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2018年7月18日 (水)

スティーブン・ジョンソン「世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史」朝日新聞出版 大田直子訳

本書のテーマのひとつは、この不思議な影響の連鎖、「ハチドリ効果」である。ある分野のイノベーション、またはイノベーション群が、最終的に、まるでちがうように思われる領域に変化を引き起こす。
  ――序章 ロボット歴史学者とハチドリの羽

グーテンベルクの発明から100年とたたないうちに、ヨーロッパ全土で多くの眼鏡メーカーが繁盛し、眼鏡はふつうの人がふつうに身に着ける――新石器時代の衣服の発明以来――最初の先進技術になった。
  ――第1章 ガラス

アイデアというものは根本的にほかのアイデアとのネットワークだからである。
  ――第2章 冷たさ

都市の成長と活力はつねに、人々が密集するとできる人間の排泄物の流れを管理できるかどうかにかかっている。
  ――第4章 清潔

リースはずっと、共同住宅改革――および都市貧困に対する戦略全般――の問題は、結局、想像力の問題ではないかと思っていた。
  ――第6章 光

「このプロセスの本質は代数や分析ではなく算術と数字のはずだと思っている人が多い。これはまちがいだ。この機関は数字で表された量を、まるで文字などの一般的符号であるかのように、配列して組み合わせることができる」
  ――第7章 タイムトラベラー

【どんな本?】

 私たちの暮らしは、様々な技術に支えられている。日の光は取り入れるが風や雨は遮るガラス。食品を長持ちさせる冷蔵庫。ニュースを伝えるラジオ。安心して飲める水。正確な時を刻む時計。夜を照らす電灯。そして、このブログを読み書きするコンピュータ。

 いずれも今の私たちにとっては当たり前のものだが、それの土台となる技術は、今とは全く異なる目的のために開発され、予想外の出会いと紆余曲折を経て、現在の形へと至ったものだ。

 ガラス・冷たさ・音・清潔・時間・光そして演算装置の七つの技術の誕生と成長の歴史を辿り、ヒトの知識と技術が社会にもたらす意外な効果を解き明かす、一般向けの技術史読本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How We Got to Now : Six Innovations That Made the Modern World, by Steven Johnson, 2014。日本語版は2016年8月30日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約310頁。9.5ポイント43字×17行×310頁=約226,610字、400字詰め原稿用紙で約567枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。たまに馴染みのない化学物質の名前が出てくるが、「そういうモノがある」程度に思っていれば充分で、理科が苦手でも大丈夫。どちらかというと科学より歴史の本なので、常識程度に世界史を知っていれば更に楽しめる。

【構成は?】

 各章は穏やかに繋がっているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただ、全体を通して一貫したメッセージもあり、それは頭から読んだ方が伝わりやすい。

  • 序章 ロボット歴史学者とハチドリの羽
    ハチドリの羽はどうやってデザインされたのか?/世界を読み解く「ロングズーム」
  • 第1章 ガラス
    ツタンカーメンのコガネムシ/ガラスの島/グーテンベルクと眼鏡/顕微鏡からテレビへ/ガラスで編まれたインターネット/鏡とルネサンス/ハワイ島のタイムマシン/ガラスは人間を待っていた
  • 第2章 冷たさ
    ボストンの氷をカリブに運べ/氷、おがくず、空っぽの船/冷たさの価値/氷によってできた街/人工の冷たさをつくる/イヌイットの瞬間冷凍/エアコンの誕生と人口移動/冷却革命
  • 第3章 音
    古代洞窟の歌/音をつかまえ、再生する/ベル研究所とエジソン研究所/勘ちがいから生まれた真空管/真空管アンプ、大衆、ヒトラー、ジミヘン/命を救う音、終わらせる音
  • 第4章 清潔
    汚すぎたシカゴ/ありえない衛生観念/塩素革命/清潔さとアレルギー/きれいすぎて飲めない水
  • 第5章 時間
    ガリレオと揺れる祭壇ランプ/時間に見張られる世界/ふぞろいな時間たち/太陽より正確な原子時計/一万年の時を刻む時計
  • 第6章 光
    鯨油ロウソク/エジソンと“魔法”の電球/“天才”への誤解/ピラミッドで見いだされた光/スラム街に希望を与えたフラッシュ/100リットルのネオン/バーコードの“殺人光線”/人口の“太陽”
  • 第7章 タイムトラベラー
    数学に魅せられた伯爵夫人/180年前の“コンピューター”/隣接可能領域の新しい扉
  • 謝辞/原注/参考文献/クレジット

【感想は?】

 「風か吹けば桶屋が儲かる」の技術史版。

 新しい技術が出てきた時、「それが何の役に立つの?」と見下そうとする人がいる。そういう人を言いくるめるのに、この本はとても役に立つ。

 それが最もよく出ているのが、「第1章 ガラス」だ。あなたの部屋の窓にはまっている、あのガラスだ。

 話は古代エジプトのツタンカーメンのスカラベから始まり、1204年のコンスタンティノープル陥落へと飛ぶ。オスマン軍から逃げたガラス職人たちは、ヴェネチアに引っ越す。彼らの技術は金になるが、火を扱うので火事が怖い。そこで首長はガラス職人を街区から追い出し、ムラーノ島に集めた。

 これが現在のシリコンバレーと同じ効果をもたらした。職人同士が技を競い、新しい工夫を交換し合って、ヴェネチア・グラスのブランドを打ち立てる。中でも秀でているのが、アンジェロ・バロヴィエールの功績だ。彼は「とびきり透明なガラス」を創り上げた。

それまでのガラスは、何かしら色がついていた。教会のステンド・グラスがカラフルなのは、ワザとじゃない。透明なガラスがないので、そうするしかなかったのだ。

 時代は飛んで15世紀。グーテンベルクが印刷機を発明する。これが、人々に意外な発見をもたらす。「なんかこの本、読みにくいなあ」。

 昔から遠視の人はいた。ただ、細かい字なんか読まないから、気が付かなかった。そこに安い本がやってきて、識字率もあがる。否応なしに、多くの人が自分が遠視だと気づかされたのだ。

 これで喜んだのが、眼鏡業界。透明なガラスがレンズを実用化したのはいいが、それまでは細々とした商売だった。だって字なんか読めるのは、修道院の学者さんぐらいだし。

 ところが印刷機の発明で、レンズの市場が一気に広がる。やがてレンズを組み合わせた顕微鏡が生まれ、コッホが細菌を見つけ出す。この発見が現代医学に、どれほどの貢献した事か。やがてレンズはカメラや携帯電話に搭載され、またグラスファイバーは断熱材や航空機、果ては光回線に…

 透明なガラスは別の変化ももたらす。職人はガラスの裏にスズと水銀の合金を貼った。鏡の誕生である。私たちは、やっと自分の姿をハッキリと見られるようになったのだ。これは絵画の世界に革命をもたらす。最初は自画像の流行だが、また遠近法も生み出してしまう。

 コンスタンチノープルの陥落から、遠近法の誕生や細菌の発見を予測できる者が、果たしてどれぐらい居ることやら。一つの技術が世界にどんな影響をもたらすのか、誰にもわからないのだ。

 とかの、巧くいった技術の歴史も面白いが、発明者の勘違いも面白い。

 例えば、かの有名なトーマス・エジソンとアレキサンダー・グラハム・ベル。蓄音機のエジソンと電話のベルだ。両者が最初に目論んだ目的が、見事にスレ違っている。

 エジソンは、蓄音機を手紙の代わりとして考えていた。声を吹き込んだ巻物を相手に郵便で送れば、メッセージを送れる。ボイスメールだね。そしてベルは、電話によるコンサートの実況中継を目論んでいた。今ならケーブルテレビの生中継に当たるんだろうか。

 ところが現実には、電話が個人相手へのメッセージ伝達に、録音機材が不特定多数相手の放送に使われている。開発者の言葉を鵜呑みにしちゃいけません。ティム・バーナーズ=リーだって、出会い系やXVIDEOS、ロシアによるアメリカ大統領選への介入までは予測できなかっただろう。

 同様に戸惑っているのが、真空管の父リー・ド・フォレスト。真空管はやがてラジオを生み出し、そこから流れてくるのは南部の黒人が生み出したジャズ。

「あなたがたは私の子どもであるラジオ放送に、何をしてくれたのだ?ラグライムだの、スイングだの、ブギウギだのといったぼろを着せて、このこの品位を落としている」
  ――第3章 音

 やがて真空管はエレクトリック・ギターを生み出す。アンプを通すまで「空気の振動」が存在しない、異端の楽器だ。新世代のミュージシャンたちは真空管に過大な負荷をかけると奇妙な効果が起きることを見つける。ヘビメタには不可欠なディストーション・サウンドの誕生だ。

 どうでもいいいが、この次にある「ハウリング」は、ギタリストの間じゃ「フィードバック」と呼ばれてる。

 などと、一つの技術や製品が生まれるまでの紆余曲折は、実に意外性に満ちていて楽しい。と同時に、一つのアイデアや技術が、社会にもたらす影響の予測の難しさもよくわかる。また、終盤では、アイデアを生み出す源泉について、面白い考察もしている。

 楽しく読みやすく意外性に満ちて、小ネタも満載。ほんと、技術史の本ってのは面白いなあ。

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2018年7月 3日 (火)

ブライアン・フェイガン「古代文明と気候大変動 人類の運命を変えた二万年史」河出書房新社 東郷えりか訳

われわれの祖先は過去7,8万年のあいだに、少なくとも九回の長い氷期をくぐり抜けてきた
  ――はじめに

こうした技術革新も、過小評価されているある単純な発明がなければ、価値のないものになっただろう。それは今日もまだ使用されているもの――針と糸である。
  ――第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前

「クローヴィス人は世代ごとにおそらく一頭のマンモスを仕留め、それから残りの生涯をその話をしながら過ごしたのだろう」
  ――第3章 処女大陸 15000年~13000年前

それもこれもすべて、とどのつまりは、アガシー湖の湖岸が崩れたからなのである。
  ――第5章 1000年におよぶ干ばつ 紀元前11000年~前10000年

前8000年には、近くの山間にあった定住地ガンジ・ダレで、住民が家畜化したヤギの群れを飼っていた。その事実が判明しているのは、骨の中にオスは成獣に近い個体が多数あり、一方、メスはほとんどが年をとっていたからだ。
  ――第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年

