カテゴリー「書評:ノンフィクション」の160件の記事

2020年8月 6日 (木)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 4 イラク編

「(イラク経済の)民営化のことなんか誰一人気にしちゃいませんよ。彼らは生き延びるだけで精一杯なんです」
  ――第16章 イラク抹消

「まだ流血が続いているときこそが投資に最適の時期です」
  ――第16章 イラク抹消

 ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 3 から続く。

【どんな本?】

 民営化・規制緩和・社会支出の大幅削減を目指す経済学者集団シカゴ・ボーイズは、その政策を進める方法ショック・ドクトリンを見いだす。災害に見舞われ人々が呆然としているスキに、手早く政策をまとめ実施してしまえ。

 やがて彼らは気づく。手をこまねいて災害を待つ必要はない。人為的に災害を起こせばいい。

 彼らの目論見はネオコンが率いるブッシュJr.政権で日の目を見る。標的はサダム・フセインが支配するイラク。ここを政治的に更地にして過去のしがらみを断ち切り、シカゴ・ボーイズが理想とする政体を作り上げよう。

 経済学者のミルトン・フリードマン率いる新自由主義者シカゴ・ボーイズとIMF(国際通貨基金)および世界銀行の蛮行を暴く、驚愕のドキュメンタリー。

【はじめに】

 この記事ではイラク戦争(→Wikipedia)と占領政策を描く第16章~第18章を紹介する。私はここが最も面白かった。ニワカとはいえ軍ヲタで、「戦争請負会社」「戦場の掟」「ブラックウォーター」などでソレナリに知ったつもりになっていたのもある。

 現場で何が起きているのかは、多くの本で描かれている。「兵士は戦場で何を見たのか」などは、とても生々しい。だが、そもそもなぜブッシュJr.政権がイラク侵攻に拘ったのかは、見えてこなかった。タテマエ上は大量破壊兵器が云々だったが、それは良くて被害妄想、下手すりゃデッチアゲだとバレている。改めて思えば、当時のブッシュJr.政権は異様に執着していた。

【動機】

 これに対しミルトン・フリードマンはこう語る。

「われわれがイラクで行おうとしているのは国家の建設ではない。新たな国家の創設である」

 つまりシカゴ学派の理想郷を建設しようというワケだ。理想の社会を築くため、今ある国家の破壊も辞さない。もはや経済学者というより狂信者であり、手段は自由主義というよりクメール・ルージュにソックリだ。

【占領】

 もっとも、CPA(連合国暫定当局)にはクメール・ルージュほどの兵員はいない。そもそも治安維持への熱意が欠けていた。代表のポール・ブレマーが最初に打った手は経済政策で貿易の自由化だ。経済封鎖を受けていたイラクにとってはありがたい…

 ワケじゃない。なにせチグリスとユーフラテスの地だ。人類史上の貴重な資料が山ほどあり、市場じゃ高値がつく。そして多国籍軍は兵力が足りず、博物館の警備に余計な人員を割けない。だもんで、イラクの博物館や図書館は大規模な略奪の被害に遭う。そこで貿易を自由化だ。賊どもは戦利品をやすやすと国外に持ち出せる。

 だけでなく、国家所有の車やトラックなども続々とパクられた。なにせフセイン政権下のイラクは社会主義で、事業資産の多くは国家所有だ。となれば損害は膨大なものになる。だが、合衆国企業は大喜びだった。

「プログター&ギャンブルの製品をイラクで流通させる権利が得られれば、金鉱を当てたようなものだ」
  ――第16章 イラク抹消

 モノがなければ有望な市場ってわけだ。にしても、せめてウォルマートやフェデックスが全国展開できるぐらいに治安が良ければ、イラクの人にも恩恵があったんだけどねえ。

【占領】

 そんな新自由主義者が手本としたのは、東欧崩壊後のポーランドとソ連崩壊後のロシアである。特にロシアでは大きなミスを犯してしまう。国営企業を買い漁る際、ロシア人に仲介させたため、転売ヤーであるオリガルヒの台頭を許してしまったのだ。そこで合衆国政府はキッチリとタマを握る。

 代理人であるポール・ブレマーに仕切らせ、IMFも世界銀行もカヤの外に置いたのだ。イラク暫定政府は単なる飾り物にすぎない。そしてブレマーは徹底した新自由主義社会を築こうとする。

ある法律は、それまで約45%だった法人税を一律15%へと引き下げ(略)、別の法律は、外国企業がイラクの資産を100%保有することを認めた。(略)投資家はイラクで上げた利益を100%無税で国外に持ち出せるうえ、再投資の義務もなかった。
  ――第17章 因果応報

 海外の投資家の皆さん、存分にイラクを食い物にしてください、そういう法律である。これをドナルド・ラムズフェルド国防長官は絶賛する。

ラムズフェルド国防長官は上院の委員会で、(アメリカ代表特使ポール・)ブレマーの「抜本的な改革」によって「自由世界でも有数の賢明かつ魅力ある税法および投資法」が誕生したと証言した。
  ――第17章 因果応報

 そりゃ確かに投資は活発になるだろう。企業が盛んに進出すれば仕事も増える。折しもバース党員の追放で街には失業者でいっぱいだ。彼らだって仕事を得られれば嬉しい。となるはずが…

 「戦場の掟」で、ひっかかる所があった。民間軍事企業が雇うトラック・ドライバーは、なぜかパキスタン人ばかりなのだ。地元に失業者がたくさんいるんだから、地元の者を雇えばいいのに。なぜワザワザ外国から人を連れてくる?

 「アメリカン・スナイパー」では、基地で働くイラク人を SEAL の著者がからかう場面がある。多少は地元の人を雇っていたらしい。が、やはり抵抗組織のスパイが紛れ込むのは怖かった。逆らわないパキスタン人の方が都合がよかったのだ。パキスタン人は現地のアラビア語もわからないから、地元の抵抗組織に寝返ったりしないだろうし。ま、少々費用がかさんでも、原価加算方式だしね。

 「ブラックウォーター」ではブッシュJr.政権とキリスト教カトリックの関係を暴いていたが、本書も右派キリスト教の選挙協力やモルモン教との関係にも触れている。「カルトの子」でも統一協会の自民党への選挙協力が書いてあったけど、どの国でも宗教組織と保守系政党の癒着があるんだなあ。

【叛乱】

 当然、イラク人の中には不満が渦巻き、グリーンゾーンの外では職を求めるデモが続く。対する合衆国の対応は、力づくで抑え込むこと。その象徴がアブグレイブ刑務所での捕虜虐待(→Wikipedia)である。

「アブグレイブは反米抵抗勢力の温床となった。(中略)辱めや拷問を受けた連中は今すぐにでも報復してやろうという気になった」
  ――第18章 吹き飛んだ楽観論

 これ「倒壊する巨塔」でエジプトの刑務所でサイイド・クトゥブが過激化し、「ブラック・フラッグス」でザルカウィが覚醒したのと同じ構図じゃないか。米軍は、わざわざ敵を筋金入りに鍛えていたのだ。

【決算】

 そうやって海外からの投資を促した結果、果たして効率はよくなったのか、というと…

イラク復興事業の監査にあたったスチュアート・ボーウェン特別監査官の報告によれば、イラク企業が直接契約した数少ない事業のほうが「効率的かつ安価であり、イラク国民に職を与えたことで経済も活性化させた」という。
  ――第18章 吹き飛んだ楽観論

 金を無駄遣いして無意味に血を流したあげく、経済も悪化させた、と。いいことなしじゃん。でも、ブラックウォーターにとっては、そっちの方がいいのだ。だって治安が悪くなれば護衛の仕事が増えるし。

【おわりに】

 やたら興奮して書いたため、支離滅裂な記事になってしまったが、それぐらいこの本はエキサイティングで面白かったのだ。とりあえず鼻息の荒さだけでも伝われば幸いです。

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2020年8月 5日 (水)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 3

1994年12月、エリツィンは、いつの時代でも必死で権力にしがみつこうとする多くの指導者がやったのと同じことを実行する――戦争である。
  ――第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火

ハリケーン(・カトリーナ)災害関連の契約事業は87憶5千万ドルに上ったが、連邦議会の調査委員会は「大幅な過剰請求、無駄な出費、ずさんな管理」などがあることを指摘した。
  ――第20章 災害アパルトヘイト

「災害の被災者に緊急支援を提供しようという政府の温情的措置は、民間市場のリスク管理対策に悪影響を及ぼす」
  ――第20章 災害アパルトヘイト

1993年イスラエル外相シモン・ペレス「国家間の和平を目指そうというのではない。市場の和平が重要なのだ」
  ――第21章 二の次にされる和平

外国勢力によってプライドを傷つけられたと感じた人々は、国内の最も弱い者に攻撃の刃を向けることで国家の誇りを取り戻そうとしているのだ。
  ――終章 ショックからの覚醒

2005年、IMFの融資総額のうちラテンアメリカ諸国への融資は80%を占めていたが、2007年にはわずか1%に激減している。(略)わずか三年間で、IMFの世界各国への融資総額は810憶ドルから118億ドルに縮小し、現在の融資の大部分はトルコに対するものだ。
  ――終章 ショックからの覚醒

 ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 2 から続く。

【どんな本?】

 ミルトン・フリードマンを首魁とする経済学者集団シカゴ・ボーイズは、三つの政策を主張する。民営化,規制緩和,社会支出の大幅削減だ。これらの政策を推し進めるべく、彼らは合衆国政府・IMF・世界銀行と手を組み、世界各国でショック・ドクトリンによる強引な手段に出る。

 政変や災害などで人々が呆然としているスキにつけこみ、強引に政策を実現させてしまえ。

 南米で、アジアで、東欧とロシアで。彼らが行ったショック・ドクトリンの手口とその結果を暴く、衝撃的なルポルタージュ。

【ロシア】

 第11章と第12章はソ連崩壊と現在のロシアに至る道筋を描く。細かい手口は「強奪されたロシア経済」に詳しいが、本書はより俯瞰した視点で描いてゆく。

 ゴルバチョフは生ぬるい改革で共産党支配体制の存続を望んでいた。それが私の印象だが、本書では北欧型の高福祉社会を目指していた、とある。しかも10~15年ほどかけて。対するエリツィンは、より早くより過激な自由主義化を目論む。

 その顛末はご存知の通り、エリツィンの勝利だ。以後、民営化の名のもとに火事場泥棒が跳梁する。まずオリガルヒが民営化した企業の株を握り、多国籍企業に売り飛ばす。オリガルヒって転売ヤーだったのね。その結果…

ショック療法が実施される前の1989年、ロシアでは約200万人が1日当たりの生活費4ドル未満の貧困状態にあったが、世銀の報告によれば、ショック療法の「苦い薬」が投与された90年代半ばには、貧困ラインを下回る生活を送る人は7400万人にも上った。
  ――第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火

 この時、エリツィンの尻を叩いたのが「貧困の終焉」のジェフリー・サックス。U2のボノが師を仰ぐ経済学者だ。まあボノはミュージシャンであって学者じゃないからなあ。

【アジア】

 某ゲームにこんな台詞がある。「死体は探すより作るほうが簡単」。フリードマンらも同じ事に気づく。「危機は待つより作ったほうが確実じゃね? 超インフレとか」。ということで彼らは危機感を煽る。

1995年には、ほとんどの西側民主主義国家の政治的言説においては、「債務の壁」や「迫りくる経済崩壊」といった言葉が飛び交い、政府支出のさらなる削減や積極的な民営化促進が叫ばれていた。その旗振り役を担っていたのが、(ミルトン・)フリードマン主義を奉じるシンクタンクだった。
  ――第12章 資本主義への猛進

 かくして1997年のアジア通貨危機(→Wikipedia)が演出される。その目的は…

米連邦準備制度理事会(FRB)議長アラン・グリーンスパン「今回の危機はアジア諸国にいまだ多く残る政府主導型経済システムの撤廃を促進するだろう」
  ――第13章 拱手傍観

 民営化と言えば聞こえはいいが、実態は政府部門や国内企業の海外資本への切り売りだったりする。

【逆流】

 この波は合衆国にも押し寄せる。刑務所・教育・医療そして国防の民営化だ。国防に関しては「戦争請負会社」や「戦場の掟」「ブラックウォーター」が生々しい。上手いこと経費を削減できりゃいいが…

イラク戦争の際に連合国暫定当局が置かれたバグダッドのグリーンゾーンでも「大丈夫、原価加算方式だから」という言葉が盛んに飛び交った
  ――第14章 米国内版ショック療法

