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2017年6月21日 (水)

松永猛裕「火薬のはなし 爆発の原理から身のまわりの火薬まで」講談社ブルーバックス

火薬はエネルギーを貯蔵できる素晴らしい化学物質です。
  ――まえがき

有機物質の可燃物は分子の中に水素や炭素があり、そmのため可燃物となる。TNTは分子の中に可燃物と酸化剤が同居していると考えてよい。
  ――第1章 火薬の原理

炎色の研究は量子化学への入り口だ。
  ――第4章 花火

これら地震波の測定結果を踏まえて、NASAの科学者が月のモデルを作成したところ、「中身が空の、チタニウム合金製の球体」という説であった。
  ――第5章 火薬のいろいろな使い方

【どんな本?】

 火薬はなぜ爆発するのか。花火の火薬とダイナマイトとTNTは何が違うのか。研究者はどうやって火薬や爆薬を見つけるのか。なぜ花火には様々な色があるのか。そもそも火薬なんか物騒な事にしか役に立たないんじゃないの?

 産業技術総合研究所で火薬などの安全研究に携わる著者が、火薬や爆発の原理・歴史から、様々な爆発物の性質、今までにあった事故とその原因、そして自家用車などでの意外な使われ方まで、火薬についての全般を伝える一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年8月20日第1刷発行。新書版で横一段組み、本文約241頁。9ポイント26字×26行×241頁=約162,916字、400字詰め原稿用紙で約408枚。文庫本なら少し薄めの一冊分だが、写真やイラストやグラフを多く収録しているので、実際の文字数は8~9割程度。

 文章はこなれている。が、内容はかなり専門的な部分もある。なんたって、第1章から化学式や亀の甲みたいな分子図が続々と出てくるし。私は化学が苦手なので、難しい所は飛ばして読んだが、それでも充分に楽しめた。

【構成は?】

 原則として頭から順に読むような構成になっている。が、冒頭は化学式など専門的な言葉が続くので、かなりとっつきにくい。わからなかったら、適当に飛ばして読もう。

  • まえがき
  • 第1章 火薬の原理
    • 1-1 普通の化学物質と火薬との違い
      火薬の基本/基本は燃えるものを燃やすこと/火薬の反応は酸化反応 燃焼、爆燃、そして爆轟/爆轟
    • 1-2 化合火薬の原理 エネルギー源
      エネルギー源/爆発性原子団 どんな化学構造が爆発するか?
    • 1-3 混合火薬の原理 可燃物と酸化剤
      可燃物になる元素/酸化剤になる元素/集合体としての可燃物と酸化剤
    • 1-4 化学反応から見た爆発の考察
      化学反応はなぜ起こる? エンタルピー、エントロピー、そしてギブス自由エネルギー/混合火薬の劣化
    • 1-5 火薬は燃料としては最強ではない!?
      チョコチップクッキーはTNTの8倍のエネルギー!/爆薬の性能比較
  • 第2章 サイエンスの視点で見た火薬
    • 2-1 高エネルギー物質
    • 2-2 高性能爆薬
      爆発威力の評価/GW/cm2という単位/「究極の爆薬」は?/高密度エネルギーにするための戦略/オクタニトロキュバイン/単結合窒素化合物 ポリ窒素化合物
    • 2-3 起爆薬
      雷汞/DDNP/アジ化鉛/トリシネート/シアヌール酸トリアジド
    • 2-4 熱発生剤 テルミット
      原理と組成物の例/可燃剤(燃えるもの)概論/酸化剤(燃やすもの)概論/実用化されているテルミット/テフロンが酸化剤?/マグテフ/鉄道レールを修復・接続するテルミット溶接技術/製鉄分野でも活躍するテルミット反応/テルミット反応を使う材料合成 燃焼合成/金属粉末の粉塵爆発危険と自然発火危険
    • 2-5 ガス発生剤
      窒素発生剤/水蒸気発生剤/酸素発生剤/煙発生剤
    • 2-6 耐熱爆薬
      TATB/HNS/TACOT/PXY/BTDAONAB
    • 2-7 困りものの爆発物
      金が爆発する!世界最古の起爆剤 雷金/爆発性のある銀化合物/三塩化窒素 プール施設で爆発!?
  • 第3章 実用化されている火薬
    • 3-1 黒色火薬
      黒色火薬の特徴
    • 3-2 ロケット推進薬
      ロケットとミサイルの違い/ロケットの歴史は意外に古い!/コンポジット推進薬
    • 3-3 硝酸アンモニウムを使った爆薬
      硝酸アンモニウムの爆発事故/ANFO/含水爆薬 スラリー爆薬・エマルジョン爆薬/SMBE 爆薬中間体をサイトミキシング
    • 3-4 ダイナマイト
  • 第4章 花火
    • 4-1 花火の歴史
      中国の歴史/日本で初めて花火を見たのは?/隅田川花火のはじまり 玉屋と鍵屋/ヨーロッパの歴史
    • 4-2 おもちゃ花火
      炎・火の粉・火花/回転、走行、飛翔/打ち上げ/爆発音/煙/おもちゃ花火の安全管理
    • 4-3 打ち上げ花火
      玉名 花火の名付け方
    • 4-4 仕掛け花火
    • 4-5 伝統花火
      手筒花火/伊那の綱火/秩父 龍勢
    • 4-6 花火に使われる化学物質
      酸化剤/可燃剤/効果剤 炎色/効果剤 キラキラ/バインダー(結合剤)/花火に用いられる代表的な組成物
    • 4-7 花火のサイエンス
      花火の燃焼機構/花火の発火現象 化学発光(ケミルミネセンス)/花火の炎色を測る/原子の発光スペクトル/分子の発光スペクトル/花火のキラキラ 白熱(インカンデセンス)
    • 4-8 花火の安全
      国内での事故例(失敗知識データベースより)/海外での事故例/ラボスケールでの各種感度評価/自然発火危険性の評価/野外大爆発実験/花火の安全化・高性能化へのチャレンジ ポリマー成型花火/直径1cmの世界最小打ち上げ花火を作る/安全はすべてに優先する
  • 第5章 火薬のいろいろな使い方
    • 5-1 着火・起爆装置
      専用の装置がないと爆発しない/花火で使われる着火装置/火工品/電気着火は点火玉/電気導火線/爆薬を起爆する電気雷管
    • 5-2 火薬を使った発破
      黒色鉱山火薬による花崗岩のマイルドな発破/海底発破/ビルの爆破解体ショーは日本では無理/人口雪崩
    • 5-3 ロケット・人工衛星
      いろいろなロケット/ペイロードとは?/火薬を使った溶融塩電池/ロケットに使われる火工品
    • 5-4 緊急時に使われる火工品
      緊急保安炎筒/海難救助用火工品
    • 5-5 自動車用安全装置
      運転者用フロントエアバッグ/助手席用エアバッグ/その他のエアバッグ/シートベルトプリテンショナー/歩行者保護のためのボンネット上昇装置とエアバッグ/ロールオーバー・プロテクション
    • 5-6 金属を無理矢理くっつける? 爆発圧着
    • 5-7 ドカンと一発! ダイヤモンド合成
      もう一つの超硬物質 窒化ホウ素/超高圧は面白い
    • 5-8 物理探査 月面で人工地震をおこす
      物理探査/アポロ計画の人工地震/月は空洞になっていて、中には宇宙人が!
    • 5-9 大深度地下探索 まだ掘れるオイルとガス
      高温高圧の大深度地下で火薬を使う/シェールガス、シェールオイルの現状
    • 5-10 医療への応用
      体内の結石を爆破!/無針注射
    • 5-11 遺棄・老朽化化学兵器の無害化処理
      遺棄・老朽化化学兵器/爆縮を使った無害化処理
  • 第6章 国内の法令および国際的な取り決め
    • 6-1 法令で定義する化学物質の危険有害性
    • 6-2 法令はインターネットで検索できる
    • 6-3 日本における火薬の定義
      火薬/爆薬/火工品/火薬類取締法は火薬として使うことが大前提/適用除外
    • 6-4 国際的な取り決め
      危険物輸送に関する国連勧告(TDG)/危険物輸送から世界調和へ/国連の危険物分類と定義/オレンジブックとパープルブック/火薬の輸送形態の実例/危険区分を決める国連勧告のフローチャート/フローチャートの中にある試験法
  •  さくいん

【感想は?】

 私が知りたかったのは、火薬と爆薬の違いだ。

 「銃の科学」で、爆発には2種類あると知った。爆燃と爆轟だ。違いは反応速度で、爆燃はミリ秒単位、爆轟はマイクロ秒単位。それこそ桁が違う。黒色火薬や花火は爆燃で、TNTなどの爆薬は爆轟。

 銃で使うのは爆燃で、爆薬だと銃が破裂してしまう。威力が強すぎるのだ。不純物を混ぜるとかして、なんとか調整できないの?と思ったんだが、どうやら無理らしい。組成も反応の形も、全く違うからだ。

 いずれも、化学エネルギーが解放されることで熱エネルギーに変わり、高温高圧のガスが噴き出す。たいていは何かと酸素が結合する、つまりは急激に燃えるって形だ。または、不安定な結合が安定した結合に変わるとか。

 ただし、火薬と爆薬は、酸素の在処が違う。火薬は酸素を含む物質(酸化剤)が、燃える物質と混ざっている。それに対し、爆薬は、同じ分子の中に可燃物と酸素の両方を含んでいる。距離が全然違うのだ。

 などといった原理の話が第1章~第2章に出てきて、これはかなり難しい。が、化学が苦手な人は、テキトーに読み飛ばそう。というか、私は読み飛ばした。以降の章では、意外な火薬の使い道や、花火の仕組みなどが出てきて、素人でも充分に楽しめる。

 火薬の使い道として、まず思い浮かぶのがは花火だ。これは後で述べるとして、「言われてみれば」なのが、ロケットの固形燃料。基本的な理屈はロケット花火と同じで、つまりは火薬を燃やしてるわけ。

 子供の頃、ロケット花火を池に向けて撃ったことがある。困ったガキだね。面白い事に、水の中でもロケット花火は燃え続けた。おかげで、火薬が燃えるのに酸素は要らないと、幼い頃に私は学んだ。えっへん←をい。なんでかというと、火薬の中に酸素が入っているから。固形燃料や花火も、同じ理屈だ。

 火薬は意外な所で使われている。分かり易いのが、パーティなどで使われるクラッカー。中には、物騒どころか、人を守るために使われている場合もある。あなたの自家用車にも、少なくとも二つ、火薬を使っているものがある。

 一つは緊急保安炎筒。急に車が動かなくなった時、他の車に事故を知らせるため光と煙を出す。もうひとつは、エアバッグだ。これを膨らませるのに、火薬を使っている。急いで膨らませるには、火薬を使うのが最も手ごろなのだ。

 ハイテクに感動したのが、爆発圧着。溶接しにくい二種類の金属を結合させるのに使う。要は爆発の圧力でくっつけちゃえって発想だ。チタンは腐食に強いが値段が高くて加工しにくい。そこで全体は軽くて安いアルミで作り、肝心の部分だけチタンにしたり。

 でもやっぱり、この季節に気になるのは花火。第4章をまるまる使って説明してくれるのが嬉しい。最近の花火は途中で色が変わったり、最後にキラキラ輝いたりする。

 花火の基本は黒色火薬なんだが、様々な工夫をこらしている。火が付くタイミングは導火線の長さで調整し、色は混ぜ物で創り上げる。この色、電子が関係してるあたりが、科学の意外な所。なんと炎色反応(→Wikippedia)の理屈なのだ。だもんで、本書では分光器で火薬の組成を調べてたり。野暮なんだかロマンチックなんだかw

 終盤では旧日本軍が国内に遺棄した毒ガスの話が出てきた。中国での遺棄兵器はニュースになったので知っていたが、考えてみれば、日本国内にも遺棄された化学兵器がある筈なんだよね。あんましニュースにならないけど。ニワカとはいえ軍ヲタなら、思いついて当然だろうに。

