カテゴリー「書評:歴史/地理」の275件の記事

2020年1月27日 (月)

バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 2

基本的に、地球上の文明はすべて太陽放射に依存するソーラー社会に他ならない。
  ――第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー

エネルギーと経済について語ることは、同じことがらを異なる言葉で語るのと同じだ。
  ――第6章 化石燃料文明 かつてないパワーとその利用

オランダ、イギリス、アメリカが連続して経済大国となり、国際的な影響力を獲得したのは、これらの国がいち早く、有効エネルギー一単位をそれほど必要とせずに抽出できる(つまり、エネルギー純利益が高い)燃料を利用していたことと密接に関連している。
  ――第7章 世界の歴史の中のエネルギー 決定論と選択の狭間で

 バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 1 から続く。

【どんな本?】

 かつて人類のエネルギー源は己の筋力だけだった。次いでウシやウマなど獣の筋力も使うようになり、また条件が許せば水力や風力も使い始める。

 その後、蒸気機関により桁違いのエネルギーを手に入れた人類は、更に内燃機関やタービンによって大きな飛躍を遂げる。だが文明の進歩は平等ではなく、21世紀の今日も生物のエネルギーに頼っている人々もいれば、その2桁以上のエネルギーを浪費する社会もある。国単位で見ると、手に入るエネルギー量は必ずしも国民の生活の向上につながるわけではない。

 エネルギーを中心に人類の歴史を俯瞰し、また現代の人類の状況を分析し、未来の展望を描く、一般向けの歴史解説書。

【製鉄】

 上巻では、紀元前から産業革命前までの歴史を辿ってきた。下巻では、いよいよ蒸気機関による産業革命から石油や天然ガスへと主力が移る現代へと足を踏み入れる。

 ここで、まず虚を突かれたのが、鉄の重要性。少し前まで、製鉄量は国家の力を測る大事な指標だった。太平洋戦争の原因として、よく米国による経済封鎖が言われる。特に石油の禁輸が有名だが、同時に屑鉄なども禁じられた。毛沢東も鉄の生産を重視し、農村で鉄を作った。もっとも、こちらは典型的な粗製乱造に陥って大失敗に終わったけど。

 Wikipedia の粗鋼生産ランキングでも、「20年ぐらい前までは、国内経済の重要指標」とある。にしてもトップが小国ルクセンブルグってのは意外。もちろん、今だって鉄は大事だ。

…さまざまな種類の鋼鉄に使われている鉄は、金属の中で支配的な地位を保っている。2014年、鋼鉄の製造は主な四つの非鉄金属であるアルミニウム、銅、亜鉛、鉛をすべて合わせた総生産量の約20倍だった。
  ――第6章 化石燃料文明 かつてないパワーとその利用

 もっとも粗鋼生産ランキングも今は「経済のグローバル化によりほとんど当てにならなくなっている」とか。このグローバル化、世界経済総生産に対する対外貿易の比率は2015年で25%だが、1900年ではたった5%だった。昔は自国内で調達するしかなかったワケで、鉄の生産量は国力に大きな意味があったのだ。この製鉄で大きいのが…

木炭に変わって冶金用コークスが銑鉄(あるいは鋳鉄)の製錬に使われるようになったことは、間違いなく近代最大の技術的革新のひとつに数えられる。
  ――第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー  重大な移行

 「ゼロからトースターを作ってみた結果」でも鉄を作るのに苦労してたが、現在の製鉄技術はあまりに高度すぎて、素人には何がどうなってるのか見当がつかない。ちょっと調べたら、「FNの高校物理」の「製鉄の歴史」が分かりやすそうだ。うーむ、ジャンルは物理になるのか。そんな風に、歴史・経済・物理と多くの学問に渡っているのが、本書の大きな特徴の一つ。

【ディーゼル】

 やがて主要なエネルギー源は石炭から石油に代わる。ここで楽しいのがルドルフ・ディーゼル(→Wikipedia)の逸話。そう、ディーゼル・エンジンの生みの親だ。今やディーゼル・エンジンはトラック,列車,タンカーとパワフルな大型マシンの印象が強い。だがドルフが望んだのは動力の小型化・分散化により、多くの人が田園生活を満喫できる社会だってのが皮肉。きっとクリフォード・D・シマックあたりと話が合ったろうなあ。

【高圧電線】

 製鉄のコークス同様、著者が高く評価している技術が、変圧器だ。電力は電流=アンペアと電圧=ボルトを掛けた値になる。変圧器は電圧を上げ電流を減らす、または電流を上げ電圧を減らす。なんでそんなのが要るのかというと、発電と送電の効率を上げるため。発電は電圧が低い方が効率がいい。でも送電は電圧が高い方が効率がいい。だから低電圧で発電し、変圧器で高電圧に変え、高圧電線で電気を送るのだ。高圧電線には、そういう意味があったのか。

【数字】

 とかも楽しいが、本書の最大の特徴は、やたら数字が出てくる点だろう。上巻でも農作業と収穫をむりやりワットに変換してたが、それは下巻も同じ。例えば肉に関しても…

 鶏肉は最も効率的に飼料に変換できる(肉一単位で約三単位の濃厚飼料)。豚肉の比率は約9%で、穀物飼育された牛肉は最も効率が悪く、肉一単位当たり最大25単位の飼料が必要となる。――第6章 化石燃料文明 かつてないパワーとその利用

 なんて計算が出てくる。鶏の唐揚げはエコなのだw でもたまには神戸牛も食べたい。まあいい。一般に都市の暮らしはエコじゃないように言われるが、昔は都市生活しようにもできなかったようだ。というのも…

伝統的社会のエネルギー供給源は耕作地や森林で、その面積は居住地の面積の最低50倍、一般には約100倍はなければならなかった…
  ――第6章 化石燃料文明 結果と懸念

 と、昔から都市は森や耕作地を食いつぶす存在だった。これは「森と文明」が詳しい。よく江戸なんて都市を維持できたなあ。これを変えたのが化石燃料で、調理や暖房もガスや電気で賄えるし、化学肥料やトラクターなどで耕作地の単位面積当たりの収穫量が増えた。だけでなく…

1500年から2000年までのあいだ、家庭暖房のコストは90%近く低下し、産業出力のコストは92%、貨物の陸上輸送のコストは95%、貨物の海上輸送コストは98%下がった。
  ――第7章 世界の歴史の中のエネルギー エネルギー利用の主要なパターン

 と、都市化は効率も上げたりする。こっちは「都市は人類最高の発明である」が詳しい。そうなったのも、特に陸上輸送が発達したお陰ってのが大きい。なにせ昔の馬車ときたら…

1800年の時点では、四輪馬車の一般的な速度が時速10km未満で、大型の貨物用馬車はその半分の速さしか出せなかった。
  ――第7章 世界の歴史の中のエネルギー エネルギー利用の主要なパターン

 人間が歩く速さはだいたい時速4kmだから、貨物用馬車は早歩き程度の速度でしかなかったのだ。たまらんね、そりゃ。もっとも、時代が進めば必ずしも効率が上がるわけじゃなくて、M1A1エイブラムズ戦車の燃費がリッター125m~250mなんて数字も出てくる。さすが合衆国、金満だなあw

【大きいことはいいこと?】

 もっとも、調達できるエネルギーが大きければ暮らしが豊かになるとは限らないのが皮肉な所。本書ではその例として、第二次世界大戦後のソ連と日本を引き合いにしている。毎日が買い物の行列だったソ連だけど、油田と炭田でエネルギー産出量は世界トップだったのだ。今だってロシアは世界第二の原油輸出国だけど、それで産業が発達したかと言えば…あなた、ロシアの自動車メーカー、知ってます?

 などとソ連/ロシアはアレだけど、下巻じゃ近年の中国の存在感は大きいんだよなあ。

【おわりに】

 などと、この記事ではエピソードを中心に紹介したが、他にも興味深いエピソードはてんこもりだ。特に下巻は数字が多く、先進国の食糧の廃棄率だの携帯電話の製造に必要なエネルギーだのと、ヲタク大喜びなトリビアがギッシリ詰まっている。農作業をワットに換算したりと、一見奇妙に思える単位の変換も楽しい。マクニールの「世界史」が好きなら、興味深く読めるだろう。

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2020年1月22日 (水)

バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 1

エネルギーは、唯一無二の普遍通貨だ。
  ――第1章 エネルギーと社会

要するに、鎌と犂がなければ大聖堂はできなかっただろうし、ヨーロッパ人の発見の旅もなかっただろうということだ。
  ――第3章 伝統的な農耕 共通性と特異性

一般に季節ごとに必要となる水の総量は、収穫される穀物の質量の約一千倍とされる。
  ――第3章 伝統的な農耕 集約化への道

農耕の根本的な変化という点で、漢に匹敵しうる時代はほかにない。以後の進歩は緩慢で、西暦14世紀を過ぎると、地方の技術はほぼ停滞した。
  ――第3章 伝統的な農耕 持続と革新

【どんな本?】

 文明を維持するにはエネルギーが必要だ。作物を育てるには日光が要るし、畑も耕さなきゃいけない。灌漑するにも水路の建設と浚渫が欠かせない。料理や暖房や照明、移動・輸送・建築にもエネルギーを使うし、金属の採掘や冶金もエネルギーがあればこそだ。

 文明化以前はエネルギーの大半を人力に負っていた。やがてウシやウマなど家畜の力も使いはじめ、風力も帆船などで古くから使われている。単にエネルギーの総量ばかりでなく、利用効率にも進歩がある。野原での焚火はエネルギーの大半が無駄になるが、高炉を使えばエネルギー効率はグンと上がる。

 人類はどんなエネルギーを使ってきたのか。エネルギー源はどこから調達したのか。エネルギーを価値のある仕事に変換するのに、どんな工夫をしいたのか。それぞれのエネルギーの総量はどれぐらいで、変換効率はどの程度なのか。

 ジュールやワットなどの単位を駆使して、人類史をエネルギーの観点から捉えなおす、今世紀ならではのユニークな視点による歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Energy and Civilization : A History, by Valcav Smil, 2017。日本語版は2019年4月10日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで上下巻、本文約370頁+375頁=745頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×18行×(370頁+375頁)=約603,450字、400字詰め原稿用紙で約1,509枚。文庫なら上中下の三巻に分けてもいい大容量。

 文章はやや硬い。まあ青土社だし、そこはお察し。だが内容は意外とわかりやすい。世界中を行き来するので、世界地図か Google Map があると便利だ。またキロ・メガ・ギガなどのSI接頭辞(→Wikipedia)を覚えているといい。よく出てくるのは三つ、キロは千、メガが百万、ギガは十憶。

【構成は?】

 第1章は「本書を読む上での注意事項」みたいな役割なので、必ず最初に読もう。それ以外の上巻は、テーマごとにほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。下巻はまだ手を付けてないです。

  •   上巻
  • 第1章 エネルギーと社会
    • 流れ、貯蔵、管理
    • 概念と尺度
    • 複雑さと注意事項
  • 第2章 先史時代のエネルギー
    • 狩猟採集社会
    • 農業の起源
  • 第3章 伝統的な農耕
    • 共通性と特異性
      畑仕事/穀物の優勢/作付けの周期
    • 集約化への道
      輓獣/灌漑/肥沃化/作物の多様性
    • 持続と革新
      古代エジプト/中国/メソアメリカ文化圏/ヨーロッパ/北アメリカ
    • 伝統農業の限界
      達成されたこと/栄養分/限界
  • 第4章 産業化以前の原動力と燃料
    • 原動力
      生物のパワー/水のパワー/風のパワー
    • バイオマス燃料
      木と木炭/作物残渣と畜糞
    • 家庭での需要
      食事の支度/暖房と照明
    • 輸送と建築
      陸上輸送/櫂船と帆船/建造物
    • 冶金
      非鉄金属/鉄と鋼
    • 戦争
      生物エネルギー/爆薬と鉄砲
  •   下巻
  • 第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー
    • 重大な移行
      石炭採掘の始まりと広まり/木炭からコークスへ/蒸気機関/石油と内燃機関/電気
    • 技術的イノベーション
      石炭/炭化水素/電気/再生可能エネルギー/輸送の原動力
  • 第6章 化石燃料文明
    • かつてないパワーとその利用
      農業におけるエネルギー/産業化/輸送/情報とコミュニケーション/経済成長
    • 結果と懸念
      都市化/生活の質/政治的影響/兵器と戦争/環境の変化
  • 第7章 世界の歴史の中のエネルギー
    • エネルギー利用の主要なパターン
      エネルギーの時代と移行/長期的傾向とコスト低下/変わっていないことは何か?
    • 決定論と選択の狭間で
      エネルギーの必要と利用からの要請/コントロールの重要性/エネルギー説明の限界
  • 補遺
    • 基本尺度
      エネルギー関連の進歩
    • 科学的単位とその倍量および分量単位
    • パワーの歴史
  • 参考文献に関する付記/参考文献/訳者あとがき/事項索引/人名索引

【感想は?】

 理系大喜びの歴史書。

 そう、本書にはワットだのジュールだのといった、力学の単位がしょっちゅう出てくる。しかも「どうやってソレを計算したか」の過程も。数式にこそなっていないが、文章が示すのは加減乗除の計算式だ。数字が好きな人なら、思わずニタニタしてしまう。