 掛けた費用に利益を上乗せして請求すりゃ政府には気前よく払ってくれる。効率化もヘッタクレもない。これを後押ししたのが911。

9.11以前には存在しなかったに等しいセキュリティー産業は、わずか数年のうちに映画産業や音楽産業をはるかに上回る規模へと驚異的な成長を遂げた。しかし、もっとも驚くべきなのは、セキュリティー・ブームが一つの経済分野として分析されたり議論されたりすることがほとんどないという点だ。
  ――第14章 米国内版ショック療法

 そしてブッシュJr.政権のドナルド・ラムズフェルドやディック・チェイニーやジェームズ・ベイカーも荒稼ぎする。そんな彼らが目を付けたのがイラク。このイラクを扱う第六部は本書のハイライトなんだが、敢えて後に譲る。いや文字数の関係なんだけど。

【津波】

 第19章は2004年12月26日のスマトラ沖地震に伴う津波に襲われたスリランカ東海岸が舞台だ。漁民たちは家も船も失う。世界中から彼らに義援金が送られ、スリランカ政府はこの金を再開発プロジェクトに使う。問題はこの「再開発プロジェクト」の実態だ。漁村の再建? うんにゃ。

「津波が観光産業に味方をしてくれました。無許可の建造物のほとんどが津波で壊され、海岸から姿を消したからです」
  ――第19章 一掃された海辺

 観光業者は、前から美しいビーチに目をつけていた。でもみすぼらしい漁民が邪魔だ。そこで津波を言い訳に、関係者以外立ち入り禁止にする。関係者とは他でもない、観光業者だ。そしてビーチには美しいホテルが立ち並びました。そして漁民は避難所に閉じ込められたまま。

【ハリケーン】

 2005年8月末、ハリケーン・カトリーナ(→Wikipedia)が合衆国島南部を襲い、ニューオーリンズが水没する。ブッシュJr.政権はいち早く対応に動き出す。

 ハリバートン傘下のKBRに南部沿岸の米軍基地修復を、悪名高い傭兵企業ブラックウォーターにFEMA(連邦緊急事態管理庁)職員の護衛を委託する。ちなみにFEMAは、まさしくカトリーナのような災害に備える組織だ。計画策定を民間企業に委託していたが、肝心の対策は「何ひとつ実施されていなかった」。原因は予算不足。

 福島の原発事故の除染作業での中抜きみたいなのはカトリーナでもあって、防水シートをかぶせる仕事に対しFEMAは1平方フィート175ドル払っているが、現場作業員が受け取るのは2ドルのみ。そりゃカニエ・ウエストも怒るよ。

【約束の地】

 風が吹けば桶屋が儲かる。911に象徴されるテロは、意外な者に利益をもたらす。

「イスラエルでは日々テロの脅威にさらされているが、(テルアビブの株式)市場はずっと上がり続けている」
  ――第21章 二の次にされる和平

カリフォルニア州オークランド国際空港航空部門責任者スティーヴン・グロスマン「セキュリティー分野ではイスラエルの右に出るものはいない」
  ――第21章 二の次にされる和平

 そう、イスラエルだ。なにせ彼らには実績があるしね。お陰でイスラエルはアラブの意向を気にする必要はなくなった。今までは近隣のアラブ諸国を相手に商売してたけど、最近は欧米相手のITやセキュリティー産業で稼げる。それまでパレスチナ人に頼ってた労働力も、崩壊したソ連から逃げてきたロシア系ユダヤ人が担ってくれる。

 ここでは、大量に雪崩れ込んだロシア系移民と、第二次インティファーダや分離壁や入植地との関係がクッキリ見えてきたのが面白かった。いやむしろパレスチナ問題の解決は絶望的になってるんだけど。

【おわりに】

 社会支出の大幅削減はわかるけど、民営化や規制緩和が何をもたらすかは、実のところよくわかってなかった。その目的や結果を見せつけてくれる点では、極めて刺激的な本だ。とはいえ、岩波書店って所で、なんとなく避けちゃう人も多いだろう。あと、ハードカバー上下巻の圧迫感も避けられる原因になってしまう。ハヤカワ文庫NFあたりで抄録の文庫版を出してほしい。あ、一応、次の記事で終わる予定です。

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【今日の一曲】

Blackberry Smoke / One Horse Town (Official Acoustic Video)

 いや本書とは全く関係ないんだけど、どしても紹介したくなったんで。好きなんすよ、こーゆーの。浜田省吾ファンにはウケると思うんだけど、どう?

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2020年8月 4日 (火)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 2

イギリス労働党議員トニー・ベン「…問題はサッチャー夫人の評判であって、フォークランド諸島ではまったくない」
  ――第6章 戦争に救われた鉄の女

危機に直面した国民は、魔法の薬を持つと称する者には誰にでも多大な権限を喜んで預ける
  ――第8章 危機こそ絶好のチャンス

2006年の調査によれば、中国の億万長者の90%が共産党幹部の子息だという。こうした党幹部の御曹司(中国語では「太子」と呼ばれる)およそ2900人の資産は、総計2600憶ドルにも上る。
  ――第9章 「歴史は終わった」のか?

気まぐれなグローバル市場に対して自国市場を解放すれば、シカゴ学派の正統理論から外れた国は瞬時に、ニューヨークやロンドンのトレーダーから通貨の下落という痛い仕打ちを受け、その結果危機は深まってさらなる債務の必要性が生じ、いっそう厳しい条件がつけられる
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 1 から続く。

【どんな本?】

 経済学のシカゴ学派は新自由主義を信奉し、俗にネオリベとも呼ばれる。フリードリヒ・ハイエクに始まりミルトン・フリードマンが熱心に広げた彼らは、三つの政策を唱える。民営化,規制緩和,社会支出の大幅削減だ。

 この政策を広げるために、彼らはショック・ドクトリンを採用した。危機こそ機会である。戦争や経済危機や自然災害などで人々が呆然としているスキに、政府を乗っ取り強引に政策を進めてしまえ。

 南米に始まりイラクで今なお続くショック・ドクトリンの歴史と成果を赤裸々に暴く、一般向けの衝撃的な告発の書。

【南米】

 ネオリベこと新自由主義は最近になって出てきたように思っていたが、とんでもない勘違いだった。というか本書に出てくる彼らの手口は、かつてのファシストとたいして変わらない。つまり軍と富裕層が組んで支配権を握り国民を奴隷化する、そういう政策だ。往々にして伝統的な宗教勢力も支配層に媚びを売る。

 本書の最初の例は、チリの軍事クーデターだ。1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍(→Wikipedia)がサルバドール・アジェンデ大統領(→Wikipedia)を倒し政権を握る。悪名高いピノチェト政権の誕生だ。この陰で動いていたのがCIAとシカゴ学派だ。

 つか今 WIkipedia のチリ・クーデターを見たら、かなり詳しく書いてありました。なんにせよ、新自由主義者が先導するショック・ドクトリンは、少なくとも1973年には姿を現していたんです。

 同1973年にウルグアイで、続く1976年にはアルゼンチンで、同じ手口が繰り返される。

 もっとも合衆国のカリブ海諸国や中南米諸国に対する傲慢な振る舞いは「バナナの世界史」や「砂糖の歴史」で見当はついてたけど、予想以上の酷さだ。

【イギリス】

 第6章ではフォークランド紛争を巧みに利用したイギリスのマーガレット・サッチャー政権を取り上げる。このドタバタでサッチャーの支持率は25%から59%に跳ね上がる。その結果は「チャヴ」に詳しい。保守党にとって目障りな労働党は壊滅し、福祉社会は粉みじんに吹き飛んでしまう。

 911もそうだけど、現役のタカ派にとって、軍事衝突は美味しいのだ。日本でも国会議員選挙が近づくと、中国軍や北朝鮮軍の活発な動きのニュースがなぜか増えるんだよなあ。

【ブッチとサンダンス】

 第7章では1985年のボリビアにおけるジェフリー・サックスの活動を暴く。そう、「貧困の終焉」の著者だ。ハイパーインフレに対して彼が提案した政策は「食料補助金の廃止、価格統制の撤廃、石油価格の300%引き上げ」。あの人、こんな事してたのか。これに対しIMF職員は…

「これはまさにIMFの職員全員が夢見てきたことだ。でも、もしうまくいかなかった場合、外交特権のある私はすぐに飛行機で国外に逃げ出しますがね」
  ――第7章 新しいショック博士

 IMFってのは、そういう所らしい。その結果はコカ栽培の急増である。輸出産業が育ってよかったね。

【対外債務】

 第8章では、荒れた国が立ち直る際に足を引っ張る対外債務の正体を、アルゼンチンの例で描き出す。一般に強権的な政府の元では貧富の差が激しくなる。軍や政府と結託した金持ちは、更に金をため込むわけだ。特に新自由主義下の場合、政府は電力網や水道など政府機関を売り飛ばす。代価を受け取るのはもちろん貧民じゃない。アルゼンチンは1983年まで軍政が続いたが、例えば1980年には…

FRBによれば、1980年1年間でアルゼンチンの債務は90憶ドル増大し、同年、アルゼンチン人による海外預金の合計額は67憶ドル増加していた。
  ――第8章 危機こそ絶好のチャンス

 国としてカネを借りる。受け取ったカネは権力者がパクって海外に隠す。そして国民には借用書が残る。そういうコトです。だからジェフリー・サックスは「借金を棒引きにしろ(→『貧困の終焉』)」って言うのね。

 しかも、政権交代直前の1982年に、大手多国籍企業の債務を国が引き受けてる。外国企業の借金まで国民に押し付けてトンズラかましたのだ。

【失望】

 第8章ではレフ・ワレサが率いたポーランドの連帯の、第9章ではネルソン・マンデラで有名な南アフリカのANCの失墜を描く。ANCは政治的な平等を手に入れたが、経済部門の交渉で大きなミスをした。

南アフリカの調査報道ジャーナリストのウィリアム・グリード「あの時(南ア体制移行期)は政治のことしか頭になかった」「でも本当の戦いはそこにはなかった――本当の戦いは経済にあったんです。自分があまりにも無知だったことが不甲斐ない」
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 白人が持つ土地に政府は手を出せない。銀行や鉱山も白人の支配下にある。旧政権下の公務員の職と年金も保証せにゃならん。そのため新政府は借金まみれ。資金を調達するため、新政府は「民営化によって国家の財産」を売る。買い手はもちろん…。

 そもそもマンデラ氏に対し…

彼(ネルソン・マンデラ)が釈放されるや、南アの株式市場はパニック状態に陥って暴落し、通貨ランドは10%下落した。数週間後、ダイヤモンド関連企業デビアス社は、本社を南アからスイスに移した。
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 そうか、デビアスの本社は南アフリカにあったのか。それはさておき、南アフリカの黒人たちは旧政府の白人の年金のため、今もせっせと税金を払い続けている。その結果…

マンデラが釈放された1990年以降、南ア国民の平均寿命はじつに13年も短くなっている
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 結局のところ、政治的な差別が経済的な差別に変わっただけで、しかも格差はさらに酷くなっているのだ。

【おわりに】

 うう、まだ上巻が終わらない。どうしよう。などと悩みつつ次の記事に続く。

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2020年8月 3日 (月)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 1

アメリカン・エンタープライズ研究所「ルイジアナ州の教育改革者が長年やろうとしてできなかったことを(中略)ハリケーン・カトリーナは一日で成し遂げた」
  ――序章 ブランク・イズ・ビューティフル

ピノチェトは急激な収縮によって経済に刺激を与えれば、健全な状態に戻すことができるという未検証の理論に基づき、故意に自国を深刻な不況に追いやった。
  ――第3章 ショック状態に投げ込まれた国々

国家による虐殺が認められる限りにおいて、軍事政権はそれをソ連国家保安委員会(KGB)から資金を受けた危険な共産主義テロリストとの戦いであるとして正当化した。
  ――第3章 ショック状態に投げ込まれた国々

治安当局の手入れによって逮捕された人々の大多数は軍事政権が主張する「テロリスト」ではなく、政府が推進する経済プログラムにとって重大な障害になるとみなされた人々だった。
  ――第4章 徹底的な浄化

拘束者に対して広範に行われる虐待は事実上、その国や地域の多くの人々が反対するシステム――政治的なものであれ、宗教的、経済的なものであれ――を政治家が強制的に実施しようとしていることの確実な兆候である。
  ――第5章 「まったく無関係」

【どんな本?】

 チリ・グアテマラ・アルゼンチンなどの中南米諸国,ベルリンの壁崩壊後のロシアや東欧諸国,サッチャー政権下のイギリス,アパルトヘイト撤回後の南アフリカ,通貨危機時のアジア,フセイン政権打倒後のイラク、そしてハリケーン・カトリーナに見舞われたルイジアナ州。

