カテゴリー「書評:フィクション」の150件の記事

2018年11月 8日 (木)

ウィリアム・トレヴァー「聖母の贈り物」国書刊行会 栩木伸明訳

「パパはボタンのビジネスをしているんだ」とトリッジは晴れやかに答えた。「トリッジ商会って知ってるでしょ」
  ――トリッジ

「あの人たちはあなたをこわがっているのよ」と彼女はその晩言った。「全員がね」
  ――ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳

「これでお終い、またしても」
  ――マティルダのイングランド 1.テニスコート

「だって私は現在ってものが嫌いなんです」
  ――マティルダのイングランド 3.客間

「おまえも早く戻りなよ、ポーリー」
  ――丘を耕す独り身の男たち

ミホールに神のお召しが訪れたのは十八歳のときだった。畑を耕し家畜の世話をする暮らしを捨てて修道院へ行け、と夢の中で告げられたのである。
  ――聖母の贈り物

ひとりぼっちの人間にとっては、つらつら考えることが友達みたいなものだ。
  ――雨上がり

【どんな本?】

 ウィリアム・トレヴァーは、アイルランド出身の作家。1928年生まれ、2016年没。彼の作品から12編を選んだ、日本独自の作品集。

 この作品集では、風景はのどかながら、カトリックとプロテスタントが絡み合う複雑なアイルランドの社会を背景に、人の気持ちのスレ違いを描いた作品が多い。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年2月15日位初版第1刷発行。単行本ハードカバーー縦一段組みで本文約388頁に加え、訳者あとがき10頁。9ポイント44字×19字×388頁=約324,368字、400字詰め原稿用紙で約811枚。文庫本なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらいの分量。

 幾つかの作品はアイルランドの歴史と社会が背景にある。大ざっぱに言うと、民衆はカトリックで、侵略者であり地主階級のイングランド人はプロテスタント。ただし「アイルランド便り」のフォガーティー姉弟のように、落ちぶれたプロテスタントもいる。

【収録作は?】

 それぞれ 邦題 / 原題 の順。

トリッジ / Torridge
 寄宿舎学校で、トリッジは天然ぼけで明らかに浮いていた。特にトリッジに構うのは三人、ウィルトシャーとメイス=ハミルトンとアロウスミスの三人だ。この学校には秘密の伝統がある。上級生は、特定の下級生の後ろ盾になる。ある日、トリッジに…
 校長の「要領を得ない話」は、前菜ながら、この作家の特色をよく表している。十四年間つとめてきたって、そりゃ自分の無能を告白しているようなモんなんだけど、気づいていないんだろうなあ。この気づいていないってのが、後半になって…
こわれた家庭 / Broken Homes
 ミセス・モールビーは八十七歳。二人の息子を戦争で喪い、夫も五年前に他界した。今はひとりで暮らすのにも慣れたし、近所の人も何かと気を使ってくれる。ただ耄碌したと思われるのは嫌だった。ある日、中等学校の教師と名乗る男がやってきて…
 これまた教師の間抜けっぷりが炸裂する話。なんだけど、こういう自信満々の奴ってのは、まずもって自分じゃツケは払わない。というか、だいぶ前から話題になっている社会問題を私は思い浮かべた。ご近所と付き合いがあっても、これじゃあ…
イエスタデイの恋人たち / Lovers of Their Time
 時は1960年代。ノーマン・ブリットは旅行代理店に勤める40歳の冴えない男。妻のヒルダは同い年。子供はいない。最近、気になる女がいる。マリー、職場近くのグリーンズ薬局にいる娘。マリーから休暇の旅行の相談を受けたノーマンは、昼休みに彼女を誘い…
 1960年代といえば若者が元気にはっちゃけた時代、みたいな印象を持っていた。でも、中年もソレナリにノッていたのかも。
ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳 / The Raising of Elvira Tremlett
 父さんとジャック叔父さんは一緒に自動車修理工場をやってる。ブライアン兄さんとリーアム兄さんは工場を継ぐと期待されてる。エッフィー姉さんは計算が得意で、工場の会計を任せるのにちょうどいい。キティー姉さんは父さんのお気に入りだ。でも僕自身は…
 「トリッジ」同様、浮いちゃってる少年の話。子供が五人、町にパブが29軒って所が、いかにもアイルランドだなあ。1873年没ってのに何か意味があるのかと思って Wikipedia の「アイルランドの歴史」を見たら、土地改革でイングランド人地主の土地を小作人に分け与えていた頃。
アイルランド便り / The News from Ireland
 1839年、アイルランド。先代の地主ヒュー・パルヴァータフトが亡くなり、後継ぎの一族がやってきた。屋敷も敷地もいい具合に崩れかけていたが、後継ぎは職人を集め屋敷を整えている。フォガーティー姉弟は落ちぶれたプロテスタントで、屋敷で働いている。そこに住みこみ家庭教師のアンナ・マリア・ヘッドウがやってきた。
 1845年~1849年は有名なジャガイモ飢饉(→Wikipedia)の時代。ジャガイモの疫病による不作に加え、イングランド地主の無慈悲な政策が飢餓に拍車をかけた。冒頭でざっくりとアイルランドの歴史をまとめてあって、これが最後の文と見事につながっている。
エルサレムに死す / Death in Jerusalem
 兄のポール神父は才気に溢れ、アメリカに渡って成功し、世界中を飛び回っている。無口な弟のフランシスも信心深く、今は母の金物店を引き継ぎ働いている。毎年恒例の里帰りの際に、ポール神父はフランシスを聖地エルサレムへの巡礼に誘う。
 社交性とエネルギーと才気に溢れてはいるが、母との折り合いが悪い兄のポール。無口でお人好しながら、母との暮らしに満足しているフランシス。私はポールに入れ込んじゃったなあ。登場人物の視点の違いによる、気持ちのスレ違いを巧みに描く作品が多い中で、この作品は特に心に刺さった。
マティルダのイングランド / Matilda's England
 1.テニスコート / The Tennis Court
 2.サマーハウス / The Summer-house
 3.客間 / The Drawing-room
 昔のチャラコム屋敷は賑やかで、たくさん人を雇っていた。でもミスター・アッシュバートンが先の戦争で出征し、復員した時は抜け殻になってしまう。以来、家は落ちぶれ負債は嵩み、1929年に亡くなる。返済のためミセス・アッシュバートンは地所を切り売りした。父の農場も、その時に買ったものだ。
 そして1939年、5月。老いたミセス・アッシュバートンンは9歳の私をマイ・マティルダと呼び、可愛がってくれる。15歳の兄ディックと14歳の姉ベティーが一緒のとき、ミセス・アッシュバートンが言う。「チャラコム屋敷にはテニスコートがあるから」「プレーしたくなったらいつでもどうぞ」
 今、調べたら、WIkipedia に「マティルダ・オブ・イングランド」なんて記事がある。何か関係あるのかな?
 イングランドの田舎で生まれ育った娘マティルダの一人称で語られる物語。短編三つと言うべきか、三部構成の中編と言うべきか。
 改めて読み直すと、ミセス・アッシュバートンは、なかなか気のいいご婦人じゃないか。零落しても気品は保ち、かつての名声に拘らず農場の子どもたちにも気さくに声をかける。老いて独り身の寂しさが理由とはいえ、お高くとまってないのがいい。
 マティルダはミセス・アッシュバートンがあまり好きじゃない様子。それでも仲の良い家族に囲まれ、幸せな子供時代を送る。そのハイライトが、最初の「テニスコート」の終盤だろう。だが海の向こうではドイツが暴走を始め…
 戦争の影が濃い作品だ。が、それ以上に、私はマティルダ自身の性格が強いと思う。彼女は決してSFなんか読まないだろう。でもジャック・フィニイの「ゲイルズバーグの春を愛す」は気に入るんじゃなかろか。未来より過去が好きな人なのだ。こういう人は、いつでも、どこにでも居る。
丘を耕す独り身の男たち / The Hill Bachelors
 幾つもの丘を越えて、末っ子のポーリーが帰ってきた。亡くなった父を見送るため、母の住む農場の家に。父はフランセスがお気に入りで、次にメナを可愛がっていた。そつのないケヴィンも、長男のエイダンも。だが末っ子のポーリーとは…
 農家の嫁不足はどこも同じらしい。そして、農家の嫁の待遇も。子供が五人ってのも、いかにもアイルランド。にしてもポーリー、実はけっこうモテてるのに…
聖母の贈り物 / The Virgin's Gift
 18歳の時、ミホールは神のお召しを受けた。修道院へ行け、と。ひとり息子であるにも関わらず、父はミホールを送り出してくれた。幼馴染のフォーラは違ったが。やがて修道院でも…
 ある意味、信仰に身を捧げた者の物語なんだが、決して祭り上げられることはないだろう。タイトル通り、キリスト教信仰の色が濃い…と思ったが、日本でも昔はこんな坊さんがいたんじゃないかな。でも、こういう形で終わるのは、やっぱりキリスト教だなあ。
雨上がり / After Rain
 ハリエットは30歳になったばかり。本当はふたりでエーゲ海のスキロスでバカンスを過ごすはずだった。でも今はペンシオーネ・チェザリーナで一人。恋が終わってしまったのだ。そこで、子どもの頃、家族と一緒によく来たここに再び来たのだ。
 失恋旅行に出かけた女の話…なんだが、日本のような島国に住む者としては、気軽に外国に旅行に行けるヨーロッパがひたすら羨ましかったり。

