カテゴリー「書評:科学/技術」の307件の記事

2022年5月 9日 (月)

ドナルド・R・プロセロ「岩石と文明 25の岩石に秘められた地球の歴史 上・下」築地書房 佐野引好訳

どんな岩石にも化石にも物語がある。多くの人びとにとって岩石はただの岩石でしかないが、経験を積んだ地質学者には、方法さえ知っていれば岩石は、そこから明確に読み取ることができる貴重な証拠に満ちた謎解きの手がかりだ。
  ――はじめに

ジェームズ・ハットン「火山とはいわば地下にあるかまどの排煙口なのである」
  ――第5章 火成岩の岩脈

全地球凍結は原生代後期に別々に少なくとも2~3回発生し、ヒューロニアン氷期として知られている原生代前期(約20憶年前)にも一回起きていたことが明らかになった
  ――第16章 ダイアミクタイト

(地球の公転)楕円軌道はほぼ円形からもっと長円形へと、非常にゆっくりと変化する(それにはおよそ10万年かかることが分かっている)。
  ――第25章 氷河の落とし物

【どんな本?】

 なぜかパターンが一致する炭田の石炭の層。どうにも計算が合わない地球の年齢。グリーンランド東岸と北アメリカで見つかる同種の三葉虫。イリジウム濃集層を境に消える恐竜の化石。採集場所によって磁気が示す極の移動経路が違う。細長い形と決まっている海溝。どこまで掘っても見つからない岩盤層。今にも倒れそうな姿勢で平原にポツンと佇む巨岩。

 これらの謎は、多くの科学者たちを悩ませた。と同時に、ダイナミックな地球の歴史を解く重要な鍵でもあった。

 悲劇的な火山の噴火や奇妙な風景、整合性がとれないデータなどに悩み、またはそれらをヒントとして地球の歴史を解き明かしてきた科学者たちの足跡を25章のエッセイで綴る、一般向け地球科学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Story of The Earth in 25 Rocks : Tales of Important Geological Puzzle and the People Who Solved Them, by Donald R. Prothero, 2018。日本語版は2021年5月31日初版発行。単行本ハードカバー上下巻で縦一段組み本文約250頁+221頁=約471頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント46字×18行×(250頁+221頁)=約389,988字、400字詰め原稿用紙で約975枚。文庫でも上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。冒頭に45憶年前からの地球の歴史を地層で表した図があるのも親切だ。世界中のアチコチの地名が出てくるので、世界地図か Google Map があると便利。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  •  上巻
  •  はじめに
  • 第1章 火山灰 火の神ウルカヌスの怒り 古代都市ポンペイの悲劇
    神々の炎/大災害を目撃した歴史家/ベスビオス火山大噴火の後
  • 第2章 自然銅 アイスマンと銅の島 銅をめぐる古代の争奪戦
    アルプスで発見された古代人、アイスマンが語る銅の時代/東地中海に浮かぶ銅の島、キプロス/それは海洋底の断片だった/深海底で オフィオライトが銅などの鉱石に富むわけ
  • 第3章 錫鉱石 ランズ・エンドの錫と青銅器時代
    「地の果て」の錫/ナポレオンが考案した錫の缶詰/錫鉱石の起源は?/錫王国の瓦解
  • 第4章 傾斜不整合 「始まりは痕跡を残さず」 地質年代の途方もなく膨大な長さ
    ものごとの始まり/啓蒙時代 教会・貴族社会vs学者・科学者/地質学の道を歩み始めたジェームズ・ハットン/現在は過去への鍵である 斉一主義
  • 第5章 火成岩の岩脈 地球の巨大な熱機関 マグマの起源
    水成論と火成論 岩石はどのようにできたのか/カコウ岩がマグマ起源である証拠/躍動する地球
  • 第6章 石炭 燃える石と産業革命
    薪のように燃える黒い石 石炭/産業革命を推進する/石炭紀の名前の由来 挟炭層/石炭がもたらす災い
  • 第7章 ジュラシック・ワールド 世界を変えた地質図 ウィリアム・スミスとイギリスの地層
    地球の切り口/地層同定の原理を発見/収監そして名誉の回復
  • 第8章 放射性ウラン 岩石が時を刻む アーサー・ホームズと地球の年齢
    行き詰った地球の年代推定/それは放射能だ!/放射性崩壊で測定する地質時間/年代測定ゲーム/プレートテクトニクスの創始者
  • 第9章 コンドライト隕石 宇宙からのメッセージ 太陽系の起源
    青天の霹靂/初期太陽系の痕跡/隕石中の生命
  • 第10章 鉄隕石 他の惑星の核
    論争のクレーター/天空からの訪問者/核の破片/至るところ鉛、鉛
  • 第11章 月の石 グリーンチーズか斜長岩か? 月の起源
    偉大な飛躍/月はどうやってできたのか 妹説、娘説、それとも捕獲説/衝突で吹き飛ばされた初期地球/月の輝く夜に
  • 第12章 ジルコン 初期海洋と初期生命? ひと粒の砂に秘められた証拠
    ダイヤモンド以上の高級品/地球最古の岩石は?/冷えた地球
  • 第13章 ストロマトライト シアノバクテリアと最古の生命
    ダーウィンのジレンマ/疑似化石、それとも本物の化石?シャーク湾で発見された生きたストロマトライト/ねばねばの膜におおわれた惑星
  • 第14章 縞状鉄鉱層 鉄鉱石でできた山 地球の初期大気
    鉄鉱石の富と花咲く文化/無酸素の地球で形成された縞状鉄鉱層/酸素による大虐殺イベント
  • 第15章 タービダイト ケーブル切断の謎が明らかにした海底地すべり堆積物
    問題その1 ちぎれた海底ケーブルの謎/問題その2 何百回も続く級化構造の不思議/問題その3 混濁流はどのように機能したのか/謎か解けた!
  • 第16章 ダイアミクタイト 熱帯の氷床とスノーボール・アース
    オーストラリアの地層の謎/氷成堆積物と石灰岩の互層/雪だるま、現れる/スノーボール、成長開始/全休凍結か部分凍結か?
  •  図版クレジット/もっと詳しく知るための文献ガイド
  •  下巻
  • 第17章 エキゾチックアメリカ 岩石に秘められたパラドックス 彷徨う化石と移動するテレーン
    三葉虫のパラドックス/失われた大陸、アバロニア/北アメリカを構成するエキゾチックなテレーン
  • 第18章 大地のジグソーパズル アルフレッド・ウェゲナーと大陸移動説
    彼は軽蔑され、受け入れられなかった……/謎その1 岩石のジグソーパズル/謎その2 間違った場所に設けられた気候帯/深海からの謎解き
  • 第19章 望郷の白亜の崖 白亜紀の海と温室気候になった地球
    ドーバーの白亜の崖/チョークとは何だろう?/白亜紀の温室気候下の浅海
  • 第20章 イリジウム濃集層 恐竜、滅びる
    予期せぬ偶然/イタリア中央部、アペニン山地での偶然/小惑星衝突のインパクト/化石は何を語るのか?/終わりなき論争 メタ解析
  • 第21章 天然磁石 プレートテクトニクスの基礎になった古地磁気学
    謎その1 天然磁石と地球の磁性/謎その2 一致しない磁北 極移動曲線/謎その3 地球磁場がひっくり返った!/謎その4 海洋底の縞模様/海底のロゼッタストーン
  • 第22章 青色片岩 沈み込み帯の謎
    謎その1 海底への旅/謎その2 傾いた地震多発帯/謎その3 圧力は高いが温度は低い/謎その4 雑然とまぜこぜになった岩石/答えその1 沈み込みが造山運動につながる/謎その5 アラスカ地震 沈み込みは現在も起きている!/答えその2 沈み込み帯のくさび状の付加コンプレックス
  • 第23章 トランスフォーム断層 地震だ! サンアンドレアス断層
    サンフランシスコ、1906年/近代地震学の誕生/地震神話/巨大地震を引き起こすサンアンドレアス断層/驚異的なすべり/中央海嶺と海溝をつなぐトランスフォーム断層 プレートテクトニクス理論の総仕上げ
  • 第24章 地中海、干上がる 地中海は砂漠だった
    廃墟の灰燼から/成功のバラを育てよう/謎その1 進退窮まれり/謎その2 ナイル川のグランドキャニオン/謎その3 海底に開いた穴/答え 巨大な死海
  • 第25章 氷河の落とし物 詩人、教授、政治家、用務員と氷期の発見
    謎その1 漂流する巨礫/謎その2 岩石の引っかき傷/答えその1 アガシ―と氷河時代/グリーンランドでの恐怖と死/スコットランドの大学用務員とセルビアの数学者/答えその2 プランクトンと氷期の先導役
  •  訳者あとがき/図版クレジット/もっと詳しく知るための文献ガイド/索引

【感想は?】

 本書のテーマを一言で表すのが、この一文だろう。

科学の偉大な発見の多くは、計画によってではなく、予想しなかった結果に遭遇することで実現するものだ。
  ――第20章 イリジウム濃集層

 なにか奇妙なモノや現象、予想とは違う結果が出た実験や計算、奇妙に一致するパターン。往々にして、これらは科学者たちの悩みの種になった。が、多くのデータが集まった後世の者にとっては、重大な発見や既存の説を覆すための決定的な鍵となったのだ。

 例えば、炭田。産業革命により、重要な資源として石炭に注目が集まった。炭田を開発・経営する事業家たちは、炭田を詳しく調べ始める。そこで、奇妙な事実に気がつく。

主要炭田の調査が始まると、研究者たちはイギリスの石炭のほとんどを含む地層群が特定の順序で重なっていることに気づいた。
  ――第6章 石炭

 炭鉱って、そうだったのか。知らなかった。まあいい。カラクリはこうだ。石炭は、その名のとおり石炭紀(約3億6千年前~約3憶年前,→Wikipedia)の地上植物が、泥のなかに埋もれて堆積したものだ。地層は年代ごとに重なるため、石炭の層も年代ごとに同じ順番で出てくるのだ。

 なお、石炭紀より昔は大きな陸上植物がなかったし、後はシロアリなどが樹木を分解しちゃうため、石炭として残っているのは石炭紀だけだとか。うーん、残念。

 やはり科学者たちを悩ませたのが、地球の年齢。最初は聖書にちなみ数千年って説だったが、他の証拠と合わない。ケルビン卿ことウィリアム・トムソン(→Wikipedia)は1862年に熱力学に基づいて計算し、2000万年と出た。が、これでも若すぎる。

 これを覆したのが1904年のアーネスト・ラザフォード(→Wikipedia)。ケルビン卿の計算は、地球に熱源はないって前提だったが、実際には放射性物質が核分裂する際に熱を出すのだ。

初期の地球を高温にして溶融させ、その結果、マントルから核を分離させたのは何だったのか? その答えは? 初期地球が大量に含んでいたアルミニウム26が、崩壊によって何度も地球を溶融させるに十分な熱を何度も発生させていたためだ。
  ――第9章 コンドライト隕石

 これを、権威あるケルビン卿の目の前で発表する羽目になった若きラザフォードの苦境は微笑ましい。

 この地球の年齢を計算するのに、海の塩の濃さを使ったのが、アイルランドの物理学者ジョン・ジョリー(→英語版Wikipedia)。計算じゃ8千万年~1憶年となった。が、実は彼の計算も間違いで、「海水の塩分濃度は(略)長期間に大きく変化していない」。なぜって「海水の塩分の多くは塩類堆積物(略)として堆積物に固定される」。そうだったのか。

 ちなみに今のところ、地球の年齢は46憶年前となっています。

 そんな長い歴史を35億年前からしぶとく生きのびてきたのが、シアノバクテリア。

化石記録は30憶年以上も前、単細胞のシアノバクテリアよりも大きな生物は何も出現しなかったことを意味している。いわば、地球生命史の80%を占める期間、シアノバクテリアの被覆層を削り取ってしまう生物がいなかったのだ。
  ――第13章 ストロマトライト

 そんな生きた化石であるシアノバクテリア、今でも特定の条件が揃うとストロマトライト(→Wikipedia)なんて奇妙な構造物をつくる。ばかりでなく、大量絶滅のたびに「雑草のように増殖」したそうな。強くはないけどしぶといんだね。

 もっとも、そんなシアノバクテリアにも謎は残ってて。

大きな謎は、シアノバクテリアの化石は35憶年前、もしかすると38憶年前に遡って知られているのに対して、大酸化イベントが23憶~19憶年前に始まったという点だ。
  ――第14章 縞状鉄鉱層

 本書には他にも謎を提示してて、皆さん大好きな恐竜絶滅もその一つ。今は小惑星衝突説が有力だが、それ以前から恐竜の衰退は始まっていたし、カエルやサンショウウオはなぜか生きのびている。同時期にデカン噴火(→Wikipedia)と海水面低下が起きていて、今のところ科学者たちも意見が分かれている。

 などの謎の中でも、やっぱりスケールが大きいのが大陸移動説。アルフレッド・ウェゲナー(→Wikipedia)の気づきは有名だけど、実は彼より前に気づいた人はいた。

信頼に足る最初の大西洋の地図が使えるようになるとすぐに、1500年代には早くも人びとはそれ(南アメリカとアフリカの海岸線が驚くほど一致すること)についてコメントしていた。
  ――第18章 大地のジグソーパズル

 でも、みんな「そんなバカな」と思ったか、証拠が見つからなくて黙ってたんだろう。そりゃねえ。大陸が動くなんて、思わないよね普通。これがやがてプレートテクトニクスへと発展し、地震についても色々とわかってくる。が、残念なことに…

地震がまったく予測不可能(略)。二つとして同じ地震はなく、あるタイプの地震を警告する前兆現象は、前兆現象を伴わない別のタイプの地震に対しては役に立たないということを地震学者は学んだ。
  ――第23章 トランスフォーム断層

 火山の噴火はけっこう正確に予報できるらしい。でも地震は難しいのだ。残念。

 どうも私は「○○と文明」って書名に弱くて、てっきり歴史の本だと思って読んだんだが、その予想は全く違った。いや同じ歴史でも千万年とか億年とかの単位だし。まあ予想が外れたとはいえ、スケールが大きい方に外れたのは嬉しい誤算で、海の塩分濃度の謎が解けたのもよかった。分かったことだけでなく、恐竜絶滅の原因が相変わらず謎なのも、それはそれでワクワクする。そんなスケールのデカい地学の本だ。

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2022年4月 8日 (金)

スティーヴン・ジョンソン「感染地図 歴史を変えた未知の病原体」河出書房新社 矢野真千子訳

何よりもこの本は、私たちが享受している現代生活の方向性を定めた決定的な瞬間の一つとなった、激動の一週間を検証するためのものである。
  ――はじめに

【どんな本?】

 1854年の8月末から9月頭にかけて、ロンドンの下町ソーホーのブロード・ストリート周辺でコレラが大流行し、多くの人が命を落とす(ネタバレあり、→Wikipedia)。

 当時の医学会は瘴気(→Wikipedia)説が中心であり、病原菌の概念は知られていなかった。有名なナイチンゲールも瘴気説を支持している。しかしこの原因を熱心に調べた医師ジョン・スノーは、自らの足で集めたデータと、教区の住民に詳しい副牧師のヘンリー・ホワイトヘッドの協力を得て、意外な原因を突き止める。

