カテゴリー「書評:軍事/外交」の210件の記事

2020年7月21日 (火)

デイヴィッド・パトリカラコス「140字の戦争 SNSが戦場を変えた」早川書房 江口泰子訳

かつては国家だけがコントロールできた情報発信という極めて重要な領域を、ソーシャルメディアが個人に開放してしまったのである。
  ――イントロダクション

プロジェクト全体にとって最大の追い風が吹いた(略)。彼ら(イスラエル国防軍報道官部隊)が公開した動画を、ユーチューブが削除してしまったのだ。
  ――第2章 兵士

ソーシャルメディアには、卓越したふたつの能力がある。メッセージを増幅する力と、人びとを動員する力だ。
  ――第4章 フェイスブックの戦士1

「ロシアの納税者は、トロール工場に税金を支払っています」
  ――第6章 荒らし

20世紀の既存機関は21世紀の個人よりも適応速度が遅い。
  ――第9章 解釈者2

アイマン・アル=ザワヒリ「戦いの半分以上はメディアという戦場で行われているのだ」
  ――第10章 勧誘

「政府機関の紋章がついていれば、コンテンツに対する信頼性は失墜してしまいます」
  ――第11章 対テロリスト

「優れたアイデアは階層組織を生き残れません。ソーシャルメディアは稟議決裁の手続きには向いていません」
  ――結論

私たちはいま、事実よりナラティブを重視する世界に生きている。
  ――結論

【どんな本?】

 かつて、2ちゃんねるは「便所の落書き」と揶揄された。頭のオカシイ連中が集い品の悪いデマが飛び交う怪しげな所。それがインターネットに対する世間の印象だった。だが今は皆がこぞってインスタ映えを競い、大統領自らがツイッターを使う時代だ。もはやインターネットは私たちの暮らしに欠かせないメディアになった。

 マルティン・ルターは印刷技術を用いて宗教革命を盛り上げた。アドルフ・ヒトラーはラジオでドイツ国民を煽った。JFKはテレビ討論でニクソンを圧倒した。メディアを巧みに使えば、社会に大きな影響を及ぼせる。

 ただし、インターネットは従来のメディアと大きく違う。ラジオやテレビは放送局が、雑誌や書籍は出版社が仕切る。放送や出版に至るまでには、ディレクターや編集者などがネタを取捨選択する。良くも悪くも、そこにはフィルターがかかっている。

 だが、インターネットは誰でも使える。フィルターを通さず、直接世界にメッセージを送れる。

 当初、これは自由への鍵だと思われた。だが、最近はいささか様子が変わってきた。2ちゃんねるに限らず、ツイッターやフェイスブックにもデマが飛び交っている。そして、強烈な印象を与えるものは、多くの人の目に触れ、時として世界すら動かしてしまう。たとえそれがデマであっても。

 この性質を理解し、巧みに使いこなす者たちもいる。

 パレスチナで、ウクライナで、シリアで。銃弾が飛び交う前線だけでなく、はるか後方、どころか国境すら越え、インターネットを使い、戦争を操る者たち。

 彼らは何者なのか。彼らの目的は何か。何をやっていて、戦場にどんな影響を及ぼしているのか。そして、彼らに対し政府や軍や私たちは、どんな対策を取っているのか。

 インターネット、特にSNSが変えつつある21世紀の戦場を生々しく描く、ホットなルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は War in 40 characters : How Social Media is Reshaping Conflict in the Twenty-First Century, by David Patrikarakos, 2017。日本語版は2019年5月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約334頁に加え、安田純平の解説7頁。9ポイント45字×20行×334頁=約300,600字、400字詰め原稿用紙で約752枚。文庫なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。特にツイッターやフェイスブックを使っている人なら、皮膚感覚で伝わってくるだろう。

【構成は?】

 第1章~第3章はガザ紛争、第4章~第9章はウクライナ内戦、第10章~第11章はシリア内戦を扱う。ただし同じガザ紛争でも、第1章はガザに住む民間人の少女、第2章と第3章はイスラエル国防軍と、章ごとに違う視点で話が進む。忙しい人は興味のある章だけを拾い読みしてもいい。

  • イントロダクション
  • 第1章 市民ジャーナリスト 物語vs.銃の戦争
  • 第2章 兵士 礎を築く者、ホモ・デジタリスの登場
  • 第3章 将校 ミリシア・デジタリスは“戦場”に赴く
  • 第4章 フェイスブックの戦士1 仮想国家の誕生
  • 第5章 フェイスブックの戦士2 戦場のホモ・デジタリス
  • 第6章 荒らし 帝国の逆襲
  • 第7章 ポストモダンの独裁者 虚構の企て
  • 第8章 解釈者1 ベッドルームから戦場へ
  • 第9章 解釈者2 個人vs.超国家
  • 第10章 勧誘 友達以上に近しい敵
  • 第11章 対テロリスト 超大国vs.1000の石つぶて
  • 結論
  • 謝辞/解説:安田純平/原注

【感想は?】

 本書の主なテーマはインターネット、特にSNSが戦争に与える影響だ。

 と言ってしまえば簡単そうだが、そこには様々な側面がある。その「様々な側面」を落ち着いて描き出した点が、この本の特徴だろう。

 第1章の主役はファラ・ベイカー。2014年のガザ紛争を、そこに住む者の視点で世界にツィートした(当時)16歳の少女だ。家の前で爆撃された車など見聞きした事柄だけでなく、停電や照明弾への恐怖などの素直な気持ちを、彼女は日夜つぶやく。特に…

子どもたちの被害を強く訴えることが、ファラ(・ベイカー)のツイートの共通テーマだった。
  ――第1章 市民ジャーナリスト

 もちろん、ただの民間人の少女である彼女は、パレスチナ問題の歴史的経緯なんか知らない。それでも、気持ちを素直に現わす彼女は、特に西欧の人々から注目を浴び、パレスチナへの共感とイスラエルへの憎しみを呼び起こす。

顔のない人びとの中で、ファラ(・ベイカー)はテイラー・スウィフトだったのだ。
  ――第1章 市民ジャーナリスト

 対するイスラエル国防軍の反撃を扱うのが、第2章と第3章だ。第2章では、反撃のための報道官組織を立ち上げるアリザ・ランデスの奮闘を描く。民間人のファラ・ベイカーがリアルタイムで中継するのに対し、軍のアリザ・ランデスは上司の許可を得なきゃいけない。ITエンジニアの多くは、動きの遅い組織にイラつくアリザに共感するだろう。ほんと組織ってのはブツブツ…

 第3章ではランデスの努力が実った現在のイスラエル軍を描くが、相変わらずイスラエルは圧倒的に不利だ。なにせSNSで重要なのは事実でも論理でもない。インパクトなのだ。

「血を流したほうが優位に立つんだ」
  ――第3章 将校

「普通の市民はあまりデータについてじっくり考えたりしません。理屈はあまり重要ではなく、市民は自分の考えを感情で決めるのです」
  ――第3章 将校

 なお、ここでは、病院やモスクに武器を隠すハマスの欺瞞なども暴いていて、パレスチナ贔屓の人には不愉快な話も多い。覚悟しよう。

 第4章と第5章では、ロシアのウクライナ侵略に抗うアンナ・サンダロワを描く。政府も軍も腐敗したウクライナは、前線も物資が足りない。そこでアンナはフエイスブックで寄付を募り、自ら前線に届けるのである。ここではアナログ時計やドイツ製軍服の有難みなど、ニワカ軍ヲタにも嬉しいネタがチラホラ。

 続く第6章は、やっぱりやってましたロシアのトロール(荒らし)工場ルポ。元KGBのプーチンが情報戦略を軽んじるはずもなく。連中の目的は二つ。

(ロシア)国内の有権者が進んで信じ、それゆえ拡散するようなナラティブを提供して、国内世論の基盤を固めることである。(略)第二の目的とは、単に少しでも多くの混乱のタネを撒き散らすことだった。
  ――第6章 荒らし

 最近は5ちゃんねるにも連中が紛れ込んでるから油断できない。しかも素人臭い手口でネトウヨを装ってたり。きっとアメリカの4chanでもやってるんだろうなあ。

 その成果を描く第7章に対し、第8章~第9章は、ロシアの欺瞞を暴くエリオット・ヒギンズの活躍が心地よい。彼が挑んだのは2014年7月17日のマレーシア航空17便撃墜事件(→Wikipedia)。民間人の彼は、インターネットで知り合った仲間の協力を仰ぎ、インターネットを駆使してロシア製地対空ミサイルのブークの移動経路をつきとめる。ここは藤井太洋の小説みたいな驚きと心地よさに満ちている。

 終盤の第10章は自称イスラム国が若者をたぶらかす手口を、第11章はこれに対抗するアメリカの苦闘がテーマだ。ここでは支配地域内の階級関係が印象に残る。外国人が偉くてシリア人は最下層。そりゃ嫌われるよ。やはり、こういう戦いじゃ政府は苦戦するようで…

(米国務省対テロ戦略的コミュニティセンターのアルベルト・)フェルナンデスが早い段階で理解していたのは、「アメリカはイスラム教徒を歓迎し、この国では幸せに暮らせます」といった類の、いわゆる“ソフト路線”のプロパガンダが最も信頼性が低いという事実だ。
  ――第11章 対テロリスト

 やはり刺激が強い方が有利なんだなあ。おまけに政府の公式発表は遅いし。

 と、SNSを貶めるでも持ち上げるでもなく、SNSが持つ様々な側面をまんべんなく紹介しつつ、かつそういった八方美人的な本が往々にして持つ「まだるっこしさ」とは程遠い生々しい迫力に溢れていて、読んでいて興奮しっぱなしの刺激的な本だった。軍ヲタはもちろん、ツイッターやフェイスブックやインスタグラムなどSNSを使うすべての人にお薦め。

【関連記事】

【おわりに】

 「第9章 解釈者2」の主役はエリオット・ヒギンズだ。彼はインターネットと科学を駆使して、2014年7月17日のマレーシア航空17便撃墜事件(→Wikipedia)の真相を突き止め公開した。その彼が、主催するサイト「ベリングキャット」について、寂しそうに語るのが印象的だ。

 バズフィードをまね、タイトルを疑問形にし、画像をつける。いずれも客を増やす工夫だし、実際に大きな効果があった。この章から伝わってくるヒギンズの性格は、科学者に近い。感情より理性を信じ、煽情的な演出より事実を元にした理論を重んじるタイプだ。

 その彼が、感情に訴える疑問形や画像の効果を認めざるを得なかった。この意味はヒギンズに残酷だ。人の多くは理性より感情で動く。この事実を受け入れるのが、理知的なヒギンズには辛かったんだろう。

 ブロガーの一人として、私もちと寂しい気分になった。ご覧のとおり、このブログも文字ばっかしで実に愛想がない。絵が下手とか描くのが面倒臭いとかデータ容量が増えて表示が遅くなるとかの理由もある。が、もう一つ、私なりの理由もある。

 文字ばっかで愛想のないブログだけど、そういうのを好む人にこそ来てほしい。つか、そもそも書評が中心なんだし、なら読者も本が好きで長文を読み慣れた人が多いに違いない。しかも、紹介する本の傾向から、方向性も絞れる。自分の思い込みに沿う言説を喜ぶのではなく、むしろ思い込みを覆されるのを心地よいと感じる、そういう人に来てほしい。

 いや今さら流行りに乗ろうと足掻いても無駄だし、零細ブログの負け惜しみなのも認める。ただ、これは言っておきたい。

 読者がコンテンツを選ぶように、書く側も読者を選んでるんです。

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2020年5月11日 (月)

コーネリアス・ライアン「史上最大の作戦」ハヤカワ文庫NF 広瀬順弘訳

これから読まれるのは、戦史ではない。連合軍の兵士たち、かれらと戦ったその敵たち、Dデーの凄惨な混乱にまきこまれた市民たち――こうした人間の物語である。
  ――まえがき

エルヴィン・ロンメル「上陸作戦の最初の24時間がすべてを決するだろう」
  ――第1部 待機

「この戦いは、征服王ウィリアム(→Wikipedia)が自分の目と耳だけをたよりに戦わねばならなかったのと同じだ」
  ――第3部 その日

サント・メール・デグリーズの町中では、パラシュート兵たちは床屋が看板を、ドイツ語の“フリゼール”から英語の“バーバー”に替えるのを見た。
  ――第3部 その日

「アイゼンハワー最高司令官の指揮下、強力な空軍によって擁護された連合国海軍は今朝、北部フランス海岸に連合国陸軍の揚陸を開始した」
  ――第3部 その日

【どんな本?】

 1944年6月6日。ヨーロッパを席巻していたナチス・ドイツに対し、連合軍は全力で反攻に出る。目指すはフランス西岸、コタンタン半島の根本。連合軍の陸海空戦力を結集した史上最大の強襲揚陸、ノルマンディ上陸作戦である。

 智将ロンメルが心血を注いで要塞化した海岸線に対し、連合軍はいかに挑んだのか。その日、枢軸・連合軍双方の将兵は何を見て何を体験したのか。ノルマンディに住む人々にとって、Dデーはどんな日だったのか。