 ポップ・ミュージックのレコードやCDに倣い、12編を集めた作品集。レコードなら、さしずめ「トリッジ」~「エルサレムに死す」がA面で、「マティルダのイングランド」~「雨上がり」がB面だろうか。微妙に性格の悪さが滲み出ているA面に対し、B面は密かに悲しみと諦観が漂っている。その双方が入り混じった「エルサレムに死す」が私は好きだなあ。

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2018年9月26日 (水)

中島らも「今夜、すべてのバーで」講談社文庫

おれがアル中の資料をむさぼるように読んだのは結局のところ、「まだ飲める」ことを確認するためだった。
  ――p47

アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。(略)アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。
  ――p51

中毒者でないものが薬物に関して発言するとき、それは「モラル」の領域を踏み越えることができない。
  ――p127

アル中の要因は、あり余る「時間」だ。
  ――p131

「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことである。
  ――p132

「今の日本じゃ、酒は水か空気みたいなもんだ。どこへ行っても目の前にあるんだ。そんなところで断酒なんかができるかね」
  ――p200

「痛みや苦しみのない人間がいたら、ここへ連れてこい。脳を手術してやる」
  ――p229

【どんな本?】

 エッセイ・劇作・放送作家など様々な分野で活躍した中島らもが、酒に憑かれたアル中の生態と、その周囲の人々を描く、アル中小説。

 主人公は35歳の小島容。毎日のように朝から晩まで飲み続けた挙句、体を壊して入院する羽目になる。目は黄色く濁り、顔色はドス黒く、食事も受け付けない。35歳にして衰え切った体力は、階段すら這って登らねばならない体たらく。なんとかベッドに横になったが、さっそく禁断症状に襲われ…

 人はなぜアル中になるのか。アル中か否かは、どうやって判断するのか。アル中の身体は、どうなっているのか。酒が抜けるに従い、アル中には何が起きるのか。なぜアル中は飲み続け、なぜ止められないのか。家族など周囲の者に、アル中はどんな影響を及ぼすのか。そして、支援の手はあるのか。

 自らもアル中だった著者が、その体験や心中を吐き出すと共に、自己診断方法・原因を探る学説・症状と治療法などの資料を漁り、多様な視点でアル中を描く、アル中文学の傑作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1991年3月、講談社より単行本を刊行。私が読んだのは講談社文庫版、1994年3月15日発行の第1刷。文庫本で本文約281頁に加え、著者の中島らもと山田風太郎の対談「荒唐無稽に命かけます!」が豪華21頁。8ポイント43字×18行×281頁=約217,494字、400字詰め原稿用紙で約544枚。文庫本では普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。所々に入るコテコテのギャグも、親しみやすさを生み出している。アル中を医学的に語る部分では多少小難しい話も出てくるが、面倒くさかったら読み飛ばしても構わない。それより、生々しいアル中の生態こそ、この作品の最も美味しい所。

【感想は?】

 凄まじい、色々と。だが、これは遠い異国の話じゃない。私たちの隣で起きている事だ。

 最初のジャブからして強烈。軽い問診を受け入院が決まった小島、入院までの余った一時間で、いきなり隣の公園でワンカップを開ける。酒で体を壊したのがわかりきってて、これだ。何を考えている?

 しかも、いきなり飲み干すわけじゃない。「吐いちまわないだろうか」などと、おっかなびっくりである。どうやら体が酒を受け付けない時もあるらしい。だったら飲まなきゃいいのに。なぜ、そんなにしてまで飲む? 意味わからん。

 などと、私たちが勝手に想像するアル中の姿を、これでもかとブチ壊してくれる。酒好きがアル中になるのかと思ったが、そういう事でもないらしい。また、アル中の症状も、私はギャビン・ライアルの名作「深夜プラス1」のガンマン、ハーヴェイ・ロヴェルで刷り込まれたんだが、実際には…

 いやもう、実に情けなくみっともない有様で。それを本人は隠し通せると思って何かと誤魔化すんだが、それが余計にみっともないんだよなあ。

 とかの、アル中真っ盛りの姿も凄まじいが、そんな小島が入院生活で次第に復調してゆく過程も、これまた人の肉体の凄さが伝わってくる。

 中でも私が最も怖かったのは、フケの場面。そんなにしてまで、人体は生きのびようとするものなのか。そんなになってでも、人というのは生きられるものなのか。アルコールとは、そこまで体に負担をかけるものなのか。

 一人称の作品とすることで、アル中が何を考えているかも、自嘲的に書いている。その反面、他の人から見たアル中の醜さは、描くのが難しい。これを担当しているのが、同じ病室の福来だ。小島より少し年上だが、小島同様のアル中だ。彼との霊安室の場面は、舞台のせいもあって、鬼気迫るものがある。

 そんなアル中に巻き込まれる者も、たまったモンじゃない。

 周辺人物として最初に登場するのは、担当医の赤河だ。アル中への恨み憎しみを隠しもせず、口を開けば憎まれ口ばかり。先の福来を見ていると、医師としてアル中の面倒を観にゃならん赤河の気持ちもわかる気がする。掃除する度にゲロを吐かれたら、そりゃやってられないだろう。

 そんな風に、小島には敵意も露わに接する赤河だが、妙に名台詞が多いあたりは、著者も医師に感謝してるんだろうか。「抜糸するまで傷は医者のものだ」とか、なんか良くわかんないけど納得してしまう。

 赤河と同じく、アル中のトバッチリで苦労し通しなのが、天童寺さやか。公的には小島に雇われた事務係だが、どうやら独身らしい小島が入院したとあって、こまごまとした面倒を見ることに。ハッキリとモノゴトを言い切る性格なのが唯一の救いだが…。 彼女こそ、酒の罪深さを体現した人と言えるだろう。

 などと、アル中やそれに関わる者の、行動や心の中を描くと共に、久里浜式アルコール依存症スクリーニンク・テスト(→久里浜医療センター)などの参考資料やアル中の精神病理学など、客観的・学術的な情報も充分に盛り込んである。

 とか書くと、なにやら説教臭い本のように思われかねないが、決してそんなことはない。小島と赤河や、三婆との会話、「打ち止めの一発」なんてネタは、らも風のユーモアが詰まっているし、同室となった吉田老夫婦の姿は、病院文学とでも言うべき味わいがある。

 長さも手ごろだし、文章も親しみやすい。怖いもの見たさの娯楽作品のつもりで、手に取ってみよう。

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2018年6月19日 (火)

司馬遼太郎「功名が辻 1~4」文春文庫

(千代、見ろ。そなたの馬だ)
  ――1巻 p313

山内一豊が、多少とも英雄の名に値いするとすれば、すべて千代の作品であった。
  ――2巻 p49

「われわれは、いつまでたっても内々は火の車だな」
「火の消えたようなことよりましでございましょう」
  ――2巻 p173

「わしはこの一戦で山内家の家運をひらく。そのほうどもも、この戦さで家運をひらけ。わしがもし討死すれば、弟の子忠義(国松)を立てよ。そのほうどもが討死すればかならず子を立ててやる」
  ――3巻 p334

「仕事はわかいころ、物を味わうのは老いてから」
  ――4巻 p143

【どんな本?】

 主人公は、後に土佐藩主となる戦国大名の山内一豊と、その妻で優れた知恵を称えられる千代。

 時は戦国の永禄十(11567)年、戦場での働き次第で出世か死が決まる時代。若き山内伊右衛門は「ぼろぼろ伊右衛門」の異名で呼ばれる。主君は織田信長、美濃を落とし頭角を現しつつある風雲児だ。伊右衛門はその近衛仕官ながらも、石高はたかだか五十石。だが、このたびめでたく縁談が決まった。

 織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と、権力の座が目まぐるしく入れ替わってゆく中を、若い夫婦が二人三脚で道を切り開き、身を立ててゆく姿を描く、娯楽歴史物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1963年~1965年に新聞連載。1965年に文藝春秋新社より上下巻で単行本発行。1976年に文春文庫から文庫本が全4巻で刊行。私が読んだのは2005年2月10日第1刷の文春文庫の新装版。文庫本で縦一段組みの四巻、それぞれ本文約307頁+341頁+330頁+290頁=1,268頁に加え、あとがき(というよりエピローグ)15頁+永井路子の解説16頁。9ポイント39字×18行×(307頁+341頁+330頁+290頁)=約890,136字、400字詰め原稿用紙で約2,226枚。文庫本4巻は妥当なところ。

 文章はやたらと読みやすい。ややお堅く古風な香りもあり頭よさげな雰囲気なのに、なんでこんなに読みやすいんだろう。私もこんな文章が書きたい。内容もわかりやすい。舞台は戦国~江戸初期と、今とは技術も社会も違う世界だが、うるさくない程度に説明が入っている。