 コレラ菌の存在すら知られていない時代に、スノーとホワイトヘッドはいかにして原因を突き止めたのか。現代では間違っているのが明らかな瘴気説が、なぜ強く支持されたのか。

 舞台となったロンドンとソーホーの悪臭漂う風景を克明に描き、スノーとホワイトヘッドが原因を実証する過程を立体的に再現し、現代的な疫学の誕生を物語風に語るとともに、ジョン・スノーに比べあまり知られていないヘンリー・ホワイトヘッドの貢献を掘り起こす、一般向けの歴史・科学解説書であると同時に、当時の怪物的な大都市であるロンドンおよびブロード・ストリートの風景と、そこに住む人びとの暮らしをスケッチし、現代のニューヨークなどの大都市と比べて語り未来の人類社会の在り方をさぐる都市論でもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Ghost Map : The Story of London's Most Terrifying Epidemic - and How It Changed Science, Cities, and the Modern World, by Steven Johnson, 2006。日本語版は2007年12月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約250頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×18行×250頁=約207,000字、400字詰め原稿用紙で約518枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。ただし、テーマがコレラだけに、悪臭が漂ってきそうな生々しい描写がアチコチに出てくるので、繊細な人にはキツいかも。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 8月28日 月曜日 下肥屋
  • 9月2日 土曜日 目はくぼみ、唇は濃い青色に
  • 9月3日 日曜日 探偵、現る
  • 9月4日 月曜日 肥大化する怪物都市
  • 9月5日 火曜日 あらゆる「におい」は病気である
  • 9月6日 水曜日 証拠固め
  • 9月8日 金曜日 井戸を閉鎖せよ
  • その後~現在 感染地図
  • エピローグ
  • 著者注/謝辞/付録 推薦図書/訳者あとがき/書誌/原注

【感想は?】

 まず、頭の「8月28日 月曜日 下肥屋」で、繊細な人は振り落とされる。

 人は都市に集まる。この傾向は、産業革命などによって更に加速してゆく。それにより、ロンドンは野放図に人が集まってきた。人が集まれば、出すモノも増える。だが、その始末は誰も考えていなかった。その結果を描くのが、この章だ。

 都市計画も区画整理もなく、ひたすらに人が密集するソーホーの風景は、混沌そのもの。住宅と食肉工場と商店が、一つの区画に共存しているのだ。「堆塵館」の舞台のモデルになったのもうなずける。下水道もないから…せいぜい覚悟しよう。

 著者は、ここで本書の一つのテーマを確認する。当時は瘴気説が有力で、病原菌は相手にされなかった。ジョン・スノーとヘンリー・ホワイトヘッドの調査が瘴気説を覆す根拠を示すのだが、なかなか認められなかった。それはなぜか。

多くの聡明な人がこれだけ長いあいだ、なぜそんな馬鹿なことを信じていたのか? 矛盾する証拠は目の前に山のようにあるのに、なぜそれが見えなかったのか? こうした疑問もまた、知識社会学――過誤社会学ともいうべきだろうか――の分野で研究されるべきテーマだろう。
  ――8月28日 月曜日 下肥屋

 だが、この章が描くロンドンの風景を読む限り、瘴気説を信じたくなる気持ちもわかるのだ。悪臭漂う空気のなか、汚物と隣り合わせに暮らしてたら、そりゃ病気になるよ、と。

 ありがたいことに、著者は終盤でこの感覚にちゃんと理屈をつけてくれる。ヒトは悪臭に対し本能で反応するのだ、と。

19世紀に入ってまで瘴気説が根強く残ったのは、(略)本能に根ざしていた(略)。
人間の脳は、ある種の匂いを嗅ぐと無意識に嫌悪感をおぼえる(略)。
この反応は理性(略)を通らずに、そのにおいに関連するものを避けたいという強い欲求を作り出す。
  ――9月5日 火曜日 あらゆる「におい」は病気である

 だって腐ったモンを食ったら腹を壊すし。今は腹を下しても病院に行けばどうにかなるけど、野生状態じゃ命に係わる。だからヒトは悪臭に敏感で、本能的に「悪しきもの」と決めつけるのだ、と。この本能が、瘴気説に力を与えていたのだ。

 「社会はなぜ左と右にわかれるのか」で、トイレの近くでインタビュウしたら倫理的に厳しい解が増えたとあったが、それはこういう本能が関係あるのかも。いずれにせよ、理性的な判断が求められる状況に、悪臭はよろしくない。そんなワケで、プログラマの職場環境は←しつこい。

 さて、コレラ菌にもいろいろある。タチの悪いものから、そうでないものまで。生憎と、この事件で猛威を振るったのは、特にタチの悪い株だったらしい。つまり、ガンガン増殖するタイプだ。

新しい宿主への移動が困難な、つまり感染性が低い環境だと、繁殖力が穏やかな株が種の中で個体数を増やす。感染率が高い環境だと、繁殖力が強い、人間にとって悪性度の高い株が穏やかな株を駆逐する。
  ――9月2日 土曜日 目はくぼみ、唇は濃い青色に

 景気のいい時はイケイケな企業が業績を伸ばし、悪い時は慎重な企業が生き残る、そんな感じかな。

 そんなコレラの脅威に対し、医学はほぼ無力、どころか瀉血などの逆効果の治療法やアヘンなどの怪しげな薬が新聞の広告欄を賑わす。コレラの主な症状は脱水なので、水を大量に飲ませれば回復する場合もあるのに、全く逆の「治療」が幅を利かせていたのだ。

19世紀半ばのヴィクトリア時代にこうした(怪しげな療法や薬の宣伝が盛んになる)状況が生まれたのは、この時代に、医学は未熟なのにマスコミだけが成熟しているというギャップがあったからだ。
  ――9月2日 土曜日 目はくぼみ、唇は濃い青色に

 あー、いや、21世紀の現代でも奇妙な療法や薬がノサバってますが。というか、「医学は未熟でマスコミが成熟」ってとこ、医学を他のもの、例えば経済や教育に替えれば今でも充分に通用するような。「代替医療のトリック」を読むとクラクラきます。なまじ歴史のあるモノほどしつこいんだよね。

 さて、コレラの感染経路は水だ。ここで、イギリスでの感染を防いでいたモノがある。それは…

18世紀後半に爆発的に増えた飲茶習慣は、微生物の立場になればホロコーストに等しかった。この時期、赤痢の発生率と子どもの死亡率が激減したことを医師たちは観察している。
  ――9月4日 月曜日 肥大化する怪物都市

 だって茶を淹れるには、まず湯を沸かすよね。要は煮沸消毒だ。おまけに茶のタンニンも殺菌効果がある。で、茶のない頃は、ワインやビールでアルコール消毒してた。そうやって、欧州は下戸が淘汰された、と著者は主張している。モンゴロイドに下戸が多いのは、安全な水が手に入りやすかったからかな?

 まあいい。この事態の原因を突き止めようと精力的に動いたのが、有名なジョン・スノー。当時でも女王陛下のお産で麻酔を担当するなど、既に充分な名声を得ていた。が、もともと瘴気説を疑っていたうえに、自分の住まいの近くで起きた惨事でもあり、被害の様子を詳しく調べ始める。ただ、当時の科学はまだ未熟で…

当時の技術で水質を分析しても謎は解けないし、何も見えない。
  ――9月8日 金曜日 井戸を閉鎖せよ

 こんな状態で、どうやって原因を突き止めたのか。足でデータを拾ったのだ。一軒一軒、訪ね歩いて。もっとも、ソレで明らかになるのは、疫病の発生がブロード・ストリートに集中してるってことだけ。決定的な証拠が必要だった。それは…

証拠は「例外」の中にある
  ――9月6日 水曜日 証拠固め

 例外とは何か。この場合は二つ。1)ブロード・ストリートに住んでいるのに、被害を免れている人。2)ブロード・ストリートから離れたのに、被害に遭った人。

 ここで活躍したのが、ヘンリー・ホワイトヘッド。彼は副牧師として周辺の人たちと親しく付き合い、日頃の暮らしを知っていた。また、避難した人たちやその家族とも親しく、引っ越し先も知っていた。ホワイトヘッドの協力で、スノウは決定的な証拠を手に入れる。

画期的な知識の前進というのはふつう、現場ベースで生まれるものなのだ。
  ――9月6日 水曜日 証拠固め

 かくしてスノウとホワイトヘッドは報告書を提出するのだが…

教区役員会が報告書を出した数週間後に、(公衆衛生局長)ベンジャミン・ホールのこれら調査委員会もセント・ジェームズ教区のコレラ禍にたいする見解を発表した。彼らがスノーの説に下した評価は、完全なる否認だった。
  ――9月8日 金曜日 井戸を閉鎖せよ

 いったん染み込んじゃった思い込みは、なかなか消えないんです。科学も数学も、こういうのはよくあるんだよなあ。大陸移動説とかペイズ統計とか。SFやファンタジイで不死が出てくるけど、ヒトが死ななくなったら、きっと科学や数学の進歩は止まると思う。その時代の頑固な権威が死ぬことで、やっと日の目を見た説は結構あるのだ。

 終盤では、騒ぎが収まった後を語る。ここで、やっと地図が登場する。面白いのは、地図の書き方。絵で見せるわけで、大事なのは「詳しく書くこと」じゃない。

疫病のほんとうの原因を説明するには、表示する情報量を増やすのではなく減らさねばならなかった。
  ――その後~現在 感染地図

 テーマを絞って、本当に訴えたい点だけを浮き上がらせる事なのだ。え? プレゼンテーションの基本だろ? ええ、はい、わかっちゃいるけど、ついついやっちゃうんだよね、全部を強調するって馬鹿な真似。

【エピローグ】

 ミステリ・ドラマ仕立ての本だが、最後のエピローグだけは毛色が違う。ここでは都市論が主題に挙がってくる。

ヴィクトリア時代に内部崩壊に向かう癌性の怪物と思われていた大都市がこうまで変わった転換点がどこにあったかといえば、それはブロード・ストリートの疫病戦争で都市が病原体に勝利した時点だ。
  ――エピローグ

 都市を保つのには、何が必要か。食料や輸送力やエネルギーも必要だ。それ以上に、ヒトが密集すると、どうしても疫病が流行りやすくなる。ブロード・ストリートの事件が、その代表。いや他にも911とかがあるんだけど。山のなかにジャンボが落ちても、被害にあうのは乗員と乗客だけ。でもビルに突っ込んだから、被害が大きくなった。人から人へうつる疫病の被害は、もっと悲惨になる。

歴史的に見て、爆弾は攻撃対象となる人口が増えるにつれて威力を高めてきたが、その上り坂はあくまで直線だ。疫病の場合、致死率は指数関数的に上昇する。
  ――エピローグ

 しかも細菌は進化が速い。なにせ世代交代の速度が分単位だからヒトとは桁違いだし、脊椎動物には真似のできない必殺技も持っている。

私たちにとって、遺伝子が水平方向にスワップするという概念は少々理解しにくいかもしれないが、細菌やウイルスなど原核生物の世界では日常的に起きていることだ。
  ――エピローグ

 これは既に抗生物質に対する耐性を持つ耐性菌の蔓延で現実になってるのが、なんとも。なお耐性菌を作ってるのはヒトより家畜だそうだ(→「排泄物と文明」)。

 本書ではインフルエンザ・ウイルスを脅威の候補に挙げ、その危険性を警告している。

もしそのようなウイルス株が出現したら、その被害範囲は井戸水ポンプの柄を外して制圧できるほどの規模ではすまないだろう
  ――エピローグ

 はい、そんなもんじゃ済みませんでした。インフルエンザじゃなくてコロナだったけど。ほんと、この辺は読んでて「まるきし予言の書だなあ」と思ったり。ちなみに原書の発行は2006年。見事な予言だ。

 じゃ都市化を危惧してるのかと言えば、そうでもない。一人当たりのエネルギー消費量は、都市の方が遥かに少ないのだ。だって都会は電車で通勤できるけど、田舎は自動車が必需品だし。

ニューヨーク市を仮に<州>とみなしたとき、その人口はアメリカで11番目に当たるだろうが、一人当たりのエネルギー消費は51番目になる
  ――エピローグ

 この辺は「都市は人類最高の発明である」が詳しいです。そんなこんなで、持続可能な社会にするには都市化に順応した方がいいんだけど、人間ってのは厄介なもんで…

迷信は、いまも昔も真実を見えなくさせる脅威であるだけでなく、人びとの安全をおびやかす脅威でもある。
  ――エピローグ

 今もワクチン接種を嫌がるだけでなく、積極的に邪魔したがる人がいるし。医学や疫学は学問としちゃそこそこ成熟してるんだけど、学者や医者じゃない人たちの知識は未熟なのに対し、SNSなどの情報伝達ツールは異様に発達しちゃってるんだよなあ。かと言って、科学や数学をすべての人に充分に理解させるのは、さすがに無理だろうしなあ。少なくとも私は充分に理解するなんて無理です←をい

【おわりに】

 そんなワケで、ちと古い本ではあるけど、新型コロナウイルスが猛威を振るう今は、実にタイムリーで熱く訴えかけてくる本だ。犯人は割れてるけど、ミステリ仕立てのドラマとしても面白いし、従来の仮説を新しい仮説が覆す物語としても楽しめる。特に、都市住む人にはなかなか心地よい作品でもある、と申し添えておこう。

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2022年4月 4日 (月)

マット・パーカー「屈辱の数学史」山と渓谷社 夏目大訳

どの分野でも、些細に見える数学のミスが、驚くような事態を引き起こす。古いものから新しいものまで、数ある数学のミスの中から、私が特に興味深いと思ったものを集めたのがこの本だ。
  ――第0章 はじめに

2015年、通信インフラ企業のヒベルニアネットワークスは、三億ドルもの巨費を投じ、ニューヨークとロンドンの間に新たに光ファイバー・ケーブルを敷設した。通信に要する時間を6ミリ秒短縮するためだ。
  ――第8章 お金にまつわるミス

計測の精度と正確さは混同されがちだが、両者はまったく別のものだ。精度はどれだけ細かく計測できるかを表し、正確さは計測値がどれだけ真の値に近いかを表している。
  ――第9章 丸めの問題

コンピュータに何かをランダムに行わせるのは「難しい」どころではない。まったくの不可能なのだ。
  ――第12章 ランダムさの問題

再テストを行わずにコードを流用すると、それが問題のタネになることが多い。
  ――第13章 計算をしないという対策

【どんな本?】

 私たちの身の回りには、数字が溢れている。だが、往々にして人は数字が苦手だ。例えば私は風速がピンとこない。天気予報では風速を秒速?mで表す。でも私には時速の方がなじみ深い。なので、頭の中で3または4を掛け単位をkmに替えることにしている。

 日常ではその程度で済むが、橋や建物の建設だと、こんな大雑把な計算じゃ困る。薬の投与量や放射線の照射量などの医療関係では、直接に命にかかわる。また、翻訳本を読んでいると、距離の単位がマイルだったりする。かと思えば、コンピュータ・ゲームのバグなど、微笑ましい数字のミスもある。

 人間が犯したミスのなかでも、数字が関わり、かつ著者が興味深いと感じたものを集め、詳しく解説した、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Humble Pi : A Comedy of Maths Errors, by Matthew Parker, 2019。日本語版は2022年4月5日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約455頁。9.5ポイント42字×16行×455頁=約305,760字、400字詰め原稿用紙で約765枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。書名に「数学」が入っているが、実際に使うのは加減乗除なので、むしろ「算数」が相応しい。

