カテゴリー「書評:軍事/外交」の160件の記事

2017年9月11日 (月)

齋木伸生「ミリタリー選書23 フィンランド軍入門 極北の戦場を制した叙事詩の勇者たち」イカロス出版

部隊を支える各種車輛の面でも、フィンランドの工業力がこれを供給することは不可能だった。戦車部隊を除いては、フィンランド軍の唯一の機動部隊は、自転車およびスキー部隊であったことがこれを物語っている。
  ――第二章 フィンランド軍の兵器と装備 第一節 陸上兵器・小火器

フィンランド軍の戦車師団は、全保有装甲車輛163輌のうち100輌以上がソ連軍からの捕獲品で、しかも残ったビッカース戦車やドイツ軍の突撃砲なども前述のように一部「ソ連化」されていた。
  ――特別寄稿  4 フィンランド軍 分捕り兵器列伝

フィンランド軍は少数精鋭化を目指すのか。いやそうではない。フィンランド軍の本質は今後も変わることはない。それはテリトリアル防衛システムと国民皆兵制度である。
  ――第四章 第二次世界大戦後のフィンランド軍

【どんな本?】

 1939年11月30日。既にポーランドはドイツに蹂躙され、欧州は第二次世界大戦の暗雲が渦巻いていた。1917年12月6日にロシア帝国から独立したばかりの北欧の小国、フィンランドは存亡の危機に陥る。隣の大国ソ連が、大軍を擁し攻め込んできたのだ。

 フィンランド軍の総兵力は約29万5千、しかも工業力が乏しいため部隊の機械化はほとんど進んでいない。対するソ連は45万の大兵力に加え、戦車2千輌・航空機3千3百機と、装備でも圧倒的な優位にある。

 誰もが絶望的と考えた戦いでありながら、意外な事にフィンランドは持ちこたえ、一部の領土こそ割譲を余儀なくされたものの、国家としての独立は最後まで維持した。雪中の軌跡(→Wikipedia)と呼ばれ世界の注目を浴びた戦いである。

 圧倒的な戦力差を、周到な準備と地の利を生かした戦術でしのぎ、また卓越した外交手腕で戦争を終わらせ独立を維持した冬戦争・継続戦争を中心に、国家としての成り立ちから現在までのフィンランド史をフィンランド軍を軸に描く、軍事解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年8月31日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで約356頁。9.5ポイント47字×19行×356頁=約317,908字、400字詰め原稿用紙で約795枚。文庫本なら厚めの一冊分だが、地図・写真・イラストを豊富に収録しているので、文字数は8~9割程度。

 軍事物のわりに文章は比較的にこなれている。ただ内容はマニア向けなので、少々覚悟が必要。第二次世界大戦前後の欧州情勢が背後にあるが、それについても高校の世界史の教科書に載っている程度の前提知識が必要。

 また、戦場の地図を多数収録しているので、栞を沢山用意しておこう。

【構成は?】

 内容はかなりマニアックだが、序章で大雑把ながら歴史と当時の情勢を説明しているので、意外と初心者でもおおまかな事情はわかるのは親切。

  • はじめに
  • 序章 第二次世界大戦までのフィンランド軍の歩み
  • 第一章 フィンランド軍の戦歴
    • 第一節 冬戦争
    • 第二節 継続戦争
    • 第三節 ラップランド戦争
  • 第二章 フィンランド軍の兵器と装備
    • 第一節 陸上兵器・小火器
    • 第二節 艦船・小型艦艇
    • 第三節 航空機
  • 第三章 フィンランド軍の編成・軍装
    • 第一節 フィンランド軍の創設と発展、編成
    • 第二節 フィンランド軍の軍装
    • フィンランド救国の英雄
       カール・グスタフ・マンネルヘイム伝
  • 第四章 第二次世界大戦後のフィンランド軍
  • 特別寄稿
    • 1 ソ連が未曽有の損害を記録したフィンランド戦争
    • 2 SSフィンランド義勇大隊の戦歴
    • 3 フィンランドにおけるイタリア海軍の戦歴
    • 4 フィンランド軍 分捕り兵器列伝
  • カラーグラフ・ギャラリー
    • 戦争博物館・戦跡
    • 装備・徽章・勲章
  • 付録
    • 関連年表
    • お薦め映画紹介
    • お薦め資料本紹介

【感想は?】

 マニアックなネタながら、見事な力作で、しかも可能なかぎり初心者に親切な作りになっている。

 なんといっても、要所要所に地図が入っているのが凄い。フィンランドの地理などほとんど知らない私でも、なんとか読み進められたのは、豊富に収録された地図のお陰でもある。

 内容の中心をなす冬戦争・継続戦争は、とても劇的な戦いだ。当時のソ連は人口1億6千万ぐらい。対するフィンランドは人口400万に満たない。40倍以上の差である。軽く蹂躙された挙句、ポーランドやバルト三国のように呑み込まれてもおかしくなかった。フィンランドが独立を維持し得たのは、奇跡と言っていい。

 にも関わらず、本書の筆致は冷静で控えめであり、淡々と戦況の変化を追ってゆく。有名なシモ・ヘイヘ(→Wikipedia)やユーティライネン(→Wikipedia)の出番もなく、徹底して俯瞰した視点で戦いの経緯を追うに留めている。

 そんなわけで、雪中の軌跡を起こした原因も、簡単に「これだ」と解るように示してはいない。そもそも戦争という現象が複雑なシロモノなので、単純に一つの原因だけと決めつけられるものではないんだろう。

 とはいえ、幾つかのヒントは示している。

 最も大きいのは、戦争を率いたマンネルヘイムの卓越した能力だろう。

 広く国際情勢を眺め先を見越す外交センス。限られた資源で最大の成果を挙げるべく、自らの背丈にあった目的・戦略・戦術をハッキリと示す判断力と決断力。それに沿った組織や装備を揃える政治力。個々の戦線の戦果に惑わされず、基本方針を守り通す強い意志。

 最初から「マトモに当たったら勝てない」と見越すだけならともかく、予め最小限の被害で食い止めるべく陣地帯を整備するのも常識だろうが、開戦初期から「速やかに陣地帯へと撤退」しちゃうのも賢い。計画的な撤退だけに、焦土作戦で橋を落とし地雷やトラップを入念に仕掛け、敵の前進を阻むのである。

 軍人にとって後退は嬉しくないはずなのに、こういった割り切りをアッサリできるあたりが、プロの凄みを感じる所。転進すら兵に教えていない、どこぞの軍とは大違いだ。

 国際情勢を見据える目も鋭い。

1941年12月21日、マンネルヘイムはリュティ大統領に戦争の見通しについて語った。すでにドイツ軍はモスクワ前面で敗れ、日本の真珠湾攻撃によってアメリカが参戦していた。彼はリュティに言った。「カタストロフが始まった」と。
  ――第一章 フィンランド軍の戦歴 第二節 継続戦争

 と、1941年末の時点で、第二次世界大戦の行く末を見通してる。勢いに任せて戦争を始めた大日本帝国とは大違いだ。

 特に彼の凄みが出ているのは、終戦工作。

「戦える力がかろうじて残っている今こそ、和平協定のテーブルにつかねばならない。もし軍がこれ以上戦えないというのであれば、我々は何を材料にソ連と協定を結べるというのだ。我々に残されているのは完全な屈服だけだ」
  ――第一章 フィンランド軍の戦歴 第一節 冬戦争

 奇跡的な善戦で戦況こそ思ったより有利に進んでいるものの、圧倒的な国力の差はどうしようもない。今は持ちこたえられても、戦いが長引けば戦力は消耗し、結局は体力差で押し切られる。軍の面子などに拘らず、厳しい現実をハッキリと政治家に告げるあたり、「終戦史」に見る大日本帝国との差が…

 戦術レベルでは「モッティ戦術」が特徴だろう。雪原と森の地形に、スキーや自転車の機動力を活かし、敵の前線を分断して補給を絶ち、その後に包囲して個々に潰していく。

 スキーは有名だが自転車ってのにも驚いた。編成でも、独立した自転車大隊が7個の他に、それぞれの師団ごとに自転車中隊がある。当時としちゃ自転車は重要な機動力だったんだなあ。とはいえ、冬は雪原で夏は泥沼と化すフィンランドで、自転車がどれだけ役に立つのか、と疑問に思ったが…

 その自転車、ちゃんと写真が載っているのが嬉しい。一枚だけだけど。雰囲気、蕎麦屋の出前や警官が使うガッチリした実用車みたいだが、サドルの位置が高くてハンドルと同じぐらいの高さ。不明瞭だが、タイヤも太く頑丈そうだ。ちなみに季節は夏っぽい。

 もう一つ驚いたのが、ソリ。雪原の中、なんとトナカイが曳いてる。連隊司令部の前なんで、さすがに前線っじゃないにせよ、お国柄が良く出てる。

 などの写真も豊富なのも嬉しい所だろう。私はコンクリート製の対戦車障害物が印象に残った。地面から高さ1mほどの牙がニョキニョキと生えてる感じで、確かに戦車が進むには邪魔になりそう。

 強大かつ好戦的な大国の隣にありながら、絶妙のバランス感覚と強靭な意志で独立を守り通した小国フィンランド。その秘訣の一部が垣間見える、専門的でありながら初心者にも親切な一冊だ。

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2017年9月 8日 (金)

「中国古典兵法書 三略」教育社 真鍋呉夫訳・解説

 『三略』の略は戦略、あるいは機略を意味し、その内容は上略・中略・下略の三部によって構成されている。
 そのうちの上略は礼賞を設け、奸雄を分かち、成敗を著かにしている。中略は徳行をさし、権変を審らかにしている。下略は道徳を陳べ、安危を害し、賢を賊うの咎を明らかにしている。
  ――三略について

「兵を動かす時には、まず敵国の内情をさぐり、特に食糧事情に重点をおいて調査せよ。できるだけ正確にその備蓄量を算定して、敵の強弱を判断せよ。また、敵国の地理を十分に研究して、その隙を狙え」
  ――上略

いったん戦いのために将兵に付托した権力を、戦いがすんだからといって急に取り上げるのも、容易なことではない。いや、むしろ、故国に凱旋した軍隊の武装を解除する時にこそ、国家存亡の真の危機がくる、と言ってもいい位である。
  ――中略

身近なことよりも遠くのことに力を注いでいる人は、その苦労の割には報いられることが少ない。その反対に、遠くのことよりも身近なことに力を注いでいる人は、思いのほか容易に所期の目的を達成することができる。
  ――下略

【どんな本?】

 三略(→Wikipedia)は孫子呉子・司馬法・尉繚子・六韜・李衛公問対と並ぶ、武経七書の一書である。六韜同様に、太公望(→Wikipedia)が著し黄石公(→Wikipedia)が張良(→Wikipedia)に与えたとされるが、実際は秦または漢の頃に成立したと考えられている。

 武経とあるが、内容は一種の帝王学であり、人事のコツ・軍の掌握方法・国の治め方など、王としての心得を説くものが中心で、具体的な戦術や戦略の話はほとんど出てこない。「柔よく剛を制し、弱よく強を制す」など、老子の影響が濃いのも大きな特徴。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 明の劉寅著『七書直解』を底本に、諸家の註本を参照。教育社版は1987年6月20日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文訳113頁。うち書下ろし文が32頁、名言佳句が7頁なので、それを除くと約74頁。11ポイント35字×16行×113頁=約63,280字、400字詰め原稿用紙で約159枚。小説なら中編の分量。今は中公文庫BIBLIOSから文庫版が出ている。

 私が読んだのは解説と現代語訳だけで、書下ろし文と名言佳句を読み飛ばした。現代語訳は意外とこなれていて読みやすい。解説も時代背景や成立時期について具体的かつ分かりやすく指摘しているので、とても参考になる。

【構成は?】

 解説・訳
三略について
 上略
 中略
 下略

三略書下ろし文
 上略
 中略
 下略
三略名言佳句 

【感想は?】

 兵法書というよりは、王のための思想書が近い。

 ただし老子の影響が強いのがクセ者。何か深い事を言っているようで、実はどうにでも解釈できる文章が多く、考えれば考えるほど煙に巻かれた気分になったり。

 例えば上略では臨機応変を説いているが、じゃ具体的にどんな機にどう応じるのがいいかって段になると、何も書いていない。そこは「自然の働きに学」べ、とくる。そのくせ、後の方では「いったん出した命令は取り消すな、賞罰は厳格に」とか。どっちやねん。

 とまれ、論争の相手を言いくるめるには便利かも。まあ、中国の古典の思想書なんて、たいていがそんなもんだが。

 全般的に平等主義的なのも、この本の特徴かも。「世に祖先を尊ぶ者は多いが、人民を愛する者は少ない」とか、「将が兵と同じメシを食えば兵の士気が上がる」とか。そういえばナチスのSS、戦闘部隊は将兵が同じメシを食ったという話を聞いた事があるが、本当なのかな?

