カテゴリー「書評:ノンフィクション」の145件の記事

2019年6月 9日 (日)

セス・スティーヴンズ=ダヴィッドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」光文社 酒井泰介訳

よきデータサイエンスの方法はえてして直感的だが、結果は往々にして反直感的である。
  ――第1章 直感は裏切り者

ビッグデータ革命の勝負では、より多くのデータを集めるよりも、正しいデータを集めるほうが大切だ。
  ――第3章 何がデータになるのか 驚くべき新データの世界

ソーシャルメディア(SNS)上では、サーベイと同じく、真実を述べるインセンティブが働かない。
  ――第4章 秘められた検索

ビッグデータなら有意義な下位集団に絞り込んで人の性質について新たな洞察が得られる。
  ――第5章 絞り込みという強力な手法

「このデータで証券市況を予測できると思うかい?」
  ――第7章 できること、できないこと

本書の場合それは、社会科学は本物の科学になりつつあるということだ。
  ――結びに ここまで読み通した人は何人?

【どんな本?】

 Amazon で本を調べると、「よく一緒に購入されている商品」が出てくる。Twitter は、「おすすめユーザー」を教えてくれる。私が Youtube を開くと、70年代または70年代風のロックが「あなたへのおすすめ」にズラリと並ぶ。おかげで私はポール・ロジャースの歌声に不自由しない。ちなみにエッチなのは別のサイトで…いえ、なんでもない、ないったら!

 Amazon も Twitter も Youtube も、別に私の好みを知っているワケじゃない。知っているのは、今まで私が何を見たか、だ。そこから推測して、私の好みに合うものを薦めてくる。と言ってしまえば簡単だが、では、どうやって推測するんだろう?

 彼らは膨大な数の利用者を抱えている。その中には、私と好みが似ている人がいる。そこで、例えば Youtube なら、私に似た人が見ていて、私が見ていない動画を、私に薦めるのだ。

 似たような事を、Google や Facebook もやっている。私たち利用者が「どう使ったか」のデータを集め、より使いやすく、より楽しく使えるように、日々工夫しているのだ。だってたくさん使ってもらった方が儲かるし。

 と同時に、集まったデータの一部も公開している。例えば Google トレンド は、指定したキーワードが、いつ、どこから、どれぐらい検索されているかを教えてくれる。おお、津原泰水さん人気爆発してるなあ←記事を書いてる最中に遊ぶな

 いずれも、膨大なデータが集まったからこそ出来ることだ。また、インターネットが普及して多くの人が使っていること、そして大量のデータをコンピュータが処理できるようになったことも大きい。

 このような「ビッグデータ」は、私たちの意外な姿を明らかにしてくれる…場合も、ある。また、地域の治安や健康状態の向上にも役立つ。と同時に、使い方によっては困った事もできてしまう。

 ビッグデータとは何なのか。それで何ができて、何ができないのか。ビッグデータはどこにあるのか。どのように使うのか。そして、ビッグデータが暴き出した私たちの正体は、どんな姿をしているのか。それが何の役に立つのか。

 哲学と経済学を専攻した著者が、ビッグデータの基礎と面白話を集め、社会学の革命を目論む問題の書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は EVERYBODY LIES, by Seth STephens-Davidowitz, 2018。日本語版は2018年2月20日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約314頁。9.5ポイント42字×17行×314頁=約224,196字、400字詰め原稿用紙で約561枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も難しくないし、適度に野次馬根性を刺激するネタが入っているので、意外とスラスラ読める。社会学の本でこれほど楽しく読める本は珍しい。敢えて言えば、アメリカ人向けに書いているため、特にバスケットボールやアメリカンフトボールの例がピンとこないかも。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただし、終盤で明らかになるのだが、けっこう真面目かつ理論的な話もしていて、それの全体像をつかむには素直に頭から読んだ方がいい。

  • 序文 スティーブン・ピンカー
  • 序章 いま起きているビッグデータ革命
  • パートⅠ 
  • 第1章 直感は裏切り者
  • パートⅡ 
  • 第2章 夢判断は正しいか?
  • 第3章 何がデータになるのか 驚くべき新データの世界
  • 第4章 秘められた検索
  • 第5章 絞り込みという強力な手法
  • 第6章 世界中が実験室
  • パートⅢ 
  • 第7章 できること、できないこと
  • 第8章 やってはいけないこと
  • 結びに ここまで読み通した人は何人?
  • 謝辞/注

【感想は?】

 え? 社会学の本なの? 社会学って、こんなに楽しかったっけ?

 とか言い出したくなるぐらい、面白いネタがギッシリ詰まってる。その面白さには幾つかの種類があるんだが、その筆頭は書名にあるとおり、著者の研究が明らかにした人間の本性だ。

 これは序章に巧くネタを配置していて、私たちが興味を持ちそうなネタを軽く紹介してくれる。これは巧い構成だ。映画でいえば、最初に予告編を上映するような感じだ。特に、アクション映画の。

 アクション映画の予告編は、たいていが「これでもか!」というぐらいの爆発の連続だ。そこで「おお!」とは思うが、お話が繋がっていないので、いまいちピンとこない。「いったい、何がどうなってこんなシーンになるんだ?」と気になって、私たちは映画館に足を運ぶ。この本もそんな風に、序章で美味しそうなネタをチラリと見せて、本文へと私たちを誘う。

 で、本文を読むと、やはり期待にキッチリ応えて野次馬根性を満足させてくれる。

 例えば男がポルノを検索する際、女役の職業設定は何を好むのか。これを青年・壮年・高齢者で比べてるんだが、実に意外なのが不動の一位だw きっとこれはアメリカ特有の現象だと思うんだが、どうなんだろうね。どうでもいいけど私の趣味はかなり爺ムサい事もわかってしまった。いや私が惹かれるキーワードは年寄りにウケるんだ。

 こういうシモネタは、やっぱり読んでて楽しい。と同時に、上の例では、もう一つ意外な点が明らかになる。データのソース、ネタ元だ。上では Amazon, Twitter, Facebook, Google を例に出した。もちろん本書ではそれらも使っているが、ポルノの例では PornHub を使っている。ほんと、あらゆる所からデータを調達しているのだ。

 これはインターネットに限らない。例えばアメリカの分断をテーマとするところでは、書籍からデータを得ている。とはいっても、グーグルがスキャンして電子化したモノなんだけど。ここでは、調べ方も面白い。

 合衆国は英語じゃ United States になる。複数形だ。だから、理屈じゃ be 動詞は複数形の are が正しい。が、現在では主に単数形の is が使われる。実は、18世紀じゃ are が多かったのだ。もともと、それぞれ別々だった植民地=州政府が、独立戦争の際に手を組んだってのが成り立ちだし。それがいつの間にか is に変わった。つまり、州政府の連合って感覚から、USA という一つの国って感覚に変わったのだ。

 それがいつごろからなのかを調べるために、どうしたか。書籍の中に出てくる States are と States is の数を、年代別に数えたのだ。まあ、数えるったってヒトが数えるんじゃなくて、プログラムにやらせたんだろうけど。お陰で、意外なことがわかった。従来の歴史学者は「南北戦争の終わりごろ」と主張していたのだが…

 これは単純に数えただけで見当をつけた例だ。だが、書名「誰もが嘘をついている」とあるように、出て来た数字は素直に信用できないって話もいくつかある。その代表がアンケート調査だ。

 要はみんな見栄をはるのだ。そのため、アンケートだと選挙の投票率が高めに出るが、実際はそれより低い。特に性生活じゃ見栄をはる人が多い。例えば性交回数について、本書ではコンドームの消費量で検証している。他にも気になるのが同性愛者の割合。一般に保守的な地域ほど、アンケートで同性愛者だと答える者が少ない。

 いちおう、言い訳はできるのだ。同性愛者は進歩的な所に引っ越すから、と。対して、著者は巧みな方法で覆す。サンプルを高校生に絞るのである。大人なら引っ越せるが、高校生じゃそうはいかない。で、検証してみると、ご想像のとおり。こうやって本性をあぶりだす手口も、読んでいてとっても楽しい。

ちなみに「ネット炎上の研究」では、炎上に火をくべるイイナゴどもを「高年収・ラジオやSNSをよく使う・子持ちの若い男」との相関が強いとしている。が、私はこれを疑っている。だってソースがアンケート調査だし。

 と、そんな風に、ビッグデータを巧く使えばヒトの本性を暴けるのがわかってきた。当然、Google や Facebook も、手をこまねいて見ているわけじゃないよ、なんてのを終盤では明らかにしてくれる。もちろん、他の企業だってイロイロと…

 やっちゃあいるが、その限界も明らかにしているのが、いかにも学者らしい所。そこを書いているのが「第7章 できること、できないこと」。なんだけど、実はここ、多少の確率の素養がないと難しいかも。要は大数の法則なんだけどね。でも、いい加減なニュースに踊らされたいためにも、この章は時間をかけてじっくり読んでいただきたい。

 俗なネタで耳目を集め、ちゃんと野次馬根性は満足させた上で、キチンとその裏付けとなる理屈や手法もわかりやすく説明し、より広い応用の可能性を示して希望を持たせると共に危険性も警告し、また限界があるとも明言し、最後に大風呂敷を広げて「うおお!」と興奮させる、実に読んでて楽しい本だった。

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2019年6月 4日 (火)

マイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」文藝春秋 村上春樹訳

僕らはいったい何を引き継いだのだろう? そしてそれはどこからやってきたのだろう? それが問題なのだ。
  ――夢

「あいつがそばまで迫っていたんだ」
  ――第2部 黒い羊と、拒絶された息子 第4章 さすらいの年月

「母さん、大丈夫だよ」と彼(ゲイリー)は言った。「俺が自分を傷つけてほどには、誰にも俺を傷つけることはできないんだから」
  ――第5部 血の歴史 第1章 ターニング・ポイント

【どんな本?】

 1977年1月17日、アメリカ合衆国ユタ州で死刑が執行される。処刑されたのはゲイリー・ギルモア(→Wikipedia)、罪状は二件の殺人。幼い頃から犯罪を繰り返し、人生の半分以上を監獄で過ごした男の末路だった。当時のアメリカでは死刑廃止に向けて動きつつあった。しかしゲイリーは自ら死刑を望み、当時のアメリカに大きな議論を巻き起こす。

 著者はゲイリーの弟である。父フランク、母ベッシーの間には四人の男の子がいた。長男フランク・ジュニア、次男ゲイリー、三男ゲイレン、そして四男の著者マイケル。

 ゲイリーは殺人の科で死刑となり、その前にゲイレンは刺された怪我が元で亡くなっていた。彼ら呪われた一族はいかにして生まれ、どのように暮らしてきたのか。

 ローリングストーン誌などに寄稿し筆力を磨いた著者が、長兄フランク・ジュニアなどの協力を得て描き出した、壮絶な一家の愛憎の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Shot in the Heart, by Mikal Gilmore, 1994。日本語版は1996年10月15日第一刷。単行本ハードカバー縦二段組み本文約582頁に加え、訳者あとがき15頁。8.5ポイント25字×20行×2段×582頁=約582,000字、400字詰め原稿用紙で約1455枚。文庫本なら上中下の三巻ぐらいの大容量。今は文春文庫から上下巻で出ている。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、舞台の多くがアメリカの1940年代~1960年代なので、その頃の風俗を知っていると迫真感が増すかも。