 特に喜ぶのは工学系だろう。往々にして工学系は、効率を重んじる。投入するエネルギーや原材料に対し、どれだけの成果が得られるかが、工学の重要なテーマとなる。判りやすい例が、自動車の燃費だ。1リットルのガソリンで、より多くの距離を走れるエンジンを求め、自動車メーカーは日々研究を積み重ねている。

 自動車は判りやすいが、農業に当てはめるとなると、なかなか難しい。のだが、本書ではあの手この手で換算を試みる。例えば、1ヘクタールの畑を耕すのに、何ジュール必要なのか。同じ量のエネルギーを作物から得るには、何トンの収穫があればいいか。

 人間には基礎代謝があるので、その分を必要なエネルギー量に加える。蒔いた種の中には芽吹かぬものもあるので、その分を収穫量から割り引く。また小麦は製粉時に、米も精米時に相当量を失うので、それも割り引く。貯蔵中にカビや虫やネズミに食われるので、その分も勘定に入れる。米と小麦では重量当たりのエネルギー量が違うので、表にして比べる。

 …なんてことを、農業の項では延々とやってたり。ここでは、「どうやって計算するか」も楽しいが、それ以上に「どこから数字を持ってきたか」「その数字の値はどれぐらいか」も楽しい。というか、そういうのを楽しめる人向けの本なのだ。

 ヒトは直感的にこう考える。「投入するモノを増やせば、得られるモノも多くなる」。農業だと、例えば畜獣の利用だ。ウシやウマに犂を曳かせれば、より多くの畑を耕せる。その通りなのだが、ウシとウマでは最大出力も燃費も違う。ウシと比べウマは最大出力が大きいが、燃費が悪い。ウシは藁や籾殻を与えればいいが、ウマには穀物を食わせないと力が出ない。その点、スイギュウは意外と優秀で…

 ってな、単純なエネルギー収支の話も面白いが、ヒトはカロリーだけじゃ生きられない。他の栄養素だって必要だ。また、同じ土地で同じ作物を作り続ければ、土地が痩せてしまう。

 これを補う代表的な方法が、輪作だ。コムギやコメなどの穀物と、マメ類を交互に作る。土地が痩せる最大の原因は、土中の窒素の不足だ。穀物は土中の窒素を消費するのに対し、マメ類(の根粒菌)は窒素を補給する。と同時に、食べればタンパク質も補給できる。ただし単位面積当たりの収穫量だと、マメ類は穀類の1/3~1/2と少ないのが痛いところ。

 そんな風に、ヒトは農業技術を発達させてきた。まあ発達というか、最適化ですね。ところが、最適化にはソレナリのオツリがある。開拓すれば野獣が減り、狩りの獲物が減る。輪作で安定した収穫が得られるなら、同じ作物を延々と作り続ける。豊かになれば、それだけ人口も増える。その結果…

…伝統農業の千年を通じて、一人当たりの食物供給量に明らかな上昇傾向はない…(略)そしてたいていの場合、時代が新しくなるほど食の多様性が薄まっていた。
  ――第3章 伝統的な農耕 伝統農業の限界

 と、マルサスの罠(→Wikipedia)にまんまとはまったのですね。

 などと第3章ではエネルギーの面から農業を計算したのに続き、第4章では燃料・輸送・建築・冶金・戦争などを、やはりエネルギーの面から計算する。ピラミッドの建設方法が現代でもよくわからないってのは意外だった。てっきり斜面を作って石を持ち上げたのかと思ってたんだが、それにしては斜面の遺物が残っていないとか。

 「木材と文明 」や「森と文明」にあるように、やはり都市は森を食いつぶすようで、本書では冶金での浪費が印象深い。

…燃料となる木材を手に入れられるかどうか、そしてのちには、大型化するふいごやハンマーの動力となる水力を確実に利用できるかどうかが、冶金の進歩を左右する決定的な要因だったのである。
  ――第4章 産業化以前の原動力と燃料 冶金

 薪と木炭ぐらいしか燃料のない時代には、森が主なエネルギーの供給源だったのだ。特に製鉄での木炭は優秀で、単位質量あたりの熱量が薪より40%ほど多いだけでなく、余計な水分がないのでより高い温度を得られる上に、純粋な炭素で硫黄やリンなどを含まないため、鉱物を汚染させない。

 ただし品質には代償があって、「窯で生産された木炭の量は一般に、空気乾燥させた木材の生産量の15%~25%ぐらいしかなかった」。7割以上も量が減っちゃうんですね。その結果…

明らかに、古代の製錬は地中海沿岸地方の森林破壊の主たる原因だったのであり、南コーカサスでもアフガニスタンでも事情は同じだった。そして燃料となる木材が少なくなった結果、その土地での製錬はしだいに縮小せざるを得なくなったのである。
  ――第4章 産業化以前の原動力と燃料 冶金

 現代のアフガニスタンは砂漠が広がる不毛の地みたいな印象があるけど、実はヒトが森を食いつぶした結果みたいだ。

 と、上巻では化石燃料以前の人類史を、敢えてジュールやワットなどの単位を用いて語るという、独特の視点の衝撃が大きい本に仕上がっている。これから読む下巻が楽しみだ。

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2020年1月12日 (日)

マニング・マラブル「マルコムX 伝説を超えた生涯 上・下」白水社 秋元由紀訳

本書の主な目的は、広く語られているマルコムX伝説にとらわれず、マルコムXの人生で実際に起きた出来事を詳しく述べることである。本書はまた、マルコム自身も知り得なかった事実を明らかにする。
  ――プロローグ 伝説にとられえないマルコム

「南部に送り込まれたいんだ。黒ん坊兵士を集めてね、わかる? 鉄砲を盗んで、貧乏白人どもを殺してやる!」
  ――第2章 デトロイト・レッドの伝説

「わたしは南部について何も知らない。わたしは北部の白人によって生み出されたのである」
  ――第5章 「導師なら結婚していなければ」

アメリカにいる2000万の黒人は「自分たちだけで一つの国をつくるだけの数がい」て、その国が成立するために黒人は「自分たちだけの土地が必要」なのである。
  ――第7章 「間違いなく殺すつもりだった」

「…革命家というのは地主に抗する土地を持たない者です」「…革命は破壊的で血にまみれたものです」
  ――第10章 「ニワトりがねぐらに帰るように」

アメリカは暴力を助長してきたのだから、(ケネディ)大統領がその犠牲になったのも驚くべきことではない。
  ――第10章 「ニワトりがねぐらに帰るように」

「これまでのところは黒人だけが血を流してきたが、白人にはそれは流血と見なされていない。白人は白人の血が流れて初めてそれを流血の戦いと見なすのでしょう」
  ――第11章 ハッジで受けた啓示

『わたしとかかわると警察やFBIに悩まされるかもしれませんよ』
  ――第12章 「マルコムをなんとかしろ」

マルコムはわれわれのあるべき姿、黒人としてあるべき姿を体現した人でした!
  ――第16章 死後の生

マルコムが常に伝えようとしていたのは、黒人としての誇り、自尊、自分の受け継ぐ伝統についての自覚を持つことだった。
  ――エピローグ 革命的な未来像とは

【どんな本?】

 マルコムX。1950年代から1960年代前半にかけ、アメリカ合衆国で黒人差別と闘い、同時期のマーティン・ルーサー・キングJr. と並び大きな影響力を持った運動家である。

 差別と闘う点では同じだが、幾つかの点で両者は対照的だ。あからさまな差別が横行する南部出身で、非暴力を訴えたキング。一見進歩的に思える北部の都市部を中心に活動し、より攻撃的な姿勢で話題を呼んだマルコムX。米国の主流宗教であるキリスト教の牧師のキング、米国では少数派のイスラムを学ぶ過程で思想と姿勢を育んだマルコムX。

 1965年2月21日、マルコムXは凶弾に倒れる。しかし、死後も彼を崇めるものは後を絶たず、彼の死の直後に出版された「マルコムX自伝」はベストセラーとなり、1993年にもスパイク・リー監督の映画「マルコムX」が公開されるなど、今なお彼はヒーローであり続けている。

 そんなマルコムXに関する作品は1000点近いが、その大半は「マルコムX自伝」を元にしている。

 「マルコムX自伝」は、マルコムXが自ら語り、それを聞き取った作家アレックス・ヘイリーが整理し編集した作品である。全てマルコムX自身の視点で描かれており、第三者や公的資料による裏取りはされていない。すぐれた文学作品ではあるが、歴史書とは言い難い。

 本書はマルコムX自身の私信はもちろん、関係者へのインタビュウやネイション・オブ・イスラム(NOI)所有の資料に加え、マルコムXをマークしていたFBIの捜査資料までも漁り、マルコムXが知らなかった事柄、例えば周辺にいた潜入捜査員なども含め、より多角的・客観的にマルコムXの人物像と、彼が置かれていた状況を描き出そうとするものである。

 目端の利く悪党デトロイト・レッドの伝説はどこまで本当なのか。いかにしてNOIと出会い、帰依したのか。NOIでは、どのように活動したのか。師イライジャ・ムハマドとの関係は、なぜこじれたのか。なぜ晩年に考えを改めたのか。そして暗殺の真相は。

 激動の60年代を代表する人物を、膨大な取材と資料によってリアルに蘇らせ、伝説の真相を明らかにする、現代の歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MALCOLM X : A Life of Reinvention, by Manning Marable, 2011。日本語版は2019年2月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みの上下巻、本文約370頁+303頁=673頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×20行×(370頁+303頁)=約619,160字、400字詰め原稿用紙で約,1548枚。文庫なら上中下に分けてもいい大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も私のような年寄りには分かりやすいのだが、若い人にはつらいかも。

 というのも、背景にある60年代合衆国社会や国際社会の説明を、かなりはしょってあるからだ。とりあえず公民権運動(→WIkipedia)は軽く押さえておきたい。ケネディ暗殺や第四次中東戦争に加え、当時のアフリカ・アラブ情勢も知っているとなおよし。

 また、「マルコムX自伝」も頻繁に引用しているので、できれば読み比べたい。マルコムX自身が創り上げた人物像と、現実のマルコムXの違いが見えてくる。その違いにも、マルコムXの強い個性と、当時の米国の黒人の文化や思想が現れている。ちなみに私は20年以上前に抄訳版を読んだだけなので、この記事では勘違いがあるかもしれない。お気づきになった点があれば、ご指摘ください。

【構成は?】

 ほぼ時系列で話が進むので、素直に頭から読もう。ご覧の通り、晩年ほど解像度が高くなる。

  •  上巻
  • プロローグ 伝説にとられえないマルコム
  • 第1章 「巨大な民よ、立ち上がれ!」 1925年~1941年
  • 第2章 デトロイト・レッドの伝説 1941年~1946年1月
  • 第3章 そして「X」になる 1946年1月~1952年8月
  • 第4章 「導師のような方は類まれ」 1952年8月~1957年5月
  • 第5章 「導師なら結婚していなければ」 1957年5月~1959年3月
  • 第6章 「ヘイトが生んだヘイト」 1959年3月~1961年1月
  • 第7章 「間違いなく殺すつもりだった」 1961年1月~1962年5月
  • 第8章 モスクから街頭へ 1962年5月~1963年3月
  • 第9章 「かれは勢いが強すぎた」 1963年4月~11月
  • 用語集/原注
  •  下巻
  • 第10章 「ニワトりがねぐらに帰るように」 1963年12月1日~1964年3月12日
  • 第11章 ハッジで受けた啓示 1964年3月12日~5月21日
  • 第12章 「マルコムをなんとかしろ」 1964年5月21日~7月11日
  • 第13章 「尊厳を求める闘争」 1964年7月11日~11月24日
  • 第14章 「そんな男には死がふさわしい」 1964年11月24日~1965年2月14日
  • 第15章 「死はしかるべきときに来る」 1965年2月14日~21日
  • 第16章 死後の生
  • エピローグ 革命的な未来像とは
  • 注記及び謝辞/用語集/訳者あとがき
  • 参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 著者は歴史家として客観的であろうとしている。が、どうしてもマルコムXへの憧れが漏れ出てしまうのが、ちょっと可愛い。

 やはりアレックス・ヘイリー著「マルコムX自伝」との違いに目が行く。まず気が付くのは、マルコムXが人を惹きつける強い魅力を持っており、それを自分でもわかっていて、巧みに使っていた点だ。

 つまり彼はスターであり、かつ自らの敏腕プロデューサーでもあった。そういう点で、矢沢永吉と似ている。曲も作らないし歌も歌わないが、ライブ=講演で観客を盛り上げる鮮やかな手腕を持っていた。例えば、後輩にこんな指導をしている。

…マルコムは忠告した。必ず最初に講義の主題を提示するのだ。「マルコムはいつも、最後に主題に戻って聞き手に話の要点を思い出させるのを忘れてはいけないと言っていた」。
  ――第9章 「かれは勢いが強すぎた」

 まるで「10分でわかるプレゼンテーションの基礎」みたいな本に出てきそうな話だ。デトロイト・レッドの二つ名でヤンチャしてた頃にショウ・ビジネスと関わったので、その頃に覚えたコツかもしれない。ともっとも、プレゼンテーションの方向性はホワイトカラー向けじゃない。貧しい黒人にウケるように工夫している。

全体としてマルコムは自分をできる限り悪そうに見せようと努めた。そうすればムハマドが伝えるお告げが持つ力によって人の人生が変わることがはっきりと示されるからである。
  ――第9章 「かれは勢いが強すぎた」

