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2019年9月10日 (火)

バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 2

シャルル五世「彼ら(イングランド軍)をほっておけ。彼らは自滅するだろう。」
  ――第17章 クシーの出世

「われわれは同じ両親、アダムとイヴの子孫ではないのか?」
  ――第18章 獅子に立ち向かう地の虫

前もって地形を偵察することは、中世の戦争行為の一部ではなかった。
  ――第19章 イタリアの魅惑

金がなければ戦いもないというのが、騎士の時代の標準であった。
  ――第19章 イタリアの魅惑

聖職者フィリップ・ド・メジアー「世界の偉大なる貴婦人の一人――虚栄――に対する騎士道的愛によって動機づけられた贅沢と訓練不足によって崩壊した、前回の軍事作戦と同様になるであろう」
  ――第26章 ニコポリス

ハンガリー国王シギスムント「我らはこうしたフランス人の誇りと虚栄によって敗北した」
  ――第26章 ニコポリス

裁判の前に、彼女(ジャンヌ・ダルク)のおかげで王冠を手にしたのにシャルル七世も、またフランス側の誰も、彼女を身代金を払って取り戻したり、救う努力をしなかった。恐らくその理由は、一人の村娘によって勝利に導かれたことに対する貴族の恥辱によるものであったろう。
  ――エピローグ

 バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 1 から続く。

【どんな本?】

 凶作が続き、黒死病が猛威を振るった、14世紀のフランス。庶民の苦しみをよそに、騎士たちは贅沢に明け暮れ、貴族らは勢力争いに執心し、ついには教皇庁まで分裂してしまう。戦争に慣れた男たちは傭兵団コンパニーとして各地を荒らしまわり、または金で雇われ戦場で略奪を堪能する。そんな折、東から不吉な足音が迫っていた。

 当時のフランスの有力貴族、クシー領主アンガラン七世(→Wikipedia)を中心に、14世紀フランスの全てを描き出そうとする、巨大な歴史書。

【全般】

 第一部では、14世紀フランスをじっくりと描き、当時の人々の暮らしや勢力争いなどの背景を書き込んでいった。この第二部では、やっと主役のクシー領主アンガラン七世が表に出てくる。そのためもあってか、登場人物も王や貴族が中心となり、複雑な人間ドラマが展開してゆく。

【クシー】

 主役クシーの立場は、日本の江戸時代だと加賀前田蕃が近いだろうか。格も勢力も尾張・紀州・水戸の御三家に次ぐ実力者だ。跡目争いもあり、時として江戸に対抗しがちな御三家に対し、ほぼ王=将軍に忠実で、信頼も厚い。

 加えて、平和だった江戸時代と違い、当時のフランスは内外共に戦争が多い。フランスばかりかイタリアやチュニス、そしてハンガリーにまで出征している。その戦場の多くでクシーは戦い、優れた戦績をあげた。

 この本は、クシーを主人公としながらも、あまり人物像には踏み込まない。あくまでも歴史書であって、小説ではない、そういう立場だ。契約書や請求書などの事務的な文献から、彼の姿を浮き彫りにしようとしている。対して、彼の周囲の人物、例えば国王シャルル五世・六世は、本書の描写でぼんやりとだが姿形が思い浮かぶだけに、そんな著者の姿勢は何か意図がありそうだ。それが何なのかはわからないけど。

 波乱万丈の権力抗争が展開する中で、クシーは修羅場を巧みにかいくぐり、領地と財産を着実に増やしていったようだ。特に外交の手腕は見事で、縁戚を利用したイングランドや毒蛇が絡み合うイタリアなど、あちこちでフランスの命運を左右する重要な外交問題に関わっている。

 戦場に出ることも多く、何度も外征に従事し、生還を果たしていることから、軍人としても秀でていたのがわかる。ただし、戦略よりは自らの政治的な立場を重んじるタイプで、これがニコポリスの戦い(→Wikipedia)では命取りとなった。

 全般として、賢明で穏健な保守派、といったところか。理性的で賢いが、あくまでも当時の常識の範疇であり、時代の枠を壊すまでには至らない、そういう人だろう。

【庶民】

 騎士やコンパニーに痛めつけられ続けた庶民たちは、第二部でも何度も反乱を起こす。たいていは鎮圧されるのだが、唯一の勝利がスイスのゼンパッハの戦い(→コトバンク)。

 この戦いには、大きな意味がある。既にクレシーの戦い(→Wikipedia)やポアティエの戦い(→Wikipedia)で前兆があったように、騎士の時代が終わりつつあったのだ。

 地元ならではの地の利があったこと、起伏の多い地形で騎士お得意の騎馬突撃が活かせなかったこと、指揮が統一されていたことなど、いくつかの条件が重なったんだろうが、騎士が無敵という伝説は崩れてきた。

 それを予感してか、フランスも14世紀末に庶民を戦力に加えようと、庶民による弓部隊の結成を考えるが…

弓と大弓の練習が非常に普及した期間の後、貴族たちは、庶民が貴族の領地に反対するのに効果的すぎる武器をもつことになることを恐れ、(ダイスやトランプなどの)ゲーム禁止を廃止することを主張した。
  ――第25章 失われた機会

 反乱を恐れて軍事力の強化をワザと怠る。現代でもアラブなどの専制国家でよく見られる現象ですね。

【ニコポリス】

 こういった貴族や騎士の傲慢は、「第26章 ニコポリス」で頂点に達し、一気に転げ落ちてゆく。

 タイトル通り、描かれるのはニコポリスの戦い(→Wikipedia)。台頭しつつあるオスマン帝国が、ドナウ川を遡って西へと向かって進撃を始める。これを迎え撃つために、ハンガリー国王シギスムントが十字軍を要請、フランスの騎士を中心としたキリスト教軍が現ブルガリアのニコポルを攻めた戦いだ。

 この章は第二部の要約みたいな感がある。つまり、騎士の愚かさを、これでもかと執拗に描き出しているのだ。

 出発前から大行列と大宴会で無駄に金と時間と物資を浪費する。浪費は道中も同じで、食料が尽きれば途中の村や町を襲って強奪・虐殺三昧。どう見てもただのならず者集団だ。

 ここで、困ったことに緒戦でクシーが鮮やかな勝利を挙げてしまう。敵の前衛を騎兵で突つき、ワザと退却して追っ手をおびき出し、伏兵が待っている所に誘導して、袋叩きにする。チンギス・ハンのモンゴル軍が得意とし、薩摩は釣り野伏せ(→Wikipedia)と言い、イスラエル軍の戦車部隊は機動防御と呼ぶ手口だ。古今東西を問わず、こういう戦術ってのは、おおきく変わらないのもらしい。

 まあいい。なまじ緒戦で大戦果なだけに、騎士たちの気勢はあがる。そうでなくともつけあがりやすい連中な上に、クシーに功名を独占されちゃたまらん、などと考え始め…

 軍における統制がいかに大切か、ひしひしと感じさせてくれる一章だ。もっとも、当時の軍は現代の軍と全く違って、そもそも組織としての統一した指揮の下にないんだけど。もっとも、これは軍に限らず、政府からして強力な貴族の緩い連合にすぎない事が、本書の全編を通して伝わってくる。

【最後に】

 何せ文庫本にしたら五冊になろうかという巨大な著作だ。「テーマはこれ」と一言でいうのは難しい。ただ、当時の「国」が、現代の「国家」とは全く違う姿であるのは、充分に伝わってくる。また、華やかな面ばかりが描かれる「騎士」も、実態はヤクザと変わりない、どころか警察が発達していない分、ヤクザ以上にタチの悪い連中だとわかる。

 じっくりと描かれた、14世紀フランスを中心とした中世の西欧世界。物理的にも相当な重さなので通勤列車で読むのはつらいが、否応なしに「こことは違う世界」へと連れていかれる、本格的な歴史書だ。

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2019年9月 6日 (金)

バーバラ・W・タックマン「遠い鏡 災厄の14世紀ヨーロッパ」朝日出版社 徳永森儀訳 1

中世の時代の人々は、私たちの環境とはとても異なった精神的、道徳的、物理的な環境のもとに生きたので、異国の文明を形成するほどであった。
  ――まえがき 時代、主人公、障害物

中世が近代と異なるすべての特徴のうち、子供に対する比較的な無関心ほど目立つものはほかにはない。
  ――第3章 青春と騎士道

(ペストの)実際のキャリアーである鼠と蚤について14世紀は何の疑いももたなかった。それは多分それらがとても身近だったせいだろう。
  ――第5章 「これぞ世の終わり」 黒死病

彼(ロベール・コック)は当時としては大きな、76冊の蔵書を持っていた…
  ――第7章 破壊されたフランス 自由民の台頭と百姓一揆

どのくらいの割合の農夫が裕福で、どのくらいが貧乏かは、彼らが遺贈した物によって判断される。極貧の農夫たちは何も残す物はなかったので、無言のままである。
  ――第7章 破壊されたフランス 自由民の台頭と百姓一揆

人頭税と竈税の証拠によると、女性の死亡率は20~40歳では男性より高く、その原因は出産と病気にかかりやすいことだったと推定される。
  ――第9章 アンガランとイザベラ

司祭が管区司教から愛人をもつ許可を買うことができたら、一体彼はどうしてふつうの罪人以上に神により近づくことができようか。
  ――第14章 イングランドの混乱

彼(フランス国王の哲学顧問ニコラ・オレスム)の書物の一つは「地球はボールのように丸い」という文章で始まっていて、彼は地球の自転の理論を仮定した。
  ――第15章 パリの皇帝

【どんな本?】

 14世紀、フランス。気候は小氷期に突入して凶作が続き、英仏百年戦争に悩まされ、黒死病が猛威を振るい、農民の一揆が頻発し、無法者集団コンパニーが国土を荒らしまわる中に、騎士道の花が咲く中世。

 その頃の人々は、何を考えていたのか。聖職者は、貴族は、騎士は、都市の市民は、そして農民は、どのように暮らしていたのか。英仏百年戦争の実情は、どんなものだったのか。

 主人公はアンガラン七世(→Wikipedia)。フランス北部の大貴族でありながらも、イングランド国王エドワード三世の娘イザベラを妻とし、一時期はガーター勲章(→Wikipedia)も与えられた、複雑な立場の人物である。

 「愚行の世界史」「八月の砲声」など、大量の資料に支えられた重厚な歴史書を得意とするバーバラ・W・タックマンによる、14世紀フランスの綿密なスケッチ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Distant Mirror : The Calamitous 14th Century, by Barbara W. Tuchman, 1978。日本語版は2013年9月26日初版発行。単行本ソフトカバー縦二段組み本文約1,007頁に加え、まえがき23頁+訳者あとがき9頁。9ポイント25字×20行×2段×1,007頁=約1,007,000字、400字詰め原稿用紙で約2,518枚。文庫本ならたっぷり5冊分ぐらいの巨大容量。通勤電車で読むと腕の筋肉が鍛えられマッスル。

 文章は、少々読みにくい。外交文書的っぽい皮肉や二重否定がよく出てくる。また、組み立て方も不親切だ。「主語A→主語B→述語B→述語A。」みたく、入れ子になった文が多い。「主語A→述語A。主語B→述語B。」と、二つの文に分ければわかりやすいのに。

 内容はかなり親切だ。しつこいぐらい細かく時代背景を説明しているので、西洋史をほとんど知らなくても、充分についていける。本書内にも地図があるが、地図帳を用意すると便利だろう。また、登場人物が極めて多いので、できれば人名索引か主な登場人物一覧が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

  • 凡例/地図と図版/まえがき
  • 序章 意識の問題
  • 第1部
  • 第1章 「われはクシーの殿なり」 王朝
  • 第2章 災いの中に生まれる 14世紀
  • 第3章 青春と騎士道
  • 第4章 戦争
  • 第5章 「これぞ世の終わり」 黒死病
  • 第6章 ポアティエの戦い
  • 第7章 破壊されたフランス 自由民の台頭と百姓一揆
  • 第8章 イングランドでの人質
  • 第9章 アンガランとイザベラ
  • 第10章 無法の息子たち
  • 第11章 金色に塗られた屍布
  • 第12章 二重の忠誠の義務
  • 第13章 クシーの戦い
  • 第14章 イングランドの混乱
  • 第15章 パリの皇帝
  • 第16章 教皇庁の大分裂
  • 第2部
  • 第17章 クシーの出世
  • 第18章 獅子に立ち向かう地の虫
  • 第19章 イタリアの魅惑
  • 第20章 第二のノルマン征服
  • 第21章 虚構の亀裂
  • 第22章 バーバリ攻囲
  • 第23章 暗い森の中で
  • 第24章 死の舞踏
  • 第25章 失われた機会
  • 第26章 ニコポリス
  • 第27章 暗雲天空にたれこめよ
  • エピローグ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 まさしくスケッチだ。単行本で一千頁を超える大著だけに覚悟はしていたが、思った以上に解像度が高く、視野も広い。

 上の構成にあるように、全体は二部に分かれる。第一部では、時代背景をじっくり描く。一応、アンガラン七世が主役なのだが、彼は第一部じゃほとんど出てこない。

 じゃ第一部は何を書いているのかというと、舞台となる14世紀フランスの社会をじっくりと描いてゆく。ちなみに今は第一部を読み終えたところで、第二部の中身は皆目見当がつかんです、はい。

 14世紀というと、中国では元が衰えて明が成立し、中東ではオスマン朝が台頭し始めた頃だ。日本だと鎌倉末期~南北朝を経て室町初期にあたる。その頃のフランスの雰囲気は、日本の戦国時代が近い。世は戦乱で乱れ、群雄が割拠し、野盗が暴れまわる、そんな雰囲気である。フランス全土、というか西ヨーロッパ全体がソマリア状態とでも言うか。

 私は当時のフランスをほとんど知らない。せいぜい佐藤賢一の小説「双頭の鷲」と「赤目のジャック」ぐらいだ。「双頭の鷲」は英仏戦争でフランスの大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランを描く痛快な活劇で、「赤目のジャック」は農民の一揆ジャックリーの乱を扱った歴史小説だ。いずれも本書に少しだけ出てくる。

 そのベルトラン・デュ・ゲクラン、「双頭の鷲」だと不細工に描かれていた。これは本書も同じで、「鎧を着た雄豚」と扱いが酷いw それでも「双頭の鷲」じゃ粗野で教養はなくても性格は愛嬌があり戦えば無敵な男と、主役らしい扱いだったが、本書ではよく言っても野盗の大親分でしかない。

