カテゴリー「書評:科学/技術」の318件の記事

2023年9月19日 (火)

宮原ひろ子「地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか 太陽活動から読み解く地球の過去・現在・未来」化学同人DOJIN文庫

惑星がほどよい気温を保てるかどうかは、太陽が放出する光の量と太陽からの距離で決まります。けれども、その心地よさがわずかに変わるということが、太陽の状態が刻々と変化することによっておこってくるわけです。それを研究対象にしているのが宇宙気候学です。
  ――第1章 変化する太陽

電離圏には、雷雲によって上層に運ばれた正の電荷が溜まっていて、地表と電離圏のあいだには、数百キロボルトもの電位差が生じています。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

現在の地球では、炭素13が炭素12の1/100程度しか含まれていませんが、超新星残骸にある炭素には、炭素12と炭素13がほぼ同じ割合で含まれているのです
  ――第5章 変わるハビタブルゾーン

【どんな本?】

 太陽の活動が地球の気候に影響を与える。日中は温かいし、夜は冷える。「太陽の光が地球を暖めているんだから、当たり前じゃないか」と思うだろう。だが、冒頭で意外な事実が明らかになる。太陽の光の量はほとんど変わらないのだ。

 では、何が問題なのか。これも冒頭で想定外の仮説を著者は示す。宇宙から地球に降り注ぐ宇宙線が地球の天気を支配している、と。

 地球の気候と宇宙線に、何の関係があるのか。太陽の活動は?

 そもそも太陽とは何か、なぜ太陽活動が活発だと黒点が増えるのかなどの基礎的な事柄から、過去の太陽活動や地球の気候をどうやって調べるか、なぜ宇宙線が地球の気候を変えるのかなどの科学トピック、そして恐竜絶滅の謎に迫る壮大な仮説まで、極小の原子の世界から銀河系の運動へと様々な時間と空間のスケールで語る、エキサイティングな科学解説書。

 第31回講談社科学出版賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は2014年8月に化学同人DOJIN選書より刊行の同名の単行本。文庫版は2022年12月5日第1刷発行。文庫版は加筆・訂正していて、特に第6章などで最新の情報が加わっている。9ポイント38字×17行×205頁=約132,430字、400字詰め原稿用紙で約332枚。文庫でも薄め。いや中身は濃いけど。

 文章は意外とこなれている。中身も素人に親切でわかりやすい。とうか、涙を呑んで専門的な言葉や説明をバッサリ切った感がある。例えば宇宙線(→名古屋大学宇宙線物理学研究室)について、その詳しい実態は説明していない。数式も出てこないので、理科が得意なら中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

 前の章を踏まえて後の章が続く構成なので、素直に頭から読もう。

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  • まえがき
  • 序論
  • 第1章 変化する太陽
  • 1 太陽とはどのような星か
    恒星の進化/太陽がつくり出すエネルギー/惑星を温める太陽のエネルギー/磁場を持つ太陽
  • 2 黒点とは
    太陽の自転と黒点の生成/太陽活動の長期的な変化の謎
  • 3 マウンダ―極小期の謎
    マウンダ―極小期の発見/小氷期の謎/太陽の光量の変動/月に残された太陽光の変化
  • 4 ダイナミックに変化する太陽と宇宙天気
    宇宙の天気とは/オーロラはなぜ発生するのか/宇宙天気災害/太陽フレアと放射線被ばく/磁場が引き起こすトラブル/通信機器への影響/宇宙天気災害と地磁気のかたち/太陽フレアの規模と宇宙天気災害の規模の関係性
  • 第2章 太陽の真の姿を追う
  • 1 太陽活動史を復元する方法
    樹木に記録される太陽の活動/太陽活動の指標となる炭素14/屋久島に残された太陽活動の記録/太陽の記録を残す南極の氷 ベリリウム10
  • 2 宇宙線の変動は何を映し出すか
    地球を包み込む太陽のシールド/太陽圏磁場のスパイラル構造/太陽圏はどのように宇宙線を遮るか/宇宙線量の11年周期変動/太陽磁場の反転の影響による宇宙線の22年周期変動/太陽圏の構造と宇宙線量
  • 3 復元された太陽活動
    過去に何度も起こっていた無黒点期/樹木に残された太陽の“心音”/正確な太陽活動の復元をめざして
  • 4 太陽活動を駆動するのは
  • 第3章 太陽活動と気候変動の関係性
  • 1 過去の気候を調べる方法
    年輪から探る過去の気候/樹木の年輪以外を使って気候を調べる方法/試料の年代決定
  • 2 ミランコビッチ・サイクル
    天文学的な要素による太陽の地球への影響/氷期と間氷期の10万年周期
  • 3 ボンド・イベント
    1000年スケールの気候変動と太陽活動/氷期における太陽活動と気候変動
  • 4 小氷期が社会に与えるインパクト
    小氷期の発生と太陽活動/社会に与えた影響
  • 第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか
  • 1 宇宙線の影響を見分けるには
    太陽活動が気候に影響するいくつかの経路/地磁気の変動を利用して宇宙線影響を探る/宇宙線だけに特徴的な22年周期変動を手がかりにする/太陽圏環境に左右される気候
  • 2 宇宙線と雲
    宇宙線が影響するプロセス/宇宙線の影響を受容しやすいホットスポットはどこか/宇宙線のもうひとつの効果
  • 第5章 変わるハビタブルゾーン
  • 1 地球の謎は解けるか?
    宇宙線の密集域への接近/地球史上の大イベント/地磁気変動との相乗効果/恐竜が滅んだのは?/数億年スケールの地球史を記録する地層/生命誕生と宇宙線
  • 2 暗い太陽のパラドックス
    暗い太陽のもとで生命は誕生した/パラドックスは解けるか/変わるハビタブルゾーン
  • 3 地球型惑星を探せ!
    地球型惑星の探査方法/住み心地のよい環境かどうかの観測
  • 第6章 未来の太陽と地球
  • 1 太陽はマウンダ―極小期を迎えるのか
    突然訪れた太陽活動の異常/マウンダ―極小期が再来するかどうかのカギ/地球への影響
  • 2 天気予報は変わるか
    宇宙天気と天気/太陽フレアと宇宙線のフォーブッシュ減少/天気予報につながるか?/得られ始めた太陽フレア予測への手がかり
  • 参考文献/あろがき/文庫版あとがき

【感想は?】

 宇宙気候学なんて名詞だけでもゾクゾクしてくる本だが、内容は思った以上に意外性に富んでいる。

 太陽の活動が地球の気候を変える。そんなの当たり前、と思うだろう。特に日差しが強くクソ暑い夏には。でも、太陽の光量は意外と変わらないのだ。変わるのは、宇宙線の量。

恒星の残骸から飛んでくる宇宙線は、太陽フレアが発生した際に太陽から飛んでくる放射線よりエネルギーが何桁も高く…
  ――第2章 太陽の真の姿を追う

 だが、宇宙線と気候の関係は冒頭で軽く仄めかされるだけ。冒頭で疑問を抱かせておいて、話は太陽の活動へと移る。イケズだが、必要なのだ。なに、親しみやすい言葉で書かれた文字数の少ない本でもあるし、スグに解が出てくる。ミステリだと思って、素直に読もう。

 その地球に降り注ぐ宇宙線の量を変えているのが、太陽の磁場。地球の磁場が数十万年に一度ぐらい反転するのに対し、太陽の磁場は忙しい。

太陽は頻繁に磁場の向きを変えているのです。(略)太陽活動が活発になって黒点数がピークを迎えたときに反転していますので、11年に1回反転していることになります。
  ――第2章 太陽の真の姿を追う

 太陽の磁場は、銀河の宇宙線から地球を守っている。太陽の磁場が弱まると、地球に降り注ぐ宇宙線が増える。実際はもっと複雑なんだが、その結果として…

太陽活動が11年周期で変動するのにともなう銀河宇宙線量の変動は、20~30%にもなります。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

 と、宇宙線の量が変わるのだ。その宇宙線が、気候にどう影響するのか、というと。

1997年にデンマークのフリス・クリステンセンとヘンリク・スペンスマルクは、銀河宇宙線の変動と地球をおおう雲の量がよく一致しているという驚くべき論文を発表しました。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

 宇宙線が増える→雲が増える→太陽光を雲が遮り地球が冷える、そんな感じ。でも、過去の宇宙線の量なんて、どうやって調べるのかっつーと、ハイ出ました、過去の気候調査の王道、木の年輪。

木の成長速度が気温に大きく依存する地域では、年輪幅の増減から気温の変動を知ることができますし、成長速度が降水に大きく依存している地域では、降水量の増減を知る手がかりが得られます。
  ――第3章 太陽活動と気候変動の関係

 これ、生きてる木だけでなく、いつ倒れたかわからん倒木でも調べる方法があるんだけど、その方法ってのが…

伐採年が分からない場合は、炭素14の濃度を測定し、1964年の年輪に特徴的な濃度の増加を検出します。これは、1963年に施行された部分的核実験禁止条約を前に相次いで行われた大気中での核実験によって、大量の中性子が大気中に放出され、それによって大量の炭素14がつくられ、濃度が急上昇したことによるものです。
  ――第3章 太陽活動と気候変動の関係

 世界的な地震計の設置も、冷戦時代に敵国の核実験を調べるために進んだなんて話もあって、なんだかなあ、と思ったり。さて、炭素14とかの同位元素、これが宇宙線の増減を知る手がかりになるってのも面白い。要は高エネルギーの荷電粒子(たいていは陽子)が他の元素にぶつかると、原子核が陽子を吸収した後に陽子が電子を放出し中性子に変わり同位体になるんだな。原発でトリチウム(三重水素)ができるのも、確か同じ理屈だったはず。

 これが終盤になると、話がドカンとデカくなる。なんと、天の川銀河系の中の太陽系の位置が謎のカギになってきたり。

超新星残骸の衝撃波が、荷電粒子を高エネルギーに加速するのです。ですから、太陽圏に飛んでくる宇宙線の量は、太陽系の近傍にどれくらい超新星残骸があるかということに依存して、変化することになります。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

 この辺のゾクゾク感は、ブルーバックスの「恐竜はなぜ絶滅したか」以来だなあ。これには状況証拠もあって。

全球凍結が発生していた24憶~21憶年ほど前と8憶~6憶年前は、天の川銀河がスターバースト(→Wikipedia)を起こしていた時期で、太陽系が暗黒星雲をかすめてもおかしくない状況にあったことがわかります。
そのほか、1.4憶年ごとに繰り返す寒冷化のタイミングは、太陽系が銀河の腕を通過するタイミングと一致していますし、生物種の数に見られる6000万年~7000万年周期という変動は、銀河の中での太陽系のアップダウン運動と関連する可能性が指摘されています。
  ――第5章 変わるハビタブルゾーン

 他にも、天の川銀河内の太陽系の軌道も、私の思い込みと全く違ってて、小さい規模から大きい規模まで、「そうだったのか!」の連続で思い込みを覆されるネタが続々と出てきて楽しい本だった。

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2023年8月21日 (月)

伊藤茂編「メカニズムの事典 機械の素・改題縮刷版」理工学社

機械は(略)動力の状態を変化させるものである。
(略)小さい力を大きい力に、不規則な運動を整然とした運動または特殊な運動に、遅い運動を速い運動に、あるいはその逆にそれぞれ変換したい場合に用いられる。
  ――序論

摩擦面の動く距離が比較的小であるので、摩擦に消費される仕事が少なく、したがって摩耗も少ないため、長期間の使用に適する。したがって、なるべくこの機構を用いて機械を作るのが有利である。
  ――2 四節機構(クオドリック チェーン)

ベルトが水平あるいは斜めにかかる場合は、張り側を下にするほうがよい。これはベルトがベルト車に巻き付く部分を増すから、摩擦が増してベルト車とベルトとのすべりを少なくする。
  ――14 ベルト車とロープ車

映画のフィルム送り機構およびじょうなどに応用されている。
  ――19 ゼネバ ストップおよび類似の機構

【どんな本?】

 歴史的に使われてきた人力や水力や風力であれ、現代的な石油や原子力であれ、それぞれの動力が生みだす動きは、単純に一方向へ押す、または周辺全体に広がろうとする圧力である。これを人間に都合のいい回転や複雑な仕事に変えるのが、クランクや歯車などの機械=メカニズムだ。

 往復運動を回転運動に変える・往路と復路で速度を変える・逆転を防ぐ・小さい力で大きな物を動かすなど、機械部品の働きや仕組みを、図と解説文を組み合わせて紹介する、機械設計屋むけの事典。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1983年5月10日第一刷発行。元は1912年初版の浅川権八「機械の素」を、福原達三・中田孝・草間秀俊・谷口修・小川潔・伊藤茂で1966年10月に「新編・機械の素」として復刻し、更に1983年に改訂・縮刷したもの。

 単行本ソフトカバー横一段組み本文約215頁。各頁は2~4個の機構の説明がある。頁の左側に機械の図を、右側に説明文を置く。説明は8ポイント25字。図と説明文の組み合わせが重要なので、仮に文庫にしたらレイアウトを大きく変えなきゃいけない。例えば1頁1機構にして、600頁超えの大容量にするか、上中下の三巻になるか。

 文章はモロに教科書で、しかもやや古風。図を見つつ説明文で動きを想像しながら読んでいくので、読み進むのにはかなり時間がかかる。教科書なんだから当然だし、それだけ中身の濃い本だ。

