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2024年2月16日 (金)

デニス・ダンカン「索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明」光文社 小野木明恵訳

本書は索引について、つまりは一冊の本を構成要素、登場人物、主題、さらには個々の単語へと細分化したものをアルファベット順に並べた一覧表についての本である。
  ――序文

索引を作ること、しかも小説の索引を作ることは、解釈をすることでもある。将来の読者が何を調べたいと思うか、どういう語を使って調べたいと思うかを予測しようとする作業でもある。
  ――第6章 フィクションに索引をつける ネーミングはいつだって難しかった

【どんな本?】

 索引。主にノンフィクションの巻末にある、キーワードとページ番号の対応表。調べたいテーマ=何について知りたいかが分かっている時に、手っ取り早くソレが載っている所を見つけるための道具。いわば本の裏道案内図。

 私たちが「索引」という言葉で思い浮かべる印象は、散文的なものだ。それは機械的に決まった手続きに従って生成される表であり、コンピュータが進歩した現代なら自動的に作れるはず。例えば、Adobe InDesign には索引自動生成機能がある。

 と、思うでしょ。ところがどっこい。いや、実際、地味で機械的な作業もあるんだけど。

 書物が生まれてから現在の形になるまで、索引はどのような経緯を辿ったのか。それを世の人びとは、どのように受け取ったのか。本が巻物だった時代から写本の時代・グーテンベルクの印刷を経て現代の電子出版まで、索引はどんな役割を期待され果たしたのか。

 書物と共に発達し進歩してきた索引とそれに関わる人々の足跡を辿り、索引の持つ意外な性質と能力を描く、書物マニアのための少し変わった歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Index, A History of the, by Dennis Duncan, 2021。日本語版は2023年8月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約290頁+訳者あとがき6頁に加え、索引がなんと3種類で88頁。10ポイント48字×18行×290頁=約250,560字、400字詰め原稿用紙で約627枚。文庫ならちょい厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。当然、本の歴史と密接に関わっているが、必要な事柄は本書内で説明しているので、前提知識がない人でも読みこなせるだろう。自分で蔵書やCDの目録を作った経験があると、更に楽しめる。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むが、各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。もちろん、巻末の索引を頼りにしてもいい。

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  • 序文
  • 第1章 順序について アルファベット順の配列
  • 第2章 索引の誕生 説教と教育
  • 第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか? ページ番号の奇跡
  • 第4章 地図もしくは領土 試される索引
  • 第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな! 巻末での小競り合い
  • 第6章 フィクションに索引をつける ネーミングはいつだって難しかった
  • 第7章 「すべての知識に通ずる鍵」 普遍的な索引
  • 第8章 ルドミッラとロターリア 検索時代における本の索引
  • 結び 読書のアーカイヴ 
  • 原注/謝辞/訳者あとがき
  • 図表一覧
  • 索引家による索引
  • コンピュータによる自動生成索引
  • 日本語版索引

【感想は?】

 マニアックなテーマを扱うマニアックな本だ。書名でピンとくる人には間違いなく面白いが、興味のない人は「なぜこんな本が?」と思う。それでいいのだ。

 まず驚いたのは、索引家なる人たちが居ること。現代では索引作成を職業とする人だが、趣味というか凝り性で索引を作る人もいる。有名なヴァージニア・ウルフもその一人だ。中には自著の索引に凝って新作を書く暇がなくなったサミュエル・リチャードソン(→Wikipedia)なんて作家もいる。意外と索引作成は創造的な仕事なのだ。

 その創造性が身に染みてわかるのが第5章なんだが、ここではイギリス人らしい意地悪さを索引で発揮してる。

 散文的な話では、やはり書物の形や出版方法、そしてモノの考え方が、索引の誕生に関わっているのが面白い。

 たいてい、索引はアルファベット順(日本語ならあいうえお順)だ。ここでは、言葉から意味をはぎ取り、記号の列として機械的・数学的に順序付ける発想が必要になる。言葉からいったん意味を奪うことで、その言葉に関係深い文章へと読者を誘う。面白い皮肉である。

索引は、作者ではなく読者のためのものであり、アルファベットの任意の順序と深く結びついているからだ。
  ――第1章 順序について アルファベット順の配列

 現代の索引は、キーワードとページ番号の表だ。キーワードはともかく、ページ番号は書物が現代の形だからこそ意味がある。パピルスの巻物や、冊子本=コーデックス(→Wikipedia)じゃページ番号そのものがない。それでも、当時の人びとは、目的とする部分を書物の中から見つけやすいように、ソレナリに工夫してきたらしい。

索引は、単独で登場したのではなく、13世紀初頭を挟んで前後20~30年のあいだに現れた読者のためのさまざまなツールという一家のなかの末っ子なのだ。
そして、それらのツールにのすべてにはひとつの共通点がある。
読書のプロセスを合理化し、本の使いかたに新たな効率性をもたらすために作られたという点である。
  ――第2章 索引の誕生 説教と教育

 そのページ番号も、グーテンベルクの活版印刷が普及して暫くは、あまり普通じゃなかった。当時の印刷屋は本文を組むのが精いっぱいで、本文の外にページ番号や柱(→武蔵野美術大学 造形ファイル)をつける発想や余裕がなかったんだろう。

15世紀の終わりの時点でもまだ、印刷された本のおよそ10%にしかページ番号は存在しなかった。
  ――第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか? ページ番号の奇跡

 さて、そんな索引は、目的の知識への近道でもある。こういう、知識を得る新しい技術が出てくると、それを歓迎する人と否定する人が出てくるのも世の常だ。現代のインターネットをめぐる議論と似たような議論を、ソクラテスが文字や書物をめぐって展開してたり。

印刷技術が誕生してから200年のあいだに作られた本の索引にたいする評価は、今もって、ソクラテスのように、急激に拡大していくテクノロジーにやるせない憤りをおぼえる者たちと、パイドロスのように、喜んでテクノロジーを活用する者たちのあいだで分かれている。
  ――第4章 地図もしくは領土 試される索引

アレグザンダー・ポープ「索引を使った学問では学徒は青ざめず/ウナギのような学問の尾をつかむ」
  ――第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな! 巻末での小競り合い

 などと索引をめぐる歴史的な話が中心の中で、終盤の第8章は少し毛色が違う。索引が当たり前となった20世紀からコンピュータの助けが得られる現代の物語である。何より嬉しいのは、実際に索引を作る手順を詳しく説明していること。「コンピュータならCTRL+Fでたいがいイケるんじゃね?」とか「出てくる全部の番後にページ番号つけりゃいいじゃん」とかの甘い目論見を、木っ端みじんに粉砕してくれる。

機械でスピードアップできることは、ソートやレイアウト、エラーチェックなどスピードアップが可能な作業だけだ。今もなお主題索引を編集する作業はおおむね、人間が行う主観的な仕事である。
  ――第8章 ルドミッラとロターリア 検索時代における本の索引

 でも、最近流行りのLLM=大規模言語モデル(→Wikipedia)なら…いや、ちと工夫が必要だなあ。

 もちろん、細かいエピソードは盛りだくさんだ。私はウィリアム・F・バックリー・ジュニアがノーマン・メイラーに仕掛けたイタズラが好きだ。あと、ペーター・シェイファーの賢い販売戦略も。

 マニアックなテーマだけに、万民向けじゃない。でも、書名に惹かれた人なら、読む価値は充分にある。本、それもノンフィクションが好きで、書棚の空きがないと悩む人には、悩みを更に深める困った本だ。

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2024年1月 9日 (火)

ヴィンセント・ベヴィンス「ジャカルタ・メソッド 反共産主義十字軍と世界をつくりかえた虐殺作戦」河出書房新社 竹田円訳

この世界全体――とりわけ(略)アジア、アフリカ、そしてラテンアメリカの国々は――1964年と1965年にブラジルとインドネシアで発生した波によって姿を作り替えられた。
  ――序章

「第三世界」という概念は、1955年4月にインドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議(→Wikipedia)のなかで本格的に固まった。
  ――第2章 独立インドネシア

(イラクでは)アメリカ政府が支援するバース党という反共産主義の政党が、(1968年7月に)クーデター(→Wikipedia)を起こして成功させた。
  ――第4章 進歩のための同盟

最大で100万人(ひょっとするとそれ以上かもしれない)のインドネシア人が、アメリカ政府が展開した世界的反共産十字軍の一環として殺された。
  ――第7章 大虐殺

【どんな本?】

 1955年4月、インドネシア大統領スカルノの主導により、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開催される。ここに第三世界の概念が生まれた。資本主義の第一世界と共産主義の第二世界に対し、元植民地の諸国を第三世界と位置づけ、その独立と発展を望む運動が始まった。

 だが、インドネシアにおける動きは1965年、唐突に断ち切られる。スハルトによるクーデターと政権奪取によって。

 以後、特に中南米諸国において奇妙なキーワードが囁かれる。「ジャカルタが来る」と。

 ソ連の大飢饉(→「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」)や強制収容所(→「グラーグ」)、中国の大躍進(→「毛沢東の大飢饉」)、カンボジアのキリングフィールド(→「ポル・ポト」)などは有名だが、インドネシアやグアテマラやチリの悲劇はあまり語られない。

 一体、何があったのか。誰が、何のために悲劇を生み出したのか。なぜ語られないのか。そして、これらの悲劇は、世界をどう変えたのか。

 米国のジャーナリストが、20世紀の歴史の影に光を当てる、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THe Jakarta Method : Washington's Anticommunist Crusade and the Mass Murder Program that Shaped Our World, by Vincent Bevins, 2020。日本語版は2022年4月30日初版発行。単行本ハードカバーー縦一段組み本文約343頁に加え、訳者あとがき7頁。9.5ポイント44字×21行×343頁=約316,932字、400字詰め原稿用紙で約793枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。中学卒業程度の国語と社会科の知識があれば読みこなせるが、主に1960~70年代の話なので、若い人には時代感覚がピンとこないかも。インドネシアの島々や中南米の国が舞台となるので、地図があると便利。

【構成は?】

 前の章を受けて後の章が展開する更生なので、なるべく頭から読もう。

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  • 序章
  • 第1章 あらたなアメリカの時代
  • 第2章 独立インドネシア
  • 第3章 目に物見せる アンボン空爆
  • 第4章 進歩のための同盟
  • 第5章 ブラジルとその過去
  • 第6章 9.30事件
  • 第7章 大虐殺
  • 第8章 世界のあらゆる場所で
  • 第9章 ジャカルタが来る
  • 第10章 北へ、北へ
  • 第11章 俺たちはチャンピオン
  • 第12章 彼らは今どこに? そして私たちは?
  • 謝辞/訳者あとがき/補遺/原註

【感想は?】

 失敗は怖ろしい。成功はもっと恐ろしい。

 本書は成功の物語だ。少なくとも、アメリカ合衆国、特にCIAにとっては。

 SF作家ルーシャス・シェパードの作品、「タボリンの鱗」収録の中編「スカル」は、グアテマラを舞台として米国人の旅行者の視点で描かれる。旅人の見るグアテマラの社会は、貧しくいささか物騒だ。なぜそうなったのか、本書を読んでよく分かった。

 合衆国には、力がある。経済力も軍事力も。だが、外国の情報収集・分析は、いささか弱い。特に発展途上国においては。それを補うのがCIAの設立当初の役目だったが(→「CIA秘録」)、思い込みと決めつけで暴力的な解決に突っ走る傾向があって、911以降の中東政策によく現れている。

米外交官フランク・ウィズナー・ジュニア
「過去の歴史に注意を向けていたら、アメリカ政府が中東でいまのような状況にはまり込むこともなかったでしょうね」
  ――第12章 彼らは今どこに? そして私たちは?

 これは最近の話かと思ったが、そうではなかった。昔からそうだったのだ。ただ、昔はうまくやっていたし、今でもその影響が強く残っている。特にインドネシアと中南米で。バナナやコーヒーや砂糖の歴史を調べ、うっすらと感じてはいたが、ここまでハッキリと示した本はなかった。

 何をやったのか。一言で言えば、赤狩りだ。ただし、国内じゃない。他国、特に第三世界で、だ。

 当時は冷戦のさなか。世界各地で植民地が独立し、それぞれに独自の道を模索していた。米ソ両国はソコで縄張り争いを始めた。少なくとも、CIAはそう考えていた。元植民地諸国も、両大国間のバランスの狭間で、独自の道を模索していた。多党制の議会も要しており、インドネシアでは…

米第37代大統領リチャード・ニクソン
「インドネシアにとって、民主的な政府は(おそらく)最善ではない。組織力にすぐれる共産党を選挙で負かすのは不可能だから」
  ――第3章 目に物見せる アンボン空爆

 これをCIAは恐れた。なんたって、共産党である。ソ連の手先に決まっている。そう決めつけた。

米外交官ハワード・ポールフリー・ジョーンズ
「ワシントンの政策立案者は、あらゆる事実関係を把握しておらず、この国(インドネシア)の事情もしっかり理解していなかった。ところが、共産主義こそが大問題だという前提でことを進めてしまった」
  ――第3章 目に物見せる アンボン空爆

 米国内でもマッカーシズム(→Wikipedia)が吹き荒れたが、そこは先進国である。さすがに直接の暴力は控えた。だが、外国なら話は別だ。

 やった事は、イランやベトナムと同じ。クーデターを起こし傀儡政権を立てる。それも極右の。

1965年10月1日(→Wikipedia)の時点で、スハルト少将(→Wikipedia)とは何者か、ほとんどのインドネシア人が知らなかった。しかしCIAは知っていた。
  ――第6章 9.30事件

 そして、罪は共産主義者にかぶせる。

ブラジル独自の反共産主義の神話の中には、ひどく歪んだ共産主義者のイメージができあがっていたようだ。多くのエリートが、共産主義者は、日頃から「悪魔的喜び」を感じながら暴力を繰り返し、敬虔なキリスト教徒を皆殺しにして、「赤い地獄」に送り込もうとしていると信じていた。
  ――第5章 ブラジルとその過去