 これは当時の欧州の軍事状況のためだ。今と違い、当時の国は常備軍を持っていない。そもそも国って概念すら怪しい。領主がそれぞれ騎士を抱えている。つまり軍事的には独立した小国が乱立しているようなものだ。その領主が国王に忠誠を誓う事で国になる。だから英仏の戦争になると、領主は情勢により英国についたりフランスについたりする。

 そんなんだから、司令官も統制が取れない。この弱点を突いたのが黒太子(→Wikipedia)で、本書でもホアティエの戦い(→Wikipedia)を細かく描いている。

 もっとも、その騎士たちも、巷で言われる騎士道とはかなり姿が違う。そもそも当時の軍はロクな補給がない。だから戦場近辺の村や町を略奪して糧食を奪うのである。こういった姿は「補給戦」にも出てきた。ばかりか、ついでに農民を殺し作物を焼き果樹を倒し家や農機具を壊し馬や牛を奪う。そうやって、敵領主の歳入を潰すのである。つまり焦土作戦だ。当時の軍隊は、そこに居るだけで迷惑千万な連中なのだ。

 しかも、戦争で主に殺されるのは歩兵である。馬に乗った騎士など身分の高い者は、なるべく生かして捕虜にする。後で身代金を取るためだ。身分の低い歩兵は、身代金が取れないので、その場で殺す。

 そんなワケで戦争はロクなモンじゃないが、戦争が終わっても農民の苦しみは続く。当時は常備軍がない。将兵の多くは臨時雇いの傭兵である。傭兵は戦いが終わったらお払い箱だ。だが仕事はなくても腹は減る。じゃ、どうするか。

 コンパニーとなる。傭兵隊長を中心に徒党を組み、町や村を襲って腹と財布を満たすのだ。流れの野盗団だね。これが数人ならともかく、千人単位で群れてるからタチが悪い。しかも領主や騎士は、連中の始末に関心がない。ツケ上がったコンパニー、しまいには教皇まで脅す始末。ビビった教皇は…

教皇(ウルバヌス五世)は躊躇せずに言った。「彼ら(コンパニーたち)にそれを与えよ。もし彼らがこの国を立ち去るのであればだが。」
  ――第10章 無法の息子たち

 「金を払うから出て行ってくれ」、そういうワケだ。そんなコンパニーを始末するためにも戦争が必要で、十字軍もコンパニーを追い払う目的で派遣してたり。こういうのって、現代のサウジアラビアがジハーディストに悩んでアフガニスタンに叩き出すのに似てるなあ。

 などと踏んだり蹴ったりな農民を、更に黒死病が襲う。頼みの綱の教会は腐敗し、そのスキに乗じてカルトが流行る。鞭打ち苦行者の姿は、まるきしイランのターズィエ(→Wikipedia)だ。当時の人々は殺伐とした見世物が大好きで…

モンスの市民たちは、隣の町から死刑の判決を受けた犯罪者を買って、彼が四つ裂きにされるのを見るのを楽しみにした。
  ――第6章 ポアティエの戦い

 そんな奴らがユダヤ人の虐殺を煽ったからたまらない。ちなみにこの時も「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」なんてデマが流れてる。関東大震災でも「朝鮮人が井戸に毒を入れた」と流言されたし、災害が起きた時に「マイノリティが井戸に毒を入れた」というデマが流行るのは、人の世の常らしい。まあ今は水道が普及してるんで、別の形に姿を変えるんだろうけど。

 話がそれた。そんな風に痛めつけられた農民が立ち上がったのが、「赤目のジャック」描くところのジャックリーの乱(→Wikipedia)。このあたりを読んでいると、「農民が怒るのも当たり前だよなあ」と思えてしまう。結局は戦闘に慣れた騎士たちに制圧されるんだが、私の感想としては「結局、権力者ってヤクザと同じだよね」な気分になってしまう。

 などの大きな流れ以上に、本書の最大の魅力は、キッチリと書き込まれた細かい部分だろう。庶民の暮らしや軍の様子もそうだが、宮廷料理もメニューをキッチリ再現してる。これが実に野趣に富んでいて、牛骨髄のリッソウルはともかく兎肉のシチュー・ヒバリ肉の練り物・ヤツメウナギ・白鳥・クジャクと続く。上流階級は偏食じゃ務まらないのだ。

 そんなわけで、個々の人物より、綿密な調査によりビッシリと書き込まれた当時の人々の暮らしこそが、この本の第一部の魅力だろう。農民を虐げて喜んでる騎士の実態や、大学図書館の蔵書が千冊だったり、また糞尿の処理も調べてあって、そういう細かい所が面白い。まあ、そういう事なので、第二部の記事はしばらく後になります。

 どころで、なぜ日本では黒死病が流行らなかったんだろう?

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2019年8月28日 (水)

スティーヴン・ピンカー「暴力の人類史 下」青土社 幾島幸子・塩原通緒訳

中絶が広く利用されるようになった時期から今日までのあいだで、あらゆる種類の暴力の発生率は低下しており、(略)子どもの命の価値は急激に上昇しているのである。
  ――第7章 権利革命

1960年から2000年までに、アメリカにおける書籍の年間発行数は約五倍に増えたのである。
  ――第7章 権利革命

心理学者のフィリップ・テトロックは、神聖視されている資源に対してはタブーの心理――ある種の考えが明るみに出されることへの怒りの反応――が働くのだろうと述べている。神聖な価値は、ほかのどんなものとも交換が考えられない価値なのだ。
  ――第9章 善なる天使

暴力に心を奪われる作家も、暴力に反発を覚える人びとも、ある一点では共通している。彼らは兵器のことしか見ていないのだ。
  ――第10章天使の翼に乗って

…宗教は、どんなものの歴史においても単一の力となったことがないのである。
  ――第10章天使の翼に乗って

  スティーヴン・ピンカー「暴力の人類史 上」青土社 幾島幸子・塩原通緒訳 から続く。

【感想は?】

 「第7章 権利革命」までは、「第4章 人道主義革命」「第5章 長い平和」「第6章 新しい平和」と同様に、私たちの常識がどれほど変わってきたのかを示す。

 これは私にも思い当たることがある。煙草への感覚は、ここ20年ほどで大きく変わった。昔はくわえ煙草で道を歩いても何も言われなかったが、今は罰金だ。太平洋戦争終戦の時には、もっと激しい衝撃を味わっただろう。倫理とは変わるものなのだ。中でも大きく変わったのが、人権に関わる感覚だ。

(かつて)レイプは女性に対する犯罪ではなく、その女性の父親、夫、あるいは所有者(彼女が奴隷だった場合)といった、男性に対する犯罪だったのだ。
  ――第7章 権利革命

 おいおいマジかよ、と思うかもしれないが、今だってパキスタンあたりで起きる「名誉の殺人」も、その奥に「女は男の所有物」って感覚があるなら、理屈は通る気がする。同性愛に関しても…

多くの法体系は男性の同性愛だけを犯罪としているが、女性の同性愛だけを犯罪としている法体系は一つもなく、男性同性愛者に対する憎悪犯罪は女性同性愛者に対する憎悪犯罪に比べて、約五倍も多い。
  ――第7章 権利革命

 うん、そうだよね。百合は尊い←違う これも、法や制度は男が支配してたから、とすれば、わかる気がする。いや説明しろと言われたらできないけど。

【第8章 内なる悪魔】

 第8章では、ヒトの心のメカニズムに立ち入って、暴力を引き起こすアクセルを探る。これは五つだ。捕食・支配・復讐・サディズム・イデオロギー。

 捕食はわかりやすい。金が欲しい、ヤりたい、お前が邪魔、そんな所。自分の利益や欲望のためなら他者の犠牲を顧みない、ただそれだけ。

 支配も最近は説明しやすい。要はマウンティング。意外なのが自尊心・自己評価との関係で…

精神病質者をはじめとする暴力的な人びとは、自己愛が強く、しかも自分の業績に比例して自分を高評価するのではなく、生まれつきの特権意識からそうしている。
  ――第8章 内なる悪魔

 うぬぼれの強い人ほどヤバいのだ。最近話題の「あおり男」とかは、これだろうなあ。「のび太のくせに生意気だぞ」とかは、こういう人の気持ちを巧く表してるよね。だから、彼らは自分が悪いとは思っていない。

実際の悪行を犯している人びとは(略)、本人としては合理的で正当と感じながら、被害者からの挑発も含めたもろもろの状況に反応して、その悪行を犯しているからである。
  ――第8章 内なる悪魔

 根本的に世界観を変える必要があるのだ。犯罪者にセラピーが必要な理由が、これだろう。当然、被害者は復讐の念に燃える。

復讐は病気などではない。復讐は「よい人」が搾取されるのを予防するという意味で、協力に必要なものなのである。
  ――第8章 内なる悪魔

 やはり「あおり男」の例だと、多くの人が犯人たちだけでなく、似たような真似をする者に対し厳しい目を向けるようになった。かつて危険運転致死傷罪の罰則が厳しくなったように、今後はあおり運転への対処も厳しくなるだろう。とはいえ、今の日本の風潮を思うと、暗い気分になる事も書かれてて。

人は誰かからの操作で他人を傷つけてしまった場合、その傷つけた人に対しての自分の見方をあとから変えて、その人の価値を落としてしまうことがある。
  ――第8章 内なる悪魔

 とかは、某国との関係を考えると、モロだよね、と思ってしまう。おまけに…

19世紀と20世紀のナショナリズム運動は、売文家の一団を雇い入れ、自分たちの国の不朽の価値と栄光をうたった上っ面だけの歴史を書かせていた。
  ――第9章 善なる天使

 いや21世紀になってもやってる国があるんですけど。まあ、気持ちはいいんだよね、あーゆー「俺たちスゴい」って物語は。

【第9章 善なる天使】

 そういう困った傾向に対するブレーキも、ちゃんと人間は持ってる。著者は共感・自己制御・理性そして進化をあげる。

 共感は、人の痛みを我がことのように感じたり、泣く赤ん坊をあやしたりする気持ちだ。「反共感論」にあるように、これはときどき困った働きをする。同じ被害を受けた人見ても、それが日本人だと同情するけど、外国人だと「ざまあみろ」と思ったり。でも、これも物語が変えることができるのだ。

…架空の人物を含め、誰かの視点を通じて物事を見てみると、それまで共感をもてなかったその誰かや、その誰かが属する集合に対しても共感がもてるようになるのである。
  ――第9章 善なる天使

 きっと日本もアニメのお陰で随分と得してると思うんだが、どうでしょうね。

 自己制御は身に染みる。「食べたい、でも痩せたい」だ。

経済学者たちの指摘によれば、人びとに好きなように任せておくと、まるで自分があと数年で死ぬと思っているかのように、退職後に備えての貯蓄をほとんどしないのだそうだ。
  ――第9章 善なる天使

 すんません。これについては偉そうなことは言えません。テヘw

 理性と進化では、かの有名なフリン効果(→日経サイエンス)を例に挙げる。実はこれ、私は疑ってたのだ。IQの平均が上がってるって、変じゃね? 知能指数の平均は常に100になるはず。が、それは私の勘ちがいだった。確かに平均は100なんだ。でも、IQ100の得点が上がってたのだ。

今日の平均的なティーンエイジャーは、1950年にタイムトラベルできれば、そこではIQ118になれる。
  ――第9章 善なる天使

 これは抽象的にモノを考える能力が上がってるらしい。もっとも、こんなニュースもある(→TrendsWarcher)。でも「魚をたくさん食べて育った子どもたちが、より高いIQを持つ傾向がある」って、これ「暴力の解剖学」にあったアレじゃ? 要は「魚を食べると頭がよくなる」です。

 もう一つ、イデオロギーの対立で、ありがちな誤解が、これ。

(ジョナサン・)ハイトによれば、イデオロギーの両極端にいる双方の信奉者は、互いに相手を不道徳だと見なしがちだが、実際のところ、彼ら全員の脳内では道徳回路が同じように明るく輝いており、ただ、道徳とは何かということに関しての概念がまったく違っているだけなのである。
  ――第9章 善なる天使

 これについては「社会はなぜ左と右にわかれるのか」が詳しい。保守・リベラル・リバタリアンの違いは、何を重んずるかの違いなのだ。保守が権威を大切にするのに対し、リベラルは平等を大切にし、リバタリアンは自由を求める。だから道徳教育とか言っても話がかみ合わない。それぞれ、よかれと思ってるんだけど。

【おわりに】

 上巻は納得できるところが多かった。若い男がヤバい、なんてのは「「自爆する若者たち」」とピッタリはまる。「戦争文化論」は「人は楽しいから戦争するんだ」みたいな本だけど、それを楽しまなくなるようになった、とすれば納得がいく。なんの本だか忘れたけど、「文化人類学者は左派ばっかり」なんて話を読んだことがある。これも彼らが「他者の視点」を豊かに持っているためなら、理屈が通る。

 が、逆に「強引じゃね?」と思う部分もある。例えば下巻p525だ。旧東欧は巧く民主化できたけど中央アジア諸国はアレだ。この原因を著者は学校教育などの制度や人々の資質に求めてる。でももっと単純な理由があるのだ。

 地図を見ればいい。民主主義は西欧や北米が本場だが、中央アジアは本場から地理的にも経済的にも遠く、人の交流も少ない。しかもいずれも内陸国で、ロシアを通さないと欧米と貿易できない。政治・軍事・経済いずれの面でも、ロシアが首根っこを押さえている。そしてロシアは手下の民主化を喜ばないし、USAも内陸国への介入には及び腰だ。チェチェンも見捨てたしね。だって海軍力を使えないし。

 とかの勇み足はあるものの、豊富に集められた統計資料には唸らされるし、論調が明るいのも気持ちいい。ちょっとしたトリビアにも事欠かないし、パレスチナ問題の意外な解決案には舌を巻いた。コワモテな印象を与える外見にしては、意外と読みやすいし、秋の夜長には相応しい本だろう。

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2019年8月26日 (月)

スティーヴン・ピンカー「暴力の人類史 上」青土社 幾島幸子・塩原通緒訳

本書は、人間の歴史のなかで最も重大な出来事ともいえることをテーマにしている。(略)長い年月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ。
  ――はじめに