 などと、「敵にどう対するか」より、自軍をどうまとめるか、に重点を置いているのも、この本の特徴だろう。これは当時の中国の軍の問題で、平時から兵を抱え鍛えている常備軍じゃないからだ。戦の度に、そこらの農民をかき集め、頭数を揃えてただけ。だもんで…

一軍が中心を失ってばらばらに解体しはじめれば、兵士たちは続々戦線から離脱するようになる。
  ――上略

 と、負けが込むと兵が逃げ出すのはごく普通だった事をうかがわせる。そう言えば、劉邦も、秦の統治の頃は小役人で、人足を集め集合場所に行く道中に、人足と一緒に脱走したんだっけ。

 これは謎なのだが、上略ではやたら「軍讖(ぐんしん)」なる書物からの引用が多い。「軍事についての最高の指針」とあるが、デッチアゲの可能性が高い。同様に中略では「軍勢(ぐんせい)」なる書物が出てくるけど、これも正体は不明。

 もっとも、ソレはソレで、漫画や小説のネタとして使えば、面白い話が創れるかもしれない。

 これが下略になると、もう完全に政治の話ばかりになる。それも、君主の振る舞いを説いたもので、人事が中心だ。要は賢人や聖者を集めろって事なんだが、じゃ具体的に賢者をどう見極めりゃいいのかって段になると、そこはムニャムニャだったり。

 ここも基本は君主に厳しくて、「明君は礼楽によって人民を楽しませるが、暗君は自分が楽しむだけ」「まず自分を正して、しかる後に他人を教化」せよ、とくる。当然と言えば当然だが、これがなかなか難しい。ちなみに礼楽とは…

打楽器や弦楽器による音楽のことではなく、人民がその家庭や親族の親和を楽しむことをいう。また、人民がその仕事や郷土に愛着を持つことを言い、その政令や道徳に欣然としたがうことを言うのである。

 だからって、人民に「家族仲良く」とか「愛国心を持て」とか命令しろ、と言ってるわけじゃないんだけど。

 などと、少々斜に構えた書評になってしまったが、それは書かれている内容が私にとって馴染みの深いものだからだ。それだけ、日本の文化に染み込んでいる、思想や文化の原点だということなんだろう。

 文章もこなれている上に頁数も少なく、アッサリと読み終えられるので、有名な割に軽い気持ちで読めるのも嬉しい所。ただ、書店にもあまり出回っていないので、見つけたらすかさず確保しておこう。

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2017年8月10日 (木)

エリザベス・ハラム編「十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立」東洋書林 川成洋・太田直也・大川美智子訳

「エルサレムは世界の中心であり、どこよりも実り豊かな土地、さながら第二の楽園である。この気高い都市は今や敵の手に捕われ……解放を切望している。止むことなくあなた方の助けを求めているのだ」
  ――編者ノート

第一回十字軍はエルサレム征服という偉業を成し遂げたが、第二回十字軍はダマスカスからの撤退という不名誉な結果に終わった。
  ――第3章 第二回十字軍 1147~1149年

第1回十字軍の参加者たちの主な財源は、所領を抵当とした借金と、所領の売却によって捻出されたものだった。
  ――第4章 第三回十字軍 1189~1192年

1204年、第四回十字軍の軍勢はビザンツ帝国の首都であり、東方教会の総主教座であり、ローマ帝国最盛期から受け継いできた文化的・芸術的・知的遺産の宝庫でもあるコンスタンティノープルを攻撃し、略奪した。
  ――第5章 第四回十字軍 1202~1204年

1203年から1204年にかけての第四回十字軍が目標をコンスタンティノープルに転じたということは、13世紀初頭、聖地における十字軍国家にヨーロッパからの支援が、ごくわずかしか届かなかったということを意味していた。
  ――第6章 13世紀の十字軍

聖地からキリスト教徒を排除することから始まった十字軍史上の最後の最後の一時代は、この東ローマ帝国の終焉(1453年5月29日コンスタンティノープル陥落)をもって幕を閉じ、今やオスマン・トルコがローマ帝国の誇り高き後継者となったのである。
  ――第7章 最後の十字軍

【どんな本?】

 11世紀末。西ヨーロッパのカトリックが、イスラム教徒から聖地エルサレムを取り戻すために始まった、壮大な遠征・十字軍。

 だが当時の航海技術で東地中海を渡るのは難しく、バルカン半島からアナトリアを越える陸路も、飢えと賊の襲撃に悩まされる、長く困難な道のりだった。

 第一回十字軍こそ聖地エルサレム奪回を成し遂げたものの、以降の十字軍は次第に性格を変え、やがて異端とされるカタリ派や同じキリスト教徒の都であるコンスタンティノープルすら襲うようになってゆく。

 その背景には、どのような外交・政治・経済そして宗教事情があったのか。

 本書は、遠征軍の主体となった西ヨーロッパ諸国やビザンツ帝国はもちろん、トルコのセルジュークやオスマン、エジプトのアイイユーブやマルムーク、そして中央アジアのティムールに至るまで、関連諸勢力の興亡と同盟・対立関係そして内部紛争などの政治・外交・軍事情勢を明らかにしてゆく。

 それと共に、当時の人々が遺した手紙や手記などの一次資料を大量に集め、遠征参加者の実情や遠征資金の方法、そして地を赤く染める戦闘と略奪の様子までを、生々しい描写で現代に蘇らせる。

 十字軍を中心に、イスラム社会と西欧のカトリック社会の軋轢を描く、やや専門的な歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Chronicle of the Crusades, by Elizabeth Hallam, 2000。日本語版は2006年11月10日発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約607頁に加え、訳者あとがき3頁。8.5ポイント25字×22行×2段×607頁=約667,700字、400字詰め原稿用紙で約1,670枚。文庫本なら3~4巻分の巨大容量。堂々950gは筋トレにも使えそう。ただし図版や写真を豊富に収録しているので、実際の文字数は8~9割ぐらいか。

 文章はやや硬い。内容的にも、かなり突っ込んだ話が多く、素人の私にはちと辛かった。当時のヨーロッパ史に詳しいと、もっと楽しめたと思う。また、地中海とその沿岸が舞台であり、近辺の地名が続々と出てくるので、地図や Google Map などを用意しておこう。

【構成は?】

 原則として時系列順に進む。各章の構成が独特で、詳しくは後で述べる。また、人物解説と用語解説は、項目の並びが一見ランダムに見える。たぶん原書のアルファベット順をそのまま載せたんだろう。できれば50音順にして欲しかった。索引は50音順なんだけどなあ。

  • 編者ノート/序文
  • 第1章 1096年以前のイスラーム圏
    カリフ、アル=ハーキムの行状/アル=ハーキム、キリスト教徒およびユダヤ教徒を迫害/アル=ハーキムの奇怪な最後/武器をとるように、とのキリスト教徒への最初の呼びかけ/1026年のリシャール修道院長の巡礼/聖地への旅/岩のドーム/リエベール司祭の巡礼、1056年/1054年、ビザンツ教会の総主教、破門される/偉大なドイツ人巡礼団/1059年のアルメニアの大虐殺/1071年、マンズィケルトの戦い/アルプ=アルスラーン、罠を仕掛ける/ロマノス皇帝、捕虜となる/1085年、トルコ軍、アンティオキアを攻略/キリスト教国の拡張 スペイン、1065~99年/1094年、エル・シッド、バレンシアを征服/エル・シッド、膨大な戦利品を鹵獲/1094年、エル・クァルティの戦い/キリスト教国の拡張 シチリア、1061~91年/聖者の奇跡的な出現/1072年、パレルモの陥落/ビザンツと西ヨーロッパ 1080~95年/1081年、デュラキオンの包囲/ヴェネツィア艦隊の到着/1085年、ロベール・ギスカールの死/東方と西ヨーロッパとの新たな関係
  • 第2章 第一回十字軍 1096~1099年
    ウルバヌス二世、十字軍を提唱/十字軍の準備/聖者ピエールの十字軍/ユダヤ人の虐殺/アレクシオスと十字軍/ニカエアの攻略/1097年、ドリュラエウムの戦い/エデッサ、最初の十字軍国家/1098年、アンティオキアでの背信/「聖なる槍」の奇跡/アンティオキアからエルサレムへ/1099年、エルサレム包囲/ゴドフロア・ド・ブイヨンの死十字軍国家初の王国、エルサレム/1101年の十字軍/ボードワン一世の治世/ボードワンの死/アレクシオス一世の死/「血染めが原」の戦い/1124年、テュロス陥落
  • 第3章 第二回十字軍 1147~1149年
    1144年、エデッサ、ザンギーに征服される/ザンギー、惻隠の情に動かされる/教皇、新たな十字軍を提唱/コンラート三世十字軍に赴く/ユダヤ人への襲撃、1146~47年/1147年、対ヴェンデ十字軍/バルト十字軍/1147年、ポルトガルにおける十字軍/ルイ七世、東方に出立/コンラート三世、東方に出立する/レーゲンスブルグでのルイ七世/コンラート三世、コンスタンティノープルに到着/アンティオキアでのルイ七世とエレアノール/1148年、ダマスカス攻撃/第二回十字軍の失敗/1154年、ヌールッディーンの勝利
  • 第4章 第三回十字軍 1189~1192年
    レヴァントの支配者、サラディン/1187年、八ッティンの戦い/1187年、サラディン、エルサレムを奪還/1187年、コンラート、アッコに到着/1187年、十字軍提唱/ヘンリー王、援助を約束/カンタベリー大司教、ウェールズで十字軍を勧誘/フリードリヒ一世、十字軍の誓願を立てる/1189年、フリードリヒ一世の十字軍/1190年、メッシーナでのリチャード一世とフィリップ二世/アッコ包囲、1189~91年/リチャード一世、キプロス略奪/1191年、アッコ陥落/1191年、フィリップ王、フランスに帰還/1191年、アルスーフの戦い/1192年、パレスティナにおけるリチャード王/1192年、リチャード王、捕われる/1193年、サラディンの死/教皇、十字軍を提唱/1195~8年、ドイツ十字軍
  • 第5章 第四回十字軍 1202~1204年
    フランス貴族、十字軍に誓願/ヴェネツィアとの条約/ボニファチオ、十字軍の総帥となる/十字軍、条約を守らず/元首、妥協案を提示す/ザーラ、十字軍に降伏/コンスタンティノープル攻撃への同意/教皇、破門を仄めかす/十字軍、コルフ島に召集される/1203年、コンスタンティノープルに到着/第一回コンスタンティノープル包囲/1203年、アレクシオス、即位/ムルツフロス、戴冠/第二回コンスタンティノープル包囲/ムルツフロス、遁走する/1204年、コンスタンティノープル略奪/ボードワン、皇帝に選ばれる/1204年、バルト十字軍/1212年、レコンキスタ(国土回復戦争)/1209~29年、アルビジョワ十字軍/1208年、懲罰十字軍の提唱/十字軍、ランドックに進軍す/ベジエの大虐殺/異端者の焚刑/1211年、トゥールーズ伯レイモン、刑を宣告さる/1213年、ミュレの戦い/1218年、トゥールーズ包囲/新たに誕生したドミニコ修道会/異端審問の開始/少年十字軍
  • 第6章 13世紀の十字軍
    1218年、ダミエッタ包囲/アル=カーミルの休戦提案/教皇、条約を禁ずる/1221年、フランク軍の悲惨な突撃/1221年、ムスリム、ダミエッタを奪還/1228年、フリードリヒ二世の十字軍/1228年、フリードリヒ二世、キプロスに上陸/1229年、フリードリヒ、エルサレムを取り戻す/1240年、コーンウォール伯リチャードの十字軍/1244年、トルコ人、エルサレムを奪取/1244年、ルイ九世、十字軍に誓願/1249年、ルイ九世、エジプトに上陸/1250年、万スーラの戦い/1250年、ルイ王敗退し、捕虜となる/賢王、ルイ九世/ルイ九世の使者、モンゴル帝国へ/1261~3年、バイバルスの台頭/1271~2年、イングランドのエドワード皇太子の十字軍/1289年、トリポリ陥落1291年、アッコ陥落/1291年、シドンおよびベイルートの陥落
  • 第7章 最後の十字軍
    テンプル騎士団の廃絶/ジャック・ド・モレーの罷免/聖地回復の方策/キプロスの十字軍国家/キプロス王ピエール一世が受けたお告げ/ピエール一世、十字軍を提唱/1365年、アレキサンドリア攻撃/十字軍、無に帰す/1369年、ピエール一世の暗殺/1373年、ジェノヴァ人、ニコシアを劫掠/1390年、マハディーヤ十字軍/十字軍の失敗/1396年、ニコポリス十字軍/トルコ軍の逆襲/十字軍の挫折/モンゴル皇帝、ティムール/1420~32年、フス十字軍/マルムークのスルタンの権力/1426年、マルムーク、キプロスを侵略/オスマン・トルコの台頭/征服王メフメト二世/空中に前兆現る、コンスタンティノープルの終焉を示す凶兆/1453年、コンスタンティノープル陥落/コンスタンティノープルの皇帝の最後/トルコ軍、コンスタンティノープルに入城/トルコ軍、コンスタンティノープルを略奪
  • 第8章 1453年以降の地中海
    征服王、メフメト二世/メフメト二世、アテネを訪なう/コンスタンティノープルの復興/オスマン・トルコの海運力の勃興/最後の十字軍教皇、ピウス二世/ピウス二世、十字軍に失望/1477年、モルダヴィア征服/1481年、オスマン・トルコ、ロードス島を攻撃/1481年、メフメト二世の死/1494年、シャルル八世の「聖戦」/スペインにおける聖戦/1482年、アラマ・デ・グラナダの制圧/1484年、セテニール攻略/1492年、グラナダ陥落/1520年、スレイマン大帝、トルコの新スルタンになる/1535年、トルコ軍、チュニスを奪う/1565年、マルタ島の包囲戦/1570年、トルコ軍、ニコシアを奪取/1571年、レパントの海戦/十字軍運動と新世界/クリストファー・コロンブス、1492~1504年/エルナン・コルテス、1519~21年
  • 人物解説/用語解説/年代記/参考文献/図版出典/索引/訳者あとがき

