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2024年9月15日 (日)

菊池秀明「中国の歴史 10 ラストエンペラーと近代中国 清末 中華民国」講談社

本書があつかう中国の近代史とは、具体的にはアヘン戦争後の19世紀半ばから、日中戦争が始まる直前の1936年までを指している。
  ――序章 南からの風

魯迅「暴君治化の臣民は、たいてい暴君よりも暴である」
  ――第6章 若者たちの季節

中国共産党の結成は各地の知識人を媒介に、細い糸をより合わせるようにして進められた
  ――第6章 若者たちの季節

成立当初の南京国民政府は二つの政治課題に直面していた。その一つは張作霖らの北京政府、汪兆銘の率いる武漢国民政府に続く第三の政府として登場したために、政権の正統性をアピールする必要があったことである。
  ――第7章 革命いまだ成らず

「これ以上内戦があってはならない」
  ――第9章 抗日の長城を築かん

【どんな本?】

 東アジアの歴史が始まって以来、その中心として君臨したてきた中国。だが欧米諸国や日本が権益と植民地化を狙い、砲艦外交を仕掛けてくる。従来の朝貢外交では対応しきれず、かと言って列強の軍事力にも対抗できず、別の手を取ろうにも屋内の保守派は不平の声をあげるばかり。

 各地で国を憂う者たちは集い立ち上がり、だが既存の秩序の転覆を清王朝は認めず、東アジアの大国は混乱の渦に巻き込まれてゆく。

 講談社が刊行した中国通史の叢書の第10巻は、近代化の荒波に翻弄されながら沈んでゆく清帝国と、新たな中国を築こうとする群雄たちを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年9月22日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約385頁に加え、主要登場人物略伝9頁と歴史キーワード解説7頁、おまけに参考文献がズラリ14頁。9.5ポイント44字×19行×385頁=約321,860字、400字詰め原稿用紙で約805枚。文庫なら薄めの上下巻ぐらい。今は講談社学術文庫から文庫版が出ている。

 文章はこなれていて親しみやすい。歴史書としては人物、それも権力者を中心とした王道の形であり、内容も興味を惹きやすくわかりやすい。とはいえ、激動の時代だけに登場人物が多く、キッチリ覚えようとすると苦労する。また、中国の地名が頻繁に出てくるので、Google Map か地図帳があると便利。

【構成は?】

 原則として時代順に進む。章によっては冒頭に現代の中華人民共和国の話題を語り、読者の関心を掻き立てる構成をとっている。

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  • 序章 南からの風 辺境からの中華再生の試み
  • 第1章 「南からの風」吹く 太平天国運動と列強
  • 洪秀全のキリスト教受容と拝上帝会
    洪秀全の故郷を訪れた日本人/洪秀全の幻想とキリスト教受容/紫荊山での布教活動と偶像破壊運動
  • 太平天国の蜂起と南京進撃
    天父・天兄下凡と金田蜂起/太平軍の南京進撃とその主張/太平軍の宣伝活動とその規律
  • 地上天国の現実と湘軍の登場
    太平天国の北伐とその失敗/天京の建設と「天朝田畝制度」/曽国藩と湘軍の結成
  • 天京事変と第二次アヘン戦争
    太平天国の内部分裂/第二次アヘン戦争と清朝/太平天国の外交と北京条約
  • 「資政新編」と太平天国の滅亡
    洪仁玕の天京行きと「資政新編」/太平天国の滅亡と常勝軍/太平天国運動の遺産
  • 第2章 ゆらぐ中華の世界 洋務運動と日清戦争
  • 洋務派の登場と近代化事業
    中国近代化のルーツ/西太后の登場と洋務運動の開始/洋務運動の拡大と官僚資本主義
  • 「中体西用」論の理想とその現実
    洋務派の思想とその源流/近代化と儒教的正統論/洋務運動と地方ナショナリズム
  • 「辺境の危機」と清仏戦争
    清朝支配の衰退とイリ問題/ビルマとヴェトナムをめぐる動向/清仏戦争と辺境経営の行きづまり
  • 琉球と朝鮮李朝をめぐる日清関係
    近代初期の日清関係と台湾出兵/清朝辺境統治の見直しと日朝修好条規/朝鮮をめぐる日清間の確執
  • 日清戦争と下関条約
    日本の戦争準備と光緒帝親政/甲午農民戦争と日本・中国/日清戦争の勃発と李鴻章/下関条約と台湾民主国
  • 第3章 ナショナリズムの誕生 戊戌変法と義和団
  • 列強の中国分割と変法派の登場
    政治都市・北京/列強の中国分割/「天演論」の衝撃と変法派の登場/強学会と譚嗣同の「仁学」
  • 変法運動と戊戌政変
    日本モデルの提起/戊戌変法の開始/伊藤博文の中国行きと戊戌政変
  • 反キリスト教事件と義和団の登場
    宗教的な時代/キリスト教の中国布教と仇救事件/義和団の登場
  • 北京における義和団と清朝、列強
    義和団の北京進出/清朝の宣戦布告と北京籠城戦/八ヵ国連合軍と北京議定書
  • もう一つの義和団 中国人移民問題とアメリカ製品ボイコット運動
    日本人の義和団観と中国保全論/アメリカの反華僑運動と黄禍論/アメリカ製品ボイコット運動とナショナリズム
  • 第4章 清帝国のたそがれ ラストエンペラーと辛亥革命
  • 清末中国人の日本留学と日露戦争
    100年前の日本留学熱/留学生の派遣と日本ショック/留学生の反清と反日本
  • 孫文の登場と日本
    孫文の生い立ちと洪秀全/興中会の結成と広州蜂起/宮崎滔天との出会い両広独立計画と恵州蜂起
  • 革命派の成長と中国同盟会
    急進派留学生と孫文/革命派の成長/中国同盟会の成立/中国同盟会における孫文
  • 救国の方途を求めて
    梁啓超と中国同盟会の論戦/中国同盟会の路線対立と内紛/光緒の新政と張騫の立憲改革
  • 清帝国のたそがれと辛亥革命
    宣統帝溥儀の生い立ち/摂政王の政治と鉄道国有化問題/同盟会中部総会と武昌蜂起/袁世凱の再登場と清朝の滅亡
  • 第5章 「民の国」の試練 袁世凱政権と日本
  • 中華民国の成立と臨時約法
    一発の凶弾がもたらしいたもの/袁世凱の臨時大統領就任と臨時約法/袁世凱の開発独裁と地方ナショナリズム
  • 第二革命と袁世凱政権
    孫文の訪日と日本の辛亥革命への対応/善後大借款と第二革命/袁世凱政権とその特質/中華革命党と孫文
  • 第一次世界大戦と21カ条要求
    第一次世界大戦と日本の青島占領/21カ条要求と中国/反日ナショナリズムの高揚
  • 袁世凱の帝制復活と日本
    袁世凱の野望と不安/グットナウと帝制運動/日本の動向と坂西利八郎
  • 第三革命と袁世凱の死
    段祺瑞政権と西原借款/清朝復辟事件と護法戦争
  • 第6章 若者たちの季節 五・四運動とマスクス主義
  • 「新青年」と北京大学
    天安門事件と5.4運動/北京大学の改革と蔡元培/国語制定と女性解放をめぐる議論
  • 魯迅と文学革命
    魯迅の日本時代と役人生活/文学革命と「狂人日記」/「阿Q正伝」と中国社会
  • パリ講和会議と5.4運動
    二つの講和会議/5.4運動の開始/運動の拡大と条約調印拒否/日本留学生の動きと吉野作造
  • マルクス主義の受容と中国共産党の成立
    中国におけるマルクス主義の受容/コミンテルンと中国共産主義運動/中国共産党の結成と第一回全国代表大会
  • 第7章 革命いまだ成らず 第一次国共合作と北伐
  • ワシントン体制と孫文の革命方策
    /孫文の「大アジア主義」講演/ワシントン条約と軍閥混戦/陳炯明の聯省自治とマーリング
  • 第一次国共合作と蒋介石
    第一次国共合作の成立/黄埔軍官学校と蒋介石/孫文の北上とその死
  • 「花なきバラ」と北伐の開始
    魯迅と3.18事件/蒋介石の台頭と中山艦事件
  • 北伐の展開と湖南農民運動
    魯迅の広州行きと北伐軍の勝利/北伐下の政治抗争と毛沢東の湖南農民運動視察
  • 4.12クーデターと国共合作の崩壊
    南京事件の発生と蒋介石/共産党の上海蜂起と4.12クーデター/国共合作の崩壊と魯迅
  • 第8章 内憂と外患のなかで 南京国民政府と満州事変
  • 北伐の再開と山東出兵
    張作霖爆殺事件と日本/蒋介石の下野と日本訪問/済南事件と佐々木到一
  • 北伐の完成と南京国民政府
    張学良の登場と南北統一/関税自主権の回復と日本/中原大戦と広州国民政府
  • 毛沢東の辺境革命と包囲討伐戦
    大いなる田舎者・毛沢東/井岡山革命根拠地の建設と梁漱溟/包囲討伐戦と中華ソビエト共和国
  • 満州事変とラストエンペラー
    柳条湖事件と日本/戦火の拡大と南京国民政府/ラストエンペラーの再登場
  • 第9章 抗日の長城を築かん 満洲国と長征・西安事変
  • 満州国の成立とその現実
    上海事件の勃発と魯迅/満州国の成立と善意の悪政/リットン報告書と熱河侵攻
  • 安内攘外と長征の開始
    安内攘外策の提起と第五次包囲討伐戦/起死回生をかけた長征/遵義会議と周恩来
  • 高まる抗日のうねり
    蒋介石の抗戦準備と独裁体制/中国民権保障同盟と魯迅/日本の華北分離工作と12.9学生運動/義勇軍行進曲と8.1宣言
  • 西安事変と張学良
    苦悩する東北群総帥/事実をもって答えん/監禁された蒋介石/実現した蒋介石・周恩来会議
  • 第10章 辺境の街と人々 香港・台湾そして上海
  • 異文化の窓口としての香港と上海
    時代の活力を示す辺境/草創期の香港と上海/にっぽん音吉とからゆきさん/近代文明の洗礼と東亜同文書院
  • 台湾と日本型近代のゆくえ
    台湾総督府と後藤新平/「台湾青年」と議会設置請願運動/霧社事件と「サヨンの鐘」
  • 大革命時代の上海と香港
    5.30運動と省港スト/台湾共産党と朝鮮人の独立運動
  • エピローグ 魯迅の遺言と日本人たち
    魯迅の死と内山完造/鹿地亘の日本人反戦同盟/21世紀の日本と中国
  • 主要人物略伝/歴史キーワード解説/参考文献/年表/索引

【感想は?】

 いわゆる「歴史の教科書」な印象だ。

 歴史の捉え方としては古典的というか王道で、権力者たちを中心に政治の話題が大半を占める。とはいえ、この巻の政治は大平天国やら義和団やら北伐やらと、物騒な話題ばかりなのだが。

 登場人物の多くは、天の小口側に写真が載っていて、これがまた教科書な印象を強めている。あと、人物の名前は「しょうかいせき」や「もうたくとう」など、日本語の読みでルビがついてる。

 実は浅田次郎の「中原の虹」を拾い読みして、「俺、この時代の中国について何も知らないや」と思い知ったのが、本書を読むきっかけ。そういや大好きなパール・バックの「大地」も、この時代が背景だった。

 いや、名前だけは知っているのだ。大平天国とか義和団とか西太后とか袁世凱とか孫文とか。でも、何が起きたのか、何をした人なのか、まったくわかってない。

 その点、本書は状況つまり舞台設定の説明から入るので、とってもわかりやすい。当時の中国が欧米や日本に食い荒らされていたのはボンヤリと知っていたが、その先というかその奥がわかってなかった。

 これも本書の特徴なんだが、大平天国も義和団も、彼らの思想背景から語り始める。一見、遠回りのようだが、彼らの世界観が見えてくると、問題の恐ろしいほどの根深さがジワジワと染みてくるのだ。

 問題は二つ。中華思想と孔子信仰である。

 中華思想は、そこらのお国自慢とはレベルが違う。理屈をつけて「俺たちは偉い」とするんじゃない。「俺たちこそが文明の始祖」って前提で、世界のすべてを解釈するのである。

 儒教というか孔子信仰も根深い。太平天国はキリスト教の強い影響下にあり、加えて中華思想と孔子信仰が悪魔合体して意味不明な思想体系…なんだが、本人たちには心地よい世界観なんだろうな、とも伝わってくる。なにせガイジンたちはノサばり国の軍人役人は頼りにならず、ヘコんでる所に民族の誇りを呼びかけるのだ。そりゃ気持ちイイわ。

 結局は潰れる太平天国だが、革命を求める思想と動き、そしてその奥にある中華思想と孔子信仰はしっかりと受け継がれてゆく。

太平天国運動は失敗に終わったが、彼らの播いた種はその後の歴史のなかで着実に根をおろしたのである。
  ――第1章 「南からの風」吹く

 こういった中国の変化は、単に中国一国だけで完結する話ではない。東アジアの有史以来の国際関係・国際秩序が、根本的にひっくり返った事でもある、と歴史を俯瞰した視点を与えてくれたのは嬉しい。

日清戦争は清朝の完敗に終わった。それは長い間東アジアの世界秩序だった朝貢体制を崩壊させると共に、19世紀後半の中国が試みてきた洋務運動の挫折を意味した。
  ――第2章 ゆらぐ中華の世界