犯罪学者の間では、失業率と暴力犯罪のあいだには明確な相関関係は存在しないことは長く知られている。
  ――第3章 文明化のプロセス

…初期の複雑な社会はすべて、犠牲者のない犯罪を犯した者に拷問や手足切断のような残酷な罰を課す、絶対的な神権国家だったのだ。
  ――第4章 人道主義革命

人口比で見た史上最悪の残虐行為は、中国唐時代の八年間にわたった安禄山の乱および内戦(安史の乱、→Wikipedia)である。人口調査によればこの戦乱で唐の人口の2/3が失われたとあり、これは当時の世界人口の1/6にあたる。
  ――第4章 人道主義革命

戦争の継続期間は指数関数的に分布しており、最も多いのは最も短い戦争である。
  ――第4章 人道主義革命

「民族自決」が孕む危険の一つは、ある区切られた土地と完全に一致する民族文化集団、という意味での「国民」など現実には存在しないということだ。
  ――第5章 長い平和

発展途上国の子どもの主な死亡原因は、マラリア、コレラ・赤痢などの下痢性疾患、肺炎・インフルエンザ・結核などの呼吸器感染症、麻疹の四つである。
  ――第6章 新しい平和

殺人や戦争、ジェノサイドによる死者数と比較すると、世界のテロによる死者数はさほど多くない。(略)これまで本章で見てきた他の暴力による死者数とは、少なくとも二桁の違いがある。
  ――第6章 新しい平和

【どんな本?】

 2001年9月11日以来、世界は不穏に包まれている。ソマリア沖では海賊が暴れ、アフガニスタンはタリバンが跳梁跋扈し、シリアでは内戦が続いている。新聞や週刊誌は凶悪犯罪や家庭内暴力のネタにこと欠かない。世界は危険に満ちている。少なくとも、テレビでニュースを見る限りは、そう感じる。

 本当にそうなのか? 著者は多くの資料を漁り、統計を駆使して、意外な事実にたどり着く。暴力は減った、しかも今世紀においても現在進行形で減りつつある、と。

 認知科学者である著者が、大国同士の戦争からテロやマイノリティの虐殺、組織暴力から街角のケンカまで、様々な形での暴力の統計を集め、私たちが暮らしている現代と、かつて人びとが暮らしていた過去の姿を洗い出し、思い込みによる盲点に光を当てると共に、何が暴力を減らしたのか、その理由を探る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Better Angels of Our Nature : Why Violence Has Declined, by Steven Pinker, 2011。日本語版は2015年2月10日第1刷発行。単行本ハードカバー上下巻で本文約642頁+570頁=1,212頁に加え塩原通緒による訳者あとがき3頁。9ポイント47字×19行×(642頁+570頁)=1,082,316字、400字詰め原稿用紙で約2,706枚。文庫なら5~6冊分の巨大容量。

 文章は比較的にこなれている。とは思うが、学者ではなく一般人向けであることを考えると、もう少し工夫してほしかった。小さなことだが、例えば「暴力は減少し」より「暴力は減り」の方が親しみやすい。そういう細かい部分で、「賢い人向け」な印象を与えてしまう。とっても面白い本だけに、これはもったいない。

 分厚い上下巻だから手ごわそうに感じるが、見た目ほど中身は難しくない。日頃から「文明と戦争」や「昨日までの世界」を好むタイプの人なら、「似たような事が書いてある」と感じるかも。

【構成は?】

 テーマが常識を裏切るものだけに、特に上巻では丹念な検証に多くの紙数を充てている。トリビアが好きならいいネタが詰まっているのでキッチリ読もう。そうではなく、手っ取り早く結論が欲しければ、流し読みしてもいいかも。

  •  上巻
  • はじめに
  • 第1章 異国
    人類前史/ホメロスのギリシャ/ヘブライ語聖書/ローマ帝国と初期キリスト教/中世の騎士/近代初期のヨーロッパ/ヨーロッパと初期のアメリカ合衆国における名誉/20世紀
  • 第2章 平和化のプロセス
    暴力の論理/人類の祖先の暴力/ヒトの社会の種類/国家と非国家社会における暴力発生率/文明とそれに対する不満
  • 第3章 文明化のプロセス
    ヨーロッパにおける殺人の減少/ヨーロッパにおける殺人の減少の原因/暴力と階層/世界各地の暴力/アメリカ合衆国における暴力/1960年代における非文明化/1990年代における再文明化
  • 第4章 人道主義革命
    迷信による殺人 人身御供、魔女狩り、血の中傷/迷信による殺人 神への冒涜、異端、背教に対する暴力/残虐で異常な刑罰/死刑/奴隷制/専制政治と政治的暴力/大規模戦争/人道主義革命の源泉/共感と人間の生命への配慮/文芸共和国と啓蒙的人道主義/文明と啓蒙主義/血と土
  • 第5章 長い平和
    統計と物語/20世紀は本当に最悪だったのか?/殺しあいのケンカの統計(その1) 戦争の時期/殺しあいのケンカの統計(その2) 戦争の規模/大国の戦争の推移/ヨーロッパの戦争の推移/背景としてのホップス哲学と王朝と宗教の時代/王権の時代の三つの潮流/反啓蒙主義イデオロギーとナショナリズムの時代/イデオロギーの時代の人道主義と全体主義/長い平和 いくつかの数字/長い平和 人びとの意識と出来事/長い平和は核による平和か?/長い平和は民主的な平和か?/長い平和は自由主義的な平和か?/長い平和はカント的な平和か?
  • 第6章 新しい平和
    大国や欧州以外の地域における戦争の推移/ジェノサイドの推移/テロリズムの推移/天使も踏むを恐れるところ
  •  下巻
  • 第7章 権利革命
    公民権と、リンチや人権差別ポグロムの減少/女性の権利と、レイプや殴打の減少/子供の権利と、子殺しや尻叩きや児童虐待やいじめの減少/同性愛者の権利と、ゲイバッシングの減少や同性愛の非犯罪化/動物の権利と、動物虐待の減少/権利革命はどこから来たか/歴史から心理学へ
  • 第8章 内なる悪魔
    人間の暗黒面/モラリゼーションギャップと、純粋悪の神話/暴力の器官/プレデーション(捕食者)/ドミナンス(支配、優位性)/リベンジ(報復、復讐)/サディズム/イデオロギー/純粋悪と、内なる悪魔と、暴力の減少
  • 第9章 善なる天使
    共感/セルフコントロール(自己制御)/最近の生物学的進化?/道徳とタブー/理性
  • 第10章 天使の翼に乗って
    重要だが一貫していないもの/平和主義者のジレンマ/リヴァイアサン/穏やかな通商/女性化/輪の拡大/理性のエスカレーター/考察
  •  訳者あとがき/参考文献/注/索引

【感想は?】

 今、やっと上巻を読み終えたところなので、そこまでの感想を。

 先に書いたように、「文明と戦争」や「昨日までの世界」などと似た傾向の本だ。だから、そういうのが好きな人向き。ただし、既に読んでいる人にとっては、新鮮さが薄いかも。例えば二つの世界大戦があった20世紀は戦争の時代みたく言われるけど…

現代の欧米諸国の戦争による死亡率は、最も戦争で荒廃した世紀でさえ、非国家社会の平均のおよそ1/4であり、最も暴力的な社会の1/10以下にすぎない。
  ――第2章 平和化のプロセス

 と、文明化される前に比べればはるかにマシだぞ、と数字で教えてくれる。この「数字で」ってのが、この本の特徴。文明化される前、世界ってのは物騒な所だったのだ。今でも余所者が邪険にされる地域があるけど、それはヒトがそういう状況で進化してきたせいかも。

 ただ、前二作とは違う部分もある。例えば戦争の原因だ。「文明と戦争」では、縄張りや女など貴重な資源の奪い合い、としていた。「戦争は政治の延長」とするクラウゼヴィッツの影響だろうか。だが、実際は…

…ほとんどの調査で、(非国家社会の人びとが)戦闘の理由として最も頻繁にあげられるのは復讐である。
  ――第2章 平和化のプロセス

 と、過去の因縁が原因らしい。一応、合理的な理由もあって、要は「殺られる前に殺れ」なんだけど。つまり感情のもつれですね。これは集団同士の戦争に限らず、個人間のケンカもそう。というか、この本のもう一つの特徴が、集団による戦争から個人間の殺人まで、様々なスケールの暴力を見渡していること。その殺人では…

殺人のもっとも一般的な動機は、侮辱されたことへの報復、家庭内の争議がエスカレートしたもの、恋人の裏切りや失恋、嫉妬、復讐、自己防衛など、道徳的なものだという。
  ――第3章 文明化のプロセス

 なんて意外なデータが出てくる。利害じゃないのだ。少なくとも金銭的な利害じゃない。また、こういう犯罪を犯すのは…

暴力の研究が明らかにした最大の普遍的な特徴は、暴力の加害者の大部分が15~30歳の若い男性だということだ。
  ――第3章 文明化のプロセス

 はい、若い男がヤバいんです。ちなみに「殺してやる」を読むと、合理的な説明がつく…気がしてきます。なお、この章では1990年代以降、USAで急激に殺人が減った、と指摘していて、その原因について推察してるけど、幾つか大事な点を見逃してると思う。それについては後述。

 第四章以降は再び国家単位の話に戻るんだが、ここでは「信念」や「イデオロギー」の怖さが身に染みる。

立証不可能な信念を持つことのより大きな危険は、それを暴力的手段によって守りたいという誘惑が生まれることにある。
  ――第4章 人道主義革命

宗教的か政治的かを問わず、イデオロギーによる戦争は、戦闘死者数のべき分布の尾を長く延ばす。
  ――第6章 新しい平和

…数百万人単位で人を殺害するには、イデオロギーが必要だ。
  ――第6章 新しい平和

 第二次世界大戦で最大の死者が出たのは独ソ戦だった。いずれも強固な信念を持つ者同士のぶつかり合いだ。お陰で両軍の将兵はもちろん、戦場となった土地に住む民間人も地獄に叩き落された(「スターリングラード」「ベルリン陥落」)。

 それより怖いのが、政府による民衆殺戮である。スターリンの飢餓、毛沢東の大躍進、クメール・ルージュのキリング・フィールド。

…虐殺行為に関する大多数の研究者の間では、20世紀には戦死者よりもデモサイド(民衆殺戮、政府または民兵による民間人の大量虐殺)による死者のほうが多かったことで意見は一致している。
  ――第6章 新しい平和

 まあ、死者数で最大の貢献をしたのは毛沢東だろうなあ。クメール・ルージュはともかく、スターリンと毛沢東はレッテル貼りを巧みに使った。富農とか、反革命派とか。これは共産主義に限らず、ナチスだってホロコーストをやらかしてる。これも、やはりレッテル貼りが効果的だ。

人をカテゴリーの一例と見なす認知習慣は、人と人とが衝突する場面では実に危険である。ホップスの言う三つの暴力の誘因――利益、恐怖、抑止――が、個人間のケンカの原因から民族紛争の理由に変わってしまうのだ。
  ――第6章 新しい平和

ジェノサイドを起こしやすくする、さらにもう一つの因子は、排他的イデオロギーである。
  ――第6章 新しい平和

 「○○は蠅だ」「○○はゴキブリだ」などと、巧みな比喩で特定の属性を持つ人たちを貶めるのも、虐殺への足掛かりとなる。

隠喩による思考には、二つの方向がある。嫌悪感の隠喩を、道徳的に価値が低いと見なす人間にたいして用いるだけでなく、物理的な嫌悪感を抱かせる人間を、道徳的な価値が低いと見なしてしまうのだ。
  ――第6章 新しい平和

 …とかを読みつつ、現代日本の風潮を考えると、ちと気持ちが暗くなったり。でも、気をつけようね。偉い人は勇ましいことを言うけど…

戦争することで利益を得るのは権力者であって、そのコストは国民が負担しなければならない。
  ――第4章 人道主義革命

 最後にもう一つ。少し前から、薄々そうじゃないかな、と思ってた事がハッキリ書いてあったのは「やっぱり」と思ったのだ。

再生不能で独占されやすい資源が豊富な国は、経済成長が遅々として進まず、政府は無能で、暴力が多発する傾向にある。
  ――第6章 新しい平和

 具体的に思い浮かぶのはメキシコとナイジェリア。いずれも石油収入が増えたのに反比例して治安が悪化した。USAのように他の産業も発達してて様々な勢力がせめぎあってるならともかく、特定の地下資源だけに頼る国ってのは、社会が腐りやすいのだ。だって真面目に稼ぐより偉い人に取り入った方が楽に甘い汁が吸えるし。その辺は「国家はなぜ衰退するのか」をどうぞ。

 というあたりで、下巻へと続く。

【関連記事】

【北米の1990年代に何が起きたか】

 本書の「第3章 文明化のプロセス」225頁に、衝撃的なグラフがある。1990年代、北米での殺人が急激に減ったのだ。もう少し詳しく言うと、1993年あたりから落ち始め、1999年~2000年あたりで水平になる。あ、そうそう、グラフが示してるのは絶対数じゃなくて、10万人あたりの殺人件数ね。

 この原因を著者はグダグダ言ってるが、普通に考えれば最大の要因は合衆国大統領だろう。そう、あのエロもといビル・クリントンだ。もっとも、彼が大統領職に就いたのは1993年で、その手腕の効果が出始めるには1~2年かかる筈だから、辻褄としては少し苦しい。

 たぶん、複数の原因があるんだろう。そこで私はこういう説を唱えたい。「任天堂とSONYが安全をもたらした」と。では、次にその年譜を示そう。

  • 1985 任天堂、北米進出
  • 1989 ゲームボーイ発売
  • 1991 SuperNES(北米版スーパーファミコン)発売
  • 1993 DOOMブーム
  • 1994 PlayStation発売

 「1985年に進出なら、1985年から安全になるはず」と思うかもしれない。だが、犯罪が多いのは「15歳~30歳の男」だ。対してファミコンに飛びついたのは、小さい男の子である。犯罪年齢には達していない。当たり前のように家庭にゲーム機が普及した今でも、高齢のプレーヤーは少ない。こういう文化は、幼い者が流行を先取りするのだ。

 そこで、だ。1989年に11歳で Dragon Warrior(北米版ドラゴンクエスト) に出会った少年は、1993年に15歳になったら何をするだろう?

