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2024年2月22日 (木)

楢崎修一郎「骨が語る兵士の最後 太平洋戦争 戦没者遺骨収集の真実」筑摩書房

本書は、2011年から2018年まで、私が17回にわたって太平洋地域を中心に派遣された遺骨収集とその鑑定の物語である。
  ――おわりに

いまだに最後の様子もわからない兵士の骨が、戦後70年以上が過ぎた現在も、太平洋地域を中心とした激戦の地、玉砕の島々には数多く眠ったままだ。
  ――はじめに

現時点で大掛かりに遺骨収取に取り組んでいる国は、日本とアメリカの二ヵ国しかない。
  ――第1章 幻のペリリュー島調査

【どんな本?】

 太平洋戦争では、多くの将兵や民間人が亡くなった。海外での戦没者は(硫黄島と沖縄を含め)約240万人とされている。その多くは現地に葬られ、または海に流された。著者は主に厚生労働省の遺骨収集事業に同伴し、人類学者として遺骨の判定を行ってきた。

 というのも。骨が出てきても、必ずしも日本人の骨とは限らない。米軍将兵や現地人、果ては獣骨の場合もあるからだ。

 人類学者は、いかにして骨を見分けるのか。その際に、どんな事柄に配慮するのか。などの学術的な話題に加え、戦没者の遺骨収集の現場の様子を現地で遭遇するトラブルも含めて語る、ちょっと変わったルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年7月15日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組本文約215頁。9.5ポイント41字×16行×215頁=約141,040字、400字詰め原稿用紙で約353枚。文庫ならやや薄め。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、ときどき人類学の専門用語が説明なしに出てくる。日本語の嬉しい性質で、「伸展葬」とかは文字を見ればだいたい意味が分かるのはいいが、寛骨(→Wikipedia、俗にいう骨盤の一部)など、主に骨の名前が多い。

 また、アチコチに地図があるので、栞を多く用意しよう。

【構成は?】

 はじめに~第2章までは基礎知識を語る所なので、最初に読もう。第3章~第6章はそれぞれ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 第1章 幻のペリリュー島調査
    • 1 遺骨収集へのきっかけ
    • 2 各国の遺骨収集の比較
  • 第2章 骨を読む
    • 1 遺骨は誰が鑑定するのか
    • 2 骨の読み方
  • 第3章 撃墜された攻撃機 ツバル共和国ヌイ環礁
    • 1 現地調査までの困難
    • 2 現地到着から調査開始まで
    • 3 発見
  • 第4章 玉砕の島々
    • 1 銃殺された兵士 マーシャル諸島クェゼリン環礁
    • 2 集団埋葬の島 サイパン島
    • 3 不沈空母の島 テニアン島
    • 4 天皇の島 パラオ共和国ペリリュー島
  • 第5章 飢餓に苦しんだ島々
    • 1 処刑も行われた島 マーシャル諸島ミリ島
    • 2 日本のパールハーバー トラック諸島
    • 3 水葬の島 メレヨン環礁
  • 第6章 終戦後も戦闘が行われた島 樺太
  • おわりに
  • 参考文献/太平洋戦争関連年表

【感想は?】

 著者は人類学者、それも文化ではなく自然人類学者だ。その本領が出ているのが、第2章「骨を読む」。ここでは、人体の骨の構成から性別や年齢や民族ごとの違いなどを、駆け足で語ってゆく。

 骨盤で男女が判るのは有名だが、歯だけでも専門家が見れば多くの情報が得られるのが分かる。

我々アジア人の前歯と呼ばれる上顎切歯の裏は、凹んでいる。
  ――第2章 骨を読む

 とかね。ココを読んだとき、思わず自分の歯を指でまさぐってしまった。この歯による鑑定は、後の章でも日本人と現地人の判別で頻繁に登場するので覚えておこう。

 と書くと、著者は骨の形を見るだけのように思われるが、とんでもない。例えば「第3章 撃墜された攻撃機」では、探すべき陸攻の記録を調べ、一式陸攻ではなく96式陸攻じゃないか、などと当たりをつけている。当時の戦況や部隊の構成など、できる限りの情報を集めた上で現地に赴いているのだ。もはや探偵である。

 もちろん、集めるのは帝国陸海軍の情報だけではない。現地の分野や風習なども、遺骨の判定の重要な手がかりとなる。

全員、頭を北に向け、足を南に向けた伸展葬である。現地の人々は逆で、頭は南で足は北だという。
  ――第5章 飢餓に苦しんだ島々

 このあたりは、文化人類学の領域だろう。南洋の島々が多いだけに、ピンロウジュ(→Wikipedia)に染まった歯が決め手になったり。

 かと思えば、分かりやすい証拠として帝国陸軍の手榴弾が出てきたり。かなり危ない作業でもあるのだ。特に切なかったのが、ペリリューの話。

ペリリュー州の法律で、地表から15cmまでしか掘ってはならないという。この15cmの根拠はよくわからないが、地雷や爆弾が埋まっている可能性があるためという説明を後で受けた。
  ――第4章 玉砕の島々

 勝手にやってきた連中が勝手に争ったため、現地の人々が今でも不便な思いをしているのだ。彼らの気持ちは複雑だろう。そのためか、「そこは俺の土地だから金を払え」とゴネられたり。そういった、現地の人々への心遣いも遺骨収集を巧く進める大事なコツ。

現地の人々の共同墓地で発掘調査をする際は、衆人環視の中で説明しながら行うことが重要である。
  ――第3章 撃墜された攻撃機 ツバル共和国ヌイ環礁

 ヨソ者がやってきて俺たちの墓を掘り返すとなれば、そりゃ心穏やかではいられない。たいてい、専門家がやる作業なんて素人には意味不明である。そこで、あらぬ誤解を避けるために、「今は何をしてるか、この作業にはどんな意味があるのか、それで何が分かったのか」を野次馬たちに説明し、理解してもらえるように努めるのだ。こういう細かいことが大事なんだろうなあ。

 それと、もう一つ意外だったのが、遺骨収集団のスケジュールが極めて厳しい点。なにせ南洋の島々だけに、現地にたどり着くまで3日ぐらいかかる。しかも船のエンジンが止まるなど、トラブルに見舞われることもしばしば。にもかかわらず、許された日程が8日ぐらいだったりで、実際の作業に充てられるのが2~3日しかない。せめて一カ月ぐらいかけてもいいんじゃないかと思う。

 かつての戦場を訪れ亡くなった方々の最後を再現する作業だけに、どうしても悲惨な場面を思い起こさなきゃならん場合もある…というか、特にテニアン島やサイパン島は民間人の犠牲者も多いため、なかなか読んでいて辛かった。

サイパン島やテニアン島の洞窟を調査していると、時々、部分的に焼けた焼骨が出土することがある。これらは恐らく、米軍による火炎放射器による犠牲者であると推定される。
  ――第4章 玉砕の島々

 この辺、著者はあくまで学者として冷静な姿勢を保っているが、故人の想いが起こしたかのような奇妙な出来事もあって、オカルトと片づけたくもあるが、そういった所に著者の故人に寄せる追悼の気持ちが表れているようにも感じるのだ。

 終盤、ペレストロイカの影響で入国が許された樺太での活動に続き、最後の「おわりに」で語る著者の、「いつの日か、ビルマに収骨する日が来ることを望んでいる」との想いが切ない。

 人類学者としての遺骨の判別という、いわば単なる事実確認を求められる立場で体験した事柄を書いた本だけに、乾いた筆致を心がけた文章が続く。が、行間には故人を悼む気持ちが滲み出ている。

 遺骨収集とは、過去にケリをつける儀式ではない。まさしく過去を掘り返し、私たちの眼の前に突きつける、厳しい歴史の授業なのだ。

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2023年11月26日 (日)

クレイグ・ウィットロック「アフガニスタン・ペーパーズ 隠蔽された真実、欺かれた勝利」岩波書店 河野純治訳

本書は、アメリカのアフガニスタンでの戦争の(略)どこが間違っていたのか、そして三人の歴代大統領とその政権がどのように真実を語らなかったのかを説明する試みである。
  ――序文

(トランプ)大統領は、秘密主義の強化を、敵を不安にさせておく戦術として、正当化した。しかし、方針の転換には別の目的があった。(略)戦争のことがあまり目に入らないようになれば、戦争がさらに悪化しても、トランプや彼の将軍たちが批判される可能性は低くなる。
  ――19 トランプの番

B-52とF-22はそれぞれ、運用するのに1時間あたり3万2千ドル以上の費用がかかる。しかも弾薬の費用は別である。
  ――20 麻薬国家

(2021年)4月14日、(合衆国大統領)バイデンは(略)2021年9月11日までに――9.11攻撃の20周年――すべてのアメリカ軍をアフガニスタンから撤退させることを約束した。
  ――21 ターリバーンとの対話

【どんな本?】

 2001年9月11日の同時多発テロに対し、合衆国は復讐に燃えた。同年9月14日、議会はアル=カーイダ&支持者への軍事力使用を認める。上院は98対0、下院は421対1。反対したのはカリフォルニア州選出で民主党のバーバラ・リード(→Wikipedia)だけ。

 だが当初の目論見とは異なり、戦いは長引く。盛り返したターリバーンは2021年に首都カーブルを奪取、同年8月30日に米軍は撤退した。

 アフガニスタン復興担当特別監察官(SIGAR)事務局(→Wikipedia)は合衆国の政府機関だ。目的は、米国が将来間違いを繰り返さないため、アフガニスタンにおける政策の失敗の原因を突き止めること。そのため、戦争に関わった数百人にインタビューし、その声を集めた。

 これに加え、開戦当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドが残した多数のメモや、バージニア大学付属機関ミラー・センターが集めたジョージ・W・ブッシュ政権関係者のインタビュー記録を、著者は手に入れる。

 これらの記録から浮かび上がってくるのは、アフガニスタンに対する合衆国政府の杜撰で迷走した政策であり、また合衆国国民への欺瞞に満ちた態度である。

 アフガニスタンで、合衆国は何をどう間違えたのか。もっと早く戦争を終わらせる方法はあったのか。そして、国民にどんな嘘をついたのか。

 ワシントン・ポスト紙の調査報道記者が、大量の資料から政府の欺瞞を暴く、衝撃のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Afghanistan Papers : A Secret History of the War,by Craig Whitlock, 2021。日本語版は2022年6月24日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約311頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント52字×19行×311頁=約307,268字、400字詰め原稿用紙で約769枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない…と思うのは、私が911に衝撃を受けた世代だからかも。つまり、911以降の世界のニュースを熱心に見ていた世代なので、出てくる人名や事件に馴染みがあるからだ。若い人にとっては、知らない人や事件が続々と出てくるので、ちと辛いかも。

【構成は?】

 話は時系列順に進むのだが、各章はほ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただし、序文だけは読んでおいた方がいいだろう。

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  • 序文/アフガニスタン地図
  • 第1部 誤った勝利の味 2001~2002
    • 1 混乱した任務
    • 2 「悪者は誰だ?」
    • 3 国造りプロジェクト
  • 第2部 大きな動揺 2003~2005
    • 4 アフガニスタンは後回しになる
    • 5 灰の中から軍隊をよみがえらせる
    • 6 超初心者でもわかるイスラム教
    • 7 二枚舌
  • 第3部 ターリバーンの復活 2006~2008
    • 8 嘘と情報操作
    • 9 一貫性のない戦略
    • 10 軍閥
    • 11 アヘンとの戦争
  • 第4部 手を広げすぎたオバマ 2009~2010
    • 12 倍賭け
    • 13 無限の資金の暗い穴
    • 14 友人から敵へ
    • 15 腐敗にとりつかれて
  • 第5部 崩壊 2011~2016
    • 16 真実との戦い
    • 17 内なる敵
    • 18 大いなる幻想
  • 第6部 膠着状態 2017~2021
    • 19 トランプの番
    • 20 麻薬国家
    • 21 ターリバーンとの対話
  • 謝辞/情報源に関する注記/注/訳者あとがき/参考文献/索引(事項索引・人名索引)

【感想は?】

 感触は、呆れるほど「ベスト&ブライテスト」や「ベトナム戦争全史」に似ている。

 もう一つ、「アメリカの卑劣な戦争」とも。その記事で書いたように、「卑劣な戦争」より「間抜けなテロ対策」が相応しいんだけど。この流儀で言えば、本書は「アメリカの失敗だらけのアフガニスタン政略」かな。

 序文にあるように、本書はアフガニスタン戦争の全体を見渡す内容じゃない。だもんで、戦記は期待しないように。そうではなく、米ホワイトハウスのアフガニスタン戦争の政策・戦略がいかに間違いだらけだったか、そしてその間違いと失敗を国民に隠し続けたかを告発する本だ。

 流れは全章がほぼ同じ。米政府が政策を掲げる→現場が実施して失敗する→政府は失敗を隠す。こればっか。だから、ぶっちゃけどこから読んでも、似たようなストーリーが延々と続くだけだ。ブッシュJr,オバマ,トランプとキャラは変わるし、それに伴い政策/戦略の方向性も違ってくるが、お話の流れはほぼ同じで、どんどん深みにはまっていくだけ。

 そもそも、最初から酷かった。CIA長官から国防長官になったロバート・ゲイツ(→Wikipedia)曰く。

「実を言うと、911同時多発テロの時点で、われわれはアル=カーイダのことを、まったく知らなかった」
  ――2 「悪者は誰だ?」

 他ならぬCIAのボスがコレだもんなあ。にも拘わらず、敵はアフガニスタンと決めつけ、軍の派遣を決める。とはいえ、大軍は送らず、少数の軍で軽く蹴散らせると踏んでいた。国造りには関わらないとブッシュJrは語るが、最終的には…

2001年から2020年のあいだに、ワシントンはこれまでのどの国よりもアフガニスタンの国造りに多くを費やし、復興、援助プログラム、アフガニスタン治安部隊に1430憶ドルを割り当てた。インフレ調整後の金額に直すと、これは第二次世界大戦後のマーシャル・プランにおいて、アメリカが西ヨーロッパで費やした金額を上回っている。
  ――3 国造りプロジェクト

 こうなった原因はいろいろあるが、最も呆れるのは先のロバート・ゲイツの言葉が見事に象徴している。つまり、アフガニスタンについて何も知らず、知ろうともせず、何より知る必要があるとすら考えなかった点だ。

 上がこれだから、米軍の将兵も現地について何も知らない。そのため、色々とマズい対応をしながらも、少しづつ学んでゆく。例えば…

全国的な慣習として、部族の長老やアフガニスタン軍の将校たちは、他の男と手をつないで歩きまわることによって、友情と忠誠を示した。
  ――6 超初心者でもわかるイスラム教

 まさしく「俺たちは手を組んでるんだぜ」と態度で示すのだ。欧米人にとっちゃ気色悪いかもしれんが、そういうモンなんだろう。こういう、米国政府や軍が自分たちの文化は地球上で唯一絶対のものだと思い込んでいるらしいのは、アフガニスタン軍の兵士が米軍が用意したトイレを壊しまくったり、食事の様式などの話で痛いぐらい伝わって…いや、和式便所を知らない若い人には通じないかも。

 そんなんだから、肝心のターリバーンについても、ほとんどわかっておらず、軍を派遣してから現地の軍人に尋ねている。

アフガニスタン軍の将軍
「ターリバーンには三種類ある」
一つ目のターリバーンは「過激なテロリスト」だ。
もう一つのグループは「自分たちのためだけに参加」している。
あとの一つは「他の二つのグループの影響を受けた貧しい人々、無知な人々」だ。
  ――8 嘘と情報操作

 私の解釈だが、「過激なテロリスト」がターリバーンの中核だろう。「自分たちのためだけに参加」しているのは、軍閥や族長たちが旗色の良い側についただけ。最後は、文字通り。

 その「自分たちのためだけに参加」しているのが、軍閥。本書で出てくるのはアブドゥルラシード・ドゥースタム(→Wikipedia)ぐらいで、グルブディン・ヘクマティアル(→Wikipedia)はもちろんアフマド・シャー・マスード(→Wikipedia)すら出てこない。基本的に米国政府に焦点を当てた本であって、アフガニスタン情勢を語る本じゃないのだ。

 それはともかく、ドゥースタムの評価は「ホース・ソルジャー」と異なり、マフィアの親分みたいな扱いだ。ドゥースタムに限らず、地元の者にとって軍閥は気まぐれな暴君って感じで、嫌われている。対してターリバーンは、少なくとも法に基づいているだけマシらしい。