大平天国の金田蜂起から60年、270年近く続いた清朝はついに倒れた。それは単に一つの王室が倒れただけでなく、秦の始皇帝以来2000年近くにわたって続いた専制王朝体制の終焉だった。
  ――第4章 清帝国のたそがれ

 そこにガッツリ食い込んでくるのが大日本帝国だ。中国の若き知識人の多くは「日本に学べ」と日本に留学するのだが、必ずしも暖かく歓迎されるとは限らず。まあ食べ物が合わないのはしょうがないけど、当時の日本人の思い上がりも悲しくなる。この時代の中国に最大の影響を与えた国は、間違いなく日本だろう。

 巧くやれば中国の次世代を担う若者たちを取り込めただろうに、当時の日本は暴走がちで…

21カ条要求(→Wikipedia)は(略)日本に親近感をよせ、日本モデルの改革を志してきた中国知識人を、日本との決別へ踏み切らせてしまった。
  ――第5章 「民の国」の試練

 確かに21カ条要求は無礼で欲深で傲岸不遜なシロモノだ。もっとも、留学生たちの世界観もいささか狭い。これを冷徹な理屈で「弱肉強食な世界秩序」の現れとは考えず、感情的な「日本への好き嫌い」になってしまうのは、どこかに「同じ極東人」としての情があったんだろうか。

 いずれにせよ、今も昔も、中国の変化・改革を先導するのは「学生などの知識人」といった構図だ。百家争鳴なお国柄だしね。知性を敬う風潮は、ちと羨ましい。日本は長く武力がモノを言ってきたし、維新も半ば勢いなんだよな。

学生などの知識人が中心となり、ボイコットを呼びかけるという運動の構図は、その後も長く中国のナショナリズム運動に受けつがれることになる。
  ――第3章 ナショナリズムの誕生

 それはともかく、清帝国の崩壊は大陸に嵐を巻き起こす。二千年来の秩序の崩壊だけに、混迷の度合いも深い。

民国時代は、(略)各地に大小の軍事勢力が割拠し、中央政府のコントロールがきかなかったこの時代は、ファーストエンペラー登場以前の春秋、戦国時代に似ている。
  ――第5章 「民の国」の試練

南の革命政府、北の段祺瑞政府以外にも各地に大小の軍事勢力が割拠して、中国はいわゆる軍閥混戦の時代に突入した。
  ――第5章 「民の国」の試練

 そんな中、不気味に勢力を伸ばしてきたのが共産党だ。ここでは、中国現地の事情を全く知らず無謀な指令を下すコミンテルン(→Wikipedia)の傲慢な間抜けっぷりが印象に残る。そうか、毛沢東は海外留学してないのか。と同時に、教師が社会運動のリーダーになりがちな理由も少しわかった。

人々をやる気にさせる術を心得ていた教師出身の毛沢東は、革命教育のリーダーとしては彼ら(国民党の蒋介石や太平天国の楊秀清)よりも一枚上手だった。
  ――第8章 内憂と外患のなかで

 知識があって、かつ集団を統率する術に長けてるんだな。ライバルの蒋介石も、軍学校の校長って経歴が権力の礎になってるのが興味深いところ。こういう時代の軍の士官は、武力を持つのに加え洋風の知識も得ているわけで、「我々が国を率いるべきだ」と思い込むのも自然なんだろう。

 最後の第10章は、明らかに本流から外れ、反体制と言うかカウンター側の人々の話題が中心で、それに加えいわゆる「租界の魅力」を巧みに描いている。異国の見慣れぬ文化が流れ込み、国家の権力が及ばない、闇鍋のような世界が現れるのだ。

中国公権力の力が及ばない香港と上海は、中国内外の革命や独立運動にとって絶好の拠点を提供した。たとえばヴェトナムの革命指導者であるホー・チ・ミンは1926年にコミンテルンの東方極委員として広州を訪れ、ヴェトナム青年革命同志会を設立した。
  ――第10章 辺境の街と人々

 後半に入ってから、著者は興味深い指摘をしている。袁世凱・孫文・蒋介石など、新時代のリーダーたちは、いずれも自らの権力の強化に余念がなく、独裁者=皇帝を目指している。対して日本の維新勢力は薩長土肥と呼ばれるように寄り合い所帯で、卓越したリーダーがいない。

 それでよく単一の軍事戦力として内戦を制し得たと思う。天皇という神輿が効いたのもあるだろうが、佐幕側も連携できてない。とすると、大政奉還の意味も違ってくる。あれで佐幕側は戦力が統一できなくなったのだ。だって中心になるはずの徳川家がトンズラしちゃったし。

 いずれにせよ、維新側は雑多な勢力の群体なだけに、強力な独裁者は現れず、また多少の偏りはあるにせよ「国家はなぜ衰退するのか」が説く包括的な権力構造になったのが幸いしたのか。

 などと考えると、ますます明治維新の特異さが見えてくる。雑多な勢力の集合体になれたのは、当時の各藩は私たちが思う以上に独立性が高かったから、だろうか。そういや薩英戦争とかやってるな。

 逆にエジプトやトルコ、そして一昔前の中国などが国家制度の近代化に苦労しているのは、リーダーが強力すぎるためなんだろうか。

 などと、異国人に食い物にされる挫折と屈辱を味わいつつ、国内でも権力争いで多くの血を流しながら、紆余曲折を経て近代化を目指した中国を描いた本で、確かに波乱万丈の物語が展開するし、その展開はジェットコースターどころかアチコチでワープした感すらある急激さに満ちている。特に後半は私も流れを追い切れていない。

 まあ、現実に事件が盛りだくさんなんで、仕方がないか。本書の姿勢は王道の歴史の教科書を目指すもので、政治権力者を中心としつつ、ときおり魯迅などの文化人を交える構成で、庶民文化や産業技術などにはあまり踏み込まない。まあ、そっちまで踏み込んじゃったら頁が幾つあってもキリないし。

 ということで、教科書的に中国の近代を知るための最初の本としては、全体を俯瞰しつつも重要な事件は充分に解説しているので、かなり良質な入門書になっていると思う。中国の近代は何も知らないが常識程度には身につけておきたい、そんな私のような人にお薦め。あと、日本の明治維新を分析するための比較・対照サンプルとしても役に立つ。

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2024年9月11日 (水)

ソフィー・D・コウ/マイケル・D・コウ「チョコレートの歴史」河出書房新社 樋口幸子訳

バロック時代のヨーロッパこそ、チョコレートが征服した正真正銘の新領土だった。
  ――第5章 チョコレートのヨーロッパ征服

17,8世紀のヨーロッパ人がすすったチョコレートの大半は、奴隷によって運営される「カラカス」カカオ農園から輸入されていたのだ。
  ――第6章 カカオ産地の変遷

チョコレートを料理の材料として使うと聞いたら、アステカ人はショックを受けるにちがいない。(略)
だが今日では、多くの食物研究家たちが、(略)「パボ・イン・モレ・ポブラノ」こそ、メキシコの伝統料理の頂点だと考えている。
  ――第7章 理性と狂気の時代のチョコレート

【どんな本?】

 私たちが知っているチョコレートは、板状だったりアイスクリームのトッピングだったり粒状で中にブランデーが入っていたりと、繊細な舌触りの甘くほろ苦いお菓子だ。だが、チョコレートの歴史を見ると、現代は極めて異様なチョコレートばかりが幅を利かせているのがわかる。

 チョコレートというかカカオの原産地は中米である。オルメカ人が見つけ栽培を始めたカカオをマヤ族とアステカ族が受け継ぎ、スペイン人が欧州に持ち帰って独自のアレンジを加え、更に資本主義と産業革命により大幅な改造を受けた結果が、現代の私たちの知るチョコレートだ。

 本書の特徴は、スペイン人来襲前の中米におけるチョコレート文化から、欧州での「飲み物」としてのチョコレートをじっくりと描く反面、産業革命以降のチョコレート激動の時代は駆け足で片付けてゆく点だ。

 スペイン人による征服以前の米大陸の食生活を研究した妻で人類学者のソフィー・D・コウの遺稿を、同じく人類学者の夫マイケル・D・コウが引き継いで完成させた、チョコレートの香りと魅惑に満ちた歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The True History of Chocolate, by sophie D. Coe and Michael D. Coe, 1996。日本語版は1999年3月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約371頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×371頁=約324,254字、400字詰め原稿用紙で約811枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。今は河出文庫から文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれていいる。いや学者が書いた本のわりに、って程度だが。いずれも歴史に素養が深い人らしく、歴史上の有名人が説明なしに出てくるのが困りものだが、知らなかったら無視していい。何より大事なのは、チョコレートが好きか否かだ。

 また、前半では中米の地名が頻繁に出てくるので、地図帳か Google Map があると便利だろう。

【構成は?】

 原則として過去から現代へと向かうので、素直に頭から読もう。

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  • まえがき
  • 序章
  • 第1章 神々の食物の木
  • 複雑多彩な化学成分
  • 第2章 カカオの誕生 オルメカ=マヤ時代
  • オルメカ人
  • イサバ文明から古典期マヤまで
  • 密林の王たち 古典期マヤ
  • 古典期マヤの黄昏
  • 征服前夜のマヤ族
  • 征服以降のマヤ族におけるカカオの調理法
  • 第3章 アステカ族 五番目の太陽の民
  • アステカ族の起源と初期の歴史
  • 征服前夜のアステカ族
  • 引力と斥力 オクトリとチョコレート
  • アステカ族の「チョコレートの木」 カカワクアウイトル
  • 王家の金庫
  • アステカ式チョコレートの作り方
  • 調味料、香辛料、その他の添加物
  • 特権階級の飲み物
  • 「夢のような通貨」
  • 象徴と儀式におけるカカオ
  • 第4章 出会いと変容
  • 最初の出会い グアナファ、1502年
  • 味覚の障壁を乗り越える
  • 言語の障壁を乗り越える
  • 医学の障壁を乗り越える
  • 第5章 チョコレートのヨーロッパ征服
  • スペインのカカオ 「完全の域に達したチョコレート」
  • イタリアのチョコレート 「より精妙な優雅さ」
  • 宗教的しきたりの障壁を乗り越える
  • フランスのチョコレート
  • チョコレートとイギリス人 海賊からピープスまで
  • ヨーロッパ以外の地域
  • 第6章 カカオ産地の変遷
  • 新スペインと中央アメリカ 植民地経営始まる
  • グアヤキル 「貧乏人のカカオ」
  • ベネズエラ
  • ブラジル イエズス会のチョコレート事業とその後
  • 極楽 とはほど遠い 島
  • 新天地の開拓 世界を巡るカカオ
  • 第7章 理性と狂気の時代のチョコレート
  • 医学専門家の証言
  • スペイン
  • イタリア
  • チョコレートを使った料理 元祖はイタリアかメキシコか?
  • 革命前夜のフランス
  • ジョージ王朝のイギリス チョコレートハウスからクラブまで
  • 産業革命の黎明期におけるチョコレート
  • 一時代の終焉 「聖侯爵」とチョコレート
  • 第8章 大衆のためのチョコレート
  • 過去との決別 ファン・ハウテンの発明
  • クエーカー教徒の資本家たち
  • 混じりけのないチョコレートを求めて
  • スイス 牛とチョコレートの国
  • ミルトン・ハーシーと「お馴染みのハーシーの板チョコ」
  • 現代のチョコレートの作り方
  • 「質」対「量」 より良いチョコレートを求めて
  • ようこそ、新しいチョコレート
  • 結び 円の完結
  • 訳者あとがき/図版 出典・所蔵一覧/索引

【感想は?】

 まず驚くのが、チョコレートの歴史の長さだ。中米のオルメカ人が、カカオの木を見つけたらしい。

チョコレートとその原料となる素晴らしい木を発明したのは、アステカ族(→Wikipedia)ではなく、すばらしいマヤ族(→Wikipedia)とその遠い先祖たち、つまりミヘ=ソケ語を話していたオルメカ人(→Wikipedia)なのだ…
  ――第2章 カカオの誕生

 その歴史は紀元前から始まる。茶やコーヒーより、はるかに古い。しかも、特権階級の「飲み物」だ。

少なくとも28世紀の間、チョコレートは特権階級や非常に裕福な人だけの飲み物だった。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 そう、「飲み物」なのだ。

チョコレートは、その長い歴史の約九割に相当する期間、食べ物ではなく飲み物だったのだ。
  ――序章

 んじゃココアみたいな? と思いたくなるが、まったく違う。その説明の前に、チョコレートの作り方を。原料はカカオの実だ。ポッドの中に果肉にまみれ、種=豆が入っている。手順は四つ。1)発酵,2)乾燥,3)焙煎(火で焙る),4)風選(ふるい分け)。ここまでは古代から同じだ。

 現代のチョコレートは、風選した種をカカオバターと固形分=ココアに分ける。ちなみにカカオバターはホワイトチョコレートになる。

1828年(略)クンラート・ヨハンネス・ファン・ハウテン(略)の機械は、それ(チョコレート原液中のカカオバター)を28%から27%まで減らすことに成功した。そこで、残った「固形分」を非常に細かい粉末状にすることが可能となった。これが私たちの知っている「ココア」である。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 どうでもいいがファン・ハウテン、ある年齢の人にはヴァン・ホーテンの綴りでお馴染みだろう。さて、次にカカオバターと砂糖を入れたココアを混ぜる。これで固形のチョコレートができる。

