カテゴリー「書評:科学/技術」の267件の記事

2019年7月16日 (火)

ヘレン・スケールズ「貝と文明 螺旋の科学、新薬開発から足糸で織った絹の話まで」築地書館 林裕美子訳

貝殻をつくるというのは面倒な作業で、素材を集めて、それを貝殻につくり変えるという手間がかかる。このような理由から、軟体動物は常に殻をつくり続けているのではなく、殻をつくる余裕があるときに一気に大きくつくり足す。
  ――Chapter2 貝殻を読み解く

軟体動物はいつの時代にも人間の大切な食糧だった。理由は単純で、ほかの動物のように猛スピードで逃げ回らず、浅い海域や、満潮線と低潮線のあいだの浜に生息しているため、狩りがへたな人でも簡単に採集できるからだ。
  ――Chapter4 貝を食べる

人間によって絶滅の危機に追い込まれた最初の野生動物と考えられているのはシャコガイで、それは12万5000年ほど前にさかのぼる。シャコガイは地球上に現存する貝類でもっとも大きく成長し、長さは1メートルをゆうに超え、寿命は100年を超える。
  ――Chapter4 貝を食べる

アンモナイトを見ていくうえでややこしいのは、専門的に見たときにアンモナイトの多くがほんとうはアンモナイトと呼ばれるべきではないということにある。
  ――Chapter7 アオイガイの飛翔

海洋生物の多様性の豊かさでは(フィリピン諸島は)世界に冠たる海域で、世界の魚類の40%がここに生息し、サンゴは全体の3/4にあたる種類がここで見られる。
  ――Chapter8 新種の貝を求めて

「(ヒュー・)カミングのコレクションからは今でも新種が見つかる」
  ――Chapter8 新種の貝を求めて

貝殻はほとんどのものがチョークと同じ成分でできているので、ほんとうならばすぐに砕けてしまうはずである。(略)ところが貝殻は、(略)なかなか割れない。(略)貝殻はなぜ割れにくいのか。
  ――Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発

分布域が狭い種類ほど絶滅しやすい。
  ――Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発

寿命が短い生物のゲノムは複製がつくられる頻度が高いために、DNAの写し間違いが蓄積しやすく、自然選択がはたらく遺伝子はバラエティに富むことになる
  ――Chapter10 海の蝶がたてる波紋

【どんな本?】

 軟体動物。美味しいカキやサザエ、タコやイカやウミウシなど、海にいるものが思い浮かぶが、オカヤドカリ・カタツムリ・ナメクジなど、陸に住むものもいる。古生物ではアンモナイトが有名だ。ヒトは貝塚でわかるように大昔から食用にしてきたほか、タカラガイを貨幣として使い、戦や宗教など重要なイベントではホラガイを吹いた。

 彼らは、どこで何を食べて生きているのか。規則的でありながらも複雑な貝殻の模様は、なぜできるのか。「海の絹」の伝説は本当なのか。マテガイはどうやって砂に潜るのか。カキの養殖のコツは?

 節足動物に次いで多様性に富む軟体動物について、イギリスの海洋生物学者が彼らの不思議な性質や生態を紹介するとともに、食用・装飾・加工品の原料そして最新素材開発に至るまでのヒトとの関わりをユーモラスに描く、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Spirals in Time : The Secret Life and Curious Afterlife of Seachells, by Helen Scales, 2015。日本語版は2016年11月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約331頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×331頁=289,294字、400字詰め原稿用紙で約724枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ご想像のとおり色々な貝やタコやカニの名前が出てくるので、ついその姿形を調べたくなる。Google で探すなり図鑑で調べるなりしよう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみぐいしてもいい。ただし「Chapter 1 誰が貝殻をつくるのか?」は、この本のテーマである軟体動物全体を定義するところなので、ザッと目を通しておこう。

  • 日本の読者のみなさんへ
  • プロローグ
  • Chapter1 誰が貝殻をつくるのか?
    軟体動物は何種類いるのか/熱水噴出孔にいる軟体動物/軟体動物とはどんな生きものか/ことの始まり バージェス頁岩/軟体動物の祖先? ウィワクシア/軟体動物が先か、貝殻が先か/防弾チョッキに穴をあける歯 削り取り、噛み砕き、つき刺し、銛を打つ/サーフィンを覚えた巻貝/千に一つの殻の使い方 外套膜
  • Chapter2 貝殻を読み解く 形・模様・巻き
    イポーの丘で見つかった巻貝/螺旋の科学/貝殻をつくる四つの原則/貝殻の仮想博物館 考えられる限りの貝殻の形/なぜ形が重要なのか/右巻きと左巻き/自然界のお遊び 模様/マインハルトのシミュレーション・モデル/理論を裏付ける証拠/軟体動物の日記を解読する/コウイカの模様の解明
  • Chapter3 貝殻と交易 性と死と宝石
    貝殻の持つ神秘の力/最古の宝飾品/不平等の兆候/世界中で使われたスポンディルスの貝殻/旅するタカラガイ 貨幣/奴隷とタカラガイ/ヤシ油と貝殻貨幣
  • Chapter4 貝を食べる
    セネガルのマングローブの森で/イギリス人と貝/好ましい海産物?/事件の全容 貝毒による被害の原因/誰がシャコガイを食べたのか/カキの森の守護者 ガンビア/トライ女性カキ漁業者協会/二日にわたるカキ祭り
  • Chapter5 貝の故郷・貝殻の家
    失われたカキ漁/カキと生物群集/カキ漁の復活をめざして/カキの冒険/育成の足場になるカキ殻/共同体をつくる炎貝/ヤドカリ 殻をつくるのをやめたカニ/順番待ちするオカヤドカリ/ヤドカリに居候する生き物たち
  • Chapter6 貝の物語を紡ぐ 貝の足糸で織った布
    海の絹でつくられた伝説の布/ピンナの足糸/シシリアタイラギと海の絹/海の絹の神話と現実/海の絹の産地 ターラントとサルディニア/海の絹を織る姉妹/海の絹の殿堂 足糸博物館/極秘の足糸の採取方法/シシリアタイラギと共生する生き物
  • Chapter7 アオイガイの飛翔
    殻をつくるタコ/オウムガイの殻/アンモナイトが祖先?/蛇石と雷石/肥料になったコプロライト(糞石)/アンモナイトかナンモノイドか/白亜紀末の大量絶滅とアンモナイト/19世紀にアオイガイを調べた女性 お針子から科学者へ/自分で殻をつくるアオイガイ/アオイガイの奇妙な性行動/ジェット噴射
  • Chapter8 新種の貝を求めて 科学的探検の幕あけ
    オウムガイでつくられた器/海外遠征した博物学の先駆者たち/科学的探検の幕あけ/新種の貝を求めて太平洋を横断 ヒュー・カミングスの探検/二度目の探検 中南米の太平洋岸/サンゴ三角海域へ フィリピン諸島/商取引されるオウムガイ/カミングの標本と有閑階級/ロンドン自然博物館に収蔵されたカミングの貝コレクション/貝の図鑑 『アイコニカ』と『シーソーラス』
  • Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発
    イモガイの秘密をあばく/複合毒素の複雑な作用/貝毒から薬をつくる/生物接着剤になったイガイの足糸/二枚貝がつくり出す液状化現象/割れない殻の秘密 真珠層/巻貝の鉄の鱗/危機に瀕するイモガイ
  • Chapter10 海の蝶がたてる波紋 気候変動と海の酸性化
    海の蝶を訪ねて グラン・カナリア島/海の蝶の不思議な生態/酸性度の問題/石灰化生物たちの困惑/軟体動物が受ける酸性化の影響/死滅への道を歩む海の蝶/海の蝶の糞の役割/生態系を調べる手段/酸性化の時間/海の酸性化と科学者/人間の活動と海
  • エピローグ
  • 貝の蒐集について
  • 用語解説/謝辞/訳者あとがき
  • 本文に登場する書籍(原著名)の一覧/参考文献/索引

【感想は?】

 真面目な本なんだが、どうにも腹が減って困る。

 軟体動物って言葉は気色悪そうだけど、つまりは貝・タコ・イカだ。本書で見慣れない名前が出てくると、思わず「どんな味なんだろう」と考えてしまうのは、日本人のサガというか業というか。

 中身は大きく分けて三つ。一つは軟体動物そのものの話、二つ目は軟体動物の研究者の話、そして最後はそれ以外の人間との関わり。

 人間との関わりでは、軟体動物の中でも貝が大きな比重を占める。というか、本書全体でも貝の扱いが大きい。やはり貝殻という形で、死んでからも痕跡が残るのが大きいんだろう。それが綺麗だったり大きかったりすれば、蒐集家も子供も喜んで集める。流通の発達した現代ならともかく、昔はこの傾向がもっと顕著だった。

 日本だと山伏が持ってるホラガイ、ギリシャ神話だとポセイドンの息子トリトンが吹いている。今、調べたらホラガイの生息域は「インド洋、西太平洋」(株式会社科学技術研究所ホラガイ)。なぜ地中海のトリトンが持ってるんだ? またチベットでも祈りの合図で使ってる。インド洋からチベットまで、ヒマラヤを越えはるばる運んでいったのだ。

 こういう国際貿易の話は、「Chapter3 貝殻と交易」が詳しい。昔から、綺麗で貴重なものは貨幣になる。

 西アフリカじゃ14世紀からタカラガイが使われた。原産地はインド洋のモルディブ。インドを経てアラビアの商人がサハラを越え西アフリカまで運んでた。これにポルトガル・オランダ・イギリスが目を付け、大規模な奴隷貿易に使った結果、インフレになる。更に19世紀にアフリカ東海岸のザンジバルでハナビラダカラが見つかった結果、インフレが加速して価値は暴落、市場は崩壊しましたとさ。

 なんか南米から金銀が雪崩れ込んで崩壊したスペイン経済みたいな話だ。ヒトは何度も似たような事を繰り返してきたんだろうなあ。そういえば日本も養殖真珠でペルシャ湾岸の真珠産業を潰してます。

 この章では光ルミネッセンス年代測定法(→Wikipedia)なんてのが出てきて、こでも面白い。石英や長石に光が当たると時計はゼロにリセットされる。暗い所、つまり地中に埋まっていると時計は進む。これで古代の遺物が、どれだけ地中に埋まっていたか=どれだけ古いか、が分かるのだ。モロッコ島北部の洞窟からは、10万~12.5万年前の貝殻の装飾品が見つかっている。人類は昔からお洒落だったのだ。

 交易も現代になると規模が大きくなりすぎて、漁場を枯らすことも増えてきた。今じゃ二枚貝の養殖の7割が中国産だとか。最も有名なのはカキだろう。「Chapter4 貝を食べる」ではセネガルのマングローブでの、ちょっと変わったカキ産業振興の話が出てくる。カキが難しいのは、群れてないと次の世代が育たない点だ。雄は海中に生死を放出するので、近くに雌がいないと受精しないのだ。

 生殖で面白いのが、「Chapter7 アオイガイの飛翔」の主役アオイガイ(→Wikipedia)。これも今調べて気づいたんだけど、小安貝ってこれか。見た目も名前もカイみたいだけど、実はタコ。殻を持つのは雌だけで、雄の体重は雌の1/600。腕の先にペニスがあって、雌にペニスごと植え付け、やがて死ぬ。雌は受け取ったペニスを複数持ち歩き(なんちゅうビッチだw)、好きな時に受精する。カマリキよか酷いw

 ここでは、アイオガイを研究した19世紀のジーン・ヴィレプレの生涯もドラマチックで楽しい。

 過去の話ばかりでなく、未来も垣間見えるのが「Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発」。今まで新薬といえば植物由来の物が多かったが、ここでは魚まで毒殺するイモガイ(→Wikipedia)が大活躍。奴の毒は凶悪で、即効性+とどめを刺す毒の複数の毒を使う。毒が何の役に立つのかというと、痛みをブロックする、すなわち鎮痛剤になるのだ。効果はモルヒネの千倍で中毒になりにくい。

 ただし、これの投与法は、体に埋め込んだ「ポンプで脊髄液の中に薬剤を直接注入」って、まるきしSFだ。きっと某国はコレを使った「痛みを感じない兵士」を研究してるんだろうなあ。

 この章では「レナードの朝」でお馴染みのL-ドーパが意外な形で使えたり、貝殻の真珠層が軽くて丈夫な構造の秘密を隠してたり、マテガイ(→Wikipedia)の砂潜りが土木工法のヒントになったりと、SF者には興奮が尽きない章だ。

 奇妙奇天烈な軟体動物の生態から、それを巡る人間の世界にまたがる通商ネットワーク、彼らに憑かれた研究者たちの個性的な生涯、そして最新科学が解き明かした彼らの秘密とめくるめく応用範囲と、読みどころは満載。ただ、繰り返すが、どうしても読んでいるとお腹がすくのが欠点かも。

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2019年7月14日 (日)

クリスティー・アシュワンデン「Good to Go 最新科学が解き明かす、リカバリーの真実」青土社 児島修訳

「誰もが知っているアスリートが支持しているのなら、誰がその商品の効果の科学的根拠を求める?」
  ――第2章 水分補給

…肝心の質問が残っています。それは“運動後には何を食べればいいの?”です。端的に言えば、その答えは“身体が求めているものを食べればいい”です。
  ――第3章 栄養補給

人は治療が痛みを伴うものだと、“痛いのは効いている証拠だ”と考える傾向があるのです。
  ――第4章 アイシング

言葉巧みな商人が何世紀にもわたって栄えてきたのには理由があります――私たちは、何かを信じたがっているのです。
  ――第8章 サプリメント

「朝の気分や感情は、おそらくリカバリーのもっとも正確な予測因子だ」
  ――第10章 データ

「その手法を使う人が積極的に関わったり、代償を支払ったりしているとき、プラシーボの効果はより大きくなると考えられている」
  ――第11章 プラシーボ効果

【どんな本?】

 スポーツの練習中には、水分を取るべきなんだろうか? 昔は水を飲んではいけないと言われていた。だが最近は水分を補給すべきとする説が多い。実際にはどうなんだろう? 疲れた時にマッサージを受けると心地よい。だが、それは本当に効いているんだろうか? アスリート向けに様々なサプリメントが売られているが、その効果はどれほどなんだろう?