 とあるので、「ワルが立ち直った感動話」みたいな印象を受ける。が、それほど単純じゃない。同じワルでも、ただのチンピラと二つ名を持つ有名人じゃ格が違う。自伝では「デトロイトじゃちったあ知られたワル」みたいな空気が漂っているのに対し、本書ではポン引きとセコいペテン師の兼業みたいな感じだ。つまり、なるたけ大物のワルに見せようとしているのだ、マルコムXは。

 こういうあたりや、イザとなれば暴力も辞さない攻撃的な姿勢は、今でもヒップホップ、特にギャングスタ・ラップが受け継いでいる。つまり、そういう市場をマルコムXは狙い、開拓し、そして見事にブレイクしたのだ。

 とかの細かい違いや演出はあるものの、政治活動をする者の著書としては、「マルコムX自伝」は意外と事実に忠実なのも本書で分かる。

 もう一つ意外なのが、現代のヒップホップ・スターと比べ、マルコムXの暮らしがかなりつつましい、どころかむしろ貧しいこと。例えば1964年にマルコムXはメッカ巡礼=ハッジに行くのだが、その旅費1300ドルを異母姉のエラに借りている。このエラ姉さんも面倒見のいい人で…ってのは置いて、この巡礼でマルコムXは大きな転換点を迎える。

 宗教的にはカルトなNOI(ネイション・オブ・イスラム)から主流のスンニ派へと変わる。また政治的にも強固な人種分離主義から「白人にも話の分かる人はいるんじゃね?」的な疑念を抱き始める。やられたらやり返す方針は変わらないけど。これがNOIとの確執になるのは自伝と同じ。が、もっと大きいのが、巡礼での出会いだ。

 合衆国じゃ旅費にも困る暮らしなのに、旅先じゃなんとサウジアラビアのファイサル王子から国賓として迎えられている。同年、再び中東とアフリカを訪れ、ファイサル王子をはじめエジプト・ケニア・タンザニアなどから、賓客としての扱いを受ける。中にはパレスチナ民族評議会ハッジ・アミン・フセイニ(→Wikipedia)なんてヤバい奴までいる。

 これを機にマルコムXは外圧の利用を考え始めるんだが、中国の共産主義革命を持ち上げてたりと、冷戦当時に左派が抱いていた共産主義への幻想に惑わされているあたりは、今になって読むとかなり苦い。他にもエジプトのナセル政権とムスリム同胞団の双方に取り入ろうと苦労してるのも、ちょっと笑っちゃったり。いや両者の深刻かつ暴力的な対立を考えると、笑い事じゃ済まないんだけど。

 こういった細かい他国での日程が、ちゃんとわかるのは、FBIやCIAが他国でのマルコムXの行動を監視していたため。それほどマルコムXを危険と見なしていたのだ、合衆国の治安機関は。当然ながら、そういう情報は「マルコムX自伝」には出てこない。だってマルコムX自身が知らないし。

 やはり当局との関係で笑っちゃうのが、ニューヨーク市警察の特別捜査局BOSSの若き刑事ジェリー・フルチャーの話。父譲りの保守的な人種差別思想の持ち主だったジェリーは、マルコムXが作った政治組織OAAUの盗聴を担当する。「やつらは警察の敵だった」と思い込んでいたジェリーだが、マルコムXの生声を聞くうち…

『…[黒人に]職に就いてほしいと言っている。教育を受けてほしいと。制度に加わってほしいと。それのどこがいけないんだ?』
  ――第12章 「マルコムをなんとかしろ」

 マルコムX自身が何も知らないうちに、当局の者を洗脳していたのだ。

 とかに加え、「マルコムX自伝」の成立過程が見えるのも面白い。てっきりNOIを離れてから取材を始めたんだと思っていたが、実際はNOIにいた頃から取材が始まっていた。マルコムXの考え方が大きく変わる、まさにその時のマルコムXの声なのだ、あの本は。辻褄を合わせるのに苦労しただろうなあ。

 ここでは締め切りを伸ばす手口に長けたアレックス・ヘイリーの口八丁が楽しい。もっとも、出版社もソコはお見通しで…

「書き直しをすればするほど本の完成から遠のくことを忘れないでください」
  ――第12章 「マルコムをなんとかしろ」

 なんて釘をさされてたりw その後のマルコムXの運命を考えれば、締め切りを伸ばした甲斐はあるよね。

 NOIを離れてから、マルコムXは二つの組織を作る。宗教組織MMIと政治組織OAAUだ。いずれもマルコムX自身が改心の途中であるため、根本的な活動方針をハッキリ示していない。加えて、マルコムXの死後は二つともアッサリと空中分解している。つまり、いずれの組織も、実態はマルコムXファンクラブだったんだろう。こういう点も、マルコムXは強いカリスマを持つスターだったんだなあ、と感じるところ。

 彼は議席も役職も持っていなかった。にも関わらず、没後半世紀を過ぎても、彼の影響は生き続けている。デトロイトのチンピラから、多くの人々の指導者に成り上がり、国際的な運動へと向かう途上で倒れた男の生涯を、圧倒的な解像度で描く熱い歴史書だ。

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2019年11月27日 (水)

アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 3

…強制移住させられた民族は公式文書から抹殺され、『ソヴィエト大百科事典』からさえも末梢された。当局は彼らの故郷の地を地図から消し去り、チェチェン・イングーシ自治共和国、ヴォルガ・ドイツ人自治共和国、カバルジノ・バルカール自治共和国、カラチャーイ自治州を廃止した。
  ――第20章 「よそ者」たち

東ドイツの収容所の入所者の大半は、ナチ高官や札つきの戦争犯罪人ではなかった。そのたぐいの囚人は(略)ソヴィエトの捕虜収容所またはグラーグへ入れられた。
「スペツラーゲリ」は(略)ドイツ・ブルジョアジーの背骨をへし折ることを目的にした。その結果、(略)裁判官、弁護士、企業家、実業家、医師、ジャーナリストらが収監されることになった。
  ――第21章 恩赦 そしてそのあとで

1953年に党中央委員会の命令で実施されたもう一つの監査は、収容所の維持費が囚人労働から得られたすべての利潤を上回っていることを明らかにした。
  ――第22章 収容所=産業複合体の絶頂期

政治囚の数もスターリン時代よりずっと少なかった。1970年代半ばのアムネスティ・インターナショナルの推定によれば、ソ連の囚人100万人のうち政治的判決を受けたのは1万名以下で…
  ――第25章 雪どけ そして釈放

「私たちは彼らを暴露したり、裁判にかけたり、断罪したりしなかった……そういう質問をするだけで、われわれ一人ひとりが愛する誰かを裏切るリスクを冒すことになるのだ」
  ――エピローグ 記憶

これらの数字を合算すると、ソ連における強制労働者の犠牲者は2870万人になる。
  ――補説 犠牲者の数は?

 アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 2 から続く。

【どんな本?】

  • 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年
    • 第19章 戦争勃発
    • 第20章 「よそ者」たち
    • 第21章 恩赦 そしてそのあとで
    • 第22章 収容所=産業複合体の絶頂期
    • 第23章 スターリンの死
    • 第24章 ゼークたちの革命
    • 第25章 雪どけ そして釈放
    • 第26章 異論派の時代
    • 第27章 1980年代 銅像のうちこわし
  • エピローグ 記憶
  • 補説 犠牲者の数は?
  • 訳者あとがき/文献・出典一覧/主要人名索引

 アレクサーンドル・ソルジェニーツィンの「イヴァーン・デニーッソヴィチの一日」で一躍有名となり、西側諸国にもその冷酷かつ悲惨な実体が明らかになったソ連の収容所。それはどのように始まり、どのように変わっていったのか。革命→スターリンの君臨→独ソ戦→東欧吸収→スターリン死去→フルシチョーフによるスターリン批判→アンドローポフの締め付けなど政治情勢の変化は、グラーグにどんな影響を及ぼしたのか。

 文学作品や手記そして直接の取材はもちろん、ソ連崩壊に伴い公開された資料も漁り、集中収容所の全貌を明らかにする衝撃のノンフィクション。

【はじめに】

 全体は3部から成る。

  • 第1部 グラーグの起源 1917~39年:収容所の歴史・前半
  • 第2部 収容所の生活と労働:収容所の中の暮らし
  • 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年:収容所の歴史・後半

 この記事では、「第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年」を中心に紹介する。つまり独ソ戦以降ですね。

【戦争勃発】

 ただでさえ苛烈な収容所の環境は、独ソ戦勃発で更に悪化する。食糧をはじめとする物品の補給が滞った上に、逮捕対象のカテゴリーが広がって入所者が増え、政治囚の刑期が伸びた。つまり入ってくる囚人は増えたが、出ていく囚人は減る。当然、ただでさえ過密な収容所にさらに囚人を詰め込んだというのに、配分すべき物品は減り、作業ノルマは増える。

 おまけに西部の収容所は急いで引っ越しだ。囚人の移送が間に合わない? 刑事囚は釈放していい、だが政治囚は始末しておけ。前の記事にも書いたけど、政治囚に対する冷酷さと憎しみは、なんなんだろうね。その結果…

…二百万を優に超える人びとが戦時中にグラーグの収容所とコロニーで死んだ。
  ――第19章 戦争勃発

 アウシュヴィッツのユダヤ人収容所を見つけたソ連は、解放者として盛んにそれを宣伝したけど、似たような真似を自分たちもやっていたのだ。

【「よそ者」たち】

 1939年のソ連によるポーランド侵攻やバルト三国占領などで、ソ連国内には異邦人が増える。彼らに加え、もともとスターリンの気に入らなかった民族も、戦争を言い訳に弾圧を加える。強制移住だ。

 その対象は様々なカフカース人、クリミア・タタール人、メスヘト・トルコ人、クルド人、ヘムシル人、ブルガリア人、ギリシャ人、アルメニア人などだ。その理屈も無茶苦茶である。

…ヴォルガ・ドイツ人(→Wikipedia)の誰ひとりとして、そのような多数の破壊工作員およびスパイ(略)をソヴィエト当局に通報していない。すなわちヴォルガのドイツ人住民は(略)敵を自分らのあいだに隠匿している。
  ――第20章 「よそ者」たち

 通報がないから、みんなグルにちがいないって、言いがかりにもほどがある。

 加えて、戦争が進むに従い、敵国の捕虜もこれに加わる。ドイツ人捕虜の惨状は「ベルリン陥落」に詳しい。もっとも、捕虜の扱いはドイツ軍も似たようなモンだけど(「スターリングラード」)。もちろん、多くの日本人も捕虜になってます(→Wikipedia)。

 ドイツに対し反旗を翻したポーランド国内軍(「ワルシャワ蜂起」)まで流刑にしてるんだから、その目的は対独戦とは関係ないのがわかるだろう。この手の連中は、国家存亡の危機すら、都合の悪いやつを強引に叩き潰す機会として利用するのだ。たとえそれが戦争遂行に不利になるとしても。連中にとって最も大事なのは十分の権力維持であって、国家の利害は二の次でしかない。

 そんな捕虜や強制移住者たちが追いやられたのは、もちろん何もない荒野である。そして今もロシアはクリミアやチェチェンを牛耳り、ウクライナも東部に居座ろうとしているんだから、たいした鉄面皮だよなあ。

【恩赦 そしてそのあとで】

 とはいえ、戦争中は兵隊が足りない。そこで、政治囚と重い刑事犯を除き、恩赦となる。ったって、行先は悪名高い懲罰大隊(→Wikipedia)だけど。

 ポーランド人にも恩赦が与えられる。ヴワディスワフ・アンデルス将軍が率いるポーランド軍師団を結成するためだ。とはいえ、ソ連は補給も移動手段も与えない。結局、アンデルス将軍はイラン経由で欧州戦線に参加、モンテ・カッシーノ攻略(→Wikipedia)で勇猛果敢の名をはせるんだから、歴史ってのはわからない。加えて、彼らの生き残りの証言は、後に西側諸国にグラーグの実態を知らしめてゆく。

 このグラーグ制度は後に中国に輸出され、今でも北朝鮮で盛んに利用されている。

【収容所=産業複合体の絶頂期】

 戦後も恩赦は続く。政治囚でない女も恩赦の対象となる。というのも、孤児がやたらと増え、それが浮浪児や愚連隊となったからだ。「イワンの戦争」にも「連隊の子供」が出てきたけど、子供こそが戦争の最大の被害者だよなあ。これを扱った「廃墟に生きる戦争孤児たち」も凄い迫力です。

 収容所の管轄も大きく変わる。というのも、NKVDがMGB(後のKGB)と内務省=MVDに別れ、収容所はMVDの管轄となったからだ。それまでに釈放された元囚人も、1948年に再逮捕の波が来る。秘密警察はアルファベット順に逮捕したというから、律義というか間抜けというか。

 この騒ぎは、収容所に大きな変化を起こす。それまでの政治囚は大人しかったが、今度の政治囚の多くは戦場帰りである。ヤクザ共を返り討ちにし、癒着した看守たちにだって歯向かう。この辺は、読んでて気分がよかった。

【スターリンの死】

 しまいにはユダヤ人の収容所送りまで目論んでいたスターリンだが、1953年3月にお陀仏となる。後を継いだベーリヤは果敢に改革を進め、複数の運河計画など無謀な土木工事を取りやめる。中には「サハリーンへの海底トンネル」なんてのもあったから驚きだ。収容所も100万人以上を恩赦とする…が、フルシチョーフによってあえなく塀の中へ。諸行無常ですなあ。