【感想は?】

 かなり本格的な本で、私のような素人が読むには工夫が要る。

 そもそも、「エリザベス・ハラム編」なのがミソ。「著」ではなく、「編」なのだ。キモは各章の構成で、独特の編集をしている。

 各章は、大雑把に三つの要素を含む。

  1. 概要:冒頭8~10頁ほどで、章全体の内容を俯瞰した文章。
  2. 資料集:章の本体を成す部分。当時の人が遺した日記や手紙などの一次資料の翻訳。
  3. コラム:登場人物や重要な概念などを、独立した記事として1頁にまとめたもの。

 なお、資料集の合間に適宜コラムを挟む形になっている。

 こういう形なので、十字軍の大筋を掴みたい素人は、いきなり頭から通して読むのではなく、ちと工夫が要る。つまり、各章の概要だけを拾い読みするのだ。もう少し雑学を仕込みたかったら、美味しそうなコラムをつまみ食いするといい。

 加えて、華麗な図版が沢山載っているので、パラパラめくっっているだけでも結構楽しめる。

 肝心の資料集は、モロに一次資料。これが実に曲者で、ソレナリに読み方を心得ないと解釈が難しい。というのも。

 なにせ当時の人が書いた文章だ。アチコチに聖書やコーランの引用やら「神――その名よ讃えられてあれ――」やらの慣用句やら「ああ!」とかの感嘆符やらが出てくるので、無駄に長い。

 おまけに直接の利害関係者が書いたものが多いので、中身もイマイチ信用できない。

 これは編者も心得てか、中には同じ事件を異なる立場の者が書いた文書を並べてたりする。例えば、最初の十字軍国家エデッサ(→Wikipedia)を、トロス公爵からボードワン・ド・ブーローニュが継ぐくだり。十字軍の従軍司祭フーシェと、アルメニア人年代記作家マチューじゃ、全く様子が違ってたり。

 当然、文中に出てくる台詞は怪しいし、兵数とかの数字も相当に盛ってると考えるべきだろうなあ。

 登場する勢力は大雑把に三種に分かれる。カトリックの西ヨーロッパ、ビザンツ影響下の東ヨーロッパ、そしてイスラム勢力だ。本書の視点や資料は西ヨーロッパが最も多く、次いでイスラム・ビザンツの順。割合としては西ヨーロッパ7:イスラム2::ビザンツ1ぐらいか。

 そう、十字軍というとバチカン vs イスラム教みたいな構図で考えていたが、実はその間に正教のビザンツ帝国があったのだ。このビザンツが、西ヨーロッパ視点だと頼りになったり足をひっぱったり単に無能だったりで、意外と重要な役割を果たす。

 やはり意外だったのが、十字軍の構成員。てっきり、所領を継承できない貴族の次男坊・三男坊が食い詰めた果てに一攫千金の博打に出たのかと思ったが、全然違った。少なくとも、最初の十字軍は。

十二世紀初頭に騎士ひとりあたりの東方遠征にかかった費用を推定する妥当な方法は、年収を四倍すればいい。
  ――序文

 と、そんなわけで、主戦力である騎士として参加するには、相応の費用がかかるわけで、無駄飯ぐらいの次男坊・三男坊が勝手に参加できるほど甘いもんじゃなかったのだ。

 実際、当時の旅は大変だったらしく、陸路でエルサレムを目指した者たちは、バルカン半島じゃ賊に襲われアナトリアじゃ飢えと渇きに苦しんでいる。

 こういう記述を見ると、海路の有難みがよくわかる。そんなわけで、本書全体を通し大きな存在感を示すのが、ヴェネツィア。彼らの持つ海運・海軍力の、いかに頼もしい事か。などと頼もしいのはいいんだが、地中海全般に通商網を張り巡らせた貿易国家だけに、思惑は戦士たちといささか異なり…

 やはり意外な参加者が、巡礼者。

多くの者にとって、十字軍は教皇の祝福を受け、しかも強力な軍隊によって守られた大巡礼団だったのである。
  ――第2章 第一回十字軍 1096~1099年

 と、少なくとも最初はかなりの数の非武装の庶民が参加していた様子が伺える。もっとも、これには教皇ではなく、隠者ピエールなどの乞食坊主っぽい人たちの扇動によるもの。いや乞食坊主どころか貧しい人からは敬われてたみたいだけど。これが後には少年十字軍なんて悲劇も引きおこしたり。

 少年ばかりか女もかなりの数が参加してて、中には太刀をふるって戦う女もいた。かと思えば、「騎士は洗濯女以外を連れてっちゃ駄目」なんてお触れが出るぐらい、怪しげな女もいたらしい。こういったあたりからは、当時の軍の行軍の様子が伺える。

 軍事的には、セルジューク・トルコの戦術が絵に描いたような機動防禦なのに驚いた。

 同じ騎兵でも、十字軍の騎士は重い鎧を着こんだ重武装。対してトルコは、せいぜい鎖帷子の軽騎兵。そこで機動力を活かした戦術を使う。まず矢や投げ槍で挑発し、すぐ退散する。十字軍の騎士が追いかけてきたら、逃げながら伏兵が待つ所へ誘導し、フクロにするって寸法。

 同じ戦術をモンゴル帝国も得意としてたし、イスラエル軍も中東戦争で戦車部隊が活用してた。こういう戦術は、機動力に優れる軍の定石なのかも。

 これが攻城戦になると、双方が坑道戦を使う。城壁の下まで木材で補強しつつトンネルを掘り、最後に城壁の下の木材を燃やしてワザとトンネルを崩落させ、その上にある城壁を崩すのだ。これもまた定石なんだろうなあ。

 などと戦ってる連中はいいが、標的となった都市や周囲に住む人にとっちゃいい迷惑で。都市住民は飢えに苦しんだ挙句に略奪・強姦・虐殺され、周囲の農民は食料を徴発される。困った奴らだ。

 当初は聖地奪回が目的だった十字軍が、スポンサーの都合でコンスタンティノープルやカイロを襲い始めるあたりは、もはや聖戦というより流離の傭兵団といった趣だし、ドイツのユダヤ人虐殺やフランスでのカタリ派掃討あたりは、ドサクサ紛れの乱行としか思えなかったり。

 にしてもカタリ派、Wikipedia で調べても、「カタリ派の思想については大部分が反駁者たちの書物の偏見の混じった記述からしか知ることができない」ってぐらい、徹底的に抹殺されてるあたり、かなり念を入れた虐殺があったんだろうなあ。恐ろしい話だ。

 終盤、西ヨーロッパ諸国はカトリック同士の争いに加えてプロテスタントの離反があり、軍事力・経済力を内輪もめで消耗してゆくのに対し、強力なスルタンに率いられたオスマン・トルコが台頭してくるあたりは、統一国家の強さがひしひしと伝わってくる。

 もっとも、版図が広い分、敵も多くて、ヨーロッパばかりに構っちゃいられないあたりは、大帝国の辛い所。

 などと無駄に長い記事になったが、気になるトピックを挙げていくとキリがないので、この辺で終わりにしよう。容量が凄まじい上に、その多くが一次資料でなっている、本格的な歴史書だ。腰を据えてじっくり読もう。

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2017年6月12日 (月)

バリー・パーカー「戦争の物理学 弓矢から水爆まで兵器はいいかに生み出されたか」白揚社 藤原多伽夫訳

本書では物理学のたいていの分野に触れ、それらが軍事にどのようにおうようされているかを解説する。
  ――1 はじめに 本書の概要

弓の威力を決めるのに重要な要素はいくつかあるが、そのうちの三つは、弓の長さ、形、材料だ。一般的に弓は長ければ長いほど威力を増す…
  ――3 古代の兵器の物理学

理論上、水爆の威力には限界がない
  ――18 水素爆弾、大陸間弾道弾ミサイル、レーザー、そして兵器の未来

【どんな本?】

 戦闘と物理学と言えば、マンハッタン計画が生み出した原爆や話題の無人航空機、SFに出てくる光線銃や衛星兵器を思い浮かべるだろう。しかし、大昔から使われている弓や投石器、騎士がふるう剣やまとう鎧にも、物理学は大きく関係している。

 古代の戦車(チャリオット)から攻城用兵器、大砲や銃の進歩や使われている技術と原理、航空機や潜水艦などの乗り物、そして核兵器からレーダーなどの情報機器まで、軍用機器の歴史を辿ると共に、それに関係した物理学のトピックを、色とりどりのエピソードに交えて語る、一般向けの科学・軍事解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Physics of War : From Arrow to Atoms, by Barry Parker, 2014。日本語版は2016年3月25日第一版第一刷発行。私が読んだのは2016年5月10日発行の第一版第二刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約402頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×402頁=約351,348字、400字詰め原稿用紙で約879枚。文庫本なら上下巻にしてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。アチコチに数式が出てくるが、だいたいの意味は文章でも説明しているので、わからなければ無視しても構わない。理科が得意で軍事にアレルギーがなければ、中学生でも充分に楽しめるだろう。

 ただし、これを読んでも、さすがに原爆は作れない。原理は分かるけど。でも威力のある弓ぐらいは作れそう。

【構成は?】

 時系列順に並んではいるが、各章はけっこう独立しているので、美味しそうな所だけを拾い読みしてもいい。

  • 序文
  • 1 はじめに 本書の概要
  • 2 古代の戦争と物理学の始まり
    カデシュの戦い/古代の戦闘馬車/銅、ブロンズ、鉄/アッシリア人/ギリシャ人と物理学の始まり/投石器/アレクサンドロス大王/アルキメデス
  • 3 古代の兵器の物理学
    速度と加速度/力と慣性/運動量と力積/重力の影響/エネルギーと仕事率/角運動量とトルク/機械/弓矢の物理学/投石器の物理学
  • 4 ローマ帝国の勃興と、英仏の初期の戦い
    ローマ軍とその武器/英仏の初期の戦い/ロングボウの起源と物理学
  • 5 火薬と大砲 戦争の技法と世界を変えた発見
    ロジャー・ベーコン/書記の大砲/百年戦争/ウルバン砲とコンスタンティノープル包囲/イングランドとスコットランドの戦いで使われた大砲/フランス軍/シャルル八世とナポリでの勝利
  • 6 時代を先取りした三人 レオナルド・ダ・ヴィンチ、タルタリア、ガリレオ
    レオナルドと物理学/軍事に関わるレオナルドの発明/戦争に対するレオナルドの姿勢/タルタリア/ガリレオ/弾道学の問題
  • 7 初期の銃から、三十年戦争、ニュートンの発見まで
    戦争と銃/海での戦い/ヘンリー八世/ウィリアム・ギルバート/経度の問題/三十年戦争/スウェーデンの介入/発見の新時代をもたらしたニュートン
  • 8 産業革命の影響
    フランス革命/イギリスの産業革命/ジェームズ・ワットと蒸気機関/ウィルキンソンの鉄工技術/銃の命中精度を高めたロビンス/フリントロック/クリスティアン・ホウヘンス/軍事技術とのかかわり
  • 9 ナポレオンの兵器と電磁気の発見
    フランス革命/大砲の製造法を変えたグリヴォーヴァル/ナポレオンの兵器/摩擦熱を研究したランフォード伯/電気と磁気の関係/電気が戦争に及ぼした影響
  • 10 アメリカの南北戦争
    雷管の開発/ミニエー弾/ライフル銃と大砲における革命/南北戦争/電信の役割/発電機(ダイナモ)/ガトリング法/海上での戦い/スクリュープロペラの物理学/「知るか、機雷なんか」/潜水艦/気球
  • 11 銃弾と砲弾の弾道学
    砲内弾道学/反動/過渡弾道学とソニックブーム/砲外弾道学/銃弾の安定性/終末弾道学
  • 12 航空力学と最初の飛行機
    飛行機の発明につながる発見/ライト兄弟/飛行機が飛ぶ仕組み/揚力の物理学/抗力とは/飛行機の操縦/飛行機が戦争に使われた最初の事例
  • 13 機関銃の戦争 第一次世界大戦
    機関銃の開発/その他の兵器/第一次世界大戦の開戦/初期の戦闘機/海戦と海中の脅威/毒ガス/初期の戦車/アメリカの参戦
  • 14 無線とレーダーの開発
    電磁波の生成と検出/電磁スペクトル/電波/X線/光と赤外線/レーダー/レーダーの性能を高める装置
  • 15 ソナーと潜水艦
    アルキメデスの原理/潜水艦の物理学/スクリュープロペラの動力/船体の形状と潜望鏡/航法/ソナー/水雷/魚雷の仕組み/第二次世界大戦での潜水艦
  • 16 第二次世界大戦
    大戦はいかにして始まったか/戦争に備える/フランスでの戦闘とダンケルクの戦い/レーダーの強み/ブリテンの戦い/アメリカの参戦/飛行機の進歩/戦争で使われた初期のロケット/その他の兵器と小火器/コンピューターと諜報活動
  • 17 原子爆弾
    そもそもの始まり/アインシュタインの役割/イタリア人の大発見/ハーン、マイトナー、シュラスマン/1938年のクリスマス/連鎖反応/大統領への書簡/開戦/イギリス側の動き/ハイゼンベルクとボーア/マンハッタン計画/最初の原子炉/マンハッタン計画は続く/トリニティ実験/ドイツ側の原爆開発/日本への原爆投下を決断
  • 18 水素爆弾、大陸間弾道弾ミサイル、レーザー、そして兵器の未来
    水素爆弾の開発/ウラムとテラーの大発見/最初の実験「アイヴィー・マイク」/水爆の物理学/長距離ミサイル/レーザー/半導体とコンピューター/人工衛星とドローン/未来の兵器
  •  訳者あとがき/註/主な参考文献

