カテゴリー「書評:ノンフィクション」の113件の記事

2017年8月16日 (水)

エドワード・ヒュームズ「『移動』の未来」日経BP社 染田屋茂訳

この本は、交通に関する推理小説だと思っていただきたい。ただし目的は犯人を見つけることではない。これまで陰に隠れていた事実や場所、神話にスポットをあてて、買ったものがその日に届く、交通過密なこの世界の仕組みを知ることである。
  ――序文 300万マイルの通勤

製造に使われる原材料のなかで唯一、アルミニウムは無限にリサイクルが可能なのだ。(略)しかもリサイクルした場合のほうが、ポーキサイトを採掘して精製する場合と比べて、92%もエネルギーを削減できる
  ――第2章 缶のなかの幽霊

1979年までにさかのぼる、アメリカとイギリスで行われた大規模な調査によれば、90~99%の交通事故の責任は人間の過失にあるという。
  ――第4章 1週間に旅客機4機

ドミノ・ピザ社の本当のビジネスはピザづくりではない。物流と輸送なのだ。
  ――第6章 ピザ、港、そしてバレンタイン・デー

「なぜ港が要るんです?」その女性は尋ねた。「ここにはウォルマートがあるのに」
  ――第7章 物流レディース

UPSは2004年に有名な左折禁止ルールを定めた。(略)左折の9割を回避するルートを選択すれば、アイドリングの時間は1年間で9800万分(約163万時間)(略)節約できることがわかった。さらに左折は右折と比べて衝突事故は10倍、歩行者の死亡事故は3倍起きている
  ――第10章 最後の1マイル

ヒューストン市が2010年に交差点から赤信号監視カメラを撤去すると、重傷事故が84%、死亡事故も30%、全体で交通事故が116%増加した。
  ――第13章 未来の扉

【どんな本?】

 iPhone は、あなたの手元に届くまで、少なくとも25万kmを旅する。部品を世界中から調達し、様々な工程を多くの国が担っているため、各部品の移動距離を足すと、それぐらいになるのだ。無駄なように思えるが、そのお陰でアップル社はコストを削減できている。

 これらの部品は、どのように旅をするのか。その旅の途中で通る港や道路や倉庫、乗り込む船やトラックの現状はどうなっているのか。旅程を調整するサプライヤーや施設を管理する港湾局長、配送を担う運輸業者は、何をやっているのか。

 道路を使うのは業者ばかりではない。ロサンゼルスの道路は連日渋滞している。だが、そんな道路事情に、新しい動きが出てきた。若い世代は自動車を持たず、Uber などの配車サービスが活況を呈し、グーグルカーなどの自動運転車が登場しつつある。

 物品の流通から人間の移動、ロサンゼルス港など運輸施設の管理からUPSなど配送業者の実態、iPhone からコーヒーなどモノの移動経路、そして疲弊しつつあるアメリカの輸送基盤と、それを解決する思い切った提案まで、モノとヒトの移動に関わる現状と展望を描く、驚きに満ちたドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Door to Door : The Magnificent, Maddening, Mysterious World of Transportation, by Edward Humes, 2016。日本語版は2016年10月31日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約390頁に加え、付録14頁。9.5ポイント43字×18行×390頁=約301,860字、400字詰め原稿用紙で約755枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。距離はマイル表記だが、1.6倍すればキロメートルになる。また、ご存知のようにアメリカは自動車が右側通行。

【構成は?】

 序文が見事に全体をまとめているので、味見にはちょうどいい。各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • 序文 300万マイルの通勤
  • 第1章 朝のベル
  • 第2章 缶のなかの幽霊
  • 第3章 朝のコーヒー
  • 第4章 1週間に旅客機4機
  • 第5章 13日の金曜日
  • 第6章 ピザ、港、そしてバレンタイン・デー
  • 第7章 物流レディース
  • 第8章 エンジェルズ・ゲート
  • 第9章 バレエの動き
  • 第10章 最後の1マイル
  • 第11章 交通のピーク
  • 第12章 楽園のロボット
  • 第13章 未来の扉
  •  付録/謝辞/注/おもな企業・団体・個人名索引

【感想は?】

 やはり交通・流通関係の本は面白い。誰にも身近で関係がある上に、意外性に満ちている。

 まずは iPhone だ。ホームボタン1個を作るだけでも、中国の湖南省→江蘇省→台湾の高雄市→日本… と、極東をウロつきまわる。外交的には犬猿の仲のはずの中国と台湾が、iPhone の製造では仲良く?力を合わせているのだ。

 ジュースやビールでお馴染みのアルミ缶が、リサイクルの優等生なのも意外。リサイクルしても品質は落ちず、どころか安上がりだったりする。しかも、かつてのクズ鉄のように、アメリカの缶製造企業は、「ヨーロッパをはじめ、世界各国から使用済みの缶を輸入」してたり。グローバル化すげえ。

 これを支える基盤の一つ、ロサンゼルス港の規模と、その存在感の薄さも驚き。混雑時には、入港待ちの貨物船の列が32kmも並ぶ。それでもコンテナ化で飛躍的に効率は良くなったのだ。昔は1時間かかってた荷揚げが、たった2分で終わるのだから。

 当然、クレーン操縦士は高給取りだ。「週30時間労働で年収は25万ドル」。下手な医者よりよっぽど稼いでる。これは水先案内人も同じで…

 この辺で描かれる海運業界の実態も、驚きの連続。ナンバーワンがデンマークの会社だったり、コンテナ船の建造を日本と韓国がリードしてたり、アメリカの衣料の97%が輸入だったり。ウォルマート恐るべし。

 などと港の話はデカいだけに私の中の男の子が騒ぎ出すが、陸に上がると呑気に喜んでもいられない。とにかくアメリカの交通事情は恐ろしい。2014年だけでも、自動車の交通事故で3万5千人以上が亡くなっている。

 これは銃で亡くなった人とほぼ同じ。アメリカ旅行じゃ銃と同じぐらい車に気を付けなきゃいけない。ちなみに同年の日本の交通事故死は4千人ぐらい。人口比で調整しても、アメリカの道路は3倍以上ヤバい計算になる。

 なんでこんなに酷いのか。

2014年、ウォールストリート・ジャーナル紙が交通裁判および刑事裁判のデータを徹底調査し、ニューヨーク市の交通死亡事故の95%が起訴にいたらなかったことを明らかにした。

 そう、アメリカはドライバーに異様に甘いのだ。「なら道路交通法を変えろよ」と日本人なら考えるだろう。ところが、これがうまくいかない。そんな事を議員が言い出すと、確実に議席を失う。

 アメリカじゃ大半の市民はドライバーでもあり、みんなクルマびいきなのだ。自転車をひき逃げした事故のケースでも、多くの市民は「道路を塞ぐ自転車が悪い」と決めつける。運転免許を取るのに縦列駐車を免除する州まであるってんだから呆れちまう。

 お陰で交通マナーは良くならず、どころか重く頑丈なSUVの流行はタフガイ気どりのオラオラ運転を蔓延させる始末。

 自動運転を目指すグーグルカーは、そういう状況から生まれた。単に便利ってだけじゃない。アメリカの、特に西海岸じゃ、命がけの問題だったのだ。である以上、近い将来に無人自動車が普及するだろうと思うんだが…

全米都市連盟が、国内の人口上位50に各州最大の都市を加えた合計68の都市を対象にそれぞれの交通計画を分析したところ、無人自動車の潜在的な影響を考慮して計画を立てていた都市はわずか6%だった。

 と、政府や役人の発想は全滅に近いありさま。これは日本でも似たようなモンだろうなあ。どうせ経済特区を作るなら、Google と協力して無人自動車特区でも作ればいいのに。巧くいけば外科医が余るだろう。

 本書のネタの大半はアメリカ国内の話だが、UPSは宅急便みたいなモンだし、ドミノ・ピザや Uber は既に日本に進出している。渋滞に悩む都市も多いし、日本が貿易で食うためには港湾が経済の命運を握る。そう思って読もう。とっても身近で切実な話題が詰まったエキサイティングな本なのだから。

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2017年8月 2日 (水)

R・P・ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん ノーベル賞物理学者の自伝 Ⅰ・Ⅱ」岩波書店 大貫雅子訳

パズルや謎々をやりはじめたら最後、僕はやめられないたちだ。もしあのときあのおばさんが、「あんまり大変なら、もうあきらめなさいよ」とでも言ったとしたら、僕はきっと癇癪を起したに違いない。
  ――1 ふるさとファー・ロッカウェイからMITまで

僕に誰かが何かを説明してくれている間、今でも理論の成否を知るのに使っている、なかなか便利な「策略」があるのだ。それは自分の頭の中で、例を作りあげていくことだ。
  ――2 ブリンストン時代

コンピュータで困ることは、これを使ってついつい遊んでしまうことである。
  ――3 ファインマンと原爆と軍隊

世の中では僕が育てられてきた考え方とは全然違った形で、物事が動いていくもんだ。そういうことに気がついたのは、実に面白い経験だった。
  ――4 コーネルからキャルテクへ ブラジルの香りをこめて

【どんな本?】

 1965年にノーベル物理学賞を受賞した R・P・ファインマン(→Wikipedia)による、お茶目なエピソード満載の自伝的エッセイ集。

 ラジオ小僧だった少年時代、原爆の設計・開発に携わったロスアラモス時代、コーネル大学・カリフォルニア工科大学での教授時代と時は流れつつも、その底に流れるのは人を驚かせて喜ぶイタズラ小僧であり、好奇心いっぱいの野次馬であり、積極的に人生を楽しもうとする陽気なアメリカ人の姿である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は "Surely You're Joking, Mr. Feynman!" : Adventures of a Curios Character, by Richard P. Feynman with Ralph Leighton, 1985。日本語版は1986年6月23日第一刷発行。私が読んだのは1987年2月25日発行の第12刷。当時はすさまじい売れ行きだったんだなあ。なお、今は岩波現代文庫より文庫版が出ている。

 単行本ソフトカバー縦一段組みでⅠ・Ⅱ巻、本文約302頁+266頁=約568頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント44字×17行×(302頁+266頁)=約424,864字、400字詰め原稿用紙で約1,063枚。文庫でも上下巻でちょうどいいぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。高名な物理学者が書いた本ではあるけれど、理科や数学が苦手でも全く問題ない。たまに「線積分」とか「ポテンシャル」とか出てくるが、「数学か物理の言葉だな」ぐらいに見当がつけば充分に楽しめる。国語が得意なら中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

 時系列順に話が進むが、美味しそうな所だけを拾い読みしてもいい。

  •  
  • まえがき
  • はじめに
  • 僕の略歴
  • 1 ふるさとファー・ロッカウェイからMITまで
    考えるだけでラジオを直す少年/いんげん豆/ドア泥棒は誰だ?/ラテン語? イタリア語?/逃げの名人/メタブラスト社化学研究主任
  • 2 ブリンストン時代
    「ファインマンさん、ご冗談でしょう!」/僕、僕、僕にやらせてくれ!/ネコの地図?/モンスター・マインド/ペンキを混ぜる/毛色の違った道具/読心術師/アマチュア・サイエンティスト
  • 3 ファインマンと原爆と軍隊
    消えてしまう信管/猟犬になりすます/下からみたロスアラモス/二人の金庫破り/国家は君を必要とせず!
  • 4 コーネルからキャルテクへ ブラジルの香りをこめて
    お偉いプロフェッサー/エニ・クウェスチョンズ?/一ドルよこせ/ただ聞くだけ?
  •  
  • 4 コーネルからキャルテクへ ブラジルの香りをこめて(続)
    ラッキー・ナンバー/オー、アメリカヌ、オウトラ、ヴェズ/言葉の神様/親分、かしこまりました!/断らざるを得ない招聘
  • 5 ある物理学者の世界
    「ディラック方程式を解いていただきたいのですが」/誤差は七パーセント/13回目のサイン/唐人の寝言/それでも芸術か?/電気は火ですか?/本の表紙で中身を読む/ノーベル賞のもう一つの間違い/物理学者の教養講座/パリではがれた化けの皮/変えられた精神状態/カーゴ・カルト・サイエンス
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 クスクス笑いから大爆笑まで、とにかく笑いが止まらない作品。