 財政危機・体制崩壊・経済危機・戦争・自然災害と、それぞれ原因は様々だが、そこに住む人々は、いずれも似たような状況に陥った。とりあえず生きていくのに精いっぱいで、他のことに頭が回らない。

 そんな時、彼らを支えるべきIMF(国際通貨基金)や世界銀行は、一貫して共通の姿勢を示した。

 それはどんな姿勢なのか。そこにはどんな思惑があるのか。彼らは何を目指しているのか。その思想の源流はどこにあるのか。

 カナダ生まれのジャーナリストが、グローバル経済の発展と多国籍企業の躍進がもたらした「惨事便乗型資本主義」の来歴と正体を暴き、その危険性を警告する、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Shock Doctrine : The Rise of Disaster Capitalism, by Naomi Klein, 2007。日本語版は2011年9月8日第1刷発行。単行本ハードカバー上下巻の縦一段組みで本文約345頁+325頁=約670頁に加え、訳者幾島幸子による訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×(345頁+325頁)=約585,580字、400字詰め原稿用紙で約1,464枚。文庫なら上中下巻ぐらいの大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、南米やスリランカなど日本人にはなじみの薄い地域が舞台となるので、人によっては戸惑うかも。

【構成は?】

 章ごとに舞台が変わるので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  •  上巻
  • 序章 ブランク・イズ・ビューティフル 30年にわたる消去作業と世界の改革
  • 第1部 二人のショック博士 研究と開発
    • 第1章 ショック博士の拷問研究室
      ユーイン・キャメロン、CIA そして人間の心を消去し、作り変えるための狂気じみた探求
    • 第2章 もう一人のショック博士
      ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探求
  • 第2部 最初の実験 産みの苦しみ
    • 第3章 ショック状態に投げ込まれた国々
      流血の反革命
    • 第4章 徹底的な浄化
      効果をあげる国家テロ
    • 第5章 「まったく無関係」
      罪を逃れたイデオローグたち
  • 第3部 民主主義を生き延びる 法律で作られた爆弾
    • 第6章 戦争に救われた鉄の女
      サッチャリズムに役だった敵たち
    • 第7章 新しいショック博士
      独裁政権に取って代わった経済戦争
    • 第8章 危機こそ絶好のチャンス
      パッケージ化されるショック療法
  • 第4部 ロスト・イン・トランジション 移行期の混乱に乗じて
    • 第9章 「歴史は終わった」のか?
      ポーランドの危機、中国の虐殺
    • 第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
      南アフリカの束縛された自由
    • 第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火
      「ピノチェト・オプション」を選択したロシア
  • 原注
  •  下巻
  • 第4部 ロスト・イン・トランジション
    • 第12章 資本主義への猛進
      ロシア問題と粗暴なる市場の幕あけ
    • 第13章 拱手傍観
      アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」
  • 第5部 ショックの時代 惨事便乗型資本主義複合体の台頭
    • 第14章 米国内版ショック療法
      バブル景気に沸くセキュリティー産業
    • 第15章 コーポラティズム国家
      一体化する官と民
  • 第6部 権力への回帰 イラクへのショック攻撃
    • 第16章 イラク抹消
      中東の“モデル国家”建設を目論んで
    • 第17章 因果応報
      資本主義が引き起こしたイラクの惨状
    • 第18章 吹き飛んだ楽観論
      焦土作戦への変貌
  • 第7部 増殖するグリーンゾーン バッファーゾーンと防御壁
    • 第19章 一掃された海辺
      アジアを襲った「第二の津波」
    • 第20章 災害アパルトヘイト
      グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会
    • 第21章 二の次にされる和平
      警告としてのイスラエル
  • 終章 ショックからの覚醒 民衆の手による復興へ
  • 訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 経済学とは、科学のフリをした宗教なのだ。

 何かと数式を持ち出して科学っぽい雰囲気を出しちゃいるが、肝心の元になるデータは都合のいい所のつまみ食いだ。主張はいろいろある。が、どれにしたって、結論が最初にあって、それに都合のいい理屈をつけてるだけ。データから結論を導き出す科学とは、まったく逆の手口でやりあってる。

 同じ不況対策でも経済学者によって正反対の意見が出るってのも奇妙だ。数学や工学じゃまずありえない話だが、最初から結論が決まってるんだからそうなるのも当然である。この辺は「経済政策で人は死ぬか?」の冒頭に詳しい。

 宗教なんだから、宗派争いも激しい。大雑把には二派に別れる。ケインズ派とハイエク派だ(というか、私は大雑把にしか知らない)。ケインズ派は大きな政府を望み貧乏人に優しく、ハイエク派は小さな政府を望み金持ちに優しい。

 ケインズ派の始祖はジョン・メイナード・ケインズ(→Wikipedia)で、その理論はニューディール政策(→Wikipedia)で結実する。不況に対し政府が大金を投じて大事業を行い、人びとに職と収入を与えた。

 これを憎むのがフリードリヒ・ハイエク(→Wikipedia)の名を冠するハイエク派だ。本書ではミルトン・フリードマン(→Wikipedia)が頭目のシカゴ学派や新自由主義としているが、ネオリベ(→Wikipedia)の方が通じるかも。「ゾンビ経済学」では淡水派と呼んでいる。

 新自由主義の政策は三つに集約できる。政府事業の民営化,規制緩和,そして社会支出の大幅削減だ。たいていの事は政府より民間企業の方が効率的で巧くやれる、だから政府は事業を売り払って民営化を進め、自由競争に任せろ。そういう主張だ。どっかで聞いたことがありませんか?

 東欧に続くソ連崩壊で共産主義の幻想は消えた。ベルリンの壁崩壊後、東欧からはウヨウヨとトラバント(→Wikipedia)が這い出してきた時、私は思い知った。アレが東欧の大衆車なのだ。当時の日本の大衆車といえば、ニッサン・サニーかトヨタ・カローラだ。私はホンダ・シビックが好きだが。いや排気量的にダイハツ・ミラやスズキ・アルトと比べるべき? いずれにせよ資本主義の方がクルマの質はいいし庶民にも普及してる。政府は余計な事すんな。自由競争ばんざい。

 などと唱えるものの、なかなか世間は納得しない。東欧崩壊以降はだいぶ風向きが変わったが、その前は強い抵抗にあった。そこでシカゴ学派は思い切った手段に出る。それがショック・ドクトリン、著者が呼ぶところの惨事便乗型資本主義だ。

 カタカナだったり漢字ばっかりだったりで小難しそうだが、火事場泥棒に雰囲気は掴める。大惨事で人々が右往左往しているウチに政府を乗っ取り、強引に民営化・規制緩和・社会支出の大幅削減をやってしまえ、そういう手口である。酷い時には、自ら火をつけたり。

 この時に協力するのが合衆国政府だったりIMFだったり世界銀行だったり。そして利益を得るのはグローバル企業だ。人々は職を失うだけで済めば御の字で、土地や家、そして命までも奪われる。

 ショック・ドクトリンの源を探る第1部に続き、第2部以降では世界を股にかけたシカゴ学派の活躍を描いてゆく。そのメロディはどれも同じだ。政治的・経済的・軍事的または自然災害などの大規模な衝撃が人々に襲い掛かる。政府が財源に悩み人々がアタフタしている間に、電気や水道など政府の公共事業や規制されていた土地が民間それも海外の企業に叩き売られる。企業は経費削減で従業員のクビを切り、失業者が大幅に増える。

 それで経済が立ちなおりゃともかく、まずもってロクな事にならない。停電や断水が頻発し物価は上がり医療は崩壊する。人々は街に繰りだしデモで政府を批判するが、政府もシカゴ学派も反省しない。「御利益がないのは信心が足らないから」とばかりに、更なる民営化と規制撤廃を進めてゆく。

 このあたりは、「ポル・ポト ある悪夢の歴史」が描くクメール・ルージュとソックリだったり。この記事の冒頭で「経済学とは、科学のフリをした宗教」としたのは、そんなシカゴ学派の姿勢が狂信者とソックリだからだ。誰だって「自分は間違った」と認めるのは嫌だ。まして、結果として多くの人が死んだのなら尚更だ。この辺は「まちがっている」が詳しい。

 ああ、ゴタクばっかしでなかなか本書の紹介に入れない。それというのも、本書がとてもショッキングであり、頭が混乱して右往左往しているからだ。次の記事から、少し落ち着いて内容を紹介するつもりだ。

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2020年7月 3日 (金)

佐藤岳詩「メタ倫理学入門 道徳のそもそもを考える」勁草書房

メタ倫理学においては、そもそも規範倫理学が前提としている様々なことが疑問に付される。たとえば「正しいこと」など本当に存在するのだろうか。そもそも「正しい」とはどういう意味なのだろうか。私たちはなぜ「正しいこと」をしなければならないのだろうか、などである。
  ――第1章 メタ倫理学とは何か

道徳について何かを問うても、答えなど見つからない。偉そうなことを言っている人も、結局は自分の感情を表現しているだけだ、と表現型情緒主義者は述べる。
  ――第7章 道徳判断を下すとは自分の態度を表すことである

非実在論―非認知主義―表出主義的な世界観は、道徳を自分たちの中から生み出されて、私たち自身を導くものとして捉えた。他方で、実在論―認知主義―記述主義的な世界観は、道徳を世界に実在する真理と考え、それが見えれば私たちは自らそれに向かって歩みを進めるものと捉えた。
  ――第8章 道徳判断を下すとは事実を認知することである

まっとうな心をもった人であれば、そうした場面に遭遇したときに、そうしなければならないことがわかるし、それでいい。そう直感主義は考える。
  ――第9章 そもそも私たちは道徳的に善く振る舞わねばならないのか

【どんな本?】

 倫理学は大雑把に三つの分野がある。規範倫理学、応用倫理学、メタ倫理学だ。

 規範倫理学は、善悪の基準を求める。最大多数の最大幸福を求める功利主義、善き性質を身に着けるのが大事とする徳倫理学などだ。

 応用倫理学は、私たちが直面している切実で生々しい問題を扱う。脳死臓器移植の是非、IT技術者などの規範を決める専門職倫理学、環境問題を考える環境倫理学などだ。

 対してメタ倫理学は、規範倫理学の根拠に疑問を呈する。

 そもそも善悪の基準は存在するのか? そもそも善悪とは何なのか? そもそも善悪について語る必要はあるのか?

 そう、メタ倫理学の特徴は「そもそも」にある。規範倫理学が礎としている基本的な事柄に対し、「そもそも、○○って何なの?」と疑い、何らかの解を示す。それがメタ倫理学だ。

 ただし、今のところ、メタ倫理学に決定的な解は出ていない。幾つもの流派が分かれては合流して新しい流派を生み、喧々囂々の戦国時代にある。

 そこで本書は、メタ倫理学の入門書として、メタ倫理学の全体を見渡す「地図」を目指している。

 メタ倫理学は、どんな問題を扱うのか。それぞれの問題に対し、どんな説や流派があるのか。流派の間では、どんな議論が交わされているのか。そして、そもそもメタ倫理学とは何なのか。

 敢えて個々の流派の深みに踏み入る事を避け、あくまでもメタ倫理学全体を俯瞰する立場で著した、素人向けのメタ倫理学の入門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年8月20日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約325頁に加え、あとがき8頁。9ポイント52字×20行×325頁=約338,000字、400字詰め原稿用紙で約845枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 つまりは哲学の本なので、どうしてもややこしい表現が多いのは覚悟しよう。ただし、できる限り分かりやすくするために、著者は工夫を凝らしている。なるべく身近で具体的な例を示す、部や章の最初と最後に「まとめ」を入れる、箇条書きを使う、などだ。また、本文頁に脚注を入れ、頁をめくらずに済むようにしているのも嬉しい。

 表紙の漫画っぽいイラストや、手に取りやすいソフトカバーの製本など、ややこしい事柄をできる限りわかりやすく伝え、読者をメタ倫理学の泥沼に引きずり込もうとする、著者の熱意と陰謀が伝わってくる本だ。