 物騒に思える火薬だが、花火はもちろん自動車の安全装置や金属加工、果ては医療など、実は様々な所で使われているし、そのために求められる性質も色とりどり。冒頭は専門的でとっつきにくいけど、中盤以降は素人でも楽しめる話が多い。「わからない所は読み飛ばす」姿勢で臨もう。

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2017年6月12日 (月)

バリー・パーカー「戦争の物理学 弓矢から水爆まで兵器はいいかに生み出されたか」白揚社 藤原多伽夫訳

本書では物理学のたいていの分野に触れ、それらが軍事にどのようにおうようされているかを解説する。
  ――1 はじめに 本書の概要

弓の威力を決めるのに重要な要素はいくつかあるが、そのうちの三つは、弓の長さ、形、材料だ。一般的に弓は長ければ長いほど威力を増す…
  ――3 古代の兵器の物理学

理論上、水爆の威力には限界がない
  ――18 水素爆弾、大陸間弾道弾ミサイル、レーザー、そして兵器の未来

【どんな本?】

 戦闘と物理学と言えば、マンハッタン計画が生み出した原爆や話題の無人航空機、SFに出てくる光線銃や衛星兵器を思い浮かべるだろう。しかし、大昔から使われている弓や投石器、騎士がふるう剣やまとう鎧にも、物理学は大きく関係している。

 古代の戦車(チャリオット)から攻城用兵器、大砲や銃の進歩や使われている技術と原理、航空機や潜水艦などの乗り物、そして核兵器からレーダーなどの情報機器まで、軍用機器の歴史を辿ると共に、それに関係した物理学のトピックを、色とりどりのエピソードに交えて語る、一般向けの科学・軍事解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Physics of War : From Arrow to Atoms, by Barry Parker, 2014。日本語版は2016年3月25日第一版第一刷発行。私が読んだのは2016年5月10日発行の第一版第二刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約402頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×402頁=約351,348字、400字詰め原稿用紙で約879枚。文庫本なら上下巻にしてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。アチコチに数式が出てくるが、だいたいの意味は文章でも説明しているので、わからなければ無視しても構わない。理科が得意で軍事にアレルギーがなければ、中学生でも充分に楽しめるだろう。

 ただし、これを読んでも、さすがに原爆は作れない。原理は分かるけど。でも威力のある弓ぐらいは作れそう。

【構成は?】

 時系列順に並んではいるが、各章はけっこう独立しているので、美味しそうな所だけを拾い読みしてもいい。

  • 序文
  • 1 はじめに 本書の概要
  • 2 古代の戦争と物理学の始まり
    カデシュの戦い/古代の戦闘馬車/銅、ブロンズ、鉄/アッシリア人/ギリシャ人と物理学の始まり/投石器/アレクサンドロス大王/アルキメデス
  • 3 古代の兵器の物理学
    速度と加速度/力と慣性/運動量と力積/重力の影響/エネルギーと仕事率/角運動量とトルク/機械/弓矢の物理学/投石器の物理学
  • 4 ローマ帝国の勃興と、英仏の初期の戦い
    ローマ軍とその武器/英仏の初期の戦い/ロングボウの起源と物理学
  • 5 火薬と大砲 戦争の技法と世界を変えた発見
    ロジャー・ベーコン/書記の大砲/百年戦争/ウルバン砲とコンスタンティノープル包囲/イングランドとスコットランドの戦いで使われた大砲/フランス軍/シャルル八世とナポリでの勝利
  • 6 時代を先取りした三人 レオナルド・ダ・ヴィンチ、タルタリア、ガリレオ
    レオナルドと物理学/軍事に関わるレオナルドの発明/戦争に対するレオナルドの姿勢/タルタリア/ガリレオ/弾道学の問題
  • 7 初期の銃から、三十年戦争、ニュートンの発見まで
    戦争と銃/海での戦い/ヘンリー八世/ウィリアム・ギルバート/経度の問題/三十年戦争/スウェーデンの介入/発見の新時代をもたらしたニュートン
  • 8 産業革命の影響
    フランス革命/イギリスの産業革命/ジェームズ・ワットと蒸気機関/ウィルキンソンの鉄工技術/銃の命中精度を高めたロビンス/フリントロック/クリスティアン・ホウヘンス/軍事技術とのかかわり
  • 9 ナポレオンの兵器と電磁気の発見
    フランス革命/大砲の製造法を変えたグリヴォーヴァル/ナポレオンの兵器/摩擦熱を研究したランフォード伯/電気と磁気の関係/電気が戦争に及ぼした影響
  • 10 アメリカの南北戦争
    雷管の開発/ミニエー弾/ライフル銃と大砲における革命/南北戦争/電信の役割/発電機(ダイナモ)/ガトリング法/海上での戦い/スクリュープロペラの物理学/「知るか、機雷なんか」/潜水艦/気球
  • 11 銃弾と砲弾の弾道学
    砲内弾道学/反動/過渡弾道学とソニックブーム/砲外弾道学/銃弾の安定性/終末弾道学
  • 12 航空力学と最初の飛行機
    飛行機の発明につながる発見/ライト兄弟/飛行機が飛ぶ仕組み/揚力の物理学/抗力とは/飛行機の操縦/飛行機が戦争に使われた最初の事例
  • 13 機関銃の戦争 第一次世界大戦
    機関銃の開発/その他の兵器/第一次世界大戦の開戦/初期の戦闘機/海戦と海中の脅威/毒ガス/初期の戦車/アメリカの参戦
  • 14 無線とレーダーの開発
    電磁波の生成と検出/電磁スペクトル/電波/X線/光と赤外線/レーダー/レーダーの性能を高める装置
  • 15 ソナーと潜水艦
    アルキメデスの原理/潜水艦の物理学/スクリュープロペラの動力/船体の形状と潜望鏡/航法/ソナー/水雷/魚雷の仕組み/第二次世界大戦での潜水艦
  • 16 第二次世界大戦
    大戦はいかにして始まったか/戦争に備える/フランスでの戦闘とダンケルクの戦い/レーダーの強み/ブリテンの戦い/アメリカの参戦/飛行機の進歩/戦争で使われた初期のロケット/その他の兵器と小火器/コンピューターと諜報活動
  • 17 原子爆弾
    そもそもの始まり/アインシュタインの役割/イタリア人の大発見/ハーン、マイトナー、シュラスマン/1938年のクリスマス/連鎖反応/大統領への書簡/開戦/イギリス側の動き/ハイゼンベルクとボーア/マンハッタン計画/最初の原子炉/マンハッタン計画は続く/トリニティ実験/ドイツ側の原爆開発/日本への原爆投下を決断
  • 18 水素爆弾、大陸間弾道弾ミサイル、レーザー、そして兵器の未来
    水素爆弾の開発/ウラムとテラーの大発見/最初の実験「アイヴィー・マイク」/水爆の物理学/長距離ミサイル/レーザー/半導体とコンピューター/人工衛星とドローン/未来の兵器
  •  訳者あとがき/註/主な参考文献

【感想は?】

 ニワカ軍ヲタ大喜びの本。

 さすがに「戦闘技術の歴史」シリーズほどには体系化されていないものの、軍事の素人には、思い込みを覆されるエピソードが何度も出てくる。

 例えば弓だ。イングランドのロングボウは「戦闘技術の歴史 2 中世編」で出てきたが、内容が専門的過ぎて、肝心の「何が嬉しいのか」がイマイチ分からなかったが、これでよくわかった。要は飛距離と威力だ。直感的にわかるように、弓は長い方が威力も大きいのだ。

 似たような兵器にクロスボウ(弩)がある。威力が大きく、使いこなすのは弓より簡単そうなのに、あまり流行ってない。なんでだろう?

 と持ったら、クロスボウは中精度が悪い上に、連射が効かないのだ。イングランドのロングボウは一分に5~6本撃てるのに対し、クロスボウは一分に1~2本。当時の戦争はせいぜい2~300mほどでの撃ちあいだから、走り抜ければ1~2分で接近戦になる。となれば、連射能力の差は大きいよなあ。

 科学の進歩がわかるのも、楽しい点の一つ。私たちは、空中に放り投げた物がどんな軌跡をたどるのか、だいたい知っている。野球のホームランボールの軌跡がソレで、つまりは放物線だ。しかも、横向きの動きは、空気抵抗で次第に遅くなる。

 これは野球の玉に限らず、大砲や銃の弾も似たようなもんだろう、と私たちは考える。

 が、16世紀ごろまでは違ってて、「砲弾が砲身を離れたあと加速すると考えられていた」。これを正したのがイタリアのニコロ・タルタリア(→Wikipedia)。ここから弾道学が始まる。

 今でこそ写真も動画もあるから、ホームランの軌跡はわかるし、義務教育で基礎的な物理学を学ぶから、なんとなく銃弾や砲弾の動きも見当がつく。でも当時はニュートン以前だし、速すぎて砲弾の動きも見えないから、想像するしかなかったのだ。実験って概念も普及してなかったし。

 この章、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイも出てくる。ちと切ないのが、タルタリアを含めた三人とも、食うために軍事に手を出してる点。いずれも「本業ではあまり稼げなかったが、兵器の開発では高い収入を得られた」。昔から軍事研究は儲かる仕事だったのだ。なんだかなあ。

 銃の歴史も、素人向けで実に分かり易い。マスケット銃だのミニエー銃だのと名前はよく聞くが、どこがどう違うのか、歴史の教科書じゃ説明していない。

 アッサリ言うと、マスケット銃は丸い弾丸でライフリングなし、ミニエー銃はロケット型の弾丸でライフリングあり。

 銃身にライフリングがあると弾丸は一定の回転を与えられ、ジャイロの理屈で軌道が安定する。これがないと、丸い弾丸は銃身内を進む際に不規則な回転を与えられ、軌道が安定しない。野球だと、ナックル・ボールみたいな感じ?いや多分違うけど。

 決まった回転を与えりゃいいのはわかったが、そのためには弾丸が銃身に密着しなきゃいけない。ミニエー銃の弾丸は底にくぼみがあり、火薬の熱でこれが膨らみ、弾丸がライフリングに密着する。言われてみりゃその通りだが、発想は見事だよなあ。

 この辺の理屈を考えたのはベンジャミン・ロビンズなんだが、彼の手法は見事なまでに科学的でエレガント。

 例えば弾丸の速さを測る方法。重さの分かっている角材を紐でぶら下げ、これを銃で撃つ。角材の揺れ幅を見れば、弾丸が角材に与えたエネルギーがわかる。弾丸の重さも分かるから、後は計算すれば弾丸の速さが分かる。実に鮮やかにニュートンの業績を使いこなしてます。

 銃の発砲音も、私はアレ火薬が爆発した音だと思ってたけど、実は全然違った。銃身内のガスが銃口で急に拡散した時に出る音なのだ。だから消音機は銃口につけるのか。

 と、ここでは銃の話ばかりを書いちゃったけど、目次を見ればわかるように、電信や航空機や原爆など、様々な兵器や軍事用機材の話が出てきて、なかなかバラエティ豊か。特にプロペラの形状の話とかは、モノの形の不思議さを感じるところ。

 全般的に初心者向けで、マニアには物足りないけど、素人には楽しい話がいっぱい載ってるし、書名で感じるほどには難しくもない。科学の話も中学生で充分ついていけるので、気楽に読もう。

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2017年6月 4日 (日)

シャロン・バーチュ・マグレイン「異端の統計学ベイズ」草思社 福永星訳

ベイズの法則は、一見ごく単純な定理だ。曰く、「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」
  ――序文、そして読者の皆さんへのただし書き

「数値を状況から切り離すことはできない」
  ――第10章 ベイズ派の巻き返しと論争の激化

「ベイズの法則はまちがいなのだ……実際に機能するという事実を別にすれば」
  ――第17章 世界を変えつつあるベイズ統計学

【どんな本?】

 迷惑メールを自動的に捨ててくれるベイジアン・フィルタなどで使われており、コンピュータの普及と共に大きな役割を担っているベイズ派統計学。だが、それは統計学の世界では長く異端とされ、何度も葬り去られては復活するゾンビのような歴史を持っていた。