 リカバリー、疲労回復。高みを目指すアスリートは、より迅速なリカバリーを望む。野球などのプロ選手は、短いシーズンに旅をしながらもコンディションを保ち、多くの試合をこなさなければならない。彼らにとって、効果的なリカバリーは必須だ。それだけに、色々なリカバリー製品や方法が世に溢れており、アマチュアのアスリートにも広がっている。

 スポーツドリンク、アイシング、マジックウィンドウ、アイシング、マッサージ、瞑想、サプリメント、スポーツウォッチ。これら「科学的」と銘打たれた製品や理論は、本当に科学的な裏付けがあるのか。プロのアスリートや私たちは、なぜこれらに惹かれるのか。そして、厳しいトレーニングをこなしているにも関わらず、伸び悩む選手がいるのはなぜか。

 より優れた結果を残すために、またはより長くスポーツを楽しむために、重要な要素でありながら往々にして見落とされがちなリカバリーについて、自らもノルディックスキー・ランニング・自転車などを楽しむサイエンスライターが、アスリートや科学者への取材に加え体当たり取材も交えて送る、リカバリーと現代科学のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Good to Go : What The Athlete In All Of Us Can Learn From The Strange Science Of Recovery, by Christie Ashwanden, 2019。日本語版は2019年4月10日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約277頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×18行×277頁=約229,356字、400字詰め原稿用紙で約574枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。ただし、様々なリカバリーが流行している現代アメリカ向けの作品なので、無駄に厳しいだけの練習がハバを利かしている現代日本の感覚からすると、「へえ、今のアメリカってそうなんだ」的な雰囲気もある。

【構成は?】

 第1章は必ず読もう。「科学的とはどういうことか」を説明しており、以降の章の基礎となる部分だ。第2章~第8章は、個々のリカバリー方法を扱っている部分なので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。第9章~終章は、結論へと向かう「まとめ」のパート。

  • はじめに
  • 第1章 アルコール ビールはリカバリーに役立つ?
  • 第2章 水分補給 “喉が渇いてから飲む”でもパフォーマンスは落ちない?
  • 第3章 栄養補給 “運動直後の栄養補給のゴールデンタイム”など存在しない?
  • 第4章 アイシング 患部を冷やすのはリカバリーには逆効果?
  • 第5章 血流 マッサージにパフォーマンス向上効果はない?
  • 第6章 心理的ストレス 瞑想、フローティングのリカバリー効果は?
  • 第7章 睡眠 最強のリカバリーツール?
  • 第8章 サプリメント 効果を裏付けるエビデンスは少ない?
  • 第9章 オーバートレーニング症候群 真面目な選手ほど危ない?
  • 第10章 データ 数えられるものが重要なわけではなく、重要なものが数えられるとも限らない?
  • 第11章 プラシーボ効果 大半のリカバリー手法の効果はプラシーボにすぎない?
  • 結論 身体の声に耳を澄ます
  • 謝辞/訳者あとがき/注

【感想は?】

 健康に関して、科学が出す結論は往々にしてみもふたもない。本書の結論はこうだ。

「ちゃんと寝ろ。そして朝の気分に従え」

 リカバリー=疲労回復に関する限り、睡眠以外は総崩れだ。中には逆効果だったり、どころか悲惨な副作用を伴うものもある。ただし頭から否定しているわけでもなければ、ハッキリしたガイドラインも示していない。結局、「害がなく効くと思うならやれば?」みたいな結論だ。

 本書の最大の特徴は、著者自身がスポーツ好きであり、取り上げたリカバリー・グッズや方法を自分が実際に試している点だ。これは最初の「第1章 アルコール」からそうで、自らが被験者の一人となって効果を調べている。実験の目的はこうだ。「汗をかいた後のビールは美味しい。これリカバリー効果があるんじゃね?」

 そこで友人やアスリート仲間と組み実験に挑むが、結果は怪しげな数値になる。ここで大事なのは結果よりも、そこに至る過程、すなわち実験の内容だ。著者らが用いたのはRTE法、ドレッドミルで何分まで頑張れるか。これを一日一回、三日行う。被験者は二つの組に分かれる。1組は普通のビール、2組はノンアルコールビール。二重盲検を用い、被験者は自分がどっちの組かは知らない。被験者は10人。

 この実験、製薬会社で開発に携わっている人は、開いた口がふさがらないだろう。ツッコミどころが多すぎる。本当に二重盲検になっているのか? 実はなっていなくて、被験者はみな味で自分が何を飲んだのか知っていた。RTE法も怪しくて、むしろ距離を決めタイムを計る方がいい。実験以外の時間、被験者は何をしてる? 何よりサンプル数が少なすぎる。実験は一回だけで再現性を確かめてない。

概して、実験の規模が小さいとサンプル数も少なくなり、規模が大きな場合に比べて信頼性が低下します。また、実験者にとって好ましい結果が出やすく傾向があることも知られています。
  ――第1章 アルコール

 そんな風に、冒頭で「科学的」なんて言葉に疑問を抱くよう、読者に強く印象付けるのである。その上で、以降もグッズやメソッドを自ら試しつつ、それらの裏付けをメーカーや業者に問い合わせ、その実体を明らかにしてゆく。まあ、結論は「みんな鰯の頭みたいなもん」なんだけど。

 とまれ、体験取材してるのは、読み物として野次馬根性で面白い。睡眠グッズとしてパジャマまで買ってたり。私もフロートタンク(→Wikipedia)は試したくなった。要は濃い塩水に浮かぶってだけなんだけど、気持ちよく寝れそう。

 もっと手軽に試せるのが、スポーツ飲料。「第2章 水分補給」では、ゲータレードの誕生秘話が面白い。ちなみに最近流行りの「電解質」、これ下世話な言い方をすると「塩」です(→Wikipedia)。こういう耳慣れない言葉を使うのも、販売戦略なわけ。ちなみに熱中症の時は水を飲むのも善し悪しで、逆に水の取りすぎ=低ナトリウム血病の場合もあるとか。この辺は専門家、つまり医師に聞くべきだろうなあ。

 こういった「電解質」などの言葉にはじまり、企業はあの手この手で売り込みをかける。スター選手を広告塔にしたり、雑誌に広告を出したり。

 これらの手口を原理から暴いているのも、本書の楽しいところ。特に効きそうなのが、FOMO=fear of missing out、何かを見逃すことへの恐れ。これが最も有効なのが、サプリメント。だってあなた、日頃の自分の食生活で、すべての栄養素が充分に摂れている、と断言できますか? 栄養士じゃあるまいし、たいていの人は、なんとなく食べてるはず。これ突かれると弱いんだよね。

 と、そういうヒトの心の弱みにつけ込む形で商売する企業もあれば、アスリートが自ら罠に飛び込む場合もあって、それをテーマにしているのが「第9章 オーバートレーニング症候群」。理屈は簡単。

もっと練習すればもっと大きな成果が得られるはずだ
  ――第9章 オーバートレーニング症候群

 まあ、普通はそう考えるよね。これはスポーツに限らず、勉強でも同じだろう。ところが、これには落とし穴があって、それをこの本は何度も戒めている。それは何かというと、睡眠。

リカバリーの魔法の秘密が存在するとするならば、それは睡眠です。
  ――第7章 睡眠

 寝不足だと、どんなに練習しても無駄、どころか下手すると長期のスランプに陥るぞ、と繰り返し忠告してる。睡眠の重要性は「[戦争]の心理学」でも、合衆国陸軍の印象的な実験のデータがあるんで、ぜひ参考にしていただきたい。

 ちなみにこの本、注にも強烈なネタが埋まっているので油断できない。「第2章 水分補給」の注5は大笑い。某研究者が電解質も補給できるビールを開発しようと研究を始めたが…。うん、ヒトって、夢中になると、視野が狭くなるんだよねw

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2019年6月27日 (木)

オリヴァー・サックス「見てしまう人びと 幻覚の脳科学」早川書房 太田直子訳

…私はこの本を、幻覚体験とそれが体験者に及ぼす影響を語る、幻覚の自然経過記録、またはアンソロジーのようなものと考えている。なぜなら、幻覚の力を理解するには、当人による一人称の記録によるほかないからだ。
  ――はじめに

片側の失明や視力障害が負の症状だとすれば、それにとどまらず、正の症状も出ることがある。つまり、見えない領域やかすんでいる領域に幻覚が生じるのだ。突然半盲になった患者の約10%が、そのような幻覚を起こす――そしてすぐに、それが幻覚であると気づく。
  ――第9章 両断 半視野の幻覚

人は自分の夢に加わるか、加わっている人を観察するが、入眠状態では人は単なる傍観者だ。
  ――第11章 眠りと目覚めのはざま

ウェールズの一般開業医のW・D・リースは、配偶者に先立たれたばかりの人たち約300人と面談し、そのほぼ半数に、亡くなった配偶者の片鱗を錯覚でかいま見たり、またはその幻覚に正面から向き合ったりした経験があることを知った。
  ――第13章 取りつかれた心

【どんな本?】

 脳神経科医として勤務するかたわら、その経験を活かして「妻を帽子とまちがえた男」「レナードの朝」「音楽嗜好症」などの楽しいエッセイを書き続けたオリバー・サックスによる、幻覚や幻聴をテーマとした、科学エッセイ集。

 彼の著作の特徴は、単に一見奇妙な症状を紹介するだけではない。もちろん、医師として経過と原因そして治療法も紹介する。が、それに加えて、症状を抱えながらも、その人なりの形で症状と折り合いをつけながら暮らしてゆく人々の姿も詳しく描き、人の持つ知恵と逞しさ、そして心の不思議さを感じさせる点が、彼の作品の醍醐味なのだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Hallucinations, by Oliver Sacks, 2012。日本語版は2014年10月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約343頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×17行×343頁=約262,395字、400字詰め原稿用紙で約656枚。文庫本なら少し厚め。なお、今はハヤカワ文庫NFから「幻覚の脳科学 見てしまう人びと」の題で文庫版が出ている。

 文章はこなれていて読みやすい。ときとき脳の部位の専門用語が混じるけど、「脳みそのどっかなんだろう」ぐらいに思っていれば充分。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • はじめに
  • 第1章 静かな聴衆 シャルル・ボネ症候群
  • 第2章 囚人の映画 感覚遮断
  • 第3章 数ナノグラムのワイン においの幻覚
  • 第4章 幻を聞く
  • 第5章 パーキンソン症候群の錯覚
  • 第6章 変容状態
  • 第7章 模様 目に見える片頭痛
  • 第8章 「聖なる」病
  • 第9章 両断 半視野の幻覚
  • 第10章 譫妄
  • 第11章 眠りと目覚めのはざま
  • 第12章 居眠り病と鬼婆
  • 第13章 取りつかれた心
  • 第14章 ドッペルゲンガー 自分自身の幻
  • 第15章 幻肢、影、感覚のゴースト
  • 謝辞/訳者あとがき/引用クレジット/参考文献

【感想は?】

 幻覚がテーマの本だ。だから他人事だと思っていたが、そうじゃない。これは私の事でもあるのだ。

 それを強く感じるのが、「第11章 眠りと目覚めのはざま」だ。ここで扱うのは入眠時幻覚。というと何か難しそうだが、誰だって経験があるはず。わかりやすいのが、居眠りの時に見るアレだ。完全に寝入ってる時ではなく、寝ぼけて見るモノ。

 実は私の場合、「見る」のではなく「聴く」のが多い。見知らぬ男たちが、何か仕事しながら喋っている。男たちも仕事も、私とは何も関係がないし、お喋りの中身はよく聞き取れない。最近はだんだんと真に迫ってきたんで、なにかヤバいんじゃないかと思ったが、この本を読んで安心した。寝ぼけての幻聴は「幻視と同じぐらい一般的」らしい。

 やはり「私の事だ」と思うのが、「第10章 譫妄」。この章では薬物による譫妄の例に加え、病気によるものも多い。特に「あるある」と感じたのが、子供の頃に熱を出した時の話。日本人だと、天井の木目が「何か」に見えた経験がある人が多いはず。ここでは、体が伸びたり縮んだりする譫妄が出てくる。ちゃんと名前もついていて、「不思議の国のアリス症候群」(→Wikipedia)と言うのだとか。

 居眠りなら大したことはないが、病気だと困ったことになる。ナルコレプシー、いわゆる居眠り病(→Wikipedia)の場合だ。これ生活習慣とかは関係なくて、肉体的な問題だとは知らなかった。ふつう、視床下部はオレキシン=覚醒ホルモンを分泌する。この部位に不調があると、不意に眠りに落ちたりするのだ。

 この章では金縛りも扱っている。いずれも睡眠の不調だ。金縛りもナルコレプシーも幻覚を伴う時がある。が、特にナルコレプシーの場合…

人はたいてい認めるのをためらい、ナルコレプシー患者でいっぱいの部屋でさえも、そのことがオープンに話しあわれることはほとんどなかった。
  ――第12章 居眠りと鬼婆

 こういう「幻覚や幻聴を隠そうとする」のは、ナルコレプシーに限らず、他の病気でも同じらしい。気持ちは分かる。いわゆる「頭がおかしくなった」と思われるのが嫌なのだ。だが、実はありふれた経験らしい。視覚を失った人は幻覚を見るし、嗅覚を失った人は幻臭をかぎ、四肢を失った人は幻肢に悩む。パーキンソン病や片頭痛も幻覚を伴うし、大切な人やペットを失った時もそうだ。

 つまり、幻覚や幻聴は、ありふれたものなのだ。ただ、私たちが勝手に「それは頭がおかしい」と思い込んでるだけ…と言いたいが、昔はそうでもなかった事を「第2章 幻を聞く」で暴露している。

