カテゴリー「書評:軍事/外交」の171件の記事

2018年1月 8日 (月)

秋本実「日本飛行船物語 航空界の特異な航跡を辿る」光人社NF文庫

…古代の「空飛ぶ船」にイメージの誕生から気球と飛行船の出現まで海外の先覚者たちの模索の跡を簡単に紹介したのち、軍用気球と軍用飛行船を中心として、わが国における気球と飛行船の歩みを日本の航空史探索の一環として辿って見ることにした。
  ――はじめに

アドバルーン(Ad-Ballon)は、アドバーテイスメント(Advertisement、広告)の頭文字のアド(ad)とバルーン(気球)を組み合わせた和製英語で、宣伝用の字幕などを吊るして空に掲げる繋留気球のことである。明治末期にわが国で考案されたという。
  ――コラム② アドバルーン

空を飛ぶ 鳥より早く 見えにけり 大崎野辺の 天の岩船
  ――第六章 日本軍用飛行船の歩み 国産飛行船の胎動

【どんな本?】

 大空を悠々と泳ぐ飛行船。ヒンデンブルグに代表されるツェッペリン型の大型硬式飛行船が有名だが、日本でも一時期は半硬式飛行船ツェッペリンNTが21世紀初頭の東京の空を遊弋していた。

 戦闘において、高地を占めるのは戦術の基本だ。高いところから見下ろせば敵陣の様子がわかるし、長距離砲撃の着弾地点も観測できる。そのためか、日本では19世紀末から、帝国陸海軍が軽航空機の開発・運用をリードした。

 西南戦争で陸海軍の共同で緊急に開発された偵察用気球に始まり、陸軍最後の飛行船となった雄飛号・海軍が開発した一五式飛行船から、終戦末期のあがきである風船爆弾まで、日本における軽航空機の歴史を辿る、貴重な著作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年4月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約377頁に加え、あとがき3頁。8.5ポイント41字×18行×377頁=約278,226字、400字詰め原稿用紙で約696枚。文庫本としてはやや厚め。

 軍事物だけに文章は一見硬めだが、読んでみると意外とそうでもない。内容も、あまり技術的・軍事的に突っ込んだ話は出てこないので、素人でもついていける。なお、気球や飛行船の大きさ・重さ・速度などの諸元や、搭乗員の所属と名前など、資料的な内容も多いので、面倒だったら適当に読み飛ばそう。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 第一章 天翔ける船の神話と伝説
  • 第二章 空飛ぶ方法の模索
  • 第三章 幕末気球奇談
  • 第四章 日本気球事始
  • 第五章 日本軍用気球の歩み
    • 陸軍の偵察気球
    • 陸軍の防空気球
    • 海軍の偵察気球
  • 第六章 日本軍用飛行船の歩み
    • 国産飛行船の胎動
    • 陸軍の飛行船
    • 海軍の飛行船
  • 第七章 風船爆弾
  • あとがき/気球・飛行船発達略年表
  • コラム① 飛行船と気球
  • コラム② アドバルーン
  • コラム③ 飛行船による定期航空の計画
  • コラム④ 気球・飛行船関係部隊長一覧
  • コラム⑤ 海軍の飛行船と気球の名称と標識
  • コラム⑥ 第2回航空ページェント

【感想は?】

 飛行船が好きな人は、少し悲しくなる本。

 物語だと、飛行船は派手な雄姿を見せてくれる。「ダイナミック・フィギュア」の司令船や「オマル」のイャルテル号などだ。しかし、この本を読むと、否応なしに思い知らされるのだ。どうも飛行船はイマイチ使えない、と。

 新しい技術を切り開く過程では、様々な問題が起きる。今も使われている技術の先駆者たちは、それを一つ一つ乗り越えて、なんとかモノにしてきた。気球や飛行船も、それは同じだ。この本では、そういった先達たちの苦労と、短い栄光の日々を描いてゆく。

 第三章までは、気球と飛行船の歴史と、幕末までの日本での歴史を語る。日本での本格的な開発は、第四章からとなる。キッカケは、1877年の西南戦争(→Wikipedia)。

 田原坂を押さえられ熊本城が孤立した政府軍は、泥縄式に気球の開発を始める。無謀にも程があるが、「昼夜兼行で約二週間ほど」で試作品を作り上げたのは凄い。陸軍は気球が欲しいが、開発経験があるのは海軍だけ。そこで海軍に試作を頼んだというのも、当時は陸海軍の確執が弱かったことをうかがわせる。

 今なら熱気球にするんだろうが、当時は気嚢に石炭ガス(水素とメタン、→コトバンク)を入れていた。ったって、液体水素の発明は1896年で、当時はそんな便利なモンはない。

 じゃどうするのかと言うと、現地でガスを作るのだ。よって実戦で使うには、戦地までガス発生装置を持って行かなきゃいけない。浮かんでる姿は気楽そうに見える気球だが、地上には多くの機材と人員が必要で、それを考えると実用上の機動性は酷く悪い。

 このガスを作る苦労は以降も散々に祟る。以後は水素に替えたが、現地で水素を作ることに変わりはない。

 日露戦争の旅順攻略で使った記録も詳しく載っているが、運用部隊を現地まで運ぶのに酷く苦労している。そりゃ当時は荷駄だしなあ。ちなみに、ロシア軍も偵察用に気球を使っていたとか。テクノロジーの制約の中だと、ヒトが考える事は似たような形になるんだろう。

 やはり燃えやすい水素の取り扱いは難しいようで、以降、気球・飛行船とも何度もヒンデンブルグ号のように爆発炎上事故を起こしている。

 気嚢の扱いもデリケートで。当初はアルミニウム粉末交じりの塗料を使っていたが、伝導体だと火花が散って爆発炎上につながりやすい。また水に使ったりすると、気嚢の素材が硬くなったりして使い物にならなくなる。単に放置するだけでも、やっぱり経年劣化でオジャン。寿命が短いのだ。

 じゃ使ったら、というと、これも劣化する。1913年に陸軍が飛行船で調べてるんだが、「気嚢が縦の方向に縮小し、横方向に伸長することがわかった」「全長が短縮し、直径が増加する」。その結果、気嚢の容積は1割ほど増える。

 当時は絹の地に塗料を塗る方法で、素材の絹も色々と試した様子。なんにせよ、変形した分、素材は疲労して弱くなり、寿命が減ってしまう。加えて、水素ガスによる劣化もある。当時は硫酸を使って水素を作ってた。そのためか、出来上がった水素にも少し酸が混じる。この酸が気嚢を蝕んでゆく。

 使っても使わなくても、気嚢は寿命が縮むのだ。第一次世界大戦中の複葉機には今でも飛んでいるのがあるが、飛行船はない。気嚢で浮かぶ航空機は、どうしても寿命が短いらしい。

 おまけに格納庫はデカいのが要る。これを痛感するのが、1929年のグラーフ・ツェッペリン号来日時の様子。特に霞ケ浦の格納庫に収める場面では、海軍の苦労がヒシヒシと伝わってくる。

 ちなみに、乗った感想は、豪華で快適だが、タバコが吸えず風呂に入れないのが辛いとか。そりゃ水素を使ってるから火気厳禁だろうし、重量制限が厳しいから水も無駄遣いできないよなあ。

 やはり軽航空機の弱さを実感するのが、天気、特に風に左右される点。暴風により飛行を取りやめる場面が、何度も出てくる。逆に強風を利用した風船爆弾が最後に出てくるが、それは例外。人を載せて確実に運航するとなると、お天気に左右されるのは軍でも民間でも厳しい。

 おまけに、出てくる飛行船の大半がオーダーメイドで、量産品はほとんどない。数がはけないんじゃ量産効果も期待できず、どうしてもコストは嵩んでしまう。となると賞用でも厳しくて…

 と、飛行船の限界を否応なしに思い知らされる、飛行船好きには少し切ない読後感が残る本だった。もっとも、それも、先人の苦労をつぶさに記録した著者の着眼点と丹念に記録を漁った誠実さによるものであり、その執念が結実した細かい描写は、飛行船好きにたまらない魅力だろう。

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2017年12月20日 (水)

鳥井順「アフガン戦争 1980~1989」第三書館パレスチナ選書

遊牧民の中で主流を占めるヒンドゥークシ山脈南部山麓の遊牧民は、冬季はパキスタンで過すのが特徴である。(略)春の彼岸の頃、アフガンの涼しい夏営地を求めて移動を始める。彼らには国境がないのと同じで、国家の統治下に入らないのが常である。
  ――第一章 アフガニスタンという国

戦争間を通じてソ連軍が実施した対ゲリラ戦全般をよくよく観察してみると、意外にも“ゲリラに対して地上からは積極的に攻撃しない”という特徴があることに気付く。
  ――第八章 ソ連軍の対ゲリラ戦闘(前期)

そもそも、文明の発達度に大きなギャップがあり、かつ文化・思想等が全く異なる発展途上国に先進国が現代的軍隊を投入する場合には、緒戦から圧倒的な兵力を投入するのが軍事常識である。
  ――第九章 ソ連軍の問題点

【どんな本?】

 今でも内乱が続くアフガニスタン。そのきっかけは、1980年に始まったソ連のアフガニスタン侵攻である。1989年まで続くソ連軍の戦いは、やがて東欧に続きソビエト連邦までも崩壊させた。

 戦場となったアフガニスタンとは、どういう所か。そこにはどんな者が住み、どんな暮らしを営んでいたのか。なぜソ連はアフガニスタンに侵攻したのか。ソ連軍と抵抗軍はどんな目標を掲げてどのように戦ったのか。新鋭装備を持つソ連軍が、なぜ苦戦したのか。そして、国際社会はどう反応したのか。

 各国の公式発表や新聞記事はもちろん、軍の論文誌に至るまで、多様な資料を駆使し、混乱のアフガニスタン戦争を分析する専門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1991年11月1日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで約458頁、うち本文は約376頁。資料編の付録が80頁近い本格的な研究書。9ポイント44字×18行×458頁=約362,736字、400字詰め原稿用紙で約907頁。文庫本なら上下巻でもいい分量。