 また、コンピュータのプログラムに関する話題も多い。プログラマは大いに楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 第0章 はじめに
  • 第1章 時間を見失う
  • 第2章 工学的なミス
  • 第3章 小さすぎるデータ
  • 第4章 幾何学的な問題
  • 第5章 数を数える
  • 第6章 計算できない
  • 第7章 確率にご用心
  • 第8章 お金にまつわるミス
  • 第9章 丸めの問題
  • 第9.49章 あまりにも小さな差
  • 第10章 単位に慣習……どうしてこうも我々の社会はややこしいのか
  • 第11章 統計は、お気に召すまま?
  • 第12章 ランダムさの問題
  • 第13章 計算をしないという対策
  • エピローグ 過ちから何を学ぶか
  • 謝辞

【感想は?】

 人間は数字が苦手だ。これは直感で分からないからだろう。

元来、人間は数を直線的ではなく、対数的なものととらえる生き物である。
  ――第0章 はじめに

 例えば、そうだな、a)1億円と500憶円の違いと、b)1兆円と2兆円の違い、どっちが大きいと思います? 直感的にはa)と答えたくなるが、金額の差はb)の方が圧倒的に大きい。つい割合で考えてしまうのだ、私たちは。

 とまれ、どうしても私たちの暮らしに数字はついてまわる。それは日々の暮らしだけでなく、社会全体にも大きく影響を与える。例えば暦だ。その元になるのは、日と年なんだが、これがけっこう面倒くさい。

宇宙が私たちに与えてくれる時間の単位は二つだけだ。それは「年」、そして「日」である。
  ――第1章 時間を見失う

 1年はだいたい365日で、これは太陽のまわりを地球が一周する、公転に必要な時間。1日は地球の自転に必要な時間。この二つは、歯車みたく綺麗に揃ってるわけじゃなく、独立した運動だ。だから、どうしたってピッタリな数字にはならない。そこで、うるう年なんて面倒な計算が必要になる。これも4年に一度じゃピッタリこないから、プログラマは面倒な条件判定をしなきゃいけない。

 日と年のように、自然が生みだしたモノはどうしようもない。が、人は自分で橋や建物などを作り出す。が、作ってから、様々な不具合に気がつく。ここでは、かの有名なタコマ橋やロンドンのミレニアム・ブリッジを紹介する。

人間は自分の理解を超えたものを作ることがある。作ってしまってから理解する。(略)応用が先で、基礎となる理論は遅れてできるのだ。
  ――第2章 工学的なミス

 問題が起きると、その原因を突き止めようとする。その過程で、理論が姿を現すのだ。この章では、エアロビクスでビルが揺れた話が面白い。たまたま振動数があったため、信じがたい現象が起きた。振動数にしても、横揺れ・縦揺れ・ねじれ等があり、モノを設計する際の難しさが伝わってくる。

 3章は、IT技術者なら身につまされる逸話がギッシリ詰まってる。Steve Null 氏や Brian Test 氏やAvery Blank 氏の災難、Excel の型自動判別によるバグ。やはりプログラマならピンとくるだろう。

 なお、某社の表計算ファイルの42.2%には一つも数式がなかったとかは、あまり笑えない。神Excelとか話題になってるし。どうでもいいけど、お役所は "Excel" ではなく "表計算" または "スプレッドシート" と呼ぶべきだと思う。政府が特定企業の特定製品を贔屓しちゃマズいよね。

 5章もプログラマには身近な話題。確か Fortran は配列の添え字の最初は1だけど、c は0から。こういう境界値のバグは、よくあります。続く6章もオーバーフローや2進:10進変換の話。あなたのまわりにもいませんか、ピッタリ255とか言っちゃう奴。いや256だろって反論もきそうw

 9章以降は、大きな事故の話が中心になる。そういう点では、「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」とカブる。

事故が起きたときは、それはシステム全体の欠陥のせいである。一人の人間に責任を負わせるのは正しくない。
  ――第9.49章 あまりにも小さな差

 大きな事故は、たった一つのミスで起きるんじゃない。幾つのもミスが積み重なって起きる。機械でもソフトウェアでも組織でも、普通は何重もの安全装置がついている。それらすべてをスリ抜けた時に事故になる。なぜスリ抜けるか? ミスを隠そうとしたり、チェックを甘くしたがる組織の体質が原因だったりする。そもそもヒトってのは見栄っ張りな生き物で…

悪い結果は、良い結果に比べて隠される可能性が圧倒的に高くなるのだ。
  ――第11章 統計は、お気に召すまま?

 手柄話をする酔っ払いは沢山いるが、失敗譚をする奴は滅多にいない。そういう事だ。それだけじゃない。問題が起きると、みんなが寄ってたかって悪役を仕立てて責め立てる。だから、みんな自分のミスを語ろうとしない。

「ミスを認めた人間をすべて排除したとしても、システムはよくならない」
  ――第13章 計算をしないという対策

 この辺、航空機事故の調査などは極めて巧みにやっているみたいだ。逆なのが政治や経済だよね。福島の原発事故も、「電源喪失」だけで話を終わらせちゃマズいと思う。なぜ設計や導入検討の段階で気づかなかったのか。気づいたけどスルーされたのか。ちゃんと調べるべきでない? 誰に責任があるかはさておき。

 とかのウザい調査や監査があると、ヒトは数字をデッチ上げようとする。元数学教師らしく、宿題を誤魔化す生徒を見破るために、デッチあげをあぶりだす方法も出ていて、その一つがベンフォードの法則(→Wikipedia)。

現実の世界に存在する数値データを十分な量集めて平均すると、先頭の桁が1のものがだいたい全体の30%になる
  ――第12章 ランダムさの問題

 なぜそうなるのか、なんとなくわかる気がするんだけど、巧く説明できない。あなた、どうですか?

 書名には数学とあるけど、加減乗除でわかるネタばかりなので、レベル的には算数とすべきかも。最初から最後まで、ヒトがやらかした失敗の話が並んでいる。他人の失敗の話ってのは、やはり楽しいのだ、野次馬根性で。いや真面目に事故を防ぐ教訓を学んでもいいけど。

 ってんで調べたら、失敗知識データベースなんて楽しいサイトを見つけた。面白いバグを集めた本とかも、探せばあるんだろうか? ちなみに私がよくやるのは、文字列の二重引用符 "" の片方を忘れるって奴です。

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2022年2月25日 (金)

鳴沢真也「連星からみた宇宙 超新星からブラックホール、重力波まで」講談社ブルーバックス

宇宙に存在する星々のおよそ半数は、連星であると考えられています。
  ――はじめに

多重連星はかならず「2つの星だけが近くにある」
  ――1章 あれも連星、これも連星

連星の2つの星の質量の合計は、両星間の距離の3乗に比例し、公転周期の2乗に反比例する
  ――4章 連星が教える「星のプロフィール」

現在、新星とは「白色矮星と、もう1つの星とが近接連星をなしているときに起こる現象」だと考えられています。
  ――5章 「新しい星」は連星が生む幻か

ソーン・ジトコフ天体とは、赤色巨星または赤色超巨星(略)の中心に、なんと中性子星が存在しているという、なんとも奇妙な天体です。
  ――11章 連星は元素の合成工場だった

【どんな本?】

 連星。2つ以上の恒星が、互いのまわりを回っている天体。太陽が独裁を敷く太陽系に住んでいる私たちには奇妙に思える。だが、宇宙に連星は珍しくない、どころか、ありふれた形らしい。しかも、2つどころか3つや4つの連星もある。

 劉慈欣の「三体」を読んだ人なら、こんな疑問を抱くだろう。「3つ以上の天体って、ありうるのか? 軌道が不安定なのでは?」

 ところがどっこい、現実にあって、ちゃんと観測されているのだ。いや、ただ観測されているだけじゃない。連星の観測は、ブラックホールをはじめ天文学・物理学の様々な現象や原理の解析に役立っていて、現代の宇宙論に欠かせない重要なデータを提供している。

 「なぜ3体以上の天体で軌道が安定するのか」「生物が住める惑星はあるのか」「どうやって見つけたのか」などの疑問に答えるとともに、「ひょうたん星」や「ソーン・ジトコフ天体」などの奇妙奇天烈な星も紹介する、一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年12月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み本文約約221頁に加え、あとがき2頁。9ポイント43字×16行×221頁=約152,048字、400字詰め原稿用紙で約381枚。文庫なら薄めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。まれに数式が出てくるけど、わからなければ読み飛ばしていい。本を読み慣れていれば、中学生でも読み通せるだろう。

【構成は?】

 原則として頭から読む構成だが、気になった所だけを拾い読みしても楽しめる。

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  • はじめに
  • 1章 あれも連星、これも連星
    連星とは「重心のまわりを公転しあう星」/連星をなす星は恒星である/全天でもっとも明るい星は連星だった!/連星には「主星」と「伴星」がある/2つの星の組み合わせはさまざま/北極星は3つの星が回り合っている!/3重連星も組み合わせはさまざま/4重連星、5重連星もある!/いったい何重連星まであるのか/多重連星は「階層構造」になっている
  • 2章 連星はどのようにしてできたのか
    一方から飛び出してできた?/分裂してできた?/捕獲されてできた?/星は生まれた時から連星だった/連星のできかた 1)円盤が分裂する/連星のできかた 2)分子雲コアが分裂する/「捕獲」でできることもある/太陽にもかつて「兄弟」はいた?/「蒸発」して逃げ出す星もある/相手をチェンジして「サバイバル」する星も!
  • 3章 なぜ連星だとわかるのか
    「二重星」は「たまたま」か「連星」か/二重星のほとんどは連星だった!/1つの星にしか見えない「食連星」/食連星の発見は「周期的な減光」から/光の波長を調べてわかる「分光連星」/実視連星・食連星・分光連星の関係
  • 4章 連星が教える「星のプロフィール」
    連星の「質量」を教えてくれる方程式/2つの星の「質量比」を知りたい!/質量比は公転速度の比率からわかる!/分光連星では「軌道傾斜角」がわからない/軌道傾斜は食連星からわかる!/アルゴルの2星の質量が求められた!/「質量光度関係」から単独星の質量もわかる/星の質量から「寿命」もわかる/「異常小質量短期連星」の発見
  • 5章 「新しい星」は連星が生む幻か
    突然、空に出現する「新星」/新星の正体は連星だった!/「星の死後の姿」白色矮星とは/白色矮星の表面で起こる新星爆発/「赤い新星」は2つの星の衝突で起こるのか/はぐれた星のミステリー
  • 6章 ブラックホールは連星が「発見」した
    ロケットで観測されたX線/X線源を探せ!/日本人が発見「さそり座X-1は星だった」/さそり座X-1は連星だった!/「超巨星」が「超新星爆発」を起こし「中性子性」ができる/はくちょう座X-1のX線源はブラックホールだった!/なぜブラックホールがX線源になるのか/ブラックホールは単独星では発見できなかった
  • 7章 連星が暗示する「謎のエネルギー」
    太陽の何億倍も明るく輝く超新星爆発/白色矮星が爆散する「Ⅰa型超新星」/なぜ宇宙が膨張しているとわかるのか/Ⅰa型超新星を使えば銀河までの距離がわかる/宇宙の膨張は加速していた!/膨張速度を加速させる「謎のエネルギー」
  • 8章 連星が解いた「天才科学者最後の宿題」
    重力波は「空間の伸び縮み」を光の速さで伝える/間接的な検出をもたらした連星/直接検出の気が遠くなる困難さ/初の重力波はブラックホール連星から届いた/「消えた質量」が重力波になった!/中性子星どうしの衝突では電磁波も出る/21世紀天体物理学の「勝利の日」/36億光年を飛んできた「高速電波バースト」/重力波がダークエネルギーも解明する
  • 9章 連星のユニークな素顔
    2つの星がくっついてしまった連星がある!/「ひょうたん星」がさらに進化すると?/星の中を星が回っている天体がある/ひょうたん星の表面は「ほくろ」だらけ/低温度の近接連星で起こる激しい磁場活動
  • 10章 連星も惑星を持つのか
    続々と見つかっている系外惑星/「連星の惑星」には2つのタイプがある/一人ぼっちで浮遊している惑星もある/「ハビタブル惑星」となるための複雑な要件/太陽系外にも見つかったハビタブル惑星/連星にもハビタブル惑星が見つかった/「プロキシマ・ケンタウリ」の衝撃/4重連星にもハビタブル惑星がありそうだ
  • 11章 連星は元素の合成工場だった
    最初に水素が、次にヘリウムができた/星の内部でつくられるのは鉄まで/超新星爆発でできる鉄より重い元素/超新星爆発は宇宙の物質を循環させている/中性子星どうしの合体でできる元素もある/キノロバが証明したプラチナや金の合成/「X線バースト」による元素合成/「理論上の天体」で予言される元素合成/ソーン・ジトコフ天体は存在するか
  • 12章 連星が終焉を迎えるシナリオ
    連星どうしの衝突・合体もある!/連星がなければ私たちは存在できなかった?/歴史はまったく違っていた/天文学者や物理学者が困る/連星がない宇宙はつまらない!
  • あとがき/さくいん

【感想は?】

 いきなり驚いた。連星は珍しくないのか。

 他星系が舞台のSFは多いが、連星系を描いた作品は少ない。色々と難しいんだろうなあ、と思いながら「10章 連星も惑星を持つのか」を覗く。惑星の公転軌道の中に連星がスッポリ入る場合もある。これなら昼夜や季節は地球と似てるな、と一安心。でも公転軌道の外に恒星があると、「明るい夜」と「暗い夜」があったりする。設定を考えるのが面倒臭そうだけど、面白そうでもある。

 SF者として気になるのが、有名な三体問題だ。三つ以上の天体は軌道が安定しない、というアレだ。でも読んでみて納得。別にラグランジュ・ポイントに落ち着く必要はないのだ。だって太陽系には惑星や衛星がうじゃうじゃあるけど、ほぼ安定してるよね。摂動はあるけど。

 やはりSF者としては、終盤に出てくる「ひょうたん星」や「ソーン・ジトコフ天体」が楽しい。ひょうたん星の惑星版は「ロシュワールド」の舞台になったし、「ソーン・ジトコフ天体」も「竜の卵」に…って、どっちもロバート・L・フォワードやんけ。

 同じくSF者として見逃せないのがガンマ線バースト。これもグレッグ・イーガンの「ディアスポラ」や三方行成の「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」が扱ってた。おいおい、ヤバくないか? と思ったが…

ガンマ線バーストは、非常に強いエネルギーを持つ電磁波であるガンマ線を放射する、宇宙最大の大爆発です。(略)1日に全天で1回程度の頻度で、突然に、短時間だけガンマ線が検出されるのです。短時間でも放出されるエネルギーは膨大で、観測できる範囲の宇宙の中にあるすべての星が出しているエネルギーの総量に匹敵します。
  ――8章 連星が解いた「天才科学者最後の宿題」

 案外としょっちゅう観測されているっぽい(→Wikipedia)。直撃されたり近くで起きない限り、大丈夫らしい、ひと安心。

 最近はあまり天文関係の本を読まなかったんで全く気がつかなかったが、最近になって話題になったダークエネルギーも、その出典は意外な事実だった。

1998年に2つの研究チームが発表した観測結果は、(略)宇宙は誕生してから約70憶年間は減速膨張をしていましたが、その後、膨張速度が少しづつ速くなる「加速膨張」に転じていたことがわかったのです。
  ――7章 連星が暗示する「謎のエネルギー」

 「宇宙の膨張が速くなってる、従来の理屈じゃ説明がつかない、何かエネルギーをひねり出さないと辻褄が合わない」ってんで引っ張り出されたのがダークエネルギー。辻褄合わせなんで、正体はわからない。いいのかそれで。

 などと、宇宙って遥か彼方の話だと思い込んでる読者の目を、一気に目の前に惹きつけるのが「11章 連星は元素の合成工場だった」。私たちのすぐそばにあるアップルパイや私たちの身体は、みんな元素から構成されている。その元素はどうやって出来たのかを語るのが、この章だ。いや最初はアップルパイなんだが、結局は中性子星だなんだとスケールのデカい話になっちゃうんだけどw いずれにせよ、そこそこ齢を経た宇宙に生まれてよかったなあ、などと思う章だ。

 などと安心ばかりもしてられない。最近の宇宙SFじゃ欠かせないガジェットの一つであるブラックホール、これも連星だから見つかったシロモノ。だって光すら出てこれないし。

もし単独星が、重力崩壊型超新星爆発で、あるいは直接的にブラックホールになっていたら、発見することはほぼ不可能です。
  ――6章 ブラックホールは連星が「発見」した

 そんなワケで、宇宙の隠れた岩礁みたいな場所は、やっぱりあるのだ。他にも黒色矮星なんてのもあって、これも怖い。

 などの怖い話や、奇想天外な星の話、7体もの恒星がある星系など、スペースオペラのネタは満載で、宇宙SFが好きな人には美味しい話が続々と出てくる。また、「なぜソレが分かったか」を明かすところでは、観測技術の進歩が科学に大きな影響を与えたのが見えてくる。これを巧みに描いたのがグレッグ・イーガンの「白熱光」で…って、結局SFかい。

 そういえば、「なろう」などのファンタジイの舞台じゃ月が二つ以上あったりするが、太陽が複数あるのはまず見ない。なんでだろう? と思ったが、太陽が複数あると日々の描写もSFっぽくなっちゃうから、かな?