エジプトのクフ王と後継者たちがナイル川沿いのギザにピラミッドを建設していた前2550年ごろまで、砂漠には多数の淡水湖があり、いくつかはかなり広大なものだった。マリ北部にはクロコダイルとカバが生息していた。現在、この地域の降雨量は年間5mmしかない。
  ――士の争い/アッカド帝国第8章 砂漠の賜物 紀元前6000年~前3100年

19世紀にはENSO(→Wikipedia)と干ばつによって生じた飢え、および飢饉に関連した感染症から、少なくとも2000万人が死亡した。
  ――エピローグ 西暦1200年~現代

【どんな本?】

 人類はアフリカで生まれ、世界中に散らばり、アメリカ大陸まで渡っていった。その時期とルートについては幾つかの説がある。中でも最も有力なのが、15000年以降に、今のベーリング海峡を歩いて渡った、とする説だ。

 当然ながら、この説が成り立つには、ベーリング海峡が陸地でなければならない。たかだか一万年かそこらで、海峡が干上がったり沈んだりと、地形は大きく変わった事になる。もちろん、それらは気候の大変動も連動している。

 気候の変化は、人類を地球全体へと拡散させた。狩猟採集から遊牧や農耕へと人類の暮らしの形を変え、メソポタミア・古代エジプト・マヤなど幾つもの文明を興しては滅ぼした。そこには、どんな気候要因が働いたのか。人々の暮らしは、どう変わったのか。それは、なぜわかるのか。

 アメリカの考古学者が、二万年ものスケールで、人類の歴史と気候の関係を全地球規模の視野で明らかにし、ダイナミックに脈動する地球の気候を伝える、衝撃的な一般向けの科学・歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Long Summer : How Climate Changed Civilization, by Brian Fagan, 2004。日本語版は2005年6月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約336頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×336頁=約293,664字、400字詰め原稿用紙で約735枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらいの文字数。なお、今は河出文庫から文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれている。内容は多岐にわたり、できればスマートフォンかパソコンの助けを借りながら読むといい。というのも、世界中の地名や歴史上の出来事が頻繁に出てくるためだ。地名は Google Map で調べたくなるし、歴史上の出来事は年表で確かめたくなる。

 出てくる出来事は東地中海の話が多い。ただ、読んでいくと、それらは「地球の気候」という点で全世界に影響を及ぼしている事が次第にわかってくる。とすると、我々としては、つい「その頃、中国では」とか「日本では」とか考えちゃうよね。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、できれば素直に頭から読む方がいい。

  • はじめに/著者注
  • 第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて
    古代都市ウルの悲劇/ミシシッピ川の洪水との闘い
  • 第1部 ポンプとベルトコンベヤー
    • 第2章 氷河時代末期のオーケストラ 18000年~15500年前
      狩猟集団/氷河時代のステップ・ツンドラ/クロマニョン人が生き延びた理由/世界の気候はつねに変化した/はてしなくつづくステップ・ツンドラ/シベリア北東部へ/ひたすら前進する狩猟採集民
    • 第3章 処女大陸 15000年~13000年前
      最初のアメリカ人/「クローヴィス尖頭器」が語ること/アメリカ大陸定住へのシナリオ/シベリア北東部より/ベーリング陸橋の東側/氷河の後退/無氷回廊はなかった/南下をつづけて/大温暖化による新たな機会と危機
    • 第4章 大温暖化時代のヨーロッパ 15000年前~13000年前
      温暖化のもたらした変化/様変わりする環境のなかで/臨機応変なクロマニョン人/弓の発明
    • 第5章 1000年におよぶ干ばつ 紀元前11000年~前10000年
      ケバラ人/どんぐりがもたらした影響/アブ・フレイラ/アガシー湖/農耕の始まり/移動生活の終わり
  • 第2部 何世紀もつづく夏
    • 第6章 大洪水 紀元前10000年~前4000年
      定住と祖先への信仰/チャタルホユックの巨大な塚/ミニ氷河時代/エクウセイノス湖の大氾濫/移住/狩猟民と農耕民の思わぬ交流/共同体の発展/生活様式の変遷
    • 第7章 干ばつと都市 紀元前6200年~前1900年
      メソポタミアの調査/ウバイド人/干ばつとの闘い/シュメールの都市国家/都市同士の争い/アッカド帝国
    • 第8章 砂漠の賜物 紀元前6000年~前3100年
      サハラ砂漠/熱帯収束帯/ナイル川/サハラの牛とオーロックス/先王朝時代
  • 第3部 幸運と不運の境目
    • 第9章 大気と海洋の間のダンス 紀元前2200年~前1200年
      干ばつによって崩れたファラオの無謬性/レヴァント南部の社会崩壊/ウルブルンの沈没船/ミュケナイとヒッタイトと滅ぼしたもの/干ばつが侵略を生んだ/人類は新たに脆弱さをさらけだす
    • 第10章 ケルト人とローマ人 紀元前1200年~前900年
      ヨーロッパの気候の境界線/地中海北部地方の農民たち/火山と気候の変化/牧畜民の生活/太陽と気候の変化/農耕と戦争/ケルト人との交流/移動しつづける移行帯/世界各地の大干ばつ/運命は神の掌中
    • 第11章 大干ばつ 西暦1年~1200年
      南カリフォルニアでの調査/チュマシュ族/チュマシュ族の知恵/アンセストラル・プエブロ
    • 第12章 壮大な遺跡 西暦1年~1200年
      マヤ文明の繁栄/マヤ文明を滅ぼしたもの/新しい証拠/プレ・インカの都市、ティワナク
  • エピローグ 西暦1200年~現代
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 SFだと、やがて太陽系を飛び出す人類は、他の恒星系の惑星上に植民地を築くことになっている。

 あれは間違いだ。他の恒星系に進出するほど賢ければ、地表なんかに定住地を作らない。小さな観測基地や、鉱山の周囲に町ぐらいは作るだろう。でも、商業や政治の中心となる大都市は作らない。

 なんたって、地表はヤバい。たかだか一万年かそこらで、ベーリング海峡が干上がったり沈んだりする。「一万年?悠長だねえ」と、前半では思えるかもしれない。でも、終盤の第三部になると、数百年どころか数十年のオーダーで、大都市が興り滅びてゆく様を、この本は見せつけてくれる。

 基本的なテーマは、最初の「はじめに」と「第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて」に出てくる。気候変動のスケールと、集落のスケールの関係だ。

生存できるか否かは、往々にして規模の問題となる。(略)小規模の災害にたいする万全の対策として興隆した都市は、より大きな災害にはますます脆弱になっていたのだ。
  ――第1章 もろくて弱い世界に踏み入れて

 ちょっと想像して欲しい。数年の間、日本列島に日照りが続いたら、どうなるだろうか?

 縄文時代なら、大きな問題にはならない。今、住んでいる場所を捨て、他の所に移ればいい。小さな川や池は干上がるだろうが、利根川や琵琶湖の近くなら、なんとかやっていけるだろう。だが、人々が一つの所に定住し、人口も増えた現在では、大変な災害になる。

 人口が少ない頃は、治水も難しい。ちょっとした日照りや洪水で、すぐに耕地は駄目になる。その反面、新田を開墾する余地は充分にあるので、新しい土地に移って開墾すれば、いくらでもやり直せる。

 現代の東京の河川は、岸をコンクリートで固め、また河川敷を広くとった上で堤防を築いているので、滅多に洪水で浸水することはない。が、ひとたび堤防が切れたら、いったいどうなる事やら。多くのデータセンターが停電しFGOも止まり阿鼻叫喚の←違うだろ

 つまりだ。昔は集落が小さかった。そのため治水もロクにできず、ちょっとした日照りや洪水でも村や町が消えた。だが、人々は他の土地に移り住めば、いくらでもやり直しがきいた。それだけ土地は余っていたし、人と土地の関係も薄かった。

 だが大都市となると、話は違ってくる。運河や貯水池や堤防を築き、多少の日照りや洪水には耐えられるようになった。だが、予測を超えた干ばつや大洪水に襲われると、どうしようもない。増えた人口を養う蓄えは尽き、かといって周辺には大量の移民を受け入れる余地がない。

 大都市は小さな災害には耐えられるけど、大きな災害が来たら立ち直れない。

 本書は、そこまでしか書いていない。「都市化が進んだ現代って、ヤバくね?」とは、書いていない。が、少しでも想像力があれば、そういう恐怖がジワジワと湧き上がってくる。

 この本が描くのは、幾つもの文明の勃興と滅亡だ。パターンはだいたい決まっている。気候のいい時に文明と都市が栄え、人口も増える。周囲の耕作に適さない土地も、開墾や灌漑で耕地に変え、更に人口が増える。だがやがて気候が変わり…

 この気候の変わり方が、制御はおろか予想すら難しい。1783年のアイスランドのラーキ火山の噴火は、ヨーロッパばかりか日本にも天明の飢饉をもたらした。前11000年のシリアのアブ・フレイラの干ばつは、もっとややこしい。

 北アメリカ大陸中央、五大湖の西、カナダとアメリカの国境近く。当時はアガシー湖があった。その北にはローレンタイド氷床が広がっていた。

 地球が温かくなり氷床が解け始め、アガシー湖に解けた水が流れ込む。湖は広がり五大湖へと注ぎこみ、果てはラブラドル海(カナダとグリーンランドの間,→Wikipedia)へと向かう。これは北上していた暖流のメキシコ湾流を止め、ヨーロッパの気温を下げ、東地中海に干ばつをもたらす。

 北アメリカの湖が、シリアに干ばつを引き起こしたのだ。ここまで複雑なメカニズムは、予測のしようもない。まあ遠い未来なら、量子コンピュータの莫大な演算量でどうにかなるかもしれんが…

前一万年前から前四千年までは地球の軌道パラーメーターが変化したおかげで、夏の気温が上がり、降雨量も増えたことがわかる。こうした変化によって、北半球は以前よりも7%から8%は多く、太陽放射にさらされるようになった。
  ――第7章 干ばつと都市 紀元前6200年~前1900年

 とかになると、もうお手上げだ。なんたって原因は地球の軌道なんだから。地表というのは、意外と気候の変動が激しいのだ。こんな所に大都市を築くなんて頭がイカれている。せめて太平洋上に移動可能な洋上都市を…

 すんません。妄想が暴走しました。

 そんな風に、気候の変化が人類を西に東に南に北にと拡散させ、都市を興しては滅ぼしていく過程を、じっくりと描いたのがこの本だ。もちろん、単に過程を描くだけではなく、それをどうやって調べ裏付けたかも、面白い話がいっぱいだ。

 わかりやすい所では木材の年輪や遺跡から出た遺物があり、また地底・海底のコアからの同位元素比率の測定や黒曜石の微量元素など、先端科学を駆使した手法も出てくる。甲虫や花粉、スズメやネズミの骨など、生物の遺物を元にした推定も意外性に溢れている。