 1973年、『サイエンス』誌の論文「狂気の場において正気でいることについて」が大騒動を引き起こす。八人の偽患者が「声が聞こえる」と症状を偽り、病院を訪れる。一人は躁鬱病、他の者はみな統合失調症と診断され、二ヶ月も入院する羽目になり、誰も仮病を見破られなかった。当時の精神医学は、その程度だったのだ。これに懲りてできたのがDSM(→Wikipedia)。

 この話にはオチがある。本物の患者の一人は、ちゃんと仮病を見破っていたのだ。ちなみに幻聴に関しては…

(オイゲン・)ブロイラーによると、「入院している統合失調症患者は、ほぼ全員『声』を聞く」。しかし彼は、逆が真ではないことを強調している。つまり、声が聞こえることは必ずしも統合失調症を意味しない。(略)声が聞こえる人の大半は統合失調症ではないので、これは大きな誤解だ。
  ――第4章 幻を聞く

 という事で、やはりありふれた現象らしい。

 他の著作に比べ、著者自身の話が多いのも、この本の特徴の一つ。中でも「第6章 変容状態」では、若い頃にドラッグを試した経験を語っている。特に著者の性格がよく出ていると思ったのが、常用していた薬物を断った時の話。激しい幻覚に襲われながらも、落ち着きを保つために症状を細かく記録し…

混乱、失見当、幻覚、妄想、脱水、発熱、頻脈、疲労、発作、死。もし誰かが私のような状態だったら、すぐに救急処置室に行くようアドバイスしただろうが、自分自身のこととなると、私は耐え抜いてすべてを経験しつくしたかった。
  ――第6章 変容状態

 と、あくなき好奇心に従って行動する。まったく、学者って奴はw

 そんな風に、ヒトの脳や神経系の不思議さ・絶妙さを実感するエピソードがたくさん載っている。と同時に、サックス先生らしいのは、それぞれの症状を抱えた人々の暮らしにまで踏み込んで描いていること。皆さん、いろいろと工夫して症状と折り合いをつけ、人生を楽しもうとしている。科学と人間が交わり、少しだけ心に余裕ができる…ような気がする本だ。

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2019年6月 7日 (金)

Q.Ethan McCallum「バッドデータ ハンドブック データにまつわる問題への19の処方箋」オライリージャパン 磯蘭水監訳 笹井崇司訳

要するに、バッドデータとは邪魔になるデータのことです。
  ――はじめに:バッドデータとは何か?

「バッドデータ」であったからこそ、私たちは新しいことを学べたのです。
  ――7章 バッドデータは起立して

私たちのお粗末な仮説が、データを「バッドデータ」にしているのです。
  ――7章 バッドデータは起立して

早く失敗しよう、たくさん失敗しよう(Fail early, Fail often)
  ――8章 血と汗と尿

経験によれば、分析プロジェクトに費やす時間の80%は、クリーニング、改変、変換などのタスクに費やされるそうです。
  ――15章 データサイエンスのダークサイド

私たちの戦略の中心にあるのが不変性です。私たちの処理のパイプラインがデータを何度も変換しても、私たちはもとのデータを決して変えませんでした(上書きしませんでした)。
  ――17章 データ追跡可能性

【どんな本?】

 必須のはずの項目がない。数字だけのはずなのにテキストが入っている。一部のデータがない。逆に重複している。値が大きすぎる。文字化けする。対応するデータがない。フォーマットが違う。特定範囲の値がない。データが分散している。

 仕事でプログラミングをした事があれば、誰もがこんなデータで困った経験があるだろう。サーバ管理やネットワーク管理などでログを集め分析する際に、ちょっとした道具が欲しくなることもある。ソフトウェアを開発する際には、テストデータも必要だ。最近流行の機械学習も、しつけ方・使い方次第で性能は大きく異なる。

 データの集め方・困ったデータの処理方法・手に入れたデータの検証方法・テストデータの扱い方など、データにまつわる失敗談や成功例を集めた、ソフトウェア・エンジニア向けの濃いエッセイ集。 

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Bad Data Handbook : Mapping the World of Data Problems, by Q. Ethan McCallum, 2013。日本語版は2013年9月25日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約280頁。8.5ポイント38字×32行×280頁=340480字、400字詰め原稿用紙で約852枚。文庫本なら厚い一冊分。

 文章はオライリーの標準的な水準。察してください。サンプル・ブログラムも幾つか載っていて、使っているプログラム言語は awk, perl, R, Python, SQL など。でも私は大半のソースをトバして読んだ。それぞれの言語を知らなくても、プログラミング経験者なら、地の文を読めばだいたい分かります。そもそもプログラムに関する本じゃなくて、データに関する本だし。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしていい。

  • 監訳者まえがき/著者について/まえがき
  • 1章 はじめに バッドデータとは何か?
  • 2章 気のせいかな。このデータ、何かおかしくないか?
  • 2.1 データ構造を理解する
  • 2.2 フィールドの検証
  • 2.3 値の検証
  • 2.4 単純な統計による物理的解釈
  • 2.5 可視化
  • 2.6 キーワードPPCの例
  • 2.7 検索参照の例
  • 2.8 推薦分析
  • 2.9 時系列データ
  • 2.10 まとめ
  • 3章 機械ではなく人間が使う事を意図したデータ
  • 3.1 データ
  • 3.2 問題:人間が使うためにフォーマットされたデータ
    • 3.2.1 データの配置
    • 3.2.2 複数ファイルにわたるデータ
  • 3.3 解決策:コードを書く
    • 3.3.1 扱いにくいフォーマットからデータを読み込む
    • 3.3.2 複数のファイルにわたるデータを読み込む
  • 3.4 あとがき
  • 3.5 ほかのフォーマット
  • 3.6 まとめ
  • 4章 プレーンテキストに潜むバッドデータ
  • 4.1 プレーンテキストのエンコーディング
  • 4.2 テキストエンコーディングの推測
  • 4.3 テキストの正規化
  • 4.4 問題:アプリケーション固有文字のプレーンテキストへの漏れ出し
  • 4.5 Python を使ったテキスト処理
  • 4.6 練習問題
  • 5章 Webにあるデータの(再)構成
  • 5.1 データを直接入手できないか?
  • 5.2 一般的なワークフロー
    • 5.2.1 robots.txt
    • 5.2.2 パターンの特定
    • 5.2.3 パースのためにオフライン版を保存する
    • 5.2.4 ページから情報をスクレイプする
  • 5.3 現実の難しさ
    • 5.3.1 できるだけ生のコンテンツをダウンロードする
    • 5.3.2 フォーム、ダイアログボックス、新規ウィンドウ
    • 5.3.3 Flash
  • 5.4 ダークサイド
  • 5.5 まとめ
  • 6章 オンラインレビューから嘘つきと混乱した人を発見する
  • 6.1 Weotta
  • 6.2 レビューの入手
  • 6.3 センチメント分類
  • 6.4 極性のある言葉
  • 6.5 コーパス生成
  • 6.6 分類器のトレーニング
  • 6.7 分類器の検証
  • 6.8 データによる設計
  • 6.9 学んだこと
  • 6.10 まとめ
  • 6.11 リソース
  • 7章 バッドデータは起立して
  • 7.1 例題1:製造時の欠損削減
  • 7.2 例題2:だれが電話をかけたのか?
  • 7.3 例題3:「平均値」が「標準的な値」とみなせないとき
  • 7.4 学んだこと
  • 7.5 これはテストに出ますか?
  • 8章 血と汗と尿
  • 8.1 とってもオタクな入れ替わりコメディ
  • 8.2 化学者による数値の作り方
  • 8.3 All Your Database are Belong to Us
  • 8.4 チェックしよう
  • 8.5 人生は太く短く、見栄えの良いコードを残すべし
  • 8.6 化学者とスプレッドシート乱用者のためのリハビリ
  • 8.7 まとめ
  • 9章 データと現実が一致しないとき
  • 9.1 それは何のティッカー?
  • 9.2 分割、配当、単位変更
  • 9.3 バッドリアリティ
  • 9.4 まとめ
  • 10章 バイアスとエラーの源
  • 10.1 補完バイアス
  • 10.2 報告エラー
  • 10.3 その他のバイアス源
    • 10.3.1 トップコーディング、ボトムコーディング
    • 10.3.2 継ぎ目バイアス
    • 10.3.3 代理報告
    • 10.3.4 サンプル選択
  • 10.4 まとめ
  • 10.5 参考文献
  • 11章 最善は善の敵、バッドデータは本当にバッドなのか?
  • 11.1 大学院時代
  • 11.2 プロフェッショナルな世界へ
  • 11.3 政府の仕事へ
  • 11.4 行政データという現実
  • 11.5 911緊急通報データ
  • 11.6 さらに先へ
  • 11.7 学んだこと、そして今後の展望
  • 12章 ファイルにこだわる
  • 12.1 昔のはなし
    • 12.1.1 ツールセットの構築
    • 12.1.2 データストアという障害
  • 12.2 ファールをデータベースと見なす
    • 12.2.1 ファイルはシンプル
    • 12.2.2 ファイルは何にでも使える
    • 12.2.3 ファイルには何でも入れられる
    • 12.2.4 データ破損が局所的である
    • 12.2.5 すばらしいツールがある
    • 12.2.6 導入コストがかからない
  • 12.3 ファイルの概念
    • 12.3.1 エンコーディング
    • 12.3.2 テキストファイル
    • 12.3.3 バイナリデータ
    • 12.3.4 メモリマップドファイル
    • 12.3.5 ファイルフォーマット
    • 12.3.6 区切り文字
  • 12.4 ファイルに基づいたWebフレームワーク
    • 12.4.1 モチベーション
    • 12.4.2 実装
  • 12.5 考察
  • 13章 Crouching Table, Hidden Network
  • 13.1 リレーショナルなコスト配分モデル
  • 13.2 組み合わせ爆発という繊細な響き
  • 13.3 隠れたネットワークが現れる
  • 13.4 グラフを格納する
  • 13.5 Gremlinを使ったグラフのナビゲート
  • 13.6 ネットワークプロパティに価値を見いだす
  • 13.7 複数のデータモデルから、仕事にふさわしいツールを使う
  • 13.8 謝辞
  • 14章 クラウドコンピューティングの神話
  • 14.1 クラウド入門
  • 14.2 「クラウド」とは何か?
  • 14.3 クラウドとビッグデータ
  • 14.4 フレッドについて
  • 14.5 最初はすべてがうまくいっている
  • 14.6 すべてをクラウドのインフラに任せる
  • 14.7 成長に合わせて、最初は簡単にスケールする
  • 14.8 やがて問題が起こり始める
  • 14.9 パフォーマンスを改善する必要がある
  • 14.10 高速なI/Oが必要になる
  • 14.11 局所的な機能停止が大規模なサービス停止を引き起こす
  • 14.12 高速なI/Oは高くつく
  • 14.13 データサイズが増加する
  • 14.14 地理的冗長性が最優先になる
  • 14.15 水平方向のスケールは思っていたほど簡単ではない
  • 14.16 コストは劇的に増加する
  • 14.17 フレッドの愚かさ
  • 14.18 神話1:クラウドはあらゆるインフラ構成要素にとって、素晴らしい解決策である
    • 14.18.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.19 神話2:クラウドはお金を節約する
    • 14.19.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.20 神話3:クラウドのI/Oパフォーマンスは、ソフトウェアRAIDによって許容できるレベルにまで改善される
    • 14.20.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.21 神話4:クラウドコンピューティングは水平方向のスケールを簡単にする
    • 14.21.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.22 まとめ
  • 15章 データサイエンスのダークサイド
  • 15.1 落とし穴を避ける
  • 15.2 汝、データについて知るべからず
    • 15.2.1 データをきれいにしてまとめる際には一貫性を持つべからず
    • 15.2.2 データは正しく完全だと思え
    • 15.2.3 時間区切りデータのあふれ
  • 15.3 汝、データサイエンティストにあらゆるタスクのための単一ツールを与えよ
    • 15.3.1 アドホックな分析のためにプロダクション環境を使う
    • 15.3.2 理想的なデータサイエンス環境
  • 15.4 汝、分析のために分析せよ
  • 15.5 汝、学びを共有するべからず
  • 15.6 汝、データサイエンティストに全能を期待せよ
    • 15.6.1 データサイエンティストは組織のどこにいるのか?
  • 15.7 最後に
  • 16章 機械学習の専門家の手なづけ方
  • 16.1 問題を定義する
  • 16.2 作る前に、うまくいっているふりをする
  • 16.3 トレーニングセットを作成する
  • 16.4 特徴を選び出す
  • 16.5 データをエンコードする
  • 16.6 トレーニングセット、テキストセット、ソリューションセットに分ける
  • 16.7 問題を説明する
  • 16.8 質問に答える
  • 16.9 解決策を統合する
  • 16.10 まとめ
  • 17章 データ追跡可能性
  • 17.1 なぜ?
  • 17.2 個人的経験
    • 17.2.1 スナップショット
    • 17.2.2 情報源の保存
    • 17.2.3 情報源の重み付け
    • 17.2.4 データを元に戻す
    • 17.2.5 フェーズを分ける(そしてフェーズを純粋に保つ)
    • 17.2.6 根本原因を特定する
    • 17.2.7 改善領域を見つける
  • 17.3 不変性:関数型プログラミングからアイデアを拝借する
  • 17.4 例題
    • 17.4.1 クローラー
    • 17.4.2 変更
    • 17.4.3 クラスタリング
    • 17.4.4 人気
  • 17.5 まとめ
  • 18章 ソーシャルメディア:消去可能インク?
  • 18.1 ソーシャルメディア:これはだれのデータか?
  • 18.2 コントロール
  • 18.3 商用再配信
  • 18.4 コミュニケーションと表現に関する期待
  • 18.5 新しいユーザが抱く期待の技術的影響
  • 18.6 業界は何をするのか?
    • 18.6.1 検証API
    • 18.6.2 更新通知API
  • 18.7 エンドユーザは何をすべきか?
  • 18.8 どのように協業するのか?
  • 19章 データ品質分析の解明:データが十分良いときを知る
  • 19.1 フレームワークの紹介:データ品質分析の四つのC
  • 19.2 完全である
  • 19.3 一貫している
  • 19.4 正しさ
  • 19.5 説明責任
  • 19.6 まとめ
  • 索引

