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2020年10月16日 (金)

岩本太郎「実用メカニズム事典 機械設計の発想力を鍛える機構101選」森北出版

本書は、機械各部に必要とされる動作から必要な機構を探す事典としての使い方を想定している。
  ――本書の使い方

牽引車両には主に3種類ある。
セミトレーラは、トレーラに前輪がなく、牽引車両であるトラクタにトレーラの荷重の一部をもたせるものであり、日本ではこのタイプが最も多い。
フルトレーラはトレーラにも前輪があって荷重はすべてトレーラが支え、トラクタにも荷台がある。
ポールトレーラは長尺貨物を運ぶもので、トラクタとは伸縮可能なドローバーで簡易的に結合されている。
  ――第6章 走行装置 6-1 平たん路・傾斜路走行 6-1-5 牽引 牽引車両

蒸気機関車は、車輪をエンジンが直接駆動しているので、エンジンと車輪の間に変速機やクラッチを置くことができない。
  ――第7章 流体機械 7-1 圧縮性流体機械 7-1-6 蒸気機関のバルブ機構

多節ロボットは多くの関節が盾に並んでいて、関節には駆動制御系があるが側面の車輪はフリーホイールである。関節の位置は、一つの正弦曲線上に並ぶように関節角度が制御される。そして、正弦曲線が後方に流れるようにすべての関節を同時制御するものである。
  ――第8章 ロボット応用 8-2 移動ロボット 8-2-1 平たん路移動 多節式

【どんな本?】

 メカニズムとは、力や運動を制御するものだ。

 回転の軸をズラす、または別の向きにする。直線運動を回転運動にする。運動速度を速くする。弱い力を強い力にする。揺れを減らす。たるみをなくす。行きはゆっくり、戻りは速く。すべての車輪が同じ重さを担うようにする。

 これらの目的を果たすために、ヒトは様々なメカニズムや形が生み出してきた。歯車、滑車、ピストン、パンタグラフ、カム、テーパー、ルーローの三角形。

 それらの要素を適切に組み合わせることで、便利な機構ができあがる。例えば自転車は歯車・コントロールケーブル・軸受けなどが組み合わさっている。

 本書は、歯車など基本的なものから、それらを組み合わせた内燃機関のエンジンまで、様々なメカニズムを網羅するとともに、機械を設計する際の目的や条件に応じて相応しい機構が見つかるように、目的別の目次を備えた、設計者のための機構事典である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年2月10日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組み約326頁。9ポイント40字×36行×326頁=約469,440字、400字詰め原稿用紙で約1,174枚。文庫なら上下巻ぐらいだが、イラストや表やグラフが豊富に載っているので、文字数は半分ぐらい。このイラストが極めて重要な本なので、たぶん文庫にはならないだろう。

 ズバリ、プロの機械設計者またはプロ予備軍向け。文章は硬い。典型的な学者、それも工学者の文章だ。内容も高度で、「リテーナ」や「テーパ」などの専門用語はもちろん、数式も容赦なく出てくる。それも加減乗除に加え平方・平方根・三角関数・微分を含むもの。普通科高校卒業程度の数学力があれば読みこなせるだろうが、私には無理なので読み飛ばした。

【構成は?】

 中身は事典そのものなので、気になった所を拾い読みしてもいい。というか、そういう使い方を想定している。だって事典だし。そのため、目次が二つあるのが大きな特徴。

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  • はじめに
  • 本書の使い方
  • 目次1 動作から探す
  • 目次2 目的から探す
  • 第1章 直線運動
  • 第2章 回転運動
  • 第3章 角度・変位と力の制御
  • 第4章 運動変換
  • 第5章 軌道生成
  • 第6章 走行装置
  • 第7章 流体機械
  • 第8章 ロボット応用
  • 付録 4節連鎖など
  • 索引 機構名から探す

 その目次、例えば「目次1 動作から探す」の冒頭は、こんな感じだ。

  • 第1章 直線運動
    • 1-1 直線案内
      • 1-1-1 すべり案内
        穴と棒/アリ溝

 対して「目次2 目的から探す」は、こうなっている。

  • 第1章 直線運動
    • 1-1-1 動作より剛性を優先させたい
      穴と棒/アリ溝

 また、「穴と棒」など個々の項目は、最初にイラストや三面図などがあり、次に説明文がつく。機構の特有のクセや注意すべき事柄は、各項目の末尾の「ポイント」を見よう。また回転数の変化率など具体的な数値の計算方法も、末尾に「設計・解析」にある。数式がバリバリ出てくるのは、この「設計・解析」だ。

【感想は?】

 くり返すが、プロの機械設計者またはプロ予備軍向けの本だ。たぶん、著者が理想とする使い方は、こんな感じだろう。

  1. まず軽く全体を流して読む。目的は手っ取り早く全体の構成や「何が載っているか」「何ができるか」を掴むこと。よって、よく知っている項目・数式・面倒くさい所などは、アッサリと読み飛ばす。
  2. 折に触れて、よく分からなかった所を見直す。またはソレ関係を学びなおす。上手くすれば芸幅が広がる。
  3. 実際の仕事や研究で「もっと巧い方法はないか」「こんなん、どないせえちゅうねん」と悩んだら、目次2を使って可能な方法を探す。そのものズバリはなくても、ソレっぽい項目やその近くの項目を見れば、ヒントが見つかるかも。

 そう、「読む」本というより、身近な所に置いて「使う」本なのだ。だって事典だし。

 そんな本を素人の私が野次馬根性で読むんだから、ハナから無茶な話なんだが、それはさておき。いや機械工学ってどんな事をやるのか知りたかったんです。

 で、読んでみると、さすがに歯ごたえは凄まじい。まあプロ向けだし、当然だね。でも憧れるんだ、プロ仕様って。

 幸い、豊富に載っているイラストや三面図が大きな助けになる。というか、この本はイラストこそがキモだ。もっとも、さすがに肝心の「動き」は表せない。こういうのは動画の方が向く。誰か作ってください←をい そんなワケで、説明を読みつつ脳内でイラストを動かして読むのだ。妄想力には自信があるが、けっこう手間取った。

 そんな中でも、イメージしやすい物もある。代表的なのがコントロールケーブル。これは自転車のブレーキで使っている。ハンドルの下のブレーキレバーを絞れば、ケーブルを通してブレーキ・パッドが閉まり車輪を止める。このケーブルがコントロールケーブルだ。こういう、単純かつ身近でよく使う物は、わかりやすいのだ。

 自転車では、他にも後輪のハンドブレーキが収穫だった。メンテが悪いとキーキー鳴るアレね。ブレーキバンドがドラムを締め付けるのか。今まで全く知らなかった。

 やはり自転車で使っているのが、アイドラ(自由回転する歯車)。ママチャリにはないけど、変則機構のついた自転車の、後輪近くにある、小さい歯車。あれの役割はチェーンの張りを保つこと。工場とかでもよくあるよね、こういう「張りを保つ」ためのドラムや歯車。ドラムは製紙工場で見たけど、なかなか壮観だった。

 同じく「おおっ!」となったのが、スプラインなどの接手。例えば自動車、それもFR型のプロペラ・シャフトで使う。一本の棒は伸び縮みできないけど、スプラインを使えば多少は伸び縮みできる。これでクルマの姿勢が変わった時も、プロペラ・シャフトに無理な力がかからずに済む。

 接手の何に驚いたのかと言うと、目的が「変位の許容」である点だ。メカ、それも金属製のメカは大きさや形が変わらないと思い込んでいたが、動くメカは常にアチコチが伸び縮みしているし、そうでないとマズい。硬く見える自動車も、エンジンと駆動輪の位置関係は常に変わるのだ。

 などの接手の中でも、自在接手(十字接手、→Wikipedia)の巧みさには、ひたすら感服してしまう。こんなん、よく考えたなあ。もっとも、絵で見る限りは細い部分も多いので、動力を伝えるには相応の強さがある素材が必要っぽいけど。冶金技術は国の基盤なんだなあ。

 自動車で感心する例は他にも多くて、例えばボンネットの台形リンクとワイパーブレード。

 台形リンクは蝶番の一種。自動車のボンネットは、台形リンクで車体と繋がっている。役割は蝶番と同じで開け閉めなんだが、普通の蝶番と違いボディに対しボンネットを浮かせられるので、ボンネットがボディにぶつからない。

 これが出てくる「第5章 軌道生成」は、他にもZリンクとか面白いのが多い。基本は棒とジョイントで、パンタグラフ式のマジックハンド(→Google画像検索)がわかりやすい。これ、棒とリンクを組み合わせ、いろいろなリンクを組み立てられる玩具にならないかなあ。きっと子供は夢中になるし、未来のメカニック・エンジニアが育つぞ。

 ワイパーブレードは、イコライザ=力を配分する機構だ。窓に対しブレード全体が均等に押し付けられるように、長さとジョイントの位置をてこの原理に従ってデザインしてる。上手いよなあ。

 自動車ほどじゃないが、ニワカ軍ヲタとして見逃せないのが無限軌道=クローラ。これサスペンションありとなしの二種類があるのは知らなかった。戦車など軍用はサスありで、不整地に強い、つまりどんな荒れ地や凸凹も乗り越えられるけど、路面を痛めつける。逆にブルドーザーなどの土木機械用は、サスがない。そうだったのか。今度、注意して見てみよう。

 電磁クラッチも賢いメカで、電源のオン/オフにより動作を伝えたり切ったりする。これ見て思ったのが311の原子炉事故。あれ電磁クラッチで「電源が切れた時は強制的に冷却装置が動く」設計は、駄目かな?

 電磁クラッチ同様、賢さに舌を巻いたのが、摩擦円盤による無段変速(→OKWAVE)。摩擦だから、あまし強い力は伝えられないけど、発想の巧みさ・鮮やかさには目を見開かされる想いだ。

 もっとも、動きの変化の自由度では、カムの自在さがだんぜん光ってる。

 普通の滑車は真円なんだが、これを楕円やハート型にしたり、回転の軸を中心からズラしたりして、カムの上に棒を乗せれば、棒の上下の動きをコントロールできるわけ。有名なのは自動車のエンジンの吸排気を制御するヘッドカムで、DOHCとか(→Wikipedia)。いやDOHCは棒がカムの上じゃなくて下だけど。

 こういったカムの巧みな利用は、「大聖堂・製鉄・水車」や「水車・風車・機関車」でも描いてる。主な用途は水車や風車で、小麦を粉に挽くこと。小さな水車は山中の小さな村にもあって、欧州じゃ早くから機械工学が発達してたのだ。特に、常に風を捕えるよう自動で向きを変えるバラ風車は…いや、話が逸れた。

 こういった細かい機構だけかと思ったら、終盤じゃ閘門(→Wikipedia)なんて壮大なモノまで飛び出すから油断できない。ほら、太平洋と大西洋の海面の差を埋めるためパナマ運河が備えたアレだ。

 などと感心してるが、本来はプロの機械設計者が手元に置き、アイデアに詰った時にパラパラめくる、そういう本なので、素人にはかなり歯ごたえがある。それでも、機械工学の面白さと難しさの片鱗ぐらいは覗き見できたと思う。やっぱりメカってワクワクするし。

 どころで、スターウォーズのR2D2、両脇に三輪クローラつけたらいんじゃね?