 地理的に地中海近辺とアメリカ大陸に偏っていて、東南アジアと中国がほとんど出てこないのは寂しいが、スケールは微量元素から太陽黒点までと融通無碍で、それに翻弄される人類の姿は逞しくもあり切なくもあり。特にSF者にはツボを刺激され妄想が止まらない困った本だった。

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2018年7月 1日 (日)

アナスタシア・マークス・デ・サルセド「戦争がつくった現代の食卓 軍と加工食品の知られざる関係」白揚社 田沢恭子訳

(湾岸戦争の掩蔽壕で米軍)兵士たちが分け合った食料――数年前につくられたビーフパティとブラウンソースがレトルトパウチに入ったもの――は、自宅の冷蔵庫や食器棚に入っている食べ物とはまるで無縁のもののように思われる。
  ――第1章 子どもの弁当の正体

戦闘食糧配給局キャシー=リン・エヴァンゲロス「賞味期限は摂氏27℃で三年としています」
  ――第2章 ネイティック研究所 アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅰ

別の分子から電子をもらう分子を酸化剤、電子を与える分子を還元剤という
  ――第5章 破壊的なイノベーション、缶詰

「現在の私たちが口にする食品の多くや、受容性や簡便性という概念、それに食品の安定性は、すべて戦争を背景として陸軍需品科が生み出したものなのだ」
  ――第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち

念のための備えとして、ネイティック研究所はフリーズドライほど大がかりで高価な設備を必要としない、水分を含んだ食品の研究も行っていた。その食べ物とはドッグフードだ。
  ――第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー

戦場に配置されてレーションばかり食べる兵士の場合、ゴミの量は通常の10倍にもなる。
  ――第10章 プラスチック包装が世界を変える

第二次世界大戦は、戦地の兵士の食事が一般市民と著しく異なり、食べるものはほぼすべて加工食品からなるレーションだったという点で、過去に例のない戦争だった。
  ――第12章 スパーマーケットのツアー

リンゴやバナナなど、収穫後に成熟するクリマテリック型果実と呼ばれるものはエチレンを大量に放出する。エチレンは1ppmの濃度でも、一緒に運ばれているレタスすべてを一日で堆肥の山送りにしてしまう。
  ――第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株

イラク戦争とアフガニスタン戦争は、(略)護衛付きの輸送車隊の車両の七割が給油車だった。基地へ届ける燃料一ガロンにつき、輸送のために燃料を七ガロン使っていた。
  ――第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株

料理というのは、先に音楽がたどったのと同じ道を歩んでいて、いわば死にかけのアートだ。内輪の個人的なもの――曽祖父母の世代は自分たちで歌を歌ったり楽器を演奏したりしていた――から、大勢で共有する商業的なものへと移り変わってきている。
  ――第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?

【どんな本?】

 著者は料理が好きで、学校に通う子には手作り弁当を持たせた。後にフードライターとして取材を重ねるうち、困った事実を掘り起こしてしまう。手作り弁当は、幾つかの点で学校給食に及ばない。鮮度はともかく、栄養価でも環境負荷でも。

 インスタントコーヒー・クラッカー・ハム・パンなど、多くの加工食品は賞味期限が異様に長い。レトルト・パックもそうだ。これらの秘密を探る著者は、やがて合衆国陸軍の一部署にたどり着く。スーパーに並ぶ加工食品が使っている技術の多くは、もともと軍用だったのだ。

 部署の名は、ネイティック研究所。

 遠い異国で戦う将兵も、食べなければ戦えない。だが熱帯のジャングルでは何もかもがすぐに腐り、熱砂の砂漠では干からびる。ゲリラ戦は輸送隊を襲うのが常道だ。イラクやアフガニスタンでは、前線まで物資を届けるのも一苦労である。かといって食事がマズければ、将兵は戦意を失う。

 だから、将兵が持ち歩くレーションは、運びやすく長持ちし、栄養価が高く美味しくなければならない。

 これらの目的を達成するために、どんな困難があり、どんな技術で乗り越えたのか。そもそもなぜ食品は劣化するのか。そこには、どんなプロセスが働いているのか。軍用の技術をどのように民間移転したのか。それはどんな食品に使われているのか。それは安全なのか。

 私たちが毎日気づかずに使っている身近な軍用技術について、その歴史的経緯から科学的な原理までを、熱心な取材と調査で明らかにした、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Combat-Ready Kitchen : How the U.S. Military Shapes the Way You Eat, by Anastacia Marx de Salcedo, 2015。日本語版は2017年7月20日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約320頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×320頁=約273,600字、400字詰め原稿用紙で約684枚。文庫本なら少し厚め。

 文章は比較的に読みやすい。内容も特に難しくない。一部に好気性やフリーラジカルとか科学っぽい言葉が出てくるが、面倒なら読み飛ばしてもいい。大事っぽいのはpH(→Wikipedia)で、酸性かアルカリ性かを示す。7が中性、それより小さければ酸性、大きければアルカリ性。

 また、アメリカ人向けに書いているので、日本では馴染みのない食品も出てくる。

 その代表はエナジーバー。スニッカーズやカロリーメイトみたく棒状の加工食品らしい。調べたら特色もウリも様々で、アスリート向けプロテイン型,登山向け高カロリー,ダイエット向け低カロリー,ベジタリアン向け,フルーツ入りから版権キャラクター物まで、色とりどり。

 製品ばかりか手作り用のレシピもあるので、加工食品というより、「クッキー」や「麺」みたく食品の形態の一つ、ぐらいの位置づけなのかも。

【構成は?】

 前半は時代を辿り、中盤では個々の技術を紹介し、終盤で現在から未来を見る形。できれば頭から読んだ方がいいが、美味しそうな所をつまみ食いしてもいいだろう。

  • 第1章 子どもの弁当の正体
  • 第2章 ネイティック研究所
    アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅰ
  • 第3章 軍が出資する食品研究
    アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅱ
  • 第4章 レーションの黎明期を駆け足で
  • 第5章 破壊的なイノベーション、缶詰
  • 第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち
  • 第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー
  • 第8章 成形肉ステーキの焼き加減は?
  • 第9章 長持ちするパンとプロセスチーズ
  • 第10章 プラスチック包装が世界を変える
  • 第11章 夜食には、三年前のピザをどうぞ
  • 第12章 スパーマーケットのツアー
  • 第13章 アメリカ軍から生まれる次の有力株
  • 第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?
  • 謝辞/訳者あとがき/註/参考文献

【感想は?】

 自分で料理する者にとっては、美味極まりない本。軍ヲタであれ、自然食品派であれ。

 ニワカ軍ヲタとしては、将兵が飢え死にするに任せた帝国陸海軍と、食事の味にまで気を配った米軍の違いに歯ぎしりする思いだ。「われレイテに死せず」では、米軍将兵に不評だったレーションを、帝国陸軍将兵が命がけで奪う場面がある。ガダルカナルとかジンギスカン作戦とか、もうね…

 とにかくアメリカは、科学技術にかける熱意と規模、そして視野が違う。

連邦政府は、アメリカ国内で行われる科学技術関連の研究開発全体のうち、およそ1/3に資金を拠出している。(略)基礎研究においては政府の資金が59%を(略)、開発研究では(略)18%…
  ――第3章 軍が出資する食品研究 アメリカ食糧供給システムの中枢Ⅱ

 選択と集中とか言ってるどこぞの政府とは大違いだ。

 しかも、大胆に民間を巻き込んでやってる。これにも、ちゃんと意味があるのだ。予め民間に技術を移転し、大規模な製造体制を整えておけば、イザという時、素早く安上がりに軍事に転用できる。これは、いきなり巻き込まれた二回の世界大戦から学んだ教訓。こういう歴史に学ぶ姿勢も侮れない。

 民間だって、モトっが取りにくい基礎研究を、官費で賄えるなら美味しい話。上手くいけば商品化して大儲けできる。アメリカは、こういう制度作りが巧みなんだよなあ。

 とかの社会的な面も読みどころ盛りだくさんだが、賞味期限を延ばす科学・工学的な話も驚きの連続。

 まずは、時と共に食品が腐ったりマズくなるのはなぜか、食品のなかで何が起きているのかから、話は始まる。要は中で菌が暴れ出すからだ。細胞が死ぬと、酵素が細胞内の糖を乳酸に変えpHを下げ(酸性にな)ると、タンパク質が水と結合しにくくなり云々…

 やっと水が出た。昔から食品を長持ちさせる方法には、幾つかの定番があった。乾燥させる、塩や砂糖につける。いずれも食品内の水を減らし、菌が増えないようにするのだ。他にも酢漬けって手もある。強い酸性だと、菌は生きていけない。

 つまり水を減らして菌が増えないようにするってのが、保存食品の基本である。干物やインスタント・コーヒーは乾燥、塩漬け肉や砂糖漬けフルーツは砂糖や塩で水分を奪う方法。が、最近のレトルト食品は、ドロドロしてかなり水分があるよね。

 これは予め殺菌してあるから。最もわかりやすいのは缶詰で、熱で菌を殺す。常識だね。逆に冷凍庫に突っ込む手もあるが、往々にして港にコンテナが放置されたりするんで、あまし信用できない。

 またジュースや牛乳を沸騰させたり凍らせたりしたら、味が変わってしまう。そこで高圧加工だ。菌だって、高圧にさらされれば死ぬ。どれぐらいかというと、「1セント硬貨の上にミニバンを20台積み重ねたぐらい」の圧力をかける。

 などの調理法に加え、レトルト食品用パウチのハイテクぶり、サランラップやアルミホイルなどの包装材、レタスを腐らせるエチレンをソーラー発電で分解するハイテク・コンテナなど、包装や輸送の技術は、私たちの身のまわりにセンス・オブ・ワンダーが溢れている事に改めて気づかせてくれる。

 他にも人類定住の異説やマックリブの秘密など、小ネタには事欠かない。軍ヲタに、料理好きに、お菓子マニアに、SF者にと、様々な人にお薦めできる、一冊で二度も三度も美味しいお得な本だ。

 でもパンの長期保存は難しいらしい。

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2018年6月14日 (木)