【感想は?】

 ベテラン・プログラマの「あるある」集。

 多少なりとも仕事でプログラムを作った経験があるなら、一度は変なデータに手ひどく痛めつけられた経験があるだろう。特に、人間が入力したデータは危ない。数字のカラムのはずなのに、atoi() で変換できないとか。

 原因は位取りのカンマだったり、全角の数字だったり。酷いのになると、漢数字なんてのもある。そういうので苦労した経験がある人には、特に前半じゃ苦笑いが止まらない。そういえば日本のプログラマなら、みんな苦しむ「住所を都道府県・市町村・所番地に分割する」なんて問題もあるね。

 やはり日本のプログラマが昔から悩んでいた問題を扱ったのが、「4章 プレーンテキストに潜むバッドデータ」。要は文字コードの問題だ。最近は「とりあえず Unicode でいいじゃん」的な風潮になりつつあるが、古いデータだと姓名とかに外字が入ってたりするからタチが悪い。まあ、ここではそこまで突っ込んだ話はなく、HTTP や URL などの独自エンコーディングぐらいに留めてある。

 最近になると Web が流行って、様々なデータを集めやすくはなったけど、それをプログラムに食わせるとなると、これまた一筋縄じゃ行かない。各自治体が発表している統計データも、自治体ごとにサイトの構成もデータ形式も違う。Excel なら可愛い方で、中には PDF や Flash なんて凶悪な奴も。ほんと、皆さん一度はこう叫んだことがある筈だ。

最初から人間ではなくコンピュータが使えるようなフォーマットにしておけばよかったのに。
  ――3章 機械ではなく人間が使う事を意図したデータ

いやホント、政府が主導して XML の標準形式を定めてくれればいいのに。いまだに発想が紙ベースなんだよなあブツブツ。

そんな風に Web 経由でデータを集めようとすると、他にも色々と困ることがある。なにせ相手は「人に見せる」ために作っているので…

以前、何日か実行していたWebスクレイピングのスクリプトが突然エラーを吐き始めたことがありました。問題は、Webサイトがまったく違うデザインになったことでした。
  ――5章 Webにあるデータの(再)構成

 ああ、あるねえ。まあ、人様のデータを勝手に頂いてるんだから、文句も言えないシクシク。酷いのになると、訴訟沙汰になったり(→Wikipedia)。もっとも、中には Facebook や Twitter みたく親切な所もあって…

スクレイピングを最小限にするためによく利用されているのは、スクレイパーが実際に欲しがっているデータのための公式チャンネルを提供することです。
  ――18章 ソーシャルメディア:消去可能インク?

 ほんと、先の事件も全国の図書館が協力して蔵書 XML の標準形式を…って、もうあるみたいだ。おかげでカーリルなんて嬉しいサービスも始まった。ラッキー。

 データが集まったからといって安心しちゃいけない、と教えてくれる「7章 バッドデータは起立して」「9章 データと現実が一致しないとき」「10章 バイアスとエラーの源」「11章 最善は善の敵、バッドデータは本当にバッドなのか?」は、コードが少ない分、コラムとして面白かった。

 また「6章 オンラインレビューから嘘つきと混乱した人を発見する」は、自然言語処理ネタとして楽しめる。うん、確かにお気に入りを自分だけのモノにしたいって気持ちはわかるw 終盤では「14章 クラウドコンピューティングの神話」や「16章 機械学習の専門家の手なづけ方」など、大規模データにまつわる話も出てくる。案外と機械学習って、根気のいる地道な繰り返し作業も多いのね。

 そんな大容量データとくればデータ・マイニング。私も名前は知ってるけど中身はよくわからない。これは私だけじゃなく経営者も同じで、中にはこんな無茶ぶりする人も。

「データのところへ行って、価値を見つけてこい!」
  ――15章 データサイエンスのダークサイド

 わはは。コンピュータ絡みの世界って、昔から変わんないなあ。そこのシステム屋さん、似たような事を言われた経験、ありませんか?

 などと無駄口を叩いてなんとか記事をデッチあげたけど、実は記事を書いてるよりアクセス・ログを眺めている時間の方が多かったりする。そんなヒマがあったら、もっと面白い記事をかけよ、などと思ったりもするけど、この本は心強い言葉で締めくくられている。

データを調べている時間は必ず有意義である。
  ――19章 データ品質分析の解明:データが十分良いときを知る

 うん、そうだよね、きっと私がログを眺めている時間だって無駄じゃないはずだ←をい

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【おまけ:バッドデータの例】

 なんて言うほどでもないけど。このブログ、ときおり「著者別の書評一覧」が欲しくなったりする。「書評一覧」なんて記事があるぐらいだから、簡単そうに思えるけど、実は意外と手ごわい。というのも、他でもない、バッドデータがうじゃうじゃあるからだ。

 基本的に、記事タイトルはこんな形になっている。

著者名「書名」出版社 [ 訳者 ]

 ところが、こうなってない記事が幾つもあるのだ。例えば…

  1. SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」早川書房
  2. 宮内悠介短編集「超動く家にて」東京創元社
  3. 日下三蔵編「日本SF傑作選4 平井和正 虎は目覚める/サイボーグ・ブルース」ハヤカワ文庫JA
  4. 大森望・日下三蔵編「年刊日本SF傑作選2013 さよならの儀式」創元SF文庫
  5. C.L.アンダースン(サラ・ゼッテル)「エラスムスの迷宮」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳
  6. ギレルモ・デル・トロ&チャック・ホーガン「ストレイン 永遠の夜 上・下」ハヤカワ文庫NV 嶋田洋一訳

 また、表記の「ゆれ」もある。カート・ヴォネガットとカート・ヴォネガット・ジュニア、ベルナール・ウェルベルとベルナール・ウエルベルとベルナール・ヴェルベールとか。

 加えて、「スタートボタンを押してください」みたくアンソロジーになると、多数の著者が寄稿してて、かつ著者名は記事本文の中に埋もれてたり。

 この程度のブログでさえ、書籍データをキチンと定型化できてない。となると、すべての書籍のメタデータを規格化しようとしたら、どれほどの「想定外のパターン」が出てくることか。これをすべて洗い出すってのは、かなりシンドい仕事になるはずだ。モノゴトをコンピュータが扱えるようにデータ化するってのは、そういう事なんです。

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2019年5月24日 (金)

ティム・ハーフォード「50 いまの経済をつくったモノ」日本経済新聞出版社 遠藤真美訳

この本は、紙、バーコード、知的財産、文字など、50の発明をとりあげて、世界経済はどのように動いているのか、その知られざる物語にスポットライトを当てる。
  ――はじめに

1960年代初めには、世界の商品貿易額は世界国内総生産(GDP)の二割に満たなかった。それがいまでは五割前後になっている。
  ――17 輸送用コンテナ

貨幣とは債務なのである。
  ――20 取引できる債務とタリースティック

都市の光景はひっくり返ろうとしていた。そのきっかけをつくったのは、エレベーターを発明した男ではなく、エレベーターのブレーキを発明した男だった。
  ――22 エレベーター

グレース・ホッパー「いままで誰もそんなことを考えなかったのは、みんな私のようにものぐさではなかったからだ」
  ――29 コンパイラ

iPhone の開発の基礎をつくったのはスティーブ・ジョブスではない。アンクル・サムだったのだ。
  ――30 iPhone

世界の財の輸送コストのうち、燃料は約七割を占める。科学者のバーツラフ・シュミルは、グローバリゼーションの原動力がディーゼルではなく蒸気だったら、貿易の発展はずっと遅くなっていただろうと指摘している。
  ――31 ディーゼルエンジン

原油生産量の約8%がプラスチック生産に使われており、うち半分の4%が原材料、残り4%がエネルギーになる。
  ――36 プラスチック

「いま年収七万ドル稼ぐのと、1900年に七万ドル稼ぐのと、どちらがいいですか」
  ――50 電球

【どんな本?】

 エルトン・ジョンとペーパーレス・オフィスの関係は? 40年間、ある発明を禁止することで、日本の社会が被った影響とは? FRB議長と元の皇帝フビライ・カンの共通点は?

 人類の歴史は、様々な発明に彩られている。必要に迫られて生み出されたものもあれば、たまたま巧くいったものもある。車輪のように他の発明の基礎となったものもあれば、他の発明を幾つも組み合わせたものもある。それ自体で便利に使えるものもあれば、しくみ全体の改革を促すものもある。

 発明の経緯が様々なら、それが生み出す結果も多種多様だ。風が吹けば桶屋が儲かる的に、一つの発明が思わぬ所で役に立ったり、または大きな損害をもたらす場合もある。

 発明から始まるバタフライ効果の例50個をジャーナリストがまとめた、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FIFTY THINGS : That Made the Modern Economy, by Tim Harford, 2017。日本語版は2018年9月21日1版1刷。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約391頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント42字×17行×391頁=約279,174字、400字詰め原稿用紙で約698枚。文庫本なら少し厚い一冊分ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい物が多い。敢えて言えば世界史を少し知っていた方が楽しめるが、知らなくても特に問題はないだろう。

【構成は?】

 それぞれの項目は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 1 ブラウ
  • はじめに
  • Ⅰ 勝者と敗者
  • 2 蓄音機
  • 3 有刺鉄線
  • 4 セラーフィードバック
  • 5 グーグル検索
  • 6 パスポート
  • 7 ロボット
  • 8 福祉国家
  • Ⅱ 暮らし方を一変させる
  • 9 育児用粉ミルク
  • 10 冷凍食品
  • 11 ピル
  • 12 ビデオゲーム
  • 13 マーケットリサーチ
  • 14 空調
  • 15 デパート
  • Ⅲ 新しいシステムを発明する
  • 16 発電機
  • 17 輸送用コンテナ
  • 18 バーコード
  • 19 コールドチェーン
  • 20 取引できる債務とタリースティック
  • 21 ビリーブックケース
  • 22 エレベーター
  • Ⅳ アイデアに関するアイデア
  • 23 楔形文字
  • 24 公開鍵暗号方式
  • 25 複式簿記
  • 26 有限責任株式会社
  • 27 経営コンサルティング
  • 28 知的財産
  • 29 コンパイラ
  • Ⅴ 発明はどこからやってくるのか
  • 30 iPhone
  • 31 ディーゼルエンジン
  • 32 時計
  • 33 ハーバー=ボッシュ法
  • 34 レーダー
  • 35 電池
  • 36 プラスチック
  • Ⅵ 見える手
  • 37 銀行
  • 38 カミソリと替え刃
  • 39 タックスヘイブン
  • 40 有鉛ガソリン
  • 41 農業用抗生物質
  • 42 モバイル送金
  • 43 不動産登記
  • Ⅶ 「車輪」を発明する
  • 44 紙
  • 45 インデックス・ファンド
  • 46 S字トラップ
  • 47 紙幣
  • 48 コンクリート
  • 49 保険
  •  結び 経済の未来
  • 50 電球 
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 「世界を変えた6つの『気晴らし』の物語」や「人類を変えた素晴らしき10の材料」に似た面白さがある。

 つまりはアイデアやテクノロジーが、私たちの暮らしをどう変えたか、という話。で、違うのは、大きく分けて三点。

 ひとつは、著者の立場だ。本書の著者は経済学に詳しい。そのためか、「ソレがGDPを何%押し上げたか、または費用が掛かったか」などの数字が出てくる。数字が好きな人に、こういうのは嬉しい。いや私の事なんだけど。もっとも、その大半は「○○の試算によれば」的な断り書きがつくんだけど、とりあえず数字が出てくれば見当がつけやすいのだ。

 次に、扱うモノの数が多いこと。これは良し悪しで、料理で言えば小皿が次々と出てくる感じだ。バラエティ豊かな味を楽しめるのはいいんだが、それぞれの量が少ないため、ちょっと食い足りない気分も残る。もっとも、その辺は、例えば「3 有刺鉄線」は「鉄条網の歴史」を、「17 輸送用コンテナ」は「コンテナ物語」を、「44 紙」は「紙の世界史」を読めばいいんだけど。

 そして最後に、発明が社会に与えた影響を大きく取り扱っていること。特に利益だけでなく、費用や損害についてもキチンと書いているのが特色だろう。

 パッと見ても分かるのが「40 有鉛ガソリン」で、ガソリン・エンジンの効率を上げる反面、都市に住む人に多大な健康被害をもたらした。ハーバー=ボッシュ法は人類を飢餓から救ったが、困った副産物も創り出してしまった。詳しくは「大気を変える錬金術」をどうぞ。いやマジであの本は傑作です。

 私のようなオッサンは、「流しのギター弾き」なる存在を知っている。だがカラオケにより彼らは駆逐された。昔は多少ギターが弾けて愛想がよければ食っていけたが、今は相応の技術とセンスとルックスとコネと若さがないと無理だ。それもエジソンの蓄音機に始まる録音・再生技術の発展によるもの。ジェフ・ベックの妙技に慣れた者は私のギコギコ音なぞ騒音としか思わない。おのれエジソン。

 だが、お陰で私はいつでもエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(→Youtube)」を楽しめる。二流三流のミュージシャンは淘汰され、一流ミュージシャンは大金を稼ぐ。「上位1%のアーティストのコンサート収入は、下位95%のアーティストの収入を合計した額の5倍を超える」という、たいへんな格差社会になってしまった。

 今や音楽は聴くものであって自ら演奏するものではない…と思ったが、「隠れた音楽家たち」によると、1980年代まではソレナリに生き残っていた様子。日本でも繁華街には楽器屋もあるし、暫くは大丈夫かな? ちなみにクラシック界にも大変動が起きてて、それについては、「音楽の進化史」が詳しいです。