 こういう、敵対する相手を悪役に仕立てる手口は、右も左も同じだなあ、と思ったり。かつての中国でも資本主義者は散々に罵られたし、ソ連も富農を目の敵にした。

1966年1月14日にワシントンが受け取った在インドネシア大使マーシャル・グリーンの報告
当面、PKI(インドネシア共産党)が政治に影響をおよぼすことはないだろう。インドネシア陸軍と、彼らに協力したムスリム団体のめざましい働きによって、共産党組織は壊滅した。政治局と中央委員会のメンバーは、ほぼ全員殺害されるか逮捕された。これまでに殺害された共産党員の数は、数十万にのぼると言われる。
  ――第7章 大虐殺

 一般に宗教勢力、特にアブラハムの宗教は共産主義を毛嫌いし、極右に手を貸す場合が多いんだよなあ。気質が似てるんだろうか。

 もちろん、濡れ衣を着せられた者も多い。というか、ドサクサまぎれで気に食わない奴にレッテルを張ち、ついでに片付けたっぽい。

1978年から83年にかけて、グアテマラ軍は20万以上の国民を殺害した。そのうち1/4弱が、都市部で連れ去られたまま「失踪」した人々だった。残りの大部分は先住民のマヤ人たちで、かれらは先祖代々住んできた平原や山々の、広い空の下で虐殺された。
  ――第10章 北へ、北へ

 そして、これらの事実がおおっぴらに語られることはない。こういった歴史の闇は、人々に疑惑の種をまく。

なにか重要なことが自分たちから隠されていたことを知ると、人は疑うべきでないことを疑ったり、途方もない陰謀論に耳を傾けたりするようになる。
  ――第11章 俺たちはチャンピオン

 そして、この本も、デッチアゲや陰謀だと言われるのだ。だが、現在の米国が中東でやっていることは、本書に書かれている内容と大きな違いはない。よりガサツで稚拙で大掛かりなだけで。

 米国は、ベトナムでは大っぴらに失敗した。だから、「 ベスト&ブライテスト」など、「なぜ失敗したか」と顧みる風潮がある。だが、インドネシアや中南米で密かには成功した。だから、顧みられることは少ない。だからこそ、本書は貴重で大きな価値がある。現代の世界がいかにして形作られたか、それを明らかにする衝撃の本だ。

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2023年12月18日 (月)

サイモン・ウィンチェスター「精密への果てなき道 シリンダーからナノメートルEUVチップへ」早川書房 梶山あゆみ訳

精密さとは、意図的につくり出された概念だ。そこにはよく知られた歴史上の必要性があった。
  ――はじめに

ついに機械をつくるための機械が生み出され、しかもそれは、正確かつ精密につくる能力をもっている。
  ――第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気

ジェームズ・スミス著『科学技術大観』
「一つの面を完璧に平坦にするためには、一度に三つの面を削ることが……必要である」
  ――第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い

空気がなければ歪みもない
  ――第7章 レンズを通してくっきりと

GPS衛星群に数々の有用性があるとはいえ、それを煎じ詰めれば時刻の問題になるのだ。
  ――第8章 私はどこ? 今は何時?

1947年、トランジスタは幼い子供の手いっぱいに載るほどの大きさがあった。24年後の1971年、マイクロプロセッサ内のトランジスタは幅わずか10マイクロメートル。人間の髪の毛の太さの1/10しかない。
  ――第9章 限界をすり抜けて

(2011年3月11日の東日本大震災と津波で)杉や松は完膚なきまでに破壊されたのに、竹はまだそこにある。
  ――第10章 絶妙なバランスの必要性について

こうして時間がすべての基本単位を支えるものとなった
  ――おわりに 万物の尺度

【どんな本?】

 カメラ、スマートフォン、自転車、自動車、ボールペン。私たちの身の回りには、精密に作られたモノが溢れている。これらが誇る精密さは、自然と出来上がったのではない。精密さを必要とする需要や、精密さが優位となるビジネス上の条件があり、ヒトが創り上げた概念だ。

 ヒトはいかにして精密さの概念を見つけたのか。そこにはどんな需要があり、どのような人物が、どのように実現したのか。そして精密さは、どのように世界を変えてきたのか。

 「博士と狂人」で歴史に埋もれた二人の人物のドラマを魅力的に描いたサイモン・ウィンチェスターが、今度は多彩な登場人物を擁して描く、歴史と工学のノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Perfectionists : How Precision Engineers Created the Modern World, by Simon Winchester, 2018。日本語版は2019年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約425頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×19行×425頁=約363,375字、400字詰め原稿用紙で約909枚。文庫なら薄めの上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、本棚やプラモデルなどを自分で部品から何かを組み立てて、「あれ? この部品、なんかうまくはまらないな」と戸惑った経験があると、身に染みるエピソードが多い。

【構成は?】

 原則的に時系列順に進むが、各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。

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  • 図版一覧
  • はじめに
  • 第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気
  • 第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い
  • 第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を
  • 第4章 さらに完璧な世界がそこに
  • 第5章 幹線道路の抗しがたい魅力
  • 第6章 高度一万メートルの精密さと危険
  • 第7章 レンズを通してくっきりと
  • 第8章 私はどこ? 今は何時?
  • 第9章 限界をすり抜けて
  • 第10章 絶妙なバランスの必要性について
  • おわりに 万物の尺度
  • 謝辞/用語集/訳者あとがき/本書の活字書体について/参考文献

【感想は?】

 歴史の授業で工場制手工業って言葉を学んだ。ソレで何が嬉しいのかは分からなかったが。この本で、少しわかった気がする。

 これが分かったのが、「第5章 幹線道路の抗しがたい魅力」。ここでは、最高級の自動車を生み出すロールス-ロイス社と、T型フォードの量産に挑んだフォード社の誕生を描く。

 その工程は対照的だ。ロールス-ロイス社は熟練の職人による手仕事で、一台づつ丁寧に作ってゆく。対してフォード社は、ベルトコンベアによる流れ作業だ。そこで部品に精密さを求めるのは、どちらだろうか?

 意外なことに、フォード社なのだ。

 ロールス-ロイス社は、職人が丁寧に組み立てる。そこで部品のサイズが合わなければ、ヤスリで削って調整する。それぞれピッタリ合わせるので、ガタつくことはない。ぶっちゃけ古いやり方だが、だからこそ品質を保証できる。

 だが、フォード社は流れ作業だ。合わない部品があると、そこで作業が止まってしまう。だから、予め部品の規格や誤差範囲を厳しく決め、守らせる。部品の精密さでは、フォード社の方が要求は厳しいのだ。

低コストでたいした複雑さもなく、記憶にもさして残らないフォード車のほうが、(ロールス・ロイス車より)精密さがより重要な生命線となっていた。
  ――第5章 幹線道路の抗しがたい魅力

 「ニコイチ」や「共食い整備」なんて言葉もある。壊れた二台の自動車から使える部品を取り出して組み合わせ、一台の動く自動車を組み立てる、そんな手口だ。これは意外と現代的な概念だとわかるのが、「第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を」だ。

 この章は1914年の米英戦争さなかの合衆国で幕を開ける。当時、マスケット銃の部品が壊れたら、どう直すか? 現代なら、他の部品に交換するだろう。だが、当時はできなかった。当時の銃は、ロールス-ロイス社風の方法で作っていたからだ。部品を交換するには、職人の所へ持っていき、調整してもらう必要があった。そうしないと、「合わない」のだ。当時の製品は、みんなその程度の精度だったのだ。

 これを変えたのが、フランスのオノレ・ブラン(→Wikipedia)。彼の造った銃は…

どの部品も完全に互換性をもっていた。
  ――第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を

 逆に言えば、同じ工業製品の同じ部品でも、互換性がないのが普通だったのだ、当時は。軍事ヲタク界隈じゃ共食い整備は末期症状と言われるが、そんな事が出来るのも精密さのお陰だったりする。

 こういった互換性の基礎をもたらしたのが、私たちの身の回りに溢れているシロモノなのも意外。

(ジョゼフ・)ホイットワース(→Wikipedia)は、あらゆるネジの規格を統一するという発想を推し進めた
  ――第4章 さらに完璧な世界がそこに

 そう、ネジなのだ。実際、よく見ると、ネジって長さや太さやネジ山の高さや距離など、予め規格がキッチリ決まってないと困るシロモノなんだよね。本書の前半では、他にもネジが重要な役割を果たす場面が多くて、実はネジが工学上の偉大な発明である事がよくわかる。

 後半では、こういった精密さが更に桁を上げた現代の物語へと移ってゆく。

 特に「第6章 高度一万メートルの精密さと危険」がエキサイティングだった。ここでは航空機用ジェット・エンジンの誕生と現状を語る。そのジェット・エンジン、理屈は単純なのだ。原則として動くのは「回転するタービンと圧縮機だけ」。可動部が少なければ、それだけ機械としては頑丈で安全となる…はず。理屈では。

フランク・ホイットル(→Wikipedia)
「未来のエンジンは、可動部が一つだけで2000馬力を生み出せるようでなければならない」
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 ホイットルを支援する投資会社のランスロット・ロー・ホワイトの言葉も、エンジニアの魂を強く揺さぶる。

「大きな飛躍がなされるときは、かならず旧来の複雑さが新しい単純さに取って代わられるものだ」
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 そうなんだよなあ。私は初めて正規表現に触れた時、その理屈の単純さと応用範囲の広さに感動したのを憶えてる。新しい技術は、たいてい洗練された単純な形で出てきて、次第に毛深くなっちゃうんだよなあ。

 まあいい。ここでは、蒸気からレシプロそしてタービンまで、モノを燃やして力を得るエンジンの神髄を説く言葉も味わい深い。

(エンジンは)熱ければ熱いほど速くなる
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 モノを燃やすエンジンは、すべてボイル=シャルルの法則(→Wikipedia)に基づく。曰く、気体の体積または圧力は、温度に比例する。モノを燃やすエンジンは、高温で体積が増える気体の圧力がパワーの源だ。よってパワーを上げるには、エンジンの温度を高く(熱く)すればいい。

 だが、エンジンは金属だ。金属は熱くなると柔らかくなり、ついには溶ける。この相反する要求を叶えるには、なるたけ高温に耐える素材を使うこと。冶金技術が国力の源である理由が、コレだね。もう一つ、高熱にさらされるエンジン内でタービン・ブレードの温度を下げる手もある。これを叶えるロールス-ロイス社の工夫が凄い。

 実はこの辺、「ジェット・エンジンの仕組み」にも書いてあったんだが、すっかり忘れてた。わはは。

 この章では、他にも「ホイットルの時代の初歩的なジェットエンジンであっても、(吸い込む空気の量は)ピストンタイプのざっと70倍」とか、ジェットエンジンつかガスタービンの布教としか思えぬ記述が溢れてる。

 それはともかく、そんなロールス-ロイス社のトレント900エンジンを積んだエアバスA380機が、2010年に事故を起こす。カンタス航空32便エンジン爆発事故(→Wikipedia)だ。原因はエンジン部品の不良。この事故を調べたオーストラリア政府による事故調査報告書は、教訓に富んでいる。

複雑な社会技術システムは、元々内在する性質により、絶えず監視されていなければ自然と後退するという傾向を持つ。
  ――第6章 高度一万メートルの精密さと危険

 複雑で精密なシロモノは、放っとくと劣化するのだ。これはモノだけでなく、製造・流通・運用など全ての過程で関わるヒトや組織にも当てはまる。特に、コスト削減とかの圧力が加わった時は。なら、原子力発電も…などと考えてしまう。

 以降、本書は騒ぎとなったハップル天文台や現代では必需品となったGPSそして集積回路を経て、第10章ではなぜか日本が舞台となる。ここの記述は日本人としてはいささか気恥ずかしさすら覚えるほどの日本賛歌なので、お楽しみに。

 今や当たり前となったネジや部品交換そして互換性の概念は、意外と近年に生まれた考え方だった。私たちの暮らしを楽しく便利にしてくれる様々な工業製品も、巷で話題のグローバル経済も、先人が創り上げた精密さの上に成り立っている。そんな感慨に浸れると共に、歴史の教科書ではあまり触れられない職人たちの人物像にも光を当てた、一風変わった歴史と工学の本だ。

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2023年10月29日 (日)

ローレンス・C・スミス「川と人類の文明史」草思社 藤崎百合訳

川から人間が得られる基本的な利益には5種類ある。アクセス、自然資本、テリトリー、健康な暮らし、力を及ぼす手段である。
  ――プロローグ

国際移住機関(IOM)は、「Missing Migrations Project(死亡もしくは行方不明の移民に関するプロジェクト)」という移民の死者数などの世界的データベースを作る政府間組織だが、このIOMによると、移民の死因でもっとも多いのが溺死である。
  ――第2章 国境の川

黄河は、毎年10憶トン以上の堆積物を海まで運ぶ、まさしく自然の脅威である。これは世界最大のアマゾン川が運ぶ土砂の量にほぼ匹敵する。年間流量は、アマゾン川のたった1%にも満たないというのに。
  ――第4章 破壊と復興

新しい発見が促されるのは、多くの場合、モデルと現実の観測値との間に食い違いがあるときだ。
  ――第8章 川とビッグデータ

現在、世界に何百万とある淡水湖のうち、水位をモニターされているのは1%にも満たない。
  ――第8章 川とビッグデータ

【どんな本?】

 古代の四大文明は、みな大河のほとりにある。今でも、ロンドンはテムズ川,パリはセーヌ川,カイロはナイル川,ニューヨークはハドソン川など、名だたる大都市は川と共に語られる。河川の恵みは人類社会の発展に欠かせない。

