イアン・トール「太平洋の試練 レイテから終戦まで 下」文藝春秋 村上和久訳
いちばんむずかしいのは<腹部の患者>だと、医師たちは認めた――胃や腸などの重要な臓器を撃ち抜かれた患者である。
――第11章 硫黄島攻略の代償もし向こう(地上を機銃掃射する戦闘機)が狙っていたらわかります。そのときは火花が散るのが見えますから。
――第12章 東京大空襲の必然第六海兵師団所属のノリス・ブクターは、多くの日本兵が民間人のような恰好をして、一般市民に混じって前線をすり抜けようとしたと回想している。なかには女に見せかけようとする者さえいた。
「その結果、残念ながら、われわれは彼らを撃たねばならなかった。このとき多くの不運な沖縄人も殺された」
――第14章 惨禍の沖縄戦
【どんな本?】
合衆国の海軍史家イアン・トールが太平洋戦争を描く、歴史戦争ノンフクション三部作の最終章。
米国における第二次世界大戦は、欧州戦線の、それも陸軍を主体として描く作品が多い。対してこの作品は、太平洋戦争を両国の海軍を主体に描くのが特徴である。歴史家の作品だけに、日米両国の資料を丹念に漁りつつも、戦場の描写は日米双方の様子をリアルタイムで見ているような迫力で描き切る。
最終巻となるこの巻では、戦時中の合衆国市民の暮らしと世論の変化で幕を開け、マッカーサー念願のルソン島侵攻&マニラ奪回、日米双方が多大な犠牲を出した硫黄島と沖縄の上陸戦、そして広島と長崎の悲劇を経て終戦へと向かう。
レイテ沖の海戦で日本の海軍は壊滅状態となった。ルソン上陸を果たしたマッカーサーは陸戦兵力をマニラへと急がせるが、日本軍は雑多な住民もろとも都市内に立てこもり、徹底抗戦の姿勢を崩さない。マッカーサーが航空戦力の支援を断ったため、マニラ占領は都市戦の混沌へと突き進む。追い詰められた日本軍は…
徴兵だけでなく戦時特需が生みだす米国の市民生活・文化の変化、 圧倒的な火力と航空戦力にも関わらず多大な犠牲を出す硫黄島と沖縄の陸戦、 敗戦の現実を受け入れられない日本の権力機構の欠陥、 日本本土占領を目指した幻のオリンピック作戦、 そして戦後の人々の暮らしと心境の移り変わりなど、 豊富な取材と資料を元に多様な視点で太平洋戦争を描く、重量級の戦争ノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Twilight of the Gods : War in the Western Pacific 1944-1945, bg Ian W. Toll, 2020。日本語版は2022年3月25日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約353頁+530頁=883頁に加え、訳者解説「壮大な交響曲の締めくくりにふさわしい最終章」10頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約794,700字、400字詰め原稿用紙で約1987枚。文庫本なら4巻でも言いい大容量。
文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。
日本側の航空機名・地名・作戦名など、原書では間違っていたり、日米で異なる名で呼んでる名称を、訳者が本文中で補足しているのは嬉しい。ただ索引がないのはつらい。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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- 上巻
- 序章 政治の季節
- 第1章 台湾かルソンか
- 第2章 レイテ攻撃への道
- 第3章 地獄のペリリュー攻防戦
- 第4章 大和魂という「戦略」
- 第5章 レイテの戦いの幕開け
- 第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗
- 第7章 海と空から本土に迫る
- 第8章 死闘のレイテ島
- ソースノート
- 下巻
- 第9章 銃後のアメリカ
- 第10章 マニラ奪回の悲劇
- 第11章 硫黄島攻略の代償
- 第12章 東京大空襲の必然
- 第13章 大和の撃沈、FDRの死