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2022年1月16日 (日)

ジャンナ・レヴィン「重力波は歌う アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち」早川書房 田沢恭子・松井信彦訳

はくちょう座X-1からの光で骨格の(X線)写真を撮れる。
  ――8章 山頂へ

「(2015年)9月14日、二台のLIGO干渉計が二つの30太陽質量前後のブラックホールによるインスパイラルおよび合体と矛盾しない信号を記録しました」
  ――エピローグ

【どんな本?】

 2016年2月11日、物理学上の重大な発表があった。「2015年9月14日にアメリカの重力波観測施設LIGOが重力波を検出した」と。

 アインシュタインの一般相対性理論により、理論上は存在しうるとされていた重力波(→Wikipedia)だが、実際に観測されたのは初めてである。

 その重力波とは何か。どうやって調べるのか。重力波観測施設LIGOとは、どんな施設なのか。重力波の観測にはどんな者が関わり、どんな歴史を辿り、どんな形で運営されているのか。

 重力波およびその観測の歴史からLIGOの計画・建設そして運用に至るまで、関わった者たちのドラマを物理学者を中心に描く、現代のビッグ・サイエンスのドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BLACK HOLE BLUES : and Other Songs From Outer Space, by Janna Levin, 2016。日本語版は2016年6月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約256頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×19行×256頁=約218,880字、400字詰め原稿用紙で約548枚。文庫なら普通の厚さ。今はハヤカワ文庫NFから文庫版が出ている。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、重力波を「感じる」には、中学校卒業程度の理科の素養と、多少の想像力が要る。とまれ、内容の多くは人間ドラマなので、組織内で働いた経験があれば、理科が苦手でも大丈夫。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • 1章 ブラックホールの衝突
    天空の“音”を記録する試み
  • 2章 雑音のない音楽
    雑音のない音楽を求めて/ナチスを逃れ、ベルリンからニューヨークへ/シェラック盤の背景雑音はどうしたら消せるのか/時空の「録音装置」をつくる/恋に落ちて始めたピアノが人生を変えた/MIT20号棟の想い出/一般相対性理論を教えながら学ぶ/「物体間で光線を往復させて重力波を測定する」というアイデア/1.5mの「プロトタイプ」干渉計/結果を出さないリスクに耐える/立ち消えるプロジェクト/ドイツチームに水をあけられて
  • 3章 天の恵み
    70年代のボヘミアン/ジョン・ホイーラーとの出会い/ホイーラーと核兵器開発/核兵器の科学から出たブラックホール/相対論的天体物理学の黄金時代/とらえどころのない“重力波”に狙いを定める/重力波とは何か、本当に存在するのか?/ワイスとソーンの邂逅/ソヴィエトから来た男
  • 4章 カルチャーショック
    倹約を旨として/いつでも渦の中心にいる男/ヒューズ=ドレーヴァー実験で名を馳せる/「スズメの涙」ほどの予算で干渉計をつくり上げる/周囲を振り回す「科学のモーツァルト」/鬼のいぬ間の洗濯/好条件か、居心地のよさか/人間心理を読み違える
  • 5章 ジョセフ・ウェーバー
    「ニアミス」に翻弄され続けた先駆者/銀河系の中心に「音源」を発見せり/フリーマン・ダイソンの「重力装置」に勇気づけられる/雨後の筍のようにつくられ始めた「共鳴棒」/否定的な結果の蓄積/「偽りの信号」の烙印
  • 6章 プロトタイプ
    カルテクの<40メートル>に潜入/<40メートル>は誰のものか?/「干渉計」は誰のアイデアだったのか?/L字型をした「光の通路」
  • 7章 トロイカ
    「重力波探し」は終わったテーマではない!/その道は必ずや巨大プロジェクトに通じる/救世主、アイザックソン/「ブルーブック」提出される/7000万ドルのプロジェクト MITとカルテックの合同成る/ドレーヴァーとワイスのあいだの「緊張」/LIGOの誕生 奇妙な「トロイカ」の結成
  • 8章 山頂へ
    パルサーが発見されるまで/ブラックホールが実在することの裏付けとなる/なぜ「暗黒」に注目するのか?/成し遂げられた重力波の「間接的検出」
  • 9章 ウェーバーとトリンブル
    ウェーバー、ソーンに自分語りをする/「身を引け」と勧めたフリーマン・ダイソン/ウェーバーと連れ添った女性/ウェーバーとトリンブルのロマンス
  • 10章 LHO
    黒魔術の心得/世界最大の真空チャンバー/42kgの透明な鏡/虫の問題/ビームパイプを完全踏破する/エゴは棚上げだ/問題はトロイカによる管理体制にあり!?
  • 11章 スカンクワークス
    学務部長を解任された人物/ボイジャー・ミッションのリーダーの座を譲る/問題解決に秀で、問題を起こすことに長けた人物/ヴォートのLOGO計画書、国立科学財団を動かす/議会承認を目指す長い闘い/Observatoryという名称がよくない?/政治的な駆け引き/カルテクの実験家には寝耳に水の「LIGO始動」/権威嫌いの「スカンクワークス方式」/消えないナチスの影
  • 12章 賭け
    物理学者は賭けがお好き/日々高まっていった、「重力波あり」のオッズ/LIGO建設に見合う「確率」はどれくらいか/第一世代のLIGOがカバーする領域では足りない/最終的には「自然の恵み」待ち
  • 13章 藪の中
    LIGOグループに生じた亀裂/相反する証言/常軌を逸した規制を課せられて/ドレーヴァー外し/個人攻撃の犠牲者か、プロジェクトの障害か?/「黙ってろ」 財団の担当者を怒鳴りつける
  • 14章 LLO
    アメリカ南部の観測所/干渉計を口説く手管の持ち主/バス、ワニ、林業会社/撃ち込まれた銃弾/コーナーラボへ「這い出す」/第二世代統括責任者、バリー・バリッシュ/三億ドルの予算を得て、息吹き返したプロジェクト/キリスト教原理主義者との諍い/1000人以上からなる国際コラボレーションへ
  • 15章 フィゲロア通りの小さな洞窟
    <小さな阿洞窟>での一夜/科学者はクライミングウォールの取っ手や丸石のようなもの/現場のポスドクたちによる検出時期予想/基本法則との直接対話はいかにして行われるか/いかにして雑音の中から音を聴き分けるか/休む間もなく回り続けるローテーション
  • 16章 どちらが早いか
    ヴォートのその後/ワイス、修復したドレーヴァーを案じる/最初の科学運用での検出を目指して
  • エピローグ
    2015年9月に飛び込んできた“音”/「これは訓練じゃない」/デイヴィッド・ライツィーからの「極秘情報」/背中から下りたサル/ブラックホールは重力波の歌をうたう
  • 謝辞/LIGO科学コラボレーションおよびVIRGOコラボレーションのメンバー/訳者あとがき/情報源に関する注

【感想は?】

 なんと、重力波が「聞こえる」とは。知らなかったなあ。

 現代は嬉しい時代で、重力波が聞ける(→Youtube)。ピュイッって感じの、意外と澄んだ音だ。

 理屈は意外と簡単。二つのブラックホールが衝突する際、互いがグルグルと回転する。渦に巻き込まれる二つのボールや、二匹の犬が互いの尾に噛みつこうと争う様を思い浮かべよう。いや上の動画を見れば一発なんだけど。回転は次第に速くなり、最後に衝突する。

 ブラックホールなど巨大質量の物体は、空間を歪める。歪みの元凶となるブラックホールが激しく動くと、それにつられて歪みも動く。歪みの動きが円運動だと波=重力波として伝わり(ハモンドオルガンみたいな理屈かな?)、ヒトの鼓膜も重力波に従って動く。

『LIGOはピアノと同じ周波数域をカバーしている』
  ――2章 雑音のない音楽

 とはいえ、それまで重力波を聞いた人はいなかった。なぜって、とっても小さい音だからだ。

(ブラックホールの衝突で生じた)重力波が地球に届くころには、宇宙の響きは地球三個分ほどの長さが原子核一個分だけ変化するのに等しい、微小なものになっているはずだ。
  ――1章 ブラックホールの衝突

 そんな小さな音を調べようってんだから、大変な話だ。しかも、世界は雑音に満ちている。

雑音は予測されるどんな宇宙の音よりも10万倍、ともすると100万倍うるさかった。
  ――7章 トロイカ

 重力干渉計の原理はイラストで説明してて、確かに理屈はわかるのだ。でも、現実にそれがキチンと動くのかっつーと、やたら難しいのはスグに想像がつく。雑音もそうだし、機器の精度も桁違いのシロモノになる。

 だもんで、必要な予算も大変な額で。

2億ドルというのは国立科学財団が天文学に充てる年間予算の二倍に相当する
  ――11章 スカンクワークス

 この予算を取ってくるにも、相応の手腕が求められる。科学者だって、世俗の知恵が要求されるのだ。この予算獲得や組織運営のアレコレは、中盤以降で本書の大きな割合を占めてくる。

 しかも、それだけの予算を投じても、実際に重力波が検出できるか否かは物理学者の中でも意見が分かれている。求められる精度が桁違いな上に、相手が自然現象だ。タイミングよくブラックホール衝突が起きるかどうかも分からない。

検出器に(重力波が)ぶつかるときまで十分な音量を保てるのは、(ブラックホール衝突の)最終段階で放たれる重力波だけである。
  ――12章 賭け

 なにせ数十億年ある星の寿命の、最後の一瞬だけなのだ。なんちゅう無茶な、と思うが、そこは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式で。稀な現象もサンプルが充分に多ければ見つかるだろう、そういう理屈だ。

改良型LIGOは10億光年先までカバーして、私たちが数百万個の銀河に手を伸ばせる距離まで到達できるように設計されている。
  ――12章 賭け

 だというのに…

ジョセフ・ウェーバー「人が科学をやるなら、その理由はなんと言っても自分が楽しいからであって、楽しくないならやるべきでなく、私にとって科学は楽しいものです」
  ――9章 ウェーバーとトリンプル

 こういう事を平気で言っちゃうから科学者って奴はw いや科学者に限らず、学者って奴は多かれ少なかれ、そういうモンなんだろうなあ。

 つくづく、こういう前例のない計画にカネを出す合衆国政府の気前の良さが羨ましいと共に、科学における「最初」の価値もしみじみと分かってくる。やっぱり原爆の成功が大きかったのかなあ。

 何かと紛れ込んでくる雑音のネタも面白かったし、終盤で語られるLIGOで働く学者たちの暮らしも楽しい。こういう「科学の最先端で働く人たち」の意外性に満ちたドラマは、「命がけで南極に住んでみた」に似た三面記事的な味わいがある。

 科学というより、科学者やその環境を描く作品として楽しめた。知られざる職業・産業の内幕物が好きな人にお薦め。

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2021年11月11日 (木)

笠井献一「おしゃべりな糖 第三の生命暗号、糖鎖のはなし」岩波科学ライブラリー

「おしゃべりな糖」とは、情報をになう糖のことです。
  ――はじめに

【どんな本?】

 生物の体内では、常に様々な情報が行き来している。情報のメディアは主に三つだ。核酸、タンパク質、そして糖。核酸つまりDNAやRNAは、最近の新型コロナ禍でもニュースなどでよく取り上げられ、多くの人が知っている。タンパク質はホルモンやサイトカインなどがあり、これも病気などの記事で見かけることが多い。対して糖はせいぜい糖質制限ダイエットぐらいで、普通の人は「身体を動かすエネルギー源」「肥満の原因」ぐらいにしか考えていない。

 だが、近年の研究で、糖は体内の情報流通で多くの役割を担っていることが分かってきた。その働きやしくみは核酸ともタンパク質とも異なり、極めて多様かつ複雑だ。また筋ジストロフィーなどの病気にも糖が関わっている。

 ABO血液型など多くの場面で活躍・暗躍する糖鎖について研究者が基礎から最新の研究結果までを紹介する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年12月5日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約122頁。9.5ポイント41字×17行×122頁=約85,034字、400字詰め原稿用紙で約213枚。文庫なら薄い一冊分。

 文章はこなれている。著者曰く「高校の生物と化学の予備知識ぐらいで道をたどれるように書きました」。ということなので、普通科高校の生物と化学を修めた程度で読みこなせる…はず。正直言うと、私は少しシンドかった。化学が苦手なせいかも。だってレクチンとか耳慣れない言葉が続々と出てくるし。もっとも、たいていの専門用語にはちゃんと説明があるので、じっくり読めばちゃんと理解できる。

 あと、「はたらく細胞」は偉大。

【構成は?】

 基礎から積み上げていく構成なので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 1 おしゃべりな糖が命を支える
  • 2 糖鎖はどこで何をする?
  • 3 糖コードを読みとる 浮気なレクチンの秘密
  • 4 ミルクのオリゴ糖がきた道
  • 5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす
  • 6 糖コードと健康
  • おわりに

【感想は?】

 本書が扱う糖は、ショ糖(=砂糖)や果糖ではない。いやグルコース(ブドウ糖)はアチコチに出てくるんだけど。セルロース(植物の繊維)やキチン(蟹の甲羅)も含む、もちっと大きな分子だ。つかキチンって糖だったのか。

 ただし本書の主役は、セルロースでもキチンでもない。先の二つは構造材で、形を保つのが仕事だ。本書の主役は、情報を運ぶ糖であり、主にタンパク質と共に…というか、タンパク質の手先となって働く。

核酸とタンパク質、そしておしゃべりな糖の3つの生命暗号は、何が違うのでしょうか。(略)
核酸は遺伝情報の担当ですから、基本的に細胞の中で活動します。
一方、細胞の中・外ではたらくタンパク質や、細胞外ではたらく情報糖鎖は、主に細胞間のコミュニケーションを担っています。
  ――1 おしゃべりな糖が命を支える

 雰囲気、手先というよりタンパク質のアタッチメントというかタンパク質を修飾するというか。「はたらく細胞」で言えば、赤血球ちゃんの制服や白血球くんの帽子レーダーかな? 彼らはかなりの着道楽で…

細胞膜には、外の世界との窓口業務のために、少なくとも1000種類くらいの糖タンパク質が配備されています。(略)
膜の外側に露出した部分だけ糖鎖がつきます。
  ――2 糖鎖はどこで何をする?