1847年に、(略)フライ社は、砂糖入りのココアの粉末を、湯ではなく溶かしたカカオバター(略)と混ぜる方法を開発したのである。(略)これが世界で最初の本格的な「食べる」チョコレートだった。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 やがてチョコレートはミルクと魅惑の会合を果たす。

彼(ダニエル・ペーター)は、ネスレの粉末(粉ミルク)を使って新種のチョコレートを作るというすばらしい手を思いつき、1879年に最初のミルク入り板チョコが作られた。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 それまでのチョコレートはザラザラしていたが、コンキングにより繊細でなめらかな舌触りとなり、高級感が数段ました。

1879年は(略)ルドルフィ・リント(略)が「コンキング法」を発明し、それによってチョコレート菓子の質が大幅に向上したからだ。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 固形の「食べ物」であること、ミルクと砂糖が入った甘い味であること、口の中で溶けるなめらかな舌ざわりであること。いずれも現代チョコレートの特徴だ。しかし、本来のチョコレートは全く違う姿としている。

 風選までの手順は同じ。本来のチョコレート飲料は、ここから豆をすりつぶし、水や湯で溶き、充分に泡だてる。マヤ式のチョコレートは、泡が大事らしい。味付けも今と全く異なる。そもそも中米なんで砂糖がない。本書によるとチリ(トウガラシ)・トウモロコシ・バニラなどを混ぜる。

 泡だっているから、舌触りは抹茶に近いんだろうか? 味は…少なくとも、甘くはない。チリが入っているので、現代のスタミナ・ドリンクに近い、心身にカツを入れる感じの飲み物って気がする。

 その原料のカカオ豆は、大雑把に3種がある。弱くて実りは少ないが美味しいクリオロ種、強く実りも多いが味と香りはイマイチなフォラステロ種、両者の雑種トリニタリオ種だ。コーヒーだとクリオロはアラビカ、フォラステロはロブスタにあたるんだろうか。

 困ったことに、現代ではクリオロ種はほぼ手に入らない。どうも特定の高級ブランド・チョコレート企業が、高級レストラン向けに少量を売っているだけらしい。まあ、昔からチョコレートは特権階級向けだったから、そういう意味じゃ伝統を受け継いでいると言えるのか。

フォラステロ種は(略)今や世界の総生産量の80%を占めている。そしてトリニタリオ種が10から15%で、クリオロ種は第三位に甘んじている。実際、メキシコやグアテマラをはじめ、コスタリカ、アンティル諸島、スリランカの栽培者もフォラステロ種を採り入れている。
  ――第6章 カカオ産地の変遷

今では、クリオロ種は世界のカカオ生産のわずか2%を占めるにすぎない
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 コーヒーでアラビカがこんな体たらくだったら、世のコーヒー党は暴動を起こしかねない。熱心なコーヒー好きは豆を買って自ら豆を挽くが、チョコレートは加工の手順が多く消費者はまず豆に触れない。豆への拘りの違いは、豆との関係の近さが理由なんだろうか。

 しかも、けっこうな割合でクリオロとフォラステロは自然に交雑するらしい。ちなみにカカオの受粉は虫媒つまり虫まかせです。

(おそらくオリノコ川中流沿いに自生していたフォラステロ種が)トリニダードに持ち込まれると、これらの木と、わずかに残っていたクリオロ種との間で交雑が始まり、新たな変種トリニタリオが誕生した。
トリニタリオは、クリオロのように味が良く、しかもフォラステロのようにたくましい生命力を持ち、たくさんの実をつけた。この新種とフォラステロ種が、世界各地でのカカオ栽培を可能にし、時にはクリオロ種に取って代わりさえした。
  ――第6章 カカオ産地の変遷

 この虫任せってのが、カカオの栽培の難しい所で。つかそれ以前にカカオは気難しい。

北緯20度と南緯20度の間でしか実を結ばない。(略)最低気温が摂氏16℃以下になる土地には適さない。(略)一年中水分を必要とするので、乾季がはっきりした気候では感慨が不可欠だ。
  ――第1章 神々の食物の木

 なんと脆弱な。お姫様かよ。さて虫媒、当然ながら虫が必要で、虫が暮らせる環境が要る。そのため、カカオ畑は雑草を綺麗に刈り込んではマズいし、そもそも直射日光に当てず大きな木の下で育てにゃならん。

 …などと長々と講釈してきたが、それだけ現代のチョコレートは本来のチョコレート飲料とは別物になっている、と言いたかったのだ。

 で、本書は、本文の最終頁377頁のうち、145頁をスペイン人襲来前に充て、329頁までは欧州での浸透と拡散を描いている。つまり、本書が扱う「チョコレート」の大半は、私たちが知っているチョコレートとは別物なのだ。

 そこに登場するチョコレートは神の飲み物だったり宴会の最後の締めに振る舞われたりカカオ豆が小銭の代用だったり、欧州ではイエズス会のシノギになったりコーヒーハウスで飲まれたり薬だったりと、なかなかに数奇な運命を辿ってゆく。あのサド侯爵まで出張ってきたのには驚いた。

 人類学者が書いた、真面目な歴史書だ。それだけに根拠には強くこだわり、恐らくは始祖であるオルメカ人については物証がないためアッサリした記述で済ませている。だが、全般に漂うカカオの複雑で豊かな香りは否応なしに読者を覚醒させる。チョコレートの本を読むのはこれが三冊目だが、内容の本格さでは本書は別格だ。我こそはチョコレート・マニアだと言い張るなら、ぜひ読んでほしい。

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2024年8月19日 (月)

イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説

(1945年の)ドイツ崩壊の理由は明白であり、よく知られている。しかし、なぜ、また、どのようにして、ヒトラーの帝国が最後の土壇場まで機能し続けたのかは、それほど明白ではない。本書はこのことを解明しようとするものである。
  ――序章 アンスバッハ ある若者の死

戦争最後の10カ月の戦線死者数が開戦以後1944年7月までの五年間のそれにほぼ等しいのだ。
  ――第9章 無条件降伏

【どんな本?】

 1945年4月30日、追い詰められたアドルフ・ヒトラーは自殺する。翌日、海軍総司令官カール・デーニッツが政権を引き継ぎ、連合軍との交渉に当たり、(書類上は)5月8日に無条件降伏を受諾、ドイツの戦争は終わった。これによりナチ・ドイツは完全に消滅する。

 戦争の終わり方は色々あるが、一つの国が完全に消えるまで戦い続けることは稀だ。たいていはどこかで条件交渉に移り、停戦へと至る。

 なぜナチ・ドイツは最後まで戦いつづけたのか。続けられたのか。

 ヒムラーなど政権上層部やヨードルなど軍の上層部はもちろん、東西両戦線の全戦で戦った将兵、空襲に怯える市民、地域のボスとして振る舞う管区長など、様々な立場・視点から戦争末期のドイツの様子をモザイク状に描き出し、政権が国を道連れにして滅びゆく模様を浮かび上がらせる、重量級の歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE END : Hitler's Germany 1944-45, by Ian Kershaw, 2011。日本語版は2021年12月5日第一刷発行。私が読んだのは2022年1月20日発行の第二刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約501頁に加え小原淳の解説7頁+訳者あとがき8頁。9ポイント45字×20行×501頁=約450,900字、400字詰め原稿用紙で約1,128枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの大容量。

 文章はやや硬い。内容は特に難しくないが、第二次世界大戦の欧州戦線の推移、特に1944年10月以降について知っていると迫力が増す。ドイツの地理に詳しいと更によし。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進む。特に忙しい人は、「終章 自己破壊の解剖学」だけ読めば主題はわかる。

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  • 主な登場人物/地図/謝辞/初めに
  • 序章 アンスバッハ ある若者の死
  • 第1章 体制への衝撃
  • 第2章 西部での崩壊
  • 第3章 恐怖の予兆
  • 第4章 束の間の希望
  • 第5章 東部の災厄
  • 第6章 戻ってきたテロル
  • 第7章 進みゆく崩壊
  • 第8章 内部崩壊
  • 第9章 無条件降伏
  • 終章 自己破壊の解剖学
  • 解説:小原淳/訳者あとがき/写真一覧/参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 多くの日本人は、特にこの季節だと、戦争というと太平洋戦争を思い浮かべる。

 太平洋戦争で、大日本帝国は消滅した。ナチ・ドイツ同様、大日本帝国も完全に滅びたのだ。領土を失い、政権が変わっただけじゃない、大日本帝国憲法を基盤とした、国家の体制そのものが潰れた。私はそう思っている。

 世界史的に、そこまで悪あがきを続けるケースは珍しい。例えば中東戦争だ。イスラエルと周辺のアラブ諸国は、武力衝突と停戦を何度も繰り返している。大日本帝国だって、日清戦争と日露戦争は、利権や賠償金や一部の領土の割譲でケリをつけた。

 そういう意味で、本書のテーマ、「なぜナチ・ドイツは国家を道連れにしてまで戦いつづけたのか」は、「終戦史」が描く大日本帝国の終焉と通じる所がある。が、その経緯はだいぶ違う。少なくとも、この二冊を読む限り。

 ナチ・ドイツは、トップがハッキリ決まってる。言わずと知れたヒトラーだ。そのトップは、確固たる信念を固めていた。

「われわれは降伏しないぞ」(略)「絶対にするものか。われわれは滅びるかもしれぬ。だが、世界を道連れにして滅びるのだ」
  ――第4章 束の間の希望

 連合国にとっても、ドイツ国民にとっても、迷惑な話ではある。が、滅びるときは国を道連れにする、そういう決意を国のリーダーは固めていた。となれば、残る疑問は、なぜ他の者は逆らわなかったのか、となる。

 戦況が不利になると、特に東部戦線でヒトラーは軍に無茶な命令を連発する。「一歩も退くな」とかね。で、「いや無理です」とか言い返せば更迭だ。それを歴戦の国防軍の将軍たちはどう見ていたのか。

ゴットハルト・ハインリキ(→Wikipedia)<自分のヴィスワ軍集団に課せられた任務は、ほんのわずかであれ成功する見込みは、まったくありません>
  ――第8章 内部崩壊

 判っていたのだ、駄目じゃん、と。にもかかわらず、将軍たちはヒトラーに従い続けた。この理由の追求が、本書の狙いの一つだ。

 この辺、将軍たちの評価は厳しい。例えばカール・デーニッツ。今まで実直な海軍提督だと思ってたけど、著者は「いやあんた盛んにヒトラー持ち上げてたじゃん」とバッサリ。

 戦後の国防軍神話、つまり国防軍は国を守るために戦ったのであって侵略を企てたのではないって説も、「将軍の皆さんはヒトラーとその思想に心酔してたよね、戦後の回顧録じゃ誤魔化してるけど」と容赦ない。

 本書が追及しているのは、軍だけではない。政府の高官も、だ。具体的にはハインリヒ・ヒムラー/マルティン・ボアマン/アルベルト・シュペーア/ヨーゼフ・ゲッペルスの四人である。もっとも、こっちの解答は、実にみもふたもないんだけど。

 この面子では、軍需大臣アルベルト・シュペーアの野心的かつ優秀ながら、やや冷めた感覚が異色だった。実業界との関係が深い分、良くも悪くも計算高いのだ。

 そんな、ヒトラーのそばにいた将軍や大臣たちだけでなく、ケルンなど地域の様子も、本書は豊かなエピソードを収録している。幾つかの地域、特に西部では、戦わず連合軍に投降した都市もあれば、最後まで足掻いた都市もある。これは当時の管区制度の影響が大きく、ヒトラーとの連絡が取れなくなっても、最後まで総統に忠誠を尽くした地域も多い。

 かと思えば、自分だけ逃げだした大管区長もいたり。いずれにせよ、ナチの統治体制はかなりしぶとかったのが伝わってくる。本書が暴くその理由は、少なくともドイツ人に心地よいものではない。だけでなく、一般のドイツ国民に対しても、「負けたとたんに被疑者ムーブ」と著者の筆は容赦ない。

 他にも、バルジの戦いとも呼ばれるルントシュテット攻勢(→Wikipedia)、名前からしてまるきしゲルト・フォン・ルントシュテット元帥がノリノリだったような印象だが、本音は「いや無茶だろ」と思ってたとか、なかなか切ない挿話も。

 国を道連れに滅びた独裁者は、他にイラクのサダム・フセインとルーマニアのニコラエ・チャウシェスクが思い浮かぶ。いずれの国も人物もドイツのヒトラーとは異なる経緯を辿った。何が違ったのか、それを考えてみるのも面白い。

 京極夏彦並みの分厚く迫力あるハードカバーだし、中身も見た目に劣らない充実ぶりだ。腰を据えてじっくり挑もう。カテゴリは一応二つ、軍事/外交と歴史/地理としたが、歴史と政治の割合が高いと思う。特に独裁を許すことの恐ろしさは、嫌というほど味わえる。

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2024年6月10日 (月)

荻野富士夫「特高警察」岩波新書

特高警察とは何だったのか、その実態と全体像の解明が本書の課題である。
  ――はじめに

毛利基(→Wikippedia)が「特高警察の至宝」と飛ばれたのは、スパイの巧妙な操縦術にあった。
  ――3 その生態に迫る

【どんな本?】

 憲兵と並び、戦前・戦中の高圧的・暴力的な国民監視や言論弾圧の象徴となっている特高。その特高は、いつ・どんな目的で設立され、どんな者たちを監視・弾圧し、どのような手口を用い、どんな経緯を辿ったのか。いわゆる刑事警察との違いは何か。どのような警官が属していたか。組織はどんな特徴があるのか。ゲシュタポとはどう違うのか。