 著者が気づいているかどうかは風明だが、実は似たような変化が19世紀に起きている。主役はチャールズ・ディケンズ、イギリスのベストセラー作家だ。当時のアメリカは新興国で、ディケンズ作品の違法コピーを新聞が堂々と載せていた。まるでちょっと前の日本のアニメと中国の関係だね。これに怒ったディケンズは、1842年にアメリカに渡り抗議するが、新聞に袋叩きにされてしまう。

 幸い晩年になって、ディケンズは大きな利息を手に入れる。25年後に再びアメリカを訪れたディケンズは、公開朗読会で大儲けするのだ。違法コピーによって彼の名は多くの人に知れ渡り、大人気になっていた、というオチ。

 これを今のポピュラー音楽で言うなら、無料配信で名を売りライブで稼げって形か。ちなみに既に20世紀に成功させた人たちもいて、その名をグレイトフル・デッドと言います。まあ知的財産にはご存知のような利害があって、私は「Free Culture」が唱える形が現実的かな、と思ってます。一定期間は全部を無料で保護するけど、それ越えたら延長料を払ったモノだけ保護するって形。

 ちょっと前に某銀行の情報システム改修が話題になった。これにピッタリ合致する例が、「16 発電機」に出てくる。19世紀末から20世紀初頭のアメリカの製造業で起きた、蒸気機関から電気駆動への置き換えだ。これが、意外にも手間取った。

 蒸気機関はデカく、気難しい。起動にも停止にも時間がかかる。だから工場全体で一個の大型蒸気機関を置き、その動力を工場全体にシャフトなどで配っていた。当時の工場は壮観だろうなあ。

 そんなんだから、当時の工場を設計する際は、蒸気機関を中心に考えていた。工場だけじゃない。人員配置も、製造工程も、蒸気機関が支配していた。いかに巧く蒸気機関を使いこなすかが、工場の経営のカギだったのだ。

 これが電気駆動だと全く違ってくる。蒸気ボイラーに比べたら電気モーターは豆粒だ。すぐ動くしシャフトで動力を伝える必要もない。電線をひいてもう一つモーターを足せばいい。蒸気機関は工場全体の動力を賄うが、電気モーターは必要なラインだけを動かせばいい。

 つまり、蒸気機関から電気への移行は、工場経営の概念そのものを変える必要があったのだ。これに時間がかかったのだ。

 これが某行とどう関係してるかというと、あそこ既存システムを単に合体させただけなんだよね。業務の基本概念は変えてない。だから無駄に手間が増えてる。これを本書では、コンピュータ導入による効果の大小で論じてる。曰く、コンピュータに合わせて経営を変えれば効果は大きいが、経営に合わせてコンピュータを組み込んでも成果はない、と。日本でホワイトカラーの生産性が上がらないのも、そういう事だろう。

 さて、その某行でかつて活躍していたのが、「29 コンパイラ」に出てくるCOBOL。もっとも主役を務めるのはその母グレース・ホッパーだけど。

 彼女の言葉が、FORTRAN の開発者ジョン・バッカスとソックリなのが笑える(→Wikipedia)。ちなみに PERL の開発者 Larry Wall 曰く、「プログラマの三大美徳は怠惰・短気・傲慢」。加えてCOBOLのライブラリが充実していく過程は、Linux のデバイス・ドライバが充実していく様子とソックリだったりw ったく、この半世紀でコンピュータは進歩してるのに、プログラマはほとんど進歩してないw

 などと、ハードウェア・ソフトウェア・概念などを取りまぜ、面白ネタを次から次へと紹介してくれるのが、本書の楽しいところ。もっとも、私のように妄想逞しい者が読むと、そっちに気を取られてなかなか頁がめくれないのが欠点かも。

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2019年5月12日 (日)

レベッカ・スクルート「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」講談社 中里京子訳

「ヒーラ細胞は、過去百年間に医学界に生じたもっとも重要な出来事のひとつだ」
  ――プロローグ 写真の女性

「あの人たち、あんたをタールみたいに真っ黒に焼いちゃったんだね」
  ――5 「真っ黒なものが体中に広がってる」 1951年

「なんでもかんでも、あの細胞の話だけなんだ。もんな母さんの名前さえ、どうでもいいと思ってる」
  ――6 初めての電話 1999年

「なんで彼女が死んで、あれがまだ生きとるのか。ここに住んでるみんなには、まったくわからんのだ。謎は、そこなんだよ」
  ――10 霊の仕業 1999年

米国医師会は、1910年に実験動物を保護する規定を公布していたが、人間に関する規定については、(1947年のニュルンベルク綱領まで)なにも手がけていなかった。
  ――17 人の道にもとる研究 1954年~1966年

ことの発端は「細胞のセックス」である。
  ――18 もっとも奇妙な雑種生命体 1960年~1966年

「もっともシンプルな説明は――」と(スタンリー・)ガートラーは聴衆に語りかけた。「この18種類の細胞はみな、ヒーラ細胞に汚染されているというものです」
  ――20 ヒーラ爆弾 1966年

「…ぼくは“モー”だったんだ。単なる細胞株で、肉片みたいなものだったのさ」
  ――25 「ぼくの脾臓を売っていいなんて誰が言った?」 1976年~1988年

進化生物学者リー・ヴァン・ヴェイレン「われわれはここに、ヒーラ細胞が新たな生物種として独立したとみなすよう、真摯に提案するものである」
  ――27 不死の秘密 1984年~1995年

「あたしが望んでいるのは、ヒーラって呼ばれてる母さんのほんとうの名前はヘンリエッタ・ラックスだってみんながわかるように、ちゃんと歴史に残すことだけなんだ」
  ――29 デボラとの対面 2000年

「たとえ、あたしたちが傷つくことになっても、ザカリヤには話をさせなきゃって。ザカリヤは怒ってる。だから、それを吐き出させなきゃならない。でなけりゃ、爆発しちまうって」
  ――30 ザカリヤ 2000年

「おじょうちゃん、あんたはたった今、奇跡を目にしたんだよ」
  ――32 「これが全部母さん……」 2001年

「覚悟はしておいた方がいい」(略)「知ることは、知らなかったのと同じくらい辛いことがあるから」
  ――33 ニグロ専用精神病院 2001年

「あたしらはもっといっぱい取材しなくちゃならないんだ」
  ――33 ニグロ専用精神病院 2001年

「いつの日かこの子は、曾祖母のヘンリエッタが世界を助けたことを知るだろう!」
  ――37 「怖がることなんて何もない」 2001年

【どんな本?】

 ヒーラ細胞(→Wikipedia)は、ヒトの細胞株の一種である。癌細胞に由来し、増殖が速い。最大の特徴は、「不死」である点だ。普通の細胞は50回程度の細胞分裂で死ぬが、ヒーラ細胞はずっと細胞分裂を続ける。そのため培養しやすく、医学や生物学の実験に便利だ。

 その成果も絶大で、癌の遺伝子研究をはじめヘルペス・血友病・インフルエンザ・血友病・パーキンソン病などの治療薬の開発や、性感染症・虫垂炎・ヒトの寿命など、多くの利益を人類にもたらしている。

 だが、その細胞を提供した人物、ヘンリエッタ・ラックスについては、ほとんど知られていなかった。ラックスの家族すら、彼女が何をしたのか、彼女の細胞がどう使われ、どんな役に立ったのか、全く知らなかったのだ。

 いかにしてヒーラ細胞は誕生し、普及したのか。それは医学・生物学にどんな影響を及ぼし、どう変えたのか。なぜヘンリエッタの家族は何も知らなかったのか。ヘンリエッタ・ラックスとはどんな人物で、どんな生涯を送ったのか。

 不死細胞の由来を追い、現代の医学・生物学そして医療の進歩と問題点を明らかにするとともに、ヘンリエッタ・ラックスとその家族の人生を描き出す、迫真の科学ドキュメント。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Immortal Life of Henrietta Lacks, by Rebecca Skloot, 2010。日本語版は2011年6月14日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで約451頁。9ポイント45字×20行×451頁=約405,900字、400字詰め原稿用紙で約1,015枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。理科で細胞について学んでいれば、中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

 ご覧のように時系列は前後するが、ちゃんと考えた上での構成なので、できれば素直に頭から読んだ方がいい。

  • 本書について/主な登場人物/地図
  • プロローグ 写真の女性
  • 娘・デボラの言葉
  • 第1部 生
  • 1 運命の検査 1951年
  • 2 クローヴァー 1920年~1942年
  • 3 診断と治療 1951年
  • 4 ヒーラ細胞の誕生 1951年
  • 5 「真っ黒なものが体中に広がってる」 1951年
  • 6 初めての電話 1999年
  • 7 培養細胞の死と生 1951年
  • 8 再入院 1951年
  • 9 ターナーステーション 1999年
  • 10 霊の仕業 1999年
  • 11 痛みの悪魔 1951年
  • 第2部 死
  • 12 嵐 1951年
  • 13 ヒーラ・ファクトリー 1951年~1953年
  • 14 ヘレン・レイン 1953年~1954年
  • 15 虐待 1951年~1965年
  • 16 白人も黒人も 1999年
  • 17 人の道にもとる研究 1954年~1966年
  • 18 もっとも奇妙な雑種生命体 1960年~1966年
  • 19 クレイジージョー 1966年~1973年
  • 20 ヒーラ爆弾 1966年
  • 21 夜の医者 2000年
  • 22 明かされた名前 1970年~1973年
  • 第3部 永遠なる命
  • 23 「生きてるんだって!」 1973年~1974年
  • 24 せめてすべきこと 1975年
  • 25 「ぼくの脾臓を撃っていいなんて誰が言った?」 1976年~1988年
  • 26 プライバシーの侵害 1980年~1985年
  • 27 不死の秘密 1984年~1995年
  • 28 ロンドンの後 1996年~1999年
  • 29 デボラとの対面 2000年
  • 30 ザカリヤ 2000年
  • 31 死の女神ヘラ 2000年~2001年
  • 32 「これが全部母さん……」 2001年
  • 33 ニグロ専門精神病院 2001年
  • 34 医療記録 2001年
  • 35 魂の浄化 2001年
  • 36 天に属するもの 2001年
  • 37 「怖がることなんて何もない」 2001年
  • 38 クローヴァーへの遠い道 2009年
  • 登場“人物”のその後
  • あとがき

【感想は?】

 科学ドキュメンタリーかと思って読み始めたら、実は「もう一つの『ルーツ』」だった。

 お話は、大きく分けて三つのテーマから成っている。一つは、ヘンリエッタ・ラックスと家族の生涯。次に、ヒーラ細胞が医学界・生物学会に引き起こした騒動。そして最後に、著者がヘンリエッタ・ラックスへと迫ってゆく過程。

 私は二番目、つまり医学・生物学の話を期待して読み始めた。もちろんソレも面白かったが、最初のヘンリエッタ・ラックス一族の歴史と、最後の取材過程の迫力には、ひたすら圧倒された。特にヘンリエッタの末娘デボラが本格的に登場する第3部後半は、嵐のようなドラマが展開する。

 ヒーラ細胞が普及する過程で印象に残るのは、その培養に成功したジョージ・ガイだ。苦学してピッツバーグ大学で学び、ジョンズ・ホプキンス病院に勤める。モノ作りの才も豊かで、研究室まで妻のマーガレットと共に自作してしまう。ハードウェアも自作した、コンピュータ黎明期のハッカーと同じタイプだ。

 しかも、ヒーラ細胞が普及する過程も、unix黎明期とソックリなのに笑った。ヒーラ細胞の培養に成功し、その便利な性質を知ったガイは、誰彼構わず研究者たちにヒーラ細胞を配りまくるのである。おまいはケン・トンプソンかw 科学の進歩に貢献するのが嬉しくてたまらない、そういう人なんだろう。

 ヒーラ細胞の何が嬉しいかというと。たいていの細胞は、培養が難しい上に、増殖に限界がある。50回ほど分裂したら、死んでしまう。科学の実験は、誰もが同じ条件で追実験できなきゃいけない。でも肝心の実験材料=細胞に限りがあったら、同じ実験を再現できない。でもヒーラ細胞は幾らでも増殖する。だから、誰でも同じ条件で追実験できる…はず。

 しかも、ヒトの細胞だ。例えば新しい薬の効果を調べたい。マウスで効果があった。でもヒトでどうなるかはわからない。そこでヒーラ細胞だ。ヒーラ細胞に薬を与えて、効けばよし。効かない、どころか死んじゃったとしても、ヒーラ細胞なら代わりはいくらでもある。ヒーラ細胞を使ってマズい所を突き止め、再び実験すればいい。

 手軽に使える実験材料があるから気軽に実験できる。お陰でポリオのワクチンを皮切りに、ヒーラ細胞は幾つもの研究に貢献してゆく。中には、化粧品の研究まであるのが感慨深い。

 ただ、培養しやすいのは長所ばかりとは限らず、思わぬ落とし穴があるのも、科学の怖いところ。

 さて、化粧品が感慨深いのには、理由がある。元となったヘンリエッタ・ラックスが、身だしなみに気を遣うおしゃれなご婦人だからだ。亡くなった時も、癌に苦しみながら、ベティキュアは忘れなかった。おまけに明るくて気立てが良く、子どもたちを深く愛していた。この辺は是非とも本書をお読みいただきたい。

 そんなヘンリエッタの人生を掘り起こそうとする著者が、ラックス一族へと迫ってゆく過程が、まさしく『ルーツ』そのものなのだ。

 大学院卒で無神論者に近いユダヤ系の著者と、貧しく無学で信心深い黒人のラックス一族の間には、深い溝がある。特に母ヘンリエッタの事を知りたいと強く願いつつも、それまでの無神経な取材や医学者たちの態度に根深い不信感を持つ末娘のデボラが、著者とチームとなり、ヘンリエッタの生涯を追うストーリーは、ミステリとしても大河ドラマとしても重量級の迫力がある。

 このデボラもまた感情豊かな人で、特に弟のザカリヤを見守る姿は、縁こそ薄かったもののヘンリエッタから愛情の深さをちゃんと受け継いでるんだなあ、なんてしみじみ感じてしまう。…とか書いてるとキリがないんで、今日はこの辺で。