【構成は?】

 ほぼ時系列で話が進むので、できれば頭から読んだ方がいい。

  • プロローグ
  • 第1部 モルモンの幽霊
  • 第1章 兄弟
  • 第2章 血の絆
  • 第3章 ジョーダン・レインの家
  • 第4章 アルタと死んだインディアン
  • 第2部 黒い羊と、拒絶された息子
  • 第1章 黒い羊
  • 第2章 拒絶された息子
  • 第3章 フェイの秘密
  • 第4章 さすらいの年月
  • 第5章 定着した一家
  • 第3部 兄弟
  • 第1章 見知らぬ者たち
  • 第2章 片隅の少年
  • 第3章 青春の暴走
  • 第4章 父との暮らし
  • 第4部 ある種の人々の死にざま
  • 第1章 兄たちの肖像
  • 第2章 丘の上の家
  • 第3章 あるセールスマンの死
  • 第4章 レクイエム
  • 第5章 武装強盗事件
  • 第6章 離散する家族
  • 第7章 それぞれの帰還
  • 第8章 反抗
  • 第9章 歩く死者
  • 第5部 血の歴史
  • 第1章 ターニング・ポイント
  • 第2章 高名なる殺人者
  • 第3章 最後の言葉
  • 第6部 涙の谷間に
  • 第1章 家族の最後
  • 第2章 新しい家庭、古い幽霊
  • 第3章 秘密と骨と
  • 第4章 故郷からの手紙
  • エピローグ 
  • 審判
  • 後記
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 愛と暴力のクロニクル。

 この一家の歴史を掘り起こすのは、かなり骨の折れる作業だったと思う。特に父親フランクの足跡を辿るのはひどく難しいし、最後まで明らかになっていない部分も多い。

 父フランク、ある意味じゃ才人なのだ。奇術は巧みだし、金儲けも巧い。だが過去は詳しく語らない。母ベッシーと結婚してしばらくの間は、なかなかに謎な暮らしを続ける。長い間アメリカ各地を巡る旅に出て、大金を稼いで帰ってくる。ここでピンときた人は、かなり鋭いか、または古い映画のファンだろう。

 母ベッシーはユタのモルモン教徒で、ご多分に漏れず子だくさんの大家族に育つ。いささか進歩的な気質はユタの風土に合わず、父フランクと出合い正体も知らずに結婚。

 次第にフランクの正体が明らかになるあたりは、そこらの小説の上を行く驚きの連続だ。それでも愛想をつかさないのは、女が一人で生きてくのが難しい時代背景もあるんだろうけど、ベッシーの気性の激しさも感じさせる。またユタ州とモルモン教の歴史、特に血生臭い部分を拾い上げていて、ここが読者の意見の分かれるところ。

 つまりモルモン教の影響を感じるか、違うんじゃないかと思うか。私はあまり関係ないと思った。いやソレ以外の要素が大きすぎるのだ。

 やがてベッシーも父フランクの正体を知り、彼が奇妙な旅を続ける理由も理解するようになる。だが子供が生まれ成長するに従い、家族揃っての定住を望むベッシーが出すアイデアは、暗い場面が続く本作の中じゃ珍しく大笑いが止まらないところ。しかも、それが巧くいっちゃうんだから世の中は分からない。改めて考えると、まっとうにやれば充分に良き紳士となれる資質があるんだよな、父フランク。

 ところが、家庭の外じゃともかく、家の中じゃ暴れまくるのだ、父フランクが。何かとケチをつけては妻や子供を痛めつける。ベッシーも黙っちゃおらずにやり返したり、ちゃぶ台返しカマしたり。にも関わらず、別れようとはしないんだから、家族の関係ってのはわからない。

 そういう家庭で育ったゲイリーとゲイレンは、お約束通りの不良街道まっしぐら。事件を起こす度に、父フランクとベッシーは駆けずり回り、弁護士を手配して有力者に嘆願書を出し、何とか丸く収めようとする。ゲイリーのご機嫌を取るために車を買い与えたりしてるあたりは、単に外面を気にしてるだけじゃなく、やっぱり息子が可愛いんだろうなあ、としみじみ感じてしまう。

 なら家族で喧嘩なんかしなけりゃいいじゃん、またはサッサと縁を切りゃいいじゃん、と思うんだが、そんな事を思いつきすらしない絆の強さがあるのだ、この家族は。が、暴力の嵐に包まれて育ったゲイリーは、どうしても社会に適応できない。

「俺が権威というものを憎むのは、そいつらが俺に、親父のことを思い出させるからだよ」
  ――第3部 兄弟 第1章 見知らぬ者たち

 そのワリを食っちゃったのが、長男のフランク・ジュニア。読んでいて、私はこの人が最も切なかった。幼い頃はゲイリーのトバッチリで折檻を食らい、長じては家族の尻ぬぐいに奔走する。にも関わらず、グレもせずひっそりと生き続ける。本質的に賢くて優しい人なのだ。学歴さえあれば、是非とも教師になってほしいタイプ。にも関わらず、彼は全く報われない。

「…俺は、なんとかできるだけ母さんの役に立とうと、心血を注いできたんだ。でもその見返りに俺がもらったのは、ただ憎しみだけだった」
  ――第6部 涙の谷間に 第3章 秘密と骨と

そのときこう思った。そんなに自分が大変な思いをしていても、親に相談することもできないんだなって……。
  ――第6部 涙の谷間に 第4章 故郷からの手紙

 もう一つ、フランク・ジュニアの悲しさを際立たせる一文がある。あまり目立たないんだが、母ベッシーが、末っ子のマイケルにこう語る所だ。

「私はせめてひとりの子供にだけはまともに育ってもらいたいんだよ」
  ――第4部 ある種の人々の死にざま 第8章 反抗

 おいおい、なんでフランク・ジュニアを勘定に入れない? 彼だってまっとうに生きてるじゃないか。もっとも、本書の多くがフランク・ジュニアの協力によるものなので、そういう部分はあるのかもしれない。

 なぜゲイリーのように歩く凶器のような人間が生まれるのか。その謎の一端を、この本は示していると思う。著者の傾向か、オカルトっぽい記述もあって、その解釈は読者次第だ。著者が自らのルーツと心の暗黒部に向き合い、血と涙を流しながらも真実を掘りあてようと足掻き、なんとかその一端を日の当たる場所に引きずり出した、痛みと悲しみの年代記。

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2019年5月16日 (木)

ポール・ブルーム「反共感論 社会はいかに判断を誤るか」白揚社 高橋洋訳

本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ。
  ――はじめに

…共感は、特定の個人ではなく統計的に見出される結果に対しては反応を示さない。
  ――第1章 他者の立場に身を置く

最善の結果は理性に依拠することで得られる。
  ――第1章 他者の立場に身を置く

…(共感は)焦点の狭さ、特定性、数的感覚の欠如という特質を持つがゆえに、自分の注意を惹くもの、人種の好みなどの影響をつねに受けている。私たちが少なくともある程度の公平さや公正さを保てるのは、共感の作用から免れ、規則や原理、あるいは費用対効果の計算に依拠した場合に限られる。
  ――第3章 善きことをなす

政治的議論は一般に、誰かに共感すべきか否かではなく、誰に共感すべきかに関して見解が分かれるのである。
  ――幕間Ⅰ 共感に基づく公共政策

他者を怒らせた自分の行為は、罪のないものであるか、強制されたものであり、自分を怒らせた他者の行為は、理不尽なものであるか、邪悪なものなのだ。
  ――第5章 暴力と残虐性

共感は私たちが戦争の恩恵を考慮するよう仕向ける。それを通じて被害者のために復讐し、危機に直面している人々を救い出させようとするのだ。それに対して戦争のコストは抽象的かつ統計的であり、しかもコストの大きな部分は、自分たちが気づかうことがなく、したがって共感の及ばない人にのしかかる。
  ――第5章 暴力と残虐性

【どんな本?】

 嫌な小話がある。

朝起きたばかりの、ぼおっとした頭で洗面台に向かった。歯ブラシを手に取って磨いていたんだが、様子がおかしい。洗面台が血だらけになっている。よく見ると、歯ブラシだと思っていたのはカミソリで…

 嫌な話を書きやがって、と思う人もいるだろう。共感とは、そういう事だ。他の人の痛みを、わがことのように感じること。ヒトには、そういう能力が備わっている。だから、苦しんでいる人を助けようとする。少しでも他人の苦しみを取り除こうと、お互いに助け合う。

 いいことじゃないか。

 ところが、著者はこう主張する。「本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ」。

 は? 何を考えている? 自分の利益だけを追求しろ、とでも? 心を捨ててマシンになり、合理性だけで生きていけ、と言いたいのか? 世界を弱肉強食のジャングルにしたいのか?

 違う。

 むしろ著者は互いに助け合い分かち合う世界を望んでいる。だが、そのためには、時として共感が邪魔になる、と言っているのだ。

 なぜ、そんなケッタイな理屈が成り立つのか。苦しむ者を助けようとして、何がいけないのか。それなら、私たちはどうしろというのか。

 挑発的な書名で読者を煽りつつ、ヒトの心の動きを解き明かし、より適切な判断と行動を促す、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Against Empathy : The Case for Rational Compassion, by Paul Bloom, 2016。日本語版は2018年2月26日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約284頁に加え、訳者あとがき8頁。9.5ポイント44字×18行×284頁=約224,928字、400字詰め原稿用紙で約563枚。文庫本なら普通の厚さだろう。

 文章はやや硬く、二重否定などの面倒くさい表現もある。が、落ち着いて読めば充分に意味はわかる。内容も特に難しくない。国語が得意なら、中学生でも充分に読みこなせるだろう。敢えて言えば、アメリカ人向けに書いた本なので、出てくる例もアメリカの話が多いってぐらい。ドナルド・トランプは共和党で保守系、バラク・オバマは民主党でリベラル、程度に知っていれば充分だろう。

【構成は?】

 「はじめに」に読み方のガイドがあるので、それに従おう。忙しい人は第1章だけを読めばいい。

  • はじめに
  • 第1章 他者の立場に身を置く
  • 第2章 共感を解剖する
  • 第3章 善きことをなす
  • 幕間Ⅰ 共感に基づく公共政策
  • 第4章 プライベートな領域
  • 幕間Ⅱ 道徳基盤としての共感
  • 第5章 暴力と残虐性
  • 第6章 理性の時代
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 本書の結論を私なりに解釈すると、こうなる。「落ち着け。そして収支を計算しろ」。

 何やら偉そうだが、誰だって多かれ少なかれやっている。例えば。子供は注射が嫌いだ。だが、たいていの親は、子供に予防接種を受けさせる。親として、子供に痛い思いをさせるのは嫌だ。でも、伝染病で死ぬよりは、注射で痛い思いをする方がマシだ。

 つまり、「子どもが痛がっている」という共感より、「将来の伝染病を防ぐ」という理性に従って行動する。その結果、一時的に子供は痛い思いをするが、その後は健やかに育つだろう。

 予防接種の例は、収支がわかりやすい。政府や自治体も教育と宣伝に力を入れるので、多くの人がその利害を知っている。

 だが、そうでない場合も多い。政治が絡む場合は、政党や派閥によって主張が違う。それでも政治の場合はまだマシで、両派が損益をめぐって論戦を繰り広げる。根気強く両派の主張を読み解けば、支持すべき意見を判断できる…かもしれない。

 もっと怖いのは、そもそも収支を無視している場合だ。本書では、こんな例を挙げる。

 10歳の少女シェリは難病にかかった。療法はあるが、順番待ちの列は長い。療法を受けるまで、シェリは痛みに苦しみ続ける。シェリを列に割り込ませるべきか?

 シェリの痛みに共感し、割り込ませろと考える人もいる。だが、その場合、割り込まれた他の人は、どうなるんだろう?