- 第14章 惨禍の沖縄戦
- 第15章 近づく終わり
- 第16章 戦局必ずしも好転せず
- 終章 太平洋の試練
- 著者の覚書と謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説
【感想は?】
「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下」では、帝国陸海軍のパイロット養成制度のお粗末さに触れていた。少数の精鋭を育てるならともかく、多くの新兵を補充できる制度ではなかった、と。対して合衆国は…
(米国)海軍は<金の翼章>を1941年には新米搭乗員3,112名に、1942年には10,869名に、1943年には20,842名に、1944年には21,067名に授与した。この驚異的な拡大は、訓練水準を落とすことなく達成された。(略)
1944年の新米たちは、平均して600時間の飛行時間を体験して第一線飛行隊に到着した。そのうち200時間は彼らが割り当てられる実用機で飛行したものだった。
――第9章 銃後のアメリカ
そのために必要な航空機や航空燃料そして飛行場の建設といったハードウェアや社会・産業基盤の差は、もちろんあるだろう。また、リチャード・バックの「飛べ、銀色の空へ」や「翼の贈物」に見られる、航空文化みたいなのも、日本にはない。
が、それ以上に、この国には人を教え育てる能力が欠けている。それこそ旧ソ連の赤軍のように、ヒトは田んぼでとれるとでも思ってるんじゃなかろか。政府も軍も民間も、とにかくヒトの扱いが粗末なんだよなあ。
もっとも、それ以前の根本的な問題として、組織や制度を作るのが下手だってのもある。これは「終章 太平洋の試練」で指摘しているが、大日本帝国の制度には、根本的な欠陥があったのだ。
さて、それは置いて。シリーズの終幕を飾るこの巻では、海戦ばかりでなく陸戦も多くなる。それも、広い平野での決戦ではなく、島への上陸・占領作戦だ。まずはマニラ大虐殺(→Wikipedia)で、日本人読者の心に錆びた釘を打ち込んでくる。
マニラの戦いで罪のない人間が何人死んだかは誰にも分らないが、膨大な数であることはまちがいない――だぶん10万人以上だろう。
――第10章 マニラ奪回の悲劇
ここで描かれる帝国陸海軍将兵の狂態は、統率を失った軍がどうなるかを嫌というほど読者に見せつける。東部戦線では独ソ双方が、半ば組織的に蛮行に及んだ。焦土作戦のためだ。だが、ここでの帝国陸海軍の蛮行は、少なくとも戦略・戦術的には何の意味もない。単に自暴自棄になった凶悪犯が暴れている、それだけだ。
日本では情けないほど知られていない虐殺だが、著者はこう皮肉っている。
日本の右派の反動的なひと握りの神話作者をのぞけば、世界中の誰からも称賛されていない。
激戦の悲劇として名高い硫黄島の戦いや、やはり双方が多大な犠牲を払った沖縄戦では、上巻のペリリューの戦いと同様、いかに火力と航空戦力が優れていようとも、地形を活かし丹念に要塞化した陣の攻略が、どれほど難しいかを痛感させられる。
硫黄島を得た米軍は、B-29による日本本土への空襲に本腰を入れる。原則としてB-29の発着はサイパンとテニアンなんだが、硫黄島には二つの意味があった。一つは緊急時にB-29が着陸できること。もう一つは、護衛のヘルキャットが発着できること。焼夷弾も開発した米軍は、東京や名古屋など都市部への空襲を本格化させてゆく。
もしいちばん多い死亡者数の推定が正しければ、東京空襲は、広島と長崎を合わせたより多くの人々を(当初は)殺していたかもしれない。
――第12章 東京大空襲の必然
ところで「B-29日本爆撃30回の実録」では、東京を襲うB-29の飛行コースを高空から低空に変えた。それって危なくなるだけじゃないの? と思っていたが、ちゃんと理由があったのだ。
まず、燃料を節約できる。ジェット気流に晒されないし、上昇時の燃料も使わずに済む。また、爆弾からナパーム弾に変えたので、より広い範囲を攻撃でき、精度が悪くても問題なくなる。加えて時刻を夜にしたので、日本軍の迎撃も減るはず。なら迎撃用の50口径機関銃と弾薬も要らないよね。ということで、爆弾や焼夷弾の搭載量が4トン→6~8トンに増やせた。
