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2018年1月23日 (火)

ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳 1

この本は、次の二つの目的を追求します。
第一の目的は、製材品などの木材半製品への木材加工技術と、さらにそれらを家具什器や木工品、船など木材完成品に加工する技術の発展を明らかにすることです。
第二の目的は、(略)木材を例にとって、技術の発展が原材料に制約されていることや、社会史や経済誌が環境や資源に制約されていることを明らかにすることです。
  ――はじめに

森の歴史におけるよき時代とは、人間の歴史では基本的に悪しき時代となります。
  ――第一章 歴史への木こり道/歴史的変遷における木材の自然としての本性

【どんな本?】

 建物に、家具に、そして紙パルプにと、木材はさまざまな用途に活躍している。歴史を辿れば、船に、樽に、橋にと、木材の利用範囲はもっと多い。加えて、燃料として欠かせないものだった。製塩に、製鉄に、そして何より煮炊きや暖房用の薪に、木材は使われた。

 だが、一言で木材と言っても、種類は様々だ。

 現代の建材用なら、真っすぐで背の高い木が欲しい。薪などの燃料用は、背の低い木がいい。また、かつての森は、豚などの放牧地でもあった。この場合は、実の多いナラなどが好まれる。

 供給地の森も、時代と立場によって意味や価値は違う。

 領主は鹿など森に棲む獣の狩を楽しんだ。だから、領主にとっての森は狩猟獣の住処である。しかし、農民にとって鹿は作物を荒らす害獣だ。しかし森は役に立つ。それは薪の供給源であり、また豚を飼う放牧地でもあった。

 他にも炭焼き職人や伐採夫、製鉄・製塩業と、森に関わる者の立場は多様だ。当然、立場により、好ましい森のあり方は異なってくる。

 文献では、権力を持つ領主や役人の視点に偏りがちになる。本書では、農民や伐採夫など、暮らしの中で森と関わる者たちの視点も取り上げ、森そして木材が持つ複雑な性格を細かく描いてゆく。

 主にドイツそして西欧を中心として、人間と木材および森の関係を辿り、「石と鉄」と思われがちなヨーロッパ文明が木材と深く関わっていたことを明らかにし、森の持つ複雑で豊かな性質を示す、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Holz : Wie ein Naturstoff Geschichte schreibt, von Joachim Radkau, 2012。日本語版は2013年12月10日初版発行。単行本ハードカバー縦2段組で約333頁に加え、訳者あとがき6頁。8.5ポイント26字×23行×2段×333頁=約398,268字、400字詰め原稿用紙で約996枚。文庫本なら上下巻ぐらいの大容量。

 文章はやや硬いが、内容はあまり難しくない。当然ながら、木に詳しいほど親しみやすい。が、広葉樹と針葉樹の違いぐらいしか分からない私でもなんとか読めたので、あまり構えなくてもいいだろう。

【構成は?】

 だいたい時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに/この本の成立について
  • 第一章 歴史への木こり道
    • 「木の時代」
      • 一.原材料は歴史をつくるか
      • 二.木だ、木だ、どこもかしこも木だらけだ
      • 三.先史時代 最初に火があった
      • 四.古代 想像上の森の危機
      • 五.森への依存 時限爆弾か、それとも、非常ブレーキか?
    • 人間と森 歴史を物語る数々の歴史
      • 一.饒舌な歴史と、沈黙の歴史
      • 二.森の生業の歴史と木材業の歴史の転換期
      • 三.森とは何か または、森は木だけで成り立っているのか
    • 歴史的変遷における木材の自然としての本性
      • 一.よき時代と悪しき時代 自然は歴史に逆らうのか
      • 二.木材の種類の特性と、変転する利用価値
      • 三.木材の種類の分類
      • 四.森の経営の形態
      • 五.「木材の瑕疵」とは何か 自然原材料である木材につきまとう技術的諸問題
  • 第二章 中世、そして、近世の曙 蕩尽と規制の間にあった木材資源
    • 森の限界に突き当たる中世社会
      • 一.開墾から森の利用の規制と管理へ
      • 二.マルク共同体の住民と木の裁判
      • 三.森の所有を巡る闘い
      • 四.農民が「吸血ヒル」だとしたら、領主は森の「救い手」だとでもいうのか
    • 建築用木材と様々な用途の木材 木材が交易商品となる
      • 一.造船のためのナラの木 木材の枯渇の始まりと木材の交易
      • 二.木造軸組構法の家屋 木組みの技法から建築術へ
      • 三.手作りの木工製品、その全体像と分化独立
    • 薪の大規模消費者の勃興と第一波のフォルスト条例
      • 一.「火を使う生業」と木材
      • 二.鉱山・工業における繁栄の陶酔と「木材のブレーキ」
      • 三.木材飢饉 それはだれのためのものだったのか
      • 四.フォルスト条例と鉱山の利害
      • 五.ニュルンベルクの針葉樹の種まきによる森づくりと、ジーガーラント地方のタンニン樹皮採取業
      • 六.筏流しと管流し 木材業の原動力としての水運
      • 七.薄明りの中の森の生業 木灰生産者、木ピッチや木タール生産者、森のガラス職人、炭焼き職人
      • 八.発明の目的としての木材の節約
  • 第三章 産業革命前夜 「木の時代」の絶頂と終焉
    • 改革、革命、そして、木材業
      • 一.通商革命、木材景気、そして、オランダ向け木材の筏流し
      • 二.資本主義と保護主義
      • 三.国家の改革と林業林政改革
      • 四.「農業革命」、森と農地の境界
    • 「木材飢饉という亡霊」 木材業は破局を目の前にしていたのか
      • 一.18世紀に鳴らされた非常警報と歴史家たち
      • 二.不足する木材 構造的制度的危機だったのか、それとも環境の危機だったのか
      • 三.運送システムの隘路
      • 四.18世紀における地方分散的な工業化
      • 五.木材不足への関心 嘆き声と、その逆の声
      • 六.林業林政改革と環境の危機
    • 森 生活の空間から資本へ
      • 一.人工的産物としての森と算術問題としての森
      • 二.仕組まれた木材不足
      • 三.森における「自由」 私有財産と「木についての軽犯罪」
      • 四.森林官と伐採夫 森の仕事が職業になる
      • 五.林業労働者
      • 六.鋸に敵対した伐採夫たちの蜂起
      • 七.製材工場の勃興
    • 木材の消費者 家計を営む者の木材の節約、拡がる木材の節約
      • 一.魔力を失う火 木材の経済、時間の経済
      • 二.窮乏は発明をなすか 「木材という糧食」と技術の変遷
      • 三.製塩所
      • 四.製鉄業
      • 五.建築部門、工業化と木材
      • 六.木造船の造船
      • 七.木炭 木材節約手段から工業の膨張の駆動力に
    • しだいに押しのけられる木材
      • 一.道具と機械 「木の時代」の終焉
      • 二.鉄道 新しいタイプの技術
  • 第四章 高度工業化時代 材料への変質と木材のルネッサンス
    • 森 工業化の時代の経済の原動力
      • 一.「森を殺戮するような経営」か、それとも持続的な森づくりか
      • 二.新しい「木の時代」を巡ってせめぎ合う未来像
      • 三.利回りの問題を前にした林業
      • 四.森の経営の強化 「工業用木材」への移行
      • 五.機械化による合理化 林業労働における技術の変化
    • 木材工業における技術革命
      • 一.工業原料へと変身する木材
      • 二.製紙用原料
      • 三.新しい木質系工業材料(合板、パーティクルボード、繊維板)
      • 四.家具作りの遅れてやってきた工業化
      • 五.木材半製品の製造における合理化と機械化の推力
      • 六.木造軸組構法家屋建築と集成剤家屋建築 大工の技法から高度な技術計算がなされた木造建築物へ
    • 断絶を招く原材料、つなぎ合わせる手段 環境保護の時代の森と木材
      • 一.「環境革命」の始まり
      • 二.森への環境保護的な眼差しと情緒的な眼差し
      • 三.「森林死」という恐怖のシナリオ
      • 四.森の経営における転換
      • 五.カリスマ的段階にある環境保護の時代と官僚主義化の段階に入った環境保護の時代
      • 六.「自然のままであること」という実験 自然保護のコンセプトを巡る論争
      • 七.気候変動とエネルギー危機 大きな緑の連合の成立か
  • 第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
    • グローバルな視野とコントラスト アジア諸国の事例
      • 一.真の意味での木の文化 日本
      • 二.中国 迫り来る砂漠に対する一つの「緑の長城」
      • 三.インドにおける森の保護 植民地時代の遺産から村落共同体の抗議へ
      • 四.途上国の規範であるネパール
    • 相克と(自称の)解決策
      • 一.熱帯における森の破壊
      • 二.プランテーション的経営と「傍若無人に生い茂る森」 ユーカリの事例
      • 三.薪 昔も今も世界の主要なエネルギー資源
    • 翻って将来を展望する 森と木材の歴史における他と際立って違う六つの特性
  • 付録
    • 森林認証の秘密についての追伸 持続的な林業を環境保護運動もどきと区別する難しさ
    • 木や木材と森についての名言集
  • 訳者あとがき/著者・訳者略歴

【感想は?】

 ちょっと並木道を散歩するつもりで出かけたら、密林に迷い込んでしまった、そんな気分。

 書名は「木材と文明」だが、「森と文明」としてもいい。もちろん、木材が持つ個性豊かで複雑な性質も載っている。が、それと同時に、森と人間の関わりについての話も多い。

 それは森が木材の供給地だからだ。が、一言で木材と言っても、性質は様々だ。例えば針葉樹と広葉樹の違いもあるし、硬材と軟材とする分け方もある。成長の早い遅いもあれば、真っすぐか曲がっているかもある。他にも実の有無や丈の高低、気候との相性など、切り口は幾らでもある。

 それぞれの切り口での性質は、森と関わる立場によって、長所にも短所にもなる。例えば建材用の木材の供給源として見れば、真っすぐで成長が早く、丈の高い針葉樹がいい。だが薪を拾う農民の立場では、背が低い方が都合がいい。燃料としてみると、樹脂が多い針葉樹は嬉しくない。

 などと、様々な切り口や立場を考えようとすると、その基盤となる学問も幅広い素養が求められる。

 例えば科学では、樹木の性質を調べる生物学・植物学、森に住む生物や実を調べる生態学、建材としての強度を調べる工学、木が含む物質や加工方法を調べる化学、土壌を調べる農学。

 また、時代ごと・地域ごとに社会は変わり、木材・森との関わり方も違う。そこで歴史学も重要な素養となる。その時期ごとの人口、利用できたテクノロジー、人々の暮らし方。加えて、当時・当地の経済的な事情も大事だ。地域ごとの木材の需要と供給、貿易状況、そして流通網。

 と、実はやたらと複雑で広い範囲にまたがる、とんでもない世界への扉を開く、恐ろしい本である。「たかが木」などとナメて読み始めたので、驚くことばかり。とはいえ、言葉ってのは便利なもんで、こんな世界もたった一言、林学(→Wikipedia)で表せちゃうんだけど。