 と同時に、ハリケーン・カトリーナが示すように川は巨大な災害の原因にもなった。また、エチオピアがナイル川に築いた巨大ダムは、下流のスーダンとエジプトに大論争を巻き起こした。これはメコン川も同じで、ベトナムやカンボジアは中国と慎重な協議を重ねている。巨大技術を手に入れた人類は、河川との関係を変えつつある。

 都市の発展の基盤であり、それだけに争いの原因ともなった河川。人類は河川とどのように付き合い、お互いにどんな影響を及ぼし合ってきたのか。両者の関係は、環境をどう変えてきたのか。そして今世紀に入って、両者の関係はどう変わりつつあるのか。

 地球・環境・惑星科学教授である著者が、河川にまつわる近現代史を辿り、またダムや水質そしてウォーターフロントの開発など現代のトピックを取り上げ、河川と人類の歴史を手繰り現在を俯瞰し未来の展望を語る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rivers of Power : How a Natural Force Raised Kingdoms, Destroyed Civilizations, and Shapes Our World, by Laurence C. Smith, 2020。日本語版は2023年2月27日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約405頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×405頁=約313,470字、400字詰め原稿用紙で約784枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、ご想像の通り私たちに馴染みのない河川の名前が続々と出てくる。メコン川ぐらいは分かるが、トゥオルミ川とか知らないって。地図帳に出てないし。もいうことで、読みこなそうと思うなら GoogleMap などが欠かせない。いや私は読み飛ばしたけど。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • プロローグ
  • 第1章 川と文明
    ナイル川の氾濫を予測/為政者たちの権力の源泉/「川の間の土地」に生まれた最古の都市/チグリス・ユーフラテスの方舟/サラスヴァティ―川の消滅/大禹の帰還/「水利社会」がもたらしたもの/知識、それはハビ神の乳房から始まった/「水の管理」を定めたハンムラビ法典/川の所有権をめぐる歴史/水車の力/新世界の発展と川の役割/ジョージ・ワシントンの着眼点/アメリカの運命を決めた土地取引
  • 第2章 国境の川
    移民の死因でもっとも多い「溺死」/青い境界線/川を国境にするメリット/国の大きさと形/「水戦争」の21世紀/マンデラはなぜ隣国を襲撃したのか/「ウォータータワー」がもたらす支配力/アメリカ司法長官ハーモンの過ち/越境河川を共同管理するためのルール/メコン川をめぐる緊張
  • 第3章 戦争の話
    イスラム国の支配流域/あの川を越えて/分断の大きな代償/「南軍のジブラルタル」攻防戦/中国の「屈辱の世紀」/金属の川/イギリス空軍のダム爆破計画/独ソ戦の趨勢を決めた川/闘牛士のマント/ベトナムでの「牛乳配達」/メコンデルタの戦略的価値
  • 第4章 破壊と復興
    ハリケーンの爪痕/大洪水の後に起こること/アメリカの政治地図を変えた洪水/抗日に利用された「中国の悲しみ」/黄河決壊から生まれた共産中国/アメリカ社会を変えた大洪水
  • 第5章 巨大プロジェクト
    「大エチオピア・ルネサンスダム(GERD)」計画の衝撃/大規模ダム建設の20世紀/橋が紡いできた歴史/人口の川/ロサンゼルスに水を引いたアイルランド人技師/水不足に苦しむ40億人/インドが挑む河川連結プロジェクト/大いなる取引
  • 第6章 豚骨スープ
    問題のある水/アメリカの環境保護、半世紀の曲折/中国の河長制/拡大するデッドゾーン/河川に流れ込むさまざまな医薬品/グリーンランドのリビエラ/ピーク・ウォーター
  • 第7章 新たな挑戦
    絶滅危惧種の回帰/ダム撤去のメリット/土砂への渇望/ダムの被害を軽減する方策/未来の水車/おおくなちゅうごくの小さな水力発電/繊細な味わいの雷魚の煮込み/最先端のサケ/侵入種対策としての養殖業/河川利用におけるイノベーションの萌芽/危険な大都市の新たな洪水対策/暗い砂漠のハイウェイと、その先にあるホテル・カリフォルニア
  • 第8章 川とビッグデータ
    河川データの爆発的増加/川の目的と存在理由/「たゆまぬ努力」と「炎と氷」の対決/地球の記録者たち/3Dメガネをかけよう/ビッグデータと世界の水系の出会い/モデルの力
  • 第9章 再発見される川
    地球上で最高の釣りの穴場/加速する人類の「自然離れ」/自然と脳の関係/都市部の河川に関するトレンド/激変するニューヨークの河川沿岸/川を起点とする世界的な都市再生/多数派となった都市居住者/川が人類にもたらしたもの
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献・インタビュー

【感想は?】

 書名には「文明史」とある。確かに歴史のエピソードも出てくるが、現代のトピックの方が印象に残る。

 とまれ、現代の世界はいきなりできたワケじゃない。歴史の積み重ねがあって、現代のような形になったのだ。それを象徴するのが、現在の都市と河川の関係だ。例えば…

今日のほとんどの大都市は、中心部を貫いて流れる川によって二分されている。
  ――第5章 巨大プロジェクト

 ロンドンにはテムズ川が、パリにはセーヌ川が、バグダッドにはティグリス川が流れている。歴史ある大都市は、たいてい河川のほとりで発展したのだ。自動車と自動車道が発達した現代ではピンとこないだろうが、かつては河川がヒトとモノの重要な幹線だったのだ。

ごく最近まで、人々が内陸部を移動し探索するための主な方法は、川を辿ることだった。
  ――第1章 川と文明

(南北戦争の)1861年当時、アメリカの幹線路は河川と鉄道であって、中でもミシシッピ川とその支流はスーパーハイウェイとして北米の内陸部を自国にも他国にもつないでいた。
  ――第3章 戦争の話

 この章ではアメリが合衆国の発展にミシシッピ川とその流域が果たした役割を描いているが、それはさておき。かような歴史を辿り、かつ現代の都市化傾向の結果として…

世界人口のほぼ2/3(63%)が、大河川から20km以内に住んでいる。また、世界の大都市(人口100万人以上1000万人未満)の約84%が大河川沿いにある。世界のメガシティ(人口1000万人以上)だと、その割合は93%にのぼる。
  ――第9章 再発見される川

 ある意味、歴史上かつてないほど、人類と河川の関係は深くなっている。これは為政者も解っているらしく、様々な形で政策あるいは戦略として表れてくる。物騒な話では、自称イスラム国だ。

ISISにとって、川という形のこれらの回廊を支配することは、明らかに当初からの重要な目的だった。地理的に見ると、地域でも特に人口が集中している地区と豊かな灌漑農地は、川の周辺に広がっている。
  ――第3章 戦争の話

 確かに、あの辺じゃ川の水は貴重だろうしなあ。

 など、既にある河川をそのまま使うだけでなく、人工的に水路を作り、または既存の水路の流れを変えることで、社会を発展させられるのは、歴史が証明している。

運河とは、輸送の価値観を大きく覆す技術的進歩であり、運河によってヨーロッパの工業化とアメリカの西部への拡大が推し勧められたのだ。
  ――第5章 巨大プロジェクト

 ここではインドの水路整備プロジェクトも稀有壮大で驚くが、中国がメコン川上流にダムを造る計画は少々キナ臭かったり。大河はたいてい複数の国を通るので、どうしても争いのタネになりがちなのだ。

 もっとも、そのダムも、最近は色々と様子が違う。中国が力を入れているのは巨大ダムばかりでなく、小さな発電所も沢山造っているらしい。

典型的な(マイクロ水力発電の)設備の場合、渓流からトンネルやパイプなどの導水路へと分水し、下方に設置した小さなタービンに水を流し込んで、家一軒から数軒で使うのに十分な量を発電する。
  ――第7章 新たな挑戦

 少し前に話題になった水質汚染の対策に、河を仕切る河長制の採用など、政府が強権を持つ共産制らしい思い切った政策だろう。ハマれば迅速で強いんだよね、一党独裁は。ハズれた時の悲劇も大きいけど。

 その悲劇の代表が、洪水。最近は日本でも温暖化の影響か、台風による洪水が増えてたり。

現在生存している人類の2/3近くが大きな川の近くに住んでいるので、洪水は慢性的な危機であり、気が滅入るほど頻繁に人命や資産が奪われている。
  ――第4章 破壊と復興

 ダムを造る目的は幾つかあるが、その一つは洪水を防ぐこと。ダムは川を流れる水の量を調整するだけでなく、川の性質も変えてゆく。

河川の水が動きのない貯水池に入ると、含まれていた土砂の大部分が沈殿して貯水池の底に溜まる。その結果、ダム下流に放出されるのは、土砂がきれいに取り除かれた水となる。川は自分の河道の堆積物を自分で食らう状態になり、河道は削られて、深く、広くなる。河道が浸食されて拡大すると、氾濫の時期でも水が堤防を越えないようになる。
  ――第7章 新たな挑戦

 と引用すると、ダムを賛美しているようだが、本書の文脈はいささか違う。確かに住宅地の氾濫は困るが、氾濫が必要な場所もあるのだ。その一つが湿原。多様な生物の生存環境である湿原が、ダムによって失われるのは嬉しくない。近年の環境への関心の高まりか、アメリカではこんな動きも出てきている。

2019年現在までに、アメリカだけでも1600基近くのダムが取り壊された。
  ――第7章 新たな挑戦

 古いダムはダム湖の底に土砂が溜まって、貯水池としての役割が果たせなくなった、みたいな経営上の事情もあるんだけど。その土砂がいきなり下流に流れたら大惨事になりそうなモンだが、そこは少しづつ流すとか別の水路に流すとか、幾つかの対策法があるらしい。日本は、どうなんだろうねえ。流れのきつい川が多いから、事情は違うのかも。

 いずれにせよ、ダムがなくなる事で下流の環境も変わり、川魚も戻ってくる。このあたりの描写は、川を生き物のように捉える著者の視点が温かい。

 そんな著者の、科学者としての本性は、終盤で露わになる。近年の人工衛星やロボット/ドローンを用いた観測で、世界中の淡水のデータが大量に集まりつつある状況を伝え、読者をグリーンランドなどへと連れてゆく。

 中でも私の印象に残ったのが、川の源流を探るうちに見えてきた、奇妙な一致だ。

場所や地形、気候、植生とは関係なく、水源から最初に現れる水流の幅が平均で32cm(±8cm)だったのだ。
  ――第8章 川とビッグデータ

 正直、本書の記述は途中の説明をスッ飛ばし過ぎでよく分からないんだが、これが地球温暖化の原因、つまり温暖化ガスの増加に深く関係しているらしい。

 全体を通し川というネタは一貫しているが、その調理法は章により色とりどり。歴史から社会・国際問題、軍略的な意味や戦場としての川、都市住民の憩いの場であるリバ―フロント、そして農業用水&漁場として巧みにメコン川を使うカンボジアなど、バラエティ豊かな川の表情を伝える、川のファンブックだ。

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2023年10月 8日 (日)

ニーアル・ファーガソン「スクエア・アンド・タワー 上・下」東洋経済新聞社 柴田裕之訳

本書は、これまでネットワークの役割を控えめに述べる傾向にあった歴史記述の主流派と、その役割を常習的に誇張する陰謀論者の間の、中道を行くことを目指す。
  ――第1章 イルミナティの謎

 本書の中心的テーマは、分散型のネットワークと階層制の秩序との間の緊張関係は人類そのものと同じぐらい古いということだ。
  ――あとがき

1851年から1864年にかけて清帝国を呑み込んだこの内戦(太平天国の乱、→Wikipedia)は19世紀最大の戦いであり、直接あるいは間接に、2000万~7000万人の命を奪い、中国の人口をおよそ1割減少させた。
  ――第30章 太平天国の乱

金融危機は、個人によって引き起こされはしない。集団によって引き起こされるのだ。
  ――第49章 ジョージ・ソロス対イングランド銀行

ネットワークを信頼して世の中を任せておけば無秩序を招くだけであるというのが歴史の教訓だ。
  ――第60章 広場と塔の再来

【どんな本?】

 組織には、大雑把に分けて二つの種類がある。一つは軍隊のように、隊長を頂点とした上意下達式の階層型。もう一つは、連盟や学界そして友達付き合いのように、ハッキリした階層のないネットワーク型、または結社。

 陰謀論では、イルミナティやディープステートなど、世界を陰から支配する秘密結社が取りざたされる。また、一時期のソフトウェア開発では、「伽藍とバザール」のように、ネットワーク型の組織(というか集団)での開発がもてはやされた。

 対して歴史家たちは、国王などを頂点とした階層型の組織を中心として研究・記述してきた。

 実際には、どちらが歴史を動かしてきたのか。そして、インターネットが発達した今後は、どちらが歴史の主役となるのか。

 スコットランド出身の歴史家・ジャーナリストが、階層型 vs ネットワークという新たな切り口で、近世以降の歴史と今後の見通しを語る、一般向けの風変わりな歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Square and Tower : Networks, Hierarchies and the Struggle for Global Power, by Niall Ferguson, 2017。日本語版は2019年12月19日発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約324頁+380頁=約704頁に加え、付録「ニクソン=フォード時代の社会的ネットワークのグラフ化」10頁+訳者あとがき6頁。9.5ポイント40字×17行×(324頁+380頁)=約478,720字、400字詰め原稿用紙で約1197枚。文庫なら少し厚い上下巻ぐらい。

 ジャーナリストの経歴もあるためか、比較的に文章はこなれている。ただ、内容は少し不親切。イギリス人やアメリカ人。それも1960年以前の生まれの人向けの本らしく、特に説明もなく人名がズラズラ出てきたりする。例えば「第39章 ケンブリッジのスパイたち」では、キム・フィルビー(→Wikipedia)ぐらいしか知らなかった。

 また、アチコチにレジリエンス(→Wikipedia)なんて言葉が出てくる。たぶん、「しぶとさ」みたいな意味だろう。一部に被害を受けた時、性能は落ちても機能は残る性質、とか。