【構成は?】

 最初に全体を俯瞰して、続く章で個々の話を述べる形だ。なので、なるべく素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • Ⅰ 道徳のそもそもをめぐって
  • 第1章 メタ倫理学とは何か
    • 1 倫理学とは何か
    • 2 倫理学の分類
    • 3 メタ倫理学はなんの役に立つのか
    • 4 メタ倫理学では何が問われるのか
    • 5 本書の構成
  • 第2章 メタ倫理学にはどんな立場があるか
    • 1 客観主義と主観主義
    • 2 道徳的相対主義
    • 3 客観主義と主観主義のまとめ
  • Ⅱ 道徳の存在をめぐって
  • 第3章 「正しいこと」なんて存在しない 道徳の非実在論
    • 1 道徳の存在論
    • 2 錯誤理論 道徳の言説はすべて誤り
    • 3 道徳の存在しない世界で
    • 4 道徳非実在論のまとめ
  • 第4章  「正しいこと」は自然に客観的に存在する 道徳実在論 1)自然主義
    • 1 実在論の考え方と二つの方向性
    • 2 素朴な自然主義 意味論的自然主義 もっともシンプルな自然主義
    • 3 還元主義的自然主義 道徳を他の自然的なものに置き換える
    • 4 非還元主義的自然主義 道徳は他と置き換えられない自然的なもの
    • 5 自然主義全般の問題点
    • 6 自然主義的実在論のまとめ
  • 第5章 「正しいこと」は不自然であろうと存在する 道徳的実在論 2)非自然主義的実在論
    • 1 神命節
    • 2 強固な実在論
    • 3 理由の実在論
    • 4 非自然主義的実在論のまとめ
  • 第6章 そもそも白黒つけようとしすぎじゃないのか 第三の立場と静寂主義
    • 1 準実在論 道徳は実在しないが、実在とみなして構わない
    • 2 感受性理論 道徳の実在は私たちの感受性を必要とする
    • 3 手続き的実在論 道徳は適切な手続きを通して実在する
    • 4 静寂主義 そもそも実在は問題じゃない
    • 5 第三の立場および第Ⅱ部のまとめ
  • Ⅲ 道徳の力をめぐって
  • 第7章 道徳判断を下すとは自分の態度を表すことである 表出主義
    • 1 道徳的な問いに答えること
    • 2 表出主義
    • 3 表現型情緒主義 道徳判断とは私たちの情緒の表現である
    • 4 説得型情緒主義 道徳判断とは説得の道具である
    • 5 指令主義 道徳判断とは勤めであり指令である
    • 6 規範表出主義 道徳判断とは私たちが受け入れている規範の表出である
    • 7 表出主義のまとめ
  • 第8章 道徳判断を下すとは事実を認知することである 認知主義
    • 1 認知主義
    • 2 内在主義と外在主義
    • 3 ヒューム主義 信念と欲求は分離されねばならないか
    • 4 認知は動機づけを与えうるか
    • 5 道徳判断の説明のまとめ
  • 第9章 そもそも私たちは道徳的に善く振る舞わねばならないのか
    • 1 Why be Moral 問題
    • 2 道徳的に善く振る舞うべき理由などない
    • 3 道徳的に善く振る舞うべき理由はある プリチャードのジレンマ
    • 4 道徳的価値に基づく理由
    • 5 最終的価値に基づく理由 理性主義
    • 6 そもそも理由なんていらなかった? 直感主義、再び
    • 7 Why be Moral 問題および第Ⅲ部のまとめ
  • おわりに
  • あとがき/文献一覧/事項索引/人名索引

【感想は?】

 そう、この本は地図だ。惑星「メタ倫理学」の地図だ。

 きっとあなたは、メタ倫理学なんか知らない。聞いたこともないだろう。だが、この本のどこかに、あなたは居る。

 なぜなら、あなたは善悪を判断できるからだ。何が正しくて何が正しくないかを分かっているからだ。いや、時として分からなくなることがあるかも知れない。というか、普通に生きてりゃ「どうすりゃいいのか」と悩むことは必ずある。

 それでも、悩んだ挙句に、あなたは何らかの解を出す。つまりは、あなたなりに「正しさ」の基準を持っているのだ。

 ただし、往々にして、人によって「正しさ」の基準は違う。体罰や夫婦別性などでは、激しい議論が沸き起こる。賛否いずれの側も、自分が正しいと思っている。では、「正しい」って、何なんだろう?

 その解は、人によって違う。違うけど、みんな自分なりの解を持っている。それはつまり、誰もが惑星メタ倫理学上のどこかに居るってことだ。

 そういう点で、この本は万民向けの本だ。あなたはメタ倫理学上において、必ず何らかの意見を持っている。ただ、自分の意見がどう呼ばれているか知らないだけだ。

 この本の面白さのひとつが、ソレだ。自分の居場所がわかる。自分だけじゃない、あなたとは意見が異なる人の居場所もわかる。もっとも、居場所がわかるだけで、なぜ違うのか、どっちが正しいのかまでは判らないけど。その辺は中立的というか、議論を紹介するに留めているのが、この本のもう一つの特徴だろう。

 ちなみに私は非実在論―非認知主義―表出主義らしい。これを突き詰めると、ある意味ヤバい考え方になる。なにせ…

非実在論の立場によれば、道徳的な事実や性質といったものは、いっさい存在しない。
  ――第3章 「正しいこと」なんて存在しない 

 と、解釈の仕方によっては、とんでもねえ思想って事になりかねない。なんたって、極論すれば「正義なんてない」って思想なのだから。少なくとも、アブラハムの神を真剣に信じている人からすれば、不道徳きわまりない奴に見えるだろう。つか、こんな事を全世界に向けて書いて大丈夫なのか俺。まあ、そういう発想は生理的に受け入れられないって人向けに、こういう論も紹介している。

その説明があまりにも、私たちの直感からかけ離れたものであるとすれば、それはそれで理論としては問題含みである。
  ――第5章 「正しいこと」は不自然であろうと存在する

 理屈はどうあれ、結論が納得できないなら、やっぱ間違ってるんじゃね? と、そういう事だ。ソレはソレで、世の中の仕組みと合ってるだろう。賢い人がいくら精緻な理屈を述べようと、国民の多くが反対する制度や法律は、たいてい成立しないし。

 などと、「こんな問題があります」「それについてはこんな論があります」「対してこんな反論もあります」と話を進め、なんか賢くなった気分にさせた後で、一気にちゃぶ台返しを食らわすから、この本は油断できない。

この考え方(静寂主義)によれば、そもそも私たちは道徳的な事実の実在をめぐって議論する必要はなく、そのような形而上的な議論については静寂を保つべきである。それはなぜかと言えば、道徳的な事実が存在しようとしまいと、私たちの日常には何の影響もなく、何の道徳的問題も解決されないからである。
  ――第6章 そもそも白黒つけようとしすぎじゃないのか

 をいw 今までの議論は何だったんだw せっかく頑張ってややこしい理屈を読み解いたのにw

 私の感想としては、どの主義も「有り/無し」のデジタル思考に囚われすぎというか、ヒトの心を単純化しすぎというか、そんな風に感じた。

 例えば、この本では、大雑把に二つの対立陣営を紹介している。非実在論―非認知主義―表出主義的と、実在論―認知主義―記述主義だ。これキッパリ切り分けられるんじゃなくて、たいていの人は双方を含んでいて、その割合が人によって違うし、時と場合と状況によっても割合が変わるんだろう、とか。

 また、今のところメタ倫理学は理屈から現象を検証しようとしてるけど、逆に現象から理屈を導き出そうとしてる行動経済学とかと交流が盛んになったら、なんかとんでもねえ化け物が出てきそうな気がする。

 と、自分の位置を確かめるって読み方をしてもいいし、自分には理解できない立場、例えば人種差別主義者の立ち位置を想定してみてもいい。または「哲学者ってのは何をやってるのか」を覗き見する楽しみもある。ややこしくて面倒くさいけど、ソレはソレで面白そうな仕事だよなあ、と思ったり。少なくとも、倫理学にハッキリした解は(少なくとも今のところは)出ていないのだ、ってのだけでも分かれば、この本を読んだ価値は充分にある。

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2020年4月 6日 (月)

ブラッド・トリンスキー&アラン・ディ・ペルナ「エレクトリック・ギター革命史」リットーミュージック 石川千晶訳

鶏が先か卵が先かと言われたら、先に登場したのはエレクトリック・ギターでなくアンプのほうだろう。
  ――第1章 ブラザー、ミュージシャン、聴け、奇跡の音を

すぐに来なさい。ベニー・グッドマン本人に会わせよう。
  ――第2章 偉大なるチャーリー・クリスチャンの功績

ホロウ・ボディのギターは内部が音響室となり、様々に異なる周波数で共鳴するから音が鳴るのだというのがこれまでの常識だった。しかし、そこで弦だけを独立させたらどうなるんだろう?
  ――第3章 レス・ポール ウォキショーから来た魔法使い

振り返ってみれば、テレキャスターはフェンダー王朝が世に送り出すソリッド・ボディ、シングルコイル・ピックアップ、ボルトオン・ネックを特徴とするエレクトリック・ギターの記念すべき第1弾だったのだ。
  ――第4章 モデルT テレキャスターが切り拓いた新世界

…楽器店には安価でも素晴らしい機能を持つもう一つのオプションがあった。どんなアコースティック・ギターでも取り付けた瞬間から電気楽器に変えることができる独立型装置、それが比較的手頃な25ドルという価格で購入できたディアルモンドの電磁ピックアップだ。
  ――第5章 ブルース(とカントリー)から生まれた子、ロックンロール

(セス・)ラヴァーの(ハムバッキング・ピックアップの)コンセプトとは、従来1本だったコイルを2本使い、各々の巻き線の向きと磁極を逆にセットすることにより、電流の流れに干渉、すなわちハムノイズを相殺し合う、もしくは抵抗を大きくするという考え方だった。
  ――第6章 ソリッド・ボディのストラディバリウス

ブリティッシュ・インベーションのサウンドとはすなわちヴォックス・アンプのサウンドだったのだ。
  ――第7章 ファブ12 ビートルズがやって来た

(マイケル・)ブルームフィールドがゴールドトップをプレイしていた頃には、サンバースト(の(レスポール・)スタンダード)など誰も欲しがらなかった
  ――第8章 ジミ・ヘンドリクス アンプリファイドされた革命

エドワード・ヴァン・ヘイレン「ともかく俺はトーン・コントロールには触ったこともない」
  ――第9章 噴火 伝説の爆撃機、世界へ

スティーヴ・ヴァイ「いったい何がトレモロ・ユニットの可変幅を抑止しているのだろう?」
  ――第10章 メイド・イン・ジャパン

ポール・ロード・スミス「当初から僕は、エレクトリック・ギターとは磁気マイクロフォンを搭載したアコースティック・ギターであり、エレクトリック・サウンドとなったときに大きな違いを生むのはソリッド・ボディ・ギターの<アコースティック・サウンド>なのだという独自の推論を立てて製作にあたっていた」
  ――第11章 ギター・オタクの逆襲

人々がその楽器を使って新しい音楽を作ろうとしない限り、楽器も進化していかない。
  ――第12章 プラスティック・ファンタスティック ビザール・ギターの復権

【どんな本?】

 始祖チャック・ベリー,革命児ジミ・ヘンドリックス,重爆撃機エドワード・ヴァン・ヘイレン…。エレクトリック・ギター・プレイヤーには、綺羅星の如く輝けるスター・プレイヤーが連なっている。

 そんな彼らも、アイザック・ニュートンと同様に、巨人の肩の上に乗っているのだ。では、彼らを乗せた巨人とは、どんな者なのか。いつ生まれ、何を食らい、どのように育ってきたのか。

 エレクトリック・ギターは、バイオリンやピアノに比べ、歴史が浅い。それだけに、演奏法も楽器そのものも、今もって激しい変異を繰り返している。その変異は、プレイヤーにみならず、ギター製作者との共謀によって成し遂げられてきた。

 エレクトリック・ギター誕生前夜のリゾネーターから現代のビザール・ギターまで、エレクトリック・ギターの進化史を明らかにする、ユニークでエキサイティングな現代史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Play It Loud : An Epic History of the Style, Sound, and Revolution of the Electric Guitar, by Brad Tolinski and Alan Di Perna, 2016。日本語版は2018年2月23日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約519頁。9ポイント39字×19行×519頁=約384,579字、400字詰め原稿用紙で約962枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。意外と内容も親切だ。というのも、多くのエレキギターの本は、ベグやブリッジなどギターの部品の名前を何の説明もなしに使う本が多いんだが、この本はちゃんと説明している。ただし、頭から順に読めば、だが。