 そう、Dragon Warrior IV を楽しむのだ。いや DOOM で撃ちまくるかもしれないし、VIPER でハァハァするかもしれない。いずれにせよ、盛り場でチンピラと角突き合わせる時間は減る。それよかレベル上げだ。今日こそメタルスライムを…

 実際、「犯罪は『この場所』で起こる」では「犯罪の機会を減らせ」と主張しているし、有名なゲームがリリースする時期には犯罪が減るって研究もある(→リセマム)。

 これにキチンとウラを取るには、北米での家庭用ゲーム機の普及率の推移を調べる必要があるんだが、残念ながら見つからなかった。何かあったら教えてください←いやお前がやれよ

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2019年8月19日 (月)

ロバート・A・アスキンズ「落葉樹林の進化史 恐竜時代から続く生態系の物語」築地書館 黒沢玲子訳

本書の最終目標は、生態系の普遍的なパターンや、保全問題に幅広く用いることができる解決策を探ることである。
  ――前書き

…この160万年の間に氷期と間氷期は四回ではなく、18~20回も交互に訪れていたことがわかった。
  ――第2章 白亜紀の森

更新世代以前の化石記録を分析した結果では、くり返し訪れた氷河期を生き延びた樹木の属は東アジアでは96%、北米東部では82%あるのに対して、ヨーロッパは29%に過ぎない。
  ――第2章 白亜紀の森

…人類は火を手にしたことで、熱帯アフリカのサバンナの外へ生活圏を拡大することができただけでなく、出ていった先でサバンナを作りだすこともできたのだ。
  ――第3章 人類出現後の落葉樹林

日本の伝統的な建造物にみられる瓦屋根や(檜皮や藁など)樹皮で葺いた屋根、イグサの畳、唐紙の襖といった繊細で優雅な構造は、こうした木材不足の時代に発達したのである。
  ――第3章 人類出現後の落葉樹林

日本の森林は第二次世界大戦中に乱伐されて深刻な被害を受けた。1941年から1945年の間に森林の15%が伐採されただけでなく、化学肥料が手に入らないので、その代わりに落ち葉や下層植生が利用されたため、残った森林の質も著しく低下した。
  ――第4章 自然林の減少と持続可能な森林の創出

動植物の種数は、農地開発や木材用に伐採されてから回復しつつある二次林よりも、原生林の方で生息数がはるかに多い。
  ――第5章 巨木と林内の空き地

日本の京都ではヤマザクラの開花時期について、驚くほど長期間にわたる記録が取られている。このサクラの開花は1000年以上続く恒例の桜祭りの開催を告げる合図になっている。(略)桜祭りの時期は朝廷の記録や日記類に記されているので、サクラの開花時期は9世紀以降の1200年間の60%の時期について推定できる。
  ――第8章 世界的気候変動の脅威

原生自然を重視するアメリカの自然保護運動はおおむねアメリカ独自の運動だった。(略)
ヨーロッパでは、銛でもほとんどが管理された人為的な環境である。(略)
…日本に大規模な自然林がほとんど残されていない最大の原因が国の政策であることは明らかだが、ミニチュアの自然を大事にする伝統も一因になっているのかもしれない。
  ――第10章 三大陸の保全戦略を融合する

【どんな本?】

 北米、ヨーロッパ、そして日本。それぞれ遠く離れた地域でありながら、遠くからみた森の風景は、なんとなく似ている。気候が似ているためだろう。いずれも温帯にあり、降水量も多い。

 と同時に、微妙な違いもある。

 何度も訪れた氷期・間氷期など気候の変化と、海や山脈などの地形。そこに住む動植物などの生態系。そしてヒトの暮らし方と森との付き合い方。

 これらの自然環境や歴史の違いは、現代に生きる人々の自然観や自然環境保護にも影響を与えている。

 それぞれの地域は、どんな歴史を辿って現代に至ったのか。気候の変化や地形、そして動植物などの生態系は、森をどう変えるのか。人の手が入らない原生林は、どのような姿なのか。そして人はどのように森と付き合い、森をどう変えてきたのか。

 鳥類額と生態学を専門とする著者が、北米・ヨーロッパ・日本の三者の自然環境および歴史を考慮しながら、森が現在の姿に至った経緯を語り、これからの森林保護のあり方を探る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Swing the World's Deciduous Forests : Ecological Perspectives from East Asia, North America, and Europe, by Robert A. Askins, 2014。日本語版は2016年11月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約300頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント49字×19行×300頁=約279,300字、400字詰め原稿用紙で約699枚。文庫本ならやや厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、樹や鳥の名前が次々と出てくるので、図巻かGoogleを見られると便利だろう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 前書き
  • 第1章 よく似た風景 ニューイングランドと京都の春の森
    日本と北米の森林が似ているのはなぜか?/森林生態系の一般法則を求めて
  • 第2章 白亜紀の森 落葉樹林の起源
    北極地方の落葉樹林/落葉樹林の恐竜/白亜紀の森林生態系の終焉/新しい森の出現/気候変動と落葉樹林の衰退/落葉樹林の再編成/保全上の意義
  • 第3章 人類出現後の落葉樹林
    落葉樹林に生息する大型哺乳類の絶滅/火災と落葉樹林/農業の発達と森林の縮小/落葉樹林から農地へ/保全上の意義
  • 第4章 自然林の減少と持続可能な森林の創出
    森林保護の起源/ヨーロッパの持続可能な森林管理/日本の木材資源と水源の保護/北米の落葉樹林の衰退と回復/保全上の意義
  • 第5章 巨木と林内の空き地
    ポーランドに残る壮大な原生林/古い森に見られる若木/樹幹のギャップに特殊化した鳥類種/森林の壊滅的被害と新しい森の成長/火災とナラの木/原生林の生態的重要性/若い森の種と、体内の大きな空き地を必要とする種/保全上の意義
  • 第6章 孤立林と森林性鳥類の減少
    北米東部の鳥類が減少した原因/北米東部の鳥類にとって大森林が重要な理由/日本の森林性鳥類/森林の分断化に対する鳥類の一般的な反応パターン/森林の分断化とヨーロッパの森林性鳥類/ヨーロッパの鳥が森林の分断化に強い理由/世界のミソサザイ/ヨーロッパの森林性鳥類の減少/保全上の意義
  • 第7章 オオカミが消えた森の衰退
    失われたオオカミ/日本のオオカミ/オジロジカが変える北米の森/姿を消した下層植生の鳥/オジロジカの最適密度はどのくらいか?/シカの個体数を狩猟で減らす/自然の捕食者によってシカの個体数は減るか?/ヨーロッパの森のシカ問題/保全上の意義
  • 第8章 世界的気候変動の脅威
    急激な気候変動の証拠/生物個体は気候変動にすばやく適応して、その生息地で生き延びられるか?/生物の進化は気候変動についていけるか?/生物は気候変動を生き延びるために、分布域を変えられるか?/樹木の分布に対する気候の温暖化の影響/種の「分散援助」が必要になるか?/気候変動に対する柔軟性の限界/保全上の意義
  • 第9章 もう一つの脅威 海を越える外来種
    重要樹木を脅かす病原体と昆虫/森林に被害をもたらす病原体や昆虫の蔓延を食い止める戦略/持ち込まれた森林の害虫や病原体を駆除する方法/生物的防衛の危険性と将来性/耐性を備えた樹種の品種改良/樹種が失われると起こる長期的変化/他の侵略的外来種/保全上の意義
  • 第10章 三大陸の保全戦略を融合する
    北米の原生自然を保全する/現代の生態学的研究の観点からみた原生自然の保全/人手のはいったヨーロッパの自然環境を保護する/現代の生態学的研究の観点からみた人為的自然環境の保全/ミニチュア的自然 日本の自然保護/日本の自然保護に対する政治的制約/現代の生態学的研究の観点からみた「ミニチュア的自然」の保護/三地域の保全方法を融合させる
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/注/生物名索引/事項索引

【感想は?】

 京都の紅葉の風景は、人為的に作り出されたものだったのか。

 当たり前だが、紅く染まるのは落葉樹だけだ。特に鮮やかなのはカエデだろう。ところが、「畿内に元々あった森林の優占樹種は落葉樹ではなく、常緑広葉樹や針葉樹だった」。

 ご存知のように、京都は歴史の古い土地だ。そして少し前まで、ヒトの最大のエネルギー源は薪だった。寺や仏像を建てるにも木材が要る。東大寺を建てるには900ヘクタールの原生林が必要だったとの推定もある。3km×3kmの森を潰した勘定だ。伐採で常緑樹や針葉樹が消えたスキに、カエデが侵入したのである。という事は、長く放置したら元の常緑樹+針葉樹に戻ってしまうのか。

 実際、全く人の手が入らない原生林というのは、なかなか手こずるシロモノらしい。本書が最初の例に挙げているのは、ポーランドのビャウォヴィエジャ森林特別保護区。ポーランド王室の種猟場として保護されたのが幸いし、第一次世界大戦後に国立公園として保護されるようになる。

 ここでは、林床の12~15%が倒木や落枝で覆われている。こりゃ移動するのも一苦労だ。それは辛いが、学者には格好の観察フィールドになる。面白いことに、一つの種が一帯を征服するのではなく、幾つもの種が雑然と混在しているのだ。というのも、原生林の中にいろいろな環境があるからだ。

 うっそうと繁っているように見えて、所々に空が見える所がある。本書では「樹冠ギャップ」と呼ぶ。寿命や嵐で巨木が近くの木を巻き添えにして倒れたり、火事で一帯が焼けたりしてできる。こういう所を好む生物もいるのだ。そこを、最初は草や低木が占領する。やがて日向を好み成長の早いサクラやハコヤナギが進出する。

 一般に植林によってできた人工林や皆伐の後にできる二次林は、すべての樹の年齢が同じだ。だから中の環境も似たようなものになる。対して原生林は老いも若きも混在しているので、鬱蒼としたところもあればギャップもある。そしてギャップを好む生物もいる。この本はクロズキンアメリカムシクイやコウモリを例に挙げている。

 テキトーに開けてりゃいいのかというと、そうでもない。ある程度の規模の森が必要な種もいる。実は鳥にも社会があって、一定規模の群れが維持できないと棲みつかない鳥もいるのだ。

親のなわばりを離れて数週間しか経っていない(ノドグロルリアメリカムシクイの)幼鳥は、さえずりや鳴き声を(CDプレーヤーで)流さなかった対照区よりも、流した場所の方を頻繁に訪れた。この実験結果は、幼鳥はさえずりや鳴き声に惹きつけられたことを示唆している。
  ――第6章 孤立林と森林性鳥類の減少

 若い鳥は、仲間がたくさんいる所に集うらしい。敵に襲われた時に、その方が被害が少ないからなんだろうか。そういえばハトも群れで飛ぶなあ。

 とはいえ、保護にも問題があって。この本では金華山(→Wikipedia)のシカが例として出てくる。聖域としてシカを保護したのはいいが、増えすぎて樹皮まで食べ、また若木も食い尽くし、森が草原に変わってしまった。草原に生えるシバもシカは大好きなので、更に個体数が増える。

 こういう問題はアメリカでもあって、対策の一つは狩猟、もう一つはシカを狩るオオカミの導入だ。ここで昔からの疑問の一つが解消した。ヨーロッパの童話じゃオオカミは恐ろしい悪役だが、私はオオカミにあまり悪い印象を持っていない。むしろ精悍で仲間を大事にする獣、みたいなイメージだ。これは私だけじゃなく東アジア全体の傾向らしい。というのも…

ヨーロッパの伝統文化ではオオカミは否定的に捉えられているが、日本の伝統的な見方や描写は曖昧で複雑であある。(略)
ヨーロッパでは(略)畜産と作物の混合農業が主要だった。(略)草地に放牧されていたウシやヒツジの大きな群れはオオカミのような大型の捕食者に狙われやすかった。
日本でもウマやウシ、スイギュウは重要な家畜だったが、主に交通や耕作の手段として利用されていたので、大きな群れで飼うことはあまりなく、オオカミから守るのも楽だった。
  ――第7章 オオカミが消えた森の衰退

 向こうじゃ、肉を取るためにウシやヒツジを群れで飼う。それを襲うオオカミは害獣だったのだ。でも日本じゃあまし肉を食わないんで、オオカミの害も少ない。だからあまし悪い印象もなかったのだ。ところが…

1730年に日本に狂犬病が持ち込まれた後、日本人のオオカミに対する態度が一変した。
  ――第7章 オオカミが消えた森の衰退

 今、ちょっと Wikipedia で調べたら、やっぱり長崎発祥だった。交易は経済的な恩恵がある反面、こういう危険もあるんだよなあ。ちなみにイギリスじゃ東アジアから持ち込まれたキバノロとニホンジカとキョンが増えて困ってるとか。そういえば千葉でもキョンが騒ぎになったなあ(→千葉日報)。

 外来種にしてもシカみたく大きな生き物はまだマシで、怖いのは虫や病気だ。

気候変動は長期的には大きな脅威かもしれないが、北半球の落葉樹林が直面している最大の脅威は、特定の樹種にとりつく病原体や昆虫の蔓延であり、数年で絶滅や地域絶滅の淵に追い込まれる樹種が生じることがある。
  ――第9章 もう一つの脅威 海を越える外来種

 これもオオカミ同様に捕食者の導入って手もあるが、マングースの例もあるように、適切な役者を選ぶのが難しい。が、ツガカサアブラムシ対策は笑ってしまった。1995年、マイケル・モンゴメリーは天敵を求め中国に赴き、そこで50種のテントウムシを見つけたのはいいが…

そのうちの21種が未記載の新種だった
  ――第9章 もう一つの脅威 海を越える外来種

 中国、おそるべし。恐竜の化石といい、今世紀の生物学者は中国に熱い目線を送ってるんだろうなあ。

 などの自然の話もいいが、北米・ヨーロッパ・日本を対比させているのも楽しいところ。気候や地形の違いもあれば、それぞれの土地での自然との付き合い方の違いもある。また、自然保護の理想についても、それぞれで考え方が違う。野生の北米、田園のヨーロッパ、鎮守の森の日本とでもいうか。

 にしても、つくづく林学の本は地質学から古人の日記までと視野がやたら広くて面白い。これからも、のんびりこっちの方面も読んでいこうと思う。

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2019年7月28日 (日)

ジョシュア・ハマー「アルカイダから古文書を守った図書館員」紀伊国屋書店 梶山あゆみ訳

「トンブクトゥはからからに乾ききっているから(古文書の保存には)ラッキーだったのです」
  ――4 私設図書館第一号の誕生

ハイダラが信仰していたのは、文字で書かれた言葉の力だ。本の表紙と表紙のあいだには、人間の多種多様な経験と思想が閉じ込められている。
  ――9 危険な同盟

「私たちにイスラムを教えてくれるだと? ふざけるな! 私たちは生まれながらのイスラム教徒だ。イスラムはこの町に1000年も根づいてきたんだ!」
  ――11 征服と抑圧