【構成は?】

 お話はほぼ時系列で進むが、各章の結びつきは弱いので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 上巻 ネットワークが創り変えた世界
  • はしがき ネットワークにつながった歴史家
  • 第1部 序 ネットワークと階層性
  • 第1章 イルミナティの謎
  • 第2章 ネットワーク化された私たちの時代
  • 第3章 偏在するネットワーク
  • 第4章 国家や企業はなぜ階層性なのか?
  • 第5章 7つの橋から6次の隔たりまで
  • 第6章 弱い紐帯と急速に広まるアイデア
  • 第7章 さまざまなネットワーク
  • 第8章 異なるネットワークが出合うとき
  • 第9章 ネットワーク理論の7つの見識
  • 第10章 解明されたイルミナティ
  • 第2部 大航海時代の皇帝と探検家
  • 第11章 古代と中世の階層性
  • 第12章 ネットワーク化された最初の時代
  • 第13章 ルネサンス期の取引の技法
  • 第14章 新たな交易ルートの発見者たち
  • 第15章 ピサロとインカ皇帝
  • 第16章 印刷術と宗教改革
  • 第3部 科学革命と啓蒙運動
  • 第17章 宗教改革の経済的結果
  • 第18章 アイデアを交換する
  • 第19章 啓蒙運動のネットワーク
  • 第20章 アメリカ独立革命のネットワーク
  • 第4部 王家による階層性の復興
  • 第21章 フランス王政復古の失敗
  • 第22章 フランス革命からナポレオンによる専制政治へ
  • 第23章 列強による秩序の回復
  • 第24章 ザクセン=コーブルク=ゴータ家
  • 第25章 ロスチャイルド家
  • 第26章 産業革命のネットワーク
  • 第27章 5大国体制からイギリスの覇権主義へ
  • 第5部 大英帝国の秘密結社
  • 第28章 「ラウンド・テーブル」あるいはミルナーの「幼稚園」
  • 第29章 間接支配と中央集権
  • 第30章 太平天国の乱
  • 第31章 アメリカにおける中国人排斥運動
  • 第32章 南アフリカ連邦という大英帝国の幻想
  • 第33章 ケンブリッジ「使徒会」のネットワーク
  • 第34章 第1次世界大戦の勃発
  •  原注/参考文献/図版出典/口絵出典
  • 下巻 権力と革命 500年の興亡史
  • 第6部 革命と独裁者
  • 第35章 三国協商に対するジハード
  • 第36章 ボリシェヴィキ革命と強制労働収容所
  • 第37章 ヒトラーの躍進
  • 第38章 ナチスと反ユダヤ主義
  • 第39章 ケンブリッジのスパイたち
  • 第40章 スターリンの全体主義国家
  • 第41章 マフィアのネットワーク
  • 第7部 冷戦とゲリラ戦
  • 第42章 冷戦下の「長い平和」
  • 第43章 ネットワーク化された戦闘
  • 第44章 複雑化する消費社会
  • 第45章 ヘンリー・キッシンジャーの権力ネットワーク
  • 第46章 インターネットの誕生
  • 第47章 ソヴィエト帝国の崩壊
  • 第48章 ダヴォス会議のネルソン・マンデラ
  • 第49章 ジョージ・ソロス対イングランド銀行
  • 第8部 21世紀のネットワーク
  • 第50章 アメリカ同時多発テロ
  • 第51章 リーマン・ショック
  • 第52章 肥大した行政国家
  • 第53章 Web2.0とフェイスブック
  • 第54章 グローバル化と不平等
  • 第55章 革命をツイートする
  • 第56章 ドナルド・トランプの選挙戦
  • 第9部 結論 サイバースペースの攻防戦
  • 第57章 階層制対ネットワーク
  • 第58章 ネットワークの機能停止
  • 第59章 FANGとBATとEU
  • 第60章 広場と塔の再来
  •  あとがき 広場と塔の起源 14世紀シエナにおけるネットワークと階層制
  •  付録 ニクソン=フォード時代の社会的ネットワークのグラフ化
  •  訳者あとがき
  •  原注/参考文献/図版出典/口絵出典/索引

【感想は?】

 たぶん、図書分類としては、歴史になるんだろう。だが、語っているのは、歴史の流れじゃない。

 本書の主題は、権力・影響力や組織の形と、その性質だ。組織の形を二つの極、塔=階層型と広場=ネットワーク型として、それぞれの得手・不得手を、史実を例に挙げて語る、そんな感じの本だ。

 そのためか、ハードカバーの上下巻なんて迫力ある見かけのわりに、意外と親しみやすい。塔vs広場の視点で歴史トピックを語るエッセイ集みたいな雰囲気も漂う。その分、著者の主張はアチコチにとっちらかって見えにくくなっている感もある。

 著者の主張の一つは、イルミナティやDSなど陰謀論への反論だろう。そもそも計画的に事を運ぶのには向かないのだ、ネットワーク型の組織は。

歴史を振り返ると、イノベーションはこれまで、階層制よりもネットワークから多く生じる傾向にあった。(略)
ネットワークは自然と創造的になりうるが、戦略的ではない。第二次世界大戦は、ネットワークによっては勝てなかったはずだ。
  ――第8章 異なるネットワークが出合うとき

 第二次世界大戦というより軍隊は、たいてい階層型だ。そして総力戦など軍事優先の社会も、階層型の統制社会/経済でないと巧くいかない。スペイン内戦じゃ国際旅団の一部が合議制で作戦を決めたらしいが、今じゃ嘲笑の的だ。でも戦争が終わり復興が進むと、チャーチルやドゴールなど戦争指導者たちは退場を余儀なくされる。

計画策定者にとっての問題は、総力戦という活動には非常に適していた階層構造の制度が、消費社会にはまったく不向きだという点にあった。
  ――第44章 複雑化する消費社会

 この辺、日本はどうなんだろうね。護送船団方式の半ば計画経済で戦後の復興を乗り切り、オイルショックまではいい感じだったけど、その頃に出来上がった政府主導の政治/経済構造と感覚を今でも引きずってる気がする。

 それはともかく、逆にネットワークがイノベーションには向くのは、技術史や産業史を調べるとよくわかる。先に読んだ「織物」の終盤は、イランから日本までの織機の技術の伝達を追ってたし。

 蒸気機関についても、こう主張している。

ジェイムズ・ワットは、グラスゴー大学のジョゼフ・ブラック教授や、バーミンガムのルナー・ソサエティの会員たちも含むネットワークに所属していなければ、蒸気機関の改良は達成できなかっただろう。
  ――第26章 産業革命のネットワーク

 だが、教科書や歴史書は、階層型の組織に多くの頁を割く。仕方がねーのだ、だって階層型組織は多くの文書を残すけど、ネットワーク型はあまし残さないし、残ってもアチコチにとっちらかってる。その結果、奇妙な状況になる。

歴史の大半では、成功は誇張される。勝者が敗者よりも多くの記録を残すからだ。ところが、ネットワークの歴史では、その逆があてはまることが多い。成功しているネットワークは世間の注意を巧みに逸らし、失敗しているネットワークは注意を集める。
  ――第32章 南アフリカ連邦という大英帝国の幻想

 ネットワークの成功例として本書が挙げているのが、ロシアの革命だ。著者曰く、主なスポンサーの一つはドイツだ、と。第一次世界大戦で行き詰っていたドイツにとって、ロシアがコケるのは実に嬉しい話だし。

ボリシェヴィキ革命はある程度までは、ドイツが出資した作戦だった。
  ――第36章 ボリシェヴィキ革命と強制労働収容所

 と、時としてネットワークは階層型の社会を壊す。だもんで、階層型のボスはネットワークを厭う。主な対抗策としては…

全体主義の成功の秘密は、(ナチス)党と国家の階層制の組織の外にある、ほぼすべての社会的ネットワーク、それもとりわけ、自立的な政治活動を取りたいと願うネットワークを、非合法化したり、麻痺させたり、公然と抹殺したりすることだった。
  ――第38章 ナチスと反ユダヤ主義

 ロシア革命を後押ししたドイツが、後に対抗策を徹底するのも皮肉な話。身近な所で「三校禁」なんてのを思い出すのは年寄りだけかな。

 もっとも、ネットワークを恐れたのはスターリンも同じ。そこでスターリンが取ったのは、情報の統制だ。

スターリンの権力は、3つの別個の要素から成り立っていた。
すなわち、党官僚制の完全な統制、
クレムリンの電話ネットワークを中心的ハブとするコミュニケ―ション手段の完全な統制、
自らも恐れの中で生きている人員から成る秘密警察の完全な統制だ。
  ――第36章 ボリシェヴィキ革命と強制労働収容所

 この辺だと、ナチス・ドイツの暴走の原因が、「暴走する日本軍兵士」が描く帝国陸軍の暴走の原因と似ているのが気になる。

(多頭制の)混沌のせいで、ライバル関係にある個人や機関が、それぞれ総統の要望と解釈したことを実行しようと競い合い、多義的な命令と重複する権限が「累積的な過激化」を招いた。
  ――第37章 ヒトラーの躍進

 帝国陸軍は、政府の意図の外で桜会などの壮士ネットワークが暴走を煽ったんだが、ヒトラーは意図してやったんだろうか。

 そんな風に、権力者はネット―ワークを恐れるものだ。中でも誇張されがちなのが、外国人だろう。よく右派は外国人の集団を槍玉にあげる。著者はアメリカの例を挙げてるけど、日本でも似たような言説がネットを賑わせてるなあ。

移民反対者は、新来者の貧しさをけなすと同時に、彼らの指導者と思われている人々の力を誇張した。
  ――第31章 アメリカにおける中国人排斥運動

 これ民間人がデマを振りまくのも困るが、政治家が票を集めるため流れに乗っかるからタチが悪い。

18世紀米国の政治家アレクサンダー・ハミルトン(→Wikipedia)
「彼らは扇動政治家として出発し、ついには専制的支配者となるのだ」
  ――第20章 アメリカ独立革命のネットワーク

 ヒトラーはモロにコレだね。ドナルド・トランプも似た傾向がある。こういう民主主義のバグを、18世紀に見つけてたってのも驚きだ。いまだにデバッグできてないのも悲しい。巧いパッチはないものか。なお、本書は直接トランプを罵っていないが、明らかに扱いは悪い。例えば…

トランプに投票した郡は、アメリカ全土の面積の85%を占めている。(略)EU離脱キャンペーンに勝利をもたらしたのは、大都市ではなくイングランドとウェールズの「州」に主に居住する、中高年の有権者だった。
  ――第56章 ドナルド・トランプの選挙戦

 と、ブレグジット同様、それは問題であるかのように扱っている。というか、そういう場所の票を丹念に拾っていったんだな、トランプは。そのトランプが活用したのがフェイスブック。世界中の人々を繋げるかのように宣伝しちゃいるが…

フェイスブックのネットワークは地理に基づくクラスター化を示している。
  ――第53章 Web2.0とフェイスブック

 意外とインターネット上の繋がりは、直接に顔を合わせての繋がりを反映してたりする。実際、ブログでも Twitter でも、顔も名前も知らない人に話しかけるのは、ちょっと構えちゃうし。

 そんなワケで、一時期の「インターネットでユートピアが来る」って幻想は、見事に打ち砕かれた。

世界中の人をインターネットに接続させれば、サイバースペースでは誰もが平等となるネット市民のユートピアを創り出せるという考えは、常に幻想だった。
  ――第58章 ネットワークの機能停

 うん、ブログでも人気ブログと零細ブログの格差は大きいし。二度ほど試算したんだが、ブログの人気の分布は収入の分布と似て、スケールフリー的な性質があるようだ(→記事1記事2)。

 そんなインターネットを巧みに使ったのが、イスラム原理主義のテロリストたち。アルカイダが有名だが…

はるかに大きなジハーディストのネットワークが存在し、その中でアルカイダはとてもつながりが弱い構成要素だった。
  ――第50章 アメリカ同時多発テロ

 実際、ビン・ラディンを殺しても、パキスタン・アフガニスタン・イラク・シリアじゃ暴力の応酬は収まってない。ただ、最近は欧米でのテロのニュースがないけど、これはテロがなくなったのかメディアが興味を失ったのか、どっちなんだろ? 今はウクライナ情勢ばかりを取り上げるけど。

 それはともかく、どんな奴がテロリストになるのかは、「テロリストの誕生」にあるのと一致する。

ジハードは常に(略)軽犯罪者を狂信者に変える、暴力は伴わないものの心を蝕む過激化の過程から始まる。
  ――第55章 革命をツイートする

 真面目な青少年じゃない。素行の悪いチンピラがムショで勧誘されるのだ。とはいえ、彼らの育成・生活環境である、欧米に住むイスラム教徒たちの世界観も結構アレで…

(2016年に)イギリスのイスラム教徒を対象とした意識調査の結果は、(略)9.11テロを「ユダヤ人」のせいだと非難する人(7%)が、アルカイダの仕業だという人(4%)より多かった。
  ――第55章 革命をツイートする

 このユダヤ人憎悪ってのは、なんなんだろうね。かくいう私はユダヤ人の定義すらわかってないんだが。日本人の朝鮮人/韓国人憎悪みたいなもん?

