する西側各国の甘い対応、そして被害を受けた現場の状況などは、実に身につまされる本だった。マウスが勝手に動く場面とかね。いやマウス操作の自動化は、まっとうなソフトもあるのよ、おーとくりっか~ (→窓の杜)とか。

 そんなワケで、ロシアを警戒する人にお薦め。

【関連記事】

【蛇足】

 技術的にも情報セキュリティにもあまり役に立たない本だが、二つほど気が付いた事がある。先の「ワード」や「ドメインコントローラ」が示すように、本書で被害を受けたのは、みな Windows なのだ。というか、著者はコンピュータ=Windows、と思い込んでるフシがある。

 マースク社は Windows のドメインコントローラを潰され、会計支援ソフトの企業はアップデートサーバが感染源になった。なら、サーバとクライアントやバックアップと日常用は、異なるOSにすりゃいんじゃね、と思うのだ。クライアントや日常用がWindowsならサーバやバックアップはLinuxやMacintoshやAWSとか。まあ、それはそれで管理が面倒ではあるんだろうけど。

 もう一つ気づいたのは、感染のパターンだ。電子メールの添付ファイルについてたワープロ文書のマクロに不正プログラムが入ってた、そういうケースが多いのだ。

 そもそも、なぜワープロ文書なのか。地図や構成図などの絵があるならともかく、文章だけなら電子メールの本文に書けばいいじゃないか。本当にワープロ文書である必要があるのか。「屈辱の数学史」には、「某社の表計算ファイルの42.2%には一つも数式がなかった」なんて記述もある。「なんかカッコいいからワープロを使う」みたいな風潮が、社内に蔓延してたんじゃないか。

 と思ったら、ソコを指摘してるサイトもあった(セキュアSAMBAワードをメール添付で送るリスク)。やっぱりそうか。

 ヤバいマクロが勝手に動く危険もあるし、メールサーバの容量も無駄に食うしね。下手すっと一桁多くなるのだ、メールの容量が。だもんで、ネットワーク管理者には嫌われるのだ。

 そのうち、マクロ機能がないワープロソフトとかが出回るんじゃないかなあ。セキュア・ワードみたいな名前で。

 そんなワケで、マナー講習とかでも、「電子メールはなるたけ添付ファイルを使わないように」とか広めてほしいな、と思うのであった。

 以上、駄文でした。

| | コメント (0)

2025年10月24日 (金)

豊田有恒「日本アニメ誕生」勉誠出版

初期アニメに関わった多くのクリエーターに関しても、恩師と仰ぐ手塚治虫を含めて、知る限りのエピソードを紹介し、かれらの業績を、あらためて顕彰してみたい。
  ――まえがき

才能が問題になるのは、プロになってからである。最初は、趣味が嵩じるかどうかで決まるのだ。
  ――第10章 パラレル・クリエーションのころ

【どんな本?】

 1960年代初頭。学生ながら早川書房「SFマガジン」主催の第一回日本SFコンテストに「時間砲」で入賞したものの、それで食えていける状態ではなく、将来を決めかねていた豊田有恒は、同期入賞の平井和正の紹介でテレビアニメ『エイトマン』のシナリオを任される。当時の日本のテレビアニメは黎明期で人材の交流は多く、やがて『鉄腕アトム』にも関わるようになり…

 日本SF作家第一世代の一人でもある著者が、テレビアニメ関係を中心に思い出を語る、青春の交友録・回顧録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年8月28日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約200頁。9.5ポイント43字×16行×200頁=約137,600字、400字詰め原稿用紙で約344枚。文庫なら薄い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。まあベテラン作家だし。内容は…手塚治虫をはじめとして、そのスジの有名人が続々と出てくるため、ソッチに詳しい人にはわかりやすい。そうじゃない人? 読まないでしょ、どうせ。

【構成は?】

 時系列順に進むが、気になった所だけを拾い読みしても楽しめる。

クリックで詳細表示
  • まえがき
  • 第1章 手塚治虫との出会い。押しかけ原作を強要
    手塚治虫に会いに行く/手塚式出版社回り/『宇宙塵』の月例会/リミテッドアニメ、バンクシステムという手法/アニメ版『アトム』
  • 第2章 エイトマン誕生!「細胞具」って、なに?
    同期入賞の仲間たち/平井和正との切磋琢磨の日々/『エイトマン』誕生/『エイトマン』のテレビ化/シナリオの書き方/河島治之というスーパーマン/細胞具?/リアリティの重視/身の振り方を考える/超小型原子炉と賦活剤
  • 第3章 シナリオがない!
    手塚治虫の目配り/文芸課長・石津嵐/シナリオ地獄/「チョコレートを買ってきてください!」/「ラフレシアの巻」/人生最大の殺気
  • 第4章 社長が消えた!
    編集室への立てこもり/創作の秘密/盗作問題
  • 第5章 アトム輸出。お茶の水博士は、ドイツ人?
    『アトム』のアメリカ進出/ドイツ訛りの科学者
  • 第6章 「イルカ文明の巻」視聴率トップ
    戦うことをためらう主人公/社内公募でキャラクターを決める/出渕裕の「やられメカ」
  • 第7章 手塚治虫とけんか別れ
    虫プロの現場/美術部の重要性/ふたりの節子/アニメの音/優秀な人材/拡大路線/新番組『ナンバー7』/手塚の激怒/虫プロ退職
  • 第8章 再びTBSへ 『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』
    TBSからの要請/『スーパージェッター』の仲間たち/「タイムパトロール」の設定/大仇・ジャガー/久松文雄と長岡秀星の起用/もう一つのペンネーム/リーダー・福本和也/架空の歴史を創りだす/中島梓の誤解/またもや手塚を怒らせる/虫プロからの電話/手塚との和解/手塚治虫の受賞/第一次アニメブーム/『冒険ガボテン島』の設定/仲間たちのその後/主題歌の魅力/アニメ界から遠ざかる
  • 第9章 『宇宙戦艦ヤマト』下敷きは西遊記
    翻訳の仕事/本格的なsfアニメを/西崎義展との出会い/ハインラインのようなSFを/アニメ心に火がつく/原子の火/終末論に迎合する/「荒廃した地球」という舞台/『西遊記』を下敷きに/『宇宙戦艦ヤマト』の原作者/最初の小説版
  • 第10章 パラレル・クリエーションのころ
    星敬と土屋裕/パラレル・クリエーション発足/若いクリエーターたち/常連、とり・みき/田中良直と原田知世ファンクラブ/多才なるメンバーたち/定義しにくい友人、田北鑑生/妻は相撲部屋の女将さん?/才能の差/社員旅行の思い出/ミニ版・ときわ荘
  • 第11章 日本アニメの将来
    CGアニメの隆盛/アニメ創世期を構成に