【構成は?】

 原則として個々の記事は独立しているが、たまに「○○を参照」と他の記事との関係を示すものもある。素人は気になった所だけを拾い読みしてもいい。プロまたやプロ予備軍は後述。

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  • 序論
  • 1 機械の部分品および器具
  • 2 四節機構(クオドリック チェーン)
  • 3 スライダ クランク機構
  • 4 クロス スライダ クランク機構
  • 5 立体機構
  • 6 平行クランク
  • 7 はかり(バランス)
  • 8 2,3,4の変形機構
  • 9 歯車および歯車装置
  • 10 変形歯車
  • 11 平行運動
  • 12 近似平行運動
  • 13 パンタグラフ(縮図器)
  • 14 ベルト車とロープ車
  • 15 鎖伝動装置
  • 16 ロープを用いた仕掛け
  • 17 つめとつめ車
  • 18 カム
  • 19 ゼネバ ストップおよび類似の機構
  • 20 エスケープ
  • 21 じょうおよびじょう仕組
  • 22 ねじの利用
  • 23 ばねの利用
  • 24 摩擦を利用した装置
  • 25 摩擦を軽減する装置
  • 26 軸接手
  • 27 回転ポンプ・送風機類
  • 28 複式機構

【感想は?】

 内容は「実用メカニズム事典」とだいぶカブっているが、数式は少ない。その辺は専門書で補えって事なんだろう。だって事典だし。

 基本的にプロ向けの本だ。だから、プロは「実用メカニズム事典」同様、こんな読み方というか使い方をするんだろう。

  1. 軽く全体を流し読みして「どこに何を書いてあるか」を掴む。分からない所はトバす。
  2. 折に触れトバした所を読み返す。
  3. 必要になったら、関係ありそうな所を読み返す。

 とか書いてる私は素人なので、この記事はそのつもりでお読みいただきたい。

 元が1912年初版の浅川権八「機械の素」とあるので、出たのは百年以上も前だ。その割に、今でもアチコチで使われていそうな機構が続々と出てくる。もっとも、その素材は鋼鉄からセラミックになってたりするんだろうけど。

 読み解けたのは単純なものが多い。単純なだけに、今でもどっかで見たようなモノもある。

 例えば持ち上げた荷物を簡単に外せる「1.22 すべりかぎ」とかは、クレーン車などで使われていそうだし、「1.23 やっとこ(トング)」は氷屋で見た。「17 つめとつめ車」は、テニスやバレーボールのネット張りに使ってるアレね。「17.28 オチス安全停止装置」はエレベーターで使ってるんだろうなあ。「21.17 採泥機」は逆に引くと閉まる。「18.4 回転斜板」も、単純な仕掛けで回転運動をなめらかな往復運動に変える。「21.15 バヨネット継手」は、パイプなどを連結するのによく見る機構。

 やっぱり自転車関係は気になる。「17.47 スプロケットのすべり装置」はペダルと前歯車だろう。「26.12 ランニング・フェース・ラチェット(その2)」もたぶん後輪と歯車の軸受け。

 「コイルばねたわみ継手」は一瞬ブルワ○カ○かと思ったw

 賢さに感心するのも多い。「2.5 ブカナン水車」は簡単な工夫で効率を大きく上げてる。「3.14 中心おもり調速機」は機械的なフィードバック機構だ。「16.5 偏心輪による足踏み装置」は、足踏みミシンのアレかな。中心をズラした円とベルトとペダルを組み合わせ、往復運動を回転運動にする。精密機械の代表、時計に使われる「20 エスケープ」も見事なものが多い。

 そうだったのか!もある。「3.16 船用可変ピッチプロペラ」は複雑だが、そもそも船のプロペラがピッチ可変とは知らなかった。やはり船で「16.2 かじ取り装置」は、帆船などのかじに使ってたんだろうなあ。「9.12 はす歯車」は、歯を斜めに切った歯車。なぜかと思ったら、「平滑に静かに回転する」。そういう利点があるのか。ねじって身近な割に作るのは大変そうと思うんだが、「9.35 旋盤のねじ切り装置」で少し納得。「23.20 給油口カバー」、中にばねが仕込まれてたのね。

 「やっぱりそうか」も幾つか。「17.30 カウンティング ホイール」は、ほぼ想像した通り。「23.13 特殊ばねの応用の一例」じゃ複式皿形ばねが荷車のサスペンションによさそう。「28.44 映画撮影機の送りつめ機構」では、映画フィルムの両端に定間隔で穴が開いてる理由がわかった。

 形が大事な機構も。「18.13 対数曲線てこ」は、接触面を対数曲線にすることで、「すべりがない」。「24.17 ジョンズ・ラムソン摩擦車」と「24.47 2軸の回転費を変化する摩擦車」は一種の差動装置(デフ)。もっとも摩擦車なんで自動車には向かないけど。「27 回転ポンプ」には、2組の歯車を使った例が多くて意外だった。

 応用例で「おお!」と思う例が、「3.15 速射砲の尾せん開閉装置」。「機械の素」の時代背景が伺える。

 最近「小説家になろう」にハマってる身としては、「25.1 減摩車(その1)」に感心した。なんか馬車の軸受けに使えそうだし。でも実際の応用例は「1780年に、始めてアトゥード重力測定機に用いられた」というから、性質は全く違うんだろうなあ。「25.9 重ね座金付きピボット軸受け」は、すべり軸受を多層にして各層の回転数の差を減らす発想が使えそう。「28.35~37 製じょう機」は、最後に「発明者は、力織機の発明者イギリスのエドムンド・カートライトである」って、つまり紡績機か。

 イラストが大事な本で、動きを想像しながら読み解いてゆくので、どうしても読み進めるには時間がかかる。単純な歯車ならともかく、遊星歯車やクランクと組み合わせたものは、その巧妙さに感心するものが多い。まさしく人類の叡智の堆積を感じる、一見は実用一辺倒かつ無味乾燥ながら実は重い一冊だった。

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2023年8月 8日 (火)

マイケル・フレンドリー&ハワード・ウェイナー「データ視覚化の人類史 グラフの発明から時間と空間の可視化まで」青土社 飯嶋貴子訳

本書が提起する中心的な問題は、「数字をグラフで表す方法はどのように出現したか?」、そしてもっとも重要なことに「それはなぜか?」ということだ。
  ――はじめに

19世紀英国の疫学者ウィリアム・ファー「病気は治すより防ぐほうが簡単であり、予防の最初のステップは既存の原因を発見することである」
  ――第4章 人口統計 ウィリアム・ファー,ジョン・スノウ,そしてコレラ

人間の目は、表示されたものの長さではなく面積を感知する傾向にある
  ――第4章 人口統計 ウィリアム・ファー,ジョン・スノウ,そしてコレラ

グラフ手法は長い間、二次元の表面に限定されていた。
  ――第8章 フラットランドを逃れて

ミース・ファン・デル・ローエ(20世紀ドイツの建築家、→Wikipedia)
「少ないことはよいことだ」
  ――第10章 詩としてのグラフ

【どんな本?】

 割合を示す円グラフ、変化を表す線グラフ、関係を見せる散布図、風景を写し取る写真、そして動きを表すアニメーション。いずれも共通した性質がある。下手な文章より、はるかに短い時間でわかりやすく強烈にモノゴトを伝えるのだ。

 これらは、いつ、誰が、何を伝えるために生み出したのか。それは、私たちにどんな影響を与えたのか。

 コンピュータとインターネットの普及により、最近はさらに身近になったグラフや図表について、その起源と歴史と進歩、そしてその影響を描く、少し変わった歴史と科学の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A History of Data Visualization & Graphic Communication, by Michael Friendly and Howard Wainer, 2021。日本語版は2021年11月10日第一刷発行。私が読んだのは2022年4月10日の第三刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約342頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×18行×342頁=約283,176字、400字詰め原稿用紙で約708枚。文庫なら厚めの一冊分…と言いたいところだが、グラフや図表を多く収録しているので、文字数は8割ぐらいか。

 文章はやや硬いというか、まだるっこしい。まあ、青土社の翻訳物だし。ただし内容はわかりやすい。なんたって、モノゴトを分かりやすく伝える手段を扱ってるんだし。何より、多くのグラフや図表を収録しているのが嬉しい。しかも一部はカラーだ。敢えて言えば、もっと版が大きければ、更に迫力が増しただろうなあ、と思う。もっとも、価格との釣り合いもあるんだけど。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、できれば頭から読んだ方がいい。が、とりあえず味見するなら、257頁からのカラー図版をどうぞ。

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  • はじめに
  • 第1章 始まりは……
  • 第2章 最初のグラフは正しく理解していた
  • 第3章 データの誕生
  • 第4章 人口統計 ウィリアム・ファー,ジョン・スノウ,そしてコレラ
  • 第5章 ビッグバン 近代グラフィックの父、ウィリアム・プレイフェア
  • 第6章 散布図の起源と発展
  • 第7章 統計グラフィックスの黄金時代
  • 第8章 フラットランドを逃れて
  • 第9章 時空間を視覚化する
  • 第10章 詩としてのグラフ
  • おわりに
  • さらに詳しく学ぶために
  • 謝辞/註/参考文献/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 まず気づくのは、地図と関係が深い点だ。

 最初の例からして、地図作成者の手によるものだ。17世紀オランダのミヒャエル・フローレント・ファン・ラングレン(→Wikipedia)が作った、トレド・ローマ間の経度距離の概算図だし。

 やはり勃興期の例として出てくるのも、地図だ。19世紀前半のフランスで、教育レベルや犯罪の多寡を県ごとに色付けした地図が出てくる。これらは、それまでのインテリたちの議論とは全く違った現実の姿を見せつけた。

19世紀フランスの弁護士アンドレ=ミシェル・ゲリー
「毎年、同じ地域で同じ程度に発生する同じ数の犯罪が見られる。……われわれは、道徳的秩序の事実が、物理的秩序の事実と同様に、不変の法則に左右されると認識せざるを得ない」
  ――第3章 データの誕生

 この傾向の頂点は、ナポレオンのロシア遠征で大陸軍が消耗していく様子を描いた、あの地図だろう(→英語版Wikipedia)。心当たりがない人は、ぜひ先のリンク先をご覧になっていただきたい。ナイチンゲールが作ったクリミア戦争犠牲者を示すグラフ(→Wikipedia)と並び、世界でもっとも有名なグラフだ。

(シャルル・ジョゼフ・)ミナール(→英語版Wikipedia)の最高傑作は、失敗に終わった1812年のロシア遠征中にナポレオンの大陸軍によって大量の人命が奪われたようすを描いたものである。
  ――第7章 統計グラフィックスの黄金時代

 こういった視覚化が、人々の考え方まで変えていくのも面白い。

実データをプロットすることには、莫大な、また多くが思いがけない利点があった。
(略)科学に対する近代の経験的アプローチが生まれた。
観測によって得たデータ値をグラフに表し、そこに暗示されるパターンを見つけ出すという方法だ。
  ――第1章 始まりは……

米国の統計学者ジョン・W・テューキー(→Wikipedia)
「図解の最大の価値は、それが、われわれの予想をはるかに超えるものに気づかせてくれたときである」
  ――第5章 ビッグバン 近代グラフィックの父、ウィリアム・プレイフェア

 あーだこーだ考えるより、まずデータを集めて、そこから現れるパターンを見つけよう、そういう考え方である。なんのことはない、経験主義というか科学というか、そういう発想だ。もっとも、そのためには、大量のデータを集めなきゃいけないんだけど。

 とはいえ、その利用の多くが、科学ではなく社会・経済方面なのも意外だった。本書に出てくる例の多くが、国勢調査や経済統計だったり。

19世紀初頭に統計グラフィックスの基本的形式の発明の発端となったある重要な発展は、社会問題(犯罪、自殺、貧困)と病気(コレラ)の発生に関するデータの幅広い収集だった。
  ――第7章 統計グラフィックスの黄金時代

 ここでは「感染地図」で主役を務めたジョン・スノウが登場して、ちょっと嬉しかった。あの地図(→Wikipedia)には、やはり強いインパクトがあるよね。

 これらの経緯を経て、グラフの代表ともいえる円グラフ・棒グラフそして折れ線グラフを開拓したのが、18~19世紀イギリスのウィリアム・プレイフェア。彼がグラフ作成に入れ込むきっかけが、これまた面白い。

ウィリアム(・プレイフェア)は、一日の最高気温を長期にわたって記録するという課題を兄から課されたことを思い起こしている。(兄の)ジョンは彼に、自分が記録したものを、隣り合わせに並べた一連の温度計と考え、(略)それらをグラフに記録するように教えた。
  ――第5章 ビッグバン 近代グラフィックの父、ウィリアム・プレイフェア

 兄ちゃん、なんと賢くセンスもいい事か。つかこの発想、今でも使えるよね。

 さて、それまでグラフは時系列や国/地域別を表すものだった。が、それ以外の二つの値の関係の深さを表すのに便利なのが、散布図。この発想のきっかけが、今思えば当然ではあるが…

散布図の第一の前提条件は座標系という考え方だった。(略)たとえばある線の一次方程式y=a+bxなどのような…
  ――第6章 散布図の起源と発展

 デカルト座標系または直交座標系(→Wikipedia)の考え方だね。変数xの変化に伴い、値yも規則的に変わる、そういう関係だ。

 とかの「人間による視覚化」ばかりでなく、科学と技術の進歩は機械による視覚化も可能にする。その好例が写真だ。今でもX線写真は医師の頼もしい見方だし。本書では生物、それも人間の運動を研究するのに連続写真を活用し、そのために自ら1秒に12フレームを記録できる写真銃を開発した19世紀フランスの生理学者エティエンヌ=ジュール・マレー(→Wikipedia)を紹介している。彼曰く…