 赤血球ちゃんも、実はアクセサリをジャラジャラつけてるのだ。

1個の赤血球に生えている糖鎖は、糖脂質と糖タンパク質を合わせて1憶本くらい。
  ――2 糖鎖はどこで何をする?

 ヤクザが見た目でわかるように、悪い奴も見た目である程度はわかったりする。そして、実際にそれが医術に応用されてたり。

「がん細胞である」ことをあらわす糖コードはあるのでしょうか。実は、少ないながらも、見つかっています。(略)
たとえば、肺がんなどのマーカーとして、「シリアルルイスx(SLX)」があります。
  ――2 糖鎖はどこで何をする?

 もちろん、タンパク質や細胞は、単なるオシャレで糖鎖を身に着けてるんじゃない。糖鎖が他の細胞やタンパク質にメッセージを送り、または受け取っているのだ。例えば…

細胞外に送り出された「隠れレクチン」タンパク質は、どこではたらくべきか教えられていません。一方、そのタンパク質を待ちうける細胞や組織は、看板(糖コード)を掲げます。そこでタンパク質は、血液や体液にのって移動する中で、自分の中のレクチン部分で糖コードを読んで、ここが赴任地だと判断するのです。
  ――3 糖コードを読みとる

 そんな糖鎖をつくるのは、もちろん細胞君だ。

糖鎖はどこでつくられるのでしょうか。(略)細胞質ではなくて、細胞内の隔離された区画(小胞体、ゴルジ体)の中でつくられるのです。
  ――5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす

 細胞を学んだ際にゴルジ体が出てきたけど、デカい割に何やってるのかわかんなかったけど、そんな仕事をしてたのね。このゴルジ体や小胞体も膜で覆われてるのも面白い。もっとも、この仕事はけっこう杜撰で…

細胞がつくるタンパク質のうちの3割くらいがフォールディング(折りたたんで三次元構造にする、→Wikipedia)に失敗するようです。
  ――5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす

 歩留まり7割かよ。ひでえ…と思ったが、失敗した分はちゃんと細胞内で回収し、再利用するのだ。というか、タンパク質の三次元構造って、今でも解析が難しいと言われてるけど、そもそも作るのが難しいのね。

 まあタンパク質までいかなくても、本書に出てくる糖からして構造がやたら複雑で、α結合とβ結合があったりするんで、化学式じゃ表現しきれなかったり。だから化学は難しい。

 そんな糖は、タンパク質とのチームで本領を発揮する。

タンパク質は均一な構造の、いわばクローンとしてつくられます。そして細胞内ではたらくタンパク質ならば、そのまま仕事につきます。
一方、細胞外ではたらくタンパク質は、(略)小胞体とゴルジ体を経由する間に多種多様な糖鎖をつけられるので、構造が完全に同じものなどほぼなくなってしまいます。
  ――5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす

 部屋の中じゃタンパク質は裸族で、お出かけのときだけ服=糖鎖を着るのだ。なんか親しみがわくなあ。そして着る服のコーディネートはバラエティに富んでて、それぞれ独特のファッション・センスで着飾っているのだ。なんちゅう二重人格。いや人間じゃないけど。

 とまれ、これぐらい複雑だと、バックドアから侵入する奴もいる。

病原体の多くが、私たちの細胞表面の糖鎖を狙って感染するのです。
  ――<6 糖コードと健康/p>

 今、流行ってる新型コロナウイルスも、これですね。本書じゃインフルエンザ・ウイルスを例に出してる。なお、このインフルエンザ・ウイルスを説明する部分、短いながらもインフルエンザ・ワクチンを創る難しさが少しだけわかるんで、本書のテーマとは関係ないながらも嬉しい拾い物だった。

 それはともかく、「新しいインフルエンザは中国で生まれる」って説がある。なぜか。中国では、ブタとアヒルを同時に飼っている場合が多いから。この説の理屈がわかった。

ブタの呼吸器の細胞表面には、3-シアル酸(カモの腸管の細胞に多い)と6-シアル酸(ヒトの呼吸器の上部に多い)の両方があります。だから鳥型ウイルス、ヒト型ウイルスのどちらにも感染できます。もし一つの細胞に両方が同時に侵入したら、両方のウイルスの遺伝子に由来する部品が混ざり合った雑種ウイルスができる可能性があります。
  ――6 糖コードと健康

 ブタは鳥のインフルエンザとヒトのインフルエンザの両方に罹る。だもんで、アヒルとブタをいっしょに飼ってると、ブタの中でアヒルの鳥インフルエンザとヒトのインフルエンザが混じり、鳥のインフルエンザがヒトに感染するよう変異しちゃうのだ。本書に出てくるのはメキシコの例だけど。

 糖鎖のバラエティの多さやその原理を説明しているあたりでは、超人物SFのネタがチラついたりして、とても楽しく読めた。新しい分野の本だけあって、「今はよくわかっていない」「これからの研究に期待」とか所もあるが、SF者にはむしろそういう所こそがご馳走だったり。最新科学のエキサイティングな現場を、わかりやすく親しみやすい文章で説明した本だ。SF者にお勧め。

 などと書いてて感じるんだが、つくづく「はたらく細胞」は偉大だ。

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2021年11月10日 (水)

菅沼悠介「地磁気逆転と『チバニアン』 地球の磁場は、なぜ逆転するのか」講談社ブルーバックス

本書では、チバニアンを通して初めて地磁気逆転の存在を知った方にも興味を持ってもらえるよう、地磁気と地磁気逆転の謎を中心に、最近の研究結果も踏まえてお話していきたいと思います。
  ――はじめに

じつは日本で売られている多くの方位磁石は、最初から北半球用に針の重さが調整されています。つまり、北向きに傾く方位磁石を調整するために、方位磁石の南側を少しだけ重くしてあるのです。
  ――第1章 磁石が指す先には

そもそも千葉県の房総半島は日本の火山灰研究の中心地
  ――第6章 地磁気逆転の謎は解けるのか

千葉セクションは気候変動の研究でもとても重要な地層なのです。(略)
千葉セクションは約80万~75万年前の氷期→間氷期→氷期の気候変動を記録した地層です。(略)
このときの間氷期は、ミランコビッチ理論(→Wikipedia)による太陽の放射エネルギー分配の変動パターンが、過去100万年間の中で現在我々が生きる間氷期にもっとも近いことです。
  ――第7章 地磁気逆転とチバニアン

【どんな本?】

 2020年1月17日、国際地質科学連合は「チバニアン(→Wikipedia)」を採用する。これは77万4千年前~12万9千年前を示す時代区分でああり、千葉県市原市養老川沿いにある地層群「千葉セクション(→Wikipedia)」に基づき名づけられた。

 当時はテレビのニュースも盛んに取り上げたので、「チバニアン」の名前を知っている人は多いだろう。だが、ソレが何を示すのか・なぜ話題になるのか・どんな特徴があるのか・なぜ選ばれたのか・何の役に立つのかなどを知る人は、どれだけいるだろうか?

 チバニアン申請の論文執筆責任者を務めた著者が、チバニアンを例にとり、磁気の記録から地球の過去を探る古地磁気学の歴史と研究内容を解説し、チバニアンおよび千葉セクションの意義と特徴を紹介する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年3月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み本文約238頁。9ポイント43字×16行×238頁=約163,744字、400字詰め原稿用紙で約410枚。文庫なら薄めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も比較的に分かりやすい。終盤になると著者の熱意が暴走して専門用語の連発になりやすい科学解説書だが、本書はゴールが「チバニアン」と決まっているためか、全体を通してペースが安定している。中学卒業程度の理科の素養があれば、充分に読みこなせるだろう。

【構成は?】

 原則として地質学の基礎から積み上げていく形なので、なるべく頭から読もう。

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  • はじめに
  • 第1章 磁石が指す先には 磁石と地磁気の発見
    磁石は真北を指さない?/磁石を発見した「羊飼いの男」/磁石の利用は「風水」から始まった/大航海時代の幕開け/ナビゲーションとして利用する/偏角と伏角/「地球は一つの大きな磁石である」/揺れ動く磁北/伊能忠敬はなぜ完璧な地位図を描けたのか?/オーロラが示した地磁気の変動
  • 第2章 地磁気の起源 なぜ地球には磁場が存在するのか
    地磁気を“視る”生物/ガウスが開発した「地磁気を測る」方法/ファラデーが確認した「見えない力」/きっかけは、東京で起きた地震だった/地震波から地球内部を探る/地磁気を発生させる「何か」/見えてきた地球の中身/地球ダイナモとはなにか/シミュレーションで見えた地磁気の姿/スーパーコンピュータでもわからないこと
  • 第3章 地磁気逆転の発見 世界の常識を覆した学説
    体内に磁石を持つ生物/地磁気研究の功労者、松山基範/溶岩に記録された地磁気を測る/地磁気は何度も逆転していた/地磁気逆転の発見者 ベルナール・ブルン/残留磁化とはなにか/磁気理論の確立 溶岩はなぜ地磁気を記録できるのか/「自己反転磁化」という不可解な現象/地心軸双極子仮説 地磁気極は北極と一致する/北極が移動したのか、大陸が移動したのか/「大陸移動説」の復活/海底に見つかった「縞模様」/すべての仮説を統合するモデルの登場/地磁気逆転の歴史の解明/地磁気逆転の実証からプレートテクトニクスへ
  • Column1 古地磁気からわかった日本列島の成り立ち
  • 第4章 変動する地磁気 逆転の「前兆」はつかめるか
    人工衛星が故障する「あるエリア」/地球の磁場がなくなる日/過去の変動を「観察」する方法/溶岩から地磁気の「強さ」を測る/海底堆積物はどうやって地磁気を記録する?/古地磁気強度の推定に残された課題/どれほどの頻度で逆転していたか/マントル対流が活発になると地磁気が逆転する?/地磁気の強さは、常に変化している/過去一万年間に、どのような変化があったか/地磁気エクスカーション/ネアンデルタール人の絶滅と地磁気の関係
  • Column2 地磁気はいつから存在するのか?
  • 第5章 宇宙からの手紙 それが、謎を解くヒントだった
    超新星爆発の「残骸」が教えてくれること/太陽風と地磁気のバリア/太陽磁場は11年に一度、逆転する/世界を大混乱させた、伝説の大洋イベント/宇宙からきた「手紙」を読み解く/ベリリウム10で地磁気強度を推定する/氷床に詰まっている過去の記録/「古地磁気学の未解決問題」とは/ミランコビッチ理論と氷期-間氷期サイクル/年代決定への利用と、そこで見つかった「問題点」/「堆積残留磁化の獲得深度問題」、解決か?/未解決問題を解くための“強力な武器”/長い間、謎が解かれなかった理由/深度に気づいた「不思議なデータ」が示していたこと
  • Column3 もしも地磁気がなかったら
  • 第6章 地磁気逆転の謎は解けるのか なぜ起きるのか、次はいつか
    極限環境の磁場/地磁気逆転のタイミング/ジルコンのウラン-鉛年代測定/ブレークスルーは千葉の地層から/地質年代の「目盛り」を統一する/地磁気逆転の全容 千葉セクションの研究からわかること/次の逆転はいつなのか?予知はできるのか?/逆転するとどうなるのか/地球の磁場は、なぜ逆転するのか?
  • Column4 考古地磁気学のススメ
  • 第7章 地磁気逆転とチバニアン その地層が、地球史に名を刻むまで
    常識を覆した「チバニアン」誕生/30年にもわたる挑戦だった/申請タスクチームの結成/そもそも、GSSPとは?/海底の地層が地上で見られる場所/奇跡的に条件がそろっていた「千葉セクション」/2度の審査延期と、悩まされた「ある問題」/そして、大一番に挑む/ポイントとなったのは「地磁気逆転記録の信頼性」/最大のピンチを乗り越えて/チバニアンの先には 地磁気逆転研究の未来
  • おわりに
  • 参考図書
  • 付録 古地磁気学・岩石磁気学が研究できる大学・機関
  • さくいん

【感想は?】

 チバニアンはあくまでも客引き文句だ。本書の面白さは、地質学そのものにある。

 著者の専門は古地磁気学で、本書も地磁気学が中心だ。だが、地質学の面白さは地磁気だけでなく、様々な研究が積み重なっていく所にある。この楽しさは、謎解きがテーマのミステリに近い。というか、科学ってミステリなんだな、が私の感想だ。

 改めて考えると、大陸移動説は実にイカれている。科学者が真面目に説かなければ、たいていの人は納得しないだろう。島が動くってだけでも信じられないのに、大陸が動く? アタマおかしいんじゃね? と、20世紀初頭の人々が決めつけるのも当たり前だろう。

 これに地磁気異常など科学上の「謎」が加わり、また磁気測定技術や放射年代測定技術などの新兵器が現れ、意外な所から新しい証拠が見つかり、イカれてると思われた大陸移動説そしてプレートテクトニクスへと結実していくあたりは、地質学の守備範囲の広さと人類の知識の進歩をまざまざと見せつけられ、とってもエキサイティングだ。

 中でも最も興奮したのが、「第5章 宇宙からの手紙」。なにせ、いきなり超新星爆発から話が始まる。超新星爆発で発生した高エネルギー粒子(おもに光速に近い陽子)が大気と衝突して原子核反応を起こし放射性同位体を作り出し云々。これに加え樹木の年輪を目印にすると太陽の活動や地磁気変動の手がかりになる…って、いきなり言われても話が飛び過ぎてわかんないよね。

 やはり宇宙が関わる話としては、人工衛星の故障が頻発する、いわば軌道上のサルガッソが地磁気を探る傍証となったり。つくづく地質学ってのは、何が何に関係してくるか見当もつかない世界だ。

 そういった多くの分野が関わる世界だけに、千葉セクションおよびチバニアンの申請の顛末を語る「第7章 地磁気逆転とチバニアン」も、様々な事情が関わってくる。ただし、某匿名掲示板で話題になった地元の人たちとの軋轢は、かなりボカしてるんで、あまし期待しないように。

 千葉セクションは、GSSP(Global Boundary Stratotype Selection and Point,国際境界模式層断面とポイント)の一つ。GSSPは時代を示すモノサシで、各時代に一カ所だけって事になってる。モノサシだから、正確に時代を測れなきゃいけない。てんで、幾つか基準がある。

  • 海底で堆積した地層である。
  • 今は地上に露出している。
  • 断層による変形や岩石の変質が少ない。
  • 化石や地磁気逆転の痕跡などが残っている。
  • 年代がハッキリわかる。