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2020年9月15日 (火)

オリヴァー・サックス「色のない島へ 脳神経科医のミクロネシア探訪記」ハヤカワ文庫NF 大庭紀男監訳 春日井明子訳

「私たちは色だけで判断するわけではないのです。目で見て、触って、匂いを嗅いで、それで分かるのです。全感覚を使って考えるんです。あなたたちは色でしか判断しませんけど」
  ――ピンゲラップ島

「グアムでは鳥の鳴き声はしないんだ。(略)昔はいろいろな鳥がいたんだが、今ではまったくいなくなってしまった。(略)みんな木登り蛇に喰われてしまったんだよ」
  ――グアム島

「幹を見れば簡単よ。古いソテツのほとんどの幹には1900年に輪ができているの。その年にひどい台風が来たから。それに、とても強い風が吹いた1973年にも輪ができているわ」
  ――ロタ島

【どんな本?】

 「火星の人類学者」や「レナードの朝」など、脳神経科医としての豊かな診察・治療経験から見聞きした、様々な症状を持つ人々の生きざまを医学エッセイとして記し、知られざるヒトの脳神経の不思議と、人それぞれの形で症状に折り合いをつける人たちの姿を描いてきたオリヴァー・サックスによる、少し毛色の変わった旅行記。

 本書は二回の旅行を元にした二部から成る。いずれも舞台は太平洋の島々だ。

 第一部はミクロネシア連邦カロリン諸島のポーンペイ島とピンゲラップ島。いわゆる赤緑色盲は遺伝性で程度は軽く、男の20人に1人ぐらいだ。完全な色盲=全色盲は珍しく、3万~4万人に1人である。だがこの島は歴史的な経緯で全色盲が12人に1人と、非常に多い。彼らはどのように暮らし、周囲の人々はどう受け入れているのか。同じ全色盲のノルウェー人生理学者クヌート・ノルドビーと共に両島を訪ね、彼らの暮らしを描き出す。

 第二部はマリアナ諸島のグアム島とロタ島。ここに住むチャモロ人にはリティコ-ボディグと呼ばれる風土病がある。筋萎縮性側索硬化症(ALS,→Wikipedia)やパーキンソン病(→Wikipedia)に似た症状を含む多様な症状で、日本の紀伊半島の一部にも似た風土病がある。現地で治療と原因究明に携わる医師のジョン・スティールに誘われ島に飛んだ著者は何を見たのか。

 島ならではの環境と歴史が生み出す奇妙な病気と、それに対応する人びとの姿、そして独自の進化を遂げた生態系とヒトの関わりを描く、著者ならではの旅行記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Island of the Colorblind, by Oliver Sacks, 1996。日本語版は1999年5月に早川書房から単行本で刊行。私が読んだのは2015年3月25日発行の文庫版で本文約250頁に加え註がなんと91頁に監訳者あとがき7頁+文庫版への追記3頁。註も等々に面白いんで本文に含めてしまおう。9ポイント41字×18行×(250頁+91頁)=約251,658字、400字詰め原稿用紙で約630枚。文庫ではやや厚め。

 文章はこなれていて読みやすい。著者の他の作品に比べると医学的な話も少ないので、理科が苦手な人でも大丈夫だろう。

【構成は?】

 第一部と第二部は独立しているので、どちらから読んでも構わない。ただし先にも書いたように註が91頁と異様に多く、また雑学が好きな人には面白いので、読み逃すのはもったいない。

 前書き
第一部 色のない島へ
 島めぐり便
 ピンゲラップ島
 ポーンペイ島
第二部 ソテツの島へ
 グアム島
 ロタ島
註/監訳者あとがき

【感想は?】

 構成は第一部と第二部だが、テーマ的には三部構成に近い。

 1)は第一部の「色のない島へ」、2)は「第二部 ソテツの島へ」の「グアム島」、3)は「第二部 ソテツの島へ」の「ロタ島」だ。

 1)は珍しい全色盲が異様に多いポーンペイ島とピンゲラップ島の訪問記。ここでは同じ症状を抱えるクヌート・ノルドビーが大きな役割を果たす。彼のお陰で、著者たちは島の人々とグッと距離が縮まるのである。ヒトってのは、共通点を持つ人に親近感を抱く生き物なのだ。

 最初、著者はマスクン(全色盲)とそうでない者の見分けがつかない。ここでもクヌートに指摘されて見分けがつくようになる所で、人間の認識能力の奇妙さを思い知る。全色盲は色が判別できない、すなわちモノクロの世界に住んでいる。だがそれだけじゃない。強い日差しにも弱いのだ。そのため、昼間は目を「しばたいたり細めたりしている」。

 こういう症状が行動に及ぼす影響は、症状をよく知る人だけがわかる。島の人々も症状をよく知っていて、それを活かした職がちゃんとあったり。やはり全色盲ながら島で一番の織り手と言われるブリットの作品は、16色の毛色を使っているが…

「このジャケットの模様を見て楽しむには完全な色盲でなければならないの」
  ――ピンゲラップ島

 たぶん、全色盲の人は色が判らない反面、明度の差には敏感なんだろう。色が判る者はRGBに各8bit割り当ててるのに対し、全色盲はモノクロ24bitみたいな。これは男も同じで…

夜釣りにかけては全色盲の人たちは極めて優れていて、水の中の魚の動きや、魚が跳ねるときにひれに反射するわずかな月の光まで、たぶん誰よりもよく見えているようだった。
  ――ピンゲラップ島

 なんて特技を持ってたり。これは視覚だけでなく…

クヌートの聴覚は驚くほど鋭いのだ。
  ――ポーンペイ島

 そういえばレイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダー、ジェフ・ヒーリーなど視覚を失ったミュージシャンも多いなあ。日本にも琵琶法師や瞽女(→Wikipedia)なんてのもいた。まあこれは音楽ファンやオーディオ・マニアも、ある程度は本能的に分かってたりする。真剣に聴き入る時、目を閉じて音に全神経を集中するでしょ。音を聴き分けるには、視覚が邪魔になるのだ。

 ってなのとは別に、島ならではの話も面白かったり。珍しい白人の全色盲であるクヌートに出会った島の人々は、現実に合わせて伝説を書き換えるのである。

私たちが島に着いた二日後には、マクスンに関する伝説が修正された形で伝わり始めた。
  ――ピンゲラップ島

 前世紀の終わりに島に来たノルウェー人が原因だって事になってしまう。古老の昔話ってのは、鵜呑みにしちゃいけないんです。

 続く 2) ではミステリ風に話が進む。

 テーマは風土病のリティコ-ボディグだ。ALSこと筋萎縮性側索硬化症やパーキンソン病に似た症状を示すが、原因はわからない。現地で治療に携わりつつ原因を研究する医師ジョン・スティールを中心に、彼が受け持つ患者たちの姿を交えて話が進む。

 医師として多くの患者を診てきた著者も、末期の患者の姿には衝撃を受け…

リティコやボディグの末期症状にある患者たちを見た私は疲労感に襲われ、どこかへ行ってしまいたい、自分のベッドに倒れ込みたい、素朴なリーフでもう一度泳ぎたい、などといった考えが無秩序に浮かんできた。
  ――グアム島

 と、思わず逃げ出したくなると弱音を吐いている。なにせ原因すら皆目わからない。

 本書にも幾つかの仮説が出てくるが、どれも決定的な証拠がない。島を出て10年~20年ほどして発病する人もいるし、外から島に来てチャモロ風の暮らしを10年~20年ほど続けて発病する人もいる。また世代的な偏りもあって、1960年代以降に生まれた者には症状が出ない。なら何か決定的な事が1940年代にあったのか。

 となると、最も大きな事件は太平洋戦争だろう、と当たりをつけるのだが…。ここでは大日本帝国が遺した戦争の傷痕も痛いが、同時に巻頭の地図を改めて見ると、今なおチャモロ人が置かれている立場の切なさが伝わってくる。これは池上永一が「ヒストリア」で描いた沖縄の痛みと全く同じだ。もっとも、そんな病を抱えた人もいろいろで…

「自殺は良くないよ。それは正しいことじゃない。でも、治る見込みもないのにただ待っているよりは、神が俺の命を終わらせてくれればいいのに、とは思うよ」
  ――グアム島

 なにせ体の自由は利かないけど、思考能力は衰えていないのだ。まあ普段は思い通り動かないけど、対応によっては驚くほど巧みに動く人もいいるのが不思議なところ。音楽が意外な効果を発揮する時もあるのは「音楽嗜好症」にも違うエピソードが出てた。ほんと、音楽ってのは不思議だ。逆に昔の事柄は思えていても新しい事は忘れてしまう症状もある。でも、そんな中でも…

「また来てください。あなたに会った事は忘れているでしょうから、また初めてお会いすることができますよ」
  ――グアム島

 なんて、ユーモアを保っている人もいる。こんな前向きに人生を生きられたらなあ。

 さて、 最後の 3) の「ロタ島」は、全く変わって著者のソテツ愛が炸裂する。

 イチョウと同様、原始的な植物なのだが、街路樹などでヒトに保護され生き延びているイチョウ(→「イチョウ 奇跡の2億年史」)とは異なり、どっこい野生で逞しく生きのびつつ今でも絶賛進化中だったりする。生きた化石と言われると「かろうじて生き延びてる」みたいな印象があるが、実は生存競争のベテラン・プレイヤーなのだ。

 今までのサックス先生の著作と違うのは、第一部・第二部ともに歴史的な事情が大きな意味を持っている点だろう。またやたらと充実した「註」も、モアイの意外な秘密など雑学の面白さが潜んでいて油断できない。くつろいで、でも油断せずにじっくり読もう。

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2020年9月10日 (木)

永田和宏「人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理」講談社ブルーバックス

古代製鉄炉では直接、低炭素濃度のルッペが製造されたが、溶鉱炉で作る銑鉄は炭素の溶解量が多いため、脱炭して低炭素鋼のルッペ鉄にした。
  ――第8章 精練炉の発展

反射炉は石炭を燃焼させて炉のアーチ型天井を加熱し輻射熱で加熱する方法である。これは鉄が石炭と直接接触しないので硫黄吸収の問題が起こらない。溶鉱炉からの直接鋳造に比べ、反射炉で銑鉄を再溶解すると鉄の品質が良くなり、大型の鋳物を制作することができた。
  ――第8章 精練炉の発展

19世紀は、ヨーロッパで錬鉄から溶鋼へと大きな技術革新が起こった時代である。
  ――第9章 鋼の時代

現代の製鉄法はどれほど進歩したであろうか。
意外に思うかもしれないが、「製鉄法」に限って言えば、現代の溶鉱炉は400年前の木炭溶鉱炉から原理は変わっていないし、製鋼法もベッセマーの転炉法から原理的には全く進歩していないと言える。
  ――第9章 鋼の時代

日本の刃物の鉈、包丁、鑿、鏨、鎌などは合金に刃を鍛接する構造になっている。台金には軟鉄である包丁鉄が使われ、刃には高炭素濃度の鋼が用いられた。
  ――第11章 脱炭と軟鉄の製造

【どんな本?】

 ヒトは様々な方法で鉄を作ってきた。古代のボール炉、産業革命で盛んになった溶鉱炉、現代の電気炉、そして映画「もののけ姫」にも出てきた日本独特のたたら製鉄。

 炉の中では何が起きているのか。なぜ鉄鉱石から鉄が取り出せるのか。それぞれの炉や製法にはどんな特徴があり、どんな鉄が取り出せるのか。そしてたたら製鉄は、どこが独特なのか。

 著者は文献を調べるだけでなく、日本はもちろんスカンジナビアまで飛んで炉の遺跡を巡り、更には自ら炉を作って製鉄や鍛冶に挑み、ばかりか「家庭でできるキッチン製鉄」まで考えだし実際に試してゆく。

 鉄に取り憑かれた著者が、製鉄の原理から歴史と現状そして未来までを思い描く、一般向け製鉄解説書の決定版。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年5月20日第1刷発行。新書版縦一段組み本文約241頁。9ポイント43字×16行×241頁=約165,808字、400字詰め原稿用紙で約415枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらい。

 ハッキリ言って「濃い」。いや文章は決して悪くないのだ。気取った表現はなく、モノゴトを素直に表現している。ただ、一つの文章に込められた情報が異様に多い。また、鉧(けら、いわゆる鋼)やノロ(スラグ、廃棄物)などの専門用語や、Fe2O3などの分子式がよく出てくるので、相応の覚悟と時間は必要。とはいえ、中学卒業程度の化学の素養があれば読みこなせる。

 なお、本書に出てくる主な元素記号を以下に挙げる。

  • C:炭素
  • O:酸素
  • N:窒素
  • Na:ナトリウム
  • Mg:マグネシウム
  • Al:アルミニウム
  • Si:ケイ素
  • P:リン
  • S:硫黄
  • Cl:塩素
  • Ca:カルシウム
  • Ti:チタン
  • Mn:マンガン
  • Fe:鉄

【構成は?】

 多少の前後はあるが、だいたい前の章を受けて後の章が続く形なので、なるべく頭から読もう。

  • はじめに
  • 第1章 古代人になって鉄を作ってみよう
    たたらとの出会い/材料と道具を集める/永田式たたらを作る/鉧塊作り
  • 第2章 「鉄を作る」とはどういうことか
    鉄は金属の王/鉄は宇宙で生まれた/鉄は銅と同じくらいの温度で解ける/鉄は魔術師/鉄はどのようにして作るか/スラグを見れば鉄のつくり方がわかる/鋼を作る/鉄と炭素を温度を操る
  • 第3章 製鉄法の発見
    製鉄技術からみた区分/銅精錬法から発見した製鉄法/製鉄炉の立地条件/製鉄技術の伝播
  • 第4章 ルッペの製造
    メヒコへの旅/湖底からの鉄鉱石採取と焙焼/ルッペの製造炉の構造/操業/鍛造/ルッペの性質
  • 第5章 最古の高炉遺跡 ラピタン
    ラピタンへの道/農夫炉/最古の高炉遺跡/ノルベリ周辺の高炉遺跡/ラピタン高炉の復元/木炭高炉の操業
  • 第6章 古代・前近代のルッペの製造炉
    鉄器時代初期の製鉄炉/ローマ時代の製鉄炉/中世の製鉄炉/西洋の低炭素鋼ルッペと東洋の高炭素塊
  • 第7章 溶鉱炉の発展
    レン炉から溶鉱炉へ/初期の溶鉱炉/産業革命時代の溶鉱炉
  • 第8章 精練炉の発展
    精練炉と加熱炉の発展/浸炭/ルツボ鋼の製造/パドル法
  • 第9章 鋼の時代
    製鉄の革命 転炉製鋼法の発明/平炉製鋼法の発明/鋼の大量生産時代/鉄スクラップの溶解/現代の製鉄法
  • 第10章 たたら製鉄のユニークな工夫
    たたら製鉄とその発展/日刀保たたら/微粉の砂鉄を飛ばさない工夫/高温を得る工夫/貧鉱の砂鉄を95%に濃化する技術/溶けた銑鉄と大きな鋼塊を作る
  • 第11章 脱炭と軟鉄の製造
    大鍛冶/包丁鉄の製造
  • 第12章 鉄のリサイクルと再溶解
    鋼の溶解と炭素濃度の調整/永田式下ろし鉄法
  • 第13章 銑鉄の溶解と鋳金
    こしき炉/現代のこしき炉/永田式こしき炉
  • 第14章 鍛冶屋のわざ
    鉄と鉄を接合する/鉄の表面に模様を出す
  • 第15章 「沸き花」の正体
    たたら炉で銑鉄と鋼塊の生成を知る方法/大鍛冶で脱炭の程度を知る方法/こしき炉で銑鉄の溶解を知る/鍛冶の「沸き花」/「沸き花」の発生機構
  • 第16章 和鉄はなぜ錆びないか
    鉄の錆び方/鉄の中の酸素濃度/黒錆ができる理由
  • 第17章 なぜルッペや和鉄の不純物は少ないか
    鋼中の不純物濃度を決めるスラグ中の酸化鉄/製鉄炉が下部の温度と酸素分圧/炉高1mと2mが鋼塊と銑鉄の分かれ目/鉄鉱石のサイズが還元速度に影響する
  • 第18章 インドの鉄柱はどのように作ったか
    デリーの鉄柱/鉄柱はどのように作ったか
  • 第19章 製鉄法の未来
    第3の製鉄法/製鉄炉の生産効率/たたらを現代に/マイクロ波製鉄炉の実現可能性
  • おわりに/参考文献/さくいん