 アイルランド出身のジャーナリストが、正規の政府記録はもちろん、両軍の兵からレジスタンスや民間を含む人千人を超える人びとに取材して「あの日」を再現した、軍事ドキュメンタリーの金字塔。

 1962年にはハリウッドが巨額を投じたオールスター・キャストで映画化し、映画も大ヒットした。またオマハ・ビーチの場面はスピルバーグの Saving Private Ryan でも鮮やかに描いている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Longest Day, by Cornelius Ryan, 1959。日本語版は1962年に筑摩書房より近藤等訳で刊行、後に1995年1月31日にハヤカワ文庫NFから広瀬順弘訳で刊行。文庫版で縦一段組み本文約364頁に加え、訳者あとがき5頁。8ポイント42字×18行×364頁=約275,184字、400字詰め原稿用紙で約688枚。文庫本としてはやや厚め。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。浜辺の場面などは Youtube でキーワード Longest Day や Saving Private Ryan などで検索すれば、ド迫力の映像がゴロゴロ出てくる。ただ、単位がヤード・ポンド法なのがちとつらいかも。

【構成は?】

 だいたい時系列順に話が進むので、できれば頭から読もう。

  • まえがき
  • 第1部 待機
  • 第2部 その前夜
  • 第3部 その日
  • Dデーの戦死傷者に関する注記
  • 謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 様々な立場で事件を体験した人々の声を集め、モザイク状に全容を浮き上がらせてゆく、そんな手法を切り拓いた記念碑的作品。

 この後、ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズやジョン・トーランドなどのジャーナリストに加え、ノーマン・デイヴィスウやアントニー・ビーヴァーなどの歴史学者も、ライアンの手法を取り入れ、生々しい迫力を備えた傑作を生み出してゆく。

 「まえがき」にあるように、軍事的な視点で作戦を描いた本ではない。地図も冒頭の一枚だけだし、戦力配置も書き入れていない。舞台背景の説明として最低限の記述があるだけだ。それより著者が重点を置いているのは、その場にいた人が何を見て何を感じたかだ。

 視点は多岐にわたる。民間人では学校の教師,保育園の保母,雑貨屋の夫婦,農場の親子,レジスタンスの闘士など。

 ドイツ軍はエルヴィン・ロンメルとゲルト・フォン・ルントシュテットなどの将官に始まり、ラジオに耳を澄ます情報将校,魚雷艇Eボート指揮官,戦闘機乗り、そして壕に潜む将兵など。

 連合軍は総司令官アイゼンハワーはもちろん、潜水艇艇長とその妻,従軍牧師,軍医,工兵隊,空挺部隊など。最も多く登場するのが陸軍の下士官と兵なのは予想通り。

 これらの多様な人びとの体験・エピソードを時系列順に並べ、一つの大きな現象としてのノルマンディー上陸作戦を浮かびあがらせてゆく。

 軍事の面では陣を整えたロンメルの狡猾さが印象深い。沖には機雷を浮かべ艦艇の邪魔をする。波打ち際には杭を並べ上陸用舟艇が乗り上げられないようにする。それをくぐり抜けても、浜は対人地雷だらけ。そこで立ち止まった敵は、コンクリートで固めた陣から機関銃で狙い撃ち。

 万全の準備と言っていい…はずが、当時のドイツ軍の対応はチグハグだった。これは「連合軍の陽動だろう」とのドイツ軍の思い込みもあるが、レジスタンスと空挺部隊の活躍が大きい。彼らがドイツ軍の電話線を切るなどして、ドイツ軍の連絡網をズタズタにしたのだ。そのため、ドイツ軍はなかなか作戦の全貌を掴めなかった。

 と書くと空挺部隊は大活躍したようだが、大変な苦労をしたのが本書で分かる。これもロンメルの狡猾な罠で、空挺部隊が降下しそうな地点を、予め幾つかの連絡通路を除いて水びだしにしておいたのだ。何せ目標は敵地、しかも作戦決行は真夜中だ。何せGPSもない時代、パイロットも目標地点なんかよくわからない。多くの空挺隊員が戦う前に沼にハマって溺れ死ぬ場面は、実に切ない。

 そんな空挺隊員を運ぶのは輸送機DC-3に曳航された木製のグライダーだ。空中じゃ時速160kmは鈍足だが、地上じゃ猛スピードである。そんな勢いでも整備された平らな草地に降りればともかく、木や建物などの障害物に突っ込めばどうなるか、想像に難くない。

 切ないのは浜から上陸する陸軍兵も同じで、待機の時から彼らの苦しみは始まる。慣れぬ海上で狭いボートに閉じ込められ、波に揺られ続ける。となりゃ酔う者も多く、ディーゼル油とゲロと便所の匂いのミックス攻撃にさらされる。そりゃストレス溜まるよなあ。

 なんとか海峡を越えて目的地が見えても、お迎えは機雷・逆茂木・地雷原に加え機銃掃射。海に落ちりゃ背に背負った50kgの荷物が海底に引きずり込む。よくも生存者がいたもんだと思う。

 まあ迎えるドイツ側も一枚岩とはいかず、東部戦線から引っ張ってきたソ連兵やポーランド兵が混じってて、当然ながら彼らは全くやる気なし。ちなみに連合軍にもポーランド軍が参加してるんで、下手したら同士討ちの可能性もあった。

 乱戦のドサクサに紛れて容疑者を「始末」するゲシュタポ、真夜中に空から庭に若者が降ってきて目を白黒させた老婦人、浸水で沈む上陸用舟艇、暴走して味方を轢き殺す戦車など、印象的な場面は数限りない。あらゆる角度から戦場を写し取り、混乱をそのまま混乱として読者に差し出す、ドキュメンタリーの力作にしてジャーナリズムの底力を見せつける作品だ。

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2020年5月 6日 (水)

ジョン・デイビス&アレクサンダー・J・ケント「レッド・アトラス 恐るべきソ連の世界地図」日経ナショナルジオグラフィック 藤井留美訳

この本を読んでいるあなたが地球上のどこにいようと、そこはソ連が少なくとも一度は詳細な地図にしている。
  ――第1章 戦争と平和

デーモン・テイラー「ニュージーランド陸軍中佐だった私は、2003年に情報将校としてアフガニスタンのバーミヤンに入った。最初のうちは、ソ連の地図以外に頼りになるものがなかった」
  ――第4章 復活

元赤軍将校アイバルス・ベルダブス「演習に必要な地図は署名して保管庫から借り受け、返すときも署名した。使用中に汚れたり破れたりしたら、その残骸を返さなくてはならなかった」
  ――

【どんな本?】

 冷戦時代、西側と東側は「鉄のカーテン」に隔てられながらも、互いに互いをこっそりじっくり観察していた。1991年のソ連崩壊により、ソ連が収集していた情報の一部が流出する。その一つに、ソ連が作った地図がある。

 軍事作戦にとって、地図は重要な意味を持つ。特にソ連は、最大の規模で世界中の地図を作ろうとしていた。主な目的は軍事であり、その内容は独特の偏りがある。例えば橋は、素材・桁下高・長さ・幅そして荷重まで記入されていた。

 ソ連は何を重視していたのか。どこから、どのように情報を得たのか。どんな規格に従っていたのか。そして著者たちは、いかにしてソ連製の地図を手に入れたのか。

 冷戦時代にソ連が世界中で繰り広げた巨大プロジェクトの片鱗を、豊富に実例を示しながら紹介する、ちょっと変わった軍事と地理の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE RED ATLAS, by John Davies and Alexander J. Kent, 2017。日本語版は2019年3月25日第1版第1刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで約303頁に加え参考文献と索引。10ポイント46字×18行×303頁=約250,884字、400字詰め原稿用紙で約628枚。文庫本なら少し厚めの一冊分…では、ない。紙面の半分以上を地図が占めているので、実際の文字数は半分以下だろう。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい、と言いたいところだが、何せこの本で大事なのは文章より地図だ。地図からどれだけ多くのモノを読み取れるか、それがこの本を楽しむカギとなる。おまけに地図中の文字はロシア語なので、ちょっと素人には厳しいかも。また、地図中の文字はかなり小さいため、年寄りにはキツい。

【構成は?】

 一応、頭から順に読む構成になっているが、気になった所を拾い読みしても充分に楽しめる。

  • 序文 ジェームズ・ライゼン
  • 本書の読み方
  • はじめに 本書が推理小説である理由
  • 第1章 戦争と平和 物語の背景 ナポレオンのロシア遠征からソビエト連邦の崩壊まで
  • 第2章 世界を紙に描き出す ソ連がつくった世界地図の様式・内容・記号
  • 第3章 策略と計画 表に裏にうかがえる地図作成者の工夫
  • 第4章 復活 ソ連崩壊後の地図発見とその重要性
  • 謝辞
  • 付記1 主要都市地図
  • 付記2 市街図の「基本情報」には何が書いてあったか
  • 付記3 地形図の「基本情報」には何が書いてあったか
  • 付記4 記号と注釈
  • 付記5 用語と略語
  • 付記6 印刷コード
  • 付記7 秘密保守と管理
  • 日本版特別付記 東京 上野・文京/千住/日本橋/池袋/新宿/朝霞/中野/吉祥寺/渋谷/二子玉川・溝の口/葛飾/練馬/武蔵小杉/羽田/月島・豊洲/現在の葛西臨海公園・東京ディズニーリゾート/
  • 参考文献/索引

【感想は?】

 まずはソ連の執念に戦慄する。が、それだけじゃ終わらない。これは東西双方の知恵と執念と労力が結実した本なのだ。

 表紙も私たちを驚かせるのに充分なインパクトを持っている。地図だ。文字こそキリル文字だが、首都圏に住む者なら、あれ?と思うだろう。下半分は海だが、どっかで見たような形だ。それもそのはず、月島・豊洲・晴海の地図なのだ。

 しかも、海には等深線と数字が書き入れてある。おいおい、ヤベェじゃん。これ上陸作戦に使えるじゃん。

 その後、本を開いた最初の地図もヤバさ倍増だ。右中央で鉄道路線が十字に交差してる。これ、秋葉原じゃね? すると左下を占める緑地は… げげ、月島から上陸したら、ここまで目と鼻の先じゃないか。えらいこっちゃ。

 そういう事を、彼らはやっていたのだ。国家プロジェクトとして、組織的に。なんて奴らだ。

 本書には多数の地図が載っている。多くを占めるのは、イギリスとアメリカ合衆国、そして東欧諸国だ。日本の地図にはないが、合衆国や東欧の地図には、橋の幅と長さに加え、荷重まで書いてある。戦車など軍用の重い車が通れるか否かを知るためだろう。また、河川は流速や幅や深さ、そして橋の桁下高も入っている。艀などで荷を運ぶ際に欠かせない情報だ。どうやって調べたんだか。

 そう、「どうやって調べたか」をめぐる謎解きも、本書の楽しみの一つだ。私はこの本で「地図愛好家」なる人々がいる事を知った。彼らは世界中を巡って様々な地図を集めるのだ。ただ集めるだけじゃない。その目的や製作の背景も調べるのである。それも、とんでもない情熱を持って。

 地図愛好家たちが、ソ連製の地図を手に入れ、その製作過程を推理するくだりが、本書のもう一つの醍醐味なのだ。

 日本では、幾つかの組織が独自の地図を出している。最も有名なのは、ゼンリンだろう。自転車で旅行する際は、坂の状況が判る国土地理院の地形図が便利だ。イギリスやアメリカも、日本と同様に複数の組織が地図を作っている。また、地形はともかく、日が立てば新しい建物が立ったり橋ができたりする。そのため、地図は一定期間ごとに更新する必要がある。

 最初に紹介した東京の地図は、1966年版だ。ソ連も、同じ場所の地図を何回か改訂した。この改訂の様子や、廃線など現実の変化から、地図愛好家たちはソ連製地図の製作過程を探ってゆくのである。この執拗かつ綿密極まる捜査のプロセスが、いかにもイギリス人らしい凝り性が出ていて、呆れるやら感嘆するやら。人間、道楽でも入れ込むととんでもない真似をやらかすんだなあ、と深く感じ入る次第。

 極秘プロジェクトだったはずの地図が流失したいきさつも、ソ連の体質をひしひしと感じさせる。つまりは東欧崩壊とソ連崩壊のドサクサに紛れ、抜け目のない連中が火事場泥棒をやらかしたのだ。酷い話だが、「東欧革命1989」や「死神の報復」あたりを読むと、さもありなんと思ってしまう。権力者なんて、結局はそんなものなのかもしれない。

 その東欧なんだが、ソ連が東欧諸国をどう思っていたのかも、色々と地図から見えてくる。というのも、西側の地図に比べ、東欧の地図はやたらと詳しいのだ。これは河や橋の記述を見れば素人でも明らかで、たいいていの橋は荷重までバッチリ書かれている。「プラハの春」(→Wikipedia)を思い浮かべると、連中の腹の内は…

 一見、平和そうに見える地図だが、そこに書かれたモノは、視点によってはひどく物騒な色を帯びる。情報というシロモノの恐ろしさをヒタヒタと感じさせる、歴史書であり軍事書でありホラーでもある、そんな本だ。