 まず、最初に驚いたのが、木材の使われ方。この寒い時期なんだし、落ち着いて考えれば当たり前なんだが、歴史的に木材が最も多く使われたのは…

推定では、木材の九割は19世紀に至るまで燃料として消費されていました。
  ――第一章 歴史への木こり道/二.木だ、木だ、どこもかしこも木だらけだ

 そう、燃料なのだ。お爺さんは森に柴刈りに行く。あれは生きるため絶対に必要な仕事なのだ。暖をとるってのはもちろんある。が、同時に、煮炊きにも火が要る。そして火をおこす柴がなけでば、飯も炊けない。幸いにして今の日本はガスレンジがあるが…

経済的に開発途上にある南の国々では、推定ですが、平均すると毎年住民一人あたり1.5トンの木材が燃やされています。
  ――第五章 国境を越えて見る 西欧文化以外における木材と森の生業
     /相克と(自称の)解決策

 と、21世紀の現在だって、国や地域によっては柴や薪が生活必需品なのだった。そんな人々にとって、森は何よりもまず、柴や薪、または木炭の供給源となる。となると、理想の森は…

 すんません、続きは次の記事で。

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2018年1月 2日 (火)

笈川博一「物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで」中公新書

十字軍時代こそ、現在まで続くイスラム文明とキリスト教文明の対立の出発点と言えるのかもしれない。
  ――8 1099年から1187年まで 第二次イスラム時代

ベンイェフダはヘブライ語の辞書を作った。普通、辞書は使われている言葉を集めて編纂するものだが、ベンイェフダの場合は言葉そのものを作ったのだから大変だ。
  ――10 1516年から1917年まで オスマン・トルコ時代

(第三次中東)戦争の大勝利は、外国、特にアメリカにいるユダヤ人に大きな影響を与え、イスラエル訪問が流行になった。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

その(第一次インティファーダの)間にパレスチナ人の平均収入は約30%低下したと言われる。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

たしかな統計があるわけではないが、第一次インティファーダの数年間で殺されたパレスチナ人は約2000人だったと推定される。その半数はパレスチナ人同士の犠牲者だったらしい。罪名は常に“イスラエル協力者”であった。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

【どんな本?】

 2017年12月5日。アメリカ合衆国トランプ大統領は、在イスラエルのアメリカ大使館を、今のテルアビブからエルサレムに移すと発表した。つまり名目共にエルサレムをイスラエルの首都と認めたのだ。このニュースは世界中で大騒ぎとなり、国連にまで持ち込まれる。

 他の国なら、首都をどこにしようが、その国の勝手であり、他国が云々する事はない。ではなぜエルサレムがこれほど騒がれるのか。エルサレムの何が特別なのか。

 本書では、紀元前4千年にまで遡り、聖書やコーランをはじめとする古文書はもちろん、碑文や発掘された土器なども参照し、エルサレムの起源から、その時々の住民の構成、周辺の国家の力関係などを含め、エルサレム及び周辺地域の歴史を説いてゆく。

 ユダヤ教にもキリスト教にもイスラム教にも疎い人のための、一般向け歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年7月25日発行。新書版ソフトカバー縦一段組みで本文約300頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×16行×300頁=約196,800字、400字詰め原稿用紙で約492枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。旧約・新約ともに聖書を元にした話も多いが、知らなくても大きな問題はない。

 著者はヘブライ大学留学の経験もあり、現地の情勢に詳しい。聖書やコーランはあくまでも歴史文書として見ており、他の文書と突き合わせて整合性を確かめる姿勢だ。なので、そういう視点が気にならない人向け。また、パレスチナ問題に対しては、イスラエルの左派に近い立場だと感じた。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。また、テーマがイスラエル建国に深く関わるので、半ばイスラエルの歴史みたいな部分もある。

  • 第Ⅰ部 諸王国の興亡
     史料としての聖書/地方都市エルサレム
    • 1 紀元前1000年まで
      呪詛文書に記されたエルサレム/アマルナ書簡/東西大国の狭間で/旧約の二つのエピソード/アブラハムのもう一人の息子/出エジプトとカナン征服
    • 2 紀元前1000年から925年まで ダビデ、ソロモンの統一王国時代
      理想の王ダビデ/ダビデ時代の実像/ダビデと契約の箱/ダビデからソロモンへ
    • 3 紀元前922年から720年まで 南北朝時代
      北のイスラエル王国、南のユダ王国/二王国の滅亡/バビロン捕囚とアイデンティティ/礼拝の変容
    • 4 紀元前539年から紀元後70年まで 第二神殿
      エルサレムへの帰還と神殿再建/アレクサンドロス大王の遠征とヘレニズムの浸透/対シリア戦争とローマによる占領/ヘロデ王によるエルサレム建設/イエスの誕生/新約聖書のクリスマス/エルサレム包囲とマサダの戦い
    • 5 70年から614年まで ローマ、ビザンチン時代
      ユピテル神殿建設から再び反乱へ/バル・コクバ反乱がもたらしたもの/キリスト教公認
    • 6 ササン朝ペルシャによる征服
    • コラム サマリア人とは誰か
  • 第Ⅱ部 イスラム興隆の中で
    • 7 638年から1099年まで 第一次イスラム時代
      イスラム教の誕生/ムハンマドの死後/二つのモスクの誕生
    • 8 1099年から1187年まで 第二次イスラム時代
      ヨーロッパ側の必然性/エルサレム王国の建設/キリスト教とイスラムとの確執
    • 9 1187年から1516年まで 第二次イスラム時代
      サラハディンの入城/第二次エルサレム王国
    • 10 1516年から1917年まで オスマン・トルコ時代
      歓迎されたオスマン・トルコ/救世主(メシア)と聖地/衰退と転機/ユダヤ民族主義/ドレフュス事件の波紋/第一次世界大戦/マクマホン書簡、バルフォア宣言、サイクス・ピコ協定
    • 11 1917年から19488年まで 英委任統治時代
      戦後処理の様相/委任統治の困難/第二次世界大戦
    • コラム 安息日に救急車は呼べるか
  • 第Ⅲ部 イスラエル建国ののち
    • 12 19477年から11967年まで ヨルダン王国時代
      テロと戦闘/独立宣言から戦争へ/アラブ人難民の波
    • 13 1967年から2010年まで イスラエル時代
      第三次中東戦争/イスラエルによるエルサレム併合/第三次中東戦争その後/併合後の市民たち/第四次中東戦争/エジプト和平 結果としてのレバノン戦争/第一次インティファーダ/インティファーダが引き起こしたもの/ロシア移民とエチオピア移民/湾岸戦争時のエルサレム/マドリード会議/オスロ合意/パレスチナ自治のつまづき/ラビン暗殺/第二次インティファーダとシャロン政権/「和平のためのロードマップ」の死/旧市街/併合された東エルサレム/混迷の将来
  • あとがき

【感想は?】

 最初の頁から、妄想マシーンに燃料を大量注入してくれる。というのも…

ヘブライ語には単数、双数、複数の三種類がある。(略)現在のヘブライ語でエルサレムは“イェルーシャライム”と双数になっており、これも意味不明だ。

 へ? 双数? とすると、もう一つ、現エルサレムと対をなす場所があるのか? 真エルサレムとか裏エルサレムとか闇エルサレムとか。 と思って地球上でエルサレムの裏側にある所を調べたら、南太平洋ド真ん中、ニュージーランド沖。そりゃそうだ。

 確かに紀元前4千年ごろから人は住んでいたようだが、特に戦略上の要所でも特産物があるわけでもない。何より不便だ。山の上で水源もなく土壌も貧しく、軍事的にも脆弱な地形にある。だもんで、周辺の王朝からは、あまり重要視されていなかった模様。

 とはいえ、エジプト・アッシリアなど大河のほとりに芽生えた大帝国からすると、隣の大国との境にあるため、それぞれの国の興隆と衰退の波により、アッチに呑まれたりコッチに食われたりの繰り返し。そのためか、ユダヤ人も各地に散らばってゆく。

 このあたりは、大国のはざまにある小国の悲哀が漂うものの、それでも民族としてのアイデンティティを保つ礎になったのが宗教ってあたり、現在の中東問題の根の深さを感じさせる。

 散らばったユダヤ人が集まって作った国がイスラエルだ。だもんで、今のイスラエルには様々な国から来た人がいる。中でもエピソード的に光ってるのがイエメン系の人。まず、本を読む時、「一定の角度に傾けて置いたり、逆さまから見たりした方が読みやすい人々がいた」。

 イエメンじゃ本が手に入りにくい。そこで、貴重な本を読む時は、多くの人が本を八方から囲んで読んだのだ。だもんで、横からのぞき込んだり向かい側から読んだりする人も出てくる。それが癖になっちゃったわけ。本読みの鑑だ。幾らでも好きなだけ本が読める現代日本の有難みをつくづく感じる。

 もう一つはイスラエル建国に伴い、イエメンからイスラエルに移住する際の話。五万人近い彼らを迎え入れるため、イスラエルは飛行機を手配する。それまで「非常に原始的な生活をしていたのに、迎えに来た飛行機にはまったく驚かなかった」。ニュースで知っていたから? 違います。

 なんと、聖書のイザヤ書に「鷲のように翼で上昇する」と記述があったから。

 はいいが、茶を入れるため機内で焚き火を始めたんで大騒ぎだそうな。また、「イスラエルの歌手にはイエメン出身者が多い」とか。ちょっと Youtube で漁ると、リズミカルでノリがよく踊りたくなる曲が多いなあ。今のイエメンは内戦で大変だけど、平和だったら優れたミュージシャンを輩出してたかも。

 今でこそムスリムとイスラエルの確執は激しいが、最初はそうでもなかったようで。二代目カリフのウマル(・イブン・ハッターブ、→Wikipedia)はイスラムの版図を広げ、当時はキリスト教徒の支配下にあったエルサレムも占領する。その際には略奪もせず改宗も強いなかった。ばかりか…

 聖墳墓協会を訪れた際、ちょうど祈りの時間となる。ウマルは敢えて教会の外に出て、階段の上で祈った。ウマル曰く、教会内で祈れば、「教会は接収され、モスクに替えられるだろう」。自らの絶大な影響力を知った上で、異教徒との共存を自らの行動で示したわけです。まあ、言い伝えだけど。

 などの歴史的経緯も面白いが、「第Ⅲ部 イスラエル建国ののち」では、現代のエルサレムの様子が、そこで暮らす市民の眼で描かれていて、なかなか貴重な情報だったり。どの国にも、喉元に刺さった棘みたいな事件はある。イスラエルだとディル・ヤシン事件(→Wikipedia)が、その一つ。

 (ディル・ヤシン事件の)犠牲者の人数をどう見るかはその人の政治信条を示す。
  ――12 19477年から11967年まで ヨルダン王国時代

 日本での南京虐殺事件みたいな位置づけなんだろう。意外なのが、エルサレムは広がりつつある事。近くの地方自治体を統合し、「(第三次中東戦争)戦前の三倍近い広さになった」。新エルサレムには官庁街や大学キャンパスを作り、首都としての役割をアピールしている。挑発的だなあ。