 なぜ異端なのか。厳密な筈の数学の世界で、なぜ綺麗にケリがつかず長く論争が続くのか。ベイズは何が嬉しくて、何が困るのか。そもそもベイズとは何か。そして、数学界での論争とはどのようなものなのか。

 現代の情報技術で脚光を浴びているベイズ統計学の歴史を、個性豊かな登場人物の戦いと活躍で彩り、波乱に満ちたベイズ統計学の物語を綴る、数学と歴史のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy, by Sharon Bertsch McGrayne, 2011。日本語版は2013年10月29日第1刷発行。

 単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約437頁。9ポイント47字×18行×437頁=約369,702字、400字詰め原稿用紙で約925枚。文庫本なら上下巻に分けてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。確率については、「釣り鐘型のグラフが正規分布」ぐらいに知っていれば充分に読みこなせる。少し数式も出てくるが、読み飛ばしても特に問題はない。というか、私は読み飛ばした。

 「統計や確率って、やたら沢山の数字を測ったり計算したり、面倒くさいよね」ぐらいに思っていればいい。むしろ計算や面倒くさいことが苦手な人ほど、登場人物の想いが伝わってくるだろう。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。できれば年表が欲しかった。

  • 序文、そして読者の皆さんへのただし書き
  • 第1部 黎明期の毀誉褒貶
    • 第1章 発見者に見捨てられた大発見
      ベイズ師のすばらしい発見/ベイズが生きた時代ととの人物像/ベイズの天才的ひらめきはいかにして生まれたか/ベイズの大発見はほとんど注目されたかった
    • 第2章 「ベイズの法則」を完成させた男
      数学者ラプラス誕生の背景/天文学と確率論を結びつける/ラプラスはどのようにベイズの法則を発見したか/ラプラス、ベイズを知る/確率の理論を男女出産比率調査で実践/18世紀フランスの政治と統計学/太陽系の安定を示したラプラスの偉業/フランス科学界のリーダーへ/ついにベイズの法則を定式化する
    • 第3章 ベイズの法則への厳しい批判
      誤解に満ちたラプラス像/等確率と主観的信念が攻撃の的になった/フランス軍のなかで生きつづけたベイズの法則/アメリカ電話電信会社を救ったベイズ/アメリカの労災保険料率算出での利用/反ベイズの大物、フィッシャーの人物像/フィッシャーとネイマン、二人の反ベイズ同士の諍い/ベイズの法則が復活の兆しを見せた領域/フィッシャーの有人となったベイズ派、ジェフリーズ/ジェフリーズ対フィッシャー またもベイズ派が負ける
  • 第2部 第二次大戦時代
    • 第4章 ベイズ、戦争の英雄となる
      どうしても答えを出さなければならない問題/ドイツ軍の暗号エニグマを解読せよ/数学者に活躍の出番が回ってくるまで/数学者チューリングがベイズの手法で解読をはじめる/暗号解読に必要なものを手に入れる/ロシアでもベイズは軍用統計学となった/より強力な暗号「タニー」の登場/エニグマ暗号機にホイールが追加される/チューリングとシャノン 戦時下での二人の天才の対話/ユーボート探索の作戦にもベイズが使われた/世界初の大規模電気式デジタル計算機での暗号解読/暗号解読にベイズを使ったチューリング以外の人たち/ベイズの手法の貢献が挺機密扱いになる
    • 第5章 再び忌むべき存在となる
      「頻度主義にあらずんば統計学にあらず」という時代
  • 第3部 ベイズ再興を志した人々
    • 第6章 保険数理士の世界からはじまった反撃
      反ベイズへの逆襲を試みる男/なぜかうまくいくベイズ流損保保険料率に驚く/保険数理士の世界からアカデミズムの世界へ広まる
    • 第7章 ベイズを体系化し哲学とした三人
      統計学者の数が爆発的に増える/外部からは嫌われ内部では分裂する統計学者たち/ベイズを再生に導いた変わり者、グッド/転向して熱烈なベイズ派となった理論家、サヴェッジ/イギリスにベイズ派の拠点を築いたリンドレー
    • 第8章 ベイズ、肺がんの原因を発見する
      がんとたばこの関連を調べた世界初の症例対照研究/たばこと肺がんの因果関係をベイズの手法で証明する/コーンフィールドの大活躍とベイズの復活
    • 第9章 冷戦下の未知のリスクをはかる
      未経験の危機に関する研究へと誘われた若者たち/核兵器事故が起きる不安は募りつつあった/事故の危険を予知した報告書は何を引きおこしたか
    • 第10章 ベイズ派の巻き返しと論争の激化
      ベイズ理論の驚くべき多様化/反ベイズの立場の理論家も密かにベイズを使った/反ベイズの大物たちとの対立はどうなったか/ベイズに注目が集まり他分野にも影響及ぼす
  • 第4部 ベイズが実力を発揮し始める
    • 第11章 意思決定にベイズを使う
      ベイズ派も頻度派も現実の問題に使われてこなかった/情熱と好奇心のアウトサイダー、シュレイファー/意思決定に頻度主義が無力だと悟ったライファ/ライファとシュレイファーがベイズを使えるものにした/二人はベイズの普及に成功したか
    • 第12章 フェデラリスト・ペーパーズを書いたのは誰か
      非軍事分野における最大規模のベイズ手法実践例/現実の問題を扱うことで表出したベイズの困難さ/研究を指揮したモスラーの並外れた能力/著者判別の手がかりとなる単語の発見
    • 第13章 大統領選の速報を支えたベイズ
      テレビ業界の熾烈な競争と世論調査/軍事関連研究の大物、テューキー/なぜテューキーは大統領選速報の仕事を受けたのか/テューキーのベイズ派と頻度主義に対する態度/安全保障のためにベイズの手法は隠された?
    • 第14章 スリーマイル島原発事故を予見
      ベイズ派が停滞期に陥った原因/ベイズ派内でも著しい見解の相違があった/ベイズの手法による分析で原発事故を予見
    • 第15章 海に消えた水爆や潜水艦を探す
      爆撃機が空中爆発して載せていた水爆が行方不明に/仮説を幾つも立てて確率を付与する/水爆探索の現場で何が起きていたか/目撃証言と潜水艇による探索で水爆にたどりつく/ベイズ統計を使う次なる機会 潜水艦探索/潜水艦探索で使われた先進的手法「モンテカルロ法」/探索の理論が漂流船を救助するシステムに応用される/ソビエト潜水艦の発見・追尾にも応用され成功
  • 第5部 何がベイズに勝利をもたらしたか
    • 第16章 決定的なブレークスルー
      コンピュータ発達後も統計学者たちは足踏みを続けた/各分野でベイズの手法を使った成果が出はじめる/ベイズが画像解析に革新をもたらす/ベイズの手法に革命をもたらす数値積分法の発明/マルコフ連鎖モンテカルロ法がもたらしたインパクト/ベイズの手法がソフトウェア化され他分野で大活躍/医学分野でもベイズが使われはじめる/海洋は乳類保護でもベイズが活躍
    • 第17章 世界を変えつつあるベイズ統計学
      ベイズは受け入れられ活用され、論争は沈静化した/ニュースとなり、賞を生んだベイズ統計/金融市場の予測から自動車運転にまで応用されるベイズ/スパムメール除去やWindowsヘルプにも/Eコマーズにもネット検索にもベイズの知見が/ベイズが機械翻訳を大躍進させる/人間の脳もベイズ的に機能している/ベイズ統計は完璧な思考機械を生み出すか
  • 補遺a 「フィッシャー博士の事例集」:博士の宗教的体験
  • 補遺b 乳房X線撮影と乳がんにベイズの法則を適用する
  • 謝辞/用語解説/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 最初にお断りしておく。この本を読んでも、ベイズ統計学は身に付かない。

 この本は数学の本ではない。だから数学が苦手な人でも楽しめる半面、実際にベイズ統計を使って何かを予測できるようにはならない。ベイズ統計学の入門書ではないので、そこはお間違えないように。

 では何の本かというと、一つの思想の伝記と言っていい。つまり歴史の本だ。

 一つの思想が生まれ、時の流れの中に埋もれ、それが何度も発掘・再発見されては忘れられ、または陰で利用されては葬られ、その度に磨きをかけられて成長し、現代において格好のパートナーを得て大成功を収める、そんな物語だ。

 そう、ベイズ統計そのものを主人公として、艱難辛苦の末に栄光を勝ち取る物語として読むと、とっても気持ちがいい。

 そもそも誕生からして切ない。生んだのは18世紀のアマチュア数学者、トーマス・ベイズ師(→Wikipedia)。今はベイズ統計が情報技術で散々使われているのに、日本語版 Wikipedia の記述もあっさりしたもの。ベイズの法則(→Wikipedia)を見つけたものの、ほったらかしにしたまま亡くなってしまう。

 生まれたはいいが親は何の期待もしなけりゃ育てもせず、橋の下に捨てました、そんな感じ。哀れ。

 この捨て子を拾ったのがピエール・シモン・ラプラス(→Wikipedia)。あの「ラプラスの悪魔」で有名なラプラスだ。男女の出生比などから、ベイズとは無関係にベイズの法則を見つけ、磨きをかけてゆく。ナポレオンと同時代で激動のフランスにありながら、名声を築き上げたラプラスの威光で、ベイズ統計も日の目を見る…かと思ったら。

 いかな天才ラプラスといえど、所詮は人、寿命はある。後援者がいなくなれば生意気な若造は叩かれる。そんなわけで、ラプラスの没後、後ろ盾を失ったベイズの法則は頻度主義者たちから袋叩きにされ、路頭に迷う羽目に…

 なるかと思ったら、世の中捨てる神あれば拾う神あり。今度の救いの神は軍人さん。

 数学者ジョセフ・ルイ・フランソワ・ベルトラン率いるフランス軍が、砲兵将校向けに使い始める。当時は大砲も弾も職人が作っていてバラツキがある上に、撃つ時の風向きや気圧などでも落下地点が変わる。それ全部を計算してたらキリないし、どころか戦場じゃ正確な情報なんてまず手に入らない。

 ってんで、「よーわからん要素」が沢山ある時に、とりあえず使える数字を出すのに向いてるのが、ベイズ統計ってわけ。

 と書くとベイズ統計はいい加減なシロモノみたく思えるが、当然ながらそんな事はない。いや本当に何も分からなけりゃ精度もソレナリなんだが、データが集まってくれば次第に精度も上がってくるのがベイズらしい。

 と、こんな風に、世に出てきては宿命の敵の頻度主義者たちに袋叩きにされ、隅に追いやられては数学の部外者である軍人や保険業者に拾われ、コッソリと実際的な実績を積み重ねる、そんなパターンを何度も繰り返してゆく。

 こういったあたりが、まるきし冒険物語みたいで楽しい。話を創ったんじゃないか、と思うぐらい何度も繰り返すのだ。

 中でも切ないのが軍人さんがパトロンになった時。そうでなくたって秘密主義な人たちで、オープンな学問の世界とは性格が正反対だ。そのため、鮮やかな実績を上げても、軍事機密を理由に全く報われなかったり。これを最もわかりやすく象徴してるのが、かのアラン・チューリング(→Wikipedia)とコロッサス(→Wikipedia)のお話。

 など軍隊とのパートナーシップと秘密主義は今でも続いているようで、画像処理技術なども軍からの払い下げが相当にあるらしい事が、終盤で見えてくる。Photoshop のフィルタも、米軍が開発したアルゴリズムを結構使ってるんだろうなあ。

 やたらと計算量が多いのもベイズの弱点だったが、これもコンピュータなら黙々と計算してくれるわけで、今後もベイズは活躍し続けるだろう。特に学習型AIとかでは、必須の技術になる…というか、既になっている様子。

 厳密な論理に従って話が進むと思っていた数学の世界でも、確率と統計は毛色が違ってる事がわかったし、それ以上に一つの技術が辿った紆余曲折が小説みたいにドラマチックだ。また統計という理論と実践が交わる部隊だけに、個性あふれるコンビが優れたチームワークを発揮する話も気持ちいい。

 と、おお話としては抜群に面白い本だtった。ただし、繰り返すが、ベイズ統計の入門書としては全く使えないので、お間違いのないように。

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2017年5月15日 (月)