ジャーナリスト&米軍民間顧問サラ・チェイズ
「ターリバーンが軍閥を追い出してくれたことに、国民が興奮していたとは、われわれは知らなかった」
  ――10 軍閥

 いずれにせよ、こういった事情を現地の者に虚心に尋ねれば教えてくれるのだ。それどころか、しつこく求められてすらいた。やはりロバート・ゲイツ曰く。

「われわれがカルザイ(アフガニスタン大統領)と大げんかをしたり、カルザイが公の場で怒りを爆発させるときはいつも、その問題について何か月も非公式にわれわれに相談していた」
  ――14 友人から敵へ

 言われたけど聞いちゃいなかったのである。あなたの周りにもいませんか、そういう上司。

 それでも、上司として優れた仕事をしているなら、部下も不満を押し殺すだろう。でも、肝心の政策決定者がすべき仕事、政策決定者だけしかできない仕事がほったらかしだった。

イギリス軍デビッド・リチャーズ中将
「われわれは単一の一貫した長期的アプローチ――適切な戦略――を手に入れようとしていたが、代わりに手に入れたのは、たくさんの戦術だった」
  ――9 一貫性のない戦略

 戦争を始めるには、まず何のために戦争するのか、目的をハッキリさせなきゃいけない。次に具体的な目標を決める。何が実現したら勝利と見なすのか。そのいずれも、政府は明らかにしなかった。というか、本人たちも解ってなかった。そういう事だ。だから、迷走するのも当たり前なのだ。

 だったら、せめて黙っててくれりゃいいのに、何かと口出ししてくるから困る。

「われわれは、まずいアイデアをたたき落すのに、ひじょうに多くの時間を費やした」
  ――20 麻薬国家

 あなたの周りにも…いや、もういいか。

 さて、戦争の方針だ。政策と戦略、目的と目標に加えて、できれば目標達成の指標もあるといい。それがあれば、現在の戦況の良し悪しが分かる。ウクライナ戦争のように、土地の取り合いなら、地図を見ればわかる。でも、フガニスタンの戦争は、元から目的が不明だった。いや、一応の指標を示した人もいるんだけど…

米外交官ジェームズ・ドビンズ
「(戦争の勝敗の)重要な基準は(略)何人のアフガニスタン人が殺されているかです」
「数が増えれば負けている。数が減れば勝っている」
  ――16 真実との戦い

 ところが、この指標に基づいて戦況を語ると、非常にマズい事になる。というのも…

2009年から2011年のあいだに、アメリカ軍がアフガニスタンに増派されると、民間人の年間死亡者数は2412人から3133人に増加した。合計は2012年には減少したが、2013年には増加し、2014年も増加し続け、死者数は3701人に達した。
  ――16 真実との戦い

 一応、米政府の目論見としては、アフガニスタンに中央集権型の民主的政府を作り、米軍が手を引いた後は彼らに任せるつもりだったのだ。ベトナムと同じだね。ところが、肝心のアフガニスタン軍の将兵は…

多くの(アフガニスタン軍)兵士が最初の給料をもらうと姿を消した。(再び)現れる者もいたが、彼らは制服、装備、武器を持っていなかった。追加の現金を得るために売り払っていたのだ。
  ――5 灰の中から軍隊をよみがえらせる

 そもそも読み書きすらできない者が大半だったし、ヤル気もなかったんだろう。実際、逃げて正解だったようだ。

研究者の計算によると、2019年11月までに、6万4千人以上の制服を着たアフガニスタン人(=兵士と警察官)が戦争中に殺されたという――アメリカ軍とNATO軍の死傷者の約18倍である。
  ――17 内なる敵

 亡くなった彼らのために、米政府は何かしたんだろうか。

 明確な政略がない上に、戦略レベルでもベトナムと同じ間違いを犯している。

米外交官リチャード・ホルブルック
「(ベトナム戦争とアフガニスタン戦争の)最も重要な類似点は、どちらの場合も、敵が隣国に安全な聖域を持っていたという事実だ」
  ――12 煤賭け

 中国の人民解放軍は農村に隠れた。ベトコンは北ベトナムを聖域とした。タリバンの聖域はパキスタンだ。そのパキスタン政府、というかISI(パキスタン軍統合情報部)は、米から予算を受け取りつつ、ターリバーンを匿い続けた。その動機を本書は明かしていない。「シークレット・ウォーズ」によると、アフガニスタンからインドの影響を追い出すことらしい。

 まあ、パキスタンにも言い分はあるのだ。彼らは彼らの利害と戦略に基づいて動く。

ISI(パキスタン軍統合情報部)長官アシュファーク・キヤーニー中尉
「われわれは二股をかけている。なぜなら、いつかはあなたたちはまた去っていくからだ」
  ――7 二枚舌

 米は一時的な都合で関わっているが、パキスタンは建国以来の仮想敵インドと今後も睨みあわにゃならん。という本音は押し隠し、カネだけむしり取ってたんだな。

 こういった事情を知らぬまま、軍は政権の方針に従って動く。ブッシュJrは兵を出し惜しみした。まあイラクにリソースを奪われたのもあるが。対してオバマは増派を決めるが、撤退時期も明言した。当然、ターリバーンは考える。「暫く身を潜めてりゃ奴らは帰る」。

 また、ケシの栽培が蔓延したのもヤバかった。焼き払おうとしたが、これも恨まれるだけに終わる。

ウィスコンシン州兵ドミニク・カリエッロ大佐
「ヘルマンド州の人々の収入の90%は、ケシの販売によるものだ。われわれはそれを取り上げようとしている」
「彼らは武器を手に取り、あなたを撃つだろう。なにしろ生計の手段を奪われたのだから」
  ――11 アヘンとの戦争

 「ケシ栽培をやめりゃ補助金出すよ」政策も打ち出したが…この辺の顛末は、現地住民の賢さに舌を巻いてしまう。学はなくても、したたかなのだ。

 他にもオバマ政権はカネをバラ撒いて現地住民を懐柔しようとするが…

アメリカとカナダの軍隊が村人に月90ドルから100ドルを支払って灌漑用水路を掃除させた。
(略)この地域の教師の収入ははるかに少なく、月に60ドルから80ドルしかなかった。
「それで、まず学校の教師が全員仕事を辞めて、溝堀りに加わった」
  ――13 無限の資金の暗い穴

 うん、まあ、そうなるか。おまけにバラ撒いたカネが元で、現地には腐敗が蔓延してしまう。例えば…

腐敗の唯一最大の発生源は、アメリカ軍の広大な供給網だった。国防総省は、アフガニスタンおよび国際的な請負業者に金を支払って、毎月トラック六千台から八千台の(略)物資を戦争地帯に届けていた。(略)
トラック業者は軍閥指導者、警察署長、ターリバーン司令官に多額の賄賂を支払い、地域を安全に通過できるように保証してもらった。
  ――15 腐敗にとりつかれて

 パキスタンのカラチ港からアフガニスタンの各地まで、多くの物資をトラックで運んだのだ。そういや「戦場の掟」で、イラクじゃ「なぜかトレーラー・トラックの運転手はパキスタン人が多」かった。その理由は、アフガニスタン戦争で従事した運転手がイラクに出稼ぎに出たから、なんだろうか。

 それはともかく、米が出したカネは最終的にターリバーンの懐を潤してたんだから、なんとも情けない。

 ってな具合に、ズルズルと長引く戦争に、911当時は怒りに燃えてた米市民も飽きが来る。

2014年12月のワシントン・ポストとABCニュースの合同調査によると、この戦争は戦う価値があると考えているのは国民の38%だけになっていた。紛争の開始時には国民の90%が戦争を支持していたのにである。
  ――18 大いなる幻想

 市民とは、なんとも無責任で気まぐれなものだ。もっとも、だからこそ戦争をやめられたんだが。

 他にも、頻繁な人事異動や部隊の入れ替えで、やっと現地の事情に通じた者が育ったのに帰国して、新しく来た奴は何も知らないとか、最初の事情説明じゃアラビア語を教えられたとか、間抜けな話がてんこもり。米国ってのは、軍は強いのに政府は戦争が下手だよなあ、とつくづく感じる本だった。それでも、SIGAR みたいな組織を作り、今後の政策に活かそうとする姿勢は羨ましくもあるんだよね。

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 いろいろ挙げたいんだが、敢えて記事中に出てくる本は外した。

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2023年8月30日 (水)

ダニ・オルバフ「暴走する日本軍兵士 帝国を崩壊させた明治維新の[バグ]」朝日新聞出版 長尾莉紗/杉田真訳

軍人の不服従によって引き起こされた事件は、散発的でも偶発的でもなく、深い根をもつ歴史パターン、すなわち、1860年代から1930年代までの日本の軍隊社会の一要素であった反逆と抵抗の文化に基づいていた、というのが私の主張だ。
   ――序論

本書は、反抗と反乱のイデオロギー的基盤をなす不服従の文化を明治維新以降の日本軍が常に抱えてきたことを明らかにした。
  ――結論 恐ろしいものと些細なもの

【どんな本?】

 戦争の悲惨さを伝える本は多いが、大日本帝国がなぜ太平洋戦争に至ったのかを分析する本は少ない。大きな事件やその関係者を取り上げ、歴史の流れを語る本はある。特定の人物を吊るし上げたり、陸軍悪玉論など組織を悪役に仕立て上げる論もある。しかし、さらに突っ込んで「なぜそんな考えに至ったか」「なぜそんな組織体質になったか」まで掘り下げた本や論は珍しい。

 本書は、明治維新から太平洋戦争に至るまで、大小の事件や制度改革を取り上げ、大日本帝国政府要人と帝国陸軍将校の根底に流れる「志士」の思想と文化を掘り起こし、それを「反逆と抵抗の文化」と名づけ、その文化と組織体質が引き起こした反抗的な将校たちの「前線への逃亡」の連鎖が、太平洋戦争へ至る陸軍の暴走へと繋がった、とする。

 ハーバード大学で歴史学を学び、イスラエル軍情報部に勤務し、ヘブライ大学アジア学部で上級講師を務める著者が、膨大な日米英の一次資料を基に描き出す、斬新かつ緻密な帝国陸軍の反逆史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Curse on This Country: The Rebellious Army of Imperial Japan, by Danny Orbach, 2017。日本語版は2019年7月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約369頁。9ポイント46字×18行×369頁=約305,532字、400字詰め原稿用紙で約764枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も学者の著作にしては意外と親切で読みやすい。維新以降の日本の歴史について、充分に調べた上で素人にも分かりやすく説明している。イスラエル人に日本の近・現代史を教わるのは少々アレな気分だが、しょうがないね。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • 謝辞
  • 序論
  • 第1章 志士 不服従のルーツ 1858-1868
    志士登場以前 徳川幕府の衰退/狂と愚 志士のイデオロギー/同志 組織としての志士/天誅 混成集団の盛衰/高杉晋作と長州征伐 軍事組織の全盛期/長州、薩摩、そして雄藩同盟の誕生/擬態(ミメシス) 志士のその後
  • 第1部 動乱の時代 1868-1878
  • 第2章 宮城の玉 新しい政治秩序 1868-1873
    宮城の玉 「霞んだ中心」としての天皇/綱渡り 連立政権と明治の改革/政治、軍隊、薩長の対立/崩壊 朝鮮と雄藩同盟の終焉
  • 第3章 止まることなく 軍人不服従と台湾出兵 1874
    「怒りの感情を鎮める」 琉球と薩摩ロビー/出兵の前兆 副島種臣の清国派遣/厄介な問題 大久保政権下の台湾問題/予期せぬ展開 外国公使の干渉/「前日の従道にあらず」 不服従の決断/台湾の西郷従道と軍隊 不服従の拡散?/台湾出兵の最後/台湾出兵 未来の予兆?
  • 第4章 破滅的な楽観主義 1870年代の反逆者と暗殺者 1876-1878
    土佐の悲観主義、楽観主義、陰謀/悲観的な反逆者たち 宮崎、戸田、千屋/武市熊吉一派 楽観的な反逆者たち/佐賀の乱 集団的な楽観主義と前線への逃亡/革命的楽観主義の終焉 西郷隆盛と薩摩の反乱/見当違いの楽観主義 士族の反乱と失敗
  • 第2部 軍部独立の時代 1878-1813
  • 第5章 黄金を食らう怪物 軍部独立と統帥権 1878
    1878年の軍制改革/タブーの問題 改革の説明と抵抗の排除/軍事改革の謎/改革のロジック 権力の集中と分散/輸入できなかったもの 失敗点はどこにあったのか/長期的な影響
  • 第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895
    反乱の基盤 軽視されていた朝鮮君主/迫りくる危機 朝鮮に対する日本のジレンマ/計画の始まり 相反する期待/羅針盤なき航行 漢城での三浦梧楼/志を同じくする者 三浦と大院君/キツネ狩り 日本人壮士と閔紀暗殺決定/暗殺/非難の的 広島での裁判/将来への影響 楽観主義の購買力
  • 第7章 三幕のクーデター 大正政変 1912-1913
    枠の取り合い 1900年代後半の予算争い/陸軍が振るう刀 現役武官制/大正政変 第一幕:西園寺対陸軍/第二幕:桂対海軍/第三幕:「朝露のごとく」 陸海軍の窮地/崩壊の淵 大正政変の裏側/タイムリミットの延長 将来への影響
  • 第3部 暗い谷底へ 1928-1936
  • 第8章 満州の王 河本大作と張作霖暗殺 1928
    新たな統帥権イデオロギー/1920年代後半の満蒙問題/満州の王 軍人として、陰謀家としての河本大作/二つの別計画/河本の陰謀/偽装工作 河本と浪人たち/作戦決行/発覚と調査/結論 犬とネズミ
  • 第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931
    国家改造 標的は日本/首謀者、橋本欣五郎/桜会と民間協力者/三月事件/東京での小競り合い 政府の反応/満州事変/10月事件/結論 反抗から反乱へ
  • 第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936
    志士と特権階級 青年将校の情熱/虎を手なづける 飼いならされた青年将校/5.15事件/陸軍士官学校事件/最後の一線/2.26事件 天誅/雪中の光 中橋中尉と、宮中へつながる門/正義か反逆か 陸軍大臣のジレンマ/霞を払って 昭和天皇の決断/裁判と処罰/不服従の限界 2.26事件のその後
  • 結論 恐ろしいものと些細なもの
    第一のバグ 曖昧な正当性
    第二のバグ 一方通行の領土拡大
    第三のバグ 終わりなき領土拡大の道

【感想は?】

 繰り返すが、特定の誰かや組織を悪役に仕立て上げたり、愚かさを吊るし上げる論調ではない。それは最終章で明らかだ。

軍の独立を進めて国家を主客転倒状態に陥らせたのは、政治家、軍幹部、官僚の悪意や愚かさ、過失ではない。国家に破滅への道のりを少しずつ歩ませた政策決定一つひとつは合理的かつ理解可能な(略)当時の現実に即したものだった。
  ――結論 恐ろしいものと些細なもの

 本書では、軍の暴走の根本を明治政府の三つのバグとし、そのルーツを「維新の志士」に求め、明治維新から226事件までの歴史を追ってゆく。

 著者も、原因の一つが「軍の独走・専横」にある点は認めている。とはいえ、現代でも世界を見渡せば軍事政権は多い。だが、無謀で無制限な国土の拡大や侵略を目論む軍は少な…いや、ロシアがそうかw 逆に言えばロシアぐらいで、北朝鮮もミャンマーも、あまりニュースにはならないがパキスタンやエジプトも、軍は国内の統制と軍備拡張には熱心だが領土拡大には突き進まない。脅しはするけどね。

 第二次世界大戦以降の世界情勢の変化はあるが、大日本帝国陸軍は独特だ。なんといっても、ヒトラーやムッソリーニのような、政府や軍のトップの命令によるものではない。例えば閔妃暗殺事件(→Wikipedia)の首謀者である三浦梧楼(→Wikipedia)は、政府や軍の命令で動いたのではない。勝手に(民間人を含めた)人を集め組織し実行したのだ。

(朝鮮領事)内田定槌(→Wikipedia)は計画に関わっていなかったため、日本人が(閔紀暗殺に)加担していたと知って愕然とした。
  ――第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895

 無茶しやがってと思うが、派遣した外務省の姿勢も酷い。「じゃ好きにやっていいのね」と三浦が解釈したとしても仕方あるまい。

結局外務省は就任後も(朝鮮公使に任命した)三浦に政策指針を何も示さないのだが、おそらくそれは幹部も自分たちの目標がどこにあるのかわからなかったからだろう。
  ――第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895