「その古文書とやらをもってこい。燃やしてやる」
  ――17 ニジェール川の輸送計画

【どんな本?】

 トンブクトゥ(→Wikipedia)はアフリカのマリ共和国の中央部、ニジェール川のほとりにある都市だ。サハラ越えの交易の交点として、古くから栄え、様々な民族が往来した。時代により支配者は変わったが、特に14世紀後半からは学問と文化の都として名声を轟かせる。15世紀から写本づくりが盛んになり、16世紀では10万ほどの人口のうち1/4近くが各国から集った学者や学生だった。

 重要な都市だけあって、戦乱に巻き込まれる事も多い。古書を収集しまたは先祖伝来の書物を継承する者も多いが、彼らは戦火や略奪を避けコレクションを秘匿する傾向が強い。

 アブデル・カデル・ハイダラは名声高いマンマ・ハイダラの息子として生まれる。17歳の時に父マンマが亡くなり、遺言でマンマが継ぎかつ集めた古文書の管理役を継ぐ。やがて公的な機関アフマド・ババ研究所に属し、正式に古文書の維持管理や蒐集を学ぶ。また巧みに各国の財団や研究機関から基金を募り、父マンマが継承・収集した古文書を管理するマンマ・ハイダラ私設図書館を設立する。

 そして2012年冬。サハラ砂漠で勢力を拡大したアルカイダ系イスラム過激派組織AQIM(→Wikipedia)は、独立を求めるトゥアレグ族組織と手を組み、支配地域を南に広げトンブクトゥを支配下に置く。過激なワッハーブ派を独自解釈するAQIMに古文書が見つかれば、先人の叡智の結晶もアッサリと焼き捨てられてしまうだろう。

 危機を案じたアブデル・カデル・ハイダラは、大胆な手に打って出る。危険なトンブクトゥから、比較的に安全な首都バマコまで、約38万冊の古文書を密かに運び出そう。

 だがハイダラには一小隊の兵力もない。地縁・血縁から国際的な財団まで、あらゆるコネと知恵を駆使しつつ、ハイダラは隠密裏に移送計画を進め、みごとに古文書を救って見せた。

 古都トンブクトゥを中心としたニジェール川流域およびサハラ~サヘル地域の豊かな文化と歴史、そこに住む人々のバラエティに富む暮らし、現代のアフリカ大陸北部の社会情勢とAQIMをはじめとするアルカイダ系過激組織の内情、そして様々な立場で古文書を守る人々の姿を描き、北アフリカの歴史と現代を伝える、迫力に満ちたルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Bad-Ass Librarians of Timbuktsu : And Their Race to Save the World's Most Precious Manuscripts, by Joshua Hammer, 2016。日本語版は2017年6月30日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約315頁に加え、訳者あとがき6頁。10ポイント43字×17行×315頁=約230,265字、400字詰め原稿用紙で約576枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。敢えて言えば、北アフリカの地図があると迫力が増すだろう。

【構成は?】

 このままドラマか映画になりそうな構成なので、素直に頭から読もう。

  • 関連地図
  • プロローグ
  • 1 重責を負わされた少年
  • 2 失われた黄金の歴史
  • 3 古文書を探す苦難の旅
  • 4 私設図書館第一号の誕生
  • 5 トンブクトゥの新たな春
  • 6 忍び寄るイスラム原理主義
  • 7 警戒を強めるアメリカ
  • 8 吹き荒れるテロの嵐
  • 9 危険な同盟
  • 10 トンブクトゥに迫る戦火
  • 11 征服と抑圧
  • 12 古文書救出作戦の開始
  • 13 破壊と残虐
  • 14 トンブクトゥ脱出
  • 15 南下する恐怖
  • 16 フランスの軍事介入
  • 17 ニジェール川の輸送作戦
  • 18 勝利と解放
  • 19 戦いの終焉
  • エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 書名から受ける印象とは違い、主役アブデル・カデル・ハイダラによる「密輸」を描く部分は、思ったよりと少ない。全体の1/3ぐらいだろう。

 では残りの2/3はというと、その背景事情をじっくりと書き込んでいる。これが意外と面白いのだ。先にトンブクトゥを中心とした地域の歴史をアッサリと紹介したが、これが実に意外性に満ちている。

 まずトンブクトゥが古の学問の都ってのが興味をそそられる。日本だと萩や金沢みたいな感じかな? そこに住む人々も、ある意味で京都っぽい。家柄を重んじるのだ。いやホントに京都がそうなのかは知らないけど。アチコチに古文書が埋もれていたりするのも、歴史の風格を感じさせる。戦禍を避けるため、敢えて近隣の村などに避難させてたり。

 そんなわけで、研究員となった若きハイダラ君は、アチコチに散らばった古文書を集める仕事に就く。最初は蒐集家にナメられっぱなしのハイダラ君が、凄腕の蒐集家として成長してゆく過程も面白い。なにせ先祖伝来のお宝だ。どこの誰とも知れない若造に、ハイそうですかと譲ってくれるわけもなくw

 ここで描かれるニジェール川のほとりの風物も、読んでてワクワクした。ニジェール川の川筋が、これまた奇妙で、アフリカ大陸北部の西に出っ張ったあたりから始まり、東に向かって流れサハラの南西部を潤し、ギニア・マリ・ニジェール・ナイジェリアを通って大西洋にそそぐ。魚が採れるだけでなく、なんと水田まであるのには驚いた。

 そんなわけで、かつてのトンブクトゥが豊かな街だったのも納得がいく。サハラ越えの交易地でもあるから、民族や文化も国際的だったんだろう。治安さえよければ、今だって国際文化都市として発展する潜在力は充分にありそうだ。

 そう、治安さえよければ、だ。これを脅かすイスラム過激派についても、詳しく書いてあるのが、本書のもう一つの読みどころ。「ブラック・フラッグス」や「倒壊する巨塔」にあるように、国際化してるのが現代の特徴だ。この本でも、世界各国の地名・人名が登場する。

 サウジアラビアのジェッダにあるキング・アブドゥルアズィーズ大学、リビアのカダフィ、パキスタンの宣教組織タブリーグ・ジャマート、AQIMではモフタール・ベルモフタール、アブデルハミド・アブ・ゼイド。加えて独立を求める地元トゥアレグ族過激派の顔役イヤド・アグ・ガリー。

 彼らとカダフィ失墜や麻薬の密輸、そしてアルジェリア人質事件(→Wikipedia)がスルスルと結びついていくあたりは、推理小説を読んでいるような心地よさがある。いや実際は血生臭い話ばっかりなんだけど。カダフィの失墜がマリの情勢不安定に繋がっていくあたりは、何度も頷いてしまった。ゴキブリの巣を潰したはいいが、肝心のゴキブリは他に散らばった的な格好ですね。

ちなみに本書p145の麻薬密輸のルート、道筋はあってるけど流れは逆だろう。コカインの流れはコロンビア→ギニアビサウ→マリ→サハラ越え→欧州のはず(→「コカイン ゼロゼロゼロ」)。コカインは産地が南米で、消費地は欧米だし。原書は見てないんで、間違いが原文なのか翻訳なのかは不明。

 そんな中で、ハイダラの密輸大作戦が始まる。何せ連中は聖者の聖廟すら叩き壊すのだ。歴史や伝統なんざ屁とも思ってない。本書によると、1802年にサウド家の二代目アブドゥルアズィース・イブン・サウードは、シーア派の聖地カルバラー(現イラク、→Wikipedia)でムハンマドの孫フサインの墓を荒らしてる。そりゃイランとサウジの仲が悪いわけだ。

確かサウジはイスラム最大の聖地メッカでも、異端認定した伝統あるモスクや聖廟を壊してるって話があったような。

 とかの物騒な連中が占拠しているトンブクトゥに対し、終盤になってやっと米軍とフランス軍が重い腰を上げる。これ住民にとっては嬉しいニュースだが、読んでる私は実にハラハラした。

 というのも、イラクのファルージャの戦闘が再現したら怖い。なにせファルージャでは「3万9千戸の建物のうち1万8千戸が半壊または全壊」である(→「ファルージャ 栄光なき死闘」)。トンブクトゥでこんな真似をされたら、古文書なんざ跡形もなく吹っ飛んでしまう。奴ら遠慮なくヘルファイア・ミサイル撃ちまくるし。

 というか、バグダッドも世界に名の響き渡る古都だから、きっとたくさんの古文書があったはずで、その多くが戦火で失われたんだろう、と思うと、なんともなあ。

 などの物騒な話の合間に、なんとかトンブクトゥを文化と共栄の象徴にしようとする「砂漠のフェスティバル」(→Youtube)の話も混じり、悪夢のような社会情勢の中でも希望の灯を灯そうとする人々の姿も、強い印象を残した。あの辺の音楽って、撥弦楽器が多いせいかギター大好きな私は血が騒ぐんだ。

 意外性に満ちたトンブクトゥの歴史、バラエティに富んだニジェール川流域の地理と人々の暮らし、リビア・サウジアラビア・パキスタン・コロンビアと国際的に広がるテロ組織、思想や教義はもちろん天文学から性生活に至るまでの幅広い内容を含む古文書、そして文化を守るために知恵を振り絞る人々の努力。驚きとドラマに満ちた本だった。

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2019年7月11日 (木)

ビョルン・ベルゲ「世界から消えた50の国 1840-1975」原書房 角敦子訳

切手の製造は、1878年にアルゼンチンの郵便制度が国営化されるまで続いた。この時期をはさんで多くの偽物が出たが、そのどれにもいえる特徴が、ほぼまちがいなくオリジナルより品質が高いということである。
  ――コリエンテス パン屋の切手

…イギリス人は何をすべきかを承知していた。なぜなら、独自の切手発行ほど社会がきちんと機能していることを証明する手立てはないからだ。
  ――マフェキング 陽動作戦に出たボーイスカウト

石油生産が1870年代に始まると、バクー油田はまもなく世界の石油の50%以上を産出するようになった。その中心で一切を取り仕切っていたのは、スウェーデンのノーベル兄弟社である。
  ――バトゥーミ 石油ブームとクロバエ

イニニの地表の面積はベルギーの売あるが、人口は3000人しかなかった。この数字には土着の先住民は入っていない。先住民の人数をわざわざ数えようとする者などいなかったのだ。
  ――イニニ 人を寄せつけない熱帯雨林の道徳の罪

…ほぼ確実にいえるのが、その大半がこの国をまったく通過せずに収集家に直販されているということである。
  ――タンヌトゥバ 封鎖された国と奇抜な切手

カロンジは有力なルバ族の族長で、(略)その施政は軍国主義に傾いた独裁制だった。他の部族民は放逐され、政敵は暗殺か追放の憂き目にあった。(略)その後の数週間で新首都には、コンゴ全域のルバ族がどっと押し寄せた。その多くが執念深いルラ族からやむをえず逃げてきたのだった。
  ――南カサイ 悲惨なルバ族と貴重な鉱物

【どんな本?】

 何をもって国家とするのか。この定義は、けっこうあいまいだ。独自の通貨を発行し、それが実際に流通していれば、充分に国家と言えるだろう。だが通貨を発行し、それが国民や他国の信用を得るとなると、けっこう難しい。例えば東ティモールだ。独立国として認められてはいるが、経済は米ドルで回っている。

 対して切手は、独自通貨よりも発行が簡単だ。また、切手を発行することで、その政府は郵便制度を整え運用できる由を、他国にアピールできる。

 著者は趣味の切手収集を通じ、世界史の中で埋もれた様々な国に出会う。シチリア王国やオレンジ自由国やビアフラのように名の知れた国もあれば、ヴァン・ディーメンズ・ランドやアルワルなど、どこにあるのかもわからない国もある。それぞれが独自の事情で独立国となり、それぞれの事情で消えていった。

 切手を通じ、世界史の重箱の隅を掘り起こす、ちょっと変わった歴史と塵の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LANDENE SOM FORSVANT 1840-1970 (NOWHERELANDS 1840-1975), by Bjørn Berge, 2016。日本語版は2018年7月30日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約373頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×373頁=約302,130字、400字詰め原稿用紙で約756枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、19世紀以降の世界史に詳しいとより楽しめるだろう。世界地図が欲しくなるが、マニアックな土地ばかりが出てくる上に、昔の地名で出てくるので、Google や Wikipedia に頼る羽目になるかも。

【構成は?】

 それぞれ6頁ほどの独立したコラムになっている。気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

  • まえがき
  • 1840~1860年
  • 両シチリア王国 底なしの貧困と飽食の貴族
  • ヘリゴランド 島の王国から爆撃の標的へ
  • ニューブランズウィック うまい話に一杯食わされた移民
  • コリエンテス パン屋の切手
  • ラブアン いかがわしい南海の天国でどんちゃん騒ぎの酒宴
  • シュレスヴィヒ スカンジナビア主義と軍歌
  • デンマーク領西インド諸島 奴隷島のバーゲン・セール
  • ヴァン・ディーメンズ・ランド 流刑地と不気味な切手
  • エロベイ、アンノボンおよびコリスコ 反帝国主義と気の弱い宣教師
  • ヴァンクーヴァー島 木造の神殿
  • 1860~1890年
  • オボック 武器取引と山羊のスープ
  • ボヤカ 戦時の退廃
  • アルワル 尊大な藩王と甘いデザート
  • 東ルメリア 図面上の国
  • オレンジ自由国 讃美歌と人種差別
  • イキケ 不毛な土地の硝石戦争
  • ボパール ブルカをまとった王女
  • セダン シャンゼリゼからコントゥムへ
  • ペラ スズに取り憑かれて
  • 1890~1915年
  • サント・マリー島 熱帯ユートピアの文明人パニック
  • ナンドゲーアン 平和な熱狂
  • 膠州 惨めなゲームで気まぐれにふるまう皇帝
  • ティエラデルフエゴ 成金独裁者
  • マフェキング 陽動作戦に出たボーイスカウト
  • カロリン諸島 石貨とナマコの交換
  • 運河地帯 カリブ海のシベリア
  • 1915~1925年
  • ヘジャズ 苦いイチゴ味の切手
  • アレンシュタイン 独立の夏
  • ジュービ岬 砂漠の郵便機
  • 南ロシア 白い騎士が覇権を手放す
  • バトゥーミ 石油ブームとクロバエ
  • ダンツィヒ スポンジケーキとヒトラー
  • 極東共和国 ツンドラの理想主義者
  • トリポリタニア イスラム教発祥の地でのファシストのエアレース
  • 東カレリア 民族ロマン主義と陰気な森林地帯の悲哀
  • カルナロとフィウメ 詩とファシズム
  • 1925~1945年
  • 満州国 実験国家
  • イニニ 人を寄せつけない熱帯雨林の道徳の罪
  • セザノ 世界一寂しい場所の子どもの天国
  • タンヌトゥバ 封鎖された国と奇抜な切手
  • タンジール国際管理地区 近代のソドム
  • ハタイ 虐殺と仕組まれた国民投票
  • チャネル諸島 切手でサボタージュ
  • サウスシェトランド諸島 ペンギンの厳しい試練
  • 1945~1975年
  • トリエステ 歴史の交差点
  • 琉球 組織的な自決
  • 南カサイ 悲惨なルバ族と貴重な鉱物
  • 南マルク 香辛料とテロ
  • ビアフラ 飢餓と代理戦争
  • アッパーヤファ 泥の家と悪趣味な切手
  •  訳者あとがき/原注/参考文献