【ゼークたちの革命】

 そのフルシチョーフ、スターリン告発などで路線を大幅に変更、「雪どけ」と呼ばれる方向へ向かう。この頃、収容所は幾つかの民族系派閥が力をつけている。ウクライナ人、バルト人、ポーランド人などだ。いずれも元は筋金入りのパルチザンで、一筋縄じゃいかない。チクリ屋は一掃され、しまいには大規模ストライキへと発展する。

 ただしこのストライキ、MVDの画策だって話もあるから闇が深い。雪どけが進み収容所が閉鎖になったら、失業しちゃうからね。結局、最後は戦車T-34まで投入して鎮圧するんだけど。天安門事件かい。

【雪どけ そして釈放】

54年6月に実施されたグラーグ財政についての再度の調査は、多額の国庫補助金を受けていること、とりわけ警備の費用が財政を赤字にしていることを改めてしめした。
  ――第25章 雪どけ そして釈放

 MVDが懸念したのも当然で、つまりは赤字だったのだ、収容所は。ここでMVDは改革を進めようとし、KGBは骨抜きにしようとする。KGBの体質がよく分かるね。

 駆け引きのためか、恩赦は進むが元囚人の名誉回復は進まない。その理屈が凄い。

もし一挙に全員無実と宣言したら、「この国が合法的な政府ではなく、ギャング団によって動かされていたことが明らかになってしまう」
  ――第25章 雪どけ そして釈放

 「俺たちがギャングだとバレたら困る」ってわけだ。ちなみに戦中と冷戦時の国際会議におけるソ連代表団の素行の悪さは有名で、パリのホテルじゃ備品がゴッソリ消えたとか。フランス外交部は、次の舞台となるロンドンのイギリス外交部にその由を警告したって話をどっかで読んだ。

 フルシチョフの演説は上層部しか知らないが、知人だった囚人が戻ってくれば民衆も雪どけを実感する。もっとも、彼らをチクった連中は居心地の悪い思いをする羽目になるんだが。なお、収容所は釈放に当たって「中であったことを言いふらすな」との文書に署名を求めている。どんだけ往生際が悪いんだか。

 そこに爆弾がさく裂する。アレクサーンドル・ソルジェニーツィンの「イヴァーン・デニーッソヴィチの一日」だ。元囚人による感想は、「戦地の図書館」冒頭に出てくる海兵隊員の手紙に匹敵する極上のファンレターだ。

「涙で顔がぐしゃぐしゃになりましたが、私はそれを拭きませんでした。雑誌のわずかなページに込められたこれらのいっさいが私のもの、私自身が収容所で過ごした15年の毎日毎日身をもってあじわったものだったからです」
  ――第25章 雪どけ そして釈放

【異論派の時代】

 1950年代末から、新たなタイプの囚人が出現する。「異論派」だ。人権活動家たちの多くがスターリンの犠牲者の子弟ってのが興味深い。そりゃ体勢に反感を持つよ。

 中には変わったのもいる。ロシア正教会の古い儀式を守る古儀式派だ。1919年に北部ウラルの原生林に住み着き、「KGBのヘリコプターが50年後に発見するまでそこで完全に秘密に生活していた」。同じころアメリカで流行ったヒッピーのコミューンとは、覚悟も年期も違う。

 古儀式派は例外として、新しい時代の政治囚たちは、「自分がなぜ逮捕されたのかを知って」いるのが、かつての政治囚との大きな違い。しかも、彼らは準備ができていいた。

 というのも、「物語創世」にも出てきた地下出版「サミズダート」が発達していたため。中でも「時事クロニクル」は、人権侵害・逮捕・裁判・デモ・新刊サミズダートを扱い、「スターリン後のソヴィエト収容所の生活についての主要情報源」へと成長する。

 「時事クロニクル」は西側にも漏れ、風当たりが強くなる。これに対するKGBの対策が古典的だ。異論派を精神病者に仕立て上げ、MVD直轄の病院に閉じ込めるのだ。奴らは変わらないなあ。

 この章にはもう一つ、面白い挿話がある。

 1991年、国外追放されていたヴラジーミル・ブコーフスキイが里帰りする。時のロシア大統領エーリツィンは共産党の禁止を求め、反発する共産党は裁判に持ち込んだ。ブコーフスキーは憲法裁判所にハンドスキャナーとラップトップ・パソコンを持ち込み、堂々と証拠書類のコピーを始める。ロシアじゃ誰もパソコンやハンドスキャナーなんか知らないと踏んだのだ。

 彼の目論見は見事に当たり、バレたのは完了間近。ブコーフスキイはまっすく空港に向かい、ロシアから逃げましたとさ。なんつーか、ロシアになっても、まず隠そうとする体質は変わってないんだなあ。

【1980年代 銅像のうちこわし】

 どころか、明らかに逆方向に向かうだろう、と思うのが、フルシチョーフ路線からの逆走を始めたアンドローポフの経歴が…

1956年にブダペスト駐在のソ連大使だった彼(アンドローポフ)は、知識人の運動があっという間に民衆革命に転化するようすをまのあたりにした。
  ――第27章 1980年代 銅像のうちこわし

 現ロシア大統領のプーチンも、元KGBで、1989年に東ドイツでベルリンの壁崩壊を体験してるんだよなあ。

 さて、1980年代の収容所で、政治囚は刑事囚と隔離されている。お陰で収容所は「一種のネットワークづくりのための施設」になった。アラブの刑務所と同じだね(「倒壊する巨塔」,「ブラック・フラッグス」)。ここで若い異論派は、第二次世界大戦の古強者たちと出会い、交流を深めていくのである。

 そしてゴルバチョーフが登場し、市民の間でも新しい動きが現れる。「レーニンの墓」にも出てきた、メモリアール協会だ。メモリアールは、「収容所生存者からの聞き書きを収集していた」。ほんと、事実の記録を残すってのは大切だよね。そして…

ゴルバーチョフは1986年末、ソヴィエトの政治囚全員の全面的釈放を決定した。
  ――第27章 1980年代 銅像のうちこわし

【記憶】

 過去に光を当てようとする動きに対し、元ソ連の人々の反応は様々だ。ロシア人は「昔のことを掘り返すな」、沈黙、そして「もっと知りたい」。リトアニアは追悼施設を、ラトヴィアは占領博物館を、ハンガリーもドイツ占領とソ連時代をいっしょに展示する博物館を開く。対してベラルーシは虐殺跡地を道路にしようとする。わかりやすいね。

 そして肝心のロシアは…

ロシアは弾圧の歴史をあつかった国立博物館をもっていない。ロシアは国立の慰霊場所、犠牲者とその家族の苦しみを公式にみとめるモニュメントももっていない。
  ――エピローグ 記憶

 この点については、日本もロシアを責める資格はないだろう。なにせ特高や憲兵の弾圧を記録し国民に示す国立博物館を持たない。犠牲者の慰霊碑もない。そもそも、この本「グラーグ」に該当するような、特高や憲兵の弾圧を手記から統計まで広く含めた本すら、まず見当たらない。もしご存知なら、ぜひ教えてください。

【おわりに】

 権力が暴走するとどうなるのか、言論弾圧の向こうに何があるのか、自らの間違いを隠すため役人がどこまでやるのか。そんな真面目な意味でも面白かったし、刑事囚と政治囚の関係などは下世話な野次馬根性で楽しかった。分量は多くてちょっと尻込みしたくなる本だが、書かれているエピソードは「まとめブログ」記事が余裕で三桁書けるぐらいの濃いネタがギッシリ詰まってる。やっぱりソ連・東欧物ドキュメンタアリーは刺激的な本が多いなあ。

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【つぶやき】

 悪役令嬢をきっかけに、「小説家になろう」にハマった。今、読んでるのは、「異世界のんびり素材採取生活」と「ラスボス、やめてみた ~主人公に倒されたふりして自由に生きてみた~」。ポンポンとハイテンポでストーリーが進んでいくのが心地いい。

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2019年11月25日 (月)

アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 1

これはグラーグの歴史、(略)ソ連の東西南北全域にわたって散在していた労働収容所の一大ネットワークの歴史である。
  ――序論

「…ここにはソヴィエト権力はない。あるのはソロヴェールキイ権力だけだ」
  ――第2章 「グラーグ収容所第1号」

【どんな本?】

 「シベリア送り」で象徴される、旧ソ連の収容所。アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「収容所群島」などで有名で、多くの人がボンヤリとその印象を持っている。気まぐれな逮捕とおざなりの裁判、そして過酷な労働と劣悪な環境。だが、その実体はどんなものだったのか。

 誰が、どんな理由で収容所に送られたのか。収容所内の暮らしは、どんなものだったのか。どこにどれぐらい収容所があったのか。誰が生き残り、誰が亡くなったのか。ソ連政府のどこが管轄し、どのような目的で運営したのか。

 ソ連崩壊に伴い公開されたソ連の公式文書を中心に、監督官・囚人双方の収容所生活経験者の手記なども漁り、収容所の実態を明らかにする、衝撃のドキュメンタリー。

 2004年度ピュリツァー賞一般ノンフクション部門受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GULAG, by Anne Applebaum, 2003。日本語版は2006年7月15日発行。単行本ソフトカバー縦二段組み本文約632頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント27字×24行×2段×632頁=約819,072字、400字詰め原稿用紙で約2,048枚。文庫ならたっぷり4冊分の巨大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、歴史と共に収容所の性格も変わっているので、ソ連の歴史を知っていると更に深く理解できる。

【構成は?】

 第一部は収容所の歴史前半、第二部は収容所の実態、第三部は再び収容所の序歴史後半となる。

  • 凡例/謝辞/序論
  • 第1部 グラーグの起源 1917~39年
    • 第1章 端緒をひらいたボリシェヴィキー
    • 第2章 「グラーグ収容所第1号」
    • 第3章 1929年 偉大な転換
    • 第4章 白海運河
    • 第5章 収容所の拡張
    • 第6章 大テロルとその余波
  • 第2部 収容所の生活と労働
    • 第7章 逮捕
    • 第8章 監獄
    • 第9章 移送、到着、選別
    • 第10章 収容所での生活
    • 第11章 収容所での労働
    • 第12章 懲罰と褒章
    • 第13章 警備兵
    • 第14章 囚人
    • 第15章 女性と子ども
    • 図版
    • 第16章 死にざま
    • 第17章 生き残り戦略
    • 第18章 反乱と脱走
  • 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年
    • 第19章 戦争勃発
    • 第20章 「よそ者」たち
    • 第21章 恩赦 そしてそのあとで
    • 第22章 収容所=産業複合体の絶頂期
    • 第23章 スターリンの死
    • 第24章 ゼークたちの革命
    • 第25章 雪どけ そして釈放
    • 第26章 異論派の時代
    • 第27章 1980年代 銅像のうちこわし
  • エピローグ 記憶
  • 補説 犠牲者の数は?
  • 訳者あとがき/文献・出典一覧/主要人名索引

【感想は?】

 |┃三     , -.―――--.、
 |┃三    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
 |┃    .i;}'       "ミ;;;;:}
 |┃    |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
 |┃ ≡  |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
 |┃    |  ー' | ` -     ト'{
 |┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}     ______
 |┃三  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-'   /
 |┃     |    ='"     |    <  聞かせて貰った!
 |┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {     \ シベリア送りだ!
 |┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ     \
 |┃ ≡'"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |    ガラッ

 …なんてアスキー・アートがあるぐらい、ソ連の収容所は有名だし、多くの人がなんとなく知っている。そこは過酷な所で、スターリンの気まぐれで収容所送りになる、と。

 だが、「収容所群島」を読み通した人はどれぐらいいるだろう? いや私も全く読んでないけど。それに、「収容所群島」は文学作品で、ソルジェニーツィンが体験したこと、見聞きしたことを中心に書いている。それに対し、本書はより多くの人々の体験談を集め、また公的文書や統計も漁り、より俯瞰的な視点で収容所の全体像を描き出そうとするものだ。

 この記事では、本書の第一部を紹介する。というか、実は記事を書く時点じゃ第二部までしか読み終えていない。そういうわけで、第一部、収容所の歴史の前半部分、1917~1939年までを紹介する。

 元々、帝政ロシア時代の18世紀から収容所はあった。未開拓の北方と東方を開拓するためだ。革命で権力を奪ったソ連も、これを受け継いだ。が、「この段階では収容所の目的は不明確なままだった」。ボリシェヴィキーも、社会には収容所が必要だと思っていたんだろう。お題目じゃ世界革命を唱える共産主義者も、所詮はロシア的な文化・風習に囚われていたわけだ。

 これが1920年代になると、OGPU(後のKGB)の管轄になり、「経済的利益のために奴隷労働を活用する」方針を打ち出す。つまりはタコ部屋だね。とはいえ、ソ連の経済政策が間抜け極まりないのは皆さんご存知だよね。工業化を目指す最初の五カ年計画で…

もっとも目立ったのは、技術専門家の逮捕だった。
  ――第3章 1929年 偉大な転換

 工業化するのに技術者は不可欠だと思うのだが、OGPUの理屈は違った。工業化計画がコケるのは技術者が怠けているからなのだ。これを皮切りに、馬鹿が権力を握るとロクな事がない、そう感じさせる記述が本書には何度も出てくる。ったく、なんだってこう権力を握る才能を持つ奴ってのは、権力を使う能力が見事に欠けてるんだろう。