松原始「カラスの補習授業」雷鳥社

カラスの知能について「霊長類並みに進歩している!」といった解釈をするのは、間違いとは言えないにせよ、必ずしも正しくない。霊長類の知能が唯一絶対の到達点などではないからである。
  ――カレドニアガラスの道具使用

親鳥が巣で眠ることはほとんどない。あったとしても雛を抱くついでである。
  ――営巣場所と造巣行動

カラスは日本最大の農業害鳥でもある。鳥による農業被害として申告される被害額のうち、約半分がカラスによるものだ(次はヒヨドリ)。
  ――被害防除に関する、多少は真面目な話

河川周辺はハシボソガラスの縄張りで埋め尽くされている。
  ――鴉屋の京都御所にて悪戦苦闘すること

ハシブトガラスの行動圏はとことん、ゴミ基準なのだった。
  ――鴉屋の京都御所にて悪戦苦闘すること

【どんな本?】

 「カラスの教科書」に続く、カラスに憑かれた動物行動学者による一般向け科学解説書。

 カラスそのものの記述に加え、それのどこに注目してどう観察するか、観察する際の注意点や苦労することは何か、観察結果をどう記録しどう解釈するか、優れた観察者になるにはどうすればいいかなど、研究する側の話も多く、センス・オブ・ワンダー度ではこちらの方が濃い。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年12月20日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約385頁。9.5ポイント39字×14行×385頁=約210,210字、400字詰め原稿用紙で約526枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分だが、ユーモラスなイラストが沢山載っているので、文字数は7~8割ぐらいだろう。

 文章はこなれていて読みやすく、親しみやすい。内容は先の「カラスの教科書」に比べるとやや突っ込んだ話が多いが、素人でも充分についていける。「カラスの教科書」は国語が得意なら小学生の高学年でも楽しめる程度、これは国語と理科が得意なら小学生の高学年でも楽しめる程度、ぐらいか。

 それと、あまり言いたくはないが、文字サイズが大きいのはありがたい。そういう歳なんです、はい。また、双眼鏡が欲しくなるかも。相変わらず植木ななせのトボけたイラストがいい味出してる。

【構成は?】

 一応、構成は順番通りに並んでいるようだが、美味しそうな所だけを読み散らかしても楽しめる。

  • はじめに
  • 授業の前に
    • カラスって何でしたっけ?
    • 食べるな危険
    • カラスはどうして黒いのかなあ?
  • 一時間目 歴史の時間
    • カラスの系統学
  • 二時間目 カタチの時間
    • カラスの形態と運動
    • ヘッツァーとハシブトガラス
  • 三時間目 感覚の時間
    • 嗅覚編
    • 視覚編
    • 聴覚編
  • 四時間目 脳トレの時間
    • 鳥アタマよ、さらば
    • カラスの知能、再び
    • カレドニアガラスの道具使用
  • 五時間目 地理の時間
    • ミヤマガラスとコクマルガラス
    • ヨーロッパのカラス科たち
  • 六時間目 社会Ⅰの時間
    • カラスの配偶システム
    • 営巣場所と造巣行動
    • ハシボソさんとハシブトさんの種間関係
    • ねぐら
    • カラスの集団と社会
  • 七時間目 社会Ⅱの時間
    • 被害防除に関する、多少は真面目な話
    • カラスはいかにして悪魔の化身に堕とされしか
  • 実習 野外実習の時間
    • 鴉屋の今日の町を走ること
    • 鴉屋の京都御所にて悪戦苦闘すること
  • おわりに
  • 参考文献とオススメ文献
  • おまけ カラスくんまんが

【感想は?】

 そう、センス・オブ・ワンダーだ。

 センス・オブ・ワンダー。SF者にはお馴染みの言葉だが、その意味は人によって違う。「なんか変だけど面白い」だったり、「その発想はなかった」だったり、「なぜそんな事を思いつく?」だったり。

 この本の場合、「あれ?そうだったの?」とか、「俺はずっと勘違いしてたのか!」とか、「そういうのもアリなのか」とか、「その手があるのか!」とか、「よかった、俺だけじゃなかった」とか。いや最後のは少し違うけど。

 そういう、盲点を突かれたり、世界観をひっくり返されたりする話が、ドッサリ載ってる。普通は勘違いを指摘されると、ちょっとムカつくもんなんだが、本ってのは読んでる本人しかわからないから人前で恥かく心配がないんで有り難い。脳みそのシワに溜まったアカが洗い流されるような爽快感がある。

 しかも、この本は、著者のとっつきやすい文章に加え、植木ななせによる微妙にユルいイラストが、親しみやすさを増している。粗い紙質や頁の行数の少なさも、計算した上での選択なんだろう。

 こういったヴィジュアル面でのセンス・オブ・ワンダーが強いのが、84頁にある(松原始による)ハシボソガラスの骨格イラスト。まるきし恐竜である。ただし足、特に脛が長くてスタイルがいい所が違う。やっぱり鳥は恐竜の生き残りなんだなあ。

 しかも、くるぶしの位置がヒトと全く違う。というか、私たちに見えている鳥の足ってのは、ヒトだと足の甲にあたる部分だけ。ネコやイヌと同じように、彼らは常につま先立ちなのだ。というか、ヒトみたく足の裏を地面にベッタリつける方が、生物としてはむしろ珍しいんじゃないかと思えてくる。

 やはり同様に足元をすくわれる感覚が味わえるのが、カラスの知能を考える「四時間目 脳トレの時間」。私たちは犬や猫や鳥に対して、頭がいいとか悪いとか言うけど、知能を測るモノサシの座標は何なんだ?という話。

 ヒトとカラスは、体も違えば生き方も違うし、生きている環境も違う。けれど、ヒトが動物の知能を測る時は、往々にしてヒトの生き方・環境を基準に頭の良しあしを語ってしまう。それってどうなの? そう、カラスにはカラス向きの知能があるし、ハシブトガラスとハシボソガラスでも違うんだぞ、と。

 このあたりは、良くできたファースト・コンタクト物のSFを読んでるような感じで、なかなか心地よかった。わざわざ他の星まで出かけなくても、私たちの身の回りにエイリアンはたくさんいるのだ。

 ただ、コミュニケーションはやたら難しい。なにせ感覚器からして違う。鳥や昆虫はRGBに加え紫外線も見えるのだ。しかも「色彩分解能も高い」。私には同じ色に見えても、鳥には見分けがつくらしい。鳥型エイリアンを出すなら、優れたファッション・センスを持たせるべきだろう←違う。

 コミュニケーションったって、そんなモン取りたがってるのは人間だけだ。カラスはマイペースで自分の人?生を生きている。それでも相手にしてほしけりゃ、人間がカラスのコミュニケーションを学ばにゃならん。そのためにはまずじっくり観察。

 とは言っても、何をどう観察すりゃいいのか、素人にはわからない。そこで、様々な観察法を教えてくれるのも嬉しい所。

 科学ってのは、往々にして何かを数字にする所から始まる。この本では、今までの研究で、何をどう数え計ったかが出てきて、ちょっとした野鳥観察のガイドになっているのも嬉しい。まあ、野鳥ったって、私の場合はスズメとハトとムクドリとカラスぐらいなんだが。

 例えば、歩き方。スズメは、ピョンピョンと跳ねる。対してハトはひょこひょこと歩く。小さい鳥は跳ねるのかと思ったら、セキレイあたりはとても器用にテケテケと走っていく。同じ鳥でも全然違う。言われてみれば「そうだね」だけど、私は今までそんな事は全く意識していなかった。こういう事を知ると、見慣れた風景も違って見えるから楽しい。

 アニメを作る人は、こういう観察眼が優れてるんだろうなあ。とか思ったら、目を鍛える方法も出てきた。スケッチである。どうやら生物学者に絵心は必須らしい。ちゃんとやれば、個体も識別できるようになるとか。私もせめてハシブトとハシボソの違いぐらいはわかるようになりたい。

 当然、他の事も測る。地上滞在時間とか、何かを突っつく回数とか、歩く歩数とか。これがハシブトとハシボソでかなり違うんで、最初は行動で見分けてみよう。ハシブトは目標めがけてスッと舞い降り、あまし地上には留まらない。対してハシボソは石をひっくり返したり地面をつついたりと、忙しい。

 とかを読んでると、いい双眼鏡が欲しくなるから困る。

 などの真面目な話も面白いが、他の生物や学者の逸話も楽しいのが多い。特に強烈なのがコンラート・ローレンツで、悪魔のコスプレで屋根に上ったり、耳にミールワームを突っ込まれそうになったりと、なかなか楽しい人生を送ったようだ。人類学者が彼を観察したら、頭を抱えるんじゃなかろか。著作じゃ「攻撃」や「ソロモンの指輪」が有名な人だけど、自伝を書いてたらベストセラー間違いなしだったのに。

 ユーモラスな文章と愉快なエピソードで読者を惹きつけつつ、知らぬ間に科学の基本を洗脳する恐るべき書物。植木ななせによる肩の力が抜けたイラストに騙されて手に取ると、理系人間に改造されてしまう困った本だ。

 それと、旅行の楽しみが一つ増えるかもしれない。なにせ旅先で見かける生き物は、日頃の生活圏にいる生き物と違うのだから。

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2017年5月14日 (日)

松原始「カラスの教科書」雷鳥社

ねぐらはだいたい、夜間人通りの絶えるような森だ(時に市街地の、それも電線で寝ていることもあるが、今のところ例外的)。神社や大きな公園が多い。
  ――カラスの一生

実は、都会のハシブトガラスの食生活はゴミ、そして貯食に頼り切っていると言っても良いくらいだ。
  ――カラス的グルメ

路上にゴミを出すというのは、カラスに餌を与えているに等しいわけだ。
  ――それはゴミではありません

カラスが人間に敵対的な態度を取るのは雛を守る時だけである
  ――頭を蹴られないために

【どんな本?】

 黒くて図体はデカい上に態度は威圧的で図々しく、朝夕にはギャアギャアとうるさく鳴きわめき、物干し竿からハンガーをかっぱらい、ゴミ集積所にたむろしてはビニール袋をまき散らす、都会の嫌われ者カラス。

 奴らは何者なのか。野生動物のくせに、なんだってコンクリート・ジャングルに居座っているのか。何を食ってどこで寝て、どうやってナンパするのか。幼児が襲われて怪我をすることはないのか。賢いと言われるが、本当なのか。

 カラスに憑かれた動物行動学者が、カラス(と動物学者)の生態を愛情とユーモアたっぷりに語る、一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年1月20日第1刷発行。私が読んだのは2013年1月29日発行の第2刷。売れたんだなあ。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約390頁。9.5ポイント39字×14行×390頁=約212,940字、400字詰め原稿用紙で約533枚。文庫本なら標準的な分量だが、愉快なイラストが沢山載っているので、文字数は7~8割ぐらいだろう。なお、今は講談社文庫から文庫版が出ている。

 文章はとても読みやすい。内容も、特に前提知識は要らず、とってもわかりやすい。ただし、今の季節に読むと、キョロキョロと上を見あげながら歩くクセがつくので、怪しい人と思われるかもしれない。