 とかの社会学的な視点に加え、数学的な視点を加えているのも本書の特徴だろう。いきなり初めの方で、こんな事を言って読者にヒザカックンかましてたり。

階層性はネットワークの対極には程遠く、特別な種類のネットワークにすぎない
  ――第7章 さまざまなネットワーク

 うん、確かにネットワーク理論(→Wikipedia)じゃそうなるけどさあw

 とはいえ、あまし数学の突っ込んだ話はなくて、こんなネタとかは親しみやすい。

コンピュータ科学者メルヴィン・コンウェイ(→Wikipedia)
「システムを設計する組織は、必然的にその組織のコミュニケーション構造によく似た設計しか生みだせない」
  ――第46章 インターネットの誕生

 また、IT系の技術者は、こんな言葉に思わずうなずくと思う。

「システムは迅速か、開放的か、安全になりうるが、これら3つのうちの2つだけしか同時に成り立たない」
  ――第58章 ネットワークの機能停

 これはITシステムに限らず、人間同士の集団/組織でも成り立ちそうだ。迅速かつ開放的なら、スパイや扇動者が潜り込みやすい。少人数の閉鎖的な組織は迅速に動けて秘密を保てるが、誰にでも開かれてはいない。判断を慎重に下すなら開放性と安全性を確保できるだろうけど、臨機応変な対応は無理だ。

 と、そんな風に、組織や集団の性質を、塔=階層型 vs 広場=ネットワーク型という2極の座標系で見て、それぞれの性質や向き不向きを考え、数学のネットワーク理論も活用し、また歴史上の様々な組織/集団を当てはめて検証した本だ。数学を史学や社会学に応用する手法も感心したし、大作で圧迫感がある割には意外と読みやすかった。

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2023年9月29日 (金)

植村和代「ものと人間の文化史169 織物」法政大学出版局

織物技術は、今から一万年以上前に発明された人類初の機械生産技術であった。
  ――はじめに

10~5万年前、ホモサピエンスの出現によって、人類は石器において石刃を開発するとともに、編みや組みの技術を生み出した。籠や袋や網などが作られるようになったのである。
  ――第1章 人間特有の織物文化

人類初の機械化を成し遂げた織物文化の核心は、逆転の発想による、綜絖(そうこう)という一括操作の仕掛けである。
  ――第1章 人間特有の織物文化

この書では、(織機の)三種類の基本形について、錘を下げて張る織機を「錘機」、地面を利用して張る織機を「地機」、人体の腰で張る織機を「腰機」と表記する…
  ――第2章 古代の織物と織機

腰機は生産性を求めない。
  ――第2章 古代の織物と織機

織物技術の衰退は、概して、まず染色が安易になり、糸を作らなくなり、織る時の手間をいやがる、という順序で起こるように私は思う。
  ――第4章 花織の源流

弥生時代から古墳時代初期までの日本の織物は、絹を含めてすべて平織であった
  ――第5章 大和機の系譜

【どんな本?】

 今ではふんだんに手に入る布/織物だが、かつては手作りだった。とはいえ、それなりに機械化・効率化はしていた。織機である。

 人力ではあるが、織機の機構は複雑かつ精巧で、また地域・文化ごとのバラエティにも富む。もちろん、それを使う織り手の技術や、出来上がる織物も。

 著者は古文書を漁り、日本各地はもちろんタイ・カンボジア・イランなどアジア各地にも出かけ現地の織機を取材し、また古墳から出土した布を再現するために自ら糸を紡ぎ機を織り、果ては多くの人の協力を得て織機まで創り上げ、その使い勝手や織り方のコツを探り、それぞれの織物と織機そして織り手の技術へと迫ってゆく。

 主に東南アジアから日本を舞台とし、力織機より前の織機および織物の技術と歴史、そしてその伝播を探る、専門家向けの文化史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年12月15日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約333頁。9ポイント47字×19行×333頁=約297,369字、400字詰め原稿用紙で約744枚。文庫なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はそこそこ読みやすい。ただし内容はかなり高度で、繊維や衣料そして織物に詳しい人向けだ。自ら機を織る人向けと言っていい。また縞や絣など専門用語の説明が後から出てきたりする。たぶん、元は六つの論文で、それをまとめ加筆訂正して一冊の本に仕上げたんだろう。

【構成は?】

 古代から近世まで、時代ごとに進む。ただし各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • まえがき
  • 第1章 人間特有の織物文化
  • 1 人間と衣文化
    人間独自の文化/最初の衣料 毛皮/衣文化の象徴 紐衣
  • 2 編みと組み 織物はその簡易版
    編組の技術/繊維の発見
  • 3 組みから織りへ
    スプラングと織物/織物とは/方形の平面
  • 4 機械文明の曙
    機械文明と現代日本/織物の美は品格の美
  • 第2章 古代の織物と織機
  • 1 古代の織物
    織物の発明/聖なる布/緯糸と経糸の張り方
  • 2 地機と錘機
    三種類の基本形と地機/錘機の歴史/錘機と自在性
  • 3 腰機 東アジア
    腰機の背景/腰機の歴史/腰機と精神性/西と東の織物文化
  • 第3章 幻の織物 倭文
  • 1 縄文の布
    アイヌの花ゴザ/アンギン編みと錘機/俵・薦作りの技術
  • 2 弥生時代の絹織物
    東アジア海域世界/弥生時代の絹織物
  • 3 古墳時代初期の縞織物
    下池山古墳出土絹織物/下池山古墳出土裂と古墳時代の絹織物/再現の問題点 六機か腰機か/再現の問題点 絹と麻の併用
  • 4 倭文と卑弥呼の「斑布」
    文献に見る倭文/(平安時代まで)/(中世以降)/倭文部について/古代の絹織物/「斑布」をめぐって
  • 第4章 花織の源流
  • 1 沖縄の花織
    花の意味/沖縄の花織/東南アジアの紋機と腰機
  • 2 花織の技法
    インドネシアとブータンの技法/花織の基本技法
  • 3 タイ族、ラオ族の紋機
    雲南タイ族の紋機 退化形を考える/タイラオを訪れる/タイラオの織物文化/タイラオの機械
  • 4 ラオ族から沖縄へ
    タイラオの紋仕掛け/沖縄花織との類似/アユタヤ貿易と花織の伝来
  • 第5章 大和機の系譜
  • 1 近世上方の平織物
    麻と木綿/奈良晒/河内木綿/大和絣/木綿の普及と商品織物
  • 2 大和機の特性
    大和機導入の謎/製織性の実験/風合いとは何か
  • 3 傾斜織機の系譜
    傾斜織機の構造と機能/腰織の変遷/径糸傾斜の普遍性
  • 第6章 近世日本の織機
  • 1 『機織彙編』の織機
    『天工開物』と『機織彙編』/花機と木綿機/二つの絹機
  • 2 ペルシアの織機と大和機
    大和機/イランのチャドルシャブ織機/東南アジア大交易時代と大和機の成立
  • 3 カンボジアの織機と絹機
    カンボジアの織機/米沢の長機と関東の厩機/東日本の絹機/混合する形式
  • あとがき

【感想は?】

 技術史だ。歴史の一分野である。だが、著者の姿勢は、私たちが考える歴史家とは全く異なる。

 もちろん、文献は漁るし、その視野も広い。例えば「第5章 大和機の系譜」と「第6章 近世日本の織機」では、奈良晒とその製造機械である大和機を巡り、各地の古文書を漁っている。

 が、それ以上に、自ら糸を依り機を織る、ばかりでなく織機まで創り上げ、当時の工程を再現するのには驚いた。意外と肉体派・実践派なのだ。

 この姿勢のクライマックは、4世紀前半ごろとされる下池山古墳(→Wikipedia)から出土した縞織物を再現しようとする「第3章 幻の織物 倭文(しず、→コトバンク)」だろう。

 この織物、密度が凄い。1cmに経糸65本×緯糸17本/50本×22本/48本×29本/56本×17本/53本×17本とか、とんでもねえ緻密さである。飛び杼もない古墳時代に、そこまで緻密な布を織るには、どんだけ手間をかけたんだか。

 そもそも、絹ってのが凄いよね。桑を育て蚕に食べさせ蛹を茹でて糸を巻き取りと、糸にするまでの手間だけでも頭が言いたくなる。古墳みたくデカいモノは、それだけの労力を使役する権力の強さがひと目でわかるけど、布みたく細やかなモノにも、見る人が見れば、そこにも権力の強さが現れるのだ。

 また、同じ絹でも、中国と日本の違いも興味深い。中国の絹は依らないが、日本では依るとか。

 加えてこの織物、「経糸に絹と麻を同時に使っている」。素人の私は「だから何?」としか思わなかったのだが、著者が自ら織ると、大きな問題が浮き上がってくるのである。「緯打ちをするたびに麻糸はパラパラと切れた」。絹と麻の性質の違いが、トラブルを引き起こすらしい。

下池山古墳出土縞織物の最大の謎は、経糸に絹と麻を同時に使っている点である。絹と麻はそれぞれ繊維の特徴が違い、絹は柔軟で切れることも少ないので、適切に扱えばそれほど難しいものではない。むしろ一見素朴に見える麻の方が硬く、伸びにくく、切れやすく、扱いは難しい。
  ――第3章 幻の織物 倭文

 これに対し、著者は麻を水で濡らしたりと様々な対策を講じるが、結局あまりうまい手は見つからなかったとか。こういう、実際に作ってみたら問題が見つかりました、なんてあたりは、身につまされるエンジニアも多いんじゃなかろか。現実というのは、ヒトの想像を超えて複雑なのだ。

 ただ、ここで重要な概念となる「縞」の説明が、ずっと後の第5章に出てくるのは、ちと不親切。たぶん、原因はこの本の成立過程だろう。元は複数の論文だったのをまとめて加筆訂正し、一冊にしたため、こうなったんだと思う。

縞(嶋)というのは、予め色違いの糸を用意しておいて、整経の時にあるいは織る時に、色を変えて直線模様を表す織物の技法(略)またこの技法で織った織物を指す(略)
絣というのは、糸を括って染め、括った部分が染まらないことを利用して、色違いで文様を表す織物の技法(略)またこの技法で織った織物のこともいう。
  ――第5章 大和機の系譜

 この第4章と第5章では、ラオスやカンボジアそしてイランを巡り、各地の織機や織物を調べる過程で、ユーラシア東部と海をめぐる壮大な仮説が浮き上がってくるのも面白い。その証拠が、個々の織機の構造や仕組みといった、実に細かい話なのも、ミステリっぽい味がある。

イランの織機を慶長の頃(1600年頃)奈良晒生産に導入し、日本近世の高機として確立したのが、大和機である可能性は高い。
  ――第6章 近世日本の織機

 かなり専門的な本でもあり、素人の私は正直言って1割程度しか理解できてないと思う。それでも、実際に自らの手で過去の技術を再現しようとする著者たちの熱意は、否応なく伝わってきた。意外と汗臭い学問の現場の匂いが漂う、泥臭い本だ。こういう本が気軽に読める、現代という時代の有難みをつくづく感じる。

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2023年8月 8日 (火)

マイケル・フレンドリー&ハワード・ウェイナー「データ視覚化の人類史 グラフの発明から時間と空間の可視化まで」青土社 飯嶋貴子訳

本書が提起する中心的な問題は、「数字をグラフで表す方法はどのように出現したか?」、そしてもっとも重要なことに「それはなぜか?」ということだ。
  ――はじめに

19世紀英国の疫学者ウィリアム・ファー「病気は治すより防ぐほうが簡単であり、予防の最初のステップは既存の原因を発見することである」
  ――第4章 人口統計 ウィリアム・ファー,ジョン・スノウ,そしてコレラ

人間の目は、表示されたものの長さではなく面積を感知する傾向にある
  ――第4章 人口統計 ウィリアム・ファー,ジョン・スノウ,そしてコレラ

グラフ手法は長い間、二次元の表面に限定されていた。
  ――第8章 フラットランドを逃れて

ミース・ファン・デル・ローエ(20世紀ドイツの建築家、→Wikipedia)
「少ないことはよいことだ」
  ――第10章 詩としてのグラフ

【どんな本?】

 割合を示す円グラフ、変化を表す線グラフ、関係を見せる散布図、風景を写し取る写真、そして動きを表すアニメーション。いずれも共通した性質がある。下手な文章より、はるかに短い時間でわかりやすく強烈にモノゴトを伝えるのだ。

 これらは、いつ、誰が、何を伝えるために生み出したのか。それは、私たちにどんな影響を与えたのか。

 コンピュータとインターネットの普及により、最近はさらに身近になったグラフや図表について、その起源と歴史と進歩、そしてその影響を描く、少し変わった歴史と科学の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A History of Data Visualization & Graphic Communication, by Michael Friendly and Howard Wainer, 2021。日本語版は2021年11月10日第一刷発行。私が読んだのは2022年4月10日の第三刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約342頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×18行×342頁=約283,176字、400字詰め原稿用紙で約708枚。文庫なら厚めの一冊分…と言いたいところだが、グラフや図表を多く収録しているので、文字数は8割ぐらいか。

 文章はやや硬いというか、まだるっこしい。まあ、青土社の翻訳物だし。ただし内容はわかりやすい。なんたって、モノゴトを分かりやすく伝える手段を扱ってるんだし。何より、多くのグラフや図表を収録しているのが嬉しい。しかも一部はカラーだ。敢えて言えば、もっと版が大きければ、更に迫力が増しただろうなあ、と思う。もっとも、価格との釣り合いもあるんだけど。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、できれば頭から読んだ方がいい。が、とりあえず味見するなら、257頁からのカラー図版をどうぞ。

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  • はじめに
  • 第1章 始まりは……
  • 第2章 最初のグラフは正しく理解していた
  • 第3章 データの誕生
  • 第4章 人口統計 ウィリアム・ファー,ジョン・スノウ,そしてコレラ
  • 第5章 ビッグバン 近代グラフィックの父、ウィリアム・プレイフェア
  • 第6章 散布図の起源と発展
  • 第7章 統計グラフィックスの黄金時代
  • 第8章 フラットランドを逃れて
  • 第9章 時空間を視覚化する
  • 第10章 詩としてのグラフ
  • おわりに
  • さらに詳しく学ぶために
  • 謝辞/註/参考文献/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 まず気づくのは、地図と関係が深い点だ。

 最初の例からして、地図作成者の手によるものだ。17世紀オランダのミヒャエル・フローレント・ファン・ラングレン(→Wikipedia)が作った、トレド・ローマ間の経度距離の概算図だし。