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【ひとこと】

 最近の更新が滞っているけど、新型肺炎は関係ありません。「小説家になろう」にハマっているせいです。だって面白いんだもん。

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2020年3月15日 (日)

ジェイムズ・リーソー「ディエップ奇襲作戦 グリーン・ビーチ」ハヤカワ文庫NF 清水政二訳

「南・サスカ・連。RDF専門家はいかなる状勢といえども敵の手中に渡してはならないので、万全の保護を準備すること」
  ――p36

「ああ、それからここに特別の薬がある。きみには是非とも必要なものだ」(略)
「あまりおいしいものじゃない。数秒で死ぬことになる」
  ――p87

「彼女、カナダが気に入るでしょうか、どう思います?」(略)
「なにしろものすごく広いんです。隣りの家が50マイル(約80km)離れているなんてざらなんです。冬になれば屋根までとどく雪」
  ――p153

「おい、ジャック、大丈夫か?」
「大丈夫、ただ紙がない」
  ――p207

わしが発砲を抑えている、それを利用して逃げ出せ
  ――p285

「わたしが殺さなきゃならなかった男がいる!」
  ――p385

【どんな本?】

 1942年。ドイツは欧州を席巻していた。かろうじてモスクワは持ちこたえているが、ターリンの悲鳴は連日のように英米に届く。早く第二戦線を開け、と。

 これに応えるため、英米は幾つかの奇襲上陸作戦を行う。フランスが安泰でないヒトラーが考えれば、戦力を東部戦線から引き抜き、フランスに移すだろう。

 ディエップ奇襲作戦(→Wikipedia)は、その一つだ。目標はイギリス海峡に面したフランスの街ディエップ。約五千名のカナダ軍と千名のイギリス軍そして若干名のアメリカのレンジャー部隊が、奇襲・上陸し幾つかの目的を果たし、撤退する予定だった。

 当時はレーダーの黎明期でもある。枢軸・連合とも技術開発に励み、また味方の秘密を守り敵の能力を探ろうと、激しい諜報戦を繰り広げた。ディエップ奇襲でも、レーダーが目標の一つに挙がる。ドイツ軍のレーダー網フレイヤの基地を襲い、その性能を確かめよ。

 この目的を果たすため、一人のレーダー技術者が作戦に加わった。ジャック・モーリス・ニッセン、イギリス空軍軍曹。現在はレーダー基地に勤め、運営・保守そして改良に携わっている。ポーランド系移民の息子でロンドン育ち。ユダヤ人の彼がドイツ軍に捕まれば命はない。ばかりか、彼が持つレーダー技術がドイツ軍に渡れば、戦況すら大きく傾くだろう。

 それゆえに、彼の護衛には異様な命令が下された。「彼が敵の手に渡りそうな時は、彼を殺せ」。

 護衛に選ばれたのは、カナダ第二師団南サスカチェワン連隊。ドイツ軍と戦うため、大草原の国から大西洋を渡ってきた。レーダー技術の貴重さゆえ、ジャックの正体は味方にすら秘密とされた。機密保持のため互いの名前すら知らぬまま、死地へと赴いてゆく。彼らに割り当てられた上陸地点は、コードネームで呼ばれた。グリーン・ビーチ。

 約六千名の参加者のうち帰還者は約二千五百名と大きな犠牲を払い、後に大失敗と評されるディエップ奇襲作戦。その中でも極めて危険かつ重要な任務に赴いた、レーダー技師と将兵の戦いを生々しく描く、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GREEN BEACH, by James Leasor, 1975。日本語版は1981年5月31日発行。文庫本で縦一段組み本文約381頁に加え、「著者から読者へ」4頁+訳者あとがき4頁。8ポイント43字×20行×381頁=約327,660字、400字詰め原稿用紙で約820枚。文庫本としては厚い部類。

 軍事物には珍しいぐらい文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、単位がヤード・ポンド法な事ぐらい。1マイルは約1.6km、1ヤードは約90cm。

 ただ、今となっては入手が難しい。新刊は無理で、古本も滅多に見つからない。図書館も置いていない場合がある。近隣の区や市、または都道府県立の図書館から取り寄せよう。

【感想は?】

 自慢する。これは正真正銘、掘り出し物のお宝だ。古本の山からこれを掘り出した昔の自分を褒めたい。

 ディエップ奇襲は、あまり知られていない。その中でも、ジャック・ニッセンと護衛となると、かなりマニアックなネタだろう。そんな無名のネタを扱った作品だが、読むとやたら面白い。

 著者はイギリスの小説家だ。だから、多少は話を盛っているだろう。が、それを差し引いても、随所に出てくる小ネタはニワカな軍ヲタを唸らせるに充分だし、戦いに参加した方々はイギリス・カナダ・ドイツと多方面に取材しているのに加え、現地ディエップに住み戦いに巻き込まれた民間人にも取材しており、充分なリアリティと立体的な視点を保っている。

 面白さの一つは、一種のスパイ物である点だ。なにせジャックはレーダーの専門家である。休日すら返上して保守と改良に勤しみ、多くの功績を挙げている。そんな彼の頭脳が敵に渡ったらヤバい。ってんで、彼の正体は護衛にも明かせない。しかも、「イザとなったら殺せ」なんて命令が出ている。情が移ったら困るってんで、お互いの名前すら知らぬまま。

 正体不明の者の護衛とか、まるきし探偵物の小説みたいだ。その護衛役が、これまた濃い面子で。

 オタワやトロントなど大都市に住む現代のカナダ人がこれを読んだら、どう思うだろうってな描写が次々と出てくる。なにせ国土は広い上に3/4世紀も前だ。縁日でのボクサーの稼ぎ方や<氷の橋>、一番近いお隣まで80kmとか、とんでもねえ国である。ナイフ投げのスモーキーの登場場面は、「荒野の七人かいっ!」と突っ込みたくなったり。

 また、軍隊と機密の相性の悪さが身に染みる場面も多い。特に、作戦行動中で、ジャックは機密に足を取られ何かと苦労するのだ。

 そもそも作戦行動中は、まずもって何でも予定通りにいかない。必ず幾つもの齟齬が出る。それでもキチンと身分証明になる物を身に着けてりゃどうにかなるが、ジャックは正体不明でないとマズい。海岸を目前にしてジャックが上陸用の舟艇に乗り込む所でも、海軍からワケのわからん横やりが入ったり。

 軍は規律が大事とは言うが、戦場はどうしても混乱する。しかも、作戦行動中は時間もなきゃ銃声も轟き話もロクにできない。おまけに作戦が予定通りに進むことはまずない。だもんで、与えられた命令に従うだけじゃだめで、実は自分の頭を使って考えにゃならんのだなあ、と思い知ったり。なんたって、いきなり…

彼らは間違った場所に上陸したのであった。
  ――p195

 ときたもんだ。なにせGPSもない時代だしなあ。

 スムーズにいかないのはドイツ軍も同じで、侵攻してくる艦艇を見つけた後のドイツ軍の混乱ぷりも、「戦場の霧」を思い知らされる。ドイツ海軍の沿岸哨戒艇が最初に見つけたんだが、ソレが敵か味方かわからない。ってんで、アチコチに問い合わせようとするのだが…。当時の無線は真空管で、これがかなり繊細なシロモノなんだよなあ。後の陸上戦闘の場面でも、通信兵が真っ先に狙われたり。

 この通信の重要性は、目立たないがキッチリと描かれてて、ジャックもソコに目をつけて賢い指示を出してる。

「電線を見つけたら片端から切断しろ。ドイツ軍の監視兵がわが軍の所在を認めると、迫撃砲隊や砲兵隊に電話報告をしているに違いないのだ」
  ――p254

 もっとも、ドイツ軍もこれで学んだのか、ノルマンディーの際には電線を地下に埋め、かつ砲の衝撃で切れないよう、適度にたるませてたり。お互い経験から学んでいるのだ。

 「自転車の歴史」でも、戦車部隊に追随する自転車部隊の話が出てたが、この本でも自転車が出てくる。とまれ、いささか残念なオチになるんだが。砲撃で荒れた地面に自転車は向かないのだ。

 とかのエピソードの中でも、最も心に残るのが、三人のオッサンの話。ジャックたちは、ドイツ兵に囲まれ進退窮まってしまう。そこに通りがかったのは、地元のオッサンたち。いずれも第一次大戦でドイツ軍を相手に戦った老兵である。小銃はもちろんナイフすら持たない丸腰のオッサンどもは、ジャックらの窮地を見ると…。この場面は、まるきしジャック・ヒギンズの小説みたいだ。

 当時のフランス民間人の気持ちは、カナダ人捕虜が連行される場面でも、様々な形で描かれている。またドイツ軍の戦車部隊が海岸へと向かう所では、疲弊した機械化部隊にはどんな不都合が現れるかを、まざまざと見せつけられる。花屋に集まる意外な情報や、オスロからの奇妙な連絡など、諜報物としても楽しい。

 残念ながら今となっては手に入れるのは難しいが、隠れた名作の名にふさわしい傑作だ。軍ヲタに加え、ジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンなどの冒険小説が好きな人にも自信をもってお薦めできる。

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【つぶやき】

 新型肺炎のあおりで図書館が閉まり一瞬「げげっ」となった活字中毒者だが、ふと目を横にやるとそこには積読の山が…

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2020年2月21日 (金)

シャロン・ワインバーガー「DARPA秘史 世界を変えた『戦争の発明家たち』の光と闇」光文社 千葉敏生訳 3

「戦闘システムでもっとも重要な属性はシグネチャー(自己の存在を知らしめるサインや信号特製。赤外線、音、レーダー・イメージなどがある)だ」「ジャングルで戦っている最中、兵士の水筒の水がピチャピチャと音を立てたり、シェービング・クリームの匂いがプーンとただよったりすれば、生き残るのは難しい」
  ――第14章 見えない戦い 1976-1978

第18代DARPA局長トニー・テザー「DARPAの一流のプログラム・マネジャーはみな、まちがいなくSF作家になりたいという欲求を内に秘めていると思う」
  ――第18章 空想世界 2004-2008

最大の問題は、研究者たちがまだ基礎研究の段階でしかなかった分野で具体的な成果を出すよう求められていたという点だ。
  ――第18章 空想世界 2004-2008

「本格的なビルが完成したときには、その組織は既に終わっている」
  ――第19章 ヴォルデモートの復活 2009-2013

 シャロン・ワインバーガー「DARPA秘史 世界を変えた『戦争の発明家たち』の光と闇」光文社 千葉敏生訳 2 から続く。

【どんな本?】

 アメリカ合衆国の国防に関わる先端技術の開発で知られるDARPAことアメリカ国防高等研究計画局。それはいかなる経緯で設立され、どんな歴史を辿ってきたのか。どんな者たちが集まり、どんな研究をしてきたのか。

 有名なARPANETはもちろん、数々の失敗や枯葉剤などのダークサイドにも光を当て、アメリカの天才集団の実態を明らかにする本格ドキュメンタリー。

【ステルス】

 パート2のオープニング、第14章は軍用機の常識を変えたステルス機F-117ナイトホーク(→Wikipedia)誕生の物語だ。ここでは、空軍に興味がある素人には、なかなかに面白いエピソードが出てくる。

 それまで軍用機がレーダーを避け敵地に迫る戦術は、第二次世界大戦の頃と同じだった。レーダーに映りにくい地上30~60mで飛び、目標の手前で急上昇する。真珠湾の頃と変わっていない。これに対し、「機体がレーダーに映らなきゃいいじゃん」という大胆な発想の転換がステルス機の誕生をもたらす。

 意外だったのが、ステルス性を持たせる技術面での難しさ。かの有名なRCS(→Wikipedia)ことレーダー反射断面積だ。曰く、攻撃20分前に発見されるのを10分前にするには、RCSを1/16にしなきゃいけない。うーむ、4乗根なのか。

 そこで、あのカクカクした形が出てくる。反射するのは仕方がないから、反射した電波がレーダーに戻らないようにするわけ。丸いモノは全方向に電波を反射するけど、平たければ一方向にしか反射しない。そこで、あの折り紙で作ったエイみたいな形になった。これを見た他の設計者曰く「こんなものが飛ぶわけない」。まあ、普通、そう思うよね。

 ここではもう一つ、合衆国空軍らしいエピソードが出てくる。F-117のFはFighter=戦闘機、対空戦闘を担う機体を表す。だが、F-117の実態は対地攻撃機、attack aircraft や attack bomber が相応しい。なら A-117 となって良さそうなもんだ。

 これは合衆国空軍が戦闘機乗りの空軍だからで、「プライドの高い戦闘機パイロットは攻撃機には乗らない」。やっぱり、そういうカーストがあるんだなあ。もっとも日本じゃA-10サンダーボルトⅡの人気が妙に高まってるけどw おまけに最近の戦闘機はたいてい対地攻撃能力もあるし。つか対地攻撃できない機体の方が珍しいんでない? 私はF-14ぐらいしか知らない。

【スター・ウォーズ】

 15章では、ロナルド・レーガンが巻き起こす大騒動の物語。ゴリゴリのタカ派な上に…

宇宙兵器であれスペースプレーンであれ、テクノロジーに対するレーガンのビジョンは決して物理法則に縛られていなかった。
  ――第15章 極秘飛行機 1980-1984