 ここで描く当時の朝鮮情勢が、とってもわかりやすい。国内外の多様な勢力が離合集散し陰険な謀略をめぐらす中、当時の最大勢力である閔妃に日本は嫌われた。そこで脳筋な三浦が一発逆転を狙い院政を目論む大院君と組んで武力で解決しようとしたのだ。

 結果を見れば日本の横暴だが、著者の解釈は日本に好意的だ。当時の状況として、関係各国はどこが似たような真似をしてもおかしくなかった、としている。

 とはいえ、三浦のやり方は独特だ。普通、こんな大掛かりな事件は国家ぐるみで行う…それを認めるか否かは別として。しかも、得体のしれない民間人も積極的に関わっている。本人たちは壮士と名のっているが。

 政府中枢の決定ではなく公的な役職が低く現場に近い者が勝手にやらかすこと、強い思想を持つ民間人が大きく関わること、この二点が閔紀暗殺の、そしてその後の大日本帝国の軍の暴走の特徴だ。加えて、暴走のあと、政府が追認しちゃう事も。

 これらの原因を、著者は維新の志士に見る。

彼ら(維新の志士)は何年にもわたり、無数の文化人、愛国的組織、国家主義的団体、そして極めて重要なことに軍人グループの文化的ヒーローやロールモデルになった。
  ――第1章 志士 不服従のルーツ 1858-1868

 実際、明治政府の要人は元志士だし。志士の多くは下級武士だったり、脱藩した浪人だったりだ。彼らが天皇を担ぎ上げて維新を成し遂げた。ただ、維新後の政府は天皇の絶対王政ではなく、元志士たちによる一種の貴族政治であり、天皇は決まった政策を追認するのが実情だったが、国民には実情を隠していた。

未熟な君主に真の権力を与えずに、天皇制という権威ある統治体制の背後に自らの権力を「隠す」ということだった。(略)この新政府の決定は、その後70年間にわたって軍人不服従の成長を促進させる統治システム内の「バグ」を生み出した。
  ――第2章 宮城の玉 新しい政治秩序 1868-1873

 見えない天皇の意向を、志士に憧れる壮士たちは勝手に解釈する。

後年の多くの軍人不服従において、反抗的な将校たちは、隠れた天皇の意向を、政府の命令や方針に抵抗する口実として「再解釈」するようになる。
  ――第3章 止まることなく 軍人不服従と台湾出兵 1874

反逆者は、明治政権の第一のバグ――天皇の不明瞭さ――により、天皇が本当は何を望んでいるのかを「推測」することによって、自分たちの行動を正当化した。
  ――第4章 破滅的な楽観主義 1870年代の反逆者と暗殺者 1876-1878

 それでも、せめて陸軍のトップが強力な権限により押さえつければ、どうにかなったかもしれない。だが、制度にも欠陥があった。有名な統帥権の問題だ。

参謀本部、陸軍省、監軍本部はそれぞれ独立し、つまり各機関のトップは互いを任命したり解雇したりする権限をもたなかったが、それが将来的に繰り返される派閥争いのもとになった。(略)大日本帝国陸軍全体に対する権力を掌握する者は存在しなかった。
  ――第5章 黄金を食らう怪物 軍部独立と統帥権 1878

 統帥権の問題を、私は「陸海軍が強すぎる権限を持つ」点だと思っていたが、そんな単純な話じゃなかったのだ。力は強いが、全体をまとめるリーダーはいない。ヤベエじゃん。

 そして、この懸念は、軍部大臣現役武官制(→Wikipedia)により現実になる。軍は内閣を潰す権限を手に入れた。

陸軍のクーデター計画の基盤には、1900年に勅令により定められた軍部大臣現役武官制という制度があった。これは、陸海軍大臣を現役の将校に限定するというものである。
  ――第7章 三幕のクーデター 大正政変(→Wikipedia) 1912-1913

 それでも、せめて強力なリーダーがいれば、全体を引き締める可能性もあった。だが、そんな者は存在せず、ただでさえ勇猛果敢が尊ばれる軍の組織全体に、独断専行な志士への憧れが染み込んでいる。となると…

陸軍の(略)組織内で権力が分散し、それをまとめる人物が一人もいなかった。将軍たちは仲間から「柔和」に見られてはならないと感じていた。それゆえ、軍の総意は最も急進的な意見に沿って形成された。
  ――第7章 三幕のクーデター 大正政変 1912-1913

 そんな上級将校も、言葉は勇ましいが、上官としてのメンツがある。血気に逸る佐官に突きあげられるのはウザい。だもんで、そんな連中は東京から離れた前線にトバす。これもマズかった。マッチを火薬庫に放り込むようなモンだからだ。

軍が独自に戦略上の決定を下すことを許すこの統帥権の概念に、満州で浸透していた独断専行という(略)二つが組み合わさり、河本(大作大佐、→Wikipedia)などの下級将校が国の方針に完全に逆らって国家指導者の暗殺といった戦略レベルの決定を下すに至った。
  ――第8章 満州の王 河本大作と張作霖暗殺(→Wikipedia) 1928

 気が付いた時にはすでに遅し。軍にもメンツがある。やらかしを認めたら、メンツが潰れる。だもんで、追認するしかない。その結果…

関東軍の不服従は、政府から独立した行動を軍高官に許す統帥権イデオロギーと、上官から独立した行動を下級将校に認める独断専行が融合して生まれた。その結果として満州全土は日本軍の手に渡り、関東軍が支配する傀儡国家としての満州国が誕生した。
  ――第9章 桜会(→Wikipedia) 反抗から反乱へ 1931

 これは政府も似たようなモンで。「政府じゃ軍を抑えられない」なんて言うわけにもいかない。

政府高官たちに陸軍を抑え込みたいという気持ちはあったが、1895年および1928年と同様、世界に日本の恥をさらすという代償を払いたくなかった。
  ――第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931

 それでも、せめてジェレミー・スケイヒルみたく政府の恥部を容赦なく暴くジャーナリストやマスコミがあれば、政府も「どうせバレるんだし」と開き直ったかもしれない。だが、大日本帝国は情報公開体制もマスコミも成熟してなかった。だもんで、隠しおおせると踏んだんだろう。

 それより当時のマスコミが盛んに取り上げたのは右翼系の民間思想家で、民衆も軍の佐官・尉官将校も、彼らの思想に強い影響を受け、多くの会合もあった。

橋本(欣五郎、→Wikipedia))をはじめとする将校たちは軍の上官よりも大川周明(→Wikipedia)などの民間右翼指導者に影響を受けていた。
  ――第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931

 この辺、最近の防衛大学の講演者が云々なんて話もあって、なんかキナ臭いとも思うんだが、それは置いて。

 桜会までは首謀者は佐官級だったんだが、ついに尉官級が首謀する2.26事件が起きる。この特徴は暴力で東京の中枢、それも宮城に踏み込んだ点で、陛下の強烈な怒りを買い頓挫。結果として…

軍の権力層のうち2.26事件(→Wikipedia)の衝撃波に足をすくわれず残ったのは、統制派(→Wikipedia)と結びつきのある中堅の佐官級将校のみだった。
  ――第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936

 この不祥事に対する軍の開き直りは実に鼻持ちならないが、いかなる機会も己の権限拡大に利用する政治的な狡猾さでもあるんだろうか。

軍は2.26事件のような反乱を防ぎたければ政府は自分たちの要求をもっと受け入れるべきだと示唆した。事件直後に広田(弘毅新首相、→Wikipedia)は現役武官制を復活させ、陸相の退任によって倒閣する権限を軍に与えた。
  ――第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936

 その狡猾さを国際社会でも発揮してくれりゃ良かったんだが、結果はご存知の通り。

 私が今まで読んだ本で、大日本帝国が太平洋戦争へと向かった原因に触れているのは、イアン・トールの「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 上」ぐらいだ。その「太平洋の試練」では、陸海軍の予算の奪い合いに原因を求めていた。

 本書は、その奪い合いの原因を、歴史的経緯に加え文化論や組織論に基づき、より踏み込んで分析・解説している。特に統帥権に関わる制度・組織的な問題点は図式がハッキリしていて分かりやすかった。また、志士文化・思想と、王政とは異なる天皇制の、合わせ技というか合同バグも、納得できる点が多い。

 取扱うネタがネタだけに、特に日本じゃ読者の政治思想により賛否は大きく分かれるだろう。だが、無謀な太平洋戦争の原因を、軍の暴走で片付けるには、納得がいかない人も多いはずだ。あの戦争の原因を、より深く知りたい人には、少なくとも入門書として役立つはずだ。

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2023年7月 9日 (日)

アブラハム・ラビノビッチ「激突!! ミサイル艇 イスラエル高速ミサイル艦隊 vs. アラブ艦隊」原書房 永井煥生訳

ミサイルによる駆逐艦の撃沈は艦砲の導入、さらには一世紀前の鋼鉄艦の出現と同様に海上戦の性格を劇的に変える出来事であった。
  ――第1章 1967年、駆逐艦エイラートの悲劇

ロシアのミサイルはガブリエル・ミサイルよりも遥かに大きな射程を有していたが、イスラエル艇部隊は激戦中に54発のソビエト・ミサイルに対して完璧な役割を演じてきた立証済みの電子戦システムを保有していた。
  ――第27章 グランドピアノ

【どんな本?】

 1967年10月21日。エジプト海軍のコマール級ミサイル艇は、ソ連製スティックス・ミサイル(→Wikipedia)で、イスラエル海軍の駆逐艦エイラートを沈める。たった85トンのミサイル艇が、1,710トンの駆逐艦を沈めたのだ。

 この事件はイスラエル海軍を震撼させる。もはや艦砲では対抗できない。だが、どうすれば?

 同じイスラエル軍でも、精強で知られる空軍・陸軍に対し、海軍は規模も知名度もなく、予算も少ない。加えて当時のイスラエルは多くの国から武器の禁輸措置を受けていた。

 少ない予算で、他国の力も借りず、自力でソ連製スティックス・ミサイルに対抗できるミサイルおよびミサイル艇を開発し、その戦術も創り上げなければならない。

 この無理難題に対し、イスラエル海軍は小国の小海軍ならではの独自の道を切り開き、ガブリエル対艦ミサイルおよびサール級ミサイル艇を開発し、またスティックス・ミサイルへの対抗手段も産みだしてゆく。

 現代では陸海空いずれの戦場でも常識となった誘導ミサイルと、その対抗策である電子戦を築き上げ、海軍史上の革命を成し遂げたイスラエル海軍の奮闘を描く、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Boats of Cherbourg, by Abraham Rabinovich, 1988。日本語版は1992年3月31日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約351頁に加え、訳者あとがき10頁。9ポイント47字×21行×351頁=約346,437字、400字詰め原稿用紙で約867枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はいささか古くさく、お堅い。なにせ訳者が当時は現役の防衛大学助教授なので、軍人っぽい言い回しになる。とまれ、これは慣れれば大丈夫。内容は特に難しくないが、できれば第三次中東戦争(文中では六日間戦争、→Wikipedia)~第四次中東戦争(文中ではヨム・キプール戦争、→Wikipedia)について知っているといい。

 あと、浬(かいり)は約1852メートル、1ノットは時速1浬、主機はメイン・エンジン。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  •  序文
  •  第1部 構想
  • 第1章 1967年、駆逐艦エイラートの悲劇
  • 第2章 まず二隻
  • 第3章 ローン・ウルフ
  • 第4章 ドイツへの旅
  • 第5章 ガブリエル
  • 第6章 木の葉落とし計画
  • 第7章 シェルブール
  •  第2部 脱走
  • 第8章 極秘計画
  • 第9章 手品
  • 第10章 秒読み
  • 第11章 続いて五隻
  • 第12章 逃避行
  • 第13章 嵐の目
  • 第14章 帰国
  •  第3部 戦争
  • 第15章 戦闘艦艇へ
  • 第16章 紅海部隊
  • 第17章 仕上げ稽古
  • 第18章 戦争へ
  • 第19章 ラタキア
  • 第20章 ファントム追跡
  • 第21章 ゼロ距離
  • 第22章 ガンマン
  • 第23章 バルディーン沖の海戦
  • 第24章 小競り合い
  • 第25章 コマンド作戦
  • 第26章 米海軍第六艦隊
  • 第27章 グランドピアノ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 実は「無人暗殺機 ドローンの誕生」で教えていただいたのだが、他に読みたい本が山積みだったので後回しにしていた。が、お薦めどおり、とても面白い本だ。

 もちろん新技術開発史としても面白いが、それを「誰が、どのように使うか」の物語としても楽しい。

 第二次世界大戦で、海戦の様子は大きく変わる。それまでの大艦巨砲主義に対し、空母の時代となった。だが、カネと技術のある大国ならともかく、小国は金食い虫の空母なんか持てないし、艦載機だって開発できない。そこで考え出されたのが、誘導ミサイルだ。

(米ソ)両艦隊とも、基本的武器としては“火砲”を放棄していた。すなわち米艦隊は第二次世界大戦中に太平洋で得た膨大な経験から海上航空戦力に頼っており、一方、ロシアは航空母艦の分野で対決することを期待しないで射程250浬に達する艦対艦ミサイルを開発していた。
  ――第26章 米海軍第六艦隊

 米国が航空機に頼りミサイルを軽視してソ連に出し抜かれるあたりは、両者の核戦略の歴史と重なって興味深い。

 さて、ミサイルの威力について、ちょっとお節介。本書に出てくるスティックス・ミサイルの射程距離は約46km。これは戦艦大和の主砲の射程42kmに優る。大和の排水量は64,000トンだが、スティックスを撃つコマール級ミサイル艇は85トン。桁が三つ違う。ちなみに浅草とお台場を結ぶ水上バスのエメラルダス(→Wikipedia)は132トン。水上バスより小さい船が、大和の主砲以上の射程を持つのだ。もっとも、船が小さい分、弾数も2発と少ないんだけど。

 そんなワケで、対艦ミサイルの登場は、海軍艦艇の思想を大きく変えてえ行くことになる。本書は世界の海軍の革命の曙を描く物語でもあるのだ。

まさに行われようとしている試験がもし成功すれば、イスラエル海軍とってもはや駆逐艦の必要性は全くないであろう。
  ――第7章 シェルブール

 なおイスラエルが開発するガブリエルMK-1の射程は22.5kmで、母艦のサール級は排水量250トン。排水量こそ大きいものの、ミサイルの射程はスティックスの半分以下。この差をいかに詰めるかも、本書の読みどころ。

 読んでいて楽しかったポイントは三つある。一つはイスラエルの軍事物にありがちな、他国における諜報/非合法活動。次にガブリエル・ミサイルの開発物語。そして最後にミサイル艇の運用すなわち戦闘場面だ。

 まず、最初の諜報/非合法活動だ。当時のイスラエルは六日間戦争=第三次中東戦争の影響で、世界中からハブられてた。お陰でサール級ミサイル艇も、フランスに発注したは良いが、武器禁輸を食らいシェルブールから出られなくなってしまう。ってんで、コッソリとトンズラかます。

「我々は本日、ハイファへ向け出港する。なおフランス人はこの件について知ってはいない」
  ――第2章 まず二隻

 こういう他国での工作はモサドが協力しそうなモンだが、珍しく?本件では海軍だけで計画・実施してる。そのため、艇を奪うためフランスを訪れたイスラエル海軍将兵は入国審査で目をつけられたり。

「パスポートは全て続き番号で、皆さっぱりした頭髪をしており、全員同じ種類のジャケットを着ていますね」
  ――第10章 秒読み

 言われてみりゃ疑われて当たり前だが、軍人さんはそういう所にまで気が回らないのだw

 なんとか艇を奪って海に出たはいいが、もちろん大騒ぎになる。ここでフランス政府の政策と国民の世論のズレが見えるのも楽しい。このあたりでは、ミラージュIII改ことクフィル(→Wikipedia)の誕生秘話もちょろりと出てきたり。

世論調査はフランス人の3/4がイスラエル艇の逃走を拍手喝采して称賛していることを示していた。
  ――第14章 帰国

 やはり国際世論では、奪った艇が地中海に入ってからの沿岸諸国の対応も、各国の事情を反映してて、意外な国がイスラエルに好意的だったり。

「もし艇が国際的に認知された旗章を掲揚しているならば、ギリシャは国際法の定めるところにより、燃料補給の便宜提供を拒否できない」
  ――第13章 嵐の目

 各国の事情と言えば、まさしく今キナ臭いNATOとロシアの海軍の軍事姿勢も少し出てくる。海における米・欧の役割分担は、みもふたもないもので、ほぼ米軍にお任せ。

「いかなる大規模な対決においても、NATOの枠組み内での自己の任務は船団護衛や対潜戦などの端役的な任務に限定される」(略)
彼ら(ヨーロッパ人)にとってソビエト海軍との対決は、アメリカ海軍、特にアメリカの空母任務部隊の問題だったのである。
  ――第4章 ドイツへの旅

 いいのか、それで。バルト三国・フンランド・ポーランドが加わったバルト海だと、今はどうなんだろう?