【感想は?】

 私がSF者になったのは、豊田有恒のせいだったのか。納得。

 冒頭から懐かしいタイトルの連続で涙が出そうになる。鉄腕アトム,鉄人28号、エイトマン。

 いずれも現在はYoutubeでオープニングが見られる。いい時代だなあ。さすがに絵はモノクロで京アニなどの華麗な絵に慣れた人には紙芝居に感じるだろうが、音楽だって手間かかってるぞ。なんたって、みんな生楽器のオーケストラだし。1960年代初頭だから、録音も多重録音じゃなくて、奏者をみんな集めて録ったんだろうなあ。贅沢な話だ。

 と、そんな、年寄りが遠い目をして昔を懐かしむ、そういう本です。

 テレビ界・アニメ界・SF界ともに若かった時代。というか、テレビアニメ自体がなかった。アニメ映画はあったけど。そんな時代に、週間のテレビアニメを、それもSFでやる。今思えば、なんでそんな無謀な事を考えたのか見当もつかないが、たぶん手塚治虫の影響だろうなあ。

 その手塚治虫への畏敬の念は、全編を通して語られる。もちろんアニメでの付き合いもあるが…

SF界は、活字と映像のあいだに垣根がない。
  ――第1章 手塚治虫との出会い

 のだった。親友の平井和正に巻き込まれ、学生ながらエイトマンのシナリオを描く羽目になる著者だが…

「シナリオって、どうやって書くんですか?」
  ――第2章 エイトマン誕生!

 ってな体たらく。みんな手探りでやってたんだろうなあ。映画やドラマのシナリオはソレナリに蓄積があるんだろうが、アニメならではの事情もある。

30分番組のシナリオが、四百字詰めの原稿用紙で、実写では35枚程度とすれば、アニメでは50枚以上も必要となる。
  ――第6章 「イルカ文明の巻」視聴率トップ

 実写だと、例えば役者の動作を具体的に書いちゃいけない(→「ハリウッド脚本術」)。何を表現するかは脚本家の縄張りだが、どう表現するかは役者の縄張りなのだ。これがアニメだと、照明や効果音まで脚本家が考えるのだ。

 その効果音も…

アニメの音というのは、実際にない音もあり、実写と比べると大変なのである。
  ――第7章 手塚治虫とけんか別れ

 なんてあって、「そりゃねえ」と今さら納得したり。波動砲の音なんて、誰も知らないしw

 やはり当時のアニメならではの制約もあって、例えば主題歌で「子供が歌えない主題歌ではだめだ」とか。納得はともかく理解はできるが、「半音があると、普通のハーモニカで演奏できないから、子供たちに馴染みにくい」は、気が付かなかった。子供向けのコンテンツは、大変なんだね。

 素人読者を意識してか、アニメの制作過程もザックリだが親切に書いてある。最近、原作とドラマの違いが話題になったが、映像化の場合は集団での話し合い…というより揉み合いで少しづつ出来上がってくるようで、スタッフとの喧嘩もしばしば。

「文句を言うなら、おまえが書いてみろ!」
「絵が描けるくらいなら、シナリオなんて、書いているか!」
  ――第4章 社長が消えた!

 には笑った。

 裁判にもなった『宇宙戦艦ヤマト』が、ああいう形になった経緯も面白い。

この設定には、下敷きがある。(略)西遊記である。
  ――第9章 『宇宙戦艦ヤマト』下敷きは西遊記

 おお、言われてみれば。確かに「遠方から××を持ちかえる」って話だしねえ。これを制作に漕ぎつけるまでも色々とあって。

「巨大ロボットは出てこないのか」
  ――第9章 『宇宙戦艦ヤマト』下敷きは西遊記

 なんて言われたり。大金が動くだけに、制作側も前例のあるモノにすがりたいんだろう。さて、例の裁判にしても、本書を読む限り、原作を一人の個人に帰するのは無茶な気がしてくる。キモである、あの設定にしても…

戦艦ヤマトを使おうと言いだしたのは、松本零士だった
  ――第9章 『宇宙戦艦ヤマト』下敷きは西遊記

 と、松本零士の貢献を認めている。多くの人物が登場し、その大半に畏敬または親愛の情を示す著者だが、西崎義展だけは例外で、プロデュースの能力は認めながらも、散々にディスってたり。

