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2021年6月29日 (火)

スチュアート・D・ゴールドマン「ノモンハン1939 第二次世界大戦の知られざる始点」みすず書房 山岡由美訳 麻田雅文解説

本書は(略)第二次世界大戦の起源の解明という(略)試みにおいて、(略)ノモンハン事件というピースが見落とされている、あるいは誤った場所にはめこまれているという事実に光を当てるものである。
  ――序

(1937年に始まった日中戦争で)日本が中国の深みにはまり込んだことはソ連が極東にかかえる脅威を大幅に減じ、果たしてソ連の対日政策を転換させた。モスクワは、日本に対する宥和の必要がなくなったのである。
  ――第2章 世界の状況

【どんな本?】

 1939年5月から9月にかけて、当時の満州国とモンゴル共和国の国境をめぐり、大日本帝国(満州国)とソ連・モンゴル連合軍が衝突する。日本の歴史教科書ではノモンハン事件と名づけられ、第二次世界大戦の戦史でも軽く扱われがちな戦いだが、実際には両陣営を合わせ10万人以上の兵力が戦いに加わっており、モンゴルでは「ハルハ河の会戦」と呼ばれている。

 このノモンハンの軍事衝突こそが第二次世界大戦の機転となった、そう著者は主張する。

 大日本帝国はもちろん1991年のソ連崩壊に伴い公開されたソ連および赤軍関係の情報も含めた大量の資料を漁り、当時の世界情勢および各国政府の重要人物の目論見を分析した上で、第二次世界大戦の起源へと迫る、外交・軍事研究書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は NOMONHAN, 1939 : The Red Army's Victory That Shaped World Wide War Ⅱ, by Stuart D. Goldman, 2012。日本語版は2013年12月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約272頁に加え、麻田雅文の解題13頁+訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×272頁=約237,728字、400字詰め原稿用紙で約595枚。文庫なら少し厚めの文字数。

 軍事系の本のわりに文章はこなれている。あくまでも軍事系の本にしてはなので、慣れない人は堅苦しく感じるかも。おまけに外交文書からの引用もあって、まわりくどい言い回しも多い。脳内でド・モルガンの法則を使い二重否定を肯定に変換するなどの工夫をしよう。

 ノモンハンの戦いが当時の国際情勢にどう影響したか、を語る本だ。日本とソ連はもちろん、ドイツ・イギリス・フランスそして中国が主なプレイヤーとして登場する。なので、1930年代後半~1940年代前半の主な出来事について、ある程度は知っておいた方がいい。

【構成は?】

 原則として時系列順に進む。初心者は素直に頭から読もう。ただし「もし日本が南進ではなく北進していたら…」と考える人は、いきなり第7章を読んでもいい。

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  • 謝辞
  • 第1章 過去の遺産
    戦争と革命/スターリンの産業革命/日本における恐慌、超国家主義、軍国主義/日ソ関係の悪化
  • 第2章 世界の状況
    ファシズムの脅威の出現と人民戦線・統一戦線/乾岔子島事件/日中戦争/ドイツと日本/西側民主主義諸国と日本・ドイツ・ソ連の関係/マドリードとミュンヘン 西欧における統一戦線の失敗/スターリン、徒手空拳の六カ月/分岐点/日独軍事同盟の行方
  • 第3章 張鼓峰
    幕開け/戦闘/張鼓峰の意味
  • 第4章 ノモンハン 序曲
    背景/関東軍の姿勢/紛争の発生/5月28日の戦闘
  • 第5章 ノモンハン 限定戦争における戦訓
    関東軍の七月攻勢/ジューコフの八月攻勢/脱出行動後の動き
  • 第6章 ノモンハン、不可侵条約、第二次世界大戦の勃発
    ノモンハンと不可侵条約/ソ連と日本の緊張緩和
  • 第7章 揺曳するノモンハンの影
    戦訓の選択/ノモンハン、そして真珠湾への道/歴史の岐路に立って考える/ノモンハンと限定戦争
  • 結語
  • 原注/解題 麻田雅文/訳者あとがき/写真一覧/参考文献/索引

【感想は?】

 軍ヲタが太平洋戦争を語る際に、よく出る話題がある。北進と南進の話だ。筋書きはこんな感じ。

  • 当時の日本は北進=対ソ連と南進=対英米欄仏の二方針で議論があった。
  • ところがノモンハンの戦いで日本は赤軍にボロ負けする。
  • そのため日本はソ連にビビり、北進を諦め南進に転じた。
  • それを日本にいたソ連のスパイのゾルゲが嗅ぎつけ、スターリンにチクる。
  • スターリンはドイツと日本の挟み撃ちを恐れていた。
  • 日本の脅威がないと安心したスターリンは極東の赤軍を対ドイツに振り向け、独ソ戦の逆転につなげる。
  • では、もし日本が北進=対ソ連に舵を切っていたら?

 極論すると、この本はそういう内容だ。特に第7章が詳しいので、お急ぎの方は第7章からお読みください。例えば、ノモンハン戦で日本が赤軍の評価を変えたことを、こう書いている。

ノモンハン事件を契機に、日本が赤軍についての評価に抜本的な修正を加えたのは確かである。またソ連の力をむやみにあなどることもなくなった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 これにより北進から南進に変わった事についても、こんな感じ。

ノモンハン事件で関東軍の味わった苦い経験は深い刻印を残し、それが北進から南進への日本の方針転換の主な原因となった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 そしてゾルゲが掴んだネタが独ソ戦に与えた影響については…

1941年秋、歩兵15個師団、騎兵3個師団、戦車1700両、軍用機1500機――言い換えるならソ連極東軍の戦力の半分以上――が東部からヨーロッパ・ロシアに移された。大半はモスクワ戦線に送られている。モスクワ攻防戦は、これによって流れが変わった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 となって、大胆な結論へと至る。

日本の軍首脳部が1941年の段階で、ノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していたとすると、事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろう。もし1941年7月または8月に北進が決定されていたなら、おそらくソ連は崩れ去っていたと思われる。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 つまりは、そういう結論に向かって、証拠を積み重ねていく本である。多くの軍ヲタ・歴史ヲタは、この時点で評価を決めるだろう。申し訳ないが、私は評価を下せるほど知識がないので、今は保留したい。

 ノモンハンの戦いは、日本でもあまり知られていない。ソ連とモンゴルじゃ有名だが、西欧とアメリカでは日本以上に知られていない。そういった状況への苛立ちというか、学者としては美味しいテーマを見つけたぞ、みたいな興奮が滲み出ている気がする。

 とはいえ、著者の筆は慎重だ。第1章では黒船来航から日露の歴史を辿り、第2章以降ではソ連を中心に独仏英との外交交渉をじっくり描く。ノモンハンの戦いについても、日ソそして中国の関係を、第3章からきめ細かく辿ってゆく。

 戦闘を描くのは第5章で、ここでは大日本帝国の困った点が嫌と言うほど書いてあるので覚悟しよう。ここを読むと、負けるべくして負けたのがよく分かる。

 敗因は、まず政治にある。そもそも大日本帝国は政策が一貫していない。現場の関東軍は対ソ全面戦争上等と前のめりだが、東京の陸軍省と参謀本部は外交的解決に望みをつなぎ及び腰。そのため偵察機を飛ばせないなど、戦術に足かせをかける。対してソ連はスターリン→ジューコフのラインに一本化されつつも指揮はジューコフに一任され、お陰で潤沢な補給が受けられた。

 これが兵站・火力・兵力の差となって現れる。当時の最大の輸送力である鉄道駅からの距離はソ連側に不利なのだが、そこはゴリ押しだ。例えば輸送能力では…

1939年時点で満州国にあった自動車のうち関東軍が使用できるものはわずか800台にすぎず、ソ連が4200台以上の自動車を動員して兵站業務を進めていたことなど、日本側には想像だにできなかった。
  ――第5章 ノモンハン 限定戦争における戦訓

 火力も砲の威力と射程距離など、ソ連が圧倒的に優勢だ。おまけに、最初は有効だったBT-5(→Wikipedia)/BT-7(→Wikipedia)戦車への火炎瓶攻撃も、カバーをかけガソリン・エンジンをディーゼルに変え封じてしまう。トドメは名機T-34(→Wikipedia)まで登場する始末。

 ソ連の総司令官で後のベルリン陥落の立役者ジューコフ(→Wikipedia)も、意外と芸の細かい所を見せている。ピアノ線で戦車を足止めするとか、予め戦車や航空機のエンジン音を音響設備で夜ごと流して油断させた所で総攻撃とか、偽電文を流すとか。でも、基本は味方の損害を顧みない力押し。

 人としては冷酷だが、当時のソ連の軍人、それも野戦指揮官としては理想的だ。そもそも地形は平坦で見晴らしが効き、火力・兵力・機動力で優っているんだから、当然だよね。

 このノモンハンの戦いでジューコフは砲と戦車の集中運用を実戦で磨き、後の独ソ戦で腕を振るうことになる。

 そんなワケで、北進派は是非とも読んでおこう。

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2021年5月31日 (月)

スティーブ・コール「シークレット・ウォーズ アメリカ、アフガニスタン、パキスタン三つ巴の諜報戦争 上・下」白水社 笠井亮平訳 2

パキスタン陸軍参謀長アシュファク・キヤニ「アフガニスタンをコントロールしようなどと考えを望んではいけません。アフガニスタンをコントロールしようとする者は、歴史を知らないのです。それができた者は誰もいないのですから」
  ――第20章 新たなボス

 スティーブ・コール「シークレット・ウォーズ アメリカ、アフガニスタン、パキスタン三つ巴の諜報戦争 上・下」白水社 笠井亮平訳 1 から続く。

【どんな本?】

 ブッシュ政権から受け継いだオバマ政権は、アフガニスタンへの深入りを避け兵数の削減を求めるが、パキスタンのワジリスタンを根城とするタリバーンの掃討は遅々として進まない。パキスタンでは反米の気運が盛り上がりTTP(パキスタン・タリバーン運動)など過激派が勢いを増し、実質的に権力を握る軍への不信感が高まってゆく。そしてアフガニスタンのハーミド・カルザイ大統領は、アメリカへの信頼を次第に失いつつあった。

 混迷を続けるアフガニスタンの状況を緻密に伝える、迫真の政治・軍事ドキュメンタリー。

【感想は?】

 ブッシュJr政権時代を描いた上巻に続き、下巻ではオバマ政権が登場する。なんとか米軍を撤退させたいオバマ政権だが…

パキスタン陸軍参謀長アシュファク・キヤニ「いまのやり方では、(アフガニスタン)南部は回転ドアのようになってしまう事でしょう――NATOが入っては出て行き、タリバーンが入っては出て行く、という具合に」
  ――第20章 新たなボス

 と、パキスタンの事実上の最高権力者はなんとも不吉な予言をしていて、実際その通りになってるんだよなあ。しかも、派兵の負荷はどんどん膨れ上がってゆく。

「われわれ(アメリカ)の活動には年間600億ドルがかかっているが」「連中(タリバーン)は年間6千万ドルでやっているではないか」
  ――第22章 国民にチャンスを与える戦争

 そもそも、トップの姿勢が、どうにも煮え切らない。

オバマはアル・カーイダの解体をなんとしてでもやり遂げる考えであり、アフガン政府と同国治安部隊に権限を委譲する取り組みについても支持していた。しかしオバマは、タリバーンの打倒を目的とする軍事ミッションを推進するつもりはまったくなかった。
  ――第22章 国民にチャンスを与える戦争

 オバマの目的はアル・カーイダであって、タリバーンはどうでもよかった。そもそもブッシュJrが戦争を始めた理由もアル・カーイダだったがら、まあ理屈は合ってるんだが。とはいえ、人様の国を勝手に荒らしまくって後は知らん、ってのも酷い話だ。熱心に会合を続けるが…

ヒラリー・クリントン国務長官「われわれにはパキスタン戦略もなければ和解に向けた戦略もありません。ただ議論とプロセスを続けているだけなのです」
  ――第25章 キヤニ2.0

 はいはい、よくあるね。続いているから続けてる、そんなお仕事。あなたの職場にもありませんか? それに対し、現場の意見は…

米マレン海軍大将「カンダハールにはびこる腐敗の大半を一掃し、正当性を備えた政府機構をつくり上げることをしなければ、現地のガバナンスを改善することはできないでしょう」
  ――第26章 人命と負傷者

 実際問題として、欧米軍はタリバーン相手に戦ってる。そしてタリバーンがはびこるのは、現地の統治機構がグダグダだからだ。まるきしベトナム戦争そのもの。戦場となった国の経済を大きく変えちゃってるのも、ベトナムと似てる。

アフガニスタンで「アメリカが腐敗の最大の供給源になっているのです」(ロバート・)ゲイツ(国防長官)が続けた。アフガニスタンでの業務委託契約額はアヘンやヘロインの取引額よりも大きくなっているのですから
  ――第27章 キヤニ3.0

 そしてもちろん、軍事的にも似てるからタチが悪い。対タリバーン戦は実質的にゲリラ戦だ。欧米の正規軍に対し、敵は正面切った戦闘は仕掛けない。即席爆弾などのテロで、ジワジワと体力を奪う作戦に出てる。そして…

これまで記録に残っている限りにおいて、ゲリラが国境を越えたずっと先に聖域を持っている場合に反乱鎮圧作戦が成功したためしはない
  ――第26章 人命と負傷者

 いくら敵の正面戦力を叩こうと、ヤバくなったら敵は逃げて聖域にズラかってしまう。ベトナム戦争の場合、聖域は北ベトナムだった。アフガニスタンだと、パキスタン領内のワジリスタンが聖域。そういえばイラクのスンニ派はイランが聖域だなあ。話を戻すと、タリバーンを叩くにはパキスタンの協力が必要なんだが…

アフガニスタン大統領ハーミド・カルザイ「アメリカにはあと100年はいてもらいたいが、このやり方[反乱鎮圧作戦]では成功するわけがない。戦争の本当の相手はパキスタンなのだから」
  ――第26章 人命と負傷者

 パキスタンも連邦直轄部族地域には手をこまねいているし、カシミール紛争などの関係で、ナアナアの関係をズルズルと続けている。カルザイもそれが判ってて、パキスタンに対し毅然と対応しないアメリカに苛立ちを募らせてゆく。そりゃそうだよね。

 この辺を読んでて驚くのが、パキスタンのISI(三軍統合情報局)のトップとアフガニスタン大統領が堂々と直接話し合ってて、それがオープンになってること。日本の首相とCIAのトップの話し合いがバレたら、どんな騒ぎになることやら。でも外交の世界って、そんなモンなのかな。そのISIは…

「われわれに知られずにタリバーンと対話を継続できるなどと考えるのは身のほど知らずですよ」(ISI長官のアフマド・)パシャは(CIAイスラマバード長官のジョナサン・)バンクに言った。
  ――第27章 キヤニ3.0

 と、堂々と開き直る始末。これはカルザイも認めてて…

アフガニスタン大統領ハーミド・カルザイ「パキスタンとの協力なしに、アフガニスタンに安定をもたらす方法を見つけ出すことができますかな?」
  ――第29章 ドラゴンブレス弾

 前の記事にも書いたが、パキスタンの基本姿勢はインド憎し。特ににらみ合いが続くカシミールじゃ過激派組織LeTにISIが下請け仕事をやらせたり。アメリカとしてはソコをなんとか躱しつつ、アフガニスタン問題には協力させ、まっとうな中央政府を樹立したいところだが…

アフガニスタン大統領ハーミド・カルザイ「いま(アフガニスタンに)あるのは、下請けの政府です」
  ――第29章 ドラゴンブレス弾

 このあたりだと、カルザイは神経衰弱っぽい状態のように書かれているけど、こういう言葉を拾っていくと、かなり冷静かつ正確にアフガニスタンおよび自分の立場を把握しているように思う。もっとも、それをハッキリ言っちゃうのは、政治家としてどうかな、とも感じる。根拠はなくても自信ありげに振る舞った方が、人気は出るんだよな。

 そうこうしている間に、アメリカがアフガニスタンに派兵した本来の目的、ビン・ラディンの殺害に成功する。マスコミはパキスタンに無断で襲ったように報じてるし、本書もそれを裏付けている。その理由はお察しの通り、ISI経由で情報が漏れるのを恐れたため。結果としてパキスタンのメンツっは丸つぶれになり、パキスタン世論も沸騰する。その理由は…

パキスタン世論のかなりの部分、いやほとんどすべては、ISIがビン・ラディンをかくまっていた可能性よりも、ネイビーシールズが当局に気づかれずに国境を越え、パキスタンに侵入することができたという事実に憤慨していたのである。
  ――第30章 殉教者記念日

 ISIの役立たず、防空体制はどうなってる、そういう怒りだ。日本でもベレンコ中尉亡命事件(→Wikipedia)ってのがあって、大騒ぎになった。

 などの混迷を深めつつ、物語は終盤へと向かう。アフガニスタンは相変わらず不安定で、アメリカのトランプは増派を断念し、パキスタンは中国への接近を図る。最近のニュースを見ると、アメリカはインドとの関係を深めているから、アフガニスタン問題は更に厄介な事になりそう。もっとも、悪い事ばかりじゃない。

経済規模については、2001年に約25億ドルだった推定GDPは2014年に約200億ドルとなり、10倍近い成長を遂げた。小学校の入学者数は5倍になった。(略)人口は約50%増加して3000万人に達したが、その一因は成長する経済や平和の可能性に魅力を感じた難民が数百万人規模で帰還したことだった。
  ――第35章 クーデター

 タリバーンも自称イスラム国に兵を奪われたりと、一時期に比べれば勢いに陰りが出ているものの、アフガニスタン全体で見ると、やっぱり政府が弱体なのにかわりはない。バイデン大統領になってどうなるのか、というと、やっぱりあまし期待できないんだよなあ。

 全体としては、登場人物が異様に多く、それだけ問題の複雑さが良く現れている。中でもアメリカ人が異様に多いのは、それだけアメリカの姿勢が一貫してないってことでもあるし、アメリカ政府・軍・CIAの人事異動の激しさも感じさせる。それが選挙で定期的に人が入れ替わる民主主義の定めでもあるんだが、相手国にとっては人と方針がコロコロと変わるわけで、何かとやりにくいんじゃなかろうか。

 他にもCIAが無人機を操縦してたりと、拾い物のネタは多かった。あくまで事実のルポルタージュなだけに、中身は複雑だし煮え切らない話も多い。なにより現在も進行中の話なだけに、結末も尻切れトンボだが、それだけにリアリティもある。質量ともに、重量級のドキュメンタリーだ。

 以降、気になったエピソードをつらつらと。

【ミステリ】

 「第32章 アフガン・ハンド」と「第33章 殺人捜査課」は、ミステリとしても面白い。

 きっかけは、アフガニスタンの警官や兵士による欧米将兵殺しが増えたこと。欧米の将兵にすれば、仲間から撃たれるわけで、たまったモンじゃない。その原因を巡って、この2章は展開する。