 加えて、エルサレムが「貧しい街」だってのも、意外。パレスチナ人地区のインフラ整備などをサボるため、そこに住む者も貧しい。ばかりでなく、ユダヤ教の「宗教的な人」も多く、彼らの所得も少ない。聖地とは言うものの、地域によっては見栄えが良くない所も多いんだろう。

 また、各国の大使館が揃うテルアビブとの比較も著者ならでは。曰く…

…テルアビブでは左派が強く和平賛成、エルサレムでは右派が強く和平反対という二つの町の性格をはっきりと浮き出させた。
  ――13 1967年から2010年まで イスラエル時代

 なんて点も考えると、アメリカ大使館の移転は、私が思っていたより大きな意味を持つんだろう、なんて考えを改めたり。

 古代はエジプトとアッシリアの狭間に、次いでペルシャとローマの狭間に、そしてヨーロッパとアラブの狭間にと、常に世界の大勢力に挟まれ、揺れ動いたエルサレム。その歴史も面白いが、イスラエル建国以降の事情もとてもエキサイティング。この時期にこの本に出合えたのは、とてもラッキーだった。

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2017年12月11日 (月)

バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 3

支配者の不名誉は、世界史のなかではさほど大きな事件にはならないが、政府の不名誉は傷を残す。  ――五章 ヴェトナム戦争 6 離脱(1969-1973)

 バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 2 から続く。

 この本、なかなか気の利いた文章や台詞が多いんで、テーマごとにまとめてみた。

【権力】

権力を取得する過程は、権力を求める人間を堕落させ、残酷にする様々な手段を使う。その結果、彼は目がさめて、権力を手にしているのは、徳――あるいは道徳的目的――を失うという代価を払ったためだと知るのである。
  ――三章 法王庁の堕落 4 戦士 ユリウス二世(1503-1513)

 ルネサンス期の法王を描いた三章から。いずれの法王も買収や脅しなど、汚い手口で法王に上り詰めた。仮に最初は高邁な目的を持っていたとしても、権力を握る中で汚い手に染まり切ってしまう。いざ権力を使う段になっても、もう元には戻れない。

 これは別に法王に限らず、政府でも企業でも、ほぼ全ての組織に言える事だろう。じゃどうすりゃいいのかと言われると、うーん。私は情報公開が予防策として効果があると思うんだけど、どうでしょうね。とまれ、統治ってのはなかなか厳しいもので…

「あなた方は権力を揮うことはできるかもしれないが、抵抗する人々を治めることは決してできないものです」
  ――四章 大英帝国の虚栄 3 満帆の愚行(1766-1772)

 と、治められる側も大人しく黙っているわけじゃ…

【政治】

愚かで腐敗した体制は、ふつう全国規模の動乱か解体なくしては改革できないものである。
  ――三章 法王庁の堕落

 と思ったけど、いったん確立しちゃった権力ってのは、なかなか倒れないもんなんです。北朝鮮の金王朝もなかなか倒れそうにないし。

彼らの顕著な三つの態度――教区民のいや増す不満を忘れ、私益の増加を第一に考え、不可侵の地位にあるという幻想を抱いたこと――は、愚行のいやし難い特質である。
  ――三章 法王庁の堕落 6 ローマの略奪 クレメンス七世(1523-1534)

 これまた権力者にありがちな態度。つまりナメきってたんだな。

政府が金で買った支持の上にあぐらをかいているとき、真の政治的自由は死文になっている
  ――四章 大英帝国の虚栄 2 「行使できないとわかっている権利を主張して」(1765)

 これは腐敗選挙区を示したもの。

ひとたび政策が決定され、実施されると、あとに続くすべての行為はそれを正当化する努力と化す
  ――五章 ヴェトナム戦争 1 胚子(1945-1946)

 これもよくあるパターン。特に政策の規模が大きいほど、政権は頑固になりがち。政権交代があり得る民主主義の優れた点が、これだろう。新政権は前政権の政策をチャラにしても、メンツは潰れないし。

依存関係においてはつねに、倒れるぞ倒れるぞと脅すことによって、被保護者のほうが保護者を支配することができる。
  ――五章 ヴェトナム戦争 3 保護政権を作る(1954-1960)

 この本では南ヴェトナムと合衆国政府の関係だけど、「アメリカの卑劣な戦争」によれば、21世紀でもイエメンで似たような泥沼にハマっていたとか。懲りないなあ。でもこの関係、別に外交に限らず、個人と個人の関係でもありがちだったり。

「外交政策の決定は、一般に国内政策の場合より不合理な動機に左右される事が多い」
  ――五章 ヴェトナム戦争 5 大統領の戦争(1964-1968)

 ヴェトナムじゃ評判の悪いリンドン・ジョンソンだけど、公民権や社会保障などの内政じゃ、優れた手腕を発揮してる。思うに国民の多くは自分に関りが深い内政に強い関心があり、外交には関心が薄いんで、選挙への影響が少なく、だから政治家も外交は軽く見ちゃうのかも。

愚行は、たえざる過剰反応からはじまる。すなわち、危機に瀕した「国家の安全保障」の創作。「極めて重要な利益」の創作。「約束」の創作。
  ――五章 ヴェトナム戦争 6 離脱(1969-1973)

 先にも書いたけど、私が情報公開を重視する理由がコレで。ウソがすぐバレる体制なら、この手の創作は難しいだろう、と。その代わり、国民の方も、政治家が「すまん、間違ってた」と態度を改めた時に、強く責めず「しゃーない」と許す懐の深さが必要なんだけど、はてさて。

【軍事】

 ニワカとは言え軍ヲタだけに、軍事関係にはついつい目が張り付いてしまう。

「ひとたび戦争に突入したら、安上がりな戦争の仕方というものはない」
  ――五章 ヴェトナム戦争 2 自己催眠(1946-1954)

 この手の誤算はキリがなくて。アフガニスタンもイラクも、最初は楽勝って雰囲気だったのに、結局は泥沼にはまり込んだ。太平洋戦争も、最初は1~2年でケリがつくはずが、結局は総力戦の末に満州も太平洋諸島も失う羽目に。第一次世界大戦も…。

 「クリスマスには帰れる」は、嘘と相場が決まってるんです。

「戦争が限定戦争かどうかは、相手側による」
  ――五章 ヴェトナム戦争 5 大統領の戦争(1964-1968)

 この本ではヴェトナム戦争の話だけど、太平洋戦争もモロにそういう発想だった。敵が自分と同じように考えるなんて思っちゃいけません。

【思い込み】

 と書いていくと、まるで権力者だけを責めているように思えるけど、実は自分にも当てはまる言葉がけっこうあるよね、と気づいたのは、半分ぐらい読み終えてから。というのも。

 馬鹿なことをした経験は、誰だってある。それが一過性の事ならいいが、いったん吐いちゃった言葉に捕われ、意地になってしがみつくなんてのも、私は何回かある。そういう黒歴史を、容赦なくえぐるから、この本は厳しい。

感情に走る癖は、つねに愚行を生み出す源となる。
  ――四章 大英帝国の虚栄 4 「レハベアムを思い出せ!」(1772-1775)

 はいはい。嫌いな奴に同意するのが嫌で無理して反対に回ったりね。で、いったん旗色を明らかにすると…

しみついてしまった考え方にしがみついて反対の証拠を無視するのは、愚行の特徴となる自己欺瞞のもとである。
  ――四章 大英帝国の虚栄 5 「…病気だ、精神の錯乱だ」(1775-1783)

「事実で私を混乱させないで」
  ――五章 ヴェトナム戦争 4 「失敗と縁組みして」(1960-1963)

 と、明らかな証拠が出てきても、なかなか認めなかったり。どころか…

強い信念に対して客観的根拠が反対を唱えた場合(略)その結果は「認識の硬直化」である。
  ――五章 ヴェトナム戦争 5 大統領の戦争(1964-1968)

 「認識の硬直化」というと難しそうだが、つまりは余計に片意地を張るようになるわけ。陰謀論やエセ科学にハマってる人に事実を突きつけても、より頑なになるだけで効果がないのも、そういう事なんだろう。

愚行の実行者も時折、自分たちはばかなまねをしていると自覚しているのだが、決まった型を打ち破ることができないのである。
  ――四章 大英帝国の虚栄 5 「…病気だ、精神の錯乱だ」(1775-1783)

 と、自覚がある場合でも、なかなか態度を変えるのは難しい。政治家なら支持率が下がれば態度を変える事もあるが、個人が悪癖から抜け出すのはなかなか。こういう傾向は「まちがっている」や「確信する脳」でも扱ってて、ヒトが意見を変えるのは、とにかく難しいのだ。

【おわりに】

 などと、最初は「うんうん、偉い人の話だよね、私にゃ関係ねえや」と思ってたら、強烈なカウンターを食らってしまった。読みごたえはあるが、それだけの価値もある本だ。

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2017年12月10日 (日)

バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 2

政治問題に関する警告は、受け手がそれとは別のことを信じたいと思っている場合には、徒労に終わる。
  ――四章 大英帝国の虚栄 4 「レハベアムを思い出せ!」(1772-1775)

 バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 1 から続く。

【二章 愚行の原型】

 かの有名なトロイアの木馬(→Wikipedia)がテーマ。なにせパリスの審判(→Wikipedia)に始まる半ば神話であり、ちと歴史とは言い難い。

 「これは孔明オデュッセウスの罠だ」と諫めたが蛇に絞め殺されるラオコーン(→Wikipedia)、予知能力はあるが信じてもらえない呪いを受けたカッサンドラ(→Wikipedia)など、テーマと関係ありそうなネタもある。

 が、それ以上に、「イリアス」(→Wikipedia)「オデュッセイア」(→Wikipedia)「アエネイス」(→Wikipedia)の紹介といった感が強い。

 にしても、カッサンドラの特殊能力、ライトノベルのネタに使ったら面白そう。でも、まずもって明るい話にはなりそうにないのがツラい。

【三章 法王庁の堕落】

「神が私に法王職を与えたもうた――だから、それを享受するとしよう」
  ――5 プロテスタントの勃興 レオ十世(1513-1521)

 この章ではルネサンス期の法王6人に、腐敗しきった行いを描く。この章もある意味じゃ浮いていて、確かに6人と集団ではあるが、それぞれの法王は個人で決定を下している。

 先の引用が示すように、暗殺するわ美食に凝るわ人事は身びいきだわ愛人は持つわ戦争は指揮するわと、皆さんやりたい放題だ。そりゃルターもキレるよ。この印象は今でも尾を引いてるし。

【四章 大英帝国の虚栄】

 この本の本番と言えるのは、第四章以降。ここの主人公は18世紀の大英帝国。植民地アメリカから無謀な税をむしり取ろうとして反発を食らい、独立戦争へと追いやってしまう。