 終盤では自らが社長を務めたパラレル・クリエイションの話で、今をときめくクリエーターたちが続々とでてくるのが楽しい。そうか、火浦功は実在したのか。

 多くの人が登場する中で、私の印象に残ったのが、映画館のロビーで著者がナンパした相手の話。SFマガジンを持ってるからってんで話しかけたら…。オチも凄い。「この近くに、ひいおじいさまのお宮があるから」って、そういう事か。

 日本のSFもテレビアニメも生まれたばかりの時代。若者たちが和気あいあいと話し合い、または喧々囂々の論争をしながら、手探りで作品を創り上げてゆく、その過程を遠い目で綴った群像劇。日本アニメの黎明期ばかりでなく、機動戦士ガンダムや機動警察パトレイバーなどのスタッフに興味があるなら読んでおこう。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年10月21日 (火)

関根慶太郎監著 瀧澤美奈子著「読んで納得!図解で理解!『ものをはかる』しくみ」新星出版社

単位のルーツはどの民族でも、だいたい次の3系統に分類できる。
1 体の部分の長さや歩幅を尺度に利用した単位
2 自然の現象や物を尺度に利用した単位
3 生活習慣を尺度に利用した単位
  ――第1章 基本量のはかり方

【どんな本?】

 「日本酒度」ってなに? 電気料金や下水道料金はどうやって決める? 「桜の開花」の基準は? 虹はどれぐらい遠い? 警察のネズミ捕りの仕掛けは? 乱視はどう調べる? 放射線の多寡は? マラソンのコースはどうやって決める? 地球の重さがなぜ判る? 星の重さは?

 キッチンメーターや血圧計など身近な計測機器のしくみから、春のニュースの定番である桜の開花予報、科学と工学の粋である天文学まで、様々なコノ・コトのはかり方・決め方・数値化の方法を、豊富な写真とイラストで親しみやすく語る、一般向けの科学・工学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年7月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約253頁。9.5ポイント26字×25行×253頁=約164,450字。各頁の上20%~40%程度はイラストや写真で、また文中にも図版が入ったりするので、文字数はもっと少ない。書名の「図解で理解!」は伊達じゃない。

 文章は比較的にこなれている。ただ内容の分かりやすさは記事によりけり。工学系の学者の著書でありがちなように、得意分野だと高度な話がバリバリ出てくるのだ。数式も容赦なく出てくる。ただし加減乗除に累乗と平方根までなので、理屈では中学生でも理解できる…ハズ。いや私は読み飛ばしたけど。

【構成は?】

 2~4頁の独立した記事が並ぶ構成なので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。各章の末尾にも1頁の独立したコラムがある。

クリックで詳細表示
  • 第1章 基本量のはかり方
  • はかり方の基本
  • 第2章 感覚量をはかる
  • 味覚をはかる
  • 辛味をはかる
  • 日本酒の味はどう表す
  • アルコールの度数って何?
  • 日本酒度をはかる
  • 酸度をはかる
  • においをはかる
  • 包丁の切れ味をはかる
  • 第3章 生活をはかる
  • 重さをはかる
  • 複雑な庭の面積をはかる
  • 体積をはかる
  • 地面の傾斜をはかる
  • 水道使用量をはかる
  • ガス使用量をはかる
  • 電気使用量をはかる
  • 電気料金をはかる
  • タクシーメーターのしくみ
  • パーキングメーターのしくみ
  • 照明の明るさをはかる
  • 電波の周波数をはかる
  • 方角をはかる
  • 磁力をはかる
  • カメラのオートフォーカスのしくみ
  • カメラの手ぶれ防止のしくみ
  • 火災報知機のしくみ
  • 第4章 自然をはかる
  • 山の高さをはかる
  • 海や湖の深さをはかる
  • 川の流れの速さをはかる
  • 水の透明度をはかる
  • 年代をはかる
  • 花の開花度
  • 水質をはかる
  • 地面の水分量をはかる
  • 第5章 天気・気象をはかる
  • 気温をはかる
  • 気圧をはかる
  • 湿度をはかる
  • 風速をはかる
  • 雨量をはかる
  • 震度をはかる
  • マグニチュードをはかる
  • 竜巻の強さをはかる
  • 雷までの距離をはかる
  • 雨雲の移動速度をはかる
  • 積雪量をはかる
  • 視度(視程)をはかる
  • 二時までの距離をはかる
  • 第6章 交通をはかる
  • 自動車の速度をはかる
  • 船と飛行機の速度をはかる
  • 飛行機の高度をはかる
  • タイヤの空気圧をはかる
  • エンジンの馬力をはかる
  • 自分のいる位置を知る
  • スピード取り締まりはどうはかる
  • 道路標識の表示距離
  • 第7章 健康をはかる
  • 体温をはかる
  • ヘルスメーター
  • 血圧をはかる
  • 視力と乱視をはかる
  • 聴覚をはかる
  • 肌年齢をはかる
  • 血管年齢をはかる
  • 体脂肪率をはかる
  • 食品のカロリーをはかる
  • 呼気のアルコール濃度をはかる
  • 心臓の状態を知る
  • 脳波をはかる
  • サーモグラフィのしくみ
  • 第8章 環境をはかる
  • 人工衛星による環境計測
  • 騒音の大きさをはかる
  • 振動の大きさをはかる
  • CO2濃度をはかる
  • 放射線の量をはかる
  • クリーンルーム
  • まな板の汚れをはかる
  • 第9章 スポーツをはかる
  • 歩行数をはかる
  • ゴルフなどで使う距離計
  • 短距離のタイムをはかる
  • マラソンの距離をはかる
  • マラソンのタイムをはかる
  • 第10章 地球をはかる
  • 地球の重力の大きさをはかる
  • 地磁気の大きさをはかる
  • 地球の形や大きさをはかる
  • 大陸の移動をはかる
  • 海流の速度をはかる
  • 地球の重さをはかる
  • 標高の基準
  • 第11章 宇宙をはかる
  • 月や太陽までの距離をはかる
  • 星や銀河までの距離をはかる
  • 星の明るさをはかる
  • 星の重さをはかる
  • 太陽の温度をはかる
  • 宇宙の膨張速度をはかる
  • 惑星でなくなった冥王星
  •  さくいん