2010年までに、(ジェフリー・T・)ボーデン(少佐)は憂慮すべきある傾向を非常に詳しく把握するようになっていた。米軍や欧州の兵士が、友軍でああるはずのアフガン国軍兵士に殺害される事案が急増していたのだ。
  ――第32章 アフガン・ハンド

…米欧の兵士に対する部隊内での殺害事案の発生頻度は、アフガニスタン戦争の最初の10年と比べて10倍にもなった…
  ――第33章 殺人捜査課

 これを調べ始めるジェフリー・T・ボーデン少佐は心理学者で、原因は文化の違いだとする報告を出す。いささか米軍には都合の悪い報告だ。ってんで報告書は非公開扱いになり、ボーデンは軍からもお祓い箱になってしまう。「俺の学説を認めさせてやる」と意地になった彼の行動は、学者の執念が滲み出ていて、思わず笑ってしまった。

 実際、ここで露わになった米欧将兵の振る舞いは、「アメリカン・スナイパー」が描くイラクでの米兵の振る舞いと同じで、そりゃアフガニスタン人の神経を逆なでするよ、と納得してしまう。こういう現地の人をナメた姿勢は「レッド・プラトーン」や「アフガン、たった一人の生還」にも漂ってた。

 なんでナメるかね。アフガニスタン人はロシア人を叩きだしたんだぞ。米軍は、むしろ教えを乞うべきだろうに。

 …と、読者がボーデンの説に入れ込んだところで、新しい探偵として司法精神医学者のマーク・セージマンが登場し、別の角度で分析を進めていくあたりは、ミステリとしてなかなか楽しい。また、アフガニスタン人がタリバーンに入る動機も幾つか出ていて、中には絶望的な気分になるケースも。

 それはともかく、セージマンのこの説は、おお!と思ったり。

…ソ連の影響を受けた共産主義であれ、タリバーンであれ、あるいはイスラーム国であれ、敵側に寝返るという個人の行為は往々にして帰属意識によるものであり、イデオロギーではないというのが(司法精神医学者のマーク・)セージマンの結論だった。
  ――第33章 殺人捜査課

 これ、寝返りだけじゃなく、カルト宗教や過激派に入る動機としても、大きいんじゃないかなあ。何回かカルトから勧誘された事があるけど、連中、やたら馴れ馴れしいんだよね。あれ、「キミはボクたちの仲間だ」と帰属意識を与えるためなんだろう。

【ジョー・バイデン】

 意外な人物の意外な顔が見れるのも、この本の魅力の一つ。中でも驚いたのが、現合衆国大統領のジョー・バイデン。日本のニュースじゃ穏やかな印象の人だが、本書じゃ全く違う。キレ者なのだ、能力的にも性格的にも。極めて賢く、かつそれを自分でも分かっていて、しかも自分の意見をハッキリ口に出す。

 本書じゃオバマ新政権の副大統領に着任してすぐ、アフガニスタンを訪れて大統領のハーミド・カルザイに向かい、こうブチあげている。

「大統領閣下、アメリカにとってパキスタンはアフガニスタンの50倍重要な国なのですよ」
  ――第20章 新たなボス

 上院議員の経歴が長いとはいえ、新任の、しかも副大統領が、一国の最高権力者に向かって、そこまで言うか。しかも当時のカルザイはタリバーンを始め我の強い軍閥みたいな連中をまとめるのに苦労してるってのに。だもんで、バイデンの言葉をカルザイはこう解釈した。

「タリバーンは貴国の問題です。アメリカにとって問題なのはアル・カーイダなのです」
  ――第20章 新たなボス

 カルザイは見捨てられた、と思ったんだろうなあ。

 あ、それと。政治家には内政が得意な人と外交が得意な人がいる。バイデンは上院議員時代から世界各国を飛び回ってた人なんで、今後の日米関係はタフな交渉になりそう。

【飛行船】

 私は飛行船が好きだ。だってカッコいいし。でも見てくれだけで、あまし使い道がないから未来は暗い…と思っていたが、意外と活躍していた。アフガニスタンじゃ「およそ175隻の固定型あるいは機動型」の小型飛行船を使ってる。装甲車につなげて偵察とか。アドバルーンみたいな感じかな? たぶん軟式飛行船だろう。

 もちろん目立つから撃たれるんだが、数発の銃弾が当たった程度なら大丈夫、というから思ったより頑丈。きっと船の隔壁みたく空気袋は複数の区画に分かれてるんだろう。でもさすがにグレネードランチャーには弱い。そりゃそうだ。

【声明文】

 ときどき、武装組織が意味不明な声明を出すことがある。あれはデューク東郷への依頼メッセージみたいなモンかもしれない。

 本書ではタリバーン幹部を名乗るタイェブ・アーガーが米国と交渉する場面がある。タイェブが本物だと確かめるため、米国は彼に案を示す。タリバーンとは関係ないソマリア内戦について、タリバーンのボスであるムッラー・ムハンマド・オマルが声明を出してくれ、と。

 意味不明な声明は、秘密裏に交渉が進みつつあるきざしなのかも。

【整備】

 前から気になっていた事がある。

 航空自衛隊の機体は米国製が多い。次の戦闘機の選定ではユーロファーターなど欧州製も候補に挙がるが、たいてい米国製に決まる。その理由の一つとして、工具などの規格を統一した方がいい、みたいな話がある。メートル法とヤード・ポンド法とかの違い? いずれにせよ航空自衛隊の整備能力は極めて優れていて、F-15の稼働率は9割を超えで米空軍以上だと聞いた。いや真偽は不明だが。

 だが途上国の空軍は往々にして様々な国の機体が混在している。例えばイラク空軍はロシアのSu-25と米のF-16、サウジアラビア空軍は米のF-15と欧州のタイフーンを使っている。それでちゃんと整備できるのか? その謎が解けた。

 パキスタン空軍でF-16の整備をしているのは、「契約職員」なのだ。派遣元は米空軍かロッキード・マーチン社か、はたまた民間軍事会社かは不明だが、いずれにせよ外注なのだった。マッコイ爺さんかよ。そういやスホイ社は運用も含めたパッケージ・サービスを提供しているとか。

【コーラン焼却事件】

 気になっていった事件の真相がわかるのも、こういう本の楽しみの一つ。

 2012年2月、ISAFのバグラム空軍基地でコーランが燃やされる事件があった(→AFP)。

 これ実際の場所は空軍基地じゃなく、その向かいにあるバルワーン拘留施設。入ってたのはタリバーンの捕虜。「ブラック・フラッグス」や「テロリストの誕生」の刑務所同様、彼らは拘留施設を「臨時司令部」にした。連絡手段は施設内の図書館の蔵書。そこで米軍はヤバい本を焼き捨てることにした。

 ところが米軍にアラビア語やパシュトー語が分かる者がおらず、コーランが紛れ込んでしまった。火を点けてから現地人の職員がコーランに気づき騒ぎだし…って顛末。

 改めて考えれば、現地の言葉も分からん者に治安を維持させようってのが無茶だと思うんだが。

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2021年5月28日 (金)

スティーブ・コール「シークレット・ウォーズ アメリカ、アフガニスタン、パキスタン三つ巴の諜報戦争 上・下」白水社 笠井亮平訳 1

本書は『アフガン諜報戦争』においてジャーナリスティックな手法で語られた通史の続巻であり、前著が終わったところ、すなわち2001年9月10日から物語が始まる。
  ――はじめに

【どんな本?】

 パンジシールの獅子と呼ばれ、アフガニスタンの希望となったアフメド・シャー・マスードは2001年9月9日に暗殺された。その2日後、アメリカ同時多発テロ事件で世界は激震する。首謀者ビン・ラディン&アル・カーイダはアフガニスタンに潜伏しており、タリバーンの庇護下にあると目される。

 復讐を望む合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ大統領はアフガニスタンへの派兵を決めるが、タリバーンはパキスタン軍およびISI(パキスタン三軍統合情報局)の強い影響下にあった。

 軍事的な解決へと突き進むアメリカ、タリバーン及びその根城である連邦直轄部族地域の対応に苦慮するパキスタン、弱い権力地盤に悩みつつも独立したアフガニスタンを目指すアフガニスタン大統領ハーミド・カルザイ。

 今なお混迷を続けるアフガニスタンの現状は、いかにしてもたらされたのか。ワシントン・ポスト編集局長などを務めた著者による、重量級のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は DIRECTORATE S, by Steve Coll, 2018。日本語版は2019年12月10日発行。単行本ハードカバー上下巻で縦一段組み本文約455頁+451頁=約906頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント46字×20行×(455頁+451頁)=833,520字、400字詰め原稿用紙で約2,084枚。文庫ならたっぷり四巻分の巨大容量。

 文章はこなれているし、専門用語はその場で説明がある。とはいえ、モノを見りゃわかるが、重量級の本だ。相応の覚悟をしよう。内容もキチンと読めば頭に入ってくるが、なにせ登場人物、それもアメリカ人が異様に多い。幸い冒頭に主要登場人物があるので、栞を挟んでおこう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  上巻
  • 地図一覧/主要登場人物/主要略語一覧
  • はじめに
  • 第1部 手探りの開戦 2001年9月-12月
    • 第1章 「ハーリドに事情ができた」
    • 第2章 審判の日
    • 第3章 かくのごとき友人たち
    • 第4章 リスクマネジメント
    • 第5章 破滅的な成功
  • 第2部 遠のく平和 2002-2006年
    • 第6章 ささやかな変化
    • 第7章 タリバーンのカルザイ支持
    • 第8章 謎
    • 第9章 「あの人のやり方は自分たちとは違っていた」
    • 第10章 ミスター・ビッグ
    • 第11章 大使対決
    • 第12章 海の中に穴を掘る
    • 第13章 過激派
  • 第3部 誠意 2006-2009年
    • 第14章 自爆の謎を解明せよ
    • 第15章 プラン・アフガニスタン
    • 第16章 暗殺と闇の国家
    • 第17章 ハードデータ
    • 第18章 愛の鞭
    • 第19章 テロと闇の国家
  • 原注
  •  下巻
  • 地図一覧/主要登場人物/主要略語一覧
  • 第3部 誠意 2006-2009年
    • 第20章 新たなボス
    • 第21章 カルザイの離反
    • 第22章 国民にチャンスを与える戦争
  • 第4部 幻想の消滅 2010-2014年
    • 第23章 ひとりCIA
    • 第24章 紛争解決班
    • 第25章 キヤニ2.0
    • 第26章 人命と負傷者
    • 第27章 キヤニ3.0
    • 第28章 人質
    • 第29章 ドラゴンブレス弾
    • 第30章 殉教者記念日
    • 第31章 戦闘と交渉
    • 第32章 アフガン・ハンド
    • 第33章 殺人捜査課
    • 第34章 自傷
    • 第35章 クーデター
  • エピローグ 被害者影響報告書
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 1939年の平沼騏一郎首相曰く「欧州情勢は複雑怪奇」。欧州どころか、そもそも軍事・外交というのは、どこであろうとも複雑怪奇なものらしい。

 本書の冒頭は2001年晩夏。登場するのはアムルッラー・サーレハ、アフガニスタンでタリバーンに対抗するパンジシールの獅子ことアフマド・シャー・マスードの下で、CIAとの連絡役を務める人物だ。マスードがCIAを窓口として米国とツルんでいたのは前著にも書いてある。

 と同時に、イランやロシアとも繋がっていたのには驚いた。

米国から確固とした支援が得られないなかで、マスードは武器や資金、医療物資の供給をイランやインド、ロシアに頼っていた。なかでもイラン(略)の革命防衛隊と情報工作員がアフガニスタン北部でマスードのゲリラ軍と行動をともにしていた。
  ――第1章 「ハーリドに事情ができた」

 物資を得るどころか、革命防衛隊まで出張っているとは。金欠のマスードには、米とイランの関係なんかどうでもいいんだろう。そんな風に、一見は複雑怪奇なようでも、各人物の立場で見ていくと、奇妙に見える判断や行動が、相応の一貫性や合理性に基づいているのが見えてくるのも、この手の本の面白いところ。

 そういう点では、当時のパキスタン大統領パルヴェームズ・ムシャッラフの姿勢も、実は一貫している。ズルズルとタリバーンと付き合いつつ米国から支援を引き出そうとするセコい奴のように思えるが、彼の最も大きな関心は、全く違う所にある。

ジョージ・W・ブッシュ「わたしと交わした会話のほとんどで、ムシャッラフはインドの悪行を非難していたよ」
  ――第3章 かくのごとき友人たち

 インドとの確執だ。日本の極右が中国や韓国への敵視で世界情勢を判断するように、ムシャッラフの外交はインドとの関係が座標軸である。インドの敵は友、インドの味方は敵。パキスタンの政治家すべてではないにせよ、そういう勢力が大きい。そのパキスタンで大きな影響力を持つ軍は、タリバーンをこう見ている。

「われわれの意図を代行してくれる主体が必要であり、テロ支援国家と糾弾されることを避けつつ、彼らを良好な状態になるよう管理していく」
  ――第12章 海の中に穴を掘る

 「われわれの意図」とは、アフガニスタンでのインドの影響力を削ぐこと。イスラム原理主義のタリバーンは、ヒンディーのインドと相性が悪い。つまりインドの敵=パキスタンの友だ。なにせトップが…

タリバーン創設者ムッラー・ムハンマド・オマル「自ら犠牲となる準備はできており、非ムスリムの友人になろうとは思わない。非ムスリムはわが信仰と教えのすべてに敵対しているからである」
  ――第4章 リスクマネジメント

 と、徹底したイスラム原理主義者だし。いやイスラムったってパシュトゥーン風味にアレンジしたシロモノなんだけど。

 それまでアメリカは直接手を下さず、マスードなどへの支援に留めていた。陸軍特殊部隊が活躍する「ホース・ソルジャー」は面白いぞ。またパキスタン、特にISI(パキスタン三軍統合情報局)との関係は前著が詳しい。

戦闘は現地の人びとにやらせて、CIAはそのために必要な資金と技術で支援するという手法を好んだ。
  ――第2章 審判の日

 そんな状況で9.11が起きる。当時はビン・ラディン&アル・カーイダはタリバーンに匿われ、パキスタンとの国境に近いアフガニスタン東部の山岳地帯に隠れ潜んでいると見られていた。そこでアメリカは渓谷地帯への攻撃、アナコンダ作戦(→英語版Wikipedia)を敢行する。ところが…

パキスタン大統領パルヴェームズ・ムシャッラフ「(トミー・)フランクス(米陸軍)大将、アメリカは何をしているかおわかりですか? あの連中(アル・カーイダ)を追い出そうとしているようだが、彼らが通っていける渓谷は150もあるのですぞ。それがわが国に押し寄せてきている」
  ――第5章 破滅的な成功

 肝心のビン・ラディンばかりでなく、アル・カーイダの主力もパキスタンへと逃げ出してしまう。これに懲りるどころか、ブッシュJr政権はアフガニスタンへの更なる深入りを決める。そうやって荒らしまわるのはいいが、その後の国家再建は、というと…

2002年2月、ホワイトハウスの行政管理予算局(OMB)がその年の10月から始まる会計年度のアフガン支援関連予算として計上したのは、わずか1憶5100万ドルでしかなかった。(略)2001年にブッシュ政権はアフガニスタン戦争のために45億ドルを投じた
  ――第6章 ささやかな変化

 当時のブッシュ政権はイラクに集中していて、アフガニスタンは片手間だったのだ。だもんで、再建は「国際協力」の美名のもと、他の国にお任せ。いい気なモンだ。日本は、そういう戦争に巻き込まれたのだ。

 先のムシャッラフの言葉も、CIAが確認している。ところが現場の将兵は、タリバーンとの戦闘にはまり込んでゆく。

アフガニスタンには多くのアル・カーイダ兵は残っていない――2002年以降、CIAと特殊部隊はそういう考えに至った。アル・カーイダはパキスタンに移動していたのだった。そこでアメリカの部隊は、「そこにいたから」というだけの理由でタリバーンにたいする攻撃を開始した
  ――第7章 タリバーンのカルザイ支持

 いや将兵も、最初は節度を保って接するのだ。でも…

「(米兵はアフガニスタン住民に)最初は友好的な姿勢で接触を試みていくのですよ。でも自分たちに犠牲者が何人か出るや否や、態度を豹変させるのです」
  ――第11章 大使対決

 戦友がやられると、頭に血が上る。まあ人としちゃ当たり前の反応だよね。しかも、現地の感情は最初から歓迎ムードとはほど遠い。CIAも現地で協力者を得ようとするのだが…

(ワジリスタンでは)数週間に一度は「アメリカのスパイ」と胸に書かれた紙が貼られた死体が発見された。犠牲者の大半はCIAと何のかかわりもない者だったが、ケース・オフィサーがエージェントを失っていったのは確かだった。現地では、よそ者に対してきわめて敵対的な雰囲気が漂っていた。
  ――第12章 海の中に穴を掘る

 なお、ワジリスタン(→Wikipedia)はパキスタン北西部の連邦直轄部族地域(FATA,→Wikipedia)の一部でアフガニスタンと接している。パキスタン政府の統治が及ばずタリバーンと同じパシュトゥーン人が多いFATAの中でも特に厄介な所で、アル・カーイダやタリバーンが隠れ潜むには格好の地域。で、よそ者は出て行け、そういう雰囲気なのだ。不正確な情報しか手に入らないため、巻き添えも多く…

2008年全体では、CIAが行ったすべての無人機攻撃の1/3で少なくとも子どもが一人殺害されたという。
  ――第19章 テロと闇の国家

 なんとか捕まえた容疑者への尋問も、素人が担当する場合が多く、拷問でむりやり吐かせる、どころかやりすぎて殺しちゃったり。

2001年以降に尋問業務を担当したCIA職員のおよそ85%が契約職員で占められていた。「ザ・ファーム」の通称で知られるCIAの研修アカデミーでは、尋問のスキルについて教えられることはなかった。
  ――第9章 「あの人のやり方は自分たちとは違っていた」

 なお「陸軍尋問官」によると、アル・カーイダは捕まった際に吐くべきシナリオを用意していたそうな。帝国陸軍より、よっぽど賢い。つか、そのシナリオと照らし合わせれば、本物かどうか判断できたんじゃね?