【感想は?】

 ニワカ軍ヲタ大喜びの本。

 さすがに「戦闘技術の歴史」シリーズほどには体系化されていないものの、軍事の素人には、思い込みを覆されるエピソードが何度も出てくる。

 例えば弓だ。イングランドのロングボウは「戦闘技術の歴史 2 中世編」で出てきたが、内容が専門的過ぎて、肝心の「何が嬉しいのか」がイマイチ分からなかったが、これでよくわかった。要は飛距離と威力だ。直感的にわかるように、弓は長い方が威力も大きいのだ。

 似たような兵器にクロスボウ(弩)がある。威力が大きく、使いこなすのは弓より簡単そうなのに、あまり流行ってない。なんでだろう?

 と持ったら、クロスボウは中精度が悪い上に、連射が効かないのだ。イングランドのロングボウは一分に5~6本撃てるのに対し、クロスボウは一分に1~2本。当時の戦争はせいぜい2~300mほどでの撃ちあいだから、走り抜ければ1~2分で接近戦になる。となれば、連射能力の差は大きいよなあ。

 科学の進歩がわかるのも、楽しい点の一つ。私たちは、空中に放り投げた物がどんな軌跡をたどるのか、だいたい知っている。野球のホームランボールの軌跡がソレで、つまりは放物線だ。しかも、横向きの動きは、空気抵抗で次第に遅くなる。

 これは野球の玉に限らず、大砲や銃の弾も似たようなもんだろう、と私たちは考える。

 が、16世紀ごろまでは違ってて、「砲弾が砲身を離れたあと加速すると考えられていた」。これを正したのがイタリアのニコロ・タルタリア(→Wikipedia)。ここから弾道学が始まる。

 今でこそ写真も動画もあるから、ホームランの軌跡はわかるし、義務教育で基礎的な物理学を学ぶから、なんとなく銃弾や砲弾の動きも見当がつく。でも当時はニュートン以前だし、速すぎて砲弾の動きも見えないから、想像するしかなかったのだ。実験って概念も普及してなかったし。

 この章、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイも出てくる。ちと切ないのが、タルタリアを含めた三人とも、食うために軍事に手を出してる点。いずれも「本業ではあまり稼げなかったが、兵器の開発では高い収入を得られた」。昔から軍事研究は儲かる仕事だったのだ。なんだかなあ。

 銃の歴史も、素人向けで実に分かり易い。マスケット銃だのミニエー銃だのと名前はよく聞くが、どこがどう違うのか、歴史の教科書じゃ説明していない。

 アッサリ言うと、マスケット銃は丸い弾丸でライフリングなし、ミニエー銃はロケット型の弾丸でライフリングあり。

 銃身にライフリングがあると弾丸は一定の回転を与えられ、ジャイロの理屈で軌道が安定する。これがないと、丸い弾丸は銃身内を進む際に不規則な回転を与えられ、軌道が安定しない。野球だと、ナックル・ボールみたいな感じ?いや多分違うけど。

 決まった回転を与えりゃいいのはわかったが、そのためには弾丸が銃身に密着しなきゃいけない。ミニエー銃の弾丸は底にくぼみがあり、火薬の熱でこれが膨らみ、弾丸がライフリングに密着する。言われてみりゃその通りだが、発想は見事だよなあ。

 この辺の理屈を考えたのはベンジャミン・ロビンズなんだが、彼の手法は見事なまでに科学的でエレガント。

 例えば弾丸の速さを測る方法。重さの分かっている角材を紐でぶら下げ、これを銃で撃つ。角材の揺れ幅を見れば、弾丸が角材に与えたエネルギーがわかる。弾丸の重さも分かるから、後は計算すれば弾丸の速さが分かる。実に鮮やかにニュートンの業績を使いこなしてます。

 銃の発砲音も、私はアレ火薬が爆発した音だと思ってたけど、実は全然違った。銃身内のガスが銃口で急に拡散した時に出る音なのだ。だから消音機は銃口につけるのか。

 と、ここでは銃の話ばかりを書いちゃったけど、目次を見ればわかるように、電信や航空機や原爆など、様々な兵器や軍事用機材の話が出てきて、なかなかバラエティ豊か。特にプロペラの形状の話とかは、モノの形の不思議さを感じるところ。

 全般的に初心者向けで、マニアには物足りないけど、素人には楽しい話がいっぱい載ってるし、書名で感じるほどには難しくもない。科学の話も中学生で充分ついていけるので、気楽に読もう。

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2017年5月10日 (水)

佐原徹哉「国際社会と現代史 ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化」有志舎

本書はボスニア内戦の残虐行為を分析したものである。
  ――ボスニア内戦と民族浄化 はじめに

1980年代に入るとインフレは異常なペースでエスカレートし、1987年には遂に三桁を超え、1989年には四桁に達し、この年の年末には2600%にまでなった。
  ――Ⅲ 冷戦からグローバリゼーションへ

問題の本質は、民族主義者が権力を握ったことではない。選挙そのものが連邦の憲法秩序から外れた形で行われたため、法の支配が崩壊した点こそが重要であった。そして、法の支配の崩壊により、恣意的な力の行使の余地が際限なく広がっていった。
  ――Ⅳ ユーゴ解体 「グローバリゼーション」の戦争

「ユーゴスラヴィアの戦争は、数年前にひとりの罪もないセルビア人の農夫の尻の穴から始まった」
  ――Ⅴ 内戦勃発

ボスニア内戦は、異なる価値観を持つ民族集団同士の「殺し合い」ではなく、同じ価値観と行動規範を持つ「市民」が混乱状態のなかで、互いのなかに他者を見出そうとした現象であった。
  ――Ⅵ 民族浄化

ジェノサイドは特定の集団の選択的抹殺であり、その対象を自覚することも集団への帰属意識を生み出すからである。
  ――Ⅶ ジェノサイド

民兵たちが自由に活動できた理由の一つは、独自の資金源を持っていたことにある。アルカンやシェシェリの部隊はセルビア共和国政府から資金援助を受けていたとみられるが、多くの民兵は略奪を資金源としていた。
  ――Ⅷ ボスニア内戦のメカニズム

ヴィシェグラードのセルビア人権力は、ルキッチ一味の残虐行為を黙認しただけでなく、積極的に利用していたふしすらある。
  ――Ⅷ ボスニア内戦のメカニズム

【どんな本?】

 東欧崩壊に続くユーゴスラヴィア解体に伴い、スロベニアやクロアチアなど元ユーゴ内の共和国が独立を果たす。その中でも注目を集めたのがボスニアの内戦であり、NATOが介入しながらも、1992年から1995年まで戦いは続き、人々が殺し合うショッキングで凄惨なニュースが続々と流れた。

 クロアチア人・セルビア人・ボスニア人の三者が入り乱れ、誰が被害者で誰が加害者か分からぬまま、NATOなどの国際社会は軍事介入に踏み切った。

 しかし、本当の悪は誰なのか。なぜ市民同士が殺し合う泥沼状態に陥ったのか。そのような形で殺し合いへとエスカレートしていったのか。そして、マスコミが取り上げた「民族浄化」とか、いかなるもので、「ジェノサイド」とは何が違うのか。

 本書では、中世からユーゴスラアヴィアの歴史を解き起こし、第一次世界大戦・第二次世界大戦・冷戦そして東欧崩壊へと続く歴史の流れの中で、クロアチア人・セルビア人・ボスニア人それぞれが民族意識を形づくる過程を丹念に追い、それが暴力的な対立へと変わってゆく様子を描きだす。

 内戦が起きるしくみのモデル・ケースとして、それが虐殺へと変わってゆくプロセスの分析として、そして人が形づくる社会の危うさの警告として。

 重く憂鬱な記述が多いながら、内戦発生のメカニズムの分析として示唆の多い現代史の研究書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年3月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約407頁。9ポイント46字×18行×407頁=約336,996字、400字詰め原稿用紙で約843枚。文庫本なら厚めの一冊か薄めの上下巻の分量。

 文章は専門書らしくやや堅い。が、様々な勢力が複雑に絡み合っているわりに、意外と分かり易い。バルカン半島の歴史を全く知らない私だが、歴史的な事情や社会的な産業・権力構造を初心者向けに丁寧に説明しているので、頭に入りやすい構成になtっている。

 ただし、ヘルチェゴビナなどの地名が、どの辺なのかを地図などで示してくれるとありがたかった。「ググレカス」と言われれば、それまでなんだが。

【構成は?】

 歴史的経緯から順々に説き起こしているので、素直に頭から読もう。

  • ボスニア内戦と民族浄化 はじめに
  • Ⅰ ボスニア内戦の歴史的背景
    • 一 ボスニアにおける民族意識の出現
    • 二 ユーゴスラヴ統一主義の実験
  • Ⅱ 虐殺の記憶
    • 一 第二次世界戦争と民族的暴力の爆発
    • 二 ウスタシャによるジェノサイド
    • 三 パルチザン運動の勝利
    • 四 「パンドラの箱」の封印
  • Ⅲ 冷戦からグローバリゼーションへ
    • 一 ユーゴスラヴィア社会主義連邦の存立要件
    • 二 民族問題の構図
    • 三 クロアチアの「マスポク」
    • 四 繁栄の頂点としての1970年代
    • 五 連邦解体のメカニズム
    • 六 スロボタン・ミロシェヴィチとセルビア民族主義
    • 七 ボスニア政界の混迷
  • Ⅳ ユーゴ解体 「グローバリゼーション」の戦争
    • 一 複数政党選挙と法と秩序の崩壊
    • 二 ボスニアにおけるシステムの崩壊
    • 三 連邦諸制度の解体
    • 四 クロアチア戦争とユーゴ解体
  • Ⅴ 内戦勃発
    • 一 ジェノサイドの政治利用
    • 二 内戦の準備
    • 三 内戦前夜
    • 四 戦争勃発
    • 五 内戦の概要
  • Ⅵ 民族浄化
    • 一 内戦とジェノサイド言説
    • 二 セルビア人の残虐行為
    • 三 クロアチア人の残虐行為
    • 四 ボスニア人の残虐行為
    • 五 民族浄化の本質
  • Ⅶ ジェノサイド 
    • 一 スレブレニツァ事件とジェノサイド
    • 二 スレブレニツァのボスニア人とセルビア人
    • 三 ジェノサイドの開始
    • 四 虐殺
  • Ⅷ ボスニア内戦のメカニズム
    • 一 「殺し合う市民」と他者への恐怖
    • 二 メジュゴーリエの小戦争
    • 三 内戦と組織犯罪者
    • 四 民兵と脱階級者たち
    • 五 民兵と「普通の市民」たち
    • 六 カオスの民族化
  • あとがきにかえて
    戦後のボスニアとジェノサイド言説
  • 注記/索引

【感想は?】

 恐ろしい本だ。何が怖いって、人々が殺し合いに向かう道筋が、とっても分かり易いのが怖い。

 この本を読むと、ボスニアで内戦と虐殺が起きたのが必然と思えてくる。むしろ、ハンガリーやブルガリアなどの東欧諸国が内戦にならなかったのが奇蹟に感じてしまう。

 ボスニア内戦はクロアチア人・セルビア人・ボスニア人の三つ巴の戦いになった。違いは民族というか宗教で、クロアチア人=カソリック,セルビア人=東方正教,ボスニア人=イスラムとなる。他にもロマとかがいるんだが、大雑把には宗教の違いだ。

 第一次世界大戦ではクロアチアとムスリムがドイツ・オーストリア側、セルビア人が協商国につき、クロアチア&ムスリムがセルビア人を虐殺する。

 第二次世界大戦ではドイツに占領され、ここでも虐殺が繰り返される。クロアチアの極右ウスタシャはドイツに協力してセルビア人を殺し、セルビアの抵抗組織チュトニクはクロアチア人&ムスリムを殺す。ただし最終的に権力を握ったのはチトー(→Wikipedia)を中心とした共産系パルチザン。