【感想は?】

 ヤバい人だ、この著者。

 なにせ、いきなり刀匠の真似をして自分たちで炉を作るのだ。さすがに最初は失敗したが、著者は諦めない。再び刀匠を訪ね秘伝を聞き出そうと食い下がる。さすがに秘伝は聞き出せなかったようだが(そりゃそうだw)、ヒントをもらい改良を重ね、ついに「永田式たたら」を完成させてしまう。きっと刀匠も根負けしたんだろうなあ。

 この辺を読むと、大学の工業系って楽しそう、なんて思ったり。いわゆる「モノ作り」が好きな人には、天国なんじゃなかろか。まあ、レンガを積み重ねるなど気力体力は使うし、一酸化炭素が出るんで危なくもあるけど。

 もちろん、真面目な話も満載だ。例えば…

現在、鉄は炭素の含有量によって次のように分類されている。
工業用純鉄は炭素濃度0.02%以下のものを言う。
炭素濃度が0.02~2.1%のものを「鋼」、
炭素濃度2.1%以上は「鋳鉄」あるいは「銑鉄」と呼ばれる。
  ――第2章 「鉄を作る」とはどういうことか

 なんて基礎的な話はもちろん、炉の中で何が起きているかも、こと細かく説明しているのが嬉しい。ここで主に関係しているのは、酸素と炭素と鉄。

炭素は炉を高温にするだけでなく、自らが鉄と化合している酸素と結びつくことで、鉄を還元する還元剤になる。更に炭素は鉄に溶解することで、鉄の融点を下げることもできるうえ、溶解量を調節することで、鉄を望みの硬さにできる。
  ――第2章 「鉄を作る」とはどういうことか

 炭素(木炭やコークス)が燃え(=酸素と結びつき)熱を出す。熱で鉄鉱石中の鉄が溶け始める。更に炭素は鉄に混じり融点を下げ、更に鉄を溶けやすくする。鉄鉱石の中にはケイ素やカルシウムもあるけど、それらは酸素と化合し融点の高い二酸化ケイ素や酸化カルシウムになり、鉄と分かれスラグになる。他にも一酸化炭素とかが関係してて、その辺をこの本は実に細かく説明していてありがたい。

 当然、「何がどれぐらい混じっているか」で鉄の性質も違う。だもんで、炉の温度の調整が大事なのだ。

強く吹いて鉱石の溶解を速めると、還元された鉄が吸炭してルッペは銑鉄になる。弱火にするとルッペの鍛造性はよくなるが、鉱石の大部分が未還元のままスラグになり、歩留まりが悪くなる。この中間の最も有利な所を取るのが職人の技である。
  ――第6章 古代・前近代のルッペの製造炉

低い温度で製鉄を行うと、鉄中のリン濃度を低くできる。
  ――第15章 「沸き花」の正体

 今の製鉄は溶鉱炉、ドロドロの液体になった鉄が流れ出すアレだけど、昔は違った。炉の底に鉄の塊=ルッペが残るので、これを取り出し製品を鍛造したのだ。だもんで剣ぐらいは作れるけど、大砲は無理。そこで登場したのが溶鉱炉。

溶鉱炉は16世紀にはイベリア半島を除いて西ヨーロッパに広がり、鋳鉄製大砲が製造された。
  ――第7章 溶鉱炉の発展

溶鉱炉は大型化していき、20世紀後半では炉の高さと容量を急速に大きくした。現在では高さ30m、炉の内容積は5000㎥と巨大になり、送風温度は1200℃になっている。
  ――第7章 溶鉱炉の発展

 もちろん、鉄の性質は炉の温度だけでなく、元になる鉄鉱石の種類によっても違ってくる。ボフォースなど製鉄じゃ名高い北欧のスウェーデンやフィンランドにも著者は出かけ、その秘密を探ってたり。この素材はある意味、砂鉄と近いのかも。素材としては鉄は昔から屑鉄も使われていたけど、最近じゃ…

スクラップは様々な合金元素が混じっており、これらの不純物を鋼材の性質に影響を与えない程度に除去することは困難である。(略)現在、スクラップは品質別に細かく分類して集荷され、不純物が混じらないように破砕して物理的に分別している。
  ――第9章 鋼の時代

 などと前半では主に西洋の製鉄技術を追いかけるが、終盤では日本独自のたたら製鉄に焦点が集まってくる。何せ日本には鉄鉱石が少ない。だもんで、材料からして違う。なんと砂鉄だ。これは何かと面倒で…

砂鉄は直径0.1mm程度の微細な粉末である。強く吹くと吹き飛び、目詰まりして高温ガスの通気を阻害する。そのため溶鉱炉では使えない。世界の製鉄技術の歴史の中で、唯一たたら製鉄だけがこの微粉の砂鉄を使って溶けた銑(銑鉄)と大きな鉧塊(鋼塊)を同じ炉で製造した。
  ――第10章 たたら製鉄のユニークな工夫

 この秘密を探るため日刀保たたらにもぐり込み、秘訣を聞き出そうとしてすげなく断られたりw このあたりが同じ学者でも工学者と伝統芸術の守り手の違いなんだろうか。でも結局は調査などで何かと都合をつけてくれたりするのは、やはり知識を求めてやまない学者の業が同志に通じたのかも。

 そんな著者の学者魂が炸裂してるのが、最後の「第19章 製鉄法の未来」の「マイクロ波製鉄炉の実現可能性」。なんとキッチンで鉄を作ってしまう。これ、下手すると小学生でも夏休みの宿題でやれたりするから、実にヤバいw しかもキチンとコストを計算してるあたりが、さすが工学者というか。

 見た目は薄いが中身は思いっきり濃い。とはいえ文章は素直だし記述は親切なので、じっくり読めばちゃんと理解できる。何より、製鉄の過程、それも炉の中で何が起きているかについて、素材や元素の役割から化合の過程までこと細かく書いているのは嬉しい。ただし、繰り返すが中身は濃いので、じっくり腰を据えて挑もう。

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2020年9月 2日 (水)

ヘンリー・ペトロスキー「ゼムクリップから技術の世界が見える アイデアが形になるまで」朝日新聞社 忠平美幸訳

ありふれたものは、一見、単純に思えるだろうが、それらを考案し、開発し、製造して市場に出すことは、ひどくむずかしいかもしれないのである。
  ――はじめに

工学者ドン・クロンキスト「おびただしい数のBOPP(Broken-Off Pencil Point, 鉛筆の折れた芯先)にかんして不可解なのは、どれもこれも大きさと形がほぼ同じだったことだ」
  ――2 鉛筆の先と分析

技術的な企画は、それが定められた時点での最低限の期待値を明示する半面、メーカー側が追及する性能水準を制限するものではない。
  ――5 ファクシミリとネットワーク

技術者が最高の成果をあげるのは、製品の未来の顧客――航空会社であれ乗客であれ――と意見を交換するときなのである。
  ――6 飛行機とコンピュータ

治水は、農業社会が確立してからの数千年間で工学技術が成しとげた最もすぐれた功績の一つである。
  ――7 水と社会

1850年代、ごく高い塔という考えには重大な欠点があった。どうやって人びとを地面から最上部まで運ぶかである。
  ――9 建物とシステム

【どんな本?】

 土木工学の研究者であるとともに、モノや技術の進歩の歴史を辿って楽しく軽妙な読み物に仕上げるヘンリー・ペトロスキーによる、連作コラム集。

 書類をまとめるクリップ。気軽に書ける鉛筆。布製品に欠かせないジッパー。私たちの身の回りにあるモノは便利で使いやすく、単純だと思われている。だが、それらが現在の形になるまでには、様々な紆余曲折があり、幾つもの特許に支えられており、今なお改良が続いている。

 これが大型旅客機や上下水道や橋や高層ビルなどの大がかりなモノとなると、機能と技術と費用に加え、社会・自然双方にわたる環境とへの影響や、地域住民や政府との関係など、より多くの事柄と結びついてくる。

 それらのモノがなぜ今のような形になったのか。エンジニアたちはどんな要素を考えねばならなかったのか。どんな失敗があり、どんな工夫で乗り越えてきたのか。

 身近なモノから有名な建築物まで、様々な工学の失敗と成果を豊富なエピソードで紹介しつつ、曲がりくねった道を辿って進む工学の世界を紹介する、一般向けの工学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は INVITATION BY DESIGN : How Engineers Get from Thought to Thing, by Henry Petroski, 1996。日本語版は2003年8月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約280頁に加え、名和小太郎の解説5頁。9ポイント46字×18行×280頁=約231,840字、400字詰め原稿用紙で約580枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。応力だの剪断力だのといった物理学の言葉が出てくるが、わからなければ読み飛ばしていい。「名前が違うんだから違う力なんだろう」ぐらいで充分。それより大事なのは、時代と共に考え方や設計の目標が変わってゆくこと、その変わり方の原因と過程の物語にある。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • はじめに
  • 1 ペーパークリップと設計
    材料の弾力性/針金をクリップに成形する/ゼムクリップ/クリップの改良/変更と競争/形と機能/クリップの特許の実例/さらにいくつかのクリップの特許
  • コラム もっといいペーパークリップをデザインする
  • 2 鉛筆の先と分析
    片持ち梁/シャープペンシルの先/木軸の鉛筆/BOPP(鉛筆の折れた芯先)/BOPPに目をこらす/さらなるッ分析/分析結果を分析する
  • コラム 鉛筆を描く
  • 3 ジッパーと開発
    スライド・ファスナー/フックレス・ファスナー/関連する開発/プラスチックのジッパー
  • コラム 再密封できるっていうけれど、いま密封されてるの?
  • 4 アルミニウム缶と失敗
    アルミニウムの飲料缶/環境面での失敗
  • コラム こいつを、きみに
  • 5 ファクシミリとネットワーク
    ファクシミリ送信器/電話ネットワーク/ファクシミリ伝送の標準化/社会的、文化的要因/ファクシミリ装置のさらなる発達
  • コラム 同じなのに、ちがう
  • 6 飛行機とコンピュータ
    概念設計/従来の航空機設計/コンピュータ支援設計/フライ=バイ=ワイヤー/エンジンと経済性/ヒューマンファクター
  • コラム 「当機は禁煙になっております」
  • 7 水と社会
    給水と排水/下水道/シカゴの事例/設計の問題/数理モデルとコンピュータ・モデル/水質/その他の問題
  • コラム 「パリの下水道へようこそ!」
  • 8 橋と政治
    サンフランシスコの橋/初期のベイブリッジ案/片持ち梁橋/さらなる提案/場所の選定/最終的な設計/橋と交通/橋と地震
  • コラム 実現できることをする
  • 9 建物とシステム
    水晶宮/塔とエレベーター/ウールワースビル/超高層ビルとエレベーター/高層ビルの揺れやねじれ/予期せぬ問題/環境要因
  • コラム 世界一のっぽの建造物 それはシカゴにはない
  • 解説:名和小太郎/図版クレジット/索引

【感想は?】

 これまで読んできたペトロスキー本の「まとめ」みたいな本だ。

 ペトロスキーは鉛筆やフォークや橋など色々な工業製品について、それがなぜ今の形になったのかを、地道な調査で明らかにしてきた。現代の私たちには単純に思える鉛筆も、今の形にたどり着くまでには幾つもの失敗と小さな成功が積み重なっているのだ(→「鉛筆と人間」)。