【感想は?】

 イギリス大暴れ。良くも悪くも。

 扱う時代が大英帝国の興隆と崩壊にまたがっているため、どうしてもイギリスの野望が遺した傷痕が多くなる。だが、ちゃんと役立つ遺産も残しているのだ。他でもない、ペニーブラック(→Wikipedia)、世界初の郵便切手だ。

 とはいえ、イギリスを持ち上げているのは「まえがき」だけで、本文中ではジョンブルの悪行を延々と連ねているように見えるのは、気のせいだろうかw 著者がノルウェー人だから、遠慮なく暴けるのかもしれない。

 その酷さがよく出ているのが、ヴァン・ディーメンズ・ランド。

 今はオーストラリアに組み込まれ、タスマニアと呼ばれている。元は囚人の流刑地で、オーストラリアと同じだ。囚人たちはカンガルーを狩って腹の足しにした。ところが、この島にはもともと原住民がいて、カンガルーは彼らの主な食材であるばかりでなく、皮や骨も衣類や道具になる。そのカンガルーが移住者によって狩りつくされ…

 今でもオーストラリアには白豪主義なんてのがあるけど、こういう歴史で成り立った国だとすれば、そういうのも残っちゃうんだろうなあ、なんて思ってしまう。誰だって悪役にはなりたくないし。

 これほどあからさまではないにせよ、アルワルでも植民地ならではの害が見える。1803年当時の名前はウルワル、インドの藩王国の一つだ。マハラジャとして君臨していたのはバクタワール・シン。彼はイギリス東インド会社と組む。東インド会社は、取引先の代表者がコロコロ変わると困る。だからたいていは現政体を支援する。おかげでマハラジャの地位は安泰となった。

 東インド会社は面倒を嫌い、藩王国の内政には原則として口出ししない。取引さえちゃんと履行すりゃいいのだ。ここでマハラジャが賢く国民を導けばいいが、バクタワール・シンは皆さんが想像するインドの王族そのものの尊大さ。さすがにムスリムの虐殺は東インド会社にたしなめられたが、作物をアヘンに切り替えたのは反乱を招く。

 これ東インド会社がなければ、アルワルの王朝は他国の侵略か国民の反乱で滅びていただろう。なまじ大国イギリスのバックアップがあったために、愚かな王朝が続いてしまったのだ。1970年代の南ベトナムや、現在のシリア・北朝鮮みたいなもんだね。宗主国にとっては、愚かで威圧的な独裁者の方が都合がいいしなあ。だって賢いと取り引きしにくいし、民意を重んじると宗主国に対し反乱を企てるし。

 逆に賢く立ち回った藩王国もある。ボパール、史上最悪の化学工場事故(→Wikipedia)で有名な所だ(「ボーパール午前零時五分)。ムガル帝国の撤退に始まる1818年の建国以後、四代続いて女王が治める。国民の多くがムスリムだったため反発はあったが、いずれも賢く治めたようだ。特に最後のカイフスラウ・ジャハンは、選挙に基づく立法議会を設立している。

 などと白人のやらかす事は…ってな気分を覆すのが、サント・マリー島。マダガスカルの東にある島だ。フランスの植民地だが、17世紀から海賊の根城だった。海賊というと物騒なようだが、実は意外と民主的で、福祉もちゃんとやってる(「図説 海賊大全」)。

リバテーシアの海賊船は(略)、海洋を忙しく横断していた奴隷船を拿捕したときは、その場で捕虜を解放してやり、サント・マリー島に住んで仲間になる機会も与えた。
  ――サント・マリー島 熱帯ユートピアの文明人パニック

 はずが、「25年で突然行き詰った」。原因は不明どころか、「その一切が壮大なホラ話であったかだ」。海の底には今も海賊船の残骸が眠っているというから、もしかしたら隠したお宝も…

 切手収集家の面目躍如と思えるのが、ヘジャズ。「知恵の七柱」では、ヒジャーズと呼ばれている土地だ。

 そう、ここではアラビアのロレンスことT.E.ロレンスが活躍する。なんと「ロレンスは最終的な印刷工程も監督している」。「知恵の七柱」でも印刷に強いこだわりを見せたロレンス、ここでも「糊にイチゴの風味をくわえた」。おかげで「切手を舐めるためだけに購入する者が続出した」。なんと見事な商売人っぷりw ちなみに著者も舐めて確かめてます。

 とかの歴史の片隅のエピソードもあれば、最初の「両シチリア王国」では現在のイタリアにも残る南北の経済格差の源流が見えたり。切手を通して世界史を辿ることで、意外な視点が得られる、そんな本だ。

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2019年6月18日 (火)

デイヴィッド・W・アンソニー「馬・車輪・言語 文明はどこで誕生したのか 上・下」筑摩書房 東郷えりか訳

本書は印欧祖語を取り巻く中心的な謎を、いまならば解くことが可能であると主張する。すなわち、誰が、いつ、どこでその言語を話していたのかを。
  ――第1章 母言語がもたらす期待と政治

文献によって裏付けられた証拠もないのに、言語学者はどうやって再現された印欧祖語の正確さに確信が持てるのだろうか?
  ――第2章 死語をどう再構築するか

スワデシュは基礎語彙の置換率を、文字に書かれなかった言語において分離や分岐が起こった年代を確定するための標準化された時計として利用したいと考えた。
  ――第3章 印欧祖語の最後の話し手 言語と時代1

本章は印欧祖語の源郷の場所について、言語学的な証拠を挙げてゆく。(略)今日のウクライナとロシア南部に相当する黒海とカスピ海の北にある草原であり、ポントス・カスピ海ステップとしても知られている場所だ
  ――第5章 印欧祖語の源郷の場所 言語と場所

(オックスフォード大学のダニエル・)ネトルは西アフリカの言語集団の平均人口は、農業の生産性と反比例することを示した。
  ――第6章 言語の考古学

青銅とは何を指すのか? これは合金であり、最古のブロンズは銅と砒素の合金(砒素銅)だった。(略)砒素の含有率が混合物の2~8%ほどまで上がれば、できあがった金属は純粋な銅よりも色が薄くなり、冷やせばより硬くなり、溶かせば粘性が下がり、鋳造しやすくなることを古代の金属細工師が発見した。
  ――第7章 死滅した文化を再構築する方法

狩猟採取民は総じて、将来のためにわずかな貯蓄をするよりも、その場で分かち合い、寛大に振舞うことに重きを置く。そのため、畜産への転換は経済的なものであるのと同じくらい、道徳上の問題でもあったのだ。
  ――第8章 最初の農耕民と牧畜民

同じ場所に暮らすようになると、女性は一般により多くの子を産む。
  ――第9章 牝牛、銅、首長

人は徒歩でも、よい牧羊犬が1匹いれば、200匹ほどの羊を集めることができる。馬に乗って、同じ犬がいれば、その一人の人間で500匹の群れを追い立てることができる。
  ――第10章 馬の家畜化と乗馬の起源 歯の物語

前4200から前3800年にかけて気候が寒冷化したために、古ヨーロッパの農耕経済はおそらく衰退し、それと同時にステップの牧畜民がドナウ川河口周辺の低湿地と平原に押し入ってきた。
  ――第11章 古ヨーロッパの終焉とステップの台頭

遊牧の日常の自給自足経済は外部の国家からの援助は必要としていなかったのだ。
  ――第13章 四輪馬車に居住する人びと

廃れゆく言語にまつわる否定的な評価は、孫子の代によって重要度の低いものへと分類され直しつづけ、しまいには誰もおじいちゃんのように話したくはなくなるのだ。言語の交替とアイデンティティの蔑視は、密接に関連しているのである。
  ――第14章 西方の印欧諸語

シンタシュタで行われた供儀の細部は、『リグ・ヴェーダ』に描かれた葬送儀礼の供儀と驚くほど似通っていた。
  ――第15章 北部ステップの二輪馬車の戦士

最古の二輪馬車はおそらくステップで前2000年以前に出現したと考えられる。
  ――第15章 北部ステップの二輪馬車の戦士

【どんな本?】

 印欧語は、中国西部のトカラ語・インドのサンスクリット語・アフガニスタンのパシュトン語・イランのペルシャ語から、ロシア語・ラテン語・ケルト語そして英語まで、ユーラシアの各地で使われている言語だ。これらは一つの言語=印欧祖語から枝分かれしたものと考えられている。それは、どこで生まれ、どのように広がったのだろう?

 1991年のソ連崩壊に伴い、それまでアクセスが困難だったソ連の資料が使えるようになった。また元ソ連領だった所の学術調査も活発になる。これに伴い、それまで謎に包まれていた黒海とカスピ海の北岸や、ウラル山脈近辺の遺跡や遺物にも学問の光が当たり、意外なユーラシア史が浮かび上がってきた。

 言語学と考古学の間に広がる溝に、ソ連崩壊後に手に入った豊富な資料を基に橋を架け、壮大な人類史を描き出す、人類史の専門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Horse, The Wheel, and Language : How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World, by David W. Anthony, 2007。日本語版は2018年5月30日初版第一刷発行。単行本ハードカバー上下巻で縦一段組み、本文約362頁+282頁=644頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×(362頁+282頁)=約550,620字、400字詰め原稿用紙で約1,377枚。文庫なら上中下の三巻に分けてもいい大容量。

 文章は比較的にこなれている。が、内容は思いっきり専門的で、かなり重い。ドラマチックで意表を突く仮説を、可能な限りの根拠に基づいて唱える本なので、やたらと専門的で細かい話が多い。充分に覚悟して読もう。また、舞台が黒海・カスピ海を中心にハンガリーから中国整備のアルタイ山脈にまで及ぶので、世界地図があると便利。また、序盤は発音記号が読めると良い。実は私は読めない。

【構成は?】

 訳者あとがきによると、第1章の後に最終章=第17章を読むといい、とある。私もそう思う。第1章でテーマを示し、最終章で結論を出す、そういう形になっている。途中の章は、結論に至る道筋を証拠で固める役割だ。いささか専門的で細かい話が多く、本筋を見失いがちになる。

 また、随所に地図や表や写真が出てくるので、栞をたくさん用意しよう。

  •   上巻
  • Ⅰ 言語と考古学
  • 第1章 母言語がもたらす期待と政治
    • 祖先
    • 言語学者と自国至上主義者
    • 母言語の誘惑
    • 古い問題に対処する新しい解決策
    • 言語の消滅と思考
  • 第2章 死語をどう再構築するか
    • 言語の変化と時代
    • 失われた音をどう再構築するか?
    • 忘れ去られた意味をどう再現するか?
    • 失われた言語の形
    • 死語を蘇らせる
  • 第3章 印欧祖語の最後の話し手 言語と時代1
    • 時代区分の長さ 言語はどのくらい永続するか?
    • 印欧祖語の末日 母言語から娘言語へ
    • 最も年長でもっとも奇妙な娘(あるいは従姉妹か?) アナトリア語
    • 次に長い銘文 ギリシャ語と古インド語
    • 親族を数え上げる 前1500年代にはいくつあったのか?
  • 第4章 羊毛、車輪、印欧祖語 言語と時代2
    • 羊毛の語彙
    • 車輪の語彙
    • 車輪はいつ発明されたか?
    • 車輪の意義
    • ワゴンとアナトリア源郷仮説
    • 印欧祖語の誕生と死
  • 第5章 印欧祖語の源郷の場所 言語と場所
    • 「源郷」という概念の問題点
    • 源郷を探す 生態学と環境
    • 源郷を見つける 社会・経済的状況
    • 源郷を突き止める ウラルとカフカースとの関連
    • 印欧祖語の源郷の場所
  • 第6章 言語の考古学
    • 恒常的な境界地帯
    • 移住がもたらす物質文化の変容
    • 生態学的境界地帯 生計を立てるさまざまな方法
    • 小規模な移住、エリート集団の募集、言語交替
  • Ⅱ ユーラシア、ステップの開放
  • 第7章 死滅した文化を再構築する方法
    • 考古学の誕生
    • 三時代区分の混乱
    • 年代測定と放射性炭素の革命
    • 食べていたものを知る方法
    • 考古学上の文化と現存する文化
    • この先で論じる大きな問題
  • 第8章 最初の農耕民と牧畜民 黒海・カスピ海の新石器時代
    • 「三人目」の神話と聖なる牛
    • 開拓農耕民の移住
    • 農耕民と採集民の遭遇
    • 牛を受け入れなかった人びと
    • 神々が牛を与える
  • 第9章 牝牛、銅、首長
    • 古ヨーロッパの銅の交易網
    • 境界地帯に生まれた文化
    • 牧畜への移行と権力の萌芽
    • フヴァリンスクの供犠と副葬品
    • カフカース山脈という障壁
    • 牝牛、社会的権力、部族の出現
  • 第10章 馬の家畜化と乗馬の起源 歯の物語
    • 馬はどこで最初に家畜化されたのか?
    • 馬はなぜ家畜化されたのか?
    • 飼い馬とは何か?
    • ハミ痕と乗馬
    • 印欧語の話し手の移住とデレイフカのハミ痕
    • ボタイと金石併用時代の乗馬
    • 乗馬の起源
    • 騎乗は文化に何をもたらしたか?
  • 第11章 古ヨーロッパの終焉とステップの台頭
    • 戦争と同盟
    • 東方からの馬と儀式
    • ドナウ川流域への移住
    • 戦争、気候変動、言語交替
    • 崩壊後
  • 原註/索引
  •   下巻
  • Ⅱ ユーラシア、ステップの開放(承前)
  • 第12章 ステップの境界に生じた変化の兆し 政治的権力の源泉
    • 交流と侵入 ステップの五つの文化
    • 都市よりも大きな町 トリポリエC1の特大規模の町
    • メソポタミアとステップとの関係
    • ウルク以前の北カフカース
    • どこでいつ出会ったか?
    • 大麻、馬、四輪荷車
    • 変わりゆく世界の地域言語としての印欧祖語
  • 第13章 四輪荷車に居住する人びと 印欧祖語の話し手たち
    • 移動生活と言語
    • 東の境界地帯を越えて アルタイ山脈への移住
    • 埋葬されるワゴン
    • なぜ東から広まった?
    • 牧畜と遊牧の有利・不利
    • 剣と斧と巨大な墓
    • 海上交通の革新
  • 第14章 西欧の印欧諸語
    • 騎乗者の役割
    • 移住の痕跡と言語の分離
    • ステップの大権力者
    • ドナウ川流域を遡る
    • 二つの文化の接触と交流 ゲルマン諸語の起源
    • ギリシャ語の起源
    • 西方の初期印欧諸語の消滅
  • 第15章 北部ステップの二輪戦車の戦士
    • 世界最古の二輪戦車
    • 森林境界地帯の消滅 森林の「縄目文」牧畜民
    • 狩猟民、牧畜民、交易者
    • 気候変動と技術革新
    • 環壕集落と武器 二輪戦車部隊の新しい戦術
    • 価値の競技会
    • アーリア人の起源
  • 第16章 ユーラシア・ステップの開放
    • 青銅器時代の帝国とステップから来た傭兵
    • バクトリア=マルギナ考古学複合体
    • ユーラシア・ステップの開放
    • 西部ステップの牧畜と採集 農耕なき定住
    • ウラル山脈の東、様相Ⅰ 牧畜から交易へ
    • 森林ステップ地帯の金属加工職人
    • ウラル山脈の東、様相Ⅱ 技術と言語の拡散
    • 『リグ・ヴェーダ』に残された痕跡
    • ユーラシアを横断する橋
  • 第17章 言葉と行動
    • 馬と車輪
    • 考古学と言語
  • 補遺 放射性炭素年代についての註記
  •  謝辞/訳者あとがき/原註/参考文献/索引