 冷戦期は米ソの狭間でバランスを取りつつ、チトーの威光で民族間の対立を押さえ、ユーゴスラヴィア連邦の力が強く、共産主義色が色濃く出た社会を作ってゆく。

 そんなわけで、もともと、歴史を掘れば互いの間に積もる恨みがあったんだが、チトーが力で抑えて共存を押し付けてたわけ。それでも戦後数十年もたてば世代も変わり、それなりに仲良くやってたんだ。

 だがチトーの死後は、権力が移り始める。ベオグラードの連邦政府の力が弱まり、そのメンバーである共和国や自治州が力をつけてゆく。問題は、それぞれの共和国や自治州も共産主義的な社会だってこと。民間企業は自主管理企業で、企業の人事にも政府の意向が強く出る。

 つまりは権力が政府に集中してて、政府のコネがありゃやりたい放題な体制なわけ。健康保険や育児手当も職場を通して配るんで、気に入らん奴はクビにすりゃ食い詰める。転職しようにも政府のお偉方に睨まれりゃ職はない。

 この状態で中央集権から地方分権へと動いた結果、地域を牛耳るボスが力をつけて、軍事的にも共和国や自治州が独自に武装し始める。

 それでも景気が良けりゃうまいこと回ってたんだが、1980年頃から景気が悪くなり、1987年のアグロコメルツ社の焦げ付きで大騒ぎになる。社の主人フィクレト・アブディチは事業銀行の企業長も兼ね、そこから多額の手形を引き出している。これが、どれだけデカい騒ぎかっつーと。

この年(1987年)の上半期だけでも輸出によって4400万ドルを稼いでおり、これはボスニア全体の輸出総額の75%に相当した。

 日本のトヨタ以上の影響力だ。そのトヨタにしたって、社長はトヨタの都合で決まるんであって、愛知県が口出しする筋合いじゃない。が、ユーゴスラヴィアは政府が社長を決める体制なわけで、となりゃ誰が政権を握るかが市民の暮らしを大きく左右する。

 ボスニアは三民族+αが混在してるが、各地域ごとに民族の濃淡がある。ここで、各地域ごとに、それぞれの人口の割合に応じて権力を分配しよう、そんな案が出たから、大変な事になった。

 例えば。クロアチア人とセルビア人が拮抗している所で、クロアチア人が権力を握りたければ、どうすればいいか。簡単だ。セルビア人を殺しつくせばいい。そうすれば、クロアチア人が人口で多数を占め、権力も独占できる。

 もともと歴史的に民族間の恨みが眠ってる所に、チトーの抑えが亡くなり、権力の餌がぶら下がった上に、民族主義者共が恐怖を煽る。「奴らは俺たちを殺したがっている、殺らなきゃ殺られるぞ」と。

 これにアルカン(→Wikipedia)みたいなギャングのボスやミラン・ルキッチみたいなチンピラが、憂さ晴らしと荒稼ぎの機会とばかりに飛びつき、民兵を名乗って略奪・暴行・強姦そして虐殺とやりたい放題しまくった。政府や警察も、愚連隊を止めるどころか陰で手助けする始末。

 当時の報道じゃセルビア人が悪役で、ボスニア人がヤラレ役だったが、そういうわかりやすい構図じゃなかったのだ。三民族共に、互いの領土を確保するため、相手を消したがってたわけ。

 こういうパターンは、たぶんシリアや南スーダンでも似たようなモンなんじゃないかと思う。民族ごとに地方権力を分けようとすると、民族浄化を望む者が出てきて、ヤクザとツルんで無茶やらかすのだ。

 これは「国家はなぜ衰退するのか」にあるように、権力が一か所に集中するのが原因の一つだろう。じゃ民間企業が強く政府が小さきゃいいかっつーと、それじゃ教育や福祉が覚束なくなるし、うーん。

 加えて、民族主義者が台頭し人々の恐怖を煽るあたりは、現代の日本にも似たような風潮があるわけで、色々な意味で恐ろしい本だった。

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2017年4月 6日 (木)

デヴィッド・フィッシャー「スエズ運河を消せ トリックで戦った男たち」柏書房 金原端人・杉田七重訳

1939年に勃発した戦争で、あらゆる人間が苦境に立たされることになったが、その中身は人それぞれであった。私の場合それは、まったく思いがけない、まさに風雲急を告げる任務であった――持てるかぎりの想像力と知識を注いで、マジックの力でヒトラーを倒せというのである。
  ――ジャスパー・マスケリン

「第一次世界大戦で、わたしは大切なことを学んだ。自分の命を危険にさらしたからって、それでその後の人生が好転することはない」
  ――ジェフリー・バーカス陸軍少佐

【どんな本?】

 1939年、第二次世界大戦中のイギリス。予備役将校入隊センターに意外な男がやってきた。ジャスパー・マスケリン、38歳。マジックで有名なマスケリン家の10代目で、それまでは舞台に立ち華麗なマジックで観客を幻惑し喝采を浴びていた。戸惑う新兵募集士官を、彼は説き口説く。

「あるはずのない大砲を出現させ、幻の船を海に浮かべて見せます。何もない戦場に突然一軍隊を出現させ、飛んでいる航空機を敵の目から隠すこともできます」

 場違いなエンタテナーを持て余した英国陸軍は、彼をエジプトに送った。乱雑と混沌の街カイロで、ジャスパーは軍のはみだし者を集め、マジック・ギャングを結成する。

 動物の擬態が専門の大学教授フランク・ノックス,陽気でユーモラスなマイケル・ヒル二等兵、腕のいい大工のネイルズことセオドア・グレアム、『パンチ』誌で活躍する漫画家ウィリアム・ロブソン,色彩に詳しい画家のフィリップ・タウンゼント、そして軍の裏も表も知り尽くしたジャック・フラー軍曹。

 おりしも北アフリカは砂漠の狐ことエルヴィン・ロンメルが快進撃を続け、イギリス軍は苦境に立たされていた。華麗で壮大なマジックを操るジャスパーは、知将ロンメルに挑むが…

 ユーモラスな語り口で一風変わった男たちの戦いを描く、ユニークな従軍記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The War Magician : the man who conjured victory in the desert, by David Fisher, 1983。日本語版は2011年10月15日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約553頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント44字×20行×553頁=約486,640字、400字詰め原稿用紙で約1,217枚。標準的な文庫本なら厚めの上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に前提知識は要らない。軍事物だが、素人でも充分に楽しめる。第二次世界大戦の欧州じゃドイツ&イタリアとフランス&イギリスが戦って、ロンメルはドイツの有名な軍人、ぐらいを知っていれば充分。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  主な登場人物/北アフリカ戦線 主な戦場
  • 1 入隊志願
  • 2 最初の任務
  • 3 カモフラージュ部隊、結成
  • 4 戦車をトラックに見せかけるわざ
  • 5 アレクサンドリア港を移動せよ
  • 6 ゴミの山から軍隊を作りだせ
  • 7 スエズ運河を消せ
  • 8 エジプト宮殿でのスパイ活動
  • 9 命がけのイリュージョン
  • 10 第24“ボール紙”旅団
  • 11 折りたためる潜水艦
  • 12 戦艦建造プロジェクト
  • 13 失意と絶望の日々
  • 14 砂漠での失敗
  • 15 刻々と変わる戦況のなかで
  • 16 史上最大の偽装工作
  • 17 司令官からのメッセージ
  • 18 ニセの戦車で奇襲をかけろ
  • エピローグ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 愉快、痛快、奇想天外。

 「なんてお馬鹿な書名だ、嘘に決まってる」と思うかもしれない。でも、本当なのだ。マジック・ギャングは本当にスエズ運河を消している…少なくとも、ドイツ空軍からは。

 目次を見ればわかるように、他にも様々なペテンを繰り出し、ドイツ軍を煙に巻いている。アレクサンドリア港を移動させ、ありもしない戦艦を作りだし、トラックを戦車に変え、パラシュートなしで物資を安全に空中投下し、火の上を歩き回り、砂漠に忽然と大軍団を出現させ、艦隊を率いて上陸作戦を始め…

 すべて光と影のマジックで、タネも仕掛けもある。ないのは予算と時間w 特に前半では、実績もないため必要な物資の調達に苦労したり。そこで目を付けたのが…。特に偽装用の砂色のペンキを手に入れるくだりは、エジプトならではの奇天烈さ。

 このエピソードで、ジャスパー率いるマジック・ギャングのチーム・カラーが鮮明に浮き上がってくる。常識にとらわれない自由な発想を、豊かな経験と科学的知識で着々と実現してゆく。

 それを可能にしているのが、フリーダムでユーモア溢れるチームの雰囲気。特にマイケル二等兵は口を開けばジョークばかりで、場を明るくする最大の功労者。そんな彼も、苦手な分野はあって…。いいねえ、若いってのはw

 とかの人間模様も交えつつ、彼らが知恵を絞ってアイデアを出し、工夫を凝らして実現させていくあたりは、設計・開発部門で働く人にはジ~ンと来る所。やっぱり人に創造性を発揮させるには、のびのびした空気が必要なんだよなあ。

 とまれ、そんなマジック・ギャングも軍の組織だけに、時として調整が必要な場面も出てくる。

 そこで活躍するのが、ジャック・フラー軍曹。最初は規則に厳しい鬼軍曹だったジャックも、ファースト・ネームで呼び合うチームの雰囲気に染まりはしないものの馴染んでゆき、かつ経験豊かな軍曹ならではのコネと知恵を駆使して便宜を図るあたり、実に貴重な人材だったり。

 そんなマジック・ギャングに立ちはだかるロンメルも、実は優れたペテン師なのが、ヒネリの効いた所。

 ふたつの大隊を大軍団に見せかけ、トラックを戦車に変え、撤退と見せかけて罠に誘い込み、逆に罠と見せかけて撤退し、戦車殺しの88ミリ砲を水増しし…。そういえば、ノルマンディーでもロンメルは偽の地雷で上陸を邪魔してたっけ(→「ノルマンディ上陸作戦1944」)。まさしく狐、狡猾な人だ。

 などとロンメル相手に知恵を絞りつつ、「やっぱりイギリスだね」と感じさせるのが、クラーク准将の登場場面。諜報組織A部隊、つまりスパイの親玉だ。クラークとジャスパーがツルんで企むのは、それこそ007が使う小道具みたいな奇天烈なもの。

 ばかりか、ジャスパー自身が、本業のマジック・ショーを使って敵のアジトを探る場面もあったり。

 などに加え、舞台となるアラブの社会の意外な面もお楽しみの一つ。

 ジャスパーの最初の任務、ダマスカスで展開する、デルビーシュの長老との魔術合戦に始まり、マジック・ギャングが見つけた「宝の山」、彼らの秘密基地「魔法の谷」での陳情合戦などは、私が知らないアラブ世界の意外な一面がのぞけて楽しかった。

 個性的なメンバーを集めたチームが、自由闊達な発想と得意技を活かした創意工夫で、壮大なペテンを次々と仕掛ける痛快な物語。軍事やスパイに興味があればもちろん、トリックやチーム物が好きな人にも、自信を持ってお勧めできる楽しい本だ。

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2017年3月22日 (水)

大谷正「日清戦争 近代日本初の対外戦争の実像」中公新書

「朕素より不本意なり、閣臣等戦争の已むべからざるを奏するに依り、之を許したるのみ、之を神宮及び先帝陵に奉告するは朕甚だ苦わしむ」
  ――第2章 朝鮮への出兵から日清開戦へ

桂第三師団長だけでなく、第五師団幹部も、師団長野津道貫中将、第九師団長大島義昌少将、そして第十旅団長立見少将の三人とも、揃いも揃って、全員が独断と独走の軍人であった。
  ――第4章 中国領土内への侵攻

つまり大本営に、のちの記者クラブにあたる組織を設置したのである。
  ――第5章 戦争体験と「国民」の形成

日清戦争に日本が勝利した理由のひとつは、日本軍が対外戦争のための動員システムを持っていたのに対して、清軍にはそれが欠けていたことである。
  ――第5章 戦争体験と「国民」の形成

その死亡原因は、戦死・戦傷死が約10%、病死が88%で、日清戦争が病気との闘いであったことが明らかである。
  ――終章 日清戦争とは何だったのか

日清戦争は外交で失敗した戦争であり、陸奥は外相としてその責任を負わなければならない。
  ――終章 日清戦争とは何だったのか

【どんな本?】

 1894年~1895年にかけて、文明開化を進める日本と、旧態依然とした清の間で、朝鮮の支配権をめぐる戦いとされる日清戦争。軍事改革が進んだ日本が、旧式装備の清を破ったとも言われる。

 だが、その実態はどうだったのか。なぜ朝鮮の支配権が問題になったのか。焦点となった朝鮮の内情はどうなのか。両軍の装備や軍制はどうだったのか。両国を巡る欧米列強は、戦争をどう見ていたのか。そして、戦争を国民はどう受け止め、関係国をどう変えていったのか。