 軍事物の専門書のわりに、文章はこなれている。内容も専門的ではあるが、Google や Wikipedia の助けを借りれば、素人でもついていけるだろう。なんといっても、兵器やアフガニスタンの地形が、調べればすぐにわかるのは嬉しい。

 ただ、若い人は、当時の国際情勢を知らないと、国際社会の動きがピンとこないかも。

 まず、当時の中央アジア諸国は、ソ連領だった。トルクメニスタン・ウズベキスタン・キルギス・タジキスタン・カザフスタンがそれ。イエメンも、南イエメンと北イエメンに分かれていた。イランは1978年まで親米の王国だったが、1979年に革命が起きて現体制に変わった。

【構成は?】

 だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • 第一章 アフガニスタンという国
    広漠たる山の国/戦術的視点からの地形分析/民族・部族のモザイク国家/農業主体の経済
  • 第二章 英露角逐の舞台
    王国の独立/対英戦争/ロシアの南下/英露角逐による国境線の確定/遅れた近代化/安定と停滞/ソ連勢力の浸透/共和革命
  • 第三章 ソ連の衛星国化と内戦の発生
    タラキー政権の成立(四月革命)/政権内の対立抗争/反政府活動の発生/反乱の拡大・激化/反乱拡大の原因/内戦下のカブールの表情/ソ連の共産政権支援/ソ連の衛星国化/政府軍をバックアップするソ連軍/周辺諸国の懸念/アミーン政権の成立/激化する内戦の様相/道路網の麻痺/ソ連のテコ入れ/イランをにらむソ連/アミーン、ソ連離れか?
  • 第四章 ソ連の侵攻作戦
    ソ連の動向判断/アフガンの戦略的価値/決心とその動機/誰が決断したのか?/先遣部隊の事前配置/カブール空港降着作戦/カルマル政権の樹立/主要地方都市への降着作戦/地上侵攻作戦/空軍の作戦及び輸送支援/ソ連の侵略名目/米国の猛反発と制裁/関係諸国の反応と対処/ソ連非難の大合唱
  • 第五章 反政府勢力のゲリラ活動
    ムジャヒディンの高い士気の根源/乱立する反政府グループ/ムジャヒディンの総数は?/ゲリラ派閥の構成/ゲリラ派閥間の対立抗争/統一戦線への試行錯誤/ムジャヒディン・イスラム同盟の結成/貧弱な武器装備/前期におけるゲリラへの武器援助/ムジャヒディンのゲリラ戦術/都市におけるテロ活動/困難な対空戦闘/対装甲車戦闘/巧妙な地雷戦/国土の大半を支配したゲリラ
  • 第六章 ソ連の傀儡カルマル政権
    親ソ政権内の内部抗争/パルチャム派独裁体制の確立/国民の支持獲得工作の限界/兵士の脱走と寝返り/徴兵の強化/政府軍の数的戦力(84年)/民兵組織の拡充努力/破壊された行政と経済/鉱産物の収奪/難民のパキスタン・イラン流入
  • 第七章 ソ連軍の戦力
    ソ連軍の総兵力は?/部隊識別の困難性/陸軍部隊の編制及び展開/優良な舞台装備/空軍の戦力/航空基地等の整備/恒久的軍事・交通施設の建設/同盟国軍の増援
  • 第八章 ソ連軍の対ゲリラ戦闘(前期)
    当初の作戦砲身/首都及び主要都市の保持/幹線道路の確保/パンジシール掃討作戦の不成功/激烈な航空攻撃/化学剤の使用/ゲリラと住民の隔離/聖域からのルート遮断/ワハン回廊の実質的併合/前期までのソ連軍の損害推定
  • 第九章 ソ連軍の問題点
    兵力の不足/不慣れな対ゲリラ・山地戦/戦術的思考の硬直性/固執した乗車戦闘/兵士の低い士気/規律の弛緩/政府軍への信頼感の欠如/アフガン国民との遊離
  • 第一〇章 ソ連軍の改善努力
    対ゲリラ戦術・先方の改善努力/実戦的な訓練の徹底/部隊改編と兵器実験/車両縦隊の防護対策/対地雷戦法の開発/工兵偵察の模範例/空中機動作戦の多用/空輸の活用/地対空ミサイル対策/士気高揚の努力/アフガン勤務は出世コース/軍規の維持施策/アフガンのソ連化政策の推進
  • 第一一章 勝利なき戦い(後期)
    85年の三つの大規模作戦/ソ連軍の作戦方針の変更/ゲリラの都市攻撃/対ゲリラ武器援助とパキスタンの対応/スティンガーの出現/ゲリラの戦術・戦法の変化/パキスタンに対する破壊工作/苦戦を認めたソ連
  • 第一二章 ナジブラ政権の国民和解政策
    ナジプラ政権への交代/実効なき国民和解政策/新憲法の制定/政権党内の亀裂/経済苦境の打開努力/援助負担に悩むソ連/帰国できない難民
  • 第一三章 難航する間接和平交渉
    間接和平交渉の開始/米国の代弁者パキスタン/出口なきクレムリン/弱い撤兵要求/世界から忘れられた戦争/ゴルバチョフの登場/米ソの直接取り引き/ゴルバチョフ、一部撤兵を言明/撤兵をめぐる意見の相違/一部撤兵の実行/鍵を握るクレムリン/進展がない間接和平交渉
  • 第一四章 和平協定の締結
    ソ連、撤兵を示唆/間接和平交渉のポイント/ゴルバチョフ、撤兵を言明/撤兵決断の要因/反政府側の暫定政権構想/したたかなパキスタン外交/最後の掛け引き/アフガン和平協定の締結/和平協定の問題点
  • 第一五章 ソ連軍撤退とゲリラの失敗
    ソ連軍撤退開始/政権固めを急ぐ両陣営/政治的駆け引きの活発化/ソ連軍の撤退完了/ソ連の損失/反政府側の暫定政権成立/ジャララバード攻防戦/攻撃に失敗したゲリラ/ゲリラの攻撃不成功の要因/戦争の惨禍と遠い春
  • あとがき
  • 付録1 ソビエト社会主義共和国連邦・アフガニスタン民主共和国間の友好善隣協力条約(全文)
  • 付録2 侵攻直後の各国の反応及び対応
  • 付録3 本戦争に登場した新兵器の全貌
  • 付録4 87年初めにおける主要関係国の立場・対応等
  • 付録5 ソ連軍が得た戦訓(軍事通報誌、90年5・6月号)
  • 付録6 アフガニスタン間接和平交渉合意四文書(要旨)
  • 付録7 アフガニスタン撤兵完了に関するソ連政府声明
  • 付録8 最近の政府・反政府軍の戦力表(ミリタリー・バランス、90/91年版)
  • 付録9 主要参考文献

【感想は?】

 鳥井氏の著作の特徴は、広範囲の資料を漁った多角的な視点にある。反面、具体的な戦闘の様子や戦地に住む民間人の声は聞こえない。それは覚悟しよう。

 と、俯瞰的な視点で描く本ではあるものの、掘り下げは深い。私は幾つかアフガニスタン関係の本を読んだので、多少は知っているつもりになっていた。が、冒頭の「第一章 アフガニスタンという国」から、何もわかっちゃいなかったと思い知らされる。

 例えば、近隣諸国との関係。パキスタンとの関係は、この記事冒頭の引用が示す通り。アフガン国境に近いパキスタンの連邦直轄部族地域(→Wikipedia)が特別扱いなのは、そういう事か。もともと、国境なんか関係ない暮らしをしてたんだ、あの辺の人は。

 また、イランとも関係が深い。アフガン難民と聞くとパキスタンばかりを思い浮かべるが、イランに逃げた人も多いし、イランを基地としてソ連と戦った勢力もある。人数にして、だいたいパキスタン3:イラン2ぐらいの割合かな?

 アフガン内には雑多な勢力が入り乱れ、中でもパシュトゥーンが最大勢力なのは知っていたが、パシュトゥーン内でもドゥラーニー部族 vs ギルザイ部族の抗争があるとは知らなかった。

 加えて、ソ連の共産主義を嫌い中央アジアから逃れてきた人たちもいる。おまけにカレーズ(地下水路,→Wikipedia)による灌漑農地も多く、これが独特の小権力が乱立する源となっている(「カナート イランの地下水路」)。もともと、治めにくい土地なのだ。

当初、ソ連は傀儡政権を打ち立てて衛星国にしようと目論む。が、アメリカのベトナム政策同様、傀儡政権は役に立たない。ってんで直接介入を目論む。

 そのソ連軍、仮想敵はNATOだし、戦場もポーランドとかの大平原を考えてた。広く平らな所に大兵力を展開して押し込む算段だ。アフガンは山だらけだけど、ジャングルばっかのベトナムと違い木のない禿山ばかりだから大丈夫だろう、と思ったのが大間違い。にしても、その第一歩は…

(1979年12月27日)KGBが指揮するソ連コマンド部隊数百人が(略)アミーン大統領を有無をいわせず家族や一族もろとも射殺した。(注、80年1月11日の報道によれば、侵略数日間でソ連軍は、少なくとも300人のアフガンの要人たちを処刑している。)
  ――第四章 ソ連の侵攻作戦

 と、KGBによる要人暗殺に始まってるのが怖い。プーチンは、そういう仕事をしてた人なのだ。

 対するムジャヒディンの得意な戦術は、ヒット・アンド・アウェイ。「ソ連軍の補給幹線となった山岳地帯を横断している主要道路の遮断、もしくは車両縦隊(コンボイ)に対する襲撃」。補給を叩くのはゲリラの鉄則ですね。中でも得意なのが地雷。山をぬって走る狭い道路に地雷はよく効くだろうなあ。

 なお、手持ちの地雷を使い果たしても、ダミーの地雷を置いて脅す手を編み出している。

 意外な事に、84年まで主な得物は「中国製とエジプト製のソ連タイプ」。80年代から、ソ連と中国の間には、大きな溝があったのがわかる。もっとも、中国は、この頃に培ったアフガン人とのコネを、今も使っているような気がするんだが…