「生命の現象において明確なのは、まさに物理的・機械的秩序をもつ現象である」
  ――第9章 時空間を視覚化する

 彼の撮影した、クラウチング・スタートで短距離走者が走り出すシーンを写した連続写真は見ごたえがある。

 同様に、運動を撮影したものとして、猫の宙返りで物理学者が悩む話(→Wikipedia)には笑ってしまう。当然ながら何度も猫が投げられるのだが、その連続写真を見たネイチャー誌の筆者曰く…

「最初の連続写真の終わりに猫が見せた、尊厳が傷つけられたような表情は、科学的調査に対する関心の欠如の現れである」
  ――第9章 時空間を視覚化する

 そりゃ猫も納得せんだろw

 などといった写真は事実を写し取るものだが、視覚化にはもう一つの側面がある。顕著なのがナイチンゲールによるクリミア戦争犠牲者のグラフだ。このグラフには、ハッキリした目的がある。野戦病院を清潔に保つよう、政府に働きかけることだ。視覚化は、メッセージを伝える強い力を持つ。この点の危険に気づき、早くから警告も発せられていた。

ジョン・テューキー(20世紀アメリカの数学者、→Wikipedia)
「正確な問題に対するおおよその解答は、しばしば曖昧であるが、間違った問題に対する正確な解答よりもはるかによい。後者はつねに、故意に正確にすることができるからだ」
  ――第9章 時空間を視覚化する

 表紙がナイチンゲールの鶏頭図なだけに、グラフの歴史かと思ったが、地理・地図との関係が深いのは意外だった。また、科学より社会系の例が多いのも意表を突かれた。加えて、19世紀末~20世紀初頭の政府刊行物が、思ったよりカラフルで図表を多用していたのも知らなかった。

 文章こそやや冗長でいささか硬いが、有名で見ごたえのあるグラフをたくさん収録しているのは嬉しい。また、現代のグラフの多くを産みだしたウィリアム・プレイフェアを知れたのも収穫だった。技術史に興味がある人にお薦め。

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2023年6月 5日 (月)

ジェフリー・S・ローゼンタール「それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学」早川書房 石田基広監修 柴田裕之訳

意味のないただの偶然という単純明快な説明は、はっきり言って退屈なのだ。(略)
人は身の回りの運やランダム性について考えるとき、それらには特別な意味があってほしいと願う。
魔法に飢えているのだ。
  ――第5章 私たちは魔法好き

統計学は素晴らしく、役に立ち、重要で、発展中の領域だ。
ただし、一つだけ小さな問題がある。
誰もが大嫌いなのだ。
  ――第12章 統計学の運

誤差の範囲には単純な公式がある。98%をコインを放り上げた回数の平方根で割るというものだ。
  ――第17章 ラッキーな世論調査

【どんな本?】

 運の良し悪しとは何か。マクベスを引用すると不幸が訪れるって、ホント? 宝くじを当てる秘訣は? バンビーノの呪いってマジ? 生き別れの兄弟に出会えたのは奇跡? シューレス・ジョーはなぜ面白い?

 世の中には様々な迷信やジンクスが流布している。超能力の報告や霊能力者を名乗る者もいる。マスコミは奇跡の出会いをはやし立てる。これらは、本当に運命なのか。

 13日の金曜日に生まれたカナダの統計学者が、多くの運命の導きエピソードや古来からの言い伝えを紹介しつつ、その実態を暴いてゆく、一般向けの数学エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Knock on Wood : Luck, Chance, and the Meaning of Everything, by Jeffrey S. Rosenthal, 2018。日本語版は2021年1月25日初版発行。2022年8月にハヤカワ文庫NFから文庫版が出ている。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約386頁に加え、訳者あとがき3頁+徳島大学社会産業理工学研究部教授の石田基広による解説6頁。9ポイント45字×18行×386頁=約312,660字、400字詰め原稿用紙で約782枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。数式も出てくるが、大半は掛け算と割り算で、ごく一部に平方根が出るぐらい。しかもxやyは使わず、90/430,666*100.00 とかの具体的な値を示した式なので、数学が苦手でも大丈夫。あ、もちろん、解も示しているので、算数が嫌いでも問題ない。

【構成は?】

 各章は穏やかに独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 第1章 あなたは運を信じていますか?
  • 第2章 ラッキーな話
  • 第3章 運の力
  • 第4章 私が生まれた日
  • 第5章 私たちは魔法好き
  • 第6章 射撃手の運の罠
  • 第7章 運にまつわる話、再び
  • 第8章 ラッキーなニュース
  • 第9章 この上ない類似
  • 第10章 ここらでちょっとひと休み 幽霊屋敷の事件
  • 第11章 運に守られて
  • 第12章 統計学の運
  • 第13章 繰り返される運
  • 第14章 くじ運
  • 第15章 ラッキーな私
  • 第16章 ラッキーなスポーツ
  • 第17章 ラッキーな世論調査
  • 第18章 ここらでちょっとひと休み ラッキーなことわざ
  • 第19章 正義の運
  • 第20章 占星術の運
  • 第21章 精神は物質に優る?
  • 第22章 運の支配者
  • 第23章 ラッキーな考察
  • 謝辞/用語集/訳者あとがき/解説:石田基広/注と情報源

【感想は?】

 アイザック・アシモフやスティーヴン・ジェイ・グールドの科学エッセイに連なる系統だろう。終盤では奇術師で懐疑論者のジェイムズ・ランディ(→Wikipedia)がヒーローとして登場するし、そういう姿勢の本だ。

 つまりは迷信やジンクスや運命の出会いなどを否定し、その手口を統計の手法で暴いてゆく。ただ、著者の語り口は柔らかめだし、なるべくユーモラスであろうとしている。と同時に、なぜヒトは迷信やジンクスに惹かれるのか、といった考察も多い。

 著者の武器は統計である。とはいえ、その切り口は様々だ。正攻法で計算する場合もあるが、むしろ嘘やインチキを暴いたり、マスコミの大げさな表現を揶揄するエピソードの方が多い。そういう点では、ジョエル・ベストの「統計はこうしてウソをつく」が近いかも。

 大げさな表現では、「銃の夏」が印象深い。著者の住む町で、殺人事件が急に増えたのだ。どれぐらい? 著者が調べると、10万人あたり2.6件から3.2件に増えた。約25%の増加だ。凄いように思えるが、実は「カナダの全国平均よりも低い」。しかも次の年には12.5%減ったが、「それについての新聞記事は事実上皆無だった」。悪いことは騒ぐがいいことはスルー、マスコミの対応としちゃありがちだよね。

 なお、ここでは注が興味深い。FBIの統計によると、2005年の謀殺と故殺は10万人当たりニューヨークが6.64、ロサンジェルスは12.63、アトランタは20.9、デトロイトは39.29。ニューヨークって、意外と安全なんだなあ。

 マスコミが関わる話では、世論調査を語る「第17章 ラッキーな世論調査」が面白かった。なんといっても、2016年の合衆国大統領選挙の大外れは記憶に新しい。マスコミの論調では民主党のヒラリー・クリントンが僅差で有利だったが、実際には共和党のドナルド・トランプが勝った。

 著者は原因を「サンプルの偏り」としている。実際、「ほとんどの世論調査で、回答率は10%を下回る」そうで、答える人の方が特殊ではあるのだ。とはいえ、調査する側も、偏りがあるのは分かった上で、なるべく偏りがないようにサンプルを選んで調べてるハズなんだが、読み切れなかったワケだ。

 やはりサンプルの偏りが如実に出ているのが、宗教だ。「世界には5憶人近い無神論者がいる」とかで、世界人口を約80憶だとすると、約6.25%だ。だがアメリカの科学アカデミーで「人格神の存在を信じる人は7%」、「イギリス王立協会フェローの64%は、神が存在するとはまったく思っていない」。凄まじい偏りでだなあ。

 「第8章 ラッキーなニュース」では、最近流行ってるニューラルネットワークを使った論文を槍玉にあげている。見た目で同性愛者と異性愛者を区別できる、精度は男は81%で女は74%。使ったデータは三万五千枚以上の写真。

 冒頭の引用にある誤差範囲の公式だと、約0.524だ。なんか信用できそうじゃね?

 と思ったが、ちゃんとオチがついてた。データは出会い系サイトで集めたものだったのだ。誰だって、その界隈に好まれる格好や表情をする。中には Phootoshop などで写真をイジる人だっているだろう。つまりは、その界隈での好みや流行りの違いだったのだ。

 他にも、論文などで意味ありげな関係性をでっちあげる手口や、インチキ医療が統計ではなく逸話をアピールする傾向など、好きな人にはお馴染みのネタを取り上げている。また、「スコットランドの悲劇」や「ウサギの足」、そして書名にもなっている Knock on Wood とかの、西欧のジンクスが判るのも楽しい。珍しく著者が活躍した話では、宝くじの不正を暴いたエピソードが痛快だ。

 難しい印象が強い統計学の本だが、章ごとに独立した短いエピソードを連ねる構成で親しみやすい。また出てくる式も掛け算と割り算だけなので、数学が嫌いでも大丈夫だろう。星占いやジンクスを叩いているので、そういうのに入れあげている人にはむかないが、そうでなければ楽しく読める。

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2023年4月20日 (木)

ランドール・マンロー「ハウ・トゥー バカバカしくて役に立たない暮らしの科学」早川書房 吉田三知世訳

これは、うまくないアイデアを集めた本です。
  ――こんにちは!

理想的な状況で、物体を45度の角度で上向きに飛ばしたときの到達距離を求める、簡単な公式がある。
到達距離=速度2/重力加速度
(略)時速16kmで走るなら、あなたは約2mの距離を飛びこえられると見積もれる。
  ――第6章 川を渡るには

最高齢の木は最善の環境ではなく、最悪の環境に生えていることが多い。熱、低温、風、そして塩分などに曝されるような、特に過酷な環境にあるとき、ブリッスルコーンパインは成長のペースを遅くして、寿命をのばす。
  ――第25章 ツリーを飾るには

地球から直接太陽に向けて打ち上げるのは非常に難しい――実際、その物体を完全に太陽系の外まで届けるよりも多くの燃料が必要になるのだ。
  ――第28章 この本を処分するには

【どんな本?】

 デビュー作「ホワット・イフ?」で、馬鹿々々しい問いの物理面・経済面を馬鹿真面目に計算し、計算の楽しさを伝えると共に脱力のオチをつけ、全世界の読者の腹筋を崩壊させたランドール・マンローが、今度は真面目な相談に馬鹿々々しい手法で挑みつつも、やはり物理面・経済面を馬鹿真面目に計算して、再び読者の常識を破壊しようと目論む、楽しい科学・工学解説書。

 川を渡る・引っ越す・ などの常識的な相談に、 非常識かつ不合理、そして時にはファンタジイ要素満載の手法を示しつつ、 あくまでも大真面目に必要なエネルギーや費用を算出し、現在の技術で実現可能な手段を示す …のはいいが、まずもって無茶で無意味な手口ばかりなのが楽しい。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は HOW TO : Absurd Scientific Advice for Common Real-World Problems, by Randall Munroe, 2019。日本語版は2020年1月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約381頁に加え、訳者あとがき1頁。9ポイント33字×29行×381頁=約364,617字、400字詰め原稿用紙で約912枚。計算では文庫で上下巻ぐらいの文字量だが、1~2コマの漫画がアチコチにあるので、実際の文字量は7~8割ほど。

 ちなみに、すべてを読み終えるのにどれぐらい時間がかかるかは、冒頭の「読むスピードの選び方」でわかる親切設計。

 文章はこなれていて読みやすい。内容は、中学卒業程度の理科と数学ができれば充分に楽しめる。アチコチに数式が出てくるが、面倒くさかったら読み飛ばそう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

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  • おことわり
  • こんにちは!
  • 本を開くには
  • 読むスピードの選び方
  • 第1章 ものすごく高くジャンプするには
  • 第2章 プールパーティを開くには
  • 第3章 穴を掘るには
  • 第4章 ピアノを弾くには(すみからすみまで)
    音楽を聴くには
  • 第5章 緊急着陸をするには
  • 第6章 川を渡るには
  • 第7章 引っ越すには
  • 第8章 家が動かないようにするには
    竜巻を追いかけるには(ソファに座ったままで)
  • 第9章 溶岩の堀を作るには
  • 第10章 物を投げるには
  • 第11章 フットボールをするには
  • 第12章 天気を予測するには
    行きたい場所に行くには
  • 第13章 鬼ごっこをするには
  • 第14章 スキーをするには
  • 第15章 小包を送るには(宇宙から)
  • 第16章 家に電気を調達するには(地球で)
  • 第17章 家に電気を調達するには(火星で)
  • 第18章 友だちをつくるには
    バースデーケーキのロウソクを吹き消すには
    犬を散歩させるには
  • 第19章 ファイルを送るには
  • 第20章 スマートフォンを充電するには(コンセントが見つからないときに)
  • 第21章 自撮りするには
  • 第22章 ドローンを落とすには(スポーツ用品を使って)
  • 第23章 自分が1990年代育ちかどうか判別するには
  • 第24章 選挙で勝つには
  • 第25章 ツリーを飾るには
    高速道路を作るには
  • 第26章 どこかに速く到着するには
  • 第27章 約束の時間を守るには
  • 第28章 この本を処分するには
  • 謝辞/参考文献/訳者あとがき
    電球を交換するには