 医学・生物学における一つの技術が普及するまでの科学ノンフィクションであり、遺伝子技術が発達した現代における法と倫理を問う問題作であり、激しい人種差別があった時代のスナップ・ショットであり、また今なお残るその禍根のルポルタージュであり、そして何より厳しい中で生き抜いてきたラックス一族のファミリー・ドラマだ。ただし寝不足になっても私は責任を取らないのでそのつもりで。

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2019年4月28日 (日)

ロバート・P・クリース「世界でもっとも美しい10の科学実験」日経BP社 青木薫訳

本書で取り上げた実験はどれも、科学における大きなパラダイム・シフト――アリストテレスの運動観からガリレオの運動観へ、光の粒子像から波動像へ、古典力学から量子力学へ――を力強く例証しているか、あるいはそれらパラダイム・シフトを起こさせる契機となったかのいずれかである。
  ――序文 移り変わる刹那

斜塔の実験には今日なおわれわれを驚かせる力があるのだ。
  ――第2章 球を落とす

「これを理解したとき、私は前述のガラス磨きの仕事をやめました。というのもこの性質があるせいで、望遠鏡の性能には限度があるとわかったからです」
  ――第4章 決定実験

「地球の自転を見に来られたし」
  ――第7章 地球の自転を見る

「あの実験を見た者は、言葉通りの意味において電子を見たのです」
  ――第8章 電子を見る

私が行った意見調査では、この実験を挙げた人が他を引き離して圧倒的に多かった。
  ――第10章 唯一の謎

【どんな本?】

 2002年、著者は≪フィジックス・ワールド≫誌で読者にアンケートを取る。「一番美しいと思う物理学の実験は何か」。読者が挙げた実験は三百以上にのぼる。その中から、最も人気の高かった10の実験を選び、それぞれの実験は何を調べようとしたのか・どのように実験が行われたのか・その実験はどんな意味があるのかなど、実験の背景・理論・実態そして影響を語り、科学における実験の面白さを伝える、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Prism and the Pendulum : The Ten Most Beautiful Experients in Science, by Robert p. Crease, 2003。日本語版は2006年9月19日1版1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約296頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント45字×17行×296頁=約226,440字、400字詰め原稿用紙で約567枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容は後に行くほど高度になり、また実験を素人が再現するのも難しくなる。

【構成は?】

 歴史的に古い実験から新しい実験へと話が進む。これは同時に科学の進歩に合わせた構成にもなっている。各章はほぼ独立しているので、興味のある所だけを拾い読みしてもいい。とはいえ、全他の流れとしては科学の歩みをなぞる形になるので、できれば頭から読んだ方が楽しいだろう。

  • 序文 移り変わる刹那
  • 第1章 世界を測る
    エラトステネスによる地球の外周の長さの測定
    interlude なぜ科学は美しいのか
  • 第2章 球を落とす
    斜塔の伝説
    interlude 実験とデモンストレーション
  • 第3章 アルファ実験
    ガリレオと斜面
    interlude ニュートン=ベートーヴェン比較論
  • 第4章 決定実験
    ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分解
    interlude 科学は美を破壊するか
  • 第5章 地球の重さを量る
    キャヴェンディッシュの切り詰めた実験
    interlude 科学と大衆文化の統合
  • 第6章 光という波
    ヤングの明快なアナロジー
    interlude 科学とメタファー
  • 第7章 地球の自転を見る
    フーコーの崇高な振り子
    interlude 科学と崇高
  • 第8章 電子を見る
    ミリカンの油滴実験
    interlude 科学における知覚
  • 第9章 わかりはじめることの美しさ
    ラザフォードによる原子核の発見
    interlude 科学の芸術性
  • 第10章 唯一の謎
    一個の電子の量子干渉
    interlude 次点につけた実験
  • 終章 それでも科学は美しくありうるか?
  • 謝辞/訳者あとがき/図・写真一覧/原注/索引

【感想は?】

 「重大な」では、ない。「美しい」だ。同じようで、微妙に違う。美しさは重大さを含んでいるが、それ以外の何かもあるのだ。

 なんとなく、わかるのもある。第1章から第4章、それと第6章と第7章は、私も美しいと感じる。これをグループAとしよう。第5章は、美しさの理由が少し違う。これはグループB。第8章以降は、量子力学の世界だろう。これはグループCだ。

 グループAは、幾つかの共通点がある。最も大きいのは、私にもわかる点だ。わはは。

 ソレで何が証明できるのか。どんな理屈で証明できるのか。ソレが人々の世界観を、どう変えるのか。そういった事が、私にもわかるのだ。また、簡単に再現できる(気がする)のも大きい。実験が単純なほど美しいと私は感じるのだ。

 第1章のエラトステネスによる地球の外周を測る実験(→Wikipedia)は、単に地球の大きさがわかるだけじゃない。世界観とダイレクトに直結している。世界=地球が球形であることを明らかにしたのだ。それも、夏至の日に影の長さを測るという、極めて簡単な方法で。この、単純さと事の重大さの落差こそ、私が美しいと感じる理由だ。

 第2章と第3章は、ガリレオが主役を務める。科学におけるガリレオの影響の大きさがよくわかる構成だ。いずれも物を落とす実験なのか、彼の性格のため…じゃ、ないよね、たぶん。もしかしたら弾道学と関係あるのかも。

 第2章では、ピサの斜塔から重い玉と軽い玉を落とした事になっている。そしてゆで理論(→ピクシブ百科事典)は敗れるのだ。まあ、ゆで理論と言うと馬鹿な話のようだが、人の直感的としては、重い物の方が早く落ちるような気がするし、当時の人々もそう考えていたのだ。なんたって元祖はアリストテレスだし。

 第3章になると、更に一歩先へと進む。斜面に球を転がして、その速さの変化を求めるのである。実際には、一定時間内に転がった距離の変化なんだけど。ここで問題なのは、「一定時間」をどうやって測ったのか、という点。なんと、「腕のいいリュート奏者だったガリレオは、正確に拍子を取ることができた」。楽器演奏は物理学にも役立つのだ。ホンマかいな。

この本には書いてないけど、この実験は軍事にも大きな影響を与えたはずだ。というもの、昔は大砲の玉は、垂直に落ちると思われていたからだ。アルファ実験によって、放物線を描く事が明るみになる。当時の情勢を考えると、これは実にヤバい知識だよなあ。

 第4章の決定実験と第6章の二重スリット実験は、光の性質に関するもの。第4章でニュートンが「光は粒子だ」とした説を、第6章でヤングが「光は波だ」とひっくり返すのが感慨深い。いずれも、ちょっとした道具があれば自分でも出来そうなのが嬉しい。

 第7章のフーコーの振り子は、第1章の続編といった趣がある。私は上野の科学博物館で見た。何より、仕掛けの単純さが感動させる。要は紐の長い振り子ってだけなんだから。振り子自体は、同じ軌道を描いて揺れ続ける。だが地球は自転している、つまり振り子以外の世界が回っているので、私たちが見ると振り子の軌道が変わっていくように見える。動いているのは私たちであって、振り子じゃないのだ。

 単に振り子ってだけの単純な仕掛けで、地球の自転を感じさせる。実に見事な実験だと感服してしまう。

 とかの中で、美しさの毛色が違うと感じるのが、第5章のキャヴェンディッシュの実験。「地球の重さを量る」とあるが、彼が実際に量ったのは、二つの重い球の間に働く力だ。理屈は単純だが、これを現実に量るとなると、話は全く違ってくる。というのも、あまりに小さな力であるために、ちょっとした事柄が大きな誤差となるからだ。

 装置が重ければ、装置が球に力を及ぼしてしまう。温度が違えば対流で球が揺れる。球が鉄だと地磁気の影響を受ける。などの「雑音」を無くすために、キャヴェンディッシュは実験装置に徹底的に凝るのだ。この実験を最も美しいと感じるのは、オーディオ・マニアじゃないかと思う。また、この実験に票を入れたのは、実験物理学者だろう。彼らが日頃から苦労して心がけている「雑音を取り除く事」の難しさを、キャヴェンディッシュの実験が鮮やかに現わしているのだから。

 第9章は量子力学の実験ながら、自分でもできそうな気になる。これはアルファ線の正体を探る実験だ。まずガラス管の中にラドンを入れる。ラドンはアルファ線を出すことが知られていた。次に、そのガラス管を大きな真空のガラス管の中に入れる。二重のガラス管の中にラドンを閉じ込めるのだ。

 小さなガラス管と大きなガラス管の間は真空の筈だ。だが、時間がたつと、ヘリウムが溜まるのである。ヘリウムの元は、ラドンが出したアルファ線だろう。つまり、アルファ線=ヘリウムということだ。

 なんか簡単そうだし、今でも追実験できそうだが、interlude で望みを叩き潰すからいけず。

 正直、第8章以降は、自分の目で見ないと、ピンとこないと思う。いや実際に見ても、やっぱり「何かトリックがあるんじゃないか?」と勘ぐってしまうだろう。だからこそ、「美しい」のだ。私たちの直感を裏切り、理性が生み出した方程式に従う、そんな性質が、これらの実験の美しさの源なんだと思う。

【あなたなら?】

 著者も語っているように、この本の実験は物理学に偏っている。もともと質問が「一番美しいと思う物理学の実験」だし。科学に目を広げると、私は次の二つを付け加えたい。

  • ヤン・ファン・ヘルモント(→Wikipedia)の柳の木の実験。鉢に柳の木を植え、五年ほど育てる。減った土の重さと柳の重さを比べ、「柳は水で育った」と主張した。
  • グレゴール・ヨハン・メンデルのエンドウマメの交配実験(→Wikipedia)。今から考えれば、彼は遺伝学という新しい学問分野の種を蒔いたのだ。

 あと、思考実験も加えていいなら、メンデレーエフの元素周期表(→Wikipedia)も加えたい。混沌の中に美しい秩序を見いだすってのは、科学の面白さそのものだと思う。

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2019年4月 5日 (金)

サイモン・シン「数学者たちの楽園 『ザ・シンプソンズ』を作った天才たち」新潮社 青木薫訳

398712+436512=447212
  ――第3章 ホーマーの最終定理

優れたクイズとジョークは人を考えさせ、答えがわかった瞬間に、人を微笑ませる
  ――第4章 数学的ユーモアの謎

「…アニメは純粋数学に似ている。あるセリフにどんなニュアンスを含めるか、セリフ回しをどうするかまで、徹底的にコントロールできる。あらゆることがコントロール可能だ。アニメは数学者の宇宙なんだ」
  ――第4章 数学的ユーモアの謎

「信じられない、幾何学が何かの役に立つなんて」
  ――第6章 リサ・シンプソン、統計と打撃の女王

平均的人間には、乳房がひとつと、睾丸がひとつある。
  ――第6章 リサ・シンプソン、統計と打撃の女王

この問題が誕生してから30年以上を経ているというのに、力ずくの計算をせずにすむよう、パンケーキ数を予想する式を見いだした者はいないのだ。
  ――第9章 無限とその向こう

ウォルト・ディズニー「金銭的なことを言えば、六分半の短いアニメを構成する四万五千枚の作画について、すべての手から指を一本減らせば、スタジオとして数百万ドルの経費削減になる」
  ――第12章 πをもうひと切れ

「白鳥座X-1で起こることは、白鳥座X-1にとどまる」
  ――第17章 フューチラマの定理

【どんな本?】

 アメリカで人気の長寿アニメ番組「ザ・シンプソンズ」。ユルくてお気楽極楽なファミリー・ドラマかと思いきや、実はごく狭い市場に向けた濃いネタをゴマンと仕込んでいたのだ。仕込んだのは、シンプソンズの脚本チーム。そこには、数学や物理学の学位を持つ者が寄り集まっていた。

 数学や科学の優れた才能を持つ者が、なぜアニメの脚本家になったのか。人によっては頭痛すら訴えるほど嫌われる数学のネタを、リラックスして楽しむべき番組に、なぜ、どのように仕込んだのか。どんなネタを、どこに仕込んでいるのか。そのネタには、どんな意味があるのか。

 「宇宙創成」「フェルマーの最終定理」「暗号解読」など、現代の最新科学・数学トピックを、わかりやすく、かつエキサイティングに伝えてきたサイモン・シンが、人気番組「ザ・シンプソンズ」に隠された暗号を読み解く、マニアックでユーモラスなドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Simpsons and Their Mathmetical Secrets, by Simon Singh, 2013。日本語版は2016年5月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約358頁に加え、訳者まえがき8頁+訳者あとがき4頁、それにジョーク集「算術(コチョコチョ)と幾何学(クスクス)の試験」15頁+数学のエピソード集「付録」9頁。実に豪華なオマケだ。

 9ポイント35字×18行×358頁=約225,540字、400字詰め原稿用紙で約564枚、文庫本なら普通の厚さの一冊分。と言いたいところだが、実際はもっと多い。というのも、少し手の込んだレイアウトのため。紙面の下1/4ほどが脚注の領域になっていて、頁をめくらずに脚注を読めるようにしている。編集の手間は増えるが、読者には嬉しい工夫だ。

 文章はこなれている。ネタの多くは数学だが、中学卒業程度でもなんとかなる。加減乗除と累乗が分かれば、大半のギャグが笑えるだろう。加えて虚数を知っていれば充分。というか私がその程度だ。あ、それと、数学以上に、実は英語の素養が大事だったりする。なんたってギャグの基礎は地口だし。

 もう一つの重要なネタは、シンプソンズそのもの。キャラクターはアチコチで見かけるものの、番組は見たことはない人が多いだろう。実は私もそうだ。でも大丈夫。必要なことは文中に全部書いてある。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。シンプソンズを知らない人は、「訳者まえがき」と「第0章 シンプソンズの真実」だけは読んでおいた方がいいかも。