中野勝一「世界歴史叢書 パキスタン政治史 民主国家への苦難の道」明石書店

本書では、独立以来、民主主義確立のために苦難な道を歩んできたパキスタンの国内政治を主として1970年以降の動きを中心に記述した。
  ――まえがき

パキスタンでは国語であるウルドゥー語を母語として話している国民は一割にも満たないということである。
  ――第1章 パキスタンという国

独立以来67年近くになるが、(略)軍による統治は31年にも達している。
  ――第2章 長い軍政の歴史

1988年時点で麻薬常用者は224万人、そのううちヘロイン常用者は実に108万人に達した。
  ――第5章 オペレーション・フェアプレー

1998年5月28日、遂にパキスタンはイランとの国境に近いバローチスターン州チャーギー(Chagai)で誤解核実験を実施し、世界で七番目の事実上の核保有国となった。
  ――第9章 原爆の父と核の闇商人

「自爆テロ犯のおよそ9割は12歳から18歳位までの子供である」
  ――第10章 テロとの戦い

【どんな本?】

 1947年8月14日、二つの大国が誕生する。インドとパキスタンだ。ムスリムを中心とするパキスタンは、当初西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バンクラデシュ)の二つに分かれていたが、1971年3月に東パキスタンがバングラデシュとして独立し、現在の形となった。

 インドとはカシミールで国境紛争を抱え、1998年には世界の反対を押し切って核兵器開発を成功させ、アフガニスタン問題ではビン・ラーディンを始め様々な勢力の隠れ家となると同時に、カラチ港から始まるISAFの兵站線となり、今なお多くのテロに苦しパキスタン。

 独立以来、一貫して民主主義政権が続くインドに比べ、なぜパキスタンは軍の影響が強いのか。近年はITを中心として経済発展しつつあるインドに対し、なぜパキスタン経済はパッとしないのか。なぜ無理をして核開発に邁進したのか。なぜテロが絶えないのか。

 アラビア海から中央アジアへ至る地勢的に重要な地域を占め、ムスリムが多くを占めながらも要人の多くが背広に身を包み、一時期は出稼ぎで日本に来る人も多かったパキスタンの現代史を、元カラーチー総領事が政治を中心に語る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年8月31日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約398頁に加え、あとがき3頁。9ポイント45字×18行×398頁=約322,380字、400字詰め原稿用紙で約806枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらいの文字量。

 政治がテーマだから、お堅く気取ったまわりくどい政治的な言い回しが多いと思ったが、文章は意外とこなれている。もしかしたら最初はぶっちゃけた表現で書いて、後から外交官らしい文章に直したのかも。

 日本人には馴染みのない音感を持つ名前の登場人物や集団が、離合集散を繰り返すややこしい話だが、中心となる2~3人に絞って話を進めるので、複雑な割には呑み込みやすく書かれている。また、略語や固有名詞が多く出てくるので、索引はありがたい。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて後の章が展開する形なので、なるべく頭から読もう。特に地域や民族を紹介する「第1章 パキスタンという国」と、政治勢力を語る「第2章 長い軍政の歴史」の「主要政党」は、重要な地図や固有名詞が出てくるので、複数の栞を用意しよう。

  • まえがき
  • 第1章 パキスタンという国
    日本の約二倍の国土/パキスタン最大の州/パシュトゥーンの州/五つの河/イスラームの門戸/イスラームの都/連邦直轄部族地域/インドとの係争地/民族/言語/宗教
  • 第2章 長い軍政の歴史
    軍政が30年以上/戒厳令/諜報機関・治安維持機関/国家安全保障会議/憲法/大統領/非常事態宣言/首相・連邦大臣/州知事・州首相/連邦議会/総選挙/司法/大反逆罪/連邦制と州の関係/宗教マイノリティの問題/言語騒動/地主や部族長が多数占める議会/主要政党
  • 第3章 司法による殺人
    中パ友好関係の樹立に尽力/クスーリー議員の父親殺人事件/イスラーム世界初の女性首相/ミスターテンパーセント/ベーナズィールの暗殺/ムルタザーとシャーナワーズの死
  • 第4章 ローティー、カプラー、マカーン
    バングラデシュの誕生/文民の戒厳令総司令官/戦後処理/バングラデシュ承認/中東諸国との関係緊密化/パキスタンで初めての民主的憲法/州政府と連邦政府の対立/スィンド州の言語騒動/野党弾圧の政策/総選挙でのPPPの圧勝
  • 第5章 オペレーション・フェアプレー
    総選挙後の国内混乱/マリー会談/ヌスラト・ブットー訴訟/サイドの総選挙延期/ブレジネフのクリスマス・プレゼント/イスラーム化政策/大幅な憲法改正/ジュネージョー首相の解任/ズィヤー大統領の死
  • 第6章 失われた10年
    PPP政権の復活/首相不信任の動き/憲法によるクーデター/軍部の申し子/イスラーム法施行法の制定/シャリーフ首相の解任と復権/ベーナズィール首相の返り咲き/判事の任命問題/シャリーフ首相の返り咲きと独裁化/前代未聞の最高裁乱入
  • 第7章 四度目の軍政
    非常事態宣言の布告/シャリーフ前首相の亡命/政権基盤強化のための憲法改正/宗教政党の予想外の躍進/ムシャラフ政権の正統化/ムシャラフ大統領の公約違反/女性保護法の制定/最高裁長官の停職処分/ムシャラフ大統領との連携の模索/司法に対するクーデター?
  • 第8章 民主主義定着への一歩
    与野党の逆転/判事の復職/国民和解政令(NRO)に違憲判決/政府と軍部の不和/第18次憲法改正/ビン・ラーディンの殺害/メモゲート事件/現職首相に法廷侮辱罪で有罪判決/アスガル・ハーン訴訟/シャリーフ、三度目の首相に/ムシャッラフ元大統領の訴追
  • 第9章 原爆の父と核の闇商人
    パキスタンの核実験/原爆の父/パキスタンの再処理プラント購入問題/米国の対パキスタン核不拡散政策の後退/米国の核不拡散政策の見直し/核の闇商人/イラン、北朝鮮、リビアに流出
  • 第10章 テロとの戦い
    宗派間の対立抗争/対立抗争のパターン/スンニー派とシーア派の過激組織/イラン革命/パキスタンの苦渋の選択/マドラサ改革/成果のない和平合意/無人飛行機による攻撃/赤いモスク事件/パキスタン・ターリバーン運動の結成/スワート軍事掃討作戦/自爆テロ
  • あとがき/写真出典一覧/パキスタン政治を知る上で有益な資料、サイト/年表(1970年以降)/索引

【感想は?】

 確かにパキスタンの現代史は「苦難の道」そのものだ。

 なにせ地域ごとの独自性が強い。もともとバングラデシュと一つの国にしようってのが無茶だった。今でも、アラビア海とイランに面するバローチスターン州や、北でアフガニスタンに接する地域は、地元の部族長が強く、連邦政府の威光が及ばない。

 と書かれてもピンとこないが、例えばバローチスターンのサルダール(部族長)制度。曰く、「自分の部族民を意のままに逮捕したり、身柄を拘束したり」できた。要は小さな王国ですね。貧しい地域ほどこういう古い体制が残ってる。

 ってんで開発するため道路を作ろうとしても、建設業者の立ち入りを部族長が許さない。しかもパキスタン最大のガス田があり、石炭も「生産量はパキスタンの49.3%を占める」。税制も…

財政の分野でも連邦政府が大きな権限を持っている。連邦政府は所得税、関税、売上税をはじめとして広範な徴税権を有しており、国家の歳入のうち連邦政府のシェアーは94.4%(2010/11年度)に達している。
  ――第2章 長い軍政の歴史

 と、毟り取られるんで、「連邦政府に食いものにされてる」と感じ、独立の機運も強い。幸か不幸か隣のイランにもバローチスターンは広がってて、バローチ人に暴れられると困るんで、パキスタンと一緒に押さえつけ…

 と、この本のように具体的に書かれると、問題のややこしさ・難しさが見えてくる。こういう所は、短く記事をまとめなきゃいけないWEBと違い、長い記述が許される書籍の嬉しい所。

 政党にしても、こういう部族主義みたいのを反映してか…

議員の多くが地主や部族長である…
  ――第2章 長い軍政の歴史

政党は同じ理念、考えを持った人々(略)というより、そのほとんどが特定の家族や人物の政党であり…
  ――第2章 長い軍政の歴史

 と、一部の有力者たちの権力争いみたいな色が強い。汚職や職権乱用にしても「パキスタンではどこでも見られる」と、みもふたもない事をサラリと書いてたり。

 対して軍が強いのがパキスタン。と書くと銃で国民を脅してるようだが、そんな簡単な話じゃない。

 国家兵站部=NLCは「国内の最大の公共輸送機関」だし、道路や橋も作る。日本なら国土交通省だね。加えて財団もあり、「砂糖、セメント、食品、発電」や学校・病院も運営してる。社会主義の色が濃いのもあるけど、明治政府のように国家のインフラを支え殖産興業を進める役割も担ってるわけ。

 中盤では軍事政権と文民政府の目まぐるしい入れ替わりを描いてるんだが、ここで目立つのが、やたら憲法をいじる点と、互いが違憲を裁判に訴えて司法を巻き込む点。

 もっとも、憲法については、国民投票が必要な日本と大きく事情が違う。クーデターで大統領になった軍人が、国民はおろか議会にすら諮らず勝手に憲法を変えちゃうのだ。いいのかそれで。

 個人的に興味津々だったのが、終盤の「第9章 原爆の父と核の闇商人」と「第10章 テロとの戦い」。特にヤバさ満開な、核技術の他国への漏洩では、表向きアブドゥル・カディール・ハーン博士がカネ目当てでやった形になっちゃいるが、どう見ても…

 これが「第10章 テロとの戦い」に入ると、マドラサ(神学校)が大きな要因として挙げられてる。困った形で教育の重要性が立証されちゃったわけだ。ここで描かれるアメリカの横暴さは、確かにパキスタン国民の誇りを逆なでするもので。

 などと、パキスタンという国そのものを知り、理解するには格好の一冊であると共に、日本との違いを考えながら読むと、「憲法」や「社会主義」や「軍政」なんて言葉の意味も少し違うように感じてきて、政治学にも少し興味がわいてくるなど、色々と好奇心を刺激される。

 敢えてケチをつけると、経済・産業面の話が少ないのは残念かも。とまれ、見た目の厳めしさに比べ、意外ととっつきやすく、文章もこなれてて読みやすい、入門用としては充実した本だ。

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2018年4月13日 (金)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 7

1920年から28年の間、選挙で選ばれたパレスチナのアラブ人社会における指導層の少なくとも1/4は、本人がじかに、あるいは家族を通じて、ユダヤ人入植者に土地を売っている。
  ――第58章 チャーチルとパレスチナ問題