 当時の公開文書や警察の資料を漁り、悪名高い特高の実態を伝える、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年5月22日第1刷発行。新書版縦一段組み本文約233頁に加え、あとがき4頁。9.5ポイント40字×15行×233頁=約139,800字、400字詰め原稿用紙で約350枚。文庫なら薄め。

 地の文はこなれている。ただ戦前・戦中の文書の引用が多く、それらは旧仮名遣いだし言葉遣いも古くさい。そこは覚悟しよう。内容は明治維新以降の日本の歴史と深く関わっているので、その辺の大雑把な知識は必要。特に小林多喜二をはじめ労働運動や左翼運動の人名がよく出てくる。また、以下の事件への言及も多い。リンク先は全て Wikipedia。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

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  • はじめに
  • 1 特高警察の創設
  • 1 特高警察の歴史
  • 2 大逆事件・「冬の時代」へ
  • 3 特高警察体制の確立
  • 2 いかなる組織か
  • 1 「特別」な高等警察
  • 2 特高の二層構造
  • 3 一般警察官の「特高」化
  • 4 思想検事・思想憲兵との競合
  • 3 その生態に迫る
  • 1 国家国体の衛護
  • 2 特高の職務の流れ
  • 3 治安法令の駆使
  • 4 「拷問」の黙認
  • 5 弾圧のための技術
  • 6 特高の職務に駆り立てるもの
  • 4 総力戦体制の遂行のために
  • 1 非常時化の特高警察
  • 2 「共産主義運動」のえぐり出し
  • 3 「民心」の監視と抑圧
  • 4 敗戦に向けての治安維持
  • 5 植民地・「満州国」における特高警察
  • 1 朝鮮の「高等警察」
  • 2 台湾の「高等警察」
  • 3 「満州国」の「高等警察」
  • 4 外務省警察
  • 5 「東亜警察」の志向
  • 6 特高警察は日本に特殊か
  • 1 ゲシュタポの概観
  • 2 ゲシュタポとの比較
  • 7 特高警察の「解体」から「継承」へ
  • 1 敗戦後の治安維持
  • 2 GHQの「人権指令」 しぶしぶの履行
  • 3 「公安警察」としての復活
  • 結びに代えて
  • 主要参考文献/あとがき

【感想は?】

 実物を見ればわかるが、量的には手軽に読める新書だ。

 だがその中身は、多くの手間暇を費やして大量かつ広範囲の文献を漁って書き上げた労作である。

 にも拘わらず、著者の筆致は冷静かつ事務的で、その意図を読み取るには相応の注意力が必要だ。

 例えば「戦前を通じて日本国内では拷問による虐殺80人、拷問による獄中死114名、病気による獄中死1503名」とある。拷問で亡くなったのが計194名に対し、病死が1503名。やたら病死が多くね?

 これ、「はじめに」の3頁。著者は病死の多さを指摘も解釈も突っ込みもしない。ソコは読者が読み取れ、そういう姿勢だ。たぶん、著者は本書の冒頭で、読み方をそれとなく示しているんだが、私は思わず読み飛ばすところだった。危ない危ない。

 そんなワケで、恐らく他にも私は多くの重要な点を読み飛ばしている。

 資料の漁り方も徹底している。日本の警察全体の傾向を表す「警視庁統計報告」や各県の県警史やに日本警察新聞などの(たぶん)公開資料はもちろん、「説諭の栞」(警察教材研究会編)など民間の資料、雑誌「警察研究」、そして「中国、四国ブロック特高実務研究会」の議事録など、「どうやって存在を知りどうやって手に入れたのか」と呆れるほどマニアックな資料にまで当たっている。

 それほどの労力を費やした割に、見かけは薄いし地の文は読みやすく、サラサラ読めてしまうのはどうしたものか。しかも文章は事務的かつ冷静で、著者の感情はあまり出てこない。困ったモンだ。読者の感情を刺激するのは、次の特高の台詞のように、ごく一部だけ。

「言え、貴様は殺してしまうんだ、神奈川県特高警察は警視庁とは違うんだ。貴様のような痩せこけたインテリは何人も殺しているのだ」
  ――3 その生態に迫る

 さて。そんな特高が取り締まったのは、タテマエとしては以下の通り。

1937(昭和12)年3月の保安課の事務組織をみると、庶務・文書、左翼、右翼、労働・農民、宗教、内鮮、外事、調査の八係からなり…
  ――2 いかなる組織か

 左翼はわかる。というか、本書を読む限り、最も力を入れていたのは共産党対策らしい。1936年の226事件(→Wikipedia)の影響か、一応は右翼も監視していたが、手ぬるかった様子。労働・農民は左翼と別扱いだ。宗教もそうだが、彼らは多数の庶民が組織化するのを恐れるのだ。外事は他国のスパイだろう。内鮮って所で、大東亜共栄圏と言いつつ実は朝鮮人への差別感情があったのを思い知らされる。

 この辺は「5 植民地・「満州国」における特高警察」で、更に詳しく語っている。国内では外務省警察や軍の管轄下の憲兵と競合した特高だが、本土外では憲兵の指揮下で一本化し、独立運動・民族運動も含め、国内以上に過酷な弾圧をしている。

 質に次いで量的な面では、警察全体の一割ほど。KGBより少ないがMI5よりは多い。

…日米開戦直前の広義の特高警察の人員はおそらく一万人を超えると推測される(略)。戦時期の国内警察全体の人員は9万5千人前後であり、一割強が広義の特高警察であったことになる。
  ――2 いかなる組織か

 治安維持法があるとはいえ、タテマエ上は司法の軛のもとで活動している特高だが、総力戦体制ともなると、イチャモンにも磨きがかかってくる。

「日本無産党(→Wikipedia)は日本共産党と一字違いであり、……意識的な命名である」(警保局保安課「思想問題について」1939年6月)
  ――4 総力戦体制の遂行のために

 さて、「6 特高警察は日本に特殊か」では他国との比較としてゲシュタポと比べている。ゲシュタポが司法権まで握っていたのに対し、特高はそうじゃなかった。一応、タテマエとしては。そこを特高は羨んでいる。また、強制収容所もなかった。これを著者は…

思想的矯正は可能とする日本と異なり、ドイツの場合にはそうした発想がない。
  ――6 特高警察は日本に特殊か

 と、している。まあ、思想的矯正ってあたりで、既にアレだと私は思うんだが。いや自分は正義だと固く信じてるワケで、狂信者の一種だよね。

 まあいい。そんな風に日本人に対しては甘かったが…

朝鮮人・中国人に対する残虐性の発揮は、ドイツにおける他民族に対する残虐性に通じるものがある。
  ――6 特高警察は日本に特殊か

 と、外地ではタガが外れてしまう。

 そんな風に狂ったように見える特高だが、敗戦後は計算高く生き残りを図る。こういう所は、正義感と言うより単に権力の亡者じゃないかと思うんだが、どうなんだろうね。

戦前において特高警察はゲシュタポに親近感や羨望感を抱いていたにもかかわらず、敗戦後は特高警察の存命のために一転してゲシュタポとの異質性を強調し、特高=「秘密警察」論を否定する。
  ――6 特高警察は日本に特殊か

 自分たちの目指すところは外聞が悪いとわかっている。ちゃんと自分たちの姿を客観的に見る能力はあるのだ。ただ、力の無い者には一切耳を傾けないってだけで。

 そのためか、国内の政治では強気な態度を崩さない。

おそらく(1945年)9月下旬までに、警保局は昭和21(1946)年度予算要求として特高警察の倍増案を立てている。
  ――7 特高警察の「解体」から「継承」へ

 敗戦の混乱を抑えるには力が必要だって理屈。そのくせ闇市の仕切りはヤクザに任せてたりするんだが(「敗北を抱きしめて」)。

 これは政治家も同じで、相変わらずの思想統制を続けるとハッキリ言ってたり。なんだろうね、この楽観性は。

1945年10月3日山崎巌内相(→Wikipedia)「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する。また政府転覆を企む者の逮捕も続ける」
  ――7 特高警察の「解体」から「継承」へ

 で、体裁だけ整えて実態は残します、とも言ってたり。

1945年10月15日内閣書記官長次田大三郎(→Wikipedia)「特高の組織は全面的に廃止せざるを得ない。しかしこの際の取り扱いとしては一応全面的に特高の組織は廃止するが、これに代わるべき組織は急に作り上げなければならないと思っている」
  ――7 特高警察の「解体」から「継承」へ

 現在の日本で特高の後継に当たるのは公安調査庁と警察の公安。刑事警察は各県警が仕切っているのに対し、公安は中央つまり警視庁が仕切る中央集権型だ(「公安は誰をマークしているか」)。国内の暴力組織も外国の諜報組織も、道路網の充実などで長距離移動が容易になった上に、インターネットなどで距離を無視した情報伝達も簡単なワケで、下手な分権化がマズいのは分かる。

 とはいえ、戦後の人事を見る限り、特高の文化は受け継いでおり、また Wikipedia の内務省を見る限り、復活を望む勢力は生き残っている。

 恐ろしくはあるが、同時に特高が「労働・農民」を対象としたことで分かるように、人々が集まるのを権力者は恐れるのだ、というのは希望でもある。いずれにせよ、物理的には薄いが中身は濃い。覚悟して注意深く読むべき本だ。

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2024年5月27日 (月)

マイケル・スピッツァー「音楽の人類史 発展と伝播の8憶年の物語」原書房 竹田円訳

本書は段階的に時間をさかのぼってゆく。21世紀初頭の音楽的人間からスタートして、記録に残された数千年間の人類の歴史を通過し、そして人間以前の動物の音楽まで、推理力を頼りに範囲を拡大して、音楽を逆行分析する。
  ――第1章 ボイジャー

音楽に耳を傾けているとき、私たちは音楽を模倣している。
  ――第4章 想像の風景、見えない都市

対位法は、西洋のクラシック音楽全般が勝利をおさめる前に、先鋒として世界を征服する。
  ――第8章 終盤

リズムは模倣、すなわち真似する能力と深く関わっている。
  ――第10章 人類

主題を最後までお預けにするのは、じつは音楽の常套手段である。
  ――第12章 音楽の本質に関する11の教訓

【どんな本?】

 認知心理学者スティーブン・ピンカー曰く「音楽は聴覚のチーズケーキ」(→Wikipedia)。進化の過程で、たまたま必要な材料=能力が揃ったため生まれた副産物であり、嬉しくはあってもたいして役に立つシロモノではない、みたいな意味だろう。

 これに反論するのが本書だ。

 世界にはどんな音楽があり、それぞれどんな特徴があるのか。コオロギも鳥も鳴くが、それはヒトの歌とどう違うのか。音楽を生み出し、味わうには、どんな能力が必要で、ヒトはいつどうやってその能力を手に入れたのか。人類の歴史の中で、音楽はどのように生まれ、石器時代から現代までの社会の変化に応じ、どう変わり関わってきたのか。そして、なぜ西洋の音楽が世界を制覇したのか。

 クラシックからポップ・ミュージック、西洋・アラブ・インド・中国など世界各地の音楽はもちろん、古生物学・考古学・史学・認知心理学など多岐にわたる学問の知識を漁り、ヒトと音楽の関わりを俯瞰する、一般向けの歴史と音楽の啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Musical Human : A History of Life on Earth, by Michael Spitzer, 2020。日本語版は2023年10月6日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約510頁に加え訳者あとがき3頁。9.5ポイント50字×19行×510頁=約484,500字、400字詰め原稿用紙で約1,212枚。文庫なら厚めの上下巻か薄めの上中下巻の大容量。

 文章はかなり古風。いや文体は現代風なんだが、いささか詩的と言うか哲学的と言うか。内容はあまり難しくないが、平均律や五度などの基礎的な音楽用語が説明なしに出てくるので、多少の音楽の知識はあった方がいい。出てくる音楽はクラシックが多いが、KPOP の PSY など流行歌やバリ島のガムランなど民族音楽も多い。お陰で Youtube で曲を漁っているとなかなか読み進められない。

 あと、できれば索引が欲しかった。

【構成は?】

 原則的に順に読み進める構成なので、じっくり読みたいなら素直に頭から読もう。だが、面白そうな所を拾い読みしてもソレナリに楽しめる。というか、ぶっちゃけ著者の筆はアチコチ寄り道しちゃ道草食い放題なので、テキトーにつまみ食いした方が美味しいかも。

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  • 第1部 人生
  • 第1章 ボイジャー
  • 第2章 ゆりかごから墓場まで
  • 第3章 私たちの生活のサウンドトラック
  • 第4章 想像の風景、見えない都市
  • 第2部 歴史
  • 第5章 氷、砂、サバンナ、森
  • 第6章 西洋の調律
  • 第7章 超大国
  • 第8章 終盤
  • 第3部 進化
  • 第9章 動物
  • 第10章 人類
  • 第11章 機械
  • 第12章 音楽の本質に関する11の教訓
  •  謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 「8億年とは大きく出たな」と思うが、一応は間違っちゃいない。かなりハッタリ混じりだが。

 テーマは、ヒトと音楽の関わりだ。このヒトってのが曲者で、著者の視野は時間的にも空間的にも広い。時間的には人類以前の話も出てくる。それは現代の昆虫や鳥、そしてクジラから類推するのである。