 なもんで、かの悪名高いスター・ウォーズ計画(→Wikipedia)をブチあげ、防衛予算を気前よく増やしてゆく。当然、DARPAも例外じゃない。ここの主役はX-30(→Wikipedia)。スクラムジェット(→Wikipedia)エンジンでマッハ25で飛ぶ…ハズだった。

 ところが、計画はDARPAに話を持ち込んだトニー・デュポンの思惑とは全く違う方向へ彷徨いだす。デュポンの計画では二人乗りで重量22トンだったのが、レーガンは一般教書演説でドカンとブチ挙げてしまう。

「政府は新たなオリエント・エクスプレスの研究を進める。90年代末までには、ダレス空港を離陸して音速の25倍まで加速し、低軌道に到達、または東京まで二時間以内で到着できるようになるだろう」
  ――第15章 極秘飛行機 1980-1984

 二人乗りが、いつのまにか大型旅客機に化けてるw デュポンの気持ちは「きいてないよ!」だろうw なんでこうなったw おまけにコンパクトなチームで開発するつもりが、多くの企業や研究機関が参加するにつれ、重量は22トンが110トンに膨れ上がってゆく。

 このあたりの顛末は「無人暗殺機 ドローンの誕生」が描く、無人攻撃機が高価格化する過程と似ていて、ちょっと乾いた笑いが出てきたり。

【ウォーゲーム】

 続く16章は、シミュレーションとネットワーク技術だ。今のMMORPGの原型ですね。

 「1980年代中盤、ワルシャワ条約機構はNATOの2.5倍の数の戦車を保有していた」なんてショッキングな話で始まるこの章、数多くのマシンをネットワークでつなぎ、仮想環境で戦闘をシミュレーションするシステム SIMNET の開発と顛末を語る。

 SIMNET は湾岸戦争で大きな成果をあげたとか。ただ、先陣が陸軍のAH-64アパッチってのは意外だったなあ。目的はレーダー基地の破壊。もちろん、レーダーを警戒しての低空飛行。いやてっきり、そういう攻撃は空軍の固定翼機の役割だとばっかり。

 さすがアメリカだと思うのは、戦闘後の記録。

通常、大規模な戦闘が終わると、陸軍の歴史家たちが戦場に派遣され、戦闘の参加者にインタビューを行い、実際に起きた出来事を文書に記録していく。
  ――第16章 バーチャル戦 1983-2000

 キッチリと記録を文書に残す仕組みがあるのだ。だから「レッド・プラトーン」なんて傑作が出るのか。最近の日本政府の様子を見ていると、つくづく羨ましい。おかげで、この本みたいな優れた著作も生まれるわけ。

 それはさておき、SIMNETの成功で味をしめたDARPAは、シミュレーション技術へとのめり込んでゆく。そこでアメリカを蝕む病魔、中南米からの麻薬=コカイン密輸にも挑むのだが…

DARPAが麻薬問題をモデル化すればするほど、問題は深刻に見えてきた。あるカルテルを倒しても、結局は別のカルテルが強くなるだけだった。
  ――第16章 バーチャル戦 1983-2000

 まあ、根本に合衆国と中南米諸国の貧富の差がある以上、どうしようもないんじゃないすか。だってコカイン商売って異様に儲かるんだもん。その辺は「コカイン ゼロゼロゼロ」が詳しいです。

【リトル・ブラザー】

 合衆国の軍事・諜報・治安に関わる組織は、911に大きな影響を受ける。DARPAも同じだ。「倒壊する巨塔」などで描かれているように、事件の予兆を示すデータはあった。それが CTA/FBI/NSA/警察などに分散している上に、干し草の中の針を探すような作業だったためだ。

その日(2001年9月11日)のニュースを見ながら、彼(第18代DARPA局長トニー・テザー)は問題がデータ不足ではなくデータの一元化や分析の失敗にあると確信した。
  ――第17章 バニラワールド 2001-2003

 そういうのはコンピュータが得意だよね、ってんで、そういうシステムを作ろうとする。ただし、諜報機関の情報に加え、クレジットカードやレンタカー記録など、民間のデータまで使おうとしたのがマズかった。そりゃ皆さん怒るわ。まさしく「リトル・ブラザー」や「ビッグデータ・コネクト」の世界だもの。もっとも、中国やイランは現実にやってるみたいだけど。

【グランド・チャレンジ】

 なんてミソもついたけど、再びDARPAの名を世に知らしめたのが、グランド・チャレンジ(→Wikipedia)。自動運転車のコンテストだ。巧みに世間の注目を集め、一回目こそ結果が悲惨だったものの、二回目で見事に完走車が5台も出た。技術的には機械学習を使ったのがイケたらしい。そこでノリのいいアメリカ人は…

議会でさえ2000年、テクノロジーに対する楽観的な見方に取り憑かれ、2015年までに軍用地上車両の1/3を無人化すると法律で決定した。
  ――第18章 空想世界 2004-2008

 なんて、成功しすぎるのも怖い。もっとも、失敗もある。アフガニスタンに派遣される兵向けのフレーズレターは、なかなか泣ける。多くの米兵はパシュトー語など現地の言葉ができない。パトロールに出ても、現地の人と話ができないんじゃ、ほとんど意味がない。

 そこでフレーズレターだ。掌サイズのマシンに、予め現地の言葉で、幾つかの質問の声を吹き込んでおく。「爆弾はあるか?」「村に外国人はいるか?」など、はい/いいえで答えられる質問だ。「はい」なら片手、「いいえ」なら両手をあげるよう、指示も吹き込んでおく。これを地元の人に聞かせれば、最低限の聞き込みはできる。やったねラッキー…

 と思ったが、さにあらず。フレーズレターで質問した時と、通訳に任せた時で、答えが違う。調べたところ…

アフガニスタン人は嘘をついているわけではなく、電子機器の質問に答えるのを気持ちよく思っていないのだと結論づけた。
  ――第18章 空想世界 2004-2008

 まあ、今ならスマートフォンを使って、もちっと巧い仕組みが作れ…ると思ったけど、アフガニスタンの山奥でスマートフォンは使えるんだろうか? まあ、通信しなくても、iTunes とかと組み合わせればイケそうな気もする。

 とかの失敗はあったが、そんな技術の一つが成長したのが、Apple の SIRI だそうです。

【ネクサス7】

 先のリトル・ブラザーを、アフガニスタンでやろうとしたのが、ネクサス7。

「われわれはアフガニスタンの市場のジャガイモ価格とその後のタリバンやゲリラ活動とのあいだに相関関係があるかどうかを理解しようとしていた」
  ――第19章 ヴォルデモートの復活 2009-2013

 とはいえ、データを集めるのは大変だ。じゃSNSを使おう。「食べログ」みたく、勝手にデータが集まれば便利だよね。ってんで、現地の人にGPS搭載の携帯電話を配り、「建物や道路の位置をマークしていくよう指示」した…って、Ingress かい。ところが、あまし盛り上がらない。

 というのも、「アフガニスタンの携帯電話サービスを普及率を過大評価」してたため。つまり、電波状況が悪かったり、使い方が分からなかったりで、ちゃんと使える人は「人口の4%程度にすぎない」から。まあ、そんなモンでしょ。特に農村じゃ充電もできそうにないし。どうせなら手回しとかの充電器と、P2P機能もつけりゃいいのに…って、それOLPC(→Wikipedia)じゃん。

【おわりに】

 結局のところ、この本じゃ「DARPAとはどんな組織か」はわからない。

政治家、経済学者、技術専門家たちはたびたび「DARPAモデル」をもてはやしている。だが、それがどういうモデルなのかは釈然としない。
  ――第19章 ヴォルデモートの復活 2009-2013

 わからないのも当たりまえで、その時の軍事/政治情勢や局長の方針によって、DARPAの性質も主要テーマも大きく変わるからだ。テーマの扱いも一概には言えない。スペースプレーンみたく話を大きくし過ぎて駄目になる場合もあるし、核実験探知のようにデカく出たから成功する時もある。研究者もいろいろで、手綱を放すとヤバいクリストフィロスもいれば、放し飼いで巧くいったリックライダーもいる。

 いずれにせよ、研究ってのは博打なのだ、というのはわかった。銀行馬券か大穴か、その程度の違いなのかも。それはそれとして、合衆国の潤沢な予算と人材はひたすら羨ましい限り。

 大成功したテーマの裏話も楽しいが、それ以上にコケたアイデアが死屍累々と並ぶ様こそ、SF者としてはやたら美味しい本だった。にしても、組織のトップがSFファンである由を公言できる風土には憧れる。

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2020年2月19日 (水)

シャロン・ワインバーガー「DARPA秘史 世界を変えた『戦争の発明家たち』の光と闇」光文社 千葉敏生訳 2

「空軍が費用を持つなら、答えは常に空爆だ」
  ――第10章 占い頼み 1966-1968

「われわれは、失敗するときでも大胆に失敗するのだ」
  ――第10章 占い頼み 1966-1968

 シャロン・ワインバーガー「DARPA秘史 世界を変えた『戦争の発明家たち』の光と闇」光文社 千葉敏生訳 1 から続く。

【どんな本?】

 インターネットの前身であるARPANETの研究で有名なDARPA。正式名称がアメリカ国防高等研究計画局であるように、組織の目的は国防研究である。とはいえ、国防に関わる要素は多く幅広い。実際、ARPA/DARPAの主な目的も、設立以来、二転三転してきた。

 DARPAとは、どんな組織なのか。どんな目的で設立され、どんな研究をしてきて、どんな成果をもたらし、どんな失敗を葬り去ってきたのか。

 合衆国の国防に関わる最も有名な研究機関の歴史と全貌を明らかにする、一般向けの解説書。

【誕生】

 今でこそAPANETが有名だが、1958年の設立当初の主な目的は、なんとロケット開発である。ソ連のスプートニク1号の影響で、ドサクサ紛れに作られたのだ。これ以来、ARPAは大きな特徴がある。

 元々がドサクサ紛れで生まれた組織だけあって、フットワークが軽い。お役所手続きの煩雑さを避け、手っ取り早くヒト・カネ・モノを調達でき、研究・開発を始められるのだ。前の記事にも書いたが、この性質が大成功と大変な失敗をもたらす事となる。

【変転】

 ご存知の通り、現在の合衆国のロケット開発はNASAが率いている。ARPAは仕事を奪われたのだ。

 なら潰れてもよさそうなモンだが、組織ってのは、とにかく生き延びようとする。政府から予算を貰っているなら尚更だ。だもんで、ARPAも目的を変えつつ存続の道を探る。ロケットが駄目なら核実験探知、それで一息ついたらミサイル防衛、そしてベトナム戦争をきっかけとして対反乱作戦へと主力が移ってゆく。

 こういったあたりでは、ホワイトハウス・軍・国防総省・CIA・議会などの意向や、その中での人の動きも、著者は詳しく調べてある。全体として、人の異動が激しいことに気が付く。特に、民間と政府機関を行き来する人が多い。実際、ARPA/DARPAも、1958年の設立から2017年の約60年で、局長は21人だ。任期の平均はたった3年。

 日本のお役所で、これほどトップの人事異動が激しい組織があるんだろうか? いったい、何が違うんだろう?