 さて、読みどころの二つ目、開発物語では、異端の技術者オリ・エベントブがミサイル開発の中心となる。既に対艦ミサイルの開発は始まっていた。問題は誘導方式で、最初は目視による誘導つまりラジコン式だった。これがコケる描写は、技術者の胸をえぐる。やはり現場での運用を、細かい所までキチンと想定してないとダメなのだ。

 対してオリ・エベントブは、独自の方法を唱えるが会社じゃシカトされる。そこで顧客の海軍に直接売り込むのだ。

「昼夜を問わず、ミサイルが自分で目標を探し出すことのできる自動誘導システムについて僕なりのアイデアを持っているのだけどね」
  ――第3章 ローン・ウルフ

 売り込んだはいいが、やっぱり開発じゃ何度も失敗するんだけど。試射でミサイルが海に突っ込む場面と、そのバグを見つけ対応するあたりは、技術者の心に迫る。ゲームなどのプログラムと違い、何度もテストできないのも、この手の開発じゃ辛いところ。加えて、「バグは一つとは限らない」のも厳しい現実で。

これによってガブリエルの高度計に関する諸問題全てを取り除いたことになる、という確証はなかった。
  ――第5章 ガブリエル

 漫画などでは、必殺技を開発したら、その対応策も考慮するのが定石。しかもイスラエル軍のガブリエルは、ソ連製スティックスより射程が短い。だから、イスラエル海軍はミサイル開発と同時に、敵ミサイルを躱す技術も開発しなきゃいけない。つまりは電子戦の幕開けも描いているのだ、本書は。

推進されつつある戦術開発方針の中で基本的な狙いとなったのは、長射程のスティックス・ミサイルを電子線装置、速力及び運動によって回避し、もし全てが失敗したならば砲火で対処しつつミサイル帯を横断することにあった。
  ――第15章 戦闘艦艇へ

 これはミサイルだけでなく、艇の設計にも大きく関わってくる。ってんで、壮絶な場所取り競争が始まったり。民間の製品開発でもよくあるパターンだね。

敵艦船を探索する捜索用レーダーとミサイルを目標に向け誘導する射撃指揮用レーダーは、マストのより高い位置を求めて争い合った。火砲と魚雷発射管は、甲板上のよりよいポジションを競い合った。ソーナーは重量軽減の目的で犠牲にされてしまうことに反対した。
  ――第6章 木の葉落とし計画

 かくして駆け足で準備を整えたイスラエル海軍は、ついに決戦の時を迎える。イスラエルが奇襲を食らったヨム・キプール戦争(第四次中東戦争、→「ヨム キプール戦争全史」)である。

「これは戦争であると申し上げます」
  ――第17章 仕上げ稽古

 開戦当初の戦力比は、こんな感じ。

イスラエルの作戦可能ミサイル艇11隻とミサイルのないサール級2隻に対し、エジプト地中海艦隊はオーサ級12隻とコマール級2隻を、シリア海軍はオーサ級3隻とコマール級6隻を保有していた。
  ――第18章 戦争へ

 ここからが第三の読みどころ、ミサイル艇の運用すなわち戦闘場面。なおイスラエル海軍、公式には取材に非協力なんだが、非公式に退役軍人を紹介してたりして、まあアレです、タテマエとホンネだね。お陰で戦闘場面は「レッド・プラトーン」と並ぶ分単位の緊張感あふれる場面の連続。

最初のガブリエルがその最大射程である20キロでガーシの甲板を離れた時には、スティックスはいまだ来襲中であった。二発のミサイルはお互いに近距離ですれ違った。
  ――第19章 ラタキア

 小国だけに海軍と空軍の仲もいいようで、ちょっとした空海共同作戦もあったり。

彼(イスラエル空軍ファントムのパイロット)はミサイルの軌跡が普通の火砲の射撃のように修正できるものと思って、「400メートル近、500メートル左」という具合に修正を指示し始め、しばしの間、海軍の将兵を喜ばせた。
  ――第20章 ファントム追跡

 電子戦の始まりは、海の戦いを大きく変える。それを実感したのが、こういう描写。もはや夜の帳は、安全を保障するものではないのだ。いや昔も火船の襲撃とかはあったんだけど。まさしく24時間休みなしの戦いとは。

海軍はその作戦のほとんど全部を夜間に実施することになるであろう。暗闇は敵をしてレーダーに依存させることになり、その結果、イスラエル艇の電子戦上の優位を全幅活用させることになるであろう。暗闇はまた、敵性海域における航空攻撃に対して良好な防御を提供した。
  ――第22章 ガンマン

 やはり戦いの迫真性を感じるのが、こんな描写。射程ギリギリだと、こんな状況も起こったり。

ガブリエル・ミサイルの射程は20キロであったが、目標は逃中であった。この結果、最大射程で発射された全ミサイルはその二分間の飛行を完了するまでに目標が既に遠ざかってしまっていることを認識することになる。
  ――第23章 バルディーン沖の海戦

 ヨム・キプール戦争の激しさは陸軍と空軍ばかりが語られるが、海軍も小さいながら全力を振り絞っている。というか、ここまで酷使される海軍も珍しいだろう。まあ、それぞれの出撃が一晩で終わるってあたりも、小海軍であるイスラエル海軍らしいけど。

大半の艇と乗組員はこの三週間の間、ほぼ毎夜出撃してきた。
  ――第24章 小競り合い

 やはり戦場が狭いからか、こんな漫画みたいな場面も出てきたり。こういう、現場での臨機応変な対応というかドサクサ紛れのその場しのぎが、意外と有効だったりするのも、「戦場の霧」の性質の一つなんだろう。

揚陸艇の開放式格納庫からハーフ・トラック上に載せた迫撃砲をもし正確に発射できるならば、エジプトの泊地を沖合から砲撃することが可能であり、これによって火力を有する艦艇がイスラエルに欠如していることを補うことができるであろう。
  ――第25章 コマンド作戦

 などと頑張っている現場じゃ、すっかり要らない人扱いされる彼の姿に、思わず涙してしまう技術者も多いのでは?

「皆、オリ・エベントブを忘れていないか」
  ――第26章 米海軍第六艦隊

 技術開発の物語として、海軍の革命の記録として、国際的秘密工作の秘話として、そして迫真の戦闘の描写として。いささか古くはあるが、色とりどりの面白さがギッシリと詰まった、文句なしの掘り出し物だった。ご紹介下さった方に深く感謝します。

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2023年4月16日 (日)

イアン・トール「太平洋の試練 レイテから終戦まで 下」文藝春秋 村上和久訳

いちばんむずかしいのは<腹部の患者>だと、医師たちは認めた――胃や腸などの重要な臓器を撃ち抜かれた患者である。
  ――第11章 硫黄島攻略の代償

もし向こう(地上を機銃掃射する戦闘機)が狙っていたらわかります。そのときは火花が散るのが見えますから。
  ――第12章 東京大空襲の必然

第六海兵師団所属のノリス・ブクターは、多くの日本兵が民間人のような恰好をして、一般市民に混じって前線をすり抜けようとしたと回想している。なかには女に見せかけようとする者さえいた。
「その結果、残念ながら、われわれは彼らを撃たねばならなかった。このとき多くの不運な沖縄人も殺された」
  ――第14章 惨禍の沖縄戦

【どんな本?】

 合衆国の海軍史家イアン・トールが太平洋戦争を描く、歴史戦争ノンフクション三部作の最終章。

 米国における第二次世界大戦は、欧州戦線の、それも陸軍を主体として描く作品が多い。対してこの作品は、太平洋戦争を両国の海軍を主体に描くのが特徴である。歴史家の作品だけに、日米両国の資料を丹念に漁りつつも、戦場の描写は日米双方の様子をリアルタイムで見ているような迫力で描き切る。

 最終巻となるこの巻では、戦時中の合衆国市民の暮らしと世論の変化で幕を開け、マッカーサー念願のルソン島侵攻&マニラ奪回、日米双方が多大な犠牲を出した硫黄島と沖縄の上陸戦、そして広島と長崎の悲劇を経て終戦へと向かう。

 レイテ沖の海戦で日本の海軍は壊滅状態となった。ルソン上陸を果たしたマッカーサーは陸戦兵力をマニラへと急がせるが、日本軍は雑多な住民もろとも都市内に立てこもり、徹底抗戦の姿勢を崩さない。マッカーサーが航空戦力の支援を断ったため、マニラ占領は都市戦の混沌へと突き進む。追い詰められた日本軍は…

 徴兵だけでなく戦時特需が生みだす米国の市民生活・文化の変化、 圧倒的な火力と航空戦力にも関わらず多大な犠牲を出す硫黄島と沖縄の陸戦、 敗戦の現実を受け入れられない日本の権力機構の欠陥、 日本本土占領を目指した幻のオリンピック作戦、 そして戦後の人々の暮らしと心境の移り変わりなど、 豊富な取材と資料を元に多様な視点で太平洋戦争を描く、重量級の戦争ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Twilight of the Gods : War in the Western Pacific 1944-1945, bg Ian W. Toll, 2020。日本語版は2022年3月25日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約353頁+530頁=883頁に加え、訳者解説「壮大な交響曲の締めくくりにふさわしい最終章」10頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約794,700字、400字詰め原稿用紙で約1987枚。文庫本なら4巻でも言いい大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。

 日本側の航空機名・地名・作戦名など、原書では間違っていたり、日米で異なる名で呼んでる名称を、訳者が本文中で補足しているのは嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  上巻
  • 序章 政治の季節
  • 第1章 台湾かルソンか
  • 第2章 レイテ攻撃への道
  • 第3章 地獄のペリリュー攻防戦
  • 第4章 大和魂という「戦略」
  • 第5章 レイテの戦いの幕開け
  • 第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗
  • 第7章 海と空から本土に迫る
  • 第8章 死闘のレイテ島
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第9章 銃後のアメリカ
  • 第10章 マニラ奪回の悲劇
  • 第11章 硫黄島攻略の代償
  • 第12章 東京大空襲の必然
  • 第13章 大和の撃沈、FDRの死
  • 第14章 惨禍の沖縄戦
  • 第15章 近づく終わり
  • 第16章 戦局必ずしも好転せず
  • 終章 太平洋の試練
  • 著者の覚書と謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下」では、帝国陸海軍のパイロット養成制度のお粗末さに触れていた。少数の精鋭を育てるならともかく、多くの新兵を補充できる制度ではなかった、と。対して合衆国は…

(米国)海軍は<金の翼章>を1941年には新米搭乗員3,112名に、1942年には10,869名に、1943年には20,842名に、1944年には21,067名に授与した。この驚異的な拡大は、訓練水準を落とすことなく達成された。(略)
1944年の新米たちは、平均して600時間の飛行時間を体験して第一線飛行隊に到着した。そのうち200時間は彼らが割り当てられる実用機で飛行したものだった。
  ――第9章 銃後のアメリカ

 そのために必要な航空機や航空燃料そして飛行場の建設といったハードウェアや社会・産業基盤の差は、もちろんあるだろう。また、リチャード・バックの「飛べ、銀色の空へ」や「翼の贈物」に見られる、航空文化みたいなのも、日本にはない。

 が、それ以上に、この国には人を教え育てる能力が欠けている。それこそ旧ソ連の赤軍のように、ヒトは田んぼでとれるとでも思ってるんじゃなかろか。政府も軍も民間も、とにかくヒトの扱いが粗末なんだよなあ。

 もっとも、それ以前の根本的な問題として、組織や制度を作るのが下手だってのもある。これは「終章 太平洋の試練」で指摘しているが、大日本帝国の制度には、根本的な欠陥があったのだ。

 さて、それは置いて。シリーズの終幕を飾るこの巻では、海戦ばかりでなく陸戦も多くなる。それも、広い平野での決戦ではなく、島への上陸・占領作戦だ。まずはマニラ大虐殺(→Wikipedia)で、日本人読者の心に錆びた釘を打ち込んでくる。

マニラの戦いで罪のない人間が何人死んだかは誰にも分らないが、膨大な数であることはまちがいない――だぶん10万人以上だろう。
  ――第10章 マニラ奪回の悲劇

 ここで描かれる帝国陸海軍将兵の狂態は、統率を失った軍がどうなるかを嫌というほど読者に見せつける。東部戦線では独ソ双方が、半ば組織的に蛮行に及んだ。焦土作戦のためだ。だが、ここでの帝国陸海軍の蛮行は、少なくとも戦略・戦術的には何の意味もない。単に自暴自棄になった凶悪犯が暴れている、それだけだ。

 日本では情けないほど知られていない虐殺だが、著者はこう皮肉っている。

 日本の右派の反動的なひと握りの神話作者をのぞけば、世界中の誰からも称賛されていない。

 激戦の悲劇として名高い硫黄島の戦いや、やはり双方が多大な犠牲を払った沖縄戦では、上巻のペリリューの戦いと同様、いかに火力と航空戦力が優れていようとも、地形を活かし丹念に要塞化した陣の攻略が、どれほど難しいかを痛感させられる。

 硫黄島を得た米軍は、B-29による日本本土への空襲に本腰を入れる。原則としてB-29の発着はサイパンとテニアンなんだが、硫黄島には二つの意味があった。一つは緊急時にB-29が着陸できること。もう一つは、護衛のヘルキャットが発着できること。焼夷弾も開発した米軍は、東京や名古屋など都市部への空襲を本格化させてゆく。

もしいちばん多い死亡者数の推定が正しければ、東京空襲は、広島と長崎を合わせたより多くの人々を(当初は)殺していたかもしれない。
  ――第12章 東京大空襲の必然

 ところで「B-29日本爆撃30回の実録」では、東京を襲うB-29の飛行コースを高空から低空に変えた。それって危なくなるだけじゃないの? と思っていたが、ちゃんと理由があったのだ。

 まず、燃料を節約できる。ジェット気流に晒されないし、上昇時の燃料も使わずに済む。また、爆弾からナパーム弾に変えたので、より広い範囲を攻撃でき、精度が悪くても問題なくなる。加えて時刻を夜にしたので、日本軍の迎撃も減るはず。なら迎撃用の50口径機関銃と弾薬も要らないよね。ということで、爆弾や焼夷弾の搭載量が4トン→6~8トンに増やせた。

 ちなみに下町を狙ったのは、よく燃えるから。わかるんだが、どうせなら大本営のある市ヶ谷か、権力者や金持ちが住む山の手の方が戦意をくじくのに効果がああったんじゃなかろか。

 また、ここでは、サイパンやテニアンをあっという間に航空基地に作り変える土木力と、それを維持する兵站力に舌を巻いた。必要なモノを必要な時に必要な所に届けるには、パワーだけじゃ足りない。先を見通す計画性や、時と場合に応じ計画を変える柔軟にも大切だ。モノゴトをシステム化し、かつソレを状況に応じて変える能力が凄いんだ、米国は。

 ってな時に、日本が計画したのが大和特攻である。「海上護衛戦」で大井篤海軍大佐が怒り狂ったアレだ。著者も、これを徹底してコキおろしている。

大和と九隻の護衛艦の士官と乗組員たちは、幻想を抱いていなかった。彼らの任務は海上バンザイ突撃だった。実際の戦術目的には役立たない。無益な自殺行為の突進である。
  ――第13章 大和の撃沈、FDRの死

 戦略上の利害ではなく、エエカッコしいの感情で作戦を決めているのだ。もっとも、戦意を失いつつある国民への政治宣伝って政略はあるのかもしれない。でも、それにしたって、時間稼ぎにはなっても傷を深めるだけなんだよなあ。

 そんな日本に対する諸国の目は、というと。

ポツダム会談は主として、同年のヤルタ会談で未解決だったヨーロッパの問題をあつかうことになっていた。(略)日本にたいする最後の攻勢と、戦後のアジアに広まることになる取り決めは、主要な会議の議題の合間に、おもに主導者たちのあいだの非公式な集まりでのみ、取扱われた。
  ――第15章 近づく終わり