 対するソ連の得物で最も印象に残るのは、攻撃ヘリコプターMi-24ハインド(→Wikipedia)。特にD型は装甲も厚く小銃が効かないので、ゲリラも苦戦した模様。もっとも、装甲が厚いのは底と横なんで、ゲリラも山の上から打ち下ろすなんて戦術を開発してる。

 他にもソ連軍は毒ガスを使ったり、おもちゃに偽装したブービー・トラップをバラ撒いたりと、なかなか非道な真似をしてるあたりが、なんともおそロシア。

 それだけに、アメリカが与えたスティンガー(→Wikipedia)の有難みもかなりのもの。それでも、86年にCIAがコッソリ持ち込んだスティンガーを試しに使ったら、マトモに使えたのは12発中1発だけだった、なんて情けない出だしだが。

 なお、タリバンはもちろん、アルカイダも全く出てこない。「倒壊する巨塔」でも、アルカイダはほとんど戦ってない上に役立たずだったとある。というのも…

つまり、“反政府ゲリラ”というよりも“反共ゲリラ”であり、“反共ゲリラ”というよりも“反外人ゲリラ”といった方が分かりが早い。
  ――第五章 反政府勢力のゲリラ活動

 と、つまりアフガン人にとっては、「よそ者は出ていけ」な戦いだったのだ。アメリカが今なお苦しんでいるのも、こういうアフガン気質のためなんだろうか。

 真面目な本だけに、あまり刺激的な表現は出てこない。が、資料的な価値は優れていて、読む者が積極的に読み取ろうとすれば、相応しい報酬が約束されている。時間をかけて、じっくり読もう。

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鳥井順関係

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2017年11月20日 (月)

リジー・コリンガム「戦争と飢餓」河出書房新社 宇丹貴代美・黒輪篤嗣訳 3

当時の計算によると、牧畜用の草地は四ヘクタール当たり12人を養えるのに対し、同じ面積の小麦畑は200人、じゃがいも畑なら400人もの人数を養えた。
  ――第5章 イギリスを養う

 リジー・コリンガム「戦争と飢餓」河出書房新社 宇丹貴代美・黒輪篤嗣訳 2 から続く。

【各国の対応】

 戦争となれば、兵が要る。そして兵は食わせにゃならん。

 そんなわけで、参加各国は糧食の調達に追われる。調達の方法にお国柄が出る部分もあれば、似たような所もある。日本・ドイツ・イギリスに共通してるのが、「まず自国民に食わせ、ツケは他国に回す」って点。日本については前の記事で書いたから置くとして…

【大英帝国】

 イギリスはUボートに締め上げられたが、アメリカの後ろ盾に加え、カナダやオーストラリアなどイギリス連邦の協力もあり、比較的に余裕はあったようだが、インドなど植民地に対しては冷酷だった。

 モーリシャスからは主なたんぱく源のレンズ豆を奪う。対日戦の主な兵の供給地だったインドは、米の輸入元のビルマを奪われた上に、値上がりを見込んだ商人の買い占めを傍観し…

食糧難が最高潮に達した1943年から44年にかけて、少なくとも150万人のベンガル人が死亡した。
  ――第5章 イギリスを養う

 この飢餓はインド全土に広がりかける。それを見かねて…

1943年11月、(対インド食糧供給を検討する)当委員会はインドに小麦10万トンを提供するというカナダの申し入れを、船舶がないという理由で断り、イギリス政府はインドの立法すが連合国救済復興機関(UNRRA)に食糧援助の申請をするのを差しとめた。
  ――第5章 イギリスを養う

 みっともないから止めてくれ、ってわけ。さすがだぜ大英帝国。インド独立を描いた「今夜、自由を」で、ベンガルが火薬庫みたく描かれてたのは、そういう経緯もあったのか。

【第三帝国】

 植民地が頼りにならないドイツも、占領地の扱いじゃ負けちゃいない。例えばギリシャじゃ…

ゲリラ兵が活動する地域の村には、救援食糧はいっさい与えられなかった。それどころか、抵抗ゲリラの支援ネットワークを奪うために、家や畑がすっかり焼き払われた。
  ――第8章 ドイツを養う

 匿う奴も敵とみなすナチスの手口は、チェコを舞台とした「HHhH」が描いてた。そのためか、今でも当時のレジスタンスに対しては、複雑な感情が残っているって噂を聞いた。ただしソースは不明。これが東方では…

占領下ソ連のように農業の近代化が遅れている地域では、支配者の常軌を逸した暴力行為に監督能力の欠如が合わさると、農民たちは規模を小さくして自給自足に走る。
  ――第9章 飢えを東方に輸出したドイツ

 と、あの手この手でドイツを出し抜こうとした様子。特にウクライナは、スターリンによる飢饉(→Wikipedia)で農民たちは知恵をつけ、隠したり誤魔化したりする手口も洗練してたとか。とはいえ、ナチスは働き手となる男たちをドイツ国内に徴用したんで…

1945年には、(ソ連の)農業労働人口の92%を女性が占めていた。
  ――第9章 飢えを東方に輸出したドイツ

 と、女が頑張るしかない状況。おまけに犂をひく馬や牛もナチスに奪われるんだがら、収穫も減ってしまう。ヒトラーのアテは外れるばかり。

 一方、徴用された男たちは、ドイツ内の工場や農場で働かされる。特に戦争末期になると、国民すら満足に食わせられないドイツが、彼らを厚くもてなすはずもなく。

ナチス政権は人間の基礎代謝率の限界に直面した。労働者ひとりに3,000カロリーを与えるほうが、労働者ふたりに1,500カロリーずつ与えるよりも効率的なことがわかったのだ。
  ――第15章 ドイツとイギリス 受給権に対するふたつの取組み

 と、残酷な計算まで始める始末。ユダヤ人虐殺も、動機の一つは食糧だろう、と著者は見ている。

【中国とソ連】

 植民地や占領地から奪えた他の国とは違い、中国(国民党)とソ連は、略奪の対象がいない。じゃどうするか、というと…

 国民党も、最初は人心把握に努めたが、追い詰められるに従い台所は苦しくなる上に、難民が支配地域に雪崩れ込み、食料も足りなくなる。それを稼ぎ時と気づいた商人は食料を買い占め、飢餓を煽る。軍も軍閥化が進み、略奪を始める。そうやってツケを貧しい者に回した結果…

国民党軍の兵士200万人のほかに、少なくとも150万人の民間人が死亡したが、うち85%がもっぱら窮乏と飢えに倒れた農民だった。
  ――第12章 内戦下の中国

 と、悲惨な有様になってしいまう。当然、民衆の気持ちは国民党から離れ、内戦では共産党が躍進してゆく。このあたりは「台湾海峡1949」が詳しかった。

 苦しかったのはソ連も同じ。

(ソ連の)死者2,800万ないし3,000万人のうち、900万人が軍人で、残る1,900万ないし2,100万が民間人だった。(略)死者の大多数は、ドイツ占領下で餓死したか射殺されたものと思われる。
  ――第14章 ソヴィエト連邦 空腹での戦い

 と、第二次世界大戦で最大の犠牲を払った上に、戦後は…

1946年の夏、ロシア南部とウクライナの大草原地帯が干魃に見舞われ、凶作になった。だが、スターリンが必要とする穀物の量は、逆に増えていた。東欧のあらたな衛星国に食料を輸出すれば、ソヴィエトの支配が強固になるからだ。
  ――第18章 腹ぺこの世界

 さすが同志スターリン容赦ない。ちなみに従軍した将兵たちへの待遇も、あまし温かくなったと、「イワンの戦争」が暴いている。

【アメリカ】

 他の国とは全く様相が異なるのが、アメリカ。もう完全に別世界で、読んでいると本を投げ出したくなる。とにかく農業も工業も産業力が桁違いで、「なんでこんな国と戦争しようと思ったんだろう?」と、つくづく悲しくなってくる。こんな国で、志願兵がいるのが不思議なくらいだ。

 現代でも化け物じみた兵站能力を誇る米軍だが、その理由は桁違いの産業力だけでなく…

第二次世界大戦中、健康と栄養にあらたな関心が払われ、軍医や補給将校は、兵士たちの飢えと疲労が主因でやがて戦争神経症が引き起こされること、その背景となるのは、単調でまずい食事であることを知った。
  ――第17章 アメリカ 不況から抜け出して豊かな社会へ

 と、あの戦争から学んだ教訓にある模様。士気の元は、旨くてバラエティに富むあったかいメシなのか。

【最後に】

 とすると、飢えに苦しんだ日本の将兵は、アメリカ以上に戦争神経症に苦しんだはずだ。が、日本政府が詳しく調査したって話は聞かない。敗戦直後の混乱期ならともかく、高度成長期になっても顧みようとしなかったのは、冷たすぎるんじゃないの? なんだかなあ。

 などと、挑発的な書名にたがわず、衝撃的な話が続々と出てきて、酷く疲れる本だった。また、軍ヲタとしては、「日本の船舶を潰すには米軍の機雷封鎖が最も効果的だった」なんて話があって、海上自衛隊が機雷掃海が得意な原因は、これにあったのか、と思ったり。

 軍事系ではあるけど、あまり軍事関係の専門用語も出てこないので、素人にもとっつきやすい。当然ながら残酷な描写は多いし、バタバタと人が死ぬので、その辺の耐性は必要だが、銃後の現実を知る上では、とても迫力のある本だ。つくづく、戦争の被害を受けるのは、軍隊だけじゃないんだなあ。

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2017年11月19日 (日)

リジー・コリンガム「戦争と飢餓」河出書房新社 宇丹貴代美・黒輪篤嗣訳 2

当時の計算によると、牧畜用の草地は四ヘクタール当たり12人を養えるのに対し、同じ面積の小麦畑は200人、じゃがいも畑なら400人もの人数を養えた。
  ――第5章 イギリスを養う