【感想は?】

 典型的な科学/工学の雑学本だ。

 そのためか、多くの人に親しんでもらうために、様々な配慮をしている。写真やイラストが紙面の半分近くを占めていて。パッと見ただけでもとっつきやすさを感じる。各記事が独立していて、長さも2~4頁と短いので、スキマ時間でチビチビと読めるし、美味しそうな所だけをつまみ食いできるのも嬉しい。

 ただ、工学系の著者にありがちなパターンで、筆が乗ってくると専門的な話が出てきたり、数式がワンサカと載っているのは、まあそういうモンです。よって読む側にもスキルが必要で、ったって数学や科学の能力じゃない。「わからない所は気にせず読み飛ばす」って能力ね。特に数式。ミステリ小説じゃあるまいし、多少読み飛ばしても無問題。

 幸いにして本書は2~4頁の独立した記事が並ぶ構成なので、前の記事が理解できなくても後の記事には何の影響もないし。

 また、第2章が感覚量で第3章が生活と、身近で暮らしに密着した話題なのも編集の工夫だろう。やはり自分が実際に感じたり、日々の生活に影響があるネタだと、強い興味がわくのだ。

 という事で、「ぼちぼち包丁を研がねば」と感じている私には、こんなネタが嬉しかったり。

研究によると、包丁にモノが当たった瞬間の切れ味は、刃先0.1mmの角度の鋭さで決まり、切断する途中の切れ味は刃面のなめらかさで決まるようです。
  ――包丁の切れ味をはかる

 ちなみに、あんまし刃先を鋭くするとすぐ鈍るんで、プロは加減するそうです。

 こんなのも、「おお賢い!」と感心したり。デジタルカメラのオートフォーカスの「コントラスト検出方式」なんだが…

“ピントが合っているのは、コントラストが最も高いときである”という考え方で、ピントを検出する方法です。
  ――カメラのオートフォーカスのしくみ

 言われてみればその通りなんだが、よく気が付いたなあ。コンピュータの画像処理・演算能力も必要だし、現在ならではの技術だね。ちなみにオートフォーカスには「位相差検出方式」もあって、主に一眼レフで使ってるとか(→Wikipedia)。最近の複数レンズを備えたスマートフォンは、どういう理屈なんだろ? こういう所が、2007年発行の悔しい所。

 やはり身近なネタでは、国土地理院が司る水準点(→Wikipedia)。これは標高の基準となるモノで、思わず Google Map で漁ってしまった。近所にもあるので、散歩のついでに見てこよう。

日本各地には標高の永久標識である水準点が約2万点もあって、あらかじめ正確な標高と位置が測量されています。
  ――山の高さをはかる

 「あれ、そうなの?」も、雑学本の楽しみの一つ。例えば震度(→Wikipedia)。

震度は地震の振動の強さを表す指数で、単純な物理量ではありません。そのため、もともと体感で決めてきた尺度です。
  ――震度をはかる

 数字一つで示されると、ナニやら厳密な規格がありそうな気がしてくるんだよな。でも実際には揺れ幅・周期・継続時間などがあって、数字一つで表すのが難しいのだ。とはいえ、あくまでも「もともとは」であって、現在は気象庁が工夫して計算してるんだけど。

 やはり「そうだったのか!」が、これ。

変速ギアがトップ(変速比1)のとき、速度計の針の「角度」とタコメーターの針の「角度」が同じであるのが正しい習わしである。
  ――自動車の速度をはかる

 クルマに詳しい人は知ってるんだろうなあ。最近のクルマは自動変速が多いけど、上の理屈を知っていれば「今は何速か」が判るのだ。

 「こんな所にお役所が」と感心したのが、脳波計。

脳波計は、頭皮に付けた電極から生じる活動電位の変動を増幅し、波形として記録します。そのため、電極。入力部、増幅部、補助入力部、記録部、電源部から成り立っています。また、安全性を含めてJIS規格で規定されています。
  ――脳波をはかる

 「脳波」も近年はfMRIなどが発達し、あまり聞かなくなった言葉だけど、一時期はオカルト系でよく出てくるネタでした。SFでもポール・アンダースンの小説が、って読んでないけど。

 やはりオカルトとSFの定番が放射線)(→Wikipedia)。これもシーベルト(→Wikipedia)なんて単位があって、一つの数字で表してるけど…

放射線にはいろいろな種類があるだけに、計測器もさまざまな種類(*1)があります。そのため、ふつうは対象によってどの放射線を測定するかをあらかじめ決めて、検出器を選びます。
  ――放射線の量をはかる