 まあ、この辺は、納得できるよね。他にも「国籍などを問わず誰でもアクセスできる」「研究の自由と地層の保存が確約されている」なんてのもあって、科学者の矜持みたいのを感じたり。

 加えて、千葉セクションには他にも便利な特徴がある。

 一般に GSSP は地中海沿岸が多い。対して千葉セクションは太平洋に面している。その太平洋の暖流の黒潮と寒流の親潮は、日本の太平洋側の沖でぶつかる。千葉セクションはそういう所で堆積したので、微化石を調べると、太平洋の潮流の変化を辿れるのだ。

 また、日本列島は南北に長く標高差も大きい。そのため植生も変化に富んでいる。だから花粉の化石を調べると、気候の変化が分かるのだ。花粉の化石ってあたりで、いかにも今世紀の科学って空気が漂ってると思うのは私だけだろうか。

 地磁気の発見、そしてその方向の変化が示す北極の移動から始まり、大西洋の縞模様や地震波、果ては超新星爆発から花粉化石まで、場所もスケールも縦横に変化しつつ地磁気の謎を追う壮大なミステリ。一見、地味に思える地質学だが、視野の広さと物語の意外性は興奮に満ちている。科学を、そして謎解きを愛するすべての人にお薦め。

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2021年8月29日 (日)

Martin Campbell-Kelly/William Aspray/Nathan Ensmenger/Jeffrey R.Yost「コンピューティング史 人間は情報をいかに取り扱ってきたか 原著第3版」共立出版 杉本舞監訳 喜多千草・宇田理訳

本書は19世紀から現代に至るコンピューティング史の通史を取り扱ったものである。
  ――解題と読書リスト

【どんな本?】

 本書はコンピュータの歴史を綴った本である。その構想・設計・開発・製造など理論や技術はもちろん、IBMなどIT関連企業の経営・販売も扱う。中でも最大の特徴は、使い道について詳しく述べている点だ。これは19世紀の紙と手計算による事務処理や航海年鑑から国勢調査などの大規模バッチ処理、航空機座席予約システムやATMなどのリアルタイム処理、ニミコンピュータからマイクロコンピュータそしてパーソナルコンピュータ、ARPAネットとパソコン通信からインターネットなどを経て現代のTwitterやFacebookなどのSNSまでを扱う。

 21世紀の今日では、日々の暮らしに欠かせない技術となったコンピュータ。それは何のために生まれ、どう成長し、どう使われ、どうやって私たちの暮らしに入り込んできたのか。

 技術より使い方と暮らしへの浸透を通して描く、少し変わったコンピュータの歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Computer : A History of the Information Machine, by Martin Campbell-Kelly/William Aspray/Nathan Ensmenger,/Jeffrey R.Yost, 2014。日本語版は2021年4月15日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約356頁に加え、杉本舞「解題と読書リスト」7頁。9ポイント36字×33行×356頁=約422,928字、400字詰め原稿用紙で約1,058枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 共立出版にしては文章はこなれている。ええ、「共立出版にしては」です。内容は初心者向けで、技術的に突っ込んだ話はほとんど出てこない。それだけに説明不足の感はあるが、いちいち説明していたらキリがないのも理解できる。詳しく知りたかったら巻末の「文献リスト」や「解題と読書リスト」から手繰ろう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

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  • 謝辞/第3版へのまえがき/序
  • 第1部 コンピュータ前史
  • 1 人間がコンピュータだったころ
  • 2 オフィスに事務機がやってくる
  • 3 バベッジの夢が現実に
  • 第2部 コンピュータの登場
  • 4 コンピュータという発明
  • 5 コンピュータがオフィスの主役に
  • 6 メインフレームの時代 IBMの季節
  • 第3部 日々進化するコンピューティング
  • 7 リアルタイム つむじ風のように速く
  • 8 コンピュータを支配するソフトウェア
  • 9 新しいコンピューティングの登場
  • 第4部 コンピュータの民主化
  • 10 パソコン時代の登場
  • 11 魅力拡がるコンピュータ
  • 12 インターネットの世界
  • 出展に関する注/文献リスト/解題と読書リスト 杉本舞/訳者あとがき/索引

【第1部 コンピュータ前史】

 本書は「コンピュータ史」ではない。「コンピューティング史」である。

 つまり着目点は「何に使うか」だ。これは最初の「1 人間がコンピュータだったころ」で実感できる。ここでは、計算機が登場する前の19世紀に、金融・事務・軍事・科学・技術などの分野で、紙と手計算でどのような処理がなされていたかを描く。

 最初に出てくるのは、ロンドンの銀行の手形交換所だ。A銀行がB銀行に払うカネと、B銀行がA銀行に払うカネは相殺して差額だけを動かせばいい。銀行が2行だけなら経路はA:Bの一本だが、3行だとA:B, A:C, B:C の3つになり、4行だと6つになる。銀行が増えるたび、経路は爆発的に膨れ上がってゆく。これをどう解決するのか、

 ここで登場するコンピュータの父ことチャールズ・バベッジ(→Wikipedia)が、モロにマッド・サイエンティストで面白い。

コンピュータという言葉は、(略)ヴィクトリア期や第二次世界大戦にさかのぼってみれば、(略)ある職業のことを意味していた。
  ――1 人間がコンピュータだったころ

 当時は天文学者用の星表や船乗用の航海年鑑などの数表は、人間が計算していた。バベッジはこれを機械でやろうと考え、かの有名な階差機関(difference engine、→Wikipedia)を思いつく。印刷時のミスを防ぐため活字を組む機構も備えている。原初のコンピュータはプリンタ付きなのだ。

 ところが階差機関の開発は長引き、その途中で汎用の計算機である解析機関(analytical engine、→Wikipedia)の発想に至る。その違いは何か、というと。

解析機関というアイデアは、階差機関で計算の結果をフィードバックさせれば人間の介入をなくせるのではないかとバベッジが考えている時に、着想したものであった。
  ――3 バベッジの夢が現実に

 今ならループとか再起とかの発想だね。それはいいが、肝心の航海年鑑をほったらかしたせいで、スポンサーから資金を打ち切られてしまう。手段のために目的を忘れる、マッド・サイエンティストの鑑ですw そこのプログラマ、ライブラリ作りに熱中してアプリケーションの開発を忘れるとかの経験ありませんか? コンピュータの父はハッカーの祖でもあるのだw

 などと19世紀のイギリスで潰えた事務の機械化の夢は、新大陸アメリカで芽を出す。1890年の国勢調査で使われたハーマン・ホレリス(→Wikipedia)のタービュレイティング・マシン(→Wikipedia)を皮切りに、機械が事務所へと侵入してゆく。その先兵となったのがタイプライター。

タイプライターはオフィス機器産業とそれに続くコンピュータ産業の三つの基本的特徴を拓いた(略)。製品の完成度と低コスト生産、製品を売る販売組織、そしてその技術を使えるように労働者を訓練する組織の三つである。
  ――2 オフィスに事務機がやってくる

 ここでは新し物好きなアメリカに対する保守的なイギリスへの皮肉がチラリ。それはともかく、タイプライターが流行った理由の一つが、手書きより読みやすいってのに冷や汗w 今も Microsoft Word を使う最大の理由は、手書きより綺麗だからだよね。

【第2部 コンピュータの登場】

 などと機械が事務室へ侵入するなか、第二次世界大戦がはじまり、まの有名なENIAC(→Wikipedia)とEDVAC(→Wikipedia)が登場する。今まで両者の違いがよく分かってなかったけど、その一つはプログラム内蔵か否か。ENIACは違うプログラムを走らせるたびに、いちいち配線を変えにゃならなかった。そりゃ面倒くさいよね。ならプログラムも覚えとけよ。ということで…

計算機の記憶装置は、プログラムの命令と、それが処理する数字の両方を保持するのに用いられる
  ――4 コンピュータという発明

 そういやシンセサイザーは音源やエフェクトの設定を記録&呼び出しの機能があるけど、ギターのエフェクターでそういう事ってできるの? いや私はフランジャ―しか持ってないからいいけどw

 まあいい。潤沢な軍の予算で開発した技術が、すぐ民間で活きるのがアメリカの強い点の一つ。そこに喰いつき、うまく活かしたのがビッグ・ブルーことIBM。その成長の原因はサポートにある。日本の自動車産業がアメリカ進出で成功したのも同じ理由だった。トヨタはIBMに学んだんだろうか。

IBMはサービス型企業としての評判が高かった。当初からトレーニングを重視しており、ユーザーのためのプログラミングコースを提供し、また現場に赴くエンジニアによるカスタマーサービスもほかのどの企業より優れていた。
  ――5 コンピュータがオフィスの主役に

 また、将来を見据えた販売戦略も巧かった。つまりプログラマを育てたのだ。

IBMは、650を6割引きで大学などの教育機関に設置した。そうすればコンピューティングの教育課程ができる(略)。この結果、IBM650に慣れ親しんだプログラマやコンピュータ科学者が輩出され、IBMを使いこなせる人々が産業界に大勢いるという状態ができあがった。
  ――5 コンピュータがオフィスの主役に

 これも1980年代~1990年代にアップルが真似して成功している。今だって医療とデザイン関係はMacユーザが多い。ほんと、IBMは販売戦略が巧みだ。もちろん、販売だけでなく、技術戦略でも賢い。巨人 System/360 である。

System/360はソフトウェア互換性のあるコンピュータという概念を軸に、この業界を劇的に作り変えてしまった。
  ――6 メインフレームの時代 IBMの季節

 それまでのコンピュータは、同じメーカーでも機種が違えばソフトウェアに互換性がなかった、つまりプログラムを書き直さなきゃならなかった。それじゃ機械を買い替えるたびに移植の手間と費用がかかる。そりゃ困るってんで、全機種でソフトウェアの互換性を保証した。今なら当たり前のようだが、当時としては画期的な事だったのだ。

 加えてこの章ではRPG(Report Program Generator、→Wikipedia)の話が印象に残る。RPGを一言で説明すると、バッチ処理版のExcelみたいなモン。てっきりCOBOLから派生したと思ってたんだが、実は生まれも育ちも全く別でIBMの純血だし、誕生も1959年と早い。そうだったのかあ。

【第3部 日々進化するコンピューティング】

 米国のコンピュータ史がENIACで始まったように、コンピュータ(というか先端技術)と軍の関わりは深い。が、やがて軍を離れ民間の営利企業が育ってゆく。この境目に当たるのが「7 リアルタイム つむじ風のように速く」だろう。

 ここでは航空機の操縦シミュレータ計画 WhirlWind(→Wikipedia)や防空システムSAGE(→Wikipedia)などの野心的な開発計画が軍の潤沢な予算を得て始まり、その過程で「プリント基板、コアメモリ、大容量記憶装置」などコンピュータの基礎技術が発展し、同時にソフトウェア開発者も育ってゆく物語で始まる。

 ここで育った技術と人は、さっそく民間で活きる。航空機座席予約システムSABRE(→Wikipedia)だ。とまれ、「プロジェクトの実現は10年がかり」というから、当時のシステム開発はそういうペースだったんだなあ。

 ここまでは「既存の需要にコンピュータを組み込む」または「コンピュータ屋が需要を掘り起こす」形だった。そこに、全く新しい利用者が現れる。スーパーマーケットだ。

スーパーマーケットの初期の最も重要なイノベーションは、販売員が商品を持ってくるのではなく、顧客が自分で動いて商品を手にすることで(すなわち、セルフサービスで)販売員の手間を削減したことだ。
  ――7 リアルタイム つむじ風のように速く

 安さがウリのスーパーは、なるたけコストを減らしたい。セルフサービスで店員の人件費は減らせたが、レジで長い行列ができてしまう。これを解決するため、小売り・製造・取引組合など関係する全業界を巻き込み開発したのが、バーコード&スキャナー。お陰でレジが速くなるだけでなく、店に置く商品の種類も爆発的に増え利ざやが大きくなる。

 それまでは既にある仕事の流れにコンピュータを組み込む形での利用だったのが、スーパーではコンピュータを使うことを前提として、業界全体の仕事の流れを変えたのだ。こういう革命的な事がやれるのも、アメリカの強みだよねえ。

 さて、先のSystem/360で出てきたように、コンピュータが増えるとソフトウェア開発の負荷・費用が問題として注目され、ソフトウェア危機が叫ばれ始める。EDSACの2進法からパッケージ・ソフトウェアの成立までを描く「8 コンピュータを支配するソフトウェア」は、プログラマにとって「あるある」の連続で実に楽しい。

 例えば悪名高いフローチャート。

フローチャートは産業界で働くエンジニアのあいだで1920年代に始められた。これを1950年代にコンピュータのプログラムに採り入れたのは、(化学エンジニアの経験があった)フォン・ノイマンである。
  ――8 コンピュータを支配するソフトウェア

 コンピュータ以前にフローチャートはあったのか。にしてもフォン・ノイマン、罪なことをしてくれたもんだ。何せ…

実は多くのプログラマは、理解力のない経営陣の気まぐれを満足させるためにしかフローチャートは役に立たないと感じていたのだ。
  ――8 コンピュータを支配するソフトウェア

 まあ、プログラマにとってフローチャートなんてそんなモンです。フローチャート用定規とかもあったなあ。

 ここでは2進数からニーモニックによるアセンブラ、サブルーチン、リンカ、COBOL・FORTRANなどコンパイラ、構造化設計技法、ソフトウェア・ハウスやパッケージ・ソフトウェアなど、現代のIT産業が立ち上がる姿が早送りで映し出され、とっても楽しい。

 ちなみにパッケージ・ソフトウェア、ここもアメリカらしいと思うのが、業務に合わせてパッケージを開発するより、パッケージに合わせて仕事の流れを変える企業が多かったって点。日本と逆だよね。何が違うんだろ?