 敢えて言えば、当時の距離の単位を知っているといい。一間は約1.8m、一丁は約110m、一里は約4km。。それと、浅黄色など色の和名と、小袖などのファッション、そして軍ヲタなら地形が判る日本地図があると更によし。

【感想は?】

 まず司馬遼太郎作品の特徴は、とにかく読みやすいこと。

 なにせ昔の話、字面を見ると漢字は多いし、ルビもアチコチに入っている。それでも、版面を見ただけで、「なんかとっつきやすそう」と感じてしまう。

 そこで改めてよく見ると、改行が多い。文が短いのだ。単に短いだけなら、私でも心がければ真似できそうな気がする。が、少し書いてみれば格の違いを思い知る。独特のリズムがあって、これに乗って読んでいくと、スルスルと物語の中に取り込まれてしまう。

 加えて、この作品、特に序盤は、主な登場人物たちが若いせいもあり、勢いがある上に微笑ましく、笑える場面が多い。

 山内伊右衛門の初登場時は、「ぼろぼろ伊右衛門」なんて呼ばれ少々情けない。この微妙な情けなさは終盤までずっとつきまとう。それが決定的になるのが、婚礼の夜の場面。伊右衛門、綺麗な嫁さんをもらってウキウキしつつも、多少の不安を抱えて迎えた夜の次第は…

 いやあ、酷いw なまじ有名になったばかりに、こんな酷い話まで語られるとはw 化けて出てくるかもしれないw

 他にも夫婦のお色気シーンは幾つかあるんだが、いずれも明るくユーモラスなのがなんとも。私はポルノは明るいのが好きなんだけど、ここまでギャグ・タッチだと、お色気もヘッタクレもないw お互いに歳をとって白髪が云々とかやりあってる所は、いかにも長く連れ添ったおしどり夫婦の風情がたっぷり。

 やはり序盤は他の登場人物も若く、目線は遥か高みを望んでいる。若き主人の伊右衛門を盛り立てようと働く二人の郎党、祖父江新右衛門と五藤吉兵衛も、オッサンながら欲と愛情のまじりあう眼差しが、夫婦とはまた違う野郎どもの気兼ねのない世界が楽しい。

 と同時に、こういった人物を動かす舞台設定の芸の細かさも、司馬遼太郎作品の欠かせない魅力。

 SF者には意外と司馬遼太郎ファンが多い。というのも、「今、こことは違う世界」を見せてくれるからだ。作品名にあるように、この世界では功名こそが大事。この功名を巡り、登場人物たちが命を懸けた駆け引きを繰り広げてゆく。

 序盤こそ天下が定まらず戦が多いため、彼らが名をあげる機会も転がっている。が、次第に世が定まるにつれ、伊右衛門を始め彼らのチャンスは減ってゆく。貴重な機会を活かすべく、同じ陣に属する者たちも、様々な思惑を抱え…

 ニワカとはいえ軍ヲタのはしくれとしては、彼らの目線で戦場を見ることで、封建体制の軍が持つ統率の難しさが伝わってくるのが嬉しい。もっとも、そうやって功を上げ扶持が増えても、暮らしが楽になるわけじゃないって事情も、ちょっと切なかったり。

 かと思えば、「信州武士は小部隊の巧妙さでは天下に名があった」なんて記述も、ニワカ軍ヲタには美味しいネタ。歴史に詳しい人には常識なんだろうなあ。これは信州の地形を思い浮かべればいかにもで、起伏の多い土地だから少人数でのゲリラ戦に長けるんだろうなあ、とか思ったり。

 やはり地形の影響が強そうと感じるのが、終盤で土佐に移ってからの一領具足を巡るゴタゴタ。いずれも独立心旺盛で鼻っ柱の強い連中なんだけど、海沿いと山中の者の性格の違いが、これまた「いかにも」で。

 そもそも土佐を描くのに鬼国とか酷い言われようだが、司馬遼太郎は他にも「竜馬がゆく」「戦雲の夢」「夏草の賦」と土佐ゆかりの作品を書いてるんで、実は土佐が気に入ってるのかも。

 こいう風に人物を巧みに造ってしまう著者だけに、他の有名な武将も彼の著作で一般の印象が決まってしまう。それが最も強く出ているのが、秀吉と家康。

 とにかく司馬遼太郎、秀吉が好きで家康が嫌いなのだ。明るく派手好き新しもの好きで商人肌の秀吉、地味で田舎者で保守的で陰険な家康と、見事に対照をなす形で書いている。今でも秀吉は人気があるけど、その幾分かは著者の影響だろう。

 やはり通説を取り入れているのが、長篠の合戦の描写。かの有名な三弾撃ちですね。この物語の戦の規模としては関ヶ原が最も大きいんだけど、大きいだけに幾つもの戦場があって、個々の戦闘の印象は残りにくい。けど、長篠はほぼ一発で決まる戦いだけあって、心に映像が残りやすい。

 にしても、ここまで武田勝頼を貶さんでもw

 読みやすくリズムのある文体、ユーモラスな人間模様、史実に基づく小ネタで地盤を固めつつ、会話や架空の人物で物語を肉付けしてゆくドラマ作り。サービス満点で、とにかく楽しい読書を味わいたい人のための娯楽大作だ。

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2018年2月22日 (木)

景戒「日本霊異記」平凡社ライブラリー 原田敏明・高橋貢訳

少しばかり聞き伝えたところをしるし、日本国現報善悪霊異記と名づけて、上中下の三巻に分け、後世に伝える。
  ――上巻の序文

吉志火麻呂は武蔵国多磨郡鴨里の人、母は日下部真刀自である。聖武天皇の世に火麻呂は大伴某に指名されて、九州防備の防人にいくことになった。防人の年限は三年である。母は子について行ってともに暮らし、妻は国にとどまって家を守った。
  ――中巻 極悪の子が妻を愛し、母を殺そうと謀って、たちどころに悪い死に方をした話 第三

奈良の都に一人の僧がいた。名前は分からない。僧はいつも方広経を誦して、俗人の生活をして、銭を貸すことによって妻子を養っていた。
  ――下巻 方広経を誦した僧が海に沈んで溺れなかった話 第四

【どんな本?】

 平安時代初期の僧・景戒が、聞き知った話を書き記したとされる、仏教の説話集。主に飛鳥・奈良時代を中心に、因果応報・勧善懲悪のストーリーで、仏教の信心を説く話が多い。が、中には、雷を捕えた・狐の嫁を娶ったなど、ちょっとした怪異譚も採録している。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解説によると、成立は平安時代初期、嵯峨天皇の治世、810~824年ごろ。著者は「奈良右京の薬師寺の僧、景戒」と序文にある。正式な書名は「日本国現報善悪霊異記」。上巻35話,中巻42話,下巻39話の計3巻116話から成る。

 この版の現代語訳は1967年8月東洋文庫より刊行。これを平凡社ライブラリーに収録、2000年1月24日に初版第1刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約296頁に加え、両訳者による解説20頁。9ポイント41字×15行×296頁=約182,040字、400字詰め原稿用紙で約456枚。文庫本では普通の厚さ。

 現代語訳だけを収録している。文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。成立は平安時代だが、飛鳥・奈良時代を舞台とした話が多い。なので中学校で学ぶ程度の日本史の素養はあった方がいい。

【感想は?】

 仏教の説話集だ。ただし庶民向け。なので、これを読んでも当時の仏教の教義はほとんどわからない。

 「信心しなさい」とは言うものの、じゃ信心って何?となると、かなりあやふや。殺生はイカン、ってのはわかるが、それ以外は仏像を拝めとか写経しろとか、とにかく熱心にやれってだけ。

 特にワケがわからんのは中巻「法師を打って現に悪病にかかり、死んだ話 第三十五」。「仏法を守る神はどうしていないいのか」なんて台詞が出てくる。当時は僧侶でも仏様と神様をハッキリ区別してなかったんだろう。

 そんな中でもちと都合よすぎだろ、と思うのは僧の扱い。乞食坊主であろうとも、僧をいじめたりののしったりしたら祟るぞ、だの、僧は魚を食べても構わないんだとかは、当時の仏教僧の特権意識がよく出ている。

 とまれ、そんな説教臭い所は置いて、怪異譚として読むと、それなりに収穫がある。

 なんたって、いきなり「雷を捕えた話」だ。たった三頁だが、話の展開がやたら早く、雷神は二度も捕まってる。残念ながら雷神の姿については何も書いていないので、虎のパンツをはいてたかどうかはわからないw

 次の「狐を妻として子を生ませた話」も、2頁と少しで話が終わる。男が嫁さんをナンパする場面も、実にスピーディ。正体がわかっても最後まで嫁さんラブラブな男が可愛い。昔からケモナーはいたんだなあ。お話の展開から、もしかしたら雪女の原型かも。

 異種婚姻譚だと、他には蛇が娘につきまとう話が幾つか。お話の中だと狐は雌で蛇は雄なのは、何か理由があるんだろうか。

 世界各地の神話・伝説と似てたり、共通点のある話もある。第三の「雷の好意で授けてもらった強力の子の話」では、生まれた子に蛇が巻き付いている。確かヘラクレスも雷神ゼウスの子で、赤ん坊の時に蛇を殺してるから、何か関係があるのかも。