 と、中身はフクザツなのだ。

*1:β線=電子,β+線=陽電子,α線=ヘリウム原子核,エックス線=電磁波,γ線=高エネルギー電磁波

 ちなみに放射線測定器はタダで借りられる。

(財)放射線計測協会では、文部科学省の委託を受けて、簡易放射線測定器「はかるくん」(*2)の無料貸し出しを行い、自然放射線への理解増進をはかっている(→簡易放射線測定器の貸出)。
  ――放射線の量をはかる

 これも調べて分かったんだが、今は「はかるくん」もイロイロと進歩している様子。

*2:はかるくんWeb「はかるくん」の種類によると、はかるくんCP-100/はかるくんDX-200/はかるくんDX-300/はかるくんメモリー/はかるくんⅡ/はかるくんGM-100/はかるくんGM-200の7種類がある。

 やはり最近の進歩が凄いのが、万歩計。スマートフォンや時計にも機能がついてたり。私は相変わらずiPod nano を使ってるけど。いやスマートフォンだと電池の減りが気になって。ちなみに…

「万歩計」は同社(山佐時計計器株式会社)の登録商標。
  ――歩行数をはかる

 ということで、スマートフォンとかは歩数計などの表現を使ってる。あと山佐時計計器株式会社は、スマートウォッチ型やバックル型など、様々なバリエーションを出してるなあ。

 などの身近なネタの後、終盤では地球規模や宇宙規模の話題が。話の規模は大きいけど、「はかる」となると、やたら数字が小さくなるから科学者は大変だ。例えば地磁気。

地表での地磁気の大きさは、(略)冷蔵庫に付けるマグネット(フェライト磁石)の1/1万程度です。
  ――地磁気の大きさをはかる

 その程度でさえ動くコンパスも凄いと思う。

 これが宇宙となると、やはり謎も残っていて。

太陽を取り囲むコロナ(太陽大気の上層に太陽半径の10倍以上の距離まで広がっている)は約100万Kという超高温であることがわかっていますが、その理由は太陽系最大の謎とされ「コロナ加熱問題」(→Wikipedia)と呼ばれています。
  ――太陽の温度をはかる

 これも調べたら、2025年現在の今も複数の仮説が並び立っている状態だった。現代の科学でも、こういう細かい?謎がたくさん残っているんだろうなあ。というか、謎が一つ解けると二つの謎が生まれるのが科学だし。

 幅広い分野のネタをたくさん集め、それぞれを2~4頁の短い記事にまとめた、とっつきやすく親しみやすい科学/工学の雑学本。読み終えると個々の記事が短いので食い足りない気もするが、じっくり読むと各記事の中身は意外に濃かったりする。雑学が好きな人にお薦め。

 ただ、進歩の激しい科学/工学系の本なので、さすがに発行が2007年なのは寂しい。改訂版が欲しいぞ。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年10月19日 (日)

スヴェン・カート「綿の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか」紀伊國屋書店 鬼澤忍・佐藤絵里訳

本書はヨーロッパ人が支配した<綿の帝国>の興亡の物語である。(略)この物語はグローバル資本主義の構築と再構築の物語でもある。
  ――はじめに

「商品連鎖」の起点あるいは終点に位置すると、相対的に弱い立場となるのが普通なのだ。
  ――第8章 グローバルな綿業へ

世界はいま、かつてないほど大量の綿をつくり、消費している。
この本を読んでいるあなたは、綿製のシャツかパンツか靴下を身につけているかもしれない。
  ――第14章 エピローグ 織り地と織り糸

【どんな本?】

 産業革命はジェニー紡績機(→Wikipedia)に始まると考える人は多い。この機械が人類史に与えた影響は、単なるテクノロジーの進歩だけではない。綿の紡績および織機の自動化は巨大な産業を生み、綿の商取引きが牽引するアフリカ・アジア・新大陸を巻き込む全地球的な貿易の活性化を促すとともに、綿花を求める商人と政府が、従来の自給中心の農村社会を破壊し、資本が支配する労働力へと変えてゆく過程でもあった。

 多くの人々が賃金労働に従事する現代社会の枠組みを整えた産業革命の姿を、そのきっかけとなりまた先導した綿を焦点に据えて描く、一般向けの衝撃的な歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Empire of Cotton: A Global History , Sven Beckert, 2014。日本語版は2022年12月28日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約679頁に加え、訳者あとがき5頁。なお原註と索引もたっぷりで、最後のノンブル(頁番号)は848。鈍器ですね。9ポイント43字×17行×679頁=496,349字、400字詰め原稿用紙で約1,241枚。原註と索引を含めて文庫ならたっぷり上中下巻の大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、産業革命前後の世界史に詳しければ、更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • はじめに
  • 第1章 グローバルな商品の誕生
  • 第2章 戦争資本主義の構築
  • 第3章 戦争資本主義の報酬
  • 第4章 労働力の獲得、土地の征服
  • 第5章 奴隷制の支配
  • 第6章 産業資本主義の飛躍
  • 第7章 工業労働者の動員
  • 第8章 グローバルな綿業へ
  • 第9章 戦争が世界中に波紋を広げる
  • 第10章 グローバルな再建
  • 第11章 破壊
  • 第12章 新たな綿帝国主義
  • 第13章 グローバル・サウスの復活
  • 第14章 エピローグ 織り地と織り糸
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 ひとつの技術・産業の勃興と変転をたどる本だと思ったが、まったく違った。

 あ、いや、確かに綿産業の変転を描いた本なのだ。ただ、それが及ぼす影響が、とんでもなく広く深い。現代の南北問題をはじめとする世界情勢から国家という枠組みや役割、ご近所付き合いや地域社会の在り方、そして私たちの生き方・考え方まで、綿が変えてしまったのだ。