 著者が指摘する共感の欠点は、そこだ。「10歳の少女シェリ」なんて具体的な年齢や名前が出てくると、私たちはその人物像を思い浮かべる。だが、問いの中に、割り込まれる人の事は何も書いていない。だから、私たちは割り込まれる人の事を失念してしまう。シェリの利益は考えるが、割り込まれる名無しの損害は思い浮かべない。

 これが共感のやっかいな点の一つだ。問いの中に割り込まれる人の事も含めれば、名無しの損害を考える人も増えるだろう。だが、テレビのワイドショウや Twitter の140文字では、そこまで触れない。ひたすら視聴者やフォロワーの感情を刺激しようとする。だって、その方が数字が取れるし。

 また、共感には偏りがある。

 誰だって家族や恋人には強く共感するが、遠い地域のオッサンへの共感は少ない。ケニアのキクユ族の農家は更に少ないだろうし、北朝鮮の朴氏ともなれば敵意すら示すだろう。その人と自分との関係により、強くなったり弱くなったり、時として反転することだってある。

 しかも、共感が暴力を呼ぶことだってあるのだ。どころか、たいていの戦争は共感を利用して始まる。

 わかりやすいのがパレスチナ問題だろう。パレスチナ側はイスラエル軍に撃たれたパレスチナ人をアピールし、イスラエル側はハマスのロケットによる被害を報道官が発表する。お互いが自分を被害者だと主張し、人々の共感を勝ち取ろうと報道合戦を繰り広げる。

 共感には偏りがある。自分に近い者には強く共感し、異なる者への共感は少ない。これを巧みに利用すれば、人々を争いへと駆り立てることができる。イスラエルとパレスチナは極端な例だが、似たような図式は Twitter や匿名掲示板でしょっちゅう見かける。社会問題などに対し、○○派 vs ××派という対立構造に仕立て上げ、罵倒の応酬にしてしまうのだ。

 ネットでの泥試合ならたいした害はないが、法や条例を決める議会でやられたら、たまったものではない。

 では、どうしろと言うのか。著者の主張はこうだ。「最善の結果は理性に依拠することで得られる」。もっとくだけた言い方をするなら、こうだろう。「落ち着いて考えよう」。

 …とか書いてて、やっと気がついた。つまりはそれだけの本なのだ。思いやりがイカン、と言ってるんじゃない。少し落ち着いて、視野を広げて、問題の本質を見つめなおして、見落としがないか確かめて、費用対効果を計算して、もっといい案がないか検討しようよ、そういう事なのだ。

 なんだツマラン、と思う人もいるだろう。でも、ヒトは自分に何が見えないかには気づかないものだ。ソコを指摘してくれるという点では、ありがたい本でもある。

 とりあえず、政治家が具体的な個人の例を挙げて議会の空気を誘導しようとしている時は要注意、と私は考えるようになった。

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2019年5月 8日 (水)

デヴィッド・M・バス「『殺してやる』 止められない本能」柏書房 荒木文枝訳

殺人に魅了されるのはまったく筋が通っている――これは優れた生き残り戦略だからだ。
  ――第1章 殺人の長い歴史

アメリカで起きた殺人事件のうち、男性が犯人の割合は例年87%ぐらいである。殺人の被害者もほとんどが男性なのは意外かもしれない。年間の殺人被害者のうち男性が占める割合は平均75%である
  ――第2章 人間が手に入れた殺人戦略

わたしたちが直面するもっとも容赦ない競争は、好ましい伴侶を見つけてつなぎとめておくことだ。
  ――第3章 三角関係の悲惨な帰結

浮気する女性は他の男性への欲情のおもむくままに、浮気相手とセックスするタイミングを排卵に合わせるのに対して、連れ合いとのセックスは一番妊娠しにくい時期に合わせるのだ!
  ――第4章 愛と殺意の微妙な関係

社会経済的階層のトップにいる男性では、他の男性の子どもは2%にすぎない。中産階級では寝取られ率は12%に上がり、下層階級では20%に上がる。
  ――第4章 愛と殺意の微妙な関係

虐待、過剰な監視、隔離は、自らを傷つける関係に女性をつなぎとめるという非道な働きをするのである。
  ――第5章 夫や彼女を殺す女たち

この法律(テキサス州のベビー・モーゼス法)により、女性は生後一カ月未満の赤ん坊を消防署や救急ステーションに放置しても、何の詮索もされないのだ。
  ――第7章 殺し合う家族

アメリカでは一人またはそれ以上の代理の親――結婚による継親や、同じような役割を背負った者――と暮らす子どもは、実の父親と暮らす子どもに比べて、家庭内で殺される確率が40倍から100倍も高いのだ。
  ――第7章 殺し合う家族

【どんな本?】

 デーヴ・グロスマンは「戦争における[人殺し]の心理学」で、こう主張した。「敵と戦っている最中でも、敵を殺したがらない兵士は多い」と。だが、平和な世の中でも、殺人事件は起きている。実際に行動に移さないまでも、誰かを殺したいと考えた経験のある人は多い。逆に「このままでは殺される」と思った事もあるだろう。

 なぜ人殺しが絶えないのだろう? 著者は、こう主張する。「ヒトは殺意を抱くように進化した。生存競争の過程で、人殺しは有効な戦略だった」と。私たちには、人殺しの血が流れているのだ。

 では、どんな時に、どんな人が、どんな相手に殺意を抱くのだろうか。生存競争の上で、人殺しはどんな役割を果たしたのだろうか。映画やゲームの暴力描写が影響しているのだろうか。悲劇を避けるには、どうすればいいのだろうか。

 テキサス大学オースティン校の心理学部教授が、世界中から集めたアンケートや犯罪統計、そしてヤノマミ族など部族社会の研究結果を元に、ヒトが殺人に至る原因を明らかにした、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Murderer Next Door : Why the Mind Is Designed to Kill, by David M. Buss, 2005。日本語は2007年3月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約295頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント46字×19行×295頁=約257,830字、400字詰め原稿用紙で約645枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。敢えて言えば、アメリカ人向けに書かれた本なので、南部と北部の文化や風俗の違いを知っていた方がとっつきやすいかも。

【構成は?】

 刺激的な書名のわりに実は真面目な本なので、できれば頭から読んだ方がいい。が、困ったことに、美味しそうな所をつまみ食いしても、かなり楽しめてしまう。

  • 第1章 殺人の長い歴史
    愛する人が抱く殺意/意外な人が殺意を抱く/殺人に魅了される理由/殺すところを生々しく想像する/殺人の動機/人は昔から人を殺してきた/殺すメリットと殺されるリスク/進化が作り上げた防御手段/それでも殺人は起こる/殺人調査
  • 第2章 人間が手に入れた殺人戦略
    殺人に対するいくつかの誤解/統計から見た殺人/人が人を殺す理由/プロファイリングの不十分さ/誰もが殺意を抱いている/絞め殺すか、首をはねてやりたい/殺人の予行演習/殺しに至るまで/進化心理学で殺人の謎に迫る/殺人の恩恵/死んだ男はわが子を守りきれない/殺されないために進化した/チンパンジーも殺し合う/狙う者と狙われる者
  • 第3章 三角関係の悲惨な帰結
    憎い恋のライバル/恋人探しの激しい競争/誰でもいいわけではない/男と女の好みの違い/男が伴侶に求めるもののライバルを蹴落としたい女/男を駆り立てる女とは/男の暴力、女の暴力/暴力が女を惹き付ける
  • 第4章 愛と殺意の微妙な関係
    なぜ愛する人を殺してしまうのか/愛が殺意に変わるとき/愛が求められる理由/愛とは強い絆である/進化が用意した冷徹な戦略/生涯の愛を誓ったのに/優秀な遺伝子を得る/失恋の危険/寝取られる代償/寝取られ男の損失/彼女を心から愛している/伴侶を殺す男の条件/プレイメイトの血まみれの死体/彼女を取り戻したい/誰もがやりかねない伴侶殺し/女が感じる身の危険
  • 第5章 夫や彼女を殺す女たち
    女の動機/進化から見た虐待の理由/異常なまでに支配的な夫/自分を守るために刺した/殺さなければ逃げられない/拒絶された男/死に至るストーカー/レイプの深い傷/殺人とレイプの意外な関係/そいつの性器を撃ってやりたい/レイプによって失うもの/殺されたレイプ犯
  • 第6章 略奪愛の代償
    略奪愛 人間から昆虫まで/伴侶の奪い合い/略奪者の多様な戦術/どうして密通したいのか/危険な略奪愛/密通は歓迎されない/寝取られないよう用心しろ/殺人という解決法/男も女も凶暴である/彼は絶対に渡さない/死をもって復讐する/密通と殺される危険
  • 第7章 殺し合う家族
    不可解な子殺し/進化が子殺しをさせて来た/邪魔な子どもを殺す親/どうせ殺してしまうなら/「おまえなんか殺してやる」/子どもを殴り殺す継父/邪悪な継母の物語/継子殺しの心理回路/子どもによる殺人回避手段/虐待する継母/親を殺す子ども/殺すのは息子か娘か/兄弟姉妹が殺し合う/一族の名誉を守るために
  • 第8章 誇り高き殺人者
    高い地位が得をする/出世するための殺人/ライバルや上司の邪魔/侮辱された男/マッチョ/名誉の文化/性的評判に傷がつく/連続殺人犯も同様である/権力者の動機/大量殺人という戦略/殺人はもっとも効果的である
  • 第9章 どこにでもある殺意
    集団殺戮の原動力/殺しを進化させてきた人間/殺人はこれからも有効か/殺人者は待っている
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 読んでいる最中はもちろん、読み終えてからも、しばらくは胸の高まりが収まらなかった。

 とはいえ、いわゆる「面白い物語」を楽しんでいる時のトキメキとは違う。何か嫌な感じのする高まりだ。恐れか怒りかもしれない。

 そもそも、本書の主張からして、はなはだ物騒で面白くないモノだ。「ヒトには人殺しの本能が備わっている、殺した者がより多くの子孫を残せたからだ」なんて説なのだから。

 実に忌まわしい説だが、これを統計や実際の事件を根拠とした上に、進化上の生存競争を絡めて説得力の高い理屈で裏付けするから困る。この理屈、何が困ると言って。

 実は「ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち」なんて本がある。炎上の被害にあった人を調べた本だ。この本では「人前で恥をかかせるのは死刑より厳しい」みたいな事が書いてある。心に傷を負うのですね。そのため、炎上の被害者は、長く苦しむ羽目になる。ところが、恥があまり痛くない場合もあるのだ。例として、有名人の男が若い女とアレなナニしたのがバレた話が出ている。

 「ルポ」じゃ「性的な規範が変わった」みたいな解釈をしてた。が、この本の理屈の方が納得いく。極論すれば「ソレも男の甲斐性」みたいな理屈だ。現在の文明社会ならともかく、部族社会なら充分に通用する理屈なのだ。

 実のところ、部族社会は決して平和な社会じゃない。「文明と戦争」や「昨日までの社会」にもあるが、戦争も殺人も部族社会の方が遥かに多い。戦争の利得は幾つかあるが、その一つは女だ。

現在ヤノマミ族の女性の17%は、襲撃中に拉致されて妻となった者である。
  ――第9章 どこにでもある殺意

 進化とは、いかに自分の遺伝子を残すかの競争だ。女を奪って自分の子を産ませれば、自分の遺伝子が残る。だから邪魔な男を殺す。そういう理屈だ。

 戦争は他の部族との間の話だが、同じ部族の中でも睨み合いはある。若く健康な女は、将来たくさん子を産むだろう。そこで邪魔なライバルがいいるなら、蹴落としてしまえ。他の男のものになっていても、奪ってしまえばいいい。逆に、モノにした女がいても、他の男は常にスキを窺っている。下手にナメられたら奪われる。だから、常に睨みをきかせておけ。そういう本能を、進化の過程でヒトは育んできた。

…人――男女どちらも――は人前での侮辱を、男性の男らしさ、体力、精力、味方としての値打ち、性的侵害から女性を守る能力への挑戦とみなすものだ。応酬しなかったり、無視してやり過ごそうとしたりすれば、侮辱された男性は面目を失う。
  ――第8章 誇り高き殺人者

 メンツが潰れれば、弱者とみなされ、自分の遺伝子を遺せない。だから、恥で苦しむ。対して、若い女とヤったなんて醜聞は、道徳的には責められても、遺伝子を残すにはむしろ「巧くやった」事になる。そのため、社会的には痛手でも、本能の部分ではむしろ武勇伝になる。あまり痛く感じないのは、そういう事だろう。