  • 訳者まえがき
  • 第0章 シンプソンズの真実
  • 第1章 天才バート
  • 第2章 πはお好き?
  • 第3章 ホーマーの最終定理
  • 第4章 数学的ユーモアの謎
  • 第5章 六次の隔たり
  • 第6章 リサ・シンプソン、統計と打撃の女王

 

  • 第7章 ギャルジェブラとギャルゴリズム
  • 第8章 プライムタイム・ショー
  • 第9章 無限とその向こう
  • 第10章 案山子の定理
  • 第11章 コマ止めの数学
  • 第12章 πをもうひと切れ
  • 第13章 ホーマーの三乗
  • 第14章 フューチュラマの誕生

 

  • 第15章 1729と、「夢のような出来事」
  • 第16章 一面的な物語
  • 第17章 フューチラマの定理
  • エπローグ
  • 謝辞/訳者あとがき
  • 算術(コチョコチョ)と幾何学(クスクス)の試験
  • 付録/索引

【感想は?】

 サイモン・シンの本は、ややお堅くて難しそうな雰囲気がある。

 「宇宙創成」「フェルマーの最終定理」「暗号解読」とか、タイトルからしていかにも「お勉強」な空気が漂ってるし。でも 実際に読むと、わかりやすいわワクワクゾクゾクするわで、楽しんだ上に賢くなった気分が味わえる、とってもおトクな本だ。

 その点、この本は、カバーがラッカーで塗ったようなまっ黄色な上に、テーマがアニメの「ザ・シンプソンズ」。親しみやすさは抜群だろう。で、読んでみると、やっぱり印象がだいぶ違う。何が違うと言って、エピソードの多くが「ギャグ」なのだ。思いっきり読者を笑わせてくれる本なのである。

 お陰で書評が書きにくくってしょうがない。だってギャグのネタを明かすのはミステリで犯人をバラすようなもんだし。ちなみにこの記事の最初の引用もギャグだ。サイモン・シンの本だってのがスパイスになってるのも憎い。

 優れた本格ミステリは、謎解きの際に証拠と論理の道筋を辿る場面が楽しい。この本でも、一つのギャグからそのネタを辿る道筋が楽しかったりする。

 例えば「第6章 リサ・シンプソン、統計と打撃の女王」だ。シンプソン家の次女で八歳の天才児、リサ・シンプソンが少年野球チームのコーチを引き受ける話である。当然、賢いリサはデータ野球に突っ走る。となればしめたもの、脚本陣はやりたい放題だ。これは著者のサイモン・シンも同じで、「マネー・ボール」の話を得々と語ったり。

 ちなみに、ちゃんと「マネーボール」の後日談もある上に、付録にはサッカー版までついてます。

 こういう寄り道が楽しいのもサイモン・シンならでは。私はネイピア数e(→Wikipedia)の話が面白かった。いや意味わかんないんだよね、eって。「自然対数の底」とか言われても、何それ美味しいの?だし。でもこの本みたく具体的に語られると、なんか分かった気分になれる。いや「なぜその値に収束するのか」と言われると、やっぱり説明できないんだけど。あとP=NPもわかりやすかった。

 残念ながら、世の中には数学や科学を嫌う人も多い。そんな人にも、シンプソンズはウケる。これは脚本陣がちゃんとわきまえてて、「わかる奴だけわかりゃいいい」な態度でネタを仕込んでるからだ。どころか、「いや普通わかんねーだろ」な仕込み方までしてるから困る。

 注目すべきポイントの一つは、文字だ。分かりやすいのは本の背表紙や黒板の式だが、何の気なしに出て来た数字も重要だったりする。こういうのは注意深く見てけば気が付くが、時おりワザとわからなくしてるのがあるから困るw ダラダラと長い文章が流れてきたら要注意で、中には「たった四秒ほどのシーンに、34ものコマ止めギャグ」を仕込んでたり。

 それでも文字は、ちゃんと目印があるからいい。難しいのはちょっとした落書きの絵や部屋にある小物で、ティーポットがマニアックな意味を持ってたりとかは、誰に向けて脚本を書いてるんだかw

 制作陣がコレだから、観る側も意地になってスロー再生して探したり。こういう油断もスキもない番組作りを真似する奴が、日本にも出てきたから困る。なんじゃいスーパーバリザーって。まあいい。マジになるのがオタクだけならともかく、本職の数学者までアツくなって論文を書いちゃうから怖い。

 これはネタを探すというより、アニメのネタを数学の問題として解くって形になるんだが、「数学ってのはどこにでも転がってるんだなあ」なんて感心してしまった。晩飯のメニューを決めるなんて問題も、きっとどっかの数学者が論文を書いてるに違いない。いや制約条件が色々あるでしょ、冷蔵庫のなかの食材とか昨日のメニューとか調理の時間とか財布の中身とか。

 一見、何の関係もなさそうなアニメと数学を、どういう因果かつないでしまった「ザ・シンプソンズ」の制作陣と、それを鋭く嗅ぎつけて徹底的にほじくり返したサイモン・シンの、絶妙なコンビネーションが産んだ、ユーモアたっぷりのドキュメンタリー。ちょっとした暇つぶしのつもりで読み始めてもいい。その後、しばらくは数学の問題に頭を占領されるかもしれないけどw

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2019年3月18日 (月)

チャールズ・スペンス「『おいしさ』の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実」角川書店 長谷川圭訳

食の喜びは心で感じる、口ではない。
  ――アミューズ・ブーシュ

オックスフォードとケンブリッジの研究者たちによると、皿やボウルのサイズを小さくすると、私たちが実際に口にする量はカロリーにして平均およそ10%(160カロリー)低下する。
  ――第3章 見た目

食の世界ほど思い込みに惑わされている分野も珍しい
  ――第4章 音

食べ物は手で食べたほうがほんとうにおいしい、と多くの人が私に報告してくれている。特にインド出身の人々のその傾向が強い…
  ――第5章 手触り・口当たり

BGMにクラシック音楽を流せば、人々が散在する傾向が強くなることもわかっている。
  ――第6章 雰囲気

食べ物を共有するというのは、人間という生き物にとって普遍的な現象だとされていて、考古学では一万二千年前に祝宴が行われていた証拠が見つかっている。(略)
最近の調査では、ともに食事をすることで、人は他人の意見に同意しやすくなることもわかった
  ――第7章 ソーシャルダイニング

…飛行機内の空気はだいたい高度1800mから2500mぐらいの大気と同じぐらいの圧力にあるように調整されているのだが、そのような条件下では甘さや酸っぱさ、あるいは苦さを感じるのが難しくなる。
  ――第8章 機内食

【どんな本?】

 著者は2008年度イグ・ノーベル賞栄養学賞の受賞者だ。ボテトチップスを食べる際、パリパリ音を強調すると、より新鮮に感じる、そんな研究である。

 先の研究が示すように、料理のおいしさには様々な要素が関わっている。味はもちろん、香り・食器や盛り付けや色・音・口当たりなどだ。レストランは店の飾りつけに凝るし、ケーキ屋は丁寧にケーキの形を整え、食品メーカーはパッケージ・デザインに気を配る。いずれもちゃんと理由がある。

 それぞれ具体的には、どんな要素がどのように影響するのだろうか? それぞれの要素に個人差はあるんだろうか? どんな料理にどんな食器が相応しいのだろうか? 食欲を増すには、または少ない量で満足するには、どんな工夫をすればいいんだろうか?

 オックスフォード大学の研究者が、数多くの実験に加え、一流シェフに協力を仰ぎ、さらに世界各国のレストランを食べ歩いたフィールドワークの成果を結集した、おいしくて楽しい一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GASTROPHYSICS : The New Science of Eating, by Charles Spence, 2016。日本語版は2018年2月28日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約365頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント41字×16行×365頁=約239,440字、400字詰め原稿用紙で約599枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も難しくない。出てくる食品や料理は欧米の物が多いので、ソッチに詳しい人ほど楽しめるだろう。ただし、体重が気になる人は、夕食後に読んではいけない。

【構成は?】

 大雑把に分けて二部に分かれている。第6章までは基礎編、第7章以降は応用編だ。基礎編では、何がどうおいしさに関わるかを語る。応用編では、それを受けてシェフや企業がどんな工夫をしているかを紹介する。

  • 序文 ヘストン・ブルメンタール
  • アミューズ・ブーシュ
    ガストロフィジックス 新しい食の科学/ガストロフィジックスとは?/“クロスモーダル”と“マルチセンソニー”/皿から口へ ナイフとフォークがいちばん便利?/直感のテスト/雰囲気はどのくらい影響する?/オフ・ザ・プレート・ダイニングとは?/おいしいものはおいしい?
  • 第1章 味
    それは味?それともフレーバー?(そんなことどうでもいい?)/期待に応える/どんな名前?/大きな期待/値段、ブランド、名前、ラベルの影響/味の世界/「味以上の味がある」
  • 第2章 香り
    バニラの香りは甘い?/背景としての香り/嗅覚をつくる/どうすればフレーバーの効果を拡大できる?/嗅覚ディナーパーティー/香りと感性
  • 第3章 見た目
    色を味わう?/形を味わう?/皿を味わう?/“フードポルノ”の歴史と今後/“卵黄ポルノ”とは?/マクバン/フードポルノの欠点は?/自宅でガストロポルノ?/消費のイメージ/醜いフルーツ/食という名のポルノ
  • 第4章 音
    調理の音/すべてはポテトチップスから始まった/食べ物の音/サクサクとパリパリ/昆虫を食べる?/ポテトチップスは袋もうるさい?/ザク、パリ、ポン/自宅の食べ物はどんな音?/「えっ、何?」/ディナーと騒音/音響強化フードとドリンク
  • 第5章 手触り・口当たり
    味とフレーバーに対する触感の影響?/マリネッティの触覚ディナー/最初に味わうのは手?/冷たくて滑らかな金属はお好き?/でこぼこのスプーンを使ってみたい?/重さは何かの役に立つ?/毛皮のカトラリー?/手で食べる/食べ物を口に運ぶ楽しさ?/感情の腹話術
  • 第6章 雰囲気
    ビートに合わせて/快適さは必要?/白いキューブの中で食事がしたい?/試飲イベント/<シングルトン・センソリアム>/<カラー・ラボ>/レストランにおける環境のコントロール/雰囲気の未来
  • 第7章 ソーシャルダイニング
    どうして一人で食事をする人が多いのか?/一人で食事をするのは悪いこと?/気が散る食事/一人の食事は楽しい?/ソロ・ダイニング/タパス化/どうして外食するの?/テレマティックディナー
  • 第8章 機内食
    過去の機内食/有名シェフは一万メートルの上空でも才能を発揮できるか?/飛行機の騒音とトマトの関係/超音速調味/空気圧/サービスのための簡単なヒント/マルチセンソリー体験のデザインは飛躍できる?
  • 第9章 記憶
    食の記憶/選択盲/“スティックション”とは?/何を注文したか覚えている?/何を食べたか覚えている?/忘れられた食事/食の記憶のハッキング/忘れないで……
  • 第10章 個人食
    みんな個人化が大好き/“自己優先化効果”とは?/レストランにおける個人化/誰もがあなたの名前を知っている場所/初めて訪れた客人をもてなす方法/個人化の未来/シェフのテーブルにて/選択の問題/“イケア効果”/ケーキづくり/「ちょっと塩とコショウをちょうだい」/カスタマイズする料理としない料理の違いは?/私の個人的な考え
  • 第11章 新しい食体験の世界
    芝居がかかった食事/凝った演出の盛り付け?/“そのほかの要素”/テーブル・パフォーマンス/テーブルで紡ぎ出される物語/テーブル劇場/食べ物を使ったパフォーマンスアート/食体験の未来
  • 第12章 デジタルダイニング
    3Dフードプリンター?/デジタルメニューで注文?/タブレットの味/火星でチーズケーキはいかが?/拡張現実ダイニング/「サウンド・オブ・ザ・シー(海の音)」を聞いたことがある?/びっくりスプーン/デジタルフレーバー/震えるフォークで素敵な食事?/電気味覚/食風景を変えるデジタル技術/ロボットの料理人は優れたシェフになれるか/
  • 第13章 未来派への帰還
    未来派料理 分子ガストロノミーは1930年代に発明されていた?/未来派パーティーを開こう!/食の未来の展望/ビッグデータと食べ物/共感覚体験のデザイン/「ゲザムトクンストヴェルク」とは?/より健康で、より持続可能な食の未来のために/最後に 健康な食生活とは?
  • 注釈/図の出典/謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 書名がうまい。「『おいしさ』の錯覚」だ。「『味』の錯覚」じゃない。

 本当は、みんな気づいてる。「おいしい」は、味覚だけじゃない。カレーやコーヒーは香りが大切だ。トーストはサクサクがいい。お好み焼きの上で鰹節が躍るとワクワクする。

 そう、「おいしい」には、味覚以外のものが関係している。豊かなにおい、歯触りや噛み応え、見た目の美しさや躍動感、そしてポテトチップスのパリパリ音。嗅覚・触覚・視覚・聴覚。「おいしさ」は、五感すべてが関わって創り上げる、総合的な感覚なのだ。

 そこまでは、誰でも気づいている。では、具体的に何がどう関わっているんだろう? 経験的に知っている人はいる。料理人や食品メーカーの開発者だ。店の飾りつけや炭酸飲料の色あいは、売り上げを大きく変える。

 ただ、彼らの知識は断片的で偏っている。高級レストランのシェフはジャンクフードを知らないし、ポテトチップスのメーカーは食器を気にしても仕方がない。そこで学者の出番だ。

 著者は各国のレストランを食べ歩いては(まったくもって妬ましい!)シェフと語らい、食品メーカーの開発者の相談に乗りつつネタを集め、そして時には研究者として実験を企画・実施してはデータを集め論文を書き、その結論をシェフや技術者に伝え…

 などの活動の成果がこの本だ。

 その結論は意外でもあり、また同時に「そうじゃないかと思っていた」ような所もある。例えば、何をおいしそうと感じるかは、人によって大きく違う。これは育った環境による部分もあれば、体質によるものもある。

 関西で生まれ育った人は、納豆が苦手な人が多い。著者も、日本の抹茶アイスで味わった「苦い」思い出を語っている。あの色からミントを期待して食べたが…。「おいしい」には、思い込みや期待も大切なのだ。当然、これは育った環境で変わる。私たちは「抹茶」の名で苦さを、著者はクールさを期待したのだ。

ところで抹茶アイスって原料は牛乳と卵と砂糖と抹茶だよね。日本人は茶に砂糖やミルクを入れるのを邪道と感じるけど、実はイケるんじゃね?