ちなみに下町を狙ったのは、よく燃えるから。わかるんだが、どうせなら大本営のある市ヶ谷か、権力者や金持ちが住む山の手の方が戦意をくじくのに効果がああったんじゃなかろか。
また、ここでは、サイパンやテニアンをあっという間に航空基地に作り変える土木力と、それを維持する兵站力に舌を巻いた。必要なモノを必要な時に必要な所に届けるには、パワーだけじゃ足りない。先を見通す計画性や、時と場合に応じ計画を変える柔軟にも大切だ。モノゴトをシステム化し、かつソレを状況に応じて変える能力が凄いんだ、米国は。
ってな時に、日本が計画したのが大和特攻である。「海上護衛戦」で大井篤海軍大佐が怒り狂ったアレだ。著者も、これを徹底してコキおろしている。
大和と九隻の護衛艦の士官と乗組員たちは、幻想を抱いていなかった。彼らの任務は海上バンザイ突撃だった。実際の戦術目的には役立たない。無益な自殺行為の突進である。
――第13章 大和の撃沈、FDRの死
戦略上の利害ではなく、エエカッコしいの感情で作戦を決めているのだ。もっとも、戦意を失いつつある国民への政治宣伝って政略はあるのかもしれない。でも、それにしたって、時間稼ぎにはなっても傷を深めるだけなんだよなあ。
そんな日本に対する諸国の目は、というと。
ポツダム会談は主として、同年のヤルタ会談で未解決だったヨーロッパの問題をあつかうことになっていた。(略)日本にたいする最後の攻勢と、戦後のアジアに広まることになる取り決めは、主要な会議の議題の合間に、おもに主導者たちのあいだの非公式な集まりでのみ、取扱われた。
――第15章 近づく終わり
もう、ほとんどオマケ扱い。当時の世界情勢だと、日本の地位なんてそんなモンだったんだろう。今でも太平洋戦線は軽く見られてる気配があって、だからこそ著者もこの作品を書いたんだろうけど。もっとも、自分の影響力を過大評価する傾向ってのは、どんな人や国にも多かれ少なかれあるんだけど。
まあいい。残念なことに、当時の日本の権力者たちは、そういう世界情勢を分かってなかった。原爆が炸裂しソ連が満州を蹂躙している時にさえ、こんな事を言ってる。
強硬派(阿南惟幾陸相,梅津美治郎参謀総長,豊田副武軍令部総長)はさらに三つの条件をあくまで要求した。
まず第一に、日本本土は外国に占領されないこと。
第二に、外地の日本軍部隊は自分たちの将校の指揮下で撤退、武装解除すること。
そして第三に、日本は自分たちで戦争犯罪人の訴追手続きを行うこと。
――第16章 戦局必ずしも好転せず
米国は日本を徹底的に改造するつもりだし、その能力もあるんだってのが、全く分かってない。
往々にして組織のなかで地位を得るには、ある種の楽観性というか、強気でモノゴトを進める性格の方が有利だったりする。とはいえ、それが行き過ぎると、組織そのものの性格がヤバくなってしまう。当時の帝国陸海軍は、その末期症状だったんじゃないか。
いずれにせよ、著者が下す太平洋戦争への評価は、みもふたもないものだ。
太平洋戦争は東京の政治上の失敗の産物だった――壊滅的規模の失敗、どんな政府、どんな国家の歴史においても屈指のひどい失敗の。
――終章 太平洋の試練
そして、その原因についても、実に手厳しい。これはシリーズ冒頭の「真珠湾からミッドウェイまで 上」でも詳しく書いている。
何十年にもわたって、海軍は計画立案の目的でアメリカを<仮想敵国>と指定してきた――アメリカと実際に戦いたいとか、戦うことを予期していたからではなく、そのシナリオが予算交渉において目的を達成するための手段となったからである。
――終章 太平洋の試練
もっとも、そんな風にコキおろしているのは上層部だけで、例えば硫黄島を要塞化した栗林忠道陸軍中将や、沖縄であくまでも籠城戦を主張した八原博通陸軍大佐には、その戦術眼に好意的な記述が多い。また、米軍についても、マッカーサーやハルゼーなどの自己顕示欲旺盛な将官には厳しく、理知的なスプルーアンスには好意的だったりと、好みが伺えるのもご愛敬。
六巻もの長大なシリーズは、書籍としても充分すぎるボリュームだろう。にもかかわらず、「私は太平洋戦争について何もわかっていなかったし、今もわかっていない」と思い知らされる、そんなシリーズだった。
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