 朝鮮半島や遼東半島の戦いに加え、1895年以降の台湾での戦いも含め、また当時の日清両国の内情や対外的立場の変化も視野に収めて日清戦争の全貌を描き、コンパクトな新書で日清戦争の概要を掴める、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年6月25日発行。新書版で縦一段組み、本文約253頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×16行×253頁=約165,968字、400字詰め原稿用紙で約415枚。文庫本なら少し薄めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もあまり難しくない。ただ、朝鮮や中国の地名が多く出てくるので、しっかり読みたい人は地図か Google Map を用意しよう。

【構成は?】

 「終章 日清戦争とは何だったのか」が、巧みに本書を要約しているので、急いで全貌を知りたい人は終章だけ読んでもいい。

  • はじめに
  • 第1章 戦争前夜の東アジア
    • Ⅰ 朝鮮の近代と天津条約体制
      「属国」と「自主の国」/開化政策と壬午軍乱/日清の対応/甲申政変 急進開化派のクーデター失敗/長州派・薩派の対立/天津条約と日清英の協調体制/極東ロシア イメージと実像
    • Ⅱ 日本と清の軍備拡張
      清の軍備近代化 准軍の膨張/北洋海軍の近代化/壬午軍乱以後の日本の軍備近代化/優先された海軍の軍備拡張/陸軍、七個師団体制へ/陸海軍連合大演習/参謀本部の対清戦争構想の形成
  • 第2章 朝鮮への出兵から日清開戦へ
    • Ⅰ 甲午農民戦争と日清両国の出兵
      第二次伊藤博文内閣の成立/伊藤内閣の苦難 条約改正と対外硬派/甲午農民戦争 東学の拡大と蜂起/朝鮮政府の派兵要請/清と日本の出兵
    • Ⅱ 開戦までの日清政府の迷走
      清・日両軍の朝鮮到着/伊藤首相の協調論、陸奥外相の強硬論/第一次絶交書とイギリス・ロシアの干渉/清政府内の主戦論と開戦回避論
    • Ⅲ 日清開戦
      7月19日の開戦決定/豊島沖海戦/朝鮮王宮の武力占領/混成第九師団の南進/成歓の戦い/宣戦詔書をめぐる混乱 戦争はいつ始まったか/明治天皇の日清開戦への思い
  • 第3章 朝鮮半島の占領
    • Ⅰ 平壌の戦い
      戦争指導体制/短期戦から長期戦へ/第五師団本体、朝鮮へ/輜重の困難 「輸送の限界」/第三師団の動員/野津第五師団長の平壌攻撃決意/日清の武器の差/激戦 混成第九師団の正面攻撃/平壌占領と清軍の敗走
    • Ⅱ 黄海開戦と国内情勢
      9月17日の遭遇/勝利 過渡期の軍事技術と制海権確保/明治天皇と広島大本営/大本営御前会議/日清戦争最中の総選挙/第七臨時議会の広島開催
    • Ⅲ 甲午改革と東学農民軍の殲滅
      甲午改革 親日開化派政権の試み/井上馨公使赴任と朝鮮の保護国化/第二次農民戦争 反日・反開化派/東学農民軍へのジェノサイド
  • 第4章 中国領土内への侵攻
    • Ⅰ 第一,第二両軍の大陸侵入
      第一軍の北進と清軍の迎撃体制/鴨緑江渡河作戦/桂師団長・立見旅団長の独走/第二軍の編成 旅順半島攻略へ/無謀な旅順攻略計画
    • Ⅱ 「文明戦争」と旅順虐殺事件
      欧米の目と戦時国際法/旅順要塞攻略作戦/11月21日、薄暮の中の旅順占領/虐殺 食い違う事件像/なぜ日本兵は虐殺行為に出たのか 兵士の従軍日記を読む/欧米各国に対する弁明工作
    • Ⅲ 冬季の戦闘と講和の提起
      第一軍と大本営の対立/山県第一軍司令官の更迭/第一軍の海城攻略作戦/遼河平原の戦闘/講和を絡めた山東作戦・台湾占領作戦の提起/山東作戦による北洋海軍の壊滅
  • 第5章 戦争体験と「国民」の形成
    • Ⅰ メディアと戦争 新聞、新技術、従軍記者
      朝鮮に向かう新聞記者たち/強化される言論統制/国民の戦争支持と情報開示/新技術導入と『朝日新聞』の戦略/『朝日新聞』の取材体制/高級紙『時事新報』の戦争報道/浅井忠と「画報隊」/『国民新聞』と日本画家久保田米僊父子/写真と絵画の差異/川崎三郎『日清戦史』全七巻
    • Ⅱ 地域と戦争
      義勇兵と軍夫/軍夫募集/兵士の動員と歓送/戦場と地域を結んだ地方紙/『扶桑新聞』記者鈴木経勲/盛況だった戦況報告会/凱旋帰国と人々の歓迎/追悼・慰霊 “選別”と東北の事情/福島県庁文書が残す「地域と戦争」/動員と査定 町村長たちの“勤務評価”/日清戦争と沖縄/その後の沖縄
  • 第6章 下関講和条約と台湾侵攻
    • Ⅰ 講和条約調印と三国干渉
      直隷決戦準備/征清大総督府の渡清/李鴻章の講和全権使節就任/交渉開始と李鴻章へのテロ/清の苦悩と条約調印/三国干渉 露独仏の遼東半島還付の要求/遼東半島返還と「臥薪嘗胆」
    • Ⅱ 台湾の抗日闘争、朝鮮の義兵闘争
      台湾総督府と「台湾民主国」/日本軍の増派/南進作戦の遂行への激しい抵抗/「台湾平定宣言」後も終わらない戦闘/閔妃殺害事件/抗日義兵闘争と露館播遷
  • 終章 日清戦争とは何だったのか
    戦争の規模/戦争相手国と戦争の継続期間/だれが、なぜ、開戦を決断したのか/未熟な戦時外交/困難な戦争指導/戦費と日清戦後経営
  • あとがき
  • 参考文献/日清戦争関連年表

【感想は?】

 思い込みが次々と覆され、いっそ気持ちがいい。

 この本は単に軍事だけを扱うのではなく、外交はもちろん内政や国民の反応、そして関係各国の立場の変化までも視野に入れた、総合的な視点で日清戦争を捉えた本だ。新書なので細かい部分は省いているが、それだけに日清戦争の全貌を掴むには適した本だろう。

 ちなみに日本の外交の失敗や軍の暴走も容赦なく書いているので、「日本偉い」が好きな人には向かない。

 話は朝鮮半島から始まる。清の属国か独立国かが曖昧な上に、国内は改革を求める開化派と守旧的な東学派の対立、宮廷内の政権争いに加え、米と豆の輸出が物価高騰を招き庶民の不満が募り…と、物騒かつ複雑な様相。

 全般的に日本の介入は、現地の者が伊藤内閣の意向を無視して強引に独走し、結果として朝鮮の国民感情を逆なでし、更に状況を悪化させていったように書かれている。清との戦いでも前線の師団長が勝手に進軍して戦闘に入ってたり。

 幸か不幸か、師団長の独走は往々にして戦闘の勝利につながり、これが後の関東軍独走へとつながったんじゃないか、とか思ってしまう。もっとも前線指揮官が独走しても結果オーライなら不問って文化は常勝のイスラエル軍も同じなので、当時の日本の未熟さだけが原因じゃないのかも。

 一言で戦争と言っても、敵国の完全支配を目指す全面戦争と、権益や一部地域の支配が目的の局地戦があって、日清戦争は局地戦だと思っていたんだが、一部の軍人は全面戦争も覚悟していたみたいだ。

「作戦大方針」の要点は、黄海・渤海の制海権を掌握し、秋までに陸軍主力を渤海湾北岸に輸送して、首都である北京周辺一帯での直隷決戦を清軍と行うというもので、短期決戦をめざしていた。
  ――第2章 朝鮮への出兵から日清開戦へ

 終戦間際にも直隷平原に陸軍兵力の大半を輸送する計画があって、この野望が泥沼の日中戦争へとつながったんだろうか。同じような悪いクセは他にもあって…

明治期の日本陸軍の最大の弱点は、軍馬の不足と不良であったと言っても過言ではない。
  ――第3章 朝鮮半島の占領

 と、兵站軽視も根が深い。「輜重輸卒は在営期間が短く、日中戦争期までは昇進できず二等兵で終わることが多かった」とかもあるし。なお輜重輸卒は荷を担いで運ぶ人で、馬で運ぶ輜重兵は普通の兵と同じに扱われた模様。

 これを補うのが、軍夫って制度。輸送任務をこなす人たちで、今なら輸送部隊や民間軍事企業が担う役割で、立場的には民間人。だもんで凍傷を負ったら解雇だし、戦死者にも数えられないし、亡くなっても軍は祀らない。書いてないけど、たぶん恩給も出ないんだろう。酷い話だ。対して民間の態度は…

他所からやってきた第二師団の将校も追悼の対象に含まれたが、主体は戦没した東北の人々であり、軍人と軍夫の差はなかった。
  ――第5章 戦争体験と「国民」の形成

 と、「おらが村の犠牲者」として、区別しなかった様子。こういう兵站軽視は平壌の戦い(→Wikipedia)などで危機的な状況に陥るんだが、清側が勝手にコケる幸運に何度も助けられる。ただ、平壌の戦いの部分では、清側の事情を全く書いていないので、読んでて不思議さにポカンとなってしまった。

 などの軍事的な事柄に加え、「第5章 戦争体験と「国民」の形成 」があるのも、本書の大きな特徴。

 特に「Ⅰ メディアと戦争 新聞、新技術、従軍記者」は、メディアが戦争をどう取材し伝え、その反響はどうだったかをまとめるだけでなく、当時のメディア事情も書き込んで、あの頃はメディアも革命期だったのだな、としみじみ感じさせる。

 基本は文字だが、画像も活用してて、洋画家・日本画家などの絵に加え、写真もガラス乾板とフィルムが混在した状態。これは新聞の印刷でも問題になって…

 大日本帝国の陸軍は出身地ごとに部隊を編成しているためか、出身地方の地方紙は「故郷の新聞は師団長から一兵卒・軍夫までが熟読する故郷の便りであった」なんて風景は、少し前に読んだ「戦地の図書館」を思い浮かべてしまう。

 旅順虐殺事件(→Wikipedia)などの苦い話も盛り込み、兵器の優劣や日本側の外交の不備など教科書で習ったのとは大きく違う話も多く、私にとっては次々と驚きが続く本だった。やっぱり歴史も知識を更新しないといけないんだなあ。

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2017年2月24日 (金)

モリー・グプティル・マニング「戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊」東京創元社 松尾恭子訳

「戦いで鍛えられた海兵隊員は、物語に涙するなんて女々しいことはしないものです……でみ、僕は泣いたことを恥じてはいません」
  ――はじめに

「携帯用戦闘糧食の包みに貼られたラベルに内容物が記されていると、前線の兵士はそれを読む。とにかく何かを読みたいのだ」
  ――第四章 思想戦における新たな武器

同じ日に遅れて(ノルマンディのオマハ・ビーチに)上陸した隊員の多くが、印象深い光景を目にしている。重傷を負った隊員たちが、崖のすそに体をもたせかけて、本を読んでいたのだ。
  ――第六章 根性、意気、大きな勇気

「ボストンで禁書扱いになっている本に、誰もが興味津々です――興味をそそられない人などいますか?」
  ――第七章 砂漠に降る雨

【どんな本?】

 1933年5月10日、ドイツ。霧雨のベルリンでは、国家社会主義に相応しくないと目された多くの本が焼かれた。やがてドイツは近隣諸国を侵略し、その支配下に収める。

 目前に迫った戦争にそなえ多くの将兵を集めた合衆国陸海軍だが、将兵の待遇はお粗末なものだった。下がる兵の士気を支えるには娯楽が必要だと考える軍に、ナチスの焚書に憤ったアメリカ図書館協会(ALA)が手を差し伸べる。将兵に本を送ろう。

 かくして始まった戦勝図書運動は、紆余曲折を経て兵隊文庫へと結実し、大量の本が前線で戦う将兵や、傷をいやす傷病兵へと送られ、彼らの心の糧となった。

 総力戦という特異な時期に生まれた、特異な書籍・兵隊文庫。それはどんな者たちが、どんな想いで生み出し、どんな経緯をたどって送られたのか。受け取った将兵たちは、それをどう受け取り、彼らの戦いや人生をどう変えたのか。

 第二次世界大戦の裏で行われた、もうひとつのプロジェクトを綴る、歴史ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は When Books Went to War : The Stories That Helped Us Win World War Ⅱ, by Molly Guptill Manning, 2014。日本語版は2016年5月31日初版。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約237頁に加え、口絵8頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×237頁=約183,438字、400字詰め原稿用紙で約459枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ハードカバーとペーパーバックの区別がつけば充分。書籍の編集・印刷・製本に詳しければ更に楽しめるが、知らなくても大きな問題はない。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 第一章 蘇る不死鳥
  • 第二章 85ドルの服はあれど、パジャマはなし
  • 第三章 雪崩れ込む書籍
  • 第四章 思想戦における新たな武器
  • 第五章 一冊掴め、ジョー。そして前へ進め
  • 第六章 根性、意気、大きな勇気
  • 第七章 砂漠に降る雨
  • 第八章 検閲とフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトの四期目
  • 第九章 ドイツの降伏と神に見捨てられた島々
  • 第十章 平和の訪れ
  • 第十一章 平均点を上げる忌々しい奴ら
  • おわりに
  • 謝辞/訳者あとがき/原注
  • 付録A 禁書の著者/付録B 兵隊文庫リスト
  • 人名索引