 リジー・コリンガム「戦争と飢餓」河出書房新社 宇丹貴代美・黒輪篤嗣訳 1 から続く。

【発端】

 第二次世界大戦の影響で、多くの人が飢えた。

 これは、戦いの犠牲だと私は思っていた。が、どうもそうじゃないらしい。特にドイツは、ワザと飢餓を輸出したようだ。

 第一次世界大戦の経験から、ヒトラーは国民の飢えを強く警戒していた。そこにヘルベルト・バッケが登場する。

戦時下の食糧問題について(ヘルベルト・)バッケ(→Wikipedia)が提唱した解決策こそが、1941年6月のソ連との開戦をヒトラーに決意させた直接の要因なのだ。
  ――第2章 ドイツの帝国への大望

 バッケの理屈はこうだ。穀倉地帯ウクライナを奪え。そうすれば、ドイツは飢えずに済むし、ロシアは干上がって倒れる。「バッケの頭の中にあった具体的な死者数は、3,000万人だった」。もともと虐殺するつもりだったのだ。

 ドイツ軍がモスクワを目の前にして、カフカスの油田に主軸を移した理由も、ウクライナだ。「ウクライナの農業は機械化が進み、ソ連の産油量の60%を消費している」と、ドイツは考えた。そのために、カフカスの油田がどうしても必要だったのだ。

 もっとも、短期決戦を求めてたクセに、その方法が兵糧攻めってのは、なんかおかしい気もする。人間、いったん決めちゃったら、考えを変えられない傾向があるから、矛盾に気づかなかったのかも。

【日本 その1】

 さて日本は。

 両大戦間に人口が増えた上、都市住民の食べる量も増え、困った事になる。そこで朝鮮から米を強奪してしのぐ。当然、朝鮮人は飢え、「彼らは生きのびるために野草を食べた」。当時の「日本政府の食糧官吏や農業経済学者も『飢えの輸出』と呼んでいた」。

 植民地経営なんて大概が残酷なもんだが、大日本帝国も例外じゃなかったのだ。

 加えて、日本の農民も苦しむ羽目になる。外国から安い米がたくさん入ってきたので、国産米の値段も下がり、農家の稼ぎも減ってしまう。食糧問題の難しさは、今も昔も変わらないなあ。ってんで、満州だ。

移住計画は、100万戸の農家、すなわち1936年当時の農業人口の1/5を中国に送り込むというものだ。
  ――第3章 日本の帝国への大望

 元から住んでた者の土地を奪い、日本人移民に与える。おお、ラッキーじゃん。土地を追われる側はたまったモンじゃないけど。

 こういった大日本帝国の性質は、南方でも変わらない。アジアの米蔵だったビルマ・インドシナの稲作地帯では…

占領軍が市場価格よりはるかに安い値段で米を大量に買い上げ、軍の糧食や本土に送るための備蓄米にしていた。国際市場も域内市場も奪われた農家は、苦労して作物を育てても日本人に買いたたかれるだけなので、生産量を減らした。
  ――第11章 日本の飢えへの道

 と、アジアの穀倉地帯から米を奪い、また地域の流通も壊してゆく。もっとも、奪った米を運ぶ船は、アメリカの潜水艦にボコボコ沈められるんだけど。これに加え、不作やインフレ、輸送用の船の不足、米から黄麻や大麻への強制的な転作も重なり、戦後は地獄と化す。しかし…

フランスも日本も正確な死者数の把握に努めなかった。これまで、100万ないし200万人のヴェトナム人が死んだとされてきた。(略)ヴェトナム北部の多くの村にとって、20世紀最悪の経験はヴェトナム戦争ではなく、この飢饉なのだ。
  ――第11章 日本の飢えへの道

 仏印やビルマで帝国陸軍がやらかした事を、私も、知りませんでした、はい。

 もっとも、「日本の新技術が大きな成功をもたらした」と言ってくれるマラヤ人も、少しはいるとか。そうは言っても、イギリスよりはマシって程度なんだけど。

【日本 その2】

 ってな悲惨な話とは別に、意外な事実も書いてある。

 例えば託児所。戦争が始まり人手が足りなくなると、女も働かにゃならん。そこで、国は幾つかの対策をだす。例えば…

食事の準備を共同で行うために炊事場が一万五千カ所、(略)託児所が三万カ所設けられた。

 今でもベビーシッターより保育園が好まれる理由は、こういった経緯なんだろうか。

 また、太平洋の戦いは飢えとの戦いでもあった。

ガダルカナル島では戦死者が5,000人だったのに対し、餓死者は15,000人にのぼると今村(均大将)は推定した。
  ――第13章 天皇のために飢える日本

(ニューギニア方面の)第18軍司令官、安達二十三は、1944年12月10日、「連合軍兵士の死体は食べてもよいが、同胞の死体はたべてはならない」という命令を発した。
  ――第13章 天皇のために飢える日本

 などのエピソードが語るように、兵站無視が帝国陸軍の伝統のように思ってたけど…

1929年、(日本)陸軍の食事が供給するエネルギーは、ひとり当たり1日4000キロカロリーだった。(略)ところが、1941年に、軍の糧食は半減した。
  ――第13章 天皇のために飢える日本

 と、戦前は将兵の食糧事情に気を配っていたのだ。加えて、中華料理や洋食の普及にも、軍が大きな影響を与えた事がうかがえる。というのも。

 1920年頃の日本兵の体格は貧弱だった。じゃ栄養状態をよくしよう、そのために肉を食わせよう。でもヒトは不慣れな料理を好まない。おまけに、「日本食は地方ごとに味の違いが」大きい。そっか、昔から日本のメシはバラエティ豊かだったのね。って、そういう事じゃなくて。

 どこかの地方の味付けにしたら、兵同士でケンカになる。でも、みんなが慣れないなら、ケンカにもならない。そこで、都市で流行りはじめた中華や洋食を真似た。「カレー、シチュー、炒め物、中華麺、豚カツ、唐揚げ」…。皆さんお馴染みのメニューは、帝国陸軍が普及させたわけ。

 おまけに、調味料も味噌から醤油を中心にした。これも同じ理由で、味噌は地方色豊かだけど、醤油は「工場生産で味が標準化されて」いるから。そうなのか。味噌は地方色豊かなのか。今度、旅行に行ったら、地元の味噌を漁ってみよう。

 加えて、民間にも普及させるため、陸軍は「企業、学校、病院に軍隊式の給食を導入しはじめた」。学校給食も社員食堂も、軍が先導したのだ。家庭に対しても、陸軍の主催で「料理の実演が行われた」。軍人さんが料理教室を開いてたのだ。当然、味も似たようなモンになったんだろうなあ。

 ばかりでなく。当時の農村の若者は雑穀交じりのメシを食べてたけど、軍で白米に慣れる。

白米を日本国民全員の主食に変貌させたのは、第二次世界大戦なのだ。
  ――第19章 豊かな世界

 そんなわけで、現代日本人の食生活は、帝国陸軍が創り上げたのだ。これはアメリカも同じで、軍のメシに慣れたGIたちが、今のアメリカの大衆食を形作っているとか。この辺は、「とんかつの誕生」や「カレーライスの誕生」にも触れられてたなあ。

 すんません。また次に続きます。

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2017年11月17日 (金)

リジー・コリンガム「戦争と飢餓」河出書房新社 宇丹貴代美・黒輪篤嗣訳 1

第二次世界大戦中、少なくとも2000万の人々が、飢餓、栄養失調およびそれにともなう病気によって、こうした悲惨な死を迎えた。
  ――第1章 序 戦争と食料

窮乏状態に耐える能力の高さは、多くの場合、国民の政府に対する期待の低さを反映する。
  ――第1章 序 戦争と食料

【どんな本?】

 多くの戦争映画や物語が語るように、太平洋戦争中および戦後は多くの日本人が飢えた。ガダルカナルやニューギニアの地獄は有名だし、国内の民間人も代用食や買い出し・闇市に頼った。日本だけではない。あの戦争では、世界中が飢えた。

 ドイツの東部戦線の将兵はもちろん、銃後のドイツ国民も飢えた。占領されたフランスも苦しんだが、ボーランドやギリシャはもっと悲惨だ。イギリスも苦しんだが、辛酸をなめたのは植民地のインドだ。当然、ソ連も苦しんだが、最大のツケを回されたのはウクライナなどドイツ軍に占領された地域だろう。

 当然、日本が占領した地域も上に見舞われた。アジアの米蔵だったビルマやインドシナすら自給もおぼつかず、それに頼っていた周辺国は悪夢となった。長く続く日中戦争に苦しんだ中国は、太平洋戦争終結後も、国共内戦の苦しみがのしかかる。

 と書くと飢えは戦争の結果のように思えるが、実際はもっと複雑だ。そもそも戦争の原因に、食料が大きく関わっている。そして、日本もドイツも、占領地や植民地に、「飢餓の輸出」を目論んでいたし、イギリスも植民地に飢餓を輸出したのだ。

 対してアメリカは…

 戦争の原因に、食料がどう関係したのか。戦前・戦中・戦後で、各国の食糧事情はどう変わったのか。それに対し、それぞれの政府は何を考えてどう対応し、その結果はどうなったのか。食糧事情という視点で第二次世界大戦を分析し、参加各国の暗黒面に光を当てる、衝撃のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Taste of War : World War Two and the Battle for Food, by Lizzie Collingham, 2011。日本語版は2012年12月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約463頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×463頁=約413,459字、400字詰め原稿用紙で約1,034枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 これだけの大容量だってのに、解説によると原本は「著者みずから原書を三割近く削った短縮版」。完全版だと、とんでもない鈍器になるんだろうなあ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、「インドはイギリスの植民地だった」程度の当時の世界情勢や、「日独伊 vs 英米ソ」程度の第二次世界大戦の経緯は知っていた方がいい。また多くの国や都市が出てくるので、地図があると便利。

 それより大事なのは食料の分量とカロリー計算。配給などの食料の量がグラム単位で出てくるので、日頃からスーパーなどで買い物をする人なら、だいたいの量がピンとくる。一日に必要なカロリーは、本書によると以下。

  • 普通の若い男:3000Kcal
  • 訓練中の兵士:3429Kcal
  • 低温下での激しい任務:4238Kcal
  • 猛暑下での戦闘:4738Kcal