 もう、ほとんどオマケ扱い。当時の世界情勢だと、日本の地位なんてそんなモンだったんだろう。今でも太平洋戦線は軽く見られてる気配があって、だからこそ著者もこの作品を書いたんだろうけど。もっとも、自分の影響力を過大評価する傾向ってのは、どんな人や国にも多かれ少なかれあるんだけど。

 まあいい。残念なことに、当時の日本の権力者たちは、そういう世界情勢を分かってなかった。原爆が炸裂しソ連が満州を蹂躙している時にさえ、こんな事を言ってる。

強硬派(阿南惟幾陸相,梅津美治郎参謀総長,豊田副武軍令部総長)はさらに三つの条件をあくまで要求した。
まず第一に、日本本土は外国に占領されないこと。
第二に、外地の日本軍部隊は自分たちの将校の指揮下で撤退、武装解除すること。
そして第三に、日本は自分たちで戦争犯罪人の訴追手続きを行うこと。
  ――第16章 戦局必ずしも好転せず

 米国は日本を徹底的に改造するつもりだし、その能力もあるんだってのが、全く分かってない。

 往々にして組織のなかで地位を得るには、ある種の楽観性というか、強気でモノゴトを進める性格の方が有利だったりする。とはいえ、それが行き過ぎると、組織そのものの性格がヤバくなってしまう。当時の帝国陸海軍は、その末期症状だったんじゃないか。

 いずれにせよ、著者が下す太平洋戦争への評価は、みもふたもないものだ。

太平洋戦争は東京の政治上の失敗の産物だった――壊滅的規模の失敗、どんな政府、どんな国家の歴史においても屈指のひどい失敗の。
  ――終章 太平洋の試練

 そして、その原因についても、実に手厳しい。これはシリーズ冒頭の「真珠湾からミッドウェイまで 上」でも詳しく書いている。

何十年にもわたって、海軍は計画立案の目的でアメリカを<仮想敵国>と指定してきた――アメリカと実際に戦いたいとか、戦うことを予期していたからではなく、そのシナリオが予算交渉において目的を達成するための手段となったからである。
  ――終章 太平洋の試練

 もっとも、そんな風にコキおろしているのは上層部だけで、例えば硫黄島を要塞化した栗林忠道陸軍中将や、沖縄であくまでも籠城戦を主張した八原博通陸軍大佐には、その戦術眼に好意的な記述が多い。また、米軍についても、マッカーサーやハルゼーなどの自己顕示欲旺盛な将官には厳しく、理知的なスプルーアンスには好意的だったりと、好みが伺えるのもご愛敬。

 六巻もの長大なシリーズは、書籍としても充分すぎるボリュームだろう。にもかかわらず、「私は太平洋戦争について何もわかっていなかったし、今もわかっていない」と思い知らされる、そんなシリーズだった。

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2023年4月 9日 (日)

イアン・トール「太平洋の試練 レイテから終戦まで 上」文藝春秋 村上和久訳

1944年8月、(ジェイムズ・)フォレスタルは(アーネスト・)キングにこういった。「宣伝は兵站や訓練と同じぐらい今日の戦いの一部であり、われわれはそのように理解しなければならない」
  ――序章 政治の季節

1940年以前には、アメリカは日本の屑鉄輸入の74%、銅輸入の93%、そして(もっとも重要なことに)石油輸入の80%を供給していた。
  ――第7章 海と空から本土に迫る

【どんな本?】

 合衆国の海軍史家イアン・トールが太平洋戦争を描く、歴史戦争ノンフクション三部作の最終章。

 米国における第二次世界大戦は、欧州戦線の、それも陸軍を主体として描く作品が多い。対してこの作品は、太平洋戦争を両国の海軍を主体に描くのが特徴である。歴史家の作品だけに、日米両国の資料を丹念に漁りつつも、戦場の描写は日米双方の様子をリアルタイムで見ているような迫力で描き切る。

 最終章の上巻では、大統領選を控えた米国の政治情勢から始まり、ペリリューの戦いや空母信濃の撃沈を経て、レイテ島の戦いがほぼ終わる1944年末までを扱う。

 次の目標は日本本土を睨める台湾か、またはマッカーサーが固執するフィリピンか。結局はフィリピンに決まったものの、その途中にあるペリリューは日本軍が丹念に要塞化しており、上陸・占領部隊は想定外の被害を受けてしまう。

 マッカーサーのレイテ上陸を支援するためレイテへと向かう合衆国の艦隊に対し、満身創痍の日本海軍は死に花を咲かせようと不利を承知で決戦を挑む。

 背景となる合衆国の政治情勢、密かに進められていた特攻作戦、防空から対地攻撃まで万能となったF6Fヘルキャット、潜水艦たちの戦い、悲劇の<捷一号>作戦、そして新兵器B-29の登場など、米国海軍を中心としながらも様々な視点からモザイク状に太平洋戦争の終盤を映し出す、重量級の戦争ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Twilight of the Gods : War in the Western Pacific 1944-1945, bg Ian W. Toll, 2020。日本語版は2022年3月25日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約353頁+530頁=883頁に加え、訳者解説「壮大な交響曲の締めくくりにふさわしい最終章」10頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約794,700字、400字詰め原稿用紙で約1987枚。文庫本なら4巻でも言いい大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。  日本側の航空機の名前など、原書では間違っている所を、訳者が本文中で直しているのが嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  上巻
  • 序章 政治の季節
  • 第1章 台湾かルソンか
  • 第2章 レイテ攻撃への道
  • 第3章 地獄のペリリュー攻防戦
  • 第4章 大和魂という「戦略」
  • 第5章 レイテの戦いの幕開け
  • 第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗
  • 第7章 海と空から本土に迫る
  • 第8章 死闘のレイテ島
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第9章 銃後のアメリカ
  • 第10章 マニラ奪回の悲劇
  • 第11章 硫黄島攻略の代償
  • 第12章 東京大空襲の必然
  • 第13章 大和の撃沈、FDRの死
  • 第14章 惨禍の沖縄戦
  • 第15章 近づく終わり
  • 第16章 戦局必ずしも好転せず
  • 終章 太平洋の試練
  • 著者の覚書と謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 緒戦では活躍した零戦だが、この巻が扱う1944年になると、完全にF6Fヘルキャットの優位になってしまう。

第二次世界大戦で屈指の撃墜数を誇るF6Fの撃墜王デイヴィッド・マッキャンベルは、彼らがほぼかならず日本の対戦相手を自分たちの下方で発見して、急降下で襲いかかることができたと指摘している。
  ――第2章 レイテ攻撃への道

 陸でも空でも、とにかく戦いは上にいるほうが有利なのだ。「兵士というもの 」でも、捕虜になったドイツ空軍の将兵は、エンジン性能で航空機を評価したとか。

 上巻冒頭の読みどころは、次の攻略目標が台湾かフィリピンかで揉めるところだろう。海軍は台湾を推すが、マッカーサーはフィリピン奪回に拘る。当時は人気絶頂だったマッカーサーだが、どうも著者はあまり好みでないようだ。もし台湾になっていたら、恐らく米国は大陸に足掛かりを得ていただろうし、戦後の極東情勢は大きく変わっていただろう。

 まあ、それは後知恵だから言えることだ。これは太平洋戦争のどの島でもそうで…

以下の法則は太平洋戦争の全期間を通じて、ほとんどの場合、あてはまった――アメリカ軍の指揮官が島を迂回する選択肢を検討し、議論して、結局、当初の計画どおり島を占領することを決断するたびに、彼らの決断はあとからふりかえると悲劇的に間違っていたように思えることになる。
  ――第2章 レイテ攻撃への道

 この悲劇を象徴するのが、ペリリューの戦い(→Wikipedia)。太平洋戦争の島への上陸作戦がたいていそうであったように、米国海軍の大規模な艦砲射撃や航空攻撃にも関わらず、ここでも日本軍は地形を充分に活用し丹念に準備された陣に籠り、頑強に抵抗を続ける。

実際には、少人数の日本兵は何カ月も戦いつづけ、何十名もの敗残兵が終戦後も洞窟でひきつづき暮らしていた。1947年3月、対日戦勝記念日のゆうに18カ月後、少尉指揮下の33名の日本軍敗残兵の一団が発見され、説得を受けて投降した。
  ――第3章 地獄のペリリュー攻防戦

 航空戦力が発達していても、堅牢な陣を築いての籠城戦は充分に効果があるのだ、少なくとも戦術的には。ウクライナも、クリミアのセヴァストポリを攻略しようとすると、かなり苦戦するんじゃないかな。

ただし、あくまでも戦術面に限った話で、戦略的にはサイパンもペリリューも無意味だったと私は思う。籠城戦に意味があるのは、時間を稼げば事態が良くなる場合だけだ。援軍が来るとか、敵の補給が尽きるとか、他のもっと重要な地点を味方が占領するとか。どれもこの時点じゃ日本には望みがない。

 この章では最初に上陸し戦闘に突入した第一海兵師団の戦いは丁寧に描いてるのだが、後に投入した陸軍第81歩兵師団の戦いはややアッサリ気味なあたり、著者の海軍中心な視点を示してる。

 そして台湾沖航空戦(→Wikipedia)の幻の大戦果に続き、レイテ湾海戦(レイテ沖海戦)へと挑む帝国海軍の目論見を暴いてゆく。

海軍軍令部第一部長・中澤佑少将「帝国連合艦隊に死に場所を与えてもらいたい」
  ――第4章 大和魂という「戦略」

 つまり戦略的にはなんの意味もなく、単にカッコつけたいだけなのだ。もっとも、日本国内での厭戦気分が広がってて、それを追い払おうって政治宣伝の意味もあるんだけど。いずれにせよ、勘定じゃなく感情で決めてるんだよなあ。なお、特攻についても…

特攻隊は戦術的手段であると同時にプロパガンダの手段でもあった。
  ――第8章 死闘のレイテ島

 と、目論見の半分は政治宣伝だ、としている。これは戦後も相変わらずだったり。

 そして大日本帝国海軍の組織的な戦いとしては最後となるレイテ湾海戦に突入。ここでは帝国海軍の戦術が書かれていいるのが嬉しい。例えば雷撃機の迎撃方法。

日本軍は太平洋戦争初期からこの手を使ってきた――低空飛行する雷撃機の進路に砲弾の水しぶきを上げて、撃墜するか、すくなくとも彼らを攻撃射程から逸れさせることを期待するのだ。
  ――第5章 レイテの戦いの幕開け

 また、艦砲射撃で上がる水柱が七色の色付きなのも知らなかった。「どの艦/砲の水柱なのか」を識別するために、色を付けたんだろうか。

 海戦は西村艦隊の壮絶な全滅で幕を開ける。

西村祥治海軍中将「本隊指揮官に報告。我、レイテ湾に向け突撃、玉砕す」
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 日米それぞれに齟齬があった戦いだが、著者の筆はハルゼーに厳しい。はやって囮の小沢艦隊に全力で食い付いてしまった、と指摘する。

小沢治三郎中将「囮、それがわが艦隊の全使命でした」
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 対して、有名な栗田ターン(→ニコニコ大百科)については…

実際には、日本艦隊に乗り組んでいた将兵は、本気で<捷一号>作戦に賛成してはいなかった。現実的な成功の見こみがなかったからである。
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 「もともと、やる気なかったし」みたく推論してる。だったら出撃そのものを拒めよ、と考えてしまう。兵の命を何だと思って…いや、そんな事を考えたら、そもそも戦争なんかできないか。

 いずれにせよ、帝国海軍は、ここで事実上の壊滅状態となる。まさしく「死に場所」となったのだ。そこに政略または戦略的な意味はなかった、と私は思う。

この海戦は太平洋戦争の海戦を事実上、終わらせた。
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 傷だらけの帝国海軍が無理矢理に進水させた空母信濃の潜水艦アーチャー・フィッシュによる撃沈(→「信濃!」)や、サイパンからのB-29の空襲(→「B-29日本爆撃30回の実録」)などの有名なエピソードを挟みつつ…

B-29パイロット「日本を爆撃するのには、わずかな時間しかかからない。人を参らせるのは、目標へ行って、基地に戻ってくる激務だ」
  ――第7章 海と空から本土に迫る

 海の戦いでは、敵は海軍だけではないことを思い起こさせる、ハルゼー艦隊への台風直撃で上巻は終わる。ここでもハルゼーに著者は厳しい。

台風は790名のアメリカ軍将兵の命を奪った。
  ――第8章 死闘のレイテ島

 フィリピン奪還に執念を燃やすマッカーサー、勝利の目はほぼ消えたにもかかわらず戦争を続ける大日本帝国などを背景に、戦いの記録は下巻へと続く。

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2022年3月30日 (水)

ロネン・バーグマン「イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下」早川書房 小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳 2

「テロリストたちは、罪のない人々を傷つけたくないというこちらの気持ちをうまく利用していた。(略)屋根の上に立つテロリストに向けてミサイルが発射された。すると突然、そいつが子どもを抱きかかえた。もちろんすぐに、ミサイルを空き地に落とすよう命令したよ」
  ――第30章 「ターゲットは抹殺したが、作戦は失敗した」

 ロネン・バーグマン「イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下」早川書房 小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳 1 から続く。

【どんな本?】

 1948年の第一次中東戦争による独立以前から周囲を敵に囲まれつつ生まれ、その後も絶え間ない紛争とテロにまみれて生き延びてきたイスラエル。もちろん、生き延びる手段は戦争に限らず、諜報はもちろん破壊工作や暗殺にも手を染めてきた。

 ただし、その目的や標的、手段や組織そして頻度は、その時々のイスラエルが置かれた立場や国内の政治状況そして敵の性質により異なる。イスラエルの諜報機関が経験を積むと同時に、敵も過去の経験から学び新しい戦術を開拓してゆく。

 敵味方の双方の血にまみれたイスラエルの諜報機関の歴史を記す、衝撃のルポルタージュ。

【バビロン作戦】

 下巻は、かの有名なバビロン作戦(→Wikipedia)で幕を開ける。イラクのフセインが原爆開発のために作ろうとした原子炉を、イスラエル空軍が空襲で潰した事件だ。作戦の詳細は「イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌」が詳しい。書名にあるのはイスラエル空軍だが、モサドの暗躍も詳しく描いているので、スパイ物が好きな人にはお勧め。

 それはともかく、ここの描かれたフセインの性格が、ロシアのプーチンとソックリなんだよね。

「サッダーム(・フセイン)は追い詰められると(中略)これまで以上に攻撃的になり、むきになる」
  ――第20章 ネブカドネザル

 例えばポーカーだと意地で掛け金を釣り上げ絶対に下りない。そして負けがハッキリするとテーブルごとひっくり返す。あなたの周りにもいませんか、そういうタイプ。

 そのプーチン、原註によるとテロリストの暗殺に関してはイスラエルに理解を示してる。まあKGB出身だし、似たような真似をしてるし。それよりイスラエルのシャロン首相と友好的な雰囲気を出してるのに驚いた。ハッキリと敵対はしていなかったのだ、少なくとも当時は。

【影の主役】

 さて、第21章からは、下巻の影の主役が登場する。イランだ。

 本書では同じシーア派のヒズボラや同盟関係にあるシリアはもちろん、PLOやハマスとの関係も暴いている。

いまやイスラエルは、レバノンのヒズボラ、占領地区のPIJ(パレスチナ・イスラミック・ジハード)、北部国境のシリア軍から成る統一的な部隊に取り囲まれていた。そのすべてに資金や武器を提供していたのが、イランである。
  ――第33章 過激派戦線

 一時期、ニュースで話題になったハマスのカッサム・ロケットも、イランの協力で作られた様子。そのイランが最初に取り込んだのは、PLO。まずはPLOがイランに教育を施す。

1973年、(イランのホメイニの最側近アリー・アクバル・)モフタシャミプールは中東におけるイスラム解放運動組織との関係を確認するため、ほかの忠臣数名とともに中東に派遣され、みごとPLOとの同盟締結に成功した。以後PLOは、17部隊の訓練基地に(破壊活動や情報活動やテロ戦術を教えるため)ホメイニの部下を受け入れることになる。
  ――第21章 イランからの嵐

 どうもイランは宗教的な細かい派閥には拘らないらしい。イスラエルの敵は味方、そういう発想なんだろう。

 そんなイランの影響は、派閥を越えてイスラム社会全体へと染み込んでゆく。サウジアラビアなどスンニ派の国がイランを脅威と見るのは、イランがシーア派だからってだけじゃない。問題は、イスラムをテコにすれば体制を転覆できると訴える点にある。