 処女懐胎も幾つかあるけど、イマイチ有難みは少ない。

 比較的にマシなのは下巻「女が石を産み、神としてまつった話」第三十一。処女が孕み、三年ほどして二つの石を産む。実はこの石、神様の子で…とはあるが、特に何か有り難い事も起きず、アッサリ話は終わってしまう。「結石じゃね?」とか突っ込んじゃいけません。

 そんな中でも、やはり大きいと感じるのが中国の影響。死んで閻魔様に会い、話を聞いて蘇るってパターンがアチコチにある。これらは微妙に聊斎志異と雰囲気が似てて、たぶん大陸から流れてきた話なんだろう。

 ここでは「頭は牛、体は人間の形をした」云々ってキャラも出てくる。まるきし鬼だ。が、この話では鬼とは書いていない。他の話で鬼は出てくるんで、当時の鬼は今と違う姿をしていたのかも。

 また、「○○は××の人である」ってな書き出しも、中国の古典の定型を持ってきたんだろうなあ。

 おおらかだよね、と思うのは下巻「愛欲の心が生じ、吉祥天女の像をしたって、不思議なことがあった話」第十三。ある男が吉祥天女の像に惚れ、お勤めの度に「あなたみたいな美女を下さい」と熱心に祈ったところ…。このままエロマンガに使えそうな話だ。つまりアレって美少女フィギュアなのね。

 時代は変わっても人は同じと感じるのは、最後の一つ前、下巻「災いと善との前兆があって、後でそれが現れた話」第三十八。これは他と毛色が違って、著者の景戒自身が登場し、いろいろとボヤいてる。「わたしが身を受けること、ただ五尺あまり」とか嘆いてて、昔から背の高い男がモテたんだなあ。

 ここでは「爪はじき」なんて言葉も出てくるんだが、意味が現代と全く違っちゃってるのも、ちょっと趣があったり。また、景戒も僧ではあるけど嫁さんも子供もいて、戒律は江戸時代とだいぶ違う様子。

 とか、変なネタばかりを拾って紹介したけど、基本的には勧善懲悪な仏教の説話です、はい。

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2018年1月16日 (火)

マリオ・プーヅォ「ラスト・ドン 上・下」ハヤカワ文庫NV 後藤安彦訳

「われわれはいつの日にか聖者になりたいと思う」ドンが答えた。「だが殉教者にはなりたくない」
  ――上巻p16

「映画は頭脳を征服する必要はなく、感情を征服するだけでいいんだ」
  ――上巻p65

「第一に、そしてこれはもっとも危険な点だが、逆境にいる美女には用心しなさい。第二に、きみよりもさらに大きな野心を持っている女には気をつけたほうがいい」
  ――p168

「愚かな連中を相手に理性的な解決に達することは不可能なのだ」
  ――下巻p300

【どんな本?】

 1969年に「ゴッドファーザー」で空前の大ヒットを飛ばし、映画も大当たりとなったマリオ・プーヅォが、アメリカの合法社会への進出を狙うマフィアを描いた長編小説。

 クレリクーツィオ・ファミリーを仕切るドン・ドメニコの計画は、仕上げに入っていた。既に宿敵サンタディオ・ファミリーは戦争で壊滅させた。他のファミリーとは友好的な関係を保っている。息子たちはそれぞれ合法的なビジネスを展開し、また信頼できる甥のピッピもラスベガスに拠点を築いた。

 政府の締め付けは年々厳しくなっている。特に麻薬ビジネスは厳しい。新たに参入したコロンビア人はあまりに無謀で大胆だ。裏稼業は自分たちの代で終わりにしよう。新しい世代は合法的な世界でまっとうなアメリカ人としての生涯を送るのだ。

 孫のダンテと甥ピッピの息子クロスの洗礼式の日、ドンは他のファミリーに取引を持ち掛け、最後の撤退戦に向け陣営を整える。だが、それは新たな流血の幕開けでもあった。

 厳しい掟に従いつつも暴力と策略で社会を蝕むマフィアの世界に加え、ギャンブルの楽園ラスベガスのビジネスや、金と欲が渦を巻くハリウッドの人間関係も暴き、現代アメリカのダークサイドを晒す、娯楽長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Last Don, by Mario Puzo, 1996。日本語版は1996年12月に早川書房から単行本で出版、後に2000年10月31日にハヤカワ文庫NV発行。文庫本で縦一段組みの上下巻、本文は491頁+415頁=約906頁に加え、関口苑生の解説8頁。8.5ポイント41字×18行×(491頁+415頁)=約668,628字、400字詰め原稿用紙で約1,672枚。3~4巻に分けてもいい巨大容量。

 文章はこなれている。内容もあまり難しい所はない。ややこしいのは、金の流れを説明する部分。つまりはペテンの手口なんだが、面倒くさかったら読み飛ばして、「なんか汚いことやってんだな」ぐらいに思っておこう。

【感想は?】

 これを読んだら、カジノ法案に抱くかもしれないし、逆に賛同したくなるかもしれない。

 なんたって、ドンの目論見が「ギャンブルの合法化」だ。そもそも、マフィアは滅多な事じゃまっとうな商売には手を出さない。「楽してズルしていただき」がモットーの連中である。

 そのマフィアのトップ、ドン・ドメニコ・クレリクーツィオの狙いは、ファミリーを合法化すること。政府の締め付けは次第に厳しくなる。今までのように、法を犯し暴力を厭わないビジネス、例えば麻薬の取引は先行きが暗い。そこで、新たな資金源として狙うのが、ギャンブルだ。

 そのギャンブルの具体例として、詳しく描くのは、ラスベガスのカジノ。それも、そこらのパチンコ屋みたく、セコい金額じゃない。新築の家が買える金額が一晩で吹っ飛ぶような、デッカいギャンブルの世界だ。

 ただし、視点はギャンブラーではなく、オーナー側。彼らがいかにして大口の顧客から金を引き出すか、その手口をわかりやすく描いてゆく。例えばニューヨーク発で飛行機代・ホテル代・食事代タダのツアーとかもあったり。

 そんな一見美味しいツアーが成立しうるのも、ギャンブルが法で守られているラスベガス、そしてネバダ州ならでは。そんなワケで、ここで商売するには、州政府との関係も大事で。

そういえばUFO騒ぎで有名な空軍基地エリア51もネバダ州だっけ。実はここ、合衆国の核開発の拠点でもあった(「エリア51」)。とすると、連邦政府との関係も重要、とか考えると、一味違ってくる。

 などの美味しいビジネスのギャンブルに、更に美味しいトッピングを添えようってのが、ドンの目論見。しかも、その目論見の裏をかくとんでもねえ奴まで出てくるんだから、地下社会の闇は深い。もっとも、このトッピングに似たシロモノは、既に日本で合法化されてたりするから怖い。

 もう一つ、重要な柱になるのが、ハリウッドの内幕。最近は Twitter で #MeToo が流行っているように、ソッチの話題も遠慮なく出てくる。ただし、この作品では、かなり男に都合のいい形になってるけど。

 それより私にはカネの話の方が面白かった。この小説ではアーネスト・ヴェールなんて作家も出てきて、彼はどう見てもマリオ・プーヅォ自身だ。作家としての能力はともかく、人間的にはしょうもない奴に描かれていて、読みながらついニヤニヤしてしまう。

 彼が語る、小説家が映画に抱く屈折した想いなどは、本好きにはかなり突き刺さる台詞。代表作ゴッドファーザーにしても、映画を知っている人は多いが、小説を読んだ人はほとんどいない。やたら面白いのになあブツブツ…

 とかに加え、小説と脚本の違いも、ちょっとした読みどころ。

 それより何より、自作を映画化する際に交わす、権利関係の契約のキモが、生臭く面倒くさいながらも、だからこそ生々しい迫力を放っている。明らかに彼自身の経験から学んだ教訓なんだろうが、原作者の懐が潤わないメカニズムが、実に狡猾で容赦ない。そりゃ素人はコロリと騙されるよなあ。

 そして、裏社会物に欠かせない、ケッタイな連中の生態も、ちゃんと描いている。

 最初に出てくるのが、ボズ・スキャネット。ええトコのボンボンな上にイケメン。しかも頭もよけりゃ腕もたつ。おまけに綺麗で賢い嫁さんを貰ったはいいが…。まあ、えてして男なんてそんなモンです。

 ちょい役だが、ロサンゼルスの形成外科医も印象に残る。これは私がSFファンだからかも。外科医に相応しく(←をい)、ちとマッド・サイエンティストの匂いを漂わせているあたりがたまらない。

 医者と言えば、下巻に出てくるケネス・カルドーンも忘れ難い。彼も歯科医で、物語に出てくる歯科医と言えば変態と相場が決まっている(←酷い決めつけだ)。彼のイカれっぷりは一風変わってて、理解できる人はちと危ないかも。

 と、端役にも個性的な人物を取りそろえ、現代アメリカの病んだ部分を背景に、ドンの計画は静かに進んでゆく。ある点では「仁義なき戦い」にも似て、これは現代に君臨する権力者たちのルーツの物語なのかもしれない。