 もっとも、この手の音楽本の例に漏れず、Youtube で音源を漁りはじめると、なかなか前に進めないのが困り物w

【構成は?】

 お話は時系列で進むが、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • 序文 カルロス・サンタナ
  • 第1章 ブラザー、ミュージシャン、聴け、奇跡の音を
    マグネティック・ピックアップの生みの親、ジョージ・ビーチャム/ナショナル&ドブロとドピエラ兄弟/“フライング・パン”の誕生
  • 第2章 偉大なるチャーリー・クリスチャンの功績
    初のエレキ・ギター・ヒーロー、チャーリー・クリスチャン/ギブソンES-150と“チャーリー・クリスチャン・ピックアップ”
  • 第3章 レス・ポール ウォキショーから来た魔法使い
    発明家ギタリスト、レス・ポール/ソリッド・ボディのエレキ・ギター“ログ”/多重録音とエフェクトが生み出した未知のサウンド
  • 第4章 モデルT テレキャスターが切り拓いた新世界
    レオ・フェンダーとポール・ビグスビー、マール・トラヴィス/画期的な量産エレキ・ギター、テレキャスターの誕生/ストラトキャスターとサーフ・ミュージック
  • 第5章 ブルース(とカントリー)から生まれた子、ロックンロール
    マディ・ウォーターズとディアルモンド・ピックアップ/グレッチとチェット・アトキンス/ロックンロールの伝道者、チャック・ベリー
  • 第6章 ソリッド・ボディのストラディバリウス
    光り輝くレス・ポール・モデルの誕生/エリック・クラプトンと1960年製レス・ポール・スタンダード/ギブソンのモダニズム、ES-335とフライングV
  • 第7章 ファブ12 ビートルズがやって来た
    ビートルズという社会現象とリッケンバッカーの躍進/英国勢の大侵略を支えたヴォックス・アンプ/ローリング・ストーンズの愛器たち
  • 第8章 ジミ・ヘンドリクス アンプリファイドされた革命
    ボブ・ディラン、エレキ・ギターを手にする/フォークを葬ったマイケル・ブルームフィールド/フィードバックの料理人、ジェフ・ベックとピート・タウンゼント/マーシャルの咆哮/ジミ・ヘンドリクスの破壊と創造
  • 第9章 噴火 伝説の爆撃機、世界へ
    エドワード・ヴァン・ヘイレンの実験/ディマジオ・スーパー・ディストーション/シャーベルトシェクター/フランケンストラトの誕生/フロイド・ローズが覆すビブラートの概念
  • 第10章 メイド・イン・ジャパン
    スティーヴ・ヴァイの探求心/日本製エレキ・ギターの躍進/アイバニーズJEM/MTV時代のロック・ギター/異端児、スタインバーガー
  • 第11章 ギター・オタクの逆襲
    ポール・リード・スミスのギター・オタク的視点/カルロス・サンタナの要望/ギブソン+フェンダー=PRS/ビンテージ・ギターの再評価/テッド・マカーティに贈る栄冠
  • 第12章 プラスティック・ファンタスティック ビザール・ギターの復権
    安物ビザール・ギターの逆襲/時代を先取ったヴァルコ・エアライン/ガレージ・ロッカーたちの選択/エレクトリック・ギターのこの先
  • 年表/索引

【感想は?】

 やはり楽器は音を聴かなきゃピンとこない。ということで、Youtube の助けを借りながら紹介していこう。

 はじまりは1920年代。ハワイアン・ギタリストのジョージ・ビチャムは悩んでいた。ギターは他の楽器に比べ音が小さい。そこでジョン・ドビエラと組んで作ったのが…

Swamp Dog Blues / 1930s Broman Resonator Guitar

 リゾネーター・ギター、俗にドブロと呼ばれるギター。ブリッジ下に共鳴コーンを取り付けたのが特徴。独特のやや金属的な音だ。今でも桑田佳祐が愛用してる…と、思った。

 だが、まだ音量が足りない。ここで蓄音機のピックアップにヒントを得て、革命的な発想に至る。「弦の振動を直接拾えばいんじゃね?」ピックアップの誕生だ。この偉大さはいくら強調してもしきれない。なにせ、エレキギター自体は、音=空気の振動を伴わない。電気で増幅することで、はじめて音になる。従来の楽器とは、根本的に発想が異なるのだ。

Rickenbacker Frypan Hawaiian Jam

 そして完成したのが、フライング・パン。ブリッジ近くのカバーの下に、シングルコイル・ピックアップがある。動画のように、膝の上にのせ、スティール・ギターの要領で弾く。

 一見ハワイアン向けの楽器のように思えるが…

Rickenbacher, A 22 Electro Hawaiian Guitar

 こんな風に、アンプの使い方次第で、ヘヴィメタルにも使えそうなディストーション(というよりオーバードライブ)・サウンドになったり。この妙に粘っこい音、とっかで聞いたような気がしたが、ジェフ・ヒーリーだった。膝の上で弾くと、こういう粘り気のある音になるんだろうか?

 フライング・パンの成功は、柳の下に次々とドジョウを集める。その一つがギブソン社のES-150。ホロウ・ボディに2個のf型サウンド・ホール、フロント側にバー・ピックアップ、ノブはボリュームとトーン。そしてプレイヤーは…

Charlie Christian SWING TO BOP (1941)

 世界最初のギター・ヒーロー、チャーリー・クリスチャンだ。実は彼のプレイを聞いたのは初めてなんだが、フレージングがあんまりにもスリリングなんで驚いた。その音色はエリック・ゲイルやジョージ・ベンソンなど現代のジャズ・ギタリストに今なお受け継がれている。1942年に25歳の若さで亡くなるって、早すぎる。ここでは人種差別に叛旗を翻すベニー・グッドマンの逸話も心地よい。

 チャーリー・クリスチャンが見つけたフロンティアに、続々と開拓者が集まってくる。中でも野心に溢れていたのが…

Les Paul - Lover - 1948

 今もギブソンの名器に名を残すレス・ポールだ。電気工作にも通じていた彼は、棒切れのような自作ギター「ログ」(→Google画像検索)などで実験を重ねる。動画の「ラヴァー」では、それに多重録音や自宅スタジオでのエフェクトなども試してゆく。後にジミ・ヘンドリックスやプログレ者が向かう「新しい機材による新しい音の追求」の第一走者でもある。

 もちろんメーカーだって黙っちゃいない。新しい楽器に相応しく新しい企業も参入してくる。その代表がレオ・フェンダーことクラレンス・レオニダス・フェンダー。電化の時代の空気を読んだのか、それまでの楽器の概念を覆し「量産の工業製品」然としたエレクトリック・ギターを生み出す。

Johnny Burnette Trio-Train Kept A Rollin'

 レオはカントリーが好きだったが、往々にして優れたモノは作者の思惑を超えて使われる。ギターのポール・バリソンが使っているのは、たぶんエクスワイアだろう。やがてレオはギタリストたちとの交流を通じ、もう一つのベストセラーとなるストラトキャスターや、ガレージ・バンド最後のピースであるプレシジョン・ベースも生み出してゆく。

 安価な市場を切り開いたテレキャスターにすら、貧しい者には手が出ない。だが貧者には最後の手段があった。既存のギターにピックアップを取り付けりゃいいのだ。

Muddy Waters - I Feel Like Going Home

 この救済策に救われたのがシカゴ・ブルースの帝王マディ・ウォーターズ。ここではシカゴ・ブルース誕生の物語も面白い。このマディが Free に大きな影響を与え、Free は MR.BIG へと受け継がれてゆく。ちなみに Free のポール・ロジャースは Muddy Waters Blues なんてソロ・アルバムも出してて、これの参加メンバーが豪華絢爛なんだよなー。

 などの動きは、老舗も無視できない。だが老舗には誇りがある。ブランドに値する品質でなければならない。ここで出てきたのが先のレス・ポール。ただし本書によると、彼はほぼ名前を貸しただけっぽいw

John Mayall and The Bluesbreakers with Eric Clapton

 そんなギブソン・レスポールの名をあげたのが、エリック・クラプトン。ここで聴ける音は、現代のヘヴィメタルに欠かせないディストーション・サウンドだ。いやたぶんアンプによるオーバードライブだけど。もっとも、アルバムが出たのは1966年で、レスポール・スタンダードの発売は1958年~1960年。同時期にギブソンはトチ狂ってフライングVやエクスプローラーも出すんだが、これの売り上げが見事に爆死する話は切ないw ES-335は評判がよかったようだけど。

 そのクラプトンに先立つ1964年、四頭の怪物がアメリカに上陸する。そう、ビートルズだ。

A Hard Day's Night (Remastered 2015)

 これにいち早く目を付けたのがフランシス・ケアリー・ホール率いるリッケンバッカー。最初の来米時に四人と会見の約束を取り付け、グレッチ・マニアだった彼らに売り込みをかける。特にジョージ・ハリスンが12弦の360/12を気に入ったのが功を奏し、飛躍を遂げる。今でもオッサンは動画の最初のコードで理性が蒸発してしまう。ここでは港町リバプールが四人に与えた影響も面白い。

 ビートルズに続きローリング・ストーンズなど、次々と続く侵略に対し、アメリカもイギリスに逆上陸を仕掛け、見事に成功を果たす革命児が現れる。

Jimi Hendrix The Star Spangled Banner American Anthem Live at Woodstock 1969

 恐らくロック史上で最も有名なパフォーマンスだろう。左利きでありながら右利き用のギターをそのまま使い、ギターの常識を覆すサウンドと演奏を次々と生み出した男、ジミ・ヘンドリックス。これを可能にしたのが、ジム・マーシャル製作のギター・アンプと、ロジャー・メイヤーが生み出した数々のエフェクターだ。ギター&エフェクター&アンプの組み合わせによる無限の音色は、音楽の姿そのものを変えてゆく。デッドのサウンド・オブ・ウォールの原点もコレだったのね。

 この後もイーグルスやジョージア・サテライツなど、地元アメリカではパッとしなかった連中がロンドンで成功を勝ち取るケースは続くのだが、それはさておき。

 それだけ選択の自由が増えても、既製品に満足できない者はいる。なければ自分で作るしかない。折しもフェンダー,ギブソン共に儲け路線に走って品質が落ち込んでいた時代。自動車の改造と同じ感覚で、ギターのパーツ交換や改造を試みる者も現れる。そんな者向けの改造用パーツを供給した一人が、ラリー・ディマジオ。レスポール用にパワフルなハムバック・ピックアップを製作・販売し、マニアックながらも評判を得る。

Eddie Van Halen - Eruption

 だが、ディマジオの想像すら超える改造屋が現れた。ギブソンES-335のハムバック・ピックアップを、あろうことかライバルであるフェンダーのストラトキャスターに取り付けるとは、掟破りの改造である。改造もクレイジーだが、プレイは更に常識を外れていた。2分にも満たないソロで、エドワード・ヴァン・ヘイレンはエレクトリック・ギターの歴史を永遠に変えてしまう。そういやバック・トゥ・ザ・フューチャーでも、ヴァン・ヘイレンは宇宙人だった。あの最後のステージの場面は、ギターの歴史を凝縮してた。

 ギブソンとフェンダーの凋落と、エディ・ヴァン・ヘイレンの異次元殺法により、エレクトリック・ギター市場は一気に変貌する。このスキに乗じ日本のメーカーも安価な製品で米国市場振興を図る。最初は安かろう悪かろうだったのが、次第に品質も向上し、またアイバニーズがキンキラなJEMシリーズでステーヴ・ヴァイを射止めたりと、ヴィジュアルが大事なMTVとも相まって、次第に地位を固めてゆく。そういえばジャパン・パッシングで議員が東芝のラジカセを壊したのも、この頃でした。

The Police -Every little thing she does is magic (live´82)

 同じころ、キンキラとは逆に機能美を追求したのがネッド・スタインバーガー。ベースにはデッド・スポット(デッドポイント)がある。特定の音程だけ、妙に「鳴らない」のだ。これは周波数が一致しちゃってヘッドが弦の振動を吸収しちゃうから。「ならヘッドを無くしゃいいじゃん」と、画期的なデザイン変更を成し遂げる。という事で、動画はアンディ・サマーズよりスティングに注目してください。と言いつつ、やっぱアンディはブリッジ改造してるなあ。あれテレキャスターの弱点だしねえ。

 市場の変革は、新しい血の流入も促す。その代表がポール・リード・スミス率いるPRS社だ。ES-335などかつての名器に学びつつ、徹底して品質にこだわった高価な製品を世に送り出し、トップ・ギタリストたちの信頼をかち得てゆく。同じころ、リック・ニールセンやジョー・ウォルシュらコレクターも育ち、ジョージ・グルーンがビンテージ・ギターの市場をリードし始める。

Carlos Santana Victory is Won Live (En 16:9 y Sonido Remasterizado)

 動画はPRSを操るカルロス・サンタナ。もともとふくよかで官能的な音色と永遠とも思える伸びやかなサスティンにこだわるサンタナだけに、売り込むのは苦労したようだが、見事に眼鏡にかなった模様。ここでは団塊のオッサンたちが財力にモノをいわせてヴィンテージを買い漁る描写もあって、なんとも遠いところまで来てしまった的な感慨も。

 もちろん、動きがあれば反動もある。どこの国でも若者は貧しい。でも情熱だけはある。彼らはホームセンターの安物やリサイクル・ショップで中古品を漁り、ガレージで自分たちの音を奏で続ける。