 綿そのものは昔からあった。それも世界各地に。様々な地域で栽培され、紡がれ織られてきた。多くの国や地域で、綿花は畑の片隅で、食用作物の「ついで」に栽培され、地元で紡がれ織られてきたのだ。現代のような巨大なプランテーションではない。

三つの大陸(アフリカ,アメリカ,アジア)に見られる多様性にもかかわらず、この巨大な製造業の中心地には多数の共通点があった、特に重要なのは、綿花の栽培と加工はほとんど常に小規模にとどまり、もっぱら家族単位で行われていたことだ。
  ――第1章 グローバルな商品の誕生

 その技術の進歩は微々たるもので、せいぜい糸を紡ぐ紡ぎ車ぐらいだろう。具体的には…

18世紀になってもなお、たとえば東南アジアの一人の女性が1ポンド(約454g)の綿を紡ぐのに1ヶ月、さらに長さ10ヤード(約9m)の布を織るのに1ヶ月を要した。
  ――第1章 グローバルな商品の誕生

 別の表現だと、「熟練の紡ぎ手がブラウス1枚分の糸を紡ぐのに、手紡ぎ用の紡錘で約11時間」だとか。これが紡ぎ車だと生産性は約3倍に上がる。

 そんなこんなで、18世紀初頭まで綿製品の最大の産地そして輸出国はインドだった。当然、手織りである。

1766年には、イギリス東インド会社の輸出額の75%超を(綿製品が)占めていたのだ。
  ――第2章 戦争資本主義の構築

 イギリスはインド製の綿織物をアフリカ西海岸へ運び、奴隷と交換するのだ。

(奴隷貿易の奴隷は)綿織物と交換されることのほうが多かった。
  ――第2章 戦争資本主義の構築

 当時のイギリスのインド支配は重要な港湾とその近辺を抑えるだけで、内陸までには及ばなかった。だもんで、綿花の生産や織物への加工そして流通は、地元インドの農民・職人・商人が担い支配していた。商いを拡大したくとも手が出せないイギリスには面白くないが、地元インドの者にとっては…

17世紀後半には綿布の価格の最大1/3が織り手に渡っていた可能性がある。それが18世紀後半になると、歴史家のオム・プラカーシュ(→英語版WIkipedia)によれば、織り手の取り分は約6%にまで減ったという。
  ――第2章 戦争資本主義の構築

 そこに機械化の波が押し寄せる。これがどれぐらいの影響か、というと。

18世紀のインドでは、紡ぎ手が100ポンド(約45kg)の綿花を紡ぐのに5万時間を要していた。
1790年のイギリスでは、100個の紡錘を備えたミュール紡績機1台を用いて、同じ量の綿花をわずか1000時間で紡ぐことが出来た。
1795年には、水力紡績機を使えば300時間しかかからなくなった。
さらに1825年以降は、リチャード・ロバーツが発明した自動ミュール紡績機のおかげで、たった135時間あれば十分になった。
  ――第3章 戦争資本主義の報酬

 およそ370倍の効率だ。紡績機や工場の設備投資や地代も費用に勘定する必要があるとは言え、従来の手紡ぎじゃ太刀打ちできない。これは技術の革新だけではなく、産業そして世界の枠組みを揺るがす大きな変革だった。

史上初めて、製造業者という新たな登場人物が舞台に現れた。製造業者とは、奴隷を働かせたり領土を拡大したりする(略)ためではなく、機械を基盤とする生産の巨大なシステムへと労働者を組み込むために、資本を使う個人だった。
  ――第3章 戦争資本主義の報酬

 世界の力関係に、新しいプレイヤーが登場したのだ。そして、彼らは人々の生活も変えてゆく。これまでの夜明けとともに起き日没まで働く暮らしから…

機械装置が人間の労働のペースを規定しはじめたのだ。中核となるエネルギー源に依存し、大きなスペースを必要としたことから、生産の場は家庭から工場に移った。機械装置とともに、かつてない数の労働者が生産拠点に集まった。
  ――第3章 戦争資本主義の報酬

 手紡ぎなら、効率は悪いとはいえ自分の暮らしの隙間時間で紡げる。だが、機械が工場で紡ぎ始めると、機械のペースで働かなくちゃいけない。定時に出勤する暮らしだ。出勤は定時だが退出は…。

 さて、機械が紡ぎ織る事の嬉しい点は、安上がりな事だ。なぜ安上がりかというと、人の手間が省けるすなわち人件費が安いからだ。この理屈は、工場労働者にも適用される。いかに人件費を安く上げるかが、綿業の避けがたい性質となる。

 これは材料である綿花にも言える。綿花の栽培に適した地域は世界各地にある。だが、栽培と収穫には多くの人手が要る。これをいかに安く上げるか、が当時の西欧の綿業の課題となった。その解を示したのが新大陸だ。つまり奴隷制である。

1780年代には、西インド諸島と南米の奴隷が、世界市場で売られる綿花の大半を生産していた。この奴隷制と征服の爆発的な融合が、1861年に至るまで産業革命に活力を与えつづけた。
  ――第4章 労働力の獲得、土地の征服

 やがて同様の仕組みが北米南部でも整ってくる。既にインドの綿布をアフリカに送り奴隷と交換する仕組みはあった。これが北米の綿花をイギリスで加工しアフリカで奴隷と交換し、奴隷を北米に送り綿花を栽培させる仕組みへと変わってゆく。やがて米国の綿花は世界の市場を席捲するのだ。