【感想は?】

 うう、重い。

 ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」に雰囲気が似た書名だから、一般向けの本かと思ったら、とんでもない。とにかくやたらと細かく根拠に拘りまくる、考古学の本格的な専門書だ。

 テーマを表しているのは、印欧語族である。西はアイルランドから東はインドまで、ユーラシアを覆っている(→Wikipedia)。南北アメリカやアフリカでも使われているが、この辺の歴史的経緯はみなさんご存じだろう。問題は、文書が残っていない紀元前の時代に、どうやって言語が広がっていったか、だ。

 序盤では、言語学から謎に迫ってゆく。言語は生き物だ。某匿名掲示板が顕著なように、特定の集団では、特定の言語が発達する。この発達が一定の度合いを越えると、別の言語になる。日本国内だって沖縄と青森じゃ全く言葉が違う。というか、沖縄の言葉は琉球語と言っていいんじゃないかと思うが、それはさておき。

 この変化に一定の法則がある、というのが驚きだ。まあ日本語だって旧仮名の「ゐ」は「い」と違う音だったと聞いたことがある。この変化の具合は、ちゃんと測れるのだ。音によって変化しやすい音もあれば、単語の重要性による違いもある。これらを総合して、数値化できるっていうのが凄い。この手法が、遺伝子の変化を調べる生物学の手法と似ているのも驚き。

 ヲタクとして興奮しちゃうのが、『リグ・ヴェーダ』にアチコチで触れてるあたり。これは紀元前1500~1200年ぐらいに、インド北西部~パンジャブで編纂された。このインドの聖典に登場する神々・道徳観念・古インド語が、最初に文献として登場するのはシリア北部ってのに、厨二な心がビンビンと感じてしまう。

 のはいいのだが、以降はひらすら学術的で専門的な話が進む。しかも、主な舞台は黒海とカスピ海の北岸、カフカス山脈の北に広がるステップ地帯である。

 ここで発掘された遺跡や、その遺物について、とにかく細かい話が延々と続く。埋葬された人の姿勢や頭がどっちを向いているか。副葬品は何か。それぞれの素材は何で、どんな形をしていて、何に使ったのか。そして、年代はいつごろか。

 補遺に「放射性炭素年代についての註記」なんてのがついているのでわかるように、正確さには偏執的なまでの拘りを見せる。放射性炭素年代法は万能だと思っていたが、そうではない事もわかった。魚をたくさん食べていると、本来より古い年代と測定されてしまうのだ。なぜって、魚は水底の古い炭素を多く含んでいるから。そこで窒素で補正して云々。

 とかもあれば、土器の素材・文様・製造方法・焼成温度にもこだわりまくる。貝殻を混ぜるなんてのは知らなかったなあ。

 中でも重要なのは馬だろう。「銃・病原菌・鉄」でも使役獣の重要性はアピールしていた。が、本書に出てくる馬の主な用途が、実に意外。なんと食用なのだ。つまり、印欧語の元祖を話していた人たちは、黒海北岸あたりの遊牧民で、馬と牛と羊を飼育してたんじゃないか、みたいな話になる。

 牛や羊はわかるが、なぜ馬か。これの理由も面白い。つまりは冬を越すためだ。馬はもともと北方の種で、雪原でも蹄で雪を掘り返して餌をとれる。こんな芸当は牛や羊じゃ無理。だもんで、寒い地域で遊牧するには馬が便利なのだ。もっとも、おとなしく家畜化するには、気性が重要なんだけど。

 食肉用から乗馬用への変化を追いかける10章では、変化の根拠としてハミ(→Wikipedia)の痕を調べる話を詳しく述べている。つまりは臼歯の減り具合なんだが、それが根拠となり得るか否かを確かめる過程では、獣医師や馬のトレーナーなどを訪ね歩き、数年かけて馬の臼歯を集める。牧場主も、考古学者がなぜ馬の臼歯を欲しがるのか、不思議に思っただろうなあ。

 歯と言えば、遺跡から出てきた遺骨から、虫歯や貧血の症状を調べているのも、考古学の変化を感じさせる。「むし歯の歴史」にもあるように、穀物を多く食べると、虫歯になりやすい。逆に肉や魚が中心だと、虫歯は少ない。壺の底に残った粒なども合わせ、これで当時の食糧事情がわかるわけ。

 やはり科学の進歩を感じるのが、花粉だ。水中や土中に残った花粉の種類を調べれば、周辺にどんな植物が生えていたか、気候はどうだったかがわかる。

 そして青銅である。一般に青銅といえば銅と錫の合金と思われているが、最初は銅と砒素だったってのは意外だ。というのも、錫の鉱山は滅多に見つからないからだ。わかっているのは…

錫鉱山はどこにあったのだろうか?(略)最も可能性のある産地は、アフガニスタンの西武と北部(略)古代の採鉱地は発見されていない。もう一つの可能性はザラフシャン川流域で、ここでは古代世界最古の錫鉱山がサラズム(タジキスタン北西部)の遺跡付近で見つかっている。
  ――第16章 ユーラシア・ステップの開放

 とすると、メソポタミアやインドでは、どうやって錫や青銅を手に入れたのか。こういった多くの証拠から浮かび上がってくるのは、実に壮大な古代人類の交易ネットワークなのだ。なんかワクワクしてきませんか。

 一般向けのフリをしているが、とんでもない。考古学者がプロに向けて書いた、本格的な専門書である。それだけに証拠固めは詳細を極め、正直ウザいと感じる部分も多い。また出てくる地名も馴染みのないロシア語が多く、そこでつっかえたりもする。が、時代の霞を越えてうっすらと見えてくるビジョンは、胸躍るものがある。充分に体力と気力を整えて挑もう。

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2019年5月24日 (金)

ティム・ハーフォード「50 いまの経済をつくったモノ」日本経済新聞出版社 遠藤真美訳

この本は、紙、バーコード、知的財産、文字など、50の発明をとりあげて、世界経済はどのように動いているのか、その知られざる物語にスポットライトを当てる。
  ――はじめに

1960年代初めには、世界の商品貿易額は世界国内総生産(GDP)の二割に満たなかった。それがいまでは五割前後になっている。
  ――17 輸送用コンテナ

貨幣とは債務なのである。
  ――20 取引できる債務とタリースティック

都市の光景はひっくり返ろうとしていた。そのきっかけをつくったのは、エレベーターを発明した男ではなく、エレベーターのブレーキを発明した男だった。
  ――22 エレベーター

グレース・ホッパー「いままで誰もそんなことを考えなかったのは、みんな私のようにものぐさではなかったからだ」
  ――29 コンパイラ

iPhone の開発の基礎をつくったのはスティーブ・ジョブスではない。アンクル・サムだったのだ。
  ――30 iPhone

世界の財の輸送コストのうち、燃料は約七割を占める。科学者のバーツラフ・シュミルは、グローバリゼーションの原動力がディーゼルではなく蒸気だったら、貿易の発展はずっと遅くなっていただろうと指摘している。
  ――31 ディーゼルエンジン

原油生産量の約8%がプラスチック生産に使われており、うち半分の4%が原材料、残り4%がエネルギーになる。
  ――36 プラスチック

「いま年収七万ドル稼ぐのと、1900年に七万ドル稼ぐのと、どちらがいいですか」
  ――50 電球

【どんな本?】

 エルトン・ジョンとペーパーレス・オフィスの関係は? 40年間、ある発明を禁止することで、日本の社会が被った影響とは? FRB議長と元の皇帝フビライ・カンの共通点は?

 人類の歴史は、様々な発明に彩られている。必要に迫られて生み出されたものもあれば、たまたま巧くいったものもある。車輪のように他の発明の基礎となったものもあれば、他の発明を幾つも組み合わせたものもある。それ自体で便利に使えるものもあれば、しくみ全体の改革を促すものもある。

 発明の経緯が様々なら、それが生み出す結果も多種多様だ。風が吹けば桶屋が儲かる的に、一つの発明が思わぬ所で役に立ったり、または大きな損害をもたらす場合もある。

 発明から始まるバタフライ効果の例50個をジャーナリストがまとめた、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FIFTY THINGS : That Made the Modern Economy, by Tim Harford, 2017。日本語版は2018年9月21日1版1刷。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約391頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント42字×17行×391頁=約279,174字、400字詰め原稿用紙で約698枚。文庫本なら少し厚い一冊分ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい物が多い。敢えて言えば世界史を少し知っていた方が楽しめるが、知らなくても特に問題はないだろう。

【構成は?】

 それぞれの項目は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 1 ブラウ
  • はじめに
  • Ⅰ 勝者と敗者
  • 2 蓄音機
  • 3 有刺鉄線
  • 4 セラーフィードバック
  • 5 グーグル検索
  • 6 パスポート
  • 7 ロボット
  • 8 福祉国家
  • Ⅱ 暮らし方を一変させる
  • 9 育児用粉ミルク
  • 10 冷凍食品
  • 11 ピル
  • 12 ビデオゲーム
  • 13 マーケットリサーチ
  • 14 空調
  • 15 デパート
  • Ⅲ 新しいシステムを発明する
  • 16 発電機
  • 17 輸送用コンテナ
  • 18 バーコード
  • 19 コールドチェーン
  • 20 取引できる債務とタリースティック
  • 21 ビリーブックケース
  • 22 エレベーター
  • Ⅳ アイデアに関するアイデア
  • 23 楔形文字
  • 24 公開鍵暗号方式
  • 25 複式簿記
  • 26 有限責任株式会社
  • 27 経営コンサルティング
  • 28 知的財産
  • 29 コンパイラ
  • Ⅴ 発明はどこからやってくるのか
  • 30 iPhone
  • 31 ディーゼルエンジン
  • 32 時計
  • 33 ハーバー=ボッシュ法
  • 34 レーダー
  • 35 電池
  • 36 プラスチック
  • Ⅵ 見える手
  • 37 銀行
  • 38 カミソリと替え刃
  • 39 タックスヘイブン
  • 40 有鉛ガソリン
  • 41 農業用抗生物質
  • 42 モバイル送金
  • 43 不動産登記
  • Ⅶ 「車輪」を発明する
  • 44 紙
  • 45 インデックス・ファンド
  • 46 S字トラップ
  • 47 紙幣
  • 48 コンクリート
  • 49 保険
  •  結び 経済の未来
  • 50 電球 
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 「世界を変えた6つの『気晴らし』の物語」や「人類を変えた素晴らしき10の材料」に似た面白さがある。

 つまりはアイデアやテクノロジーが、私たちの暮らしをどう変えたか、という話。で、違うのは、大きく分けて三点。

 ひとつは、著者の立場だ。本書の著者は経済学に詳しい。そのためか、「ソレがGDPを何%押し上げたか、または費用が掛かったか」などの数字が出てくる。数字が好きな人に、こういうのは嬉しい。いや私の事なんだけど。もっとも、その大半は「○○の試算によれば」的な断り書きがつくんだけど、とりあえず数字が出てくれば見当がつけやすいのだ。

 次に、扱うモノの数が多いこと。これは良し悪しで、料理で言えば小皿が次々と出てくる感じだ。バラエティ豊かな味を楽しめるのはいいんだが、それぞれの量が少ないため、ちょっと食い足りない気分も残る。もっとも、その辺は、例えば「3 有刺鉄線」は「鉄条網の歴史」を、「17 輸送用コンテナ」は「コンテナ物語」を、「44 紙」は「紙の世界史」を読めばいいんだけど。

 そして最後に、発明が社会に与えた影響を大きく取り扱っていること。特に利益だけでなく、費用や損害についてもキチンと書いているのが特色だろう。

 パッと見ても分かるのが「40 有鉛ガソリン」で、ガソリン・エンジンの効率を上げる反面、都市に住む人に多大な健康被害をもたらした。ハーバー=ボッシュ法は人類を飢餓から救ったが、困った副産物も創り出してしまった。詳しくは「大気を変える錬金術」をどうぞ。いやマジであの本は傑作です。