 期待できる税収より、それを集める費用のほうが高くつく、つまり赤字の税制に、なぜ大英帝国は拘ったのか。理由は幾つかある。優越意識、植民地への侮り、アメリカへの無知…。が、結局は、振り上げたこぶしをおろせないメンツの問題みたいだ。

 などの本論より、当時の英国の政治制度が意外。なんと、「統治の専門職というものは存在しなかった」。大英帝国を仕切る貴族の皆さんは、娯楽や社交が本業で、政治は片手間だったのだ。よくそれで国が保ったなあ。

 ちと、どころか、やたら腹が立つのが、次のくだり。

新しい挑発は、1766年の年間軍隊宿営法となって現れた。(略)
このなかには、植民地議会が(植民地に駐屯する)正規軍の宿舎と、蝋燭、燃料、酢、ビール、塩などの軍隊用生活必需品を供給する、という一箇条が入っていた。
この規定が(略)憤怒を買うだろうということは、(略)議会にはすぐにわかったはずだ。
  ――四章 大英帝国の虚栄 3 満帆の愚行(1766-1772)

 英国はアメリカに軍を送る。その軍の費用はアメリカが払え、とする法だ。これにアメリカは猛反発する。なんで俺たちを押さえつける奴らを俺たちが養わにゃならん? 当たり前だね…

 と思ったら、似たような真似されて大人しく従ってる国があるんだよなあ(→日本経済新聞)。これじゃ同盟国どころか植民地未満だぞ。

【五章 ヴェトナム戦争】

連続五人の大統領の任期を通じてアメリカはヴェトナムで大変な苦闘を続けたが、この問題に関して、無知は弁解としては使われたものの、真の要因ではなかった。
  ――1 胚子(1945-1946)

 と、これまた意外な見解で始まるヴェトナム戦争編。「ベスト&ブライテスト」とは少し違い、ホワイトハウスは実情を知り得た、と言う。

 確かに1950年代は、再度インドシナの植民地を取り戻そうとするフランスに引きずられた感はある。が、その前、太平洋戦争中は、アメリカがベトナムの対日抵抗組織に武器や医薬品を与えていて、これが「マラリアと赤痢に苦しむホー・チ・ミンの命を救った」。北と手を組む余地はあったのだ。

 にも関わらず戦いを引き継いだ原因は、共産主義への恐れだとしている。悪名高いドミノ理論(→Wikipedia)だ。が、同じ東側でも、モスクワと一線を画そうとしたユーゴスラヴィアのチトーとは巧く付き合えた。変な話である。

 この本では、中国の共産主義に加え黄禍(→Wikipedia)の悪い印象が重なった、としている。アメリカでも、黄禍論はあるんだね。加えて、ジョン・フォスター・ダレス(→Wikipedia)が熱心に反共産主義を売り込み、これが功を奏した、とも。

 この戦争で失われた人命は置いて、カネも相当なものだ。「合計千五百億ドル」としている。ちなみに Google で調べると、1985年当時のヴェトナムのGDPは約140億ドル。どう考えても、そのカネで北を買収した方が安上がりで利益も大きかったよなあ。

買収と言うと印象が悪いけど、経済援助と言い換えればいい。当時のヴェトナムが必要とするモノは幾らでもあった。太平洋戦争で耕地も交通網もズタズタ、工業は未発達で、農民は借金と暴利に苦しんでいる。金利の安い金融機関を作るだけでも、だいぶ農民の助けになったはず。

 などの美味しいエサを見せて、西側への寝返りを求めても良かっただろうに。まあ、後知恵ですが。

 「ベスト&ブライテスト」だと、悪いニュースに対してケネディ政権は「アーアー聞こえない」な態度だったとあるが、意外とそうでもない。国防長官のマクナラマを始め、公的使節団は「何度もサイゴンを往復させられた」。それなりに気にしていたし、情報も欲しがっていたのだ。

 ある意味、彼らのお思惑は、太平洋戦争末期の大日本帝国に似ている。やられっぱなしで手打ちを持ち出せばナメられて不利だ。そこで一発カマし相手の足元がグラついた所で話を持ち掛けようって腹だが、「妥協のために戦争を終わらせるのは、この上なく困難」なのだ。

 ケネディ,ジョンソン,ニクソンと続いた面々は、決して愚かではなかったし、現実から目を背けるヘタレでもなかったと、私は感じた。というのも、いずれも有権者の支持率には素直に耳を傾け、適切な対応を取っている。酷い話に思えるが、アメリカの世論もヴェトナムを軽く見ていたようだ。

 それでも反対運動はあったんだけど、デモが過激で暴力的だったり、愛国心を失っていると感じさせたりで、労働者たちに嫌われ憎まれてしまう。政治運動ってのは、普通の人を敵に回しちゃいけないんですね。逆に気に食わない政治運動する者にレッテルを貼って貶める手口もよくあるけど。

【おわりに】

 すんません、次の記事で終わります、たぶん。

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2017年12月 8日 (金)

バーバラ・W・タックマン「愚行の世界史 トロイアからヴェトナムまで」朝日新聞社 大社淑子訳 1

愚行は権力の落とし子だ
  ――一章 愚の行進 国益に反する政策の追及

【どんな本?】

 国を治める者が、国の害にしかならない決定を下した例は、歴史上いくらでもある。それらは、たいてい次の四つの要因を含んでいる。

  1. 暴政または圧政
  2. 過度の野心
  3. 無能または堕落
  4. 愚行または頑迷

 いずれも困ったことだが、ここでは「4.愚行または頑迷」に絞ろう。加えて、現代の民主主義社会の教訓とするため、次の三つの制約を加えよう。

  1. 「今思えば愚かだった」ではなく、当時の基準でも愚かだとわかるもの
  2. 他にも取りうる可能な選択肢があったこと
  3. 独裁者など個人の決定ではなく、集団によるもの

 これらの基準により、著者は四つの例を選んだ。

  1. ギリシア軍の木馬を城壁内に引き入れたトロイア
  2. プロテスタントの分離を招いたルネサンス時代のローマ法王たち
  3. アメリカ合衆国を独立戦争に追いやった18世紀の英国政府
  4. ヴェトナム戦争にはまり込んだ20世紀のアメリカ合衆国政府

 なぜ権力者たちは愚かな決定を下すのか。そして、愚かだと分かっていながら、なぜその決定にしがみつくのか。「三人いれば文殊の知恵」と言うが、議会や内閣などの集団が愚かな判断を下すこともある。そこにはどんな力が働いているのか。そして、私たちは、歴史からどんな教訓を学べるのか。

 「八月の砲声」で評判の高い歴史学者のバーバラ・W・タックマンが、縦横無尽に資料を駆使して、愚行の原因と過程そしてメカニズムを暴き出す、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The March of Folly : From Troy to Vietnam, by Barbara W. Tuchman, 1984。日本語版は1987年12月20日第一刷発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文訳427頁に加え、訳者あとがき4頁。8ポイント26字×22行×2段×427頁=約488,488字、400字詰め原稿用紙で約1,222枚。今は中公文庫から文庫本が上下巻で出ている。上下巻でも厚めの部類だろう。

 文章は比較的にこなれている。ただ、内容はちとシンドかった。というのも、三章と四章は西洋史の知識が必要なため。それぞれルネサンス期のイタリア・18世紀後半のイギリスが舞台だ。そのため、知らない人名や事件が次々と出てきて、ちと辛かった。

【構成は?】

 一章が全体の紹介、二章が開幕編、三章~五章で具体例を細かく見ていく。一章を最初に読めば、後は拾い読みしてもいいだろう。ちなみに一章には大日本帝国の対米開戦も出てきます。

  • 謝辞
  • 一章 愚の行進 国益に反する政策の追及
  • 二章 愚行の原型 トロイア人、木馬を城壁内に引き入れる
  • 三章 法王庁の堕落 ルネサンス時代の法王たち、プロテスタントの分離を招く(1470-1530)
    • 1 寺院のなかの殺人 シクストゥス四世(1471-1484)
    • 2 異教徒の宿主 インノケンティウス八世(1484-1493)
    • 3 悪行 アレクサンデル六世(1492-1503)
    • 4 戦士 ユリウス二世(1503-1513)
    • 5 プロテスタントの勃興 レオ十世(1513-1521)
    • 6 ローマの略奪 クレメンス七世(1523-1534)
  • 四章 大英帝国の虚栄 英国、アメリカを失う
    • 1 与党と野党(1763-1765)
    • 2 「行使できないとわかっている権利を主張して」(1765)
    • 3 満帆の愚行(1766-1772)
    • 4 「レハベアムを思い出せ!」(1772-1775)
    • 5 「…病気だ、精神の錯乱だ」(1775-1783)
  • 五章 ヴェトナム戦争 アメリカはヴェトナムで自己背信をおかす
    • 1 胚子(1945-1946)
    • 2 自己催眠(1946-1954)
    • 3 保護政権を作る(1954-1960)
    • 4 「失敗と縁組みして」(1960-1963)
    • 5 大統領の戦争(1964-1968)
    • 6 離脱(1969-1973)
  • エピローグ 「船尾の灯」
  • 訳者あとがき/索引

【感想は?】

 歴史とはいいものだ。特に他国の歴史は。

 たいていの人間は、自分の事となると頭に血が上りやすく、落ち着いて論理的に考えられなくなる。いや自分に限らず、家族や親しい友人に関わる事でも、感情的になりやすい。少なくとも私はそうだ。

 この傾向は自分に近いほど強く、遠いほど弱い。自分の勤め先や出身校の話には強く興味を惹かれ、名も知らぬ外国のニュースは「フーン」で済ます。地理的な距離だけでなく、時間も影響する。ワイドショウが取り上げるのは今日か昨日の事件で、大正時代のネタは滅多に出てこない。

 そして、人間は間違いや欠点を指摘されるのは嫌いだ。だから自分や家族を悪く言われるとムッとする。でも大昔の異国の者の悪口なら、「へえ、そういう人なんだ」で済ます。名前すら知らない人の事なら、なおさらだ。

 この本には、悪口が詰まっている。

 木馬を城壁内に引き入れ自滅したトロイア人、教会を腐敗させプロテスタントの勃興を招いたルネサンス期のローマ法王たち、モトの取れない税金を取ろうとして植民地アメリカを失った18世紀の英国政府、そして無駄な血と金をヴェトナムに注ぎ込んだ20世紀のアメリカ合衆国。

 いずれもパターンは似ている。まず最初の一歩を間違った方向に踏み出す。それが巧く行かないと、さっさとひき返せばいいのに、敢えてさらに踏み込む。何回か同じことを繰り返し、まちがいの証拠が積み上がってるのに、頑として現実を認めようとせず、無駄に傷口を広げてゆく。

 これが自分の事だったら、落ち着いて読めないだろう。でも、昔の他人の話だから、「うんうん、馬鹿な事やったね」と鼻で笑って読める。おまけに、登場人物は、国家を動かす権力者ばかり。ただの貧乏人の私には関係ないね。