 そんなわけで、殺しの本能は誰にでもあるって結論になる。実際、本書が扱う統計や実例の大半は、連続殺人犯ではない。「連続殺人犯は大々的に報道されるが、実際にはアメリカで起こった殺人事件の1~2%を占めるに過ぎない」。では何を扱うかというと、最も多いのが「痴情のもつれ」なのですね。次に家族間の殺人。これに「いかに自分の遺伝子を残すか」で説明をつけていくのが、本書。

 と書くと、本能を称えているかのようだが、もちろん違う。例えば、人種差別感情について、「第9章 どこにでもある殺意」で、こう理屈をつけている。

昔の人々は現代のような移動手段を持たなかったので、多かれ少なかれ自分に似た者にしか出会わなかった。(略)見た目が似ていないと、敵対的な意図を持つ可能性は偶然よりも高かった。(略)先祖の時代には、外国人嫌いは適応上筋が通っていたのだ。

 私たちのご先祖にとって、ヨソ者は物騒だった。だから、見慣れぬ者を警戒する本能が身についた。だが、現在は航空機や自動車がヒトの移動距離を伸ばしたし、多くの人が集まって住む都市も発達した。法や警察などの社会制度も整ってきた。お陰で、ヨソ者の危険は消えた。どころか…

実際の殺人の圧倒的多数は、同じ人種や民族間で起こっている。アメリカでは白人被害者の88%は白人に殺され、アフリカ系の被害者の94%はアフリカ系に殺される。

 なんてのが現状だ。まあ、社会的な分断があって、接触の機会が少ないってのもあるんだろうけど。

 などと、ここでは男による殺しを中心に紹介したけど、もちろん女による殺しの話も出てくる。また、お堅い話ばかりではなく、野次馬根性で面白い部分もたくさんある。というのも、「殺したい」と思った事はあるか?なんてアンケートを取っており、これの回答が豊富に載っていて、なかなか身につまされるのですね。

 そんなワケで、真面目に読んでも、野次馬根性で読んでも、実に刺激的な本だった。

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2019年4月22日 (月)

デヴィッド・ハジュー「有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代『悪書』狩り」岩波書店 小野耕世・中山ゆかり訳

ジャニス・ヴァロー・ウィンクルマン(ジャニス・ヴァロー)「私はそこには戻れなかったのです――死ぬほど怖かったんですよ。あの人たちが私になにをしたか、あなたは知らないんですか?」
  ――プロローグ

…スーパーマンは大恐慌を生きのびた者たちに直接話しかける。彼自身も他の星からの移民なのだ。
  ――第1章 社会なんかくそくらえ アメリカン・コミックス誕生

ジュールズ・ファイファー「その当時、俺たちのものだとほんとうに思えるものは、ほかになかった」
  ――第2章 金かせぎだったのさ コミックスのゴールド・ラッシュ時代

「見たかね? 絵によって何が可能かわかったかね?」
  ――第4章 若者が危ない カトリック教会の禁書リスト

「彼らがぼくらを利用しようとしているのだと思ったし、それが正しいことだとは思えなかった。そのことが、ぼくを相当に怒らせた。そしてそれ以後は、先生たちのことを以前とは同じように考えることは二度となくなってしまった」
  ――第7章 ウーファーとツイーター 大騒ぎは続く

「…子どもたちは、われわれがしようとしていたことをほんとうに気に入ってくれていた。それはこちらが彼らを子ども扱いしなかったからだと思う。というか、われわれ自身が実際には子どもだったんだな。まあ、だからこそわれわれは、子どもたちを見下したりしなかったわけだけど」
  ――第8章 ラブだ……ラブだ……ラブなんだ!! 花咲くロマンス・コミックス

「なぜなら、これは親たちの問題であって、子どもたちの問題ではないと思っていたからだ」
  ――第10章 頸静脈のなかのユーモア ゲインズとカーツマン、「マッド」創刊

ビル・ゲインズ「彼らは自分たち向けのコミックスが嫌いなのではない!」「君たち向けのコミックスが嫌いなのだ!」
  ――第13章 われわれは何を恐れているのか? 公聴会が開かれる

ビル・ゲインズ「私は今、そのホラーと犯罪もののコミックスのすべてを廃刊にする決心をしました。この決断は即時に実行されます」
  ――第14章 もう、うんざりなんだ! ゲインズは反撃したが……

…親たち(略)は、そのための解決策を必死に求め、そしてコミックブックがそのお格好のターゲットとなった。……なぜならコミックブックには、信頼に足る擁護者がいなかったからだ。
  ――第14章 もう、うんざりなんだ! ゲインズは反撃したが……

コミックスの題名に使われる言葉に関するフィッツパトリック法の規制が、もし他の書籍にも適用されることがあれば、ドフトエフスキーの『罪と罰』やソモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第二の性』も禁止されたことだろう。
  ――第15章 マーフィーの法則 コミックス・コードという自主検閲

チャールズ・F・マーフィー「だめだ。黒人を描くことはできない」
  ――第16章 受難は続く ゲインズが選んだ道

【どんな本?】

 スーパーマン,バットマン、キャプテン・アメリカ、スパイダーマン…。アメリカン・コミックスと聞けば、多くの人がヒーロー物を思い浮かべるだろう。そのアメリカン・コミックスは、19世紀末に新聞の日曜版のコミックに始まり、1950年代前半までは隆盛を誇る。だがコミックスの流行と共に反発も強まり、1954年の「コミックス・コード」制定に伴ない市場は崩壊、長い雌伏を強いられる。

 アメリカのコミックスはいかに始まったのか。それはどんな者たちがどのように作り、どんなところで売られ、誰が買って読んだのか。コミックスが描いたのはどんな内容で、何を売り物にし、売れ筋はどう移り変わったのか。そして「コミックス・コード」はどんな経緯で制定され、どんな規制がどんな形で行われたのか。

 コミック・コード制定と共に派手に飛び散ったEC社(→Wikipedia)を中心に、アメリカン・コミックの勃興と繁栄そして突然の没落を描く、20世紀のコミック黙示録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE TEN-CENT PLAGUE : The Great Comic-Book Scare and How It Changed America, by David Hajdu, 2008。日本語版は2012年5月24日第1刷発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約409頁に加え、小野耕世の訳者あとがき「アメリカのコミックブックとともに育って」12頁。9ポイント24字×21行×2段×409頁=約412,272字、400字詰め原稿用紙で約1,031枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、登場人物がやたらと多いので、できれば人名索引が欲しかった。当然ながら、アメリカン・コミックスに詳しい人ほど楽しめる。SF者の私はハリイ・ハリスンが顔を出したのが嬉しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列に話が進むので、できれば素直に頭から読んだ方がいい。

  • プロローグ
  • 第1章 社会なんかくそくらえ
    アメリカン・コミックス誕生
  • 第2章 金かせぎだったのさ
    コミックスのゴールド・ラッシュ時代
  • 第3章 犯罪はひきあう
    犯罪コミックス大躍進
  • 第4章 若者が危ない
    カトリック教会の禁書リスト
  • 第5章 血だまり
    コミックス弾劾の声
  • 第6章 では、ぼくらがなすべきことをしよう
    有害コミックスを燃やせ!

 

  • 第7章 ウーファーとツイーター
    大騒ぎは続く
  • 第8章 ラブだ……ラブだ……ラブなんだ!!
    花咲くロマンス・コミックス
  • 第9章 ニュートレンド
    ホラー・コミックスの大ブーム
  • 第10章 頸静脈のなかのユーモア
    ゲインズとカーツマン、「マッド」創刊
  • 第11章 パニック
    「マッド」の姉妹誌「パニック」
  • 第12章 ペイン博士の勝利
    ワーサムの新著「無垢なる者たちへの誘惑」

 

  • 第13章 われわれは何を恐れているのか?
    公聴会が開かれる
  • 第14章 もう、うんざりなんだ!
    ゲインズは反撃したが……
  • 第15章 マーフィーの法則
    コミックス・コードという自主検閲
  • 第16章 受難は続く
    ゲインズが選んだ道
  • エピローグ
  • 訳者あとがき アメリカのコミックブックとともに育って 小野耕世
  • 付録/原書註

【感想は?】

いかにも悪書狩りに焦点を当てたような書名だが、通して読むとだいぶ印象は違う。

 先に書いたように、アメリカン・コミックスの誕生から勃興と隆盛、そして1954年の崩壊に至るまでの歴史とする方が相応しいだろう。もちろん、崩壊の原因は悪書狩りだ。だから、コミックスを敵視する運動についても、その始まりから1954年の勝利まで、詳しく書いてある。

 そういう点では、コミックス平家物語といった趣もあったり。

 表紙でもだいたい想像がつくんだが、当時のアメリカン・コミックスは、私たちに馴染みのある日本の漫画とは、大きく違う。全頁がカラーで、頁数は16頁~32頁。一つのストーリーは8頁ぐらい。だから、2~4個ぐらいの別々のお話が入ってる。売り場も書店じゃない。ニューススタンドやドラッグストアだ。それが「1952年には、アメリカ合衆国では約五百タイトル」もあった。

 日本の漫画雑誌は、一つの雑誌に様々な傾向の作品が載っている。スポーツ物、ラブコメ、群像劇、冒険ファンタジイ、ギャグ、ホラー、ミステリ。でも、当時のアメリカン・コミックスは、傾向ごとに分かれていた。犯罪物、恋愛物、ホラー、ヒーロー物、戦争物など。「ONE PIECE」と「ぼくたちは勉強ができない」は、別のタイトルとして出るのだ。

 出版体制も全く違う。週刊少年ジャンプは「小説すばる」と同じ集英社が出している。が、当時のEC社はコミックス専門だ。日本じゃ漫画家は出版社と独立している。だがEC社は、社内に制作チームを抱えている。そうそう、日本の漫画家は一人で書く人もいるけど、アメリカン・コミックスは早いうちからスタジオ形式でチーム制作だ。それも、かなり細かく工程が分かれている。

 キャラクター・デザイン、ストーリー展開、レイアウト&下書き、主人公を描く人、脇役を描く人、背景を描く人、色を塗る人、文字を描く人。それぞれ別々の人が担当する。日本でも売れっ子の漫画家はキッチリと会社形式にしてるだろうけど、アメリカはかなり初期から分業体制だった。たぶん、これは、手のかかるカラーばっかりってのも原因なんだろう。

 しかも、EC社だと、社内で制作スタジオを持ってたりする。そのためか、ボスのビル・ゲインズの影響力がやたら強い。また、地理的にも、大半のコミックスの制作陣はニューヨークに集中してるのも特徴だろう。これが検閲に対する大きな弱点になる。というのも、ニューヨークで規制が強まれば、アメリカのコミックスが全滅してしまうからだ。

 1930年代から興隆に向かうコミックスだが、ハッキリ言って業界はどうにも節操がない。スーパーマンは流行れば続々と他のスーパーヒーロー物が後を追い、犯罪物が売れれば柳の下のドジョウが百近くも現れ、それが世間の顰蹙を買えば恋愛物に乗り換え、次にはドオギツさが売り物のホラーへと誰もがなびく。

 中でも酷いのが、「ザ・スピリット」。これががヒットすると、同じ制作陣にまるきしパクリの「ミッドナイト」を作らせるのだ。「ザ・スピリット」の作者ウィル・アイズナーに何かあった時の保険って理由だが、著作権にうるさい現在のアメリカからは考えられない話だ。

 新しいモノが流行れば、それに反発する者たちもいる。コミックスも例外じゃない。まして犯罪だのドギツいホラーだのを、派手なカラーで描けば、反射的におぞましく感じる人も出てくる。1940年に児童文学者ノスターリング・ノースが始めたコミックス批判は、第二次世界大戦後にカトリック教会が受け継ぎ、精神科医のフレデリック・ワーサムの著書「無垢なる者たちへの誘惑」として結実する。