 そんな泥沼の戦いに巻き込まれたNATOなんだが…

国際治安支援部隊(ISAF)はNATOが展開するものであり、アフガニスタンでテロリスト掃討作戦を行うアメリカのタスクフォースとはまったく別組織だった。ISAFの展開地域は主にカブールとアフガニスタン北部の都市部に限られていた。
  ――第12章 海の中に穴を掘る

2007年にISAF司令部配属となったある陸軍少将は、「NATO部隊の宿舎生活の典型例」を目の当たりにし、「多くの点で驚かされた」という。士官の就業時間は午前9時から午後2時までだった。夜には司令部の半数が酔っぱらっていた。
  ――第17章 ハードデータ

 指揮系統も米軍とは違っていて、バラバラに動いていたのだ。ちなみにアフガニスタンの地理をおさらいしておくと、パキスタン国境に近いカンダハールなどの南部はパシュトゥーン人が多く、タリバーンの根城になっている。首都カブールから北は北部同盟などカルザイ政権に好意的…とはいえ、いつ仲たがいしてもおかしくない状況。

 そんな綱渡りを続けるアフガニスタン大統領ハーミド・カルザイは、汚職が蔓延した地域の勢力を、なんとか味方につけようとするのだが、スポンサーのアメリカはいい顔をしない。

アフガニスタン大統領ハーミド・カルザイ「聞きたいのは、悪者を自分たちの側につけておきたいか、それともタリバーンの側に追いやりたいか、ということです」
  ――第15章 プラン・アフガニスタン

 イラクでバース党を一掃したように、アフガニスタンでも強引かつ性急な民主化を進めようとする。急ぐんならヒト・カネ・モノを出せと言いたいんだが、先に引用したようにブッシュ政権は戦争には熱心でも復興には不熱心で、「そりゃ国際協力で」とか調子のいいことを言ってる。そうこうしてるうちに、事態を余計にこじらせる事件が起きる。2008年7月7日のカブールのインド大使館への自爆テロ(→AFP)だ。

このテロは、いわばパキスタン軍がインド軍に対して起こしたゲリラ攻撃とでもいうべきものだった
  ――第18章 愛の鞭

 犯人はカシミールの過激派組織LeT(→Wikipedia)。そう、インドとパキスタンで領有権争いが続くカシミールだ。そしてISIはLeTを制御している…つもりだった。

 なお、同年11月26日からのムンバイ同時多発テロ(→Wikipedia)も、LeTのしわざ。日本の報道じゃテロって扱いだったが、実質的にはパキスタン軍によるインドへの攻撃、つまりほとんど戦争だったのだ。マジかい。つかインドとパキスタンの仲って、それほどまでにこじれてるんだなあ。

 このあたりから増えた自爆テロを調べる「第14章 自爆の謎を解明せよ」は、情報の分析が好きな人には興味深いところ。対ソ連戦じゃ自爆テロはなかった。また同じ自爆テロでも、イラクは市場など人が集まる所を狙った無差別テロだ。対してアフガニスタンは米軍やNATOの車列など軍を狙い、成功率が低い。そこを掘り見えてきた実態は…

アフガニスタンでリクルートされた自爆犯のうち、多くが参加を強要され、状況を把握できておらず、文字の読み書きもできず、年若く、あるいは障害を負った者だと推定された
  ――第14章 自爆の謎を解明せよ

 タリバーンが自爆犯を洗脳する手口は、伝説のアサシン教団(→Wikipedia)そのもので、実に腹立たしい。しかも自爆犯は華族や親戚から見捨てられ、いわばタリバーンに売られた子どもたちで、ほんとやるせない。

 ここにきて、やっとアフガニスタンの真の敵が見えてくる。

アフガニスタン大統領ハーミド・カルザイ「問題はISI(パキスタン三軍統合情報局)です」「国を動かしているのは彼らですから」
  ――第18章 愛の鞭

「ある意味、われわれ(米国)が戦っていた相手は、実はISIだったということだと思います」
  ――第19章 テロと闇の国家

 これ書いてて気が付くのは、アメリカとアフガニスタンは大統領の存在感が強いが、パキスタン首相アースィフ・アリー・ザルダーリーはめっきり影が薄いこと。いや前首相のムシャッラフは濃いキャラだったが、彼は陸軍参謀長も兼任してた。つまり、パキスタンの実質的トップは陸軍参謀長なのだ。

 そのアメリカのトップは、退任間近の今さらになって、根本的な問題点を指摘する。

(ジョージ・W・)ブッシュは根本的な問題をいま一度提起してきた。戦略レビューではアフガニスタン安定のためにアメリカがヒトとカネをさらに投じるべきとしているが、アル・カーイダがいるのはパキスタンだし、タリバーンの指導部だってそうではないか、と。
  ――第19章 テロと闇の国家

 …んな事もわからずにドンパチ始めたんかい!と突っ込みたくなるが、これが現実なんだからやるせない。「CIA秘録」に曰く、CIAを設立した「ハリー・トルーマンが欲しがったのは、実は新聞だった」そうで、つまりCIAはもともと情報収集・分析のための組織だったんだが、次第に重点は工作に傾いていく。日本や中南米での成功で味を占めたんだろうか。

 などととりとめのないまま、次の記事へ続く。

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2021年4月30日 (金)

アントニー・ビーヴァー&リューバ・ヴィノグラードヴァ編「赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45」白水社 川上洸訳

本書はグロースマンの戦時中の取材ノートと執筆記事にもとづいて編集されたが、(略)ほかに令嬢と義理の子息の所蔵する書簡の一部もくわえた。
  ――編者まえがき

【どんな本?】

 ヴァシーリイ・グロースマン(→Wikipedia)は1905年にウクライナで生まれたユダヤ系の作家、1964年没。1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に伴い、赤軍の公式機関紙「クラースナヤ・ズヴェズダー」の記者として前線を取材し、序盤の赤軍壊滅からスターリングラートの激戦・クールスクの大戦車戦・「死の収容所」解放そしてベルリン攻略まで、戦う将兵とそこに住む人々を記録に残す。

 スターリングラート戦を中心とした代表作「人生と運命」は当局から発禁を食らう。戦時中の記事はスターリン礼賛に不熱心であり、またユダヤ系のグロースマンが他国のユダヤ人と連携を図った点が、当局のお気に召さなかったようだ。しかし友人に預けた原稿のコピーがスイスに流出し、世界各国で出版される。なお祖国での出版は共産主義崩壊後となる。

 人類史上最大の戦争となった独ソ戦において、熱心に前線での取材を続け、戦う将兵たちから絶大な人気を得たグロースマンが遺した記事とメモを中心に、編者が背景事情の説明を加え、赤軍の壊滅的な敗走からスターリングラートの死闘そしてベルリン陥落まで、戦場の生々しい様子をソ連側の視点から伝える、貴重な資料である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Writer at War : with the Red Army 1941-1945, by Antony Beevor and Luba Vimogradova, 2005。日本語版は2007年6月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約500頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×20行×500頁=約450,000字、400字詰め原稿用紙で約1,125枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 グロースマンの文章は拍子抜けするほど読みやすい。ロシア文学は文がやたら長くて哲学的という印象があるが、グロースマンの記事は正反対だ。文は短くて無駄がなく、描写は具体的。ハードボイルド小説でも、これほどキレのいい文章は滅多にない。理想的な記者の文章だ。ただし取材メモの場合は、背景事情をそぎ落としており、また行数あたりの情報量は濃いので、解説を読まないと真意を見逃しかねない。

 内容もわかりやすい。当然ながら地獄の独ソ戦の現場報告なので、相応のグロ耐性が必要。特に強制収容所を描く「第24章 トレブリーンカ」には覚悟しよう。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進む。各章はほぼ独立しているので、気になった所から拾い読みしてもいい。

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  • 凡例/訳語・用語解説
  • 編者まえがき
  • 第1部 ドイツ軍侵攻の衝撃 1941年
  • 第1章 砲火の洗礼 8月
  • 第2章 悲惨な退却 8~9月
  • 第3章 ブリャーンスク方面軍で 9月
  • 第4章 第50軍とともに 9月
  • 第5章 ふたたびウクライナへ 9月
  • 第6章 オリョール失陥 10月
  • 第7章 モスクワ前面へ撤退 10月
  • 第2部 スターリングラートの年 1942年
  • 第8章 南西方面軍で 1月
  • 第9章 南方での航空戦 1月
  • 第10章 黒師団とともにドネーツ河岸で 1~2月
  • 第11章 ハーシン戦車旅団とともに 2月
  • 第12章 「戦争の非情な真実」 3~7月
  • 第13章 スターリングラートへの道 8月
  • 第14章 9月の戦闘
  • 第15章 スターリングラート・アカデミー 秋
  • 第16章 10月の戦闘
  • 第17章 形勢逆転 11月
  • 第3部 失地回復 1943年
  • 第18章 攻防戦の後 1月
  • 第19章 祖国の領土を奪回 早春
  • 第20章 クールスク会戦 7月
  • 第4部 ドニェープルからヴィースワへ 1944年
  • 第21章 修羅の港ベルジーチェフ 1月
  • 第22章 ウクライナ横断オデッサへ 3~4月
  • 第23章 バグラチオーン作戦 6~7月
  • 第24章 トレブリーンカ 7月
  • 第5部 ナチの廃墟のさなかで 1945年
  • 第25章 ワルシャワとウッチ 1月
  • 第26章 ファシスト野獣の巣窟へ 1月
  • 第17章 ベルリン攻略戦 4~5月
  • 編者あとがき 勝利の虚偽
  • 謝辞
  • 訳者あとがき
  • 主要地名表記一覧/引用出典一覧/参照文献

【感想は?】

 先にも書いたが、地獄の独ソ戦の現場報告だ。充分に覚悟しよう。

 グロースマンの文章は、抜群にキレがいい。これはスターリングラート奪取後、ドイツ占領下にあった村を取材した記事だ。

村にオンドリは一羽もいない。農婦らが殺してしまった。ルーマニア兵がオンドリの鳴き声で隠しておいたメンドリを見つけ出すから。
  ――第18章 攻防戦の後

 文が短いため、文章のキレが良くなる。内容も濃い。「農婦ら」で、村に男がいない由も伝える。男は兵役に出たのだ。「ル―マニア兵が…見つけだす」で、占領軍の容赦ない略奪もわかる。

 もっとも、略奪はお互いさまで。これはポーランドに入ってからの赤軍兵の様子を描いたもの。

兵士らは官給品など食べていない。ポーク、シチメンチョウ、チキン。歩兵部隊には、これまでついぞ見受けられなかったような血色のいい肥った顔が見られるようになった。
  ――第25章 ワルシャワとウッチ

 どうやって肉を手に入れたのか。もちろん、略奪だ。では、余った官給品はどこに消えたのか。それを考えると、赤軍の上級将校が兵の略奪を熱心に諫めない理由も見えてくる。そういう軍の暗部も、グロースマンは否応なく目にする羽目になった。

ペペジェとは(略)若い看護婦や司令部勤務の女性兵士、たとえば通信兵や事務員などで、(略)高級将校のメカケとなることを強制された女性たちである。
  ――第13章 スターリングラートへの道

 「戦争は女の顔をしていない」が描いたように、当時の赤軍は多くの女を用いた。そして、当然ながら、そういう問題も起きたのだ。

 その多くは狙撃兵だった、とあるが、どうも当時の赤軍の「狙撃兵」は歩兵を表していたらしい。もちろん、私たちが考える狙撃兵もいたが、こちらは「狙撃手」と呼ばれる。その狙撃手曰く…

装薬の品質がまったく不安定で、(狙撃手が)同じ目標をねらって二発発射しても、同じ場所に着弾したためしがない
  ――第15章 スターリングラート・アカデミー

 既に戦争は工業力の時代。特に精密を求められる狙撃では、品質管理も重要なのだ。装薬の量と質が変われば弾丸の飛び方も変わるし。ちなみに当時のソ連じゃ狙撃手は英雄で、戦果は水増しして報道された様子。

 なお、このメモはスターリングラートでの取材。激戦のスターリングラートの様子を物語る一節が、これ。

師団司令部は敵から250メートルの距離にある。
  ――第16章 10月の戦闘

 だもんで、指揮下の部隊に連絡するには無線は要らず怒鳴ればよかった、なって話も。砲声・銃声渦巻く中だし敵に聴こえたらマズいから、まあ法螺だろうけど。

 そんな激戦を戦う将兵も、最初から気合が入ってたワケじゃない。

あごヒゲをのばしほうだいの赤軍兵士に将校がたずねる。「なぜ剃らない?」
兵士「かみそりがありません」
将校「よろしい、そのまま百姓に変装して敵の背後の偵察に行け」
兵士「今日剃ります。隊長、まちがいなく剃ります!」
  ――第2章 悲惨な退却

 もっとも、兵も常に上官に従順とはいかない。

兵カザコーフは分隊長に言った。「おれの銃にはあんたのための弾がとっくに装填ずみだぞ」
  ――第8章 南西方面軍で

 やっぱり居るんだね、後ろから気に入らない上官を撃つ兵って。などと軋轢はあるものの、砲火と血肉にまみれて、将兵は少しづつ戦場に馴染んでゆく。

やがてドイツ軍縦隊の攻撃で戦果をあげた飛行隊が高度を下げて着陸。先頭機のラジエータにこびりつく人肉。
  ――第1章 砲火の洗礼

 当時の赤軍の空軍は評判が悪い。対して陸軍は戦車を中心として今でも恐れられている。そんな戦車も、もちろん無敵とはいかず…

戦闘中、重戦車の操縦手が砲弾で頭を吹き飛ばされた。死んだ操縦手がアクセルを踏み続けていたので、戦車はそのまま森に突っ込み、木々をなぎたおしながらわれわれの村までやってきて停止した。内部には首のない操縦手がすわっていた。
  ――第5章 ふたたびウクライナへ

 第四次中東戦争でのシナイ半島のイスラエル・エジプト戦を描いた「砂漠の戦車戦」でも見た気がする。こっちは小隊指揮車がやられたので、後ろに指揮下の戦車がゾロゾロとついてきた、とか。そのイスラエル軍戦車部隊を苦しめたのはエジプト軍の歩兵が持つ対戦車ミサイル。そのルーツは独ソ戦にあった。

人家の多い地域での追撃戦でいちばん危険なのは、パンツァーファウスト(対戦車ロケット弾、→Wikipedia)を持った歩兵だった。
  ――第25章 ワルシャワとウッチ

 パンツァーファウストの有効性は独軍も学んだようで、「ベルリン陥落」では自転車にパンツァーファウストをくくりつけた少年兵がT34に立ち向かっている。

 なお、独ソ戦とイスラエル軍の共通点は他にも多い。例えばイスラエル空軍は第三次中東戦争(→「第三次中東戦争全史」)やバビロン作戦(→「イラク原子炉攻撃」)でもメシ時を狙って空襲をかけてるんだが、どうもメシ時が狙い目なのは戦場の常らしい。

歩兵部隊からドイツ兵はラッパの合図で食事に行くとの報告があった。彼(砲兵タラーソフ)は煙で炊事場の位置を確認したうえで、射撃諸元を設定し、砲に装填し、準備が終わったら報告せよと命じた。〔ラッパが聞こえたのち〕集中射を浴びせ、ドイツ兵は悲鳴をあげた。
  ――第11章 ハーシン戦車旅団とともに

 もちろん、指揮官が戦場で学ぶように、歩兵も戦場に適応してゆく。

「靴にもえらく苦労したね。歩くと血まめができちまう。戦死者からまともなやつを頂戴したが、サイズが小さすぎた」
  ――第14章 9月の戦闘

 「戦死者から頂戴」って…まあ、そういうコトだろう。なお靴の大切さはチェ・ゲバラが「ゲリラ戦争」でしつこく強調してます。そりゃ歩兵は足が命だし。

 靴ばかりでなく、何もかも足りない戦場では、将兵も現地で手に入るモノを工夫する知恵を身に着ける。

鉄帽でつくったストーブ。煙突は銅製の薬筒。燃料はブリャーン〔ステップに生える丈の高い草の総称〕。行軍中は一人がブリャーンの束を、二人目が木くずを、三人目が薬筒を、四人目がストーブを運ぶ。
  ――第17章 形勢逆転

 もちろん、変化は赤軍の組織までにも及び…

攻撃戦がはじまったいまでは、中堅将校の大多数は兵や下士官から抜擢された連中だ。
  ――第19章 祖国の領土を奪回

 もっとも、緒戦の壊滅状態から考えるに、事態はもっと悲惨なのかも。例えば、前線で指揮する少尉や中尉が戦死したんで、その後を軍曹や曹長が引き継いだ。で、次の指揮官が来るのを待つ余裕はないんで、今の指揮官つまり軍曹や曹長を昇進させ、引き続き部隊の指揮を任せた、みたいな。

 とまれ、戦場のドサクサとはいえ、兵や下士官を将校に任命する柔軟性は赤軍にもあったんだね。同様に壊滅状態を経験した帝国陸軍はどうなんだろ? あましそういう話は聞かないけど。知ってたら教えてください。

 それはさておき、情報統制の厳しいソ連じゃ、グロースマンの記事もすべて活字になるとは限らないし、編集者がアチコチに手を入れたりもするし、グロースマンがそれを愚痴る場面もチラホラある。また、最初から方針が決まってる場合もある。

編集長「なぜオリョールの英雄的防衛の記事を書かなかった?」
グロースマン「オリョールは防衛戦などやらなかったので」
  ――第7章 モスクワ前面へ撤退

 こういった所は、現代日本のマスコミも同じだね。自由主義社会の民間企業が、共産主義社会の御用新聞と同じ体質ってのは、どういうことだ? 

 そんなグロースマンは、進撃する赤軍を追い西へと進むうちに、ユダヤ人虐殺の影に出会う。

キーエフからやってきた人びとの話では、ドイツ当局は1941年秋にキーエフで殺害したユダヤ人5万人を埋めた広大な集団墓のまわりに軍隊を配置し、大あわてで遺体を掘り出し、トラックに積み込んで西方へ運んでいる。遺体の一部は現地で焼却しようとしている。
  ――第21章 修羅の港ベルジーチェフ

 特にポーランドで絶滅収容所を取材した「第24章 トレブリーンカ」は、心臓の弱い人・想像力の豊かな人にはお勧めしかねる。人間がどこまで卑劣かつ冷酷になれるかの、おぞましい実例だ。

 ばかりでなく、バレそうになると隠そうとするナチスの卑劣さも腹立たしい。つまり、自分は非難される事をやってると、わかってたんだから。「それが正義だ」と命を懸けて主張する度胸はなかったのだ、この連中。対して、前線の将兵は命を懸けて戦っているのに。

 もっとも、そんな将兵も、戦う機械じゃない。人間らしい気晴らしだって、時には必要だ。

みんなドイツ製のアコーディオンをもっている。これは兵隊の楽器。がたがた揺れる荷車や車両に乗っていても演奏できるし、むしろそのほうが演奏しやすいから。
  ――第23章 バグラチオーン作戦

 やっぱり物語と音楽は必要なのだ、人間らしい心を保つためには。とまれ、誰もが戦場に順応できるとは限らず…

わが方の兵士の60%は戦争中にそもそも一発も射撃しなかった。
  ――第11章 ハーシン戦車旅団とともに

 この記述は「戦争における[人殺し]の心理学」とも近い。数字の多寡はあるが、自らの命が危険にさらされる前線の兵でも、意外と多くの者が人を殺せないらしい。例え憎い敵でも。なお、先の本だと、二次大戦の米兵の発砲率が15~20%とあるが、これは数字の取り方の違いなのかお国柄なのか。

 そのお国柄だと、こんな話も。

解放された[ロシア人]娘ガーリャが、さまざまな国籍の捕虜男性の女性にたいするお愛想の特徴を語り、こう言う。「フランス人はいろんな言い方を知っているのよ」
  ――第26章 ファシスト野獣の巣窟へ

 なんか、わかる気がするw イタリア人じゃないのは、枢軸側だからかな?