 …と思ってたら、ときおり挟まれる警句が、特大ブーメランとなって私に返ってきた。

【一章 愚の行進】

国王、軍人階級、地主階級、産業資本家、大実業家たちにとっては、利益をもたらす戦争だけが権力の座にとどまりうる唯一の方法だった。
  ――一章 愚の行進

 二章以降で、個々の愚行を細かく見ていく。対して一章では、「損するとわかっている政策を国が盗った例」を、幾つかの例を挙げ大雑把に見る形だ。

 中でも興味深く読めたのは二つ。第一次世界大戦のドイツの無制限潜水艦戦(→Wikipedia)と、大日本帝国の真珠湾攻撃。いずれもアメリカの参戦を促し、国を破滅へと導いた。著者はその原因を「支配の夢、壮大な自負、貪欲」としている。四つの要因の中では「2.過度の野心」だろうか。

などと書くと、まるで大日本帝国は国家として統一した軍事・外交政策があるように思えるけど、実態はもっとお粗末なのが情けない。軍は前線司令官の暴走を止められないし、国家としても外務省と陸軍と海軍の方針(というより思惑)が違ってたり。

 逆に賢い例も一つだけ載ってる。紀元前6世紀のアテナイのソロン(→Wikipedia)だ。混乱したアテナイで執政官となったソロン、奴隷解放・選挙権の拡大・通貨改革・度量衡の統一に加え法を定めた。要は政治改革ですね。加えて評議会に今後10年改革を維持するよう誓わせた後…

 なんと、船を買って旅に出る。つまりはトンズラだ。無責任なようだが、国にいれば改革に文句を言われるし、法を元に戻せとの圧力もかかる。居なけりゃ文句も言えまい? その分、権力者としての美味しい想いもできないけど。

 が、ここまで無欲で大胆な真似ができる人は滅多にいない。アシモフじゃないけど「いっそAIに政治を任せちゃおう」なんて思いたくなる例が、この後に延々と続くので覚悟しよう。

 そんなわけで、続きは次の記事で。

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2017年11月26日 (日)

リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 3

「もし運命が暗転した場合、和平を望んでも、もう遅い。勝っている間に和平を結べという所以である。負けてから押し付けられる和平ほど惨めなものはない」
  ――下巻 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)

「カプアはハンニバルのカンナエだった。既にカプアで敗れたのだ。有機も軍律も失い、過去の名声も未来の希望も、あのカプアで失っている」
  ――下巻 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)

民衆は王者の奴隷であるか、あるいは高慢な支配者であるか、どちらかである。
  ――下巻 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)

「都市ローマを奪う機会は二度あったが、二度とも逸した。最初(カンナエの勝利の後)は、その勇気がなく、二度目は点がそのチャンスを奪った」
  ――下巻 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半

「このハンニバルの敵は、カルタゴ議会であってローマ軍ではなかったのだ」
  ――下巻 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半

 リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 2 から続く。

【はじめに】

  • (下)巻をはじめるにあたって
  • 第Ⅴ部 ハンニバル戦争Ⅰ(原典:第ⅩⅩⅠ巻)
  • 第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)
  • 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)
  • 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)
  • 第Ⅸ部 ハンニバル戦争Ⅴ(原典:第ⅩⅩⅤ巻)
  • 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半
    (原典:第ⅩⅩⅥ巻~第ⅩⅩⅩ巻)
  • 編訳者あとがき

 下巻は第二次ポエニ戦争(→Wikipedia)を扱う。

 当然、ハンニバル(→Wikipedia)大暴れ。なんたって「ローマ建国史」なのに、見出しはみんな「ハンニバル戦争」だ(右図)。対するローマは任期一年限りの執政官制度もあり、次々と登場人物が変わってゆく。

 見どころはたっぷり。私も名前ぐらいは知っている、象を連れてのアルプス越えや、包囲殲滅戦のお手本カンナエの戦い(→Wikipedia)などに加え、終盤じゃアルキメデスも出てきて、シラクサ防衛戦で大活躍(→Wikipedia)したり。

 ハンニバルのライバル、スキピオ(→Wikipedia)が出てくるのは終盤近く。意外な事に、両者が直接ぶつかったのは、たったの一度、ザマの戦いだけ(→Wikipedia)。若いながらも雄大かつ大胆ながら自軍の長所である海軍力を活かした、彼の構想と戦略は実に見事。

 ただ、カルタゴ側にやたら「ハンノ」って名前の人が出てくるのは、ややこしかった。日本の田中や佐藤みたく、よくある名前なんだろう。

【ハンニバル】

 Wikipedia では「戦術家としての評価は高い」とあるが、そんな甘いモンじゃない。

 なんたって、敵地に乗り込んだまま17年間、増援なし・補給なしで戦いつづけてる。その間、兵も物資も現地調達だ。土地の情報を集めて不和の種を見つけ出し、手先を忍び込ませて民衆を扇動し、巧みに各都市や部族を自軍に引き込む。

当時のイタリア諸都市はどこでも、貴族階級と平民階級の厳しい対立があったが、総じて貴族はローマ支配を望み、平民はハンニバルを貴族階級からの解放者だとして歓迎していた。
  ――下巻 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)

 そんな風に、情勢を読んで、戦う前に勝つ算段を整えるのが巧いんだな。で、勝てる情勢に持ち込んだ上で戦う。猛将というより、智将って印象が強い。

 兵の補充もないわけで、その陣営はどうしても現地兵の寄せ集めになる。にも拘わらず軍をまとめてローマと戦いつづけたあたり、政治家としての高い資質もうかがわせる。

 戦い方も、意外と基本に忠実だったり。よく使うのが伏兵。まず、予め有利な地形の所に伏兵を潜ませる。次に騎兵で敵を挑発し、追っかけてきたら伏兵の所へ誘い込み、袋叩きにする。

 チンギスハンの騎馬軍団も、十字軍と戦うトルコの騎馬軍団も、イスラエル戦車団の機動防御も、似たような手を使ってた。昔からの戦い方の王道なんだろう。

【カンナエの戦い】

 と、王道ながら効果的な戦術を駆使するハンニバルだが、この手が効かない老獪で慎重居士のファビウス(→Wikipedia)には苦戦したり。

ハンニバル「我々は侵略軍であり、侵略軍は勝つことによってのみ益々強くなる軍隊である」
  ――下巻 第Ⅴ部 ハンニバル戦争Ⅰ(原典:第ⅩⅩⅠ巻)

 ファビウスの発想は、この侵略軍の性質を突いたもの。勝ってるうちは強いけど、戦いが起きなきゃ勝てない。なら戦わなきゃいいじゃん。勝てない敵は勝手に干上がるぞ、と。賢い。とはいえ、慎重な軍人は弱腰となじられる。ファビウス、これに答えて曰く…

「立派な将軍の下では、運を天に任せる類の戦法は全く重要視されぬ事。また人間の精神と理性をばコントロールし、また危機に瀕した自国の軍隊に屈辱を与えずこれを救うことは、幾千人の敵を殺すよりも数倍の名誉ある仕事である事」
  ――下巻 第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)

 そうなんだよなあ。職場でも、売り上げを増やすだけじゃなく、事故を防いだり、費用を抑えたりするのも、立派な仕事なんだぞ。目立たないから、滅多に評価されないけどブツブツ…。まあいい。賢明に戦闘を避けたファビウスだが、ここでローマの政治形態の問題が出る。

 ローマの各官の任期は一年。任期中に手柄を立てたい者は、時間がかかる待機策より短時間で終わる決戦を望む。おまけに軍を率いる執政官は二人パウルス(→Wikipedia)&ヴァロ(→Wikipedia)で一本化されていない上に、仲が悪い。これを嘆くパウルス曰く…

「敵とは、単に戦場で相間見えるだけだが、私も経験したのだが、同僚とはあらゆる場所で四六時中戦わねばならぬ」
  ――第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)

 おおパウルス、その気持ちわかるぞ!無能な癖に熱意と口数が多い同僚ほど邪魔なモンはない。あなたにも心当たりあるでしょ。あるよね、ね!

【戦いの様相】

 当時の戦い方がウッスラ分かるのも、この本の嬉しい所。

 カンナエのような決戦は稀にしか起こらず、基本は都市や堡塁の奪い合い。互いにトンネルを掘って敵地に忍び込んだり、城壁を崩そうとしたり。そういう手口は、紀元前からあったんだなあ。都市カプアの攻囲戦(→Wikipedia)では、まわりをぐるりと堀で囲み、土木ローマの片鱗が見えて嬉しかった。

【都市国家】

 同様に、当時の政治状況も、興味深い所。

 先に触れたように、戦いの多くは都市の奪い合い。それぞれの都市は独立国家みたいな感じで、それぞれが議会を持っていて、独自の外交権や軍を持っている。議会制が多く、王制が少ないのも面白い。また、各都市国家は、現在の国家のようにハッキリした国境があるわけじゃないらしい。

 そんなわけで、戦線もややこしい。ローマにつくかカルタゴか、それぞれの都市が独自の判断で決める。だもんで、勢力図が二分されるわけじゃなく、両軍はモザイク状に入り組んでいる。

 お陰で悲惨なのが、都市周辺に住む農民。当時の軍は本国から糧食の補給を受けるわけじゃなく、たいていは現地調達が中心。それも敵地とあらば軍はやりたい放題で、略奪はもちろん、収穫前の畑を荒らすなど、焦土作戦もやってる。

 クレヴェルトの「補給戦」にも、昔の軍は一か所に留まると周囲の食糧を食いつくすので、常に動く必要があった、みたいな事が書いてあった。

 それでもなんとか補給を受けられるローマ軍はともかく、補給なしのハンニバルは、よく17年間も戦ったなあ、などと感心したり。地元の有力者を味方につける政治手腕も卓越してたんだろう。

【地名】

 舞台がローマ周辺に留まっていた上巻とは違い、下巻だとイタリアはもちろん、ヒスパニアやアフリカにも及ぶ。そのため、ネアポリス=ナポリ,タレントゥム=タラント,新カルタゴ=カルタヘナ,ガデス=カディス,マッシリア=マルセイユなど、現代に伝わる地名が出てくるのも、なんかワクワクする。

 特にスキピオが暴れはじめる終盤は、それまでイタリア半島内での陣の取り合いから、イベリア半島やアフリカへと舞台が広がり、一気にスケールが大きくなってゆき、気分も盛り上がってくるところ。上巻でローマ周辺の小競り合いに終始してただけあって、かなりのカタルシスが味わえる。

【終わりに】

 スキピオの雄大で鮮やかな戦略も書きたいんだが、気力が尽きた。古典ではあるが、文章は親しみやすくて読みやすく、たいして前提知識は要らない上に、お話は起伏に富んでいて飽きない。「あまり格調高い古典はちょっと」と思う人にこそ薦めたい、読みやすくて面白い本だ。

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2017年11月24日 (金)

リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 2

「ローマの最高権力を持つ者は、若者たちよ、それはお前たちの中で最初に母親に唇を近づけ、接吻する者であろう」
  ――上巻 第Ⅰ部 王制期のローマ 第Ⅸ章 七代目のタルキニウス尊大王