 「ノーベル物理学賞を受賞した偉い人の本だから、きっと小難しくて高尚なんだろう」なんて思ったら、大間違い。野次馬根性旺盛なイタズラ小僧の武勇伝と考えた方がいい。

 出だしから、理工系の人には見につまされる話がいっぱい。当時の例に漏れずラジオ小僧で、ジャンクを漁っては修理の腕を磨いている。しまいには腕を活かして小遣い稼ぎしてたり。はいいけど、フォードコイルのくだりは、さぞかしご両親も肝を冷やしただろう。

 なんてのは可愛い方で、ロスアラモスでは原爆の設計・開発なんて軍の最高機密に関わる仕事をしつつ、軍のお偉方が聞いたら卒倒しそうな真似をやらかしてる。なんと、金庫破りの修業だ。とにかく謎を示されると、食いつかずにはいれないタチらしい。

 かと思えば、厳しい検閲をからかうためか、奥さんとの手紙で遊んだり。とことん軍や役人と相性が悪いんだよなあ、この人。

 やはりロスアラモス時代のエピソードで楽しいのが、計算機関係のエピソード。中でも現代のハッカーの元祖、スタンレー・フランケルの物語はヒトゴトじゃない。届いたIBMのマシンを使いこなし、最初は優れた仕事をしていたのだが、ある時パタリと進捗が止まり…。わかるなあ、その気持ちw

 とまれ、当時のマシンは機械式で、速度はファミコンにも遥かに及ばない。てんで、高速化しようとするんだが、ここで使われる手口が、現代の最新鋭CPUや通信制御でも使われてるから面白い。最適化の技法って、基本はあまり変わらないんだなあ。

 など理系のネタも楽しいが、それ以外にもアチコチに手を出してるのが、ファインマンの凄い所。

 絵を描いたり外国語を習ったりと、とにかく好奇心と学習意欲の塊なのだ、この人は。中でも目立つのが、ドラムへの拘り。

 ドラムのエピソードはアチコチに出てくるが、白眉はブラジルでの大暴れだろう。ブラジル学士院に招かれリオ大学で講義をする傍ら、街のバンドに加わり、練習に精を出す。ばかりか… そりゃ給仕頭も驚くよなあw

 とまれ、ブラジルはいい事ばかりじゃない。講義では、ブラジル流の学習法に徹底したダメ出ししてたり。こういう傾向は日本の英語教育もそうだし、最近じゃ掛け算の順番とかが変に話題になってるよなあ…と思ったら、終盤ではアメリカの教育界にも噛みついてたり。

 これはカリフォルニア州の教科書選定に関わった時の体験談。当時のアメリカの教科書の酷さがよく伝わってくる。

 などと偉ぶった人々への軽蔑がよく現れているのは、「平等の道徳性」なるテーマの、学際的な会議に出席した時の話。某社会学者の論文を「翻訳」した話とかは、本好きなら「あるあるw」と笑うところだろうか。ここでは、速記タイピストのオチが強烈。

 対して、偉ぶらない人からは自ら頭を下げて教えを乞うあたりが、野次馬根性もとい学習意欲旺盛なファインマンらしい。読心術師からはタネと仕掛けを教わり、ラスベガスではプロのギャンブラーから必勝法を学び、バーでは踊り子から美人と巧くヤる方法を学ぶ。

 ここで役立つのは、個々の具体的な知識より、それを聞き出す方法だろう。思ったより簡単に聞き出せる場合もあるが、本腰を入れて学ばなきゃいけないものもあるけど、いずれにせよ、その道の達人を敬っている事はよくわかる。

 夏休みの読書感想文のネタとしちゃ、ノーベル物理学賞に輝いた人の本だから教師にはウケがいいだろう。気に入ったエピソードを書き写せば、枚数も稼げる。でも、それ以上に、とにかく意外性とユーモアにあふれ、人生を楽しむコツもタップリ詰まった本だ。肩の力を抜いて、ニヤニヤしながら読もう。

 あ、ただし。物理学の勉強には、全く役に立たないので、そのつもりで。

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2017年7月 7日 (金)

エドワード・グレイザー「都市は人類最高の発明である」NTT出版 山形浩生訳

環境経済学者マシュー・カーンは、世界中での自然災害による被害を調べた。彼によれば、災害による死者数は当然ながら人口の多い国の方が多いが、死亡率は人口密度の増加につれて減少する。
  ――日本語版への序文

物事がうまく機能するときには、政府の複数のレイヤー――連邦、州、市――がお互いをチェックできる。これはそれぞれの層を左右する政党がちがうときは特に言える。
  ――4.3 街路清掃と汚職

ニューディールは連邦のセーフティーネットを大幅に強化して、地元政治家がたまにエサをまいて支持を買収する能力を大幅に下げた。
  ――4.3 街路清掃と汚職

開発を制限する代償は、保存地区が高価になり金持ち専用になるということだ。
  ――6.5 保存の害悪

世帯収入と世帯規模を補正すると、世帯当たりのガソリン消費は、人口密度が倍になるごとに106ガロン(402リッター)減る。
  ――8.2 汚れた足跡 炭素排出の比較

専制国家での最大の都市――ほぼまちがいなく首都だ――は、平均で国の都市人口の35%を持つ。安定した民主主義の最大の都市は、国の都市人口の23%しか保有しない。
  ――9.1 帝都東京

住宅費用が下がれば、雇用主の払う賃金も少なくて済む
  ――9.5 成長都市 シカゴとアトランタ

地方政府が競争するのは健全なことだ。競争は都市にもっとよいサービスの提供を促し、費用を下げる。国の政府が、ある特定の場所をひいきにするのはようことではない。
  ――10.1 都市に競争の公平な機会を

貧しい人を助けるのは政府のやるべきことだが、貧しい場所や経営能力の貧しい企業を助けるのは、政府の仕事ではない。
  ――10.1 都市に競争の公平な機会を

持ち家補助は、人々の支出を奨励することで、実は住宅価格を押し上げる。そして控除の便益は、圧倒的に、金持ちのアメリカ人に集中している。年収25万ドル以上の世帯の控除は、年収4万から7万ドルのアメリカ世帯の控除額の10倍以上なのだ。
  ――10.8 スプロール偏重

【どんな本?】

 多くの人口を抱え、道路は渋滞し、空気が淀む都市。いかにも環境保護の敵のように目される都市だが、実は環境に優しい。信じられない? では、ちょっと考えてみよう。

 東京は鉄道や地下鉄やバスなど、公共交通機関が発達している。だから、車がなくても暮らせる。週末にしか運転しない人も多い。郊外だと、車がなければ買い物もできない。では、どちらがより多くのガソリンを使うだろうか?

 とはいうものの、東京の通勤列車は酷く混む。それでもムンバイよりはマシだ。ムンバイでは、ほぼ毎日、通勤列車で死人が出るし、道路は常に渋滞だ。対して、シンガポールは、ほぼ渋滞がない。

 昔のパリは貧乏学生がタムロできたが、今は金持ちしか住めない。少し前のデトロイトはブイブイいわしてたが、今は見る影もない。対して、ヒューストンは急成長しているし、ニューヨークやシカゴは何度も苦境を乗り越えた。

 都市とは何なのか。都市にどんな利点があるのか。なぜ人は都市に集まるのか。成長する都市と衰える都市の違いは何か。渋滞を減らす秘訣はあるのか。国家と地方行政のあるべき姿はどんなものか。

 アメリカの経済学者が、アメリカを中心に各国の都市を見比べ、それぞれの特徴と長所・短所を挙げ、あるべき都市政策を唱える、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Triumph of the City: How Our Greatest Invention Makes Us Richer, Smarter, Greener, Healthier, and Happier, by Edward Glaeser, 2011。日本語版は2012年9月28日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約360頁に加え、訳者あとがき11頁。9ポイント46字×19行×360頁=約314,640字、400字詰め原稿用紙で約787枚。文庫本なら厚め一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。出てくる都市は比較的に有名な街が多いが、気になる人は Google Map や地図帳などで補おう。

【構成は?】

 全体としての流れはあるが、気になる所だけをつまみ食いしても結構美味しい。

  • 日本語版への序文
  • はじめに われら都市生物
  • 第一章 バンガロールの産物は?
    • 1.1 知的入港地 アテナイ
    • 1.2 バグダッドの叡智の館
    • 1.3 長崎で学ぶ
    • 1.4 バンガロール ブーム都市への歩み
    • 1.5 教育と都市の成功
    • 1.6 シリコンバレーの台頭
    • 1.7 明日の都市
  • 第二章 なぜ都市は衰退するのだろう?
    • 2.1 赤錆地帯の台頭
    • 2.2 自動車以前のデトロイト
    • 2.3 ヘンリー・フォードと工業都市デトロイト
    • 2.4 暴動はなぜ?
    • 2.5 都市の刷新 1970年以降のニューヨーク
    • 2.6 コールマン・ヤングの正義の怒り
    • 2.7 カーリー効果
    • 2.8 壮大な建築物
    • 2.9 赤錆地帯に残る
    • 2.10 縮小して偉大になる
  • 第三章 スラムのよいところ
    • 3.1 リオのファヴェーラ
    • 3.2 社会の梯子を上がる
    • 3.3 リチャード・ライトの都市脱出
    • 3.4 アメリカゲットーの興亡
    • 3.5 インナーシティ
    • 3.6 政策で貧困が拡大
  • 第四章 貧困者住宅の改善方法
    • 4.1 キンシャサの窮状
    • 4.2 病んだ都市の治療
    • 4.3 街路清掃と汚職
    • 4.4 道路を増やすと交通は減る?
    • 4.5 都市を安全に
    • 4.6 健康上の便益
  • 第五章 ロンドンは豪華リゾートか
    • 5.1 規模の経済とグローブ座
    • 5.2 分業とラム・ヴィンダルー
    • 5.3 靴・アンド・ザ・シティ
    • 5.4 結婚市場としてのロンドン
    • 5.5 高賃金の欠点
  • 第六章 高層ビルのすばらしさ
    • 6.1 摩天楼の発明
    • 6.2 A・E・レフコートのそびえたつ野心
    • 6.3 ニューヨークを規制する
    • 6.4 高さが怖い
    • 6.5 保存の害悪
    • 6.6 パリ再考
    • 6.7 ムンバイの失策
    • 6.8 三つの簡単な規則
  • 第七章 なぜスプロールは拡大したか?
    • 7.1 自動車以前のスプロール
    • 7.2 アーサー・レーヴィットと量産住宅
    • 7.3 アメリカを車中心に債券
    • 7.4 ウッドランズにようこそ
    • 7.5 蓼食う虫も なぜヒューストンに100万人も移住したのか
    • 7.6 なぜサンベルトの住宅は安いのか?
    • 7.7 スプロールの何がいけないの?
  • 第八章 アスファルトこそ最高のエコ
    • 8.1 田園生活の夢
    • 8.2 汚れた足跡 炭素排出の比較
    • 8.3 環境保護主義の予想外の影響
    • 8.4 皇太子と市長 二つのエコビジョン
    • 8.5 最大の戦い インドと中国のエコ化
    • 8.6 もっと賢い環境保護論を求めて
  • 第九章 都市の成功法
    • 9.1 帝都東京
    • 9.2 マネジメント良好都市 シンガポールとガボロン
    • 9.3 スマートシティ ボストン、ミネアポリス、ミラノ
    • 9.4 消費者都市 バンクーバー
    • 9.5 成長都市 シカゴとアトランタ
    • 9.6 ドバイは多くを望みすぎ
  • 第一〇章 結論 フラットな世界に高層都市
    • 10.1 都市に競争の公平な機会を
    • 10.2 グローバル化を通じた都市化
    • 10.3 人的資本に手を貸そう
    • 10.4 助けるべきは貧乏な人で、貧乏な場所ではない
    • 10.5 都市貧困という課題
    • 10.6 消費者都市の台頭
    • 10.7 NIMBY主義の呪い
    • 10.8 スプロール偏重
    • 10.9 エコシティ
    • 10.10 都市の贈り物
  • 謝辞/訳者あとがき/注/参考文献/索引