 他にも、ワルシャワ郊外に赤軍が達した1944年7月末に、ソ連のラジオ放送がポーランド人に蜂起を呼びかけた、なんて衝撃的な記述がサラリとあって、細かい所まで油断ができない恐ろしい本だった。ようこそ地獄の東部戦線へ。

【なぜ蜂起の呼びかけが衝撃的なのか】

 ドイツに占領されながらも、ポーランド国内軍と市民は密かにドイツへの抵抗を続け、また一斉蜂起の時をまっていた。そして1944年8月1日、地下に潜っていたポーランド国内軍は一斉に叛旗を翻す。自ら放棄した実績があれば、戦後も独立を勝ち取れるだろう、との望みを賭けて。占領下でもありロクな装備もないポーランド国内軍だが、拳銃と火炎瓶でドイツの戦車に立ち向かう。

 だが赤軍はワルシャワを目前にして立ち止まるばかりか、支援物資を空輸しようとする英米軍航空機の燃料補給まで拒んだ。戦後のポーランド占領政策の邪魔になりそうな骨のある者たちを、ナチスに始末させようとした。そういう思惑を、ラジオ放送が裏付ける。なお、最終的に蜂起は失敗し、ワルシャワは廃墟と化す。

 詳しくは「ワルシャワ蜂起1944」をどうぞ。つか今 Wikipedia を見たら、ラジオ放送の件もちゃんと書いてあった。ダメだね、ちゃんと複数の資料を照らし合わせないと。

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【今日の一曲】

Roads To Moscow Al Stewart

 世の中には独ソ戦の歌もあります。歌っているのはイギリスというかスコットランドのシンガー・ソングライター Al Stewart、Year of the Cat(→Youtube)で有名な人。この曲を収録したアルバム Past, Present And Future はファンの間でさえ評判はイマイチなんだけど、私は初めて聞いた時に一曲目の Old Admirals から一気に引き込まれました。重苦しくも哀愁を帯びた生ギターで始まりつつも、盛り上がる所じゃ大げさなコーラスが入るあたり、「ロシアってそういう印象なんだなあ」と思ったり。

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2021年3月 8日 (月)

ポール・シャーレ「無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争」早川書房 伏見威蕃訳

本書は、急速に進化している次世代のロボット兵器の世界を読者が渉猟する道案内になるはずだ。
  ――序 生死を決定する力

武装ドローン貿易の90%以上が中国からの輸出
  ――7 世界ロボット戦争

禁止令の成否は、三つの重要な要素に左右されているように思われる。
その兵器の恐ろしさがどれほど知られているか。
軍事でどれほど役立つと思われているのか。
協力もしくは禁止を成功させるのに必要な当事者がどれだけいるのか。
  ――20 教皇とクロスボウ

【どんな本?】

 1984年の映画「ターミネーター」では、アーノルド・シュワルツェネッガー演じる殺人ロボットT-800が、リンダ・ハミルトン演じるサラ・コナー を、徹底した冷酷さで執拗に追いかけた。あの頃では不可能だった殺人ロボットが、現代ではRQ-1プレデターなどの無人攻撃機として、現実の戦場に投入されている。

 幸いにして今のところ、RQ-1プレデターのミサイル発射ボタンは人間が握っている。人間が標的を確認した上で、「アレを撃て」と命令を下す形だ。しかし、今後はわからない。機械が自動で「誰を殺すか」を決め、自動的にミサイルを発射する、そんな兵器の登場が目前に迫っている。

 このような兵器の開発は、どこまで進んでいるのか。殺人機械にどんな利益があり、どんな危険があるのか。開発者や軍事関係者は、どう考えているのか。倫理的に殺人機械は許されるのか。国際的な規制は可能なのか。

 米陸軍レンジャー部隊員としてイラクやアフガニスタンで戦い、国防省では自律型兵器の研究に従事した著者が、自律型兵器が抱える利害や現状を生々しく伝える、迫真の軍事ルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Army of None : Autonomous Weapons and The Future of War, by Paul Scharre, 2018。日本語版は2019年7月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約453頁+ペイパーバック版あとがき6頁+訳者あとがき3頁+佐藤丙午による解説「無人兵器システムの第一人者による必読書」6頁。9.5ポイント45字×20行×453頁=約407,700字、400字詰め原稿用紙で約1,020枚。文庫なら上下巻ぐらいの文字数。

 軍事系の訳者の中では伏見威蕃は最も親しみやすい日本語を書く。が、本書はやや硬い。いや軍事系の本としては読みやすいんだが、伏見氏の訳書としては硬い印象を受ける。つまりは私の伏見氏に対する期待値が高すぎるってだけなんだけど。

 軍事系のわりに内容はわかりやすい。巻末に略語一覧があるなど、素人読者にも配慮している。切り口も軍事・技術・倫理と広く、初心者に親切な本だ。

【構成は?】

 基本的に各章は独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

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  • 本書への賛辞
  • 序 生死を決定する力
  • 第一部 地獄のロボット黙示録
  • 1 群飛襲来 軍事ロボット工学革命
  • 2 ターミネーターと<ルンバ> 自律とはなにか?
  • 3 人を殺す機械 自律型兵器とはなにか?
  • 第二部 ターミネーター建造
  • 4 未来はいま造られている 自律ミサイル・ドローン・ロボットの群れ
  • 5 パズル・パレスの内部 国防総省は自立型兵器を建造しているのか?
  • 6 境界線を越える 自律型兵器の承認
  • 7 世界ロボット戦争 世界のロボット兵器
  • 8 ガレージ・ロボット DIY殺人ロボット
  • 第三部 ランアウェイ・ガン
  • 9 暴れ狂うロボット 自律システムの故障
  • 10 指揮および意思決定 自律型兵器は安全に使えるのか?
  • 11 ブラックボックス 深層ニューラル・ネットワークの摩訶不思議で異質な世界
  • 12 死をもたらす故障 自律型兵器のリスク
  • 第四部 フラッシュ・ウォー
  • 13 ロボット対ロボット 速度の軍拡競争
  • 14 見えない戦争 サイバースペースの自律
  • 15 “悪魔を呼び出す” 知能を備えた機械の勃興
  • 第五部 自律型兵器禁止の戦い
  • 16 審理にかけられるロボット 自律型兵器と戦時国際法
  • 17 非情な殺し屋 自律型兵器の殺傷力
  • 18 火遊び 自律型兵器と安定性
  • 第六部 世界の終末を回避する 政策兵器
  • 19 ケンタウロス戦士 人間+機械
  • 20 教皇とクロスボウ 軍備管理の雑多な歴史
  • 21 自律型兵器はどうしても必要なのか? ロボット工学の致死原則の探求
  • 結論 運命などなく、私たちが作るものがある
  • ペイパーバック版あとがき ロボット兵器は、現在の戦場をどのように変容させているか
  • 謝辞/訳者あとがき/解説:佐藤丙午/略語/挿絵・口絵クレジット/原注/索引

【感想は?】

 無人兵器を扱った本としては、「ロボット兵士の戦争」に続く本格的なルポルタージュだ。「ロボット兵士の戦争」が無人化に着目したのに対し、本書は自律、つまり完全な自動化を主題としている。機械が標的を定め引き金を引く、そんな兵器の現状と是非を扱っている。

 そう、完全な自動化は怖い。実のところ、完全に自動化した兵器は既にある。地雷だ。

 地雷は設定したとおりに動く。所定の力がかかったら爆発する、それだけの単純な仕掛けだ。ソレが敵兵か友軍兵か民間人か、なんて考えない。戦争が終わったかどうかも知ったこっちゃない。とにかく重さを感じたら爆発する、ただそれだけ。おかげでカンボジアは悲惨な羽目になった。

機械はその行動がもたらす結果など理解せず、なんであろうとプログラムされたとおりのことをやる。
  ――序 生死を決定する力

陸軍の研究者ジョン・ホーリー「機械は過ちを犯していることを知らない」
  ――11 ブラックボックス

 にも関わらず、軍は熱心に自律型兵を研究・開発する。

(2005年から2013年の米国国防総省が公表した未来の無人システム投資に向けた)ロードマップすべてに共通のテーマは、自律性だった。
  ――1 群飛襲来 軍事ロボット工学革命

 とはいえ、本書を読む限り、米軍は研究と開発には熱心だが、実際に使うとなると慎重だ。

米軍の風土には、無人システムに作戦任務を委ねることに強い反発がある。ロボット工学システムは、監視や兵站のような支援の役割はほとんど認められているが、戦闘に適用されることはまれだ。
  ――4 未来はいま造られている

 将兵の命が重い米軍だから、積極的に無人化を進めるかと思ったが、意外とそうでもない。これには「米空軍は戦闘機パイロットの空軍」なんて言われる組織の体質もあるんだろうが、殺すか否かの決定は人間が下すべき、みたいな倫理的な部分も大きいみたいだ。もっとも、世の中はそんな組織ばかりじゃない。

ロシアのさまざまな企業が、われわれはアメリカやイギリスの防衛産業とは違い、自律的な使用について迷ったり抗弁したりはしないと豪語している。
  ――7 世界ロボット戦争

 あー、あの国はそうだろうなー。その客も国家とは限らないし。いやマジ「武器ビジネス」や「死神の報復」とか読むと背筋が凍るよ。そういや傭兵企業もあるなあ(→「ブラックウォーター」)。傭兵は民間だから、国家が決めたルールに従うとは限らないし。そしてもちろん…

フランク・ケンダル米国防次官
“何分の一秒か”で決定しなければならないときには、機械にその役割を担わせるしかない。
「(テロリストが)自動運転を使えば、(略)爆弾を積んだ車を人間に運転させる必要がない」
  ――6 境界線を越える

 テロリストも、だ。

 そんな風に、軍は板挟みになっている。機械はイマイチ信用しきれないが、敵に出し抜かれるのも困る。何より、自律が必要な現状がある。その一つが速度だ。ヒトがどんなに頑張っても、機械の応答速度には敵わない。最終決断をヒトが下すような形にしても…

戦略家トーマス・シェリング「速度が重要であるときには、すさまじい圧力のために事故や誤報の餌食になりやすい」
  ――18 火遊び

 セカされると、アセって失敗する生き物なのだ、人間ってのは。例えば「本日限定」の商品とか、つい買っちゃうよね。いやそんな穏やかな話じゃなくて、核のボタンを押すか否か、みたいな重い話なんだけど。

 もう一つが、敵によるジャミング。昔のアニメだと妨害電波ね。今だって、米軍の無人機やミサイルは、GPSや偵察機などと盛んに通信して精度を上げ、着実に目標に当たるようにしている。

元米国海軍士官ブライアン・マグラス「ミサイルはネットワークに組み込まれなければならない」
  ――3 人を殺す機械 自律型兵器とはなにか?

 でも、妨害電波で通信できなくなったら? そこで自律だ。システムに頼らず、自分で判断して動いてくれたら嬉しいよね。でも、暴走したら怖い。また、お馬鹿な機械は、騙すのも簡単だ。

オートメーションは予想通り動くのが望ましいと人間は見なしているが、敵がいる環境では、それが脆弱性になりかねない。
  ――10 指揮および意思決定

 シューティング・ゲームが上手い人は、敵の動きを読む。単純な敵ほど、先を読むのは易しい。なら複雑にすりゃいいじゃん、と思うでしょ。ところがどっこい。

より複雑な機械は、性能が向上するかもしれないが、使用者が機械の挙動を理解して予測するのが難しくなる。
  ――10 指揮および意思決定

 どう動くのか、使う方もわかんなくなっちゃうのだ。本書に出てくる例の一つが、最近流行りの深層学習=ディープラーニング。画像が犬か否かを見分けるとか、そんな風に使われる。要は機械に条件反射を仕込むと思っていい。ただし、どう見てもゴミな画像を犬と見間違えることもある。困ったことに、なぜその画像を犬と判断したのかがわからない。デバッグ不能なのだ。しかも、このバグは…

この(欺瞞画像)脆弱性は、ニューラル・ネットワークの基本構造から生じるものなので、特定の設計とはかかわりなく、現在使用されている深層ニューラル・ネットワークのほとんどすべてに存在する。
  ――11 ブラックボック

 ヤベーじゃん。でも便利だからアチコチで使われてる。それどころか、人間もそういう機械を相手にすると…

陸軍の操作員は、ペトリオット関係者には“疑問を抱かずにシステムを信頼する”風潮があると結論を下した。
  ――9 暴れ狂うロボット

歩行者は、オートメーション(=自動運転車)のほうが人間の運転手よりも信頼できると考え、違うようにふるまって、その結果、無鉄砲な行動をとる。
  ――17 非情な殺し屋

 「コンピュータなんだから間違わないよね」、そう思っちゃうのだ。ところでそこのプログラマ、あなた、自分がプログラムした飛行機に乗る度胸あります? 私はあります。なぜって、私が作ったプログラムなら、そもそもエンジンすらかからないから。

 ってな冗談はさておき。そんなロボット同士の戦いになるとどうなるかってのは、既にシミュレートされてるよ、って意見が面白い。

オートメーション化された株取引は、オートメーションを軍が取り入れる場合の問題に関して“重要な比較”になると、(DARPA戦略テクノロジー部の部長ブラッドフォ-ド・)タウズリーは考えていた。
  ――13 ロボット対ロボット

 既に株や先物などの取引は、相当数をロボットが動かしている。そのため正のフィードバック・ループに陥って、前触れなく急騰したり暴落したりする。これと似たような状況が起きるんじゃないか、そういう発想だ。確かにあり得る。というか、アシモフが書いてたような気がする。

 そういう怖さはあるにせよ、規制が進むのか、というと…

NGOは、地雷やクラスター爆弾禁止の前例に沿って進むことを期待して禁止運動を進めているが、民間人への危害という懸念を理由に、兵器の予防的な禁止が成功した例はない。
  ――21 自律型兵器はどうしても必要なのか?

 と、なかなか見通しは暗い。そもそも「自律とは何か」って定義すらハッキリしないし。

 などの怖い話が多い中、SF者としては注目したくなるネタもアチコチに出てきて、これが楽しかった。例えば、先の自律の定義だ。なんとなく「知性」と関係ありそうな気がするが、同じ「知性の基準」とされるチューリング・テストも…

AI研究者マイカ・クラーク「知性のある異星の生命体があす地球に降り立ったとして、人間の行動を基準にしているチューリング・テストのようなのもに合格すると予想するのは、正しいだろうか?」
  ――15 “悪魔を呼び出す”

 おお、言われてみれば、確かにそうだよね。同じ知性を測る際に、異星人とコンピュータで基準が違うってのは、なんかおかしい。「じゃ異星人の知性はどうやって測るの?」と言われると、そっこはムニャムニャ。

 また、やっぱりシュワちゃんの印象は大きかったようで…

私の経験では、自律型兵器についての真剣な話し合いの10件に9件で、場所が国防総省の奥の院だろうと、国連の廊下だろうと、かならずだれかが(映画)『ターミネーター』を引き合いに出す。
  ――16 審理にかけられるロボット

 どうしてもそうなるかー。まあ、怖いのはT-800より、スカイネットなんだけど。つか続編じゃ敵(人間側)に乗っ取られてたよね。まあ自律兵器には、そういう危険もあるんです。

 などと、SF者には妄想が広がりすぎて止まらなくなる困った本だった。

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2021年2月18日 (木)

アルド・A・セッティア「戦場の中世史 中世ヨーロッパの戦争観」八坂書房 白幡俊介訳

中世初期では、軍事活動は四月から九月に集中するのが一般的だった。最も多いは六月で、少ないのは十二月と一月である。
  ――第Ⅳ章 季節と時刻 1 四季と農作業

明るい日中だけが「戦闘に臨む戦士にふさわしい」
  ――第Ⅳ章 季節と時刻 3 日没から日の出まで

中世の人間は日常生活のあらゆる局面で絶えず暴力に取り囲まれていた。ゆえに、彼らが暴力を振るい、振るわれる環境を受け入れるのは、さほど難しくはなかっただろう。
  ――第Ⅴ章 身体 2 傷と病

15世紀における大規模な軍事作戦では、医療・衛生組織が準備されることはなかったと言ってよいだろう。
  ――第Ⅴ章 身体 2 傷と病

【どんな本?】

 中世の西欧の戦場といえば、多くの人は騎士たちを思い浮かべるだろう。名誉と忠誠を重んじ、逞しい駿馬を駆って、きらびやかな甲冑をまとい、長槍を構えて突撃する、勇ましい戦士たちだ。だが、それらは物語で語られる風景であって、実際の戦場はどんなものだったのだろうか。

 何のために彼らは戦ったのか。それぞれの作戦は、何を目指していたのか。戦いを仕掛ける者は、敵にどのような打撃を与えようとしたのか。どんな戦術が効果的だったのか。戦場に赴く際は、何を準備し、何を現地で調達したのか。何を食べ、何が原因で倒れたのか。そもそも、戦場に現れた者たちは、何者なのか。

 中世イタリア史を専門とする著者が、その専門を活かし主に中世のイタリアを中心として、実際の戦場を臭気漂うほどに生々しく描く、軍事を中心とした歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rapine, Assedi, Battaglie : La Guerra Nel Medioevo, Aldo A. Settia, 2002。日本語版は2019年12月10日初版第1刷発行。私が読んだのは2020年1月10日発行の第2刷。売れたんだなあ。単行本ハードカバー縦一段組み本文約400頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント50字×20行×400頁=約400,000字、400字詰め原稿用紙で約1,000枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 やや堅苦しくとっつきにくい印象を受ける文体だが、読み始めると意外とわかりやすい。単に言葉遣いが学者っぽいだけで、文の構造は素直なのだ。二重否定などのややこしい表現は少ないし、下手なジョークもない。ただし、中世の西欧が背景のため、内容にはソレナリの覚悟が必要。最も多く扱っているのは、中世イタリアのコムーネ(自治都市,→Wikipedia)の戦争だ。また「マルコ」「カンタロ」「リブラ」などの意味不明な単位が解説なしに出てくるし、サラセン人(→Wikipedia)やムーア人(→Wikipedia)など、当時ならではの言葉も多い。

 とはいえ、中世の西欧史については「小説家になろう」の異世界転生物程度しか知らない私でも充分に面白かった。ええ、「わからない所は気にしない」タイプです。もちろん、西欧史、特に中世イタリア史に詳しい人は、もっと楽しめると思う。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。各項は、最初に「全体のまとめと結論」があり、その後に主な具体例と希少な判例が並ぶ形が多い。なので、忙しい人や西欧史に疎い人は、具体例を読み飛ばしてもいいだろう。