議会で自由な発言をするのを禁じておれば、議会の外ではもっと大きな声があがる。
  ――上巻 第Ⅲ部 危機に立つ貴族階級(原典:第Ⅲ巻)

「旗持ちよ、ここに旗を置け。ここは留まるに最高の場所である」
  ――上巻 第Ⅳ部 ガリアによる征服(原典:第Ⅳ巻・第Ⅴ巻)

 リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 1 から続く。

【二代目の王ヌマ】

 なんとかロムルスは国家を創り上げたものの、当時のローマは小さな都市国家。

 なんたって、今までの悪事が祟って周囲は敵ばかり。おまけにロムルス亡き後のナンバー2はいない。早くボスを決め指揮系統をハッキリさせないと、他の国に攻め込まれて潰れちまう。が、国内の誰が立っても「なんでテメエが仕切ってんだ、あ?」とケチがつく。

 ここで血統で選ばないのが、当時のローマの独特な所。「図説 海賊大全」でも、海賊たちはボスを選挙で決めてたとあるし、修羅場に身を置く集団は、ある程度の民主制を敷く傾向があるらしい。いや逆に、民主的でない組織は生き残れないってだけかもしれない。

 ってことで、ローマはサビナ国からヘッドを召喚する。「もう俺たちは山賊じゃねえ、次のボスはインテリにしようぜ」と言ったかどうかは知らないが、二代目の王はギリシャの学を修めたヌマ・ポンピリウス(→Wikipedia)に決める。

 このヌマ、小難しい理屈じゃ荒くれどもをまとめきれないと考えたのか、統治には宗教を利用するあたり、隠者っぽい雰囲気とは異なり、俗世の世知にも長けてた様子。女神エゲリア(→Wikipedia)を愛人兼助言者に仕立て上げるとかは、現在の漫画やアニメでもよく使われる設定ですね。

 加えて、「出入りばっかじゃ国が保たん、ボチボチ手打ちといこう」と考え、平和主義に転向したのも見事な手腕。そう望むのは簡単だけど、血の気の多い荒くれどもを率いながら、戦争せずに済ますのは並大抵のことじゃない。ここでもヤーヌス神殿の逸話が、創作に応用できそう。

 彼はヤーヌス神――前後に別の二つの顔を持つ神――の神殿をアルギレテウム坂の最下部に作り、それを平和と戦争の標識にした。
 つまり神殿の門が開いている時は国家が戦争していることを示し、閉まっている時は外部のすべての国民と平和協定が結ばれていることを暗示せしめたのである。
  ――上巻 第Ⅰ部 王制期のローマ 二代目の王ヌマ

【王制から共和制へ】

 以後、王制が七代続く。

 いずれも終身制ながら世襲じゃないってのが、古代ローマ王制の特徴だろう。それが通ったのは、王と貴族の力が拮抗してたからかな?

 ヌマ以降、個性はあれどソレナリに優れた王が続くが、七代目のタルキニウス(→Wikipedia)で終焉を迎える。このタルキニウスの追放と、追放されたタルキニウスの逆襲が、濃いキャラとエピソードの連続で、上巻では最も盛り上がる場面。

 まずはルクレティア(→Wikipedia)の凌辱だ。人妻ルクレティアに横恋慕した王子セクストゥス、閨に忍び込んでムニャムニャ。怒りに震えるルクレティアは夫コラティヌスとその友人ブルートゥスの前で全てを告白し、自害を果たす。

 このブルートゥス(→Wikipedia)もビンビンにキャラ立ってる人で。この時までは愚か者を演じ敵(王族)を油断させてきたが…って、織田信長かい。復讐の念に燃え、王制打破を誓う。

「私は今の今、次のことを誓う――ルキウス・タルキニウス尊大王とその妻、さらにその子供らすべてを、剣や火やあらゆる可能な手段を使って追放し、今後、彼らやその他の者の誰であっても、ローマで王となることを決して許さない」
  ――上巻 第Ⅰ部 王制期のローマ 第Ⅸ章 七代目のタルキニウス尊大王

 やがて醜聞はローマ中に広がり、クーデターへと発展してゆく。これが映画なら、前半のクライマックスに当たる所だろう。

【タルキニウスの逆襲】

 王を追放したローマは、共和制に変わる。

 この共和制、トップは二名の執政官で、その任期はたったの一年限り。よっぽど独裁に懲りたんだろうなあ。

 それはともかく、追われたタルキニウスも黙っちゃいない。アチコチを流れつつ、逆襲のスキを伺う。彼が仕掛ける最後の戦い(→Wikipedia)が、映画なら後半のクライマックスで、何人ものヒーロー&ヒロインが登場する。

 まずは杭橋の守護者ホラティウス・コクレス。テベレ川にかかる杭橋を守っていたコクレスは、敵軍に襲われる。橋を奪われたらローマは裸同然、しかし守備隊の者は浮足立って逃げ出してしまう。そこでコクレス、ひとり橋の守備につき、敵に向かい吠えるのだ。

「お前たちは尊大な王族の奴隷だ。自分らの自由には無関心でいながら、他人の自由をわざわざ奪わんものとやって来たのである」
  ――上巻 第Ⅱ部 共和制の誕生(原典:第Ⅱ巻)

 武蔵坊弁慶かい。

 続いて暗殺者ガイウス・ムキウス(→Wikipedia)。敵軍の将ポルシンナ王を暗殺せんと、夜に独り敵の陣幕に忍び込む。が、王の顔をしらなかったため暗殺は失敗、敵に捕らえられてしまう。彼は王に対し「俺は最初だが最後じゃないぜ」と啖呵を切り…

 いやあ、燃える燃える。つか本当に燃えてる。

 女だって負けちゃいない。人質として敵に捕らえられた少女クロエリア(→コトバンク)、同じ捕虜の娘たちを率いてティベル川を泳ぎ渡り、彼女らを家族のもとへと返す。これに怒った敵将のポルシンナ王は…。

 しかし、「少年は、兵士からの不正を最も受けやすい」って台詞を、変に解釈したくなるのは気のせい?

 などと、タルキニウスの追放から逆襲まで、ハリウッドが大金をかけて映画にしたら大当たりしそうな話が詰まってて、上巻では最も盛り上がる所。

【共和制】

 めでたく共和制を守り通したローマだが、この後も近隣との戦争は尽きない。

 少しづつ同盟者は増えるものの、上巻では最後までイタリア西海岸中部の都市国家にすぎない。どころか、最後はガリアに蹂躙される始末。

 何より、ローマを仕切る執政官が二人で、しかも任期がたったの一年ってシステムが、突出した人物を出しにくくしてる。

 加えて共和制になってからは、似たようなパターンの繰り返しになってる感が強い。

 というのも、外敵の脅威に加え、内戦の危機が膨らんでくるからだ。外敵は周囲の国家だが、内戦では貴族 vs 平民の構図になる。ここで護民官なんて制度が出来てくるのも、ローマらしい。が、リヴィウスの筆では、護民官は基本的に悪役なのが切ない。

 この内戦、要は平民が土地と権利を求めるのに対し、貴族がはねつけるって形。次第に平民の圧力が強くなるものの、敵が襲来すると矛を収め、挙国一致で立ち向かうんだが、難が去ると再び平民 vs 貴族の構図になる。

 国家の危機になると保守派が力を増すのは、昔からのお約束なのね。これを利用してワザと戦争を起こす、または危機を演出する政治家もいるけど。

 それでも、紀元前の話なのに、一年ごとに記録がキチンと残ってるってあたりは、感心しちゃうところ。羊皮紙かパピルスかは不明だが、記録媒体が普及してると、詳しい文献が残りやすくて、歴史も辿りやすい。結果として、記録を残した国は、未来での知名度や評価も高くなりがち。

 そんなわけで、公文書の破棄とかは、売国行為に他ならないんだぞ、某官庁。

【おわりに】

 などと強引に社会風刺につなげつつ、次の記事に続く。

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2017年11月23日 (木)

リヴィウス「抄訳 ローマ建国史 上・下」PHP研究所 北村良和訳 1

 『行け、そしてローマ人に告げよ。天の神々が我がローマの全世界の首都となるを願っていることを』
  ――上巻 第Ⅰ部 王制期のローマ 第Ⅲ章 初代の王レムルス

【どんな本?】

 古代において地中海の覇者となり、ヨーロッパ文化の礎となった古代ローマ(→Wikipedia)。それは、いつ、どのように現れ、どんな社会を築き、発展していったのか。

 帝政ローマ期の歴史家タキトゥス(→Wikipedia)が残した文書の一部を元に、トロイ戦争まで遡る起源をはじめとして、紀元前753年の建国から王制、紀元前509年からの共和制、そして紀元前146年のポエニ戦争終結まで、若く上昇期にある古代ローマを描く、古代の歴史書の抄訳。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 大元は Titi Li AB URBE CONDITA(→Wikipedia), Titus Livius。Wikipedia によると、成立は紀元前17年ごろ。

 訳者は、以下3つを中心に、他の本も参考にしている。

  • オックスフォード古典叢書 Titi Liui AB URBE CONDITA : Robert Maxwell Ogilvie 編
  • Weidman 社刊 Titi Livi AB URBE CONDITA LIBRI : Wilhelm Weisenborn, Hermann Mueller 編
  • ロエブ古典叢書 Livy HISTORY OF ROME : B. O. Foster 他編訳

 私が読んだPHP研究所版は2010年10月5日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約542頁+487頁=約1,029頁。10ポイント43字×18行×(542頁+487頁)=796,446字、400字詰め原稿用紙で約1,992枚。文庫本なら四巻分の巨大容量。

 文章はこなれていて読みやすい…なんてもんじゃない。古代ローマ人の雄弁な台詞回しを、格式高いながらも伝わりやすい現代日本語へと巧みに置き換え、独特の節回しすら感じさせる、とっても親しみやすく、読んでいて心地よい文章だ。

 内容も、歴史の知識がなくても、充分に読みこなせる。

 加えて、編集面でも細かい気づかいが嬉しい。地名が沢山出てくるのだが、冒頭に地図があり、位置関係が分かるのがありがたい。また、上巻の末尾に年表がついているのも、素人に優しい気配り。加えて、編訳者の註が文中や同じ見開きの小口側にあるので、頁をめくらなくていい。

 ただ、アクの強い編訳者だけに、資料として読むには注意が必要。例えば「第Ⅳ章 二代目の王ヌマ」。ヌマの師は「ピタゴラスだと説明し縁付けている」。その後、「これは真っ赤な嘘で」とひっくり返し、否定の根拠を挙げてゆく。この根拠、とっても筋が通っていて、強い説得力がある。のはいいが…

 問題は、「これは真っ赤な嘘で」以降のテキストが、誰の筆によるのか、よく分からない点だ。リヴィウスが疑念を呈しているのか、Robert Maxwell Ogilvie など英文の注釈者によるものか、北村良和なのか。「南部イタリア」なんて言葉が出てくるので、リヴィウスじゃないだろうけど。