 同じテーマが、最初の「1 ペーパークリップと設計」でも繰り返される。昔から書類をまとめる需要はあったが、使われていたのはピンだ。面倒くさいし、下手すると指に刺さったり外すときに書類を破いてしまう。単純かつ完璧に思えるゼムクリップも、針金の端が紙に引っかかったり大量の紙はまとめきれなかったり厚すぎたりと、状況によって不具合は幾らでも見つかる。

新たな改良型クリップの特許が脈々と続いている事実が証明しているように、多くの発明家にとって、完璧なクリップはいまだ達成されていない目標なのである。
  ――1 ペーパークリップと設計

 結局は状況と目的によって相応しいクリップを使い分ける羽目になるわけで、プログラミング言語が際限なく増えていくのも似たようなモンなんだろう。もっともプログラミング言語の場合、プログラマが言語を作るのが好きってのもあるけどw

 そのプログラミング言語、今は LISP みたいなS式や PostScript みたいな逆ポーランド記法は廃れてて、c言語に似た文法が流行ってる。分の区切りはセミコロンって奴ね。関数の引数もたいてい値渡しだし。演算子の優先順位が面倒臭いんで私は好きじゃないんだが…

同じ基本理念を土台にして多様化や改良が進んでゆくのが、たいていの工学的な研究開発の特徴である。
  ――3 ジッパーと開発

 まあハードウェアもノイマン型ばっかしだし、OSも unix 亜流か Windows 亜流ばっかだしなあ。なお、この章では、終盤でジップロックが出てきたのには驚いた。言われてみれば機能はジッパーと同じだね。ところでズボンのジッパーにナニを挟んで痛い思いをした男は多いと思うんだが、あれ防ぐ工夫はないんだろうか? もっとも、できても宣伝が難しいけどw

 そんな風に、モノの進化は失敗と改善の繰り返しだ。もちろん、技術者も経営者も失敗したいワケじゃない。

ある設計をどんな方法で試験しようと、つねにその根本にある方針は、失敗を未然に防ぐことである。
  ――4 アルミニウム缶と失敗

 デバッグは大事だよね。にも関わらず、飲料用の缶は何度も進化を繰り返してきた。年寄りは、オープナーが必要な缶を覚えているだろう。飲む際はオープナーで蓋に二つの穴、空気穴と飲料を出す穴を開けるのだ。さて、ピクニックにオープナーを持ってくるのを忘れたアーマル・フレイズは、「プルトップ式のアルミ缶を一晩で考案」した。

 アイデアそのものは単純なんだけど、みんな「缶とはそういうもの」と思っていたのだ。こういう「なんか不便」って気持ちが、技術を進歩させるんだなあ。

 ところがそのプルトップも、タブのポイ捨てが問題になる。この解決はさすがに一晩でとはいかず…。今のモノの形ってのは、幾つもの失敗の上に成り立っているんです。

 缶みたく生産者→消費者って関係のモノならともかく、ファクシミリは送信者と受信者の双方が装置を持ってないと意味がない。ここでは新聞社によるファクシミリ放送に驚いた。昔のSFには出てくるけど、本当にあったんだなあ。すぐテレビに席捲されたけど。また日本が熱心だったのも意外。欧米はアルファベットが少ないからテレックスでイケるけど、日本語は文字が多いから符号化が大変なのだ。

 これが大型旅客機や建物みたく大規模なモノや、水道や橋など公共のモノともなると、何度も失敗を繰り返すワケにはいかない。だもんで設計の段階で多くの人の意見を聴くんだが、そこで考えにゃならんのは強度や精度など技術的な問題に限らず、美観や法律、そして関係各省庁との調整が必要になったり。前例の有無や有名な事件も重要で…

あらゆる工学の取り組みは、それをとりまく文化や政治や時代によって方向づけられ、その逆もまたいえるのである。
  ――8 橋と政治

 と橋を例に言ってるんだが、次の「9 建物とシステム」では911で潰れたツインタワーが出てくる。これ当時の流行りでチューブ構造なんだけど、ご存知の通り床が崩落した。こういう有名な事件が、橋やビルの設計にも影響してきたり。

 この章では他にも高層ビルが抱える意外な問題が出てきて、ブルジュ・ハリファはどうなってるんだろ、とか妄想が膨らむのだ。ケーブルなしエレベーターとか、まるきし軌道エレベーター試作機みたいでSF者の胸が熱くなる。理屈は上下に動くリニアモーターカーなんだけどね。

 ペトロスキーの他の著作に比べると、取り上げるテーマが広くてバラエティ豊かな味が楽しめる分、掘り下げは少なくてやや薄味な感はある。頁数も少なくとっつきやすいので、ペトロスキーを最初に読む人に向いてると思う。

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2020年7月13日 (月)

デイビッド・モントゴメリー「土・牛・微生物 文明の衰退を食い止める微生物の話」築地書館 片岡夏美訳

土壌劣化の問題は、人類が直面する差し迫った危機の中で、もっとも認識されずにいるが、同時にきわめて解決しやすいものでもある。(略)その秘訣は、彼らが収穫量を維持し、あるいは増やしながら利益を向上させていることにあるのだ。
  ――序章

小規模で多様性の高い農場は、工業化された単一栽培の大規模なものより、面積当たりの収穫量が多いのだ。(略)1992年のアメリカ農業センサスの報告によれば、小規模な農場はエーカーあたり、大規模な農場の二倍もの生産高をあげている。
  ――第2章 現代農業の神話

「家畜がいないわけじゃない。顕微鏡でないと見えないんだ」
  ――第6章 緑の肥料

(集約放牧で成功したゲイブ・)ブラウンは、自分のやり方では財政が多様であるため、人のためにも土地のためにもいいのだと確信している。
  ――第9章 過放牧神話の真実

鍵となる概念の転換は、短期間の集約放牧のあとに長い回復期間を置くという組み合わせだ。
  ――第9章 過放牧神話の真実

熱帯地方はバイオマス生産の速度では最高だが、分解の速度ももっとも速い。したがって有機物の蓄積が難しい。
  ――第10章 見えない家畜の群れ

産業革命から20世紀の終わりまでに大気に加えられたすべての炭素の1/4~1/3は、耕起によって増えたものだ。
  ――第11章 炭素を増やす農業

…現在は中国が世界のリン生産のほぼ半分を占めている。
  ――第12章 閉じられる円環

【どんな本?】

 「土の文明史」で、著者は警告した。「土が荒れれば文明は滅ぶ、土を守れ」と。実際、合衆国はダストボウル(→Wikipedia)で痛い目を見た。

 だが、守るだけではジリ貧だ。世界の人口増加はしばらく続く。だから食糧生産も増やさなきゃいけない。新しい農地を開拓するだけでなく、既に荒れた農地を蘇らせる方法はないのか?

 ある、と著者は言う。環境保全型農業だ。その名前から、ナニやらいかがわしい臭いを嗅ぎつける人も多いだろう。実際、その手法は従来の農業の常識を覆している。そこで、論より証拠とばかりに著者は合衆国・ガーナ・コスタリカなど世界を巡り、環境保全型農業に切り替えて稼ぎを増やしている農家を訪ね歩く。

 環境保全型農業とは何か。それはどんな方法で、どんな効果があるのか。そこにはどんなメカニズムが働いているのか。なぜ稼げるのか。誰が得をして誰が損をするのか。そんなに美味しい方法なら、なぜすべての農家が採用しないのか。

 環境保全・科学・経済・政治など、多角的な視点で環境保全型農業の推進を訴える、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Growing a Revolution : Bringing Our Soil Back to Life, by David R. Montgomery, 2017。日本語版は2018年9月7日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約314頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント49字×19行×314頁=約292,334字、400字詰め原稿用紙で約731枚。文庫なら厚い一冊分ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、農家への補助・保険制度がよくわからなかった。また、あくまでも一般向けの解説書であって、本業の農家向けではない。原理・原則は何度も繰り返し触れているが、実際の手法は個々の農家の事情により異なるため、このままでは使えない。もっとも、日本では、似たような事を既にやっている農家も多いと思う。

【構成は?】

 全体として一つの物語になるように組み立てているので、できれば頭から素直に読もう。

  • 序章
  • 第1章 肥沃な廃墟 人はいかにして土を失ったのか?
    人類最悪の発明 犂/自然と働く道/新たな革命 土壌の健康を求める農法
  • 第2章 現代農業の神話 有機物と微生物から考える
    神話の真実 化学製品は世界を養うか?/遺伝子組み換え作物が招いたいたちごっこ
  • 第3章 地下経済の根っこ 腐植と微生物が植物を育てる
    回帰の原則 菌根菌の役割に気づいた農学者/土の中の生命 根の回りで起きていること/微生物がにぎわう健康な土
  • 第4章 最古の問題 土壌侵食との戦い
    高いコストと衰えゆく土/土壌有機物はなぜ半減したのか?/くり返す土壌喪失 古代ギリシャと新大陸/土が文明を左右する
  • 第5章 文明の象徴を手放すとき 不耕起と有機の融合
    新たな道 環境保全型農業の三原則/ダスト・ボウルへの道 犂がもたらした大砂嵐/誰もが無料で採用できる解決策/零細農家を救った被覆植物/普遍的で単純な土壌管理の原則/深く根を張る作物を求めて/新しい多年生作物
  • 第6章 緑の肥料 被覆作物で土壌回復
    実物大の実験農場/雑草が生える余地をなくす方法/自給自足の肥料/輪作で害虫管理/ハイテク不耕起農業/農業システムを改善するための単純な原則
  • 第7章 解決策の構築 アフリカの不耕起伝道師
    自給農家向け不耕起センター/ミスター・マルチ/農民たちの日曜学校/渇水から作物を守る/森の土壌を再現する/食糧ジャングルの成案力/金は食べられない/土地の特徴を生かす研究
  • 第8章 有機農業のジレンマ 何が普及を阻むのか?
    有機不耕起農法は可能か?/有機農業のメリット 経済・環境・土のメリット/「有機っぽい」農業のすすめ/「農業はなくてはならない」/菌根菌と土壌団粒 グロマリンの働き/再生可能な農法へ
  • 第9章 過放牧神話の真実 ウシと土壌の健康
    四種の畑/よりよいやり方/低コストの再生可能農業/雑草をベーコンに 有畜農業/水の浸透と昆作の関係/過放牧の効果/ウシが温暖化を食い止める
  • 第10章 見えない家畜の群れ 土壌微生物を利用する
    微生物を生かすバイオ炭/コンポストティー/コーヒー農家を変えた微生物接種/さび病と土壌微生物/食べ物の森 経済と生物の恩恵/バイオ炭に棲む地下の家畜/希望の光
  • 第11章 炭素を増やす農業 表土を「作る」
    炭素を土中へ/根菜が高める土壌栄養素/農場破産の原因/成功の鍵は多様性/世界が注目する農場/庭に見る土壌の回復
  • 第12章 閉じられる円環 アジアの農業に学ぶ
    排泄物を肥料に/バイオソリッド 現代の栄養循環/都市農業を活性化させる/終わりのない再生
  • 第13章 第五の革命
    生物多様性と持続可能な農業/農法転換の鍵/土を取り戻す新しい哲学
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 いきなり、けっこう無茶を言ってくる。不耕起、つまり「耕すな」だ。アタマ大丈夫かおい。マリファナで頭ヤラれたんじゃねえの? だが、読み進めると、それなりに理に適っているように思えてくる。実は単に不耕起ってだけじゃない。三つを組み合わせなきゃいけないのだ。

環境保全型農業は三つの単純な原理の上に成り立つ農業体系だ。
1.土壌の攪乱を最小限にする。
2.被覆作物を栽培するか作物残渣を残して土壌が常に覆われているようにする。
3.多様な作物を輪作する。
  ――第5章 文明の象徴を手放すとき

 これらの目的は、土を作ることにある。肥えた土を作り保つこと。それが環境保全型農業のキモだ。実際、昔から、農地は質で価値が違った。肥えた土地は高価で痩せた土地は誰も欲しがらない。なら肥えさせりゃいいじゃん、そういう理屈だ。けど、そんな事、本当にできるの?