19世紀のイギリスは、中東を侵略しないという了解を相互に結ぶことによって、ヨーロッパ列強との間に事を構えずにやってきた。しかし、それだけにとどまらない。その結果、世界は安定を保ってきたのである。
  ――第59章 ばらける連合

第一次世界大戦のさなかと戦後に、イギリスをはじめとする連合国は中東の古い秩序を根こそぎ覆した。中東のアラビア語圏におけるトルコの支配を一掃したのだ。(略)
その結果、1914年から22年にかけて生じた一連の出来事は、ヨーロッパの中東問題に終止符を打ちはしたが、新たに中東自体における中東問題を生み出してしまった。
  ――第61章 中東問題の解決

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 6 から続く。

【どんな本?】

 混迷が続く現代の中東。その原点を、第一次世界大戦とそれに続くオスマン帝国の崩壊に求め、オスマン帝国の遺産をめぐる欧州列強の争いと誤算を、イギリスそれもウィンストン・チャーチルとロイド=ジョージに焦点を当てて描く、迫真の歴史ノンフィクション。

【ほころびる防衛ライン】

 第一次世界大戦は終結したが、イギリス経済は疲弊し、国内には不満が渦巻いていた。この危機にチャーチルは果断に軍事費を削減、戦争で召集した将兵の復員を強引に進めてゆく。これは海外の駐屯地も例外ではない。

 戦後の戦略として、イギリスは地中海からインドへと続く陸の回廊を求めた。しかし、その西端エジプトからパレスチナ・メソポタミア(イラク)・ペルシア・アフガニスタンと、いずれもイギリスの目論見は外れ、政権交代や反乱が相次ぎ、その支配の土台が崩れてゆく。

 おまけに欲をかいたギリシアが新生トルコに余計な出入り(→Wikipedia)を仕掛けたあおりで、ダーダネルズおよびイスタンブルにおけるイギリスの支配権まで危うくなる始末。この状況を鑑みるに…

 カーゾン卿と外務次官のハーディング卿(略)は、ロシアの強引な進出に屈して中東の一部でも失えば、次にはその後方に位置する地域も失うことになり、これがドミノ倒しの連鎖反応を引き起こしてついにはインドも失うことになるだろうと主張した。
  ――第54章 ソヴィエトの脅威に怯えて

 冷戦期のアメリカがベトナム介入の言い訳に使ったドミノ理論そのままだ。理論といえば理屈で考えた末の結論のように思えるけど、実際は本能的な恐怖による条件反射みたいなモンじゃなかろか。

【分析】

 連鎖反応的に次々と事が起これば、ヒトはそこにパターンを見出す。事実、根拠と思える事実はあった。

新たにモスクワの庇護を受けることになったイスラーム諸国がすべて、ロシア主導のもと、反イギリスで手を結んだ。条約はいずれも、帝国主義に反対するものだったが、具体的対象となるのがイギリス帝国主義であることは疑いの余地がなかった。
  ――第52章 ペルシア(イラン) 1920年

 そう、レーニンが率いるロシア改めソヴィエトと、その中核であるボリシェヴィキだ。確かにボリシェヴィキの扇動と支援はあった。が、実際は…

中東の部族民にとっては、部族という単位を超えて忠誠を尽くすような対象はひとつも存在しなかった。
  ――第56章 エンヴィル、ブハラに死す

 彼らはそれぞれの都合に応じて勝手に動いているだけなのだ。それを今まではオスマン帝国が抑え、それなりの秩序を保ってきた。だが、第一次世界大戦によるオスマン帝国が崩壊し、その遺産を奪ったのはイギリスだった。ところが、そのイギリスの駐屯軍はチャーチルの軍事費削減でヘロヘロ。

 となれば、もう抑えは効かない。ウザいポリ公がいねえ、こりゃチャンスだぜヒャッハー。

 こういった、旧支配層が失われたため、様々な勢力がそれぞれ勝手に暴れまわるっていう図式は、現在のイラクやシリアやイエメンやアフガニスタン、そしてパキスタンの部族直轄地域も共通している。

 あの辺は元来そういう所、と言っちゃえば簡単だが、ぼちぼち100年近くたってるのに、相変わらずってのは、何なんだろうね。

 それはともかく。当時は偽書『シオンの長老の計画』(→Wikipedia)が人気を博した頃でもあり…

イギリス情報部は、ボリシェヴィズムも、国際的な金融取引も、汎アラブ主義や汎トルコ主義も、イスラームとロシアの存在も、すべては世界を股にかけて暗躍するユダヤ人とプロイセン人のドイツが結託して事を進める大がかりな陰謀の手先であるとみなした。
  ――第53章 敵の正体を暴く

 はい、やっと 5 からつながった。当時の流行りで、今も細々と続いている、ユダヤ陰謀論ですね。

 今にして思えば、汎アラブ主義・汎トルコ主義・スラーム・ロシア・ドイツ、いずれもユダヤとめっぽう相性が悪いんだからお笑い草なんだけど、当時のイギリス情報部は真面目にそう考えていた。「自分に都合の悪い奴はみんな裏でつながってる」と考えるクセが、ヒトにはあるんだろうか。

【おわりに】

 と、現在まで続く中東の混乱の根源を、第一次世界大戦に伴うオスマントルコ帝国の崩壊に遡り、これに対するイギリスの軍事/外交政策を中心に描きつつ、「アラビアのロレンス」に代表される俗説を次々と覆す、なかなか痛快な本だった。

 言われてみれば、今も騒動が続いている地域の多くは、かつてのオスマン帝国領なわけで、なるほどと思う所は多い。

 また、私はパレスチナ問題に関心があるんで、それ関係のネタも楽しかった。アミーン・アル=フサイニー(→Wikipedia)やデイヴィッド・ベン=グリオン(→Wikipedia)など、「おおエルサレム!」で活躍する面々が出てくるのも懐かしい。

 とまれ、主題が主題だけに、1925年以降の話は出てこないので、そのあたりも知りたくなってしまうのは、困った副作用かも。確か「アラブ500年史」のユージン・ローガンが「オスマン帝国の崩壊」なんてのを出してたんで、そのうち読むつもり。

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2018年4月12日 (木)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 6

オスマン帝国の窮状は連合国軍の想像を超えていた。ブルガリアが崩壊したため、オーストリアとドイツへの陸路が断たれ、補給だけでなく希望も失われた。国内でも、オスマン帝国軍からの100万人にのぼる脱走者が狼藉の限りを尽くしていた。
  ――第39章 トロイアの浜を望んで

ヨルダンがかつてパレスチナの一部だったことは、今日ではほとんど忘れられている。
  ――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 5 から続く。

【グレート・ゲームのはじまり】

 世界大戦が終結に向かい始めると、それぞれの国は戦後に向けて動き始める。イギリスの考えは、こうだ。地中海からインドへつながる陸の回廊が欲しい。ところが…

ロイド=ジョージ「トルコ帝国は、東方における我が国の大いなる財産――インド、ビルマ、マラヤ、ボルネオ、ホンコン、および、オーストラリアとニュージーランド両自治領――に至る陸路と海路をふさいでいる」
  ――第33章 バルフォア宣言への道

 そのオスマン帝国が潰れそうだ。フランスはシリア(現レバノンを含む)を欲しがっているから、くれてやろう。南下を目論むロシアの防波堤にもなるし。我々はパレスチナ・メソポタミア・ペルシア・アフガニスタンをいただこう。

 いい気なもんだが、肝心のトルコについて、どれぐらい知っていたか、というと。トルコじゃ革命が起きて大騒ぎだってのに…

連合国首脳は、(略)ムスタファ・ケマルについて、ほとんど知識を持ち合わせなかった。イギリス外務省もイギリス情報部も、ケマルが親スルタンなのか反スルタンなのかを首相に報告することさえできない有様だった。
  ――第42章 講和会議という非現実世界

 と、情けないありさま。名高いMI6も、不慣れな場所じゃ役に立たないんだね。ばかりか、自らが関わったアラブの反乱についても…

パレスチナおよびシリア方面作戦に参加したファイサルのアラブ人部隊は、約3500人で構成されていたが、ロイド=ジョージの手元には、戦時中のいずれかの時点でファイサル、またはフサインに仕えた、あるいは同盟したアラブ人が約10万人にのぼる、という公式声明が届いていた。
  ――第39章 トロイアの浜を望んで

 と、とんでもない勘違いをしている有様。そもそも現地の人々に対しては…

アレンビー将軍は、アラブ人とフランス人の間で戦争が勃発するかもしれない、と警告した。ウィルソン大統領は(略)中東に調査団を派遣して住民の意思を確認しようと提案し、ロイド=ジョージとクレマンソーの虚を突いた。(略)
欧米でいう「世論」というものが、中東には存在しないと信じていたからだった。
  ――第41章 裏切り

 と、ハナから無視、どころか、考える必要があるとすら思っていなかった様子。ウッドロー・ウィルソンの姿勢は、今のアメリカからはとうてい考えられない。ベトナムやイラクやアフガニスタンでも、こういう考え方を持っていればなあ。

【戦争末期の混乱】

 なんにせよ、インドにつながる陸の回廊を夢見たイギリスだが、現実はどうにも様子が違う。ロシアはソヴィエトとなり、例えば中央アジアでは…

こうして、トルキスタンの平原で(略)混乱のうちに戦闘が始まった。(略)連合関係が入れ替わり、いまやイギリスとトルコが組んで、ロシア、ドイツと戦っていた。
  ――第38章 袂を分かつ

 と、敵味方が入れ替わって大混戦。まさしく欧州情勢は複雑怪奇だ。

【先立つもの】

 なんとか終戦には漕ぎつけたものの、事態は思わしくない。膨れ上がった戦費でイギリス経済は苦境にあえぐ。そこでチャーチルは大ナタを振るう。大胆な軍縮を断行し、将兵を復員させた。これは中東も同じで…

1922年9月の時点で、チャーチルは中東にかかわる(略)年間経費を4500万ポンドから1100ポンドに縮小したのである。
  ――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル

 チャーチルって、なんとなく好戦的な人だと思ってたけど、こういう面もあるんだなあ。それはいいが、中東の経費を削ったって事は、駐屯する将兵も減らしたって事だ。チャーチルはこれを新設した空軍による機動力で補おうと考えていた。

 戦車といい空軍といい、技術的な面でもチャーチルは先見の明があったんだなあ。海軍の艦艇も動力を石炭から石油に変えてるし。

 まあ、それはいいけど、空軍の効果については、今の米軍が身に染みて分かっているように、相手によりけりで。ベトナムやアフガニスタンのように、ゲリラ的な戦い方の相手に対しては、やっぱり限界があって、結局は陸上兵力が必要になるんだよなあ。