【ウィリアム・ゴデル】

 前の記事では明るい論調の記事となったが、本書の大きな特徴と読みどころは、むしろダークサイドを明らかにした点にある。何より、冒頭からダークサイドを象徴する人物、ウィリアム・ゴデルにスポットを当ててるし。

 海兵隊員として太平洋戦争で戦い負傷したのち、ドイツのロケット科学者を攫うペーパークリップ作戦(→Wikipedia)に従事、諜報の世界で優れた実績を積み名をあげる。

 NSA(→Wikipedia)を経てARPAに移ったゴデルは、やがてARPAをベトナムへと引きずり込んでゆく。

【対反乱】

 このベトナムにおけるゴデルとARPAの動きが、現在のアフガニスタンやイラクでの米国/米軍の動きと、見事に繋がっているから、泣いていいのか笑っていいのか。

 ゴデル名づけて曰く「アジャイル計画」。その目的は、なるたけ米軍を使わず、現地の軍に戦争を任せること。南ベトナムをアフガニスタンやイラクに置き換えれば、2020年の今でも米軍の目的そのまんまだ。

 ARPAと聞くとハードウェアばかりを思い浮かべるが、社会や心理なども研究している。ベトナム戦争では「なぜ南ベトナムの人々がベトコン(→Wikipedia)になるのか」も調べた結果、その理由は…

「搾取的な政府への怒りや民主主義的な意識」、そしてそうした感覚を煽る共産主義者たちの能力と深くかかわっていた。
  ――第10章 占い頼み 1966-1968

 なんのことはない、要は南ベトナム政府が腐っていて人々から憎まれ嫌われてる、それだけの事だった。戦略や戦術以前に、政策が間違っていたのだ。ところが、この報告を受けたワシントンは…

「単なる否定ではなく、ショックとさえ呼べるもの」であった。
  ――第10章 占い頼み 1966-1968

 ベスト&ブライテストは、邪悪ではなかった。単に、ベトナムについて救いようなく無知だっただけなのだ。ハンロンの剃刀(→Wikipedia)そのまんまだね。

(ウォーレン・)スタークは東南アジアの社会や文化に対する理解不足が、軍やARPAの大きな足かせになっていることに気づいた。
  ――第9章 巨大実験室 1965-

 これ、現在のイラクとアフガニスタンにも、そのまんま当てはまるから切ない。

【象徴】

 そんなARPAのベトナムにおける失敗を象徴する双頭が、戦略村(→Wikipedia)と枯葉剤(→Wikipedia)だろう。枯葉剤も本書は詳しく書いてあるが、戦略村の目的も呆れる。

…ARPAの報告書は、戦略村のことを「政府が人民を正式に統制するための機構」と露骨に表現している。さらに、「全員が全員の顔とその活動を知っていて、よそ者や怪しい活動が一発で見つかってしまう」ような戦略村こそが「効果的」だとも述べている。
  ――第8章 ベトナム炎上 1961-1965

 つまりは南ベトナム政府による人々への支配力を強める事を目的としていたのだ。ちなみに農民の強制移住を使ってソレに成功したのがカンボジアのクメール・ルージュです。何やってんだアメリカ。ベトナムは共産勢力に対する防壁じゃなかったんかい。

【イラン】

 お役所組織のもう一つの特徴は、とにかく大きくなろうとすること。ARPAもベトナムからイランやレバノンに版図を広げてゆく。当時のイランはパフラヴィーによる王政で親米だった。ここでは空軍機のF-15イーグルを抑えて海軍機のF-14トムキャットが選ばれるくだりも楽しいが、そんなイランに合理的な兵器選択法を教え込もうとするあたりも、笑えるやら切ないやら。

国王の仲介者に支払われる賄賂の額が唯一の決定要因だとしたら、戦車の殺傷能力の比較原価など誰が気にするだろう?
  ――第12章 アジャイル計画の隠蔽 1969-1974

 ちなみに武器取引の胡散臭さは今世紀に入っても相変わらず、どころか先進国もヒトゴトじゃない由が「武器ビジネス」に詳しく書いてあります。

【ハードウェア】

 などと明らかな失敗ばかりを挙げたが、失敗とは言い切れない例も多い。というか、対ゲリラ戦って点じゃベトナムはイラクやアフガニスタンと同じだ。そのためか、発想はいいけど当時は技術が追い付いていなかった的なシロモノもアチコチに出てくる。

 その筆頭が人工衛星ディスカバラー(→Wikipedia)で、これは「世界初の偵察衛星」。もっとも当時は写真の電送はできないんで、フィルム回収に手こずるんだけど。

 ここではディスカバラー2号に乗ったネズミの話が笑える。動物虐待防止協会のお怒りを恐れた当局は…

 とかの笑い話はさておき、今世紀に入って実現した案が幾つも載っている。

 「何時間も飛行できる動力グライダー」は無人偵察機そのものだ(「無人暗殺機 ドローンの誕生」)。陸軍用の歩行輸送ロボット「機械のゾウ」はビッグドッグ(→Wikipedia)に進化した。「海洋上の軍事基地の役割を果たす反転可能な艀」はメガフロート(→Wikipedia)だろう。ブレイン=コンピューター・インターフェイスも、今はブレイン・マシン・インターフェース(→Wikipedia、「越境する脳」)で知られている。

 それ以上に失敗も多く載っているが、ARPAの責任とは言い切れない失敗?の例がAR-15、またの名をM16(→Wikipedia)。ゴルゴ13も愛用する合衆国軍ご用達の自動小銃だ。

 もともと小柄な南ベトナム兵向けに設計されたAR-15なんだが、なぜか話は「米軍で採用するか否か」にすりかわり、議論で時間を浪費し「南ベトナム軍の兵士に大量配備されたのは六年後の1968年、テト攻勢(→Wikipedia)のあとだった」。コロコロと情勢が変わる戦争と大人数の合意が必要な議会政治は相性が悪いんです。

【IED】

 もちろん、「小便の臭いでジャングル中のゲリラを見つけよう」とかの失敗した研究もたくさん出てくるが、中でも傑作なのがIED(即席爆発装置)対策。そう、今でもイラクやアフガニスタンで米軍が苦しんでるアレ。

 これに対応したのがペンタゴンの物理学者フレッド・ウィーグナー。彼の言葉が実にいい。軍の高官に対しては「あんたたちは科学を理解していない」。科学者たちには「あんたたちは戦争を理解していない」。そして双方を怒らせましたとさw いや笑い話じゃないんだけど、今でもSEの多くが、発注元には「ITを分かってない」、開発者には「客の業務を分かってない」とか言ってるんでない?

 さて、ベトナムだとジャングルにワイヤーを張って起爆装置に繋げてた。そこでフレッドは新兵器を開発する。ったって、ただの棒だ。これでジャングルを探り、ワイヤーを見つけるのである。ガキに棒を持たせて藪に送り込めば、すぐに実演してくれるだろうw 「一方ロシアは鉛筆を使った」なんてネタもあるが、アメリカだってやる時はやるのだw

【終わりに】

 と、なんとか「パート1」の紹介は終わった。次の記事で完結編となる予定です。

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2020年2月18日 (火)

シャロン・ワインバーガー「DARPA秘史 世界を変えた『戦争の発明家たち』の光と闇」光文社 千葉敏生訳 1

(ソ連がスプートニク1号の打ち上げを成功させた1957年10月5日)アメリカ国民の大半は当初、ビープ音を発信するビーチボールにただ肩をすくめるだけだった。
  ――第2章 パニック 1957-1958

頭のおかしな連中やご都合主義者たちはみんなARPAに押し付けてしまえばいい。
  ――第3章 狂気の科学者 1958

ARAPAのもっとも揺るぎない特徴のひとつは、設立時に意図的に定められたわけではないが、官僚的な手続きを避ける能力だ。
  ――第3章 狂気の科学者 1958

本来、ARPAは危機の真っ只中に生まれた応急的な解決策だった。そして、1959年の終わりが近づくにつれて、その短いながらも激動の生涯を終えようとしていた。
  ――第4章 打倒ソ連 1959-

気づけば、アメリカはベトナム、キューバ、レバノンといった世界各地で小規模な紛争に巻き込まれ、現地の政府に戦い方を助言していた。
  ――第5章 ジャングル戦 1950-1962

枯葉剤を使えば、共産ゲリラから貴重な食糧源であるジャガイモやキャッサバを奪うことができる。つまり、枯葉剤の目的はゲリラたちを餓死させることだったのだ。
  ――第5章 ジャングル戦 1950-1962

ARPANETは1960年代前半のARPAで数々の要因が奇跡的なまでに合致した結果として誕生した。
  ――第7章 非凡な天才 1962-1966

【どんな本?】

 DARPA。アメリカ国防高等研究計画局。インターネットの前身であるARPANETを生み出した事で有名な、アメリカ合衆国の先端的な軍事系研究開発機関…と、多くの人に思われている。

 だが、ARPANETの成功の影には、数多くの失敗したプロジェクトもあれば、SF作家の想像を超える無茶なアイデアも無数にあった。またARPAという組織そのものが、存続を危ぶまれた時期もあれば、枯葉剤などの生臭いプロジェクトに関わった事もある。そもそも設立のきっかけは、ソ連のスプートニク・ショックだった。

 天才の集合体のように思われているDARPAは、どんな経緯で誕生し、どんな道筋を辿ってきたのか。今までに、どんな研究に携わってきたのか。ARPANETの成功の秘訣は何か。

 公開となった膨大な公文書や、多数の元DARPA職員などの取材を元に、合衆国の先端的な軍事技術を支えてきたDARPAの歴史を描く、衝撃のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Imagineers of War : The Untold Story of DARPA, the Pentagon Agency That Changed the World, by Sharon Weinberger, 2017。日本語版は2018年9月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約507頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント43字×19行×503頁=410,951字、400字詰め原稿用紙で約1,028枚。文庫なら上下巻の分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。さすがに科学研究所の話なので、多少は科学の話も出て来るが、分からなければテキトーに読み飛ばして構わない。ただし、スマートフォンはおろかパソコンすら影も形もない1950年代末から話が始まるので、若い人には当時の様子がピンとこないかも。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進むので、できれば頭から読んだ方がいい。ただ、各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいいだろう。

  • プロローグ 銃とカネ 1961-
  • パート1 常識破りの兵器開発組織
    • 第1章 知識は力なり 1945-1957
    • 第2章 パニック 1957-1958
    • 第3章 狂気の科学者 1958
    • 第4章 打倒ソ連 1959-
    • 第5章 ジャングル戦 1950-1962
    • 第6章 平凡な天才 1961-1963
    • 第7章 非凡な天才 1962-1966
    • 第8章 ベトナム炎上 1961-1965
    • 第9章 巨大実験室 1965-
    • 第10章 占い頼み 1966-1968
    • 第11章 サル知恵 1964-1967
    • 第12章 アジャイル計画の隠蔽 1969-1974
    • 第13章 ウサギと魔女と指令室 1969-1972
  • パート2 戦争のしもべ
    • 第14章 見えない戦い 1976-1978
    • 第15章 極秘飛行機 1980-1984
    • 第16章 バーチャル戦 1983-2000
    • 第17章 バニラワールド 2001-2003
    • 第18章 空想世界 2004-2008
    • 第19章 ヴォルデモートの復活 2009-2013
  • エピローグ 輝かしい失敗、冴えない成功 2013-
  • 謝辞/注
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 今のところ7章までしか読んでいないのだが。

 いやコレ、やたらと面白い。SFファンなら、「第3章 狂気の科学者」は必ず読もう。捧腹絶倒は間違いなしだ。「第6章 平凡な天才」も、SFファンに加え、一般向けの科学解説書が好きな人にも、自信をもってお薦めできる。また、理解のない上司に悩む研究者や開発者なら、「第7章 非凡な天才」に拳を握りしめるだろう。

 「第3章 狂気の科学者」では、物理学者のニコラス・クリストフィロスが大暴れする。この人は昔のSFに出てくるマッド・サイエンティストそのものだ。普通、こういう人の決め台詞は「俺を追放した学会に復讐してやる!」なんだが、この人は学者たちに愛されてる…というか、生暖かい目で見守られているからタチが悪いw

 大酒飲みな上に「何日間もぶっ続けで働き続けられる」バイタリティ、講義させれば聴衆置いてけぼりでアイデアを続々と生み出す回転が速すぎる頭脳。あなたの傍にもいませんか、こんな人。彼が考え出した案の一つが、核ミサイル防衛バリア。高空で核を炸裂させ、周囲の粒子を高エネルギー化し、飛んでくるミサイルを破壊するって発想。

 今でこそ無茶やろと思うが、当時は大まじめに検討され、合衆国海軍などを巻き込んでアーガス計画(→Wikipedia)として実施にこぎつけるからすごい。ちなみに肝心の効果はアレだけど、現場では30分間にわたるオーロラが楽しめたそうです。

 この章では他にも核爆弾推進ロケットのオリオン計画(→Wikipedia)なんてのも出てきて、当時の人の核に対する万能感みたいのが伝わってくる。

 クリストフォロスは第6章 平凡な天才」でも大暴れして、アメリカ大陸横断滑走路とか弾道ミサイル迎撃荷電粒子ビームとか。この荷電粒子ビームの顛末も楽しい。ARPAの肝いりで物理学者を集めたジェイソン・チームで検討したところ、「電力が足りないぞ」→クリストフィロス「五大湖の地下で核核爆発を起こせばいい」「湖の水を15分で排水し、その勢いで発電しよう」。

 計算したら本当にエネルギーが足りると出た…って、そういう問題じゃねえだろw

 この章では、他にも地震学の意外な歴史が明らかになる。なんと、冷戦が地震学を進歩させたのだ。

 時は1961年。ケネディ政権はソ連と核実験禁止条約を結ぼうと考えていた。だが、障害もある。相手が核実験していないと、どうやって確認する?