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  • 第Ⅰ章 略奪
  • 1 兵士 楽しき略奪者
  • 2 国境での略奪
    メロヴィング朝のガリア/ビザンツ帝国キリキア地方/襲撃の第二派 ヴァイキング・サラセン・ハンガリー/スペイン 「熱い国境」/ロベルト・イル・グイスカルドの「勝利の戦利品」/都市政府におけるスカラーニ(無法者)/とグアルダーナ(騎馬による略奪)
  • 3 「自然発生的」略奪
    友軍による略奪/傭兵
  • 4 騎馬略奪行 組織化された破壊
    征服と抑圧の技術/フランスにおけるイングランド人の「略奪騎行」/愚弄と挑発/「戦略的」略奪行と「戦術的」略奪行/犠牲者の側から/破壊兵器としての「火」/荒廃と荒廃部隊
  • 5 略奪品
    戦場での「はぎ取り」/大規模な略奪/略奪の筋書きと目録/分配と良心
  • 第Ⅱ章 攻囲
  • 1 城郭建築の普及と攻囲戦という悪夢
  • 2 西ヨーロッパにおける攻囲戦術
  • 3 「驚異の職人」 軍事技師たち
  • 4 飢餓による勝利
  • 5 兵器 有効性とその限界
    攻城塔/「砲撃兵器」/心理的効果
  • 6 土と火
  • 7 はしご攻め、力攻め、裏切り
  • 8 防衛のリソース
    攻撃手段の不足/対抗手段/火という「戦友」/火を点ける技術/攻囲戦の神話的側面 煮たてた油と地下の抜け道
  • 9 騎兵への執着
  • 第Ⅲ章 会戦
  • 1 望まれぬ会戦と虚像の勝利
  • 2 戦場の恐怖
  • 3 戦闘隊形
  • 4 敵と向き合う瞬間
    棍棒と不名誉/騎兵と歩兵
  • 第Ⅳ章 季節と時刻
  • 1 四季と農作業
    春は戦争の季節/牧草の芽吹く五月/「軍事的」刈り入れと葡萄摘み/煩わしい夏/厳しい冬
  • 2 過酷な天候
  • 3 日没から日の出まで
    戦死の短い休息/長い夜/暁の攻撃
  • 第Ⅴ章 身体
  • 1 食料
    軍事作戦中の耐乏生活/肉とパン/食事の配給量/食事と戦術の関係
  • 2 傷と病
    傷ついた騎士/弓矢の隠れた危険/戦場での外科治療/医者にかかるべきか否か
  • 3 死
  • 訳者あとがき/索引/原註

【感想は?】

 物語に出てくる、誇り高く華やかな「騎士」の姿を、木っ端みじんに粉砕する本だ。

 「遠い鏡」や「補給戦」で、ある程度は覚悟していた。それでも、最初の章がいきなり「第Ⅰ章 略奪」ときた。私たちが創造する戦場は、例えばポワティエの戦い(→Wikipedia)だ。英仏百年戦争でエドワード黒太子が長弓部隊を率いて仏軍を粉砕したアレである。が、実際には…

どこの軍隊も会戦を回避したいと考えていたのだが、一方で彼らは戦力を誇示し、戦闘を決意したかのように振る舞うことで敵を畏怖させ、会戦が起こらなかった理由を相手の臆病のせいにしようと考えていたのだ。
  ――第Ⅲ章 会戦 1 望まれぬ会戦と虚像の勝利

 正面切っての戦いは避けたがった様子。そもそも会戦の意味も…

会戦はどの時代でも「特別な儀式」であり、中世では神明裁判であった。全軍が団結し、決定的な結末を迎えるまで戦うことで、神の審判が下される場だったのだ。
  ――第Ⅲ章 会戦 1 望まれぬ会戦と虚像の勝利

 と、心理的な側面が大きかった模様。もっとも、大日本帝国も「神風」なんて名前に、人ならざるものにすがる想いが滲み出てるんで、実は今もあまり変わってないんだろうなあ。

 まあいい、じゃ、実際はどんなモンなのか、というと…

中世を通じて長期間採用され、最も普及した戦争のやり方というのは、時間と空間を限定したうえで行われる、全面的な略奪襲撃と破壊であった。
  ――第Ⅰ章 略奪 1 兵士 楽しき略奪者

 要は焦土作戦ですね。敵の米蔵や金庫を奪う、または潰すのが目的。何せ当時の軍は、ロクに兵站なんか考えちゃいない、というか出来ない。だもんで…

中世のように飢餓が一般的だった時代では、大軍が移動するだけで「人為的な」飢餓を発生させるには十分であった。そうした状況では、従軍する兵士は飢餓の原因であり、かつ犠牲者でもあった。そしてもちろん、そこに住む人々も飢餓に巻き込まれたのである。
  ――第Ⅴ章 身体 1 食料

 ソコに居る、ただそれだけで、その地域を潰してしまう、そういう存在だったわけ。兵そのものが生物兵器みたいなモンだな。ロクに制御できないあたりも、生物兵器そのもの。だって連中、戦争があれば兵なんだけど、戦争がなけりゃ山賊に早変わりだし。その手段だって…

中世の全期間を通して実用的な破壊手段とは、基本的に「火」の使用であった。
  ――第Ⅰ章 略奪 4 騎馬略奪行 組織化された破壊

 火ったって、火器じゃない。放火だ。家や畑を燃やす、そういう意味だ。目的は、現在の経済制裁や第二次大戦の戦略爆撃と同じ。敵から食料や財産を奪うこと。ついでに財産が自分の手に入れば更によし。先のエドワード黒太子のフランス遠征にしたって、実態は略奪と破壊だし。うん、まるきしヤクザだ。そもそも、当時の兵の練度ときたら…

軍事に奉仕する際の様々な素質の中でも、第一にあげられるのはきちんと隊列に並ぶことができるという能力であった。
  ――第Ⅲ章 会戦 3 戦闘隊形

 その程度でも充分に敵を威圧できたのだ。今でも学校じゃ儀式のたびに生徒並ばせたり行進させたりするけど、それはこういう歴史の名残りなのかも。もっとも、ロクに兵が統率できないのにも理由があって…

多くの兵士はおそらく、「頭脳明晰なままよりは、むしろ完全な泥酔状態で闘争の場へと投げ込まれた」
  ――第Ⅴ章 身体 1 食料

 なんで酔うのかというと、ヒロポン的な意味もあるんだけど、同時に安全な飲み水を手に入れるのが難しいってのもある。あっちの水は硬いし、慣れない水で身体を壊す事もよくあったらしい。だもんで、代わりにワインを飲んだんです。こういう愚連隊を率いるはずの騎士は、というと…

通常、真っ先に逃亡するのは騎兵だった。馬は攻撃をかけるのに優れた手段であるが、一方で危険から素早く身を遠ざけ、無様に逃亡するにも役立った。
  ――第Ⅲ章 会戦 4 敵と向き合う瞬間

 真っ先にトンズラかますんですね。もっとも、当時の重い鎧を着こんだ重騎兵は、馬から落ちただけでも死にかねないとか、意外と脆い所もあったとか。そんな風に、物語と実態の違いは著者も困ったらしく…

「少なくとも記録され書かれたものから、現実の感情を知り尽くすことはできない」
  ――第Ⅲ章 会戦 2 戦場の恐怖

 などと、当時の文献のいい加減さをアチコチで愚痴ってて、少し笑ってしまう。まあ物語は作家がデッチ上げるもんだけど、現場にいた将兵の証言もあましアテにならないのは「[戦争]の心理学」が述べてたり。では、本格的な戦争はどんなのか、というと…

中世は、騎兵が歩兵に対して次第に優位になった時代とみなすことはできない。むしろ城郭が騎兵にも歩兵にも優位を確立していた時代なのだ。
  ――第Ⅱ章 攻囲 9 騎兵への執着

 築城技術が進むにつれ、攻囲戦が主体となっていった様子。となれば、城を築くにせよ、攻略用の武器を作るにせよ、優れた技術者は歓迎されそうなモンだが…

そうした人々(軍事技師たち)の姿が史料から垣間見えることは稀だ。彼らは、金や雇用を求めて各地を転々としながら、軍事技術を必要とする雇用主にその知識でもって奉仕する、社会の最下層に位置付けられた人々たちだった。
  ――第Ⅱ章 攻囲 3 「驚異の職人」 軍事技師たち

 ああ、階級社会のなんと残酷なことか。この身分は死後もつきまとい…

戦死者たちはそれが敵か味方か、キリスト教徒か異教徒かで区別されたが、とりわけ暗に認められていた区別は、彼がどの社会階層に属しているか、つまりあけすけに言えば貴族ないし金持ちであるかどうか、だった。
  ――第Ⅴ章 身体 3 死

 と、あるんで、どうにも切ない。まあ、今の日本だって、エンジニアは軽く見られてるしなあ。それはともかく、城攻めで大事なのは…

城郭を攻略する方法は三つある。すなわち渇き、空腹、そして戦闘である
  ――第Ⅱ章 攻囲 4 飢餓による勝利

 はい、まずは水です。「泣いて馬謖を斬る」の街亭の戦い(→Wikipedia)の故事にもあるように、立てこもる際に最も大事なのは、水の確保なのですね。対して攻める側は、というと…

エジディオ・ロマーノいわく、城郭を「戦って」奪取する方法のうち、最も「一般的でよく知られた」ものは、はしごを持って城壁に近づき、弓兵・弩兵・投石兵の援護射撃を受けながら攻撃することである。
(略)こうしたはしごを使った攻撃を行うのはたいてい夜間で、城壁の中でも警備が手薄で、登攀が容易な部分が選ばれた。
  ――第Ⅱ章 攻囲 7 はしご攻め、力攻め、裏切り

 元男の子としては、どうしても派手な投石機とかに目が行っちゃうけど、現実には地味なはしごが最もよく使われたらしい。しかも目立たない夜に。こういう、絵にならない夜こそが本来の襲撃の舞台ってのは、「現代海賊事情」にもあったなあ。

 対して守る側の工夫としては、日本だと楠木正成の赤坂城の戦い(→Wikipedia)の熱湯攻めが思い浮かぶんだが…

城壁をよじ登ってくる敵兵に対して籠城側が投げつけた中世の飛び道具といえば、「煮たった油」が真っ先に連想されてきた。だが近年では、熱した油を敵の頭上にぶちまけるなどというのは、「防衛戦のカリカチュア(戯画)」にすぎないとされている。
(略)実際に使われたのは、固体の投擲物か火、さもなければ石灰を混ぜた水、あるいはもっと平凡なものとしては糞尿桶の中身などだった。
  ――第Ⅱ章 攻囲 8 防衛のリソース

 うん、確かに汚物をひっかけられるのは勘弁してほしいよね。そもそも物資を節約せにゃならん籠城戦で、油を熱する薪をどうやって調達するんだって疑問もあるし。その点、ヒトが出すモンなら捨てるほどあるんだから。

 現代じゃ籠城戦は滅多にないけど、逆に現代も同じだな、と感じるのは、戦いの時刻。

日没と日の出の瞬間こそが最も危険な時間帯である。
  ――第Ⅳ章 季節と時刻 3 日没から日の出まで

 特に、いわゆる「暁の襲撃」は定石で、明るくて戦いやすく、かつ敵の陣営が整っていないうちに叩いちまえってこと。もう一つ襲撃に相応しいのが食事時で、これを常套手段にしてるのがイスラエル空軍。第三次中東戦争じゃエジプト軍の空軍基地(→「第三次中東戦争全史」)を、バビロン作戦じゃイラクの原子炉(→「イラク原子炉攻撃!」)を、いずれも陣が崩れるメシ時を狙って空襲し、大きな戦果をあげている。

 物語じゃ何かと美化されてる中世の騎士たちだけど、描かれる悲惨さは現代の戦場より遥かに酷い。特に最も大きな被害を受けるのは、戦場となった地に住む民間人なのは現代のイラクやシリアと同じ。またコムーネ同士がにらみ合う当時のイタリア情勢は、応仁の乱から関ヶ原の戦いまでの日本を思わせる雰囲気で、あのころの日本の農民も同じような境遇だったんだろうなあ、と思ったり。

 歴史書としては、教科書や物語で主役を務める王や領主の勢力争いではなく、お話に出てこない末端の将兵や市井の人々が描かれるのが嬉しいところ。というか、本書を読むと、当時の権力者って要はヤクザだよね、と思ったり。また、随所を飾るバイユー・タペストリー(→Wikipedia)などの図版は、贅沢な雰囲気を醸し出していて、部屋に飾りたくなったり。

 と、一見とっつきにくそうな印象だけど、実は意外と読みやすく、かつ「物語や聞きかじったエピソードによる思い込み」を根こそぎひっくり返してくれて、本を読む楽しみがギッシリ詰まった本だった。軍ヲタや歴史ヲタ向けの本だけど、むしろそれらに疎い人こそ楽しめる本だろう。

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2020年11月18日 (水)

国末憲人「テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像」草思社

…テロリストが誕生した過程と背景を探り、彼らの意識と思考回路を明らかにするのが、本書の目的である。
  ――はじめに

バタクランでの犠牲者90人のうち、複数の銃弾が死因となったと考えられるのは12人に過ぎなかった。残る78人は、ただ一発の銃弾が致命傷となった。やみくもに乱射したわけではない。一人ひとりに標的を定めて撃ったのである。
  ――第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 第3章 バタクランの地獄

テロはきわめて珍しい。普段起こり得ない出来事であり、入念な対策を講じればかなりの割合で防ぐこともできる。
  ――終わりに

【どんな本?】

 2015年~2016年にかけて、ベルギーとフランスでは、イスラム過激派による四つのテロ事件が相次いだ。

  1. 『シャルリー・エブド』襲撃事件(→Wikipedia)
  2. パリ同時多発テロ(→Wikipedia)
  3. ブリュッセル連続爆破テロ(→Wikipedia)
  4. ニース・トラック暴走テロ(→Wikipedia)

 犯人はいずれも地元に住む若者たちだった。外国から忍び込んだテロリストではない。が、同時に、犯人たちの背景には、アルカイダや自称イスラム国など、国際的なイスラム過激派組織とのつながりがあった。

 彼らはなぜ過激化したのか。これは一種の宗教闘争なのか、それとも虐げられる者たちの反乱なのか。彼らはいかにして国際テロ組織と繋がり、その思想に染まったのか。彼らを抑えるべきフランスやベルギーの治安維持組織の対応は適切だったのか。そして、どうすればイスラム過激派のテロを防げるのか。

 朝日新聞社の記者として長くパリに住み、今も朝日新聞ヨーロッパ総局長を務める著者が、犯人たちの育成歴や過激思想に染まるまでの道のりを調べ、彼らの動機・洗脳の過程・準備と犯行の詳細・国際テロ組織の戦略と手法と人脈を洗い出し、イスラム過激派テロの実像を明らかにするとともに、それを防ぐ手立てを示す、意外性と刺激に満ちたルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年10月24日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約487頁。9.5ポイント43字×18行×487頁=約376,938字、400字詰め原稿用紙で約943枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、登場人物がやたらと多い。第1部と第2部の冒頭に主要人物の一覧があるが、加えて人名索引も欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進む。先に書いたように、やたら登場人物が多い。第1部と第2部の冒頭に主要人物の一覧があるので、複数の栞を用意しよう。また、犯行場面の描写はかなり迫真に迫っているので、グロ耐性のない人は注意。

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  • はじめに
  • 序章 人はテロリストに生まれない、テロリストになるのだ
    • 相次いだ大規模テロ
    • 20年の雌伏
    • 欧州価値観への挑戦
    • 反グローバル主義としてのジハード
  • 第1部 テロリストの誕生 『シャルリー・エブド』襲撃事件
  • 第1章 孤児兄弟の原風景
    • 狙われた新聞社
    • 場末の故郷
    • いたずらっ子の弟と泣き虫の兄
    • イスラム主義の萌芽
    • 母の自死
    • 山峡の孤児院
    • 家族の話はタブー
    • 途絶えた消息
    • イスラム化する移民街
    • ビュット=ショーモン筋
    • 「敵はユダヤ人」
    • シェリフ収監
  • 第2章 運命の邂逅
    • 刑務所の闇
    • フランスのビンラディン
    • 「武装イスラム集団」の台頭
    • 独房の抜け穴
    • 「ジャーナリスト」クリバリの活躍
    • ビキニからニカブに
    • クリバリ、大統領に会う
    • 殉教者の妻マリカ
    • アルカイダの二つの流れ
    • 欧州人権裁、ベガルを救う
  • 第3章 死火山の町で
    • 過激派を受け入れたホテル
    • 謎めいた行動
    • 山中で軍事訓練か
    • 急激な変貌
    • シェリフとベガルの出会い
    • 野に放たれたベガル
  • 第4章 イエメンへの旅
    • ごみ分別大使
    • アウラキと「アラビア半島のアルカイダ」
    • 兄に成りすまして出国
    • イエメンへの同行者
    • 司令官にのぼり詰めた男
    • 橋渡しをした人物
    • 筋金入りのジハード主義者
  • 第5章 チーム・クリバリ
    • クリバリ始動
    • 移民系エリートの挫折
    • モアメドとクリバリの邂逅
    • 憲兵隊員との禁断の恋
    • 調達先はベルギーか
    • 銃をめぐる怪しげな世界
    • 逃した機会
  • 第6章 襲撃の朝
    • 弟子とは別の道を歩んだ師匠
    • 白い服がアイデンティティー
    • 知らず知らずのうちに
    • 看守に励まされ
    • メラー事件の衝撃
    • ジハード主義を葬り去る
    • 脱カルト活動に
    • ステップ・バイ・ステップ
    • 1月7日の朝
    • 「俺たちはアルカイダだ」
  • 第7章 「早く来て、みんな死んだのよ」
    • 「腹切り」から「シャルリ―」へ
    • 預言者の風刺漫画騒動
    • 跪いて生きるぐらいなら
    • テロは予言されていた
    • 編集会議始まる
    • 至近距離から一発ずつ
    • 「みんな死んだのよ!」
    • 警察官殺害
    • 現場に立つ大統領
    • 逃走車は北へ
    • 迷走する操作
  • 第8章 標的は「ユダヤ人」
    • パリ南方の事件
    • 狙ったのは学校か
    • 印刷工場に押し入る
    • 現場は包囲された
    • シェリフへのインタビュー
    • 「いよいよ戦争だ!」
    • 襲われたユダヤ教徒のスーパー
    • 「お前はまだ死んでいないのか」
  • 第9章 「イスラム国」の謎
    • 地下室の絶望と希望
    • 別れのメッセージ
    • 「とどめを刺した方がいいかい?」
    • 作戦遂行支持
    • 「イスラム国」にまつわる謎
    • 解放交渉成立せず
    • 終幕
  • 第10章 第三世代ジハードの脅威
    • 「ユダヤ人を救ったイスラム教徒」
    • なぜ彼らが狙われるのか
    • 「テロ尾は衰退の現れ」
    • 第一、第二世代の興亡
    • 思想家ストーリーの軌跡
    • 手づくりのテロ工房
    • ジル・ケペルの予言
    • 懸念は過激な反応
    • 危機感薄い政府
    • 背後には戦略があった
  • 第11章 終わらない結末
    • 元日の出奔
    • 「イスラム国」街道
    • クリバリのインタビュー動画
    • アヤトのメッセージ
    • 女たちのジハード
    • 既視感の広場で
  • 第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 パリ同時多発テロ、ブリュッセル連続爆破テロ
  • 第1章 なぜフランスは見誤ったのか
    • 偽りの単独犯
    • 「イスラム国」のテロ設計者たち
    • 与えられていた任務
    • テロリストは瀬踏みを続けていた
    • テロ翌日の街角
    • 現場を歩く
    • 襲われたテラス
    • 狙われた享楽の都
    • ひょんと死ぬるテロリスト
    • 実行三部隊とロジの一部隊
  • 第2章 街角の戦場
    • テロリスト、パリ郊外に集結
    • イラクから来た自爆志願者
    • なぜ爆発は場外で起きたのか
    • テラスの惨劇
    • カフェ、ピザ店、ビストロ……
    • 多様性が狙われた
    • 目の前に頭が
    • 自爆ベルトが示す岐路
    • TATPの脅威
  • 第3章 バタクランの地獄
    • 劇場襲撃部隊の三人
    • 「復讐の時がきた」
    • 上級警視の活躍
    • 「みんな爆破してしまう」
    • 介入
    • なぜバタクランが狙われたのか
    • アバウドは舞い戻っていた
    • 問われた責任
  • 第4章 モレンベークの闇
    • 失業率52%の街
    • アブデスラム兄弟のカフェ
    • モレンベキスタン
    • アバウドが歩んだ道
    • 「イスラム国」残酷さの論理
    • 難民に紛れて
    • 「ベルギーのアルカイダ」
    • マリカとファティマ
    • ジハードのサンタ
  • 第5章 破綻したテロ対策
    • サンドニの銃撃戦
    • 謎の女性アスナ
    • 憧れの彼はテロリスト
    • フランスを救った女性
    • 過激派を取り逃がす
    • 膠州で最も孤独な男
    • 連続テロの衝撃
  • 第6章 犯罪テロ・ネクサス
    • 空港の惨劇
    • 欧州議会の足元で
    • 優等生の自爆者
    • 犯罪とテロの融合
    • 悪人こそが救われる
    • 「過激化」再考
  • 第7章 若者はいかにしてテロリストになるのか
    • テロに対する二つの視点
    • テロリストは移民二世と改宗者
    • 「過激派のイスラム化」
    • カルトに似たネットワーク
    • テロリストはなぜ「兄弟」ばかりなのか
    • 高い改宗者の割合
    • 敗残帰還者の問題
    • 「イスラム国」の子どもたち
  • 第3部 ローンウルフの幻想 ニース・トラック暴走テロ
  • 第1章 遊歩道の無差別殺人
    • 犠牲者86人
    • 家庭内暴力
    • 異常な性欲
    • 綿密な犯行準備
    • ルンペンテロリスト
    • 暴走するトラック
    • 誰がテロへと導いたのか
  • 第2章 「一匹狼」の虚実
    • 「解放」から「破壊」へ
    • ユナボマーとブレイヴィク
    • ローンウルフ誕生への五段階
    • 未熟で杜撰なテロリスト
    • 「ローンウルフは存在しない」
    • タキーヤ
    • ウィキペディア流テロの時代
  • 終章 汝がテロの深淵を覗くとき、深遠もまた汝を覗いている
    • テロリストとカルト
    • 絡めとる側
    • イスラム過激派の三層
    • 右翼との類似性
    • メモを忍ばせたのは誰だ
    • 単純明快な論理の魅力
    • 多様性のストーリーを描けるか
  • 終わりに
  • 9.11以降のイスラム過激派による大規模テロ年表
  • 参考引用文献/注