 これらは大型汎用機のバッチ処理の話だが、現代のパソコン時代へ一歩近づくのがタイムシェアリング・システム。大型機を多人数で同時に使う、そういう考え方。この発想、消えたように思えるけど、実はクラウド・コンピューティングなどで生き延びてたりする。まあいい。ここではMulticsの失敗からUnixの誕生、そして半導体を使ったミニコンピュータへと続く。ケンとデニスの理想は、インターネットによってさらに飛躍したが…

ケン・トンプソン&デニス・リッチー「私たちが残そうとしたのは、プログラミング環境だけではなく、そのまわりに仲間が集えるような環境全体だった」
  ――9 新しいコンピューティングの登場

【第4部 コンピュータの民主化】

 今までのコンピュータは政府機関や大学、そして企業のオフィスにある物だった。これが家庭に入り込む様子を描くのが第4部。

 「10 パソコン時代の登場」は、意外なことにラジオ放送の歴史から始まる。ラジオ放送局が開設する前から、趣味で無線をイジる人はいた。70年代ごろまでの秋葉原にタムロしてたタイプの人たちだ。彼らが最初にラジオのリスナーになったのだ。そんな無線愛好家と層がカブってる、電子工作の愛好家もいた。とまれ…

ホビイスト以外の人にとっては、自分のコンピュータを欲しがる人がいること自体、不可解極まりないことだった。
  ――10 パソコン時代の登場

 はい、世間には理解されませんでしたw 

 そんな中からビル・ゲイツ&ポール・アレンのマイクロソフト、スティーヴン・ウォズニアック&スティーブ・ジョブズのアップルなどが芽をだし、巨像IBMまで参入してきて互換機市場を作り出す。IBMのロゴがついてりゃ法人ユーザで買いやすいなんてのは、ちょっと笑ってしまった。そりゃヒッピー崩れが売ってたんじゃ稟議を通りにくいよねw

 そういや「安いPCが欲しけりゃ自作」って時代もあったなあ。今の自作派はハイエンド志向みたいだけど。にしても、技術の進歩って、こういう「趣味の人」の充実も大事なんだね。これもまた自由主義の強さの一つ。

 「10 パソコン時代の登場」が8bit機の時代だとすれば、続く「11 魅力拡がるコンピュータ」は16bit機の時代だろうか。同時に、それまでのコマンドライン方式からマウスとGUIへの移行に伴い、ヲタクから非ヲタクへと市場が広がってゆく時代でもある。となると、大事なのは広告や流通。

マーケティングコストは、実にソフトウェア本体の開発費の2倍に及んだ。
  ――11 魅力拡がるコンピュータ

 広告費ゼロのガンパレは、やっぱり掟破りだったんだなあ←しつこい ここではOS/2(→Wikipedia),CAPTAIN(→Wikipedia),CompuServe(→Wikipedia)なんて懐かしい名前も。

 CompuServeの当初の目的はTSSが空く夜の時間を埋めるためってのは賢さに舌を巻いた。けどIT業界がCD-ROMの市場として最初に目をつけたのが百科事典ってのは、賢い人の盲点だよね。ええ、もちろん、キラーコンテンツはゲームとエロでした。わはは。

 そして最後の「12 インターネットの世界」では、インターネットからWWWそしてSNSへと話が進む。

 インターネットの前身ARPAネットから現在のTCP/IPベースであるインターネットへの技術的な進歩は詳しい人には興味深いだろう。それ以上に、そこで人気の出た使い方が、技術屋とそれ以外の感覚の違いが見えて楽しい。まず流行ったのが…

ユーザを引き付けたのは、電子メールを通じてコミュニケーションできるということだった。
  ――12 インターネットの世界

 電子メールだ。開発者曰く、「初めは誰もそれがこんなに大当たりすることになるとは思っていなかった」。賢い人ってのは、人が持つコミュニケーションへの欲求を見過ごすんだよね。

 ここでもUsenet,apache,Mosaic,Netscapeなどの懐かしい名前の後、Yahoo!,Google,Amazom,iPhone,Wikipedia,Facebook,Twitterなど現役でお馴染みの名前も。とまれ、NokiaやBlackBerryやPalmOSとかの名前には、この世界の時の流れの速さに唖然としてしまう。

【終わりに】

 共立出版で横組みだから、小難しい印象を抱くだろう。実際、文章もやや堅いし。だが内容は、むしろ「史記列伝」や「三国志演義」のような、乱世を駆ける英雄たちの栄枯盛衰・群雄割拠の物語に近い。

 スマートフォンとインターネットは、世界を制覇した。それが生まれるには、様々な組織や文化が必要だった。

 階差機関やENIACやARPAネットには政府や軍の支援が。
堅牢な大型コンピュータにはIBMやアメリカン航空のような大企業が。
バーコードには小売りから製造までの企業連合が。
ARPAネットから企業を問わぬインターネットへの進化には、それぞれが自治権と独自文化を持つ大学と、逆説的だが互換性のない多くのコンピュータ企業が。
コンピュータの小型化には電子工作に没頭するヲタクが。
そしてパソコンの普及には山師じみた野心を抱える有象無象の小さな起業家たちが。

 確かにIT技術者なら、この本を楽しく読める。だがそれ以上に、日本の科学・技術の凋落がいわれる昨今、技術立国日本の再生に何が必要なのかを考える人にこそ、熱く訴えるものを本書は秘めている。

【関連記事】

【今日の一曲】

Typewriter - La máquina de escribir. L. Anderson. Dir: Miguel Roa. Typewriter: Alfredo Anaya

 コンピューティング前史に出てくるタイプライターだって、楽器になります。ということで、有名なルロイ・アンダーソンの TypeWriter を。タイプライター奏者のアクションに注目。お堅くて高尚な印象の強いオーケストラだけど、音楽って本来はこういう楽しいものだよね。

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2021年8月 4日 (水)

新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」東洋経済新報社

私たちの日常で、大変な事が起ころうとしています。
  ――第1章 MARCHに合格 AIはライバル AIが仕事を奪う

論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。
  ――第2章 桜散る シンギュラリティはSF 意味を理解しないAI

日本の中高生の読解力は危機的と言ってよい状況にあります。その多くは中学校の教科書の記述を正確に読み取ることができません。
  ――第3章 教科書が読めない 全国読解力調査 人間は「AIにできない仕事」ができるか?

【どんな本?】

 2011年より、著者は人工知能の開発に挑む。名づけて「ロボットは東大に入れるか」、俗称「東ロボ」(→プロジェクトホーム)。目的はコンピューター・プログラムで大学入試問題を解くこと、目標は東京大学に合格できる成績をあげること。

 さすがに東大合格ラインには届かなかったが、いわゆるMARCH(明治・青山・立教・中央・法政)の一部の学部には届いた。偏差値は57.1.少なくとも半数以上の受験生より優れた成績を残した。

 東ロボの思考法は人間と全く違う。そもそも東ロボは問題の意味をわかっていない。にもかかわらず、平均以上の成績を取れたのである。

 これに著者は危機感を抱く。問題の意味すら分からぬコンピューターが、並みの受験生より成績が良かった。では、東ロボ未満の成績しか取れぬ受験生は、どうなのか。そもそも、問題文の意味すら分かっていないのではないか。

 この仮説を確かめるため、著者は読解力を調べるRST(リーディングスキルテスト)を作り、中学生と高校生に受けてもらう。結果は仮説の支持するものだった。すなわち、中高生の多くは、文章の意味が分かっていない。

 コンピューター・プログラムとは何か。AIとは何を示し、どんな研究をされてきたのか。何ができて、何ができないのか。東ロボは、どんな手法を使っているのか。それは他のAIとどう違うのか。今後、AIは人間の社会をどう変えるのか。そして、これらの問題と、読解力にどんな関係があるのか。

 AIの基礎から現代日本の教育が抱える根本的な問題点、そして来る社会の大変革を語る、エキサイティングな科学・技術解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年2月15日第1刷発行。私が読んだのは2018年4月27日発行の第8刷。爆発的な売れ行きだなあ。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約275頁。9.5ポイント40字×16行×275頁=約176,000字、400字詰め原稿用紙で約440枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容は…プログラミングの経験者にはやたらわかりやすいんだが、経験のない人には数学とAIの関係が分かりにくいかも。数学→プログラム→AIが、なぜ・どうつながるか、その辺の説明が極めてかいつまんでいるので、人によってはピンとこないかも。特に最近のコンピューターはIMEやGoogleがやたら賢くなってるんで、仕組みが分かりにくいんだよなあ。

【構成は?】

 第1章と第2章はコンピューター&AIや東ロボの歴史と仕組み、第3章は日本人の読解力の現状、第4章は将来の話となる。第2章以降は前の章の知識を基礎としているので、素直に頭から読んだ方がいい。いや自分でディープラーニングのライブラリを使ってAIを作れるぐらい詳しいなら話は別だけど。

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  • はじめに
  • 第1章 MARCHに合格 AIはライバル
  • AIとシンギュラリティ
    AIはまだ存在しない/シンギュラリティとは
  • 偏差値57.1
    東大合格ではありません 「東大ロボくん」/プロジェクトの狙い/東大ロボくんがMARCHに合格したらどうなるか
  • AI進化の歴史
    伝説のワークショップ/エキスパートシステム/機械学習/ディープラーニング/強化学習
  • YOLOの衝撃 画像認識の最先端
    東大ロボくんのTEDデビュー/リアルタイム物体検出システム/物体検出システムの仕組み/AIが目を持った?
  • ワトソンの活躍
    クイズ王を打倒/コールセンターに導入
  • 東大ロボくんの戦略
    延べ100人の研究者が結集/世界史攻略/論理で数学を攻略
  • AIが仕事を奪う
    消える放射線画像診断医/新技術が人々の仕事を奪ってきた歴史/もう「倍返し」はできない/全雇用者の半数が仕事を失う
  • 第2章 桜散る シンギュラリティはSF
  • 読解力と常識の壁 詰めこみ教育の失敗
    東大不合格/東ロボくんにスパコンは要らない/ビッグデータ幻想/日米の認識の差/英語攻略は茨の道/200点満点で120点を目標に英語チーム結成/常識の壁/150億文を暗記させる
  • 意味を理解しないAI
    コンピューターは計算機/数学の歴史/論理と確率・統計
  • Siri(シリ)は賢者か?
    近くにあるまずいイタリア料理店/論理では攻略できない自然言語処理/統計と確率なら案外当たる
  • 奇妙なピアノ曲
    確率過程/自動作曲/とりあえず、無視する/「意味」は観測不能/やっぱり、私は福島にならない
  • 機械翻訳
    やふーほんやく⇒×/私は先週、山口と広島に行った。/オリンピックまでに多言語音声翻訳は完成するか/画像処理の陥奔
  • シンギュラリティは到来しない
    AIはロマンではない/科学の限界に謙虚であること/論理、確立、統計に還元できない意味
  • 第3章 教科書が読めない 全国読解力調査
  • 人間は「AIにできない仕事」ができるか?
    問われるコミュニケーション能力/日本人だけじゃない
  • 数学ができないのか、問題文を理解していないのか? 大学生数学基礎調査
    会話が成り立たない
  • 全国2万5000人の基礎読解力を調査
    本気で調べる/東ロボくんの勉強をもとに、リーディングスキルを開発/例題紹介
  • 3人に1人が、簡単な文章が読めない
    アレキサンドラの愛称は?/同義文判定ができない/AIと同じ間違いをする人間/ランダム率
  • 偏差値と読解力
    基礎的読解力は人生を左右する/何が理解力を決定するのか/教科書を読めるようにする教育を/AIに代替される能力/求められるのは意味を理解する人材/アクティブ・ラーニングは絵に描いた餅/「悪は熱いうちに打て」/現場の先生たちの危機感/処方箋は簡単ではない/AIに国語の記述式問題の自動採点はできない/いくつになっても、読解力は養える
  • 第4章 最悪のシナリオ
  • AIに分断されるホワイトカラー
    同志て三角関数を勉強しなきゃいけないの?/AIで代替できる人材を養成してきた教育/AI導入家庭で分断されるホワイトカラー
  • 企業が消えていく
    ショールーミング現象/AI導入で淘汰される企業
  • そして、AI世界恐慌がやってくる
    AIにできない仕事ができる人間がいない/私の未来予想図/一筋の光明
  • おわりに

【感想は?】

 これは意外な掘り出し物。

 世間で話題になったのは第3章、中高生の読解力を憂いた所だ。でも、実はAIというかディープ・ラーニングの優れた入門書でもある。ソコを説くのが、第1章と第2章。

 第1章では伝説のダートマス会議(→Wikipedia)とフレーム問題(→Wikipedia)による挫折、エキスパート・システムと知識表現による挫折、現代のディープラーニングによるAI、そして東ロボの概要へと続く。

 こうやって見ると、AIの歴史って挫折ばっかりだなw なお東ロボ、実は中の人が3人いるというか、三重人格だったり。教科ごとにプログラムが違うのだ。世界史はIBMのワトソン型(→Wikipedia)、数学は由緒正しい論理型、英語は強化学習型。なんかズルくね?

 とか言いつつ、私には東ロボ開発秘話の第2章がやたら面白かった。例えば、いきなりコレだ。

「そこそこのサーバーを使って5分で解けない問題は、スパコンを使っても、地球滅亡の日まで解けない」
  ――第2章 桜散る シンギュラリティはSF 読解力と常識の壁 詰めこみ教育の失敗

 漫画などで、スーパーコンピューターを使えば、どんな難問でも解けるかのように描かれることがある。でも、それは間違いだ。どんな問題でも、それを解くにはソフトウェア=プログラムが要る。そして、プログラムが作れない問題もあるのだ。とりあえず今のところは。

 この手の勘ちがいは漫画家だけでなく、有名なSF作家もしでかしている。かのR・A・ハインラインの傑作で映画にもなった「夏への扉」には、文化女中器が出てくる。家事ロボットだ。当時は弾道計算より家事の方が自動化しやすいと思われたのだ。だが、現実の21世紀、チェスの王者には勝てても炊事・洗濯・掃除は自動化できていない。

私たち人間が「単純だ」と思っている行動は、ロボットにとっては単純どころか、非常に複雑なのです。
  ――第2章 桜散る シンギュラリティはSF 読解力と常識の壁 詰めこみ教育の失敗

 何が自動化できて、何ができないか。これはヒトの直感と全く異なるのだ。これを見事に物語る、東ロボの英語対策の失敗は、世のプログラマなら身につまされるだろう。「こんなのフェアじゃありません」には腹を抱えて笑ってしまった。そこのプログラマ、きっとあなたにも身に覚えがあるはず。ここで得た教訓は…

英語チームが経験したような「失敗」は論文に掲載されることはありません。(略)
取り上げられるのは、ディープラーニングがうまくいったときだけです。(略)
どれだけ投資してもディープラーニングはうまくいかない、という情報こそが今まさに喉から手が出るほど必要なのではありませんか。
  ――第2章 桜散る シンギュラリティはSF 読解力と常識の壁 詰めこみ教育の失敗

 だよねー。世界中のバグのデータベースとかあれば、きっと面白いだろうなあ。

 総括として、現在のAIは…

AIには、意味を理解できる仕組みが入っているわけではなくて、あくまでも、「あたかも意味を理解しているようなふり」をしているのです。
  ――第2章 桜散る シンギュラリティはSF 意味を理解しないAI

現在の情報検索や自然言語処理は、基本的に論理で処理させることは当面諦めて、統計と確率の手法でAIに言語を学習させようとしています。
  ――第2章 桜散る シンギュラリティはSF Siri(シリ)は賢者か?

 要は機械に条件反射を仕込んでるんだな。ただし、コンピューターはすさまじく物覚えが悪い。犬やモルモットはせいぜい百~千回ぐらいで覚えるのに対し、コンピューターは百万とか億とかの回数を繰り返さなきゃいけない。そのかわり疲れたり飽きたりしないのがコンピューターのいい所なんだけど。

 だもんで、今のAI(というかディープラーニングや強化学習)は、既にある仕事を自動化・高速化するだけで、何か新しいモノを生み出すワケじゃない。

AIは自ら新しいものは生み出しません。単にコストを減らすのです。
  ――第4章 最悪のシナリオ 企業が消えていく

 もっとも、コストを減らすワケで、そのせいで仕事をAIに奪われる人が沢山でてくるぞ、と著者は警告している。正直、この辺、私は騒ぎ過ぎって気もする。だって Excel で算盤の技能は無用になったけど、事務の仕事は増えてるし。あなた、どう思います?