【構成は?】

 各部・各章の冒頭で、編訳者が概要を示しているので、お急ぎの人は冒頭だけ読めばいい。

 全体の流れは、ご覧のような形。つまり上巻は紀元前753年のローマ建国から紀元前390のアッリアの戦い(→Wikipedia)まで。下巻はポエニ戦争編で、第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争、紀元前219年~紀元前201年、→Wikipedia)を描く。

  •  上巻
  • 編訳者まえがき
  • 序言
  • 第Ⅰ部 王制期のローマ(原典:第Ⅰ巻)
    • 第Ⅰ章 アエネスのイタリア到着
    • 第Ⅱ章 アルバ・ロンガの建設
    • 第Ⅲ章 初代の王レムルス
    • 第Ⅳ章 二代目の王ヌマ
    • 第Ⅴ章 三代目の王トゥルス・ホスティリウス
    • 第Ⅵ章 四代目の王アンクス・マルキウス
    • 第Ⅶ章 五代目の王タルキニウス・プリスクス
    • 第Ⅷ章 六代目の王セルヴィウス・トゥリウス
    • 第Ⅸ章 七代目のタルキニウス尊大王
  • 第Ⅱ部 共和制の誕生(原典:第Ⅱ巻)
  • 第Ⅲ部 危機に立つ貴族階級(原典:第Ⅲ巻)
  • 第Ⅳ部 ガリアによる征服(原典:第Ⅳ巻・第Ⅴ巻)
  •  下巻
  • (下)巻をはじめるにあたって
  • 第Ⅴ部 ハンニバル戦争Ⅰ(原典:第ⅩⅩⅠ巻)
  • 第Ⅵ部 ハンニバル戦争Ⅱ(原典:第ⅩⅩⅡ巻)
  • 第Ⅶ部 ハンニバル戦争Ⅲ(原典:第ⅩⅩⅢ巻)
  • 第Ⅷ部 ハンニバル戦争Ⅳ(原典:第ⅩⅩⅣ巻)
  • 第Ⅸ部 ハンニバル戦争Ⅴ(原典:第ⅩⅩⅤ巻)
  • 第Ⅹ部 ハンニバル戦争後半
    (原典:第ⅩⅩⅥ巻~第ⅩⅩⅩ巻)
  • 編訳者あとがき

 書名に抄訳とあるように、一部を抜き出したものだ。「編訳者まえがき」に詳しい事情を書いてあるので、かいつまんで説明する。

  • リヴィウスの原書は、全142巻。前753年の建国から前9年までを記述。
  • ただし多くが失われ、残っているのは32巻(Wikipediaによると35巻)のみ。
    • 1~5巻 ロムルス建国からガリアによるローマ陥落
    • 6~10巻 ローマ再建から第1次サムニウム戦争
    • 21~25巻 ハンニバルによる第二次ポエニ戦争前半
    • 26~30巻 ハンニバルのザマでの敗北まで
    • 31~37巻 第二次マケドニア戦争
    • 38~42巻 第三次マケドニア戦争終結まで

 本書は、残った32巻から、以下を抜き出したもの。

  • 上巻:1~5巻
  • 下巻 21~25巻+26~30巻の要約

 つまりは人気のある部分を選び取ったわけです。

【感想は?】

 今のところ、上巻しか読み終えてないけど、驚くことがいっぱい。

 上巻は、ローマのルーツから、ガリアによる陥落までを描く。私は古代ローマというと広大な帝国を思い浮かべるが、上巻のローマはイタリア西海岸中部にある小都市国家の一つにすぎず、イタリア西海岸中部をめぐる小競り合いに明け暮れている。

 いきなり驚いたのが、ローマの源流はトロイ(→Wikipedia)にある事。トロイア戦争で負けたイリアスの王子アエネアスは流浪の末にイタリア西部に流れ着き、その血筋の一つがローマ建国者ロムルスとレムスへと繋がってゆく。

 なんとローマのルーツはトルコのアナトリア半島にあったとは。今でこそ EU 加入云々でモメてるトルコとヨーロッパだが、そのヨーロッパが誇りとする古代ローマのルーツは現トルコのアナトリアなのか。すると、シュリーマンのトロイ発掘は、ヨーロッパ人にちょっとした衝撃を与えた…のかなあ?

 同時に、名前だけはよく聞くイリアス(→Wikipedia)のヨーロッパにおける位置づけも、少しわかったような。つまり彼らが誇るローマ建国の前史でもあるのだ。

 ちなみに、もう一人の王子アンテノスはアドリア海の湾の奥深くに住み着き、「ヴェネティ人と呼ばれた」とか。これは後のヴェネツィアだろうなあ。

 と、冒頭から驚きの連続である。

 ロムルスとレムスについても、タテマエは軍神マルスの落とし子だが、威厳もヘッタクレもない。彼らは「羊飼い仲間やゴロツキ、(略)流れ者のの青年を糾合して、都市ローマを作った」。なんの事はない、ロムルスはヤクザの親分で、最初のローマはヤクザのアジトだったのだ。

 その後も、ロムルスは兄弟喧嘩の果てにレムスを殺し、流れ者や食い詰め者を集めて人を増やす。はいいが、野郎ばかりじゃ子供が出来ない。そこでサビナ女の略奪(→Wikipedia)ときた。やったモン勝ちのだまし討ちである。

 ヨーロッパ人が誇りとするローマだから、さぞかし絢爛豪華で奇跡と慈愛に満ちた伝説に彩られてるんだろうと思っていたが、とんでもない。強い者、狡猾な者が生き残る、弱肉強食のシマ争いの末にのし上がってゆく、殺伐とした成り上がり物語だった。

 とすると、こういう荒々しい成り立ちのローマを誇りとするヨーロッパ人は、イザナギとイザナミの国産みなんてメルヘンな建国神話の私たちと、精神構造が決定的に違うんじゃなかろか。

 などと初めから驚きっぱなしで、話が全く前に進まないが、それは次の記事で。

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2017年10月19日 (木)

ペーター・ペフゲン「図説 ギターの歴史」現代ギター社 田代城治訳

ギターはその長い歴史の中で、考えられる限りの経験をしてきた。それは非常な敬意を払われると同時に、蔑まれてもきた。それは王侯や皇帝の宮廷でも弾かれたし、酒場や娼窟でも弾かれた。
  ――日本語版への序文

その発展史を通じてずっとそうだったように、ギターは現在も変化を加えられ、細工され、修正され、改良され続けている。いったい誰がこの時代に、新型のヴァイオリンやオーボエを作ろうと考えるだろうか?
  ――第1章 多彩な顔を持つ楽器

やがて明らかになるように、スペインは本当の意味でギターの発展が集中的に行われた国である。
  ――第3章 中世ヨーロッパにおけるギターの発展

変化する音楽は別の楽器を要求する。逆に言えば、楽器製作上の発展は別種の音楽と別種の演奏を可能にする。
  ――第5章 第5の弦

巻弦の発明は楽器の構造に革命をもたらした。新しい弦素材はわずかな太さでよく、響きの上でも倍音が豊かだったから、ほどなくギターは⑥弦をプラスされただけでなく、複弦も不要となった。
  ――第6章 5コース、6コース、そして6単弦へ

ギター史上のいかなる人物も、フランシスコ・エイクセア・タレガ Francisco Eixea Tarrega ほどに、多くの具体的で革命的な、救世主的偉業と革新について感謝を集めている者はいない。
  ――第8章 20世紀

【どんな本?】

 クラシックはもちろん、タンゴやフォルクローレなどの民族音楽・カントリー・ブルース・ジャズ・ロックなどのポップミュージックでも大活躍しているギター。ただ、ギターと一言で言っても、その形や弾き方はバラエティに富んでいる。

 弦の数は6本が普通だが、4本から18本まである。弦の材質もスチール・ナイロン・ガットと様々。ボディは形もひょうたん型が中心だが、腰のくびれやお尻の大きさはそれぞれ。底板も平らなものが多いが、微妙な丸みがついているものもある。指板のフレット数も一定しない。

 チューニングもオープンGなど多種多様だし、弦の弾き方も指の腹だったり爪だったりピックを使ったり。これがエレキギターになると、更にバリエーションが広がってキリがない。バイオリンなどの他の楽器では考えられない柔軟さだ。

 などと、21世紀の今日でも進化を続けるギターは、どのような経緯で生まれ、育ち、現在へと至ったのか。その過程では、どんな演奏者がどんな音楽をどう奏で、それを世間はどう評価したのか。現在のひょうたん型のボディと6コースの弦は、いつ定まったのか。

 多くの人に愛されるギターの歴史を、豊富な図版と共に解き明かす、ギターマニア感涙の書。

 ただし、本書が扱っているのはクラシックだけで、エレキギターはほとんど出てこない。そこは要注意。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Die Gitarre : Grundzuge ihrer Entwicklung, von Peter Paffgen, 1988。日本語版は1997年12月12日第1刷発行。単行本ハードカバー横二段組みで本文約219頁に加え、あとがき1頁+訳者あとがき1頁。9.5ポイント21字×34行×2段×219頁=約312,732字、400字詰め原稿用紙で約782枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 ただし書名のとおり写真やイラストや歴史ある楽譜・絵画などをたくさん収録しているので、実際の文字数は6~7割程度。

 文章はかなり硬い。また、内容も、音楽とギターについて、多少の知識が必要。例えば6コース12弦と言われて、「なるほど12弦ギターか」とわかる程度の前提知識が欲しい。また、撥(バチ)をプレクトラムと書いてたり。加えて、中盤以降は五線譜が出てくるので、読めると更に楽しめる。いや私は読めないんだけど。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • 第1章 多彩な顔を持つ楽器
  • 第2章 ヨーロッパにおけるギターの起源
    • 起源はヒッタイトとバビロニアか?
    • エジプトはギター発祥の地か?
    • 古代ギリシャのギター
  • 第3章 中世ヨーロッパにおけるギターの発展
    • ギター誕生の地はスペインか?
    • 初期の文献
    • 爪弾かれたのか、掻き鳴らされたのか、弓で弾かれたのか?
    • ヨーロッパのリュート
    • ギターはムーア人の楽器か?
  • 第4章 16世紀のギター属楽器
    • タブラチュア
    • 文献
    • スペインのビウェラ
    • ヴィオラ:イタリアのビウェラ
    • ビウェラ奏者とそのレパートリー
    • 演奏テクニックと演奏の実際
    • ビウェラとギターラ
      • ギターラ・セラニスタ
      • ギターラは小型のビウェラか?
      • 史料
    • 発展の起点か?
  • 第5章 第5の弦
    • タブラチュア
      • フアン・カルロス・イ・アマートの『スペイン式ギターとパンドーラ』
      • イタリア式「アルファベット」
      • 複式タブラチュア
    • ギター奏者とその作品
      • イタリア人たち
      • フランス楽派
      • スペイン楽派
    • 楽器
      • キタラ・バテンテ
  • 第6章 5コース、6コース、そして6単弦へ 近代的な特性を持つ楽器への変遷
    • タブラチュアの終焉
    • 作曲家とその作品
  • 第7章 19世紀のギター
    • 古代ギリシャへの追想 リラ・ギター
    • パリ,ウィーン,ロンドン,ペテルスブルグ遍歴のヴィルトゥオーゾとその作品
    • 演奏テクニックの革命
    • 新たな衰退か? 19世紀後半
  • 第8章 20世紀
    • 新世代の曙 フランシスコ・タレガ
    • タレガの使徒たち
    • アンドレス・セゴビア
    • セゴビア・レパートリー
    • 「爪弾くヴァイオリン」からギターへ
    • 新たな第一歩
    • 第2世代 第2軍?
    • 現代クラシック音楽のレパートリー
    • 作曲されたフォルクローレ 南米のギター音楽
    • こんにちの広範な活動民衆楽器となるギター
    • 新世代のギタリストたち
    • 若きヴィルトゥオーゾとそのレパートリー
  • あとがき
  • 訳者あとがき
  • ギター史年表
  • 参考文献一覧
  • 図版出典一覧
  • 索引

【感想は?】

 楽器には序列がある。女王はパイプオルガンだろう。さて、ギターは、というと…

 その前に、まずはギターの起源だ。残念ながら、この本ではハッキリしない。このあたりは学者らしく、レリーフや壺の絵などの資料を示しながらも、「よく分からない」と慎重な姿勢だ。

 どうやら「紀元前4000年から2000年あたり、それも差し当たり西南アジアとエジプト」としているが、弾き方まではわからない。ただ、胴のくびれの意味は、構造上の都合らしい。ギターの胴は張った弦に引っぱられる。胴がまっすぐな形だと、弦の力で胴がゆがんでしまう。どうしよう?