 32頁に及ぶ「付録B 兵隊文庫リスト」が、本好きにはとっても嬉しくもあり、悔しくもあり。だって美味しそうな本の多くが今は手に入りにくいんだもん。

【感想は?】

 本好きは通勤電車の中で読んじゃいけない。泣いて笑ってガッツポーズ決めたくなるので、変なオジサン扱いされてしまう。存分に泣ける環境を整えて読もう。

 冒頭から、何かを創る人には、大変な試練が待っている。前線で戦いマラリアで病院送りになった20歳の海兵隊員が、著者に送ったファンレターだ。

 戦友を失い、自らの心も凍った彼に手渡された一冊の本が、彼をどう変えたのか。物語の、そして創造することの力を、恐ろしいまでの迫力で綴っている。こんなファンレターを貰ったら、クリエイターはどんな気持ちになるんだろう。己の持つ力に、恐れすら感じるかもしれない。

 ナチスは宣伝に力を入れ、またその手口も狡猾だった。多くの国民が手に入れられるよう、安いラジオも開発している。そして焚書だ。本読みにとっては、身の毛もよだつおぞましい所業である。

 これに怒りを募らせた人は多い。SF者には嬉しいことに、H・G・ウェルズもあてつけで「燃やされた本の図書館」なんてのを作ってる。わはは。そしてアメリカ図書館協会(ALA)もまた。

 窮屈な軍隊生活には、多くのものが欠けている。そして、新兵は歯車の一つに過ぎない。急に大量の将兵を集めたため、受け入れ態勢も整わず、彼らの待遇はお粗末極まりなかった。そこで本だ。軍にとっては、安いし手軽な娯楽を提供できる。

 だけじゃない。兵にとって、何より辛いのは、プライバシーがない事だ。なんたって、飯も風呂も寝る時も、四六時中、他人と一緒なんだから。でも、本を読んでいる間は、一人になれる。物理的には他人と一緒でも、気持ちは本の中に入り込める。

 この辺を読んでて気が付いた。本を読んでいる時ってのは、一人になれる時なのだ。本好きって生き物は、一人の時間を強く求める生き物らしい。

 なんて最初の方では、「本を読む」って行いを落ち着いて考え直す余裕もあるが、話が進むに従って、本が持つとんでもない力を見せつけられ、読み手は圧倒されるばかりとなる。

 なんたって、読んでいるのは前線で戦う将兵だ。いつ命を失うかもしれない状況で、本なんか読む気になれるのか? 普通はそう考えるだろう。だけじゃない。戦う将兵は、常に重たい荷物を担いでる。例えばノルマンディ上陸作戦だと、各兵は約40kgもの荷物を持っていた(→アントニー・ビーヴァー「ノルマンディ上陸作戦1944」)。これに加えて本なんか持ち歩く気になれるのか?

 でも持ち歩いたのだ。これを可能にしたのが、兵隊文庫。安い紙で小さいボディ、ポケットにちょうど収まるサイズ。かつては本なんか読まなかった若者が、むさぼるように本を読んだ。だって、タコツボの中で身をかがめている間は、それ以外する事がないんだから。

 それまでハードカバー中心だった米国の出版業界が、ペーパーバック・サイズの兵隊文庫を作り始める過程は、市民運動の効果と限界を感じさせるが、同時にアメリカの産業力もしみじみと感じてしまう。また、この兵隊文庫がキッカケで、アメリカの出版業界が変わってゆくのも面白い。

 加えて、作った兵隊文庫を前線に届ける米軍の兵站能力にも呆れてしまう。「サイパン島には、海兵隊の先発部隊が上陸してから四日後、書籍を満載した船が到着した」。帝国陸海軍はガダルカナルの友軍に食料すら届けられなかったのに。

 そんな将兵は、どんな本を好んだのか。現代のアフガニスタンじゃ「孤児たちの軍隊」が人気を博したそうだが、当時の一番人気は意外な作品だったり。でも、巻末の「兵隊文庫リスト」を見ると、マーク・トゥエインの「アーサー王宮廷のヤンキー」やメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」とか、SFもチラホラ。

 が、最も人気を博したのは、普通の人々の普通の暮らしを描いた、現代小説らしい。殺し殺される異常な状況に置かれた将兵たちは語る。

「私たちの軍の兵士は、本を読むという行為をしているのだから、(まだ)人間なのだ、と思うことができました」

 こんな風に、前線で本を読んだ将兵の言葉が随所に散りばめられ、それが本好きの心を激しく揺さぶり続ける。本好きの心臓に繰り返し重量級のパンチを撃ち込み、涙腺を決壊させる、感動のドキュメンタリーだ。

 でも、今となってはベティ・スミスの「ブルックリン横丁」が読めないのは哀しい。映画なら手に入るんだけどねえ。

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2017年2月22日 (水)

クリス・カイル,ジム・デフェリス,スコット・マキューエン「アメリカン・スナイパー」ハヤカワ文庫NF 田口俊樹訳

戦争が始まったときの交戦規定はごく単純だった。16~65歳ぐらいの男を見たら撃て。男は全員殺せ。
  ――4 生きられるのはあと5分

銃は必ず仕事を果たす。私も確実に自分の仕事を果たさなければならない。
  ――5 スナイパー

やつらは狂信的だったが、それは宗教のせいばかりではなかった。麻薬を使っているものが大勢いた。
  ――6 死の分配

…命を危険にさらしたのは友人のためであり、友人や同じ国の仲間を守るためだ。戦争に行ったのも祖国のためであり、イラクのためではない。祖国が私を現地に送り込んだのは、あのくそったれどもが私たちの国にやってこないようにするためだ。
 イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ。
  ――7 窮地

請われれば、意見を述べた。しかし、たいていの場合、彼ら(軍の上層部)は私の意見を本気で求めているわけではなかった。ただ私に、すでに彼らが出した結論やすでに彼らの頭にある考えに。太鼓判を押させたいだけなのだ。
  ――8 家族との衝突

ホームレスはほとんどが退役軍人だ。
  ――14 帰宅と退役

【どんな本?】

 合衆国海軍のエリートを集めた特殊部隊 SEAL に所属し、主にイラクで狙撃手として活躍、公式記録では160名の殺害が認められ、敵からは「ラマディの悪魔」と恐れられたクリス・カイル(→Wikipedia)が、イラクにおける戦いの現実や SEAL の内情に加え、自らの半生と妻タヤとの家庭生活を綴った自伝。

 後にクリント・イーストウッド監督の映画「アメリカン・スナイパー」となり、世界中の話題となった。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は American Sniper : The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. History, by Chris Kyle with Jim DeFelice and Scott McEwen, 2012, 2014。日本語版は2012年4月に原書房より「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」として単行本が出版。私が読んだハヤカワ文庫NF版は、2014年のペーパーバック版を底本とし、2015年2月25日発行。訳も単行本とは異なっている様子。

 文庫本で縦一段組み、本文約476頁に加え、モノクロ写真8頁と編集部による解説「その後のアメリカン・スナイパー」3頁。9ポイント41字×18行×476頁=約351,288字、400字詰め原稿用紙で約879頁。文庫本としては分厚い部類。

 文章は軍事物のわりに拍子抜けするほどこなれている。内容も難しくないし、あまり軍事関係の前提知識もいらない。意外と銃器や兵器に関する話が少ないので、兵器に詳しくなくても大丈夫。イランとイラク、スンニ派とシーア派、陸軍と海軍と海兵隊、小銃と迫撃砲、士官と下士官と兵の区別がつけば充分についていける。

【構成は?】

 時系列順に話が進むが、各章は比較的に独立しているので、気になった所をつまみ食いしてもいいだろう。

  • 著者まえがき
  • プロローグ 照準器に捉えた悪魔
  • 1 荒馬乗りと気晴らし
  • 2 震え
  • 3 拿捕
  • 4 生きられるのはあと5分
  • 5 スナイパー
  • 6 死の分配
  • 7 窮地
  • 8 家族との衝突
  • 9 パニッシャーズ
  • 10 ラマディの悪魔
  • 11 負傷者
  • 12 試練
  • 13 いつかは死ぬ
  • 14 帰宅と退役
  • 謝辞/解説

【感想は?】

 これは傑作。唯一の欠点は、重要な著者が抜けていること。

 それは、タヤ・カイル。クリスの奥さんだ。クリスが戦場に居る時に、彼の帰りを待ち子供を育てる妻の想いを綴った文章が所々に入り、これが強烈なスパイスになると共に、クリスがこの本を書いた動機がひしひしと伝わってくる。

 多くの場面で、タヤは不機嫌だ。赤ん坊を抱え不慣れな子育てに四苦八苦な上に、行方どころか生死も知れないクリスが心配でしょうがない。たまにクリスが帰ってくれば、そりゃ彼への愛しさもあるが、同時に待つ間の不安な思いをクリスにぶつけてしまう。ところがクリスときたら…

 語り手のクリスは、典型的なテキサスのマッチョ男。戦場にいるのが楽しくてしょうがない。というと殺伐とした奴のようだし、実際にしょっちゅう喧嘩で御用になってる暴れ馬だが、ただの喧嘩屋じゃない。

 こと仕事に関しては、優れたエキスパートで、プロフェッショナルだ。常に備えを怠らず、与えられた目的のためには最善を尽くし、現場の状況に応じて柔軟に頭を切り替える。自分の能力を活かしてチームに貢献する事に喜びを感じる点では、共感するエンジニアも多いだろう。マッチョ志向はともかく。

 などと、心の内を赤裸々に描く部分が多いのが、本書の特徴の一つ。

 加えて、イラクの戦場のリアルがひしひしと伝わってくるのも、本書の欠かせない魅力。

 一言で武装勢力といっても、その中身は様々だ。いきなりチェチェン人の傭兵が出てきたのには驚いたが、他にもフセイン時代のバース党や民兵の残党、アルカイダ系、イラクの愛国者、チュニジアの傭兵、そして一発当てたいだけのチンピラ。きっとシリアにもカフカスからの「出稼ぎ」がいるんだろうなあ。

 加えてイランの共和国軍や革命防衛隊と、その支援を受けた連中もいる。改めて考えればドサクサに紛れてイランがチョッカイ出してくるのは当然なんだが、阿呆な私はこれを読むまで全く気が付かなかった。

 そんな彼らの手口も狡猾で、アジトには隣家への通路が作ってある。米軍内にスパイを潜り込ませ、ネタを掴む。中でもおぞましいのは、子供の使い方。

 敵の一人がRPGを担いでやって来る。カイルが敵を撃つ。敵が落としたRPGを拾いに、別の敵が出てくる。再びカイルが撃つ。当初はこれを繰り返し、カイルは多くの戦果をあげるのだが、敵だって教訓を学び…

 なんと、RPGを拾う役を、子供にやらせるのだ。

 可愛い所では、米軍にガセネタを掴ませる民間人もいる。聞き込みをする米兵に、日頃から対立している者の悪口を吹き込むのである。「奴はテロリストの仲間だ」とか。

 かと思えば、米軍に協力する者もいる。通訳を務めるヨルダン人も、きっと出稼ぎだろうなあ。アメリカが再建を手伝っているイラク軍に関しては、「使えない者ばかり」と手厳しい。「安定した給料を得るために入隊」したのであって、忠誠心は微塵もない、と。それを取り繕うのも大変で…

 ってなイラクの悪口ばかりでなく、米軍内の醜聞も知ってか知らずか、かなり漏らしてる。SEAL の乱行はもちろん、新人いじめも堂々と書いてある。悲しいのは、著者のイラク人への共感が微塵もないこと。

 著者が基地内でラジコンのハマー(SUVの一種)を走らせて遊ぶ場面があるんだが、基地で働くイラク人は怯えて悲鳴をあげ逃げ出すのを見て、著者らは大笑いする。そういう行いが彼らの誇りを傷つけ、アメリカを憎ませるって事に全く気付いてない。

 こういったあたりが、良くも悪くも赤裸々で、本書の欠かせない魅力となっている。ファルージャでの戦いでも、民家にズカズカと踏み込みはした金を握らせて追い出し、残ったベビーベッドをガラクタのように扱っている。イラク人から見れば山賊と何も変わらない。戦場になるってのは、そういう事なんだなあ。

 当然ながら、狙撃のコツや使った銃、陸軍や海兵隊やポーランド軍との共同作戦の実態、家宅捜索のコツ、ミサイル密輸の方法など、軍事関係の描写は盛りだくさんで、迫力も文句なし。

 この本だけでイラク戦争を判断するのは危険だが、前線の将兵が見たイラン戦争の報告としては、情報も面白さも読みやすさも一級品だ。人が死にまくる話なので繊細な人には向かないが、過酷な戦場の現実を知りたい人には、格好のお薦め。