 この動きに対しては、根拠の薄さや論理の破綻を本書内でもさんざんに指摘しているが、同時に冷静に話し合える雰囲気じゃなかったのも伝わってくる。まあ、現代日本でコミック規制を叫ぶ人たちも、話が通じないって点じゃ同じだけど。

 中でも泣いていいのか笑うべきなのかわかんないのが、12歳で首を吊って自殺したウィリアム・ベッカーの母親。息子は絶えずコミックブックを読んでいた、「私はコミックブックを見つけ次第、一冊残らず埋めていました」。いや子供だって自分の好きな物を否応なしに奪われたら絶望するだろ、と思うんだが、母親はそうは考えない。

 息子はコミックブックの真似をしたんだ、と言い張るし、陪審も「事故死と認定したが、コミックブックに責任があると認めた」。いったん悪役を割り振られたら、そのレッテルをはがすのは難しい。

 こういう人たちの考え方を最もよく表していると私が思うのは、コミックス・コードの一般規定パートAの第五条だ。

警察官、裁判官、政府官僚や尊敬されるべき機関が、これら既存の権威者たちに対する軽蔑を生み出すような手法で表されてはならない。

 権威には逆らうな、というわけだ。これを他ならぬアメリカ人が望むってのが腹立たしい。

 OK、じゃアメリカもイギリス国王ジョージ3世に逆らうべきじゃなかったよな。ルターは教会に歯向かうべきじゃなかったし、ジーザスはローマに頭を下げるべきだった。フランスはマキなんか組織してナチスと戦っちゃいけなかったし、1944年のワルシャワ蜂起もけしからんってわけだ。違うか? こういうのを望む人ってのは、ジョナサン・ハイトが言う「権威/転覆」に敏感な人たちなんだろう。

 すまん、興奮して本書の内容から外れてしまった。

 終盤ではコミック・コードが敷かれた後の悲惨な状況を描いてゆく。これはまさしく理不尽な検閲で、「審判の日」(→Wikipedia)をめぐるやり取りは狂気すら感じてしまう。

 アメリカン・コミックスの黎明期から勃興、そして規制による壊滅まで、膨大な資料と取材によって裏を取り、誠実に描いた歴史書と言っていい。単に世間の流れを追うだけでなく、コミック業界の内側にまで入り込み、その営業形態や制作体制に至るまで細かく書いているのも嬉しい。表現規制に興味があるなら、一度は読んでおこう。

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2019年4月11日 (木)

ジョーン・C・ウィリアムズ「アメリカを動かす『ホワイト・ワーキング・クラス』という人々」集英社 山田美明・井上大剛訳

本書では、アメリカ(およびヨーロッパ)が独断的なナショナリズムに向かう原因となっている階級間の認識の差を取り扱う。
  ――第1章 なぜ、階級の話をするのか?

『政府の施しなんていらない、自分でなんとかする』
  ――第3章 なぜ、ワーキング・クラスは貧困層に反感を抱くのか?

なぜエリートは目新しいものを求め、ワーキング・クラスは安定を求めるのか?
  ――第4章 なぜ、ワーキングクラスは専門職には反感を抱き、富裕層を高く評価するのか?

優秀さを重視する専門職エリートは、有色人種は優秀さに欠けると見なしている。一方、道徳性を重視するホワイト・ワーキング・クラスは、有色人種は道徳性に欠けると見なしている。
  ――第8章 ワーキング・クラスは人種差別者なのか?

一つクイズを出そう。「高度な科学知識と重い物を持ち上げる力、その両方を必要とする仕事とはいったい何でしょうか?」
答えは「看護」だ。
  ――第11章 なぜ、ワーキング・クラスの男性は「ピンクカラー」の仕事に就こうとしないのか?

なぜ、2012年のロムニーのときよりも多い、全体の1/3ものヒスパニックがトランプに投票したのだろうか?
  ――第13章 リベラル派はこれまでの重要な価値観や支持者を捨てることなく、ワーキング・クラスを受け入れることができるのか?

ホワイト・ワーキング・クラスは政府が貧困層を補助することに怒っている。そのため、貧困層への補助が減りさえすれば、たとえ自分たちが不利益を被ろうともその政策は魅力的なのだ。
  ――第14章 なぜ、民主党は共和党に比べて、ワーキング・クラスの扱いが下手なのか?

【どんな本?】

 2016年のアメリカ合衆国大統領選は、世界中の注目を集め、激戦の末に共和党のドナルド・トランプが勝った。過激な言動で最初は共和党内でもイロモノ候補と思われたトランプが勝ち残ったのだ。

 なぜヒラリー・クリントンは勝てなかったのだろう? 民主党の政策は貧しい者に手厚いのに、なぜ多くの市民はソッポを向いたのだろう? 著者はその原因を、民主党の勘ちがいにある、としている。アメリカ人の多くは、白人の賃金労働者だ。民主党は彼らの支持を失い、トランプは彼らの心を掴んだ、と。

 では、アメリカの主流である白人の賃金労働者は、どんな状況にいるのか。彼らはどんな風に暮らしているのか。彼らは何を求めているのか。彼らは何を守ろうとしているのか。なぜ彼らはトランプを称え、クリントンを嫌うのか。

 ハーバード・ビジネス・レビュー誌の記事「アメリカのワーキング・クラスについて多くの人が知らないこと」を元に、民主党を再生させる方針を提案する、一般向けの解説書。

 なお、「世界に吹き荒れるポピュリズムを支える“真・中間層”の実態」との副題がついている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は White Working Class : Overcoming Class Cluelessness in America, by Joan C. Williams, 2017。日本語版は2017年8月30日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約213頁に加え、渡辺靖の解説8頁。9.5ポイント40字×16行×213頁=約136,320字、400字詰め原稿用紙で約341枚。文庫本なら薄い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。アメリカでは共和党がやや保守的、民主党がややリベラル、ぐらいを知っていれば充分。

【構成は?】

 第1章と第2章は、テーマである「ホワイト・ワーキング・クラス」を定義する部分なので、最初に読んだ方がいい。それ以外の各章はほぼ独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

  • 第1章 なぜ、階級の話をするのか?
  • 第2章 ワーキング・クラスとは、どんな人々なのか?
  • 第3章 なぜ、ワーキング・クラスは貧困層に反感を抱くのか?
  • 第4章 なぜ、ワーキングクラスは専門職には反感を抱き、富裕層を高く評価するのか?
  • 第5章 なぜ、ワーキング・クラスは仕事がある場所に引っ越さないのか?
  • 第6章 なぜ、ワーキング・クラスは大学に行こうとしないのか?

 

  • 第7章 なぜ、ワーキング・クラスは子供の教育に熱心に取り組まないのか?
  • 第8章 ワーキング・クラスは人種差別者なのか?
  • 第9章 ワーキング・クラスは性差別者なのか?
  • 第10章 ワーキング・クラスは、製造業の仕事が戻ってこないことを理解していないのか?
  • 第11章 なぜ、ワーキング・クラスの男性は「ピンクカラー」の仕事に就こうとしないのか?

 

  • 第12章 なぜ、国からもっとも恩恵をうけているはずの人たちが、感謝しないのか?
  • 第13章 リベラル派はこれまでの重要な価値観や支持者を捨てることなく、ワーキング・クラスを受け入れることができるのか?
  • 第14章 なぜ、民主党は共和党に比べて、ワーキング・クラスの扱いが下手なのか?
  • 最後に
  • 解説 渡辺靖

【感想は?】

 「ヒルビリー・エレジー」や「社会はなぜ左と右にわかれるのか」と同じく、リベラルの立場から右派を理解しようとする本だ。いや、エリートの立場から、白人の賃金労働者をわかろうとする、と言った方が妥当かもしれない。これを「上から目線で見やがって」と感じ、鼻持ちならないと思う人もいるだろう。

 キッカケは2016年のアメリカ合衆国大統領選だ。共和党のドナルド・トランプが勝ち、民主党のヒラリー・クリントンが負けた。これが出発点だ。潔く、本書はこう語る。

私たちは負けたのです。
  ――第8章 ワーキング・クラスは人種差別者なのか?

 「私たち」とは、民主党であり、その支持者であるリベラルでもある。なぜ負けたか。アメリカの所得中間層から嫌われたからだ。ちなみに中間層とは、家計所得分布の下位3割より上で上位2割より下を示す。100世帯を所得順に並べたら、21位~70位までの50世帯にあたる。要は「普通の人たち」ですね。

 そういう普通の人たちは、ヒラリー・クリントンを嫌い、ドナルド・トランプに熱狂した。似たような事は日本でも起きている。貧しい者に優しい共産党は嫌われ、金持ちを優遇する自民党は強い。それはエリートを中心としたリベラルが、賃金労働者である普通の人々をわかっていないから、そう主張する本だ。

 例えば、引っ越しを例にとる。優れた専門技能を持つ人は、気軽に引っ越しできる。どこであろうと仕事は見つかるし、大学時代の友人も全国にいる。一流大学は、世界中から人材が集まっている。だから、世界中にコネがある。

 対して、高卒の労働者はそうはいかない。地元には昔から親しく付き合った人がたくさんいて、困った時はお互いに助け合えるが、他の土地に行ったらよそ者になる。引っ越しで背負うリスクが違うのだ。こういう近所付き合いを、「ロケットボーイズ」は巧みに描いていた。となれば、教育方針も違ってくる。

「エリートの子供たちは、いずれ巣立っていくものとして育てられ、実際に巣立ってゆく。ワーキング・クラスは子供を地元に引き留めておきたがる」
  ――第5章 なぜ、ワーキング・クラスは仕事がある場所に引っ越さないのか?

 だが、「ロケットボーイズ」の舞台となったコールウッドは、次第に寂れてしまう。コールウッドだけじゃない。デトロイトに象徴されるように、仕事は減って賃金労働者は誇りを持てなくなっている。幸い「ロケットボーイズ」の著者の親はそれを見越し、地元を離れるよう驚異良くしたが、誰もが先を見通せるわけじゃない。

1970年以降、専門職エリートの給料が劇的に上昇し続けたのに対し、高卒男性の賃金は47%も減少した。
  ――第11章 なぜ、ワーキング・クラスの男性は「ピンクカラー」の仕事に就こうとしないのか?

 日本でもバブル崩壊後、景気は良くて停滞、実質的には悪くなる一方な気配だ。企業は即戦力を求めるが、働く側からすれば経験を積もうにも仕事がない。どないせえちゅうねん。うがあ。

 なら賃金を上げようとするリベラルが人気を集めそうなもんだが、現実は逆だ。これには労働組合への失望がある。アメリカでも労働組合の加入率は減り、力を失ってしまった。こうなると、鶏が先か卵が先か、わかんないなあ。

 それより不可解なのは、貧しい者に対する救済策を、彼らが嫌うことだ。「それって妬みじゃねえの?」と私は思っていた。でも、現実はそれほど単純じゃない、と本書は教えてくれた。つまり、制度的な欠陥もあるのだ。普通の人から見ると、貧困層の救済策は、全く恩恵がないように見えるのだ。にも関わらず税金はふんだくられる。となれば、怒りたくもなる。

 ちなみに生活保護制度の欠陥は日本も似ているから、同じような現象が起きるのも仕方がない。

 などの問題を明らかにするだけでなく、本書はちゃんと解決策も出している。党の方針を決める者に届くかどうかはともかく、私たちが声を上げる価値はあると思う。

 などとは別に、ハッキリと「私たちは負けたのです」と認め、それは己の無知が原因だと考え、ソッポを向いた人々から学び、自らを変えようとする姿勢は、さすがエリートだと思う。こうやって常に学ぼうとする態度が、エリートを支えてるんだろうなあ。

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2019年3月24日 (日)

リチャード・H・スミス「シャーデンフロイデ 人の不幸を喜ぶ私たちの闇」勁草書房 澤田匡人訳

この本はシャーデンフロイデ、つまり人の不幸を喜ぶなんて恥ずべきものであるにもかかわらず、私たちの多くが抱く感情について書かれている。
  ――序章

自分が劣っていると嫌な気持ちになるように、優れていると良い気持ちになるものだ。
  ――第1章 優越の恍惚

私たちは、誰かが苦しんでいるのを見ると不快感を抱くのが普通だ。ところが、(略)自分たちが苦しいとき、自尊心の危機に直面したとき、あるいは、慢性的に自尊心が低いとき(略)、自分と同じくらいか――もしくは、よりいっそう不運な人と比べると、気力を取り戻す効果をもたらす。
  ――第2章 下を向いて上向こうよ

ほとんどの場合、不公平に(自分が)有利な状況は、不利な状況よりも問題にならない。
  ――第4章 自己と他者

悪い輩が相応の報いを受けるのを見るのは、とても愉快なのだ
  ――第5章 相応しい不幸は蜜の味

妬みを感じている人たちは、自分を犠牲にしてでも相手を貶めるのだ。
  ――第7章 屈辱エンターテインメント

シャーデンフロイデは人間の性質に反するものでなく、むしろ共存している…
  ――第11章 リンカーンだったら?