 また、ふんだんに収録した植木ななせのユーモラスなイラストも、この本の欠かせない魅力。ちゃんと表紙に名前を載せてもいいと思う。

【構成は?】

 一応、前から順番に読む構成になっているが、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • 序 明日のために今日も食う
  • この本に登場するカラスたち
  • 第一章 カラスの基礎知識
    • カラスという鳥はいません
      いや、いるんですけどね
    • カラスの一生
      昔は仲間とつるんでブイブイいわせたもんですが
    • カラス君の家庭の事情
      神田川とニートとちゃぶ台返し
    • カラス的グルメ
      私、マヨラーです
  • 〔カラスのつぶやき1 カラスに負けた〕
  • 第二章 カラスと餌と博物学
    • カラスの採餌行動
      餌を手に入れる方法あれこれ
    • カラスのくちばし
      その行動と進化
    • 山のカラスたち
      「野生の」ハシブトガラスの暮らしぶり
    • カラスの遊びと知能
      難しいので、ちょっとだけ
    • 太陽と狼とカラス
      神の使いか、魔女の眷属か
  • 〔カラスのつぶやき2 旅鴉のカラス旅〕
  • 第三章 カラスの取り扱い説明書
    • それはゴミではありません
      ビニール袋+肉=?
    • カラス避けの効果
      採餌効率と環境収容力
    • 頭を蹴られないために
      初級カラス語会話
  • 〔カラスのつぶやき2 旅鴉のカラス旅〕
  • 第四章 カラスのQ&A
    • よくある質問
      カラスの祖先ってどんな鳥ですか?
    • カラスの絵本図書館 その1
    • 哲学的な質問
      カラスに死の概念はあるの?
    • カラスの絵本図書館 その2
    • マニアックな質問
      カラスって食えるんですか?
  • 結 何はなくても喰ってゆけます
  • 主要参考文献
  • おまけ あなたのカラス度診断

【感想は?】

 確かに迷惑なヤツなのだ、カラスは。でも、これを読むと、ちっとは可愛がってやろうかな、なんて気になるから危ない。

 鳴き声がうるさいのはともかく、ゴミ袋をつついて中身をまき散らすのは困る。鳥はなんでもそうだが、糞も問題だ。汚いってだけじゃなく、金属を腐食させるんで、橋を劣化させたりする。

 日本の都市部で多く見るのはハシブトガラス(→Wikipedia)。奇妙な事に、日本以外ではあまり見ない上に、なんと元は森林性だとか。ビルなどで高低差ができたのが良かったんだろうか。にしても、よく適応したものだ。

 次に多いのがハシボソガラス(→Wikipedia)で、これは畑や河川敷などの開けた地形に多く、ユーラシア全般に広がっている。ハシブトは体重600~800g、ハシボソは400~600g。都会のカラスはデカいのだ。「最近のカラスは大きいなあ」と思ったら、都市化が進んだ証拠かもしれない。

 いずれにせよ、体重はヒトの方が百倍近く多い。バトルは体重が多い方が有利だ。百倍ともなれば決定的な差である。三毛別羆事件(→Wikipedia)の羆だって、体重は350kgとヒトの十倍はいかない。それでも、素手で熊に立ち向かうのはウィリー・ウィリアムスぐらいだ。

 つまり、カラスがヒトに向かってくるとしたら、よほど追い詰められ、「どうせ死ぬなら」ぐらいに思い詰めた時だけらしい。具体的には、「雛を守る時」だというから泣かせるじゃないか。頑張れ父ちゃん。季節的には五月から六月。ちょうど、この記事を書いてる季節だ。

 雛は巣で育てる。巣の近くに人がいて、しかも巣の方をジロジロ見ていると、「コイツはヤバい」と思い追い払おうとするらしい。最初は鳴いて警告し、次第にうるさい声で脅し始め、それでもどかないと特攻を仕掛ける、そういうパターンだとか。

 しかも決して正面からは仕掛けず、後ろから頭をカスめるように飛んでくる。この時、カラスの足が人の髪にひっかかる事があり、これが人から見たら「カラスに襲われた」って形で伝えられてしまう。

 もっとも、ゴミ漁り中のカラスはけっこう図々しかったりする。なまじ図体がデカいから人もビビって避けて通るんだが、これが繰り返されるとカラスも学習して、人をナメてかかるようになる。ということで、カラスに襲われたくなければ、脅して追い払うのも一つの手。

 贅沢な事に、カラスは巣とねぐらが別だ。巣は育児用、ねぐらは就寝用。巣立った雛は暫くねぐらで過ごし、ここで彼氏・彼女を見つけるとか。巣を作る前にカノジョをゲットするのだ。寿命もけっこう長く、巧くすれば30年~20年ぐらい生きるとか。

 などと書くと、かなり分かっているようだが、意外と分かってない事も多い。「カラスは行動圏広すぎて見えねえ、捕獲できねえ、標識できねえ、年齢わからねえ、巣が高すぎて覗けねえ」と、研究しづらいのだ。珍しくないのが仇になり、かえって誰も研究しようとしなかったり。この辺はスズメと似てるかも。

 加えて、本来は森林性といわれるハシブトガラスを観察しようと、屋久島に出かけてみたら、いるにはいたが…

屋久島の森林では、カラスが30秒で飛ぶ距離を歩いて突破するのに30分かかる事も珍しくない。
  ――山のカラスたち

 と、追いかけるのも一苦労。と同時に、生存競争で空を飛べることの利点もつくづく感じたり。

 やはりよく分からないのが、八重山での観察。黒島・波照間島のカラスは大きく、西表島のカラスは小さい。一般に生物は小さい島で小さくなるんだが、Wikipedia によると西表島は289.61km²、波照間島は12.73km²、黒島は10.02km²。広い島の方が小さいとは謎だ。

 都市部に話を戻すと、ハシブトガラスが食ってるのは、主に私たちヒトが出すゴミ。面白い事に、酔っぱらいが吐いたゲロも喜んで食い、綺麗に片づけてくれる。いずれにせよ、連中はヒトの出すゴミに頼ってるんで、出したゴミ袋にはキチンとネットを被せるのが、カラス対策には最もいい。

 とかの真面目な話も多いが、ユーモラスな語り口や、肩の力が抜けた植木ななせのイラストが、親しみやすさをグッと増してる。憎たらしいカラスが、ちょっとだけ可愛くなる本だ。でも餌はやっちゃダメよ。

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2017年4月17日 (月)

ハナ・ホームズ「小さな塵の大きな不思議」紀伊国屋書店 岩坂泰信監修 梶山あゆみ訳

地球は今でも毎日100トン以上の宇宙の塵を集めている。(略)塵のほとんどは小惑星や彗星から飛びだしてきたものである。
  ――第3章 静かに舞い降りる不思議な宇宙の塵

最近、米国農務省は、二酸化炭素(地球温暖化の原因とみなされている)の多い温室でブタクサを育てる実験をおこなった。すると、ブタクサがつくる花粉の量は増えたのである。実験を担当した研究者によれば、ブタクサが吐き出す花粉の量は過去100年間で倍になった可能性がある。
  ――第5章 空を目指す塵たち

「タンカーに半分くらい鉄を積んで私によこしてくれ。そうしたら、氷河期を引きおこしてみせる」
  ――第7章 塵は氷河期に何をしていたのか

…家のなかで塵がとくに濃く立ちこめている場所がわかった――なんと人間のまわりである。
  ――第10章 家のなかにひそむミクロの悪魔たち

たとえば、100グラムの小麦粉の場合、昆虫のかけらが150個とネズミの毛二本までなら、なかに混ざっていても法的に「不衛生な小麦」とはみなされない。
  ――第10章 家のなかにひそむミクロの悪魔たち

【どんな本?】

 塵もつもれば山となる。いや、それどころか、星にだってなる。流れ星にもなるが、恒星にだってなる。そして星から出た塵は、今も地球に降り注いでいる。地球も沢山の塵を生み出し、空に放ち、地に降り注ぐ。それは土を肥やし、海の生物を育み、または疫病を流行らせ、時として気候すら変えてしまう。

 宇宙塵・隕石・黄土・火山灰などの無機物から、花粉や胞子などの生物、硫黄ビーズやアスベストなどの人工物まで、様々な塵の性質と働き、それが私たちの暮らしにもたらす影響を語ると共に、そんな塵を調べる科学者たちのセンス・オブ・ワンダーあふれる研究を紹介する、一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Secret Life of Dust : From the cosmos to the kitchen counter, the big consequences of little things, by Hannah Holmes, 2001。日本語版は2004年3月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約377頁に加え、監修者の岩坂泰信による解説が豪華11頁+訳者あとがき3頁。9ポイント46字×18行×377頁=約312,156字、400字詰め原稿用紙で約781枚。文庫本なら厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただし終盤は鼻や皮膚がムズムズする内容が多いので、繊細な人には向かないかも。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • 謝辞
  • はじめに
  • 第1章 一粒の塵に世界を観る
    地球は塵にとり地球は塵にとりまかれていた/小粒の塵は鼻をすり抜けて肺へ達する/「善玉」の塵もお忘れなく/塵は人間の生活にもかかわってきた/塵には「凶悪犯」が紛れこんでいる/塵から塵へ これが逃れられない運命
  • 第2章 星々の生と死
    塵を宇宙に吐き出す星雲/宇宙塵の形のミステリー/宇宙空間は塵だらけ/太陽系を産んだ塵の雲/塵の雲からアミノ酸もできる?/「塵の揺りかご」から太陽の誕生へ/「塵のドーナツ」から地球の誕生へ/宇宙塵は昔も今も星たちの運命とともに
  • 第3章 静かに舞い降りる不思議な宇宙の塵
    生物大量絶滅の謎と塵/宇宙塵と「夜光雲」/南極基地の井戸に溜まった宇宙塵/二万メートルの上空で宇宙塵を集める/宇宙塵の標本をつくる/塵のルーツ探し/過去を語る塵/星くずから母なる星を探す
  • 第4章 砂漠の大虐殺
    ゴビ砂漠が生まれたとき/恐竜の足跡を見つけた/ゴビの風、舞い上がる砂粒…/塵のベールが頭上を覆っている/世界で猛威をふるう砂塵嵐/砂塵嵐が原因との説には疑問あり/雨と砂崩れと塵と
  • 第5章 空を目指す塵たち
    火山の塵はいつまでどこまで「悪さ」をする/飛行機事故を起こした「火山灰の雲」「硫黄ビーズ」のさまざまな働き/海の白波の塵、ペンギンの塵/植物も塵を吐き出す 胞子、花粉、有機化合物/氷河のまんなかに、ケイ藻が飛ばされて住みついた/蜘蛛の中で子孫を殖やすバクテリア/菌類は岩をも溶かし、塵となす/火と塵 山火事、焼畑農業、戦争による火災/車の排気ガスによる塵
  • 第6章 塵は風に乗り国境を越えて
    空を流れる「塵の河」/大国・中国の「塵」事情/水平線に浮かぶ「塵の帯」を見る/アジアからアメリカへ 「塵の河」をついにとらえた/「アジア直送便」の姿が見えはじめた/塵が水滴と出会うとき/ケネディ・ジュニアの飛行機事故/「サハラ砂塵層」の発見/「塵予想」が現実味を帯びてきた
  • 第7章 塵は氷河期に何をしていたのか
    水に埋め込まれた塵が地球の歴史を語る/「空気の化石」が教えてくれたこと/何かが地球を冷やしている/自然界の塵が地球に与える影響/グリーンランドの塵が語るもの/氷期のほうが風は強く吹いた/南極の氷から見つかった塵の出どころ/氷河期の終焉と塵/塵が植物プランクトンの大増殖を促す/人間が生み出した塵
  • 第8章 ひたひたと降る塵の雨
    カリブの土の謎/南極の氷の下で命を育んだもの/マリンスノー 海のオアシス/農地や庭に塵をまく/サハラの塵が病原体を運ぶ?/空を旅する胞子のゆくえ/空を飛ぶ有機汚染物質/人間の肺にも降りつもる塵/塵が人間を病気にするとき/
  • 第9章 ご近所の厄介者
    トルコの洞窟の村々を襲った奇妙な癌/アメリカ北中部の街を襲った肺疾患/アスベストの塵が原因/石切り工と石灰の塵/肺の中で何が起きるのか/炭鉱夫たちを襲った病/鉱物の塵と職業病/綿花や木材の塵、小麦粉も肺を襲う/イヌ、ネコ、ネズミ、バッタの塵/ゴミの塵とダイオキシン/健康的な農場にも 有機塵中毒症候群/糞便の塵、穀物の粒の塵/古代ミイラの体を蝕んでいた塵/「「渓谷熱」、ハンタウィルス、ホコリタケ
  • 第10章 家のなかにひそむミクロの悪魔たち
    喘息患者が激増している/パーソナル・クラウド 人のまわりを取りまく塵の雲/掃除機がまき散らす塵の量/消臭剤とアロマキャンドルが生みだす塵/意外と恐ろしいベビーパウダー/料理をつくると塵ができる/加湿器とホットタブと微生物/殺虫剤とタバコの煙/カーペットは有害な塵の宝庫/カビのまき散らす塵が喘息の原因?/大食漢チリダニとアレルゲン/ハウスダストの生態系/外で遊ばないことと子供の喘息の関係/塵の何かが免疫系を鍛える?!
  • 第11章 塵は塵に
    人間の死 土葬と鳥葬と/火葬は「暖炉で薪を燃やす」よりも空気にやさしい/遺骨と遺灰はどこへ/地球もまた塵に返る
  • 解説:岩崎泰信/訳者あとがき/参考ウェブサイト/参考文献