 続いて1930年代には「悲しみの収穫」にある農業集団化とホロドモール(→Wikipedia)で、多くの農民が収容所送りとなる。以後、スターリンが死ぬまで農民が収監者の大部分を占めた。飢饉だってのに、農民を農地から離すとは、何考えてんだか。

 そんな収容所の奴隷労働の情報は西側にも届き、反発も出てくる。特に影響が強かったのはアメリカ労働総同盟(AFL)が呼びかけたボイコット。極右の人は労働組合を赤の手先と決めつけるけど、たいていは悪質なデマです。

ソ連側は(収容所に抗議する西側の)ボイコットの脅威をきわめて深刻にうけとめ、外貨流入の途絶を防止するためいくつかの手を打った。これらの措置の一部は、うわべをごまかすだけものもで、たとえばヤーンソン委員会はそのすべての公式発表からコンツラーゲリ(集中収容所)という表現をすっかり削除した。
  ――第4章 白海運河

 ってな具合に、経済制裁にもソレナリの効果はあるのだ。もっとも、ソ連側の対応はいつも通りのセコい隠蔽だけど。

 そういう全体主義の間抜けっぷりがよく出てるのが「第4章 白海運河」。白海とバルト海を運河で結ぼうって壮大な計画だ(→Wikipedia)。スターリンの命令で工事は特急となる。独裁者ってのは、壮大な土木・建設工事が大好きなんです。ところがその無謀な計画に間に合わせる方策は、手抜き工事だ。お陰で運河の水深はたったの3.6m、今じゃ通過する船は「いちばん多くて日に七隻」なんて体たらく。ところが、そのコストは…

ある推定によると囚人二万五千人以上が死んだが、これには病気や事故で釈放された者や、釈放後まもなく死んだ者は含まれていない。
  ――第4章 白海運河

 これだけの人間が、一つの建物に入るはずもなく。だからこそ収容所「群島」と呼ばれる。バラックをボコボコ作り、次第に町となってゆく。しまいにゃ共和国まで出来てしまう。コーミ共和国(→Wikipedia)がソレだ。

 もともと前人未到の荒野で、「1937年までコーミでは有刺鉄線は使用されなかった」。だって周囲は何もないタイガだし。収容所建設の目的は地下資源開発で、そのため1928年11月「絶妙のタイミングでOGPUは著名な地質学者のN・チホノーヴィチを逮捕」している。今もコーミ共和国は石油産業で稼いでますね。

 やがて1930年代後半の大テロルがやってくる。囚人は続々とやってくるが、受け入れ態勢は整っていない。バラックも食料も衣服も足りない。そもそもソ連の流通網の無能さは有名だ。ってんで、囚人は次々と死んでゆく。肝心の経済効果も…

公式統計によれば、全体としてグラーグの収容所の取引額は1936年に35億ルーブルだったのが(大テロルの)1937年には20憶ルーブルに落ち、収容所の総生産も11憶ルーブルから9憶4500万ルーブルに低下した。
  ――第6章 大テロルとその余波

 これにはさすがのベリヤ(OGPUの親玉、→Wikipedia)もヤバいと思って改善に乗り出し、「収容所=産業複合体」へと進化してゆく。

 さて、その収容所の中はどんな具合か、というと、それは次の記事で。

【関連記事】

【つぶやき】

 往年のプログレッシヴ・ロックをカバーしてる Fleesh って二人組がすごい。伸びやかで澄んだ歌声は、アニー・ハズラムを凌駕してるかも(→Youtube)。

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2019年11月 5日 (火)

モート・ローゼンブラム「チョコレート 甘美な宝石の光と影」河出書房新社 小梨直訳

世界におけるカカオの栽培総面積は約千五百万エーカー(約600万ヘクタール)。その九割が12エーカー(約5ヘクタール)に満たない土地で、人手を雇うにしてもごくわずかという家族経営の農園である。
  ――第1章 神々の朝

ジャック・ジェナン「チョコレートは生ものだから(略)すぐに食べないとだめなんだ」
  ――第2章 ショコラ その魅力にとりつかれた人々

テオブロマ・カカオの種としての原産地は、推測に頼るしかない。原産地は南アメリカのアマゾン川流域――オリノコ川とアマゾン川に挟まれたあたりだろうとされている。
  ――第3章 種の起源 チョコレートの誕生と進化

もっとも条件のよいときでさえ、コートジボワールのカカオ農民は、最終的に小売店に売られるチョコレートからもたらされるカカオ1ポンドあたりの価格の1/100足らずしか、収入として得ることができない。
  ――第6章 チョコレート海岸

本物のチョコレートは三つの材料、すなわちカカオマス、ココアバター、砂糖からつくられる。そこに乳化剤としてよくつかわれる大豆レシチンを微量加えても、味はほとんど変わらない。そして、貴重なココアバターは化粧品の世界での需要が非常に多い。
  ――第9章 フランスの名ショコラティエ

ベルギー王国には現在、手づくりの工房と工場生産のメーカー合わせて約五百のチョコレート会社がある
  ――第10章 ベルギー ホビットのチョコレート

だれがどこのスーパーマーケットへ行っても買える、いちばん値段が手頃なまともなチョコレート、それがリンツだと私は思う。
  ――第13章 伝統のスイスと新生ロシア

「ヌテッラは食べ物じゃない。薬、ヤクだよ、万能薬」
  ――第14章 ヌテッラをさがせ!

「…純粋なクリオロ種の木は、もうほとんど存在しない、どこにも」
  ――第16章 合衆国チョコレート革命の兵士たち

【どんな本?】

 みんな大好きチョコレート。カカオの苦味を活かしたダークチョコレート、甘くとろけるミルクチョコレート、フルーツやお酒を包んだボンボン、賛否両論が激しく交わされるミントチョコ。

 その原料であるカカオが南米出身なのは、広く知れ渡っている。だが、古の時代からその楽しみ方のバリエーションがどれほど豊かなのかは、あまり知られていない。

 そして現代、チョコレートの本場ヨーロッパでは、高級チョコレートの王座を争い、老舗のスイスと名声高いベルギーに対し、快楽の狩人フランスが激しく追い上げている。そしてハーシーとマーズの両巨頭が君臨するアメリカでも、革命が起こりつつある。

 現在のカカオの主な産出地であるアフリカ西海岸、古代の名残りを色濃く残すメキシコ、高名なショコラティエが腕を競うフランスとベルギー、そしてアメリカのハーシータウンと、チョコレートの名所を訪ね著者は世界中を飛び回る。

 チョコレートの歴史から製法、現代の流通ルート、しのぎをけずるショコラティエたちなどチョコレートに憑かれた者たちから、知られざる名店やニューフェイスなど高級チョコレートの紹介まで、チョコレートを愛する人たちに送る香り高いガイドブック。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CHOCOLATE : A Bittersweet Saga of Dark and Light, by Mort Rosenblum, 2005。日本語版は2009年1月30日初版発行。単行本ハードカバーー縦一段組み本文約375頁に加え訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×375頁=約328,624字、400字詰め原稿用紙で約822枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。敢えて言えば、世界中を飛び回る話なので、地図帳か Google Map があると便利かも。

【構成は?】

 第1章はチョコレートの原料から製法までが書いてあり、いわばチョコレート入門とでも言うべき内容なので、素直に最初に読もう。以降はほぼ独立しているので、美味しそうな所からつまみ食いしてもいい。

  • 第1章 神々の朝食
  • 第2章 ショコラ その魅力にとりつかれた人々
  • 第3章 種の起源 チョコレートの誕生と進化
  • 第4章 チョコレートと七面鳥
  • 第5章 ほろ苦い町ハーシータウン
  • 第6章 チョコレート海岸
  • 第7章 プリンシペ島のクラウディオ
  • 第8章 チョコレートの殿堂ヴァローナ
  • 第9章 フランスの名ショコラティエ
  • 第10章 ベルギー ホビットのチョコレート
  • 第11章 女王のお召し物 ゴディバ社の謎
  • 第12章 バラのクリームと代替油脂
  • 第13章 伝統のスイスと新生ロシア
  • 第14章 ヌテッラをさがせ!
  • 第15章 身も心も チョコレートは体にいい?
  • 第16章 合衆国チョコレート革命の兵士たち
  • 第17章 キャンプ・カカオ
  • 謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 ちょっと不安になってきた。果たして私は今までチョコレートを食べたことがあるのだろうか。

 もちろん、ロッテのガーナチョコレートや明治のミルクチョコレートは大好きだ。だが、本書が主に扱うのは、そういった量産品ではない。名のあるショコラティエ(チョコレート職人、→Wikipedia)が丹精込めて作った高級チョコレートだ。当然、甘いミルクチョコレートではなくカカオ成分が多いダークチョコレートが主役となる。きのこたけのことか言ってる場合じゃない。

 同じチョコレートを扱った本として「チョコレートの帝国」がある。こちらはアメリカでのハーシーとマーズの熾烈な戦いがメインテーマだったが、本書では第5章だけに押し込めてしまう。

 代わりに活躍するのが、フランスを中心にベルギー・イタリア・スイスそしてアメリカ合衆国で腕を競うショコラティエたちと、全天候レーダーよろしく美味しい高級チョコレートを目ざとく見つけるチョコレート鑑定人クロエ・ドゥートル=ルーセルだ。特にクロエの言葉は、世界中のチョコレート中毒者に対する有難い赦しをもたらす。

「(チョコレートを)食べるときには、自分を許さなきゃだめ」
  ――第2章 ショコラ その魅力にとりつかれた人々

 そんな著者とクロエによる高級チョコレートの定義は、チョコレートに対する私の常識を軽く吹き飛ばす。かのゴディバでさえ、11章では酷い扱いだ。にも関わらず売れるのは…

ゴディバには販売戦略担当者の発見した、ある秘密の法則があった――他のチョコレートより美しく見せれば高くても売れる。
  ――第11章 女王のお召し物 ゴディバ社の謎

 と、製品そのものより販売戦略の賜物とアッサリ切り捨てる。

ゴディバの名誉のために補足すると、少なくとも日本の販売店の店員は文句なしに一流だ。「たった今、場外馬券場で有金スってきました」的な風体で店を訪れた私に対し、完璧な笑顔で懇切丁寧に応対してくれた。ただし味は判らない。手土産として買ったので、私の口には入らなかったのだ。幸い、訪問先のご婦人方には口の肥えた方もいるのだが、土産の評判は良かった。

 その分、脚光を浴びるのは、主にフランスのショコラティエたち。中には政府から授与されるMOF=メイユール・ウヴリエ・ド・フランス=スランス最優秀職人の肩書を持つ人までいる。というか、フランスにはそんな制度があるのか。さすが美食の国フランスだ。しかも「フランスではロックスターや哲学者にも匹敵する存在」ってのにも驚く。奴ら本気だなあ。

 そんなショコラティエたちの店を訪ね歩く所では、ちょっとしたフランス旅行案内の感もある。必ずしも店がパリにあるわけじゃないし、パリでも大通りに派手な店を出してるわけでもない。いわゆる「隠れた名店」だ。これはベルギーも同じなので、あの辺に旅行に行くなら、詳しくメモしておくと同行者に通として威張れるかもしれない。

 どのショコラティエも新しい挑戦に余念がないが、同時に製造上の微妙な調整にも厳しく気を遣う。とはいえ、チョコレートの工程は様々だ。これは「パンの歴史」でもそうだった。小麦農家から直接に仕入れる人もいれば、製粉会社から仕入れる人もいる。チョコレートも同じで、大手のヴァローナ社(→ヴァローナジャポン)から仕入れる人もいれば、カカオ農園と契約する人もいる。終盤での農園の奪い合いなどは、ショコラティエたちの執念が伝わってくるのだが、思わず笑ってしまうのはなぜだろう。

 と書くと気取った話ばかりのようだが、チョコレートの道は広く豊かだ。第四章では古のアステカ時代の香りを伝えるチョコレート・モレを求め、いかにもメキシカンな家庭料理を堪能する。唐辛子とチョコレートって一見唐突な組み合わせのようだが、実は伝統的な味だったり。

 かと思えば第14章では罪深きヌテッラ(→Wikipedia)を巡り、世界中の家庭で繰り広げられる戦争をレポートしたり。うん、たしかにチョコレートを味わう時には自分を許さなきゃダメだ。

 などと、チョコレートの歴史からカカオの原産地の状況、製造・流通過程、量産型・専門店・地域密着型の意外なレシピ、世界中のショコラティエたちの挑戦、チョコレート産業が抱える問題から健康への影響など、チョコレートに関する色とりどりの話題が詰まった香り高い本だ。ただし読み終えたら近くの専門店に飛び込みたくなるのが難点かも。

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2019年10月 6日 (日)

ペートル・ベックマン「πの歴史」ちくま学芸文庫 田尾陽一・清水韶光訳

ユークリッドは幾何学の父ではなく、数学的厳密性の父なのである。
  ――第4章 ユークリッド

ローマは、組織された強盗集団の最初の国でも最後の国でもない。しかし、後の時代の世界中のほとんどの人々をだまして、称賛するようにしむけた点では、唯一の国である。
  ――第5章 ローマという名のペスト

<背理法>というのは、今日までにひろく知られた証明法であるが欠点がひとつある。それは、否定すべきあやまった結論を知るには、まえもって正しい結果を知っていなければならないということである。
  ――第6章 シラクサのアルキメデス