【感想は?】

 都市に暮らす人には、とっても気分のいい本。原題からして Triumph of the City。都市の勝利だ。

 単に「都市はいいぞ」ってだけじゃない。「各国を見ると、都市化と繁栄はほぼ完璧な相関を見せる」と、都市が国全体に利益をもたらすと主張しているのだ。

 確かに数字の上じゃそうかもしれないが、いい所ばかりじゃないぞ、と言いたい人もいるだろう。例えば東京の山谷だ。この本ではリオデジャネイロのファヴェーラを例に出している。映画「シティ・オブ・ゴッド」の舞台で、要はスラムだ。「アメリカでは、都市内の貧困率は17.7%だが、郊外では9.8%だ」。

 ほれみろ、都会は人を貧しくする。と言いたくなるだろうが、実はそうじゃない。山谷の利点は、安く泊まれて交通の便が良く、仕事にありつける事だ(→Wikipedia)。つまり、山谷が人を貧しくしたんじゃなくて、貧しい人が山谷に集まったのである。

 これはリオも同じで、田舎に住むよりファヴェーラに住む方がマシだからファヴェーラに集まるのだ。仮に仕事をクビになっても、都会なら他の仕事が見つかる。雇う側も都会の方が便利だ。賢い人であれ単純作業であれ、都会は人を集めやすい。

 とまれ、矛盾もあって。こういうスラムを改善するため、公立学校や上下水道や鉄道の駅を作ると、どうなるか。更にスラムが膨れ上がるのですね。スラムの居心地がよくなると、更に貧乏人が集まるわけ。そういえば、バックパッカーが集まる安宿も、駅の近くが多いんだよなあ。

 人が集まるのはいいとしても、道が混むのは困る。ムンバイは常時渋滞だ。じゃもっと道路を作ろう、とアメリカは考えたが、「車両の走行距離は新しい高速道路の新規建設延長とほぼ一対一で増加」するから、いくら道を作っても追いつかない。

 これをうまく解決したのがシンガポールとロンドン。要は渋滞税で、混む所ほど高い税を取る。ドライバーは納得できないだろうが、道路だって資源なのだ。場所により地価が違うように、道路だって場所(と時間)により利用料金が違ったっていいじゃないか。

 都会には他の欠点もある。夜の歌舞伎町はヤバい。都市はまっとうな経営者が稼ぎやすいだけでなく、犯罪者にとっても美味しいナワバリになる。この点も正直に認めている。

どんな犯罪でも都市人口が倍になると、逮捕される確率は8%ほど下がる。
  ――4.5 都市を安全に

 じゃ、どうするか。刑期を長くするのも、効果はある。ただし、反省するからじゃない。ムショにいる間は犯罪を犯せないからだ。著者によると、効果的な対策は二つ。警官を増やす事と、警官と地域の住民の交流を増やすこと。そういう点じゃ、日本の交番は巧みな方法なんだなあ。

 などと良い所ばかりのようだが、デトロイトのように衰える都市もある。日本だと夕張だね。共通点は、一つの産業に集中しちゃってる点。こういう都市は、主要産業がコケると町もコケる。こう書くと、あたり前すぎてみもふたもないなあ。対して、繁栄が続いたり何度も復活する都市の特徴は…

教育は、都市の成長の指標としては一月の気温に次いで最も信頼できる予測指標で、これは特に古い都市についていえる。
  ――10.3 人的資本に手を貸そう

 と、教育の重要性を強調している。どの国でも学歴が高いほど収入も多い。それだけ地元で使う金も払う税金も多いわけで、自治体にとっちゃ有り難い。デカいビジネスを成功させてくれれば、更にいい。

 ただし、単に金を出せばいいってわけじゃない。「よい教師と悪い教師の有効性にはすさまじい差がある」。これはアメリカも日本も共通してて、いずれも駄目教師のクビをなかなか切れないんだよなあ。おまけに日本は飛び級もないしブツブツ…

 全般的に著者は自由主義より。例えば厳しすぎる建築基準には反対で、高層ビル歓迎だ。面白いのは環境問題への視点で、何を造るにせよ、「ソコ以外に作った場合と比べてみよう」なんて提案もしている。

 著者の言い分の全てに賛同できる人は少ないだろうが、多かれ少なかれ、何らかのインスピレーションを受け取る人は多いだろう。都市が好きな人には、特にお薦め。

 でも東京の満員電車をどうにかする案は…都心にタワーマンションを建てまくる?

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2017年6月 6日 (火)

デイヴィッド・マクレイニー「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」二見書房 安原和見訳

本書の三大テーマは、認知バイアス、ヒューリステック、そして論理的誤謬だ。
  ――0 はじめに 人の性

人は、あるテーマについて知らなければ知らないほど、知るべき知識の総体も小さいと思い込む傾向がある。
  ――11 ダニング=クルーガー効果

なにかをよいものと判断したときは、悪い点は目につかなくなる。
  ――25 感情ヒューリスティック

実際のところ、知り合いという集団のうち、確実に連絡をとりつづけられるのは150人程度にすぎない。
  ――26 ダンバー数

【どんな本?】

 あばたもえくぼ。のど元過ぎれば熱さも忘れる。偉い人が言ってる事だから正しい。せっかく今まで頑張ったのに。そろそろツキが回ってきたぜ。自分の事は自分が一番分かってる。実るほど首を垂れる稲穂かな。地位が人を造る。

 人の心や行動について、昔から様々な事が言われてきたし、多くの人が使う決まり文句もある。その幾つかは当たってるし、幾つかは見当はずれだ。加えて、最近の実験によって明らかになった、意外な傾向もあり、その中には政治家や広告代理店や詐欺師の常套手段もある。

 テクノロジーと心理学を得意とするジャーナリストが、心理学の面白トピックを集め、わかりやすく紹介する、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は You Are Not So Smart, by David McRaney, 2011。日本語版は2014年9月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約402頁に加え、訳者あとがき4頁。10ポイント42字×16行×402頁=約270,144字、400字詰め原稿用紙で約676枚。文庫本なら少し厚め。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。国語が得意なら、小学生の高学年でも楽しんで読めるだろう。

【構成は?】

 それぞれの章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 0 はじめに 人の性
  • 1 プライミング効果
  • 2 作話
  • 3 確証バイアス
  • 4 あと知恵バイアス
  • 5 テキサスの名射手の誤謬
  • 6 先延ばし
  • 7 正常性バイアス
  • 8 内観
  • 9 利用可能性ヒューリスティック
  • 10 傍観者効果
  • 11 ダニング=クルーガー効果
  • 12 アポフェニア
  • 13 ブランド忠誠心
  • 14 権威に訴える論証
  • 15 無知に訴える論証
  • 16 わら人形論法
  • 17 人身攻撃の誤謬
  • 18 公正世界仮説
  • 19 公共財供給ゲーム
  • 20 最後通牒ゲーム
  • 21 主観的評価
  • 22 カルトの洗脳
  • 23 集団思考
  • 24 超正常刺激
  • 25 感情ヒューリスティック
  • 26 ダンバー数
  • 27 魂を売る
  • 28 自己奉仕バイアス
  • 29 スポットライト効果
  • 30 第三者効果
  • 31 カタルシス
  • 32 誤情報効果
  • 33 同調
  • 34 消去抵抗
  • 35 社会的手抜き
  • 36 透明性の錯覚
  • 37 学習性無力感
  • 38 身体化された認知
  • 39 アンカー効果
  • 40 注意
  • 41 セルフ・ハンディキャッピング
  • 42 自己成就予言
  • 43 瞬間の自己
  • 44 一貫性バイアス
  • 45 代表的ヒューリステック
  • 46 予断
  • 47 コントロールの錯覚
  • 48 根本的な帰属の誤り
  •  謝辞/参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 「本当は間違っている心理学の話」や「影響力の武器」と同じ種類の本だ。ネタもかなりカブっている。

 比べると、「本当は間違っている心理学の話」が最も内容が充実している。名声では「影響力の武器」が一番だろう。

 この本の特徴は、読みやすさと親しみやすさ。各章が短く、また文章も親しみやすいので、スルスルと頭に入ってくる。それぞれのトラップに、「一貫性バイアス」や「公正世界仮説」などの名前がついているのもありがたい所。なんであれ、名前がつくと、覚えやすくなるしね。

 「確証バイアス」あたりはモロかぶりだろう。自分の考えに近い話には頷き、そうでない話は無視する、そういう傾向だ。

 Twitter などのSNSを使っていると、自然に自分と共通点が多い人の記事ばかりが目に付くようになり、それが世の中の平均だと思い込んでしまう。類は友を呼ぶとでも言うか。お陰で、私の世界観だと、世の人の多くはSFファンのように見えるのだが、どうもリアルの世界はそうじゃないらしい。何故だ。

 少しホッとしたのが、「40 注意」。

 最近の iPod Nano にはフィットネスなる機能があって、万歩計としても使える。これで歩いた歩数を測るんだが、歩数と同じ画面に時刻も出る。で、よくやらかすのが、「どれぐらい歩いたんだろ?」と思って iPod を見て、仕舞った直後に「ところで今何時だっけ?」と再び iPod を取り出すのだ。

 こういう真似をしょっちゅうやらかしてて、「なんか最近の俺ってアホになったんじゃないか」などと思っていたんだが、どうもそういう事ではないらしい。ヒトってのは、何かに集中すると、他の事に頭が回らなくなる生き物なのだ。私が阿呆なんじゃない。そういう事にしておこう、うん。

 やはり、やりがちなのが、「セルフ・ハンディキャッピング」。実力テストなど難しい事に挑む際、前日に深酒するなど、どう考えても愚かな真似をやらかす傾向だ。なぜかというと、失敗した時の言い訳を用意するのである。そうしておけば、コケた時にプライドが傷つかないで済むから。

 これで不思議なのが、気分によって傾向の強弱がある点。暗い気分と明るい気分、どっちが予防線を張りやすいかというと、なんと明るい気分の方が「セルフ・ハンディキャッピングに走りやすい」。ハイな気分を維持したいと考えるんだろうか。