【どんな本?】

 シャーデンフロイデ。最近になってよく見聞きする言葉だ。ソレの中身は誰もが昔からよく知っている。「人の不幸は蜜の味」、ネットの俗語なら「メシウマ」。そんな風に、誰かの不幸を喜ぶ気持ちだ。卑しいとは思うが、やっぱり私たちはメシウマが好きなのだ。

 だが、なぜ私たちは人の不幸を喜ぶんだろう? 人が不幸になって、どんな得があるんだろう? 餌食になって美味しいのはどんな人で、どんな人がそれに食らいつくんだろう? ソレにはどんな性質があるんだろう? 使い道はあるんだろうか? なんとなく邪悪だと感じているけど、それは何故なんだろう? どうすれば防げるんだろう?

 シャーデンフロイデ研究のパイオニアが、一般向けに著した、心理学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Joy of Pain : Schadenfreude and the Dark Side of Human Nature, First Edition, by Richard H. Smith, 2013。日本語版は2018年1月20日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約255頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×255頁=約229,500字、400字詰め原稿用紙で約574枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。実は出版社が勁草書房ということで覚悟していたんだが、拍子抜けするほど読みやすい。内容もわかりやすい。何せ肝心のテーマが「メシウマ」だ。誰だってそんな気持ちを持っているし、餌食になったこともある。

 ただ、アメリカ人向けに書いているため、例がゴルファーのタイガー・ウッズやアニメのザ・シンプソンズなど、アメリカの有名人・有名タイトルなのが難と言えば難かも。ましてマーサ・スチュアート,「プレデターをやっつけろ」,ジミー・スワガートなんて日本じゃまず馴染みがないし。もっとも、どんな人/番組かは、ちゃんと本文中に説明があるので、ご心配なく。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 日本語版への序文/謝辞/序章
  • 第1章 優越の恍惚
  • 第2章 下を向いて上向こうよ
  • 第3章 余人しくじるべし
  • 第4章 自己と他者
  • 第5章 相応しい不幸は蜜の味
  • 第6章 正義は人の為ならず
  • 第7章 屈辱エンターテインメント
  • 第8章 エンヴィーに首ったけ
  • 第9章 妬み転成
  • 第10章 解き放たれた邪悪な喜び
  • 第11章 リンカーンだったら?
  • 終章
  • 訳者あとがき/注/事項索引/人名索引

【感想は?】

 ブログをやっていると、炎上が怖い。「ネット炎上の研究」では、誰が煽るのかを分析していた。ここでは、それに加えて、なぜ煽るのか・餌食になるのは誰かについても、少し見えてくる。

 シャーデンフロイデなんて耳慣れない言葉より、メシウマの方が私にはシックリくる。

 まずは、美味しいのはどんな獲物か、だ。ジャイアンツの主力選手が怪我をすれば、阪神タイガースの熱狂的なファンは喜ぶだろう。この気持ちは合理的に説明がつく。ジャイアンツが弱くなればタイガースが有利になる。だが、それだけじゃ説明がつかない部分が、「メシウマ」にはある。

 例えば、菜食主義者だ。正直言って、私も彼らが気に入らない。彼らが肉を食べようが食べまいが、私には何の関係もない。なのに、なぜ気に入らないんだろう?

彼ら(菜食主義者)の存在そのものが、肉を食べる人からすれば道徳的にイライラさせるのだ。
  ――第5章 相応しい不幸は蜜の味 

 そう、彼らの「私は道徳的に優れています」的な態度が気に入らないのだ。いや別に菜食主義者が気取ってるってわけじゃない。私が勝手にそういう気配を感じているだけだ。自分は道徳的に劣っているんじゃないか、そう感じるのである。だから気に入らない。

 最近のニュースだと、神父による児童性虐待のニュースがメシウマだった。改めて考えると、子供が被害に遭ってるのに喜ぶとは酷い話である。だが、このニュースは実に都合がいい。だってメシウマと言わなくていいんだもん。子供の味方を装って神父を叩けばいい。

 ここに「メシウマ」の怖さがある。菜食主義者も神父も、「道徳的に優れている」と世間では思われがちな立場だ。それが失墜するのが心地いい。そこにあるのは、妬みだ。私だって、いい人と言われたい。でも現実にはウスラハゲのオッサンにすぎない。だから妬む。ところが、妬みってのは厄介なモノで…

一般に妬みを感じていることを私たちは否定する(略)妬んでいると認めることは、(略)自分の方が劣っていると認めるに等しい。
  ――第9章 妬み転成

 そう、たいていの人は、自分が妬んでいるとは認めない。そもそも、「妬みを感じていても、(略)それに無自覚である」。自分でもハッキリとは気づかない。そして、無意識のうちに…

妬みというのは、まず嫌悪に転成し、続いて、そこから高潔で正しい「相応しい」憎悪へと変貌を遂げる。
  ――第10章 解き放たれた邪悪な喜び

 「なんかアイツ気に入らねえ」的な気持ちになる。そこに動かぬ証拠なんてモンが出てきたら、錦の御旗を手に入れたようなものだ。それこそ大喜びで…。

 これを組織的に煽ったのがナチスで、餌食になったのがユダヤ人だ、と著者は説く。実はこの辺、ちと強引と感じた。いや結論が間違いってワケじゃない。そこまでの過程が怪しい。「本人が認めないからこそ、そうなんだ」って理屈なら、どんな無茶でも通ってしまう。とまれ、これを厳密に実証したら、それだけで数冊分になりそうだけど。

 まあユダヤ人虐殺は昔の外国のことだから、なんて他人事と思いがちだが、いじめや児童虐待やパワハラなど、私たちの身近で起きる騒動や小さな意地悪にも、その根底に妬みがあるケースが多いって気がする。

 その他にも、私たちが陥りやすい勘違いのメカニズムを教えてくれるのは嬉しい。

 例えば「公正世界信念」だ。Wikipedia では公正世界仮説となっている。不幸な人に対し、私たちは自業自得だと思い込みやすい。強姦の被害者を叩くのが、ありがちな例だろう。また「成果バイアス」なんてのもある。

他者は実際よりも悪い結果をコントロールできるはずと、私たちは見てしまう傾向にある
  ――第6章 正義は人の為ならず

 被害者はどんな状況でも冷静沈着で意思が強く理性的・合理的に思考・行動できるはず、と思い込みやすい。まあ、これは他者に限らず、往々にして「未来の自分」の意思の強さも過大評価しがちなんだけど。ありませんか、「後で運動するから一口だけ」とか「明日やればいいや、今日は寝ちゃおう」とか。私はしょっちゅうです。

 もう一つ、ありがちなのが「根本的な帰属の誤り」。この本では、病院の待合室で、看護師に食ってかかる男が出てくる。著者の最初の反応は「嫌な奴」だ。でも彼の妻が救急で運び込まれ、その後なんの連絡もないとしたら、どうだろう? 落ち着けという方が無理じゃないか?

 私たちは、他人の行いについて、「あの人はそういう性格」と見なしがちだ。そういう状態だ、とは思わない。冷静に振舞う男と、いきりたつ男。そんな二人を見たら、思わず冷静な男に味方したくなる。だが、本当は? 

 ウェブ炎上で済んでいるうちはともかく(いや自分が餌食になったらヒトゴトじゃ済まんけど)、最近のヘイトスピーチの風潮などからは、甘く見てると大変なことになりかねないって危機感がつのることがある。でもメカニズムを知れば、少しは落ち着いて考え直せるかもしれない。親しみやすく読みやすいわりに、心に深く突き刺さる本だ。

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2019年2月17日 (日)

ダグラス・ホフスタッター「わたしは不思議の環」白揚社 片桐恭弘・寺西のぶ子訳

本書は、(略)「私」という概念について書いてある。
  ――まえがき 著者と著作

…わたしが伝えたいのは「魂」とは何か、あるいは何が魂を持っているかという重大な問いである。(略)この問いが本書の中心問題である。
  ――第1章 魂のサイズ

プログラムで作動する機械が前もってプログラムされていないアイデアを思いつくことがあるだろうか?
  ――第8章 奇妙なループの狩猟旅行

…われわれは、脳の活動をどこまでもシンボルによるものとごく自然に考えているのだ。
  ――第13章 掴みどころのない掌中の「私」

人間は生まれつき、心を動かす微視的な機構に焦点を合わせられない生き物である。
  ――第14章 奇妙さは三「私」三様

明確な「私」の獲得を開始するには、世界にある何か別のものと繋がる必要があるのだ
  ――第15章 絡み合い

…脳は(略)、本質を失わないようにしながら単純化しているのだ。
  ――第19章 意識=思考

いつまでも消えない厄介な問題は、何がたくさんある奇妙なループの一つをぼくにするのかっていうことさ。どのループがぼくになるんだい?
  ――第20章 好意的ながらもすれ違う言葉

種によって魂の大きさを区別するのはごく当たり前(略)ならば、なぜ一つの種、とりわけわれわれ自身の種における魂の大きさを(暗示的ではなく)明示的なスペクトルで考えてはいけないのか?
  ――第24章 寛大と友情について

【どんな本?】

 GEBこと「ゲーデル、エッシャー、バッハ」で大騒ぎを巻き起こした認知科学者・哲学者のダグラス・ホフスタッターが、28年の時を経て挑む続編または解説編。

 人は誰でも「私」という概念を持っている。だが、改めて考えると、「私」とは何なのか、よくわからない。「意識」と言い換えてもいい。

 例えば、何が意識を持つのか、だ。ボールペンやフライパンは、持っていないだろう。ウィルスもないだろう。アメーバも恐らくない。だが犬は持っていそうだ。なら蚊は?金魚は?鶏は?そしてAIは? 意識を持つモノと持たないモノの境は、どこにあるのだろう? 何が違うんだろう?

 他にもある。意識はどこにあるんだろう? 脳? なら、脳のどこ? または構成する物質で考えてもいい。どんな化合物が必要なんだろう? 血と肉でなければならないのか?