ホメイニは、シーア派の人々だけでなく世界中のイスラム教徒に、イスラム教が持つ力を証明してみせた。イスラム教は、モスクでの説教や通りでの慈善活動をするだけの単なる宗教ではない。政治的・軍事的な力を行使する手段、国を統治するイデオロギーにもなりうる。イスラムはあらゆる問題を解決できる、と。
  ――第24章 「スイッチを入れたり切ったりするだけ」

 「倒壊する巨塔」ではイスラム系テロの理論的な源をエジプトのムスリム同胞団の指導者サイイド・クトゥブ(→Wikipedia)としてるけど、実践し最初に成功のがシーア派のホメイニなわけ。吉田松陰と高杉晋作みたいな関係かな。

 この理屈だと、サウド王家を革命で倒してもいいって事になってしまう。そりゃ困る。だからサウジアラビアはイランを憎むのだ。

 そのホメイニの世界観なんだが、「世界は善と悪が衝突する場」ってあたり、ドナルド・トランプの支持者の世界観も同じなんじゃなかろかと思うんだが、

【核の脅威】

 そんなイランは、大雑把に二種類の者と組んでいる。一つは国家で、北朝鮮とシリア。もう一つはテロ組織で、ヒズボラとハマス。どっちも怖いが、国家はやることがデカい。そう、核開発だ。もっとも、これはイスラエルもムニャムニャだが。つかシリアが核開発しようとしたのは知らなかった。

(ムハンマド・)スレイマーンは2001年から、シリアがイランの資金援助を使って北朝鮮から購入した原子炉の格納施設の建設を監督していた。
  ――第33章 過激派戦線

 イスラエルは暗殺や破壊工作でこれを阻止するんだが、敢えて公開は控えた。追い詰めたら面子が潰れたアサド(現大統領)が暴走しかねない。アサドにも「内緒にした方がお互いのためだぜ」と密書を送る。いかにも外交裏面史だね。

 皆さんご存知のように、イランも核開発を試みていて、イスラエルも必死になって押しとどめようとする。ここではアメリカと協力しようとするのだが、さすがに暗殺までは力を貸してくれない。なおイスラエルが狙ったのは、開発に携わる科学者たち。これはそこそこ効果があったようで…

(CIA長官のマイケル・)ヘイデンは、イランの核開発計画を阻止するためにとられた措置のなかでも最も効果的だったのは、間違いなく「科学者の殺害」だったと述べている。
  ――第35章 みごとな戦術的成功、悲惨な戦略的失敗

 と、CIAが評価を下している。そういうことだから、日本の企業も技術者の待遇を良くすべきなのだあぁぁっ!

【テロ組織】

 イスラエルにとって、国家は手慣れた相手だ。だが、ハマスやヒズボラはいささか勝手が違う。PLOは金や女で取り込めたが、ハマスは違った。

イデオロギー的・宗教的な運動組織のハマスは、賄賂に釣られるメンバーがあまりいなかった
  ――第27章 最悪の時期

 ホメイニ的な思想で動いてるせいか、良くも悪くも純粋なのだ。そしてタテマエじゃパレスチナのボスであるアラファトは全く頼りにならない…というか、やる気がない。ちなみにアラファトの死が暗殺か否かは、本書じゃ「わからん」としている。ライバルであるハマスは、自爆テロで勢いづく。

「自爆テロの成功例が増えれば増えるほど、それに比例してハマスへの支持は高まっていった」
  ――第28章 全面戦争

 これに対し、当初は実行犯を狙ったイスラエル。だが、自爆テロの志願者には「これといった特徴がなかった」。若いのも老人も、賢い者も無学な者も、ビンボな独身も家族持ちもいる。しかも志願者はうじゃうじゃいた。そこでイスラエルは方針を変える。実行犯ではなく、組織の要となる者に狙いを絞るのだ。

彼ら(自爆テロ実行犯)は本質的に消耗品であり、容易にすげ替えられる(略)。しかし、彼らを教育し、組織化して送り出す人間(略)は、自爆テロに志願する人々ほど殉教者になりたいとは思っていない。
  ――第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」

 消耗品ってのも酷いが、テロ組織ってのはそういうモンなんだろう。もっとも、「組織の要」ったって、数は多い。だが、そこは力押し。

誰かが暗殺されれば、すぐ下の地位の人間がその地位を引き継ぐことになるが、それを繰り返していくと、時間がたつにつれて平均年齢は下がり、経験のレベルも落ちていく。
  ――第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」

 無茶苦茶な理屈だが、ソレナリの効果はあった様子。

テロ攻撃が停止したのは、大勢のテロ工作員を殺害し、「アネモネ摘み」作戦でテロ指導者を暗殺したからにほかならない。
  ――第32章 「アネモネ摘み」作戦

 ちなみに「アネモネ摘み」作戦とは。それまでイスラエルは暗殺対象を軍事部門に絞っていたが、政治部門にも広げ組織の幹部を狙う方針のこと。しかも、方針は徹底してる。

「散発的な暗殺に価値はない。永続的かつ継続的な方針として指導者に照準を合わせ、上級指揮官を暗殺していけば、かなりの効果がある」
  ――第33章 過激派戦線

 「次は俺の番だ」と思わせるのがコツってわけ。ほんと容赦ない。

【世論】

 もちろん、こういうイスラエルのやり方に国際世論は非難を浴びせるのだが、ある日を境に豹変する…少なくとも、欧米は。

「この大事件(911)が起きたとたん、われわれに対する苦情が止んだ」
  ――第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」

 これまた「次は俺の番」な気持ちだね。自分に危険が迫るまで、真剣に考えないのだ。当時のアメリカ大統領ブッシュJr.が比較的イスラエルに好意的なためもあり、CIAとイスラエルは親密な関係を築いてゆく。

【対米関係】

 その合衆国との関係なんだが、イスラエルの軍事技術や思想が米国や米軍に大きな影響を与えているのが見て取れる。少なくとも三つの点で。

 まずはドローンだ。イスラエルは1990年代からドローンを使っていた。手順はこう。ドローンが標的を追い、映像を司令部に送る。司令部で標的を確認したら、ドローンが標的にレーザーを当てる。最後にアパッチ攻撃ヘリがレーザー探知機で標的を拾い、ヘルファイアミサイルを撃つ。

 なおイスラエルがドローンを採用する過程は「無人暗殺機 ドローンの誕生」と違い、参謀総長エフード・バラクが積極的に推し進めたとなっている。当然ながら、今でもイスラエルはハマス対策で積極的にドローンを使っている様子。誰だよ偉そうに「今のイスラエルなら、ハマス対策としてプレデターを涎を垂らして欲しがるだろう」と書いた馬鹿は。

 二つ目は暗殺の多用だ。「アメリカの卑劣な戦争」が取り上げたテーマでもある。そこで私は「大統領が議会の承認を待たずコッソリやっちゃうため」と書いたが、イスラエルの実績に学んだ可能性も高い。もっとも、イスラエルにとっても死活の問題、例えばイランの核開発とかだと、合衆国は情報は与えても直接に手は出さない。だって、ほっといてもイスラエルが勝手にやるから。ひでえw

 そして最後に、やはり「アメリカの卑劣な戦争」が取り上げている、統合特殊作戦コマンド(JSOC)である。この思想が、本書が紹介する合同作戦指令室JWRに近い。

 国防軍情報部のアマン、国内担当のシン・ベト、そして空軍の担当者などを一つの部屋に集め、情報を共有する。縦割り組織ではなく、同じ問題に当たる者をまとめよう、そういう発想です。で、実際、特に情報・諜報関係で優れた成果をあげた模様。

 もっとも、効果を上げたのは技術も関係していて、例えば偵察ドローンだと、ドローンが送る映像をみんなが一緒に見られる環境が整ったのも大きい。IT技術でもイスラエルは先端を走っているのだ。でも国際世論の扇動じゃハマスの後手に回ってるけど(→「140字の戦争」)。たぶん、同書に出てくるエリオット・ヒギンズと似た感覚の人が多いんだろうなあ。

【おわりに】

 ダラダラと長く書いちゃったけど、それだけ刺激的なネタが多い本だってことで許してください。あと、やたら人が死にまくる上に、殺しの描写がやたら生々しいので覚悟が必要。

 単に死者の数だけで考えれば、確かに暗殺は戦争よりはるかに犠牲が少ない。でも、手を付け始めると、歯止めが利かなくなるのも、本書を読めばわかる。おまけに諜報機関が関わるんで、情報が公開されずジャーナリストや世論による抑止も効きにくい。暗殺の是非、是だとしてもどこで歯止めをかけるかなど、重たい問いを投げてくる本だ。

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2022年3月27日 (日)

ロネン・バーグマン「イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下」早川書房 小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳 1

本書が主に取り扱うのは、モサドなどイスラエルの政府機関が平時と戦時に行った暗殺と標的殺害である。
  ――プロローグ

【どんな本?】

 イスラエルの情報機関モサドは、優れた能力と手段を択ばない強引さで有名だ。だが、イスラエルの情報機関はモサドだけではない。他に軍の情報機関アマンと、イスラエル国内の治安を担当するシン・ベトがある。

 1948年の誕生の前から、イスラエルは周辺からの絶え間ない軍事圧力を受けてきた。小国でありながら、延々と続く危機に曝されつつも国家を維持できたのは、正面戦力に加え諜報および暗殺を含む秘密工作の成果が大きい。

 当然ながら、諜報や秘密工作の実態を、イスラエル当局は公開したがらない。

 そこで著者はイスラエル政府の正規文書はもちろん、引退した関係者やマスコミへの取材そして外国の資料などを駆使し、知られざるイスラエルの秘密作戦、それも最も昏い部分である暗殺に関わる事実へと迫ってゆく。

 厭われつつも卓越した実績を誇るイスラエルの諜報機関の実態を暴く、迫真のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rise and Kill First : The Secret History of Israel's Targeted Assassinations, by Ronen Bergman, 2018。日本語版は2020年6月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約402頁+332頁=約734頁。9ポイント45字×21行×(402頁+332頁)=約693,630字、400字詰め原稿用紙で約1,735枚。文庫なら3~4冊分の大容量。

 意外と文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただし、スパイ物の常で、登場人物が多く、かつ偽名を使う場面が多いので、ややこしい部分もある。落ち着いて読めばわかるんだけど。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進む。とはいえ、各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  •   上巻
  • 情報源に関する注記
  • プロローグ
  • 第1章 血と炎のなかで
  • 第2章 秘密組織の誕生
  • 第3章 神の裁き
  • 第4章 最高司令部を一撃で
  • 第5章 「頭に空が落ちてきたかのようだった」
  • 第6章 連続する災難
  • 第7章 「パレスチナ解放の手段は武装闘争のみである」
  • 第8章 メイル・ダガンの腕前
  • 第9章 国際化するPLO
  • 第10章 「殺した相手に悩まされることはない」
  • 第11章 「ターゲットを取り違えたのは失敗ではない。ただの間違いだ」
  • 第12章 過信
  • 第13章 歯磨き粉に仕込まれた毒
  • 第14章 野犬の群れ
  • 第15章 「アブー・ニダルだろうがアブー・シュタルミだろうが」
  • 第16章 海賊旗
  • 第17章 シン・ベトの陰謀
  • 第18章 民衆の蜂起
  • 第19章 インティファーダ
  •  原注/索引
  •   下巻
  • 第20章 ネブカドネザル
  • 第21章 イランからの嵐
  • 第22章 ドローンの時代
  • 第23章 ムグニエの復讐
  • 第24章 「スイッチを入れたり切ったりするだけ」
  • 第25章 「アヤシュの首を持ってこい」
  • 第26章 「ヘビのように狡猾、幼子のように無邪気」
  • 第27章 最悪の時期
  • 第28章 全面戦争
  • 第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」
  • 第30章 「ターゲットは抹殺したが、作戦は失敗した」
  • 第31章 8200部隊の反乱
  • 第32章 「アネモネ摘み」作戦
  • 第33章 過激派戦線
  • 第34章 モーリス暗殺
  • 第35章 みごとな戦術的成功、悲惨な戦略的失敗
  •  謝辞/解説:小谷賢/原注/参考文献/索引

【感想は?】

 いまのところ読み終えたのは上巻だけなので、そこまでの感想を。

 いきなり暗殺を正当化してるのにビビる。普通は後ろ暗いと思うよね。ところが…

暗殺という手段は全面戦争よりも「はるかに道徳的」だ、というのが彼(元モサド長官メイル・ダガン)の持論だった。少数の主要人物を消しさえすれば、戦争という手段に頼る必要がなくなり、味方側でも敵側でも数えきれないほどの兵士や民間人の命を犠牲にしなくてすむ。
  ――プロローグ

 戦争よかマシって理屈だ。まあ、建国以来、ずっと戦争が続いてるような国だけに、気合いというか心構えが違うんだろう。とまれ、落ち着いて考えると、一理あるかな、とも思う。

 例えば、2022年3月現在、ロシアがウクライナに攻め込んでいる。あれは「ロシアの戦争」ではなく、「プーチンの戦争」だ。侵略してもtロシアに利益はない。経済制裁でロシア連邦の経済はガタガタになる。でも、巧く領土をカスメ取れれば、プーチンの人気はうなぎのぼりだ。つまり、プーチンが権力基盤を固めるための戦争なのだ。

 なら、プーチンを暗殺すれば戦争が終わり万事丸く収まるんじゃね? ロシア・ウクライナ双方の将兵も死なずに済むし。

 ダガンの理屈は、そういう事だろう。プーチンの例が気に入らなければ、第二次世界大戦時のヒトラーでもいいや。

 この理屈は、1967年の第三次中東戦争以降に再確認される。

現在のイスラエルの国防軍や情報機関が掲げる(略)基本理念は、イスラエルは大規模な戦争を避けるべきだ(略)。なぜなら「第三次中東戦争のような圧倒的かつ迅速な勝利は二度と起こらない」からだ。今後イスラエルは(略)敵の指導者や主要な工作員を容赦なく追い詰めて殺害する
  ――第8章 メイル・ダガンの腕前

 実際、第四次中東戦争じゃ痛い目を見たし。人口の少ないイスラエルは、正面戦争が長引くと不利ってのもあるんだろうけど。

 そんなイスラエルの情報機関は、三つの柱で立っている。

モサドの設立によって、イスラエルに現在までほぼ同じ形で続く三本柱のインテリジェンス・コミュニティが確立された。
一つめの柱は国防軍に情報を提供する軍の情報局アマン(イスラエル参謀本部諜報局)、
二つめの柱は国内の情報活動と対テロ・対スパイ活動を管轄するシン・ベト(保安庁/イスラエル公安庁/シャバクとも呼ぶ)、
そして三つめの柱が国境を越えた秘密活動を担当するモサドである。
  ――第2章 秘密組織の誕生

 アメリカに例えると、アマンは国防情報局(DIA,→Wikipedia)、シン・ベトはFBI、モサドがCIAだろう。ただしUSAと違い、イスラエルの諜報三局はかなり綿密に協力しあってる。これは国や組織が比較的に小さいためもあるかな?