【点と線】

 そんなわけで、イギリスの支配的な地域では、反乱が相次いでしまう。

 エジプトでは、閣僚経験者のサアード・ザグルール(→Wikipedia)を代表とする代表団が、エジプトの独立を求めてイギリスと話し合おうとするが、イギリスは彼を逮捕・追放する。その結果、イギリスじゃ反英機運が盛り上がり、デモからストライキ、そしてイギリス軍人への襲撃へと発展してしまう。

(サアード・)ザグルールという一地方政治家を相手にしていたつもりが、気づいてみれば、全土に信奉者が広がっていた――これにはイギリスも驚いたが、当人はもっと驚いたかもしれない。
  ――第44章 エジプト 1918~1919年春

 ザグルール、法曹界の人で武闘派じゃなかったみたいだし、驚いただろうなあ。

 アラビア半島だと、イギリスの政策はよくわからない。ここではアラブの反乱を指揮するヒジャーズの王フサインと、後にサウジアラビア王国を創るサウードがにらみ合ってるんだが…

フサインに言わせれば、イブン・サウードの攻撃から自領を防衛するために、イギリスからの援助金のうち毎月一万二千ポンドを支出しなければならない。そのイブン・サウード自身、月に五千ポンドを援助として受け取っているのに、である。
  ――第46章 アラビア半島 1919年春

 戦ってる双方に、イギリスが金を渡してるわけ。たぶんインドとカイロの方針の不整合なんだろうが、間抜けな話だ。仮に軍事介入しようにも…

イギリス海軍がアラビア半島の海岸線を砲撃するとしたら、どんな目標が考えられるか、という問いに、湾岸担当の当局者は、砲撃する価値のあるものは存在しない、と答えている。
  ――第46章 アラビア半島 1919年春

 と、欧州の戦場での常識が通用しない土地なのだ。地図を見ればわかるように、アラビア半島なんて大半が不毛の砂漠だし。

 トランス・ヨルダン(現ヨルダン)では、フサインの次男でファイサルの兄、アブドゥッラーを国王に祭り上げる。そのトランス・ヨルダンの状況は…

ここ(トランス・ヨルダン)の住民は、等質の政治単位を形成してはいない。定住者とベドウィンは、鋭く一線を画している。(略)両者が共通の国家のために、単一の政府を形成するとは、とうてい期待できない。
  ――第49章 パレスチナ東部(トランスヨルダン) 1920年

 と、そもそも国としての一体感を欠いている。「知恵の七柱」でも、なんか覇気に欠ける人物に描かれているアブドゥッラー、この本でもロレンスは…

「アブドゥッラーに要する経費は陸軍一個大隊にかかる経費を下回っている。我々がいかなる解決を目指すにせよ、人気がすこぶる高くもなく、あまりに有能でもないかぎり、現体制は我が国の利益を少しも損なうことはない」
  ――第57章 主導権を握るウィンストン・チャーチル

 と、「傀儡にはちょうどいいよね」みたいな評だ。でも結果を見ると、中東戦争を除けばヨルダンは湾岸諸国同様に西側ベッタリな上に、比較的に政情も安定してるんで、いいい選択だったかも。

 と同時に、傀儡政権の指導者に求められる資質がよくわかる文章だ。有能で人気があっちゃ困るんです、宗主国としては。イラクの王に仕立て上げたファイサルみたく、なまじ覇気があると、困った注文をつけはじめるし。

【おわりに】

 無駄に長くなったけど、次の記事で終わります、たぶん。

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2018年4月11日 (水)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 5

ヒジャーズの反乱について、アラブ局は1918年の報告にこう書いている。「反乱はここ数カ月来、ようやくその重要性を示すようになり、日に日に拡大している。しかし同時に、ファイサルの軍隊の90%が盗賊の域を出ないことは、言っておかなければならない」
  ――第36章 ダマスカスへの道

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 4 から続く。

【はじめに】

 やっと下巻の半ばまで読んだところ。ここまで読んで、やっとこの本の主題が見えてきた。

 副題は The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Middle East。直訳すると「オスマン帝国の滅亡と現代中東の創生」。まるでオスマン帝国と中東が主役みたいだ。

 が、中身はだいぶ違う。むしろ「大英帝国の挫折 PART 1」が近い。ちなみに PART 2 は第二次大戦後。これについてはラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエールのインド独立を扱う「今夜、自由を」と第一次中東戦争のエルサレム攻防を描く「おおエルサレム!」が傑作です。

 というのも。記述の多くを、ロンドンのイギリス政府や、エジプト・インドの総督府に割いているため。同じ連合国のフランス・ロシア・アメリカや、敵のドイツ・オーストリアの記述は、イギリスの1/4にも満たない。比較的にマシなのはオスマン帝国だが、それでもイギリスの半分未満だろう。

【どんな本?】

 現在も戦火が絶えない中東。その原点を、第一次世界大戦と、それに続くオスマン帝国の滅亡、そして植民地を求める列強の領土的野心に求め、主にイギリスの中東政策を中心に、その軍事・外交の実態を赤裸々に描く、迫真の歴史ノンフィクション。

【アメリカ参戦】

 アメリカの参戦で勢力図は大きく変わる。が、当時のアメリカは孤立主義だし、率いるウッドロー・ウィルソンは欧州の植民地主義を嫌う。この本では学究肌で理想主義の半面、陰険な駆け引きには向かない人物に描かれている。

 アメリカは1917年に戦後世界を考える「調査会」を作るが、これも人材は学会寄り。ハーヴァード大学学長が候補者選定に関り、本部もニューヨーク公立図書館。

 アメリカが中東に疎いのはこの頃も同じで、「『中東』グループには、現代中東の専門家がひとりもいなかった」。浮世離れした人ばかりだったようで、報告書も、「この「地域に大量の石油が埋蔵されている可能性に言及していない」。

 ウッドロー・ウィルソンに代表されるように、この頃のアメリカは、今と全然違ってたんだなあ。そもそも学者が国のトップになるってのも、現代の日本やアメリカじゃ、ちと考えられないし。

【シオニズム】

 現在、イスラエルの主な後ろ盾はアメリカだ。確かに軍事的に重要な地域ではある。が、胡散臭い話も聞く。シオニズムが関わっているらしいが、日本人にはピンとこない。そもそもシオニズムって、ユダヤ教の一派だろ? それを、キリスト教プロテスタントのアメリカが、なぜ支援する?

 みたいな、シオニズムをめぐる謎も、少しだけ出てくる。が、この本での各国の対応は、何度もひっくり返るんで、結局はよくわからなかった。

 シオニズム支援の動きは、この頃からあったらしい。清教徒の一部は、こう信じた。「ユダヤの民が父祖の地に帰還すれば、メシアが再臨する」。たぶん、アメリカでは、今もこれが残ってるんだろうなあ。

 加えて、政治的な意図もある。フランスはマロン派を、ロシアは東方正教会を、それぞれ保護すると称して、オスマン帝国の分け前を求めている。イギリスも保護対象が欲しい。そこでシオニズムだ。ところが、当時のシオニズムってのは…

数字の記録が残る最後の日付である1913年の時点で、ジオニズム支持を表明していたのは、世界のユダヤ人人口の約1%にすぎない。
  ――第34章 約束の地

 と、あまし人気のある発想じゃなかったらしい。とまれ、当時の中東にはアチコチにユダヤ人がいて。

バグダードはエルサレムと並んで、アジアにおける二大ユダヤ人都市で、1000年前から「エクシラルク」――捕囚の地バビロニアにおけるユダヤ教の長――の座となり、したがって、東方におけるユダヤ教の中心地となっていた。
  ――第35章 クリスマスはエルサレムで

 今じゃとても信じられない。信じられないのはドイツの対応もそうで。

 オスマン帝国首脳はトルコ語を話すムスリム以外を敵視し、これがアルメニア人虐殺の一因になる。1917年、三羽烏の一人アフメト・ジェマル・パシャはエルサレムの民間人の追放を目論む。その大半はユダヤ人だ。これが実現しなかったのは、「ひとえにドイツ外務省が強硬に反対したおかげだ」。

 後のドイツの歴史を考えると、ちと信じがたい。逆に今のトルコ大統領エルドアンは反イスラエルに傾いているが、その源流はこの辺にあるんだろうか。

 下巻中盤には、ユダヤ陰謀論のネタ本として有名な偽書『シオンの長老の計画』(→Wikipedia)が出てくる。

 ロンドンでの出版は1920年だが、さっそく1921年夏には新聞記者が舞台裏を暴くあたり、昔から健全な記者魂はあったんだなあ、と感心する始末。ロンドン『タイムズ』紙イスタンブル特派員フィリップ・グレイヴズ曰く、「帝政ロシアの秘密警察が捏造したでっちあげ」だとか。

 ちなみに、この偽書、著者はロシアの役人セルゲイ・ニルスで、最初の発表は1903年の新聞。当時のロシアは…

19世紀後半から20世紀初頭の数年間にかけては、ポグロム(→Wikipedia)があまりに凄まじく、多数のユダヤ人が安全を求めてロシア帝国から逃げ出す有様だった。
  ――第32章 ロイド=ジョージのシオニズム

 ってな状況だったので、ユダヤ陰謀論がウケる素地は充分にあったんだろう。ちいなみに1990年代以降も、イスラエルにはロシア系の移民が押し寄せていて、確か「レーニンの墓」にその背景が書いてあった。要はポグロム再燃への恐怖です。

 とかを考えると、今のロシアがイスラエルを敵視するのも、単に軍事的な理由だけじゃないんだろうなあ、と思ったり。KKKが黒人を、日本の極右が韓国・朝鮮・中国人を憎むのと、似たような構図ですね。

【おわりに】

 ってのは置いて。このユダヤ陰謀論が、やがてイギリスでは説得力を持ち始める。というのも…と、続きは次の記事で。

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2018年4月10日 (火)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 4

サー・ヘンリー・マクマホン「私が心配なのは、アラブの反乱が鎮圧されてしまうことではなく、成功してしまうことなのだ。そんなことになったら、イギリスにとって脅威だ」
  ――第23章 マクマホン書簡をめぐる怪

オスマン政府は、キリスト教徒ばかりでなくユダヤ人、とりわけパレスチナに住む六万人あまりのユダヤ人の忠誠心についても、疑念をいだいていた。
  ――第26章 敵戦線の背後で