【感想は?】

 塵と、それを調べる研究者・研究方法と、どっちが面白いのか悩む。

 研究方法で印象的なのが、パナマシティーのスミソニアン熱帯研究所で、大昔の植生を調べるドロレス・ピペルノ。研究対象は湖の底の泥だ。

 彼女によると、1万1千年前までは森が多かったが、次第に減ってゆき、四千年ほどで森の木は消える。代わりに開けた土地に生える植物が増え、四千年ほど前からは、トウモロコシが一定の期間をおいて増え、やがてこれにカボチャが加わる。そして500年ほど前から、再び森の植物が増えた。

 これはアメリカ大陸の人間の歴史を語っている。1万1千年ほど前に人類が中央アメリカにやってきて、森を切り開いていった。四千年ほど前からトウモロコシの農耕が始まり、次にカボチャも加わった。しかし500年ほど前にスペイン人がやってきて、彼らを根絶やしにした。

 なぜそんな事がわかるのか。

 タネはプラントオパール(→Wikipedia)だ。多くの植物は、とても小さい石を作る。果物の皮や葉の表面に蓄え、イモムシなどから守っているらしい。このプラントオパール、種によって形が違うし、含んでいる炭素を調べれば、いつごろの物かもわかる。

 たかが塵でも、現代科学を駆使して調べれば、様々な事がわかるのだ。これから先、こういった科学を駆使した方法で、私たちが思い込んでいた歴史も、色々と書き換わっていくんだろうなあ。

 サハラの砂漠化も良しあしで。どうやらサハラの砂塵はヨーロッパから大西洋を経て南北アメリカまで、生態系に大きな影響を及ぼしているとか。

 その代表が、カリブ海の島バルパドス島。ここはサンゴ礁の島だ。サンゴ礁は炭酸カルシウム(石灰岩)で、植物を育てるには向かない。にも関わらず、バルパドス島は緑に覆われている。土は40cm~1mほどの厚さがあり、アルミニウムとケイ素を豊かに含む。

 一体、この土はどこからやってきた?

 サハラから、はるばる大西洋を越えてやってきたらしい。ばかりではない。あのアマゾンの大密林も、サハラの恵みを受けている。雨の多いアマゾンでは、土の栄養分がすぐに流れ出てしまう。これをサハラから飛んでくる砂塵が補っているとか。

 とすると、下手にサハラを緑化したら、アマゾンのジャングルは消えてしまいかねない。地球の気候ってのは、何がどうつながってるのか、やたら複雑なものらしい。

 やはり砂塵で有名なのが中国から飛んでくる黄土だけど、これも中国北部の土を富ませているとか。黄土も悪い事ばかりじゃないのだ。いや同時にPM2.5なんて困ったモンも飛んでくるんだけど。これがまたタチが悪くて、「中国ではじつに年間100万人」が塵で亡くなっている。

 終盤では、人の命を奪う塵の話が嫌というほど出てくる上に、なんと人間の周りは塵だらけなんて話も出てくる。私たちは塵に囲まれて生きているのだ。これを称してパーソナル・クラウドと呼ぶ。ところが、この正体が、「この塵の雲が何からできているのか、じつはまだはっきりしない」。

 パーソナル・クラウドに限らす、この本は全般的に、「まだよくわかっていない」ネタが多い。一応の仮説は示すのだが、今後の研究待ちってエピソードが沢山ある。

 こういうのは、塵だけにモヤモヤするが、同時に「これからどんな事がわかるんだろう」とワクワクする所でもある。やはり塵が温暖化に与える影響や、南極の氷河の下の湖で見つかった生物、雲のなかで繁殖するバクテリイアなど、SF者の魂を揺さぶるネタは盛りだくさん。もちろん、破滅物が好きな人にも、ふんだんにネタを提供してくれる。

 ただし、潔癖な人にはいささか耐え難い現実も突きつけてくるので、神経質な人には向かないかも。しかし、ペンギンって、可愛いだけじゃないのねw

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2017年3月27日 (月)

川上和人「生物ミステリー 鳥類学者 無謀にも恐竜を語る」技術評論社

本書の主題は、鳥類と恐竜の緊密な類縁関係を拠り所とし、鳥類の進化を再解釈することと、恐竜の生態を復元することである。
  ――はじめに 鳥類学者は羽毛恐竜の夢を見るか

この本は恐竜学者による恐竜本である。これぐれも詭弁というなかれ。
  ――あとがき 鳥類学者は羽毛恐竜の夢を見たか?

【どんな本?】

 私が幼い頃に図鑑で見た恐竜は、ヘビやワニのように鱗で覆われていて、肌も暗い灰色の味気ない姿だった。だが最近の恐竜の絵は、カラフルな羽毛に覆われている。もし今日に映画「ジュラシック・パーク」がリメイクされたら、恐竜たちは全く異なった姿に描かれるだろう。

 恐竜は鳥盤類と竜盤類に分かれるとされる。しかし2017年3月に、従来の分類法を覆しかねない論文が発表された(→時事ドットコム)。現在の恐竜学は、激しく揺れ動いている。

 なぜ古生物学者ではなく鳥類学者が恐竜を語るのか。そんな疑問を持つ、恐竜に興味はあるが最先端の恐竜学には疎い読者に向け、21世紀の恐竜事情をユーモアたっぷりに伝える、一般向けの楽しくエキサイティングな科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年4月25日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約260頁に加え、あとがき3頁。10ポイント37字×19行×260頁=約182,780字、400字詰め原稿用紙で約457枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も意外なほどわかりやすい。また、えるしまさくのイラストを豊富に収録していて、これがわかりやすさと親しみやすさの大きな助けになっている。ただし文中に様々な恐竜の名前が出てくるので、Google 等で調べながら読むと、なかなか前に進まない。

【構成は?】

 一応、頭から読む構成になっているが、各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしても構わない。

  • はじめに 鳥類学者は羽毛恐竜の夢を見るか
  • 序章 恐竜が世界に産声をあげる
    • Section 1 恐竜とはどんな生物か
    • Section 2 京留学の夜明け、そして…
  • 第2章 恐竜はやがて鳥になった
    • Section 1 生物の「種」とはなにかを考える
    • Section 2 恐竜の種、鳥類の種
    • Section 3 恐竜が鳥になった日
    • Section 4 羽毛恐竜の主張
  • 第3章 鳥は大空の覇者となった
    • Section 1 鳥たらしめるもの
    • Section 2 羽毛恐竜は飛べるとは限らない
    • Section 3 二足歩行が鳥を空に誘った
    • Section 4 シソチョウ化石のメッセージ
    • Section 5 鳥は翼竜の空を飛ぶ
    • Section 6 尻尾はどこから来て、どこに行くのか
    • Section 7 くちばしの物語は、飛翔からはじまる
  • 第4章 無謀にも鳥から恐竜を考える
    • Section 1 恐竜生活プロファイリング
    • Section 2 白色恐竜への道
    • Section 3 翼竜は茶色でも極彩色でもない
    • Section 4 カモノハシリュウは管弦楽がお好き
    • Section 5 強い恐竜にも毒がある
    • Section 6 恐竜はパンのみに生きるにあらず
    • Section 7 獣脚類は渡り鳥の夢を見るか
    • Section 8 古地球の歩き方
    • Section 9 恐竜はいかにして木の上に巣を作るのか
    • Section 10 家族の肖像
    • Section 11 肉食恐竜は夜に恋をする
  • 第5章 恐竜は無邪気に生態系を構築する
    • Section 1 世界は恐竜で回っている
    • Section 2 恐竜の前に道はなく、恐竜の後ろに道はできる
    • Section 3 そして誰もいなくなった
  • あとがき 鳥類学者は羽毛恐竜の夢を見たか?

【感想は?】

 若い人より、年配の人の方が楽しく読める本だ。

 昔の恐竜は、鱗に覆われ単色だった。おかげでゴジラも、あんな姿になった。今の恐竜はカラフルだ。羽毛でモフモフだったり、色も斑点があったりシマシマだったりする。

 そういう、昔の恐竜の姿と、今の恐竜の姿に大きなギャップを感じる人こそ、この本を楽しめる。ついでに言うと、著者は文中に大量のギャグを混ぜ込んでいるが、このセンスはかなりオヤジが入っている。ギャグはノリが大事だ。なので、ギャグ・センスがいささか古い人ほど、いい感じにノれる。

 加えて、最新の恐竜学に疎い方がいい。幼い頃は恐竜図鑑にワクワクしたけど、今はそれどころじゃない、そんな人ほど楽しめる。鳥と恐竜に、何の関係がある? この本は、そんな疑問を抱く人に向けた本だ。

 そんな人にとって、この本は、長年の思い込みを次々と覆されると同時に、自分が生きてきた間に進んだ科学の成果を、存分に堪能できる。その反動で年甲斐もなく恐竜マニアになるかもしれないが、それはそれ。老後の楽しみが増えてよかったじゃないか。

 なんたって、この半世紀の科学の進歩は凄い。今じゃDNA判定なんてものもある。ジュラシック・パークじゃ琥珀の中の蚊から、蚊が吸った血液を取り出してDNAを復元した。流石にあれはフィクションで、DNAの分析までは難しそうだが、似たような手口もあるのだ。つか、よく考えたなあ、こんな手口。

 羽毛そのものの化石も少しは出ているが、多くの化石に羽毛そのものは残らない。また羽毛の化石は残っていても、色まではわからない。でも今は、羽毛の有無どころか、色だって調べる方法があるってのが凄い。

 鳥も哺乳類も、色だけじゃなく様々な模様をまとっている。シマウマはシマシマだし、ヒョウには斑点がある。クジャクは極彩色だし、ペンギンはシックな黒と白だ。それぞれ環境や生態に応じ、保護色だったり、逆に派手だったりする。

 そんな風に、それぞれの恐竜が住む環境や生態から、彼らの色や模様を推理していく所も、羽毛恐竜以降に増えた恐竜学の楽しみだろう。私はプテラノドンはペンギンみたく背は黒く腹は白いと思うんだけど、あなたどう思います?

 でもプテラノドン、正確には恐竜じゃないそうな。ショック。翼竜も首長竜も、恐竜とは異なる種って事になっている。ネッシーも恐竜じゃないのか。残念。

 羽毛と色だけじゃない。姿勢も大きく変わった。昔のティラノサウルスは直立して尻尾は引きずってたけど、今のティラノサウルスは短距離ランナーのように前かがみだ。いかにもダッシュ力がありそう。でもゴジラはやっぱり直立してた方がカッコいいいなあ。

 などの感想に大きく貢献しているのが、たっぷり収録したイラスト。なにせ形や姿勢の話が多く、これらが一発で伝わるイラストの効果は大きい。肩の力が抜けた漫画っぽいものもいいが、特徴を巧く捉えた姿絵は、写真よりもわかりやすい。もっとも、相手が恐竜だけに、写真は無理だけど。

 中でも私が一番気に入ったのは、226頁の「夜行性の獣脚類」。たぶん肉食なんだろうけど、妙に色っぽいんだよなあ←ケモナーかい

 と、暫く恐竜にご無沙汰だった人にとっては、最近の恐竜学の成果を仕入れるいい機会となるだけでなく、恐竜学の進歩の原動力となった科学的な解析・分析方法がわかるのも嬉しい。こういう手法の幾つかは古生物学に限らず歴史学にも応用されてて、現在の学問は理系・文系問わず、凄まじい変化に見舞われている。

 そんな激動の一端を垣間見せ、現代科学が引き起こしつつある革命をヒシヒシと感じさせる、とってもエキサイティングな本だ。普段は科学に触れないけど、かつてはティラノサウルスやトリケラトプスにワクワクする男の子だったオジサンこそ、この本を最高に美味しく楽しめる。

 ただ、勢いに任せて今恐竜のプラモデルを買っちゃうと、数年後には塗りなおす羽目になるかもしれない。これは覚悟しよう。

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2017年3月14日 (火)

フランク・スウェイン「ゾンビの科学 よみがえりとコントロールの探求」インターシフト 西田美緒子訳

マニサにあるジェラルバヤル大学のコル・イェレリ教授は幅広く調査を行い、トルコの交通事故の多くは、実際には市民の脳に侵入した寄生生物によって画策されていることを発見した。
  ――第6章 感染プログラム

【どんな本?】

 ゾンビ。ハイチに伝わる、歩く屍。歩いて動き回るのなら、それは生者とどう違うんだろう? そもそも死者と生者の違いは? ゾンビは本当に存在するんだろうか? ヒトをゾンビにする方法はあるんだろうか?