アメリカ経済が世界で台頭したのは、まさに綿花のおかげ、したがって奴隷のおかげだったのである。
  ――第5章 奴隷制の支配

 その綿花農場を発展させるには、土地と奴隷が必要だ。奴隷を買うにはカネが要る。ここで登場するのが信用貸し、つまりは金貸しである。商人が農場主に元手を課し、奴隷を買わせ綿花を作らせるのだ。貸すったって、ちゃんと担保は確保する。その担保は…

信用貸しの多くは奴隷が栽培する商品の先物か、奴隷そのものの価値を担保とした。
  ――第8章 グローバルな綿業へ

 かくして、綿を扱う商人が大陸と大洋を越えて商いを展開し、地球規模の経済体制を創り上げてゆく。

商人が世界の真のグローバル経済を構築し、その主役が綿だったのである。
  ――第8章 グローバルな綿業へ

 これらを可能としたのは、単なる工業技術だけではない。原材料を調達し、製品を他国に売りつける外交能力も必要だった。それも、往々にして武力を背景にして。また、原材料や製品を運ぶ鉄道や港湾の整備も必要だ。何せ当時の西欧以外じゃ主な輸送手段は馬や牛などの家畜だし。そのためには、中央集権型の強力な政府と、綿業に有利な法を整備しなければならなかった。

スキル、市場、資本、テクノロジーといったものは、世界中のほかの多くの地域で利用できたが、国内市場を保護し、遠方の市場へのアクセスを確保し、製造業を後押しするインフラ整備ができる国こそ、初期の産業先進国の際立った特徴だった。
  ――第6章 産業資本主義の飛躍

 産業革命が成功するためには、技術のみならず、商人の要望に応え、実行できる政府が必要だったのだ。

当時のヨーロッパの諸国家が日本や中国など同時代の国家を引き離していた理由は、国力だけでなく、産業資本のニーズに応えたことにもある。
 商人はあらゆる事柄について時刻の政府に対するロビー活動をしたが、なかでも重要な案件が、貿易のためのインフラだった。ドック、倉庫、鉄道、水路の建設が商人たちにとっての優先課題だった。
  ――第8章 グローバルな綿業へ

 先に書いたように、綿業のキモは人件費の削減だ。原材料の綿花は北米南部の奴隷制で賄えたが、紡ぎと織りの工場労働者は国内で調達せにゃならん。安く上げる手立ての一つは、女と子供を使う事だ。

綿業労働者の半分近くが子供であり、彼らは親から強制されていたのだが、この親たちもまた新たな経済的現実によって強制されていた。
  ――第7章 工業労働者の動員

 本書が描く工場労働者の勤務事情は現代日本のブラック企業を遥かにしのぐ。そこで労働者も声を上げ始め、様々な闘いを繰り広げ、少しづつマシな条件を勝ち取ってゆく。

現代の経済学の教科書で理想化されているような労働市場は、往々にしてストライキ、団結、暴動などの結果もたらされたものなのである。
  ――第7章 工業労働者の動員

 さて、当時の西欧は綿花の多くを米国南部から調達していた。そこに戦争の暗雲が立ち込めてくる。

南北戦争前夜、綿花はアメリカから海外への出荷総額の61%を占めていた。(略)
1850年代後半まで、アメリカ産綿花は、イギリスで消費される8憶ポンドの綿花の77%を占めていた。また、フランスで使用される1憶9200ポンドの90%、ドイツ関税同盟で紡績される1憶1500ポンドの60%、ロシアで製造される1憶200ポンドの92%を占めていた。
  ――第9章 戦争が世界中に波紋を広げる

 この危機に際し、西欧は他の国から綿花を調達しようとする。例えばイギリスは…

南北戦争の最初の年だけでも、イギリス政府のインドにおけるインフラ事業への支出はほぼ倍増している。
  ――第9章 戦争が世界中に波紋を広げる

 植民地を持つ他の国も同様に、植民地での綿花生産を増やそうとする。現地住民の利害や安全は無視し、村落共同体を破壊し、換金作物である綿花栽培を押し付けるのだ。

綿花栽培に労働力を動員したいという国家の強い意欲は、市場の規則制定と施行につながり、(略)各国の政府と法律は、放牧や狩猟のように昔から住民全体に認められてきた資源への権利を弱体化し、農民に綿花生産への専念を強要した。
  ――第10章 グローバルな再建

 その結果、昔からの家族単位での糸紡ぎや手織りは壊滅し…

ほかの歴史家たちも、1830年から60年までに、インドだけでも製造業で200万~600万ものフルタイムの職が失われたと示唆している。
  ――第11章 破壊

 ガンジーが糸車を回したのには、そういう意味があるのだ。ばかりではない。それまで、現地の農民たちは食用作物の隙間に綿を植えていた。それを全面的に綿花に切り替えさせた。結果、食料が足りなくなり…

1877年と、1890年代後半にも再び、(インドの)ベラールとブラジル北東部で何百万という農民が飢餓に見舞われる。
  ――第11章 破壊

第一次世界大戦までに、階級構造の再編と、農業における換金作物への方向転換のせいで、大規模な食用作物不足から悲惨な飢餓が起こり、かなりの人命が失われた。たとえば、トルキスタンでは1914年から21年までに人口が130万人、すなわち18.5%減った。
  ――第12章 新たな綿帝国主義