連分数は、現在“失われた数学”の分野に属する。
  ――第12章 突破への序曲

彼(ニュートン)の方法を使うと関数やその積分、微分も無限級数に展開することができる。
  ――第13章 ニュートン

オイラーが(偶然なのだが)πと結びついた問題を徹底的にとりあつかってしまったので、彼の後に、πの計算をするもっとよい方法を見つけた人は、誰もいなかった。
  ――第14章 オイラー

…超越数が存在するとして、それらはなぜ関心をひくのだろうか。その答えは、超越数が多くの興味ある性質を持っているということであり、またもっというと、πの超越性が、昔からの問題である、円を正方形にすることの可能性について、解答をただちに与えるからである。
  ――第16章 超越数π<

コンパスと定規だけしか使えないときには、直線と円しか描けない(これらの方程式は、たかだか2次の代数方程式である)。
  ――第16章 超越数π<

【どんな本?】

 π。円周率。3.14159…。円周の長さを直径で割った数値。今では無理数、それも超越数(→Wikipedia)だと判っているが、かつては 3+1/7 や 3+17/120 などとしていた。

 人類は、いかにして正確なπの値へと迫っていったのか。様々な文明は、どんな値を当てはめていたのか。その数値は、どんな性質を持っているのか。そして、その性質は、数学にどんな変化をもたらしたのか。

 電気工学者である著者が、独特の歴史観を全面的に押し出し、容赦ない毒舌をまぶしながら語る、個性あふれる一般向けの数学史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A History of π, by Petr Beckmann, 1971。日本語版は1973年9月29日に蒼樹書房より刊行、2006年4月10日にちくま学芸文庫より文庫版発行。私が読んだのは2006年5月20日発行の第二刷。文庫本で横一段組み本文約305頁に加え、訳者あとがき3頁+文庫版あとがき1頁。8.5ポイント26字×25行×305頁=198,250字、400字詰め原稿用紙で約496枚。文庫本としては普通の厚さ。

 数学の本のわりに文章はこなれている。内容は、読み方によりけり。というのも、やはり数学の本だから、数式はしょっちゅう出てくる。が、これを完全に読み飛ばしても、実は構わない。そういう読み方をすれば、数学が苦手でも、歴史の本として楽しめる。というか、私は読み飛ばした。ただし、超越数については知っていた方がいい。真面目に数式に取り組むなら、三角関数・微分・級数展開ぐらいは使いこなせないと厳しい。

というか、πを求めるのに三角関数を使うのは反則だと思うんだが、どうなのよ←負け惜しみです

【構成は?】

 各章はほぼ独立している。歴史の本として数式を飛ばして読む、または数学が得意なら、気になった所だけを拾い読みしてもい。数式を含めて読むなら、相応の覚悟が必要。悪いことは言わない。数式が出てきて「なんか難しそうだなあ」と思ったら、無理しないで読み飛ばそう。繰り返すが、私は数式を読み飛ばした。

  • まえがき
  • 第二版へのまえがき
  • 第三版へのまえがき
  • 第1章 夜明け
  • 第2章 ベルト地帯
  • 第3章 古代ギリシャ人
  • 第4章 ユークリッド
  • 第5章 ローマという名のペスト
  • 第6章 シラクサのアルキメデス
  • 第7章 たそがれ時代
  • 第8章 暗黒時代
  • 第9章 めざめ
  • 第10章 数の狩人たち
  • 第11章 さいごのアルキメデス学派
  • 第12章 突破への序曲
  • 第13章 ニュートン
  • 第14章 オイラー
  • 第15章 モンテ・カルロ法
  • 第16章 超越数π
  • 第17章 現代の正方形屋たち
  • 第18章 コンピュータ時代
  • 原註/訳註/参考文献/年代表/訳者あとがき/文庫版あとがき

【感想は?】

 歴史観は人それぞれだ。それぞれだが、個性が強いほど、断言する文章が多くなり、本としては爽快で楽しい。

 そして、この本には著者の独特の歴史観が強く出ている。だから、気が合う人には、とっても楽しい本だ。では、どんな歴史感か。

 著者は1924年のプラハ生まれだ。そのためか、西欧中心の歴史観に反感を持っていて、本書にはアステカや日本の話題も出てくる。また、ナチスやソ連に踏みにじられた歴史からか、全体主義に強く反発する。加えて工学者だ。当然、数学の恩恵を大きく受けているから、数学や科学が大好きだ。そして、母国の歴史も相まってか、政治力や軍事力のゴリ押しが大嫌いだ。

 この視点がよくわかるのが、人物や文明への評価だろう。ユークリッドやアルキメデスを高く評価するのは、まあ常識的なところ。ところが、アリストテレスは「2000年近くも科学の進歩を封じてしまった」とこき下ろす。自らの手で実験をせず、脳内で考えをもてあそんだのが気に入らないのだ。

 更に強烈なのが、ローマ帝国への評価で、まるしき強盗団扱いである。まあ、ローマの支配下じゃ理論はほとんど進歩せず、土木などの応用技術だけが進んだから、そういう事だろう。パックス・ロマーナに対しては、「チャーチルが邪魔しなきゃパックス・ジャーマニカが成ったぜ」って、某漫才コンビも真っ青な毒舌ぶりだw

 さて。主題のπだが、これは自然数でもなければ有理数でもない。超越数(→Wikipedia)だ。超越数を私なりに大雑把な説明をすると…

  • 有理数:整数と加減乗除の組み合わせで表せる実数(=虚数部はなし)。
  • 無理数:有理数ではない実数(=虚数部はなし)。
  • 代数的数:整数と加減乗除とn乗根の組み合わせで表せる複素数。
  • 超越数:代数的数ではない数、つまり整数と加減乗除とn乗根の組み合わせでは表せない複素数。

 πがいかにケッタイな数か、お分かりだろうか。計算では実態がつかめないのだ。1/3などの循環小数なら、簡単な筆算ですぐわかる。同じ無理数でも、√2は1×1の正方形の対角線の長さとして、方程式で出てくる。だがπは違う。この性質が、ある種の人を惹きつけるらしく…

数の狩人たちがすべてπの値に注目していることは、興味深い現象である。√2やsin1°やlog2を、数百桁まで求めようとした人は、ひとりもいないのだ。
  ――第10章 数の狩人たち

 本能的にヤバさを感じたんだろうか。そんなわけで、近似値を求めるしかない。その方法として最も分かりやすいのが、アンティフォンとアルキメデスの方法だ。円に内接する多角形と外接する多角形の周の長さを求め、少しづつ範囲を狭めていく。三平方の定理を知っていれば、中学生だって思いつくだろう。おかげで…

アルキメデス以来、πの桁数を上げる計算は、純粋に計算能力と忍耐力の問題になってしまったのだ。
  ――第2章 ベルト地帯

 今ならコンピュータで力任せの演算ができるが、当時はそんなモノはない。手計算ならまだマシで、下手すると暗算だ。これを解決する方法は二つ。腕自慢を集めるか、計算量を減らすか。この二つの方向性は、現代の計算機科学でも競い合い協力し合っているから感慨深い。その代表がGoogleで…ってのは置いて。

 腕自慢の一人が、ヨハン・マルチン・ツァハリアス・ターゼ。1844年に2カ月以内で200桁のπの値を計算した。ただし、ターゼが優れていたのは計算能力だけで…

…驚異的な計算能力をもつ人々の大多数は、ヨハン・ダーゼも含めて、<あほうな奴隷>のような存在であった。彼らは、計算の素早さではすぐれていたが、他のあらゆる点でまったくのろまであった。数学においても、駄目だった。
  ――第10章 数の狩人たち

 計算能力と数学能力は違うんですね。だもんで、計算は速くても、計算すべき式(というかアルゴリズム)がなきゃ手も足も出ない。その式を与えたのが、数学者 L. K. シュルツ・フォン・シュトラスニッキー。で、この時の式は、アルキメデスの式ではない。つまり計算量を減らす方向でも、進歩していたのだ。

 その方法の一つが、級数(→Wikipedia)だ。恥ずかしながら私、今まで級数の何が嬉しいのか全く見当がつかなかったんだが、この本で少しだけわかった。何より計算量で精度が制御できるのが嬉しい。実にコンピュータ向きの手法じゃないか。まあ、コンピュータが出てくるまで数学者が級数の有難みをどれほど分かっていたかは疑問だが、彼らにとっちゃ役に立つか否かはどうでもいいことなんだろう。なんたって…

19世紀に気体運動論があらわれるまで、確率論はギャンブル以外に使い道がなかったのである。
  ――第15章 モンテ・カルロ法

…ラプラスはもっと強力な計算法を発見していた。この方法は電子計算機が発達するまでは役に立たなかった。
  ――第15章 モンテ・カルロ法

 と、役に立とうが立つまいが、面白いと思ったら突き進んじゃう、そういう人たちなのだから。

 そのコンピュータは、最終章でやっと登場だ。1949年9月ENIACが2037桁まで70時間で計算したのに対し、1954年11月にはNORCが3089桁まで13分で計算している。5年ほどで300倍以上の高速化だ。とんでもねえ進歩である。ここでは、2進数から10進数に変換する時間までいちいち書いてあるのが、マニアックで楽しい。いや単純な計算だけど、面倒くさいのよ、ホント。

ちなみに今ざっと調べたところでは、2019年3月現在の記録は Google がクラウドで計算した31.4兆桁(→ITmedia)。31.4ってトコがシャレてるね。

 などと数学関係の話を主に紹介したが、歴史の話もやたらと楽しい。カエサルはもちろん、ナポレオンも辛らつにこき下ろし、終盤では現代の教養人ぶったラダイトを一言で薙ぎ払っている。そういう意味では、SF者の心を震わせる本でもあった。

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2019年10月 2日 (水)

藤井青銅「『日本の伝統』の正体」柏書房

「日本の伝統」はいつ、いかにして創られ、日本人はどのようにしてそれをありがたがり、受け入れてきたのか? そこにいくつかのパターンがあることがわかりました。
  ――まえがき 「これが日本の伝統」は、本当か?

伝統というものは、朝廷に淵源を求めたがるものなのだ
  ――正月は「伝統」を作りやすい

七世紀に、喪服は白だった。
  ――喪服の色に、白黒をつける

肉食が一般的になるのは、文明開化の明治以降だ。誰でも知っている。なのに、近江牛や但馬牛といった、いかにも古い名前のブランド和牛があるのはどういうわけだ?
  ――旧国名の伝統感

当時(明治20年代、19世紀末)、政治的意見を言えばすぐに弾圧される世の中だった。そこで、「これは演説ではなく歌ですよ」という形で民衆の不満を歌った…
  ――演歌は「日本人の心の歌」なのか?

【どんな本?】

 初詣、七五三、お花見。いずれも日本の伝統行事だとみんな思っている。伝統とはいえ、何にだって始まりはある。では、それらは、いつ、どのように始まったんだろう? 古典落語や相撲や演歌などの芸能はどうなんだろう?

 これらの中には、葵祭のように実際に古いものもあれば、恵方巻のように新しいものもある。だけでなく、比較的に新しいものには、幾つかのパターンがある事が見えてくる。

 伝統行事・伝統芸能・ご当地名物などの由来を調べ、私たちの身の回りにある行事やモノゴトの歴史を探り、意外な事実を明らかにする、一般向けの歴史雑学本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年12月10日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約215頁に加え、あとがき3頁に充実したフラフと表がつく。9ポイント40字×17行×215頁=約146,200字、400字詰め原稿用紙で約366枚。文庫本なら薄めの一冊分。

 文章はこなれていて親しみやすく読みやすい。内容も分かりやすい。奈良→平安→鎌倉→南北朝→室町→戦国→江戸…程度に日本の歴史を知っていれば、充分に楽しめる。

【構成は?】

 それぞれ3~6頁の独立したコラムになっている。気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

  • まえがき 「これが日本の伝統」は、本当か?
  • 第1章 季節にすり寄る「伝統」
    • 日本人はいつから初詣をしているのか?
    • 正月は「伝統」を作りやすい
    • 大安や仏滅は禁止?
    • お中元・お歳暮・七五三に共通するもの
    • 夏の鰻はいつからか?
    • 恵方巻のもやもや感
    • バレンタインデーが作ったもの
  • 第2章 家庭の中の「伝統」
    • 古式ゆかしい神前結婚式?
    • 夫婦同姓は伝統か?
    • 良妻賢母と専業主婦
    • サザエさんファミリー型幻想(三世代同居)
    • おふくろの味は「伝統の味」か?
    • 夏の郷愁・蚊取り線香
    • 正座は正しい座り方なのか?
    • 喪服の色に、白黒をつける
    • 告別式は葬式か?
  • 第3章 「江戸っぽい」と「京都マジック」
    • 「江戸しぐさ」はいつから?
    • 「古典落語」はいつから古典になったのか?
    • 忍者はいたのか?
    • 「都をどり」の京都マジック
    • 千枚漬けと「京都三大漬物」
    • 「万願寺とうがらし」の堂々とした伝統感
    • 旧国名の伝統感
  • 第4章 「国」が先か?「伝統」が先か?
    • 元号は、結構いいかげんだ
    • 皇紀はいつから?
    • 相撲は日本の国技か?
    • 桜はパッと散るから美しい?
    • 「錦の御旗」の曖昧な伝統感
    • 「鎖国」は祖法なり!
  • 第5章 「神社仏閣」と「祭り」と「郷土芸能」
    • 京都三大祭りの「時代祭」
    • 古くて新しい神社
    • 御朱印帳の伝統
    • 民謡「〇〇音頭」
    • 民謡「〇〇節」
    • 津軽三味線のパッション
    • 「よさこい」と「ソーラン」の関係
  • 第6章 外国が「伝統」を創る
    • 日本は東洋なのだろうか?
    • 武士道はあったのか?
    • 演歌は「日本人の心の歌」なのか?
    • 木彫りの熊とけん玉
    • マトリョーシカとアロハシャツ
  • あとがき 「これが日本の伝統」に乗っかかるのは、楽チンだ
  • 一目でわかる「伝統の長さ」棒グラフ
  • 年表「日本の伝統」
  • 主な参考文献