 それぞれの食材の重さとカロリー量は、以下。

 これ調べてて気が付いたんだが、最近の Google はカロリー計算までやってくれるとは。「食材 カロリー」でググってみよう。例えば「チーズ カロリー」とか。そのうち Google ダイエットとか流行るんじゃなかろか。

【構成は?】

 基本的に時系列順に並んでいる。それぞれの国の事情が知りたい人は、まず「第1章 序 戦争と食料」を読み、以降は知りたい国の所だけを拾い読みすればいい。

  • 地図/出展に関する註記
  • 第1章 序 戦争と食料
  • 第1部 食料 戦争の原動力
    • 第2章 ドイツの帝国への大望
      小麦から肉へ/敗北、飢え、第一次世界大戦の遺産/自給自足経済と生存権/ヘルベルト・バッケと飢餓計画/東部での大量虐殺
    • 第3章 日本の帝国への大望
      農村危機の急進的な解決策/満州に100万戸/南京から真珠湾へ
  • 第2部 食料をめぐる戦い
    • 第4章 アメリカの軍需景気
    • 第5章 イギリスを養う
      肉からパンとじゃがいもへ/アメリカの粉末卵とアルゼンチンの塩漬け牛肉
    • 第6章 大西洋の戦い
      最も過酷な冬/アメリカという命綱/冷凍肉か兵士や武器か/大西洋の勝利
    • 第7章 大英帝国を動員する
      中東補給センター/東アフリカで勝利をむさぼる/西アフリカとドル不足/ベンガル飢饉
    • 第8章 ドイツを養う
      生産戦争/西ヨーロッパの占領/ギリシャ飢饉とベルギーの回復力/同盟国とアーリア人
    • 第9章 飢えを東方に輸出したドイツ
      現地の食料で生活する/飢餓計画の実施/1941年から42年にかけての食糧危機/ポーランドのホロコースト/ウクライナでの食糧徴発
    • 第10章 ソヴィエト体制の崩壊
    • 第11章 日本の飢えへの道
      米とさつまいも/帝国領土の混乱と飢餓
    • 第12章 内戦下の中国
      国民党の崩壊/生きのびた共産党
  • 第3部 食糧の政治学
    • 第13章 天皇のために飢える日本
      お国のためとされた健康的な食生活/チャーチル給与/アメリカの海上封鎖/ガダルカナル/ニューギニア/ビルマ/本土の飢え/降伏
    • 第14章 ソヴィエト連邦 空腹での戦い
      赤軍を養う/都市部を養う/アメリカという命綱/飢えを克服した忍耐力
    • 第15章 ドイツとイギリス 受給権に対するふたつの取組み
      1930年代のイギリス 栄養学的な見解の相違/1930年代のドイツ 「栄養面での自立」政策/配給の政治学/イギリスの労働者階級を養う/ドイツの軍事機構を養う/闇市場/ドイツの都市部 空腹だが飢えてはいなかった
    • 第16章 大英帝国 戦争の福祉的な側面
      ドクター・キャロット イギリス国民の健康を守る/栄養格差の是正/健康と士気 軍の炊事部隊/塩漬けの牛肉とビスケットで戦う/粥、豆、ビタミン/栄養状態の修復 インド軍
    • 第17章 アメリカ 不況から抜け出して豊かな社会へ
      「いい戦争」/未来への希望/兵士の快適な生活/オーストラリア 勝利のための食品加工/太平洋諸島の人々を養う
  • 第4部 戦争の余波
    • 第18章 腹ぺこの世界
    • 第19章 豊かな世界
      自国の豊かさとヨーロッパの救済を秤にかける/戦後食糧世界の形成/あらたな消費者の台頭
  • 謝辞/訳者あとがき/原註/参考文献/図版出典

【感想は?】

 よくできた戦争関係の本がそうであるように、この本も色々と衝撃的な事柄が続々と出てくる。

 なんたって、最初からとんでもない事実を明らかにする。あの戦争は、最初から多くの人が飢えると分かっていたのだ。少なくとも、日本とドイツは。そして、そのツケを…

 詳しい内容は次の記事で。

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2017年10月27日 (金)

デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 3

送り込まれる兵士のうち、100人に10人は足手まといです。80人は標的になっているだけです。9人はまともな兵士で、戦争をするのはこの9人です。残りのひとりですが、これは戦士です。このひとりがほかの者を連れて帰ってくるのです。
  ――第十四章 盾を帯びた現代の勇士

2002年、アンソニー・ハリスらマサチューセッツ大学およびハーヴァード大学の研究チームが、<殺人事件研究>誌に画期的な研究論文を発表した。それによると、1970年以来の医療技術の進歩が、殺人事件のおよそ3/4を阻止しているという。
  ――第十六章 戦闘の進化と国内の暴力犯罪

私は司法省司法統計部のデータを見せた。このデータによれば、第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム、湾岸戦争の帰還兵は、同じ年齢性別の非帰還兵よりも投獄される割合が低い。
  ――第十六章 戦闘の進化と国内の暴力犯罪

 デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 2 から続く。

【戦いの直後】

 戦っている最中、ヒトは興奮してケダモノになる。その後、どう変わるんだろうか?

自分は生きているという大きな喜びがわきあがってくる。
  ――第十三章 殺す決断 

 そう、まず嬉しくなるのだ。それは生き延びたからだが、これを殺しの快感と勘違いする者もいる。彼らはソレを求め再び戦場へ戻ろうとする。「戦場の掟」で描かれた傭兵たちの一部は、その典型だろう。

 その後、落ち着いてくると、「人が死んでるのに喜んでる俺は変だ」と考える人もいる。そして、自分を責めてしまう。これも、ありがちな現象である。前の記事にも書いたが、「暴力的な状況というストレスにさらされると、そこで起きたことは自分のせいだと思い込みやすい」のだ。

 太平洋で戦った帝国陸海軍の将兵も、生きて帰った事で、亡くなった戦友への罪悪感を抱える人が多い。これも、そういう事なんだろう。

【デブリーフィング】

 繰り返すが、戦闘中のヒトは興奮してケダモノになっている。だから、記憶も怪しい。そこで著者のお薦めは、「危機的事件後報告会」だ。

 その場に居合わせた者が集まり、事件を再構成するのである。特に軍の場合は、各将兵の言い分が異なっている場合が多い。みんな自分のせいだと思って、「あの時俺がこうしてれば…」みたいな気持ちを抱えてたりする。

 が、そんな記憶の多くは、思い違いの可能性が高い。興奮している時の記憶はアテにならない。自責の念のあまり、記憶をねつ造していた例が、本書では何回も出てくる。そういった自責の念や記憶の捏造が、よくある現象だと参加者に教えるのも大切な事だ。そして…

心的外傷の後遺症にまだ苦しんでいるときに、自分は正常だと感じるためには、その症状を病気だと思ってはいけないということだ。外的な脅威に対する正常な反応だと思わなくてはならないのである。
  ――第十九章 PTSD

 そう、異常なのは本人ではない。彼が放り込まれた状況が異常なのだ。彼の反応は、異常な状況に対する適切な反応なのだ。たとえそれがクソを漏らす事であっても。

 日本にも戦友会があるが、その目的の一つが、これなのかな、と思ったり。抱えた傷みを癒す適切な手段を、本能的に見つけたんじゃないか、と考えてしまう。

 ちなみに、戦闘を経た直後に、あっちの方がお盛んになるのも、よくある話だとか。中世の戦争じゃ軍に娼婦がついて回ったのは、そういう事なんだろう。

【周囲にできること】

 とはいえ、報告会だのアドバイスだのは、現場に居合わせた人やプロでなきゃ難しい。では、家族や友人が戦いの後遺症で苦しんでいる場合、何ができるんだろう?

個人個人としてまた社会全体として、帰還兵に差し出すことのできる重要な贈り物は三つある。それは「理解、肯定、支援」である。
  ――第二十二章 帰還兵にかける言葉、生き残った者にかける言葉

 マズいのは、興味本位でしつこく尋ねたり、精神科医気取りで分析する事だ。あまり言いたかないが、私はこういう無神経な真似をやらかした経験がある。今から思えば、とんでもなく失礼な事をやらかしたもんだ。

 言っていいのは、「あなたが無事でとてもうれしい」とか「心配したよ、無事でよかった」ぐらいだとか。そういう声をかけられるのは家族や恋人や親友ぐらいで、あまり親しくない人に対しては難しい。とりあえず、素人としては、黙って聞くぐらいしかなさそうだなあ。

 この辺は「戦争ストレスと神経症」や「心的外傷と回復」が参考になるかも。

【その他】

 他にも興味深いエピソードはたくさん載っている。例えば…

それまでおとなしかった容疑者が、手錠の音を耳にしたとたんに激しい感情的な反応を見せることがある。
  ――第三章 交感神経系と副交感神経系

 なんて話。手錠で大人しくなるのかと思ったが、反対なのだ。警官の方は暴漢を捕まえてホッとし、アドレナリンの波がひいて脱力しているが、暴漢の方は手錠でアドレナリンが吹き出しケダモノに変わる。警官は最後まで気を抜いちゃいけないのだ。残心ってのは、この事なのかも…と思ったら。

銃弾によって心臓が止まることはあるが、そのあとでも五秒から七秒は命があるそうだ。
  ――第十二章 銃弾を食らっても戦いつづける

 やはりそうだったか。戦場から命がけで持ち帰った教訓なんだなあ。

 やはり面白いのが、フットボール選手の話。彼らは学業の試験で不利なのだ。

 彼らは、試合に臨む際、心拍数が増えるよう叩きこまれている。その方がパワーが出るからだ。これが試験では裏目に出る。試合は「ここ一番の勝負」だ。それは学業の試験も同じだ。だから、彼らは試験開始のベルと共に、心臓が張り切りだす。

 すると不器用になって字が巧く書けなくなり、視野が狭くなって長い文章が理解できなくなり、落ち着いて考える事もできなくなる。かくして試験の結果は…。

 スポーツだと、打撃の神様こと川上哲治の「ボールが止まって見えた」って話は、まんざらホラじゃないらしい。時間がゆっくり進む現象を、「銃撃戦に巻き込まれた警察官の65%が経験している」。加えて「ものが異常に鮮明に見える」現象もあるとか。