 21世紀の今なら簡単だ。地震計を調べればいい。だが、当時は核実験の振動と地震の振動が区別できるか否かすら分からなかった。おまけに、核実験はどこで行われるか、見当がつかない。何せアメリカもソ連も広いしねえ。

 そこでARPAは国内で実験を終えるとすぐ、世界中の地震観測所に資金を提供し始める。だけでなく、インドやイランなどにも、地震観測所を無償で提供する。「カネは出すからデータを分けてくれ」ってワケ。これで核実験を突き止められるようになり、核実験禁止条約の障害がクリアできた。つまり…

ソ連との(核実験禁止)条約を締結できたのはARPAの活動の賜物であった。
  ――第6章 平凡な天才 1961-1963

 それに加え、大きなオツリもある。世界的な地震観測網ができたため、大西洋の地震は中央海嶺に沿って起きると証明され、プレート・テクトニクス理論が確認でき、地球科学に大革命が起きた。

地震と核実験を区別するという軍の切実なニーズこそが、地震学を20世紀へと引きずり込んだのだ。
  ――第6章 平凡な天才 1961-1963

 これは当然ながらSFにも波及し、小松左京の「日本沈没」や上田早由里の「深紅の碑文」なんて大傑作へと結実するんだよなあ。

 続く「第7章 非凡な天才」では、ARPANETの誕生が語られる。ここで活躍するのは、ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー(→Wikipedia)、元は音響心理学者だ。

 当時はコンピュータの黎明期で、計算機学者なんていなかった。みんな、他の学問から移ってきた人ばかりだ。デニス・リッチー(→Wikipedia)だって物理学と応用数学だし。しかも、当時のコンピュータは、パンチカードでデータやプログラムを入れ、ラインプリンタで結果を見る、バッチ処理ばかりだった。そんな環境で、リックライダーの研究テーマは「指揮統制」。

 時はキューバ危機(→Wikipedia)。「(コンピュータの)情報を軍司令官どうしで共有するのには時間がかかった」。そこで彼に与えられたのが、半自動式防空管制組織SAGE。実は当時でも既に時代遅れのシステムだったが、バッチではなく会話式なのが斬新な所。さすがに一人一台じゃなくTSS(→Wikipedia)だけど。

 そんな中、リックライダーは「人々が台所でコンピューター端末を使い、ネットワークでレシピ」を調べるビジョンを思い描く。つまりクックパッドだ。今ならともかく、1960年代前半でそんな発想にたどり着くとは、凄まじい発想力だ。

 ただし、スポンサーの意向は違う。軍や国防長官はコンピュータ科学なんか一顧だにせず、気にしていたのは弾道ミサイル防衛や核実験探知だけだ。というか、「リックライダーが開発を続けられたのは、彼が水面下で活動していたからだ」。ぶっちゃけボス共は、リックライダーが何をやっているか、全く知らなかったのだ。

 わはは。そこの研究者や開発者、ボスにお伺いをたてず、コッソリと何かを研究・開発した事って、あります? いやお伺いしてたらテーマを潰される、っつーか、そもそもボスはテーマを理解できないし。 そういうのって、あるよね、往々にして。

 と、研究者を放し飼いにするとどうなるかの見本が、インターネットなわけです。もっとも、先のクリストフォロスみたいな例もあるけどw

 なんてハッピーな話だけじゃなく、枯葉剤とかにも関わってるんだけど、それは次の記事で。

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2019年11月26日 (火)

アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 2

監獄では収監者がしばしば協力し合い、強者が弱者を助けていたのに、ソ連の収容所ではどの囚人も「自分のことだけしか考えず」、他人を蹴落として収容所の序列のなかでわずかでも高い地位を獲得しようとしていた。
  ――第17章 生き残り戦略

エヴゲーニア・ギーンズブルクもレフ・ラズゴーンもヴァルラーム・シャラーモフもソルジェニーツィンも、いちばん広く読まれた古典的な回想記筆者たちは実質上すべて、時期こそ違うが特権囚だった。
  ――第17章 生き残り戦略

 アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 1 から続く。

【どんな本?】

 「シベリア送り」で有名な、旧ソ連の収容所。それはいつから始まったのか。どんな目的で、どんな所に作ったのか。どんな者が送られ、どの部署が管轄したのか。革命→大テロル→独ソ戦→スターリン死去などの事件は、収容所にどのような影響を与えたのか。そして、収容所内の暮らしはどのようなものだったのか。

 有名な「収容所群島」などの文学作品や多数の人々が残した手記と直接の取材、そしてソ連崩壊に伴い公開された文書などをもとに、ソ連の収容所の実態を明らかにする、衝撃のドキュメンタリー。

【はじめに】

 全体は3部から成る。

  • 第1部 グラーグの起源 1917~39年:収容所の歴史・前半
  • 第2部 収容所の生活と労働:収容所の中の暮らし
  • 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年:収容所の歴史・後半

 この記事では、「第2部 収容所の生活と労働」を中心に紹介する。当然、悲惨な描写が多いが、「塀の中の懲りない面々」的な面白さもある。

【逮捕】

  • 第2部 収容所の生活と労働
    • 第7章 逮捕
    • 第8章 監獄
    • 第9章 移送、到着、選別
    • 第10章 収容所での生活
    • 第11章 収容所での労働
    • 第12章 懲罰と褒章
    • 第13章 警備兵
    • 第14章 囚人
    • 第15章 女性と子ども
    • 図版
    • 第16章 死にざま
    • 第17章 生き残り戦略
    • 第18章 反乱と脱走

 逮捕したのは、OGPU、後のKGBだ。逮捕の名目は、「その時点で疑惑の対象とされたカテゴリーの住民層」。具体的には…

  • トロッキストなどスターリンの政敵
  • 1920年代後期の技術者と専門家
  • 1931年のクラーク=富農
  • 独ソ戦中のポーランド人・バルト人(エストニア・ラトビア・リトアニア)
  • 外国人の共産党員
  • 外国にコネがある者
  • ベーリヤ贔屓のサッカーチーム相手に活躍したサッカー選手

 と、偏見丸出しな上に、お偉方の気分次第でもある。終戦後はドイツ軍の捕虜はもちろん、ポーランド国内軍などナチス相手に戦ったレジスタンスも収容所に送ってる。ナチス相手に逆らう気骨のある者は、ソ連共産党にも逆らうだろうって理屈。まあ間違っちゃいないけどね。おまけに占領した東欧諸国の共産主義者もシベリア送りだ。

 なお、収容所とは別扱いだが、大戦中にはドサクサに紛れてチェチェン人やクリミア人を強制移住させている。出征しナチス相手に戦った兵士が復員してきたら、村ごとゴッソリ消えてたって話もあった。確か「イワンの戦争」だったかな?

 人を属性で決めつけ、具体的な嫌疑もなく逮捕するってのも酷いが、その後の取り調べや裁判も、ご想像のとおり。抗議したところで…

「われわれは無実の者をけっして逮捕しない。かりにあなたが有罪でないとしても、釈放することはできない。そんなことをすれば、無実の人びとをしょっぴいているとみんなが言うだろうから」
  ――第7章 逮捕

 と、連中が自分たちの間違いを認めるはずもなく。こういうのって、どうすりゃいいんだろうねえ。航空機事故の原因究明では、「人の罪を問わない」ことにして回避してるらしいけど。

 こういった「政治犯」に加えて、人殺しや泥棒などの刑事犯も収容所に送ってる。これが収容所の暮らしに大きな影を落とすのだが、それは後に。

 他に有名な囚人としては、後にロケット開発を主導するセルゲイ・コロリョフ(→「ロシア宇宙開発の巨星の生涯」)や航空機設計者のアンドレーイ・トゥーポレフ(→Wikipedia)がいる。

【監獄】

 ソ連、特にチェカーの陰険さは収容所でも徹底していて、「各房にすくなくとも一人の密告者がいる」なんて状態。もっとも、チクリ屋がバレると村八分にされるんだけど。そりゃ嫌われるよなあ。

 そんな中でも囚人たちは連絡を取り合おうとする。彼らは独自のモールス信号を開発するのだ。ロシア語のアルファベットを6×5の行列に並べ、壁などを叩く回数で文字を送る。うーん、賢い。

【移送、到着、選別】

 収容所への輸送中、多くの囚人が渇き飢えた。警備兵が配るのを面倒くさがったのもあるが、それ以上に嫌がったのが排泄。そこで考え出した対策が「飲み食いしなけりゃ何も出さない」。となりゃ当然、輸送中に多くの者が亡くなり、たどり着いた者も瀕死の状態。森林伐採や鉱山などで働かせようにも、使い物にならない。これだからお役所仕事ってのは←いや問題はソコじゃないだろ

【収容所での生活】

 やはり出す話だが、もちろん当時は水洗トイレなんかない。それでも室内に桶がありゃマシで、屋外だと切ない事になる。特に北方の冬、零下30~40℃なんて時にゃ、遠くの便所まで歩くのが億劫だってんで、野郎どもは途中でチョイとつまんで済まそうとする。冬の間は固まってるんだが、春になると…

 そんな囚人同士の間でも、派閥ができる。後にはウクライナ・バルト・ポーランドなど民族で固まるんだが、当初「いちばんよく組織されていたのは、刑事囚だった」。中でも人殺しなど凶暴な奴ほど地位が高いから怖い。やがてこういうヤクザどもが房を仕切るようになり、ヤクザの掟が房を支配するようになる。これじゃ更生もヘッタクレもありゃしない。というか、似たような状況はどの国の刑務所でも起きてるんじゃなかろか。

【収容所での労働】

 戦後に連行されたドイツ人科学者はロケットを設計していた(「ロケット開発収容所」)。また…

…首都モスクワには囚人が航空機を設計している収容所があり、中部ロシアの収容所の囚人は原発を建設、運営したし、太平洋岸の漁業収容所、南ウズベキスタンの集団農場収容所もあった。
  ――第11章 収容所での労働

 おいおい、原発ってマジかい。まさか生物・化学兵器工場も(→「死神の報復」)…。

 食糧の分配や刑期の短縮で囚人を釣るものの、生産高は上がらない。それもそのはず、機械は故障して動かず修理工もいない。技術者だからって専門でもないのに架橋の責任を負わされた囚人もいる。その橋は「最初の出水で流されてしまった」。まあ当然だよね。権限を振りかざすしか能のない奴が権力を握ると、たいていこうなるんだよなあブツブツ…

【懲罰と褒章】

 ベーリヤは収容所の規則を細かく定めたが、複雑すぎる上にしょっちゅう変わるんで、結局は収容所長の気分次第となる。おまけに看守も面白半分で嫌がらせするし。手紙や小包のやりとりも制限される上に、看守たちが横領することもある。つまりは無法地帯ですね。

【警備兵】

 面白いことに、囚人から看守に成り上がる場合もある。ナフターリイ・フレーンケリに至っては、収容所長になり白海運河建設まで仕切っている。もっとも、大半は無学で「1945年4月現在、グラーグ管理者の3/4近くが初等教育しか受けていなかった」。そんなん仕切る所長も大変だよなあ。

 もっとも、中には悪い奴もいて、囚人にワザと脱走をそそのかすのだ。脱走兵を射ち殺せばボーナスと休暇がもらえるから。

 逆に親切な看守もいるんだが、全体として統制をとるのに使う手口は、お馴染みのレッテル貼り。

…レッテル貼りは、たんなる無意味な言葉の遊びではなかった。配下の囚人どもを「敵」あるいは「下等人間」と描き出すことで、警備兵はみずからの行為の正当さを再確認したのだ。
  ――第13章 警備兵

 卑劣な奴がやる事は、今も昔も、洋の東西も問わない。

【囚人】

 先に書いたように、囚人は大きく分けて政治囚と刑事囚がいる。当初、房を仕切ったのは刑事囚、それも銀行強盗や列車強盗など筋金入りの悪党だ。役人もこれを利用し、刑事囚の配置を工夫して「他の囚人を統制させた」。比較的にまっとうな教育を受けた政治囚たちが、職業的犯罪者と一緒になって戸惑う場面は印象深い。

 困ったことに刑事囚の多くは教育がなく、よって手記の類もほとんどない、と著者は嘆いている。記録を残すって、けっこう大事なんだなあ。

 そんな刑事囚の派閥に対し、ウクライナやバルト諸国など民族や出身地別の派閥もできてゆく。面白いのは、最大多数であるロシア人の派閥がないこと。どうも派閥ってのは、互いを結びつける外からの圧力がないとできないらしい。

 宗教別の派閥もあって、こっちは正教徒派とカトリック派が、互いの祝日に労働を交換して協力しあってたり。共産主義の世界で信仰を守る人ってのは、余程の覚悟がある人なんだろう。

【女性と子ども】

 収容所内の女の立場は、まあご想像のとおり。同性愛もあるんだが、受け役の少年は悲惨だ。「彼らはのけ者あつかいにされ、共同のコップで水を飲むことをゆるされず、侮蔑の対象となっていた」。攻め役、守ってやれよ。

 子供の環境も酷い。収容所内の仕事は色々ある。保育の仕事は楽なので、「『特権囚』の仕事とされ、職業的犯罪者にわりあてられるのがふつうだった」。こんな連中がマトモに仕事をするはずもなく…

 興味深いのが、保育方針が子どもに与える影響。調べたところ、「ものを学習する能力をしめしたのは母親とのなんらかの接触を維持していた一人か二人だけ」というから、乳幼児とのスキンシップは大切なんだろう。

【死にざま】

 そんな環境だから、囚人は次々と死んでゆく。飢餓の進行には段階があって…

顔や体を洗わなくなり、椀をまともに持てなくなり、侮辱にたいして人間としてあたりまえの反応を示さなくなった囚人は、最後には飢えのあまり文字どおり発狂した。
  ――第16章 死にざま

 そんな死者に対し、他の囚人は、故人の服や帽子を奪い合うのである。

 あんまし死者が多いと当局から目をつけられる。そこで…

死亡率が「高すぎる」と判断されたラグプーンクトの所長たちは処刑されるおそれがあった。(略)そのため、収容所監査官に見つからないよう死体を隠した医師もいたし、死にかけている囚人を早期釈放するのがあたりまえとなっていた収容所もあった。
  ――第16章 死にざま