 議論のマナーとも関係が深いのが、「権威に訴える論証」「無知に訴える論証」「わら人形論法」「人身攻撃の誤謬」「公正世界仮説」あたり。

 「権威に訴える論証」は、広告がよく使う手口で、有名人を登場させるもの。健康食品ではなぜか工学博士の出番が多いんだよなあ。「無知に訴える論証」は、IT系がよく使う。専門用語をまくしたてられると、聴いてる側は間違いだと断言できないから、正しいんじゃないかなあ、なんて気分になっちゃう。

 「人身攻撃の誤謬」は、議論の相手の人格を Dis る手口。情けない事に議会でもよく使われるんだよなあ。「公正世界仮説」は、「世界は公平な筈だ、奴が不幸なのは自業自得」なんて考え方。いじめや児童虐待にコレが絡むと、とっても悲惨な事になってしまう。

 などとヒトゴトのように書いているが、グサリと突き刺さったのが「内観」。なぜソレが好きなのか、その理由をヒトは何もわかっちゃいないんだよ、という話。

 このブログ、記事の大半は、「私はこの本が好きだ、何故かというと…」みたいな事を書いてるんだが、それまみんな私のオツムが勝手にでっち上げたもんだよ、と切って捨てているのだ。がびーん。でもいいや。なんたって、本の最初にこう書いてあるんだから。

人はみんなだまされている。
しかしそれでいいのだ。
正気でいられるのはそのおかげだから。
  ――0 はじめに 人の性

 そう、こうやってブログを書いてりゃ私は楽しいんだから、それでいいじゃないか。

 この章にはもう一つ、役に立ちそうな事が書いてあって、それは落ち込んだ時は考え込まないで気分転換するといいよ、って事。逃避も時には役に立つのだ。そういえば、本宮ひろ志の漫画で好きな台詞があるんだよなあ。「涙のかわりに汗を流してみろ」だったかな? 案外と真実なのかも。

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2017年4月28日 (金)

リチャード・バック「飛べ、銀色の空へ」草思社 稲葉明雄訳

飛行機がそれ本来の位置、つまり空中にあるときは、死を賭するようなことはりえない。ほんとうに危険が迫るのは、それが地面とかかわるときだけなのだ。
  ――p14

リチャード、子供であることをやめてはいけない。大気やエンジンや爆音や日光といった偉大なものを、自分のうちに味わい、感じ、ながめ、興奮することをやめてはいけない。世間から子供らしさを護るために必要とあれば、仮面をかぶるのもいい。が、その子供をほんとうに抹消すれば、おまえは大人になって死んでしまうのだ。
  ――p203

【どんな本?】

 1920年代、アメリカ合衆国。陸軍で飛ぶことを覚えた若者たちは、軍からの払い下げで手に入れたカーチスJN-3 などの小型飛行機を駆り、自由に空を飛び回った。小さな町に近い広い牧草地に機を止め、客を集めては数分間の遊覧飛行を楽しませる、ジプシー飛行士として。

 そして1960年代。

 空軍で飛ぶことを覚え、ジェット戦闘機F-86セイバー などで経験を積んだリチャード・バックは、航空雑誌 Antiquer の編集長を務めるうちに、複葉機の魅力にとり憑かれる。1929年製の複葉機パークスを手に入れた彼は、ちょっとした実験を思いつく。

 現代でもジプシー飛行士は生きていけるのだろうか?

 お馬鹿な変わり者はいるもので、実験に付き合うモノ好きが二人も現れる。カメラマンで単葉機ラスコムを駆るポール・ハンスン、パラシュート降下要員のステュアート・サンディ・マックファースン。かくして大アメリカ飛行サーカスは、アメリカ中西部へと飛び立った。

 「かもめのジョナサン」で大ヒットを飛ばしたリチャードバックが、憧れのジプシー飛行士の暮らしを実践し、次作「イリュージョン」のヒントを得た、ひと夏の実験のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Nothing By Chance : A Gypsy Pilot's Adventures in Modern America, by Richard Bach, 1969、日本語版は1974年10月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約248頁に加え、訳者によるあとがき4頁。9ポイント47字×19行×248頁=約221,464字、400字詰め原稿用紙で約554枚。文庫本なら標準的な一冊分の分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。一部に航空機関係の専門用語が出てくるが、分からなければ無視しても大きな問題はない。敢えて言えば、長さの単位だろう。1マイルは約1.6km、1フィートは約30cm、1フィートは約91cm。

 ただし今じゃ新刊は手に入らないだろうから、古本を当たるか、図書館で借りよう。

【感想は?】

 つくづくアメリカが羨ましい。

 なんたって、ジプシー飛行士だ。こんな商売が成り立つのは、アメリカとオーストラリアぐらいだろう。アルゼンチンも、なんとかなるかな?

 広く平坦で、人口がまばらな土地。航空燃料(どうやらハイオクのガソリンらしい)や航空機の部品が潤沢に手に入る程度に、産業が発達し工業製品が人々に浸透した社会。ただし勝手気ままに空を飛んでも文句を言わない程度に緩い政府と航空管制。

 幾つもの植民地がそれぞれに発達し、その連合体として州政府と連邦政府ができたアメリカ合衆国ならではの、自由と産業力、そして末端までは管理が行き届かない政府など、幾つもの条件が重なって成立した、絶妙のバランスの上に成り立つ商売である。

 とまれ、実際に飛び回るリチャードら一行は、そんな難しい事なんか考えちゃいない。単に「とりあえずやれるかどうか試してみようぜ」ってな感じで、稼ぎながらその日その日を過ごしてひと夏を楽しもうとする、お馬鹿な野郎三人組の気楽な旅のお話だ。

 そんなわけで、作品としては、ちょっと変わった飛行機物語としても楽しいし、ドサ回りの小さなサーカスのルポルタージュとしても面白い。

 やっぱり飛行機に熱中するのは、ガキどもである。人口776人の小さな町リオでは、リトルリーグの試合を見ていたガキどもが、二機の飛行機とステュのパラシュート降下で大騒ぎで、週末には大繁盛だ。いい土地ばかりとは限らないが、町の人とソリが合えば大儲けできる。

 ばかりでなく、曲芸飛行を披露するパイロットは大人気で、サインをねだられることだってある。もっとも、最大のヒーローは…。わはは。でも、ガキどもの気持ちはわかるなあ。私も、ガキの頃、近くに飛行機が止まったなんて聞いたら、きっと走って見に行っただろうし。

 もっとも、世の中いい事ばかりとは限らず。夜にシャツを干そうとすれば朝露で濡れちゃうし、寝ようとすれば蚊の大群に襲われるし、珍しく屋根のあるねぐらにありつけたと思ったら…。こういうへっぽこな旅も、気の合う相棒とだったら、それなりに楽しめるんだよなあ。そんな旅日記としても面白い。

 お客さんも楽しんでるようで、単葉機のラスコムと複葉機のパークス、それぞれに乗った客が「どっちがいいか」で語り合うあたりも、飛行士としては気分のいい所。子供たちにいい所を見せようと一計を案じる親父さんとかもいて、なかなか微笑ましい。いい父ちゃんだなあ。

 意外と楽しんでるのが年配の人で、かつてのジプシー飛行士の想い出を語ってくれたりするのも、ちょっとホロリとする。ばかりか、飛び続けると、かつてジプシー飛行士だった人まで登場するから、アメリカも広いようで狭い。他にも様々な飛行機仲間が登場しては、ちょっとした思い出を残してゆく。

 中でも印象的なのが、スペンサー・ネルスン。「イリュージョン」にも登場したトラベル・エアーに乗り、はるばるネブラスカから駆けつけた勤め人。なんちゅう贅沢な休暇の過ごし方だ。

 そうやって飛び続けるうちに、リチャードは商売も巧みになtってゆく。と同時に、人はどんな環境にも慣れるのか、ジプシー飛行士の日々が単なる繰り返しにも感じてきて…

 口数少ないステュの意外な秘密、常に最悪を想定するパイロットならではの注意深い視点、バラエティ豊かな客の数々、様々な立場で飛行機を愛する仲間たち、そして次から次へと降りかかるトラブル。

 呑気な三人の男が、気分次第で行く先を決めたドサ回りのヘッポコ道中。あまり知られることのないアメリカの田舎を見せてくれると共に、一種の旅芸人の気分も楽しめる、ちょっと変わった旅の記録。

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2017年4月23日 (日)

リチャード・バック「翼の贈物」新潮社 新庄哲夫訳

古来の格言によると、プロの作家というのは、ついに筆を捨てなかったアマチュアなのだそうである。
  ――十秒の間がある

「いやでたまらないいまの生活よりも、自分の知らない世界のほうがずっとこわいのね……」
  ――願いごと

“飛行”という言葉も、結局は脱出と同意語なのだから。
  ――完全なる場所への旅

「シービーを着水できる飛行機と考えちゃいけない」ドン・カイトが、何年か前にそう言ったことがある。「空飛ぶ船と考えるんだね」
  ――空飛ぶサマーハウスの冒険

【どんな本?】

 「かもめのジョナサン」で大ヒットを飛ばしたアメリカの作家リチャード・バックが、その前後に発表したエッセイや短編をまとめたもの。

 彼が大好きな飛行機やパイロットにまつわる話が大半で、登場する飛行機の多くは古い複葉機だが、空軍時代に操縦した F-100 スーパーセイバーや、当時の先端技術を集めた単翼の軽飛行機、水陸両用機からグライダーまでバラエティ豊か。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Gift of Wings, by Richard Bach, 1974。日本語版は1975年2月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約234頁に加え、編者の言葉1頁+訳者による解説4頁。9ポイント42字×17行×234頁=約167,076字、400字詰め原稿用紙で約418枚。文庫本なら標準的な一冊分。イラストも多いので、実際の文字数は8割程度だろう。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。航空機関係の専門用語がよく出てくるが、分からなければ「何か専門的な事を言ってる」程度に流しておけば充分。

 ただし今は新品を手に入れるのは難しい。古書を漁るか、図書館で借りよう。

【構成は?】

 それぞれの作品は独立しているので、お好みの所だけを拾い読みしてもいい。

  • 十秒の間がある
  • 空飛ぶ人々
  • 私は風の音を聴いていない
  • 願いごと
  • 消えたパイロットの帰還
  • 常に空はある
  • 過去から来た女
  • 空からの眺め
  • 雪と恐竜
  • ラガーディア飛行場でのパーティー
  • サム福音書
  • ペカトニカの淑女
  • カモメはどうかしている
  • 闇の中の声
  • 本日、巡業飛行中
  • ひとかけらの土地
  • 完全なる場所への旅
  • 寝椅子の下にあるもの
  • 七万一千ドルの寝袋
  • 午後の死 ある滑翔物語
  • 飛行場少年への贈物
  • エジプト人はいつの日か飛ぶ
  • 楽園は自ら造るもの
  • わが家は他の惑星
  • 空飛ぶサマーハウスの冒険
  •  編者の言葉/解説

【感想は?】

 重症のオタクが、相応しい対象に出会い、幸せに暮らすお話。

 当時はオタクなんて言葉はなかったが、彼が飛行機に寄せる想いはオタクの熱情そのものだ。わずらわしい俗世を離れ、自分だけの自由を堪能できる時間、それが彼にとっての飛行である。

 リチャード・バックは冷戦時代に合衆国空軍で F-86 セイバーなどを操縦し、航空関係のジャーナリストを経て作家となった。成人して以来、ずっと飛ぶことに憑かれて過ごし、プライベートでも複葉機や軽飛行機に乗り続けている。とにかく飛ぶことが好きなのだ。