 ただし。美食の場面も多く、特にイタリアンが好きな人は、深夜に読んではいけない。

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2017年12月12日 (火)

アイラ・レヴィン「ローズマリーの赤ちゃん」ハヤカワ文庫NV 高橋泰邦訳

「ブラムフォードはドアの一つにR=G・ウッドハウスと書かれるとき、禍いの家から幸福の家に変わるでしょう」
  ――p32

彼は役者だ。役者がいつ演技でなく真実なのか、誰に分かるだろうか?
  ――p120

「スーツケースが一つで足りない人はね」「ありゃあ観光客で、旅行家じゃあない」
  たーしp238

【どんな本?】

 ミステリやサスペンスで人気のアメリカの作家アイラ・レヴィンによる、ベストセラー小説。発表後すぐに映画化され、これもまた大ヒットとなった。

 ローズマリーはネブラスカ州オマハ出身の24歳。カトリックの一家で六人兄弟の末っ子。兄や姉はみな若いうちに結婚し、両親の近くに住んでいる。ローズマリーは単身ニューヨークに出てきて、売り出し中の役者で9歳上のガイ・ウッドハウスと結婚した。両親はガイがカトリックでないのを快く思っていない。

 子供は欲しいと思っているが、ガイがその気にならない。新居を探している時、古風な古いブラムフォードの黒いアパートが見つる。親友の作家ハッチはブラムフォードの不吉ないわれを語るが、ぞっこん惚れこんだローズマリーの決心は固い。

 隣のローマン&ミニー・キャスタベットは年配の夫婦だ。ミニーはいささか変わった嗜好の持ち主だが、明るく親し気に接してくれる。老夫妻は、若い娘のテリー・ジオノフリオを養っている。ローズマリーはテリーとも親しくなったが…

 ヒタヒタと恐怖が忍び寄る、都会派ホラーの古典。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rosemaryy's Baby, by Ira Levin, 1967。日本語版は1972年1月31日発行。私が読んだのは1994年7月31日の19刷。着実に版を重ねてるロングセラーですね。文庫本で縦一段組み、本文約308頁に加え訳者あとがき4頁。8ポイント43字×18行×308頁=約238,392字、400字詰め原稿用紙で約596枚。文庫本としては標準的な厚さ。

 さすがに半世紀も前の作品なので、出てくる言葉は時代を感じさせるものの、文章そのものは意外と読みやすい。ここで感じる「古さ」ってのも変なモンで、ぐっと遡って18世紀あたりを舞台にすると、古さどころか逆に異境的な新鮮さを感じるから、奇妙な話だ。

 内容もわかりやすいが、多少ニュアンスを読み取るべき所がある。

 まず、ローズマリーがネブラスカのカトリック一家出身で六人兄弟という点。ニューヨークから見ればネブラスカは田舎だ。カトリックの六人兄弟って所から、家族は信心深い事がうかがえる。田舎の信心深い子だくさん家庭の出身、という所を押さえておこう。

 ガイは33歳で売り出し中の役者。それなりに仕事は入ってきちゃいるし、評判も上がりつつあるが、ボチボチ一発当てないと、年齢的にヤバい。朗らかに振る舞っちゃいるが、内心はかなり焦っているはず。ローズマリーより九歳も上で、しかも演技のプロである役者なのも、巧みな設定だ。

 加えて、ローマ教皇や「神は死んだ」など、キリスト教関係の要素。これはすぐ気が付くだろう。

【感想は?】

 とっても底意地の悪い、妊娠小説。

 正直、今の感覚だと、本題に入るまでが長い。じっくりと描かれたニューヨークでの新居での暮らしは、狭い日本家屋に住む身としちゃ、かなり羨ましかったり。いいねえ、新婚二人で四部屋なんて。

 アパートのエレベーターにボーイがいるのも、当時のニューヨークならでは。昔はデパートにエレベーター・ガールがいたんだけど、今は手動開閉式なんて滅多にないし。

 とかも、古い映画が好きな人は、良く知っているだろう。夫のガイが役者で、親友のハッチが作家なためか、レトロなエンタテイメントのネタがアチコチに仕込んである。

 冒頭の引用はジーヴス・シリーズで有名なイギリスのユーモア作家P・G・ウッドハウス(→Wikipedia)だし、「ロンドン子の花売り娘を、公爵夫人に」はピグマリオン(→Wikipedia)だろう。いや私は映画マイ・フェア・レディ(→Wikipedia)しか知らないけど。

 と、そんな出だしの明るさは、ローズマリーの妊娠で大きく変わる。

 待ちに待った赤ちゃんとはいえ、はじめての妊娠で不安がいっぱい。頼りになる家族は近くにいないし、そもそも折り合いが悪い。親身になってくれるハッチは男なので、なにかと相談しづらい。

 日頃の暮らしも、気持ちの持ち方がガラリと変わる。ちょっとした家事や街を歩くのも、おなかの赤ちゃんの安全のため、色々と気を遣う。慣れない変わった食べ物も、体にいいからと聞いては色々と試す。そんな食べ物の好みも変わったり戻ったり。当然、体の具合も今までとは違い…

 住みかが変わり、日頃から付き合う人も変わった。新居のご近所は親切にしてくれるものの、付き合いが浅い上に歳も離れており、なによりどこか正体が捉えどころがなく、得体のしれない習慣も多い。

 と、はじめての妊娠で不安いっぱいなローズマリーの気持ちが、ひしひしと伝わってくる。

 夫のガイの挙動も、役者なんて不安定な仕事のせいのようにも思えるし、何か裏があるような気もしてくる。隣のキャスタベット夫妻、特にミニーはやたらと押しつけがましいのかもしれないし、単に親切な世話焼き婆さんなのかもしれない。

 中でも私が最もゾクッときたのは、体調がコロリと変わった時のローズマリーが、最初に何を考えたか。これはもう、「うおおっ!やられた!」と完全に脱帽。

 ほのめかされる予兆、ローズマリーの周囲で起きる様々な出来事、そしてハッチの不吉な予言。誰が信じられて誰が信じられないのか。初めての妊娠で安定になっているローズマリーの思い過ごしなのか、ローズマリーの知らない所で何かが進んでいるのか。

 国際色豊かなニューヨーク、不規則な役者の暮らし、そして若い妊婦の不安な気持ちをブレンドし、アアチコチに巧みな伏線をはりつつ、驚愕の終盤へとなだれ込む、現代ホラーの古典。いやホント、改めて読み直すと、伏線が実に見事なんだ。

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2017年11月14日 (火)

干宝「捜神記」平凡社ライブラリー 竹田晃訳

陳節は神々を訪問して回った。東海君は織ってあった青い上着を一着、土産にくれた。
  ――巻2 37 東海君

罔象(もうしょう)は三歳の子供のようで、目は赤く、全体は黒い色で、耳は大きく、腕は長く、爪は赤い。縛りあげてしまえば食べることもできる
  ――巻12 ?羊(ふんよう)

「私は普通の人間とは違いますから。あかりで私を照らしてはなりませぬ。三年たってからなら、照らしてもかまいませんが」
  ――巻16 396 墓のなかの王女(その2)

狄(てき)希は中山(河北省)の人である。「千日の酒」を造る術を持っていた。
  ――巻19 447 千日の酒

【どんな本?】

 東晋(→Wikipedia)の歴史家である干宝が著した「志怪小説」。先人の書から得たエピソードや、自分が見聞きした事から、神・仙人・幻術・妖怪・幽霊など、怪異と思われるものを集め、編纂した作品。

 小説とは言っても、現代日本の小説とは違う。単に奇怪なエピソードを並べただけで、物語の体をなしていない話が多い。あくまでも歴史家として、話を記録として残すことを目的としたと思われる。

 それだけに、現代に伝わる神話・伝説・民話に取り込まれたと思われる物もあり、また物語の創作に関わる者にとっては、ネタの優れた鉱脈と言えるだろう。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解説によれば、著者とされる干宝(→Wikipedia)は「晋代、四世紀の半ばごろ」の人。本書「捜神記」(→Wikipedia)は、南宋の頃にいったん姿を消すが、「明の万暦年間(1573~1620)」に、20巻本と8巻本の二種類が再び世に出てくる。いずれも「後人の手がかなり加えられていることはまちがいない」。

 怪異譚なだけに、そういう出自の怪しさも、魅力の一つ。

 文庫本で縦一段組み、本文約581頁に加え、訳者の解説11頁。9ポイント42字×16行×581頁=約390,432字、400字詰め原稿用紙で約977枚。文庫本なら上下巻に分けてもいい分量。

 思ったより訳文はこなれていて読みやすい。内容については、慣れていないと、最初は少し戸惑うかも。というのも、生死や化け物の概念が、現代日本の私たちと少し違うからだ。でも大丈夫。しばらく読んでいれば、すぐに慣れます。

 また、中国の歴史や人名や地名がしょっちゅう出てくるので、生真面目に読む人は事典や地図を用意した方がいいかも。ただし、だいたいの所は注に書いてある。

【構成】

 全20巻464話からなる。各話は短く、長くてもせいぜい3~5頁。中には冒頭の引用「37 東海君」のように、たった1行の短い話もある。各巻は内容で分けたらしく、解説によれば、ほぼ次の構成。