 一見お馬鹿な疑問のようだが、生と死の狭間にある溝を越えようと足掻いた者は多く、また生物界には恐るべき精密さで宿主を操る寄生生物もいる。医学の歴史から最新の神経科学、奇想天外な寄生生物の生態から諜報機関の怪しげな計画まで、サイエンス・ライターの著者が不気味で魅力的なエピソードをたっぷり交えて送る、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How to Make a Zombie : The Real Life (and Death) Science of Reanimation and Mind Control, by Frank Swain, 2013。日本語版は2015年7月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約219頁に加え、本書出版プロデューサー真柴隆弘の解説2頁。9.5ポイント44字×19行×219頁=約183,084字、400字詰め原稿用紙で約456枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ときおり見慣れない生物や化学物質や脳の部位の名前が出てくるが、「そういうモノがあるのね」程度に思っておけば充分。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • プロローグ 眠れなくなるような真実
  • 第1章 ゾンビの作り方
    • 本物のゾンビを追って
    • 棺のなかの釘
    • 教授とブギーマン
    • 脳のスイッチをしばらく切る
    • 眠れない人口冬眠
  • 第2章 よみがえりの医療
    • 死の境界から連れ戻す
    • 生命の電気
    • 死んだロシア人がやってくる
    • シーソーに揺られて
    • 柔道の「活」は動物に効く?
    • 臨死への冒険
    • 青に埋もれる
  • 第3章 マインドコントロールの秘密兵器
    • 脳が腐る
    • 洗脳されたスパイを育てる
    • 身も心もリクルートされて
    • 服従してしまう心理
    • 信じることが見えること
  • 第4章 行動を遠隔操作する
    • すべては脳の中に
    • 隠れ家に踏み込む
    • 心を取り除く
    • 喜びを生む機械
    • 昆虫偵察機
  • 第5章 脳を操る寄生生物
    • 生きた備蓄食料兼育児室
    • 奴隷になった乳母
    • 考える帽子
    • ゴルディオンの結び目
    • 体が戦場
  • 第6章 感染プログラム
    • キスで封印
    • 憂鬱の汚れた空気
    • 激怒に感染する
    • ネコからヒトへ乗り移る
    • 統合失調症の原因?
  • 第7章 人体資源
    • 生命エネルギーを取り出す
    • 冷たい血の中で
    • 臓器のサプライチェーン
    • ヒューマン・ヴェジタブル
    • 死者から授かった子ども
    • 格別のごちそう
  • エピローグ あなたもゾンビだ
  • 謝辞/注/参考文献/解説

【感想は?】

 キワモノっぽいタイトルだし、各頁も真っ黒に縁どられてて、とっても怪しげ。

 だもんで、「どうせアレな本だろう」などと思い込んで見逃したら、もったいない。実は真面目な、でもってとっても楽しい科学エッセイ集だ。アイザック・アシモフやスティーヴン・ジェイ・グールドのエッセイが好きなら、読んで損はない。もちろん、ゾンビが大好きな人も。

 ただし、ネタがネタだけに、結構エグい所はある。それは覚悟しよう。

 中でも印象に残るのは、ロシアの科学者セルゲイ・ブリュコネンコの実験。なんと犬を首だけで生かす事に成功し、その様子の映画を1943年に公開している。今でいう人工心肺装置を作り上げたわけだが、当時はキワモノのように思われていた模様。

 これが犬だけで済んでりゃよかったが、そのうち人間で試してみようって人も出てきて…。このあたりは、科学エッセイというよりホラーに近い。

 死体を動かすのは無理でも、生きてる人間なら操れるんじゃね? と考える奴もいる。そこでまず出てくるのが薬物。有名な暗殺組織アサシンはルーキーに大麻を与えて洗脳したとされるが、「どうやらおもしろおかしい作り話にすぎないらしい」。いけず。

でも現実はもっと過酷で、例えばシエラレオネ内戦じゃ少年兵をヤク漬けにして使い捨てにしてる。「アメリカン・スナイパー」でも、イラクのテロリストは麻薬を使いハイになった状態で戦っているとか。

 操れないまでも、正気を失った者は色々と使い道がある。女を酔い潰してムニャムニャなんてのは常道で、海外旅行先で貰った飲み物に変な薬が入ってて、なんてのもありがち。どころか、薬も使わず電話だけで若い娘さんにストリップさせたエピソードも出てくる。

 もちっとハイテクを使う方法だと、脳に電極を埋め込む話も出てくる。さすがに思考までは操れないけど、腹立つとか心地いいとかの気分は操れるらしい。ヤバくはあるけど役にも立って、狂暴な男の小脳に電極を差し、「五分おきに怒りを鎮めるパルスを送」ったところ、見事に症状が改善したとか。困ったことに、こういう装置に興味を持つのは医療関係者ばかりとは限らず…

このあたり、著者はアッサリ流しちゃってるけど、実は難しい問題を投げかけてるんだよね。例えば暴行や傷害で服役してる人の何割かは、感情にブレーキが利かない人なわけで、こういう措置を講じれば再犯の恐れはなくなると思うんだけど、果たして世間はそれで納得するんだろうか?

 ハイテクの次はバイテクとばかりに、寄生生物の恐ろしい戦略も実に恐ろしい。今でも約二億人が犠牲になっているマラリア、これに感染した人は、蚊に狙われやすくなるというから怖い。マラリア原虫が、汗や息のにおいを変えちゃうのだ。ただし、どうやってるのかは、今でも不明。原虫のくせに。

 狂犬病もおっかない上に、歴史も古い。なんと四千年前のメソポタミアで法律ができてる。曰く、「狂犬病にかかったイヌをちゃんと管理していなかった飼い主に重い罰金を科す」と。18世紀のロンドンは犬にとって受難の街で…

 とはいえ、現代日本じゃまずもって狂犬病に罹る事はないんで一安心なんだが、思いもよらぬ所から侵入者はやってくる。その名もトキソプラズマ(→Wikipedia)。猫好きは納得しがたいだろうけど、猫から感染する時もある。もっとも一番多いのは「生焼けの肉を食べる社会ほど感染率も高い」。

 Wikipedia にもあるように、成人は感染しても大した自覚症状は出ない。ちょっと体の調子が悪いかな、って程度。でも性格が変わっちゃうのだ。これは男と女じゃ影響が違って…

男性は軽率になり、ルールを無視する傾向が強く、「より功利主義的で、疑い深く、独善的」にもなる。(略)女性は「より心温かく、社交的で、誠実で、粘り強く、道徳的」になる。

 加えて運動能力も低くなり、交通事故を起こしやすくなるばかりか、統合失調症とも関係がありそう。もっともこれは、「あんま関係ないみたい」って結果が出てる実験もあるんだけど。

 他にもラフガディオ・ハーンが出てきたり、毒ハチミツで戦争に勝つ話とか、プルシアンブルー誕生秘話など、トリビアがいっぱい。読み終えた後は思わず手を洗いたくなるのが、唯一の欠点かも。

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2017年2月27日 (月)

佐藤芳彦「図解 TGV vs. 新幹線 日仏高速鉄道を徹底比較」講談社ブルーバックス

TGVは線路の幅が同じというメリットを活かして、在来線との直通運転により、新線区間以外へのネットワークを構築している。新幹線は東京起点で4方向に路線を伸ばしているが、線路の幅が違うことがネックとなって、狭軌在来線との直通運転ができないのが難点である。
  ――4 高速鉄道ネットワーク

【どんな本?】

 現在、世界各国で売り込み合戦を繰り広げているフランスのTGVと日本の新幹線。それぞれに特徴があり、長所短所がある。そこには、両高速鉄道が生まれた国の事情や、育ってきた経緯や環境、そして求められた事柄の違いがあった。

 TGVと新幹線、双方のお国事情や歴史的背景から始まり、運航の模様や路線の形態、駅や線路や電源などのインフラ、そして車両の技術に至るまで、広い視野と技術的な細部の双方に目を配りながら両者を比べ、違いを明らかにすると共に、高速鉄道そのものの姿をわかりやすく伝える、一般向け技術解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年10月20日第1刷発行。新書版で横一段組み、本文約290頁。9ポイント26字×27行×290頁=約203,580字、400字詰め原稿用紙で約509枚。文庫本なら標準的な一冊分の厚さだが、写真やイラストが豊富に入っているので、実際の文字数は6割程度。

 文章はこなれている。が、内容の一部はかなり専門的。特に電気関係が素人には厳しい。ボルトとアンペアや直流と交流はもちろん、「三相誘導電動機」や「インバーター」が説明なしに出てくるので、全部を理解したければ、相応の前提知識が必要。私は全く分からないので、こういった所はすっぱり読み飛ばしました、はい。

【構成は?】

 視点が全体を俯瞰する所から次第に近づいて細部を見ていく構成になっているので、素人は頭から読もう。

  • はじめに
  • 日仏主要車両・世界の高速鉄道
  • 1 プロローグ
    • 1.1 パリ・リヨン駅からの旅立ち
    • 1.2 東京駅からの旅立ち
  • 2 TGVと新幹線の歩み
    • 2.1 旅客輸送量と距離帯別シェア
    • 2.2 開発コンセプトの比較
    • 2.3 世界記録挑戦はいつもTGV
    • 2.4 TGVが安くできたわけ
    • 2.5 航空機と仲良しのTGV
  • 3 鉄道システムの比較
    • 3.1 鉄道をシステムとしてとらえる
    • 3.2 鉄道の経営形態
    • 3.3 技術規制
  • 4 高速鉄道ネットワーク
    • 4.1 新幹線ネットワークの発展
    • 4.2 TGVネットワークの発展
  • 5 営業システム
    • 5.1 運賃比較
    • 5.2 乗車券の日仏比較
    • 5.3 常に混雑する駅窓口
    • 5.4 インターネットによる切符販売
  • 6 列車運行システム
    • 6.1 ダイヤと列車種別
    • 6.2 国境を越えるTGV
    • 6.3 混雑時期への対応
    • 6.4 列車運行管理
    • 6.5 列車の整備
  • 7 インフラストラクチャー
    • 7.1 建設基準
    • 7.2 軌道
    • 7.3 騒音対策
    • 7.4 電気システム
    • 7.5 電車線とパンタグラフ
    • 7.6 信号システム
    • 7.7 インフラの保守
    • 7.8 車両基地と車両保守
  • 8 車両技術の概要
    • 8.1 車両のシステム構成
    • 8.2 車体
    • 8.3 プロパルジョンシステム
    • 8.4 台車と駆動装置
    • 8.5 ブレーキシステム
  • 9 TGVと新幹線車両比較(第1世代)
    • 9.1 日本 新幹線電車開発までの道のり
    • 9.2 フランス TGV-SE開発までの道のり
    • 9.3 国鉄末期の新幹線電車
  • 10 TGVと新幹線車両比較(第2世代)
    • 10.1 同期電動機から誘導電動機へ
    • 10.2 高速化、輸送力増強への試み
  • 11 TGV新幹線車両比較(第3世代)
    • 11.1 ネットワーク拡大への対応
    • 11.2 高速列車開発の集大成
  • 12 世界市場でのTGV vs 新幹線
  • 13 文化の違いと高速鉄道
  • おわりに
  • 参考文献/さくいん