 やはり昔から、農家は肥えた土地と痩せた土地を見分けがついた。ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒが、これに科学的のお墨付きを与える。リービッヒの最小律(→Wikipedia)だ。植物の育成に必要な養分は三つ、窒素・リン酸・カリウムだ、と。なら足りない養分を補えばいいってんで出来たのが化学肥料。フリッツ・ハーバーさん、カール・ボッシュさんありがとう。あなたがたは人類を救った(→「大気を変える錬金術」)

 …はずだったが、結果はダストボウルだ。どうしてこうなった? 土が死んだからだ。むき出しの土地は死ぬ。だから被覆作物で覆え。同じ作物を作り続けると土地が痩せる。そこで多様な作物の輪作で防げ。

 って、ちと急ぎ過ぎた。実は本書もリービッヒの最小律を認めている。ただ、三要素の補い方が違う。ここで意外な元素に目を向ける。炭素だ。ほおっておいても、植物は土に炭素を注ぎ込む。また枯れた茎や落ち葉も土に炭素を供給する。これの何が嬉しいか、というと…

植物は土壌中に、みずから作った炭素を豊富に含むさまざまな分子を放出する。それは光合成による生産物の1/3以上を占めることもある。こうした滲出液は主に、土壌微生物には魅力的な餌となるタンパク質と炭水化物(糖)でできている。
  ――第3章 地下経済の根っこ

有機物含有量が1%から3%に増えると、土壌の保水力は時には二倍になり、一方で浸水した土壌中の病原体が好む嫌気的な条件ができるのを防ぐのに役立つ。
  ――第6章 緑の肥料

 土がフカフカになって、水を保ちやすくなるんですね。だけじゃない。マメ類に寄生する根粒菌は窒素を固定して土を肥やすのが知られている。根粒菌だけじゃなくて、他にも様々な菌があって、リンやカリウムも補ってくれるのだ。

「土壌がなければ植物はありえないし、植物がなければ土壌もありえない。ミッシング・リンクは菌類だった」
  ――第8章 有機農業のジレンマ

 ただし、菌類が増えるには炭素、つまり有機物が必要なんです。

炭素は、施肥設計に欠かせないものとして計画されることはない。農家と研究者は通常、窒素、リン、カリウム、ことによるとカルシウム、硫黄、亜鉛に重点を置く。植物は土壌炭素を直接吸収しないからだ。だが炭素は、植物のマイクロバイオーム、つまり根圏に生息する錬金術師のような微生物の集団の餌になる。
  ――第11章 炭素を増やす農業

 と、大雑把な理屈はそうだし、具体例も本書にたくさん出ている。ただし、理屈を現実に当てはめるのは難しい。農家だって食ってかなきゃいけない。そもそも、農業はバクチだ。米作農家でコメが取れなかったら年収を失う。農家が頑固なのも当たり前なのだ。あなた、一年間も無収入でやってけます? だから、どうしても今までやってこれた方法にすがるのも仕方がない。ところが、昆作だと自前の保険が効くのだ。

農家が輪作、群集、昆作を使って多様な作物を育てているとき、それは自家製の保険のようなものなのだ。もしある作物がだめになっても、別のものに頼ることができる。
  ――第7章 解決策の構築

 それでも、少しづつ環境保全型農業は広がっている。その原動力が…

私が訪れた地域で、環境保全型農業の受け入れがうまくいくための共通要素は、農家に採用を促進する実験農場が重視されていたことだった。
  ――第13章 第五の革命

 小難しい理屈を並べる奴より、実際に稼いでいる人の方が説得力がある、と。そりゃそうだ。もっとも、それだけじゃなく、環境保全型農業で安定して稼ぐのは難しいのだ。

私がインタビューした人の例に漏れず、(オハイオ州立大学のラッタン・)ラルは、この方法を実行する際、慣行農法から低投入不耕起栽培への移行に二、三年を要すると注意を促した。
  ――第11章 炭素を増やす農業

 と、切り替えに時間と費用がかかる。だけじゃなく、土の状態・気候・市場などで、具体的な作物や栽培法が違うため、広く深い知識と経験が必要ななのだ。

(ガーナ不耕起農業センター所長コフィ・)ボアは作物の収穫後の地面の状態と市場の状況――作物が熟する時期に売れるもの――に応じて決定を下す。(略)浅根の作物のあとに深根のものを栽培したほうがよい。バイオマス生産量の低い作物のあとに高いものを栽培したほうがよい。栄養を吸収する作物のあとに栄養を固定するものを栽培したほうがよい。
  ――第7章 解決策の構築

単純なレシピがあれば有機農業はもっと受け入れやすいんだが
  ――第8章 有機農業のジレンマ

多くの地域で、環境保全型農業を地域の条件と作物に適応させる知識が欠けていることが、その採用の主な障害となっている。
  ――第13章 第五の革命

 昔のSFじゃ、世代型宇宙船の食糧は水耕栽培が供給していたけど、植物ってのは、それほど単純じゃないらしい。とまれ、実は複雑な生態系が実りを支えている、みたいな話なので、異星に植民して開拓する話とかに膨らませることはできそう。なんてSFな妄想は置くとしても、大気中の炭素を減らす案もあって、いろいろと夢が広がる本だった。

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2020年5月21日 (木)

モートン・D・デービス「ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで」講談社ブルーバックス 桐谷維・森克美訳

ゲームの理論は当初、経済問題に対する新しいアプローチのために創造されたものである。
  ――著者序

均衡戦略とか均衡点とかは(略)、二つの戦略があって、どちらのプレーヤーも自分の戦略を一方的に変えても得にならないとき、この戦略は均衡点にあるという。(略)その名の示すように、均衡点は非常に安定している。
  ――第3章 一般・有限・2人・ゼロ和ゲーム

我々の理論の最も弱い部分は、(略)プレーヤーがつねに自分の平均利得を最大にするという仮定である。
  ――第3章 一般・有限・2人・ゼロ和ゲーム

…攻撃的で激しやすいプレーヤーの方が、どちらかというと控え目なプレーヤーより有利に立ち回るのである。
  ――第6章 n人ゲーム

実際の実験では、いったん結託が結成されると、結果が確定的になることがプレーヤー達にすぐわかった。(略)また実は、明らかでないにしても、ウェイトはたんなる飾りに過ぎなかった。
  ――第6章 n人ゲーム

【どんな本?】

 ジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンによる1944年の著書「ゲームの理論と経済行動」から、新しい数学が生まれた。ゲーム理論である。「囚人のジレンマ」が有名な理論だが、その応用範囲は幅広く、遊技のゲームはもちろん、経営・経済・軍事そして政治にまで及ぶ。

 「ゲームの理論と経済行動」は本格的な内容だけに、充分な数学の基礎を読者に求める。対して本書はより広い読者を想定している。敢えて数学的な詳細にまでは立ち入らず、できる限り数式を使わずに、ゲーム理論の全体像を読者に示そうとした、一般向けゲーム理論の入門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GAME THEOLY, by Morton D. Davis, 1970。日本語版は1973年9月30日第1刷発行。私が読んだのは1978年3月10日発行の第9刷。新書版で縦一段組み本文約267頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント43字×17行×267頁=約195,177字、400字詰め原稿用紙で約488枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はちと硬い。日頃から論文を書きなれた数学者が慣れない入門書に挑戦した、そんな感じだ。そのため、数学的な表現が多い。とはいえ、算出方法は述べずに解の数字だけ示す所も多く、面倒な計算には敢えて深く立ち入らずに済ます姿勢が明らかだ。また、数学といっても出てくるのは加減乗除ぐらいなので、実は中学生でも充分に読みこなせる。必要なのは数学の能力じゃない。お堅い文章にビビらない度胸だ。

【構成は?】

 数学の本だけに、前の章を受けて次の章が展開する。素直に頭から読もう。ただし、数学っぽいのは頭の方だけで、終盤に向かうに従い政治や心理学や社会学の色が濃くなってゆく。数学は苦手だが人間や人間同士の関係に興味がある人は、頑張ればそれだけの報いが得られる。

  • 序 オスカー・モルゲンシュテルン
  • 著者序
  • 第1章 一人ゲーム
    人間対自然のゲーム
  • 第2章 完全情報・有限・二人・ゼロ和ゲーム
    チェスの研究/ゲームを記述する/いくつかの定性化と再考/付録
  • 第3章 一般・有限・二人・ゼロ和ゲーム
    日米両軍の知恵くらべ/二大政党の綱領/二将軍の攻防戦/テレビ広告によるマーケティングの例/マーケティングの例の解/単純化されたポーカー/新しく変えた古い問題/ミニマックス定理/いくつかの再考/いくつかの実験的研究
  • 第4章 効用理論
    「効用」とは何か/効用関数とその役割/効用関数の存在と一意性/かくれた落とし穴/効用関数を作る/人々の選考パターンは本当に整合的だろうか?/付録
  • 第5章 二人・非ゼロ和ゲーム
    協力ゲームと競争ゲーム/二人・非ゼロ和ゲームの分析/ガソリンの値下げ競争/議員の悩み/異性間の闘争/業務提携の例/マーケティングの例/いくつかの複雑化/コミュニケーション/プレーの順序/不完全情報の効果/選択対象を限定する効果/脅迫/拘束的協定とサイド・ペイメント/脱獄への応用/囚人のジレンマ/過去の囚人のジレンマ/ナッシュの調停方式/二人・非ゼロ和ゲームの実験/「囚人のジレンマ」に関する実験/交渉の実験/「最適な」戦略/三変数の実験ゲーム/プレーヤーの個性/せりの実験/ほとんど協力的なゲーム/いくつかの一般的な観察/行動パターン/現実の二人・非ゼロ和ゲーム
  • 第6章 n人ゲーム
    大統領選挙は不公平か/予算配分の政治例/いくつかの経済例/一つの分析/フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの理論/特性関数形/優加法性/配分と個別合理性/優越/フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの解の概念/N-M理論に関する最終コメント/ヴィクレイの自己治安配分集合/自己治安パターン/n人ゲームに関するオーマン=マシュラー理論/形式構成/異議/報復異議/オーマン=マシュラー理論とフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン理論の比較/シャプレー値/三人組の理論/実験による証明/投票ゲーム/投票モデルの応用/プレーヤーの先験的「価値」/要約/付録
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 さすがに昔の本なので、今はもっと親しみやすい本が出ているかも。でも、当時としては、優れた入門書だった。

 最初に近い「第2章 完全情報・有限・二人・ゼロ和ゲーム」では、ゲーム理論の基礎…というより、以降の章で必要になる基本概念を紹介する部分だ。

 名前が「ゲーム理論」なので、カード・ゲームやドラゴンクエストなどと関係ありそうと思うだろう。確かに関係はある。だが、それは「どうすれば面白いゲームを作れるか」では、ない。一つは「どうやって必勝法を求めるか」であり、また「様々な状況で人はどう行動するか」の実験だったりする。

 必勝法の求め方は、ミニマックス定理(→Wikipedia)が原則だ。相手が最善の手を打つと仮定して、その場合の被害を最小にする。三目並べは、これに従えば確実に引き分けに持ち込める。そして、引き分けがゲームの値となる。

ゲームの理論家は、相手が完璧なプレーをするという、悲観的な、そしてしばしば不完全な仮定を置くのである。
  ――第2章 完全情報・有限・2人・ゼロ和ゲーム

 ただ、世の中は、三目並べほど単純じゃない。例えばポーカーは相手の手が判らない、つまり完全情報じゃない。都市部は美容室や飲食店の競争が激しい。だから店には多くの商売敵がいる、つまり2人ゲームじゃない。また互いに店をたたむ気はないから、有限ゲームでもない。加えて近所の景気がよくなれば地域全体の売り上げも増えるから、ゼロ和ゲームでもない。

 このように現実に近づくほど、数学以外の要素が大きな影響を持ってくる。

…分析が簡単なゲームはあまりない。
  ――第4章 効用理論

 そんなわけで、5章以降は数学より実験の結果の記述が多くなる。最近はコミュニケーション能力を重んじる企業が多い。これは企業活動を協力ゲームと見なせば、理屈に合っているのかも。

一般に、ゲームが協力的になればなるほど――プレーヤー達の利害が一致するほど――コミュニケートする能力はより重要になる。
  ――第5章 二人・非ゼロ和ゲーム

 もっとも、本書の言う「コミュニケートする能力」は、俗にいうコミュ力とは少し違う。「利得=自分は何を求めるか」「戦略=自分は何をするか」を他のプレーヤーに伝える、または他のプレーヤの利得や戦略を知る能力を示す。軍は偵察や通信手段に、企業は電子メールやチャットに投資するのも、そういう事なんだろう。「無人暗殺機 ドローンの誕生」は、コミュニケートする能力の重要性がヒシヒシと伝わってくる本だった。

 もちろん、世の中はゼロ和じゃない。人類の歴史を長い目で見ると、世界の経済は成長を続けてきた。人同士や国同士は、争うより協力しあう方が、互いに得をする。それは誰もが判っているが、往々にして争いが起きる。これを確かめた実験も出ている。

被験者達はこれらのゲームを純粋競争的であるとみなしていたようにみえる。自分のパートナーを打ち負かすことはもっとも重要であった。そしてプレーヤー自身の利得は二義的なものに過ぎなかった。
  ――第5章 二人・非ゼロ和ゲーム

 この実験の結果は、とても怖い。全体の利益より自分の利益を取るのなら、まだわかる。そうじゃないのだ。自分は損をしても、相手が自分より大きな損をすればいい、そういう戦略を取る被験者が多くいた。どんな戦略を好むかは人によりけりで、本書は三つの傾向に分けている。

  • 個人主義。自分の損得だけを考えて、相手の損得には関心がない。
  • 日和見。相手の出方に合わせようとする。
  • 競争型。相手に勝つことだけに関心がある。

 協力ゲームでプレーヤー同士のコミュニケーションが許された時、どうなるか。意外な事に、最も協力を成功させたのは、個人主義者だった。それ以外は、コミュニケーションを許されても、協力の割合は増えなかった。日本ではチームワークを壊すように思われている個人主義だが、実際には最もチームワークに貢献するのだ。ただし、充分にコミュニケーションが取れている場合に、だけど。

 これを政治的な対立で考えると、更に怖い。「社会はなぜ左と右にわかれるのか」では、左派と右派の対立の原因を、倫理感覚の違いとした。それは確かにあるんだろうが、インターネットの普及に伴い、対立は更に深まっているように見える。例えば匿名掲示板などでは、互いにパヨク/ネトウヨと罵りあっている。憎み合わなければならぬほどの問題なんだろうか?