 なお、各話は独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしても構わない。

  • 巻1 神仙
  • 巻2 方士
  • 巻3 占卜・医術の名人
  • 巻4 風神・雨神・水神
  • 巻5 土地神・祠
  • 巻6・巻7 凶兆
  • 巻8 天子が天命を受ける前兆
  • 巻9 吉兆・凶兆
  • 巻10 夢兆
  • 巻11 孝子・烈女
  • 巻12 異物・妖怪
  • 巻13 山川・水陸および動植物
  • 巻14 異婚・異産、その他動物と人間との交渉
  • 巻15 再生
  • 巻16・巻17 幽鬼
  • 巻18・巻19 妖怪
  • 巻20 動物の報恩・復仇

【感想は?】

 まさしく物語の原石。

 磨けば光りそうなエピソードを、洗いもせずそのまま目の前に放り出した、そんな感じ。冒頭に引用した「東海君」とか、たった1行だ。思わず「だから何やねん!」と突っ込みたくなったり。

 世界の神話・伝説・民話を漁っていると分かるんだが、一見関係なさそうな地域に伝わる話が、似たようなエピソードを持ってたりするのも、こういう本を漁る楽しみの一つ。

 例えば「巻1 26 神符の秘宝」では、道術を心得た者が、揚子江の水を割って大河を渡る話が出てくる。まるでモーセが紅海を分けた話みたいだ。ただし、聖書と違い、全く説教臭さがないのも、この話の特徴。単に「道術ってすごいね」ってだけなのだ。

 こういった説話集には、何かを予言する話もある。中でも皮肉なのが、「巻3 49 七個の璧(へき)」。孔子は「子、怪力乱神を語らず」と語ったとされるが、その孔子が不思議な予言を残した、という話。ところが、その予言というのが、なんとも残念というかw

 日本やインドと同様に、中国にも多くの神様がいる。ただし、微妙に神様との距離感が違うのも、怪異譚の面白さ。「巻12 305 雷神」は、雷神と農民が戦う話。落ちてきた雷神に農民が襲い掛かり、雷神の股を叩き折っている。雷神様、威厳もへったくれもありゃしないw

 その次の「巻12 306 ろくろ首」は、日本でも有名。同じ「ろくろ首」にも二種類あって、首が伸びるのと、首が飛ぶのと。この本は小泉八雲と同じ飛ぶバージョンで、性質も同じ。ただし、お話は全く違い、この本では、なんとものんびりした空気が漂っているのがお国柄というかw

 同じ巻12の「308 ?国」は、女を攫う類人猿の話。諸星大二郎の「西遊妖猿伝」の冒頭は、この話からヒントを得たんだろうなあ。やはり「巻14 蛮夷の起源」は、王が困った約束をする話。敵の将の首を取った者には領土と姫を与えると宣言してしまう。幸い首は取れたが、取ってきたのは犬で…

 などと、話の小道具は似てるんだが、お話全体では微妙にテイストが違うのはお国柄か。「巻19 440 大蛇を退治した娘」では、山に大蛇が住みついて人々に仇を成す。しまいには…

大蛇は誰かの夢に現れたり、巫祝(みこ)を通じたりして、十二、三歳の少女を食べたいと要求するのである。

 このロリコンめ!と憤るが、どうしようもない。仕方なく少女を差し出すが… と聞けば、スサノオのヤマタノオロチ退治を思い浮かべるが、なぜそうなる…って、タイトルでネタバレしてるがなw 他にも、因幡の白兎っぽい話もあったり。 

 ってな、古今の物語の原型になっていると思しき話もあれば、「意外な真実が埋もれてるかも…」と思わせるネタもあったり。

 例えば「巻13 333 ?〓(虫+羸、から)」。土蜂の一種で、「雄ばかりで雌が無い」「蚕か蝗を育てているうちに、それを自分の子に変えてしまう」。蜂には、他の昆虫の幼虫に卵を産み付ける種類がいるから、ソレじゃないかなあ(→Wikipedia)。

 なんてのは可愛い方で。トロイを見つけたシュリーマンにあやかりたくなるのが、「巻15 374 豪華な墓」。呉の時代、江蘇省で大きな墓を掘り返したら、豪華な棺や玉が出てきた、ってな話。なにせ広く歴史もある中国のこと、まだ未発掘の遺跡がたくさん残ってるんだろうなあ。

 怪異譚なのに、微妙に笑える話が多いのも、この本の特徴。「巻16 378 幽霊は存在するか」は、コニー・ウィリスの「インサイダー疑惑」を思わせる。日頃から「幽霊なんかいない」と主張しゆずらない男がいた。おまけに弁が立つので、誰も説得できない。そんな男の所に、一人の客が訪ねてきて…。

 全般的に、物語として起承転結の形になっておらず、奇妙なエピソードを並べただけの話が多い。が、それだけに、物語を作る際のネタに使えそうな物がギッシリ詰まってる。雰囲気としては、諸星大二郎の緊張感より、高橋留美子の微妙にヌケた感じが近いかも。

 無駄知識で喜ぶヲタクや、創作のネタを探すクリエイターなら、読んで損はない。

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2017年9月 7日 (木)

ロバート・R・マキャモン「マイン 上・下」文春文庫 二宮磬訳

“ミスター・モジョは起きあがった。あの女はいまも涙を流している。おぼえているかい?あそこで会おう、2/18、1400に”

「われわれはみんな娼婦だったのさ。闘争を叫ぶ新聞雑誌に仕える娼婦だったんだ。われわれはやつらがこうしたいと夢見るとおりのことをしてやった。その見返りになにを得た。きみは獣になり、ぼくは43にして人生の敗残者だ」

【どんな本?】

 「奴らは渇いている」「スワン・ソング」「スティンガー」など、B級色が濃いながらケレン味たっぷりのコミック風ホラーで人気を博したアメリカの作家ロバート・R・マキャモン。だが突然の変身を遂げ、一切の超常現象を排した芸風へと方向を転換する。その嚆矢となったのが、この「マイン」。

 1990年、ジョージア州アトランタ。

 安アパートに住み、バーガーキングで働く41歳の大柄なオバサン。その正体はFBIのお尋ね者、60年代に暴れまわったテロ組織「ストーム・フロント」のメンバー、メアリー・テレル。彼女は見つけた。ローリング・ストーン誌の読者広告欄のメッセージ。それは彼からの呼びかけに違いない。集え、と。

 ローラは36歳。もうすぐ長子が生まれる。地方紙の記者として社交記事を担当してきたベテランだ。夫のダグは仕事の虫で、なかなか家に居つかない。二人の収入を合わせ、暮らし向きは悪くない。だが最近のダグの挙動は…

 羊の皮を被った狼と、羊のように生きてきた女。ローラの出産を機に二人の運命は交わり、激動の60年代の断末魔が再び鳴り響く。

 1988年の「スワン・ソング」に続き、1991年のブラム・ストーカー賞最優秀長編賞に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MINE, by Robert R. McCammon, 1990。日本語版は1992年3月に文藝春秋より単行本の上下巻で発行。私が読んだのは文春文庫の文庫版、1995年2月10日第1刷。上下巻で本文約398頁+345頁=約743頁に加え、三橋暁の解説6頁。8.5ポイント42字×18行×(398頁+345頁)=約561,708字、400字詰め原稿用紙で約1,405枚。上中下の三巻に分けてもいい大長編。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、60年代のネタがアチコチに散らばっているので、その辺に詳しいと、更に楽しめる。また、アメリカを旅する話なので、北米の地図があるといい。なおお、一マイルは約1.6km。

【感想は?】

 妊娠中、または幼い赤ちゃんがいる人には薦めない。最初の10頁で放り出したくなるはずだ。

 なんたって、メアリー・テラーことメアリー・テレルの造形が強烈。身長180cmを越える大女。60年代には暴力的なヒッピー集団「ストーム・フロント」の一員として暴れまわり、警官や大企業の役員を殺しまくったお尋ね者。

 かつてのドラッグの後遺症か、オツムは相当にイカれちゃいるものの、20年も逃げ回った実績は伊達じゃない。常に尾行には気を配り、追手の臭いは鋭く嗅ぎつけ、私服警官は目ざとく見分ける。バーガーキングのオバサンを演じちゃいるが、心の奥にはテロリストの魂が眠っている。

 そんなメアリーの魂を目覚めさせたのが、雑誌のメッセージ。かつての仲間からの集合の合図と思い込み、心は激動の60年代へと戻ってゆく。

 狂気に憑かれながらも、いや狂っているからこその、メアリーの常軌を逸した暴走っぷりが、最後までこの物語を強引に引っ張り続ける。

 いい歳こいたオジサン・オバサンには、なかなかキツいお話だ。なんたって、メアリーを筆頭に、登場人物の多くは、かつてヒッピーだったオジサン・オバサンたちだし。

 開放や反体制を叫んで青春を過ごしつつも、食ってくためには稼がにゃならん。ってんで、会社員になりきったり、バーガーキングで働いたり。それぞれに忸怩たるものを心の中に抱えてる所に、否応なく青臭かった「あの頃」の香りを突き付けてくる。こんな風に。