【感想は?】

 基本路線は前の「ホワット・イフ?」と同じ。お馬鹿な発想を真面目に計算して、ケッタイな結果を出す。その過程で出てくるイカれた発想を楽しむ本だ。

 ただ、「ホワット・イフ?」が狂った問いを真面目に解くのに対し、今回は真面目な問いを狂った手法で解くのが違うってぐらい。いずれにせよ、狂った状況を真面目に計算することに変わりはない。

 例えば、最初の「第1章 ものすごく高くジャンプするには」。

 まずは普通に跳びあがる。次に道具を使い始める。その時点で明らかに常識からズレてるんだが、気にせずドンドンとエスカレートして、しまいには11万5千メートルなんて無茶な数字まで出てくる。いや誰もそんなん求めてないってw

 「第6章 川を渡るには」も、なかなかに狂った発想で言印象深い。普通にジャブジャブと歩いて渡るまではいい。次のピョンと飛び越えるあたりから、次第に常識を外れてきて、カンザス州大停電まで引き起こしてしまうw そのくせ、「橋を渡る」なんて常識的な発想は決して出てこないw

 次の「第7章 引っ越すには」も、とりあえず持ち物を段ボールに詰め込むまではいいが…

たいていのターボファン・エンジン(ターボジェットエンジンの前後にファンをつけ、効率を上げ、騒音を抑制したエンジン)が最大の推力を出すのは、まだ静止しているときなのだ。
  ――第7章 引っ越すには

 いや、なんでターボファンエンジンが必要になるんだw

 そのターボファンエンジンは、当然ながら航空機のエンジンだ。「第5章 緊急着陸をするには」では、空を飛ぶ専門家、国際宇宙ステーションの船長も務めたクリス・ハドフィールド大佐まで引っ張り出して、いろいろと無茶な質問をしてる。私は「機体の外にいて飛行機を着陸させるには」が楽しかった。ハドフィールド大佐、よくもまあ、こんな馬鹿な質問に真面目に答えたもんだw

 やはりプロが出てくるのが、「第16章 家に電気を調達するには(地球で)」。普通に電気会社から電線を引けばいいのに、なんとか庭を使って再生可能エネルギーを捻りだそうと頑張る。初期費用の回収に3600万年もかかる手法なんて、誰が使うんだw ってな著者も酷いが、物理学者のケイティー・マック博士も自重してくれw いや似たような事を私も考えたことがあるんだけどw

 同じ電気の調達でも、火星の場合は「なんかイケそう」な気がしてくるから怖い。衛星フォボスの位置エネルギーを使って、電力を賄おうって理屈だ。どうやってエネルギーに変えるかは、読んでのお楽しみ。なんかSF小説で使えそうだが、どうなんだろ。いやこれ、フォボスじゃなくて、地球の月でも…いや、距離的に無茶か。

1人当たりのアメリカ人が使う電力は平均1.38キロワットなので、フォボスの軌道には、アメリカ人と同じ規模の人口が必要とする電力をほぼ3000年にわたって供給できるエネルギーが含まれていることになる。
  ――第17章 家に電気を調達するには(火星で)

 やはりSFに出てきそうなのが、DNAを記憶媒体として使うって発想。これ、本当にやってみた人がいるらしい。

DNAをストレージとして利用すれば、この問題を回避し、伝達速度を劇的に向上できる可能性もある。研究者たちはデータを暗号化してDNA試料のなかに埋め込み、その後DNAを配列を解読してデータを再現することにすでに成功している。
  ――第19章 ファイルを送るには

 もっとも、読み書きにかかる時間を考えると、実用性はないんだろうけど。少なくとも、今のところは。

 そんな創作物と現実の違いを思い知らされたのが、「第21章 自撮りするには」。アニメや映画でよくある、満月に人物の影絵が浮かび上がる構図。実際にアレをやろうとしたらどうなるか、簡単な図と計算式で教えてくれる。まあ、そうだよね。

 もちろん、相変わらずちょっとしたトリビアも満載だ。中でもアレ?と思ったのが、地球を周回するISSから紙飛行機を軌道上に飛ばして、地球に着陸させようって実験。

日本の研究者らのチームがISSから紙飛行機を飛ばして、これを試そうと計画した。
  ――第15章 小包を送るには(宇宙から)

 残念ながら、まだ実験は実現していないが、これ思いついた人は「銀河漂流バイファム」のファンじゃなかろうか。リメイクして欲しいなあ。

 手法のクレイジーさでは、「第14章 スキーをするには」が際立ってる。スキーは楽しい。でも、どんなゲレンデでも、麓まで滑り降りれば終わりだ。そこで、もっと長く滑り続けるにはどうすればいい? 普通は「長い斜面を探す」とかだろう。だが、そこは著者。どうしてそうなる?な発想が飛び出して…

 「ホワット・イフ?」と同じく、狂った発想と真面目な計算を組み合わせ、ケッタイな構図を笑うと同時に、「軽くザッと計算してみる」ことの楽しさと様々な計算法を伝える本だ。理科好きはもちろん、お馬鹿な発想が好きな人にお薦め。

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2023年3月16日 (木)

ライアン・ノース「ゼロからつくる科学文明 タイム・トラベラーのためのサバイバルガイド」早川書房 吉田三知世訳

本ガイドブックの本文には、特別な訓練を一切受けていない、ひとりの人間が文明を基礎から築き上げるのに必要な科学、技術、数学、美術、音楽、著作物、文化、事実、数字の全てが記されています。
  ――あらら

農地は、同じ面積の非農地で狩猟採取によって得られる10倍から100倍のカロリーを生産することができます。
  ――3.5 余剰カロリー

多くの鳥は高代謝で呼吸が早いので、一酸化炭素やその他の毒ガスに、人間よりも先にやられてしまいます。具体的には、人間よりも約20分早く気を失います。
  ――10.4.1 鉱業

自転車は、人間がほとんど最初から完璧なものを作った数少ないもののひとつなのです!
  ――10.12.1 自転車

帆船は実際に、風そのものよりも速く進むことができます。
  ――10.12.5 船

【どんな本?】

 過去へと旅するタイムトラベラーが遭難してしまった。戻るすべはない。どうしよう。

 でも大丈夫。こんなこともあろうかと、タイムマシンFC3000TMには便利なマニュアルがついている。このマニュアルがあれば、あなたは自分で文明を立ち上げることができる。あ、ちなみに、あなたにはタイムマシンの修理なんて無理だから、そのつもりで。

 …という設定でわかるように、親しみやすくユーモラスな筆致で、人類が歴史の中で見つけた知識や創り上げた技術を総ざらえする、歴史と科学と技術の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How to Invent Everything : A Survival Guide for the Stranded Time Traveler, by Ryan North, 2018。日本語版は2020年9月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み約547頁。9ポイント33字×29行×547頁=約523,479字、400字詰め原稿用紙で約1,309枚。文庫なら上下または上中下ぐらいの大容量。

 文章はくだけているが、少々クセがある。プログラマのせいか、ジョークのセンスが NutShell シリーズに似てるのだ←わかんねーよ えっと、そうだな、あまし文筆に慣れてない理系の人がユーモラスで親しみやすくしようと頑張った、ぐらいに思ってください。

 内容は、簡単な所もあれば難しい所もある。数学や理科が得意な中学生なら、楽しんで読み通せるだろう。あと、歴史のトリビアが好きな人には楽しい小ネタがチラホラ。

【感想は?】

 最近の私が凝っている、科学史・技術史の「まとめ」みたいな本だ。

 なにせ目的は文明の再建だ。取り上げるテーマは多岐にわたる。話し言葉・書き言葉・使いやすい数に始まり、農牧業・鉱業なんて産業から、紡ぎ車・ハーネス・鋤とかの一見単純な技術や工夫、科学的方法や論理などの概念、そしてお決まりの蒸気機関を介して有人飛行までも網羅している。

 それだけに、バラエティに富み美味しい所のつまみ食いみたいな楽しさがある。その反面、個々のテーマへの掘り下げは足りないのは、まあ仕方がないか。

 もう一つ、最近の私が凝っている「小説家になろう」の読み手としても、やっぱり楽しい本だ。

 文明の遅れた世界に行って、現代知識で無双しよう…とか思っても、コンピュータのない世界に行ったら、プログラマはなんの役にも立たない。実際、著者はそういう発想で書き始めたそうだ。

 私も「なろう」の異世界に行ったら、何もできそうもない。だって革のなめし方さえ知らないし。ってんでこの本を読むと…いや、やっぱ、勘弁してほしいなあ。よく見つけたもんだ、そんな方法。

 やっぱり「なろう」で楽しいのは、文明の進歩を速められること。著者もそんな想いを持っているらしく。「人類はこんな事も分からずに××年も無駄にした」みたいな記述がアチコチにある。例えば…

医学は、体液病理説が放棄されたあとの2世紀ほどの間に、それ以前のすべての世紀の間に進んだよりも、はるかに進んだのです。
  14.体を癒す:薬とその発明の仕方――

 まあ、そのためには、統計学とか対照実験とか二重盲検法とかの概念が必要だったんだけど。

 また、「そんな小さな工夫で…」みたいな驚きも多い。やはり医学だと、聴診器がソレ。

聴診器を発明するには、筒を作って誰かの胸に当てるだけでいいのです。
  ――10.3.2 聴診器

 「そんな単純なモンで」と思うんだが、意外と気が付かないんだよね、こーゆーの。

 聴診器は誰もが知ってるけど、ベルトン式水車(→Wikipedia)は、あまし馴染みがないだろう。工夫は単純で、水車の各バケツの真ん中に「くさび型の境目」をつけるだけ。この工夫も意外だけど、これを見つけたキッカケも可笑しい。いやホントか嘘かわかんないが。

 と、そんな、ちょっとした歴史のトリビアもギッシリ詰まってる。産科鉗子のチェンバレン家の話とかは、いかにもありそうで切ない。

 また、現在の私たちの文明が、意外と「たった一つのこと」に依存してるのも、実感できたりする。その代表例が、これ。

文明を滅ぼすこともできる原子炉の力を手にした今でさえ、私たちはその力をほとんど水を沸騰させるためだけに使っているのです。
  ――10.5.4 蒸気機関

 いやあ、ボイルの法則(→Wikipedia)は偉大だわ。要は「高温の気体は体積がやたらデカくなる」って理屈。自動車もロケットも原子力発電所も銃も、体積の爆発的な拡大が原動力なんだよね。

 やはり科学で圧倒的だったのが、11章。ここでは原子の仕組みから化合物ができるまでを扱うんだが…

最も小さな電子核は、2個の電子を収納できますが、次の電子核には8個、その次に大きな電子核には18個、というぐあいに、2(n2)という式にしたがって、収容できる電子の数が、外側の殻ほど多くなります。
  ――11.化学:物とはなにか? どうやって物を作ればいいのか?

 ってな規則性から始まって、様々な物質が、どう結びつくかまでを扱ってる。私は化学が苦手なんだけど、この章を読むだけで化学が分かった気になるから凄い。

 科学エッセイが好きな人に、技術史に興味がある人に、「なろう」で現代知識無双を夢見る人にお薦め。

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2023年1月 8日 (日)

デビッド・クアメン「スピルオーバー ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか」明石書店 甘糟智子訳

ある生物種を宿主としていたウイルスが別の種に感染し、その新たな宿主の間で繁栄し広がったときに、異種間伝播による新興感染症が出現する。
  ――1 青白い馬 ヘンドラ

人類学者リサ・ジョーンズ=エンゲル&医師グレゴリー・エンゲル
「私たちが探しているのは『次なる大惨事』だからです」
  ――6 拡散するウイルス ヘルペスB

「なぜコウモリなのか?」
  ――7 天上の宿主 ニパ、マールブルグ

【どんな本?】

 人類は天然痘を撲滅した。ポリオも克服しつつある。だが黄熱やエイズは今も猛威を振るい、インフルエンザは毎年のように新型が登場する。そしてもちろん、新型コロナも。

 その違いは何か。

 天然痘とポリオに感染するのはヒトだけだ。だからすべての人にワクチンが行き渡れば撲滅できる。だが黄熱やインフルエンザは違う。これらは野生動物や家畜からヒトに飛び移り、続いてヒトからヒトへと感染する。いわゆる人獣感染症だ。

 人獣感染症は、インフルエンザなど有名で馴染みのものばかりではない。ヘンドラやニパなど、馴染みのないものや、最近になって発見されたものもある。また、新型コロナのように、既存種の変種も。

 人獣感染症には、どんな種類があるのか。それぞれ、どんな状況で感染し、どんな症状になるのか。感染のメカニズムは。その発見には、どんな人たちが関わり、どのような作業や研究がなされ、どのように対策が進むのか。

 幾つもの人獣感染症を追い、著者はアフリカの森の奥から中国の猥雑な市場、オーストラリアの獣医師や合衆国の研究室など、世界中の様々な土地を巡り、多くの人びとを訪ね回る。