 これも、競争型を考えに入れれば、納得できる。大事なのは相手に勝つことであって、自分は損をしても構わないのだ。まあ、これは右派と左派の対立に限らず、国際的な対立、例えば経済制裁などでも、よく見かける構図だったり。

 終盤では、少数派の政党が連合政権に加わった際の影響力はどうなるか、みたいな実験もしていて、これもかなり怖い。

 文章は堅いし、序盤は数学者っぽい文章にたじろぐだろう。だが、じっくり読み進めると、後になるほど切実な内容が多くなる。さすがに入門書なのであまり深くまでは掘り下げないが、ゲーム理論が持つ底知れぬ力はヒシヒシと伝わってくる。数学の本ではあるが、政治や経済や人間関係に興味がある人こそ楽しめる本だ。

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【つぶやき】

 パソコンのハードディスクが寿命を迎えたらしいので買い替えたのはいいが、ここ数日はデータやアプリケーションの移行作業に四苦八苦。昔のMS-DOSみたく単純なコピーじゃ済まないのが辛いところ。ハードディスクの容量もメガ単位からギガ/テラ単位に増えているので、バックアップを取るにしてもやたら時間がかかるし。これからも微妙な使い勝手の違いで戸惑いそうなので、暫く更新は滞りそう。

 この本を読んだきっかけは、山田正紀の「謀殺のチェス・ゲーム 」にカブれた時。かなり戯画化しているとはいえ、追う者と追われる者の、脳髄を絞り出すような頭脳戦が楽しいアクション小説の傑作だった。

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2020年3月 5日 (木)

スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック「知ってるつもり 無知の科学」早川書房 土方奈美訳 2

何かに対してはっきりした意見を持っているという事実によって、私たちは自らの意見には確固たる根拠があると思い込む。
  ――第8章 科学について考える

自分が何を知らないかを理解する良い方法は、対象となる分野に関連する仕事をすることを通じてそれを学ぶことだ。
  ――第11章 賢い人を育てる

 スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック「知ってるつもり 無知の科学」早川書房 土方奈美訳 1 から続く。

【どんな本?】

 身のまわりの事柄を、私たちは「わかったつもり」になっている。だが、いざ「じゃ詳しく説明してよ」と言われると、あっさり馬脚を現す。案外と私たちはわかってない。にも関わらず、世の中はソレナリに巧く回っている。

 ホットな時事問題に対しても、たいていの人は何らかの意見を持っている。中には、強固に自分の意見を主張する人もいる。しかし「それってどういう事なのか、どんな影響があるのか」を問われると、シドロモドロになりがちだ。つまり、わかっていないのである。なぜ「わかっていない」のに、確固たる意見を持てるのか。

 このような意見は、誤解に基づいている場合もある。誤解をとき本当のことを知ってもらおうと、一生懸命に広報を繰り広げる専門家や化学者も多い。だが、世にペテン師は尽きず、相変わらずケッタイな商売が幅を利かせている。

 どうすれば勘ちがいが解けるのか。なぜ意味も分からず強固な信念を持つのか。たいして知恵のない者たちの集団なのに、なぜ世間は回っているのか。

 人類の文明と、それを生み出した知性について、「無知」からアプローチし、その特性をあぶりだそうとする、興奮の一般向け科学解説書。

【科学】

 幼い頃からSFアニメを見て育ち、アポロの月着陸に興奮した世代のためか、私は科学に大きな期待を寄せている。が、そうじゃない人も多い。例えば、こんな現実もある。

オクラホマ州立大学農業経済学部は消費者を対象に、遺伝子組み換え技術を使った製品は表示を義務付けるべきか尋ねた。80%近い回答者が義務化すべきと答えた。(略)
同調査の回答者の80%は、DNAを含む食品についても法律によって表示を義務化すべきだと答えた。
  ――第9章 政治について考える

 いや肉も野菜もDNAを含んでるんですが。むしろDNAを含まない食品の方が怖い…いや食塩は含まないか。とか判った風なことを言ってるけど、「じゃDNAって何よ、例えばどんな元素を含んでるの?」と言われたら、やっぱ説明できないです、はい。

 もっとも、この設問は、科学以外の要素も含んでいるのが面倒なところ。ネタが遺伝子組み換え技術なだけに、宗教や倫理によって、眼鏡に色がついちゃうのだ。

【政治】

 やはりよくわかってなくても、確固たる意見を抱きやすいのが、政治の問題。個々の政策について、キチンと説明できる人は滅多にいない。そもそも大半の人は法案なんか読まないし。というか、私も「どうすりゃ法案が読めるのか」すら知らない。ダメじゃん。

 そんな者同士が意見を交わしても、まずもって無駄に終わる。そして互いに「奴は馬鹿だ」と思い込んで別れる。これはマズい。どうすりゃ有意義な会話ができるのか。「相手を罵ってはいかん」なんてマナーは勿論だが、他にも工夫のしようはある。

 テレビのインタビュウなどでは、「なぜその政策を支持するのか」を尋ねる事が多い。だが、これじゃ、まずもって語り手の意見は変わらない。逆に変わりやすいのは…

必要なのは、政策そのものを考えること、具体的にどのような政策を実施したいのか、その政策の直接的影響はどのようなものか、その影響の影響はどのようなものかを考えることである。つまり、ふだん行っている以上に物事の仕組みについて深く考える必要がある。
  ――第9章 政治について考える

 「ソレはどんな政策か、その直接的な影響は何か、間接的な影響は何か、予算は幾らで効果はどれぐらいか」と、政策を詳しく説明させる。すると、「あれ?実は俺、よくわかってないいんじゃね?」と気づき、腰砕けになるのだ。つまりは前の記事のファスナーですね。

 もっとも、これが効かない場合も多い。宗教や倫理や価値観に基づく時だ。本書では妊娠中絶と尊厳死を挙げている。これはキリスト教的倫理観に基づくものだろう。日本だと、夫婦別性や児童の性教育かな? あと恵方巻などの食糧廃棄も。こういうのは…

政策が良い結果、あるいは悪い結果を生むかはどうでもいい。重要なのは、政策に現れた価値観である。
  ――第9章 政治について考える

 政治ってのは利害だけじゃなく、価値観や世界観の違いも対立の原因なのだ。また、勘ちがいを指摘するのも善し悪しで…

知識の錯覚を打ち砕くことは人々の好奇心を刺激し、そのトピックについて新たな情報を知りたいと思わせるのではないか、と期待していた。だが実際にはそうではなかった。むしろ自分が間違っていたことがわかると、新たな情報を求めることに消極的になった。
  ――第9章 政治について考える

 誰だって自分は馬鹿だと思いたくないし、恥をかくのも嫌いだ。面と向かって無知を指摘されるとムカつく。もっとも、私の場合は例外もあって、Webやこの本など相手の顔が見えない媒体だと、素直に受け入れる、どころか尊敬に変わったりする。まあ、本書の場合だと、無知を指摘されてるのは私だけじゃないしね。

【だが世間は】

 有名なジョークがある。「法隆寺を造ったのは誰か」「大工さん」。ジョークではあるが、けっこう本質を突いたネタでもある。なぜなら…

 法隆寺を造るには、たくさんの人の協力が必要だ。プロジェクトをブチあげ、予算と人を集め、場所を選んで確保し、工法を学び、設計図を描き、木を伐り、運び、加工し、組み上げ…。あ、もちろん、斧やカンナも調達しないとね。というワケで、聖徳太子が一人で全部をやったワケじゃない。にも関わらず、世間に流布している人物は聖徳太子だけだ。これにはヒトのクセが絡んでいる。

私たちは物事を単純化しようとする。その一つの手段が英雄信仰、すなわち重要な個人とそれを支える知識のコミュニティを混同することだ。
  ――第10章 賢さの定義が変わる

 木こりや大工まで、イチイチ憶えてたらキリがない。そこでヒトはモノゴトを単純化する。とりあえずプロデューサーの聖徳太子だけでいいや。そういうコトだ。その聖徳太子にしたって、一から考えたワケじゃなく、隋や帰化人から知識を仕入れたんだろうけど、そこまで追求するのは学者に任せよう。

 が、現実は違う。仕事をしていれば誰だって気がつくが、どんな仕事でも自分だけじゃ完結しない。職場に通うには道路や列車が要る。停電したら何もできない。営業しようにも商品が無けりゃ売れないし、モノを作るにも原材料と工具が必要だ。結局、みんなが少しづつ役割を果たすから、世の中は回る。

【チーム】

 つまり、そういう事だ。みんな、少しづつしか知らない。でも、そんな人たちが協力し合うから、世の中は回るし、進歩していく。ここで大事なのは、みんな同じじゃマズいって点。得意分野が違うから、全体として上手くいく。聖徳太子を千人集めても、法隆寺はできない。誰かがメシを炊かなきゃいけないし、薪を集める人も要る。

 これを一言で言えばダイバーシティとか多様性だろう。世の中イロイロだから私たちはカレーライスやトンカツを楽しめる。和食だけじゃ、こうはいかない。「みんな同じ」を求めると、ロクな事にならない。その見本が文化大革命やクメール・ルージュ、そして大日本帝国だ。そういう集団は、いわゆるエコーチェンバー(→Wikipedia)に陥りヤバい方向へと突っ走る。

【紙がない!】

 とか書いてる今(2020年3月5日)、日本はちょっとしたパニックが起きている。トイレットペーパーが手に入らない。これは経済が理屈通りに動いていないからだ。

世の中の誰もが地球は平らだと信じたところで、地球が平らになるわけではない。しかし経済は違う。
  ――第12章 賢い判断をする

 トイレットペーパーは足りている。でも多くの人が「足りない」と思い込む。その結果、本当に店頭からトイレットペーパーが消えてしまった。馬鹿な話だが、現実なんだからしょうがない。これもまた、一種のエコーチェンバーだろう。今までは、これらの問題に対し、「教育が大事」と叫ばれてきた。だが、オイルショックの経験を経ても、あまり学習が進んだようには思えない。

 じゃ、どうすりゃいいのか、というと…

【終わりに】

 うまくまとめられないけど、機会があったら「機械の再発見」を読んでみてください。少なくとも「自分が身のまわりのモノについてどれほどわかっていないか」は実感できます。

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2020年3月 4日 (水)

スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック「知ってるつもり 無知の科学」早川書房 土方奈美訳 1

本書には三つの主張がある。無知、知識の錯覚、そして知識のコミュニティである。
  ――結び 無知と錯覚を評価する

私たちは「命題的」論理、すなわち特定の見解が正しいか否かを判断するための論理で思考するのではない。「因果的」論理、すなわち特定の事象がどのように起こるかという知識に基づく因果関係の論理でモノを考え、結論を導き出す。
  ――第3章 どう思考するのか

知的活動は脳内だけで起こるのではない。むしろ脳は身体その他の物質世界を巻き込んだプロセス体系の一部にすぎない。
  ――第5章 体と世界を使って考える

金融サイトを数分眺めても、投資の勘どころをつかむことはできない。だがすぐ手に入るところに世界中の知識があると思うと、まるでその多くが自分の頭の中にあるような気になってしまう。
  ――第7章 テクノロジーを使って考える

【どんな本?】

 地球温暖化,遺伝子組み換え食品,財政健全化,円とドルの為替レート…。世の中にはとても多くの問題があり、ニュースは連日それらの問題を報じている。現代社会で生きていくには、実に多くの知識が必要だ。しかも、問題は増える一方である。テレビのニュースについていくだけでも、毎日のように学び続けなければならない。

 …はずだが、皆さん、ホントに毎日勉強してます? もちろん、私はしていません。

 にもかかわらず、私たちの大半は、なんとなく毎日を過ごしていけるし、知識不足で悩むことも滅多にない。ばかりでなく、先に挙げた問題について、誰もが多かれ少なかれ意見を持っている。

 この本は、「無知」についての本だ。ヒトは、どれほど自分の無知について分かっているのか。無知であるにも関わらず、なぜ判断できるのか。なぜ問題なく暮らしていけるのか。どうすれば無知をカバーできるのか。