 もっとも、電子メールのお陰で読み書きの機会は増えた。ここで問題の第3章、読解力だ。問題が解けないんじゃない。そもそも問題の意味が分かってないんじゃないか、そういう危惧である。この本じゃ中高生を槍玉にあげてるけど、元中高生すなわち大人だって同じなのだ。 Twitter では有名人が頻繁にイチャモンをつけられているが、イチャモンの大半は元の文の意味が分かってなかったりする。

 そういう人の多くは、「文章」を読んでない。文の中の目立つキーワードを拾い、連想で意味を創り上げてる。困ったモンだが、じゃどうすりゃ読解力がつくのか、というと。

 「まず読書だろ」と考えがちだが、そうでもないのが意外だった。

読書の好き嫌い、科目の得意不得意、1日のスマートフォンの利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎尾的読解力には相関はない
  ――第3章 教科書が読めない 全国読解力調査 偏差値と読解力

 本好きか否か、どれだけ本を読んでいるか、どんな本を読んでいるかは、関係ないのだ。少なくとも、自己申告で調べた限りでは。

 じゃお手上げかというと、これまたそうでもない。詳しくは戸田市の教育関係者に聴こう。

 とか書いてきたけど、最近の政治家の言動を見ると、むしろ質問の意図を理解しない能力こそが出世の秘訣と思いたくなるから、なんともはや。

【関連記事】

【今日の一曲】

Suddenly the Rain - Simon Says

 どうにも後味の悪い終わり方なんで、口直しに。スウェーデンの人だそうで、楽器や音創りは今世紀風なんだけど、曲作りは70年代~80年代の YES や Genesis 風という、時代錯誤感がたまらんです。

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2021年7月21日 (水)

ミチオ・カク「人類、宇宙に住む 実現への3つのステップ」NHK出版 斉藤隆央訳

科学は繁栄のためのエンジンなので、科学や技術に背を向ける国家はいずれきりもみ降下に入るのである。
  ――第1章 打ち上げを前にして

【どんな本?】

 地上は不安定だ。大雨が降れば山が崩れ、洪水で押し流される。地震が起きれば建物はもちろん橋や道路も通れなくなる。大きな火山が噴火すれば気候もガラリと変わる。地球は何度も氷河期と間氷期のサイクルを繰り返してきた。このまま地球に住み続ければ、やがて人類は絶滅するだろう。

 これを避けるには、宇宙に飛び出すしかない。だが、どうやって?

 最初は、太陽系内の他の天体に足掛かりを作るだろう。では、どの天体に、どんな方法で、何を求めて進出するのか。その次のステップは、他の恒星系だ。そうなると、必要な技術も資材も時間も桁違いに増えてくる。では、どんな障害があって、どんな解決策があるのか。移住先となる天体はあり得るのか。

 理論物理学者であり、市民向けの著作も多いミチオ・カクが、自らの知見はもちろん広い人脈を駆使し、様々な人類の宇宙進出のアイデアとシナリオ、そして未来像を描き出す、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Future of Humanity : Terraforming Mars, Interstellar Travel, Immortality, and Our Destiny Beyond Earth, by Michio Kaku, 2018。日本語版は2019年4月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約405頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント43字×18行×405頁=約311,922字、400字詰め原稿用紙で約780枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。なんたって、科学の本なのに数式も化学式も出てこない。理科が好きなら中学生でも楽しんで読みこなせる。

【構成は?】

 現代から遠未来へと進んでゆく形だが、美味しそうな所をつまみ食いしても構わない。

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  • プロローグ
  • はじめに 多惑星種族へ向けて
    宇宙に新しい惑星を探す/宇宙探査の新たな黄金時代/テクノロジー革新の波
  • 第Ⅰ部 地球を離れる
  • 第1章 打ち上げを前にして
    ツィオルコフスキー 孤独なビジョナリー/ロバート・ゴダード ロケット工学の父/嘲笑われて/戦争のためか平和利用か/V2ロケット、上がる/戦争の恐怖/ロケット工学と超大国の競争/スプートニクの時代/宇宙で取り残されて
  • 第2章 宇宙旅行の新たな黄金時代
    再び月へ/月を目指す/恒久的な月基地/月に住む/月出の娯楽や気晴らし/月は何から生まれたのか?/月面を歩く
  • 第3章 宇宙で採掘する
    小惑星帯の起源/小惑星で採掘する/小惑星の探査
  • 第4章 絶対に火星へ!
    火星を目指す新たな宇宙レース/宇宙旅行は休日のピクニックではない/火星へ行く/初の火星旅行
  • 第5章 火星 エデンの惑星
    火星に住む/火星のスポーツ/火星の観光/火星 エデンの園/火星をテラフォーミングする/火星の温暖化を始動させる/臨界点に達する/テラフォーミングは持続するのか?/火星の海に起きたこと
  • 第6章 巨大ガス惑星、彗星、さらにその先
    巨大ガス惑星/巨大ガス惑星の衛星/エウロパ・クリッパー/土星の環/タイタンに住む?/彗星とオールトの雲
  • 第Ⅱ部 星々への旅
  • 第7章 宇宙のロボット
    AI 未熟な科学/次の段階 真のオートマトン/AIの歴史/DARPAチャレンジ/学習する機械/自己複製するロボット/宇宙で自己複製するロボット/自我をもつロボット/最善のシナリオと最悪のシナリオ/意識の時空理論/自我をもつ機械を作る?/ロボットはなぜ暴走するのか?/量子コンピュータ/量子コンピュータができていないのはなぜか?/遠い未来のロボット
  • 第8章 スターシップを作る
    レーザー帆の問題/ライトセイル/イオンエンジン/100年スターシップ/原子力ロケット/原子力ロケットの欠点/核融合ロケット/反物質スターシップ/核融合ラムジェットスターシップ/スターシップが抱える問題/宇宙へのエレベーター/ワープドライブ/ワームホール/アルクビエレ・ドライブ/カシミール効果と負のエネルギー
  • 第9章 ケプラーと惑星の世界
    われわれの太陽系は平均的なものなのか?/系外惑星を見つける方法/ケプラーの観測結果/地球サイズの惑星/一つの恒星を七つの地球サイズの惑星がめぐる/地球の双子?/浮遊惑星/型破りの惑星/銀河系の統計調査
  • 第Ⅲ部 宇宙の生命
  • 第10章 不死
    世代間宇宙船/現代科学と仮死状態/クローンを送り込む/不死を求めて/老化の遺伝的要因/論議を呼ぶ老化理論/不死に対する異なる見方/人口爆発/デジタルな不死/心をデジタル化するふたつの方法/魂は情報にすぎないのか?
  • 第11章 トランスヒューマニズムとテクノロジー
    怪力/自分を強化する/心の力/飛行の未来/CRISPR革命/トランスヒューマニズムの倫理/ポストヒューマンの未来?/穴居人の原理/決めるのはだれか?
  • 第12章 地球外生命探査
    SETI/ファーストコンタクト/どんな姿をしているか?/地球上の知能の進化/『スターメイカー』のエイリアン/ヒトの知能/異なる惑星での発展/エイリアンのテクノロジーを阻む自然の障害/フェルミのパラドックス みんなどこにいるんだ?/われわれはエイリアンにとって邪魔なのか?
  • 第13章 先進文明
    カルダシェフによる文明の尺度/タイプ0からタイプ1への移行/地球温暖化と生物テロ/タイプ1文明のエネルギー/タイプ2への移行/タイプ2文明を冷やす/人類は枝分かれするのか?/共通の本質的な価値観/タイプ3文明への移行/レーザーポーティングで星々へ/ワームホールとプランクエネルギー/LHCを超える/小惑星帯の加速器/量子のあいまいさ/ひも理論/対称性の力/ひも理論への批判/超空間に住む/ダークマターとひも/ひも理論とワームホール/大移住が終わる?
  • 第14章 宇宙を出る
    ビッグクランチ、ビッグフリーズ、ビッグリップ/火か氷か?/ダークエネルギー/黙示録からの脱出/タイプ4文明になる/インフレーション/涅槃/スターメイカー/最後の質問
  • 謝辞/訳者あとがき/原注/推薦図書/索引

【第1部】

 最新の科学と工学の美味しい所を集めて食べやすく料理した、SFマニアに最高の御馳走。なんたって、全体を貫くテーマはオラフ・ステープルドンの「スターメイカー」だ。

 「第Ⅰ部 地球を離れる」は、現代の天文学で分かっている太陽系の姿と、今のロケット工学の現状だ。ここではSF的な飛躍は少ない代わりに、リアルなSFを書くためのお役立ち知識がギッシリ詰まってる。

 例えば、人類の宇宙進出を阻む障害だ。これは身も蓋もない。カネだ。宇宙に出るには、とんんでもなくカネがかかるのだ。

1ポンド(約450グラム)の物を地球の定位軌道に投入するには、1万ドルかかる。(略)
月に何かを運ぶとしたら、1ポンドあたり優に10万ドルを超える。
さらに、火星へ物を運ぶのに必要なコストは1ポンドあたり100万ドルを超える。
  ――1章 打ち上げを前にして

 近未来の宇宙SFを書くなら、この費用を減らすか、または近隣の天体に行くことで相応の稼ぎが見込めることを示さなきゃいけない。もちろん、本書内でそういう検討もしている。最近の中国が宇宙開発に熱心な理由も、その辺にあるのかな、と思ったり。

 また、ちょっとした太陽系マメ知識も嬉しい。

知られているすべての小惑星の質量を足し合わせても、月の質量の4%にしかならない。
  ――第3章 宇宙で採掘する

 と、小惑星帯たって、意外と質量は小さかったり。第五惑星じゃなかったのか。

 他にも、環の話。土星の環は有名だ。木星に環があるのも知っていたが、天王星と海王星にも環があるのは知らなかった。つまりは巨大ガス惑星には環があるのだ。

土星だけでなくほかの巨大ガス惑星の環も調べると、どれもほぼ必ずその惑星のロッシュ限界の内側にあることがわかる。
巨大ガス惑星を周回している衛星はすべて、それぞれの惑星のロッシュ限界の外側にある。
この証拠は、衛星が土星に近づきすぎてバラバラになった結果、土星の輪ができたという説を、完全にではないが裏付けている。
  ――第6章 巨大ガス惑星、彗星、さらにその先

 また、キム・スタンリー・ロビンスンの「ブルー・マーズ」では、火星が海の星になっている。私は「そんなに水があるのか?」と疑問を持った。火星にそれだけの水があるとは思えなかったのだ。が、しかし。

火星の氷冠がすべて解けたら、水深4メートル半から9メートルの海が惑星全体を覆うほどの液体の水ができると推定されている。
  ――第5章 火星 エデンの惑星

 おお、ちゃんと水はあるのだ。ならテラフォームする価値は充分にあるね。

 と、思ったら、水の量を過大評価してたのでは、みたいな記事が(→GIGAZINE:火星の地下に存在すると思われた「液体の水」が実は粘土だったことが判明)。

 そして何より嬉しいのは、他恒星系に進出する足掛かりまで太陽系には用意されている事。

天文学者は、オールトの雲がわれわれの太陽系から三光年も広がっているのではないかと考えている。
これは、ケンタウスル座の三重連星系(アルファ星系)という、地球から四光年あまりの最も近い恒星たちまでの距離の半分以上にもなる。
このケンタウルス座連星系にも彗星の球がとりまいているとしたら、その連星系と地球を彗星で次々とつなぐ道ができそうだ。
  ――第6章 巨大ガス惑星、彗星、さらにその先

 かつて人類が太平洋の諸島に進出する際、島伝いに進出したように、太陽系から進出する際にも、足掛かりとなる水の供給源が太陽系を取り巻いているらしい。

【第2部】

 かくして第2部では、恒星系への移住を考え始める。

 ったって、最も近いケンタウルス座アルファ星まで4光年半という遠大な距離だ。この距離を生身で旅するのは無理だし、推進剤も莫大な量が必要になる。そもそも他の恒星系に人類が住める惑星があるかどうかも定かじゃない。

 そんなワケで、ここではスペース・オペラよろしくSFファンが大喜びの楽し気なアイデアが次々と飛び出してくるのだ。

ロボット工学の究極の課題は、自己複製ができて自我をもつ機械を作り出すこととなる。
  ――第7章 宇宙のロボット

 そのためにはハードウェアに加えてソフトウェア、つまりは人工知能の進歩も必要なんだが、ここではマーヴィン・ミンスキー(→Wikipedia)の弱音にクスリと笑ってしまった。曰く「AI研究者はこれまで間違いすぎたから、具体的な時期の予測はもうしたくない」。うん、そりゃねえw 結局はディープ・ラーニングが役に立ってるけど、あれ大雑把に言うと「機械に条件反射を仕込む」だし。

 もちろんハードウェア、それもエンジンも大事だ。ここでは「はやぶさ」で活躍したイオンエンジンの優秀さが光っている。もっとも、「今のところは」って但し書きがつくけど。私はラリイ・ニーヴン愛用の核融合ラムジェットに厳しい判定がされているのが少し切なかった。でもカシミール効果(→Wikipedia)にはワクワク。

 あと、ジョルダーノ・ブルーノ(→Wikipedia)は知らなかったなあ。どうも人間ってのは、自分の世界観を覆されるのをひどく恐れる生き物らしい。

 また、少し前から他恒星系の惑星が次々と見つかっているが、そのカラクリも面白い。当初はホット・ジュピター(→Wikipedia)の報告が多かったが、それは見つけやすかったからなのね。あと浮遊惑星って、フリッツ・ライバーの放浪惑星かあ。

【第3部】

 そんな風に、現代の科学が中心だった第1部から、近未来の科学を夢想する第2部を経て、第3部では更なる遠未来へと想いを馳せてゆく。

 先に書いたように、恒星間航行ではやたら長い時間がかかる。これを克服する手立てとして、寿命を延ばしてしまえ、なんて話も。今までは物理学と天文学が中心だった所に、生物学が乱入してくるのも面白い。ちなみに長生きの秘訣は…

平均して、カロリーの摂取量を30%減らした動物は、30%長生きする。
  ――第10章 不死

 …はい、脂ぎった食事はよくないそうです。切ない。理由も分かりやすい。

細胞の「エンジン」はミトコンドリアであり、そこで糖を酸化してエネルギーを取り出す。ミトコンドリアのDNAを丹念に調べると、エラーが確かにここに集中していることがわかる。
  ――第10章 不死

 エンジンを激しくブン回せばエンジンの消耗も激しい。ゆっくり安全運転を心がけましょう、そういう事です。

 んじゃ可動部の少ない情報生命体になっちゃえば、なんて発想も真面目に検討してたり。今まではハードディスクの寿命は短かったけど、クラウドにすりゃ大丈夫だしね。

 そうやって他の恒星系に飛びだせば、もちろん他の知性体との出会いだってある。スペースオペラじゃガス生命体や珪素生命体が出てくるけど、著者の考えでは…

地球外の生命は、海で生まれ、炭素ベースの分子で構成されている可能性が高い。
  ――第12章 地球外生命探査

 まあ、人類と意思疎通できると条件をつければ、そうなるだろうなあ。これが更に頁をめくっていくと、次々とゾクゾクするアイデアが飛び出してくる。

いずれ、先進文明は小惑星帯サイズの粒子加速器を建造するだろう。
  ――第13章 先進文明

 当然ながら、想像の翼はこれじゃ止まらない。最新物理学の「ひも理論」まで繰り出し、まさしく異世界へと読者を誘ってゆく。

【終わりに】

 なんたって、オラフ・ステープルドンの「スターメイカー」をテーマとした本だ。稀有壮大さは半端ない。加えて著者は物理学者として基礎がシッカリしている上に、科学系のテレビ番組の出演も多いため、人脈も視野も広い。そのためSFファンには最高のご馳走となったが、あまりに刺激が強すぎるのでソコラのSFじゃ満足できなくなる危険もある。

 それでも読みますか?

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