(1916年)当時、この国(イギリス)の新聞界は(略)たったひとりの男が牛耳っていた。その人物、ノースクリフ卿(アルフレッド・ハームズワース)は、(略)ロンドンで発行される新聞の半分を同時に支配下に収めていたのだ。
  ――第29章 連合国で相次ぐ政権交代

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 3 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東情勢の起源を、第一次世界大戦とオスマントルコ帝国の崩壊に求め、荒阿多に発掘した資料を元に、迷走する列強の軍事・外交戦略を、イギリスとオスマントルコ帝国を中心に、つぶさに描く迫真の歴史ノンフィクション。

【アラブの反乱 開演前】

 アラブの反乱は、「アラビアのロレンス」で有名だ。が、その実体は、というと、T・E・ロレンス曰く「『知恵(の七柱)』のあの(ダマスカス解放)章は、本当と嘘が半々だからね」。この本は、その創作部分も幾つか暴いてて、私たちの思い込みをひっくり返してくれる。

 さて、反乱の神輿として担ぎ上げられたメッカの盟主フサイン・イブン・アリー。この本を読む限り、保守的で老獪な首長って雰囲気で、とてもじゃないが反乱に与するような人物には思えない。これは「知恵の七柱」でも同じで、典型的なアラブの地域ボスって感じだ。

 そんなフサインが、なぜ立ったか。一つにはキッチナーが勘違いして与えた餌、カリフの地位もあるだろう。それ以上に重要なのは、彼の尻には火がついてたのだ。少なくとも、フサイン自身はそう思い込んでいた。

 メッカの目玉商品は巡礼だ。ラクダやウマやロバのキャラバンで巡礼者を聖地であるメッカやメディナに送り迎えし、それのアガリで食っている。ところがオスマン帝国は、ヒジャーズ鉄道をダマスカスからメッカまで伸ばそうとした。んな真似されたら客をゴッソリ奪われ、フサイン一党は干上がってしまう。

 公的な地位の問題もある。メッカの盟主の地位は、オスマン帝国から与えられたものだ。ところが首都イスタンブールでCUP(青年トルコ人)によるクーデターが起き、トップが変わった。そのあおりでフサインは解任される手はずになっていたのが、戦争のドサクサで先送りになっていたのだ。

 ヤバいと感じたフサインは、保険をかけた。オスマン帝国内にもCUPを快く思わぬ者はいる。CUPはトルコ語の話者を贔屓するので、アラビア語を話すアラブ人にはウケが悪い。そこで三男ファイサルを通じ、反乱をたくらむダマスカスのアラブ人秘密結社と連絡を取る。

 これが裏目に出た。

 1916年四月、フサインに悪い知らせが届く。3500人のオスマン軍精鋭部隊がアラビア半島先端に向かう、と。目的は電信基地建設としているが、途中でフサインの縄張りヒジャーズを通る。これをフサインは、裏切り者を撃つ討伐部隊だと思い込んだのだ。

 保守的な人間を動かすには、餌をチラつかせるより、足元を揺さぶる方が効果的なんだと思う。

【アラブの怪人】

 この裏では、謎めいて胡散臭い人物が暗躍している。ムハンマド・シャリーフ・アル=ファルーキ。1915年に突然現れ、1920年にイラクの路上で殺されている。

 1915年当時は24歳。元オスマン陸軍の参謀中尉。ダマスカスで秘密結社に属し、CUP政権の三羽烏ジェマル・パシャ(→Wikipedia)に睨まれ地獄のガリポリ戦線(→Wikipedia)送り。そこで脱走してイギリス軍に身を投じ、重大な情報を握っていると称してカイロのイギリス情報部の尋問を受ける。

 ここでファルーキは思いっきりフカす。曰く、ダマスカスの秘密結社アル=アハドはオスマン陸軍に数十万の同志を持ち、またフサインともツルんでいる。フサインが立ち上がれば、呼応して同志も決起するだろう。これを聞いたキッチナー一党、そりゃもう大興奮。

 以後、ファルーキはカイロ・メッカ・ダマスカスを行き来し、連絡役を務める。いずれの者からも、ファルーキは他の二者いずれかの使者と思われていたらしい。

 と、正体を隠して暗躍したファルーキ、三者それぞれに都合のいい話を吹き込み、ソノ気にさせてゆくのだ。何者なのか、何を目論んでいたのかは全く分からないが、このペテン師が時代を大きく動かしたのは事実で…

アル=ファルーキのたぶらかしに乗ってしまったのは、マクマホン書簡だけではなかったことがわかる。もっと重要なことは、いわゆるサイクス=ピコ=サゾノフ協定を結ぶにいたったイギリスのフランとロシア、のちにイタリアも加えての交渉も、それに続く連合国間のオスマントルコ分割秘密協定の了解事項もまた、謎の人物アル=ファルーキ中尉の仕組んだいかさまが生んだものだったということである。
  ――第24章 戦後中東の領土分割をめぐる連合国の軋轢

 と、現代に至るまでの紛争の種を蒔いている。SF者としては、思わずタイムマシンを絡めた話を創りたくなってしまう。

【アラブの反乱 開演】

 そんなわけで、追い込まれたフサインはついに立ち上がる。ただし、その前に、オスマン政府からイギリス相手の戦費として五万ポンド以上の金貨を、イギリスからもトルコ相手の戦費をせしめていたというから、なかなか老獪だ。ただし、肝心の反乱は、ファルーキの話とは違い…

結局のところ、フサインが期待していた「アラブの反乱」は、いくら待っても起こりはしなかった。
  ――第28章 空回りしたフサインの反乱

 オスマン軍中のアラブ人も、他の部族も、誰も立ち上がらなかった。みんなオスマン帝国そのものを潰そうとは思ってなかったらしい。おまけにフサインの手持ちの部隊も数千人程度。これじゃ話にならん、って事で、ロレンスお勧めのゲリラ戦でお茶を濁す羽目になる。 

【クートの戦い】

 ガリポリの戦いも地獄だが、クート=エル=アマラの戦い(→Wikipedia)も切ない。

 「1914年11月6日、イギリスがオスマントルコに宣戦布告をした翌日」、英印連合軍はティグリス・ユーフラテス川の河口から攻め上る。目的はペルシアの油田からの石油補給を守ること。トルコ軍の抵抗は弱く、11月21日には120km奥のバスラまで進軍する。

 調子こいたメソポタミア遠征軍司令官のサー・ジョン・ニクソン将軍、チャールズ・ヴィア・フェラーズ・タウンゼント少将率いる第六師団にバグダード攻略を命じる。

 タウンゼントは嫌がった。この辺りは湿地と砂漠で、蚊や蠅が伝染病を媒介する。加えて道路も鉄道もなく、補給も進軍も難しい。進めば進むほど友軍の補給線は伸びる半面、バグダートを基地とする敵は補給が楽になる。しかも敵の指揮官は名将コールマン・フォン・デル・ゴルツ元帥である。

 にも関わらず、タウンゼントは卓越した指揮でバグダートから160kmのクテシフォンまで軍を進める。が、そこで力尽き、160km下流のクート=エル=アマラまで退却、陣を築いて立てこもる。救援を求めるが、ここで英軍は戦力の逐次投入の愚を犯す。

 146日の籠城の末、タウンゼントは「武器を破壊して無条件降伏」。この後が切ない。タウンゼント将軍はイスタンブルで快適に暮らしたのに対し、部下の将兵は…

バグダートまで160km、そこからさらにアナトリアまで800kmの「死の行進」を強いられたあと、鎖につながれて鉄道工事の重労働に駆り立てられた。最後まで生き延びた者は、ごくわずかだった。
  ――第25章 ティグリス川で勝利を収めたトルコ軍

 いつの時代も、ツケは下っ端が払う羽目になるんだよなあ。

【おわりに】

 以後、アルメニア人虐殺やキッチナーの死、ロシア革命などが上巻で描かれるけど、わたしの都合でその辺はとばして、次の記事から下巻に移ります。

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2018年4月 9日 (月)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 3

オスマン帝国の直接治世下を逃れてきていたこれらの亡命者は、ここ何十年来論議の的となっていた問題――オスマン帝国でアラビア語を常用しているさまざまな人びとは、いったい何者なのか、あるいは何者であるべきなのか、という問題を今も抱えていた。
  ――第10章 キッチナー、イスラームの抱き込みを画策

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 2 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東情勢の起源を、第一次世界大戦とオスマントルコ帝国の崩壊に求め、荒阿多に発掘した資料を元に、迷走する列強の軍事・外交戦略をつぶさに描く、迫真の歴史ノンフィクション。

 とか書くと、私がこの本の全体を把握できてるように見えるけど、今やっと下巻を読み始めた所です、はい。

 とりあえず今気がついたのは、イギリスの記述が異様に多いこと。その分、フランスドイツ・ロシアはとてもアッサリと片づけてる。イギリスに次いで多いのはオスマン帝国で、これは騒動の舞台なんで当然なんだが、ここでも記述の半分以上をイギリス人が占めてたりする。

 だもんで、まるでイギリスが単独で戦っているような印象を受けてしまう。

 もっとも、これは目次を見れば一目瞭然なんで、今まで気が付かない私が鈍い。

【わかってるけどわかってない】

 そんなイギリスは、中東についてどれぐらい知っていたか、というと…

1917年にイギリス軍がシリアを目指して北方に侵攻したとき、陸軍当局から現地の状況を記した案内書の提示を養成されたイギリス情報部は、現地の社会状態や政治情報についてヨーロッパの言語で書かれた書物は一冊も見当たらないと回答したのだった。
  ――第8章 キッチナー、陣頭に立つ

 なんて無様な有様。もっとも第二次世界大戦後の合衆国も、ベトナム・アフガニスタン・イラク政策を見る限り似たようなモンだし、末期の清朝も国際情勢に疎かったから、大国ってのは、そういう性質になりがちなのかも。

 そんな所に登場したのが、陸軍元帥ホレイシオ・ハーバート・キッチナー(→Wikipedia)。スーダンを征服・平定し、ボーア戦争を勝利に導いた英雄だ。しかも今は総督としてエジプトを仕切る身。となれば、誰だって中東情勢に通じていると思うだろう。そんな人が、陸相として戦争を率いる立場に就く。

 が、しかし。

 彼が知っていたのは、エジプトとスーダンだけで、シナイ半島から北については何も知らなかった。にも関わらず、キッチナーとその一党は、こう考えた。

 ムスリムはカリフに従う。ならイギリスに都合のいい者をカリフにしよう。メッカの盟主フサイン・イブン・アリー(ファイサルの父)が丁度いい。これでオスマン帝国ばかりかペルシアからアフガニスタン・チベットに至る全ムスリムを掌握できるぜ。