【感想は?】

 本書の結論は希望が持てると同時に、どうしようもない徒労感も感じてしまう。

 著者はテロの犯人らの育成歴を丹念に追ってゆく。そこで見えてくる彼らの姿は、「ブラック・フラッグス」が描くザルカウィの姿と重なる。そう、自称イスラム国でイキがっていたアブー・ムサブ・アッ=ザルカウィだ。

 サルカウィも欧州のテロ事件の犯人らの多くも、もともと手の付けられないチンピラだった。十代から盗みや喧嘩にあけくれ酒や麻薬におぼれ、警官とも顔なじみの連中である。日本なら半グレってところか。昔ならヤクザの三下になる奴らである。

 『シャルリー・エブド』襲撃事件のクアシ兄弟は孤児院育ちだが、パリ同時多発テロの犯人らは…

アバウドやアブデスラム兄弟は決して、移民社会の底辺にいて辛酸を味わったわけではない。むしろ、特段の不自由もない小金持ちの道楽息子であり、恵まれていた環境を生かすことなく酒や麻薬、犯罪に走った情けない男たちである。
  ――第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 第4章 モレンベークの闇

 これは「テロの経済学」が描くテロリスト像とも重なる。恵まれた育成環境という点は、60年代~70年代の日本で暴れた極左も同じだ。彼らの多くは大学卒だった。当時の大学進学率は1~3割程度で、中卒の集団就職も珍しくない時代だ。

(かつての)インテリ出身の過激派やテロリストの多くは、本当に知識人として成長したわけではなく、(略)高等教育での挫折感が、彼らの多くを過激思想に走らせた可能性は拭えない。
  ――第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 第6章 犯罪テロ・ネクサス

 その大学では、昔から極左やカルトが新入生を狙い盛んに勧誘していた。欧州では、舞台がモスクに変わっただけで、同じ風景が広がる。

欧州でモスクに実際に行ってみるとわかるが、その出入り口に大勢の若者がたむろして、募金を集めたり講座への参加を勧誘したりしている。まるで大学の入学式で各サークルが新入生を勧誘しているかのようである。
  ――第1部 テロリストの誕生 第1章 孤児兄弟の原風景

 「テロリストの軌跡」が描く911の犯人モハメド・アタも、この勧誘に引っかかった。

 もっとも、本書が描く犯人たちは、別の処で組織と繋がっている。ザルカウィ同様、刑務所なのだ。

(20世紀末~21世紀初頭の)フランスの人口は六千万前後であるため、イスラム教徒の割合は全国民のせいぜい6%~7%に過ぎない(略)
受刑者に占めるイスラム教徒の割合は約半数に及ぶ。
  ――第1部 テロリストの誕生 第2章 運命の邂逅

 そういやマルコムXも刑務所で改心したんだよなあ(→「マルコムX 伝説を超えた生涯」)。なおイスラム教徒が多い理由を本書はほのめかすだけだが、似た論調が「自爆する若者たち」にもある。

 モズクにせよ刑務所にせよ、若者たちを勧誘しているのは組織だ。そして、テロも実行犯の裏に多くの協力者たちがいる。『シャルリー・エブド』襲撃事件にしても、頭に血が上った者が突発的に銃をブッぱなしたのではない。組織的・計画的な犯行なのだ。

テロの後でわかったクリバリの通信記録から、何らかのかたちで事件にかかわったと疑われる人物は60人に及んだ。(略)パリ検察局は2018年、最終的に14人に対して重罪院に訴訟を請求した。
  ――第1部 テロリストの誕生 第5章 チーム・クリバリ

 もっとも、犯行を再現するあたりを読むと、かなり杜撰な計画なんだけど。まあいい。使い捨てにされる前線の兵はともかく、組織の元締めがちゃんといて、しかもけっこう絞れるのだ。

欧州のフランス語圏でテロ関連の出来事を探ると、あちこちで同じ名前が登場する。顔を出すのは毎度毎度、ジャメル・ベガルであり、マリカ・エル=アルードなのである。
  ――第1部 テロリストの誕生 第5章 チーム・クリバリ

 そんなワケで、対策の立てようもある。

テロを企てるのは、きわめて限られた、狭い世界の人脈である。警戒さえ怠らなければ、そのネットワークを壊滅状態に追い込むきっかけがあったに違いない。
  ――第1部 テロリストの誕生 第11章 終わらない結末

パリ同時多発テロにかかわった人物らが幼少期を過ごし、あるいはその後出入りしていたのは、ベルギーの首都ブリュッセル西郊の街モレンベークである。
  ――第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 第4章 モレンベークの闇

 なお、先に名前が出たマリカ・エル=アルードは女だ。彼女は「殉教者の妻」として、そのスジではスターだったりする。

「『殉教者の妻』は、ジハード主義者のブルジョア的地位が約束され、天国にも行ける。つまり、精神的と同時に物質的な利益もあるのです」
  ――第1部 テロリストの誕生 第11章 終わらない結末

 もちろん「殉教者の母」も栄光の座だ。「ミュンヘン」が描くハサン・サラメの血統が父の「偉業」を継ぐのも、こういう社会構造があるからだろう。

 困ったことに、最近の先進国でのイスラム過激派テロの犯人は、もともと素行の悪いチンピラが多い。犯罪にも長けており、銃の密輸組織やナンバープレートの偽造職人など既存の犯罪組織とのコネもある。マフィアも、それと知らずにテロ組織に利用されている。

 ただ、そういう連中を洗脳する元締めは、かなり限られている。だから既存の過激派組織と繋がりのある人物を丹念にマークすれば、テロは防げる…

 ワケじゃないのだ。本書をちゃんと読むと、人間の本性に根ざした、もっと根本的な原因が見えてくる。これは60年代~70年代に日本で暴れた極左にも共通するんだが…

テロに走る若者の多くはもともと犯罪組織に加わり、すでに暴力行為になじんでいる。つまり、多くの若者は「イデオロギーにもとづいて暴力行為に走る」のではなく、ある種の暴力(犯罪)から別の種類の暴力(ジハード)に移行するだけだと解釈できる。
  ――第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 第6章 犯罪テロ・ネクサス

若者たちは極端に走りやすい。(略)そのような若者たちにかつて、生きがいと死にがいと、さらには他人を殺す口実まで与えてくれたのが、共産主義だった。今、ジハード主義がそれに取って代わっている。
  ――第2部 ヨーロッパ戦場化作戦 第7章 若者はいかにしてテロリストになるのか

 つまり、ジハードは言い訳で、連中は単に暴れたいだけ、との主張だ。そういう点じゃ、「ボスニア内戦」で暴れたアルカン(→Wikipedia)の同類でもある。

 政治的にアルカン極右になるだろう。一見、敵対しているように見える極右とイスラム過激派だが、よく見ると中身は似てたりする。威嚇的・暴力的なこと、男尊女卑なこと、硬直した上意下達型の組織が好きなこと。そして何より…

右翼はみずからも、社会の分断を通じて地位を固めようとする。
  ――第1部 テロリストの誕生 第10章 第三世代ジハードの脅威

 敵と味方をハッキリ分けて、敵を人間として扱わないことだ。「社会はなぜ左と右にわかれるのか」が語る「忠誠/背信、権威/転覆、神聖/堕落」型の極端なタイプだろう。現代ロシアでスターリンを崇める者は左翼と呼ばれるが、その精神構造はむしろ極右に近いと私は思っている。

 そして、イスラム過激派の脅威ばかりが注目されるが、実際には…

反イスラムや排外主義にもとづくテロは、イスラム過激派のテロよりもじつはずっと多い。(略)2012年から2016年途中までの間、イスラム過激派によるテロは欧米で84件起きたのに対し、右翼テロは130件に達していた。
  ――終章 汝がテロの深淵を覗くとき、深遠もまた汝を覗いている

 と、今はむしろ極右の方が脅威だったりする。なんのこたあない、暴力団同士の抗争みたいなモンなのだ。双方が政治や宗教を看板に掲げているだけで、中身は暴れたいだけのチンピラどもなのである。アフリカの失敗国家での自称反政府組織と変わりはない。ただ取り繕いが巧みなだけだ。

 徒労感を感じるのは、そういう点だ。ジハードもナショナリズムも言い訳で、本音は暴力衝動だとすれば、これはもうどうしようもない。ヒトの本能に刷り込まれた性質が原因なら、ジハードを抑えても、別の形で吹き出すだろう。そういや「暴力の解剖学」は「魚を食え」と推薦して…

 とか連想を続けると、いつまでたっても終わらないから、この辺で終わりにする。とりあえず、イスラム過激派テロに興味があるなら、年代別の分析もあり、なにはともあれ最初に読むべき本だ。

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2020年10月 6日 (火)

ロジャー・クレイア「イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌」並木書房 高澤市郎訳

「フライト リーダーはだれだ?」
「フライト リーダーはいません。この二人だけです」
「じゃあ、お前がフライト リーダーだ」
  ――第2章 モサドの破壊工作

ベトナム戦争が始まってからこれまでの30年間に、世界の航空部隊で撃墜された機数の90%は高射砲などの対空火器によるものであった。(略)撃墜されたときの高度の大部分は1500フィートから4500フィートの間で、これはパイロットが最終的に目標を狙う高度なのである。
  ――第4章 二つの飛行隊

翼タンクを無駄にする余裕がなかったため、投棄する訓練を行ったことはなかったのである。
  ――第6章 原子炉空爆!

「爆弾が全部目標から1m以内に落ちるなんて信じられか!」
  ――第6章 原子炉空爆!

【どんな本?】

 1981年6月7日、サダム・フセインが治めるイラクの西部にあるオシラク原子炉が、何者かの爆撃により破壊される。バビロン作戦(→Wikipedia)の名で有名なこの攻撃は、イスラエル空軍によるものだった。

 作戦は、攻撃用の爆弾を抱えた8機のF-16戦闘機と、援護の6機のF-15、そして電子妨害を担う2機のF-15で行われた。16機の攻撃部隊は、F-16製造元のジェネラル ダイナミクスの設計を超え往復二千km近くの距離を、無許可でサウジアラビアおよびヨルダンを横切り、レーダーを避けるため地上30mの低空を飛んだ。

 政治的にも軍事的にも前代未聞なこの作戦は、どのような経緯で計画され、決定され、実施されたのか。オシラク原子炉は、どんな目的で、何者の協力で、どのように建設され運営されたのか。イスラエルは、いかにしてオシラク原子炉の情報を手に入れたのか。そして完璧なゴールを決めたF-16のパイロットたちは、どんな者たちなのか。

 攻撃に参加したF-16のパイロットたちを中心に、当時のベギン内閣やイスラエル空軍そしてモサドの主要人物はもちろん、合衆国ホワイトハウスの面々やオシラク原子炉の技術者たちにまで取材し、攻撃計画を立体的に再現する、迫力満点の軍事ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Raid on the Sun : Inside Israel's Secret Campaign that Denied Saddam the Bomb, by Rodger W. Claire, 2004。日本語版は2007年7月15日発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約292頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント47字×19行×292頁=約260,756字、400字詰め原稿用紙で約652枚。文庫なら少し厚め。

 文章は直訳に近い上に、少々「てにおは」が怪しい。また普通は「・」とする所を半角の空白にするクセがある。例えば「サンタ・モニカ」が「サンタ モニカ」とか。でも大丈夫。100頁も読めば慣れます。読んだ私が言ってるんだから間違いない。もっとも、中身の面白さに引きずられて評価が甘くなってるかもしれない。反面、「訳者あとがき」を読む限り、固有名詞や数字などは訳者が独自に確認しているようで、正確さにはかなり気を使っている。要は、わかりやすさを犠牲にしてでも正確さを求める学者の文章ですね。

 軍事物だが、ジャーナリストの作品だけあって、とても初心者に親切だ。例えばF-16とF-15の違いはもちろん、航空機の航続距離に何がどう影響するか、爆弾投下時にパイロットがすることなど、細かく具体的に説明している。下手なパイロット物の小説より、遥かに素人にやさしい。むしろ航空小説を読む前に本書を読んだ方がいい。

 ただ単位がヤード・ポンド法なのが少し辛い。ちなみに1フィートは約30cm、1マイルは約1.6km、1ポンドは約454グラム、1ガロンは約3.8リットル。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。

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はじめに
プロローグ バビロンへの道
第1章 フセインの野望
第2章 モサドの破壊工作
第3章 F16戦闘機到着!
第4章 二つの飛行隊

第5章 息子たちの出撃
第6章 原子炉空爆!
第7章 全機帰還!
エピローグ 20年後の再開
訳者あとがき

【感想は?】

 訳者は文章に少しクセがある。「・」のかわりに半角の空白を使うとか。そのため、読者は出だしで多少とまどうだろう。

 が、プロローグに入ると、次第に慣れてくる。どころか、読み進めていくうちに、頁をめくる手を止められなくなってしまう。下手な冒険小説を遥かにしのぐ面白さなのだ、困ったことに。

 何が困るといって、この作戦自体が、政治的に極めてヤバいからだ。もともとイスラエルは周辺国と仲が悪い。そんな状況で、いくら険悪な関係とはいえ、交戦中でもない他国に対し予告なしの攻撃、しかも目標は原子炉だ。運転中だったら、飛び散った放射性物質で周辺は死の海になる。「原子炉で核兵器を作られちゃ困る」とか言ってるが、「そういうお前はどうなんだ」と返されたら…

 加えて、攻撃はサウジアラビアとヨルダンの領空を侵犯して行われた。両国はいずれも親米で、アラブの中では比較的イスラエルに対し穏健な姿勢だったが、この作戦でメンツを潰されてしまう。まあメンツはともかく、無断で他国の領空を侵犯するってどうよ。

 実際、作戦が明るみになった途端、イスラエルは世界中から総スカンを食らう。ケツ持ちの合衆国、それもタカ派のレーガン政権すら非難に回った。それぐらい政治的に非常識で無茶な作戦だった。

 にも関わらず、章を重ねるうちに、作戦に関わったイスラエル空軍やモサドを応援したくなるのだ。これは実にヤバい。もともと私がイスラエル贔屓なのもあるが、たびたび「落ち着け俺」と自分に言い聞かせなければならなかった。

 これには、作戦の立案から結構までの経緯と並行して、各章の冒頭で作戦当日の緊迫感あふれる模様を描く構成の妙もある。が、それ以上に、とにかく物語として面白い。

 幅広く綿密な取材によって丁寧に描かれた背景事情は、舞台をクッキリと浮かび上がらせる。その舞台の中で、小国ならではの柔軟性と徹底した実力主義が育てた、イスラエルの軍とモサドの卓越した能力とチームワークは、まんま冒険小説のヒーローを見るような気分になる。

 序盤では、まずイラク側の事情が楽しい。原子炉関連の部品や技術を手に入れる際、札束でひっぱたくようなイラクの手口は想像通りだが、ひっぱたかれつつもチャッカリとオマケをふんだくるフランスの厚顔ぶりにも呆れる。また独裁者の例に漏れず杜撰で強引なプロジェクトの進め方には、思わず笑ってしまう。

 予定じゃ1年かかる建築計画を、「半年でできます」と入札したら、45日で仕上げろと命じられたとか、もはやポルナレフ状態(→ピクシブ百科事典)だろう。

 そんなイラクの計画を調べ邪魔するモサドも、独裁者とはまた別の意味で怖い。パリにいる技術者を取り込む手口は、突き詰めれば「飲ませて抱かせて握らせる」んだが、警戒させずに親しくなって話を聞きだす手口が洗練されていて狡猾極まりない。かと思えば、他国内でテロ同然の真似もやらかす。その暴力性は「ゴッドファーザー」が描くシシリアン・マフィア以上だ。