【感想は?】

 まず、世界の鉄道関係者に謝りたい。鉄道ナメてました。

 クリスティアン・ウォルマーの「世界鉄道史」とかを読むと、鉄道の黎明期にはしゃにむに線路を伸ばしていく様子が描かれる。極端なのでは、第一次世界大戦の塹壕戦の背後で前線の兵站を支えた軽便鉄道とかは、泥縄式に線路を作ってるし。

 書名は「TGV vs 新幹線」だし、内容もTGVと新幹線を比べる形になっている。一見、両者の特徴を並べただけのように見えるし、実際そういう部分もあるんだが、これが発想の妙とでもいうか、鉄道に疎い素人の読者には、大きな驚きを与える楽しい本となった。

 TGV と新幹線を比べる、そう聞くと、アヒルのくちばしみたく鼻づらの尖った新幹線の車両と、微妙にいかつい感じのするTGVの車両を比べ、どっちが速いかをジャッジするかのように思ってしまう。

 が、現代の鉄道は、そんな単純なシロモノじゃないのだ。線路・駅・電力網・情報システム・車両基地などのインフラも含めた、とても大規模で複雑なシロモノなのだった。

 こういった事が分かるのも、この本が、TGV・新幹線それぞれの歴史から掘り起こしているため。確かに両者ともお国の威信を背負ってる部分はあるが、それぞれに求められたモノも、生まれ育った環境も、全く違うわけで、単純には比べられない事がよくわかる。

 新幹線のキモは、輸送量。一日の輸送人員がTGV10万人なのに対し、新幹線は50万人。これは総輸送量だけでなく、一編成で送れる数も、TGVは500人程度なのに対し、新幹線は軒並み1000人を超えてる。

この本には書いてないけど、たぶん客層もだいぶ違うんだろうなあ、と思う。日本じゃ普通の人も新幹線を使うけど、フランスは中産階級以上の乗り物なんじゃなっかろか。車両構成も、それを反映してる気がする。

 平均駅間距離も、全く違う。TGVが213kmと長いのに対し、新幹線はたった33km。駅に停まればスピードを稼げないばかりでなく、客の乗り降りもあるわけで、新幹線はかなり厳しい条件で動かしてるわけだ。

 が、新幹線に有利な点もある。在来線は軌道の幅(レールとレールの間)が狭く、新幹線は広い。既にある線路もホームも使えないので、駅や線路などインフラから新幹線専用に作る羽目になった。予算はかかるが、既存システムとの互換を取る必要がないのは、新技術を開発する者にとっちゃ有り難い。

 対してTGVは在来線と相互乗り入れできるんで、同じホームを使える反面、運行システムはもちろん切符販売などの情報システムも含め、既存のインフラに縛られる部分もある。冒頭で著者はパリのリヨン駅からTGVに乗る際、列車が来るホームを探しあてるのに苦労してるけど、これにはそういう事情が大きく関わってる事が、後に明らかとなる。

 全般的に海外への売り込みじゃ新幹線が苦戦してる模様だけど、その理由の多くがコレじゃないかと思う。標準軌の国だと、TGVは既にあるインフラを使えるんで、導入しやすいんだろう

 加えて電源も複雑だ。新幹線も関西の60Hzと関東の50Hzの違いがあるが、TGVはもっと複雑。なにせドイツ・ベルギーそしてドーバー海峡を越えイギリスまで走るんだが、それぞれの国で電圧ばかりか直流/交流まで違う。こんなもん、よく対応できたなあ。いや中身は全く見当つかないんだけど。

 海外売り込みでTGVが有利なもう一つは、これかも。既に多国間で動いてる実績があるなら、技術面に加え運用面でのノウハウも溜ってそうだし。

 と、こういった所から、鉄道ってのは、車両だけでなく、線路や駅や電力網や情報システムも含めた、とっても大きくて複雑なシステムなんだって事が、素人にも充分に伝わってくる。機関車や客車は、そういった大きなシステムの一部なわけ。

 とはいえ、当然ながらシステムの違いは車両の違いにも表れるわけで、その辺も詳しく、しかも嬉しい事にわかりやすいイラスト付きで解説してる。

 私のような素人でも通勤列車と新幹線の違いがハッキリわかるのは、速いってだけじゃなく、乗り心地がとってもいい事。速く走れば振動も大きくなる筈なのに、やたら静かで落ち着いてる。この秘訣を明かす台車のイラストは、その複雑さにクラクラしながらも、じっくり見つめてしまった。よくこんな複雑なモン作ってメンテしてるなあ。

 と、書名はTGVと新幹線の優劣を語るようだし、実際にそういう内容なんだが、素人にとっては、鉄道ってシステムの複雑さと規模の大きさを肌で感じさせてくれて、意外な収穫に溢れる本だった。

 にしても、2006年の東海道新幹線の平均遅延時間がたったの0.3分って、人間技じゃない。たぶん日本以外の国は、この数字を信じないだろう。これ1987年からのグラフになってて、最も成績の悪い1987年でさえ2.7分。夏から秋には台風が暴れ冬には雪が降る露天を500km以上走り、迷子やタチの悪いクレーマーの相手までこなして3分も狂わないって、JR職員はコンピュータ制御のサイボーグか?

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2017年2月12日 (日)

トレヴァー・コックス「世界の不思議な音 奇妙な音の謎を科学で解き明かす」白揚社 田沢恭子訳

私は校舎研究の一環として、生徒が読解や暗算などの単純なタスクを遂行しているおときに雑音を聞かせる実験をした。ある実験では、14歳から16歳の集団にざわついてうるさい教室の音を聞かせると認知能力が低下し、静かな場所でタスクをおこなう11歳から13歳の対照群と同程度になった。
  ――プロローグ

1924年には、高名なチェリストのベアトリス・ハリソンとナイチンゲールの共演が、BBCラジオ初の屋外からの生中継として放送された。イングランドのオックステッドで暮らすハリソンの自宅周辺には林があり、そこに棲むナイチンゲールが彼女の練習するチェロを音まねするようになっていたのだ。
  ――3 吠える魚

【どんな本?】

 歌う砂丘。壁に向かって囁くと、部屋の反対側にいる人に聞こえる壁。セミの声がやかましい理由。コンサート・ホールの設計のコツ。車で走ると「ウィリアム・テル序曲」が聞こえる道。

 日光の鳴き龍など、世の中には不思議な音がある。虫の声や木の葉の揺れる音など、私たちの暮らしは様々な音に囲まれている。うるさい音もあれば、気持ちが落ち着く音もある。

 奇妙な音は、どうやって生まれるのか。エルビス・プレスリーの独特のエコーを、どうやって作ったのか。そして、様々な音や音響環境は、私たちの暮らしや音楽、そして他の生き物たちにどんな影響を与えるのか。

 音響工学教授の著者が、世界を駆け巡り、音をめぐるエピソードを集め、音響工学の面白さや意外な利用法を語る、楽しくて役に立つ一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Sound Book : The Science of the Sonic Wonders of the World, by Trevor Cox, 2014。日本語版は2016年6月30日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約300頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント45字×19行×300頁=約256,500字、400字詰め原稿用紙で約642枚。文庫本なら少し厚め。

 文章は読みやすい。内容も特に難しくない。音楽が好きなら、楽しく読める。「音は波である」「波長が長いほど音は低い」程度に分かってれば、充分に読みこなせる。こういった事はギターやバイオリンを弾く人なら、直感的に分かるだろう。シンセサイザーなどDTMに興味があれば、更によし。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • プロローグ
  • 1 世界で一番よく音の響く場所
  • 2 鳴り響く岩
  • 3 吠える魚
  • 4 過去のエコー
  • 5 曲がる音
  • 6 砂の歌声
  • 7 世界で一番静かな場所
  • 8 音のある風景
  • 9 未来の驚異
  •  謝辞/訳者あとがき/註

【感想は?】

 サウンド・エディタが欲しくなる本だ。私は思わず Audacity を手に入れ、遊びまくってしまった。更新が遅れたのは、そのせいだ。まだ機能の1/10もわかっちゃいないけど、遊び始めるとキリがない。

 本書を読みこなすキモは、エコー(こだま)とリバーブ(残響)の違い。

 エコーは、こだま。山に向かって「ヤッホー」と叫べば、「ヤッホー」と返ってくるやつ。リバーブは、お風呂の中で歌うと、よく響いて歌が上手くなった気がする効果。

 この二つをややこしくしてるのが、カラオケのエコーマイク。あれ、エコーって名前がついてるけど、実はリバーブの効果をつけてる。だもんで、本当はリバーブ・マイクが適切。

 エコーもリバーブも、何かにぶつかって返ってきた音を示す。

 これを研究して建築音響学を開拓したのが、19世紀の物理学者ウォーレス・クレメント・セイビン(→Wikipedia)。

 空気中の音はだいたい秒速340mぐらいで進む。雷が光ってから音がするまでの時間が分かれば、雷までの距離が分かる、お馴染みの理屈だ。低い音は残響が長く残り、高い音はすぐに消える。一般に遠くの音はくぐもって聞こえるものだ。壁の材質でも違ってくる。石やタイルなどの硬いものはよく反響し、布など柔らかいものはあまり反響しない。

 これらを組み合わせると、コンサート・ホールの設計に役立つほか、色々な応用もできる。物騒なものの代表は、潜水艦のソナーだろう。米軍は、アフガニスタンの戦場で洞窟の中を調べるため、銃声の反響音を分析する研究をした。

 音楽好きとして興味深いのは、演奏場所の残響効果の違いが音楽そのものに与える影響。

 宗教改革以前、ドイツの聖トーマス教会は、「司祭の声が消えるまでに八秒かかっていた」。16世紀半ばに改築し、木製の廻廊を付けたし布を垂らすと、残響時間が1.8秒に減った。これが音楽に大きな影響を与えたのだ。

18世紀になると、残響が短くなったことを生かして、聖歌隊長だったヨハン・セバスティアン・バッハがそれまでよりもテンポの速い複雑な曲を作るようになった。

 残響の短さが、音楽のテンポを速くしたわけ。言われてみると、世界の民族音楽も、残響がない野外で演奏されるものは、テンポが速い曲が多い気がする。こういった事は、「倍音」でも面白い分析をしていたなあ。

 とかの人工的な音の話に加え、自然界の音の話も盛りだくさん。

 音に頼る生き物の代表が、コウモリだろう。超音波を発してソナーのように使い、周りの状況を「見る」。コウモリの出す声は人間に聞こえないが、機械を使って周波数を下げれば聞こえるようになる。これを使うと、静かな湖畔が、「超音波域の繰り広げられる修羅場」に変貌してしまう。

 そのコウモリ、たいていは虫を食べて生きている。虫だって食われたくない。そこで工夫したのがマダガスカルオナガヤママユ(→Google画像検索)。長い尻尾はコウモリの声を強く反射し、尾は食われるが胴体は無事に済む。軍用機が使うフレアみたいな作戦だ。

 静かに思える水の中も、実は音で溢れている。「テッポウエビの大群は、炎がもえさかるときのパチパチという音に似た音を出す」。お陰で、海軍は第二次世界大戦中にテッポウエビの研究を始めにゃならんかった。ソナーの邪魔になるからだ。

 様々な音響環境を調べるため、著者は世界中を駆け巡る。ロンドンの下水道を探検し、廃棄された石油貯蔵施設に潜り込み、モハーヴェ砂漠に突っ込み、イランのイスファハンのイマーム・モスクを訪れる。

 などの冒険行も楽しいが、その後で聞いた音について科学的にわかりやすく説明してくれるのも著者ならでは。他にもスター・ウォーズのレーザー音の秘密や、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」のデマなど、面白いエピソードがぎゅうぎゅう詰まってる。

 日頃、外出する時は iPod nano を手放せない私だが、ちょっと耳を澄まして街の音に注意してみよう、そんな気になった。でも今は Audacity に夢中だけどw

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