White Stripes Grammy Awards

 彼らの想いを鮮やかに体現したのが、ホワイト・ストライプス。ジャック・ホワイトが抱えるギターは、ゴミ捨て場から拾ってきたようなオンボロだ。しかもバンドはベースすらいない、ギターとドラムのツーピース。これをグラミー賞のゴージャスなステージで演じる度胸には感服すしてしまう。そのステージで彼の出す音は、行き場のない怒りと狂気を否応なしに聴き手に突きつけてくる。

【おわりに】

 リゾネーター→フライング・パン→ES135→ログ と試行錯誤が続いた末に、テレキャスターで一つの完成形へとたどり着くあたりは、ヘンリー・ペトロスキーの「鉛筆と人間」や「フォークの歯はなぜ四本になったか」のように、右往左往しつつ次第に洗練されてゆく工業製品と同様の、技術史としての面白さがある。

 と同時に、作り手と使い手が互いに意見を出し合い、またはレス・ポールやエディ・ヴァン・ヘイレンのように双方を兼ねた者が、突飛なアイデアと職人芸を駆使して新しいモノを作り上げてゆく様子は、初期のオープンソース・ソフトウェア開発の熱気を見るような気分になってくる。

 とかの偉そうな理屈はともかく、この記事を書いている際に、色とりどりなギターの音を聴けるのも楽しかった。The 5, 6, 7, 8´s なんて卑怯なまでにオジサン殺しなバンドも見つけたし。いやホント、あの音には一発で参っちゃったぞ。

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2019年12月13日 (金)

ニール・D・ヒックス「ハリウッド脚本術3 アクション・アドベンチャーを書く」フィルムアート社 菊池淳子訳

本書は(略)どう書くべきかではなく、「なぜそう書くべきか」を考える本なのである。
  ――1 なぜそう書くべきか

…第一幕で観客が本当に知りたいのは、この作品は何についての話なのか、どうやって主人公は難題を解決するかなのだ。
  ――5 どのようにストーリーを作るか

主人公が意味のある目的を遂げるには、敵対者は最大の努力を払うに値する相手で、しかも主人公に精神的な葛藤を引き起こす人物でなければならない。
  ――5 どのようにストーリーを作るか

アクション・アドベンチャー映画はたいてい緊迫した状況から始まり、さらに圧力がかかって孤立状態になり、善と悪が対決する。
  ――5 どのようにストーリーを作るか

どんなに派手に物を壊しても、それだけではアクション・アドベンチャー映画にならない…
  ――6 アクションとは何か

必要のない省略形・数字・ストーリーに無関係の事柄は、なるべく書かない。
  ――6 アクションとは何か

アクション・アドベンチャー映画というのは、脅威に晒された社会の物語である。
  ――7 アクション・アドベンチャーの登場人物とは?

【どんな本?】

 「ハリウッド脚本術 プロになるためのワークショップ101」「ハリウッド脚本術2 いかにしてスリラーを書くか」に続く第三弾。

 「シェーン」「荒野の七人」「ダイ・ハード」「プライベート・ライアン」「ナバロンの要塞」「バルジ大作戦」など、時代を越えて愛される作品を手本に、全米ヒットを狙うアクション・アドベンチャー映画の脚本の書き方を指南すると共に、イマイチな作品も例に挙げ、その失敗の原因を明らかにしてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Writing The Action-Adventure Film : The Moment of Truth, by Neill D. Hicks, 2002。日本語版は2006年6月3日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約144頁に加え訳者あとがき2頁。9ポイント49字×20行×144頁=約141,120字、400字詰め原稿用紙で約353枚。文庫なら薄い一冊分ぐらいの文字数。

 文章は読みやすい。内容も分かりやすい。当然、この手の映画に詳しい人ほど楽しめる。

【構成は?】

 各章は緩くつながっているので、できれば頭から順番に読もう。

  • 0 はじめに アクション・アドベンチャーのバイブル クリストファー・ウェイナー
  • 1 なぜそう書くべきか
    こんなの書く道具だよ。鉛筆とかそんなもの。僕に言わせれば喜び過ぎね
  • 2 観客がジャンルに期待するもの
    時間があるから、出来事は同時に起こらない。空間があるから、全ての出来事があなたに起こるわけではないのだ
    ジャンルの連続性 目に見えないものこそ、本当に手に入れたいものである:/個人の苦悩を描いたジャンル/対人関係の葛藤を描いたジャンル/コメディドラマというジャンル/おとぎ話というジャンル/個人的な探求というジャンル/探偵というジャンル/ホラーというジャンル/スリラーというジャンル/アクション・アドベンチャーというジャンル/神に対する挑戦というジャンル/うまい嘘には千の事実の価値がある/まずいやりかたをするための方法を学びなさい。そうすればやりたいことができる
  • 3 文化的背景を考える
    映画と自明の運命/私は私があることである/君はいつだって暴力を使う、餅米チキンを頼めばよかった
  • 4 どこから生まれてきたのか
    ストーリーを語るものは世界を制す/伝説が事実に出会ったら、伝説を活字にするんだ/善悪が暴かれる時間/人間はやるべきことをやらなければならない/伝統的な西部劇のストーリー/あの仮面の男は誰だったんだ?/それは君の災難であって、ぼくには何の関係もない/カウボーイ万事休す/俺たちは眠らない/心配無用/これがリコの最後なのか?/悪党、マシンガン、拳銃/ファイティング・スピリット
  • 5 どのようにストーリーを作るか
    そして、だから、それから…/予想することは非常に難しい、とくに未来を予想することは/書くのは簡単だ、激情の滴が頭に浮かぶまで、ただじっと白紙を見つめていればいい/私はこれまでずっと言葉を見つめてきた、その一つ一つに初めてであったかのように/戦いの順序/未来ってものは、次から次へとやってくる
  • 6 アクションとは何か
    何が起きるのだろうか? 決断というアクション/何も起こらない アクションの不在/何かが起きるべきだ アクションのない葛藤/何かが起きる 俳優の動作というアクション/何かが起きなければならない プロットというアクション/努力して書いていないものは、読んでも満足しない/神のつくり出すもの 天災というアクション/明らかに何かが起こっている 悲鳴というアクション/何かが起こるとなぜわかるのか? 紙面に書かれたアクション
  • 7 アクション・アドベンチャーの登場人物とは?
    白い帽子の男/アクション・アドベンチャーの主人公は、並外れた人物である/事由に乗り回せ!/俺を捕まえたいなら、捕まえてみろ/アクション・アドベンチャーの敵対者は
  • 8 夢のような冒険の世界を作る
    映画は視覚的な媒体ではない/空気のような無に、存在する場所と名前を与える/信憑性を生み出す秩序/登場人物が歴史上実在の人物に似ていても、それは単なる偶然だ。もしストーリーが史実と違っていたとしても、それはそうるべきだったのだし、脚本家はそんなことを気にもしていない/アクション・アドベンチャー 信頼性を生み出す秩序/どんな悪者も、屈することのない正義の味方を打ち負かすことはできない/イタリアの30年のテロや虐殺などの結果、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ルネッサンスが生まれた。スイスの500年に及ぶ民主主義や人類愛や平和で、何が生まれた? 鳩時計だけさ/暴力vs結果/ひどい時代になったものだ、子供は親の言う事を聞かないし、みんな本なんか書いてる/何か一つの方法を学べば、すべての方法につながる
  • エピローグ 2001年9月11日
  • あとがき アマンド・リー
  • 訳者あとがき/映画名索引/書き込み練習問題

【感想は?】

 本書が目指すのは、アメリカの市場で当たる映画だ。これは、「いいアクション・アドベンチャー」とは違う。

 「3 文化的背景を考える」では、その違いを痛感する。ある意味、比較文化ヒーロー論と言っていい。例として衝撃的なのが、「ポカホンタス」「ライオン・キング」などのディズニー・アニメ。どういうわけか、インドでは全くウケない。

 著者はこの理由を、倫理観の違いとしている。派手なアクションと爽快な結末を求めるアクション・アドベンチャーに、なぜ倫理が出てくるのか。

 いや大事なのだ。だって、アクション・アドベンチャー映画とは、勧善懲悪のお話なのだから。ヒーローは正義の人であり、悪役は強大だが卑劣な悪党でなきゃいけない。では、何が善悪を決めるのか? そこで倫理観が重要になってくる。

 アクション・アドベンチャー映画は、テンポがよくなきゃいけない。だから、ヒーローや悪役の過去や戦う動機について、ダラダラ語る暇はない。わかりやすく端的に善悪を対比する必要がある。長々しい議論は観客の興奮を冷ましてしまう。

 ところが、国や地域によって善悪の基準が違うのだ。本書でアメリカ的な象徴として出てくるのが、「ダーティー・ハリー」の刑事ハリー・キャラハンだ。ハリーは事件解決のためなら暴力を厭わず、上司の命令も無視して44マグナムをガンガンとぶっ放す。自らの信じる正義のために、孤立も恐れず独走する。

 本書が求める主人公は、そんな人物だ。だが、こういう人物は、アメリカ以外じゃウケが悪い。

 なぜか。犯罪被害者にとって、たしかにハリーは頼もしく思えるだろう。だが、秩序と調和を大切にする社会だと、ハリーの言動は「独善的」と捉えられてしまう。私たちはヒーローに肩入れしたい。しかし、そのヒーローがまさしく「ダーティー」だったら、気持ちよく応援できないじゃないか。

 そんなワケで、アメリカ以外の国のヒーロー物は、アメリカ市場だといささか苦しい商戦を強いられる。もっとも、例外もあるのだ。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」と、黒澤明の「七人の侍」である。わはは。いずれもアクション・アドベンチャー映画史上屈指の傑作ではないかw なぜこの二つが例外なのか、アクションではなく脚本の面から考えると面白い。

 続く「4 どこから生まれてきたのか」では、アメリカのアクション・アドベンチャー映画史を辿りながら、ハリウッド映画の倫理感がそうなった背景を探ってゆく。

アクション・アドベンチャーを考える上で本当に重要なのは、(略)ストーリーの根底に流れる価値観を探ることである。
  ――4 どこから生まれてきたのか

 本書では、源流を西部劇に求め、その基本構造と、その根底にある社会の仕組みや、アメリカならではの歴史的背景と紐づけてゆく。このあたりで、アメリカの大物プロデューサーが「どんな作品を受け入れるか」も見えてきたり。単にストーリーが面白くてアクションがカッコいいだけじゃ、駄目なのだ。彼らの倫理観に合わないと。

 などの文化論的な話は4章までで、5章以降はもっと実用的な話が中心となる。もっとも、物語の基本構造こそ違えど、基本的な注意事項はスリラーと共通している所も多い。例えば、アクションのために無駄なシーンを入れるのはやめろ、とか。全てのシーンは、何らかの形で物語を進めなきゃいけないのだ。似たような事をスリラー編でも言ってたね。

 このあたりになると、映画の脚本に限らず、冒険小説やバトル物にも応用できそうなネタが次々と出てくるし、その多くは私たちが楽しんできた漫画やアニメなどのヒーロー物にも共通してみられる性質である事に気づくだろう。

 例えば、ショッカーはいきなり幹部が出張ったりしない。まずは下っ端の戦闘員や怪人が暴れる。このスタイルは仮面ライダーでも燃えよドラゴンでも変わらない。最後の敵が最強の敵なのだ。

 など、ヒーロー物の定石を、いちいち文章にしてハッキリ示すあたりは、映画に限らず娯楽作品を作りたい人全般に役立つ。かと思えば、「脚本の書体は12ポイントの Courier にしろ、すると上映時間にして1枚1分になる」とかの下世話なアドバイスもあったり。

 映画の脚本の本ではあるが、実はあらゆるメディアの「面白い物語」を作る定石を書いた本でもある。そんなワケで、書く者だけに限らず、私のように評する者にとっても、着目すべき点を教えてくれる、なかなか役に立つ本だ。

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2019年12月12日 (木)

ニール・D・ヒックス「ハリウッド脚本術2 いかにしてスリラーを書くか」フィルムアート社 廣木明子訳

スリラーの脚本家の第一の目的は、観客のなかに恐怖を生み出すことだ。
  ――まえがき お父さんの時代のシナリオ読本と違って

冒頭では、観客はこのストーリーがどういう話なのかを切に知りたがっている。
  ――4 物語の軌道

もしも……悪人が常識をはねつけたら?
  ――5 制限された世界

登場人物の最初の行動はいつもの生活ぶりを再確認して、分別を失わせる混乱に思い切り急ブレーキをかけることだ。
  ――5 制限された世界

…すべてのスリラーが極度に圧縮された時間の内に起こる…
  ――6 時間軸

スリラーの主人公は平凡な普通の人間で、自らが投げ込まれたショッキングな状況に対して何の準備もできていない。一方、アクション・アドベンチャーの主人公は、圧倒的な敵対者と自ら進んで戦いたくなる、肉体的・精神的・道徳的準備の整った気質の持ち主だ。
  ――7 登場人物の気質