【感想は?】

 うわ、もったいない。

 あ、いや、中身はとっても面白いのだ。じゃ何がもったいないのかというと、売り方とか味付けとか、そういうところで。

 書名から伝わってくるように、「伝統」に疑問を呈する、そんな感じの売り方だ。勘違いした右派を揶揄する雰囲気が強く漂っていて、左派にウケそうな本に見える。

 実際、コラムなどでは、そういう姿勢も滲み出ている。が、この本が本当に面白いのは、ソコじゃない。

 何が面白いと言って、これ、文化史とか産業史とか技術史とか風俗史とか、そういう面でやたら面白いのだ。つまり「教科書とは違った切り口で見る歴史」として面白い。私の好きな本だと、「50 いまの経済をつくったモノ」とか「完璧な赤」とか「キッチンの歴史」とか、あと忘れちゃいけない「戦争の世界史」とか、そういうのが好きな人にウケる本だ。

 …などと並べてみたけど、いずれの本もマニアにしか売れそうにないなあ←出版社の皆さんごめんなさい いや私は好きなんだけどね。ただ、政治的な姿勢を、しかもあざ笑う態度で露わにして、右派にソッポを向かれるのは、本当にもったいない。むしろ、右派にこそ届けるべき本だろうし。

 まあ、それぞれのコラムは短いので、例に挙げた本に比べると、やや食い足りない感はある。が、だからこそ、とっつきやすいし、次々と目新しい話題が出てくるので、読んでいて飽きない。おまけに、それぞれのコラムは独立しているので、忙しい人は少ない空き時間で興味がある所だけ拾い読みもできる。そうやって人を惹きつけて、やがては民俗史の泥沼に←をい

 とっつきやすいとはいえ、けっこうキチンと調べてあるし、目の付け所も「鋭い」と感心する所も多い。例えば「お中元」。ここで「中元というくらいだから上元と下元もありそうだ」とくる。言われてみれば、確かにそうだ。私たちは、こういう言葉を「そういうものだ」と深く考えずに使っているけど、ソコには何かしら意味なり由来なりがあるのだ。

 バレンタインデーのチョコレートが菓子業界の仕掛けなのは皆さんご存知の通り。改めて考えればチョコレート、というかカカオの原産は中央アメリカで(→Wikipedia)、巷で言われる3世紀の聖ウァレンティヌス(→Wikipedia)とは結びつきようがないw にしても「サンジョルディの日」は当たらなかったのか。残念。

 やはり「言われてみれば」なのが蚊取り線香。原料の除虫菊(→Wikipedia)の原産がバルカン半島ってのも驚きだが、それを線香にして、しかも火の持ちがいい渦巻き型に改良したのが1895年(明治28年、→Wikipedia)あたりは、見事な工夫だ。

 この辺まで読むと、明治時代の日本の起業家精神の旺盛さにほとほと感心する。間違いなく、あの頃は日本にもフロンティア・スピリットが溢れていたんだなあ、と思う。もっとも、失敗した事業は残っていない、つまり生存者バイアスが入っているわけで、詳しく見ていけば死屍累々なんだろうけど。

 とかの本論に加え、ついでに書かれたトリビアも楽しい。例えば、演歌の話だと…

戦後はジャズがブームになっている。もっとも外国の音楽はみんな「ジャズ」で、その中にはラテン、ハワイアン、タンゴ、シャンソン、カントリー、ヨーデル……など、なんでも含む。
  ――演歌は「日本人の心の歌」なのか?

 なんて、衝撃的な文章がある。つまり、戦前や戦後の人が言う「ジャズ」は、「Jazz」じゃないのだ。もっと広い意味で、西洋、特にアメリカから入ってきたポップ・ミュージックは、みんな「ジャズ」らしい。がび~ん。こういった西洋かぶれの流行歌に対抗して出来たのが演歌という概念で、それを最初に押し出したのが藤圭子、あの宇多田ヒカルのお母さんだとか。親子そろって音楽の新しい境地を切り開いてるんだから凄い。

 加えて、青江三奈・八代亜紀・前川清・美空ひばり、いずれもデビュー前は「ジャズやオールディーズを歌い」って、マジかい。

 すんません、つい自分の趣味に走ってしまった。音楽じゃ津軽三味線の歴史も楽しくて、やっぱアレは野外で演じ聴くものだったり。それと落語の江戸と上方の違いも、実はルーツがブツブツ…

 などと、私たちが暮らしの中で馴染んだモノゴトの起源を探り、教科書には出てこない日本史の意外な一面を集め、「こういう歴史の捉え方もあるんだよ」と教えてくれる本だ。そういう意味では、歴史が好きな人より、「歴史の何が面白いの?」なんて言っちゃう人にこそ向く本かもしれない。

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2019年9月24日 (火)

マーティン・プフナー「物語創世 聖書から<ハリー・ポッター>まで、文学の偉大なる力」早川書房 塩原道緒・田沢恭子訳

テキスト、とりわけ基盤テキストというのは、世界に対する人の見方を変え、さらに世界に働きかける方法も変える。
  ――第1章 アレクサンドロスの寝床の友

人類の進化の歴史は文字の発明によって、私たちにとってたどり着くのが不可能な時代と、他者の心にたどり着ける時代とに分けられる。
  ――第2章 宇宙の王 ギルガメッシュとアッシュールバニバル

基盤テキストとは、神聖だと宣言され、それ自体が崇拝の対象となるものなのだ。
  ――第3章 エズラと聖書の誕生

コルテスはユカタン半島への最初の侵略時に、別のものも見つけて懐にした。二冊のマヤの本である。
  ――第8章 『ポポル・ヴフ』とマヤ文化 第二の独立した文学伝統

文学の歴史は焚書の歴史でもある。本が燃やされるのは、書かれた物語に威力があることの証なのだ。
  ――第8章 『ポポル・ヴフ』とマヤ文化 第二の独立した文学伝統

物語を語る力に打ち勝つには、もっと物語を語るしかない。
  ――第9章 ドン・キホーテと海賊

この宣言書(『フランス植民地支配の過程』)に先立って彼(ホー・チ・ミン)が書いたベトナムの独立宣言書は、アメリカ独立宣言書を手本にしていた
  ――第12章 マルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東 共産党宣言の読者よ、団結せよ!

「これは著者の同意なく出版されたものです」
  ――第13章 アフマートヴァとソルジェエニーツィン ソビエト国家に抗った作家

語り部は記憶しているエピソードの蓄えから、その場、その時の観客にあわせて最も適したエピソードを選ぶので、毎回、語られる内容は違ってくる。
  ――第14章 『スンジャタ叙事詩』と西アフリカの言葉の職人

存続を保証する唯一の方法は、それを使いつづけることなのだ。
  ――第16章 ホグワーツからインドへ

【どんな本?】

 『イリアス』,『聖書』,『源氏物語』,『ドン・キホーテ』,『共産党宣言』,そして『ハリー・ポッター・シリーズ』。昔から優れた物語や書物は私たちを魅了してきただけでなく、私たちの考え方を変え、世界をも動かしてきた。

 と同時に、口伝えで始まった物語の伝達・伝承は、文字・製紙・印刷などの発明や技術開発によって様相を変え、それによって物語もまた新しい姿と力を得るに至った。

 著者は文献にあたるだけでなく、物語ゆかりの地を訪れ、それぞれの物語が生まれ育った環境と歴史を辿り、物語が社会に与えた衝撃と影響、そして現代における意味を探ってゆく。

 本と物語の半生を綴る、本好きのためのちょっと変わった歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Written World : The Power of Stories to Shape People, History, Civilization, by Martin Puchner, 2017。日本語版は2019年6月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約398頁に加え、田沢恭子による訳者あとがき6頁。9.5ポイント48字×19行×398頁=約362,976字、400字詰め原稿用紙で約908枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。有名な古典作品が次々と出てくるのだが、読んでなくても大丈夫。実は私もほとんど読んでいない。読んだのは『ポポル・ヴフ』と『千夜一夜物語』だけだ。偏ってるな、わははw それぞれの本の大事なところは本書内で説明しているので、だいたいの見当がつく。

【構成は?】

 各章は穏やかに繋がっているが、ほぼ独立しているので、気になった所から読み始めてもいい。

  • はじめに 地球の出
  • 文学の世界の地図
  • 第1章 アレクサンドロスの寝床の友
    紀元前336年、マケドニア/若きアキレウス/ホメロスの響き 紀元前800年、ギリシャ/アジアのギリシャ化/アレクサンドロスのホメロス/アレクサンドロスの文学的記念碑
  • 第2章 宇宙の王 ギルガメッシュとアッシュールバニバル
    西暦1844年ごろ、メソポタミア/基盤テキストと文字の発明/アッシュールバニバルの書記教育 紀元前670年ごろ、メソポタミア/剣と葦/未来のための図書館
  • 第3章 エズラと聖書の誕生
    紀元前6世紀、バビロン/紀元前458年、エルサレム/巻物の民/エルサレム 聖書の町
  • 第4章 ブッダ、孔子、ソクラテス、イエスの教え
    ブッダ 紀元前5世紀、インド北東部/孔子 紀元前5世紀、中国北部/ソクラテス 紀元前399年、アテナイ/イエス 紀元1世紀、ガラリヤ湖(イスラエル)/翻訳と様式をめぐる闘い/中国の二つの発明 紙と印刷/火と石
  • 第5章 紫式部と『源氏物語』 世界史上最初の偉大な小説
    西暦1000年、京都/紙と屏風の世界/漢字、筆談、日本文学/宮廷暮らしの指南書/作者の回顧
  • 第6章 千夜一夜をシェヘラザードとともに
    第一千年紀、バグダッド/なぜシェヘラザードはこれほどたくさんの物語を知ってるのか/物語の枠組み/アラブの紙の道/オルハン・パクムのイスタンブール
  • 第7章 グーテンベルク、ルター、新たな印刷の民
    1440年ごろ、マインツ/発明はこうする/神の言葉を機械が記す/マルティン・ルター 聖書学者の怒り 1517年、ヴィッテンベルク
  • 第8章 『ポポル・ヴフ』とマヤ文化 第二の独立した文学伝統
    罠と本 1532年、ペルー/書物戦争 1519年、ユカタン半島/1562年の大アウトダフェ/『ポポル・ヴフ』 協議の書/マルコス副司令官 2004年、チアパス
  • 第9章 ドン・キホーテと海賊
    1575年、地中海/中世騎士物語の何がまずいのか/文芸海賊とどう戦うか
  • 第10章 ベンジャミン・フランクリン 学問共和国のメディア起業家
    1776年、北米植民地/新聞という新市場/学問共和国/学問共和国への課税/コンテンツプロバイダー
  • 第11章 世界文学 シチリア島のゲーテ
    1827年、ワイマール/文学の世界市場/起源を探して 1787年、シチリア島
  • 第12章 マルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東 共産党宣言の読者よ、団結せよ!
    1844年、パリ~1848年、ロンドン/新しいジャンルの誕生 宣言書/読者たち レーニン、毛沢東、ホー・チ・ミン、カストロ
  • 第13章 アフマートヴァとソルジェエニーツィン ソビエト国家に抗った作家
    1935年ごろ、レニングラード/アフマートヴァ、バーリンと会う/証言の文学 アフマートヴァ、ソルジェニーツィンに会う/ノーベル文学賞
  • 第14章 『スンジャタ叙事詩』と西アフリカの言葉の職人
    吟唱される叙事詩/識字の第一の波 中世後期、マンデ人の領土/イブン・バットゥータのマリ訪問 1352年、タンジール/識字の第二の波/新しい文学大系
  • 第15章 ポストコロニアル文学 カリブ海の詩人デレク・ウォルコット
    2011年、セントルシア/カリブ海のホメロス/グロス・アイレット/神経をやられた大西洋沿岸にて
  • 第16章 ホグワーツからインドへ
    書字技術の新たな革命/ある文学祭 2014年、ラージャスターン州ジャイプル/新しいものと古いもの
  • 謝辞/訳者あとがき/図版クレジット/原注/索引

【感想は?】

 本にはたくさんの魅力がある。その一つは、時を超えることだ。

 と書くと、昔の人の言葉が現代に届くから、または現代の言葉が未来に届くから、と思うだろう。実際、本書は紙数の多くを、そういう点に割いている。特にハッキリ出ているのが「第5章 紫式部と『源氏物語』」だろう。

 ここでは、紫式部がこと細かく描いた都の暮らしの風景が、優れた歴史資料となっている、と説く。と同時に、発表当時はマナー読本や流行通信、または恋愛指南として読まれただろう、と推測している。この章が引用してる更級日記で、源氏物語に没頭する愉悦を語るくだりでは、世界中の本好きや映画ファンが激しくうなずくだろう。この菅原孝標女ちゃんの可愛さったら。そう、

いつの時代も、文学のもたらす最大の魔法とは、亡くなって久しい人も含めて他者の心に触れる手立てを読者に与えてくれることである。
  ――第5章 紫式部と『源氏物語』 世界史上最初の偉大な小説