 ヒトの知能・知性について、その欠落部分、すなわち「無知」からアプローチした、ユニークな認知科学の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Knowledge Illusion : Why We Never Think Alone, by Steven Sloman and Philip Fernbach, 2017。日本語版は2018年4月15日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約277頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×277頁=約249,300字、400字詰め原稿用紙で約624枚。文庫なら少し厚い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただ、米国人向けに書かれているので、所によってはピンとこないかも。例えばブリンストン大学とMITの違いとか。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて次の章が展開する。のだが、面白そうな所だけを拾い読みしても結構イケる。

  • 序章 個人の無知と知識のコミュニティ
    思考は集団的行為である/無知と錯覚/思考は何のためか/知識のコミュニティ/なぜこれが重要なのか
  • 第1章 「知っている」のウソ
    どれだけの知識があるか/錯覚の抗いがたい魅力
  • 第2章 なぜ思考するのか
    脳はなんのためにある?/賢い脳/フネスの苦しみ
  • 第3章 どう思考するのか
    人間は物事の因果を考える/前向き推論と後ろ向き推論/物語
  • 第4章 なぜ間違った考えを抱くのか
    必要十分/因果的推論には2タイプある/直感、熟慮、説明深度の錯覚
  • 第5章 体と世界を使って考える
    知能を具現化する/人間のデザイン/世界が私たちのコンピュータである/脳は知性の中にある
  • 第6章 他者を使って考える
    集団的狩猟/賢さ/志向性の共有/今日のチームワーク/境界での混乱/個人を知識のコミュニティに合わせてデザインする/集団意識の強みと危険性
  • 第7章 テクノロジーを使って考える
    思考の延長としてのテクノロジー/テクノロジーは(まだ)志向性を共有しない/真の超絶知能/未来を予測する
  • 第8章 科学について考える
    科学に対する国民の理解/コミュニティへの忠誠心/因果モデルと科学への理解/知識の欠乏を埋める
  • 第9章 政治について考える
    錯覚を打ち砕く/価値観と結果/ガバナンスとリーダーシップ
  • 第10章 賢さの定義が変わる
    知能/知能テストの歴史/知識のコミュニティからのインスピレーション/集団知能とその重要性
  • 第11章 賢い人を育てる
    何を知らないかを知る/知識のコミュニティと科学の授業/学習のコミュニティ
  • 第12章 賢い判断をする
    説明嫌いと説明マニア/情報量を増やすことは解決策にならない/集団意識が経済を動かす/より良い判断を「ナッジ」する/教訓1 かみ砕く/教訓2 意思決定のための単純なルールをつくる/教訓3 ジャスト・イン・タイム教育/教訓4 自分の理解度を確認する
  • 結び 無知と錯覚を評価する
    無知は絶対的に悪か/コミュニティの判断力を高める/錯覚を評価する
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 質問です。

1.あなたはファスナーの仕組みをどれだけ理解しているか、七段階評価で答えてください。

 では、次に…

2.ファスナーはどのような仕組みで動くのか、できるだけ詳細に説明してください。

 もう一度、1.に答えてください。

 答えが変わった人は、「説明深度の錯覚」を理解した人です。ガッカリする必要はなくて、たいていの人は変わります。なんであれ、ソレについて「詳しく説明」させると、本当の理解度をあぶりだせるわけ。人に教えると更に深く理解できるとか、よくあるよね。

 プログラマはしゅっちゅう体験してる。「こんなん簡単じゃん」と思ったプログラムも、いざコードを書く段になると四苦八苦したり。コードとして具体化しようとすると、要求仕様をまとめた時は気が付かなかったアラが見つかるのは、よくある話。だからシステム開発の予算は際限なく膨れ上がり、納期はズルズルと延びてゆく。

 と、けっこう衝撃的な事実で本書は幕を開ける。私たちは、自分で思っているほど、モノゴトについてわかっちゃいない。にも関わらず、世の中は問題なく動いているし、特に不自由もなく暮らしていける。

 なぜ「わかっている」と思い込むのか。なぜ不自由を感じないのか。そんな不完全で傲慢なヒトが、なぜ高度文明を築き得たのか。この不完全さが、どんな問題を引き起こすのか。どうすれば問題を避けられるのか。

 これについて、序盤ではヒトの思考のメカニズムを分析・解明してゆく。こういう所は、SFファンには美味しいところ。または人工知能や哲学に興味がある人にもお薦め。例えば、知能の定義だ。かの有名なフレーム問題を語ったあと、こう結論づける。

知的であるとは要するに、五感から入ってくる膨大なデータから本質的で抽象的な情報を抽出する能力があるということだ。
  ――第2章 なぜ思考するのか

 そう、機械学習が脚光を浴びる前の人工知能研究は、これがネックになっていた。

 ヒトは音や形から、ほぼ瞬間的に重要な情報を抜き出し、それ以外は無視する。狩りの途中で虎の新しいフンを見かけたら、その横にある草の種類はどうでもいい。とりあえず、その場から離れるべきだ。でなけりゃ自分が虎のフンになる。従来の人工知能には、そういう「何が重要か」って判断ができなかった。少なくとも、実用的な速度では。

 ヒトは情報の重要性を瞬時に判断できる。だが、これは困った副作用がある。つまりは「社会はなぜ左と右にわかれるのか」の像と象使い、「リスクにあなたは騙される」の腹と頭だ。

 腹は判断が速い。でも、けっこうウッカリさんでもある。例えば…

バットとボールで合計1ドル10セントである。バットはボールより1ドル高い。ボールはいくらか。

 と聞かれると、腹は「10セント」と答えてしまう。これ、ひっかかる人の方が多いんだが、ひっかからないタイプを著者は「熟慮型」と呼び、幾つか面白い傾向がある。

熟慮型の人、すなわちCRTのスコアが高い人には、そうではない人ほど「説明深度の錯覚」が見られない。
  ――第4章 なぜ間違った考えを抱くのか

 しかも、モノゴトを説明するのが好きなのだ。また、モノを買う際に、短いキャッチフレーズより、ダラダラと長い説明があるモノを選んだり。もっとも、そういう人でも…

自分の専門分野(家庭用品、クラシックカー、オーディオ設備など)については説明マニアでも、興味のない分野については説明嫌いになる人も多い。
  ――第12章 賢い判断をする

 なんのこたあない、ヲタクの生態そのものじゃないかw つまりは誰だって自分の好きな事柄は喋りたがり、そうでない事は深く考えないのだ。もっとも、ヲタクにも自覚してるヲタクとそうでないヲタクがいて…

知識の呪縛とは、私たちは自分の頭の中にあることは、他の人の頭の中にもあるはずだと考えがちなことを指す。一方、知識の錯覚は、他の人の頭の中にあることを、自分の頭の中にあると思い込むことを指す。
  ――第6章 他者を使って考える

 そう、誰もが連邦とジオンの関係を知ってるワケじゃないのだ。にも関わらずガノタときたらブツブツ…。まあ、かく言う私も、「ポール・ロジャースはあまり知られていない」と最近になって思い知らされ、ガックリきたんだが。なんで知らないんだよ~。ちょっと前、Queen として来日したじゃないかあぁぁ!←落ち着け

 もっとも、逆にコレをよく実感しているヲタクもいる。

それぞれの個体が特定の役割に精通すると、その結果として生まれる集団的知能は部分の総和を超える。
  ――第6章 他者を使って考える

 これを実によく表しているアニメがあって、それは「映像研には手を出すな!」なのですね。優秀なプロデューサーの金森さやか、設定と演出にうるさい浅草みどり、動きにこだわる水崎ツバメのチームワークが心地よいアニメです。

 「映像研」にはもう一つ、私たちに気づかせてくれることがあって、それは映像を観ている者は映像についてほとんどわかっちゃいないのだ、と教えてくれること。まあ映像は観るだけだけど、使いながら自分でも不安になるテクノロジーは、やっぱりあるのだ。例えば漢字変換。

優れたテクノロジーというのは決まって使いやすい。(略)今後、複雑化しつづけるシステムに対する理解度は一段と低下していくが、それでも私たちは理解しているかのような感覚を抱き続けるだろう。
  ――第7章 テクノロジーを使って考える

 「鬱陶しい」とPCで書くのは簡単だけど、鉛筆じゃ私は書けない。おまけに最近の変換技術は凄くて、例えばGoogleはウロおぼえの言葉でも「次の検索結果を表示しています」で補ってくれる。私は何度 Neal schon の綴りを間違えたことか。にも関わらず、どうやって補っているのか、私は説明できない。ばかりか、Google が間違えても、私は間違った綴りを正しいと思ってしまうだろう。

 などととりとめのないまま、次の記事へ続く。

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2020年3月 2日 (月)

トム・アンブローズ「50の名車とアイテムで知る 図説 自転車の歴史」原書房 甲斐理恵子訳

自転車は個人旅行に革命をもたらし、馬に頼る近・中距離移動は終わりを告げた。
本書は、200年以上にわたって発展してきた自転車の物語を、進歩の土台となった50種からひも解いていく。
  ――はじめに

フランスで流行しはじめたトライシクル(三輪車)は、イギリスでもすぐに広まった。1881~1886年には、自転車よりトライシクルの生産量のほうが多かったほどだ。
  ――12 コヴェントリー・レバー トライシクル

女性による自転車世界一周は、1894年にすでになしとげられている。同じアメリカ人女性、アーニー・コブチョフスキーがその人だ。
  ――16 エルスウィック・スポーツ 自転車に乗った女性たち

(レンタル自転車の)おもな目的は利益をあげることではなく、利用料で費用をまかないつつ都心の車の交通量を減らすことだ。
  ――43 ヴェリブ 都市型レンタル自転車

オランダは世界で唯一、人口より自転車の台数が多い国なのだ。オランダの人口は1650万人、自転車は約1800万台存在する。
  ――45 ガゼル 自転車の国オランダ

中国では車の5倍の電動自転車が走り、いまや世界トップクラスの電動自転車生産国でもある。毎年中国では1800万台の電動自転車が製造販売され、中国で使われている2輪車の25%以上が電動自転車だ。
  ――49 リビー 電動自転車

【どんな本?】

 お買い物の友ママチャリ。転ぶ心配のないトライシクル(三輪車)。坂道もラクラク電動アシスト自転車。頑丈でパワフルな実用車。持ち運べる折りたたみ自転車。スマートで華麗なロードバイク。荒野を駆け抜けるマウンテンバイク。映画「E.T.」で脚光を浴びたBMX。そして寝っ転がって走るリカンベント。

 ひとくちに自転車といっても、その姿や使われ方は様々だ。これらの自転車は、どのように進化・多様化してきたのか。進化の過程で、どんな技術やアイデアがどんな役割を果たしたのか。そして、どんな人々がどんな目的で自転車に乗ってきたのか。

 ペダルすらない1817年のドライジーネからカーボンファイバーを駆使した現代のレース用マシンまで、50のトピックで自転車の進化を辿る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The History of Cycling in Fifty Bikes, by Tom Ambrose, 2013。日本語版は2014年9月21日第1刷。単行本ハードカバー横一段組み本文約212頁。8.5ポイント32字×42行×212頁=約284,928字、400字詰め原稿用紙で約713枚。文庫本なら厚めの一冊分だが、写真がたくさん載っているので、実際の文字数は7割ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も難しくはない。ただ、ダイヤモンド・フレームやスプロケットなど、自転車の専門用語が説明なしに出てくるので、素人はその度に Google などで調べる必要がある。

【構成は?】

 時代別に並んでいるが、各記事はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに
  • 1 自転車の原型 庶民の乗り物を求めて
  • 2 ドライジーネ フランス発の初期の2輪車
  • 3 ホビーホース ダンディな若者の選択
  • 4 マクミラン型ペダル自転車 両足を地面から離して
  • 5 ベロシペード 前輪駆動
  • 6 ボーンシェイカー 過酷なサイクリング
  • 7 アリエル 危険なペニー・ファージング
  • 8 ローバー 安全自転車
  • 9 ファシル ドワーフ・オーディナリ
  • 10 サルヴォ・クワドリサイクル マルチホイーラー(車輪の多い自転車)
  • 11 コロンビア・ハイホイーラー アメリカ生まれ
  • 12 コヴェントリー・レバー トライシクル
  • 13 空気タイヤ 快適な乗り心地
  • 14 スウィフト 事務員の自転車
  • 15 アイヴェル 2人乗り自転車
  • 16 エルスウィック・スポーツ 自転車に乗った女性たち
  • 17 ルーカス・ランプ 夜道を照らす
  • 18 ダーズリー・ペダーセン 奇抜なデザイン
  • 19 モルヴァーン・スター オーストラリア横断
  • 20 フランセーズ・ディアマン 初のツール・ド・フランス
  • 21 スターメーアーチャー 変速ギア
  • 22 ラボール・ツール・ド・フランス ねじれ剛性
  • 23 オートモート 初期の長距離レース自転車
  • 24 ヴィアル・ヴェラスティック マアウンテンバイク誕生前夜
  • 25 ヴェロカー レース用リカンベント
  • 26 ハーキュリーズ 女性レーサー
  • 27 バーステル・スペシャル 6日間レース
  • 28 シュル・フュニキロ 初期マウンテンバイク
  • 29 ケートケ トラック用タンデム
  • 30 変速機(ディレイラー) レース用ギア
  • 31 ベインズVS37 1930年代の傑作
  • 32 ビアンキ 偉大なるファウスト・コッピ
  • 33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用
  • 34 モールトン・スタンダード・マーク1 折りたたみ自転車
  • 35 プジョーPX10 死の山
  • 36 ウーゴ・デローザ エディ・メルクス
  • 37 ブリーザー・シリーズ1 マウンテンバイク
  • 38 ハロー バイシクルモトクロス(BMX)の流行
  • 39 ロータス108 スーパーバイク
  • 40 コルナゴ タイムトライアル自転車
  • 41 スコット・アディクトRC カーボンフレーム
  • 42 プロ・フィット・マドン ランス・アームストロング
  • 43 ヴェリブ 都市型レンタル自転車
  • 44 サーヴェロS5 モダン・クラシック
  • 45 ガゼル 自転車の国オランダ
  • 46 マドセン カーゴ自転車
  • 47 スペシャライズド・ターマックSL3 未来の勝者
  • 48 ピナレロ ウィギンスのマシン
  • 49 リビー 電動自転車
  • 50 四角いホイール? 未来のデザイン
  • 参考文献/索引/図版出典