サピエンスは統合した。リズム、メロディ、文化の能力は、単独でなら、昆虫、鳴禽、クジラのさまざまな種に認められるが、すべてを兼ね備えた種はひとつとしてない。
  ――第9章 動物

 コオロギは鳴き、鳥はさえずり、クジラは歌う。だが、いずれもヒトが考える音楽とは異なる。それは何が欠けているのか、なぜ欠けているのか。これらを追求する事で、音楽には何が必要なのかを浮き上がらせてゆくのだ。

 また、空間的にはユーラシア全般に及ぶ。代表は西洋、イスラム、インド、中国だ。

四つの音楽大国にはそれぞれ特別な力があった。西洋にはポリフォニー(加えて音符と記譜法)。イスラムには装飾。インドは味を追求した。中国の強みは色、すなわち音色だった。
  ――第7章 超大国

 実はこのランキングには大きな欠落がある。アフリカだ。それは著者もわきまえていて、ちゃんと言い訳を用意している。

アフリカが、(略)音楽の大国集団に入っていないことははっきりしている。それはアフリカに音楽の歴史がないからではなく、植民地化以前の音楽の歴史の記録がないからだ。
  ――第8章 終盤

 記録の有無は重要な問題で、本書中でも随所で泣き言が入る。なんたって、譜面が残っているのは西洋音楽だけだし。音階は笛の穴の位置で類推できるが、それ以外の楽器は難しい。リズムや音色や奏法は、もうお手上げだ。

 とはいえ、楽譜がなくても音楽があったのは記録に残っている。例えば古代ギリシア。

古代ギリシア演劇は、劇とは名ばかりでじつはすべてオペラだった
  ――第6章 西洋の調律

 オペラというと「フィガロの結婚」や「カルメン」を思い浮かべるが、演劇に歌や演奏や踊りを加えたモノなら、世界各地にある。というか、著者の見解だと、世界的には音楽は演劇や踊りと混然一体となっている場合が多く、音楽だけを抜き出して楽しむ形の方が珍しいようだ。とすると、様式に拘った KISS やストーリーに殉じた The WHO の TOMMY は、先祖返りというか、本来の音楽のあり方・楽しみ方に立ち戻ったものなのかも。

 先の例で西洋音楽ばかりを取り上げたが、実際問題として現代は西洋音楽が世界を席巻している。その理由は、軍事力と経済力ばかりでなない。西洋音楽は、強力な武器を備えていたのだ。

西洋音楽の三つの「必殺アプリ」は、音符、記譜法、ポリフォニーだ。
  ――第7章 超大国

 絵画や彫刻と違い、音楽はモノが残らない。だから、後継者がいなければ途絶えてしまう。だが西洋は楽譜を発明し、発達させてきた。そのため故人の未発表曲でさえ蘇らせることができる。これは強い。また、譜面で視覚化することで、論理的な分析・設計も可能になった。バッハのファンならお分かりだろう。

 とまれ、それは同時に、ある種の自由を奪いタガをハメる結果にもなった。その一つが調律だ。

12の半音がすべて均等になるように調律されたピアノの鍵盤のように、シンセサイザーのキーボードは、その「平均律」を「非標準的な」調律を持つほかの人々に押しつけている。
  ――第11章 機械

 とかの本書のテーマに沿った話も面白いが、著者の音楽家としてのネタも楽しい。例えば曲の構成だ。著者はこれを英雄物語の旅に例える。英雄は家を出て冒険へと旅立ち、試練や戦いを乗り越え、やがて家に帰る。これが音楽だと…

一般に、提示部と呼ばれる曲の冒頭部分では、この調性(主調)が使われる。
家を離れることは「転調」と言い、通常「属」調に移行する(属調は、主調と五度の関係にある調性)。
提示部の後半部分は属調で進行する場合が多い。
冒険と戦いが繰り広げられる展開部では、さらに主調から遠い調性が使われる。
そして主人公は再現部で家に帰る。(略)
ほとんどの音楽家は、この物語を土台とし、そのうえでそれぞれ趣向を凝らしている。
  ――第4章 想像の風景、見えない都市

 そんな具合に、音楽にはちゃんと様式があるのだ。優れた音楽家は、たいてい卓越した音楽の知識を持っている。逆は必ずしも真ではないが。

多くの人が、音楽的創造は無から生じると考えている。しかし、すべての作曲はパターンからはじまっている。
  ――第2章 ゆりかごから墓場まで

 どれだけパターンを知り活用するかが成功の鍵の一つらしい。成功者の一例がビートルズだ。彼らはスキッフルから始めた。

(人類学者のトマス・)トゥリノは、世界の音楽を四つの芸術的実践、すなわち四つのスタイルに分類し、それらを参加型、発表型、ハイファイ型、スタジオ音響芸術型と呼んでいる。
  ――第3章 私たちの生活のサウンドトラック

 上の分類だと、スキッフルは典型的な参加型の音楽で、つまり客をノせれば勝ちという音楽である。盆踊りの太鼓も参加型だろう。こういうタイプには、嬉しい特典がある。

世界各地の参加型音楽には多くの共通点がある。演奏能力の上手下手は問われない。参加型音楽の成功は、芸術的な質の高さではなく、参加者がどれだけ音楽に没頭できるかによって判断される。
  ――第3章 私たちの生活のサウンドトラック

 「音楽に没頭」と書いちゃいるが、別に傾聴させる必要はない。踊り狂うとか、楽しんでもらえればいいのだ。ビートルズも初期は上手くなかったが、客をノセるコツは心得ていた。だからデビューできたのだ。

 他にも、曲作りのコツがある。

世界中の大半の音楽は、進行するにつれて速くなり、盛り上がる。西洋のポップスはほぼすべてそうなっている。
  ――第5章 氷、砂、サバンナ、森

 速くなれば盛り上がる。言われてみりゃ当たり前だと思うが、こういう基礎をキチンと抑えるのも大事なんだろう。

 また、サウンド・エンジニアには気になる記述が。

多くのスタイルの音楽について、音響学的レベルでは、音声信号のパワースペクトル密度は、1/f分布に従って周波数に反比例する。
  ――第11章 機械

 これは「そうしろ」ってワケじゃなく、1/f分布だとヒトは安らぎや落ち着きを感じるからだ。まあ、音楽はヒトの気分を操るモノなんで、敢えて不安を感じさせた後で安らぎに落とし込む、なんてのも手口としちゃアリだし、ホラーの伴奏ならこの傾向を逆手に取るケースも多い。

 などと音楽そのもののネタの紹介が多くなったが、本書のテーマはヒトの持つ独特の能力や、音楽と社会のかかわりなど、もっと広い視野の話が多い。その分、抽象的だったり観念的だったりで、文章として難しい部分も多くを占める。分厚く圧迫感もあるが、音楽が好きで、かつ特定の音楽に拘らない人にお薦め。

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2024年5月 7日 (火)

トーマス・レイネルセン・ベルグ「地図の世界史 人類はいかにして世界を描いてきたか?」青土社 中村冬美訳

地図は必ず何かの必要性に基づいている。
  ――プロローグ 世界は舞台

「地図や計画性なくして社会を構築することはできない。地図には全てが正確な形や寸法で再現されているため、健全かつ合理的な社会発展の設計図だ」
  ――空からの眺め

検索エンジンであるグーグルが地図に興味を持つのは、理にかなっていた。検索の約30%は、どこに何があるかといった内容だったからだ。
  ――デジタルな世界

【どんな本?】

 地図は便利だ。買い物に、旅行の予定を組むのに、ニュースの現場を調べるのに、私はしょっちゅう Google Map に頼っている。昭和の時代には考えられなかった事だ。いや、昭和の頃だって、地図もなしに初めての土地を旅するなんて考えられなかった。私たちの暮らしは、地図に頼り切っている。

 当たり前だが、人類は最初から地図という概念を持っていたワケではない。長い歴史の中で、少しづつ地図は浸透し、発展し、正確さを増してきたのだ。

 ノルウェーのノンフクション作家が、有史以前の洞窟壁画から古代ギリシャのプトレマイオス,中世欧州のマッパ・ムンディと商人たちが使った海図,地質学に革命をもたらした世界の海底のパノラマ地図,そして現代のデジタル地図まで、地図とそれを作った者たちのエピソードを語り、豊かなカラーの図版と共に地図の歴史を描く、一般向けの少し変わった歴史ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Verdensteater, by Thomas Reinertsen Berg, 2017。日本語版は2022年3月31日第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約320頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント34字×36行×320頁=約391,680字、400字詰め原稿用紙で約980枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。でも、歴史的な地図をカラーで大量に収録していて、それが本書の大きな魅力なので、たぶん文庫は出ないだろうなあ。

 文章はやや硬い。まあ青土社だし。内容は特に難しくないが、主な舞台は西洋の地中海から北極海そしてカナダあたりで、中東や東アジアは出てこない。著者がノルウェー人のためか、スカンジナビア特にノルウェーの話が多いのはご愛敬。いやフィヨルドの名前を出されても分からんしw 特に「北方の空白地帯」あたりをじっくり読むには、Google Map なり北極海近辺の地図なりが必要。私はテキトーに流し読みしました、はい。

【構成は?】

 原則として年代順に話が進む。各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • プロローグ 世界は舞台
  • 最初の世界観
  • 池の周りのかえるのように
  • 聖なる地理学
  • 最初の地図帳
  • 外の世界へ
  • 大規模な国土調査
  • 北方の空白地帯
  • 空からの眺め
  • 青い惑星
  • デジタルな世界
  •  引用と参考文献、地図、挿絵リスト、人名索引
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 本書の歴史観は、西欧の標準的な歴史観に近い。

 なんたって、主な舞台はヨーロッパだ。中東はもちろん中国も出てこない。歴史の流れも黄金の古代ギリシャ文明→閉塞の中世→覚醒のルネッサンス、といった感じだ。

 敢えて独特な点を挙げるなら、北欧や北極周辺の話が多いことだろう。なんたって著者はノルウェー人だし。また、海図や船乗など、海に関する話題が多いのも意外だった。

 そんなワケで、最初のヒーローは古代ギリシャのプトレマイオス・クラウディオス(→Wikipedia)である。

プトレマイオスはほぼ1500年間、皆の導き手であり続けた。
  ――最初の地図帳

 図書館で旅行記などの資料を読み漁り、地球が球であると考え、その大きさも計算した。だが、やがてその知識は中世の闇に沈む。

この地図(マッパ・ムンディ,mappa mun-di,→Wikipedia)は13世紀ヨーロッパのクリスチャンが持っていた世界観を示し、(略)目的は、世界の構造をできるだけ正確に描写することではなく、むしろどれほど地図に神の魂が宿っているかを示すことだった。
  ――聖なる地理学

 「こうである」という事実より、「こうであるはずだ」という思い込みで世界が認識される社会。ここで披露される世界観は、今でも西欧人の心に生きている気がする。

 彼らは世界を三分した。西のヨーロッパ・南のアフリカ・東のアジア。彼らにとっては、アラビアもインドも中国も、まとめて「アジア」なのだ。北米人の感覚も似たようなモンなんだろう。CNN や BBC の報道で出てくる「アジア人」に、日本人が違和感を抱くのも致し方あるまい。

 もっとも、彼らも日本の報道に出てくる「ヨーロッパ」に違和感を抱くかもしれない。日本の感覚だと、バルカン半島もヨーロッパだし。

 それはさておき、正確な地図も実は生きのびていた。海図だ。

…一方で、まったく別の種類の地図も中世ヨーロッパで発達した。地中海、黒海、ジブラルタルの南北の大西洋の沿岸を、驚くほどの精密さで示した海図だ。
  ――聖なる地理学

 なぜか。ジェノバなどの商人や船乗りが、正確な海図を必要としたからだ。現実を直視させるカネの力は凄い。これ以降も、本書における地図製作は船乗りが大きな役割を果たす。特に、北極海周りの航路を見つけようとする船乗りたちの冒険は、強く印象に残る。これは、やはりノルウェー人ならではの視点だろう。

 更に航空機の発明以降は、航空写真による更なる正確さを地図は獲得し、軍にも影響を与える。

ヴェルナー・フォン・フリッチュ(→Wikipedia)「最高の航空偵察を行う軍事組織が次の戦争に勝つ」
  ――空からの眺め

 これまで足を使っての三角測量で作っていた地図を、航空機で写真を撮ればいいんだから、大きな進歩だ。まあ、実際は写真ならではの歪みなどがあるんで、それほど単純じゃないんだが。

 そういった技術の進歩は海図にも及び、やがて大西洋中央海嶺(→Wikipedia)の発見から地質学の大転換プレートテクトニクスへと向かうあたりは、ちょっとした興奮を覚えた。

1925年から1927年の間に、ドイツの観測船メテオール号は、大西洋でソナーを使用して67,388か所の水深を測定した。手動で同じ回数分、錘で調査する場合、乗組員が毎日24時間作業したとしても7年かかることになる。
  ――青い惑星

 こういった地図製作技術の進歩は、それまで貴重品で10年単位に更新されるモノだった地図を、数時間どころか数分単位で現実を反映し、瞬間で消費される渋滞マップなどのデジタル地図へと進歩させてゆく。

「地図作成に必要な情報のなかでも単純なものは、やがて自動的に地図上に掲載されるようになる。さらに同時期に作成される地図の量が増加し、その費用は軽減される」
  ――デジタルな世界