 やはり勃興期の例として出てくるのも、地図だ。19世紀前半のフランスで、教育レベルや犯罪の多寡を県ごとに色付けした地図が出てくる。これらは、それまでのインテリたちの議論とは全く違った現実の姿を見せつけた。

19世紀フランスの弁護士アンドレ=ミシェル・ゲリー
「毎年、同じ地域で同じ程度に発生する同じ数の犯罪が見られる。……われわれは、道徳的秩序の事実が、物理的秩序の事実と同様に、不変の法則に左右されると認識せざるを得ない」
  ――第3章 データの誕生

 この傾向の頂点は、ナポレオンのロシア遠征で大陸軍が消耗していく様子を描いた、あの地図だろう(→英語版Wikipedia)。心当たりがない人は、ぜひ先のリンク先をご覧になっていただきたい。ナイチンゲールが作ったクリミア戦争犠牲者を示すグラフ(→Wikipedia)と並び、世界でもっとも有名なグラフだ。

(シャルル・ジョゼフ・)ミナール(→英語版Wikipedia)の最高傑作は、失敗に終わった1812年のロシア遠征中にナポレオンの大陸軍によって大量の人命が奪われたようすを描いたものである。
  ――第7章 統計グラフィックスの黄金時代

 こういった視覚化が、人々の考え方まで変えていくのも面白い。

実データをプロットすることには、莫大な、また多くが思いがけない利点があった。
(略)科学に対する近代の経験的アプローチが生まれた。
観測によって得たデータ値をグラフに表し、そこに暗示されるパターンを見つけ出すという方法だ。
  ――第1章 始まりは……

米国の統計学者ジョン・W・テューキー(→Wikipedia)
「図解の最大の価値は、それが、われわれの予想をはるかに超えるものに気づかせてくれたときである」
  ――第5章 ビッグバン 近代グラフィックの父、ウィリアム・プレイフェア

 あーだこーだ考えるより、まずデータを集めて、そこから現れるパターンを見つけよう、そういう考え方である。なんのことはない、経験主義というか科学というか、そういう発想だ。もっとも、そのためには、大量のデータを集めなきゃいけないんだけど。

 とはいえ、その利用の多くが、科学ではなく社会・経済方面なのも意外だった。本書に出てくる例の多くが、国勢調査や経済統計だったり。

19世紀初頭に統計グラフィックスの基本的形式の発明の発端となったある重要な発展は、社会問題(犯罪、自殺、貧困)と病気(コレラ)の発生に関するデータの幅広い収集だった。
  ――第7章 統計グラフィックスの黄金時代

 ここでは「感染地図」で主役を務めたジョン・スノウが登場して、ちょっと嬉しかった。あの地図(→Wikipedia)には、やはり強いインパクトがあるよね。

 これらの経緯を経て、グラフの代表ともいえる円グラフ・棒グラフそして折れ線グラフを開拓したのが、18~19世紀イギリスのウィリアム・プレイフェア。彼がグラフ作成に入れ込むきっかけが、これまた面白い。

ウィリアム(・プレイフェア)は、一日の最高気温を長期にわたって記録するという課題を兄から課されたことを思い起こしている。(兄の)ジョンは彼に、自分が記録したものを、隣り合わせに並べた一連の温度計と考え、(略)それらをグラフに記録するように教えた。
  ――第5章 ビッグバン 近代グラフィックの父、ウィリアム・プレイフェア

 兄ちゃん、なんと賢くセンスもいい事か。つかこの発想、今でも使えるよね。

 さて、それまでグラフは時系列や国/地域別を表すものだった。が、それ以外の二つの値の関係の深さを表すのに便利なのが、散布図。この発想のきっかけが、今思えば当然ではあるが…

散布図の第一の前提条件は座標系という考え方だった。(略)たとえばある線の一次方程式y=a+bxなどのような…
  ――第6章 散布図の起源と発展

 デカルト座標系または直交座標系(→Wikipedia)の考え方だね。変数xの変化に伴い、値yも規則的に変わる、そういう関係だ。

 とかの「人間による視覚化」ばかりでなく、科学と技術の進歩は機械による視覚化も可能にする。その好例が写真だ。今でもX線写真は医師の頼もしい見方だし。本書では生物、それも人間の運動を研究するのに連続写真を活用し、そのために自ら1秒に12フレームを記録できる写真銃を開発した19世紀フランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレー(→Wikipedia)を紹介している。彼曰く…

「生命の現象において明確なのは、まさに物理的・機械的秩序をもつ現象である」
  ――第9章 時空間を視覚化する

 彼の撮影した、クラウチング・スタートで短距離走者が走り出すシーンを写した連続写真は見ごたえがある。

 同様に、運動を撮影したものとして、猫の宙返りで物理学者が悩む話(→Wikipedia)には笑ってしまう。当然ながら何度も猫が投げられるのだが、その連続写真を見たネイチャー誌の筆者曰く…

「最初の連続写真の終わりに猫が見せた、尊厳が傷つけられたような表情は、科学的調査に対する関心の欠如の現れである」
  ――第9章 時空間を視覚化する

 そりゃ猫も納得せんだろw

 などといった写真は事実を写し取るものだが、視覚化にはもう一つの側面がある。顕著なのがナイチンゲールによるクリミア戦争犠牲者のグラフだ。このグラフには、ハッキリした目的がある。野戦病院を清潔に保つよう、政府に働きかけることだ。視覚化は、メッセージを伝える強い力を持つ。この点の危険に気づき、早くから警告も発せられていた。

ジョン・テューキー(20世紀アメリカの数学者、→Wikipedia)
「正確な問題に対するおおよその解答は、しばしば曖昧であるが、間違った問題に対する正確な解答よりもはるかによい。後者はつねに、故意に正確にすることができるからだ」
  ――第9章 時空間を視覚化する

 表紙がナイチンゲールの鶏頭図なだけに、グラフの歴史かと思ったが、地理・地図との関係が深いのは意外だった。また、科学より社会系の例が多いのも意表を突かれた。加えて、19世紀末~20世紀初頭の政府刊行物が、思ったよりカラフルで図表を多用していたのも知らなかった。

 文章こそやや冗長でいささか硬いが、有名で見ごたえのあるグラフをたくさん収録しているのは嬉しい。また、現代のグラフの多くを産みだしたウィリアム・プレイフェアを知れたのも収穫だった。技術史に興味がある人にお薦め。

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2023年7月18日 (火)

ソフィ・タンハウザー「織物の世界史 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか」原書房 鳥飼まこと訳

衣服は、私たちの歴史から生まれたものなのだ。
  ――はじめに

糸の登場によって、人類の居住可能な地域が急速に拡大したというのだ。糸のおかげで、人類は網、罠、縄、紐、釣り糸を作ったり、複雑な道具を作るために物と物をつなぎ合わせたりすることができるようになった――つまり、獲物を捕獲し、食べ物を集めるための新たな手段を手に入れたというわけだ。
  ――第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ

多くの女性にとって、リネンは所有することのできる唯一の財産だった。
  ――第2章 下着

【どんな本?】

 サラリとしたリネン(亜麻),万能素材の綿,しなやかな絹,あたたかな羊毛,そして多様な合成繊維。これらが現代の私たち消費者の手元に届くまでには、世界中の人々の歴史と物語、暮らしと想いが織り込まれている。

 農民が畑の隅で育てた亜麻、土地と淡水を食いつぶす綿、先端の遺伝子技術を用いた絹、工場での大量生産を象徴する合成繊維、歴史を受け継ごうとする羊毛。織物の歴史と今を追い、著者は地元アメリカ合衆国の各地はもちろんホンジュラス・イギリス・中国と世界中を巡り、織物が生まれ私たちの手元に届くまで、その過程と関わる人々の姿を描き出す。

 エネルギッシュな取材と色とりどりの歴史エピソードで綴る、織物と人類のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Worn : A People's History of Clothing, by Sofi Thanhauser, 2022。日本語版は2022年12月21日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約392頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×392頁=約350,056字、400字詰め原稿用紙で約876枚。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらい。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。「織る」と「編む」の違いや、「セルヴィッジ」など、衣服関係の知識があると、更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  •  リネン
  • 第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ
  • 第2章 下着
  •  綿
  • 第3章 テキサスの大地
  • 第4章 衣料革命
  • 第5章 干ばつ
  •  
  • 第6章 揚子江シルク
  • 第7章 衣装騒乱
  • 第8章 マスファッションの台頭
  •  合成繊維
  • 第9章 レーヨン
  • 第10章 ナイロン
  • 第11章 輸出加工区
  •  羊毛
  • 第12章 小さきものの群れ
  • 第13章 羊毛の祭典
  • 第14章 織る者
  • おわりに
  • 謝辞/訳者あとがき/注/参考文献

【感想は?】

 織物そのものより、その製造・生産に関わる人々の話が多い。

 洋の東西を問わず、織物に関わるのは、たいてい女だ。物語でも機織りは女の仕事だし、現実でも有名な富岡製糸場で働いていたのは女だった――経営者は男だけど。そして、本書は経営者ではなく労働者に焦点を当てている。

 最初の「第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ」では、リネン(亜麻)の歴史を辿りつつ、元は農家で自給自足していた亜麻が工業化するに従い、土地と労働力を使い捨てにしていく織物産業の姿に軽く触れる。以降、全体を通し同じ論調が続く。

 女工哀史なんて小説もあるくらいで、どうも製糸や織物の労働者の雇用条件は悪い印象がある。つまり安い賃金と劣悪な労働環境だ。以下は合衆国の綿栽培で働く労働者のレポートの一部。

アメリカ国内に居住するラテン系農家の平均寿命は49歳。対して、それ以外の国民の平均寿命は73歳から79歳となっている。
  ――第3章 テキサスの大地

 昔の合衆国南部のサトウキビと綿栽培は奴隷労働が支えていただ、それは今もたいして変わっていないようだ。この引用は農薬ラウンドアップの害を訴えている。

 その綿織物、元はインドが本場だった。

19世紀以前に行われていた綿布の大陸間交易において、すべてを取り仕切っていたのはインドの織物職人だった。
  ――第4章 衣料革命

 これが産業革命により、イギリスが覇者の座を奪う。

産業革命は衣料の革命だ。
  ――第4章 衣料革命

 ガンジーが糸車をインドの象徴にしたのは、こういう事情がある。紡績機が糸車の立場を奪ったわけだ。でも、消費者としては、安いのは魅力なんだよなあ。今着てるTシャツも大量生産の安物だし。

機械化によって生産性は370倍に向上し、(略)イギリス産の布の値段も下がった。1780年代初頭には116シリングだった綿モスリンが、50年後には同じ長さで28シリングになった。
  ――第4章 衣料革命

 その綿、肌触りは良いし汗を良く吸うし、一種の万能素材ではあるんだが、同時に淡水を大量に消費するのが困りもの。

20世紀のあいだに、水の消費量は6倍に増加している。これは人口増加率の2倍だ。(略)
ほかのどの分野よりも農業に使用される分量が多く、(略)その多くは綿のために使用されている。(略)
綿1kg当たりに8500ℓもの水が必要となる。対して、米は1kgあたり3000ℓ、トウモロコシは1kgあたり1350ℓ、小麦に至っては1kgあたり900ℓだ。
  ――第5章 干ばつ

 淡水を多く使う綿を輸入するのは、淡水を輸入するのと同じ意味がある。そういう視点はなかった。気候だけでなく、輸出入で見ても、日本は淡水に恵まれているんだなあ。

 続く「第6章 揚子江シルク」では、素材が絹に、舞台も中国に移る。かつて絹の名産地で桑畑が拡がっていた江南地方も、今は開発が進んで桑畑は滅びつつあり、生糸はベトナムなどから輸入してたり。ハイテク化も進んで…

「通常、繭は白いのですが」「今は黄色やピンク、水色などがあります。どうしてかというと……」「遺伝子組み換え」
  ――第6章 揚子江シルク

 なんか無茶やってる気もするが、もとの蚕からして家畜化して野生じゃ生きていけない種だしねえ。

 次の「第7章 衣装騒乱」では、フランスのパリがファッションの中心になった経緯が興味深い。これ、ルイ14世が意図的にブランド化したのだ。なかなか賢い政策だろう。

ルイ14世が統治していた1643年から1715年には、パリの労働者の1/3がファッション産業で働いていた。17世紀を通じて、特に最後の数十年間でパリは二倍になり、コンスタンティノープル、江戸、北京に次いで世界で四番目に大きい都市であったロンドンと並ぶまでになった。
  ――第7章 衣装騒乱

 続く「第8章 マスファッションの台頭」では、衣服の「作るもの」から「買うもの」への変化を描く。昔は服といえば家で作るか、仕立て屋に頼むものだったのだ。

南北戦争以前は、外に着るための既製服といえば船乗りか奴隷用に作られたものだけだった。
  ――第8章 マスファッションの台頭

 これを変えたのが、やっぱり出ましたよ戦争。

既製服産業がより大きな消費者市場に向けて大きく一歩を踏み出すきっかけとなったのが、標準サイズの登場だ。南北戦争のあいだ、軍服を作るにあたって徴集兵の採寸が行われた。大勢の人間の採寸データによって、汎用性のあるいくつかのサイズの幅を定めることができた。
  ――第8章 マスファッションの台頭