 が、それだけじゃない。現代に書かれた物語が、過去を照らすこともある。それを気づかせてくれたのが、「第15章 ポストコロニアル文学」。ここでは、カリブ海の小国セントルシア出身のノーベル文学賞作家デレク・ウォルコットを訪ね、物語が国家に与える力を探ろうとする。この章は、こう始まる。

新しい国は、その国民に自分たちが何者であるかを伝えられる物語を必要とする。
  ――第15章 ポストコロニアル文学 カリブ海の詩人デレク・ウォルコット

 それ以前の「第10章 ベンジャミン・フランクリン」では合衆国の独立宣言を、「第12章 マルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東」ではソビエト連邦や中華人民共和国の源流となった共産党宣言を扱った。そして文書や書物が国家を築くこともあるのだ、と説いてきた。

 実際には、国家を築くというより、国民を作るとした方が妥当かな、と今は思う。なぜかというと、この章の冒頭の文章で私が思い浮かべたのが、『古事記』と『日本書紀』だからだ。

 いずれも歴史書であり、また創世神話を含む。神話としては、国家が主導して編纂した点で、独自性が光っている。なぜ国家が主導して創世神話を編んだのか。上の引用で、その目的が分かった。中央集権国家として、国民に一体感を持たせるために、国民みんなが共に持つ一つの神話が必要だった。それが記紀なのだ。

 と、そんなわけで、現代に書かれたポストコロニアル文学が、過去の大和朝廷の目論見を照らしてくれることもあるのだ。いや単に私が早合点してるだけって可能性もあるけど…

ヘブライ語聖書が生きながらえたのは、特定の土地や王や帝国に依存していなかったからである。これらの要素が不要で、聖書をどこへでも持ち運ぶ信者を生み出すことができたおかげなのだ。
  ――第3章 エズラと聖書の誕生

 と、書物(旧約聖書)があったからこそ、民族としてのユダヤ人が存在し得たって例もあることだし。

 もちろん、遠い過去から現代へと続く物語の基本形もある。教師と生徒の物語だ。本書ではプラトンが用いた対話篇を例に、これが多くの人を惹きつける理由をこう語る。

王や皇帝の物語とは対照的に、師と弟子を中心としたテキストは、たいていの人にとって身につまされる経験を利用している。私たちはみな一度は生徒だったし、そのときの思い出を生涯にわたって持ちつづけている。
  ――第4章 ブッダ、孔子、ソクラテス、イエスの教

 そうか、だから「なんでここに先生が!?」は面白いのか←違うだろ それはともかく、これで学園物がウケる理由もわかる。人は大人になると、営業や技術者や役人や商店主などに分かれ、「共通する体験」がなくなってしまう。でも学園生活は、みんな体験している。誰だって、自分に関係がある物語が好きだ。つまり学園物は、みんなが体験しているから、市場が大きいのだ。

 技術史として面白いのが、「第7章 グーテンベルク、ルター、新たな印刷の民」。

 印刷の始祖として名高いグーテンベルクだが、ここに描かれる彼の実像は、技術者というよりしたたかで冒険心に富む起業家が近い。また彼が最初に印刷したのは聖書だとばかり思っていたが、実際はラテン語の文法書だったというのも知らなかった。また彼は印刷の応用にも長けていた。免罪符の印刷は今のフォーム印刷だし、反トルコを煽る冊子はチラシやパンフレットの元祖だろう。そして聖書は…

グーテンベルクの聖書は、単に手書きのように見えるというレベルではなかった。もっと見栄えがよく、どれほど修業を積んだ修道士も夢見ることすらしないほどの正確さと対称性を実現していた。
  ――第7章 グーテンベルク、ルター、新たな印刷の民

 そう、美しかったのだ。人の手による写本よりも。かく言う私も、機械が字を書いてくれるのにはとっても助かっている。だって私の字はアレだし。ってのは置いて。ここでは、多色刷りに挑戦しつつも見切りをつける、経営者としての思い切りの良さも印象深い。

 それはそれとして、印刷した免罪符で荒稼ぎした教会も、多くの聖書が出回ったことで、大きなツケを支払う羽目になる。そう、ローマ・カトリックのパンクス、「音楽の進化史」でも大暴れしたマルティン・ルターだ。彼は聖書をドイツ語に訳し冊子やチラシを刷っては配り、世論を巧みに煽ってゆく。

ルターの生きた時期にドイツで発表された刊行物の1/3以上が、マルティン・ルターによるものだった。彼は印刷という新たな世界に誕生した最初のスーパースターであり、印刷を通じた論争という新しいジャンルの支配者となった。
  ――第7章 グーテンベルク、ルター、新たな印刷の民

 そういえばヒトラーもラジオを巧みに使っていた。ドイツ人はお堅いって印象があるけど、実は新しいメディアの使い方には長けてるんじゃね?

 そんな技術の進歩に逆行したのが、ソビエト時代の作家たち。アンナ・アフマートヴァの苦闘を描く「第13章 アフマートヴァとソルジェエニーツィン」では、まるきしレイ・ブラッドベリの「華氏451度」な場面まで出てくる。ブラッドベリも、まさか自分が現実を描いてるとは思わなかったろうなあ。

 ここに出てくるサミズダートとトルストイのジョークは、ちょっとカクヨムあたりで実際にやってみたかったり。え? 三方行成? 何それ美味しいの?

 とかの歴史やエピソードが楽しいだけじゃなく、読みたくなる本が増えるのも、本好きには嬉しいところ。やっぱ『源氏物語』ぐらいは日本人として読んどかないとなあ、などと思いつつ、いちばん心を惹かれたのは『スンジャタ叙事詩』なんだが、残念ながら今の所は日本語訳が出ていない。うぐう。

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2019年9月10日 (火)

バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 2

シャルル五世「彼ら(イングランド軍)をほっておけ。彼らは自滅するだろう。」
  ――第17章 クシーの出世

「われわれは同じ両親、アダムとイヴの子孫ではないのか?」
  ――第18章 獅子に立ち向かう地の虫

前もって地形を偵察することは、中世の戦争行為の一部ではなかった。
  ――第19章 イタリアの魅惑

金がなければ戦いもないというのが、騎士の時代の標準であった。
  ――第19章 イタリアの魅惑

聖職者フィリップ・ド・メジアー「世界の偉大なる貴婦人の一人――虚栄――に対する騎士道的愛によって動機づけられた贅沢と訓練不足によって崩壊した、前回の軍事作戦と同様になるであろう」
  ――第26章 ニコポリス

ハンガリー国王シギスムント「我らはこうしたフランス人の誇りと虚栄によって敗北した」
  ――第26章 ニコポリス

裁判の前に、彼女(ジャンヌ・ダルク)のおかげで王冠を手にしたのにシャルル七世も、またフランス側の誰も、彼女を身代金を払って取り戻したり、救う努力をしなかった。恐らくその理由は、一人の村娘によって勝利に導かれたことに対する貴族の恥辱によるものであったろう。
  ――エピローグ

 バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 1 から続く。

【どんな本?】

 凶作が続き、黒死病が猛威を振るった、14世紀のフランス。庶民の苦しみをよそに、騎士たちは贅沢に明け暮れ、貴族らは勢力争いに執心し、ついには教皇庁まで分裂してしまう。戦争に慣れた男たちは傭兵団コンパニーとして各地を荒らしまわり、または金で雇われ戦場で略奪を堪能する。そんな折、東から不吉な足音が迫っていた。

 当時のフランスの有力貴族、クシー領主アンガラン七世(→Wikipedia)を中心に、14世紀フランスの全てを描き出そうとする、巨大な歴史書。

【全般】

 第一部では、14世紀フランスをじっくりと描き、当時の人々の暮らしや勢力争いなどの背景を書き込んでいった。この第二部では、やっと主役のクシー領主アンガラン七世が表に出てくる。そのためもあってか、登場人物も王や貴族が中心となり、複雑な人間ドラマが展開してゆく。

【クシー】

 主役クシーの立場は、日本の江戸時代だと加賀前田蕃が近いだろうか。格も勢力も尾張・紀州・水戸の御三家に次ぐ実力者だ。跡目争いもあり、時として江戸に対抗しがちな御三家に対し、ほぼ王=将軍に忠実で、信頼も厚い。

 加えて、平和だった江戸時代と違い、当時のフランスは内外共に戦争が多い。フランスばかりかイタリアやチュニス、そしてハンガリーにまで出征している。その戦場の多くでクシーは戦い、優れた戦績をあげた。

 この本は、クシーを主人公としながらも、あまり人物像には踏み込まない。あくまでも歴史書であって、小説ではない、そういう立場だ。契約書や請求書などの事務的な文献から、彼の姿を浮き彫りにしようとしている。対して、彼の周囲の人物、例えば国王シャルル五世・六世は、本書の描写でぼんやりとだが姿形が思い浮かぶだけに、そんな著者の姿勢は何か意図がありそうだ。それが何なのかはわからないけど。

 波乱万丈の権力抗争が展開する中で、クシーは修羅場を巧みにかいくぐり、領地と財産を着実に増やしていったようだ。特に外交の手腕は見事で、縁戚を利用したイングランドや毒蛇が絡み合うイタリアなど、あちこちでフランスの命運を左右する重要な外交問題に関わっている。

 戦場に出ることも多く、何度も外征に従事し、生還を果たしていることから、軍人としても秀でていたのがわかる。ただし、戦略よりは自らの政治的な立場を重んじるタイプで、これがニコポリスの戦い(→Wikipedia)では命取りとなった。

 全般として、賢明で穏健な保守派、といったところか。理性的で賢いが、あくまでも当時の常識の範疇であり、時代の枠を壊すまでには至らない、そういう人だろう。

【庶民】

 騎士やコンパニーに痛めつけられ続けた庶民たちは、第二部でも何度も反乱を起こす。たいていは鎮圧されるのだが、唯一の勝利がスイスのゼンパッハの戦い(→コトバンク)。

 この戦いには、大きな意味がある。既にクレシーの戦い(→Wikipedia)やポアティエの戦い(→Wikipedia)で前兆があったように、騎士の時代が終わりつつあったのだ。

 地元ならではの地の利があったこと、起伏の多い地形で騎士お得意の騎馬突撃が活かせなかったこと、指揮が統一されていたことなど、いくつかの条件が重なったんだろうが、騎士が無敵という伝説は崩れてきた。

 それを予感してか、フランスも14世紀末に庶民を戦力に加えようと、庶民による弓部隊の結成を考えるが…

弓と大弓の練習が非常に普及した期間の後、貴族たちは、庶民が貴族の領地に反対するのに効果的すぎる武器をもつことになることを恐れ、(ダイスやトランプなどの)ゲーム禁止を廃止することを主張した。
  ――第25章 失われた機会

 反乱を恐れて軍事力の強化をワザと怠る。現代でもアラブなどの専制国家でよく見られる現象ですね。

【ニコポリス】

 こういった貴族や騎士の傲慢は、「第26章 ニコポリス」で頂点に達し、一気に転げ落ちてゆく。

 タイトル通り、描かれるのはニコポリスの戦い(→Wikipedia)。台頭しつつあるオスマン帝国が、ドナウ川を遡って西へと向かって進撃を始める。これを迎え撃つために、ハンガリー国王シギスムントが十字軍を要請、フランスの騎士を中心としたキリスト教軍が現ブルガリアのニコポルを攻めた戦いだ。

 この章は第二部の要約みたいな感がある。つまり、騎士の愚かさを、これでもかと執拗に描き出しているのだ。

 出発前から大行列と大宴会で無駄に金と時間と物資を浪費する。浪費は道中も同じで、食料が尽きれば途中の村や町を襲って強奪・虐殺三昧。どう見てもただのならず者集団だ。

 ここで、困ったことに緒戦でクシーが鮮やかな勝利を挙げてしまう。敵の前衛を騎兵で突つき、ワザと退却して追っ手をおびき出し、伏兵が待っている所に誘導して、袋叩きにする。チンギス・ハンのモンゴル軍が得意とし、薩摩は釣り野伏せ(→Wikipedia)と言い、イスラエル軍の戦車部隊は機動防御と呼ぶ手口だ。古今東西を問わず、こういう戦術ってのは、おおきく変わらないのもらしい。

 まあいい。なまじ緒戦で大戦果なだけに、騎士たちの気勢はあがる。そうでなくともつけあがりやすい連中な上に、クシーに功名を独占されちゃたまらん、などと考え始め…

 軍における統制がいかに大切か、ひしひしと感じさせてくれる一章だ。もっとも、当時の軍は現代の軍と全く違って、そもそも組織としての統一した指揮の下にないんだけど。もっとも、これは軍に限らず、政府からして強力な貴族の緩い連合にすぎない事が、本書の全編を通して伝わってくる。

【最後に】

 何せ文庫本にしたら五冊になろうかという巨大な著作だ。「テーマはこれ」と一言でいうのは難しい。ただ、当時の「国」が、現代の「国家」とは全く違う姿であるのは、充分に伝わってくる。また、華やかな面ばかりが描かれる「騎士」も、実態はヤクザと変わりない、どころか警察が発達していない分、ヤクザ以上にタチの悪い連中だとわかる。

 じっくりと描かれた、14世紀フランスを中心とした中世の西欧世界。物理的にも相当な重さなので通勤列車で読むのはつらいが、否応なしに「こことは違う世界」へと連れていかれる、本格的な歴史書だ。

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