 私のようなオッサンは、「流しのギター弾き」なる存在を知っている。だがカラオケにより彼らは駆逐された。昔は多少ギターが弾けて愛想がよければ食っていけたが、今は相応の技術とセンスとルックスとコネと若さがないと無理だ。それもエジソンの蓄音機に始まる録音・再生技術の発展によるもの。ジェフ・ベックの妙技に慣れた者は私のギコギコ音なぞ騒音としか思わない。おのれエジソン。

 だが、お陰で私はいつでもエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(→Youtube)」を楽しめる。二流三流のミュージシャンは淘汰され、一流ミュージシャンは大金を稼ぐ。「上位1%のアーティストのコンサート収入は、下位95%のアーティストの収入を合計した額の5倍を超える」という、たいへんな格差社会になってしまった。

 今や音楽は聴くものであって自ら演奏するものではない…と思ったが、「隠れた音楽家たち」によると、1980年代まではソレナリに生き残っていた様子。日本でも繁華街には楽器屋もあるし、暫くは大丈夫かな? ちなみにクラシック界にも大変動が起きてて、それについては、「音楽の進化史」が詳しいです。

 著者が気づいているかどうかはわからないが、実は似たような変化が19世紀に起きている。主役はチャールズ・ディケンズ、イギリスのベストセラー作家だ。当時のアメリカは新興国で、ディケンズ作品の違法コピーを新聞が堂々と載せていた。まるでちょっと前の日本のアニメと中国の関係だね。これに怒ったディケンズは、1842年にアメリカに渡り抗議するが、新聞に袋叩きにされてしまう。

 幸い晩年になって、ディケンズは大きな利息を手に入れる。25年後に再びアメリカを訪れたディケンズは、公開朗読会で大儲けするのだ。違法コピーによって彼の名は多くの人に知れ渡り、大人気になっていた、というオチ。

 これを今のポピュラー音楽で言うなら、無料配信で名を売りライブで稼げって形か。ちなみに既に20世紀に成功させた人たちもいて、その名をグレイトフル・デッドと言います。まあ知的財産にはご存知のような利害があって、私は「Free Culture」が唱える形が現実的かな、と思ってます。一定期間は全部を無料で保護するけど、それ越えたら延長料を払ったモノだけ保護するって形。

 ちょっと前に某銀行の情報システム改修が話題になった。これにピッタリ合致する例が、「16 発電機」に出てくる。19世紀末から20世紀初頭のアメリカの製造業で起きた、蒸気機関から電気駆動への置き換えだ。これが、意外にも手間取った。

 蒸気機関はデカく、気難しい。起動にも停止にも時間がかかる。だから工場全体で一個の大型蒸気機関を置き、その動力を工場全体にシャフトなどで配っていた。当時の工場は壮観だろうなあ。

 そんなんだから、当時の工場を設計する際は、蒸気機関を中心に考えていた。工場だけじゃない。人員配置も、製造工程も、蒸気機関が支配していた。いかに巧く蒸気機関を使いこなすかが、工場の経営のカギだったのだ。

 これが電気駆動だと全く違ってくる。巨大な蒸気ボイラーに比べたら電気モーターは豆粒だ。すぐ動くしシャフトで動力を伝える必要もない。電線をひいてもう一つモーターを足せばいい。蒸気機関は工場全体の動力を賄うが、電気モーターは必要なラインだけを動かせばいい。

 つまり、蒸気機関から電気への移行は、工場経営の概念そのものを変える必要があった。これに時間がかかったのだ。

 これが某行とどう関係してるかというと、あそこ既存システムを単に合体させただけなんだよね。業務の基本概念は変えてない。だから無駄に手間が増えてる。これを本書では、コンピュータ導入による効果の大小で論じてる。曰く、コンピュータに合わせて経営を変えれば効果は大きいが、経営に合わせてコンピュータを組み込んでも成果はない、と。日本でホワイトカラーの生産性が上がらないのも、そういう事だろう。

 さて、その某行でかつて活躍していたのが、「29 コンパイラ」に出てくるCOBOL。もっとも主役を務めるのはその母グレース・ホッパーだけど。

 彼女の言葉が、FORTRAN の開発者ジョン・バッカスとソックリなのが笑える(→Wikipedia)。ちなみに PERL の開発者 Larry Wall 曰く、「プログラマの三大美徳は怠惰・短気・傲慢」。加えてCOBOLのライブラリが充実していく過程は、Linux のデバイス・ドライバが充実していく様子とソックリだったりw ったく、この半世紀でコンピュータは進歩してるのに、プログラマはほとんど進歩してないw

 などと、ハードウェア・ソフトウェア・概念などを取りまぜ、面白ネタを次から次へと紹介してくれるのが、本書の楽しいところ。もっとも、私のように妄想逞しい者が読むと、そっちに気を取られてなかなか頁がめくれないのが欠点かも。

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2019年5月 5日 (日)

マーク・ペンダーグラスト「コーヒーの歴史」河出書房新社 樋口幸子訳

…コーヒーは、世界の「合法的な」輸出品の中では、石油に次いで最も金銭的価値の高い。そしてコーヒーは、世界中で摂取されている精神に影響を及ぼす薬物の中でも、最も強い作用を持つものの一つだ。
  ――序章 霊薬か泥水か

チャールズ・ウィリアム・ポスト「とても味のよい純粋な食品を作ることは割に容易だが、それを売るのはまた話が別だ」
  ――第6章 麻薬のような飲み物

(大恐慌の際に)コーヒー相場がアメリカの株式市場より二週間早く大暴落したのは、決して偶然の一致ではない。コーヒーは国際通商ときわめて密接に結びついていたからである。
  ――第9章 イメージ戦略で売るジャズ時代

1929年に1ポンド22.5セントだったコーヒーの価格が、二年後には8セントまで下落した。
  ――第10章 焼かれる豆と飢える農民

(第二次世界大戦では)コーヒーを飲むことが軍の各部門の間で競争になったが、消費量では合衆国海兵隊が断然首位を占めていた。
  ――第12章 「カッパ・ジョー」 第二次世界大戦の時代

1988年に、コロンビアがコーヒーの輸出によって得た収入は17憶ドルだったが、不法なコカインの密輸で稼いだと推定される金額は、それよりちょっと少ない15憶ドルだった。
  ――第17章 高品質コーヒー革命

世界全体のコーヒー輸出量は、1980年代の終わり頃より年に平均8400万袋増加していたが、平均年収は107億ドルから66億ドルに、つまり一年間に40憶ドル以上も激減した。
  ――第17章 高品質コーヒー革命

…会社のパンフレットには、スターバックとは『白鯨』に登場する「コーヒー好きの一等航海士」だと明記した。実のところ、『白鯨』の中では誰もコーヒーを飲んでいないのだが。
  ――第18章 スターバックス体験

「高品質コーヒー焙煎業者の方々が、我々(コーヒー生産者)の作ったコーヒーを8ドルから10ドルで売っていると聞いて驚き、当惑しています。私たちは1ポンド1ドル少々しか受け取っていないのに」
  ――第19章 残りかす

…カフェインは天然の殺虫剤なのだ。
  ――第19章 残りかす

【どんな本?】

現在、世界のコーヒー生産量と消費量は、年間一億袋に達している。
  ――第19章 残りかす

私たちの暮らしにはコーヒーがあふれている。テレビでは毎日缶コーヒーの宣伝が流れ、街にはスターバックスが次々と店を出している。最近はコンビニの100円コーヒーが話題だ。

 なぜ、いつから、こんなにコーヒーが飲まれるようになったのか。どこでどのようにコーヒーは作られ、どうやって私たちの元に届くのか。育成・加工・流通には、どんな人たちがどのように携わっているのか。コーヒーの楽しみ方にお国柄はあるのか。そして、現代のコーヒー業界は、どのような道を辿ってきたのか。

 主に20世紀のアメリカのコーヒー業界を中心に、コーヒーとそれに関わる人々の歩みを綴る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Uncommon Grounds : The History of Coffee and How It Transformed Our World, by Mark Pendergrast, 1999。日本語版は2002年12月30日初版発行。単行本で縦一段組み本文約510頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×510頁=約445,740字、400字詰め原稿用紙で約1115枚。文庫なら上下巻~上中下巻ぐらいの大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、当然ながら、コーヒーが好きな人向けだ。

【構成は?】

 ほぼ時系列に沿って進むので、できれば頭から読んだ方がいい。

  • はじめに 「オリフラマ」農園のコーヒー摘み
  • 序章 霊薬か泥水か
  • 第1部
  • 第1章 世界に広まるコーヒー
  • 第2章 コーヒー王国
  • 第3章 アメリカの国民飲料
  • 第4章 金ピカ時代のコーヒー大戦争
  • 第5章 ジールケンとブラジルの価格政策
  • 第6章 麻薬のような飲み物
  • 第2部
  • 第7章 成長に伴う痛み
  • 第8章 世界中のコーヒーの安全を守るために
  • 第9章 イメージ戦略で売るジャズ時代
  • 第10章 焼かれる豆と飢える農民
  • 第11章 大恐慌時代のショーボート作戦
  • 第12章 「カッパ・ジョー」 第二次世界大戦の時代
  • 第3部
  • 第13章 コーヒー攻撃とインスタントの不満足感
  • 第14章 勝ち誇るロブスタ豆
  • 第4部
  • 第15章 熱狂的な愛好家集団
  • 第16章 黒い霜
  • 第17章 高品質コーヒー革命
  • 第18章 スターバックス体験
  • 第19章 残りかす
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 書名の「コーヒーの歴史」は、間違いじゃないにせよ、正確じゃない。実際には、「アメリカのコーヒー・ビジネスの歴史」だろう。

 コーヒーそのものの歴史は、「コーヒーの真実」の方が詳しいし、視点も世界全体を見ている。対して本書は、アメリカ合衆国に焦点を合わせた感が強い。フィリップ・モリスやP&Gやスターバックスなどが、どのように生まれ育ち市場を奪い合い身売りや合併を経て現在に至ったか、そんなUSAを舞台としたビジネスの話が半分以上を占める。

 スイスのネスレやスターバックスが売り物にしているカプチーノなど、ヨーロッパも少し出てくる。が、あくまでも、背景としてだ。というのも、コーヒーは国際的な商品であり、世界のコーヒー市場の変化は、アメリカの市場にも影響するからだ。アラブに至っては歴史で少し触れるだけで、現代のアラブはほとんど出てこなかった。

 アメリカもヨーロッパも、コーヒーの消費地であって産地じゃない。産地は北回帰線と南回帰線の間、熱帯地域の高地が向く。というのも気温が大事なのだ。最低気温は0℃より高く、最高気温は27℃より低く、平均は21℃ぐらいでなきゃいけない。しかも、アラビカの高級な種は、直射日光に当たらず、背の高い日除け樹の影で育てなきゃいけない。かなりデリケートなのだ。

 そんなわけで、産地はかなり限られる。もともとコーヒーはエチオピアが原産なんだが、本書では中南米の話題が多い。特に存在感が大きいのはブラジルだ。こういう風に、中南米の農産物をUSAが買うって関係は、砂糖(→「砂糖の歴史」)やバナナ(→「バナナの世界史」)と似ている。そして、そこで繰り広げられるドラマも、似たような感じだ。

このたった一つの物資を注意深く観察すれば、それを通して中央アメリカ諸国の構造が見えてくるのである。
  ――第2章 コーヒー王国

 どんな構造か。産地の中南米では、大資本が土地を買い占め、または原住民から強引に土地を奪う。土地を奪われた原住民は安くコキ使われ、または奴隷として使いつぶされる、そういう構図だ。不満を募らせた労働者が逆らおうものなら…

1933年に(グアテマラ大統領のホルヘ・)ウビコ(・カスタニェダ)は、労働組合や学生運動、政治運動などの指導者百人を射殺させ、次いでコーヒーとバナナ農園の所有者は雇い人を殺しても処罰を受けなくてよいという布告を出した。
  ――第10章 焼かれる豆と飢える農民

 もう無茶苦茶だ。ちなみにこのウビコ、機を見る目はあったようで、「真珠湾攻撃の後、ドイツ人農園主たちとあっさり手を切った」。それぐらい真珠湾攻撃は愚行だったのね。まあいい。戦時中は煩い奴らにファシストのレッテルを貼り、戦争が終わり冷戦に突入するとレッテルを共産主義に貼りかえる。USAも赤の脅威と聞けば黙っちゃいない。CIAも政府に協力し…

 こういうパターンはベトナムでも同じなんだよなあ。社会構造・経済構造に根本的な原因があるのに、そこに気づかず手っ取り早くケリがつく(ように思える)軍事力で解決しようとして、後々まで大きな禍根を残す。いつになったらアメリカは学ぶんだろう。

 などの物騒な情勢をヨソに、USAでは幾つもの業者が生まれては消え、激しい競争を繰り広げる。最初はセールスマンが家庭を訪ね歩き、雑誌や新聞や看板で盛んに広告し、ラジオが出回ればスポンサーとして番組を提供し、スーパーマーケットが流行れば棚を奪い合う。当時の広告を多く紹介しているのも本書の特徴で、今なら炎上必至のキャッチコピーがズラリと並んでいたり。

 このあたりは、さすがに時代の変化を感じるところ。

 とまれ、流行り物を嫌う人も世の中には一定数いる。この本ではチャールズ・ウィリアム・ポストがコーヒーの敵役として登場し、優れたビジネスの手腕を見せてくれる。「私は治った!」なんて本を出してコーヒーを攻撃し、自社のコーヒー代用製品ポスタムに切り替えれば「普通の病気ならなんでも治せるのです」と売り込むのだ。

 21世紀の今でも似たような手口はよく使われるが、ポストが活躍したのは19世紀末。ここでは、逆に人の変わらなさを痛感したり。

 終盤では吸収合併による寡占化と、そのスキを突いて台頭するスターバックスに象徴される高品質コーヒーを描き、いまなお戦国時代が続いていることが伝わってくる。スターバックスの面倒くさい注文方法がどう決まったのかは、なかなか笑えるところ。世の中、往々にしてそんなもんです。

 全般的にはUSA内でのビジネスの話が中心ながら、私は原産地である中南米とUSAの関係が面白かった。なんとなく、最近の日本も似た構図に組み込まれつつある、なんて感じるのは私だけだろうか。

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