観客を不安にすることに失敗した時には、期待外れの原因はほとんど常に登場人物の設定のまずさだ。
  ――7 登場人物の気質

…すべてのスリラーに不可欠な部分とは、ドラマのプレッシャーによって克服しなければならない主人公の本質的な弱さなのだ。
  ――9 スリラーの神髄

『北北西に進路を取れ』の脚本をスリラーの神髄であるだけでなく、これまで書かれたなかで最高の脚本の一つにしているのは、必然的にプロットを前進させる新しい情報が、ほとんどすべてのシーンに盛り込まれているという点だ。
  ――9 スリラーの神髄

【どんな本?】

 「ハリウッド脚本術 プロになるためのワークショップ101」の続編で、主にスリラーに焦点を絞ったもの。

 「北北西に進路を取れ」を筆頭に、「コンドル」「マラソンマン」「暗くなるまで待って」「ルームメイト」そして「エイリアン」に至るまで、古今の名作スリラーを参考に、観客をスクリーンに惹きつけ離さないストーリーのコツを語ると共に、幾つかのスリラーとしては失敗した作品を挙げ、その原因も明らかにしてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Writing The Thriller Film : The Terror Within, by Neill D. Hicks, 2002。日本語版は2004年9月7日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約145頁に加え訳者あとがき2頁。9ポイント49字×20行×145頁=約142,100字、400字詰め原稿用紙で約356枚。文庫なら薄い一冊分ぐらいの文字数。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。当然、映画に詳しいほど楽しめる。特に「北北西に進路を取れ」は必須。

【構成は?】

 各章は穏やかに繋がっているので、できれば頭から読んだ方がいい。

  • はじめに マーティン・ブラインダー博士の推薦文
  • まえがき お父さんの時代のシナリオ読本と違って
    言葉について一言/それは私の身にも起こり得る
  • 1 誰がこの代物を作り上げるのか?
    私たちについてのすべて!
  • 2 ジャンルに期待される事柄
    やるかやらないかだ、お試しはない/ジャンルの連続性
    ジャンルの原則:個人的な苦悩のジャンル/葛藤が中軸のジャンル/コメディ・ドラマのジャンル/おとぎ話のジャンル/個人の探求のジャンル/探偵のジャンル/ホラーのジャンル/スリラーのジャンル/アクション・アドベンチャーのジャンル/形而上学的反抗のジャンル
  • 3 信頼性を支える秩序
    信頼の現在/(……不可能なものを排除したのちに、残ったものが何であれ、どんなにあり得ないと思えても、それが真実に違いないのだ)
  • 4 物語の軌道
    誘引/期待/満足/観客中心の進行/強敵/本能的自衛/サスペンス/アクションの速度
  • 5 制限された世界
    合理性に制限された信じられない出来事/迷路に追い込まれて/リアリティの解体/安心のための口実 理屈に反する思い込み
  • 6 時間軸
    心からはみ出した時間/恐怖とは、いやな予感から立ち昇る苦悩だ/安全か?
  • 7 登場人物の気質
    スリラーの主人公/スリラーの敵対者/変わってしまった現実と格闘して/裏切り 自己の崩壊/人生の修復/人生は人の勇気に比例して、縮みもすれば広がりもする/悪の露見/変わってしまった世界
  • 8 同族のプロット
    スリラーの血統/きみは何か(する)ことになってるんだ/生きている!/汝、ここに入る者は、すべて希望を捨てよ!/直感の末期のおののき、何かがどこか得体が知れない/悪の力は弱い心の持ち主には巨大過ぎる
  • 9 スリラーの神髄
    「北北西に進路を取れ」のストーリーの概要 アーネスト・レーマン作
  • エピローグ
  • 書き込み練習問題
  • 訳者あとがき
  • 映画題名索引/本書で言及されている映画

【感想は?】

 一言でいうと、「北北西に進路を取れ」から学べ、だろう。

 スティーヴン・キングはホラー作家と言われる。でも、彼の手管は、スリラーから巧みに借用してる。いやキングだけじゃない。ロバート・R・マキャモンもそうだ。彼らをパクり屋だと言ってるんじゃない。返らの並外れた構成力を示すものだ。

…スタジオが進んで出費するジャンルの中で、スリラーの脚本を書くのが断然いちばん難しい。
  ――3 信頼性を支える秩序

 なぜ難しいか。スリラーは、いわば詰将棋なのだ。主人公には、次々と王手がかかる。逃げても逃げても、敵の魔の手が追ってくる。主人公の行動は、傍から見るとイカれているように見える。だが、イカれているのは主人公の置かれた状況の方で、主人公は変な状況から、なんとか必死に逃げているだけだ。

スリラーの(略)狙いは、逃亡という唯一の的にしっかりと向けられていることがきわめて重要だ。
  ――4 物語の軌道

 ということで、アーノルド・シュワルツネッガーやシルベスター・スタローンには向かない。いや敵役ならいいけど、スターに悪役やらせるのは難しいよね。

 加えて、性格付けも、ヒーロー的なキャラクターじゃない。普通のアンチャン・ネエチャン・オッサン・オバサンである。平穏を愛し、対立を避け、面倒くさいことから逃げる。はい、私やあなたのような人です。

全般的にスリラーの主人公は回避と非対決という共通の気質を有している。
  ――7 登場人物の気質

 そういう人を、異常な状況に放り込むことから、スリラーは始まる。往々にして誰も頼りにならない状況か、または助けを求めようとすると…

スリラーの敵対者が放つ脅威は、(略)ほとんんどが次々と続く不気味な裏切りだ。
  ――8 同族のプロット

 と、たいていは敵が既に手を回していて、主人公はマンマと敵の罠にハマってしまうのだ。この際、主人公の行動は、あくまでも常識的な行動でなきゃいけない。敵が狡猾だったり、並外れて大きな組織だったりして、巻き込まれた主人公を更に追い詰めるのである。

 しかも、観客には緊張を与え続けなければいけない。寄り道は、緊張感をそぐ。こういった物語の緻密な組立が、スリラーには要求される。そして、スティーヴン・キングは、見事にモノにしていると私は思う。いや映像化には恵まれないけどね、あの人。というか、根本的に脚本にするのが難しい芸風なんだな、きっと。

 SFだと、S・J・モーデンの「火星無期懲役」が、舞台こそSFだけど、仕掛けはモロにスリラーだった。ギレルモ・デル・トロ&チャック・ホーガンの「ザ・ストレイン」も、ホラーのネタを使ってるけど、お話を駆動してるのはスリラーのエンジンだと思う。

 そんなこんなで、読むとかえって「スリラーって書くのが難しそう」な気分になっちゃうあたりが、大きな欠点かもしれない。それより、傑作スリラー映画のガイドとして読もう。いささか古い作品が多いが、いずれも公開時には話題になっただけでなく、その後も映画ファンに語り継がれている作品ばかりだ。面白い映画を見つける助けになるだろう。

 ということで、とりあえず「北北西に進路を取れ」を観ましょう。

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【つぶやき】

 インフルエンザで寝込んだ。熱は37℃と高くないのだが、節々が痛いのがつらい。しばらくは引きこもっていよう。

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2019年12月 9日 (月)

ニール・D・ヒックス「ハリウッド脚本術 プロになるためのワークショップ101」フィルムアート社 濱口幸一訳

本書は、劇場用の長編映画の観客を満足させることについて述べたものである。
  ――まえがき

…主人公とその世界、ドラマの葛藤の核になる問題、その問題に対する可能な解決、そして究極的には主人公が障害を克服し、葛藤を解決する…
  ――3 スクリーンのストーリーの要素

彼らの選択が劇的なのは、認識的不協和すなわち自己不信の可能性があるためである。
  ――4 スクリーンの登場人物

1.常に現在形で書くこと。(略)
2.常に能動態で書くこと。
  ――4 スクリーンの登場人物

スクリーン上の世界は誇張された現実である。
  ――5 スクリーンの文脈

ストーリーが機能するようにするのがあなたの仕事である。
  ――5 スクリーンの文脈

脚本のフォーマットの最も根本的な法則は、脚本を読みやすくするということだ!
  ――7 脚本執筆のスタイル

会話には二つの機能がある。ストーリーを前進させることと、登場人物を明らかにすることである。
  ――7 脚本執筆のスタイル

トム・ストッパード「困難なのは、第1ページの最初に到達することだ」
  ――8 熱心に励む

作られたものは、常にある点で妥協である。
  ――8 熱心に励む

【どんな本?】

 映画を作る際、最初に必要なのが脚本だ。脚本は他の文学、例えば小説や詩と似たところがある。だが、全く違う点もある。

 本書が扱うのは、ハリウッドの映画だ。そこで大事なのは商業的な成功、平たく言えば客にウケで大当たりし大儲けできる、そんな映画の脚本である。

 「北北西に進路を取れ」「ターミネーター2」「レインマン」など、成功した映画を例にとり、採用される脚本に必要なのは何か、どんな事に気をつけて書くべきなのか、どこからアイデアを得るのかなど、金になる脚本をひねり出すためのコツから、脚本の文書形式など下世話な、しかしプロをめざす者が知るべき様式、そして映画会社に売り込む方法と自分の権利を守るための注意点に至るまで、脚本家になる方法を徹底的に実際的な形で指南するハウツー本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Screenwriting 101 : The Essential Craft of Feature Film Writing, by Neill D. Hicks, 1999。日本語版は2001年3月27日初版発行。私が読んだのは2004年8月26日の第8刷。安定して売れてるなあ。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約211頁に加え訳者あとがき2頁。9ポイント50字×20行×211頁=約211,000字、400字詰め原稿用紙で約528枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらいの文字数。

 文章は比較的にこなれている。内容も分かりやすい。当然ながら、沢山の映画を見ている人ほど楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所から拾い読みしてもいい。

  • まえがき
  • 1 ドラマは葛藤である
    ドラマが意味をなす/脚本の前提
  • 2 観客を満足させること
    誘引/期待/満足
  • 3 スクリーンのストーリーの要素
  • 4 スクリーンの登場人物
    あなたの主人公は誰か?/登場人物の最低限のアクション/認識的不協和の理論/葛藤の焦点/主人公は何を望んでいるか?/基本的な欲求の回想/主人公が目的に到達するのを妨げているのは何か?/登場人物発見のための実践的テクニック/登場人物研究のサンプル
  • 5 スクリーンの文脈
    信頼性のコスモス/調査と研究/あなたは何をしているのか?/文脈の要素
  • 6 スクリーンのジャンル
    形式の期待
  • 7 脚本執筆のスタイル
    実践 読者の目の誘導/脚本フォーマットのサンプル/脚本フォーマットの要素/美学 読者の心の誘導/シーンの記述 少ないに越したことはない/会話 奈落の底からの悪霊/サブテキスト/エネルギー/期待
  • 8 熱心に励む
    ライターの生活
  • 9 脚本書きというビジネス
    ショウほど素敵な商売はない/脚本のマーケット/大きな産業、小さなビジネス/アメリカ脚本家協会 WGA/奴らにアイデアを盗まれた!/実際にあったことを描くには/アメリカの著作権/あなたのチーム/自分自身のエージェントを持つ/業界弁護士/個人マネージャー/売り込み/評価書類/契約/オプションの同意/取引のメモ/銀行へ/スクリーンのクレディット/創造的権利/おいくら?/業界への参入
  • 訳者あとがき/索引/著者&訳者のプロフィール

【感想は?】

 私はよく妄想に浸る。ヲタクとは、そういう生き物だ。だが、その妄想は、まずもって物語にならない。

 設定が借り物、つまり二次創作だったり、私の知人だけが登場する楽屋落ちだったりと、表に出せない理由はいろいろある。中でも最も大きいのが、そもそも形にしても私以外にはつまらないって事だ。

 つまらないのはわかる。だが、なぜつまらないかが、今まではハッキリと見えていなかった。それが、本書の冒頭でキチンと形になった。

「ドラマは<秩序を与えられた>葛藤である」
  ――1 ドラマは葛藤である

ドラマが原因で、主人公の人生はどのように変わるのか。
  ――1 ドラマは葛藤である

 私の妄想には葛藤がない。強力な主人公が難しい問題を鮮やかに片付ける、それだけだ。しかも、主人公は何も変わらない。つまりは幼い男の子の特撮ヒーローごっこから、なにも進歩していないのだ。ガッカリ。

 「ターミネーター2」のラストシーンが、なぜ心に残るか。あのシーンで、T-800はプログラム通りに動くただのマシンではなくなった、と示している。T-800は成長したのだ。それも、ジョン・コナーと関わったために。だから、私たちの心は動くのだ。

 そう、主人公は問題を解決するだけではない。ターミネーター2なら、T-1000を始末するだけではない。問題解決、つまりジョン・コナーとの関わりを通して、変わらなければならないのだ。これが、T2がただのアクションSF映画ではなく、優れたアクションSF映画である所以でだろう。

 大きな枠組として、著者はこう言っている。「誘因→期待→満足」と。まず客を惹きつけ、「ヤバくね?」とか「派手な事が起こりそう」とか「謎が解けそう」とか期待させ、最後に期待を満足させる。日本の劇作だと序破急になるのかな?