 「グラーグ」や「チェチェン」が描くソ連・ロシアのチェカーは強引で粗暴なだけのヤクザだが、本書が描くモサドは狐の狡猾さとマシンの冷酷さを併せ持つ。世界中で恐れられるのも納得できる。

 などと丁寧に書き込まれた背景もワクワクするが、後半から終盤にかけては軍事物、それもパイロット物の面白さが群を抜いているのだ。

 そもそもイスラエルは狭い。だからイスラエル空軍もスプリンターが揃っている。大抵の飛行は1時間以内で、本作戦のように四時間を超える飛行は、まずない。そのため二千km近く飛ぶ燃料をどうするかが、準備段階で深刻な問題となる。またパイロットも長時間の飛行には慣れず…。まあ、アレだ、あなたも歳をとるとピンとくるようになります。

 そんなイスラエルが当時の最新鋭機F-16を手に入れた事情も、世界情勢の不可思議さを感じるところ。見事にアブラアゲを攫ったイスラエルだが、後に因果はめぐるから世の中はわからない。

 そして何より有難いのが、戦闘機の操縦について、やたらと親切かつ細かく教えてくれること。例えばニュースで「アビオニクス」なんて言葉が出て来るが、本書には出てこない。かわりに、当時のイスラエル空軍保有のF-15とF-16の違いを語る所などで、整備や操縦の具体的な手順の違いを描いていて、自然と操作・操縦の自動化の有難みが伝わるようになっている。

 そして白眉が本書のクライマックス、原子炉を爆撃する場面で、パイロットがどんな順番でどんな操作をし、それがどんな目的と効果を持つのか。そして迎え撃つ対空火器や地対空ミサイルにはどんなクセがあるのかまで、物語の緊張感を保ちつつも丁寧に説明してくれるのだ。軍事、それも空軍物の初心者には、極めてありがたい本である。

 この場面ではイラク側の対応まで描いていて、著者の取材の幅広さには舌を巻いてしまう。また攻撃の時刻にまで気を配ったイスラエル空軍の周到さには頭が下がるが、ネタを嗅ぎつけたモサドの情報収集能力には背筋が寒くなったり。確か第三次中東戦争でエジプト空軍基地を叩く際にも、同じ隙をついてたなあ(「第三次中東戦争全史」)。

 そんなハードウェアに加え、映画「トップガン」のマーベリックとアイスみたいなパイロット同士の葛藤も盛り込んであるんだからたまらない。私のようなニワカは「なぜF-15ではなくF-16なのか」と疑問に思うんだが、やっぱりそういう議論もあったらしい。だろうなあ。

 と、あまり知る機会のないアラブの独裁国の内情、やはり秘密に包まれた諜報機関モサドの狡猾さ、F-16入手の経緯などでわかる国際情勢の混沌、そして迫力と緊張感あふれるミッション遂行場面など、コンパクトな本ながら読みどころはギッシリ詰まっているくせに、お話はやたらと面白くて頁をめくる手が止まらない、色々な意味で困った本だ。

【関連記事】

【おわりに】

 いままで構成というか目次を馬鹿丁寧に書いてたけど、人によっては煩く感じるかもと思ってたところで、<details>タグを覚えたので、試しに使ってみた。「詳細表示」をクリックまたはタップすると、構成の詳細が出る。画面が広いパソコンの読者はあまり気にならないだろうが、スマートフォンの読者にはこっちの方が親切…なのかなあ?

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2020年8月23日 (日)

C.ヴェロニカ・ウェッジウッド「ドイツ30年戦争」刀水書房 瀬原義生訳

1618年5月23日は、プラハ蜂起の日である。この日が、30年戦争の勃発の日と伝統的に見なされてきた。
  ――第1章 ドイツとヨーロッパ 1618年

1630年の降伏は、確かに、「ドイツの自由」の放棄を意味したかもしれない。しかし、これらの「自由」は、支配する君侯、せいぜい都市当局者の特権であって、人民の権利とはなんら係わりをもたないものなのである。
  ――第6章 デッドロック 1628-30年

マクデブルクの三万の住民のうち、生き残ったのはおよそ五千人であり、しかも大部分は女であった。兵士たちは、まず彼女たちを保護し、キャンプへ連れ込み、それから略奪するために都市に引き返した。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

1635年5月21日、(略)キリスト教最高のフランス国王ルイ13世が、カトリックの国王陛下、スペインのフェリーペ四世に対し、戦いを宣言した
  ――第8章 リュッツェンからネルトリンゲンへ、そしてその後 1632-35年

スイス連邦の存在は、これまで承認を受けてはいなかった。彼らは、いまや、これを要求し、与えられた。
  ――第11章 平和に向かって 1643-48年

この戦争は、ヨーロッパ史の中で、跳び抜けて無意味な紛争の典型であろう。
  ――第12章 平和、そして、その後

【どんな本?】

 ドイツ30年戦争(→Wikipedia)は、1618年のプラハ王宮窓投下事件(→Wikipedia)に始まり1648年のウェストファリア平和調印(→Wikipedia)で終わったとされる。

 主な戦場となったドイツ(神聖ローマ帝国)はもちろん、スウェーデン・デンマーク・オランダ・フランス・スペイン・オーストリアなど周辺国を巻き込みまたは積極的に介入し泥沼の様相を呈した戦争は、戦闘による被害はもちろん、軍による略奪や脱走兵・敗走兵の野盗化に加え、重税・疫病・凶作などもあり、ドイツの国力を激しく落とすとともに、欧州各国の力関係も大きく変えた。

 本書は30年戦争の顛末に加え、主な人物の背景事情と思惑、当時の軍の様子と戦闘の推移、そして戦争がドイツや欧州情勢に与えた影響などを、多岐にわたる大量の資料を基に再現する、重量級の歴史書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Thirty Years War, by Cicely Veronica Wedgewood, 1956。日本語版は2003年11月13日初版1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約568頁に加え、訳者による解題5頁。9ポイント52字×20行×568頁=約590,720字、400字詰め原稿用紙で約1,477枚。文庫なら三冊分の大容量。

 文章は硬い。要は学者の文章だ。二重否定・三重否定の英国人らしい皮肉なユーモアが多いので、原文も硬いんだろう。それに加えて、「主語A→主語B→述語B→述語A」みたいな入れ子の文もよく出てくる。

 ただし内容は不思議なくらいわかりやすい。多様な勢力が入り乱れる泥沼の内戦であるにも関わらず、各勢力の状況や動機そして共闘・対立・裏切りの構図をスッキリした形で示すので、読者の頭にはスンナリと入ってくる。

 当然ながらドイツおよび近隣の地名が次々と出てくるので、Google Map や地図帳があると便利。もっとも、国境は現在と違っているし、ボヘミアがチェコに、モラヴィアがスロバキアになど、国の名前も変わっているのは覚悟しよう。

【構成は?】

 目次でわかるように時系列順に進むので、素直に頭から読もう。末尾の「三十年戦争主要人名録」はとても役に立つ。

  • はじめに
  • 第1章 ドイツとヨーロッパ 1618年
    • 1 不安定な年1618年
    • 2 非効率な政治/粗野な日常生活
    • 3 神秘主義的世界観の横行/宗教上の対立 カトリック、ルター派、カルヴァン派/反宗教改革 ジェスイット教団とカプチン派
    • 4 世界を支配するハプスブルク・スペイン王国/ネーデルランドの情勢/北・東欧の諸国/フランスの台頭/「スペイン街道」の要所ヴァルテリーナ渓谷
    • 5 分裂した国家ドイツ/帝国政府のメカニズム/「ドイツの自由」/七人の選帝侯
    • 6 信仰問題を左右した領邦君主
    • 7 ドイツの知的生活/17世紀初頭の政治的小紛争
    • 8 オランダをねらうスピノーラ/ファルツ選帝侯フリードリヒ、イギリス王女エリザベスと結婚/選帝侯の執事アンハルト/シュタイヤーマルク大公フェルディナント
    • 9 ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク/バイエルン大公マクシミリアン
  • 第2章 ボヘミアのための王 1617-19年
    • 1 宗教問題の錯綜する国ボヘミア/ボヘミアの国制/シュリックとトゥルン伯/フェルディナント大公、ボヘミア王に就任/プラハ城窓投下事件
    • 2 皇帝軍、ボヘミアに侵入/選帝侯執事アンハルトの誤算/マンスフェルトと傭兵群体
    • 3 フェルディナントの最初の危機/ベートレン・ガボルの蜂起/選帝侯フリードリヒ、ボヘミア王に選出される/二日後、フェルディナント(二世)、ドイツ皇帝に選挙される
    • 4 選帝侯フリードリヒ、孤立のまま、ボヘミア王を受諾
  • 第3章 スペイン、警鐘を鳴らし、ドイツは警報を発す 1619-21年
    • 1 ボヘミア王フリードリヒの政治的孤立
    • 2 諸外国、ボヘミア王に冷淡
    • 3 ウルムでの一蝕即発の危機回避/スピノーラ、ラインへの侵攻開始
    • 4 ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク、帝国体制維持を口実に、ボヘミア王を見放す
    • 5 「冬の王様」/ティリー軍、ボヘミアへ侵攻/スピノーラ、ファルツへ侵攻/ヴァイサーベルクの戦い/ボヘミア王亡命/プラハの降伏
    • 6 フリードリヒ、降伏せず/マンスフェルト、ビルゼンを確保/大公マクシミリアン、報酬(選帝侯位)を要求/紛争の焦点、ラインに移る
  • 第4章 皇帝フェルディナントと選帝侯マクシミリアン 1621--25年
    • 1 ボヘミア反徒の処
    • 2 スペイン宰相オリヴァーレス/ライン河流域に戦線拡大
    • 3 ボヘミア王の頭脳はエリーザベト王妃/ブラウンシュヴァイクのクリスティアン、彼女に心酔/ヴィンペンの戦い/マンスフェルトとクリスティアン合流、アルザスに侵攻/ベルゲン包囲戦開始/ハイデルベルク落城
    • 4 マクシミリアンへの選帝侯譲位
    • 5 フェルディナントのボヘミア収拾策/ヴァレンシュタインの登場/ボヘミア、カトリックに復帰/オーストリア帝国の創造
    • 6 北ドイツの情勢/クリスティアン、シュタットローンの戦いでティリーに惨敗
    • 7 マンスフェルト、雇い主を探す/宰相リシュリュー登場/鼠色の猊下ジョセフ神父/対ハプスブルグ大包囲網の結成
  • 第5章 バルト海に向けて 1625-28年
    • 1 ヴァレンシュタイン、軍備増強を献策/スピノーラ、ブレダを陥落させる/ハンザ同盟圏に危機迫る
    • 2 デンマーク王クリスティアン四世、北ドイツに侵攻/ブラウンシュヴァイクのクリスティアンの死/デッサウ橋の戦いでヴァレンシュタイン、マンスフェルトを破る/ルッターの戦いでデンマーク軍、ティリーに惨敗/マンスフェルトの死
    • 3 オーバー・オーストリアの農民反乱
    • 4 軍隊駐留による社会的荒廃/ヴァレンシュタインの北ドイツ制圧の野望
    • 5 ヴァレンシュタイン、メックレンブルク大公に叙せられる
  • 第6章 デッドロック 1628-30年
    • 1 ヴァレンシュタインの中欧帝国構想
    • 2 マントヴァ戦争開始
    • 3 ヴァレンシュタイン、シュトラールズント市攻略失敗/ヴォルガストの戦いでデンマーク王敗退/ヴァレンシュタインに対する不満増大
    • 4 「教会領回復令」の発布/その実施対象 マクデブルク司教区の問題
    • 5 マントヴァ危機の深化/オランダ軍攻勢に出る/スウェーデン王、デンマーク王と会見/リューベックの平和/グスターヴ・アードルフ、ドイツ侵攻を決意
    • 6 民衆の悲惨な生活
    • 7 レーゲンスブルク選帝侯会議/ヴァレンシュタイン罷免される
  • 第7章 スウェーデン王 1630-32年
    • 1 フランス・スウェーデン同盟条約成立
    • 2 スウェーデン軍、ドイツ侵攻開始/国王グスターヴ・アードルフ/宰相ウクセンシェルナ/スウェーデンの兵士/ベアヴェルデ条約
    • 3 ザクセン大公、「教会領回復令」の撤回を迫り、拒絶される/ディリー軍、マクデブルクを攻略/マクデブルクの惨状/スウェーデン王とブランデンブルク、ザクセン両選帝侯の同盟成立
    • 4 ブライテンフェルトの戦い/ティリー軍敗れ、プロテスタント救われる
    • 5 グスターヴ・アードルフ、南ドイツへ進撃
    • 6 ヴァレンシュタイン復帰への要請強まる/フランスの政情不安/リシュリューの複雑な外交政策/グスターヴの目的
    • 7 グスターヴ、バイエルンに進撃/ヴァレンシュタイン、復帰受諾/ティリーの死/グスターヴ、ミュンヘンを経て、ニュルンベルクへ後退/リュッツェンの戦い/グスターヴ戦死
    • 8 ドイツ社会の苦悩/ボヘミア王フリードリヒの死
  • 第8章 リュッツェンからネルトリンゲンへ、そしてその後 1632-35年
    • 1 平和へのかすかな芽生え
    • 2 ウクセンシェルナ、スウェーデンの体制を立て直す/「ハイルブロン連盟」結成される
    • 3 ネーデルラントでの休戦討議/枢機卿インファンテの出現
    • 4 将軍バッペンハイムとホルク/ヴァレンシュタインからの離反相次ぐ/ヴァレンシュタイン排除の陰謀/ヴァレンシュタインの暗殺
    • 5 ハンガリー王フェルディナント(のち皇帝、三世)の登場/ブルボン家内部の確執/ザクセン・ヴァイマールのベルンハルトの台頭/ネルトリンゲンの戦い/皇帝軍、勝利す
    • 6 ハンガリー王、西ドイツを席巻/ベルンハルト、リシュリューに接近
    • 7 宗教の後退、ナショナリズムが前面に/軍隊はなおナショナリズムの埒外
    • 8 「プラハの平和」、ザクセン大公とハプスブルクの和解/フランスとスウェーデンの同盟強化/フランス、対スペイン宣戦布告
  • 第9章 ラインのための戦い 1635-39年
    • 1 マクシミリアン、「プラハの平和」を受諾
    • 2 ウクセンシェルナ、スウェーデン軍を立て直す/皇帝軍、アルザス・ロレーヌに進出/ローアン将軍、ヴァルテリーナを制圧/ベルンハルト、リシュリューの支配下に入る/皇帝軍のパリ攻撃、挫折する/ヴァルテリーナ、フランスから失われる/ハンガリー王フェルディナント、「ローマ人の王」に選挙される
    • 3 皇帝フェルディナント二世の死/ドイツ社会の疲弊どん底をつく
    • 4 ドッセ河畔の戦いでスウェーデン軍、皇帝・ザクセン軍を破る/ベルンハルト、ラインフェルデンの戦いで勝利/ブライザッハの陥落と人間リシュリュー
    • 5 ベルンハルトの野心とその死
    • 6 ファルツ選帝侯カール・ルードヴィヒの失策
  • 第10章 スペインの崩壊 1939-43年
    • 1 スペイン領ネーデルランドの弱体化/スペインで内乱勃発/枢機卿インファンテの死
    • 2 ヘッセン・カッセル地方伯未亡人、フランスと同盟/皇帝フェルディナント三世の弟のレオポルト、皇帝軍司令官となる/皇帝、レーゲンスブルクに国会を召集し、平和の拡大をはかる/ブランデンブルクの新選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム、皇帝より離反/ブランデンブルク、スウェーデンと休戦
    • 3 平和会議の予備交渉もたつく/スウェーデン軍総司令官バナー、北ドイツを確保/バナーの結婚と死/スウェーデン軍指揮官、トルステンソンに交替/第二次ブライテンフェルトの戦い/ウェストファリアの平和会議招集される
    • 4 アンギャン公、フランス軍の総指揮官となる/リシュリューの死/フランス王ルイ13世の死/アンギャン公、ロクロワの戦いでスペイン軍を撃破
  • 第11章 平和に向かって 1643-48年
    • 1 皇帝、ウェストファリア平和会議を認める/バイエルン軍司令官マーシー、フランス軍司令官テュレンヌと渡り合う/宰相マザラン登場/アンヌ・ドートリッシュ、フランスの立場を堅持/オランダ、これ以上のフランスの進出を恐れる/平和会議、ようやく開会
    • 2 会議出席者の顔ぶれ
    • 3 会議の主要議題/オスナーブリュックでプロテスタント、ミュンスターでカトリック、それぞれ会合
    • 4 トルステンソン、ヤンカウの戦いで皇帝・バイエルン軍を撃破/フランス軍、ドナウ河沿いに東進/ハプスブルク、追い詰められる
    • 5 皇帝代理人トラウトマンスドルフの登場/マクシミリアン、フランスへのアルザス譲渡の意向を示唆/ブランデンブルク選帝侯、西ボンメルンのスウェーデン譲渡に同意
    • 6 諸問題の解決進む/「教会領回復令」永久に棚上げされる
    • 7 スウェーデン軍南下し、バイエルンに侵入/フランスのオランダ制圧失敗/オランダ、スペインと和解(ミュンスターの平和)/ツースマルハウゼンの戦いで皇帝・バイエルン軍、最後の打撃を受ける/スウェーデン軍、プラハを包囲/ミュンスターで平和条約調印/戦争の終結
  • 第12章 平和、そして、その後
    • 1 困難な軍隊の引き上げ・解散
    • 2 戦争による経済的疲弊/人口の激減
    • 3 社会諸階級の動向/ドイツへのフランス文化の流入
    • 4 戦後の国際政治地図
    • 5 戦争に対するドイツ政治家の功罪
    • 6 ウェストファリア平和の評価
  • 解題
  • ハプスブルク王室婚姻関係図、プロテスタント王家・諸侯婚姻関係図
  • 三十年戦争主要人名録
  • 三十年戦争略年表
  • 索引

【感想は?】

 そう、文句なしに本格的な歴史書だ。

 さすがに1956年の著作だけあって文体はいささか古風だし、訳文もけっこうクセが強い。例えばやたら句点が多いとか。

 が、ソレに慣れると、意外とスンナリ頭に入ってくる。これは著者の巧みな分析によるものだろう。これを見事に現わすのが、次の文だ。

…三つの要素があった。カトリックとプロテスタント(略)、ハプスブルクとブルボン(略)、土着ドイツ人とスウェーデン侵入者…
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 30年戦争の分かりにくい点の一つが、これでクリアになる。一般には宗教戦争のように言われるが、それにしては奇妙な点が多い。例えばフランスの動きだ。当時のフランスはカトリック国で、プロテスタントであるユグノー(→Wikipedia)の反乱に手を焼いていた。にも関わらず、30年戦争ではプロテスタントに肩入れしている。カトリック vs プロテスタントの宗教戦争と捉えると、フランスの動きは理解しがたい。