 お馴染みのゲーデルとエッシャー、ビデオ・フフィードバック、架空の対話、訳者泣かせの地口、そして私たちが日頃から体験している事柄などを駆使して、「私」の謎に迫る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は I AM A STRANGE LOOP, by Douglas Hofstadter, 2007。日本語版は2018年8月1日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約565頁に加え、白揚社編集部による「後記 GEBから不思議の環へ」4頁。9.5ポイント49字×19行×565頁=約526,015字、400字詰め原稿用紙で約1,316枚。文庫本なら上中下の三分冊でもいい大容量。

 文章は比較的にこなれている。ただ、地口(ダジャレ)には訳者も相当に苦労した様子。著者のクセで数学の話も出てくる。が、じっくり読めばたいてい理解できる。必要な前提知識は足し算と掛け算、そして素数の概念だけ。ただし、かなり込み入った話なので、時間をかける覚悟は必要だ。

【構成は?】

 ほぼ前の章を受けて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

  • まえがき 著者と著作
  • 感謝の言葉
  • プロローグ 角突き合わせ小手調べ
  • 第1章 魂のサイズ
  • 第2章 揺れ動く不安と夢の球体
  • 第3章 パターンの因果的影響力
  • 第4章 ループ、ゴール、そして抜け穴
  • 第5章 ビデオフィードバック
  • 第6章 自己とシンボル
  • 第7章 ズ~イ伴現象
  • 第8章 奇妙なループの狩猟旅行
  • 第9章 パターンと証明可能性
  • 第10章 お手本としてのゲーデルの奇妙なループ
  • 第11章 アナロジーはいかにして意味を生み出すか
  • 第12章 下向きの因果関係について
  • 第13章 掴みどころのない掌中の「私」
  • 第14章 奇妙さは三「私」三様
  • 第15章 絡み合い
  • 第16章 何よりも深い謎に対するあがき
  • 第17章 互いの中でどのように生きるか
  • 第18章 人間のアイデンティティのにじんだ光
  • 第19章 意識=思考
  • 第20章 好意的ながらもすれ違う言葉
  • 第21章 デカルト的自我と軽く触れ合う
  • 第22章 ゾンビと踊るタンゴ、そして二元論
  • 第23章 二頭の聖牛を殺す
  • 第24章 寛大と友情について
  • エピローグ 板挟み
  • 後記 GEBから不思議の環へ
  • 註/文献一覧/出典と謝辞/索引

【感想は?】

 円城塔が好きな人にはウケそうだなあ。例えば、こんなのとか。

「自分のひげを剃らない村人全員のひげを剃る村の床屋」
  ――第4章 ループ、ゴール、そして抜け穴

 こういうパラドックスめいた小話を挟みつつ、フラフラとアチコチに寄り道しながら、エッセイ風に探求は進む。テーマは「私とは何か」、または「意識とは何か」。

 著者は「SFは好きじゃない」と言っちゃあいるが、SF者はこういうネタが大好きだ。中にはピーター・ワッツみたく、過激な主張をする人もいる。知りたければ「エコー・プラクシア」がよいです。終盤では、フィリップ・K・ディックやグレッグ・イーガンみたいな話も出てくるし。

 ただ、背景にはキリスト教的な文化があるので、私は少し戸惑った。というか、SFに慣れた人は、「なるほど、普通の人はそうなのね」と感じるだろう。

 SF者は、意識とソレを構成する物質に、直接の関係はないと考えている。「われらはレギオン」がいい例だ。「転生したら宇宙船(の電子頭脳)だった件」と言われて、素直に「そういうものだ」と受け入れてしまう。そこに抵抗があるなんて、全く考えない。なぜなら…

脳細胞は意識を担っていない。意識を担うのはパターンなのだ。
  ――第17章 互いの中でどのように生きるか

 と、思っているからだ。脳細胞でなければならない、なんて発想の方が不自然だと思っている。が、世間じゃSF的発想は過激派なのだ。がび~ん。

 やはり「われらはレギオン」だと、クローンはオリジナルと少しづつ違うし、読者も「そういうものだ」と思っている。他の作品だと、記憶だけ入れ替えるなんてのもあるし。だから…

…「人格の同一性」のような黒か白かのどちらかだと思われているものは、実はさまざまな濃淡のある灰色だ…
  ――第21章 デカルト的自我と軽く触れ合う

 とかも、「うん、そうだよね」と思ったり。やはり遺伝子にしたって、他の恒星系に運ぶには、DNAの配列をデジタル・データで運べばコンパクトになるよね、とSF者は考えるから…

二つの異なる生物の二つの異なる細胞に「同じ遺伝子」が存在し得るという考え方に異論を唱える人はいない。(略)ここで遺伝子は現実の物理的実体ではない。(略)遺伝子とはパターンである。
  ――第15章 絡み合い

 と言われても、「そりゃそうだ」で終わっちゃう。でも、世間的にはイカれた発想なんだろうなあ。とまれ、そういう「発想法」として棚にしまっておけば、それをネタにしてショートショートぐらいは書けるかも。

 などの哲学的なネタもあるが、もちろんあります数学とゲーデルの話。

数学者とは心の底において、一見何もなさそうなところにパターンを見いだしたいという衝動にひきずられる――実際にころりと誘惑される――人々である。
  ――第9章 パターンと証明可能性

 わはは。こういう「とにかくパターンを探す」ってのはヒトの本能みたいなモンで、これは色々と面白い副作用を生み出すんですね。宗教とか(「ヒトはなぜ神を信じるのか」)ジョーク(「ヒトはなぜ笑うのか」)とか。

 ゲーデルについては、その斬新さをこう語る。

クルト・ゲーデルは、とても厳めしくて近寄り難く見える自然数が、実のところどこまでも豊かな表現媒体であるという事実に気がつき、それを探求した最初の人間だった。
  ――第11章 アナロジーはいかにして意味を生み出すか

 おお、いわれてみれば。そう考えると、不完全性定理も少しはわかる気がする。とか思ってたら、アッサリと一言で神髄を片付けちゃうから怖い。

証明可能でない真の言明はたくさんある。
  ――第12章 下向きの因果関係について

 なるほど、そういう事か! かつて数学者は数学の世界を(位相幾何学でいう)一つの球だと思っていたけど、実は飛び地がたくさんあるんだよ、みたいな。

 個人的な悩みも、少しだけ軽くしてくれた。というのも。このブログ、書評は沢山書いてるけど、完全にオリジナルの記事はほとんどない。人からお題を貰わないと私は文章が書けないらしい。何より、無理して書いたところで、誰かのパクリにしかならないよなあ、とか思ってたけど…

わたしのやることなすことすべては、実際に近しい誰か、あるいはバーチャルに近しい誰かから拝借して何らかの修正を加えたものだ…
  ――第17章 互いの中でどのように生きるか

 とか言われると、少し気が楽になるじゃないか。

 全般としては、GEBより散漫だが、メタマジック・ゲームよりはテーマに沿っている。加えて、人生を重ねた分、友人や家族との思い出話も入っていて、エッセイ風の味わいも濃い。雰囲気、GEBより親しみやすいが、その分マイルドになっている。

 とか言いつつ、メタマジック・ゲームはまだ読みかけで積んだままだった。なんとか今年中には…

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2019年2月 4日 (月)

ジョン・クイギン「ゾンビ経済学 死に損ないの5つの経済思想」筑摩書房 山形浩生訳

イデオロギーは内部から見れば、通常は常識のように思えるのだ。
  ――序文

世界金融危機は、競合する学派の細々とした議論を確認・否定したというよりはむしろ、それらがいかにどうでもいいかを示した。
  ――第3章 動学的確率的一般均衡(DSGE)

実質メジアン(中央値、→Wikipedia)世帯所得は、1973年(長い戦後拡大期の最終年)の45,000ドルから、2008年には5万ドルをちょっと超えた。年間成長率は0.4%になる。
  ――第4章 トリクルダウン経済学

先進国の中で、アメリカの社会的な階層移動はどんな指標で見てもほぼ最低で、ヨーロッパの社会民主主義諸国が最高なのだ。
  ――第4章 トリクルダウン経済学

自律性は概ねゼロサム財なのだ。
  ――第4章 トリクルダウン経済学

【どんな本?】

 ゾンビ経済学とは、とっくの昔に葬られたはずなのに、なぜか今でも信者が絶えない経済理論を示す。世間ではサッチャリズム/レーガノミクス/経済合理主義/ワシントン・コンセンサス/ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれる思想だ。この本では、以下五つの思想を挙げる。

  1. 大中庸時代:1985年に始まる時期は、前代未聞のマクロ経済安定の時期だった
  2. 効率的市場仮説:金融市場がつける価格はあらゆる投資の価値に関する可能な限り最高の推計である
  3. 動学的確率的一般均衡(DSGE):マクロ経済分析が気にすべきは貿易収支や債務水準などのマクロ指標ではなく、個人の行動に関するミクロ経済モデルから導かれるべきだ
  4. トリクルダウン経済学:金持ちに有益な政策は、最終的に万人に役立つ
  5. 民営化:政府の機能は民間企業の方がうまくやる

 それぞれ、どんな思想で、いかにして誕生し、どう採用され、どんな悲劇を招き、いかにして失敗を取り繕い、現在まで生き延びているのか。オーストラリアの経済学者による、一般向けの現代経済学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ZOMBIE ECONOMICS : How Dead Ideas Still Walk AMong Us, by John Quiggin, 2010。日本語版は2012年11月10日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約268頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント46字×19行×268頁=約234,232字、400字詰め原稿用紙で約586枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章は二重否定などのヒネクレた表現が多く、ちと読みづらい。たぶん英国風のユーモアを意識したんだろう。「選挙の経済学」とかもそうなんだけど、経済学者ってのは、無理して優雅な文章を書こうとする人が多い気がする。その前にわかりやすさを心掛けてほしいんだが。

 まあいい。内容も素人にはかなりシンドい。なにせ「プレストン・ウッズ(→Wikipedia)」とかの専門用語がバシバシ出てくる。うち幾つかは後で説明があるから油断できない。

 加えて、今世紀に入ってからの世界の経済動向を元にした話が多いので、だいたいの浮沈を知っている方がいい。大恐慌とかオイルショックとかドットコム・バブルとか。年寄りはリアルタイムで経験したから知ってるけど、若い人には辛いだろうなあ。

【構成は?】

 章ごとにそれぞれ別のテーマを扱っている。だから気になった所だけを読んでもいい。ただし前の章を受けて後の話が展開する話題もある。経済学や世界経済の動向に詳しければ大きな問題はないが、素人は素直に頭から読んだ方が無難。

  • はじめに/序文
  • 第1章 大中庸時代
    • 1.1 誕生:嵐の前の静けさ
    • 1.2 生涯:大いなるリスク移転
    • 1.3 その死:反対者たちの勝利
    • 1.4 復活:世界危機が移行期のつまづきか?
    • 1.5 ゾンビ以後:20世紀の出来事を見直す
    • 1.6 参考文献と推奨文献
  • 第2章 効率的市場仮説
    • 2.1 誕生:カジノから計算機へ
    • 2.2 生涯:ブラック=ショールズ、銀行家、バブル
    • 2.3 その死:2008年の危機
    • 2.4 復活:シカゴ学派の死者召喚
    • 2.5 ゾンビ以後:国と市場
    • 2.6 参考文献と推奨文献
  • 第3章 動学的確率的一般均衡(DSGE)
    • 3.1 誕生:フィリップス曲線からNAIRUを経て
    • 3.2 生涯:合理性と代表的エージェント
    • 3.3 その死:なぜ経済学者はここまで派手にまちがえたのか?
    • 3.4 復活:世界金融危機を引き起こしたのはオバマ?!
    • 3.5 ゾンビ以後:現実的なマクロ経済学に向けて
    • 3.6 参考文献と推奨文献
  • 第4章 トリクルダウン経済学
    • 4.1 誕生:サプライサイド経済学からダイナミック得点
    • 4.2 生涯:格差についての弁明
    • 4.3 その死:金持ちはもっと豊かに、貧乏人はどん底のまま
    • 4.4 復活:移動なき移動性
    • 4.5 ゾンビ以後:経済学、格差、平等性
    • 4.6 参考文献と推奨文献
  • 第5章 民営化
    • 5.1 誕生:われわれすべて、今や市場自由主義者
    • 5.2 生涯:理論的裏付けを探す政策
    • 5.3 その死:謎と破綻
    • 5.4 復活:今度こそ息の根は止まったか?
    • 5.5 ゾンビ以後:混合経済
    • 5.6 参考文献と推奨文献
  • 第6章 21世紀の経済学とは
    • 6.1 20世紀の経験を考え直す
    • 6.2 リスクと不確実性に対する新アプローチ
    • 6.3 経済学に何が必要か
  • 注/訳者あとがき/参考文献/索引