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2017年1月29日 (日)

吉見直人・NHK取材班「終戦史 なぜ決断できなかったのか」NHK出版

日本の終戦工作は失敗だったし、原爆投下とソ連参戦といういわば「外圧」によって慌てて戦争終結に至るのではなく、それよりも早く、いわば「自律的」に戦争を終わらせるタイミングが存在したし、それは可能だった。
 それが我々のたどり着いた答えである。
  ――プロローグ 「終戦」というフィクション

もし方向転換ができたとしても、その決定が誤りであったとなれば、方向転換をした者に全ての責任が押し付けられる。一方、方向転換をしないということは、皆の合意形成を尊重するということであり、仮にそれで失敗をしたとしても個人に責任を押し付けられることにはならない。
  ――第一章 「ソ連参戦」を日本は知っていた

結局のところ、六、七月の実相として、敵のわずか1/30程度の戦力しか本土にはなかった、というのが井本(忠夫、梅津参謀総長の秘書官)の総括である。
  ――第二章 日本陸軍 終焉の実態

すなわち、当時の陸軍が叫んだ「本土決戦」とは、おそらくただの作文であった。
  ――第二章 日本陸軍 終焉の実態

木戸幸一「今の日本の状態からすればもうかまわない。ロシアと手を握るがよい。英米に降参してたまるものかと云う機運があるのではないか。結局、皇軍はロシアの共産主義と手をにぎることになるのではないか」
  ――第三章 東郷茂徳の「ロードマップ」

多くの関係者が戦後主張した内容のうち、かなりの部分が事実ではない。これまで述べてきたように、当時おそらく政府と軍の責任ある立場にあった多くの者が、にわかには信じがたいが、傍観者であった。「自分ではない誰か」が言い出してくれるのをただ待っていた。
  ――第四章 なぜ決断できなかったのか

【どんな本?】

 日本では1945年8月15日が終戦の日となっている(→Wikipedia)。沖縄戦・本土空襲・原爆投下・ソ連参戦など、戦争末期の三カ月だけでも60万人以上の日本人が亡くなった。敗色は明らかで挽回の望みはないにも関わらず、なぜもっと早く降伏できなかったのか。

 残念ながら国内の重要文書は終戦のドサクサで焼却され、多くは謎に包まれている。しかし幸か不幸か、当時の日本の暗号はイギリスに解読されており、傍受された駐在外交官や陸海軍武官との通信が、イギリス国立公文書館で公開されている。

 これらに加え、生存者の証言や、残された手記・日本国内の公開資料などを元に、戦争末期である1945年6月~8月に焦点を当て、陸軍参謀総長の梅津美治郎と外務大臣の東郷茂徳を中心に、当時の日本の意思決定プロセスを検証する、衝撃のドキュメンタリー。

 2012年8月15日放送のNHKスペシャル番組「終戦 なぜ早く決められなかったのか」の書籍版。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約334頁に加え、NHKスペシャル「終戦」チーフプロデューサー内藤誠吾の「あとがきにかえて」4頁。9.5ポイント46字×20行×334頁=約307,280字、400字詰め原稿用紙で約769枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も実はあまり難しくないのだが、ちと敷居が高い。というのも、背景である1945年6月~8月の戦争の経過が、ほとんど語られていないので、知らない人には情勢がよくわからないのだ。今なら大体の所はネットで調べられるけど、できれば年表をつけて欲しかった。

【構成は?】

 プロローグではテーマを示し、第一章では傍受電文から内外の事情、第二章は陸軍・第三章は外務省の動きを描き、第四章で結論を示す構成になっている。

  • プロローグ 「終戦」というフィクション
    明治維新・太平洋戦争・現在/映画「日本のいちばん長い日」と、刷り込まれた陸軍像/「クーデター騒ぎ」の実態/「わたくし自身はいかようになろうとも」/戦後利用された「クーデターの恐怖」/終戦史研究の“地殻変動”/終戦史の「三つの間違い/戦後の肉声証言とその信憑性」
  • 第一章 「ソ連参戦」を日本は知っていた
    日本はヤルタ密約を知らなかった?/在外日本武官の諜報ネットワーク/ヤルタ密約を伝える海軍武官電/ソ連参戦を警告するリスボン陸軍武官電/リスボン陸軍武官・松山直樹/陸海軍武官電から読みとれること/ヤルタ密約電は握りつぶされたのか?/情報将校・小野寺陸軍武官の評価/小野寺への奇妙な指令電/スウェーデン王室との和平仲介会談/当時の参謀本部の対ソ判断/小野寺が送ったヤルタ密約電の本当の意味/ホプキンス・スターリン会談でのスターリン発言/参謀本部の判断「ソ連は熟柿的好機を狙っている」/小野寺電は活かされていた?/ヤルタ会談直後の小野寺と参謀本部の往復電/小野寺はヤルタ密約情報をどれだけ確信していたか/「ソ連は直ちに参戦しない」/小野寺電を握りつぶす参謀はいなかった/参謀本部の情報管理術/楽観情報は小野寺からもたらされた?/神格化された小野寺武官/スルーされたヤルタ情報と「ベストシナリオ」/軍を見下していた外務省/「小さい規模」のセクショナリズム/リスボン電は活かされたのか?/遮断された組織、見過ごされた情報/日本型組織の「慣性の法則」/岡本公使の決定的な仕事/神田襄太郎の悲痛な意見電
  • 第二章 日本陸軍 終焉の実態
    陸軍は本気で「一億玉砕」を考えていたのか/梅津美治郎という地味な軍人/梅津美治郎と東郷茂徳/鈴木貫太郎内閣発足・対ソ工作の開始/梅津参謀総長の「終戦工作」/海軍の早期和平工作/梅津を読めなかった和平派/「恬淡軽率」な米内光政の挫折/六月八日の「強硬」決定/「戦争完遂」と「戦争終結」/隠された「第三案」/中間派・梅津の「衝撃告白」/昭和天皇が気づいたこと/継戦不能・陸軍の理想と現実/「水際決戦構想」にみる陸軍上層部の本音/「カカシ」だった関東軍/壊滅状態だった本土防空体制/「陸軍という権威」は既に地に堕ちていた/その時、陸軍はパニックに陥っていた/機能不全に陥っていた軍組織/現実逃避としての「徹底抗戦」/運命の六月二二日/梅津の「ギブアップ宣言」/見過ごされた転換点、埋まらぬ齟齬/「木戸試案」のルーツ/ありえた「六月終戦」/「陸軍・早期講和派」の筆頭格・松谷誠/「陸軍・中間派」梅津の懐刀・種村佐孝
  • 第三章 東郷茂徳の「ロードマップ」
    広田・マリク会談/「スローモー」東郷の謎/統帥部の「東郷詣で」/対ソ工作の何が「手遅れ」だったのか/有末証言の信憑性/対ソ工作は本当に「東郷のゴリ押し」だったのか/「日ソ提携論」という底流/スターリンの確信/対ソ交渉の実現性/「外交上の余裕」/天皇の意向、目覚めた首相/いつも通りの堂々巡り/実現しなかった特使派遣/「空白」の七月/対米英直接交渉という目論見/スタート地点としての「ポツダム宣言」/ジェスチャーとしての対ソ交渉/「対米直接交渉はソ連参戦を誘発する」との意見電/情勢変化を警告する海外電/「スルー」された対米直接対話のチャンネル/「残存戦力」という前提条件/「一撃」をめぐる東郷外相と阿南陸相/「九月終戦」構想/統帥と国務の奇妙な逆転/外交電の絶望的な「甘さ」/東郷の「一撃和平論」/八月九日・180度の方針転換/一撃要請は「ブラフ」ではなかった/八月九日の東郷発言を支えたもの/軍の現状を知らなかった対ソ交渉の関係者たち/東郷は関東軍の現状も知らなかった?/なおも「一撃」に固執した阿南の未練/誤報に踊らされた末期日本軍/梅津が固執した「東郷外し」/結局、何が問題だったのか
  • 第四章 なぜ決断できなかったのか
    鈴木貫太郎首相は何をしたか/「よろしく合戦」/開戦時との共通点/「腹の中はともかく」の問題点/官僚機構の問題/「中間派」と戦争終結/「天祐」発言の無責任さ/「終戦」は誰を納得させるものだったのか/革新官僚の戦後構想/「日本国家再建方策」とは/終戦構想にみる松谷と毛里の相違点/理想のために国民を騙した官僚たち/高木惣吉が革新官僚を警戒した理由/昭和天皇の「決断」の真意と謎/戦後の「功労者レース」/「違和感」の正体/甘い感傷よりも勇敢な反省
  • 資料編/あとがきにかえて/凡例・用語説明等/註

【感想は?】

 正直、かなり細かい話では、ある。が、同時にショッキングな事柄も多く出てくる。

 最初から、強烈なブローをかまされた。それも三連発だ。まずは、終戦に関する私の思い込みを三つ覆してくれる。

  1. 通説:日本はヤルタ密約によるソ連の対日参戦を知らなかった。
    事実:一部の者は情報を掴んでいたが、適切な人に届いていなかった。
  2. 通説:陸軍は一億玉砕に凝り固まり、下手に降伏を言い出すとクーデターが起きかねなかった。
    事実:当時の陸軍の大半は様子見で、本土決戦すらタテマエ論だった。
  3. 通説:日本はソ連の仲介に望みをかけていた。
    事実:むしろ日本の残存戦力を勘違いしていた。

 こういった通説の多くが、半藤一利「日本のいちばん長い日」およびその映画版で流布した、としているのも、ちょっとした驚き。

 ブログをやっていると、ごく稀に一時間ほど極端にアクセスがハネ上がる事がある。記事で扱っているネタをテレビが取り上げた時だ。本好きとしては、映像の影響の大きさを思い知る切ない瞬間だ。私は「日本のいちばん長い日」を見ていないのに、間接的に通説で思い込みを刷り込まれていたわけ。

 本書が主に扱っているのは、陸軍の参謀総長・梅津美治郎(→Wikipedia)と、外務大臣の東郷茂徳(→Wikipedia)。奇妙なことに、首相である鈴木貫太郎(→Wikipedia)の影はとても薄い。自ら先頭に立つタイプではなく、周囲の意見をまとめ上げるタイプだったらしい。

 と書くと梅津美治郎と東郷茂徳が勝手に走ったようになっちゃうが、それも違うようで、両者とも多くの腹案を抱えながら周りの様子を見て、通りそうな案を出す、そんな人みたいだ。

 第一章では、イギリスに傍受・解読された陸海軍および外交官の電文がズラズラと出てくる。もうほとんど筒抜けで、ちと情けなくなるが、同時に大日本帝国が築き上げたスパイ網も見えてきて、野次馬根性を刺激される。ヤルタ会談の中身も多少は掴んでて、結構やるじゃん。でも筒抜けだけどw

 全般として見えてくる、当時の中枢部、特に外相の東郷茂徳の考え方がある。「一発かまして英米がヨロめいた所で和平を切りだそう、それならちったあ向こうも譲るだろう」。

 アホかい。

 なんの事はない、これ開戦時の発想と同じなのだ。開戦時も本気で総力戦に勝てるとは思ってなかった。テキトーに暴れて、こっちが有利な戦況になった所で停戦を切りだそうぜ、である。ところがミッドウェイ以降は負けが続き、ズルズルと後退が続く…将兵や軍属・商船員の屍を後に残しながら。

 ところが、1945年6月の時点では、既に一発カマす余力は軍になかった。が、それを外相に伝えていなかった。ばかりか、軍すら現場の状況を掴んでいなかったフシがある。「軍中央の作戦立案当事者においてすら、実際に現地を見ることでしか実情を正しく把握できない状況にあったことは間違いない」。

 ソ連の出方も、6月時点で「三カ月以内にソ連は対日戦の準備を終える、以降はいつ攻めてきてもおかしくない」ぐらいは掴んでいた様子。だったら戦う前にゴメンしよう、みたいな発想もあったようだ。ポーランドがどうなったか、知らなかったんだろうか。

 このあたりも掘り下げると怖い物が出てきそうだが、残念ながらソ連崩壊による情報公開でも、対日関係の資料はガードが固くて、なかなか出てこない様子。ソ連側の立場で考えると、巧く立ち回れば、労なくして日本を属国にして満州と朝鮮半島も手に入る、格好の機会を逃したわけで、ソ連外交史上の最大のポカでもあり、隠しておきたいんだろう。

仮にそうなっていたら、朝鮮戦争がないかわりに沖縄戦争になるのかな、でもソ連は大規模な強襲揚陸作戦の経験がないし…とか妄想が止まらないから、軍ヲタは罪深い生き物だよなあ。

 などを通してたどり着く結論は、ハッキリ言って愉快なシロモノじゃないし、そこに向かって検証を重ねるプロセスも、相当に地味な作業の積み重ねだ。爽快な気分が欲しいなら、読まない方がいい。だが、この国の将来だけでなく、組織の意思決定プロセスに興味があるなら、充分に読む価値がある。

 賢い人が集まっている筈の会議で、なぜ愚か極まりない結論が出てくるのか。その格好のケース・スタディを、この本は描いているのだから。

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