 と思って WIkipedia を見たら、「ボールが止まって見えた」と話したのは川上哲治じゃなかった。

 最近は悪質なあおり運転が話題になっている。あれ、高価な車だと被害にあいにくいようだ。連中は相手を見て仕掛けるらしい。これば暴力犯罪でも同じで、暴力犯の「圧倒的多数が、被害者は意識的に選択する」。「覇気のない歩きかた、受動的な態度、注意力散漫」な者を狙う。

 また、こんな話もある。著者の一人クリステンセンは、ネオナチによる数十の暴力事件を調べた。が、「ひとりで人を襲ったという事件はただの一件もなかった」。クリステンセン曰く「ひとりじゃなんにもできないんだ」。やっぱりね。

【その他】

 などと、興味深いネタが山盛りで入っている。野次馬根性で読むもよし、苦しむ人を楽にするため真面目に読んでもいい。軍ヲタ向けの本だが、読み方によって幾らでも応用が効く。ヲタクに独占させるには惜しい労作にして名著。

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2017年10月26日 (木)

デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 2

アフガニスタンから帰還したばかりのSEAL隊員、グリーンベレー隊員相手に講演をしたとき、銃が使えないという夢を見たことがある人、と声をかけたらほぼ全員がてを挙げた。
  ――第十二章 銃弾を食らっても戦いつづける

 デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 1 から続く。

【戦場の生理学】

 本書は、戦場での生理学から始まる。命の危険を感じた時、兵士の体と心に何が起きるのか。

 アドレナリン(→Wikipedia)の分泌が増え心拍数が増えるのはよく知られているが、もう一つコルチゾール(→Wikipedia)も増える。このため怪我をしても血が固まりやすくなる。

 物語で、よく描かれるパターンがある。戦闘中に怪我をしてもい傷みを感じず、血もさほど流れないのに、戦闘が終わり気が緩むと一気に痛みを感じ血がドバドバ流れだす。アレは本当なのだ。ただし、多くの映画が描いていない現象もある。

「戦闘シーンで主役がクソ漏らしてる映画があったら、観に行ってもいいけどな」
  ――第二章 戦闘の過酷な現実

 そう、漏らすのだ。そういえば、「陸軍尋問官 テロリストとの心理戦争」の冒頭でも、連行されたテロリストはみな漏らしていた。格好は悪いが、ちゃんと理由も意義もある。

 だって、逃げるにせよ戦うにせよ、余計な荷物を抱えてたら不利じゃないか。だから、命がかかった状況では、膀胱や腹に抱えた荷物を捨てるよう、私たちの体はできている。漏らすのは、厳しい生存競争を生き残った者として、適切な反応なのだ。

 こういう現象に対し、著者は何度も繰り返す。

あらかじめそういうものだと知っていれば、(略)そのせいであとになって傷つかずにすむ。

 (略)の部分に、「漏らしても」など、人の体に起きる事柄を書き入れる、それが本書のテーマの一つだ。軍ヲタが大喜びするのはもちろん、暴力の被害を受けた被害者や、大きなストレスやその後遺症に苦しんでいる人にも、この本が役に立つ所以である。

 ただ、多少の想像力が必要だ。例えば、同じ章にこんな記述もある。

継続的な戦闘状態が60昼夜続くと、全兵士の98%が精神的戦闘犠牲者になる
  ――第二章 戦闘の過酷な現実

 本書では独ソ戦のスターリングラードの戦いを例に出しているが、私は親の暴力に苦しむ子供を思い浮かべた。何年も常に恐怖に晒され、逃げ場がない点は、スターリングラードと同じだ。しかも子供の場合、戦友もいなければ、「祖国のため」なんて大儀もない。おまけに…

暴力的な状況というストレスにさらされると、そこで起きたことは自分のせいだと思い込みやすい。
  ――第十七章 安堵と自責とその他の感情

 と、「ボクが悪いんだ」と思い込んでいる上に、親は躾を言い訳にする。パワハラ上司も同じ手口を使い、被害者を悪役に仕立て上げる。虐待やパワハラの扱いが難しいのは、こういう現象のためだろう。最も巧みに利用しているのは、カルト宗教の洗脳かな。加えて…

【勝利の秘訣】

 やはり戦場心理を巧く使った人として、著者はナポレオンを挙げる。彼は砲術の名手だった。単に物理的にダメージを与えるだけでなく、砲には意外な効果もあって…

「ほかの条件がすべて同じなら、戦闘ではより大きな音をたてたほうが勝つ」
  ――第五章 目と耳

 動物のオス同士の縄張り争いは、まず威嚇で始まる。この際、より大きな声で吠える奴の方が強そうに感じる。戦争も似たようなものらしい。ビビったら負けなのだ。だからF/A-18ホーネットのエンジン音は煩いのね←違う。

 そういや第二次世界大戦で活躍したドイツ空軍の急降下爆撃機スツーカ(→Wikipedia)。あれサイレンがついてて、急降下の際に独特の音を出す。フランスのマジノ線を叩いた時、爆弾を使い果たしたスツーカのパイロットは、その後も急降下を繰り返した。サイレンの音を聴いただけで、フランスの守備兵は逃げ出したって話があるが、出典は忘れた。

 まあいい。ナポレオンが強かったのは、大砲の音で敵をビビらせるのが巧かったからだ。実際、現代の戦術でも、いかに敵の戦意をくじくかに工夫が凝らされ…

殺人への抵抗感は、さまざまな手法によって克服(あるいは少なくとも回避)することができる。ひとつの方法は敵を逃亡させることだ(翼側または後方を襲えばたいてい敵は潰走する)。崩れた敵や敗走する敵を追跡するさいに、殺人の大半は起きるのである。
  ――第十五章 戦闘の進化

 要は、敵が逃げりゃ勝ちなのだ。この回り込みの理屈は「歴史群像アーカイブ2 ミリタリー基礎講座 戦術入門WW2」に詳しい。つまり現代の陸軍の戦術は、まんま「どうやって敵の横や後ろに回り込むか」って目的で作られてる。これを逆に使ったのが韓信の「背水の陣」。

【予防】

 現象が分かっていれば、予め対策だって立てられる。その最たるものが、「あらかじめ知っていれば」だ。加えて、兵や警官などのプロなら、日頃から訓練をすればいい。

 ピンチに陥った時、ヒトの心臓は早鐘をうつ。手先が不器用になり、視野が狭くなり、頭が働かなくなる。じゃどうすればいいか。主な方法は二つだ。ピンチの状況に慣れることと、体で覚えること。

 慣れるには、なるたけ本番に近い方がいい。ってんで、コンピュータのシミュレーションや人形を使って戦闘訓練をする。最近のコンピュータの進歩は凄まじく、お陰でシューティング・ゲームに慣れたガキどもが銃を持って暴れはじめると、大きな被害が出るようになっちまった…なんて愚痴もこぼしてたり。

 体で覚えるのは、まんまだ。同じ動作を何度も繰り返し、条件反射で体が動くようにする。昔の剣術などが型を重視したのは、このためなんだろう。ただ、教え方が間違ってると悲惨。

(戦闘訓練の)教官は、(撃たれた)生徒に死亡を宣告してはならない。(略)いったん交戦が始まったら、必要なら強制してでも交戦を続けさせるのである。
  ――第十一章 ストレスの予防接種と恐怖

 なぜか。撃たれても、致命傷でなければ、助かる見込みはあるし、戦闘だって続けられる。だが「撃たれたら終わり」と体が覚えたら、戦場でもそうなる。だから、撃たれても最後まで戦い続けるよう、訓練で体に叩きこむのだ。似たような訓練の失敗例が、本書には何度も出てくる。

 これは、スポーツや楽器の練習でも、同じことが言えるんじゃなかろか。ミスっても続けさせるのが大事なんじゃ…と思って己を振り返ると、マズい記憶が蘇ってくるから、やめとこう。

【続く】

 まだ書きたい事が沢山あるんで、次の記事に続きます。

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2017年10月25日 (水)

デーヴ・グロスマン,ローレン・W・クリステンセン「[戦争]の心理学 人間における戦闘のメカニズム」二見書房 安原和見訳 1

あらかじめそういうものだと知っていれば、(略)そのせいであとになって傷つかずにすむ。
  ――第十七章 安堵と自責とその他の感情

本書の目標は、そういう「深く秘した個人的なことがら」を掘り起こし、戦場に送り出される兵士に前もって警告を与え、心構えをさせておくことだ。
  ――謝辞

【どんな本?】

 前著「戦争における[人殺し]の心理学」で、デーヴ・グロスマンは衝撃的な事実を明らかにした。第二次世界大戦中、前線にいる米陸軍の兵のうち、発砲したのはわずか15~20%だった、と。残りの80~85%の兵は、発砲できなかった。人を殺すのが嫌だったからだ。

 殺せる兵と殺せない兵と、何が違うのか。どうすれば人を殺せる兵を育てられるのか。何度も苦しい戦いを生き延びて古参兵となるには、どうすればいいのか。せっかく生還し退役の機会も与えられたのに、たのに、再び危険な戦場に戻ろうとする者がいるのはなぜか。

 そして、運悪く心的外傷を負ってしまった者は、どうすれば回復できるのか。そのために社会や所属組織や身近な者には、何ができるのか。

 殺すか殺されるかの瀬戸際のとき、ヒトの体と心には何が起きているのだろうか。そして、修羅場をくぐり抜けた後、人の心と体にはどんな影響を残すのだろうか。

 著者の一人デーヴ・グロスマンは合衆国陸軍レンジャーとして、もう一人のローレン・W・クリステンセンは法執行官・警官そしてベトナムで陸軍憲兵としての経験がある。加えて、両名ともに致命的武力対決の心理的影響のセンモンカとして活躍している。

 その両者が、戦場から帰り苦しんだ帰還兵や、凶悪犯と銃撃戦を繰広げる警官・麻薬取締官など、暴力的な命のやりとりを経験した人々と多くの面談を通し、また大量の資料を漁って学術的・統計的なデータを集め、戦闘中およびその後のヒトの心身の状況を明らかにした、衝撃の書。