 など物語の大枠はもちろん、個々のシーンでも、客を引き付けるのに役立つアドバイスがたくさん入っている。素人がやりがちなのが、細かい設定を長々と説明すること。当然、それはよろしくない。とにかく何かを動かすべきなのだ。

あなたが書くどのシーンの目的も、何かを起こさせるということである。
  ――7 脚本執筆のスタイル

 というか、巧みな作家は個々のシーンでも「誘因→期待→満足」の構造を作ってる気がする。

 とかの前半は、脚本だけでなく小説や演劇の脚本でも役立ちそうなアドバイスだ。これが後半では、次第に映画の脚本に焦点を絞ってくる。

 脚本ならではのアドバイスとして、例えば、なるたけ登場人物の具体的な動作は書かない方がいい、なんてのがある。

 スリ寄ってくる嫌いな奴に対し「手を回して追いやっ」てはいけない。「鬱陶しそうに払いのける」のはいい。どう払いのけるか、どんな動作で表すかは、役者の領分なのだ。特に、トム・クルーズのような大スターの場合は。彼らは「何を演じるか」には従っても、「どう演じるか」を指示されるのは好まない。まして新人の脚本家ごときに。

 そう、あなたは有名な作家じゃない。今は無名だ。だから、ビジネスでも立場が弱い。おまけに、ハリウッドの習わしも知らない。そして売り込むべき相手は百戦錬磨のプロであり、桁違いの金額を動かすギャンブラーでもある。何も知らずに売り込んでも、門前払いを食らえばマシなほうで、ネタを奪われタダ働きにもなりかねない。私がまず驚いたのは…

ときに映画は、(略)1ダースかそれ以上の書き直しを、その回数と同じ数の違ったライターにより行われる…
  ――9 脚本書きというビジネス

 そう、あなたが書いた脚本がそのまま採用されることは、まずない。必ず書き直される。しかも、書き直すのはあなたではない。あなたが見も知りもしない他人だ。原因はいろいろある。プロデューサーの懐具合かもしれないし、監督の思い付きかもしれない。スターはいつだって自分を目立たせろと言ってくる。映画の脚本とは、そういうモノらしい。

 となると、映画の最後のクレジットに出てくるのは、どの脚本家なのか。これについても、終盤でマニアックな話が出てきて、映画ファンには嬉しいところ。なんと Written by / Story by / Screen Story by / Screenplay by で違うし、by George & Martha と by George and Martha でも微妙に違うのだ。なんてこったい。

 加えて、今のハリウッドの競争は厳しい。どれぐらい厳しいかというと…

毎年、脚本家組合の登録部は四万本をこえる脚本とトリートメントを受け付けているが、毎年ハリウッドが製作し封切る長編映画は、約300本だけである。これらの長編映画のわずか一握りが商業的に成功する。
  ――9 脚本書きというビジネス

 と、1%にも満たない。しかも当たる映画は、もっと少ない。

 Netflix などが映像制作に参入したためか、SF小説にお声がかかることも増えたが、必ずしも本当に映像化されるとは限らず、いつのまにか話が立ち消えになってたりする。その辺の事情や、脚本家に与えられる権利など、切実かつ下世話な事情もあからさまに書いてある。クリエイター志望の人に限らず、観客として楽しむ立場でも、何かと学べる点の多い本だ。

 例えば私は、スター☆トゥインクルプリキュアの第43話の巧みさに改めて舌を巻いた。ターミネーター2と同様に、えれなさんも葛藤に悩み、戦いを通じて葛藤に向き合い、乗り越えて変わる。そういうサイド・ストーリーの編み込み方が見事なのだ。大きいお友達を魅了する秘訣だろう。

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2019年12月 4日 (水)

ロバート・T・キャロル「懐疑論者の事典 下」楽工社 小久保温・高橋信夫・長澤裕・福岡洋一訳

自然のものは(医薬品のような)人工物よりも体に良く安全だと思っている人は多い。
  ――代替医療

ジプシーがタロット・カードを使いはじめたのは20世紀以降のことだ。
  ――タロット・カード

自分自身が優秀であると主張する理由が薄弱になればなるほど、人はますます、彼の属する国家、宗教、人種、あるいは神聖な大義が、優秀きわまりないと主張する傾向がある
  ――トゥルー・ビリーバー・シンドローム

21世紀に入った時点で、アムウェイのディストリビューターは年間平均約700ドルを売り上げていたが、製品を買うのに年間千ドル費やしていた。
  ――マルチ商法

もしもモーツァルトの音楽が健康にいいというのなら、なぜモーツァルト本人はああも病気がちだったのか?
  ――モーツァルト効果

UFOを観測するのが一般に素人のスカイウォッチャーであり、プロアマを問わず天文学者(つまり上天の観測にあり余るほどの時間をさいている人間)の観測した例はほとんど一度もない。
  ――UFO

ローマン・ブンダ神父「信ずる者にとっては何も説明はいらない」「信じない者にとっては説明がまったく成り立たない」
  ――ワトソンヴィルの聖母

 ロバート・T・キャロル「懐疑論者の事典 上」楽工社 小久保温・高橋信夫・長澤裕・福岡洋一訳 から続く。

【どんな本?】

 著者が始め、世界中の懐疑論者が協力しているWeb サイト The Skeptics's Dictionary m(→日本語版)は、オカルト・超自然・疑似科学などの用語を集め、多少の辛辣なユーモアを含め解説している。2003年、米国で主な400項目を選び出し、書籍として出版された。

 本書はその日本語版として、並びをあいうえお順に改め、上下巻に編纂したものである。

 日本語版編集委員として、小内亨・菊池聡・菊池誠・高橋昌一郎・皆神龍太郎の五名が協力している。

【前科】

  •  上巻
  • 日本語版編集委員まえがき
  • 著者はしがき/謝辞/序/凡例
  • 懐疑論者の事典 あ行~さ行
  •  下巻
  • 懐疑論者の事典 た行~わ行
  • Picture Creditss
  • 参考文献一覧/人名索引/欧文索引

 これだけ多くの記事が載っていると、中には私がひっかかったモノも出てくる。その一つがバイオリズム(→Wikipedia)。心身のリズムは三つのサイン・カーブで云々、ってやつ。いや私、三角関数は苦手なんで持ち出されるとコロリと参っちゃうんだよなあ。もっとも楕円関数まで行っちゃうと皆目見当がつかないんだけど。でも落ち着いて考えると、これや星占いなど誕生日で判断するシロモノは、早産の場合はどういう計算になるんだろ?

 やはり信じてたのが、バミューダ三角海域(→Wikipedia)。サルガッソ(→Wikipedia)と関係あるとか、メタンハイドレートが云々とか思ってたけど、そもそも交通量に比べ特に事故が多いわけでもないとか。火のない所の煙に踊ってたのか。

 同様に、「何か深い知恵があるんじゃないか」と思っていたのが、ロールシャッハ・テスト(→Wikipedia)。インクの染みを見て云々ってやつね。ところが、本書では…

インクの模様の検査結果を解釈するというのは、科学的かどうかということでいえば、夢判断とほとんどいい勝負なのである。
  ――ロールッシャッハ・テスト

 と、バッサリ。どうも心理学関係は、怪しげなのが入り込みやすいようだ。ちなみに本書はジークムント・フロイドの精神分析もカール・ユングの分析心理学も切り捨ててます。もっとも、ユングはSFやファンタジイのネタとして美味しいんだけど(→「人間と象徴」)。

【名前】

 ありがちな現象や統計的に多く出会う現象について、何か名前がついていると、覚えやすいし、議論の時に便利だ。上巻では「靴べら的行為」が出てきた。これは下巻にも幾つか出てくる。まずは…

「ジーン・ディクスン効果」とは、サイキックの予言が少しばかり当たったとき、マスメディアがそれを宣伝、誇張して、確実に世の人々の頭に残るようにするいっぽう、多くのはずれた予言は忘れたり無視したりする傾向をさす。
  ――ディクソンとジーン・ディクソン効果

 これは超能力に限らず、オカルトの類もそうだよね。先のバミューダ三角領域も、事故が起こればマスコミは騒ぐけど、普通に通り抜けたら何も言わない。マスコミの偏向は他にもあって、少し前は「あおり運転」が流行った。昔からあったのに。まあ車載カメラと動画投稿が普及したせいもあるんだろうけど。同様に、占い師がよく使う手口で…

あいまいで普遍的な性格描写を、同じ内容がおよそ誰にでもあてはまることに気づかず、自分にしかあてはまらないものとみなす傾向。
  ――ファウラー効果

 「外交的なときもあれば、深く考え込む時もある」とか。そして私たちは、当たった事は覚えてるけど、外れたことは忘れるのだ。

 また、彼らは誘導尋問が上手いんだよね。例えば女に対し「男のことで悩んでますね」と言えば、たいてい当たる。男は恋人や夫に限らず、父や兄や息子や上司や部下、はたまた近所のウザいオッサンかもしれない。悩みが借金だとしても、取立人が男なら当たった事になる。そこで女が「はい、実は…」とか言いだせば、もういただきだ。

 と思ったら、別口の「必ず当たる占い」も出てた。

<あなたはとても傷ついていて穴だらけです。そんなあなたは清い人です>
  ――ヒューストン博士とミステリースクール

【宗教】

 5ちゃんねらは、宗教ネタが大好きだ。そこでよく話題になるのが、「無神論」の定義。実はこれ、ハッキリしていないのだ。

神の概念はいくつもある(略)。そうすると、神の名の数と同じくらい、多種多様な無神論があることになる。
  ――無神論

 神道の神とユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は違う。すると、互いに相手を無神論者と見なすことになってしまう。もっとも、八百万の神がいるとすると、面倒くさいことになるけど。また、仏教も…

スピノザやプラトンを無神論者とみなすのと同じ理由で、仏教徒を無神論者とみなすキリスト教徒もいる。
  ――無神論

 と、視点によっては無神論になるらしい。とすると、禅はどうなるんだろ? もしかすると禅宗と ZEN は違うのかも。

 やはりありがちなのが、「神の不在を証明せよ」的な理屈。

まだ偽であると証明されていないのだから、それは真であるとか、まだ真であると証明されていないのだから、それは偽である、と主張する論理上の虚偽。
  ――無知に訴える論証

 あと、「進化論じゃ説明がつかない現象がある」とかもあるけど、進化論に穴があるからといって、創造論が正しいって事にはならないんだよなあ。なぜか二者択一的な議論になっちゃうけど、第三・第四の理論があるかもしれないし。もっとも、たいてい第三・第四の理論は、進化論の改訂版だったりするんだけど。

【ユーモア】

 辛辣なユーモアは、下巻でも健在だ。かつて大流行したアレも…

予言の意味は、予言対象の事件の起きる前は支離滅裂で判然としない。しかし事件のあとには、非常に明瞭になる
  ――ノストラダムス、ミシェル

 さすがに1999年を越したら下火になるかと思ったが、海の向こうじゃ健在みたいだ。仕方がないのかも。人ってのは、やっぱりケッタイなモノが好きなのだから。

【おわりに】

 やはりアメリカ人が作ったWebサイトが元なので、どうしてもアメリカで幅を利かせてるモノが中心になる。それでも、セラピューティック・タッチが手かざしとソックリだったり、薬草燃料が水ガソリン事件と似てたり、リフレクソロジーがモロに「足のツボ」だったりと、この手のネタは地域を問わないもんだなあ、などと妙な感慨にふけっちゃったり。

 また、これだけ量が集まると、その中にパターンが見えてくるのも、意外な効果の一つだろう。真面目に読んでもいいし、SFやホラーのネタとして使ってもいい。もちろん、幼い頃に怪獣図鑑に熱中したように、興味本位で読んでも充分に楽しめる本だ。

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【つぶやき】

 そんなノストラダムスをテーマにした曲もあって、私は好きなんだよなあ。Nostradamus - Al Stewart(→Youtube)。ちょっとブライアン・メイの三味線ギターみたく、生ギターの使い方が独特なのだ。

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