 世界の姿を、私たちに見せてくれる地図。それは同時に、私たちの世界観も変えてゆき、また私たちの世界観も地図に反映されてゆく。などの大きな話もあるが、私には北極周辺に挑んだ船乗りたちの話が面白かった。

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2024年3月18日 (月)

ティモシー・ワインガード「蚊が歴史をつくった 世界史で暗躍する人類最大の敵」青土社 大津祥子訳

比較的短い人類の20万年の歴史を通して、この世に生存した累計1080億人のうち、蚊によって520憶人が殺害されたと推定される。
  ――はじめに

マラリアが慢性化して雪だるま式に増加したことが、ローマ帝国の衰退と滅亡への直接的な原因であった。
  ――第4章 蚊軍団 ローマ帝国の興亡

病気の兵士は(略)死亡した兵士の倍の重荷となる(略)。病気の兵士は(略)人的資源や物資を消費し続ける。(略)蚊媒介感染症の場合、病人は仲間の兵士たちに感染を広げる仲介者にもなり、感染が継続する。
  ――第15章 自然界からの不吉な使い 南北戦争

【どんな本?】

 蚊。夏になると出てくるウザい奴。現代の日本ではその程度だが、戦後しばらくはマラリアで苦しむ復員兵も多かった。

 蚊は病気を媒介する。マラリア・黄熱病・デング熱などだ。今でこそマラリアの治療法や黄熱病の予防法がある。しかし、現代的な医療が確立する前は、多くの人々が蚊によって苦しみ、往々にして命すら奪われた。それは個々の人に限らず、時として歴史の流れすら左右したのである。

 古代ギリシャからローマ帝国、そしてコロンブス以降は南北アメリカ大陸やカリブ海の島々まで、人類の歴史に暗い影を落とし続けている蚊とそれが媒介する感染症について、歴史上のトピックを漁り蚊の影響力を力説する、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Mosquito : A Human History of Our Deadliest Predator, by Timothy C. Winegard, 2019。日本語版は2023年6月10日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約543頁。9ポイント46字×19行×543頁=約474,582字、400字詰め原稿用紙で約1,187枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、第8章以降は南北アメリカ史を細かく探ってゆくため、その辺に詳しいとより楽しめるだろう。なお、本書はあくまで歴史書であり、例えばマラリア原虫の生態など科学的な面にはほとんど立ち入らないので、そのつもりで。

【構成は?】

 全体として時代順に話が進むが、各章はほぼ独立しているので、興味がある所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 第1章 蚊がもたらす有毒な双生児 マラリアと黄熱
  • 第2章 適者生存 熱の悪霊、フットボール、鎌状赤血球のセーフティ
  • 第3章 ハマダラカ将軍 アテネからアレクサンドロスまで
  • 第4章 蚊軍団 ローマ帝国の興亡
  • 第5章 悔い改めない強情な蚊たち 宗教危機と十字軍
  • 第6章 蚊軍団 チンギス・ハーンとモンゴル帝国
  • 第7章 コロンブス交換 蚊とグローバル・ヴィレッジ
  • 第8章 偶然の征服者 アフリカ人奴隷制度と蚊が米大陸に加わる
  • 第9章 順化 蚊の環境、神話、アメリカの種
  • 第10章 国家におけるならず者たち 蚊と英国の拡大
  • 第11章 疾病と言う試練 植民地戦争と新たな世界秩序
  • 第12章 不可譲の刺咬 アメリカ独立戦争
  • 第13章 蚊の傭兵たち 解放戦争と南北アメリカの発展
  • 第14章 「明白な天命」と蚊 綿花、奴隷制度、メキシコ、米国南部
  • 第15章 自然界からの不吉な使い 南北戦争
  • 第16章 蚊の正体を暴く 疾病と帝国主義
  • 第17章 こちらがアンだ、君にとても会いたがっている 第二次世界大戦、ドクター・スース、DDT
  • 第18章 沈黙の春とスーパーバグ 蚊の復活
  • 第19章 今日の蚊と蚊媒介感染症 絶滅の入り口?
  • 終わりに
  • 謝辞/註/参考文献/索引

【感想は?】

 夏に読んではいけない。蚊が怖くて蚊取り線香が手放せなくなる。

 本書のテーマは蚊が媒介する感染症だ。主役はマラリアで、その存在感は大きい。相方が黄熱だろう。

 歴史学者が書いた本だからか、歴史上のトピックは数多く出てくる。その反面、科学・医学的な記述は少ない。せいぜい、この程度だ。

唾液腺の中で、このマラリア原虫は蚊を巧みに操り、蚊に血液凝固抑制物質を作らせないようにし、一回の吸血中で最小限の血の量しか取り込めないようにする。これによって蚊は、必要な量の血を得るため吸血回数を増やさなくてはならなくなる。
  ――第1章 蚊がもたらす有毒な双生児 マラリアと黄熱

 この程度といいつつ、マラリア原虫の悪辣さがよく出ている挿話だろう。こんなマラリアの悪辣さは、地域の文化にも影響を与えてきた。

過去に蚊媒介感染症が多かった国々では、キクは死や悲しみを連想させるか、あるいは葬儀や墓標への献花としてのみ差し出される。逆に蚊媒介感染症がほとんどない地域では、愛や喜び、生命力を象徴する。
  ――第2章 適者生存 熱の悪霊、フットボール、鎌状赤血球のセーフティ

 これは除虫菊が蚊を遠ざけるため。どうも蚊と疫病の関係は昔からウッスラと知られていたらしい。日本じゃキクは仏様の墓前に供える花なわけで、ならかつてはマラリアや黄熱が流行ったのかと思ったら、真相は全然違った(→山と渓谷オンライン日本で「仏花といえば、キク」になった意外な理由)。

 ローマ帝国も蚊に苦しめられ、また時として蚊に助けられた。特にローマはポンティノ湿地が近く、ハンニバルも蚊に苦しんだ模様。つか、なんだってそんな所に永遠の都を築いたんだろ?

 以降もローマは蚊による感染症に苦しめられるのだが、キリスト教の流行にも蚊が一役買っていたとは。

カリフォルニア大学生物学&感染症教授アーウィン・W・シャーマン
「(ローマ帝国で)キリスト教はほかの宗教とは異なり、宗教上の義務として病人の看護を説いた。看病を受けて健康状態を回復した人々は感謝の念を抱いてキリスト教信仰に傾倒した」
  ――第5章 悔い改めない強情な蚊たち 宗教危機と十字軍

 やがてコロンブスがアメリカに到達し、欧州列強が南北アメリカに進出する。この際、困ったシロモノまで南北アメリカ多陸に持ち込んでしまったせいで、人類の歴史は大きく変化してゆく。

コロンブス交換が始まると、(略)アメリカ大陸原産のハマダラカは元々無害だったが、すぐさまマラリア媒介蚊となったのだ。
  ――第7章 コロンブス交換 蚊とグローバル・ヴィレッジ

 困ったことに当時の北米は現代とまったく風土が違い、蚊にとっては天国だった。これが合衆国の歴史にも大きく関わってくる。

当時(1600年代)の北米東北部には今日の40倍の個体数のビーバーがいたため、広範囲にわたって泥の深い湿地が拡がり、その面積は現在の2倍だった。蚊にとってこうした湿地帯は、理想的な活動の場だったにちがいない。
  ――第9章 順化 蚊の環境、神話、アメリカの種

 それでも移民の波は続く。中にはどうにか生きのびて子を残す者もいる。その子の多くが命を落とすが、生き延びた者は耐性を持っている。親の世代にとって欧州が故郷だろうが、子の世代にとっては生まれ育った土地が故郷だ。

米大陸で生まれて代々続いてきた世代が(蚊が媒介する感染症に)順化済みだったのは、北米だけでなくキューバやハイチ、その他多くの植民地でも同様だった。こうした住民たちにとって、頼みの綱はもはや母国へと伸びてはいなかった。
  ――第11章 疾病と言う試練 植民地戦争と新たな世界秩序

 そんな子たちを、「母国」は縛り付けようとする。だが、子たちは自分たちの優位を充分に知っていた。地の利を生かし、子たちは自由を勝ち取ってゆく。

ハイチ独立運動の指導者トゥサン・ルヴェルチュール(→Wikipedia)
「フランスから来た白人たちは、(略)最初は善戦するが、すぐに病に倒れてハエのようにばたばたと死んでいく。フランス軍の人数がいよいよ減ってきてから、執拗に攻撃して打ち負かす」
  ――第13章 蚊の傭兵たち 解放戦争と南北アメリカの発展

 このあたり、米国の血にまみれた歴史が延々と続く。にしても、当時の戦争の様子は私たちが考える戦争とは大きく様相が違う。

米英戦争での合計死者数は先住民連合と民間人を含めて35,000人に達し、その80%が病死で、大多数はマラリア、腸チフス、赤痢によるものだった。
  ――第14章 「明白な天命」と蚊 綿花、奴隷制度、メキシコ、米国南部

機関銃の発明者ガトリング(→Wikipedia)の、「これで戦死者が大幅に減るだろう」との言葉に対し、彼の愚かさをあげつらう向きもある。だが、先の数字を見る限り、彼の思考は当時としちゃ自然な発想だったのだ。残念ながら塹壕と鉄条網が彼の想いを裏切るのだが。

 などと猛威を振るったマラリアに、天敵が現れる。キニーネだ。何故か見つかったのは元来マラリアがないアンデス。不思議な話だ。とまれ、キニーネがマラリアに効くと判明した経緯は、残念ながら本書じゃ軽く触れられるだけ。

 とまれ、キニーネの発見は、特にアフリカの歴史に大きく関わってくる。

インドネシアでオランダがキナノキのプランテーションを強化したことで1880年代に「アフリカ分割」が可能になったが、それ以前は蚊媒介感染症がヨーロッパによる干渉侵略からアフリカを守っていた。
  ――第8章 偶然の征服者 アフリカ人奴隷制度と蚊が米大陸に加わる

 それまでアフリカを守っていた蚊=マラリアの盾が、キニーネによって破られてしまう。と同時に、今までやられ放題だった人類が、やっと蚊に一矢報いた話でもあるんだが。

 そんな便利な盾を、人類は当然ながら戦争にも使う。南北戦争で、北軍は南部へのキニーネの搬入を止めるのである。

(南北)戦争が始まった年に、1オンス(約28.35グラム)のキニーネの平均価格は4ドルだったが、1863年には23ドルに高騰していた。1864年の終わりには、封鎖破りの船から供給を受けての闇市場では、1オンス当たりの価格が400~600ドルだった。
  ――第15章 自然界からの不吉な使い 南北戦争

 こういう米国の成功体験が、現代でも「まず経済封鎖」となる米国の外交方針に残っているってのは、考えすぎだろうか。

 まあいい。キニーネに続き、マラリアや黄熱の感染経路が分かるにつれ、人類は反撃に出る。

ハバナで(米軍)衛生将校の長を務めたウィリアム・ゴーガス医師(略)の断固たる決意のおかげで、1902年には黄熱がハバナから完全に根絶された。1648年以来初めてのことである。
  ――第16章 蚊の正体を暴く 疾病と帝国主義

 更に、大量殺戮兵器であるDDTが登場し、蚊との戦いは一気に人類優位に傾く。特に米軍の徹底ぶりは凄い。

米国では戦争遂行を目的として途方もなく大がかりなマラリア・プロジェクトと連携させ、1942年には既に(DDTの)大量生産を開始していた。同プロジェクトは、核兵器のマンハッタン計画と同水準の機密、警備体制、規模となっていた。
  ――第17章 こちらがアンだ、君にとても会いたがっている 第二次世界大戦、ドクター・スース、DDT

 このDDT信仰は戦後も続き、占領地域でも大規模に散布した。

イタリアでは、DDTと新たな抗マラリア薬のクロロキンの力を借りて、1948年にはマラリアによる死亡者がゼロとなった。
  ――第17章 こちらがアンだ、君にとても会いたがっている 第二次世界大戦、ドクター・スース、DDT

 日本でも、進駐軍にDDTを体に振りかけられた、なんて体験談がよくあった。今でこそ毒性を云々されるDDTだが、当時は毒性が分かっていなかった。とはいえ、利害を計算すると、当時の日本の状況じゃ利の方が大きいんじゃないかと思う。

 などと万能に思われたDDTだが、生命はしぶとい。

蚊の種によって異なるが、DDT耐性の獲得には大体2年から20年かかった。
  ――第18章 沈黙の春とスーパーバグ 蚊の復活

 蚊は、たかだか2年で耐性を得てしまう。この進化の早さには恐れ入る。個体数が多いのに加え、大量に卵を産んで多くの子をなす、蚊の生態が有利に働いているのかも。

 それはともかく。幸い日本で発生するマラリアは、海外旅行の帰国者ぐらいだ。行政も充実していて、例えば2014年にデング熱が発生した際は、東京都が徹底した対策を取った(→国立感染症研究所代々木公園を中心とした都内のデング熱国内感染事例発生について)。一応は先進国で組織も充実しており、発生場所も一か所だけだから充分に対応できたが、貧しく政情が不安定な国で、アチコチで発生してたら、そうはいかない。

今日では、マラリア患者の85%はアフリカのサハラ砂漠以南で発生し、同地では人口の55%が1ドル未満で生活している。マラリア症例数に占める地域別割合は、東南アジアが8%、東地中海地域が5%、西太平洋地域が1%、南北アメリカがおよそ0.5%である。
  ――第19章 今日の蚊と蚊媒介感染症 絶滅の入り口?