 ただしスピード狂ではなく、好きなのは1920年代の複葉機ってのが彼の特徴。クルマでもクラシック・カーに拘る人がいるように、古いけど「自分でメカを操っている」感覚が好きなんだろう。

 当然ながら、最新の飛行機には性能じゃ敵わない。けど、古いメカが好きな人は、なんだかんだと自分の愛機の長所を見つけ出すものだ。「私は風の音を聴いていない」では、F-100 スーパーセイバーに対し、「排気ガスの臭いもしなけりゃ発動機の咆哮も聞こえない」と噛みついている。

 こういったあたりはオッサンの愚痴そのものなんだけど、そこが可愛い所でもある。「ラガーディア飛行場でのパーティー」では、木製の飛行機は長持ちするんだ!と大威張りだったり。

 その F-100 を、ちょっと変わった形で堪能できるのが、短編「猫」。ベルリン危機(→Wikipedia)で召集されドイツで任務に就いた頃の体験を元にした小説だ。ここでは、次から次へと F-100 に不調が起こる。軍事物でも、あまり機体の不調の話は出てこないので、なかなか貴重なネタが楽しめた。

 やはり F-100 にまつわる話が、「消えたパイロットの帰還」。ドイツ時代の相棒ボウ・ペヴァンを描いたエッセイだ。僚機のミスを指摘するペヴァンの態度は、映画「トップガン」とはまた違った戦闘機パイロットの姿を感じさせる。その後のペヴァンの生き方は、オタクへの力強い応援歌でもある。魚から水を奪ってはいけないのだ。

 とまれ、そんな生き方ができるのも、アメリカならでは。「本日、巡業飛行中」では、彼がジプシー飛行士としてドサ回りの旅を試みた時の体験談で、後にドキュメンタリー「飛べ、銀色の空へ」や長編小説「イリュージョン」の原型となるもの。

 このジプシー飛行士ってのが、当時のアメリカならではの商売で。

 複葉機で田舎へ飛び、空いてる農地に着陸する。大声で客を集め、10分間3ドルで空中散歩を楽しませる。適当に稼いだら、次の町へと飛んでゆく。孤独だけど、自由気ままな商売である。

 1920年代~1930年代ノアメリカには、そんなジプシー飛行士がいたそうだ。離着陸可能なだだっ広く平らな土地と、安く潤沢に手に入る飛行機&燃料、仕事を求めるパイロット、航空法などの煩い取り締まりをしない御上など、幾つもの条件が重なって可能となる稼業だ。

 いくら短い距離で離発着できる複葉機といえど、日本じゃ休耕地は少ない上に一枚の畑が小さく、また土地に起伏が多くて、臨時にでも飛行場にできる場所が少ない。御上も煩いから、流れ者には厳しいだろう。航空法も厳しくって、予め航路を届けなきゃいかんだろうし、燃料もバカ高くてブツブツ…

 まあいい。ここでは、とりあえず、そんな当時のアメリカを素直に羨ましがっておこう。でもホント、そういう旅烏な暮らしって、どうしても憧れちゃうんだよなあ。

 そんなリチャード・バックが勤め人になろうとした「楽園は自ら造るもの」は、ちょっと笑える話。まあ、どうしたってネクタイを締められない人って、いるもんです。

 ちょっと変わった飛び方としては、「午後の死 ある滑翔物語」がユニークだ。これは、グライダー競技に参加した時の体験談。同じ航空機とはいえ、なにせエンジンがないので、複葉機とは全く違う事に気を配らなきゃいけない。ある意味、「飛ぶ」事の身も蓋もない現実を、否応なしに突きつけてくる作品だ。

 社会に適応できないオタクが、愛する飛行機に巡り合って、幸せに暮らすお話。生きていくには稼がなきゃならないけど、稼いだ分は趣味につぎ込んだっていいじゃん、そんな気分にさせる、もしかしたらちょっと危険な本かも。

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2017年4月11日 (火)

アレックス・ヘイリー「プレイボーイ・インタビューズ」中央アート出版社 マレー・フィッシャー編 住友進訳 2

ヘイリー:弁護士に医学の心得は不可欠なものなのですか?
ベリー:絶対に必要です。
  ――メルヴィン・ベリー

 アレックス・ヘイリー「プレイボーイ・インタビューズ」中央アート出版社 マレー・フィッシャー編 住友進訳 1 から続く。

【メルヴィン・ベリー】

 個人傷害保険や医療事故などの訴訟で保険会社などから恐れられ、マスコミからも注目を集めた弁護士。ケネディ暗殺犯オズワルドを殺したジャック・ルビーの弁護が有名。有罪判決が気に入らなかったためか、散々にダラスを貶している。保守的なテキサスの中でも更に酷い、と。

 生い立ちを語る所で、若い頃に政府調査官の職に就いた話が凄い。なんと浮浪者と共に暮らし、彼らが勘新を持っていること、望んでいることを調べるのだ。目的は浮浪者救済策を手引を作ること。アメリカって国は、そこまでやるんだなあ。

【ジョージ・リンカーン・ロックウェル】

 ある意味、この本で最もエキサイティングなインタビュー。なんたってアメリカ・ナチ党総統だ。

 こんな、平然と人種差別やユダヤ人弾圧を主張する奴のインタビューを取り付けたってだけでも凄いのに、黒人でありながら一人で本部に向かい、あけすけな本音を語らせてるのも凄い。

 いきなり「ニガーは野生動物なんだ」とカマし、その後も平然とニガーを連発し、ユダヤ人への憎しみも隠さない。白人の優越性やユダヤ陰謀論を滔々と語り、その根拠をあげ、「証拠を送ってあげよう」といっているが、それに対し編集部がいちいち「証拠は届いていない」と註をつけてるのが笑える。

 遺伝学の優性・劣性を勘違いしてるのもお約束通り。浅沼稲次郎暗殺事件も、自分の部下がやったとか、もう無茶苦茶だ。これが単に口だけならともかく…

 ホロコースト生存者を乗せた船がイスラエルを目指す映画「栄光への脱出」上映を邪魔するため、上映を待つ群衆の真ん中に突っ込んだロックウェル一党、おもむろにコートを脱ぐと、その中は「ナチスの制服姿」。それでユダヤ人が怒ったのを見て、「ユダヤ人も愚かな振る舞いをする」。

 ナチスによるホロコーストはなかったと主張するロックウェルだが、彼が実行しようと望む政策は…。論理的な思考ができない典型的なトンデモさんなんだが、それなりに支持者がいて組織が運営できてるってのも信じられない現実。

 ところでアレックス・ヘイリー、100ドルは受けとれたんだろうか?

【サミー・デイヴィスJr.】

 前のロックウェルの正反対みたいな人で、この本に登場する中では最もカッコいい。

 サミー・デイヴィス・Jr、オジサン・オバサンには有名なエンタテナー。どこがカッコいいって、自分の欠点を隠さず、かといって僻みも開き直りもせず、素直に認めちゃってるのがカッコいい。

 『人から認められたいという熱望』がある、なんて問いに対し、アッサリと「おそらくその通りだと思うよ」と認め、観衆を楽しませる、いや熱狂させるため常に考えていると続ける。学校に行けず読み書きできなかったと認め、綴りを間違っちゃ恥ずかしい思いをしてると語る。

 ここまで率直に、怒りも恥ずかしがりもせず自らをさらけ出せる素直さが、やたらカッコいい。そんな彼が軍に入って本を読み始めたきっかけを語る所は、本好きなら感涙物のエピソード。売れ始めて散財し、借金が嵩んだ事についても…

「俺はそんなヘマなんて一度もしたことがない」と思うより、「そんなヘマもしたな」と思ってた方がずっといい。

 と、力まず受け入れてる。たぶん、気持ちが若くて、自分はもっと成長できると信じてるんだろうなあ。

 そんな彼の売れない頃のドサ周りの話はやたら悲惨だし、黒人だからと差別されたエピソードも多い。従軍した時は二度も鼻を折られてるし。にも関わらず、ここまでまっすぐな気持ちを持ち続けられるのは、なぜなんだろう?

黒人が実力によって判断される権利を獲得したということは、エンターテイナーとして、スターダムに登る権利だけでなく、“並み、及第、まあまあ、ぱっとしない”という評価を得る権利も獲得したってことだ。

 なんて言ってるように、実力を正当に評価されやすい芸能界で成功してるからなんだろうか?なんにせよ、とにかくカッコいい人なのだ。

【ジョニー・カーソン】

 TV番組「トゥナイト・ショー」の司会で有名な人。日本だとタモリのポジションかな?

 ジョークには型があって、使いまわしが効くってのは知らなかったなあ。大学で喜劇の論文を書いたってのも驚き。曰く…

当時演じられていた最高のコメディーを分析し、急所となる文句、オチの工夫、連発ギャグを構成する所作と台詞のテンポや演出の一連の流れなどを説明するため…

 と、コメディを分析して論文にしてる。アメリカじゃお笑いも真面目な研究の対象になるのか。お話を自動生成する人工知能なんて研究もあって、でも喜劇は難しいだろう、とか思ってたけど、案外とギャグににもパターンはあるのかも。

【ジム・ブラウン】

 アメリカン・フットボールの花形プレイヤーから俳優に転身し、活発な社会運動も始めた人。

 アメフト時代の話は、プロ・スポーツ界の物騒さがヒタヒタと伝わってくる。もともと球技だか格闘技だかわからん競技だけに、審判の目が届かない所じゃ大変な事が起きてるのがわかる。

 とはいえ、彼もモハメド・アリ同様に頭のいい人で、プレイ前には集中して戦略を練っているとか。そのせいで「周囲にとけこまない」と噂されちゃうんだけど。身体能力があれば一流のプレイヤーになれるが、超一流になるには賢くないといけないようだ。

 幼い頃は不良のボスとしてブイブイいわしてた人に相応しく、彼の社会運動の手段もユニークなもの。曰く…

暴動が起きないようにしたいなら、通りにいるチンピラであれ何であれ、暴動を起こす人間を牛耳っていられる人物が、プログラムを実施する資格がある人間だ。

 と、その地域のボスを味方につけろ、と説く。一見無茶なようだけど、占領軍が住民を掌握する際に使う手口も同じですね。そう考えると、当時のアメリカは内戦状態だったって事にもなるけど。問題は、どうやってボスを味方にするかって事だけど、そこは「もの凄い忍耐のいる仕事だ」と認めてる。

 結局のところは経済力だよね、としつつ、「ストリートを捨てて、教室、大学、図書館に入れ」と、その手法は王道そのもの。スポーツ選手が社会問題に携わる理由についても、実に説得力のある説明をしてくれる。酷い差別がある半面、こういう人が活発に活動できるのも、アメリカなんだよなあ。

【「ルーツ:血の交わり」】

 小説「ルーツ」の抜粋。語り手がクンタ・キンテからキッジーに交代する場面。

【アレックス・ヘイリー】

家族のひとりが社会で成功すると、まず自分の母国――それにその伝統や文化――を忘れ、新しい母国に自分を適合させていこうとするものなんだ。

 これはアレックス・ヘイリーが逆にインタビューを受ける側に回った記事。「ルーツ」創作にまつわる話が中心。作家が小説を書き上げるために、どれだけの事をやっているのか、その凄まじい手間と努力が恐ろしくなる記事。なんたって12年もかかってるし。