 米国のジャーナリストが世界中を駆け巡って体当たり取材を続け、人獣感染症の謎とそれに挑む人々の研究生活を描く、迫真の科学ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Spillover : Animal Infections and the Next Human Pandemic, by David Quammen, 2012。日本語版は2021年3月31日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約471頁に加え訳者あとがき6頁。9.5ポイント47字×22行×471頁=約487,014字、400字詰め原稿用紙で約1,218枚。文庫なら2~3冊の大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も分かりやすい。分子生物学の話も出てくるが、細菌とウイルスの違いなど基礎的な事から説明しているので、じっくり読めば中学生でも理解威できるだろう。世界中を飛び回る本でもあり、ウガンダなど馴染みのない地名が出てくるので、地図帳などがあると便利。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただし、科学的な説明は順を追って展開するため、理科が苦手な人は素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • 1 青白い馬 ヘンドラ
  • 2 13頭のゴリラ エボラ
  • 3 あらゆるものはどこからかやって来る マラリア
  • 4 ネズミ農場での夕食 SARS
  • 5 シカ、オウム、隣の少年 Q熱、オウム病、ライム病
  • 6 拡散するウイルス ヘルペスB
  • 7 天上の宿主 ニパ、マールブルグ
  • 8 チンパンジーと川 HIV
  • 9 運命は定まっていない
  • 補章 私たちがその流行をもたらした 新型コロナ
  • 訳者あとがき/参考文献/註/人名索引/事項索引

【感想は?】

 この本は様々な側面を持っている。

 第一に、人獣感染症の知識を伝える科学ドキュメンタリーの側面だ。ここでは主にウイルス、それもRNAウイルスが対象となる。

 次に、その根源を探り証拠を集め理論を固める科学者のドキュメンタリーでもある。

 科学者、それもウイルス学者というと、白衣を着て清潔で厳密な隔離施設に勤めるインドアな人を思い浮かべるかもしれない。実際、そういう人も出てくる。特に「2 13頭のゴリラ エボラ」で職務中の事故で閉鎖環境、俗称「刑務所」に閉じ込められた研究員ケリー・L・ウォーフィールドの話は、逆に運用ルールを厳密に守っている由が伝わってくる。いやケリーにとっちゃはなはだ不幸なんだけど。

 が、それ以上に楽しいのが、病気の発生源を追う科学者たちを描く場面。バングラデシュの田舎や中国の洞窟でコウモリを追ったり、アフリカの中央部で野生のチンパンジーの尿を集めたりと、インディ・ジョーンズそこのけの冒険が展開する。

 そして最後に、良質の科学読み物に欠かせない、謎解きの面白さだ。多様ながら生活感をプンプン匂わせる登場人物、知られざる特殊な人びとの社会、想定外の所から出てくる証拠物件、そして意外な真相。

 そんな面白さをギュッと凝縮しているのが、エイズの起源をたぐる「8 チンパンジーと川 HIV」。頁数も100頁超と多いし、ここだけ抜き出して文庫にしたら売れるんじゃなかろうか。とりあえず、私たちが思うよりエイズは古く、米国発祥でもない、とだけ明かしておく。しかも…

HIVが人類へ異種間伝播したのは一回きりではない。私たちが知ることのできる範囲だけでも、少なくとも12回は起きているということだ。
  ――8 チンパンジーと川 HIV

 さて、本書のテーマは人獣感染症だ。動物、それも主に野生動物からヒトに感染する病気である。その多くはRNAウイルスだ。中にはマラリアみたく原虫(→Wikipedia)が原因なのもあるけど。

 だもんで、病気の発生原因は、たいてい野生動物にある。

森で死んでいる動物には決して触らないこと。
  ――2 13頭のゴリラ エボラ<

 とか、幼い頃に教わった人も多いだろう。理由の一つは、病気を貰いかねないからだ。本書を読むと、それが身に染みる。もっとも、感染症を追う科学者たちは、なんか割り切ってる人も多いんだけど。

 現在、猛威を振るっている新型コロナウイルスでは、感染の広がり方について、様々な予測がされている。幾つか脚光を浴びた説がある中で、ちょっと見は意外な人たちが注目されている。数学者だ。実際、感染の広がり方は、数式で予測できるのだ。七面倒くさい微分方程式なんだけど。

感染症を理解する上で数字は重要な側面だ。
(略)病原体が感染を絶やさないためには、宿主集団に最低限の規模が必要で、(略)臨界集団サイズ(CCS)として知られる。
人獣共通のウイルスは、人間集団の周辺の動物でも伝播するので、人間のCCSを考慮しても意味がない。
  ――3 あらゆるものはどこからかやって来る マラリア

 今、ちょっと調べたら、新型コロナもヒトから犬や猫に感染するらしい(→農林水産省/新型コロナウイルス感染症について)。逆、つまり犬猫からヒトへの感染は確認されていないので、一安心だけど。

 その新型コロナ、今は様々な株が確認されている。だが話題になった2019年12月時点では、様々な情報が錯綜した。それもそのはず、「新しいウイルス」は、遺伝子工学が発達した現代でも、見つけるのが難しいのだ。

DNAやRNAの断片を探すPCR法や、抗体や抗原を探す分子分析といった検査方法が有効なのは、すでに身近な病原体、あるいは少なくとも身近なものによく似た病原体を探している場合のみだ。
  ――4 ネズミ農場での夕食 SARS

 これが、人獣感染症の本来の宿主を探すとなると、更に難しい。というのも、相手はヒトじゃない。「ヒトと関わりの深い動物」だからだ。もっと広いい視野が必要になる。細菌学者も役に立つんだが…

ほとんどの細菌学者は細菌学研究に入る以前に医師としての訓練を受けている
  ――5 シカ、オウム、隣の少年 Q熱、オウム病、ライム病

 彼らの世界観の基盤は、あくまでも医師であって、対象はヒトなのだ。必要なのはヒトと動物とのかかわり、つまり…

生態学者リチャード・S・オストフェルド
「どんな感染症も本質的には生態系の問題だ」
  ――5 シカ、オウム、隣の少年 Q熱、オウム病、ライム病

 ヒトと動物を含めた、生態系全体を見る視野が求められる。ここでは、意外な分野の学問が役立ったりする。

調査のために最初に現地入りしたのは社会人類学者だった。
  ――7 天上の宿主 ニパ、マールブルグ

 地域によって、ヒトの暮らし方は違うし、動物との関わり方も違う。この章では、バングラデシュ独特の文化が決定的な証拠となった、幸か不幸か、この文化は他地域へ輸出できそうにないが、よく見つけたものだと感心する。

 こういった人獣感染症の多くは、RNAウイルスだ。普通、遺伝子は二重らせんのDNAである。遺伝情報はDNAからRNAに転写され、RNAからタンパク質に変換される(→Wikipedia/セントラルドグマ)。ところがレトロウイルスは、この掟を破り…

通常、生物はDNAの情報をRNAに写し取り(転写)、それをタンパク質に翻訳する。だが、レトロウィルスはこれとは逆に、宿主細胞の中で自らのRNAをDNAに変換し(逆転写)、そのDNAを細胞核に侵入させ、宿主細胞のゲノムに組み込ませる。
  ――8 チンパンジーと川 HIV

 とんでもねえ奴らだ。ばかりでない。DNAは二重らせんなので、コピーの際、ちょっとしたエラーチェックが働く。そのため、滅多に転写ミスは起きない。だがRNAは一重なので、転写ミスすなわち突然変異が起きやすい。大半の突然変異はロクでもない結果、つまり生き残れないが、ごく稀に生き延びて子孫を増やす奴がいる。RANウイルスは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式で、頻繁に変異を繰り返す戦略をとった。

エドワード・C・ホームズ
「彼ら(RNAウィルス)はどんどん種を飛び移っていく」
  ――6 拡散するウイルス ヘルペスB

 とまれ、他の宿主に感染するまでは、今の宿主に生きていてくれないと、寄生する側も行き詰る。まあ、あくまでも「他の宿主に感染するまで」なんだが。そんなわけで…

(スーティーマンガベイがSIVに)感染していても健康だということは、スーティマンガベイにおけるこのウィルスの歴史が長いことを示唆している。
  ――8 チンパンジーと川 HIV

 無害化とまではいかないまでも、潜伏期間が長い方がウイルスにとっちゃ有利だったりする。繰り返すが、変異の結果、無害化するワケじゃないことに注意。

 終盤では、人獣感染症のこれからについて、いささか不吉な予言がなされたりする。

「(鳥インフルエンザは)おそらく野鳥によってインド、アフリカ、ヨーロッパと西へ運ばれたのだ」
  ――9 運命は定まっていない

 航空機が発達した現在、ヒト→ヒトの感染でさえ抑え込むのが難しい。まして世界中を飛び回る野鳥なんか、どうしようもない。今後も、人類は否応なく感染症と戦い続けなければならないようだ。

 とかの暗い話もあるが、中国の野趣あふれる市場の様子や、国境なにそれ美味しいの?なアフリカ中央部の風景などは、冒険物語の一場面のようで、結構ワクワクしたり。分量は多いが、世界中を飛び回って書き上げた作品だけあって、舞台は次々と移り変わるので、意外と飽きずに楽しめた。科学読み物としてももちろん面白いが、世界中を駆け巡る旅行記としても楽しい本だ。

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2022年12月15日 (木)

ジェイムズ・クリック「インフォメーション 情報技術の人類史」新潮社 楡井浩一訳

新しい媒体は必ず、人間の思考の質を変容させる。長い目で見れば、歴史とは、情報がみずからの本質に目覚めていく物語だと言える。
  ――プロローグ

【どんな本?】

 1948年、数学者・電気工学者のクロード・シャノン(→Wikipedia)が論文「通信の数学的理論」(→Wikipedia)を発表する。

 この論文のテーマは「情報」である。それまであやふやだった「情報」という言葉に明確な定義を与え、かつビット(bit)を単位に「測り計算する」ことを可能にした。その代償として、幾つかのものをそぎ落としたのだが。

 地味なタイトルとは裏腹に、この論文をさきがけとして発達した情報理論は、本来の対象である情報通信分野だけに留まらず、心理学や生物学そして宇宙論にまで、大きな影響を及ぼしてゆく。

 シャノンの提唱した「情報」とは何か。それは何を含み、何を含まないか。シャノン以前に、ヒトは情報をどう扱っていたのか。

 シャノンの情報理論を軸に、トーキング・ドラム,文字,印刷,辞書,階差機関,腕木通信,電信,電話,暗号,遺伝子など「情報」にまつわる歴史と科学のトピックを折り込み、「情報」の性質と人類に与えた影響を俯瞰する、一般向けの歴史・科学ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Infomation : A History, A Theory, A Flood, by James Gleick, 2011。日本語版は2013年1月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約522頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント44字×21行×522頁=約482,328字、400字詰め原稿用紙で約1,206枚。文庫なら上下巻または上中下巻の大容量。

 文章は少し気取っていて、私には詩的すぎる。もっとも、古典文学や学者の著作の引用が多いので、そう感じるのかも。

 肝心のシャノンの情報理論は、プログラマーには馴染み深いが、そうでない人にはちと分かりにくいかも。難しいのは「シャノンが何を言っているか」より、「あなたが何を忘れなければいけないか」だったりする。数学でよくあるパターンだね。ただし、暗号が好きな人はキッチリ読むと楽しめる。

 歴史のエピソードは分かりやすいので、面倒くさかったら数式関係を読み飛ばそう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、できれば頭から読もう。

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  • プロローグ
  • 第1章 太鼓は語る 符号が符号ではない場合
  • 第2章 言葉の永続性 頭の中に辞書はない
  • 第3章 ふたつの単語集 書くことの不確実、文字の不整合
  • 第4章 歯車仕掛けに思考力を投じる 見よ、恍惚たる算術家を
  • 第5章 地球の神経系統 貧弱なる針金数本に何が期待できようか?
  • 第6章 新しい電線、新しい論理 「これほど未知数であるものは、ほかにない」
  • 第7章 情報理論 「わたしが追及しているのは、ただの平凡な脳だ」
  • 第8章 情報的転回 心を築く基礎材料
  • 第9章 エントロピーと悪魔たち 「ものごとをふるい分けることはできません」
  • 第10章 生命を表す暗号 有機体は卵の中に記されている
  • 第11章 ミーム・プールへ あなたはわたしの脳に寄生する
  • 第12章 乱雑性とは何か 罪にまみれて
  • 第13章 情報は物理的である それはビットより生ず
  • 第14章 洪水のあとに バベルの壮大な写真帳
  • 第15章 日々の新しき報せ などなど
  • エピローグ 意味の復帰
  • 謝辞/訳者あとがき/索引/注記(抄)/参考文献

【感想は?】

 言われてみれば…が、正直な感想。

 チャールズ・バベッジ,アラン・チューリング,フォン・ノイマンは、SF小説や漫画によく登場するし、知られてもいる。だが、クロード・シャノンに注目した作品は少ない…というか、私は知らない。

 だが、SF者はシャノンに感謝すべきなのだ。「天冥の標」も「Gene Mapper」も「われらはレギオン」も、シャノンの情報理論から始まった「革命」で生まれた作品なのだから。