【感想は?】

 速く走ることに賭けるヒトの執念が伝わってくる。

 幕あけは1791年のパリ、シヴラック伯爵のセレリフェールだ。形はドライジーネ(→Wikipedia)に近い。

 木の枠組みに木の車輪を付けただけで、ブレーキはもちろんペダルもない。現代の幼児用バランスバイクみたいなモンだが、ハンドルはきれない。おかげで曲がる時は「そのつど乗り手が降り、車体を持ち上げて、進みたい方向へ向きを変えなければならなかった」。しかも値段は「乗馬用の馬なみ」。そりゃ流行らんわ。

 だが何故か自転車というアイデアは命脈を保ち続ける。いや飛び飛びに、だけど。とはいえ、さすがに費用は問題で、しばらくは貴族の坊ちゃんの道楽って時代が続く。やっぱり、こういうモノの進歩には、ある程度の社会格差が必要なんだなあ。

 これに動力、というか動力伝動装置がついたのが1839年のマクミラン型ペダル自転車。ただし回転させるんじゃなくて、蒸気機関車みたくペダルの前後動をシャフトでスポークに伝える。1860年代にはペダルで前輪を回すベロシペードが登場、「前輪をデカくすりゃスピードが出るよね」とペニー・ファージング(→Wikipedia)が勢いを得る。

 この辺までは自転車って値段は高いわコケたら危ないわで、今でいうエクストリーム・スポーツ的な位置づけだったことが伺える。これに一石を投じだのが1876年のローバー、安全自転車だ。チェーンで後輪を動かす姿は、現代の実用車に近い。足が地面につくので安全ってわけ。

 子供の頃、自転車を手に入れて、その移動能力に感動したことを覚えているだろうか? あれは、自由の味だ。移動手段を得ることは、自由を得ることでもある。これは女性解放論者にも影響を及ぼす。ただ、スカートで乗るには、トップチューブ(→Wikipedia)が邪魔になる。これを解決したのが1912年のエルウィック・スポーツ。トップチューブをなくし、今のママチャリに近い形になった。

 とかの進化を辿るのも面白いが、最も気にった記事は「33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用」。そう、自転車と軍事の話だ。

 先陣を切ったのはイギリス陸軍。1885年の演習で偵察隊が自転車で活躍してる。もっとも、1890年に作った8人乗り8輪車は、さすがに失敗したけど。誰か止める奴はいなかったのかw さすがパンジャンドラムの国w もち成功した例も多く、ボーア戦争ではニュージーランド軍兵士が自転車でボーア人騎兵隊を追い捕まえている。馬より自転車の方が速いのだ。飼葉も要らないしね。

 ドイツ軍も電撃戦では…

第2次世界大戦(略)ドイツ軍は(略)ベルギーやフランスへ先頭をきって侵攻する戦車の後ろには、何千台もの自転車が走っていた。
  ――33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用

 と、歩兵は自転車でグデーリアンを追いかけたのだ。同時期にマレー半島を南下した帝国陸軍の銀輪部隊も出てくるが、「ただし使用されたのは日本製ではなくマラヤ製」だった。日本から送るには船に積む空間が足りず、しかも現地で手に入るってんで、現地で調達…と言えば聞こえはいいが、ようは奪ったわけ。そりゃ恨まれるよ。

 もっとも、そのドイツ軍もベルリン防衛戦では少年兵が自転車にパンツァー・ファウスト(対戦車バズーカ)を括り付けてソ連の戦車T-34に立ち向かう、なんて無謀な手に出てるんだけど(→「ベルリン陥落」)。

 この知恵を継いだのが北ベトナム軍で、かの有名なホーチミン・ルートの補給は、自転車が活躍している。

 フランス相手の第一次インドシナ戦争では、「6万台の自転車」が食料と弾薬を運んでいる。もっともフランス製プジョーを改造して「200キロ以上の荷物を運べるよう」にしてあるんだけど。写真も載ってて、さすがに人が載って漕ぐんじゃなく、押して歩いてる。しいまいにゃ「救急車」まで作ってて、彼らの工夫の才には敬服するばかりだ。

 もちろんロータス108などスピードを追求した過激なレース用自転車も迫力のフルカラーでたくさん載っており、眺めているだけでも充分に楽しめる。

 馬やエンジンなど他の動力に頼らず、自分の力だけで、なるべく長い時間と距離を速く走る。自転車は、ただそれだけが目的のマシンだ。にも関わらず、ヒトはその時々の最新テクノロジーを取り入れ、ひたすらに高速を追及したり安定性を求めたりして、豊かなバリエーションを自転車にもたらした。その歴史は未だ発展途上で、多くの可能性を秘めている。

 歴史を辿ると共に未来への期待が膨らむ、ちょっと変わった技術史の本だ。

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2020年2月14日 (金)

塩之入洋「高血圧の医学 あなたの薬と自己管理」中公新書

本書は、成人の最大疾患群「高血圧」がもついろいろな問題点の解説、危険な合併症を防ぐための対策、高血圧の持続的な治療の必要性、高血圧治療薬の適応と副作用、「快適な生活を過ごす」ために知っておくべき知識などを記述しました。
  ――はじめに

安静時の成人の正常な動脈血圧は、収縮期(最大)血圧が100-130mmHg、拡張期(最小)血圧が50-85mmHgにあります。
  ――第1章 高血圧と血圧測定

【どんな本?】

 30歳以上の日本人のうち、約3300万人、つまり三人に一人が高血圧と思われる。もはや日本の国民病と言ってもいいだろう。

 その高血圧とは、どんな状態か。高血圧の何が悪いのか。高血圧か否かは、どうやって調べるのか。なぜ高血圧になるのか。高血圧を防ぐには、どうすればいいのか。どんな治療法があるのか。高血圧の薬には、どんなものがあるのか。それぞれの薬には、どんな特徴があるのか。薬を服用する際には、どんな事に気を付ければいいのか。

 老化に伴う宿命ともいえる高血圧について、その危険と対策、そして主な薬を中心に語る、医学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年1月25日発行。新書版で縦一段組み本文約237頁に加え、あとがき2頁。9ポイント41字×16行×237頁=約155,472字、400字詰め原稿用紙で約389枚。文庫なら薄めの一冊分ぐらいの文字量。

 文章の読みやすさと、内容のわかりやすさは、読者による。というか、対象読者を絞り込めていない。

 素人向けだとしたら、文章は硬すぎるし、専門用語を説明抜きで使いすぎる。細かいところでは、「増大する」「減少する」より「増える」「減る」の方が親しみやすい。「過剰な食塩を摂取」を「塩の摂りすぎ」にするなど、工夫してほしい。また「レニン-アンジオテンシン系」とか言われても、素人には見当がつかない。

 特に第4章~第8章は、医師や厚生省の役人など専門家向けの内容だろう。これが本書の半分近くを占めてたりする。

 かと思えば、高血圧の説明に水まき用のホースで例えるなど、素人向けに工夫している所もあるから、評価に困ってしまう。

 日頃から論文や報告書などの専門家向けの文書を書きなれた人が、同じ勢いで書き下ろした、そんな雰囲気の本だ。

【構成は?】

 素人なら、第1章と第2章は、ちゃんと読もう。第3章は軽く流し読みでいい。第4章~第8章は、読み飛ばしてもいいし、自分が当てはまる所だけをつまみ食いしいてもいい。第9章と第10章はちゃんと読もう。

  • はじめに
  • 第1章 高血圧と血圧測定
  • 第2章 高血圧の診断と危険因子
  • 第3章 高血圧治療と降圧剤
  • 第4章 第一選択薬の特性と選択
  • 第5章 高血圧治療薬の薬物相互作用
  • 第6章 合併症を持つ場合の高血圧治療薬の選択と注意
  • 第7章 女性と小児の高血圧
  • 第8章 特殊な高血圧 二次性高血圧など
  • 第9章 高血圧治療 ちょっと気になる疑問
  • 第10章 飲酒と喫煙
  • 付章 低血圧
  • あとがき

【感想は?】

 最近の健康診断で高血圧と言われた。まあ歳だし、とは思うが、やっぱり怖い。何ができるかを知りたくて読んだんだが、これが実にみもフタもない。要は食事と生活習慣を変えろ、だ。

…ライフスタイル改善の共通点は、過剰なカロリー(エネルギー)摂取制限と、適切な運動にあります。
  ――第2章 高血圧の診断と危険因子

 思い当たるフシは、確かにある。体を動かすのは嫌いだし、食事は偏ってる。あまり塩分は摂らないが、甘いものは大好きだ。酒は飲まないが、煙草は吸う。ダメじゃん。

 せめて少しは体を動かすようにしよう。でも走るのは嫌だなあ。筋トレなんて冗談じゃない。なんて思っていたら、実はそれでも構わないのだ。

運動ではとくに有酸素運動(エアロビクス)が勧められ、全身の大きな筋肉を繰り返し時間をかけて動かすものがよいとされます。具体的には、散歩、早歩き、球技、水泳、サイクリング、ダンスなどです。
  ――第9章 高血圧治療 ちょっと気になる疑問

 うん、それならできる。ヲタクの例に漏れず、歩くスピードは速い方だ。なら早歩きで散歩すりゃいいか。

 …で記事が終わっちゃったらアレなので、後は野次馬根性で面白かった所を。まずは、高血圧の原因について。

高血圧は大別して、本態性高血圧(原発性高血圧、体質性高血圧)と二次高血圧にわけられます。本態性高血圧は、現在のところ、真の原因が不明な高血圧で、全体の90%を占めています。
  ――第2章 高血圧の診断と危険因子

 同じ高血圧でも、内臓疾患などによる場合もあるのだ。もっとも大半は「真の原因が不明」の方だけど。つか、わかってないのか。とはいえ、医者の言う「わかってない」は、素人が考える「わかってない」とは違うようだが。たぶん、原因と結果は見当がついているけど、途中でどんなホルモンや酵素がどう関わっているのか、そのメカニズムの一部が明らかになっていない、みたいな意味なんだろう。

 ちなみに子供も高血圧になるとか。ただし、二次高血圧の疑いもあるので、尿タンパクなど他の検査も併せて考えましょう、と。パタリロはコレかな?

 本質的な解決にはなってないんだが、ある程度は医者を誤魔化す方法も書いてあったり。曰く、血圧を測る前の30分はコーヒーを飲まず煙草も吸わない。冬より春や秋の快適な季節は血圧が低くなりやすい。そうか、次の健康診断では←をい

 ゴマカシじゃないけど、喪男にありがちなのが、白衣高血圧。要は血圧を測る時に緊張しちゃって、普段より高い値になっちゃう。うん、きっと俺はコレだわ←をい。まあ、それだけじゃなくて、日頃から仕事や睡眠不足でストレスが溜まってると、血圧も高くなるわけで、健康診断の前日は早く寝ましょう。

 いわゆる代替医療への警告もチラホラと。特に著者が気にしているのが、セイヨウオトギリソウ俗称セント・ジョーンズ・ワート(→Wikipedia)。他の薬との飲み合わせによっては、「深刻な病状の悪化」もあり得るので、「厚生労働省からも警告」が出ている。きっと当時は流行ってたんだろうなあ。

 というか、第5章を流し読みした限り、日頃から飲んでる薬などは、ハッキリと医師に告げておく方が無難だよね、と感じる。薬どうしで効果を強めたり弱めたり、または思わぬ副作用をもたらしたり、イロイロあるのだ。素人が全貌を掴むのはまず無理なので、医師に正確な情報を伝えて判断を任せた方がいい。

 2001年と医学系の本の中だと最新とは言い難いが、基本的な対策は今も大きく変わっちゃいない。つまり酒・煙草・暴飲暴食・塩分を控え、長時間の軽い運動をしましょう、医師には隠さず正直に相談しよう、そんなあたりだろう。とはいえ、わかっちゃいるけどやめられない、なんだよなあ。困ったもんです。

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