 加えて、締め切りを伸ばす秘技もありますぜw

【有名にならなければよかったと思う日もある】

 アレックス・ヘイリーによるエッセイ。有名になるとはどういう事かを、ユーモラスに語る。やたら親戚や友人が増えるのは想像通り。忙しさも相当なもので、肝心の「ルーツ」のドラマを見る暇すらなかったりするw

【クインシー・ジョーンズ】

ポップスの世界に入る決心もした。素晴らしい批評は書いてもらえても、レコードを買ってくれる人がいないジャズのプロデュースをするのは飽き飽きしていたからね。

 マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロデュースなどで知られる、大物ミュージシャン。日本ツアーの途中で倒れたエピソードは、読んでるこっちの背筋が寒くなる。無茶しやがって。「ウィー・アー・ザ・ワールド」製作秘話もチラリ。

【「回想のマルコムX」】

マルコムX「殉教者になる時が来た。だが、自分が死んだとしても、それは同胞たちのためなのだ」

 アレックス・ヘイリーによる、マルコムX追悼文にして、アレックス・ヘイリーが最後に発表した文章。当初、警戒感バリバリのマルコムXの心を、どうやって開いたのか。ジャーナリストとしいてのアレックス・ヘイリーの力量をうかがわせる文章。

【終わりに】

 激動の60年代に書かれたものが多く、また大半のインタビューで人種問題を扱っており、かなり政治的かつ刺激的な本だ。市民運動が活発なアメリカだけあって、運動のコツも少しだけわかる。机に向かって文書を書いてるだけじゃダメで、やっぱり街に出て体を動かし人に会うのが王道なんだろうなあ。

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2017年4月10日 (月)

アレックス・ヘイリー「プレイボーイ・インタビューズ」中央アート出版社 マレー・フィッシャー編 住友進訳 1

マイルス(・デイヴィス)はレポーターに喧嘩腰の態度を取ることで有名だった。そこで、この敵意を取り除こうと、彼(アレックス・ヘイリー)はマイルスの家にあるジムのリングに上がり、ボクシングのスパーリング・パートナーを二、三ラウンド務めた。
  ――イントロダクション by マレー・フィッシャー

【どんな本?】

 「マルコムX自伝」「ルーツ」で有名なアメリカの小説家・ジャーナリストのアレックス・ヘイリーが、月刊誌プレイボーイの目玉記事として行ったインタビューを中心に、「ルーツ」の抜粋やマルコムXへの哀悼を綴ったエッセイを加えたもの。

 マイルス・デイヴィス,サミー・デイヴィスJr,クインシー・ジョーンズなどの芸能人から、マルコムX,マーチン・ルーサー・キングJr. などの政治運動家、そしてヤンチャな男の子のヒーローであるモハメド・アリまで、アクの強い有名人がズラリと並ぶ豪華なメンバーが揃っている。

 それぞれの専門分野や、家族などプライベートに関する応答ばかりでなく、人種問題や政治信条への突っ込んだ質問も多く、緊張感あふれる応答が繰り広げられる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Alex Haley : The Playboy Interviews, 1993。日本語版は1998年7月31日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦二段組みで本文約431頁。9ポイント29字×24行×2段×431頁=約599,952字、400字詰め原稿用紙で約1,500枚。文庫本なら三冊分ぐらいの大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、登場する人物とその専門分野に詳しければ、更に楽しめる。

【構成は?】

 それぞれの章は独立しているので、好きな所だけを拾い読みしてもいい。

  • イントロダクション by マレー・フィッシャー
  • 1962年9月 プレイボーイ・インタビュー
    マイルス・デイヴィス
  • 1963年5月 プレイボーイ・インタビュー
    マルコムX
  • 1964年10月 プレイボーイ・インタビュー
    カシアス・クレイ(モハメド・アリ)
  • 1965年1月 プレイボーイ・インタビュー
    マーチン・ルーサー・キングJr.
  • 1965年6月 プレイボーイ・インタビュー
    メルヴィン・ベリー
  • 1966年4月 プレイボーイ・インタビュー
    ジョージ・リンカーン・ロックウェル
  • 1966年12月 プレイボーイ・インタビュー
    サミー・デイヴィスJr.
  • 1967年12月 プレイボーイ・インタビュー
    ジョニー・カーソン
  • 1968年2月 プレイボーイ・インタビュー
    ジム・ブラウン
  • 1976年10月 「ルーツ:血の交わり」
  • 1977年1月 プレイボーイ・インタビュー
    アレックス・ヘイリー
  • 「有名にならなければよかったと思う日もある
  • 1990年7月 プレイボーイ・インタビュー
    クインシー・ジョーンズ
  • 1992年7月 「回想のマルコムX」
  •  訳者あとがき

【全体の感想】

 1960年代の熱気が伝わってくる一冊。まさしく Rolling 60' だ。

 なんたって、インタビュー相手10人中、3人が殺されている。「死んでいる」のでは、ない。テロで殺されているのだ。しかも全て銃で殺されているのも、アメリカならでは。

 札付きのチンピラ白人に射ち殺されたマーティン・ルーサー・キングJr. も切ないが、マルコムX とジョージ・リンカーン・ロックウェルは更に悲しい。黒人のために闘ったマルコムXは、かつての師イライジャ・ムハマドの意を受けた手下に殺され、ジョージ・リンカーン・ロックウェルは元同志に殺されている。

 1960年代のアメリカ。平和運動家はベトナム撤退を求めパフォーマンスを繰り広げ、多くの黒人が抑圧と不平等に対し立ち上がって公民権運動が盛り上がり、と同時に夏の夜ともなれば都市の貧民居住区で暴動が起きた、熱く物騒な時代。

 今はイスラム原理主義者が起こすテロをニュースが騒いじゃいるが、半世紀前はアメリカ人同士が盛んに殺し合っていたのだ。野蛮さじゃどっこいどっこいじゃないか。

 などの時代の空気に加え、それぞれの専門分野での意外な面も覗けて、これがまた楽しい。

【マイルス・デイヴィス】

 演奏中、客を無視しているって言う奴もいるけどな。客が自分の目の前にいることぐらいわかってるさ。でも、演奏中は、自分のホーンをきちんと鳴らす方に気がいってるんだ。

 トップバッターは帝王マイルス。しかし帝王なんて御大層な二つ名とは逆に、音楽に対する姿勢は極めて禁欲的かつ求道的で、音楽が彼の人生を大きく支配していることが伝わってくる。人種問題では煽情的に恨みを吐き出すだけじゃなく…

レストランじゃ、黒人にサービスしなくても白人はへっちゃらな顔をしやがる。ところがどうだい、客がアメリカ人じゃなくアフリカの黒人だとわかるとそれまでとはガラリと態度を変えやがるんだ。

 これを読んで、私はやっとわかった。アメリカの人種問題は、単に肌の色だけの問題じゃない。奴隷を虐げた者の子孫として反撃を恐れる気持ち、おぞましい罪を認めたくない想いが、黒人への差別の根底にあるのがわかるエピソードだ。似たような構図は、この日本にもあるんだけどね。

  といった風に、白人への恨みを抱えているにも関わらず、音楽ではアレンジをギル・エバンスに任せ、「きちんとした演奏さえすれば、顔が緑色をしいていようが、赤い息を吐いていようが構わない」と啖呵を切り、徹底した能力主義を貫いている。音楽が彼の神で、彼はその司祭なんだろうなあ。

【マルコムX】

 人種問題では武闘派の代表格とされるマルコムX。彼は大きく分けて三つの時期がある。チンピラだった少年時代、イライジャ・ムハマドに帰依しブラック・モスレムの中で頭角を現した時代、そして正統派ムスリムとなり穏健な方向に舵を切った晩年。

 このインタビューは、ブラック・モスレムの幹部としてイライジャ・ムハマドへの右腕と呼ばれた頃に行われたもの。皮肉なことに、このインタビュウが契機となりマルコムXの知名度が増し、その台頭を恐れたイライジャ・ムハマドから睨まれてしまう。

 ブラック・モスレムの教義はカルトなんだが、黒人にウケた理由はわかる。中でも、黒人は高潔で優秀だが白人は卑怯で劣悪って主張は、多くの黒人に誇りを与えただろう。さすがに「ベートーヴェンも黒人だ」はどうかと思うけど。

 が、実際に取っている手段は、極めて現実的で効果がありそう、と思わせるもの。まず経済力だと主張し、「黒人が自ら土地を所有しなくてはならない」ときた。そりゃ白人は彼を憎むだろう。権力の本質を見事に捉えているんだから。

 インタビュウでは、何かと「イライジャ・ムハマド師によれば」と、師に心酔している姿を見せながらも、ヘイリーの鋭い突込みを軽くかわし自分の知るエピソードで鮮やかに切り返すあたりは、卓越した知性を伺わせる。ギャングのままでいたら、きっと大きな組織を率いてただろうなあ。

 ハッキリ敵と認識できる人種差別主義者の方が、心の底を見せない統合主義者よりマシ、なんて言っちゃうあたりも、政治運動家としての読みの深さが伝わってくる。政治運動の成否は、それを支える多くの大衆にかかっているんだから。

【カシアス・クレイ(モハメド・アリ)】

 ヘビー級ボクシングの印象を大きく変え、蝶のように舞いハチのように刺す華麗なファイト・スタイルもさることながら、それ以上に、派手なパフォーマンスと大口をたたく事で有名なチャンピオン。

 ボクサーという職業に加えスキャンダラスな言動が目立つので、いささかオツムの中はアレなんじゃ?

 なんて思ってたら、とんでもない。ボクシングをビジネスとして捉え、その世界で成功するにはどうすればいいか、充分に考え抜いた末に極めて戦略的に動いていたことがわかる。そういう点では、矢沢永吉とよく似ている。にしても、ソニー・リストン相手のイチビリはヒドいw

 加えて、リストンとの試合を自己分析する下りでは、「15ラウンドを全力で戦える奴なんてひとりもいないんだよ」から始まって、私のボクシングへの思い込みを綺麗に覆してくれた。そうだったのかあ。なんにせよ、私が思っていたよりはるかに賢い人だった。

【マーチン・ルーサー・キングJr.】

 黒人の地位向上に勤め凶弾に倒れた点ではマルコムXと同じながら、穏健派でもあり「いい子ちゃん」な印象が強いマーチン・ルーサー・キングJr.。

 この本の中では、他の人のキャラクターが強すぎる上に、彼の立場が社会運動家というより政治家に近いためか、ややおとなしげな感はある。が、自らの失敗をあけすけに語ったり、相手の戦術を分析したり、将来の目的を予測するあたりは、政治家としての鋭い観察眼をうかがわせる。例えば…

時間は善意の人間に建設的に利用されるより、邪悪な意思を持った人間に破壊的な方向で利用されている場合が多いように感じます。

 なんてのは、何かを変えようとする者が心得るべき重要な示唆だろう。実例として、南部の権力者の抵抗方法を挙げているのが、更に説得力を持たせている。

 当時は武闘派のマルコムXと対立していたにも関わらず、「権力集団が自ら特権を放棄することはない」とか「アフリカの“兄弟”の間に親密な感情を培」おうとしたり、幾つかの点でマルコムXと同じ見解を示しているのが面白い。

 特に驚いたのは、リベラルな北部と保守的な南部を比べるくだり。現実を直視せざるを得ない南部に対し、北部は抽象的に考える傾向があり、「本当に根の深い偏見や差別は、隠され、巧妙に取り繕われている」なんてあたりは、マルコムXの差別主義者/統合主義者の見解にとても近い。

 南部中心に活動したキング牧師と、北部の都市を中心に闘ったマルコムXの双方が、南北の違いを同じように分析していたのは、偶然じゃないだろう。両者がタッグを組んでいたら…と、つくづく考えてしまう。

【終わりに】

 熱中して書いてたら、無駄に長くなってしまった。次の記事に続きます。

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2017年3月12日 (日)

ジョーゼフ・キャンベル「千の顔を持つ英雄 上・下」ハヤカワ文庫NF 倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳

本書の目的は、(略)宗教上の人物や神話に出てくる人物の姿に形を変えられてしまった真実を、明らかにすることである。
  ――1949年版序文

夢は個人に属する神話で、神話は個人を排した夢である。
  ――プロローグ モノミス 神話の原形 1.神話と夢

神話は、伝記や歴史、宇宙論として誤読されている心理学なのである。
  ――第二部 宇宙創成の円環 第一章 流出 1.心理学から形而上学へ

【どんな本?】

 テセウスやギルガメシュなどの英雄の冒険、オルフェウスやイザナギの冥界行きなど、世界の神話や英雄物語には、幾つかの似たパターンがある。それは、人間の深層心理を表しているのではないか?