 序盤は、情報…というより通信と人類の歴史を紐解いてゆく。はじまりは、アフリカのトーキング・ドラムだ。その通信速度はすさまじい。

(トーキング・ドラムの)メッセージは、村から村へと引き継がれ、1時間もしないうちに百マイル(約160km)以上も遠くへ届いた。
  ――第1章 太鼓は語る

 てっきり信号だと思っていたが、モロに「喋って」いたとは。しかも妙に言葉遣いは古く、詩的な言い回しが多い。伝統に沿っているのもあるが、実はちゃんと理由があって…。ヒントはフォネティック・コードと中国語。中国で発達しなかったのは、人口密度が高く雑音が多いからだろうなあ。この一見無駄に思える詩的な古語が、後にシャノンの情報理論と深く関わってくる。

 第2章では、情報を伝える手段がヒトの認識を変えるさまを語る。文字の発明は、人類の思考能力を大きく変えたのだ。

20世紀米国の司祭・英文学者・歴史家ウォルター・オング(→英語版Wikipedia)
「ギリシャ文化が形式論理を発明したのは、アルファベットで書くというテクノロジーを取り込んだあとであることがわかっている」
  ――第2章 言葉の永続性

 「約三千年前まで人類は意識を持っていなかった」と主張する「神々の沈黙」はトンデモかと思ったが、文字が人間の思考に大きな影響を及ぼすのは確からしい。そういえば、五線譜の発明も西洋音楽の複雑化の足掛かりとなったんだっけ(→「音楽の進化史」)。記し伝える技術は、モノゴトの進歩を促すのだ。

 その文字、例えば漢字は、象形文字から発達した。そのため、個々の文字に意味がある。対して西洋のアルファベットは表音文字であり、単なる記号の性質が強い。意味を失い、より符号に近い文字とも言える。

 第3章のテーマは、言葉を集めた本、つまり辞書だ。同じ「何かを集めた本」でも、草や魚の事典は、生息地や季節など、何らかの「意味」で分類・整列する場合が多い。対して辞書は、アルファベット順という、一種の無機的・機械的な手順で並んでいる。

アルファベット順の一覧表は、機械的で、効率的で、自動的だった。アルファベット順に考えていくと、単語とは、ものと引き換えるための代用通貨でしかない。実質的に、それは数字と同じようなものと言っていいだろう。
  ――第3章 ふたつの単語集

 この「意味の剥奪」も、シャノンの情報理論の重要なヒントであり、哲学者たちが戸惑う原因でもある。

 第4章では、われらSF者のヒーロー、階差機関のチャールズ・バベッジとエイダ・ラブレースが登場する。いずれも名前は知っていたが、特にエイダ・ラブレースのひととなりを全く誤解していたのを思い知った。博打好きの変わり者って印象だったんだが、現代なら聡明な数学者になっていたんだろうなあ。

19世紀英国の数学者チャールズ・バベッジ(→Wikipedia)
「“計算”の科学――それは、われわれの進歩の各段階で、絶えず必要性を増していくもの、また科学の生活術全般への応用を、最終的に統べるに相違なきもの」
  ――第4章 歯車仕掛けに思考力を投じる

 第5章ではキース・ロバーツ「パヴァーヌ」にも登場した腕木通信(→Wikipedia)を紹介し、閃光のようなデビューと没落の物語を綴る。腕木通信が従来の手紙と大きく異なるのは、これが一種のデジタル通信である点だ。

17世紀英国の牧師・数学者ジョン・ウィルキンス(→英語版Wikipedia)
「五感のいずれかで知覚可能な画然たる相違を備えしものは何であれ、思考作用を表現するに足る手段となりうる」
  ――第5章 地球の神経系統

 文字を意味から解き放ち、いったん符号化して伝送路に流し、受け取った者が符号から文字に戻し、意味を読み取る。この手口なら、伝送路に流せる符号つまり何らかの差異さえあれば、何であれ伝達手段にできる。例えば腕木通信なら腕木の形だし、Ethernet なら電圧の高低になる。いずれにせよ、通信を扱う者にとって言葉は…

結局のところ、言語とは器具なのだ。
  ――第5章 地球の神経系統

 なんて、従来の詩人や作家が聞いたら怒り狂いそうな、みもふたもないシロモノに成り下がってしまう。

 もっとも、それは今の私たちの感覚であって、20世紀初頭はそうじゃなかった…数学者や工学者でさえ。アラン・チューリングやフォン・ノイマン、そしてクロード・シャノンなど、コンピューター黎明期の人々は、ソコが大きく違っていた。

回路と論理代数を結びつけるのは、常識を超えた発想だった。
  ――第6章 新しい電線、新しい論理

 ここでは、電信にかわる新しい通信手段である電話をめぐる逸話が楽しい。

電話なら、子どもでも使えた。まさにそれが理由で、電話は玩具のように思われた。
  ――第6章 新しい電線、新しい論理

 簡単に使えるモノは、中身も簡単だし程度も低いと思われがちなんだよね。実際には「使いやすいモノ」を設計し造るのは、とっても難しいのに。いやただの愚痴です。

 第7章では、アラン・チューリングとクロード・シャノンの切ない出会いから始まり、いよいよシャノンの情報理論へと切り込んでゆく。

(ヒルベルトの)“決定問題”には答えがあり、その答えが“否”であることを(アラン・チューリングは)証明した。
  ――第7章 情報理論

 ここでは、情報理論が暗号解読と深い関係があるのを示唆しつつ、情報理論の神髄を説明しようと試みている…が、これで理解できる人は少ないだろうなあ。英語の冗長度とかの面白い逸話もあるんだけど。

 シャノンの情報理論の特異な点の一つは、情報量を数値すなわち bit で表したこと。そのためには、情報から意味を剥奪する必要があったんだが、それに納得できない人もいる。

フォン・フェルスター(→英語版Wikipedia)
「みんなの言う情報理論のことを、わたしは“信号”理論と呼びたかった」
  ――第8章 情報的転回

 もっとも、本当に意味と無縁かというと、そうとも言い切れないのが面倒臭い。

情報とは意外性なのだ。
  ――第8章 情報的転回

 とはいえ、情報理論は他の分野にも大きな波紋を広げてゆく。例えば、バラス・スキナー(→Wikipedia)に代表される行動主義(→Wikipedia)がブイブイいわしてた心理学。一言で言っちゃえば、頭の中で何を考えたかは一切無視して、刺激と行動だけで考えましょう、みたいな主張ね。

 そこにシャノンが情報や情報処理って概念を唱えたもんで、「じゃ(ヒトを含む)生物も情報処理してるよね」みたいな発想が出てくる。例えば…

これ(ジョージ・ミラーの論文「摩訶不思議な数7プラスマイナス2:人の情報処理能力の一定限界」)が心理学における“認知革命”と呼ばれる動きの始まりであり、この動きによって、心理学とコンピューター科学と哲学を合体させた“認知科学”という学問分野の基礎が固められた。
  ――第8章 情報的転回

 この情報理論、どういうワケか数式は熱力学のエントロピーとソックリだったりする。実際、理屈の上じゃ似てるんだ。エントロピーは無秩序さの指標で、シャノンの言う「情報」は得られた情報=消えた無秩序さの指標だし。そんなワケで、情報理論は物理学も巻き込み始める。

エルヴィン・シュレーディンガー(→Wikipedia)
「代謝における本質とは、有機体が生きているあいだにどうしても生み出してしまうエントロピーすべてをうまく放出することにあります」
  ――第9章 エントロピーと悪魔たち

 更に生物学では、DNAの二重らせんが発見され、これも ATCG の四種の塩基(対)からなるのが判ってきた。とすれば、これを「四種類のアルファベットからなる暗号」と見なす人も現れる。

(ジョージ・)ガモフ(→Wikipedia)とその支持者たちは、遺伝暗号を数学のパズルとして、つまり、あるメッセージを別のアルファベットのメッセージに写像することとして理解していた。
  ――第10章 生命を表す暗号

 こんな発想ができたのも、シャノンが情報から意味をはぎ取ったが故の汎用性なんだろうなあ。プログラマなら身に覚えがあるよね。一段メタな視点に立つと、汎用性の高い道具になる、みたいな経験。

 この発想は、やがてリチャード・ドーキンスの著作「利己的な遺伝子」として世に広まってゆく。と同時に…

“ミームというミーム”
  ――第11章 ミーム・プールへ

 なんてのも、私たちの脳内に棲みついてしまう。

 さて、「情報」の面倒くさい点の一つは、その大きさを「本当に」知るのが難しい所だ。例えば円周率π。Unicodeでπと書けば16bitで済む。でも数値で3.1415…と書いたら、何bitあっても足りない。どっちが妥当なんだろう?

ある対象の複雑性とは、対象を発生させるために必要な最小の計算プログラムの大きさだ。
  ――第12章 乱雑性とは何か

 とまれ、これCOBOLで書いたら異様に長くなってしまう。アセンブラじゃ更にしんどい。でもプログラム言語によっては予約語または標準ライブラリでPIを用意してたりする…なんて悩むかもしれんが、そこには賢い先人がいた。チューリング・マシンを使えばいいのだ。すんげえ使いづらいけど。

 話は変わって量子力学。

 ニュートン力学だと、力や質量はアナログすなわち連続した値だった。でも量子力学の世界だと、量子のスピンなどは飛び飛びの値をとる。つまりデジタルなのだ。これって…と思ったら、ちゃんと結びつける人もいた。

物理学者クリストファー・フックス
「量子力学は常に情報についての理論だった。ただ、物理学会がそのことを忘れていただけだ」
  ――第13章 情報は物理的である

 その極論が、これ。

宇宙は、自らの運命を算出している。
  ――第14章 洪水のあとに

 はい、ダグラス・アダムスの有名作のアレですね。ホント、SFはシャノンにお世話になってるなあ。

 今世紀に入り、私たちはインターネット経由で大量の情報を浴びるようになり、それを懸念する人も多い。ただ、こういう現象は今までもあったのだ。

印刷機、電信、タイプライター、電話、ラジオ、コンピューター、インターネットが、それぞれの時代に栄えるたびに、人々はまるで初めてそう口にするかのように、人間の通信に負荷がかかっていると言った。新たな複雑さ、新たな隔絶、恐るべき新たな極端さが生じた、と。
  ――第15章 日々の新しき報せ

 もっとも、私みたく脳みそのメモリが少ない奴は、入ってくる情報を次々と忘れていくんだけど。多くの人が亡くなるニュースがあっても、それが馴染みのない外国だと、何も感じなかったりするし。

情報理論の誕生とともに、情報に価値と目的を与える特質そのものである“意味”が、容赦なく犠牲になった。
  ――エピローグ 意味の復帰

 そこに意味を見いだすには、やっぱりヒトとしての感情が必要なのだ。

信号を情報に転じるには、人間――あるいは“認知主体”とでも言おうか――が介在する必要がある。
  ――エピローグ 意味の復帰

 もっとも、これは数式一般に言えることで。

 いったん物語から意味をはぎ取ってxやyに変換し、ソレを手続きに従い変形し、得た解に再び意味を与える。数学がやってるのって、そういう事だよね。少なくとも科学や工学の数学は。だけじゃなく、プログラムも同じかな?

 なんて偉そうなことを書いちゃったが、他にも電話創世期の米国の農村で流行った鉄条網電話とか、ユーモラスな歴史トピックもも楽しめる、厚いだけあって中身もギッシリな本だった。やっぱり技術史は楽しいなあ。

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2022年11月21日 (月)

ローランド・エノス「『木』から辿る人類史 ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る」NHK出版 水谷淳訳

いまや、木の役割を見直すべきときだ。本書は、このもっとも汎用性の高い素材と私たちとの関係性に基づいて、人類の進化、先史時代、歴史を新たに解釈し直したものである。
  ――プロローグ どこにもつながっていない道

【どんな本?】

 人類文明の曙について、私は石器時代→青銅器時代→鉄器時代と習った。だが、この分類には、重要な素材が欠けている。木だ。

 石や金属に比べ、木は遺物として残りにくい。そのため、石や鉄の矢じりや斧頭は残るが、弓と矢や斧の柄は残らない。モノで人類史を辿ると、どうしても残った石や金属部品に目が行く。だが、弓と矢や斧の柄そして槍の柄など木製の部分も、道具の性質や性能に大きな影響を及ぼす。

 2019年4月には、パリのノートルダム大聖堂が火災にあった。石造りだと思われていたが、木材も建物を支える役割を担っていたのだ。私たちの知らない所で、木材は重要な役割を果たしてきたし、今も果たしている。

 木は、石や金属やプラスチックと違い、独特の性質を持っている。例えば、木目(年輪)の向きによって、加工のしやすさや構造材としての強さが大きく異なる。また、乾燥することでも、強度や性質が変わる。もちろん、木の種類によっても違う。

 樹上生活だった類人猿の時代から現代に至るまで、木が人類に与えた影響と人類の木の利用法について、生体力学の研究者が科学と工学および歴史の知識を駆使しながらも親しみやすい語り口で綴る、一般向けの歴史・科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Age of Wood : Our Most Useful Material and the Construction of Civilization, by Roland Ennos, 2020。日本語版は2021年9月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約332頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×17行×332頁=約242,692字、400字詰め原稿用紙で約607枚。文庫ならちょい厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も一般向けで、分かりやすい方だろう。中学卒業程度の理科と歴史の素養があれば、ほぼ読みこなせる。木工の経験があれば、更によし。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