 こういった文化・社会的な要因もあるが、体質も関わってくる。塩味・甘味・酸味などは、人によって感度が違う。超味覚者と呼ばれる人もいて、そういう人の舌先には「普通の人の16倍もの味蕾がある」。特に違いが大きいのが苦味だそうだ。子供は私たちより苦味を強く感じるのかもしれない。

 もちろん、「おいしい」には匂いも大事だ。ところが、匂いの感じ方も人により大きく違う。「人口のおよそ1%は、バニラの香りを感じることができない」。匂いの元となる物質は星の数ほどあり、それぞれ人によって感度が違う。つまり…

人はそれぞれ違う味の世界に生きている
  ――第1章 味

 のだ。人により食べ物の好みが違うのも、当たり前なんだなあ。

 この匂いを巧みに使ったのが、食品メーカー。チョコレート味のアイスクリーム・バーに、ちょっとした工夫をした。本来、チョコレートは凍らせると香りが出ない。そこでメーカーは、パッケージの接着剤に、合成したチョコレートの香りを加えた。パッケージを開けると、チョコレートの香りが広がる。いいのかw

 訳者あとがきにもあるんだが、妙に和食・日本食の工夫を連想する記述が多いのも、この本の特徴の一つ。

 例えば、サンディエゴのレストラン≪トップ・オブ・ザ・マーケット≫の総料理長アイヴァン・フラワーズ。シェフに、カウンター席の客と会話するようにした。これ、寿司屋や屋台のおでん屋の親父がやってる事だよね。

 また、「イケア効果」なるものもある。

人は自分でつくったものは、ほかよりも価値が高いと感じる傾向がある。
  ――第10章 個人食

 何かをつくる趣味がある人なら、わかるだろう。私も、このブログの記事はとても面白いと思っている。これは料理も同じだ。少しでも自分の手が入っていれば、おいしく感じるのだ。これを巧みに取り入れたのが、お好み焼きだろう。焼くだけなんだけど、それでもおいしく感じるのだ。バーベキューも、そうなのかな?

 手を入れなくても、「自分の物」だと思うだけで、やはり価値が高いと感じる「授かり効果」なんてのがある。ボトルキープなんて習慣は、これだろう。脚注にも食品サンプルの話があったりするので、なかなか油断できない。

 後半では、レストランのシェフや食品メーカーなど現場の話が増え、特に終盤ではかなり過激な演出の食事会を紹介していて、シェフたちの創意工夫と新奇さを求めるヒトの欲望にアングリしたり。またダイエットに役立つ情報もチラホラあって、なかなか役立つネタも多い。

 ただ、楽しみながら学べるのはおおいに結構なんだが、出てくるメニューがとにかく食欲を刺激するのが困りもの。読むなら食前にしよう。間違っても夕食後の深夜に読んではいけない。

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2019年3月11日 (月)

ジェレミー・A・グリーン「ジェネリック それは新薬と同じなのか」みすず書房 野中香方子訳

本書は20世紀後半から21世紀初頭の米国における、ジェネリックの社会的、政治的、文化的歴史を記録し、二種類の薬を同一と称することのリスクを検証しようとするものだ。
  ――序 同じであって同じでない

「思うに、公聴会は、法案を求める声を作り出すために、つまり、国民を動かすために開くのです。言うなれば、公聴会は情報のために開くのです。と言っても、私が情報を得るためではなく、国民に情報を伝えるためです」
  ――第6章 同等性コンテスト

「ジェネリックはどこで入手できるのですか。ブランド薬との比較で、より安いジェネリックはどれですか。同一性の保証はどうすれば得られるのですか」
  ――第10章 囚われの身の消費者を開放する

2007年、市場調査企業のIMSヘルスは、世界の製薬市場についての報告の中で、ジェネリックの市場シェアと、ブランド薬をジェネリックに替えて倹約した金額に応じて、各国をランク付けした。米国はその両方でトップだった。
  ――第14章 地球規模のジェネリック

インスリンが最初に特許を得たのは1921年のことだったが、それから一世紀近くたった今でも、市場でインスリンのジェネリックを見ることはほとんどない。
  ――結論 類似性の危機

研究開発費10憶ドルあたりのFDAに承認された薬の数は、1950年から2010年までの間で、九年ごとに半減してきた。
  ――結論 類似性の危機

【どんな本?】

 ジェネリック薬。特許の切れた医薬品と同じ有効成分を持つ薬。たいてい既にある薬とは別の企業から売り出され、価格も安い。

 だが、それは本当に「同じ」なのか。どんな根拠で「同じ/違う」と主張するのか。それは信用できるのか。ジェネリックの流通は、医療にどんな影響をもたらすのか。製薬会社・医師・薬剤師・薬局・政府機関・保険会社そして患者は、どのようにジェネリックを見てきたのか。ジェネリックで医療費の高騰は抑えられるのか。

 アメリカの医療でジェネリック薬が辿った歴史を、医療の現場に加え、政治・法律そして市民運動の面からとらえ、ジェネリック薬がもたらす影響を描く、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GENERIC : The Unbranding of Modern Medicine, by Jeremy A. Greene, 2014。日本語版は2017年12月15日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約373頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×373頁=約302,130字、400字詰め原稿用紙で約756枚。文庫本なら厚い一冊分。

 みすず書房の本の中では文章はこなれている方だろう。内容も特に難しくない。あまり医学・薬学・化学には踏み込まないので、理科が苦手な人でも大丈夫。むしろ企業・政府・政治家の動きなどの社会的な側面が多く、特に連邦政府と州政府の関係など、アメリカ独特の制度や事情が強く関係しているので、その辺に詳しいと更に楽しめる。

【構成は?】

 全般的に前の章を受けて次の章が展開する形なので、なるべく頭から読もう。

  • 謝辞
  • 序 同じであって同じでない
    ただほど高いものはない/甲状腺騒動/ジェネリックの歴史/同等性の科学/医薬品の脱ブランド化
  • Ⅰ 名前には何が込められているのか?
  • 第1章 治療の世界に秩序をもたらす
    命名法/薬局方の政治/医薬品向けに合理的な言語を考案する/合理的な命名法/不合理な顛末
  • 第2章 ブランド批判としてのジェネリック
    不安定なつながり/一般名と特定のもの
  • Ⅱ ジェネリックなんてものはない?
  • 第3章 匿名薬
    偽造の歴史 模造品と粗悪な薬/闇市場の医薬品
  • 第4章 控えめな業界の起源
    処方薬からジェネリックに移行 プレモ製薬/ラリーとボブと一緒に浴室で薬をつくろう ボラー製薬/昔の特効薬を蘇らせる ゼニス製薬
  • 第5章 ジェネリックの特異性
    安いが、危険なほど安いわけではない ピュアパック/ジェネリックのブランド化 SKライン、ファイファーメクス、レダール・スタンダード・プロダクツ/自家商標の危機 マイラン製薬/新薬はいつから旧薬になるのか/ジェネリック医薬品の誕生
  • Ⅲ 同等性の科学
  • 第6章 同等性コンテスト
    モノを同じにする/研究のカギ 薬物の溶出の生体外モデル/差異の科学に投資する
  • 第7章 差異の意義
    生産の違い/立証責任/複数存在する同等性/分断された同等性の科学/患者が服用しているその薬は一度も試験されていない/生物学的同等性を超えて
  • Ⅳ 代替調剤に関する法律
  • 第8章 代替の悪徳と美徳
    「増大する悪」ブランド代替を犯罪と見なす/代替のテクノロジー/代替を合法化する/代替のルール、地域で、また世界で
  • 第9章 普遍的な代替
    ジェネリック派の肖像 ウィリアム・ハダッド/ニューヨーク州ジェネリック調査/ニューヨーク州の処方集と大衆/ニューヨークからワシントンへ 互換性のある医薬品の結集/失敗した標準化 国政、そして代替の特異性/代替の地形
  • Ⅴ ジェネリック消費のパラドックス
  • 第10章 囚われの身の消費者を開放する
    囚われた薬剤消費者/ジェネリックのユーザーズガイド/ジェネリック利用のためのハンドブック/非合理な処方者/必須でない薬のための、必須のガイドブック/ジェネリック消費者になる
  • 第11章 診断書、薬局、スーパーマーケットでのジェネリック消費
    消費者としての医師/ジェネリック消費の場所 薬局とスーパーマーケット/禁欲の祝典/ジェネリックの分岐
  • Ⅵ ジェネリック医薬品
  • 第12章 模倣薬の科学と政治
    分子操作/薬はいつから十分良いものになるか/薬はいつから十分良いものでなくなるか/代替政策の復活
  • 第13章 推奨薬、公的に、あるいは民間で
    医薬品の手品(ごまかし、こじつけ)/公的推奨 薬効評価計画/公的及び民間の合理的行動
  • 第14章 地球規模のジェネリック
    必須医薬品と活動家の地位、ジュネーヴからリオ・デ・ジャネイロまで/輸出市場としてのジェネリック インド亜大陸での拡大/ジェネリック巨大企業
  • 結論 類似性の危機
    あらゆる分子、大きいのも、小さいのも/ジェネリックの歴史、ジェネリックの未来 同じだが同じではない
  • 訳者あとがき/原注/略語/索引

【感想は?】

 ジェネリック薬は最近のものだと思っていた。が、しかし。

 例えばアスピリン。今 WIkipedia で調べたら、なんとまあ。バファリンやケロリンもアスピリンを含むのか。他にもアスピリンのジェネリックは沢山ある(→KEGG DRUG)。ずっと昔から、ジェネリックは私たちの身近にあったのだ。

 そんなわけで、この本も、けっこう昔の話を多く含んでいる。特にジェネリックが社会的な脚光を浴び始めるのは、1960年代から。

 主な登場人物は、まず先行薬の製薬企業とジェネリックの製薬企業。それに医師・薬剤師・ドラッグストアなど、薬を扱う職業の人々。当然、医薬品の認可を司るFDAも重要な役割を果たす。それに保険会社や州政府・政治家・消費者団体なども絡んでくる。

 先行薬の企業はジェネリックに否定的で、後発薬の企業は肯定的だ。まあ当たり前だね。

 ところが、一部の大手先行薬企業も、ジェネリックに手を出してる。例えばファイザー社はジェネリック部門の「ファイファーメクス」を持ってたり。ファイザーのブランドで差別化を図ろうってわけ。対してジェネリックの企業は、「同じである」のがウリなだけに、差別化が難しい。

 保険会社や、州の健康保険関係者は、安上がりなジェネリックを歓迎する傾向が強い。独特の立場でジェネリックを推したのが、ウォルグリーン社。薬局のチェーン店だ。顧客にアピールするチャンスと見て、小冊子「処方薬での節約法」を配る。

 なぜ薬局が、と思うだろうが、ここに薬のややこしさが関係している。例えばアスピリン。幸い日本だと「アスピリン」が一般名で、複数の会社が同じ商品名=アスピリンを出している。が、全星薬品工業の商品名は「ゼンアスピリン」だ。

 処方箋は医師が書く。それを見て薬局が処方する。処方箋に「アスピリン」とあったら、まずもって全星薬品工業の「ゼンアスピリン」は処方しないだろう。

 では、処方箋に医師が書くのは商品名か一般名か。たいてい商品名を書くのだ。そして、医師は病気には詳しくても薬品、特に商品としての薬品には詳しくない。それは薬剤師の仕事だ。だから、医師は慣れた商品名で処方する。たいてい古株の先行薬の名前を書く。だって学校や先輩にそう習ったし。

 薬剤師は処方箋を見て薬を出す。処方箋に書かれたとおりに薬を出せば、たいてい高価な先行薬になる。安く上げようとするなら、ちと面倒な作業をしなきゃいけない。処方箋の商品名から一般名を調べ、同じ一般名の薬から安くて在庫のある薬を探すのだ。

 今ならRDBを使ってSELECT文一発だろうが、昔はそうじゃない。それを何とかしようとしたのが、ニューヨーク・ホスピタル。在庫管理のために院内処方集を作った。これが評判よくて、1961年には「国内の主な病院の60%に導入された」。なんかK&Rみたいな話だね。

 こういう動きは消費者にも出てくる。医師リチャード・ビュラックは『処方薬ハンドブック』を1967年に著し、これがッベストセラーとなるのだ。買ったのは医師じゃなくて消費者。日本でも「医者からもらった薬がわかる本」が売れてるなあ。

 は、いいが。これらには法律も絡んでくる。薬剤師が勝手に薬を変えていいのか? 薬を選ぶのは医師の仕事ではないのか?  また、何を根拠に「同じ」と見なすか、なんて問題もある。そんなわけで、政府機関や政治家も、この本では重要な役割を果たす。面倒なことにアメリカは州の権限が強く、州ごとに違ってたりするから大混乱だ。

ちなみに今の日本だと、医師と薬局の両方にジェネリック医薬品希望カードを示し「ジェネリックでお願い」と伝える必要があるらしい(→第一三共エステファ株式会社)。

 さらに終盤では、ブラジルやインドなど国際的な問題にまで触れ、また新薬開発が難しくなっている事もあり、製薬業界が大きな嵐に見舞われている現状を生々しく描いている。

 正直、私のような素人には、いいささか詳しすぎる内容だったが、同時にビジネスもロビー活動も激しいアメリカの空気が否応なしに伝わってくる迫力もあった。科学というよりは、ジェネリックの歴史と現状を伝えるドキュメンタリーの色彩が強い本だ。

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