 きっと、死者は期末の方が多かったんだろうなあ。そうすれば食料をチョロまかせるし。

【生き残り戦略】

 そんな地獄で生き残る秘訣の一つは、サボりだ。適当に働くフリをして休むのである。マトモに働く奴は村八分にされたり。その成果は班で水増しされ、収容所で水増しされ、収容所群で水増しされ…と、お決まりの共産主義的な統計数字となる。

 もう一つは病院に入ること。中には「左手の指四本を切り落と」したり。統合失調症を装う者もいたが、これを見破る方法は…

ほんものの患者と同じ病室に入れることだった。「いいちばんしたたかなニセ患者までもが、数時間のうちにドアをたたいて、ここから出してくれと言うのだった」。  ――第17章 生き残り戦略

 政治囚は立場が弱いが、特技を活かして生き延びる方法もある。娯楽の少ない収容所では、芸が身を助ける。絵を描ける者、彫刻の心得がある者は、作品とひきかえに食料を得た。音楽家はもっと有利で、所長に取り入ることもできる。また多くの政治囚は…

回想記を書いたおどろくほど多数の政治囚たちが(略)自分たちが生き残れたのは「語り」の才能のおかげだったと言っている。
  ――第17章 生き残り戦略

 知っている小説や映画を房のボスに語り、おこぼれにあずかったのだ。人ってのは、生死に関わる時でも物語を求めるんだなあ。

【反乱と脱走】

 脱走は難しい。収容所がタイガなど自然環境で隔絶されている上に、町にたどりついても通報される。通報すれば賞金250ルーブルが出るのだ。それでも脱走者はいて、1933年だと脱走者45,755名、うちつかまったのは28,730名。成功率は約4割だから、賭ける価値はあるかな? 特に…

脱走予備軍の圧倒的多数が職業的犯罪者だった(略)。首尾よく大きな町にたどりつくと、地元の犯罪世界のなかにまぎれこみ、証明書を偽造し、隠れ家を見つけることができた。
  ――第18章 反乱と脱走

 と、刑事犯の方が有利だった上に、追う側も刑事囚はテキトーに済ますのに対し、政治囚は「近隣のすべての村落を動員し、国境警備隊の支援を要請」した、というから熱の入れ方が違う。そんなに政治犯が憎いのか。こういう心理は、なんなんだろう?

 さて、脱走しても、すぐに食料が尽きる。そこで、刑事囚たちは、例えば二人で脱走する際は、三人目も誘う。なぜかって? 自分で歩く食糧って、便利だよね。

【おわりに】

 などの収容所も、バルバロッサ作戦の発動と共に大きな変化が訪れる。それについては、次の記事で。

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【つぶやき】

 澄んだ声の女性シンガーでは、ポーランドのバンド Quidam にいた Emila Derkowska も凄い。最初に聴いた時は、一瞬背筋が寒くなった(→Youtube)。

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2019年11月15日 (金)

アニー・ジェイコブセン「アメリカ超能力研究の真実 国家機密プログラムの全貌」太田出版 加藤万里子訳

第二次世界大戦終結から数年後、アメリカ政府は超常現象が軍事と諜報の効果的なツールになると考え、秘密作戦に利用する道を探りはじめた。本書は、その取り組みと現代までの軌跡を明らかにする。
  ――プロローグ

ナチス国外諜報局局長ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将「神秘主義信仰は、政治思想の普及と国民の政治的支配にぴったりの手段である」
  ――第1章 スーパーナチュラル

ガマル・アブデル・ナセル・エジプト大統領が「たった今死んだか、もうじき死ぬ」
  ――第6章 ユリ・ゲラーの謎

ESPと超心理学に対する明確な意見は、たいていの場合、深い個人的信念に根ざしている。
  ――第14章 サイキック兵士

陸軍科学委員会の科学者は、このころまでに軍事機関が直面する「重要な課題」を特定していた。それは、機械が賢くなっているのに人間が進歩していないことだった。
  ――第17章 意識

「それってまるでアカシック・レコードじゃないか」
  ――第19章 第三の目を持つ女

(ユリ・)ゲラーは、アル・ゴアの自宅を訪れ、いつか大統領に選出されると告げたことを覚えているという。
  ――第20章 ひとつの時代の終わり

アメリカ政府の23年に及ぶ超感覚的知覚(ESP)とサイコキネシス(PK)研究の歴史の終わりは、1991年11月19日、AP通信が「国連のイラク兵器施設発見にサイキック企業が協力」という見出しの三段記事を掲載したときにはじまった。
  ――第23章 崩壊

1975年、CIAは次のように結論づけた。「ESPはまれにしか現れず、確実性に欠けるものの、信頼できる数々の確かな実験証拠により、本物の現象として存在すると認めざるを得ない」
  ――第23章 直感、予感、合成テレパシー

2014年、海軍研究所(ONR)は海軍軍人と海兵隊員のために、285万ドルをかけてスパイディー・センスという予感と直感を探求する四年間の研究プログラムに着手した。
  ――第23章 直感、予感、合成テレパシー

【どんな本?】

 テレパシー,透視,予知,念動力,ダウジング。多くの科学者や数人のマジシャンは徹底的に否定するが、固く信じるものは後を絶たない。ばかりか、アメリカ合衆国では軍や情報機関が国家の予算を投じて研究し、時として実際に応用してきた。

 本書は、2017年に公開されたCIAの文書を中心に、情報公開法に基づき入手した合衆国国防総省や陸海空軍の文書、そしてこの研究に携わった研究者や超能力者などの直接取材を元に、合衆国における超能力研究の実態を明らかにしようとするものである。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PHENOMENA : The Secret History of the U.S. Government's Investigations into Extrasensory Perception and Psychokinesis, by Annie Jacobsen, 2017。日本語版は2018年3月20日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約508頁に加え、訳者あとがき5頁。10ポイント45字×17行×508頁=約388,620字、400字詰め原稿用紙で約972枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただ、多くの人物が出てくるので、できれば人名索引が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列に進むので、素直に頭から読もう。

  • プロローグ
  • 第1部 初期
  • 第1章 スーパーナチュラル
  • 第2章 プハーリッチ理論
  • 第3章 懐疑論者とペテン師とアメリカ陸軍
  • 第4章 疑似科学
  • 第5章 ソ連の脅威
  • 第2部 CIAの時代
  • 第6章 ユリ・ゲラーの謎
  • 第7章 月面に立った男
  • 第8章 物理学者と超能力者
  • 第9章 懐疑論者対CIA
  • 第10章 遠隔視
  • 第11章 無意識
  • 第12章 潜水艦
  • 第3部 国防総省の時代
  • 第13章 超物理学
  • 第14章 サイキック兵士
  • 第15章 気功と銭学森の謎
  • 第16章 殺人者と誘拐犯
  • 第17章 意識
  • 第18章 サイキック・トレーニング
  • 第19章 第三の目を持つ女
  • 第20章 ひとつの時代の終わり
  • 第21章 人質と麻薬
  • 第22章 崩壊
  • 第4部 現代
  • 第23章 直感、予感、合成テレパシー
  • 第24章 科学者と懐疑論者
  • 第25章 サイキックと宇宙飛行士
  •  訳者あとがき
  •  取材協力者と参考文献

【感想は?】

 日本版の書名が内容をズバリと表している。まさしく、合衆国による超能力研究のドキュメンタリーだ。それも、軍が正式な予算をつけ、組織だって行った。

 超能力に対し、人は二つの側に分かれる。信じる人=ヒツジと、信じない人=ヤギだ。読者の姿勢により、本書の評価は分かれるだろう。

超常現象研究の世界は「肯定と否定のふたつの反応から成り立っており、その中間はほとんどない」。(略)
超常現象を肯定するデータの支持者には、「“転向”経験がある者が多い。彼らは、たった一回の“説明がつかない成功によってその現象が本物だと信じ込む”ことになった」
  ――第10章 遠隔視

 著者はヒツジに近い。「エリア51」も、緻密な調査で驚きの事実を明らかにしつつ、最後でヤバい方向に走っちゃったし。もっとも、私がヤギだから、そう感じるのかもしれない。とはいえ、ヒツジよりの立場だからこそ、書けた本でもある。

 冒頭から、有無で簡単には割り切れないのだ、と思い知らされるエピソードが出てくる。ルドルフ・ヘスの渡英(→Wikipedia)事件だ。2002年、この事件の背景をBBCがスッパ抜く。これはイギリスの諜報機関の仕掛けだ、と。有名な占星術師を使い、ドイツの信者に偽のホロスコープを渡して、ヘスと取り巻きをそそのかしたのだ。

 もっとも、肝心の占星術師は黙秘を続け、BBCにリークした者も沈黙を守っているため、真偽は不明なんだけど。この本は、そういう「実際は判らない」ネタも多い。その代表が、かの有名なユリ・ゲラーだ。彼には「モサドでは?」との噂がある。著者も本人に訊ねているんだが、ハッキリとは答えない。当然だよね。スパイが身元を明かすワケないし。とはいえ…

ユリ・ゲラー「アラブ・レストラン。弁護士や娘のところ。私はどこへでも行けるんだ。誰にも疑われずにね。完璧な隠れ蓑だよ。私はただのスプーン曲げの男なんだ」
  ――第25章 サイキックと宇宙飛行士

 とか言われると、「もしや…」と考えてしまう。隻眼の英雄モシェ・ダヤン(→Wikipedia)や当時の首相のベンヤミン・ネタニヤフとも親しいし。つかモシェ・ダヤン、なんちゅうヤバい趣味してんだw

 肝心のアメリカが本気になったのは、1970年代初頭だ。きっかけは、ソ連がソッチの研究に本腰を入れている、との報告が入ったため。ソ連もかなり無茶やってて、モスクワの合衆国大使館にマイクロ波を浴びせたりしてる。また1983年には、やはりモスクワの合衆国大使館新築に当たり…

ソ連は(モスクワのアメリカ大使館建設用の)プレキャスト・ブロックのなかにセンサーを埋めこんでいただけでなく、コンクリートにゴミを混ぜこんで、ゴミのあいだのハイテク・センサーが特定できないようにしていたのだ。
  ――第18章 サイキック・トレーニング

 なんちゅうか、油断もスキもありゃしない。もっとも、そのネタを掴んで、建材を調べるCIAも凄いけど。

私も若い頃、模様替え中の某国大使館に入った事がある。建材関係の業者で人足のバイトをしてて、納品しに行ったのだ。改めて考えると、バイトや職人を装えば、潜り込むのは意外と簡単なのかも。

 などの諜報関係の真面目なネタも面白いが、やはり本題は合衆国内の超能力研究・利用の実態を暴くところ。最も熱心にやっていたのは、陸軍の情報保全コマンド=INSCOMだろう。軍全体、特に上層部ではヤギが多いようだが、大きな組織になればヒツジも混じる。そういう人が、こういう組織に惹きつけられるんですね。

 その代表がアンジェラ・デラフィオラ。「私はサイキックなの」と自信満々に語る彼女、元は情報アナリストとして陸軍情報部に務めていた。ただし身分は民間人。そこで陸軍内の超能力系セミナーの話を聞きつけ、強引な手口でセミナーに参加し、優れた才覚を表す。

 彼女が主に行っていたのは、リモート・ビューイング、透視だ。例えば誘拐された人物を指定し、どんな所にいるかを尋ねると、「水の上」などのヒントが出てくる。または現場の風景などだ。広い草原とか、大きな機械とか。

 そういった所は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」的な胡散臭さが漂ってて、なかなか楽しい。加えてヒツジの中でも、「普通の人も鍛えればなんとかなる」派と「生まれつきの才能で決まる」派が睨み合ってたり、キリスト教原理主義団体がリモート・ビューイングを「悪魔の所業」と非難したりと、ソッチの派閥の関係が見えるのも面白い。

 現象の原因を巡っても、厨二病が完治していない者にとっては、美味しいネタが入ってる。第三の目やアカシック・レコードやアストラル界なんてのもあれば、昔は電磁波だったのが最近は量子エンタングルメントに変わったりと、ネタの傾向が見えてきてニヤニヤしたり。ただ、サイコップ(→Wikipedia)などヤギにはいささか辛口なのが、ちと納得いかないけど。

 怪しげなシロモノを、至極真面目な組織が、至極真面目に研究した実態を、少しも茶化さず至極真面目に取材したドキュメンタリー。ではあるんだけど、陸軍のおかたい軍人さんがニューエイジ風のモンロー研究所で修行する風景には、ちょっと笑っちゃったり。そういう、堅さと怪しさのミスマッチが楽しい本だった。また、オルダス・ハクスリーとカール・ユングの登場も嬉しかった。やはりユングはヤバい人だったなあ。ヴォルフガング・パウリまで巻き込んだのはアレだが。

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【どうでもいい話】

 すんげえ久しぶりに献血してきた。あのポスター騒動で献血に興味を持ってた時に、勢いのいい呼び込みが聞こえてきて、ついフラフラと。いろいろな意見があるけど、騒ぎのせいで献血する奴が、少なくとも一人はいたわけで、だとすると騒ぎにも意味はあったのかも。

 あと、ロバート・ T・キャロル 「懐疑論者の事典」ってのが面白そう。

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2019年10月28日 (月)