 これを著者は三次元の対立軸で捉えなおす。X軸はカトリック vs プロテスタント、Y軸はハプスブルク(オーストリア&スペイン) vs ブルボン、そしてZ軸はドイツ人 vs 外国人だ。まあ、実際には、それに加えて、同陣営内の足の引っ張り合いや、それぞれの損得勘定もあるんだけど。

 そういう目で見ると、フランスの立場も見えてくる。フランス最大のライバルはスペイン=ハプスブルクで、ハプスブルクはカトリック。だからハプスブルクを弱らせるため敵に回ったのだ。

 同様に宗教じゃ割り切れないのがザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク(→Wikipedia)。プロテスタントのルター派なんだが、あまし目立って動かず、終盤近くになって皇帝=カトリック側っぽい動きを見せる。彼の行動原理は「ドイツ人によるドイツ」で、フランスやスウェーデンの介入が嫌なのだ。なにせ、それまでの神聖ローマ帝国ときたら…

帝国は、理論的には、ドイツの民族的国家ではなく、国際的国家であり、そのなかで、運命の変遷から、ドイツ語を話す部分だけが残ったのである。フランス王だけでなく、イギリス、イタリア、スペイン、そして、デンマーク王までが、過去の皇帝選挙において、立候補しようと考えた。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 と、地元とは関係ない者が出しゃばってたのだ。もっとも、この戦争をきっかけにお国意識が育ってくるんだけど。

 などの各陣営や人物像がハッキリと見えてくるのが本書の特徴の一つ。私はヴァレンシュタイン(→Wikipedia)が好きだなあ。土地価格の暴落に便乗して買い漁るとか、機を見るに敏な成り上がり者だけど、軍を育て維持し動かす能力はピカ一。なんたって…

ヴァレンシュタインは、ヨーロッパの支配者のなかで、戦争遂行集中体制の国家を考えた最初の人ではないか、とおもわれる。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 当時じゃ唯一、生産・輸送・保管・流通すなわち兵站をキチンと考えていた人なのだ。戦場でも優れた指揮を見せ、流通前半におけるカトリックの優勢をもたらす立役者。なのに、あの最後は…

 当時の軍の様子が判るのも、軍ヲタとしては美味しいところ。スウェーデン王グスターヴ・アードルフ(→Wikipedia)の方形陣とかね。マスカット銃の三撃ちとか、まるきし信長だ。

 それ以上に面白かったのが、当時の将兵の編成や、軍の内情がわかる点。今も一人の前線兵に対し十人の後方が必要って言われてるけど、それは当時も同じ。

通常、一人の兵士には、一人の女、一人の女を付け加えて計算する(略)小・中尉一人当たりにつき五人の召使、大佐になると18人のそれが付く(略)。
砲兵隊は、整備工を雇い、整備工は、大砲主任のもとで、巨大な輸送馬のチームの世話をし、また妻や下働きを連れており、それらは、基本的には、軍隊とは別の、まとまった一団を形成していた。
  ――第3章 スペイン、警鐘を鳴らし、ドイツは警報を発す 1619-21年

 最近は後方を民間軍事会社すなわち傭兵に任せる傾向が強くなった。当時はそれ以上に傭兵頼りな上に、兵は各国人が入り乱れてた。軍人ってのは、一種の職人みたいな立場なんだろう。そんなんだから、兵の忠誠は国家じゃなくて傭兵隊長にある。

 軍隊それ自体は、ナショナリズムの成長によって影響を受ける最後のものであった。
  ――第8章 リュッツェンからネルトリンゲンへ、そしてその後 1632-35年

 職人の弟子が国より親方を重んじるようなもんかな? 当然、親方=傭兵隊長は金を払ってくれる人につく。だもんで、軍紀を保つのも難しい。

軍隊全体における無秩序の主要な原因は、即時の、規則的な支払いが行われないことにあった。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 雇い主にしても、打ち出の小づちがあるワケじゃなし、いずれ財布はカラになる。特に国が荒れて税収も減ってくると…

双方にとって戦術理論は無用のものになっていた(略)
食料を供給することが、軍事行動の指導的考え方となった。
(略)軍隊という大きな団体は、一地域を所有し、種蒔き時から収穫まで、そこに定着し、土地を耕す農民があまりにも少ないところでは、軍隊自身が種を蒔き、刈り入れをし、なんらか余剰があれば、それを売ったのである。
彼ら集団の頭の仕事は、土地から食い物をかき集めてくること、深刻な戦闘を避ける事であった。
  ――第10章 スペインの崩壊 1939-43年

 「戦闘を避ける」って、もはや軍でもなんでもない。もっとも自分で畑を耕しゃマシな方で、そもそも当時の軍は兵站なんざロクに考えてない。食料などは途中の町や村を襲って奪うのだ。この辺がヴァレンシュタインの偉大な所。

文民に対して兵隊の割合が高くなると、平和の気運が増すとともに、これら兵隊の大集団を解体させるという問題が、次第に恐ろしい問題となってくるのである。
  ――第10章 スペインの崩壊 1939-43年

 加えて兵が足りなくなりゃ人を攫って兵に仕立て上げる。だもんで、スウェーデン軍も最初は国民兵が中心だったのが、次第に地元民や元敵軍の傭兵が多くなり、軍紀も乱れてくる。戦争中は軍に組み入れてるけど、戦争が終われば連中はお払い箱だ。

「わたしは、戦争の中で生まれた」「わたしは、家ももたず、土地もなく、友達もない。戦争は、わたしの富のすべてである。いま、わたしは、どこへ行ったらいいのだろう」
  ――第12章 平和、そして、その後

 と、そんな飢えて武器の扱いを覚えた失業者が国に溢れたら、ヤバいったらありゃしない。戦争を続けても地獄、終わらせても地獄。

紙のうえでは、ドイツでは、皇帝の権威が至高の存在であったが、事実上は、ただの兵隊たちが支配していた。
  ――第9章 ラインのための戦い 1635-39年

 もっとも、軍として動くのも考え物で…

…軍隊は、(略)疫病を持ち運び、(略)猛毒の伝染病を残した。彼はアルザスにチフスをもたらし、(略)逃げ込んだ逃亡者のうち、数百人が2,3カ月のうちに死んだ。(略)
兵士たちは、食料を求めて農村を荒らし、持ち運べない物を焼いたり、破壊した。
  ――第3章 スペイン、警鐘を鳴らし、ドイツは警報を発す 1619-21年

 と、そこに居れば厄介だが、動き回れば災厄を撒き散らす。さすがに諸侯も懲りて終戦に向け話し合いを始めようとしても…

代理人たちが、「戦われているテーマ Subjecta Bellingerantia」について、なお疑問を抱いているということに気が付いたのは、会議が開かれてから、ほぼ一年間経ってからであった。
  ――第11章 平和に向かって 1643-48年

 なにせフランス・スウェーデン・オランダ・スペインとかの外国が、戦争にガッチリ食い込んでるから、感情も利害も絡まりきってる。それでもアルザス(現フランス)やボンメルン(現ポーランド)を犠牲に、なんとか終戦にこぎつけたはいいいが、決算としては…

人口が、1600万人から400万人に落下したという伝説は、想像の産物である。(略)アルザスを含め、ネーデルランド、ボヘミアを除いたドイツ帝国は、1618年には、おおよそ2100万人を数え、1648年には、1350万人を数えた。
  ――第12章 平和、そして、その後

 人口で見ても、元の約2/3に減った。対外戦争ではなく、一種の内戦なのも、悲惨さを増す原因だろう。にも関わらず、他国が何かと干渉したのも悲劇の要因として大きい。当時の軍の様子は「補給戦」である程度の予想がついていたが、これだけの大著で細かく描かれると、改めて酷さを実感する。

 複雑怪奇な欧州情勢のルーツの一つを圧倒的な調査で描き切った歴史の大著だ。気力体力を整えじっくり腰を据えて挑もう。

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2020年7月21日 (火)

デイヴィッド・パトリカラコス「140字の戦争 SNSが戦場を変えた」早川書房 江口泰子訳

かつては国家だけがコントロールできた情報発信という極めて重要な領域を、ソーシャルメディアが個人に開放してしまったのである。
  ――イントロダクション

プロジェクト全体にとって最大の追い風が吹いた(略)。彼ら(イスラエル国防軍報道官部隊)が公開した動画を、ユーチューブが削除してしまったのだ。
  ――第2章 兵士

ソーシャルメディアには、卓越したふたつの能力がある。メッセージを増幅する力と、人びとを動員する力だ。
  ――第4章 フェイスブックの戦士1

「ロシアの納税者は、トロール工場に税金を支払っています」
  ――第6章 荒らし

20世紀の既存機関は21世紀の個人よりも適応速度が遅い。
  ――第9章 解釈者2

アイマン・アル=ザワヒリ「戦いの半分以上はメディアという戦場で行われているのだ」
  ――第10章 勧誘

「政府機関の紋章がついていれば、コンテンツに対する信頼性は失墜してしまいます」
  ――第11章 対テロリスト

「優れたアイデアは階層組織を生き残れません。ソーシャルメディアは稟議決裁の手続きには向いていません」
  ――結論

私たちはいま、事実よりナラティブを重視する世界に生きている。
  ――結論

【どんな本?】

 かつて、2ちゃんねるは「便所の落書き」と揶揄された。頭のオカシイ連中が集い品の悪いデマが飛び交う怪しげな所。それがインターネットに対する世間の印象だった。だが今は皆がこぞってインスタ映えを競い、大統領自らがツイッターを使う時代だ。もはやインターネットは私たちの暮らしに欠かせないメディアになった。

 マルティン・ルターは印刷技術を用いて宗教革命を盛り上げた。アドルフ・ヒトラーはラジオでドイツ国民を煽った。JFKはテレビ討論でニクソンを圧倒した。メディアを巧みに使えば、社会に大きな影響を及ぼせる。

 ただし、インターネットは従来のメディアと大きく違う。ラジオやテレビは放送局が、雑誌や書籍は出版社が仕切る。放送や出版に至るまでには、ディレクターや編集者などがネタを取捨選択する。良くも悪くも、そこにはフィルターがかかっている。

 だが、インターネットは誰でも使える。フィルターを通さず、直接世界にメッセージを送れる。

 当初、これは自由への鍵だと思われた。だが、最近はいささか様子が変わってきた。2ちゃんねるに限らず、ツイッターやフェイスブックにもデマが飛び交っている。そして、強烈な印象を与えるものは、多くの人の目に触れ、時として世界すら動かしてしまう。たとえそれがデマであっても。

 この性質を理解し、巧みに使いこなす者たちもいる。

 パレスチナで、ウクライナで、シリアで。銃弾が飛び交う前線だけでなく、はるか後方、どころか国境すら越え、インターネットを使い、戦争を操る者たち。

 彼らは何者なのか。彼らの目的は何か。何をやっていて、戦場にどんな影響を及ぼしているのか。そして、彼らに対し政府や軍や私たちは、どんな対策を取っているのか。

 インターネット、特にSNSが変えつつある21世紀の戦場を生々しく描く、ホットなルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は War in 40 characters : How Social Media is Reshaping Conflict in the Twenty-First Century, by David Patrikarakos, 2017。日本語版は2019年5月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約334頁に加え、安田純平の解説7頁。9ポイント45字×20行×334頁=約300,600字、400字詰め原稿用紙で約752枚。文庫なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。特にツイッターやフェイスブックを使っている人なら、皮膚感覚で伝わってくるだろう。

【構成は?】

 第1章~第3章はガザ紛争、第4章~第9章はウクライナ内戦、第10章~第11章はシリア内戦を扱う。ただし同じガザ紛争でも、第1章はガザに住む民間人の少女、第2章と第3章はイスラエル国防軍と、章ごとに違う視点で話が進む。忙しい人は興味のある章だけを拾い読みしてもいい。

  • イントロダクション
  • 第1章 市民ジャーナリスト 物語vs.銃の戦争
  • 第2章 兵士 礎を築く者、ホモ・デジタリスの登場
  • 第3章 将校 ミリシア・デジタリスは“戦場”に赴く
  • 第4章 フェイスブックの戦士1 仮想国家の誕生
  • 第5章 フェイスブックの戦士2 戦場のホモ・デジタリス
  • 第6章 荒らし 帝国の逆襲
  • 第7章 ポストモダンの独裁者 虚構の企て
  • 第8章 解釈者1 ベッドルームから戦場へ
  • 第9章 解釈者2 個人vs.超国家
  • 第10章 勧誘 友達以上に近しい敵
  • 第11章 対テロリスト 超大国vs.1000の石つぶて
  • 結論
  • 謝辞/解説:安田純平/原注

【感想は?】

 本書の主なテーマはインターネット、特にSNSが戦争に与える影響だ。

 と言ってしまえば簡単そうだが、そこには様々な側面がある。その「様々な側面」を落ち着いて描き出した点が、この本の特徴だろう。

 第1章の主役はファラ・ベイカー。2014年のガザ紛争を、そこに住む者の視点で世界にツィートした(当時)16歳の少女だ。家の前で爆撃された車など見聞きした事柄だけでなく、停電や照明弾への恐怖などの素直な気持ちを、彼女は日夜つぶやく。特に…

子どもたちの被害を強く訴えることが、ファラ(・ベイカー)のツイートの共通テーマだった。
  ――第1章 市民ジャーナリスト

 もちろん、ただの民間人の少女である彼女は、パレスチナ問題の歴史的経緯なんか知らない。それでも、気持ちを素直に現わす彼女は、特に西欧の人々から注目を浴び、パレスチナへの共感とイスラエルへの憎しみを呼び起こす。

顔のない人びとの中で、ファラ(・ベイカー)はテイラー・スウィフトだったのだ。
  ――第1章 市民ジャーナリスト

 対するイスラエル国防軍の反撃を扱うのが、第2章と第3章だ。第2章では、反撃のための報道官組織を立ち上げるアリザ・ランデスの奮闘を描く。民間人のファラ・ベイカーがリアルタイムで中継するのに対し、軍のアリザ・ランデスは上司の許可を得なきゃいけない。ITエンジニアの多くは、動きの遅い組織にイラつくアリザに共感するだろう。ほんと組織ってのはブツブツ…

 第3章ではランデスの努力が実った現在のイスラエル軍を描くが、相変わらずイスラエルは圧倒的に不利だ。なにせSNSで重要なのは事実でも論理でもない。インパクトなのだ。

「血を流したほうが優位に立つんだ」
  ――第3章 将校

「普通の市民はあまりデータについてじっくり考えたりしません。理屈はあまり重要ではなく、市民は自分の考えを感情で決めるのです」
  ――第3章 将校

 なお、ここでは、病院やモスクに武器を隠すハマスの欺瞞なども暴いていて、パレスチナ贔屓の人には不愉快な話も多い。覚悟しよう。

 第4章と第5章では、ロシアのウクライナ侵略に抗うアンナ・サンダロワを描く。政府も軍も腐敗したウクライナは、前線も物資が足りない。そこでアンナはフエイスブックで寄付を募り、自ら前線に届けるのである。ここではアナログ時計やドイツ製軍服の有難みなど、ニワカ軍ヲタにも嬉しいネタがチラホラ。

 続く第6章は、やっぱりやってましたロシアのトロール(荒らし)工場ルポ。元KGBのプーチンが情報戦略を軽んじるはずもなく。連中の目的は二つ。

(ロシア)国内の有権者が進んで信じ、それゆえ拡散するようなナラティブを提供して、国内世論の基盤を固めることである。(略)第二の目的とは、単に少しでも多くの混乱のタネを撒き散らすことだった。
  ――第6章 荒らし

 最近は5ちゃんねるにも連中が紛れ込んでるから油断できない。しかも素人臭い手口でネトウヨを装ってたり。きっとアメリカの4chanでもやってるんだろうなあ。

 その成果を描く第7章に対し、第8章~第9章は、ロシアの欺瞞を暴くエリオット・ヒギンズの活躍が心地よい。彼が挑んだのは2014年7月17日のマレーシア航空17便撃墜事件(→Wikipedia)。民間人の彼は、インターネットで知り合った仲間の協力を仰ぎ、インターネットを駆使してロシア製地対空ミサイルのブークの移動経路をつきとめる。ここは藤井太洋の小説みたいな驚きと心地よさに満ちている。

 終盤の第10章は自称イスラム国が若者をたぶらかす手口を、第11章はこれに対抗するアメリカの苦闘がテーマだ。ここでは支配地域内の階級関係が印象に残る。外国人が偉くてシリア人は最下層。そりゃ嫌われるよ。やはり、こういう戦いじゃ政府は苦戦するようで…

(米国務省対テロ戦略的コミュニティセンターのアルベルト・)フェルナンデスが早い段階で理解していたのは、「アメリカはイスラム教徒を歓迎し、この国では幸せに暮らせます」といった類の、いわゆる“ソフト路線”のプロパガンダが最も信頼性が低いという事実だ。
  ――第11章 対テロリスト

 やはり刺激が強い方が有利なんだなあ。おまけに政府の公式発表は遅いし。

 と、SNSを貶めるでも持ち上げるでもなく、SNSが持つ様々な側面をまんべんなく紹介しつつ、かつそういった八方美人的な本が往々にして持つ「まだるっこしさ」とは程遠い生々しい迫力に溢れていて、読んでいて興奮しっぱなしの刺激的な本だった。軍ヲタはもちろん、ツイッターやフェイスブックやインスタグラムなどSNSを使うすべての人にお薦め。

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【おわりに】

 「第9章 解釈者2」の主役はエリオット・ヒギンズだ。彼はインターネットと科学を駆使して、2014年7月17日のマレーシア航空17便撃墜事件(→Wikipedia)の真相を突き止め公開した。その彼が、主催するサイト「ベリングキャット」について、寂しそうに語るのが印象的だ。

 バズフィードをまね、タイトルを疑問形にし、画像をつける。いずれも客を増やす工夫だし、実際に大きな効果があった。この章から伝わってくるヒギンズの性格は、科学者に近い。感情より理性を信じ、煽情的な演出より事実を元にした理論を重んじるタイプだ。

 その彼が、感情に訴える疑問形や画像の効果を認めざるを得なかった。この意味はヒギンズに残酷だ。人の多くは理性より感情で動く。この事実を受け入れるのが、理知的なヒギンズには辛かったんだろう。

 ブロガーの一人として、私もちと寂しい気分になった。ご覧のとおり、このブログも文字ばっかしで実に愛想がない。絵が下手とか描くのが面倒臭いとかデータ容量が増えて表示が遅くなるとかの理由もある。が、もう一つ、私なりの理由もある。

 文字ばっかで愛想のないブログだけど、そういうのを好む人にこそ来てほしい。つか、そもそも書評が中心なんだし、なら読者も本が好きで長文を読み慣れた人が多いに違いない。しかも、紹介する本の傾向から、方向性も絞れる。自分の思い込みに沿う言説を喜ぶのではなく、むしろ思い込みを覆されるのを心地よいと感じる、そういう人に来てほしい。

 いや今さら流行りに乗ろうと足掻いても無駄だし、零細ブログの負け惜しみなのも認める。ただ、これは言っておきたい。

 読者がコンテンツを選ぶように、書く側も読者を選んでるんです。

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