  • Jefferson Airplane : Somebody to Love(→Youtube)
  • Doors : Light my Fire(→Youtube)
  • Fifth Dimention : Aquarius(→Youtube)
  • Crosby, Stills & Nash : Marrakesh Express(→Youtube)

 対するローラは、ごく普通に人生を歩んできたインテリ女。理想に燃えて新聞記者にはなったものの、凄惨な事件に神経が耐えられず、社交欄に回されつつも大人しく「働く女」を務めてきた。誰からも好かれる「いい子」だったローラだが、否応なしにメアリーの引き起こす嵐に巻き込まれ…

 前に立ちふさがる者を、誰彼構わず容赦なく突き飛ばし殺し、“神”のもとへと突っ走るメアリー。なりふり構わずそれを追いかけるローラ。対照的だった二人の女が、命がけのチェイスを続けるうち、次第に似通ってくるのも皮肉な所。

 と、物語を引っ張る二人の女は、やたらとパワフルで強靭なのに対し、男はどいつもこいつも情けないのが、ちと苦笑い。ローラの夫ダグを始め、ヒッピーの生き残りマーク・トレッグスなども、フヤけちまったオッサンに描かれてるのは、ワザとなんだろう。

 などと、極力、超自然的なネタを排しつつ、それでもヒョッコリと好みが漏れてしまうのもご愛敬。「少年時代」もそうだったが、やっぱり好きなんだろうなあ、デカい生き物が。やっぱりね。男の子なら、一度は憧れるよなあ…って、やっぱし男ってのは大人になりきれない生き物なのかも。

 青春の残り火を激しく燃やし、“神”の元へと突っ走る女。己の生きる証を取り戻そうと、全てを捨てて追いかける女。二人の女の執念を、凍てつく冬のアメリカを舞台に描く、手に汗握るロードノベル。繰り返すが、妊娠中や新生児を抱える人は近寄らないように。

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2017年7月24日 (月)

「教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集」国書刊行会 中野善夫訳

「永遠の愛、残酷な愛」
  ――永遠の愛

ああ、呪われた人間の声。肉と血のヴァイオリン。その声を作り出す油断のならない道具と狡猾な手は、悪魔のものに他ならない。歌とは何と忌まわしい芸術なのか。
  ――悪魔の歌声

ああ! ああ! ああ! あいつがまた笛を吹いている!
  ――フランドルのマルシュアス

【どんな本?】

 1856年生まれの女性作家ヴァーノン・リー Vernon Lee(本名バイオレット・バジェット Violet Paget)の、幻想的な作品を集めた短編集。

 イタリアと18世紀の世界に抱く著者の憧れが強く出ており、また、「特異な形の激しい愛情」を扱う作品が多い。次第に雰囲気を盛り上げつつも、最後まで敢えて真相をハッキリさせない怪異譚が中心。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年2月24日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約434頁に加え、訳者あとがきが豪華31頁。9ポイント47字×19行×434頁=約387,562字、400字詰め原稿用紙で約969枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。聖書からの引用やギリシャ/ローマ神話のネタが多いので、それらに詳しいとより楽しめる。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題。

永遠の愛 シュピリディオン・トレプカの日記から / Amour Dure
 若いドイツ人学者シュピリディオン・トレプカは、かねてから憧れていたイタリアのウルバニアを訪れた。仕事とは別に、ある女性の記録を熱心に調べ始める。メデア・ダ・カルビ、1556年生まれ。類まれな美貌で次々と男を魅了し、破滅させた女。彼女のゆかりの地を訪ねた際に…
 イタリア,過去への憧れ,魔性の女,そして独特の形の激しい愛と、ヴァーノン・リーの得意技がたっぷり詰まった作品。出だしはちとかったるいが、洗礼者ヨハネ(→Wikipedia)が出てくるあたりからグングンと盛り上がってくる。
教皇ヒュアキントス 弾圧されたノナントーラ大修道院のエブルネウス写本の一部を成す物語 / Pope Jacynth
 神は悪魔に許した。これから生まれる赤子のうち、私が選ぶ者の一人を誘惑してもよい、と。悪魔はオドーという男を選ぶ。豊かで高貴な家に生まれたオドーだが、彼は家柄にも財産にも興味を示さず、船乗りとなる。悪魔はオドーに美貌と美声を与え…
 初訳の日本語タイトル「教皇ヒヤシンス」を「教皇ヒュアキントス」に変えたのは見事。キリスト教の寓話でありながら、その裏に込めた作者の微妙な気持ちが、読者に伝わりやすくなってる(ヒュアキントス→Wikipedia)。
婚礼の? / A Wedding Chest
 デシデリオは?に「愛の勝利」を描く。彼は雇い主セル・ピエーロの一人娘マッダレーナと結婚することになっていた。だが、名家の若者トロイロ・バリョーニがマッダレーナに目を付ける。情熱的にマッダレーナを口説こうとするトロイロだが、マッダレーナはなびかず…
 15世紀の?にまつわる、悲しく激しい愛の物語。トロイロにいちいち「高潔」とつけるあたりが、著者の意地の悪さを感じさせる。
マダム・クラシンスカの伝説 / The Legend of Madame Krasinska
 友人のチェッコ・バンディーニに連れていかれた貧者救護修道院に、そのシスターはいた。気品と魅力にあふれ、動きはきびきびとして、老人たちに温かく話しかける。だが、どこか重苦しい苦しみを抱えているようで、哀愁を漂わせている。
 ソルフェリーノの戦いは、フランス&サルディーニャ連合軍とオーストリア軍の戦い(→Wikipedia)。コスプレと言うとアレな人たちによる最近の流行りのように思われがちだけど、実は昔から多くの人が楽しんでたんだよ、という話←全然違う
ディオネア / アレッサンドロ・ド・ロジ博士からサビーナの王女レディ・エヴェリン・サヴェッリへの手紙 / Dionea
 トスカーナの海岸に流れ着いた褐色の幼い女の子は、ディオネアと名付けられ修道院に預けられる。愛らしい顔立ちに育ったものの、勤勉さには欠け、仲間たちからも好かれない。妙に鳩になつかれ…
 気になって銀梅花(→Wikipedia)を調べたら、そういう事か。ウェヌスはヴィーナス(→Wikipedia)。ディオネアを調べたらハエトリグサ(→Wikipedia)。酷い名前だw 古の神々に所縁のある者が、キリスト教世界の社会に迷い込み…と思って読むとわかりやすい。
聖エウダイモンとオレンジの樹 / St Eudaemon and his Orange-Tree
 人里離れた荒野に二人の聖者が住んでいた。そこに聖者がもう一人やってきた。エウダイモン。ウェヌスの神殿の廃墟に草木を植え、神殿の奥に礼拝堂を作る。近くの貧しい者のために小屋を建て、役に立つ技術を教えた。新しい葡萄園を作ろうと地を掘ったとき…
 エウダイモンは幸福を意味するらしい(→コトバンク)。やはり Wikipedia を漁ったら、『多くの言語で、「黄金の林檎」とはオレンジのことである』とあった。そうだったのか! ディオネア同様に古の神々の息吹を強く感じさせる物語。
人形 / The Doll
 骨董を集めるのを止めたのは、フォリーニョへの旅が原因です。夫の都合がつかず一人で出かけたのですが、ある邸宅を見つけました。かつては高貴な家柄でしたが、今は破産して、老いた女中が一人で管理しています。17世紀後期の様式の大邸宅で…
 語り手が女なのは珍しい。確かに女じゃないと、こういう気遣いはできないだろうなあ。
幻影の恋人 / Oke of Okehurst, or A Phantom Lover
 仕事を干されていた画家に、依頼が舞い込んだ。オークハーストのオーク氏が、夫妻の肖像画を描いて欲しいと。邸宅は美しいが、オーク氏は生真面目で口ごもりがち、そしてオーク夫人は美しいが誰にも何にも興味を示さず…
 これを「人形」の次に持ってきたのは、何か意図があるんだろうか? ちょうどテーマが鏡のように映しあっているが、結末は…。
悪魔の歌声 / A Wicked Voice
 音楽家のマグナスは、ヴェネツィアで18世紀の歌手の肖像画を見つけた。バルタサール・チェーザリ、綽名はザッフィリーノ。「自分の歌に抗える女はいない」と豪語し、王からも溺愛された歌手。
 クラッシュのジョー・ストラマーは、セックス・ピストルズを観た後にスランプに陥ったとか。またウィリアム・ギブスンは、映画ブレードランナーを見に行った時、開始数分で席を立ったという。中にはロビン・トロワーみたく開き直っちゃう人もいるけど。
七懐剣の聖母 十七世紀、ムーア人の幽霊物語 /  The Virgin of the Seven Daggers
 強引な方法で数多の女をモノにしてきたミラモール伯爵ドン・フアン・グスマン・デル・ブルガル。だが今回狙っている獲物は、格が違う。七懐剣の聖母に祈りを捧げて守護を願い、ユダヤ人の魔術師バルクの手を借りてまで手に入れようとしたのは…
 ドン・フアン伝説(→Wikipedia)に題をとった作品。色男の代名詞だから、洒落た会話などの手練手管を駆使して女を口説くのかと思ったら、全然違った。
フランドルのマルシュアス / Marsyas in Flanders
 1195年の秋、ニス川河口の岸辺に流れ着いたボートには、救い主イエスの石像が横たわっていた。デュンの小さな教会に置かれた像には、各地から信心深い人々が集ってくる。その像には、ある筈の十字架が欠けていたので、石工に作らせたところ…
 フランドルって、フランダースなのか。怪異譚なんだが、タイトルでネタをバラしちゃってる(→Wikipedia)。
アルベリック王子と蛇女 / Prince Alveric and the Snake Lady
 公爵バルタサールの孫アルベリック王子は内気で純朴だった。アルベリックの部屋にはお気に入りの古いタペストリーがある。金髪のアルベリックと蛇女オリアナを描いたものだ。公爵はこのタペストリーを嫌い、別の物に変えたが、アルベリックは悲しみ…
 童話のように親しみやすい語り口で、テンポよく話が進んでゆく。中盤から出てくる、修道士・侏儒・道化師の三人組が、コミカルでいい味出してる。
顔のない女神 アウグスティヌス・ブルトーの蔵書から / The Featureless Wisdom
 マンティネイアの賢女ディオティマは、フェイディアスの工房へ出かけた。フェイディアスは、いかなる神の像の注文を受けることで知られている。マンティネイアが望んだのは、どんな像とも一目で違いが判る神の像で…
 ディオティマはプラトンの「饗宴」に出てくる人物(→Wikipedia)だとか。客の無茶な要求に苦しむエンジニアやデザイナーには身に染みる話。
神々と騎士タンホイザー / The Gods and Ritter Tanhuser
 アプロディーテは、ドイツの詩人タンホイザーに首ったけ。そのタンホイザーは、ヴァルトブルクの歌合戦に出かけるという。話を聞いたアポロンとアテナは、面白がって一緒に歌合戦に向かうと決めた。
 ワーグナーのタンホイザー(→Wikipedia)をネタにした、ドタバタ喜劇。美声を披露するスキをうかがうアポロン、クールな女教師っぽいアテナ、荒事しか頭にないアレス、チクチクと浮気を責めるヘラ、なんとか事態を丸く収めようとするゼウスって図は、まるきしファミリー・ドラマ。
訳者あとがき