モルデハイ・バルオン編著「イスラエル軍事史 終わりなき戦争の全貌」並木書房 滝川義人訳 2

イスラエルの水資源は乏しく、しかも水源は北部に偏り、南部乾燥地帯にはない。(略)“砂漠の緑化”というシオニストの思想は、とくにネゲブ砂漠の緑化というビジョンの中に、強く表明されている。
  ――第5章 水資源戦争

PLOを南レバノンの拠点から駆逐し、この地域をヒズボラに明け渡したのは、イスラエルである。
  ――第10章 ガラリヤ平和戦争

 モルデハイ・バルオン編著「イスラエル軍事史 終わりなき戦争の全貌」並木書房 滝川義人訳 1 から続く。

【どんな本?】

 戦火に包まれながらも1948年の建国をなしとげ、その後も絶え間なく戦いを強いられているイスラエル。彼らはどのような情勢で、どのような敵と、どのように交渉しあるいは戦い、それは中東情勢をどう変えてきたのか。

 建国前の情勢から現在に至るまで、イスラエルと周辺諸国の国内事情や政治・軍事・外交政策、そして国際社会の対応を、主にイスラエルからの視点で描く、中東問題の論説集。

【はじめに】

 前の記事では興奮しすぎたな、と反省しつつ、まず全体の感想から。

 目次でわかるように、イスラエルはかなり特殊な国だ。なにせ建国前から途切れず戦争が続いている。しかも戦争の形が様々だ。

 国家の正規軍を相手に、明確な目的を持って戦った六日間戦争(第三次中東戦争)もあれば、ゲリラ相手にダラダラと続いたガラリヤ平和戦争(レバノン内戦)もある。総力戦の1948年のアラブ・イスラエル戦争(独立戦争、第一次中東戦争)もあれば、限定的な水資源戦争もある。たいていはイスラエル単独で戦っているが、フランス・イギリスと組んだシナイ戦争(第二次中東戦争)もある。

 そんなわけで、色とりどりな戦争の経緯が分かる点では美味しい本だ。ただし、視点は軍事研究家ではなく歴史家に近い。つまり、軍事より政治や外交に多くの頁を割いていて、個々の戦闘や兵器の名前は、ほとんど出てこない。また、中東問題の本としては、徹底してイスラエル視点であり、アラブ側の視点ではない。

【ナセル】

 にも関わらず、人物として最も印象に残るのは、建国の父ベングリオン(→Wikipedia)でも隻眼の将軍ダヤン(→Wikipedia)でもない。エジプトのナセル(→Wikipedia)なのが皮肉だ。

アラブ・イスラエル紛争は、相異する三つの文脈で研究しなければならない。(略)ナセル前の時代(1947/8~1954年)、ナセル時代(1955~1970年)、そしてナセル後の時代(1970年以降)である。
  ――第7章 消耗戦争

 実際、当時の中東情勢は彼を中心に動いていたし、21世紀の現代に至るまで、彼が掲げた理想・思想は、アラブの民の底流に流れている。彼はアラブの者に誇りをもたらした。もっとも、その誇りは、六日間戦争でひどく傷つけられ、その傷口からは今なお血が流れ続けているんだけど。それともう一つ、イスラエルへの憎しみも植え付け、これも不安定化の原因となっている。

【ムフティ】

 実はもう一人、アラブの思想の源流となった人物がいる。ハッジ・アミン・アル・フセイニ(→Wikipedia)、エルサレムのムフティ(大法官)だ。ナセルは国家と正規軍そして国際社会による正攻法でイスラエルに立ち向かったのに対し、フセイニはパレスチナ人を中心としたゲリラ戦の源と言えるだろう。

 もっとも、イスラエルのハガナも、早期(1930年代後半)からゲリラ戦に対抗する策を見いだしている。「塔と防御策」と称し、数百人が夕暮れに村に向かい、一晩で村を柵を囲い中央に塔を建て要塞化してしまう。現代中東版の墨俣一夜城かい。そんなこんなで、フセイニが扇動するゲリラは、イスラエル軍の土台となるハガナを鍛え全国的な組織化を促してしまうのが皮肉だ。

【シナイ戦争】

 日本では第二次中東戦争として知られるシナイ戦争(→Wikipedia)を扱う第四章は、イスラエルが珍しく他国と連合した戦いだ。この章では、イギリスへの恨みつらみが滲み出ているのが面白い。よほど恨んでるんだろうなあ。

戦時中、イスラエル国防軍と英軍との間には、直接の連絡が一度もなかった。
  ――第4章 シナイ戦争

 ただ、恨みつらみが先に立って、戦いの全体像が見えないのはつらい。

【水資源戦争】

 島国の日本じゃピンとこないが、淡水の重要性を実感させられるのが第五章。

水をめぐる争いは、(略)シリアが自国内で流域変更計画を実施しようとし、イスラエルが軍事手段でそれを阻止したということである。
  ――第5章 水資源戦争

 イスラエルはヨルダン川とキネレット(ガラリア湖)の水で南部のネゲブの緑化を計画する。対してシリアはレバノン・ヨルダンと組んでヨルダン川の流域を変え、水の横取りを目論んだ。そういえばシリアは今でもチグリス・ユーフラテス川をめぐりトルコと睨み合ってるなあ、とか思いつつ、国際河川の面倒くささが実感できる章だった。

【六日間戦争】

純軍事的側面からいえば、これは近代軍事史上、一方が圧勝した戦争の一つである。イスラエルは、600機を超える敵航空機を撃破し、同じく戦車及び機甲車両数千両を破壊、兵員に数万の損害を与えた。
  ――第6章 六日戦争

 日本では第三次中東戦争(→Wikipedia)で知られる戦争。エジプト・シリア・ヨルダンを相手にイスラエルが圧勝し、今なおアラブの民のトラウマとなっている戦いだ。執筆者は「第三次中東戦争全史」と同じ人で、本書の中では軍事的な内容が濃い。

【消耗戦争】

…エジプトの総崩れという事態がせまれば、ソ連は必ず超大国の威信にかけて介入せざるを得ない。これがナセルの判断である。
  ――第7章 消耗戦争 1969~1970

 イスラエル軍事史と言いつつ、この章はエジプトの話ばかりなのが面白い。強いカリスマを持つ理想家のナセルと、冷静に国際情勢を見極める実際家のサダトを対比してる。イスラエルの視点じゃどうしてもサダトの評価が高くなるんだろうけど、現代アラブ人の評価はどうなんだろう?

【ヨムキプール戦争】

戦争が長びけば、(イスラエル)国防軍は進出域を拡大できる。
  ――第8章 ヨムキプール戦争

 日本では第四次中東戦争(→Wikipedia)と呼ばれる戦争を扱う。先の「六日間戦争」と同じく、軍事的な内容が多い章。エジプトとシリアがイスラエルの不意を突いて攻め込み、また対空ミサイルと対戦車ミサイル“サガー”が活躍した。互いの軍備にアメリカとソ連の睨み合いが反映していると共に、両大国の介入が早期の終戦に結びついたワケで、冷戦構造も悪い事ばかりじゃない、なんて気もしてくる。

【不正規戦】

パレスチナ革命運動の目的は、昔も今も変わらず一貫している。すなわち、イスラエルなきあとにアラブパレスチナ国家を建設する事である。
  ――第9章 不正規戦

 主に PLO を扱う章。アルカイダなど国際的なテロ組織って今世紀のものかと思ったが、実は当時から国際的に共闘していたのだった。本書ではPLOの仲間として、南アフリカのアフリカ民族会議=ANC,モザンビークのモザンビーク解放戦線=FRELIMO,南西アフリカの南西アフリカ人民機構=SWAPO,ドイツのバーダーマインホフ,イタリアの赤い旅団=BR,日本赤軍をあげている。そういえばテルアビブ空港乱射事件(→Wikipedia)もあったなあ。

 当時のPLOのパトロンはシリアだった。ハマスも指揮官はシリアのダマスカスに潜んでたね。他の組織のパトロンはどこなんだろう? 現代のアルカイダや自称イスラム国にも、パトロンがいる気がしてきた。もっとも、合衆国も南米じゃCIA経由で似たような真似をしてるんだけど。

 ここでは、不法侵入を見つける方法が面白い。国境沿いの道路を、敢えて舗装しないのだ。砂地にしておけば、足跡が残るでしょ。

【ガラリヤ平和戦争】

ガラリヤ平和作戦は、(略)1982年6月6日に開始された。(略)しかし、作戦終結の日については答えがない。
  ――第10章 ガラリヤ平和戦争

 レバノン内戦(→Wikipedia)への介入を扱う章。

 黒い九月(→Wikipedia)でヨルダンを追われたPLOは、レバノンに流れ込み南部を支配下に置き、イスラエル攻撃の基地とする。シリアの介入などで弱体化したレバノン政府はPLOを制御できない。そこでイスラエルはレバノン国内のマロン派と組んで軍事介入を試みる。目的はレバノン国内のPLO殲滅と、親イスラエルのレバノン政権樹立。結果、レバノンからPLOは追放できたが…

 これも今になって思えば、アメリカ vs アルカイダの雛型みたいな経緯を辿っている。地元のマロン派は頼りにならず、航空戦力には限界があり、地上兵力を投入して多くの犠牲を出した末にPLOが消えたのはいいいが、その間隙にはシリアとイランの支援を得たヒズボラが根付いてしまう。非対称戦はキリがない。まるきしモグラ叩きだ。

【パレスチナのインティファダ】

後年PLOはあたかも1987年以降の紛争(インティファダ)を主導したようなふりをしたが、(略)長い間インティファダの持つ意味に気づくことすらなかった。
  ――第11章 パレスチナのインティファダ

 イスラエルではオリエント系の移民が増え、右派と左派の溝が深まり、対パレスチナ強硬派のリクードが力を増す。パレスチナでは高学歴の若者が増えるが、世界的な不況が押し寄せ、学歴に相応しい仕事はない。不満を抱える若者たちは投石でイスラエル軍に立ち向かうが…

 という表向きの動きと、インティファダを支援した四つの組織を明らかにする。統一民族司令部=UNC,イスラム抵抗運動=ハマス,パレスチナ左翼集団,イスラム聖戦。

 アラブと左翼運動って、とても相性が悪いって気がするんだが、どうなんだろ? はやりパトロンの関係なんだろうか。

【防盾作戦】

2000年9月18日、野党リクード党首のアリエル・シャロン議員が、エルサレムの神殿の丘を訪れた。(略)翌9月29日、神殿の丘に参集する信徒数万(略)の暴動でパレスチナ人6人が死亡、数十人が負傷した。この激烈な爆発が、エルアクサ・インティファダの始まりとなった。
  ――第12章 防盾作戦

 せいぜい投石や火炎瓶だった最初のインティファダに比べ、第二次インティファダは自爆テロやロケット弾など、より暴力的になっている。いきり立ちつつも、イラク戦争などの関係で自重を求められるイスラエル。しかしパレスチナ代表のアラファトは矛盾したメッセージを発するばかりで指導力を発揮できず…

 「イスラエルは我慢に我慢を重ねたんだ」という著者の叫びが聞こえてきそうな章。アラファトの狸っぷりは、その遺産で明らかになったけど、その後に台頭したハマスはやっぱり過激な暴力主義で、相変わらずパレスチナ問題は混迷を深めるばかりなんだよなあ。

【その後の『イスラエル軍事史』】

(アイアンドームの)ミサイル(タミール)は一発5万ドル。一発100ドル程度でつくられるカッサムロケットにいちいち対応するのは、費用対効果で疑問視する向きもある。
  ――「訳者あとがき」に代えて その後の『イスラエル軍事史』

 原書は2004年出版なので、それまでの経緯しか書いていない。そこで著者らに代わり訳者がその後の10年以上の推移をまとめたのが、この章。主に扱っているのは三つ、対ヒズボラ戦、対ハマス戦、そして国境沿いに展開する国連軍/多国籍軍。

 国境警備で多少なりとも役立っているのはシナイ正面の多国籍監視隊だけで、レバノン正面の国連レバノン暫定駐留軍は「無能、役立たず」、ゴラン正面の国連兵力分離監視隊は「百鬼夜行」と、実に情けないありさま。自衛隊が行ってたゴラン高原は、そんなヤバい所だったのか。さぞ苦労したことだろう。

【おわりに】

 今はエジプトやヨルダンとは手打ちが済み、睨み合ってるシリアは内戦中なので、正規軍相手の戦争は当面なさそうなイスラエルだが、ハマスやヒズボラなど非対称戦は今後もケリがつきそうにない。長く続いた右派ネタニヤフ政権も組閣を断念した様子で(→CNN)、もしかしたらイスラエル側の政策は方向を変える可能性がある。少しは歩み寄りが期待できるんだろうか。

 その中道「青と白」を率いるのは、ガンツ元軍参謀総長。軍人が政権の重要な座を占める事が多いイスラエルだが、彼らの政治姿勢はモシェ・ダヤンやイツハク・ラビンなど左派も多いのに気がついた。書名は軍事史だが、内容は軍事より内政や外交の比率が高く、より総合的な視点の本だった。

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