 ギリシャ神話・北欧神話・聖書・仏典など有名なものから、アルジェリアのヨルバ族・ニュージーランドのマオリ族・アメリカのブラックフット族などマニアックな民話まで広くかき集め、その共通点を洗い出した上で、フロイトやユングの精神分析の手法によって解析し、これらの物語が示す真実を明るみに出そうとする、神話学の古典である。

 と同時に、ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズに大きな影響を与えたエピソードで有名なように、「面白い物語」の構造を示す、クリエイターのアンチョコでもある。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Hero With a Thousand Faces, by Joseph Campbell, 1949。私が読んだ日本語版は2015年12月25日発行のハヤカワ文庫NFの新訳版。それ以前だと、遅くとも1984年1月に人文書院から単行本が出ている。

 文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約275頁+279頁=約554頁に加え、風野春樹による解説6頁。9ポイント41字×18行×(275頁+279頁)=約408,852字、400字詰め原稿用紙で約1,023枚。上下巻としては標準的な分量。

 ズバリ、かなり読みにくい。特に著者が持論を展開する部分は、表現が曖昧模糊として掴みどころがないし、論理の進め方も矛盾してたり飛躍してたり。

 ただし、各地の神話や伝説を語る所は、けっこうわかりやすい。やっぱり論理の飛躍や矛盾が多いのだが、神話や伝説ってのは、物語として頭に入りやすい構造になっているんだと思う。

【構成は?】

 手っ取り早く全体を掴みたい人は、「プロローグ モノミス 神話の原形」だけ読めばいい。相当に歯ごたえがあるけど。

 先に書いたように、キャンベルが自説を披露する部分は難しいが、そこで紹介している各地の神話・伝説・民話は、わかりやすくて楽しい。いっそ神話・伝説・民話の所だけを拾い読みしてもいいだろう。

 贅沢を言うと、神話やその登場人物の索引が欲しかった。

  •    上巻
  • 1949年版序文
  • プロローグ モノミス 神話の原形
    • 1 神話と夢
    • 2 悲劇と喜劇
    • 3 英雄と神
    • 4 世界のへそ
  • 第一部 英雄の旅
    • 第一章 出立
      • 1 冒険への召命
      • 2 召命拒否
      • 3 自然を超越した力の助け
      • 4 最初の教会を越える
      • 5 クジラの腹の中
    • 第二章 イニシエーション
      • 1 試練の道
      • 2 女神との遭遇
      • 3 誘惑する女
      • 4 父親との一体化
      • 5 神格化
      • 6 究極の恵み
  • 謝辞/原注/図版リスト
  •    下巻
  • 第一部 英雄の旅(承前)
    • 第三章 帰還
      • 1 帰還の拒絶
      • 2 魔術による逃走
      • 3 外からの救出
      • 4 期間の境界越え
      • 5 二つの世界の導師
      • 6 生きる自由
    • 第四章 鍵
  • 第二部 宇宙創成の円環
    • 第一章 流出
      • 1 心理学から形而上学へ
      • 2 普遍の円環
      • 3 虚空から 空間
      • 4 空間の内部で 生命
      • 5 一つから多数へ
      • 6 世界創造の民話
    • 第二章 処女出産
      • 1 母なる宇宙
      • 2 運命の母体
      • 3 救世主を孕む子宮
      • 4 処女母の民話
    • 第三章 英雄の変貌
      • 1 原初の英雄と人間
      • 2 人間英雄の幼児期
      • 3 戦士としての英雄
      • 4 恋人としての英雄
      • 5 皇帝や専制君主としての英雄
      • 6 世界を救う者としての英雄
      • 7 聖者としての英雄
      • 8 英雄の離別
    • 第四章 消滅
      • 1 小宇宙の終末
      • 2 大宇宙の終末
  • エピローグ 神話と社会
    • 1 姿を変えるもの
    • 2 神話、カルト、瞑想の機能
    • 3 現代の英雄
  • 謝辞/解説/原注/図版リスト/参考文献

【感想は?】

 読者の厨二病の進み具合がわかる本。

  1. ワケわかんねえ:陰性です。厨二病の心配はありません。
  2. 神話とか精神分析とか、なんかカッコいいじゃん:軽い厨二病の気があります。
  3. ケッ、今どき精神分析かよ:やや厨二病をこじらせつつあります。
  4. うをを、『マビノギオン』キターッ!!:かなり厨二病がこじれています。手遅れかもしれません。

 正直言って、私は精神分析を信じていない。だから序文でいきなりフロイトの名が出てきた時、「こりゃ地雷か?」と思った。が、こんな事を言われたら、なんか気になるじゃないか。

『ヴェーダ』にはこうある。「真実はひとつ。賢人はそれにたくさんの名前をつけて語る」

 で、読み進めていくと、ヴェーダに始まりアポリジニの儀式やテセウスとミノタウロスやブッダの瞑想など、その手の怪しげなモノが好きな人にはたまらんネタが、次から次へと出てくる。しかも、「様々な神話・伝説・民話を比べてみよう」ってテーマなので、自分が知っている物語と比べ始めると、妄想が走り出して止まらない。おかげで、なかなか頁がめくれなかったり。

 例えばテセウス(→Wikipedia)の冒険はスサノオの八岐大蛇退治っぽい、なんてのから始まって。

 メラネシアのト・カビナナとト・カルヴヴの兄弟の話は、舌切り雀や花咲爺さんと似てる。ト・カビナナがココナッツの実を投げると美女になり、ト・カルヴヴが投げると不細工になる。ト・カビナナが魚の木彫りを海に放すと、獲物を浜に追い込んでくれるが、ト・カルヴヴが真似をするとサメになって魚を食べてしまう。いじわる爺さんだな、ト・カルヴヴ。

 やはりピンとくるのが、ロシアの森に棲む魔女。毛深いけど美人で、森に迷い込んだ旅人を死ぬまで躍らせたりとイタズラもするけど、里の若者と結婚することもある。ただし夫が約束をやぶると「跡形もなく姿を消してしまう」。まるきし雪女か夕鶴か。

 イザナギの冥界行きなど日本の神話も調べてて、ちょっとした疑問が解けたのも嬉しい。私が知ってる他の神話だと、太陽神はたいてい男なんだが、天照大神は女だ。これ珍しいよねと思ってたんだが、やっぱり珍しいようだ。

男神ではなく、女神としての太陽のモチーフは希少であり、古代から広まっていた神話的状況の貴重な生き残りと言える。アラビア半島南部の大母神は、イラートという太陽の女神である。

 どうやらアポロンより古い世代の神話らしい。

アマテラスは、楔形文字で神殿の粘土板に記された古代シュメール神話において最高位の女神とされる大イナンナ(→Wikipedia)の、東洋における姉妹の一人

 と、古式ゆかしい神なのだ。だがそのイナンナ、西に進むとアスタルテ(→Wikipedia)を介してヨーロッパじゃ悪魔アスタロト(→Wikipedia)になってしまうから納得いかない。

 色で方向を表すのも世界各地にあるようで、私が知ってるのは中国の四神(→Wikipedia)で東:青龍,南:朱雀,西:白虎,北:玄武だけど、ナヴァホ族は東:白,南:青,西:黄,北:黒になり、西アフリカのヨルバランドの神エシュの帽子だと東:赤,南:白,西:緑,北:黒となる。色と方向の関係づけと共に、ヒトが認識する色の基本が白・黒・青・赤・黄・緑らしいのが見えてくる。

 など遠くに住む見知らぬ民族ばかりでなく、仏典も漁っているようで、ブッダのエピソードもアチコチに出てくるんだが、どうも私が知ってる話とだいぶ違う。というのも、私が知っているブッダの話には神様がほとんど出てこないのだが、この本の挿話じゃヒンズー教の神様がズラズラと出てくるのだ。

 タイやカンボジアの仏教ってなんか違うよな、と思ってたが、聖典そのものが全く違うのかも。とか言っちゃいるが、日本の仏教の聖典がどうなってるのかすら、私は全く知らないんだけど←をい

 そんなわけで、スターウォーズを読み解く鍵とするもよし、厨二な物語を作る際に使う固有名詞のネタに使うもよし、物語構成の参考にするもよし。それより何より、諸星大二郎や柴田勝家が好きな人は、とりあえず読んでおこう。

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2017年1月 2日 (月)

ブルース・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス「独裁者のためのハンドブック」亜紀書房 四本健二&浅野宣之訳

…指導者というものは、権力を握り、権力者の地位を守るという目的を達成するためなら何でもする。
  ――日本語版へのはしがき

…小さな盟友集団を頼みとする支配者はより専制的な支配に、大きな盟友集団を頼みとする支配者はより民主的な支配に傾く傾向がある。
  ――訳者まえがき

利害を持っているのは、「国家」ではなくて「人」である。
  ――序章 支配者を支配するルール

権力の頂点にのし上がるために必要な能力と、それを維持するために必要な能力は、まったく違う。また、権力の座で生き残るための支配と「より良い」支配を行うための能力の間にさえ、共通点はないのが常である。
  ――第3章 権力の維持 見方も敵も利用せよ

金になる資源を持つ国は、そうした資源を持たない国よりも制度的にうまく統治されないという、しばしば「資源の呪い」と呼ばれる現象が起こる。経済成長を伴わない資源産出国は、内戦が起こりやすく、資源の乏しい国よりも独裁的になる。
  ――第4章 財政 貧しき者から奪い、富める者には与えよ

【どんな本?】

 スターリンは最後まで巧くやったのに、なぜゴルバチョフは失脚したのか。多額の援助が送り込まれるアフリカは、なぜいつまでも貧しいままなのか。パキスタン政府は、なぜビン・ラディンを匿ったのか。独裁的な国家において、往々にしてマイノリティー出身の閣僚がいるのはなぜか。エジプトのムバラクは、なぜ失脚したのか。FIFAやIOCから腐敗を一掃する方法はあるのか。

 今も昔も、世界には独裁者が君臨する国があり、その多くで国民は貧しく飢えている。それは、その方が独裁者に都合がいいからだ。地震や津波などの災害でも、専制的な国は国民を見捨てる。どころか、他国からの支援を断ることさえある。なぜそんな非業な真似をするのだろう?