 そのアメリカとの関係は相当に気を使っているようで、例えばPLOのアラファートを目の敵にして暗殺の機会をうかがうのだが…

アマンの情報によれば、アラファートはサウジアラビアが提供した専用ジェット機をよく移動に使い、その二人のパイロットはアメリカのパスポートを持っているという。この飛行機を撃墜するのは論外だった。「アメリカ人には誰も手を出せない」とアマンのアモス・ギルアドは言う。
  ――第16章 海賊旗

 もっとも、今でこそCIAとは仲良くやってるようだけど、本書には米軍の中の人を取り込んで情報を吸い取った、なんて話も出てくるから諜報の世界はw そのCIAもアラファートとはつながりを持ってたりw

 こういう国による差別というか区別はやはりあって。

モサドがヨーロッパでPLOの要人を殺害していたころは、罪のない一般市民に危害を加えないという原則が厳密に守られていた。(略)だが、ターゲットが敵国におり、罪のない一般市民がアラブ人であれば、引き金を引く指にもためらいがなくなる。
  ――第14章 野犬の群れ

 これは1970年代で欧州でも極左が暴れてた頃。イタリアの赤い旅団(→Wikipedia)とか。日本の連合赤軍(→Wikipedia)も本書にちょい出てくる。当時の極左はアラブに肩入れしてた。そのアラブの後ろじゃKGBがチラホラするんだけど、イスラエルは正面切ってソ連とやる気はなかった様子。

 話をアラファートに戻す。彼に対するイスラエルの評価は高い。いや政治的な姿勢の評価じゃなく、彼の能力に対して。

「(ヤーセル・)アラファートは(略)天才と言ってもいい。あの男には、代理でテロ工作を実行する人物が二人いた。アブー・ジハードとアブー・イヤドだ。ある一件の例外を除いて、アラファートが直接かかわったテロ攻撃は一つもない」
  ――第13章 歯磨き粉に仕込まれた毒

 この辺では、アラファートが暗殺を避けるために行った工夫が幾つも書かれていて、当時の争いの熾烈さが伝わってくる。しょっちゅう居所を替えるのはもちろん、予定も直前まで決めないし、飛行機に乗る時も複数の便を予約したり。「サッカーと独裁者」で、独裁者のアポを取るのに苦労する話があったけど、その理由も納得できた。刺客をかわすには予定を決めてはいけないのだ。

 そんなアラファトも、1980年代末には肝心のパレスチナの空気がわかっていなかったようで…

アブー・ジハードもアラファートも、(第一次)インティファーダ(→Wikipedia)を始める命令など下してはいない。この二人のイスラエルの情報機関同様、この事態(インティファーダ)には驚いていた。インティファーダは純然たる大衆暴動であり、PLOとは関係のない10代後半や20代前半の若者たちが火をつけたものに過ぎない。
  ――第18章 民衆の蜂起

 そのくせ「俺が指示した」と声明を出すんだけどね。機を見るに敏なんです。これだから政治家の言う事は…。

 などとガードが堅いアラファートなどの懐に、なんとか食い込もうとするイスラエルは、内通者をスカウトする。そのコツは、案外とありきたり。

国防軍情報部隊レハヴィア・ヴァルディ「三つのPのいずれかを与えれば、どんなアラブ人でも雇える。その三つとは、称賛(praise)、報酬(payment)、女(pussy)」
  ――第3章 神の裁き

 「飲ませて抱かせて握らせる」かと思ったら、ムスリムは酒がダメなんですね。そのかわりに名誉をデッチあげるわけ。このスカウトの工夫も狡猾で。

「この段階でいちばん重要なのは、最初に向こうから接触してくるよう仕向けることだ。(略)たとえば自分がバス停に行く場合、自分のあとから来た人には疑念を抱くかもしれないが、すでにバス停にいる人には疑念を抱かない」
  ――第19章 インティファーダ

 相手が興味を持っているネタをさりげなく示し、後はバス停の例みたく動いて向こうから話しかけるのを待つのだ。もちろん、その前に「どのバスに乗るか」を調べておく。狡猾だなあ。

 かと思えば、とんでもない奴をスカウトしてたり。

かつてヒトラーに気に入られ、親衛隊の作戦に参加してユダヤ礼拝堂を焼き払っていた人物、いまや世界中で指名手配されているナチ戦犯(→Wikipedia)が、当時のイスラエル情報機関にとって重要な作戦の鍵を握るスパイとなったのである。
  ――第5章 「頭に空が落ちてきたかのようだった」

 第二次世界大戦でドイツの特殊部隊を率い、1964年当時は最も危険な男と呼ばれたオットー・スコルツェニーと取り引きしてる。確かに取引に値するだけの価値ある成果も引き出してるんだが、やはり「モサド内で激しい議論が起きた」。そりゃそうだよね。

 優れた実績を積み重ねるにつれ、他国からの評価も高くなり、モサドも様々な取引を持ち掛けられる。中には「俺に逆らう奴を消してくれ、かわりに…」なんて殺し屋まがいの話も来るんだが、そこは一線を引く。

モサド長官メイル・アミット「われわれに直接の利益がないのに、他国の厄介な任務に関与してはならない。暗殺の場合は特にそうだ。殺害するのはイスラエルの利益を脅かす者だけでなければならない。そして、青と白(イスラエル人)だけでその裁きを下さなければならない」
  ――第6章 連続する災難

 うーむ、じゃプーチンをってのは…いえ、なんでもないです。でも、情報ぐらいは提供してるんじゃないかなあ。知らんけど。

 暗殺の手口も様々で、本書には銃はもちろん書籍爆弾や毒殺のネタものってる。ジェームズ・ボンドほどじゃないけど、ガジェットの研究も怠りない。だもんで、最近流行りのアレも、実はイスラエルが起源だったり。

自動車爆弾は、イスラエル国防軍の特殊作戦部で開発された。最初期のドローンを利用し、そこから爆弾の起爆装置を作動させる信号を送るタイプの爆弾である。
  ――第14章 野犬の群れ

 後にはその自動車爆弾でイスラエルが痛い目を見るんだけど。

 とかの活躍ばかりでなく、レバノン内戦(→Wikipedia)でのファランヘ党(→Wikipedia)とのつながりを描く14章~16章や、シン・ベトによるPLO狩りの暴走を暴く17章は、事実を明らかにしようとするジャーナリストの矜持を感じさせる。

 今まで読んだスパイ物の中でも、本書はとびっきりの濃さだ。既にお腹いっぱいなんだが、お話は下巻へと続く。

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2022年2月22日 (火)

吉田裕「日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実」中公新書

本書では(略)次の三つの問題意識を重視しながら、(略)凄惨な戦場の現実を歴史学の手法で描き出してみたい。
一つ目から(略)歴史学の立場から「戦史」を主題化してみたい。
二つ目は、「兵士の目線」を重視し、「兵士の立ち位置」から、(略)「死の現場」を再構成してみることである。
三つ目の問題意識は、「帝国陸海軍」の軍事的特性が「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることである。
  ――はじめに

【どんな本?】

 1941年12月8日に始まり1945年8月15日に終わった太平洋戦争。日本人の死者は310万人に達するが、その9割以上が1944年以降と推定される。

 なぜ、このような膨大な被害を出したのか。彼らは、どのように亡くなったのか。亡くなった方々は、どんな状況に置かれたのか。

 防衛省の戦史研究センター所蔵の公式史料や当時の雑誌はもちろん、光人社NF文庫などの商業出版物や自衛隊発行の非売品そして戦友会の刊行物まで多量の資料を漁り、亡くなったがゆえに何も語れぬ兵士の立場で見たアジア・太平洋戦争の実態を再現する歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年12月25日初版。私が読んだのは2019年2月10日の15版。売れてます。新書版で縦一段組み本文約215頁に加えあとがき4頁。9.5ポイント39字×15行×215頁=約125,775字、400字詰め原稿用紙で約315枚。文庫なら薄い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすいし、特に専門知識はいらない。当時の歴史背景として、大日本帝国は対中戦争が思うように進まず、状況の打開を求め太平洋に打って出て対米英豪蘭にメンチを切り、最初は勢いがよかったけど次第に戦況が悪化して最後はボロボロになった、ぐらいに知っていれば充分。

 ただし、下手なホラーは目じゃないほどグロい描写が多いので、そこは覚悟しよう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 序章 アジア・太平洋戦争の長期化
    行き詰る日中戦争/長期戦への対応の不備 歯科治療の場合/開戦/第1・2期 戦略的攻勢と対峙の時期/第3期 戦略的守勢期/第4期 絶望的抗戦期/2000万人を超えた犠牲者たち/1944年以降の犠牲者が9割
  • 第1章 死にゆく兵士たち 絶望的抗戦期の実態 Ⅰ
    • 膨大な戦病死と餓死
      戦病死者の増大/餓死者 類を見ない異常な高率/マラリアと栄養失調/戦争栄養失調症 「生ける屍」の如く/精神神経症との強い関連
    • 戦局悪化のなかの海没死と特攻
      35万人を超える海没死者/「8ノット船団」拍車をかけた貨物船の劣化/圧抵傷と水中爆傷/「とつぜん発狂者が続出」/特攻死 過大な期待と現実/特攻の破壊力
    • 自殺と戦場での「処置」
      自殺 世界で一番の高率/インパール作戦と硫黄島防衛戦/「処置」という名の殺害/ガダルカナル島の戦い/抵抗する兵士たち/軍医の複雑な思い 自傷者の摘発/強奪、襲撃……
  • 第2章 身体からみた戦争 絶望的抗戦期の実態 Ⅱ
    • 兵士の体格・体力の低下
      徴兵のシステム/現役徴集率の増大/「昔日の皇軍の面影はさらにない」/知的障害者の苦悩/結核の拡大 一個師団の兵力に相当/虫歯の蔓延、“荒療治”の対応
    • 遅れる軍の対応 栄養不良と排除
      給養の悪化と略奪の「手引き」/結核の温床 私的制裁と古参兵/レントゲン検査の「諸刃の剣」/1944年に始まった「集団智能検査」/水準、機器、人数とも劣った歯科医療
    • 病む兵士の心 恐怖・疲労・罪悪感
      入隊前の環境/教育としての「刺突」/「戦争神経症」/精神医学者による調査/覚醒剤ヒロポンの多用/「いつまで生きとるつもりか」/陸軍が使った「戦力増強剤」/休暇なき日本軍
    • 被服・装備の劣悪化
      「これが皇軍かと思わせるような恰好」/鮫皮の軍靴の履き心地/無鉄軍靴の登場/孟宗竹による代用飯盒・代用水筒/背嚢から背負袋へ
  • 第3章 無残な死、その歴史的背景
    • 異質な軍事思想
      短期決戦、作戦至上主義/極端な精神主義/米英軍の過小評価/1943年中頃からの対米戦重視/戦車の脅威/体当たり戦法の採用/見直される検閲方針
    • 日本軍の根本的欠陥
      統帥権の独立と両総長の権限/多元的・分権的な政治システム/国務と統帥の統合の試み/軍内改革の挫折/罪とされない私的制裁/軍紀の弛緩と退廃/「皇軍たるの実を失いたるもの」
    • 後発の近代国家 資本主義の後進性
      兵力と労働の競合/未亡人の処遇と女性兵/少年兵への依存/遅れた機械化/体重の五割を超える装備/飛行場設営能力の格差/10年近く遅れた通信機器/軍需工業製品としての軍靴
  • 終章 深く刻まれた「戦争の傷跡」
    再発マラリア 30年以上続いた元兵士/半世紀にわたった水虫との闘い/夜間視力増強食と昼夜逆転訓練/覚醒剤の副作用と中毒/近年の「礼賛」と実際の「死の現場」
  • あとがき/参考文献/アジア・太平洋戦争 略年表

【感想は?】

 東部戦線の地獄っぷりは知ってるつもりだったが、太平洋戦線もそれに匹敵する地獄だったとは。

ある推定によれば、中国軍と中国民衆の死者が1000万人以上、朝鮮の死者が約20万人、その他、ベトナム、インドネシアなどをあわせて総計で1900万人以上になる。
  ――序章 アジア・太平洋戦争の長期化

 「モスクワ攻防1941」によると、東部戦線の死者はソ連関と近隣諸国だけで3千万近い。太平洋も似たような地獄だったのだ。ちなみに本書によると日本の戦没者は軍と民間を合わせ310万人。おまけにベトナムなどインドシナは日本が米から商用作物へ転作を強要したため戦後も飢餓に苦しんだとか(→「戦争と飢餓」)。

 当時の大日本帝国陸海軍の補給音痴は「海上護衛戦」などで散々言われている。それが兵に与えた影響を、嫌というほど何度も繰り返し書いているのが本書だ。38頁のイラスト「生ける屍」の衝撃はすさまじい。

 そもそも根本的な方針からして、略奪を前提にしてるんだから酷い。まるきし傭兵を中心とした中世の軍である。

野戦経理長官部(長官は陸軍省経理局長の兼任)は、1939年3月に、『支那事変の経験に基づく経理勤務の参考(第二輯)』を発行しているが、その第四項、「住民の物資隠匿法とこれが利用法」は、事実上、略奪の「手引き」となっている。
  ――第2章 身体からみた戦争 絶望的抗戦期の実態 Ⅱ

 これが本土も物資が不足する末期になると、軍から兵への支給品も質が下がる。孟宗竹の代用水筒とか江戸時代かよ。靴も鮫皮だ。ゲバラは靴の大切さを強調してた(→「ゲリラ戦争」)けど、それすら兵に配れないとは。ゲリラ以下じゃん。

 ちなみに飯盒は実に便利なモノらしく、これさえあれば野草すら調理できたとか。パンで生きる欧米にはできない芸当だね。

「銃も装備も何もなくなった兵隊が最後まで離さなかった物は飯盒である」
  ――第2章 身体からみた戦争 絶望的抗戦期の実態 Ⅱ

 まあいい。そのくせ荷物は重く、インパール作戦の個人装備は「少なくとも十貫(40キロ)を超えていたと思う」から凄まじい。そんなんでロクな道もないジャングルを歩いて行ったのだ。

 このインパール作戦の非道っぷりはアチコチで語られている。指揮する側もついていけない兵が出るのは分かっていたのか…

(インパール)作戦に従軍した独立輜重兵第二連隊の一兵士、黒岩正幸によれば、中隊に部隊の最後尾を歩き落伍者を収容する「後尾収容班」がつくられた
  ――第1章 死にゆく兵士たち 絶望的抗戦期の実態 Ⅰ

 はいいが、その任務は…

その実態は「落伍兵に肩を貸すどころか、自殺を勧告し、強要する恐ろしい班」だった。
  ――第1章 死にゆく兵士たち 絶望的抗戦期の実態 Ⅰ

 督戦隊ですらない。捕虜になれば敵の補給線に負荷をかけられるのに、敢えて殺して何の意味があるんだか。他にも古参兵による初年兵いじめとかの愚かさが続々と出てくる。なんなんだろうね、この出鱈目さは。当時の軍は兵を憎んでたんじゃないか、とすら思えてくる。

 こういう不合理さの解釈は、終盤になって出てくる。まずは、よく言われる統帥権だ。

国力を超えた戦線の拡大や、戦争終結という国家意思の決定が遅れた背景には、明治憲法体制そのものの根本的欠陥がある。
一つには言うまでもなく、「統帥権の独立」である。(略)軍部は「統帥権の独立」を楯にとって、政府によるコントロールを排除していった。
もう一つの欠陥は、国家諸機関の分立制である。(略)明治憲法の起草者たちが政治勢力の一元化を回避し、(略)伸長しつつあった政党勢力が議会と内閣を制覇し、天皇大権が空洞化して天皇の地位が空位化することを恐れていたのである。
  ――第3章 無残な死、その歴史的背景

 国家としての一貫した軍事方針がなかったのは、「太平洋の試練」でも指摘している。ただ、本書はこの辺が駆け足になっちゃってるのが少し残念。もっとも、そこを突っ込んだら、それだけで一冊になりそうな気配が。

 あと、国全体としての誤りは書いてあるけど、自決の強要や特攻など、無駄に兵を殺す体質の原因は、この本じゃわからない。これを精神論で片付けられるほど単純な問題じゃないと思う。なんというか、病んでるんだよね、組織として。こういう病んだ気質が、今もブラック企業などに受け継がれてる気がする。

 いや、他のところ、例えば戦場の兵が置かれた状況や統計数字などは、とてもしっかり調べているのだ。例えば25pの年ごとの戦没者数。「日本政府は年次別の戦没者数を公表していない」が、「岩手県は年次別の陸海軍の戦史者数を公表している唯一の剣である」とある。全都道府県を調べたんだろう。たった数行のために。

 こういう所に、学者の執念というか矜持みたいなのを感じるのだ。

 他にも潜水艦ではドイツのUボートが有名だけど、キルレシオじゃ米海軍が最も優秀だったりと、軍ヲタへの御褒美もちゃんとあって、なかなかのご馳走だった。太平洋戦争に興味があるなら、ぜひ読んでおこう。

 以下、各国潜水艦の戦績。

喪失 撃沈(隻) 撃沈(トン) キルレシオ
52 1314 500万2千 1:25
781 2828 1400万5千 1:3.6
127 127 90万 1:1.4

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2021年12月 8日 (水)

ロドリク・ブレースウェート「モスクワ攻防1941 戦時下の都市と住民」白水社 川上洸訳

参加兵員数から見れば、モスクワ攻防戦は第二次世界大戦でも最大の、したがってまた史上最大の会戦で、双方合わせて700万を超える将兵がこれに加わった。(略)
モスクワ攻防戦はフランス全土に匹敵する広大な地域で戦われ、41年9月末から42年4月初旬まで6カ月にわたってつづいた。
  ――序章 1941年を迎えて