「葉巻の箱(……)を想像してみるがよい。今度のは側面がやや内側にくびれており、少しでもこの箱をたわめることは不可能だ」

 と、弦の引っ張りに対し、構造材を斜めに入れる事で抵抗力を増したわけ。結局、楽器も工学製品なんだなあ。

 ただ、この後の歴史も判然としない。ギリシャ時代までは多少の史料もあるが、話は一気に15世紀のレコンキスタ(→Wikipedia)へと飛ぶ。とするとムーア人(→Wikipedia)の置き土産みたいだが、そこも断言はしていない。記録が残りやすい文字や絵画に比べ、音は残らないってのが音楽の辛い所。

 とまれ、それでも1500年あたりには楽譜が出回り始めた。嬉しい事に、タブラチュア、俗称TAB譜だ。ここからコースの数とチューニングもわかり、今のギター同様6コースでチューニングも同じらしい。ややこしいのは、ビウェラとギターラと二つの名があること。

 これは楽器の序列の問題で。ビウェアは王侯貴族のもので、ギターラは庶民の楽器という位置づけだ。バイオリンとフィドルみたいなものだろうか。ただしギターラは小型で、4コース。ウクレレかい。

 この序列の問題は現代まで尾を引いてるのが切ない。つまり、クラシックの世界じゃギターはスターじゃないのだ。よって演奏家もギタリストはピアニストやバイオリニストほどもてはやされない。これをなんとかしようとするギタリストの努力を、本書の中盤以降で詳しく描かいてゆく。

 それはさておき、ビウェラ&ギターラで面白いのは、チューニング。曰く、「①弦をできるだけ高く調弦する」。

 今のように、音の高さは、絶対的な周波数で決まってたわけじゃないのだ。全体として調律があっていればいい。独奏なら、それでいいんだろう。また、最高音の弦が基準となるのも、当時ならでは。

 弦っは強く張れば高い音が出る。ただし、あまり張り方が強すぎると、弦が切れてしまう。特に、最も高い音の弦がいちばん切れやすい。そこで①弦を基準とするわけ。弦の素材については書いてないけど、たぶんガット(羊などの腸)だろう。

 弾き方もビウェラとギターラは違う。ビウェラは単音または複音なんで、メロディーを爪弾くのに対し、ギターラはバチでコードを掻き鳴らす。これが互いに影響し合い…

 とまれ、音の小ささは致命的で。この問題を解決するために、最初は複弦にしたり低音弦を追加していたのが、巻弦の登場で「これでいんじゃね?」となる。テクノロジーがギターを救ったのだ。

もっとも、音の小ささは今でも残ってて。アンプで増幅できるロックじゃ、ギタリストはバンドの花形だけど、生音でオーケストラと張りあわにゃならんクラシックじゃ、ギタリストがソロを取るなんて場面は滅多にないのが悲しい。

 やがてテクノロジーは表面板の補強材や指板の素材なども変えてゆく。ギターそのものも、フェルナンド・ソルやフランシスコ・タレガなどスターの登場と退場と相まって浮沈を続ける。アンドレス・セゴビアについても、功績は賞賛しつつチクリと刺すのも忘れないあたりは、音楽家らしい意地の悪さがチラホラw

 安易に俗説に流されず、あくまでも資料を元に慎重な態度で記された学術的な本だ。それだけにまだるっこしい部分もある。だが、ギターマニアなら、豊富に収録された絵画や写真を見るだけでも涎が止まらないだろう。そう、まさしくギターマニアのための本なのだ。

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2017年9月21日 (木)

権二郎「インドまで7000キロ歩いてしまった」彩流社

神戸電鉄と北神急行と神戸市営地下鉄とJR東海道山陽線と赤穂線と両備バスを乗り継いで牛窓に到着したのは10時だった。なんと4時間半もかかっている。こんなに乗り物に乗って、その目的が歩くことなのだからけっさくである。
  ――2002年1月~2003年1月 山陽路を歩く

要するに湖南料理では唐辛子は香辛料ではなく、それ自体が食材だったのである。
  ――2005年8月~2006年8月 華南を歩く

ミャンマーの地図にはロクなものがなかったからである。
人は西に行くほどよくなっているが、地図はひどくなっていた。
  ――2008年12月~2009年1月 ミャンマーを歩く

このときを除けばカレーばかりの毎日だった。
  ――2009年11月~2009年12月 バングラデシュ インドを歩く

【どんな本?】

 2002年1月。天気のよさにつられ、45歳のオヤジが散歩に出る。神戸の自宅から有馬温泉まで6km、温泉を楽しみ電車で帰ってきた。次の休みに有馬から甲陽園まで17kmを歩く。その次には甲陽園から三宮まで19km。

 なんとなく始めた散歩は、やがて泊りがけとなり、次には国境を越え韓国・中国へと伸びてゆく。歩きなだけに、一日で動ける距離は限られ、滅多に外国人が来ない所にも入り込む。ラオスやミャンマーなど、私たちには馴染みのない人々の暮らしを横目で見ながら、オヤジは着々と歩を進めてゆく。

 奇想天外な旅を、特に気負いもなく淡々と綴った、オッサンの一風変わった旅行記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年8月12日初版第一刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約379頁に加え、あとがき3頁。9ポイント43字×17行×379頁=約277,049字、400字詰め原稿用紙で約693枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。その気があれば、GoogleMap などで足跡を辿りながら読んでもいいだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 2002年1月~2003年1月 山陽路を歩く
  • 2003年2月~2003年7月 韓国を歩く
  • 2003年7月~2004年5月 華北を歩く
  • 2004年8月~2005年5月 華中を歩く
  • 2005年8月~2006年8月 華南を歩く
  • 2006年8月~2007年1月 ヴェトナムを歩く
  • 2007年1月 ラオスを歩く
  • 2007年8月~2008年1月 タイを歩く
  • 2008年12月~2009年1月 ミャンマーを歩く
  • 2009年11月~2009年12月 バングラデシュ インドを歩く

【感想は?】

 力みも気負いもない文章が心地ちいい。

 この手の旅行記は、「心のふれあい」だの「素朴な温かみ」だのといった、妙にウェットな感傷が絡みがちなのだが、この本にはほとんどない。ただ、淡々と歩き、その途中で起きた事柄を記録しているだけだ。

 お断りしておくと、一度の旅でインドまで歩きとおしたわけじゃない。キリの良い所まで歩いたら、いったん航空機などで日本に帰る。しばらくしたら再び同じ国を訪れ、前回のゴールまで列車やバスで戻り、そこから歩きはじめる、そんな風に続けた旅だ。

 また、地域によっては、ロクな宿がない所もある。そんな時は、まず大きめの街に宿を取り、そこから歩き始める。適当に歩いたら、バスや乗り合いタクシーなどで街に戻る。そして次の日に、昨日のゴールまでバスなどで移動し、再び歩を進める、そんな風に旅程を稼ぐのである。

 別に誰かに押し付けられたわけじゃなし、律儀に守らんでもいい決まりだとは思うが、始めちゃったからには続けたいよなあ、そんな気分で守り続けた自分ルールなんだろう。実際、このルール、ミャンマーでは規制が厳しく断念するしかなかった。

 と、途中で断念はしたものの、当時の軍事政権下のミャンマーを歩こうなんて発想も大胆だし、それを実際にやっちゃった実行力もたいしたもの。お陰で、貴重なミャンマーの内側も少し覗けたり。バンコックでヴィザを取る過程も、意外な展開に「やっぱり東南アジアだなあ」と変に感心してしまう。

 そのミャンマー、軍政下だけに役人は小うるさいが、人々はおおらかなもの。店先で休んでると、ワラワラと人が集まってきては、楽しいおしゃべりが始まったり。

 アジアの平和な田舎ってのは、どこでも似たようなもんなんだろう。というのも、バングラデシュやインドでも、チャー屋で休んでると同じような状態に陥ってるし。

 こういった小休止の場所や、飲み食いするものが、少しづつ変わっていくのも、ゆっくりした旅行の面白い所。バングラデシュとインドでチャーの淹れ方が違うとは知らなかった。ワラワラと集まってくる面子まで違うのは、やはりお国柄といった所か。

 食事のマナーもお国それぞれ。韓国じゃ「ご飯はスプーンで食べ、おかずは箸で食べる」のがマナーだそうだが、やはり面倒くさがり屋はどこにもいるようで。中国の定食屋はおおらかで、「注文するときは厨房に入っていって並んでいる材料を指せば」いいってのも大胆だなあ。

 などの食べ物ばかりでなく、旅装も一部は現地調達だ。さすがに靴は日本であつらえたようだが、読んでて欲しくなったのはベトナムのノン(→Wikipedia)。帽子のように、頭にかぶる傘だ。これの何がいいかって…

笠を被って歩いてみると涼しくて快適だった。帽子のように蒸れることがなく、日除けはもちろん、雨除けにもなり、逆さにすればカゴのような使い方もできた。

 そう、帽子って、蒸れるんだよなあ。傘って一見、奇妙な形だけど、ちゃんと現地の気候に合ったデザインなんだね。ってんで、暫くはノンを被って歩く著者、お陰でバングラデシュやインドではヴェトナム人に間違われたり。

 徒歩だけに、ゆっくりと風景や食べ物、そして人々が変わってゆく。国境沿いでは両国の人々が入り混じり、様々な物を売り買いしている。かと思えば、何もない船着き場だったり。じっくりと歩くからこそわかる道標などの事情も楽しい、ちょっと変わった旅行記だ。

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