 と書くと、まるで軍事の専門書のようだが、実の所、応用範囲はもっと広い。

 突然の不幸などで、いきなり大きなストレスに押しつぶされそうな時。自分や家族が事故や急病などで命の危機に陥った前後。過去の経験で心の傷に苦しんでいる人。両親の離婚に心を痛める子供。そして、パニックに陥った際の対処法。

 そんな風に、危機の最中やその後の苦しみに対処する方法を教えてくれる、「心の救急箱」とでも言うべき本である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は On Combat : The Psychology and Physiology of Deadly Conflict in War and in Peace, by Dave Grossman & Loren W. Christensen, 2004。日本語版は2008年3月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約594頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント49字×19行×594頁=約553,014字、400字詰め原稿用紙で約1,383枚。文庫本なら上中下の三巻でもいいい大容量。

 文章は読みやすい。銃の口径など多少の専門用語は出てくるが、わからなければ無視していい。いわゆる「戦士」を賞賛する文章が多いので、それがお気に召さない人も多いだろう。そんな人でも、第四部は読む価値がある。

 また、アメリカ人向けに書かれているので、その辺は読み替えが必要だ。例えば電話番号「911」は、日本だと「110」にあたる。

【構成は?】

 できれば頭から順に読んだ方がいい。特に第四章は、その後の論の基礎となる現象を語っているので、是非読んでおこう。

  • 献辞/謝辞
  • まえがき ギャヴィン・デイ=ベッカー
  • はじめに
  • 第一部 戦闘の生理 戦闘中の人体の解剖学
    • 第一章 戦闘 普遍的な人間恐怖症
    • 第二章 戦闘の過酷な現実 海外戦争復員兵協会では聞けないこと
    • 第三章 交感神経系と副交感神経系 身体の戦闘部隊と整備部隊
    • 第四章 恐怖と生理的覚醒と能力 白、黄、赤、灰、黒の状態
  • 第二部 戦闘中の知覚の歪み 意識変容状態
    • 第五章 目と耳 選択的聴覚抑制、音の強化、トンネル視野
    • 第六章 自動操縦 「正直な話、自分がなにをしてるか気づいてなかった」
    • 第七章 さまざまな影響 鮮明な視覚、時間延長、一時的麻痺、解離、思考の割込み
    • 第八章 記憶の欠落、記憶の歪み、ビデオ録画の影響 実際にあったと思い込む
    • 第九章 クリンガーの研究 知覚の歪みに関する類似の研究
  • 第三部 戦闘の呼び声 こんな男たちがどこから生まれてくるのか
    • 第十章 殺人機械 数少ない真の戦士がもたらす影響
    • 第十一章 ストレスの予防接種と恐怖 みじめになる練習をする
    • 第十二章 銃弾を食らっても戦いつづける 死に直面してほんとうに生きられる
    • 第十三章 殺す決断 「人を殺しはしたが、おかげで助かった人もいる」
    • 第十四章 盾を帯びた現代の勇士 「行きてスパルタ人に伝えよ……」
    • 第十五章 戦闘の進化 戦時・平時に物心両面で殺人を可能にする道具
    • 第十六章 戦闘の進化と国内の暴力犯罪
  • 第四部 戦闘の代償 霧が晴れたあと
    • 第十七章 安堵と自責とその他の感情 「世界が裏返った」
    • 第十八章 ストレス、不確実、“四つのF” 警告は警備
    • 第十九章 PTSD 事件の追体験、そして子犬からの逃避
    • 第二十章 治癒のとき 危機的事件後報告会がPTSD防止に果たす役割
    • 第二十一章 戦術的呼吸法、事後報告会のメカニズム 記憶と感情を切り離す
    • 第二十二章 帰還兵にかける言葉、生き残った者にかける言葉
    • 第二十三章 なんじ殺すなかれ? ユダヤ/キリスト教的殺人観
    • 第二十四章 生存者罪責感 死ではなく生を、復讐でなく正義を
  • 終わりに
  • 付録「エラスムスの22の原則」
  • 訳者あとがき
  • 参考文献一覧

【感想は?】

 文句なしに名著。もっと早く読みたかった。

 軍事系の本だからと言って、敬遠してはもったいない。スポーツの訓練法からクレームの対処、そして効率よく仕事を進める方法まで、読み方によって、そして読む人の立場によって、いくらでも役に立つコツがてんこ盛りの本だ。

 例えば、こんなエピソード。合衆国陸軍がやった実験の話だ。

大隊は四個中隊に分かれて、20日間ぶっ通しで、起きている時間はずっと砲撃訓練を実施した。(略)
第一群は一日に七時間睡眠をとり、第二群は六時間、第三群は五時間、そして第四群は四時間しか寝ないという苦行をしいられた。
最終日の20日目には、七時間眠っていた第一群は最高で98%の命中率をあげたが、第二群は50%、第三群は28%、(略)第四群は、最高15%の命中率しかあげられなかった。
  ――第三章 交感神経系と副交感神経系

A01 これをグラフにしたのが、右の図だ。縦軸が命中率、横軸が睡眠時間。このグラフから、あなたは何を読み取るだろうか。

 忙しく働いている人なら、こう考えるだろう。「睡眠不足は仕事の効率を落とし、ミスを増やすんだなあ、最低でも1日7時間は眠らないと」。

 プログラマなら、こう考える。「睡眠不足で書いたコードはバグだらけでデバッグの手間を増やすだけだ」。

 まっとうな軍ヲタなら、ガダルカナルや硫黄島で戦った帝国陸海軍将兵の苦境に想いをはせるだろう。ニワカ軍ヲタは救いようがない。「難攻不落に見える砦も、夜襲や威嚇射撃の嫌がらせを20日ほど続け、守備隊を眠らせなければ、墜とせるかもしれない」。

 そして受験生なら、「無駄な勉強はもうやめて今夜は寝よう」。

 と、このように、読む人によって色々な教訓を得られる本なのだ。もちろん、最も収穫が多いのは軍ヲタだが、スポーツの指導者や過去の心の傷に苦しむ人にも、役に立つ事柄がたくさん書いてある。日頃からの地道な訓練が必要なモノもあるが、突発的なピンチに対処するコツもある。

 という事で、詳しくは次の記事から。

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2017年10月 6日 (金)

ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史 歴史的戦争の解剖」社会思想社 陸井三郎監訳 3

政治幹部のひとりが到着すると、(ズオン・ヴァン・)ミンは次のように言明した。
「われわれは、行政権を委譲するためにあなたがたをお待ちしていました」。
これにたいして政治幹部はこう返答した。
「あなたがたが委譲できるものは何もないのです。あなたがたは無条件降伏するしかないのです」
  ――第41章 戦争の終結

  ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史 歴史的戦争の解剖」社会思想社 陸井三郎監訳 2 から続く。

【兵站】

 南北に長いベトナムで、必要なモノを必要な所に運ぶのは大変だ。機械化された南と米軍はともかく、北と解放戦線は難しい。例えば武器は…

63年に合衆国が主張していたように、中国製とソ連製のものは、解放民族戦線の武器の8%を占めるにすぎず、残りは、アメリカ製かフランス製、あるいは解放民族戦線が独自に製造した武器であった。
  ――第11章 軍事戦略の決定をめぐる挑戦

 と、鹵獲と自作で賄った模様。終盤になると、これに南からの横流しが加わる。シリア内戦でも、政府軍の補給将校が反政府軍に武器弾薬を横流ししてた。腐敗した政権に対する内戦じゃ、よくある事なのかも。

 加えて…

1965年から68年までのあいだ、ベトナム民主共和国(北ベトナム)領内には中国の兵站部隊が駐留していた。32万人が派遣されていたとのちに言われたが…
  ――第32章 共産党の国際戦略

 と、中国も積極的に北ベトナムを支援していた様子。お得意の「義勇兵」かな?

【兵器】

 ド派手に活躍したように見えるB-52だが、その編隊が落とした爆弾は…

投下目標になった地域の半分は、解放民族戦線が存在しない地域であることがのちにわかった。
  ――第15章 アメリカの戦争遂行方法のジレンマ

 と、肝心の敵の居所がわかってなかった模様。これは今も似たようなモンだ、とジェレミー・スケイヒルが「アメリカの卑劣な戦争」で書いてた。つまり情報収集・分析が弱いんです。

 逆に活躍したのがガンシップ(→Wikipedia)。

ホーチミン・ルート攻撃用に使用された(略)(固定翼)ガンシップのほうは出撃回数こそわずか8%だが、命中させたトラックの数では48%を占めていた。だが、ガンシップはまた地上砲火によってもっとも損傷しやすかった。
  ――第28章 アメリカ軍事力の危機

 安くて頑丈な A-10 開発の原動力は、これ?