 「カレーライスの誕生」でも、日本でカレーライスが普及したきっかけは軍隊だ、なんて説もあって、どうも大規模な軍や戦争は、庶民の文化に大きな影響を与えるものらしい。

 これをさらに後押ししたのが、百貨店。

1880年代にデパートがアメリカで台頭し、1915年までには既製服売り場がデパートでは一般的なものとなった。
  ――第8章 マスファッションの台頭

 当時はデパートが流行の最先端だったのだ。

 こういったマスプロ化の象徴ともいえるのが合成繊維。ただし、労働環境への配慮が緩い時代には、多くの労働災害があった。

労働者の四人に一人が二硫化炭素に起因する深刻な中毒症状に見舞われていると結論づけられたのである。
  ――第9章 レーヨン

 この章が描く経営者側の強欲な姿勢は、資本主義の残酷な側面をまざまざと見せつけられる。タバコ産業とかも、こんな感じなんだよなあ。

 続く「第10章 ナイロン」は、太平洋戦争前後からの日米関係を取り上げていて、なかなか興味深い。

1939年10月24日、ナイロンのストッキングが初めて登場したとき、デラウェア州ウィルミントンでは4000足が三時間で完売した。
  ――第10章 ナイロン

 これと似たテーマは次の「第11章 輸出加工区」へと引き継がれ、グローバル化のダークサイドを暴きだす。

衣料品ブランドは、世界のどこであれ一番安く引き受けてくれる相手に製品の製造を委託し、消費者の目に映る自分たちと現場の真実を引き離す。
  ――第11章 輸出加工区

 消費者としちゃ服が安く買えるのは嬉しいが、そのツケは誰かが負ってるのだ。その分、生産地の仕事が増え賃金が上がってりゃともかく、そうはいかない構造があったりする。

 これらの暗い話題が続いた後の「羊毛」では、マスプロ化に逆らおうとする人々を描く。例えば…

日本の製造者は、細幅シャトル織機でセルヴィッジデニムを作る工程を発展させ、(略)アメリカの男性服の細部にまでこだわるべく、ノースカロライナの木造工場の床で鋳鉄機械を稼働したがために生じてしまったエラー箇所までも見事に模倣し、「スロー」な製造工程を開発したりもした。
  ――第12章 小さきものの群れ

 これはVANかな? 70年代の日本の若者にとって、アメリカは憧れの国だったのだ。UCLAのトレーナーとか、今でもあるし。でもって、エラーまで再現するあたりは、B-29を完全コピーしたソ連のTu-4を彷彿とさせる。

 次の「第13章 羊毛の祭典」は、イングランド北部~スコットランドの牧羊の歴史を辿りつつ、イングランド北部コッカーマスで催されるウールフェストのレポートが楽しい。羊毛も、多くの種類があって、マニアも細かい拘りがあるのだ。

中世イングランドの羊毛の品質が素晴らしかったのは、皮肉なことに牧草が貧弱だったおかげだ。羊がもっと栄養のある牧草を食べていれば、体はもっと大きくなり、それに比例して繊維径も太くなっていたことだろう。
  ――第13章 羊毛の祭典

 羊が良い環境で育てば羊毛も良くなるワケじゃないってのが、面白い所。

 また、織物には、創作としての側面もある。創作だから、別に伝統に沿ったものに限らず、作者が創造力を発揮してもいい。

アフガニスタンで編まれたパイル織りの絨毯には、ソビエトのヘリコプターを撃ち落とすスティンガーミサイルが織り込まれている。
  ――第13章 羊毛の祭典

 この伝統と創造の葛藤を描くのが、次の「第14章 織る者」。ここでは、ナバホ織りを現代に蘇らせようとする人々を報告しているんだが、肝心のナバホ織りが、時代によって積極的に新技術や斬新なデザインを取り入れてきた歴史があり、伝統って何だろうね、などと思ったり。それはともかく…

地面の穴を抜ける際に、蜘蛛女――ナバホ族の織物の女神であり、偉大なる助力者であり、教師であり、人類の保護者――に出会うことができると信じられている。
  ――第14章 織る者

 あ、やっぱり、どこでも蜘蛛は織る者の象徴なんだ、と妙な点に感心してしまった。

消費者が安く手に入れることができるのは、コストを外部化しているためである。
  ――おわりに

 「ツケを他人に回してるから安く上がるんだぞ」と厳しい姿勢で、その具体例を歴史上の文書や統計から世界の各地の現地レポートも含めてかき集めた労作で、読後感は苦い。と同時に、今の「あたりまえ」がどのように成り立ってきたのかがわかる、身近なモノの歴史の面白さもある。技術史や産業史が好きな人にお薦め。

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2023年6月19日 (月)

パトリス・ゲニフェイ/ティエリー・ランツ編「帝国の最後の日々 上・下」原書房 鳥取絹子訳

本書は、それら帝国の崩壊をまとめてとりあげた初の歴史書である。
  ――まえがき 永遠のくりかえし

歴史で定説となっているのは、定住民族は歩兵隊や重騎兵隊を、遊牧民は軽騎兵隊を優先するということだ。
  ――3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜 七世紀初頭 アルノー・ブラン

ヨーロッパのスペイン帝国内部での反乱は、この時代(16世紀~17世紀)、フランスのような中央集権の国に比べても多くなかった。もっとも大きな反乱がおきたのは16世紀のオランダで、それも教会分離による宗教戦争の一環だった。
  ――10 スペイン帝国の長い衰退期 1588-1898年 バルトロメ・ベナサール

イギリス帝国は構築に三世紀以上かかったのに対し、解体には40年もかからなかった。
  ――17 イギリス帝国の後退 帝国から影響力のある国へ 1945年から現在まで フランソワ=シャルル・ムジュル

非植民地化はまた独立した国家間での紛争の引き金になることも明らかになった。
  ――17 イギリス帝国の後退 帝国から影響力のある国へ 1945年から現在まで フランソワ=シャルル・ムジュル

【どんな本?】

 ローマ帝国,モンゴル帝国,スペイン帝国,大英帝国,唐や清などcの中華帝国,そしてソ連やアメリカ合衆国。歴史上には帝国と呼ばれる、または帝国を自称する国家が数多くある。

 それらの帝国はどのような形で配下の国や地方を従え、なぜ/どのように滅びたのか。

 帝国の形はそれぞれに異なり、滅び方も様々だ。本書は敢えて一貫した法則を見いだそうとはせず、各帝国の滅びゆく姿をそのままに描き出す。

 フランスの歴史家たちが集い、帝国が滅びる模様を綴る、歴史エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La fin des empires, Patrice Gueniffey et Thierry Lentz, 2016。日本語版は2018年3月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約272頁+233頁=505頁。9ポイント45字×18行×(272頁+233頁)=約409,050字400字詰め原稿用紙で約1,023枚。文庫でも上下巻ぐらい。

 文章は、学者の文章のわりに読みやすい。内容は章によりマニアックだったり大雑把すぎたり。これは著者と読者の関心のズレのせいだろう。例えば日本人の私からすると、アラブ帝国や中国をたった1章だけで済ますのは大雑把すぎるのに対し、カロリング帝国や神聖ローマ帝国はマニアックすぎるというか、そもそも帝国の名に値しないと思う。が、現代のフランス人向けには妥当なバランスなんだろう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  •  上巻
  • まえがき 永遠のくりかえし パトリス・ゲニフェイ,ティエリー・ランツ
  • 1 アレクサンドロスの帝国の終焉 紀元前331-323 クロード・モセ
  • 2 西ローマ帝国の長い断末魔 ジャン=ルイ・ヴォワザン
  • 3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜 七世紀初頭 アルノー・ブラン
  • 4 カロリング帝国の五回の死 800-899年 ジョルジュ・ミノワ
  • 5 アラブ帝国の未完の夢 七世紀-15世紀 ジャック・パヴィオ
  • 6 モンゴル帝国、見掛け倒しの巨人 13世紀-14世紀 アルノー・ブラン
  • 7 コンスタンティノープルの55日間 1453年 シルヴァン・グーゲンハイム
  • 8 一つの帝国から別の帝国へ メキシコ人からスペイン人へ 1519-1522年 ジャン・メイエール
  • 9 予告された死の年代記 神聖ローマ帝国の最後 1806年 ミシェル・ケローレ
  • 10 スペイン帝国の長い衰退期 1588-1898年 バルトロメ・ベナサール
  •  下巻
  • 11 ナポレオンまたはフランスの夢の終わり 1812-1815年 ティエリー・ランツ
  • 12 中華帝国の九つの人生 ダニエル・エリセフ
  • 13 オーストリア王家の終焉 1918年 ジャン=ポール・ブレッド
  • 14 オスマン帝国の最後 1918-1922年 ハミット・ボザルスラン
  • 15 第三帝国の最後の日々 1945年 ダヴィッド・ガロ
  • 16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン
  • 17 イギリス帝国の後退 帝国から影響力のある国へ 1945年から現在まで フランソワ=シャルル・ムジュル
  • 18 フランスの植民地帝国の悲劇 1945年-1962年 アルノー・テシエ
  • 19 ソ連の最後またはロシア帝国の二度目の死 1989-1991年 ロレーヌ・ド・モー
  • 20 アメリカ帝国は衰退に向かうのか? ピエール・メランドリ
  • 執筆者一覧/参考文献

【感想は?】

 歴史のつまみ食い。

 一応のテーマはある。世界史の中で、帝国が滅びる様を描く。とはいえ、滅びる原因となった共通した要素を見つけようとはしない。最初の「まえがき」で、あっさり「そういうのは無理です」と諦めている。潔い。

 だいたい「帝国」の定義すらハッキリさせていないし、「神聖ローマ帝国」みたく帝国の資格すらなさそうな例もあげたり。というワケで、あまし構えずに「歴史学者にテーマを示して記事を集めたエッセイ集」ぐらいに思って読もう。

 そういう気楽な態度で読むと、なかなか楽しい文章に出会えたり。

歴史では敗者はつねにまちがっていたことになる。
  ――8 一つの帝国から別の帝国へ メキシコ人からスペイン人へ 1519-1522年 ジャン・メイエール

 とかは、私たちが歴史と歴史書に抱く思い込みを見事に指摘してくれる。そうなんだよなー、なんとか理由や原因や責任者を見つけ、教訓を引き出そうとしちゃうんだよなー。それも自分の世界観に沿った形で。

 そういう歴史家らしい気の利いた表現もアチコチにあって、私はこれが好きだ。

あたかもローマ帝国はつねに死につづけているようだ。
  ――2 西ローマ帝国の長い断末魔 ジャン=ルイ・ヴォワザン

 ここで言うローマ帝国は、日本だと西ローマ帝国(→Wikipedia)と呼ばれる事が多い。「蛮族」により少しづつ覇権を失い衰えていったため、歴史家の間でも「いつ帝国でなくなったか」について、多くの説がある。それを表すには巧みな文章だ。

 この本、目次を見ればわかるように、欧州史に偏ってはいるが、世界全体を見渡す本なので、意外な発見もある。例えば「3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜」。ここではペルシアと中国の共通点を挙げている。

中国文明に次いで、ペルシア文明は歴史上もっとも衝撃に耐えてきた。
  ――3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜 七世紀初頭 アルノー・ブラン

 「ペルシア文明」であって、「ペルシア帝国」ではない点に注意。つまり地理的な話なのだ。中国は常に北方の遊牧民族の侵略に苦しんできた。ペルシアも同じで、やはり遊牧民族に苦しんできたとか。現代でも中国とイランが妙に仲がいいのは…いや、関係ないか。

 そんな西ローマ帝国に比べ、かなり長持ちしたのが東ローマ帝国ことビザンティン。でも苦労が続いたのは同じで…

ローマの普遍性という想像の産物を相続する千年をへた帝国、ビサンティンは、じつはほぼ永続的に戦争状態にあった。
  ――7 コンスタンティノープルの55日間 1453年 シルヴァン・グーゲンハイム

 まあ結局はオスマン帝国のメフメト二世によって滅びるんですが(→Wikipedia)。

 とはいえ、帝国とは言い難い政体を描く章も、歴史エッセイとして面白い。

 例えば「9 予告された死の年代記 神聖ローマ帝国の最後」は、ドイツ誕生前夜を語る。当時の神聖ローマ帝国は、日本の室町末期や戦国時代から大名どうしの争いを減らした感じだろうか。一応は皇帝が君臨するものの、実際は多くの諸侯の領が乱立し、国家としての政策はとれない状況だ。たぶん、当時の「ドイツ」は、国ではなく地域や文化を示す言葉だったんだろう。

 また「13 オーストリア王家の終焉」は、オーストリア=ハンガリー帝国の視点で見た第一次世界大戦といった感がある。バーバラ・W・タックマンの「八月の砲声」にせよリデル・ハートの「第一次世界大戦」にせよ、主にフランス・イギリス vs ドイツに焦点を当てているので、なかなか新鮮だった。また、帝国の崩壊がバルカン半島を火薬庫に変えた点は、オスマン帝国とも似ている。

 それと、カリスマのある父フランス・ヨーゼフから、経験もないのに最悪の状況で皇帝の座をまわされたカール一世には同情したくなる。戦況は敗戦続き、民衆は飢えて不満が高まり、臣下は四分五裂、各民族の独立機運は高まり、講和を申し込もうにも後ろからドイツに刺される始末。悲惨極まりない。とまれ、飢えた国民や敵の砲弾にさらされる兵士たちは違う意見だろうなあ。

 国家の興亡ってのは不思議なモンで、時おり一人の天才が大きな変化をもたらす事がある。「1 アレクサンドロスの帝国の終焉」では、勢いのまま突っ走っちゃったら大帝国になっちゃったアレクサンドロス軍の後始末を描く。ボスのアレクサンドロスが前に進むことしか考えてなかったんだから、分裂と崩壊は当然の結果って気分になる。

 それと似ているのが、チンギス・ハンの帝国だ。勢いで突っ走っているように見えて、実は馬のリレーによる通信網を整備してたりと統治にも気を配っていたんだが、アレキサンドロス同様に彼の死と共に帝国は分裂し…

チンギス・ハンは帝国の偉業を示す建築物は何も残さず、首都だったカラコルム(バイカル湖の南に位置していた)も生きながらえなかった。
  ――6 モンゴル帝国、見掛け倒しの巨人 13世紀-14世紀 アルノー・ブラン

 記念碑みたいのを残そうとしなかったのは、そんな余裕がなかったのか、それとも遊牧民の性か。しかも資料が怪しげな元朝秘史(→Wikipedia)しかないってのも、なんとも謎めいている。