 どうも彼らはカリフって地位を、ローマ法王みたいな宗教上の最高指導者と考えていたらしい。が、実際は、カリフって地位は政治も仕切れば軍も指揮する、絶対的な権力者である。んな事も分かってなかったんだとしたら、呆れるばかりだ。

【東方の声】

 そこでインド政府外務省から横やりが入る。インドったって、今のインドじゃない。現在のバングラデシュとパキスタンを含んでいる。そして、実質的には大英帝国のインド出張所だ。

 加えて、「チベット、アフガニスタン、ペルシア、東部アラビア(略)との関係に責任」を負い、「アデンやペルシア湾岸のいくつかの首長国などイギリスの保護領」に「知事や現地常駐代表」を置く。ほとんど紅海より東の大英帝国領すべてを面倒見る立場であり、領内に多数のムスリムを抱えている。

 そんな彼らの理想は…

「我々が求めているのは団結したアラビアではなく、分裂した無力なアラビア、我々の宗主権のもとでできるかぎり小さないくつもの首長国に分かれたアラビア――我々に敵対して共同行動を起こす能力はないが、西欧の列強に対する緩衝地帯の役目を果たすアラビアである」
  ――第11章 インド政府の抗議

 典型的な「分割して統治せよ」だね。こういった政策上の対立に加え、縄張り争いもあり、またインドの推しはアブドゥルアズィーズ・イブン・サイド(後のサウジアラビア初代国王)、フサインのライバルだから、さあ大変。

 ところでこのイブン・サウード、名前は何度か出てくるんだが、この本じゃ人物像はよくわからない。フサインはかなり詳しく書いてあって、地に足の着いた考え方をする保守的で老練な首長って印象を持った。そんな保守的な者が、アラブの反乱なんて冒険に出るのは意外だが、そこは追って。

【補給戦】

 前の記事でアクロバティックなまでに見事な外交を見せたエンヴェル・パシャ(→Wikipedia)。でも軍事じゃ無能だった模様。

 戦争でも手柄を立ててええトコ見せようと張り切り、カフカスを越えロシアに攻め入ろうと画策する。ところが冬に4000m級の山脈越えなんて無茶な条件に加え、補給の無視が祟ってトルコ陸軍の精鋭第三軍を潰してしまう。将兵十万人中の八万六千が「命を落とした」って、敗戦なんてモンじゃない。

 おまけに若い働き手と牛馬を奪われた農村は荒れ、収穫はガタ落ち…って、まるで20世紀半ばの極東の某国みたいだ。

 そんなボロボロのオスマン帝国に、大英帝国が誇る艦隊が首都イスタンブールへと迫る。

【海峡】

 地中海から黒海への入り口となるダーダネルズ海峡は、昔から戦略の要所だ。ここを墜としゃ一発じゃんと考えた英仏は艦隊を派遣、「艦隊は(1915年)三月十八日午前十時四十五分、いよいよダーダネルズ海峡突入の総攻撃を開始した」。

 ここの戦闘の記述は、短いながらも読みごたえがある。というのも、最終的に艦隊は撤退するんだが、被害を受けた五隻中の四隻は機雷にやられたらしい。一隻だけはトルコ軍の砲火によるものだけど。その結果…

三月十八日の戦いのあと――この戦闘でド・ローベック提督はすっかり怖じ気づいてしまい、率いる艦隊に退却を命じてしまったのだが――実はトルコ軍の司令官たちはこの戦いに勝ち目はないと観念していた。
  ――第18章 運命を分けたダーダネルズ海峡の攻防

 というのも、トルコ軍の弾薬は既に尽きており、「手持ちの弾薬を撃ち尽くした上で陣地を放棄せよという命令を受けていた」。ほんと、あと一歩だったのだ。

 これをどう考えるかは人それぞれだろうが、私は機雷の威力を思い知った。狭い海域に入念に設置した機雷は、要塞の砲火にも勝るらしい。

【ガリポリ】

 海軍が駄目なら陸軍で、って事で、今度はガリポリ半島上陸作戦(→Wikipedia)が描かれる。これも阿呆な話で。奇襲が功を奏して上陸は無傷で成功。ところが一部の部隊は更に進んで崖を登ろうとせず、砂浜に塹壕を掘って立てこもる。

 その間にトルコ軍は増援を得て、崖の上に塹壕を掘って撃ちおろす。高所を取った方が有利なのは素人の私でもわかる。ってんで、最終的には…

連合国軍とオスマントルコ軍がともに50万の兵力を投入し、それぞれが約25万人の死傷者を数えたのである。
  ――第21章 消え失せた灯台の光

 元は先の艦隊ダーダネルズ突入と合わせた陸海同時作戦だったし、そうしてれば成功してただろうとか、このあたりは連合国側のヘマがやたらと目立つ上に、ちょっと日露戦争の旅順攻略を思い起こさせる状況でもあり、軍ヲタにはかなり美味しい章だった。

【おわりに】

 は、いいが。やっとこさ第Ⅲ部まで来たが、この本は全部で第Ⅻ部まである。この調子じゃいつまでたっても終わらんぞ、と不安を深めつつ、次の記事に続く。

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2018年4月 8日 (日)

デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 2

サー・マーク・サイクス「オスマン帝国の消滅は、我がイギリス帝国が消滅に向かう第一歩に違いない」
  ――第7章 オスマン帝国政府の策略

 デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 1 から続く。

【どんな本?】

 今なお戦火が絶えない中東。その火種はいつ撒かれたのか。

 ボストン大学で歴史学教授を勤める著者が、新しく掘り起こされた資料を元に、第一次世界大戦と、それに続くオスマン帝国の崩壊、そしてヨーロッパの列強が中東に抱く野望を軸に、主要な人物の思惑にまで踏み込み、多くの通説を覆す実態を明らかにする、衝撃の歴史絵巻。

【疲弊したオスマントルコ】

 前の記事では、列強に食い荒らされるオスマン帝国の悲惨な内情を紹介した。

 それだけに国内には不満が渦巻き、やがてCUP(青年トルコ人)によるクーデターが勃発、政権掌握へと至る。

 当時のオスマン帝国は広い。現在のトルコ・シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル・イラク・サウジアラビアに及ぶ。加えてエジプト・スーダン・イエメンも、名目上は支配下にある。実質的にはイギリスが仕切ってるけど。

 今のシリア内戦でもわかるように、これだけ広い地域だと、住む人も様々だ。アラブ、アルメニア、シーア派、マロン教徒、ユダヤ…。しかし、CUPは…

いったん権力の座を占めると、CUP(青年トルコ人)は前言を翻してそのナショナリズムの暗い側面を露呈し、トルコ語を母語とするムスリムがほかの住民グループに対し絶対の優位に立つことを主張したのだった。
  ――第4章 青年トルコ人運動、懸命に同盟者を求める

 国粋主義というより、民族主義だね。しかも、帝国の版図でトルコ語を話すムスリムは4割程度。最大勢力ではあっても、支配的とまではいかない。こういったあたりも、中東の火種になってる気がするんだが。

【二隻の戦艦】

 などと、この本の特徴の一つは、オスマン帝国&イギリス両国の内情に多くの記述を割いている点だろう。それも、主な人物の思惑にまで踏み込むことで、通説とか大きく異なったドラマが展開する。

 最初にそれを痛感したのが、トルコ参戦のきっかけとなる、イギリスによるスルタン・オスマン一世号&レシャディエ号の接収。「八月の砲声」では、こんな風にドラマが進む。

トルコ「イギリスの旦那、チャカ二丁(戦艦二隻)都合つかんか?」
イギリス「よござんす」
  ――第一次世界大戦勃発――
トルコ「ぼちぼち渡してくれんかのう」
イギリス「いや非常事態なんでウチが頂きますわ」
トルコ「ナメとんのかワレ!」
ドイツ「トルコの親分さん、ワシらと組めば戦艦二隻にテッポダマ(乗組員)つけますわ」
トルコ「よし乗った!」

 まず、違うのが、トルコの戦艦をイギリスがガメるくだり。本書によれば、これは当時の海相チャーチルの先走った個人プレイだとか。造船所や警備当局に戦艦の足止めを命じ、実質的に確保した後に、内閣の承認を取っている。

 トルコの側も、「八月の砲声」ではパクられてから怒った事になっているが、少し違う。当時のトルコの陸相エンヴェル・パシャは、イギリスがパクるだろうと読んでいた。そこにドイツからアプローチが来る。ドイツには時間がない。地中海じゃ二隻の戦艦が英国海軍に追われ、イスタンブールに匿って欲しい。

 そこで取引である。トルコはドイツに対し、見返りに列強との不平等条約の撤廃、および勝利の際の領土の分け前を求める。イギリスに戦艦二隻をパクられたのを隠し、ドイツ艦と艦隊を組もうと持ち掛ける。

エンヴィルとタラートは、内密のうちにフォン・ヴァンゲンハイム大使にスルタン・オスマン一世号を提供すると申し出ていたのである。
  ――第6章 チャーチル、トルコの戦艦二隻を接収

 ばかりか、追い詰められたドイツの弱みにつけ込み、ドイツ戦艦二隻は乗組員込みでトルコに譲らせ、支払ってもいない八千万マルクの領収書を受け取り、かつ戦費として二百万トルコ・ポンドの金塊までせしめている。金を配るしか能のない我が国から見ると、羨ましい限りの外交手腕だ。

 もっとも、そんな凄腕のエンヴェル・パシャも、前線の指揮官までは思い通りに動かせなかった。トルコは「攻撃を受けたので仕方なく反撃した」形にしたかったんだが…

 ドイツ戦艦ゲーペン号&ブレスラウ号を中心とした黒海艦隊司令官を務めるドイツ人ゾーホン提督、ロシア沿岸に砲弾の雨を降らせ、強引にトルコを戦争に引きずり込んでしまう。

 先のチャーチルの先走りもそうだし、好戦的な個人の行動で国家が戦争に深入りせざるを得なくなる例って、案外と多いんじゃなかろか。戦争って、火をつけるのは個人でも出来るけど、消すには多くの人が協力しなきゃいけない、そういう困った性質のシロモノなのかも。

 などの騒動の原因を作ったチャーチル、イギリス世論は拍手喝采なんだが、深く懸念する人もいて、それが冒頭の引用。

【おわりに】

 って、ここまで書いて、まだ第Ⅰ部だけ。果たしてちゃんと最後まで紹介できるんだろうか?と不安を抱えつつ、次の記事に続く。

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