 ブリカスと罵りたくなるが、似たような真似を太平洋戦争当時に帝国陸海軍がインドシナでやり、戦後ベトナムあたりは戦時中以上の苦しみを味わったそうだ。

 話がそれた。それまで植民地で綿花栽培が流行らなかった理由は多々あるが、その一つがインフラの不足だ。牛の背に載せて綿花を運び港まで6カ月とか、そんな状況である。そこで宗主国は植民地に鉄道や道路を整備する。

領土の編入は、土地の獲得はもちろん、インフラの進歩の賜物でもあった。インドやアフリカと同様に、綿花は鉄道に沿って開花していった。
  ――第12章 新たな綿帝国主義

 とかやっているうちに、現地の商人たちも考え始める。「俺も工場を作って商売を始めよう」。実際、これで成功する人も出てくる。それは、幾つかの条件が重なったからだ。

グローバル・サウスのどこであれ、資本家がグローバル綿業に自らの生存領域をつくることに成功したのは、ふたつのプロセスが同時に起きたからだった。
つまり、第一次産業革命の中心となった国々で社会的対立プロセスが全国に拡大して労働コストが上がったこと、
グローバル・サウスで建設された国家が国内工業化計画を優先し、労働コストを低く抑えたことだ。
  ――第13章 グローバル・サウスの復活

 西欧は工場労働者の賃金が上がり、費用がかさむ。対して植民地は人を安く使える。だから植民地に工場が増える。なんか、今世紀の話みたいだが、これは100年前の話。

 そんな現地の商人に対し、現地の政治指導者も協力した。

1920年代を通じて、上海の工場主たちは国民党の指導者だった蒋介石の支援を得て、左寄りの労働運動指導者を何千人も殺害している。
  ――第13章 グローバル・サウスの復活

 そんな風に、植民地資本の綿業/工業も育っていくのだが、幾つか欧米とは異なる点がある。現地の商人たちは、植民地国家/宗主国政府と闘わなければならなかったのだ。そこで、独立運動の闘士たちと手を組むのである。闘士ったって、たいていは農民か労働者だ。そのため、独立後の現地商人はいささか複雑な立場に立たされている。

(グローバル・サウスの)資本家は、植民地国家との闘いで労働者(と農民)に頼ったために、いまでは力を失いつつあった。
  ――第13章 グローバル・サウスの復活

 労働者の賃金は抑えたいが、あまし無茶すると独立運動の英雄に目を付けられる。そういうことです。

 もっとも、今世紀に入ってからは、その無茶に成功した国も出てくる。例えばウズベキスタンだ。21世紀に入っても、児童労働・強制労働が行われていた(→ヒューマン・ライツ・ウォッチ/ウズベキスタン:世界銀行が関係する強制労働)。

 ばかりでなく、20世紀最大の環境破壊とまで言われる暴挙も。

綿花の輸出高では世界で10本の指に入るウズベキスタンでは、農家の綿花製品を強制し続けている。乾燥した土地には灌漑が必要なため、アラル海(→Wikipedia)がほとんど干上がり、そのせいで国土の多くが実質的に塩原と化している(略)。
  ――第14章 エピローグ 織り地と織り糸

 そのウズベキスタン以上に綿花で存在感を誇示しているのが米国だ。これには仕掛けがあって、つまりは補助金である。自国の産業を守るのは責められないよな、と思っていたが、こんな影響も。

補助金まみれの綿花は世界市場に放出され、アフリカなど競争の激しい地域の綿花栽培者にとっては価格を押し下げる要因となるのだ。
  ――第14章 エピローグ 織り地と織り糸

 そういう効果は気が付かなかった。

 20世紀は国家レベルで安い賃金を求め綿業が移動した。これが今世紀に入ると、綿業に限らずあらゆる産業で、国家ではなく企業単位で、工場が移転する。綿業だと、GAPとかのブランド単位で。トランプが関税を引き上げるのも、そのためだ。おかげでリーバイスなどの製品を作っていたレソトの工場が閉鎖になるとかのニュースも。

今日の労働者は、あらゆる形の生産の拠点をいとも簡単に世界各地へ移す企業のなすがままだ。
  ――第14章 エピローグ 織り地と織り糸

 この辺を読んで、私はやっと共産主義者が世界に革命を輸出したがる理由が解った。工場=仕事は安い賃金で労働者をコキ使える国に移動する。世界規模で賃金を底上げしなければ、工場は自国から賃金の安い国に移るだけなのだ。もっとも、その共産主義も、独裁者の道具になっちゃったんだが。

 つまりグローバル経済とは、費用の安さを求めて資本と仕事が世界を渡り歩く経済なのだ。とはいえ、費用は賃金だけじゃない。綿花が鉄道に沿って開花したように、インフラや治安も費用に大きな影響を与える。エネルギーを求めて米国に行く資本もある(→「新しい世界の資源地図 」)。

 そんなグローバル経済を、18世紀から先取りしてきたのが綿業であり、21世紀の現在もなお安い労働力を求め衣料ブランドが世界各国を渡り歩いている。日の出から日没のリズムで生きていた私たちの暮らしを時計が支配する定時出勤のリズムに、自給自足の暮らしを会社勤めの労働者に変えた綿業。お陰で私たちのクローゼットは豊かになったが、失ったものも大きい。

 産業革命のもうひとつの側面をじっくり描いた労作であり、世界の形を改めて認識させてくれる問題作でもある。歴史好きはもちろん、経済問題に関心のある人にもお薦め。

【関連記事】

| | コメント (0)

«ジョセフ・メイザー「数学記号の誕生」河出書房新社 松浦俊輔訳