【感想は?】

 経済学、特に政策に直結するマクロ経済学は、イデオロギーつまり政治思想・倫理思想の世界だ、と私は思う。

 経済学者はたくさんいる。それぞれ主張が違う。違う原因は、その人の世界観・倫理観であり、支持する政策だ。みんな、自分の主張に合わせて都合よくデータをつまみ食いしちゃ数式をいじり、辻褄を合わせているのだ。データから政策を導き出すんじゃない。最初に政策があって、理屈は後付けなのだ。

 だから、経済学関係の本の良し悪しも、読者の好みで決まる。好みに合えばいい本だし、合わなければ良くて屁理屈、悪ければオカルトになる。読者の手間を省くため、最初に結論を示そう。この本は、こういう立場だ。

経済学者たちは、所得分配をもっと平らにするような政策に関心を向けるべきだ。
  ――第6章 21世紀の経済学とは

 社会主義に近く、大きな政府を好む立場だ。例えば政府の不況対策。不況時には社会保障を充実させて公共事業を増やせ、と主張する。要は貧乏人に味方する立場、つまりリベラルですね。

 だから、小さな政府を望む人には向かない。マーガレット・サッチャーやロナルド・レーガン、そして最近の新自由主義が好きな人、すなわち右派には面白くないだろう。

 私はリベラルな貧乏人で、当然この本が好きになった。そういう者がこの記事を書いている。

 経済学の本で厄介なのは、やたら専門用語が出てくることだ。しかも、たいていは理論の中身と関係ない。理屈を思いついたり実行に移した人の名前だったり、住んでる場所に因んでたり。ケイジアンとか言われても、何の事やらサッパリだ。どうも経済学者のケインズに因んでるらしい。

 この本は、そういう言葉の意味がわかるのが嬉しい。実際、テーマに上がっている五つ(大中庸時代,効率的市場仮説,DSGE,トリクルダウン,民営化)のうち、読む前に私が見当ついたのは二つ、トリクルダウンと民営化だけた。なお、読み終えた今でもDSGEは巧く説明できそうにない。

 やっぱり私が勘違いしてたのは、ネオリベことネオリベラリズム(新自由主義)。リベラルというから弱者に優しいのかと思ったら正反対だった。

 最初から全く見当がつかないのが、塩水派と淡水派で、DSGEに出てくる。塩水派はアメリカ東海岸と西海岸の大学で盛んな一派で、淡水派はシカゴとミネソタの湖畔の大学に多い。わかるかそんなもん。中身は全く関係ないじゃん。

 いずれも金融政策、それも主に中央銀行の方針を論じるもので、経済政策全般ではない。塩水はケインズ寄りで「産出と雇用も考えろ」で、淡水は「物価の安定だけ考えろ」らしい。

更にどうでもいい話だが、私は金融政策の役割を軽く見ている。理由は簡単。私はケインズ経済学を少しだけ知っているけど、金融はまるっきり知らないから。だもんで、経済に関しては全て需要曲線と供給曲線で考えちゃう。金槌を持つ者にはすべてが釘に見えるんです。

 経済学者、特にマクロ経済学者の主張の違いは、政策に基づくものだ、との私の思い込みを更に強めてくれるのが、「第5章 民営化」。これ、ちゃんと得する人がいるのだ。

 まず、組合が弱くなる。公共組織の労働組合はたいてい民間より強い。かつての国労(国鉄労働組合、→Wikipedia)の凄さを知っていれば、国鉄民営化でどうなったか実感できるだろう。政治家と経営陣にとって、ウザさがぐっと軽くなる。

 経営陣は縛りが軽くなり給料が増える。金融業界は商品が増えて手数料が入る。赤字を抱える政府や自治体にとっちゃ、目先の金が手に入るのも嬉しい。昔はそういうのをタケノコ生活(→Weblio)と言ったけどね。

 これはソ連崩壊がわかりやすいかも。全部を公営化したのがソ連で、それはダメだった。民営化が向く業界もあるのだ。この本では、「中小企業が主体の経済部門」としている。分かりやすいのが小売店かな。ラーメン屋を公営化したら、日本じゃ革命が起きかねない。

 繰り返すが、大きな政府を望む姿勢の本だ。つまり、社会保障を厚くし、不況時には公共投資をして景気を刺激しろ、金持ちからふんだくり貧乏人に優しくしろ、そういう思想の本である。ビンボな私には心地よかったが、あなたのお気に召すかどうかはあなた次第だ。

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2019年1月29日 (火)

シーナ・アイエンガー「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義」文藝春秋 櫻井裕子訳

選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。
  ――第1講 選択は本能である

人はあるがままの状態でいるとき、自分の選択の自由度が、自分にとって最適な水準にあると考えることが多いのだ。
  ――第2講 集団のためか、個人のためか

実用的な機能を果たさない選択ほど、人となりをよく表す。
  ――第3講 「強制」された選択

警察官、弁護士、裁判官、精神科医など、一般人より重大なウソに直面する頻度が高い職業に就いている人たちでさえ、(ウソを見破る能力は)平均的には一般人とそれほど変わらないのだ。
  ――第4講 選択を左右するもの

要するに、選びやすいものから取り組むのが得策だということだ。たとえば種類が少ないものや、自分の欲しいものがすでにわかっているものなどだ。
  ――第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない

自分にない選択の自由が他人にあるとき、または今ある選択の自由が失われようとしているとき、強い心理的反発が起こる。
  ――第7講 選択の代償

死は選択できるものだという考えに慰めを感じ、死が人生の選択の延長線上にあると考える人たちもいる。
  ――最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式

【どんな本?】

 人生は選択に満ちている。いつ、どこで、誰と、何をするか。朝に起きるときに始まり、着替えて通学または出勤するだけでも、いつ起きるか・何を着るか・どのルートで通うかなど、幾つもの選択肢がある。いや着替えるだけでも、袖を通すのは右手からか左手からかなど、実は細かい選択肢から成り立っている。

 ヒトは何を選択肢と考えるのか。何を基準に決断するのか。より楽に選ぶ、またはより賢く選ぶには、どうすればいいか。選ぶ状況や過程は、選んだ結果の満足度にどう影響するのか。選ぶ人が育った環境は、選択に何か関係があるのか。

 かの有名な「ジャムの法則」の提唱者が著した、ヒトの選択に関わる実験やエピソードを綴る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Art of Choosing, by Sheena Iyengar, 2010。日本語版は2010年11月15日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約322頁。9ポイント42字×20行×322頁=約270,480字、400字詰め原稿用紙で約677枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。今は文春文庫から文庫版が出ている。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ただ、アメリカ人向けに書いているので、一部の商品や有名人はピンとこないかも。でも大丈夫。大事なところは訳者が補っている。私は化粧品の名前がチンプンカンプンだったけど、だいたいの雰囲気は掴めた。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • オリエンテーション 私が「選択」を研究テーマにした理由
  • 第1講 選択は本能である
  • 第2講 集団のためか、個人のためか
  • 第3講 「強制」された選択
  • 第4講 選択を左右するもの
  • 第5講 選択は創られる
  • 第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない
  • 第7講 選択の代償
  • 最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式
  • 謝辞/ソースノート/主要参考文献一覧/訳者あとがき

【感想は?】

 有名な「ジャムの法則」のネタ元だ。ただ、巷に流布してる話とは微妙に違う。

 流布してる話はこうだ。試食コーナーのジャムの品ぞろえを、24種類と6種類を比べたら、6種類の方が売り上げが断然よかった。あまし選択肢が多すぎるのも考え物だね。

 実際は、こうだ。

 まず、舞台はドレーガーズ。大規模で高級感あふれ、充実した品ぞろえで知られるスーパーだ。ワインコーナーには二万本が並び、レストランのハンバーガーは$10、二階には料理教室もあり、「カメラを振り回すおなじみの日本人観光客」までいる。そこらの西友やヨーカ堂じゃない。

 他にも現実にありがちな状況とは違う。例えば試食コーナーを担当したのは研究助手だ。日本じゃたいていプロのマネキンさん(→Wikipedia)が担う。

 結果も、微妙な違いがある。

 24種類は客の60%が立ち寄ったが、6種類は40%だった。それぞれの客がコーナーにいる時間は24種類の方が断然長かった。そして問題の売り上げは。24種類の試食客の3%、6種類の30%が買った。仮に客が1000人なら。24種類は600人が訪れ、18人が買う。6種類は400人が訪れ、120人が買う。

 結論は同じように思える。ジャムの売り上げを考えるなら、選択肢を絞った方がいい。だが、別の目的、例えば「人を集めること」が目的なら、話は違ってくる。集まった客は24種類の方が200人ほど多い。しかも長居するんで、注目を集めただろう。

 加えて、他の商品の売り上げには、どんな影響があったんだろうか? そして何より、追実験は?

 とまれ、経験的に納得できる話ではある。終盤では退職金積立制度の401Kの話が出てくる。お金という重大な問題なのに、選択肢が増えるほど、加入者が減った。

 これ、すごくわかるのだ。だって、金融商品って、違いが分かんないんだもん。だいたい言葉がわかんないし。ファンドって何? たった今、検索して調べたけど、やっぱし流し読みしただけじゃピンとこない。

 もっと怖い話も出てくる。赤ちゃんが生まれたけど、早産で回復の望みがない。このまま植物人間として生かし続けるか、さっさと諦めるか。

 こんな選択、突きつけられたくないよね。こういう場合は、医師が賢明な選択を勧めてくれた方が、気が楽だ。

 が、逆に、全部を誰かさんに決められちゃうのも、やっぱりムカつく。ネットでよく見聞きする、「アニメやゲームを禁じられると逆にヲタクになる」、あれは本当かもしれない。「他の玩具では遊んでいいけど、ロビーだけは駄目、触ったらお仕置き」と禁じられた子供は、一週間たってもロビーに強くこだわった。

 ここでは、ちと卑怯な手も出てくる。「ロビーに触ると困るんだ」と柔らかくけん制した場合、あまし拘らない様子を見せた。上手いやり方のように思えるが、時として子供の心をねじ曲げる場合もある。詳しくは「カルトの子」あたりを参照してほしい。

 別の「悪用」もある。私が今、勝手に名前を付けた。夕鶴方式。いやダチョウ倶楽部方式でもいいけど。

 人は覗くなと言われると覗きたくなる。そこで、子供をシェイクスピア・マニアに仕立てたいパパは一計を案じた。まず「シェイクスピアはパパの本だから読んじゃダメ」と言い渡す。次に、シェイクスピアを隠す。ただし、子供でも見つけやすい所に。果たして結果は…

 とかは後半の話で、前半では育った環境の影響を語るエピソードが多い。自由や自主性を重んじるアメリカの文化と、集団への帰属を重んじるアジアの文化の違いだ。最初からして、普通の解説本と趣が違う。著者がシーク教徒であり、それはアメリカの文化とどう違うか、そんな事から語り始めるのだ。

だれしもが、自分の人生は自分でコントロールしたいと思っている。だが人がコントロールというものをどう理解しているかは、その人がどのような物語を伝えられ、どのような信念を持つようになったかによって決まるのだ。
  ――第2講 集団のためか、個人のためか

 生まれ育つ環境は、それぞれの人に物語を与える。それはまさしく「あなたの人生の物語」となる。アレックス・ヘイリーの「ルーツ」が多くの人の心を揺さぶった理由の一つが、そういう事なんだと思う。

 自分で選ぶ時。人に選ばせる時。ちょっとした工夫で、違いをもたらす事もできる。にしても、めざまし時計の「スヌーズンルーズ」は賢い上に怖いw 「モノのインターネット」に、こんな使い方があったとはw

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