 ヘリコプターも活躍したが、「一時間飛ばすと、点検修理に10時間を要した」。稼働率10%? 同時期(67年、第三次中東戦争)のエジプト空軍より酷い(鳥井順「中東軍事紛争史Ⅲ」)。F-14トムキャットも似たような感じだったと、どこかで聞いたがソースは不明。

 なんにせよ、米軍は最新兵器を南に与えたけど、それを使い続けるには整備や維持も高い能力が要求され、そのせいで大半は使いこなせずガラクタと化してしまう。まさしく猫に小判。

【テト攻勢】

 大きな転機となった1968年のテト攻勢(→Wikipedia)、やはり北の損害は大きく、「解放民族戦線がただでさえ弱体な都市の下部組織をほとんど失った」。これは合衆国政府にも影響を与える。国防長官のメルヴィン・R・レアードは、米軍全体の兵器刷新を理由に、ベトナムの予算を削り始める。

 よく言われるように、北は軍事的に負けて政治的に勝った、ってこと。っただし損耗も激しく、暫くは鳴りを潜める羽目になるんだけど。

【経済】

 南の最大の敗因は、これじゃないかと私は思う。アメリカと南ベトナム政府が、ベトナム経済を壊したのだ。

 読みながら思ったのだ。「兵器じゃなくて農機具や肥料など、農民に役立つモノを送れよ」。実際、送ったのだ。収穫の多い米の新品種を。

新品種は、在来種に比べて1ヘクタール産当たり二倍の肥料が必要であった。
  ――第38章 ベトナム共和国の社会体制の危機の深まり

 肥料も送ったんだが、これは腐敗役人の懐に消える。加えて、東地中海で起きた戦争がベトナムへ波及してくる。そう、73年の第四次中東戦争と、それに伴う石油危機だ。

 原油価格は急上昇、それに伴い肥料も285%値上がりする。アメリカは揚水ポンプや農業機械も送ったんだが、燃料のガソリンや灯油も250%値上がり。

 これ以前にも、南の政府は農村を壊す政策を次々と繰り出してる。既存の村を壊し戦略村に強制移住させる。働き盛りの若者を徴兵して村の働き手を奪う。

 米が足りなくなると、農民から強制的に米を徴収する。値上がりして美味しい商品を奪われるんだから、嬉しい筈がない。またはアメリカから米を輸入する。これで米価は下がり都市住民は楽になるが、農民はやる気をなくす。

 末期になると農村は土地が余りスカスカで、地代も4~6割から1割ほどに下がってた。この時期、地主の抵抗も減ってるんで、農地改革を始めるが、時すでに遅し。肝心の農民は都市に棲みつき、農民が集まらなくなっていた。南ベトナムは都市化していたのだ。

この農村を壊してゲリラの隠れ家を潰す手口、スーダンがダルフールでやってたなあ(白戸圭一「ルポ 資源大陸アフリカ」)。手口を教えたのは中国らしいんだが、その中国は南ベトナムに学んだのか?

 そんな都市住民を支えていたのが、米兵がバラ撒く金。南の経済そのものが、アメリカの金に依存する体質になってたわけ。ところが、これがテト攻勢以来、次第に枯れ始める。となれば、南ベトナム自体が枯れるのも時間の問題。

 もっとも、これは解放戦線にとっても痛手で。彼らは農民を味方に付けるのは巧みだったが、都市住民を仲間に引き入れるのは難しかった。お陰で兵力を集めるのには苦労するようになる。

【崩壊】

 と、そんな風に、1975年になると、南ベトナムは国そのものがハリボテ状態だった、ってのがこの本の主張。ローマ帝国もそうだったけど、国が潰れる時ってのは、とっくの昔に中が腐りきって空洞化しちゃってるんだろう。

 などと、読みどころはアメリカと南の政治的な動き。半面、北や解放戦線の内情は綺麗事ばかりだし、軍事的な記述は乏しいのが、ちと不満だなあ。

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2017年10月 5日 (木)

ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史 歴史的戦争の解剖」社会思想社 陸井三郎監訳 2

「政治が革命勢力の実際の力をつくりだす。つまり、政治が根源であり、戦争は政治の継続である」
  ――第11章 軍事戦略の決定をめぐる挑戦

 ガブリエル・コルコ「ベトナム戦争全史 歴史的戦争の解剖」社会思想社 陸井三郎監訳 1 から続く。

【だいたいの流れ】

 お話は1858年のフランスによるベトナム進出に始まり、1975年4月30日のサイゴン陥落で終わる。以降の話は出てこない。そっちが知りたい人には、ナヤン・チャンダの「ブラザー・エネミー」がお薦め。とは言っても、ブラザー・エネミーも700頁越えの大著なんだよなあ。

【結論】

 なぜアメリカが負けたのか。本書によれば、民衆がそれを望んだから、みたいな結論になる。

 南ベトナム政府はゴ・ディン・ジエムやグエン・ヴァン・チューの独裁政権で、自らの権力維持しか考えなかった。しかも、その方法は、アメリカからの援助を手下にバラまく事だった。アメリカの支援が途絶えたので、彼らの権力基盤も消え、軍も四散した。

 対して北ベトナムと解放戦線(南ベトナムにいた抵抗勢力)は、農民を大事にした。だから農民も彼らに協力した。都市住民は当初あまり協力的じゃなかったが、土壇場になって北の優位がハッキリすると、アッサリ鞍替えした。

 つまりは軍事より政治で決まったんだよ、そういう事です。

実はコレが共産主義(というか当時の東側)の強みだよなあ、と思ったり。彼らは同盟国に、軍や兵器だけでなく、政治顧問も送り込む。その政治手法は、マルクス理論を基礎に一貫した方法論がある。このあたりはロドリク・プレークウエストの「アフガン侵攻1979-89」が生々しく描いてたり。レドモンド・オハンロンの「コンゴ・ジャーニー」も、既存の権力構造を崩す巧みな手法を暴いてる。

これを反省したのか、アメリカはイラクじゃポール・ブレマー三世を派遣したけど、結果はご存知の通り(パトリック・コバーン「イラク占領」、ジェレミー・スケイヒル「ブラックウォオーター」)。

この差は下準備の違いじゃないかな。この本だとホー・チ・ミンがいい例。東側は、予め現地出身の支配層を、モスクワで育てておき、機を見て現地に送り込む。現地の事情に通じてる上にモスクワのコネもあるんで、統治はスムーズだし外交的にも東側に留まる。イギリスも似たような真似したけど、インドじゃ巧くいかなかったね。

【舞台】

 一応19世紀から話は始まるが、それは2頁程度で終わる。本格的に話が始まるのは1930年代から。ここで、当時のベトナム社会の様子を説明しているのが嬉しい。

 当時の社会は大雑把に分けて三つの層からなる。

 まずエリート地主。フランスへの協力の見返りに土地を得た者たち。30年代のトンキンでは2%の地主が40%の土地を持っていた。

 次に小作農・貧農。地代は平作年の4割~6割で固定。豊作ならラッキーだが、不作だと「生産高の80%に達することもあった」。大半は借金を背負ってて、その利率は年50%~70%。無茶苦茶だ。

 加えて、東南アジアに独特な華僑。「54年には彼らは商業の四分の三を掌握」してたというから凄い。

 こういう状況で、共産党は、まず貧しい農民を引きこみつつも、地主層を敵に回さぬよう、土地改革では機会をうかがい慎重に事を進める。土地の配分に加え、協同組合を作り、農具を買い入れたり。コレが巧くいった所では、農民の大きな支持を得た。まあ当然だよね。

逆に土地改革に失敗したのがイランのパーレビ。土地は分配したけど水の分配に失敗して、格差が更に酷くなっちゃった(岡崎正孝「カナート イランの地下水路」)。

 華僑についてほとんど出てこないんだが、対応には苦慮してたんだろう。

 アメリカも、低利で農民に融資する信用組合を作るとか、現地の農民を味方にする方法もあったんだよなあ。土地についても、戦後の日本じゃ巧くやったんだよね。地主から土地を買い上げ農民に配り、地主はその金を元手に商売を始める。お陰で工業化もスムーズに進んだ。ベトナムでそうならなかったのは…

【ゴ・ディン・ジエム】

 アメリカが南の支配者として選んだゴ・ディン・ジエム。「奴ぐらいしかいない」と消去法で選ばれたんだが、つまりは元々権力基盤が弱い。

 味方は軍しかいないってのに、いきなり「1955年にジエムが行った第一の政策は、何の見かえりもなしに6000人以上の戦闘経験ある下士官の解雇」。要は自分の取り巻きで固めようって腹なんだが、軍を弱らせた上に敵を作ってどうする。

 加えて、農村がゲリラの拠点になってるってんで、農村の住民を強制移住させる。お陰で農民も敵にまわしてしまう。

 軍も、部下の報告はジエム直接聞き、部下同志の連携を阻む。クーデターを防ぐのが、その目的。その結果、例えば空軍が陸軍を支援するなんて芸当は出来なくなる。どころか、終盤じゃ友軍への誤爆が続く体たらく。この辺は鳥井順「イラン・イラク戦争」で学んだ。

 そんなわけで、南の政府は八方的ばかり。お陰で解放戦線もアチコチに協力者を紛れ込ませる。例えばジエム殺害のドサクサに紛れ、新任の南ベトナム国家警察長官代理は…

解放民族戦線を支持していた政治犯のすべてを釈放したばかりでなく、諸文書を破棄し、解放民族戦線の支持者をできるかぎり多く高い官職に配置した。

 民衆に加え政府内も、南は敵だらけだったわけ。

【アメリカの対応】

 第二次世界大戦じゃ、アメリカは指揮権を巧く配分した。欧州戦線はアイゼンハワーに任せ、太平洋はニミッツに担当させる。戦域ごとにボスをハッキリ決め、一貫した戦略で押し通した。

 朝鮮戦争でも同様にマッカーサーに任せたんだが、彼は暴走して歯止めが効かなくなる。これに懲りて、ベトナムはホワイトハウスが仕切ろうとしたんだが、陸海空三軍の調整が巧くいかず…。

 このツケを回されたのが海兵隊。彼らが得意な仕事は、敵の前線を突っ切り穴をあける事。攻撃であって、防御じゃない。が、この戦争は、そもそもハッキリした前線がない。おまけに、ベトナムでの彼らの仕事の多くは(空軍)拠点の防御。向かない仕事を割り振られ、不満はたまる一方。

 意外なのが、合衆国市民の反応。1967年末には軍派遣反対が支持を上回り、73年1月では戦争反対と賛成は2:1となる。ここまでは予想通りだが…

高年齢層は戦争に強く反対し、もっとも戦争を支持したのは20~29歳の年齢層であった。(略)教育程度の一番低い層が戦争にもっとも批判的であった。

 当時は大学生が騒いでいた感があったけど、実は普通の人こそ反対してたわけ。これにはオチもあって、「ただ彼らは、組織化された反戦運動のなかでは無視された」。そうすりゃ、こういう人たちの声を拾い上げることが出来るんだろう。いや私も貧乏人の一人なんだが。

 これには米軍の兵の使い方も絡んでて…

教育歴10年以下の兵士の損耗率は13年以上の3倍、所得4000~7000ドル世帯出身者の損耗率は17000ドル世帯出身者の約3倍にのぼった。

 というのも、「将校は前線送りには教育水準の低い兵士を選んだ」から。そりゃ反感を買うよ。

【続く】

 ということで、続きは次の記事で。

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