 アフリカにおけるマラリアの猖獗ぶりを訴える文章なんだが、南北アメリカの少なさにも驚く。巧く対策を施せば、ある程度までは抑え込めるんだろうか。

 全編を通し、人が死にまくる本なので、かなり気力を要する本だ。また、米国の読者を想定しているためか、米国史、それも黎明期の、現住民虐殺など暗黒面を容赦なく暴く挿話が多く、歴史の暗黒面が好きな人には嬉しい本かもしれない。とまれ、暖かくなる前に読み終えたのは良かった。蚊が沸きだす季節には、下手な怪談よりよほど恐ろしい本である。

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2024年2月16日 (金)

デニス・ダンカン「索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明」光文社 小野木明恵訳

本書は索引について、つまりは一冊の本を構成要素、登場人物、主題、さらには個々の単語へと細分化したものをアルファベット順に並べた一覧表についての本である。
  ――序文

索引を作ること、しかも小説の索引を作ることは、解釈をすることでもある。将来の読者が何を調べたいと思うか、どういう語を使って調べたいと思うかを予測しようとする作業でもある。
  ――第6章 フィクションに索引をつける ネーミングはいつだって難しかった

【どんな本?】

 索引。主にノンフィクションの巻末にある、キーワードとページ番号の対応表。調べたいテーマ=何について知りたいかが分かっている時に、手っ取り早くソレが載っている所を見つけるための道具。いわば本の裏道案内図。

 私たちが「索引」という言葉で思い浮かべる印象は、散文的なものだ。それは機械的に決まった手続きに従って生成される表であり、コンピュータが進歩した現代なら自動的に作れるはず。例えば、Adobe InDesign には索引自動生成機能がある。

 と、思うでしょ。ところがどっこい。いや、実際、地味で機械的な作業もあるんだけど。

 書物が生まれてから現在の形になるまで、索引はどのような経緯を辿ったのか。それを世の人びとは、どのように受け取ったのか。本が巻物だった時代から写本の時代・グーテンベルクの印刷を経て現代の電子出版まで、索引はどんな役割を期待され果たしたのか。

 書物と共に発達し進歩してきた索引とそれに関わる人々の足跡を辿り、索引の持つ意外な性質と能力を描く、書物マニアのための少し変わった歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Index, A History of the, by Dennis Duncan, 2021。日本語版は2023年8月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約290頁+訳者あとがき6頁に加え、索引がなんと3種類で88頁。10ポイント48字×18行×290頁=約250,560字、400字詰め原稿用紙で約627枚。文庫ならちょい厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。当然、本の歴史と密接に関わっているが、必要な事柄は本書内で説明しているので、前提知識がない人でも読みこなせるだろう。自分で蔵書やCDの目録を作った経験があると、更に楽しめる。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むが、各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。もちろん、巻末の索引を頼りにしてもいい。

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  • 序文
  • 第1章 順序について アルファベット順の配列
  • 第2章 索引の誕生 説教と教育
  • 第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか? ページ番号の奇跡
  • 第4章 地図もしくは領土 試される索引
  • 第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな! 巻末での小競り合い
  • 第6章 フィクションに索引をつける ネーミングはいつだって難しかった
  • 第7章 「すべての知識に通ずる鍵」 普遍的な索引
  • 第8章 ルドミッラとロターリア 検索時代における本の索引
  • 結び 読書のアーカイヴ 
  • 原注/謝辞/訳者あとがき
  • 図表一覧
  • 索引家による索引
  • コンピュータによる自動生成索引
  • 日本語版索引

【感想は?】

 マニアックなテーマを扱うマニアックな本だ。書名でピンとくる人には間違いなく面白いが、興味のない人は「なぜこんな本が?」と思う。それでいいのだ。

 まず驚いたのは、索引家なる人たちが居ること。現代では索引作成を職業とする人だが、趣味というか凝り性で索引を作る人もいる。有名なヴァージニア・ウルフもその一人だ。中には自著の索引に凝って新作を書く暇がなくなったサミュエル・リチャードソン(→Wikipedia)なんて作家もいる。意外と索引作成は創造的な仕事なのだ。

 その創造性が身に染みてわかるのが第5章なんだが、ここではイギリス人らしい意地悪さを索引で発揮してる。

 散文的な話では、やはり書物の形や出版方法、そしてモノの考え方が、索引の誕生に関わっているのが面白い。

 たいてい、索引はアルファベット順(日本語ならあいうえお順)だ。ここでは、言葉から意味をはぎ取り、記号の列として機械的・数学的に順序付ける発想が必要になる。言葉からいったん意味を奪うことで、その言葉に関係深い文章へと読者を誘う。面白い皮肉である。

索引は、作者ではなく読者のためのものであり、アルファベットの任意の順序と深く結びついているからだ。
  ――第1章 順序について アルファベット順の配列

 現代の索引は、キーワードとページ番号の表だ。キーワードはともかく、ページ番号は書物が現代の形だからこそ意味がある。パピルスの巻物や、冊子本=コーデックス(→Wikipedia)じゃページ番号そのものがない。それでも、当時の人びとは、目的とする部分を書物の中から見つけやすいように、ソレナリに工夫してきたらしい。

索引は、単独で登場したのではなく、13世紀初頭を挟んで前後20~30年のあいだに現れた読者のためのさまざまなツールという一家のなかの末っ子なのだ。
そして、それらのツールにのすべてにはひとつの共通点がある。
読書のプロセスを合理化し、本の使いかたに新たな効率性をもたらすために作られたという点である。
  ――第2章 索引の誕生 説教と教育

 そのページ番号も、グーテンベルクの活版印刷が普及して暫くは、あまり普通じゃなかった。当時の印刷屋は本文を組むのが精いっぱいで、本文の外にページ番号や柱(→武蔵野美術大学 造形ファイル)をつける発想や余裕がなかったんだろう。

15世紀の終わりの時点でもまだ、印刷された本のおよそ10%にしかページ番号は存在しなかった。
  ――第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか? ページ番号の奇跡

 さて、そんな索引は、目的の知識への近道でもある。こういう、知識を得る新しい技術が出てくると、それを歓迎する人と否定する人が出てくるのも世の常だ。現代のインターネットをめぐる議論と似たような議論を、ソクラテスが文字や書物をめぐって展開してたり。

印刷技術が誕生してから200年のあいだに作られた本の索引にたいする評価は、今もって、ソクラテスのように、急激に拡大していくテクノロジーにやるせない憤りをおぼえる者たちと、パイドロスのように、喜んでテクノロジーを活用する者たちのあいだで分かれている。
  ――第4章 地図もしくは領土 試される索引

アレグザンダー・ポープ「索引を使った学問では学徒は青ざめず/ウナギのような学問の尾をつかむ」
  ――第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな! 巻末での小競り合い

 などと索引をめぐる歴史的な話が中心の中で、終盤の第8章は少し毛色が違う。索引が当たり前となった20世紀からコンピュータの助けが得られる現代の物語である。何より嬉しいのは、実際に索引を作る手順を詳しく説明していること。「コンピュータならCTRL+Fでたいがいイケるんじゃね?」とか「出てくる全部の単語にページ番号つけりゃいいじゃん」とかの甘い目論見を、木っ端みじんに粉砕してくれる。

機械でスピードアップできることは、ソートやレイアウト、エラーチェックなどスピードアップが可能な作業だけだ。今もなお主題索引を編集する作業はおおむね、人間が行う主観的な仕事である。
  ――第8章 ルドミッラとロターリア 検索時代における本の索引

 でも、最近流行りのLLM=大規模言語モデル(→Wikipedia)なら…いや、ちと工夫が必要だなあ。

 もちろん、細かいエピソードは盛りだくさんだ。私はウィリアム・F・バックリー・ジュニアがノーマン・メイラーに仕掛けたイタズラが好きだ。あと、ペーター・シェイファーの賢い販売戦略も。

 マニアックなテーマだけに、万民向けじゃない。でも、書名に惹かれた人なら、読む価値は充分にある。本、それもノンフィクションが好きで、書棚の空きがないと悩む人には、悩みを更に深める困った本だ。

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2024年1月 9日 (火)

ヴィンセント・ベヴィンス「ジャカルタ・メソッド 反共産主義十字軍と世界をつくりかえた虐殺作戦」河出書房新社 竹田円訳

この世界全体――とりわけ(略)アジア、アフリカ、そしてラテンアメリカの国々は――1964年と1965年にブラジルとインドネシアで発生した波によって姿を作り替えられた。
  ――序章

「第三世界」という概念は、1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議(→Wikipedia)のなかで本格的に固まった。
  ――第2章 独立インドネシア

(イラクでは)アメリカ政府が支援するバース党という反共産主義の政党が、(1968年7月に)クーデター(→Wikipedia)を起こして成功させた。
  ――第4章 進歩のための同盟

最大で100万人(ひょっとするとそれ以上かもしれない)のインドネシア人が、アメリカ政府が展開した世界的反共産十字軍の一環として殺された。
  ――第7章 大虐殺

【どんな本?】

 1955年4月、インドネシア大統領スカルノの主導により、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開催される。ここに第三世界の概念が生まれた。資本主義の第一世界と共産主義の第二世界に対し、元植民地の諸国を第三世界と位置づけ、その独立と発展を望む運動が始まった。

 だが、インドネシアにおける動きは1965年、唐突に断ち切られる。スハルトによるクーデターと政権奪取によって。

 以後、特に中南米諸国において奇妙なキーワードが囁かれる。「ジャカルタが来る」と。

 ソ連の大飢饉(→「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」)や強制収容所(→「グラーグ」)、中国の大躍進(→「毛沢東の大飢饉」)、カンボジアのキリングフィールド(→「ポル・ポト」)などは有名だが、インドネシアやグアテマラやチリの悲劇はあまり語られない。

 一体、何があったのか。誰が、何のために悲劇を生み出したのか。なぜ語られないのか。そして、これらの悲劇は、世界をどう変えたのか。

 米国のジャーナリストが、20世紀の歴史の影に光を当てる、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THe Jakarta Method : Washington's Anticommunist Crusade and the Mass Murder Program that Shaped Our World, by Vincent Bevins, 2020。日本語版は2022年4月30日初版発行。単行本ハードカバーー縦一段組み本文約343頁に加え、訳者あとがき7頁。9.5ポイント44字×21行×343頁=約316,932字、400字詰め原稿用紙で約793枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。中学卒業程度の国語と社会科の知識があれば読みこなせるが、主に1960~70年代の話なので、若い人には時代感覚がピンとこないかも。インドネシアの島々や中南米の国が舞台となるので、地図があると便利。

【構成は?】

 前の章を受けて後の章が展開する更生なので、なるべく頭から読もう。

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  • 序章
  • 第1章 あらたなアメリカの時代
  • 第2章 独立インドネシア
  • 第3章 目に物見せる アンボン空爆
  • 第4章 進歩のための同盟
  • 第5章 ブラジルとその過去
  • 第6章 9.30事件
  • 第7章 大虐殺
  • 第8章 世界のあらゆる場所で
  • 第9章 ジャカルタが来る
  • 第10章 北へ、北へ
  • 第11章 俺たちはチャンピオン
  • 第12章 彼らは今どこに? そして私たちは?
  • 謝辞/訳者あとがき/補遺/原註

【感想は?】

 失敗は怖ろしい。成功はもっと恐ろしい。

 本書は成功の物語だ。少なくとも、アメリカ合衆国、特にCIAにとっては。

 SF作家ルーシャス・シェパードの作品、「タボリンの鱗」収録の中編「スカル」は、グアテマラを舞台として米国人の旅行者の視点で描かれる。旅人の見るグアテマラの社会は、貧しくいささか物騒だ。なぜそうなったのか、本書を読んでよく分かった。

 合衆国には、力がある。経済力も軍事力も。だが、外国の情報収集・分析は、いささか弱い。特に発展途上国においては。それを補うのがCIAの設立当初の役目だったが(→「CIA秘録」)、思い込みと決めつけで暴力的な解決に突っ走る傾向があって、911以降の中東政策によく現れている。

米外交官フランク・ウィズナー・ジュニア
「過去の歴史に注意を向けていたら、アメリカ政府が中東でいまのような状況にはまり込むこともなかったでしょうね」
  ――第12章 彼らは今どこに? そして私たちは?