 著者は主張する。独裁的な国も民主的な国も、権力者の目的は同じであり、従っているルールも同じだ。違うのは、権力者が置かれた状況であり、ゲームバランスが違うだけだ、と。

 では、彼らはどんなルールに従っているのか。どうすれば独裁者として君臨できるのか。独裁者に都合がいいのは、どんなゲームバランスなのか。

 国際政治学者が、自ら唱えた権力支持基盤理論を元に、過去現在の独裁的な政治体制と民主的な政治体制を比べ、独裁者が権力を維持する秘訣を明らかにし、その結果として打ち出される政策の裏にある法則を明らかにしながら、逆に独裁者を倒す方法や、企業や委員会などの組織の腐敗を防ぐ手立てを探る、一般向けの刺激的な政治学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Dictator's Handbook : Why Bad Behavior is Almost Always Good Politics, by Bruce Bueno de Mesquita & Alastair Smith, 2011。日本語版は2013年11月21日第1刷発行。私が読んだのは2014年1月6日発行の第2刷。

 単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約329頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント45字×19行×329頁=約281,295字、400字詰め原稿用紙で約704枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。国際政治学と聞くと難しそうだし、ところどころに二重否定などのまわりくどい表現もあるが、たいていは何度か異なった表現で繰り返し説明しているので、思ったよりとっつきやすい。

 世界各国の指導者や政策が例として出てくるが、国際情勢に疎くても大丈夫。ソコはどんな国でどんな状況でどんな指導者がどんな政策をいつ打ち出したか、大ざっぱに説明しているので、知らなくてもだいたいの雰囲気は掴めるようになっている。

【構成は?】

 「訳者まえがき」が、とても巧く「独裁者のルール」をまとめているので、できれば最初に読もう。以降は、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • 日本語版へのはしがき/訳者まえがき
  • 序章 支配者を支配するルール
    • 一般市民の困惑
    • ベル市の底知れない憂鬱
    • イデオロギーでもなく、文化でもなく
    • 偉大な思想家の思い違い
    • 注目すべきはリーダーの利害と行動
  • 第1章 政治の原理 「金」と「仲間」をコントロールせよ
    • ルイ14世を支えたもの
    • あらゆる政治の土台となる三つの集団
    • 独裁と民主主義の間に境界はない
    • カギを握るのは「3D」のサイズ
    • 支持者は金でつなぎとめる
    • 搾りとった税金の使い道は
    • 裏切られる前に切り捨てる
    • 独裁者のための五つのルール
    • 民主主義国家にもルールは通用する
  • 第2章 権力の掌握 破綻・死・混乱というチャンスを逃すな
    • 独裁者の理想のスローガン
    • 現リーダーを排除する三つの方法
    • 「善」は急げ
    • 金の切れ目が縁の切れ目
    • リーダーの死は絶好のチャンス
    • 生きていることが最大のアドバンテージ
    • オスマン帝国の「兄弟殺害法」
    • 財政破綻を逆手にとったロシア革命
    • 沈黙は金である
    • ゴルバチョフが陥ったジレンマ
    • 民主国家で権力を握るには
    • 民主国家における世襲
    • アトリーがチャーチルに勝利できた理由
    • 盟友集団の力学
    • ドウ曹長の末路
  • 第3章 権力の維持 味方も敵も利用せよ
    • ヒューレット・パッカードの政治事情
    • フィオリーナの改革と失墜
    • ビジネスの正解が政治的失敗に
    • アドバイザーを粛清して権力を固めたフセイン
    • 盟友集団を不安定にしておく
    • 功労者でも躊躇なく粛清する
    • 民主主義者は天使か
    • 「票が値下がり 一山いくら」
    • リーダーが生き残れる確率
  • 第4章 財政 貧しき者から奪い、富める者には与えよ
    • 金の流れを掴め
    • 理想の税率
    • 国を豊かにしてはいけない
    • どれだけ、どのように搾り取るか
    • 石油は「悪魔の排泄物」
    • 借金を返すのは次のリーダー
    • 債務は削減すべきか?
  • 第5章 公共事業 汚く集めて、きれいに使え
    • リーダーの地位を保証する公共財
    • 優れたリーダーに市民意識はない
    • 高等教育という潜在的脅威
    • 国の豊かさは子どもを救うか?
    • 水と政治体制の関係
    • その道路は誰のため?
    • 公共の利益のための公共財
    • 地震からの復興と政治体制
    • 公共財の整備はリーダーを長生きさせる
  • 第6章 賄賂と腐敗 見返りをバラ撒いて立場を強化せよ
    • 腐敗はリーダーを力づける
    • 成功するリーダーは汚れ仕事を厭わない
    • 私的な見返りのコストパフォーマンス
    • 娯楽と金を追及するIOC
    • オリンピックは一票10万ドル、ワールドカップは80万ドル
    • 善行は万死に値する
    • 盟友が常に味方だと思うな
    • 私腹を肥やすか、人々に施すか
    • 国庫の金をうまく使ったフセイン
    • 腐敗した民主主義者、高潔な独裁者
  • 第7章 海外援助 自国に有利な政策を買い取れ
    • 海外援助の政治的論理
    • 援助が人々を苦しめたケニア
    • 海外援助の損得勘定
    • 高くついたアメリカの中東政策
    • 貧困を救わない援助をなぜ続けるか
    • 「病院が患者を殺す」のか
    • 海外援助を効果的にするために
    • 評価基準は「比較優位性」
    • 災害援助は誰のふところに入る?
    • 目的達成の報酬としての援助
    • 「貧しい国は助けたいが、自腹は切りたくない」
  • 第8章 反乱防止 民衆は生かさず殺さずにせよ
    • 抗うべきか、抗わざるべきか
    • 大衆運動の芽を摘み取れ
    • 民主国家における反乱と独裁国家における反乱
    • 反乱の引き金
    • 災害というチャンスに何をすべきか
    • ビルマの「理想的な」独裁政治
    • パワー・トゥ・ザ・ピープル
    • しぶしぶ民主主義国となったガーナ
    • 経済崩壊が革命のチャンス
  • 第9章 安全保障 軍隊で国内外の敵から身を守れ
    • 「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」
    • 「六日間戦争」の損得勘定
    • 民主国家が奮闘する条件
    • 湾岸戦争という政治的サバイバル劇
    • 独裁国家は勝敗に鈍感
    • 兵士一人を救うために軍隊を投入する
    • 民主国家の本音
    • 民主国家が戦争を仕掛けるとき
  • 第10章 民主化への決断 リーダーは何をなすべきか
    • 今の苦境は変えられる
    • 曲げられないルール
    • 盟友集団は縮小すべきか拡大すべきか
    • 盟友が民衆と手を結ぶ前に
    • グリーン・ペイ・パッカーズの教訓
    • 民主主義を定着させる
    • 移民の効果
    • 苦難を終わらせる変革のために
    • 民主化を目指す動機
    • 「自由で公正な選挙」 偽りの自由
  • 謝辞/訳者あとがき/人名・事項索引

【感想は?】

 かなり単純化し、割り切った理屈に沿って書いた本だ。しかも、その理屈が実に実もふたもない。

 理屈の原則は経済学と同じだ。「人は誰でも利に従う」。なんとも殺伐とした世界観だし、そういうのが嫌いな人には向かない。そもそも権力なんて綺麗事じゃ済まないよね、と考える人向き。

 この理屈だと、福祉予算を削る右派政党が貧乏人に人気がある理由を説明できないと思うでしょ? でも、よく読むと、回りくどいながらも、うっすらと理由が見える仕掛けになっている。この辺は「選挙の経済学」にも少し説明があったが、この本ではIOCとFIFAや、中東戦争のイスラエル軍とエジプト軍の例で説明している。

 人はカネで転ぶ。大金なら、より転びやすい。あなた、幾らなら選挙権を売ります?

 有権者が多い大都市だと、買収は難しい。軍資金は限られている。一億円あっても、有権者が十万人いたら、うち半分を買収するにしても、一人当たりせいぜい二千円しか配れない。これで転ぶ人は少ないだろう。

 でも有権者が少なければ、一票の価値はグンと高くなる。IOCで開催地を獲得するには、理事のうち58票を得ればいい。とすると、一億円あれば一人頭約170万円を配れる。FIFAの理事は24人なので、必要な13票を得るには一人約770万円。実際にはもう一~二桁多いんだけど。

 報酬が少なければ、人は買収に応じない。日本の国会議員選挙じゃ、一票の価値は軽い。貧しい人にとって、そりゃ福祉などは魅力的かもしれないが、自分に大きな利益があるとは思えない。それより、家族観や歴史観や国家観が似てる人を応援したほうが、気分がいい。

加えて右派の政治家は演説が上手だと思う。学のない人にもわかりやすい話を、親しみやすい言葉遣いで語りかけてくる。おまけに地元のイベントやお祭りに足蹴く通い、名前と顔を覚えてもらう努力を惜しまない。こういった姿勢はリベラルや左派も見習って欲しい。

 そう、この本のキモは、「一票の価値」にある。

 独裁者も、本当に一人じゃ支配はできない。取りまきが要るのだ。いかに取りまきをつなぎとめるかが、独裁者の運命を決める。

 適切な選挙が行われる場合、取りまきとは有権者になる。日本のように議内閣制だと、第一党の過半数の票が必要で、だいたい全有権者の1/4以上の支持、約2500万票が要る。これを買収で賄うのは、まず無茶だろう。

 だが取り巻きが少なければ、話は違ってくる。軍の要人など10人の支持さえあれば権力を維持できるなら、買収は現実的だ。油田などの財源を押さえていれば、そこからあがる利益を山分けすればいい。国民? なにそれ美味しいの?

 だからサウド家は安泰で、エジプトのムバラクは失脚した。ムバラクはアメリカの支援から分け前を手下に分けていたが、アメリカが財布の紐を締めたために取り巻きが見捨てたのだ。対してサウド家は独自の財源=油田を持っているので、ヨソ者に頼る必要はない。

 今でも冷戦構造の名残は残っていて、特に軍の装備がわかりやすい。旧東側は戦車や戦闘機がロシア製だし、西側はアメリカ製が多い。西側には専制的な国もあれば民主的な国もあるのに対し、旧東側はみな専制的で、民主的な国はない。民主的な方向を目指すと、ウクライナのようにゴタゴタが起きる。

 これも「一票の価値」で説明できる。傀儡政権は専制的な方が安上がりなのだ。民主的な政権だと、多くの有権者を買収しなきゃいけないが、専制的なら独裁者にだけカネを渡せばいい。二千円じゃ買えない忠誠も、二億ドルなら違ってくる。断ったら、ライバルに同じ話を持ち掛ければいい。

 革命などで権力を奪った新しい支配者が、それまでの同志を粛清するのも同じ理屈だ。山分けするなら、仲間の数はなるべく少ない方がいい。盟友は同時にライバルでもある。伸びそうな芽は早めに摘め。だから独裁者はインフラや教育を放置する。インフラは成金を生み、教育はインテリを育てる。成金やインテリはライバルになりかねない。

 などの理屈を、エチオピアのハイレ・セラシエやビルマのタン・シュエなど、世界中の独裁者の陰惨なエピソードと、その裏にある力学をわかりやすく解き明かし、賢くなった気分になれるだけでなく、ヒューレット・パッカードの事例などで、「ビジネスにも応用できますよ」とそれとなく伝え、その気になって読めばいくらでも黒い応用が出来そうな、困った本だ。

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