 やたらと Wikipedia へのリンクが多いことでわかるように、聖書や古典や神話の教養が必要な作品が多くて、ちとシンドかったが、それでよかったのかも。むさぼるように読むより、ゆっくりじっくり時間をかけて味わいたい作品集だし。

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2017年7月20日 (木)

チャック・パラニューク「ファイト・クラブ 新訳」ハヤカワ文庫NV 池田真紀子訳

 ファイト・クラブ規則
第一条 ファイト・クラブについて口にしてはならない。
第二条 ファイト・クラブについて口にしてはならない。
第三条 ファイトは一対一。
第四条 一度に一ファイト。
第五条 シャツと靴は脱いで闘う。
第六条 ファイトに時間制限はなし。
第七条 今夜初めてファイト・クラブに参加した者は、
      かならずファイトしなければならない。

【どんな本?】

 不眠に悩み北欧家具に囲まれて過ごすサラリーマン。彼は様々な業病を抱えた人たちの互助グループに、病を偽って通う。そうすると生命の実感を得て、なんとか眠りにありつけるのだ。二年ほど通ううち、幾つかの集会で、同じ女を見かける事に気づく。マーラ・シンガー。以来、彼は再び眠りを失う。

 しかしタイラー・ダーデンと出会った日から、彼の運命は変わる。タイラーは言う。

「おれを力いっぱい殴ってくれ」

 そして彼はタイラーと共にファイト・クラブを立ち上げる。最初は二人だけだったファイト・クラブだが、次第に男たちが集まってきて…

 映画化されて話題を呼んだ映画「フィアト・クラブ」の原作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FIGHT CLUB, by Chuck Palahniuk, 1996。日本語版は1999年にハヤカワ文庫NVより刊行。私が読んだのは2015年4月15日発行の新訳版。文庫本で縦一段組み本文約307頁に加え、著者あとがき15頁+都甲幸治の解説「自分の人生を取り戻せ」10頁。9ポイント40字×17行×307頁=約208,760字、400字詰め原稿用紙で約522枚。文庫本としては標準的な厚さ。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。所々に化学物質の名前が出てくるが、わからなくても「そういうもんだ」程度に考えておけば充分。多少プロレス技を知っていると、バトルシーンで迫力が増す。

【感想は?】

 鬱屈をため込んだ若い男には、読ませちゃいけない作品。

 主人公「ぼく」は、自動車会社に勤める会社員。車の不具合で起きた事故を追い、全米を飛行機で飛び回る。被害の補償額を調べ、それがリコールの費用より安ければ、リコールせずに済ます。

 人の命を数字で測る商売だ。それでも、いやだからこそ、若くして安定した暮らしを手に入れたし、それを保つ方法も分かっている。が、眠れない。理屈通りに動きゃいいのなら、マシンでも構わない。そしてマシンに眠りは要らないのだ。

  私の持論だが。

 ヒトは誰でも、心の中にケダモノを飼っている。このケダモノは生命力の源泉だ。生きている実感を与えてくれる。だが、困ったことに、ケダモノは文明社会と折り合いが悪い。だから、なんとかしてケダモノと巧く付き合っていかなきゃいけない。

 「ぼく」のケダモノは、窒息寸前だ。そこで「ぼく」が奴に与えた興奮剤が、互助グループ。ここでは誰もが死にかけている。ケダモノは死の臭いを嗅ぎつけて目を覚まし、マシンの檻から顔を出す。しかし、その目覚まし薬を、マーラ・シンガーに奪われてしまう。

 そんな時に出会ったのが、タイラー・ダーデン、そしてファイト・クラブ。一切の得物を使わず、二人の男が闘う。そこで男はオスに戻る。心の中のケダモノを解放し、その身をケダモノに任せる。体の痛みを、命の危機を、ケダモノにじっくり味合わせる。

 面白そうじゃん、と思ってしまう。私の中のケダモノが、ムクリと頭をもたげる。奴はいつだって隙を伺っている。決して事態を好ましい方向に向かわせることはない。でも、気分を変えてくれる。

ファイトが終わったとき、何一つ解決してはいなかったが、何一つ気にならなくなっていた。

 これはヤバい。ケダモノは命の実感をくれる。だが、所詮はケダモノだ。暴れはじめたら何をするかわからないし、止めようもない。物語の中でも、ケダモノは次第に歯止めが効かなくなる。最初は自分の怪我や傷で済んでいたのが、次第に力をつけ、狡猾になり、ばかりか増殖を始め…

 そんなケダモノの化身が、タイラー・ダーデン。危険な、けれど蠱惑的な香りを放つ男。ヤバさの魅力だけでなく、妙な賢さも併せ持っているから困る。台詞もいちいちカッコいいし。

完璧な存在は、っそれもせいぜい一瞬しか続かない。
目を覚ます、それだけで充分だ。

「自分たちにまだどれだけの力が残っているか、世の男たちに再認識させることだ」

 などの主題に加え、タイラーが仕掛けるアレコレが、極めて実用性に富んでるのが困るw さすがに最近の映画館はフィルムを使ってないだろうけど、パーティでの嫌がらせは実に手ごろだし、錠前破りの手口は理にかなってる。どころか、更にヤバいアレやコレの手口まで…

 そういった「ぼく」やタイラーを、一歩引いた所で見守る役を担うのが、マーラ・シンガー。いや見守るだけでなく、なにかと「ぼく」を引きずり回すんだけど、それもまた世に生きるってことの一つの面。

 心の中のケダモノを呼び覚ます、実にヤバくて困った本。決して綺麗な話じゃないし、決して文科省推薦にもならないだろう。でも、昏い魅力を漂わせているのだ。

 あ、もちろん、腐った女性にもお薦め。

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【2017.07.21 追加】

 …などと危なさを強調したけど、幸いにして日本にはちゃんと毒消しがあるのだった。いわゆる「ヤンキー漫画」「暴走族漫画」である。

 本作の主な登場人物は、会社員の「ぼく」や映写技師のテイラーだ。ええ歳こいた大人である。彼らがファイト・クラブなどの無茶・無謀をやらかす物語だ。

 対して、ヤンキー漫画では、似たような真似を高校生がやっている。そして、世界観として厳格なルールを示す。「高校を卒業したら引退」と。これは子供の世界の話だよ、ええ歳こいた大人がやるこっちゃないぞ、みたいな考えが、自然と伝わってくるのだ。

 具体例としちゃちと古いが、佐木飛朗斗+所十三の「疾風伝説 特攻の拓」(かぜでんせつ ぶっこみのたく)を薦めておこう。タイラーに当たる奴が次々と出てきては独特の見栄を切って、飽きない。他にも柴田ヨクサル「エアマスター」や森恒二「ホーリーランド」も好きだ。

 にしても、日本の漫画がこれほどバラエティに富んでいるのは本当に有り難い。アメリカも規制なんかしなければ、豊かなコミック文化が広がっていただろうに。

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