 これは最近の話かと思ったが、そうではなかった。昔からそうだったのだ。ただ、昔はうまくやっていたし、今でもその影響が強く残っている。特にインドネシアと中南米で。バナナやコーヒーや砂糖の歴史を調べ、うっすらと感じてはいたが、ここまでハッキリと示した本はなかった。

 何をやったのか。一言で言えば、赤狩りだ。ただし、国内じゃない。他国、特に第三世界で、だ。

 当時は冷戦のさなか。世界各地で植民地が独立し、それぞれに独自の道を模索していた。米ソ両国はソコで縄張り争いを始めた。少なくとも、CIAはそう考えていた。元植民地諸国も、両大国間のバランスの狭間で、独自の道を模索していた。多党制の議会も要しており、インドネシアでは…

米第37代大統領リチャード・ニクソン
「インドネシアにとって、民主的な政府は(おそらく)最善ではない。組織力にすぐれる共産党を選挙で負かすのは不可能だから」
  ――第3章 目に物見せる アンボン空爆

 これをCIAは恐れた。なんたって、共産党である。ソ連の手先に決まっている。そう決めつけた。

米外交官ハワード・ポールフリー・ジョーンズ
「ワシントンの政策立案者は、あらゆる事実関係を把握しておらず、この国(インドネシア)の事情もしっかり理解していなかった。ところが、共産主義こそが大問題だという前提でことを進めてしまった」
  ――第3章 目に物見せる アンボン空爆

 米国内でもマッカーシズム(→Wikipedia)が吹き荒れたが、そこは先進国である。さすがに直接の暴力は控えた。だが、外国なら話は別だ。

 やった事は、イランやベトナムと同じ。クーデターを起こし傀儡政権を立てる。それも極右の。

1965年10月1日(→Wikipedia)の時点で、スハルト少将(→Wikipedia)とは何者か、ほとんどのインドネシア人が知らなかった。しかしCIAは知っていた。
  ――第6章 9.30事件

 そして、罪は共産主義者にかぶせる。

ブラジル独自の反共産主義の神話の中には、ひどく歪んだ共産主義者のイメージができあがっていたようだ。多くのエリートが、共産主義者は、日頃から「悪魔的喜び」を感じながら暴力を繰り返し、敬虔なキリスト教徒を皆殺しにして、「赤い地獄」に送り込もうとしていると信じていた。
  ――第5章 ブラジルとその過去

 こういう、敵対する相手を悪役に仕立てる手口は、右も左も同じだなあ、と思ったり。かつての中国でも資本主義者は散々に罵られたし、ソ連も富農を目の敵にした。

1966年1月14日にワシントンが受け取った在インドネシア大使マーシャル・グリーンの報告
当面、PKI(インドネシア共産党)が政治に影響をおよぼすことはないだろう。インドネシア陸軍と、彼らに協力したムスリム団体のめざましい働きによって、共産党組織は壊滅した。政治局と中央委員会のメンバーは、ほぼ全員殺害されるか逮捕された。これまでに殺害された共産党員の数は、数十万にのぼると言われる。
  ――第7章 大虐殺

 一般に宗教勢力、特にアブラハムの宗教は共産主義を毛嫌いし、極右に手を貸す場合が多いんだよなあ。気質が似てるんだろうか。

 もちろん、濡れ衣を着せられた者も多い。というか、ドサクサまぎれで気に食わない奴にレッテルを張ち、ついでに片付けたっぽい。

1978年から83年にかけて、グアテマラ軍は20万以上の国民を殺害した。そのうち1/4弱が、都市部で連れ去られたまま「失踪」した人々だった。残りの大部分は先住民のマヤ人たちで、かれらは先祖代々住んできた平原や山々の、広い空の下で虐殺された。
  ――第10章 北へ、北へ

 そして、これらの事実がおおっぴらに語られることはない。こういった歴史の闇は、人々に疑惑の種をまく。

なにか重要なことが自分たちから隠されていたことを知ると、人は疑うべきでないことを疑ったり、途方もない陰謀論に耳を傾けたりするようになる。
  ――第11章 俺たちはチャンピオン

 そして、この本も、デッチアゲや陰謀だと言われるのだ。だが、現在の米国が中東でやっていることは、本書に書かれている内容と大きな違いはない。よりガサツで稚拙で大掛かりなだけで。

 米国は、ベトナムでは大っぴらに失敗した。だから、「 ベスト&ブライテスト」など、「なぜ失敗したか」と顧みる風潮がある。だが、インドネシアや中南米で密かには成功した。だから、顧みられることは少ない。だからこそ、本書は貴重で大きな価値がある。現代の世界がいかにして形作られたか、それを明らかにする衝撃の本だ。

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2023年12月18日 (月)

サイモン・ウィンチェスター「精密への果てなき道 シリンダーからナノメートルEUVチップへ」早川書房 梶山あゆみ訳

精密さとは、意図的につくり出された概念だ。そこにはよく知られた歴史上の必要性があった。
  ――はじめに

ついに機械をつくるための機械が生み出され、しかもそれは、正確かつ精密につくる能力をもっている。
  ――第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気

ジェームズ・スミス著『科学技術大観』
「一つの面を完璧に平坦にするためには、一度に三つの面を削ることが……必要である」
  ――第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い

空気がなければ歪みもない
  ――第7章 レンズを通してくっきりと

GPS衛星群に数々の有用性があるとはいえ、それを煎じ詰めれば時刻の問題になるのだ。
  ――第8章 私はどこ? 今は何時?

1947年、トランジスタは幼い子供の手いっぱいに載るほどの大きさがあった。24年後の1971年、マイクロプロセッサ内のトランジスタは幅わずか10マイクロメートル。人間の髪の毛の太さの1/10しかない。
  ――第9章 限界をすり抜けて

(2011年3月11日の東日本大震災と津波で)杉や松は完膚なきまでに破壊されたのに、竹はまだそこにある。
  ――第10章 絶妙なバランスの必要性について

こうして時間がすべての基本単位を支えるものとなった
  ――おわりに 万物の尺度

【どんな本?】

 カメラ、スマートフォン、自転車、自動車、ボールペン。私たちの身の回りには、精密に作られたモノが溢れている。これらが誇る精密さは、自然と出来上がったのではない。精密さを必要とする需要や、精密さが優位となるビジネス上の条件があり、ヒトが創り上げた概念だ。

 ヒトはいかにして精密さの概念を見つけたのか。そこにはどんな需要があり、どのような人物が、どのように実現したのか。そして精密さは、どのように世界を変えてきたのか。

 「博士と狂人」で歴史に埋もれた二人の人物のドラマを魅力的に描いたサイモン・ウィンチェスターが、今度は多彩な登場人物を擁して描く、歴史と工学のノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Perfectionists : How Precision Engineers Created the Modern World, by Simon Winchester, 2018。日本語版は2019年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約425頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×19行×425頁=約363,375字、400字詰め原稿用紙で約909枚。文庫なら薄めの上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、本棚やプラモデルなどを自分で部品から何かを組み立てて、「あれ? この部品、なんかうまくはまらないな」と戸惑った経験があると、身に染みるエピソードが多い。

【構成は?】

 原則的に時系列順に進むが、各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。

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  • 図版一覧
  • はじめに
  • 第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気
  • 第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い
  • 第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を
  • 第4章 さらに完璧な世界がそこに
  • 第5章 幹線道路の抗しがたい魅力
  • 第6章 高度一万メートルの精密さと危険
  • 第7章 レンズを通してくっきりと
  • 第8章 私はどこ? 今は何時?
  • 第9章 限界をすり抜けて
  • 第10章 絶妙なバランスの必要性について
  • おわりに 万物の尺度
  • 謝辞/用語集/訳者あとがき/本書の活字書体について/参考文献

【感想は?】

 歴史の授業で工場制手工業って言葉を学んだ。ソレで何が嬉しいのかは分からなかったが。この本で、少しわかった気がする。

 これが分かったのが、「第5章 幹線道路の抗しがたい魅力」。ここでは、最高級の自動車を生み出すロールス-ロイス社と、T型フォードの量産に挑んだフォード社の誕生を描く。

 その工程は対照的だ。ロールス-ロイス社は熟練の職人による手仕事で、一台づつ丁寧に作ってゆく。対してフォード社は、ベルトコンベアによる流れ作業だ。そこで部品に精密さを求めるのは、どちらだろうか?

 意外なことに、フォード社なのだ。

 ロールス-ロイス社は、職人が丁寧に組み立てる。そこで部品のサイズが合わなければ、ヤスリで削って調整する。それぞれピッタリ合わせるので、ガタつくことはない。ぶっちゃけ古いやり方だが、だからこそ品質を保証できる。

 だが、フォード社は流れ作業だ。合わない部品があると、そこで作業が止まってしまう。だから、予め部品の規格や誤差範囲を厳しく決め、守らせる。部品の精密さでは、フォード社の方が要求は厳しいのだ。

低コストでたいした複雑さもなく、記憶にもさして残らないフォード車のほうが、(ロールス・ロイス車より)精密さがより重要な生命線となっていた。
  ――第5章 幹線道路の抗しがたい魅力

 「ニコイチ」や「共食い整備」なんて言葉もある。壊れた二台の自動車から使える部品を取り出して組み合わせ、一台の動く自動車を組み立てる、そんな手口だ。これは意外と現代的な概念だとわかるのが、「第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を」だ。

 この章は1914年の米英戦争さなかの合衆国で幕を開ける。当時、マスケット銃の部品が壊れたら、どう直すか? 現代なら、他の部品に交換するだろう。だが、当時はできなかった。当時の銃は、ロールス-ロイス社風の方法で作っていたからだ。部品を交換するには、職人の所へ持っていき、調整してもらう必要があった。そうしないと、「合わない」のだ。当時の製品は、みんなその程度の精度だったのだ。

 これを変えたのが、フランスのオノレ・ブラン(→Wikipedia)。彼の造った銃は…

どの部品も完全に互換性をもっていた。
  ――第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を

 逆に言えば、同じ工業製品の同じ部品でも、互換性がないのが普通だったのだ、当時は。軍事ヲタク界隈じゃ共食い整備は末期症状と言われるが、そんな事が出来るのも精密さのお陰だったりする。

 こういった互換性の基礎をもたらしたのが、私たちの身の回りに溢れているシロモノなのも意外。

(ジョゼフ・)ホイットワース(→Wikipedia)は、あらゆるネジの規格を統一するという発想を推し進めた
  ――第4章 さらに完璧な世界がそこに

 そう、ネジなのだ。実際、よく見ると、ネジって長さや太さやネジ山の高さや距離など、予め規格がキッチリ決まってないと困るシロモノなんだよね。本書の前半では、他にもネジが重要な役割を果たす場面が多くて、実はネジが工学上の偉大な発明である事がよくわかる。

 後半では、こういった精密さが更に桁を上げた現代の物語へと移ってゆく。

 特に「第6章 高度一万メートルの精密さと危険」がエキサイティングだった。ここでは航空機用ジェット・エンジンの誕生と現状を語る。そのジェット・エンジン、理屈は単純なのだ。原則として動くのは「回転するタービンと圧縮機だけ」。可動部が少なければ、それだけ機械としては頑丈で安全となる…はず。理屈では。

フランク・ホイットル(→Wikipedia)
「未来のエンジンは、可動部が一つだけで2000馬力を生み出せるようでなければならない」
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 ホイットルを支援する投資会社のランスロット・ロー・ホワイトの言葉も、エンジニアの魂を強く揺さぶる。

「大きな飛躍がなされるときは、かならず旧来の複雑さが新しい単純さに取って代わられるものだ」
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 そうなんだよなあ。私は初めて正規表現に触れた時、その理屈の単純さと応用範囲の広さに感動したのを憶えてる。新しい技術は、たいてい洗練された単純な形で出てきて、次第に毛深くなっちゃうんだよなあ。

 まあいい。ここでは、蒸気からレシプロそしてタービンまで、モノを燃やして力を得るエンジンの神髄を説く言葉も味わい深い。

(エンジンは)熱ければ熱いほど速くなる
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 モノを燃やすエンジンは、すべてボイル=シャルルの法則(→Wikipedia)に基づく。曰く、気体の体積または圧力は、温度に比例する。モノを燃やすエンジンは、高温で体積が増える気体の圧力がパワーの源だ。よってパワーを上げるには、エンジンの温度を高く(熱く)すればいい。

 だが、エンジンは金属だ。金属は熱くなると柔らかくなり、ついには溶ける。この相反する要求を叶えるには、なるたけ高温に耐える素材を使うこと。冶金技術が国力の源である理由が、コレだね。もう一つ、高熱にさらされるエンジン内でタービン・ブレードの温度を下げる手もある。これを叶えるロールス-ロイス社の工夫が凄い。

 実はこの辺、「ジェット・エンジンの仕組み」にも書いてあったんだが、すっかり忘れてた。わはは。

 この章では、他にも「ホイットルの時代の初歩的なジェットエンジンであっても、(吸い込む空気の量は)ピストンタイプのざっと70倍」とか、ジェットエンジンつかガスタービンの布教としか思えぬ記述が溢れてる。

 それはともかく、そんなロールス-ロイス社のトレント900エンジンを積んだエアバスA380機が、2010年に事故を起こす。カンタス航空32便エンジン爆発事故(→Wikipedia)だ。原因はエンジン部品の不良。この事故を調べたオーストラリア政府による事故調査報告書は、教訓に富んでいる。

複雑な社会技術システムは、元々内在する性質により、絶えず監視されていなければ自然と後退するという傾向を持つ。
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 複雑で精密なシロモノは、放っとくと劣化するのだ。これはモノだけでなく、製造・流通・運用など全ての過程で関わるヒトや組織にも当てはまる。特に、コスト削減とかの圧力が加わった時は。なら、原子力発電も…などと考えてしまう。

 以降、本書は騒ぎとなったハップル天文台や現代では必需品となったGPSそして集積回路を経て、第10章ではなぜか日本が舞台となる。ここの記述は日本人としてはいささか気恥ずかしさすら覚えるほどの日本賛歌なので、お楽しみに。

 今や当たり前となったネジや部品交換そして互換性の概念は、意外と近年に生まれた考え方だった。私たちの暮らしを楽しく便利にしてくれる様々な工業製品も、巷で話題のグローバル経済も、先人が創り上げた精密さの上に成り立っている。そんな感慨に浸れると共に、歴史の教科書ではあまり触れられない職人たちの人物像にも光を当てた、一風変わった歴史と工学の本だ。

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