1943年、作家ミハイール・プリーシヴィン「住民は戦争を望まず、体制に不満をいだいている。それなのに、そういう人間がいったん前線に出ると、わが身を惜しまず勇敢に戦う。[……]この現象を私はまったく理解できない」
  ――第17章 勝利のあと

【どんな本?】

 1941年6月22日、突如ドイツ軍が東へ向け進軍を始めた。バルバロッサ作戦(→Wikipedia)の発動である。粛清などで崩壊寸前の赤軍に対し、ドイツ軍は当初こそ快進撃を続けたが、やがて補給が滞ると共に秋の泥濘に足を取られ、次第に進撃速度を落としつつも、同年7月22日の空襲をはじめとしてモスクワへと迫る。

 スターリングラード・レニングラードと並ぶ死闘であり、また第二次世界大戦の転機ともなったモスクワ攻防戦を、スターリンから村娘に至るソ連側の人々の視点で描く、戦時ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MOSCOW 1941 : A City and Its People at War, by Rodric Braithwaite, 2006。日本語版は2008年8月155日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約531頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×20行×531頁=約467,280字、400字詰め原稿用紙で約1,169枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。ただ、一部に微妙な訳がある。例えばPPsh-41(→Wikipedia)を機関短銃または自動短銃としている。今は短機関銃という呼び方が主だ。Wikipedia に100式機関短銃なんて項目があるんで、帝国陸軍は機関短銃と呼んだんだろう。別名サブマシンガン、拳銃弾をバラまく近距離用の機関銃です。

 内容もわかりやすい。あくまでもソ連側、それも市民の視点が中心なので、東部戦線物にしてはエグい場面は少ない。とはいえあくまでも「東部戦線物にしては」なので、多少は覚悟しよう。あと、半ばイチャモンなんだが、人名や地名がロシア語なので覚えにくいのが難点。特に地名は当時のレニングラードが今はサンクトペテルブルクになってたりする。これはソ連/ロシア物の宿命ですね。

【構成は?】

 基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

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  • 凡例/地図
  • 序章 1941年を迎えて
  • 第1部 おもむろに迫る嵐
  • 第1章 都市の形成
  • 第2章 ユートピアをめざして
  • 第3章 戦争と戦争のうわさ
  • 第2部 嵐の到来
  • 第4章 1941年6月22日
  • 第5章 ロシア軍の抗戦
  • 第6章 民兵たち
  • 第7章 大衆動員
  • 第8章 手綱を締めるスターリン
  • 第9章 嵐の目
  • 第10章 空襲下のモスクワ
  • 第3部 タイフーン
  • 第11章 ドイツ軍の突破前進
  • 第12章 パニック
  • 第13章 疎開
  • 第14章 バネの圧縮
  • 第15章 バネの反発
  • 第16章 敗北から勝利へ
  • 第17章 勝利のあと
  • 謝辞/訳者あとがき/写真提供者リスト/資料の出所/主要人名索引

【感想は?】

 第二次世界大戦を描く日本の戦争映画・ドラマは太平洋戦争が多いし、ハリウッド映画やアメリカのドラマは西部戦線が主だ。だから、太平洋や西欧が主戦場であるかのような印象が強い。でも、数字で見る限り、第二次世界大戦の主な舞台は東部戦線である。

ある大ざっぱな推計によると、900万に近いソ連軍人と1,700万のソ連民間人――ロシアとベロルシア、ウクライナとカザフスタン、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン(略)の男女が、戦争の過程で死んだとされる。
  ――第16章 敗北から勝利へ

ドイツ側の最近の研究の一つは、この戦争で死んだドイツ兵の数を500万以上と推定している。そのうち400万人近くがロシア軍との戦闘で、もしくはソ連の捕虜収容所で死んだ。
  ――第16章 敗北から勝利へ

 本書は、この東部戦線の模様を、1941年~1942年のモスクワ攻防戦を中心に描く。登場人物はスターリンやジューコフなど政治・軍事の養殖にある者はもちろん、工場労働者や民兵やバレリーナや作家などバラエティに富んでいる。

 分厚い本だが、実は前の半分ほどを、モスクワ攻防戦前の状況の説明にあてている。

 何せ当時のソ連の内情はヒドい。ほとんどスターリンが自ら災厄を招いたようなモンなんだが、粛清の嵐で赤軍は悲惨な事になっている。例えば赤軍だ。

(1937年~38年の)粛清期にソ連に5人いた元帥のうちの3人、16人の軍司令官(大将)のうち15人、67人の軍団司令官(中将)のうち60人、師団長(少将)の70%、高級政治将校の大部分も同じ運命(逮捕/処刑)をたどった。
  ――第3章 戦争と戦争のうわさ

開戦時点で着任後1年未満の将校が全体の3/4を占めていた。
  ――第3章 戦争と戦争のうわさ

 と、開戦時からして既にガタガタだったのだ。こういった将兵の質の低さは追撃に移ってからも変わらず…

最初のころ分宿した民家の一軒では、主婦が経験の浅い(小隊長の)チェルチャーエフに歩哨を配置するよう教えてくれた。そうしないと略奪団と化したドイツ兵に窓から手榴弾を投げ込まれるというのだ。
  ――第16章 敗北から勝利へ

 と、ドイツ軍の占領を経験している分、民家のオバチャンの方が将校より詳しかったり。これは軍ばかりでなく…

数百人の航空機設計家、技術者、専門家が34年から41年までのあいだ収監された。
  ――第8章 手綱を締めるスターリン

 「開発が計画通りに進まないのは技術者たちが怠けているから」ってな理屈で専門家たちを処刑しまくったワケです。そういやロケット開発を主導した主任技師ことセルゲイ・コロリョフ(→Wikipedia,「セルゲイ・コロリョフ ロシア宇宙開発の巨星の生涯」)もシベリア送りになってるなあ。

 しかもスターリンは油断しきってて、ドイツが攻めてくるとは毛ほども思っていない。だもんで準備万端なドイツ軍の進撃ぶりはすさまじく。

6月22日、日曜日の午前3時15分、ドイツ軍爆撃機が西部国境地域のソ連空軍基地群を襲撃した。赤色空軍は戦争の最初の朝に1200機以上を、その大部分は地上で失った。
  ――第4章 1941年6月22日

戦争の第一週が終わるころには、赤軍最新鋭の機械化軍団はその戦力の9割を失っていた。
  ――第4章 1941年6月22日

 「これで勝った」と思うよね、普通。ところが、秋に入ると進撃は止まる。補給路は伸びるのに、路は泥で埋まるのだ。

ナポレオンとヒトラーの軍勢をおしとどめたのは冬将軍ではなくて、泥濘だった。
  ――第1章 都市の形成

 しかも、意外なことに、ドイツ軍はナポレオンより手間取ってたり。

ドイツ軍はナポレオンより3カ月近くも長い時日をかけてモスクワ近傍まで進撃した。というのも、(略)ドイツ軍はナポレオン軍とほとんど変わらぬくらい馬に依存し、進撃する兵士のスタミナに頼っていたからだ。(略)
6月21日の真夜中にソ連国境に投入された兵力は、グラン・ダルメ(ナポレオンの遠征軍)の6倍。300万以上の兵員、2000機近い航空機、3000両以上の戦車、75万頭の馬が、3個の軍集団の戦闘序列下にあった。
  ――第4章 1941年6月22日

 機械化されているのはごく一部で、実際は馬に頼ってた。戦車が快進撃しても、歩兵はついてこれないのだ。この反省から歩兵戦闘車(→Wikipedia)が登場するんだが、それは置いて。その戦車も赤軍のKV-1(→Wikipedia)やT-34(→Wikipedia)の方が強かったり。

 それでも、ドイツ軍はヒタヒタとモスクワへと迫ってくる。モスクワの価値は単に政治的なだけじゃない。戦争を続ける能力そのものも、モスクワが握っていたのだ。

1940年のモスクワは全国で製造される自動車の半分、工作機と工具の半分、電気機器の40%以上を生産していた。
  ――第2章 ユートピアをめざして

 工業力もモスクワに偏っていたんですね。そんなワケで、スターリンは工業の疎開も急がせる。色々と手違いはあったようだけど、ちゃんと功を奏したらしく。

大工場はあらかた疎開してしまったので、ますます多くの中小工場が兵器生産に切り替えられた。モスクワでの兵器生産のなかでの中小工場のシェアは、かつては25%を超えなかったが、11月末現在94%にたっした。
  ――第12章 パニック

 このモスクワ攻防戦をめぐっては二つの説がある。一つは「モスクワが落ちてもスターリンはウラル山脈の東へ逃げて戦争を続けた」って説、もう一つは「モスクワが落ちたらおしまい」って説。本書によるとモスクワの東800kmほどのクーイビシェフ(現サマーラ)へ政府を移す計画を進めてるんで、徹底抗戦したっぽい。

 もっとも、連合軍からの補給物資はアルハーンゲルス港・ムールマンスク港経由なんで、こっちの経路が潰れたらどうなんでしょうね。

 まあ、ソ連は引っ越しは得意なのだ。なんたって…

ソヴィエト政府は全国いたるところへ人びとの大集団を動かす経験をじゅうぶんに積んでいた。
  ――第7章 大衆動員

 なぜって…

1920年代にはモスクワとレニングラードから数千数万の階級敵を強制移送し、30年代には数百万のクラーク(富農)をシベリアと中央アジアに強制移住させた。(略)
列車に乗せられた人たちの旅行中の食糧や、目的地での宿泊施設については、あまり配慮を払わなかったので、病気、栄養不良、疲労、ときには護送兵の暴行の結果、多数の死者が出た。
  ――第7章 大衆動員

 そっちかよ! と突っ込みたくなるが、まあソ連だし。

 そんな経験豊富なソ連だけに、西から東へヒトとモノを動かすのは巧みで…

6月10日から11月20日までの期間にウクライナ、ベロルシア、バルト諸国から貨車100万両分の工業設備が搬出され、戦争の全期間をつうじてはほぼ1000万人が鉄道で、ほぼ200万人が水路で疎開した。
  ――第13章 疎開

 やはり鉄道の輸送能力は図抜けてる。前世紀の海外旅行ガイドブックだと、国によっては「鉄道車両の写真を撮るとスパイと疑われる」なんて記述もあったぐらい、鉄道ってのは国家の戦略的な能力を示すんですね。

 そうやってソ連がスタコラと逃げてるうちに、冬将軍がやってくる。補給線が伸び切ったドイツ軍は、冬の装備がなかなか前線に届かない。

グデーリアンは敵との戦闘行為による損失の2倍もの数の兵員を、寒さのために失った。
  ――第14章 バネの圧縮

 これに追い打ちをかけたのが、ソ連の焦土作戦。撤退する際、近隣の町や村を焼き払うのだ。ドイツに食料も寝床もあたえぬように。

ドイツ軍がモスクワに接近したとき、スターリンは敵に雨露をしのぐ場所をあたえぬよう、被占領地域の村落を徹底的に破壊せよと命じた。ジューコフは戦線の背後の幅5キロ、のちには25キロの地帯から住民を退去させるよう命令した。
  ――第15章 バネの反発

 戦術としちゃ理に適ってるんだろうが、巻き込まれる住民はたまらんよなあ。もっとも、この後、ドイツ軍も撤退する際に同じことをするんだけど。

 そんな冬将軍が猛威を振るいエンジンも凍って動かぬ中、活躍できたのは…

独ソ双方の軍勢のなかで、泥濘の中でも、雪中でさえも、ある程度の機動力を保持できたのは騎兵だけだった。
  ――第14章 バネの圧縮

 元来が寒冷地仕様の生き物(→「人類と家畜の世界史」)な上に、地元育ちだから寒さにも強いんだろうか。

 最初は慌てたスターリンも、「引きこもりの一週間」を過ぎて活発に動き始め、大規模な動員も始まる。なおスターリンの引き籠りの原因には幾つかの説があるが、本書では「自分の地位を狙う裏切り者をあぶりだすため」って説を紹介している。

 それはともかく、人を集めたはいいが、それを巧く鍛え使う体制はできてない。「銃は二人に一丁」なんて話が何度も出てくる。そんなワケで、動員した人たちの使い道は…

民兵らの多忙な一日の大半は戦闘教練ではなく、塹壕と対戦車壕の掘削に費やされた。
  ――第6章 民兵たち

 これはこれで適切なんじゃないか、と私は思う。もっとも、ドイツ軍の進撃が速すぎて、作った陣地の多くが未完成のまま突破されちゃうんだけど。

 先にも書いたように裏切り者を恐れるソ連だけに、検閲も厳しい。

新しい検閲規則がすでに導入されていた。軍事、経済、政治にかんするあらゆる情報の伝達、風景その他の写真付きのハガキの発送、点字による文通、クロスワードやチェスの詰め手の問題の発送が禁止された。
  ――第9章 嵐の目

 風景写真はわかるけど点字や詰め手は…うーん、暗号を警戒したんだろうか。

 ちなみにNKVDが張り切って「裏切り者」を逮捕しまくった結果、市民も前線の兵も「本当に裏切り者だらけなんじゃないか」と疑心暗鬼になった、なんて話もある。ばかりか、東方の疎開先じゃ意外と党の統制は甘くて、反乱の気配もあったとか。とはいえ、既にドイツ軍に蹂躙された西方じゃ、恨みに燃えるバルチザンが活発に動いたんだけど。

 もちろん、疎開せずにモスクワに残る人も多い。面白いのが、空襲下のモスクワで生き残る方法。

いちばん大事なのは、高射砲弾の上昇音と爆弾の落下音を識別する能力を身につけることで、落下音のピッチが(ドップラー効果で)上がるのにたいし、砲弾の上昇音は逆に下がる。
  ――第10章 空襲下のモスクワ

 言われてみると、そうだよなあ。

 そういう物騒な話ばかりでなく、日々の暮らしも苦しくなる。

戦争の最初の1年で物価は8倍にはねあがった。
  ――第12章 パニック

 米5kgが¥12,000、吉野家の牛丼が¥3,400の暮らしを想像してみよう。なお電気代は計算不要。だって電気は止まってるから。つか電気が止まったら米炊けないや俺。

 もちろん、足りないのはメシだけじゃない。

棺桶が足りないので、5~7日も待たないと葬儀もできない。
  ――第16章 敗北から勝利へ

 と、何もかもが足りない。原因の一つは鉄道で、モスクワ行きの列車は前線へ送る兵員でいっぱいだったから。そんな具合だから、近くの農村へ買い出しに行ったり、逆に農村からミルクを売りに来てたり。こういう風景は終戦後の日本と同じだなあ。

 とはいえ、泥縄式ながらも赤軍の抵抗は意外と早く功を奏し…

ドイツ軍はこれ(1941年12月8日)以後二度と首都を射程内に入れる地点まで接近できなかった。
  ――第15章 バネの反発

 これはバトル・オブ・ブリテンとの比較がわかりやすい。イギリス攻撃は設備の整ったフランスの飛行場から出撃できた。でもモスクワ近郊の飛行場は荒れてるし補給もままならないんで、ルフトバッフェも苦労した模様。

 そんな情勢の変化にスターリンも気をよくして…

12月14日、スターリンはモスクワの工場、橋梁、公共建築に仕掛けた爆薬の撤去を命令した。その二週間ほど後には、都心周辺の新たな防御陣地の構築をやめさせた。
  ――第15章 バネの反発

 逆に言えば、仮にモスクワを引き払う羽目になったら、モスクワを廃墟に変えるつもりだったのだ、スターリンは。こういう態度は「パリは燃えているか?」のヒトラーと同じだね。

 最終章の「第17章 勝利のあと」は、戦後のソ連の人々と政府の動きを描く。この本もソ連時代には手に入らなかった資料に多くを負っている事でもわかるように、戦後もソ連は相変わらず秘密主義だった。歴史家アレクサーンドル・ネークリチが充分な資料に基づき、開戦前後の高官たちの怠慢を指摘した著作「1941年6月22日」に対し当局曰く。

「政治の都合と史実と、どちらがより重要だと思っているのか?」
  ――第17章 勝利のあと

 政治家と学者じゃ正解が違うのが、よくわかる話だ。

 軍ヲタとしては、スキー部隊が活躍したり、意外と短機関銃が役に立ったり、この後にドイツ軍が南に重点を移すのをソ連諜報機関が掴んでたりと、細かい拾い物も多かった。が、それ以上に、気温が零下を下回る地での物資欠乏がどんなものか、身に染みて感じるのが辛かった。寒い季節に読むと迫力が増す本だ。

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