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  • プロローグ どこにもつながっていない道
  • 第1部 木が人類の進化をもたらした 数百年前~1万年前
  • 第1章 樹上生活の遺産
    樹上生活に適した身体とは/食物の変化と脳の発達/類人猿の脳はなぜ大きいのか/木の複雑な構造を理解する/二足歩行はどのように始まったか
  • 第2章 木から下りる
    植物をとるために道具を使う/木の組織構造を利用する/木を燃やす/火を使った調理の始まり
  • 第3章 体毛を失う
    狩猟仮説と体温調節/寄生虫対策/木造の小屋と体温調節
  • 第4章 道具を使う
    石器神話はどこが問題なのか/木製道具による知能の進化/チームワークによる狩り/狩猟用の道具を極める
  • 第2部 木を利用して文明を築く 1万年前~西暦1600年
  • 第5章 森を切り拓く
    木船による交易の始まり/農耕の問題/どのようにして森を切り拓いたか/家や井戸を造る/萌芽から木を育てる
  • 第6章 金属の融解と製錬
    木炭で金属を製錬する/造船技術の進歩/車軸の発明/アメリカ大陸ではなぜ車輪が使われなかったのか
  • 第7章 共同体を築く
    建築技術の発展/ヴァイキング船の黄金時代/鋸の登場/花開いた木工文化
  • 第8章 贅沢品のための木工
    整備な彫刻/楽器の音色を左右する
  • 第9章 まやかしの石造建築
    ストーンヘンジは木造だった?/石造りの屋根が難しいわけ/ゴシック建設をひそかに支える木材/意外に高い断熱性と耐久性
  • 第10章 文明の停滞
    古代以降なぜ進歩は鈍ったのか/森のそばで栄えた製鉄業/伝統的な木工技術の限界
  • 第3部 産業化時代に変化した木材との関わり 西暦1600年~現代
  • 第11章 薪や木炭にかわるもの
    石炭の利用でイギリス経済が発展/新たな動力源/石炭を使った製鉄/蒸気機関 産業革命の推進力
  • 第12章 19世紀における木材
    錬鉄の発明/鉄道・建築・船舶の発展/木製品の大量生産/鉄と木を組み合わせる/紙の発明とメディアの台頭
  • 第13章 現代世界における木材
    鋼鉄とコンクリートの発明/世界を席巻するプラスチック/合板で飛行機を造る/建築界を一変させた新たな素材/増えつづける木材の使用料
  • 第4部 木の重要性と向き合う
  • 第14章 森林破壊の影響
    森林伐採による土壌流出の影響/広葉樹と針葉樹の違い/技術発展により広がる森へのダメージ/森林面積と気候変動の関係/植林がもたらす問題
  • 第15章 木との関係を修復する
    さまざまな緑化運動/再自然化運動の高まり
  • 謝辞/訳者あとがき/原注/参考文献

【感想は?】

 ヒトと木の関わりは、「森と文明」や「木材と文明」を読んできた。

 両者が素材やエネルギー源そして経済活動の場として森林を見ているのに対し、本書の特徴は、木材の構造材としての性質に注目している点だろう。さすが生体工学者。

 しかも、話は文明化以前から始まる。なんたって、樹上生活からだ。スケールがデカい。

 道具を使い始めてからも、ヒトは木の性質を使いこなす。例えば槍を作るにしても…

木の組織には、木自体にとっては役に立たない二つの性質があり、初期のヒト族は思いがけずそのうちの一つにも助けられたようだ。木が折れて乾燥しはじめると、力学的性質が向上するのだ。
  ――第2章 木から下りる

 軟らかい生木のうちに加工しておいて乾かすと、掘り棒にしたってグッと強くなる。当然ながら薪としても乾いてる方がいい。問題は、どうやって木を加工するか、だ。鑿や鋸があるならともかく、先史時代じゃ、そんな便利なものはない。かといって、折るにしても、木ってのは、木目があるから、折り口がギザギザになって綺麗な形にはならない。そこで石器だ。

初期のヒト族が使っていた大型の道具のほとんどは木でできていて、石器は小物の刃物に限られていたものと推測できる。
  ――第4章 道具を使う

 矢じりとか槍の穂先とかですね。または、木を加工するためのナイフとか。この視点が面白くて、本書では石器→青銅器→鉄の変化を、木の加工技術の進歩として描き出してるのが大きな特徴。

金属の登場によって人々はますます木に頼り、さらにずっと多く木を利用するようになったのだ。
  ――第6章 金属の融解と製錬

 石から金属にかわることで、より精密に木を加工できるようになった、と説いてる。その代表が…

銅器や青銅器の出現と時を同じくして、旧世界の輸送手段を一変させて国際貿易の引き金を引いた二つの木製品が登場した。それは板張り船と車輪である。
  ――第6章 金属の融解と製錬

 木で船を作るったって、木の継ぎ目から水が漏れてきたら、たまったモンじゃない。水漏れがないように、高い精度で板を切り出し継ぐ技術が要るわけ。車輪も丸太を輪切りにしたんじゃダメで、木は乾くと直径方向に割れ目が入っちゃう。

 ここでは「車輪の直径が大きいほど、また車軸が細くなめらかですべりやすいほど、車輪は容易に転がる」のが意外だった。他はともかく、車軸は細い方がいいのかあ。また、青銅器時代で、車輪と車軸が独立に回るタイプがあるのも驚き。これだと左右の車輪の回転が違ってもいいので、カーブを曲がりやすいのだ。更に紀元前2550年ごろには、アイルランドで木製のレールまでできてる。

 とまれ、当初の車輪は板を貼り合わせて円形にしたもの。今風のものは…

初のスポーク付き車輪は、紀元前1500年ごろにエジプト人や彼らと対立する中東の人々によって作られたが、車輪の構造がもっとも進歩したのは、ホメロスの叙事詩に描かれたギリシャ時代の二輪戦車においてである。
  ――第7章 共同体を築く

 ちなみに車輪が歪むのは防げなかったようで、使わない時は車輪を外すか戦車を上下さかさまにひっくり返すかそうで。兵器のメンテは大事なのだ。

 古代の加工技術恐るべしと思ったのは…

製陶用のろくろが発明されたのは車輪と同じ紀元前3500年ごろだが、旋盤が登場するのは紀元前1500年ごろになってからで、エジプトの壁画に描かれている。
  ――第7章 共同体を築く

 紀元前に旋盤まで登場しているとは。他にもお馴染みのアレも…

曲げた木の板をつなぎ合わせて作る木製の樽は、おそらく紀元前350年ごろにケルト人によって発明され、アンフォラ(土器)よりもはるかに実用的であることがすぐに明らかとなった。強度が強いうえに、地面を転がして運ぶこともできるし、簡単に積み重ねることもできた。
  ――第7章 共同体を築く

 いや樽って、ちょっと見は単純な構造だけど、水漏れしないように造るのって、すんげえ難しいと思うんだよね。ちなみに本書では樽をコンテナに例えている。

 などの実用品に加え、贅沢品にも木は使われている。その一つが、楽器。

ほとんどの楽器は、特定の振動数の空気振動を増幅させる共鳴室をそなえていて、その壁や仕切り板が共振して音の大きさと質を高めるようにできている。そのため、音を速いスピードで伝えて高い周波数で共振する、軽くて剛性の高い木材で作られている。
  ――第8章 贅沢品のための木工

 ここではバイオリンの名器ストラディヴァリウスの話も出てきて、寒い小氷期に成長したトウヒが関係あるかも、なんて切ない話も。

 最初にパリのノートルダム大聖堂の火災について触れた。欧州の石造りの建築物の多くが、実は中で木をたくさん使っているらしく…

建築の歴史は、うわべだけは石造りの建物を、木材を使って安定させて守るための技術の進化ととらえることができるのだ。
  ――第9章 まやかしの石造建築

 なんて暴露してる。特に屋根が難しいんですね。しかも木ってのはクセがあって…

伝統的な木工品が抱える構造上の最大の欠点は、木材が等方的でない、つまり木目に沿った方向と木目に垂直な方向で性質がまったく異なることに由来し、それが木工において大きな問題となる。
  ――第10章 文明の停滞

 これを解決する手段の一つが、斜めに支えを入れて三角形の組み合わせにすること。いわゆるトラス構造(→Wikipedia)。

 建物の大工はトラスの利点に気づいてたけど、船大工には伝わらなかったらしい。ちなみに船じゃ竜骨(船底中央の太い木材)が巧妙な発明と言われてるが、その理由も少しわかった。

船を浮かばせる浮力のほとんどは船体の中央周辺にかかり、その場所は幅がもっとも広くて船体がもっとも深く沈む。一方、船の残後端はもっと幅が狭く、船尾と船首は海面からかなり突き出している。そのため、前後端の重みで船首と船尾が下に引っ張られて船全体がしなり(これをホギングという)、骨組みに剪断力がかかる。
  ――第10章 文明の停滞

 船底中央には強い力がかかるから、それだけ強い構造材が必要なのだ。

 こういう、工学的な話は実に楽しい。やはり蒸気機関の発達にしても、工学…というより工作技術が大事な役割を果たしている。ジェイムズ・ワットとジョン・ウィルキンソンの蒸気機関の改造では、シリンダーとピストンの精度による蒸気漏れが壁だったんだが…

大砲の砲身をくりぬくための中ぐり盤を使って、中の詰まった鉄の塊に円筒形の穴を精確に穿つことで、ピストンがぴったりはまって上下に自由に動ける、内面のなめらかなシリンダーを作ったのだ。こうして、蒸気機関の製造を阻む最大の技術的問題(=水蒸気漏れ)が克服された。
  ――第11章 薪や木炭にかわるもの

 そうか、中ぐりで作っていたのか。

 その蒸気機関による鉄道、線路を敷こうとすれば、川を越えなきゃいけない。そこで必要になるのが、橋。欧州じゃ錬鉄で橋を架けたが、新大陸では…

アメリカの鉄道が誇りとしていたのは、峡谷を渡る壮観な木製の構脚橋(トレッスル橋)である。これは、ヨーロッパで好んで用いられた鉄製のトラスと土の築堤のかわりに、もっと安価に短期間で作れる木製の桁梁と鉄製の接合具からなる骨組みを用いたものだった。このおかげでアメリカの鉄道の建設費は、1マイルあたり2万~3万ドルと、ヨーロッパの典型的な鉄道の建設費18万ドルの1/6以下だった。
  ――第12章 19世紀における木材

 バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3で、マーティが現代に戻る際に吹っ飛ばした橋だね。ここで著者が注目してるのは、素材が木なのに加え、それを組むのに鉄製のボルトを使っている点。新しい素材と組み合わせることで、木の利用範囲は広がっていくのだ。これは素材ばかりでなく、加工技術もそうで…

集成材を開発でするうえで大きなブレークスルーとなったのが、フィンガージョイント(→英語版Wikipedia)の発明である。
  ――第13章 現代世界における木材

 写真を見ればわかるが、フィンガージョイントはやたら面倒くさい加工が必要だ。たぶん、CNC(コンピュータ数値制御)の発達で可能になった仕組みだろう。

 そんな最新技術の進歩により、木材の利用はますます盛んになっていて…

木材の生産量と使用量は年ごとに増えていて、2018年には約14憶立方メートルだったのが、2030年には約17憶立方メートルまで増えると予想されている。
  ――第13章 現代世界における木材

 そういや、東京オリンピックで再建した国立競技場も、木を使ってると盛んに宣伝してたっけ。あれ、単なる懐古趣味じゃなくて、CLT(Cross Laminated Timber,直交集成板、→一般社団法人CLT協会)とかの最新技術を使っているのだ。CLTはビルにも使えて…

集成材やCLT(直行集成材)で建てられた新たな高層ビルやマンションの重量は、従来の鉄筋コンクリートの建物の1/5ほどである。それによって、建築時に消費されるエネルギーも少なくてすむし、基礎も浅くてすむため、内包エネルギーの量を通常の建物の20%に抑えられる。
  ――第15章 木との関係を修復する

 さすがにブルジュ・ハリファは無理だけど、10階程度なら大丈夫らしい。とまれ、地震の多い日本じゃどうかわかんないけど。

 と、木の利用が増えてる分、植林も盛んになってる。が、そこにも問題はある。日本じゃスギ花粉が猛威を振るってるし。どんな木を植えるかってのは難しい。というのも、木が育った未来の需要で考えなきゃいけないからだ。森林を切り拓くのも一筋縄じゃ行かなくて…

時代を問わず、世界中で同じパターンが何度も繰り返されてきた。その中でももっとも顕著なのが、農耕民が新たな地域に入植するときには必ず、広葉樹に覆われている場所に最初に定住するという傾向である。
  ――第14章 森林破壊の影響

 広葉樹が生える所は土壌が豊かで作物がよく育つ。また、多くの広葉樹は切り株から新芽が再生する(萌芽更新、→Wikipedia)んで、薪も調達しやすい。対して針葉樹は痩せた土地で育つうえに落ち葉が土壌を酸性化してしまう。そんな違いがあったのか。

 他にも萌芽更新は植樹より効率がいいとか、木の股は繊維が絡んでいて強いとか、圧縮木材の製造には製紙の技術が応用されてるとか、小ネタは山ほど詰まってる。技術史に興味を持ち始めた私には、とっても美味しい本だった。

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2022年10月31日 (月)

長谷川修司「トポロジカル物質とは何か 最新・物質科学入門」講談社ブルーバックス

本書の主題であるトポロジカル物質は、ここ十数年程度の研究から生まれた新しい概念で、人類の「物質観」を確信するような非常に興味深いテーマなのです…
  ――はじめに