 さて、往々にして現代の独裁者は軍や秘密警察を使った恐怖政治を敷く。そんな独裁者の気持ちがわかるのが、「11 ナポレオンまたはフランスの夢の終わり」。それまでの王は生まれながらの貴種であり、幼い頃から周囲にかしづかれて育ったし、本人も「自分は尊い存在で支配するために生まれてきた」と思い込んでいる。

 でもナポレオンのように実力で権力をもぎ取った者は、そういう思い込みがない。だもんで、どうしても不安がある。そこで、力を見せつけようとするのだ。まあ実際、シリアのアサドに国民は不満タラタラだったし。

ナポレオン・ボナパルト「わたしがこの立場を維持できるのは力によってだけだ」
  ――11 ナポレオンまたはフランスの夢の終わり 1812-1815年 ティエリー・ランツ

 先に「中国をたった1章だけで済ますのは大雑把すぎる」と書いた。これは著者も同じ考えらしく、「12 中華帝国の九つの人生」では…

中国で「一つ」の帝国を語るのは不可能だ。中国には多くの帝国があり、それぞれ領土も権力も狙いとする目的も違っている。
  ――12 中華帝国の九つの人生 ダニエル・エリセフ

 と、愚痴ってるw そうだよね、やっぱり。あの中国史をたった20頁で語るのはさすがに無謀で、中身もやや散漫で投げやりだったりw

 やはり歴史が長く最近まで続いた帝国としてオスマン帝国がある。ジワジワと領土を削られ第一次世界大戦でとどめを刺されたオスマン帝国だが、末期には自覚して改革を試みてはいたのだ。でも…

オスマンの法律家アフメッド・ジェヴデート・パシャ
「すでに存在する国を改革するより、無から国を作ったほうが簡単である」
  ――14 オスマン帝国の最後 1918-1922年 ハミット・ボザルスラン

 なんて愚痴は、巨大な旧システムの保守に携わるITエンジニア諸氏も激しく頷くんじゃなかろかw

 どうしても日本人として気になるのが「16 原爆で解体された大日本帝国」。有名なハル・ノート(→Wikipedia)で「中国からの撤退」を米国は求めていた。この中国ってのがクセモノで、満州は含んでいなかったって説がある。著者もそういう見解だ。

もし日本がもっと協調的な政策でのぞんでいたら、広大な満州を吸収することができていただろう。
  ――16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン

 だとしても、帝国陸軍の暴走はやっぱり止まらなかったと私は思うんだが、どうなんだろうなあ。いずれにせよ結果はご存知のとおり。やはり敗戦直後は国民の不信と不満は高かったようで…

われわれの指導層はアメリカ人についてこの点で嘘をついていたのだから、ほかの問題でもそうではないのだろうか? 1945年9月、左派系の「朝日新聞」がこのテーマをとりあげたら、読者から送られてきた手紙の約1/3が、開戦時1941年の指導層――とくに軍人――の処刑を要求していた!
  ――16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン

 と、政府と軍への批判は強かった。が、残念ながらキチンとした検証は行われず…

ドイツと違い、日本では戦犯が追跡されることはなかった。
  ――16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン

 ウヤムヤのまま復興へと向かう。ちゃんとケリをつけてたら、戦後史はだいぶ違っていただろうなあ。

 最後の「20 アメリカ帝国は衰退に向かうのか?」では、合衆国市民の意外な気持ちを綴る。帝国の地位を失うことへの恐怖だ。

 私は逆に合衆国の影響力は日々増している、と思っている。IT関係に携わる人は、たいていそうなんじゃなかろか。だってCPUの基本設計は Intel だし、OS は Microsoft で、インターネットの共通語は英語だ。成功してるサービスだって Amazon とか Google とか Twitter とか。あ、でも、マウスは Made in China か。

 でも、合衆国市民は違うらしい。周期的に「合衆国の影響力は減った」みたいな話が盛り上がる。たぶん、こういう「俺たちは落ちぶれつつある」って考えを持つ人は、どの国でも一定数いるんだと思う。「昔はよかった」の一種だね。とはいえ、日本は本当に落ちぶれてきたと思う。

 「帝国の滅亡」という統一テーマを掲げながらも、各帝国の成り立ちや多かれた状況そして滅亡の様子は異なる上に、各章の著者も違う。何より最初から、滅亡に共通する要因を見つけるなあんてのは諦めてる。それだけに散漫な印象はあるが、同時にバラエティに富んだ内容にもなった。歴史家によるエッセイ集ぐらいに考えて、気楽に読もう。

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2023年4月27日 (木)

ドミニク・フリスビー「税金の世界史」河出書房新社 中島由華訳

この本の目的は、現代の人びとに改めて税について考え、語りあってもらうことである。
  ――第3章 税金を取るわけ

その社会が自由であるか、専制的であるか――開放的か、抑圧的か――は税制から判断できた。
  ――第4章 税金の始まりの時代

下院議会で、奴隷制こそが南北戦争の原因であったと自由党のウィリアム・フォースターが断言したとき、そこかしこからこんな声が上がった。「違う、違う。関税だ!」
  ――第10章 アメリカ南北戦争の本当の理由

通貨制度とテクノロジーはともに進歩してきた。
  ――第15章 労働の未来

取引と交換によって、われわれは進歩するのだ。
  ――第16章 暗号通貨 税務署職員の悪夢

「インターネットが無料ならば、ユーザーは商品である」
  ――第17章 デジタルは自由を得る

国民の税負担が小さいほど――したがって、国民がのびのびとしているほど――それだけたくさん新発明や新機軸が生まれ、富が増えることになる。これまでの歴史ではずっとそうだった。
  ――第19章 税制の不備

土地はもっとも基本的な富である。また、もっとも不平等に分配されている富でもある。
  ――第20章 ユートピアの設計

【どんな本?】

 政府は税金を取る。給料からは所得税と住民税をピンハネする。税金とは言わないが、社会保険料と年金も差っ引いていく。酒には酒税が、車にガソリンを入れればガソリン税がかかる。というか、何であれ買い物には消費税がかかっている。家を持てば固定資産税を取るし、ささやかな預金金利まで2割以上を税金でふんだくる。

 なぜ政府は税金を取るのか。それを何に使うのか。歴史上、どんな税金があり、どんな影響を及ぼしたのか。

 イギリスの窓税,ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の1/10税,米国の関税,そして隠れた税金である意図的なインフレなどの例を挙げ、様々な税のエピソードを紹介すると共に、国家の制御下にないビットコインやアップル社などの国際資本など現代のカネの動きを見つめ、理想の徴税と政府支出の形を考える、一般向けの歴史・経済解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Daylight Robbery : How Tax Shaped Our Past and Will Change Our Future, by Dominic Frisby, 2019。日本語版は2021年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約271頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント46字×19行×271頁=約236,854字、400字詰め原稿用紙で約593枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。著者がイギリス人のためか、イギリスの例が多いが、高校の世界史の教科書に出ている話が大半だし、話の背景事情もちゃんと説明しているので、特に構えなくてもいいだろう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 第1章 日光の泥棒
  • 第2章 とんでもない状況からとんでもない解決策
  • 第3章 税金を取るわけ
  • 第4章 税金の始まりの時代
  • 第5章 税金とユダヤ教、キリスト教、イスラム教
  • 第6章 史上もっとも偉大な憲法
  • 第7章 黒死病がヨーロッパの租税を変えた
  • 第8章 国民国家は税によって誕生した
  • 第9章 戦争、借金、インフレ、飢餓 そして所得税
  • 第10章 アメリカ南北戦争の本当の理由
  • 第11章 大きな政府の誕生
  • 第12章 第二次世界大戦、アメリカとナチス
  • 第13章 社会民主主義の発展
  • 第14章 非公式の税負担 債務とインフレ
  • 第15章 労働の未来
  • 第16章 暗号通貨 税務署職員の悪夢
  • 第17章 デジタルは自由を得る
  • 第18章 データ 税務当局の新たな味方
  • 第19章 税制の不備
  • 第20章 ユートピアの設計
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/注と出典

【感想は?】

 カテゴリーは「歴史/地理」としたが、むしろ経済、それも政府の財政がテーマだろう。

 経済学の本は、著者の姿勢で好みが別れる。本書は小さな政府を好む立場だ。無政府主義とまではいかないが、不器用な政府より「神の見えざる手」の方がたいていの事は上手くやる、そういう考えである。

偉大な文明の誕生は低い税負担と小さな政府を、その凋落は高い税率と大きな政府をともなうのである。
  ――第5章 税金とユダヤ教、キリスト教、イスラム教

 理想の政府の具体例として挙げているのが、香港だ。

私の考えるユートピアは、大まかに香港を参考にしており、現行の制度の逆を行くものになっている。
  ――第20章 ユートピアの設計

 香港と言っても、中国共産党の政策を支持してるワケじゃない。むしろ逆だ。中国返還前の、イギリス統治の時代を理想としている。これがハッキリと現れているのが、第2章。当時の政府財政を担ったジョン・ジェイムズ・カウパスウェイト曰く…

「私はほとんど何もしなかった」
「ただ、余計なことをしでかしかねない要素のいくつかを排除しただけである」
  ――第2章 とんでもない状況からとんでもない解決策

 海に面していて貿易に有利って立地条件はあったものの、土地は狭いながらも経済的に繁栄したのは確かだ。似た例として、シンガポールを挙げている。つまり、著者はそういう人だ。

 改めて全体を見ると、読者が税金を憎むように仕向ける構成になってるんだよなあ。いや確かに私も税金は嫌いだけどw 確かに政府ってのは、あの手この手で税金を取ろうとするんだよな。そして頑として減税には応じない。

税は、資金が必要なときに設けられる。たいていは戦費を賄うためである。
臨時税として設定されるが、後日にその期限が撤廃される。
  ――第1章 日光の泥棒

 そういや復興特別所得税、今調べたら2037年までってマジかい。本当に震災の復興に使ってるんだろうか。まあいい。震災は天災だが、戦争は人災だ。そして戦争はカネがかかる。そのカネはどうやって調達するか。大きく分けて二つ、税金と借金(国債・公債)だ。この借金が曲者で。

安易な借金は安易な戦争を招いた。
  ――第9章 戦争、借金、インフレ、飢餓 そして所得税

 もう一つの調達方法、税金も、税制を大きく変えてしまう。例えば所得税。

1938年、イギリスの所得税納税者は総人口約4750万人のうちの400万人だった。終戦時には、その三倍である1200万人を超えていた。アメリカの高所得者の税率94%も過酷だったが、イギリスのそれはなんと97.5%に達していた。
  ――第12章 第二次世界大戦、アメリカとナチス

 「21世紀の資本」の主張の一部は、こういう事なんだろうなあ。で、その性質は戦後も残り…

今日でも、所得税率は第二次世界大戦にかかわった国のほうが高い傾向にある。
  ――第13章 社会民主主義の発展

 イギリスの厳しい累進課税は1970年代まで残ってて、有名なロック・ミュージシャンの多くがアメリカに脱出してた。ちなみに銭ゲバと思われがちなポール・マッカートニーはイギリスに住み続け、社会性の強い芸風のジョン・レノンはアメリカに住んでた。

 もう一つ、隠れた増税がインフレである。先の引用で、イギリスの所得税納税者が増えた例を挙げた。インフレは、税収を増やし借金を減らすのである。

 2023年4月現在の日本では、年収が103万円未満なら所得税はかからない。年収100万円なら取得税はなしだ。だが、物価が10%上がり、年収も10%増えたら? 一見トントンだが、所得税の対象になる。政府は増税せずに、税収を増やせるのだ。

 それともう一つ、政府はインフレで美味しい思いをする。国債・公債の償還が楽になるのだ。

(政府が通貨価値の引き下げとインフレを引き起こす)最終的な目標は、ほぼつねに、債務、とりわけ政府債務の価値を減じることと、財政支出を可能にすることだ。結果として、資産――すなわち国民の財――の価値は政府に移動することになる。
  ――第14章 非公式の税負担 債務とインフレ

 今の日本の国債残高は1,029兆円でGDPの250%を超える(→財務省)。極端な話、物価が10倍になって給与も10倍になれば、単純計算でGDPも10倍になって国債残高はGDPの25%になる…日本円で考えれば。ラッキー。いや現実にはそう簡単にいかんだろうけど。

 政府がインフレを望むのは、そういう理由です。ちなみにインフレの影響は、誰もが同じってワケじゃない。負担の大きい人と少ない人がいるのだ。

インフレ税は資産――不動産、会社、株式、さらには美術品や骨とう品――を所有する人びとに恩恵をもたらす。通貨の価値が下がれば、こういう資産の価値が上がりやすいからだ。それと同時にインフレ税は、給与や貯蓄を頼みにする人々に損失をもたらす。
  ――第19章 税制の不備

 最近の政府やマスコミの「インフレは望ましい」って主張、なんか胡散臭いなあと感じてて、それは私がオイルショックを憶えてるからかと思ってたんだが、それだけじゃなかったんだな。

 とまれ、ビットコインなら日本円のインフレとは無関係でいられる。なにより、税務署の手入れから逃れられる。

ある対象(有形経済)は、その他にくらべて(税務署に)目をつけられやすいのだ。
  ――第18章 データ 税務当局の新たな味方

 今後は更にビットコインでの取引、それも国際的な取引が活発になるだろう。となると、政府はどこからどうやって税金を取ればいいのか。

 著者は、ちゃんと歴史的に実績のある例を示しているし、なかなか説得力があると思う。完全ではないけど、昔も今も完全な税制はなかった。議論のたたき台としては面白い案だ。

 税金をテーマとしながら、政府というシロモノの普遍的な性質に切り込んでいく。そこで見えてくる政府の正体は、(少なくとも日本の)社会科の教科書には決して載らない、まさしく「教科書が教えない歴史」である。消費税を含め税金を支払っているすべての人にお薦め。

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