電子は、物質のなかで隣接する原子どうしを結びつける化学結合を作る主役でもあります。
  ――第5章 バンド構造 物性科学の基礎

【どんな本?】

 ガラスは透明だ。アルミニウムは電気を通す。鉄は電気を通すのに加え、磁石にくっつく。これらの物質の性質には、電子の働きが大きく関係している。

 物質の性質を決める電子の働きと、その電子の性質を調べ解き明かしてきた物理学の歴史を語りながら、理解しがたい量子力学の理論を説き、物質科学の基礎から、最近のノーベル物理学賞を賑わせているトポロジカル物質に至るまでを、数式を使わずに解説する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2021年1月20日第1刷発行。新書版ソフトカバー縦一段組みで本文約289頁。9ポイント43字×16行×289頁=約198,832字、400字詰め原稿用紙で約498枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章は意外とこなれていて読みやすい。ただし、内容はかなり厳しい。基礎から順々に積み上げていく形なので、気を抜くとスグについていけなくなる。量子力学の基礎から最新トピックまでを、本文300頁に満たない新書で語ろうって本なのだから、そこは推して知るべし。数式がないのは素人に有り難い半面、これ一冊で最新物理学を極められる本ではないのも、心得ておこう。

【構成は?】

 先に書いたとおり、基礎から一歩づつ積み上げていく構成だ。なので、最近の物理学に詳しい人でない限り、素直に頭から読もう。

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  • はじめに
  • 序章 バーチャル空間で物質を創る
    科学と数学のつながり/バーチャル空間で物質を創る/トポロジカル物質 上下・左右が入れ替わった物質/トポロジカル物質の性質は頑強/バーチャル空間はリアルな世界につながっている
  • 第1部 ノーベル賞に見る物質科学 トポロジカル物質への前奏曲
  • 第1章 原子から量子物理学へ
    • 1.1 第1回ノーベル物理学賞 X線の発見
      レントゲン写真から立体画像へ
    • 1.2 原子の実在を観る X線回析
      X線 原子や分子を観る光/DNA二重らせん構造の解明/原子仮説がサイエンスになった
    • 1.3 原子の内部構造を観る X線の発生
      X線を測れば原子番号がわかる 周期表の完成/宇宙の物質も分析
    • 1.4 量子物理学の幕開け 電子の波の発見
      原子はなぜ安定に存在できるのか/電子はX線と同じ「波」/原子の中で電子が波立っている
  • 第2章 原子から物質へ
    • 2.1 金属 電子の波が拡がる
      分子 電子波が原子をつなぐ/原子がたくさんつながって結晶に
    • 2.2 絶縁体 電子の波が引きこもる
      共有結合 ダイヤモンド/イオン結合 塩の結晶/「電気陰性度」でまとめると/絶縁体を金属にする
    • 2.3 半導体 電子の波が拡がったり引きこもったり
      半導体温度計 熱エネルギーを利用/光センサー、太陽電池 光エネルギーも利用/発光ダイオード 逆に電子のエネルギーを光に変える
    • 2.4 トランジスター 人類最大の発明
      増幅作用とラジオ/スイッチ作用とコンピュータ/情報化社会の鍵 極微のトランジスターの登場/モバイル時代へ
    • 2.5 超電導 物性物理学の華
      夢の超電導送電/超伝導の発見 オンネスから「BCS」へ/超伝導のメカニズム 電子が加速されずに流れる/2個の電子がペアになる/「高温」超伝導から室温超電導へ/まだまだ未解決の超電導
  • 第3章 物質は量子効果の舞台
    • 3.1 量子物理学の不思議 トンネル効果
      電子の波が「滲み出す」/電子の波の確立解釈/トンネル効果の実証
    • 3.2 走査トンネル顕微鏡
      物質表面から滲み出す電子波を検出する/原子だけでなく電子雲も観える
    • 3.3 量子物理学の不思議 スピン
      スピンはめぐる/シュテルン=ゲルラッハの実験 スピンを検出/強磁性体、常磁性体、反強磁性体 スピンが磁石のもと
    • 3.4 スピンの応用 巨大電気抵抗効果とスピン流
      磁石でのトンネル効果/磁気記録を飛躍させる/スピン流 電流がゼロなので「超」省エネ/反対向きスピンの電子を反対向きに流す
    • 3.5 低次元物質
      1原子層の物質グラフェン/質量“ゼロ”の電子/物質のなかでは電子の質量が変わる/2次元電子系 ノーベル賞の宝庫/なぜ2次元ではスピードが上がるのか/低次元系のメリット・デメリット
    • 3.6 量子ホール効果 トポロジカル物質のさきがけ
      試料の端では電子がスキップして流れる/量子ホール効果からトポロジカル物質へ
    • 3.7 つながるノーベル賞
  • 第2部 バーチャル空間で物質を観る 量子物理学での表現法
  • 第4章 運動量空間とは
    • 4.1 金属のなかの電子の動きを表現する
      膨大な数の電子が動き回る/いろいろな「フェルミ」/フェルミ球に電子を詰める/多数の電子が詰め込まれて満席になる
    • 4.2 電流として流れる電子たち
      電流として流れるのは一番上の電子たちだけ/電流とはバラバラに動く電子の流れ
    • 4.3 電子の速さとエネルギーの関係
      重い電子、軽い電子/質量ゼロの電子/エネルギー分散図 物質の性質を表す地図
    • 4.4 電子の運動量と波長、波数 粒子の性質と波の性質
      運動量と波長は逆数の関係 ド・ブロイの公式/運動量と波数は同じもの
  • 第5章 バンド構造 物性科学の基礎
    • 5.1 科学結合を作る電子たち バンド
      結合と反結合のエネルギーレベル 電子の座席/エネルギーレベルからバンドへ
    • 5.2 電子と正孔
      伝導バンドで電子が、価電子バンドで正孔が動く
    • 5.3 再び 金属、絶縁体、半導体 バンド分散図で見る
      フェルミ準位まで電子が詰まる
  • 第3部 トポロジカル物質とはなにか
  • 第6章 仮想磁場 電場が磁場に見える
    • 6.1 対称性 その1 時間反転対称性
      重力は時間の流れを反転しても同じ/電場の効果も時間反転しても変わらない/磁場の効果は時間反転すると変わってしまう/結晶の中で時間を反転したら/時間反転するとスピンが反転
    • 6.2 対称性 その2 空間反転対称性
      結晶のなかで空間を反転したら/結晶の表面では/磁場は空間反転でどうなるか/時間と空間の両方を反転すると電子のエネルギーはどう変わるか
    • 6.3 見る立場を変えると 仮想磁場
      電子が動くと仮想磁場ができる/物質表面での仮想磁場/とっても不思議な仮想磁場
    • 6.4 スピン軌道相互作用 仮想磁場が生みだすリアルな効果
      磁場中ではスピンの向きでエネルギーが異なる/仮想磁場が実際に電子のエネルギーを変える/スピン軌道相互作用がトポロジカル物質のもと
  • 第7章 トポロジカル絶縁体とは
    • 7.1 バンド反転 伝導バンドと価電子バンドが入れ替わる
      エネルギーレベルの上下が逆転/バンドが「ひねられる」/パリティの反転と混ざり合い
    • 7.2 トポロジカル表面状態 「国境」の状態
      「道路の交差」のような「バンド交差」/反転した伝導バンドと価電子バンドをつなぐ/トポロジカル表面状態は頑強/量子ホール効果と似ている/TKNN数 物質を区別する指数
    • 7.3 ヘリカルディラック電子 スピンが主役
      スピンと運動の向きは常に直角/スピンの向きがそろった電流/スピンの向きが固定されているディラック錐/後方散乱の禁止/純スピン波が物質表面や端を流れる/スピンを注入すると電流が流れる
  • 第8章 電子波の位相
    • 8.1 電子波の位相 その1 力学的位相
      電子波の伝播と位相/電子波の干渉/電子波の局在
    • 8.2 電子波の位相 その2 幾何学的位相
      AB位相 リアルな磁場による位相変化/実はベクトルポテンシャルが主役/ベリー位相 仮想磁場による位相変化/ひねられたバンドでの電子の運動/バーチャル空間でのモノポール
  • 第9章 トポロジカル物質ファミリーと応用
    • 9.1 磁性トポロジカル絶縁体 トポロジカル表面のエッジ状態
      トポロジカル絶縁体で時間反転対称性を破る/純スピン波の代わりに電流がエッジに流れる
    • 9.2 トポロジカル超伝導 マヨナラ粒子を作る
      スピン一重項とスピン三重項のクーパー対/パリティの破れた超伝導/トポロジカル超電導のエッジ状態/マヨナラ粒子 トポロジカル量子コンピュータの主役
  • おわりに/文中で引用した文献/索引

【感想は?】

 正直言って、中盤あたりから、ついていけなかった。

 磁石になる物質と、ならない物質の違いは、説明できる…気がする。電流を通す物質と、通さない物質の違いも、分かったと思う。説明しろと言われたら困るが。透明な物質とそうでない物質の違いは、分からなかった。

 まあ、その程度しか理解できてない者による書評だと思ってください。

 副書名に「最新・物質科学」とある。物質といっても、視点によって様々な層がある。大きなレベルではトラス構造やハニカム構造など。「知られざる鉄の科学」では、結晶の構造に焦点をあてた。本書ではもっとミクロな視点で、原子核と電子…というより、主に電子の性質と働きを掘り下げてゆく。

 そう、電子なのだ。結晶や金属塊のなかで、電子がどこにあり、どんな性質があり、どう動くのか。昔の原子モデルでは「原子核の周囲を電子が回っている」とされてきた。だが、本書では、それに加えて電子にスピンが与えられ、これが物質の様々な性質の元となる。

 このスピン、実は私もよく分かっていないのだが、その存在を証明した本書102頁のシュテルン=ゲルラッハの実験(→Wikipedia)は強く印象に残る。

 とにかくスピンは存在して、それは上向きと下向きの二種類しかない。スピンがあるにせよ、その向きは様々な値を取りそうなもんだが、実験で二種類だけって結果が出たんだから、しょうがないよね。もっとも、このスピン、コマみたく本当の回転ってワケじゃなく、モデルとして回転に似てるからスピンと名づけただけっぽいけど。

 このスピンの向きは本書でも重要な要素で、例えば物質の中でのバラつき具合が、磁石になるか否かを決めたりする。モノにそういう性質があるのは、ちゃんと原因があるのだ。

 とかの「なぜそうなのか」を語りつつ、やっぱり面白いのは、「それで何ができるのか」を説く部分。例えば序盤では、廃熱の小さい電子回路や、送電ロスの少ない送電線を作るヒントが出てくる。

電子をできるだけ速いスピードで流したければ、できるだけ高純度で高品質の物質を作り、電子が流れる部分には不純物や欠陥がなく、なおかつ低次元電子系を作るといいのです。
  ――第3章 物質は量子効果の舞台

 集積回路に高純度のシリコンが必要なのは、そういう事なんだろうか。なお、ここで言う「低次元」は数学的な意味で、例として二次元のグラフェン(→Wikipedia)を挙げている。カーボンナノチューブが注目される理由の一つは、コレなんだろうなあ。

 などと二次元の導電体に期待を持たせ、量子ホール効果(→Wikipedia)なんて面白い現象でワクワクさせたあと、出ましたよ期待の新物質。

トポロジカル絶縁体では、(略)表面では「バンド交差」状態になり、バンドギャップのない状態、つまり金属の状態になっているのです。
  ――第7章 トポロジカル絶縁体とは

 実はこのあたりになると、わたしはほとんど意味が分かってなかったりするんだが、それでも妙に興奮してしまうのだ。表面だけ、すなわち二次元平面だけが金属になり電気を通す。つまり低次元電子系じゃないか。しかも、それだけじゃない。

カイラルエッジ状態ではジュール熱を発生せずにエネルギー無散逸で電流が流れます。また、エッジ状態は1次元の電流通路なので、(略)180度後方錯乱の禁止が効いてきて、全く散乱されずに一方方向にスイスイと流れます。
  ――第9章 トポロジカル物質ファミリーと応用

 無駄な廃熱がないので消費電力は少なくファンも要らない、おまけに電流はスイスイ流れるから高速で動く。集積回路に理想的じゃないか。きっとインテルあたりは、この辺に注目してるんだろうなあ。

 ばかりでなく…

アンドレーエフ束縛状態で動く2個のマヨナラ粒子の位置を入れ替えると違った量子状態になり、第3のマヨナラ粒子と位置を入れ替えるとさらに違った量子状態になり、いわゆる「量子もつれ状態」を作ることができます。
しかも、それはトポロジカルに保護されているので、ノイズによって壊されることがないのです。それを利用して量子状態を「演算」するのがトポロジカル量子コンピュータです。
  ――第9章 トポロジカル物質ファミリーと応用

 はい、出ましたよ量子もつれに量子コンピュータ。いや量子コンピュータが何なのか、全くわかってないけど。今までの頁で、直感的に感じる物質の性質とは全く違う法則が働くのが量子力学の世界なのは充分に思い知ったので、これはもう、そういうモンだと鵜呑みにするしかない。

 原子の発見からその構成、中でも物質の性質に大きな影響を与える電子に着目し、電子の属性や働きから物質の性質へと解き明かし、量子力学の基礎へと読者を案内する、一般向けの量子力学の解説書。SFファンとしては、ソレっぽい用語が次々と出てくるのも嬉しかった。いやハッタリかますのに使えそうだし←をい

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