カテゴリー「書評:フィクション」の144件の記事

2017年9月 7日 (木)

ロバート・R・マキャモン「マイン 上・下」文春文庫 二宮磬訳

“ミスター・モジョは起きあがった。あの女はいまも涙を流している。おぼえているかい?あそこで会おう、2/18、1400に”

「われわれはみんな娼婦だったのさ。闘争を叫ぶ新聞雑誌に仕える娼婦だったんだ。われわれはやつらがこうしたいと夢見るとおりのことをしてやった。その見返りになにを得た。きみは獣になり、ぼくは43にして人生の敗残者だ」

【どんな本?】

 「奴らは渇いている」「スワン・ソング」「スティンガー」など、B級色が濃いながらケレン味たっぷりのコミック風ホラーで人気を博したアメリカの作家ロバート・R・マキャモン。だが突然の変身を遂げ、一切の超常現象を排した芸風へと方向を転換する。その嚆矢となったのが、この「マイン」。

 1990年、ジョージア州アトランタ。

 安アパートに住み、バーガーキングで働く41歳の大柄なオバサン。その正体はFBIのお尋ね者、60年代に暴れまわったテロ組織「ストーム・フロント」のメンバー、メアリー・テレル。彼女は見つけた。ローリング・ストーン誌の読者広告欄のメッセージ。それは彼からの呼びかけに違いない。集え、と。

 ローラは36歳。もうすぐ長子が生まれる。地方紙の記者として社交記事を担当してきたベテランだ。夫のダグは仕事の虫で、なかなか家に居つかない。二人の収入を合わせ、暮らし向きは悪くない。だが最近のダグの挙動は…

 羊の皮を被った狼と、羊のように生きてきた女。ローラの出産を機に二人の運命は交わり、激動の60年代の断末魔が再び鳴り響く。

 1988年の「スワン・ソング」に続き、1991年のブラム・ストーカー賞最優秀長編賞に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MINE, by Robert R. McCammon, 1990。日本語版は1992年3月に文藝春秋より単行本の上下巻で発行。私が読んだのは文春文庫の文庫版、1995年2月10日第1刷。上下巻で本文約398頁+345頁=約743頁に加え、三橋暁の解説6頁。8.5ポイント42字×18行×(398頁+345頁)=約561,708字、400字詰め原稿用紙で約1,405枚。上中下の三巻に分けてもいい大長編。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、60年代のネタがアチコチに散らばっているので、その辺に詳しいと、更に楽しめる。また、アメリカを旅する話なので、北米の地図があるといい。なおお、一マイルは約1.6km。

【感想は?】

 妊娠中、または幼い赤ちゃんがいる人には薦めない。最初の10頁で放り出したくなるはずだ。

 なんたって、メアリー・テラーことメアリー・テレルの造形が強烈。身長180cmを越える大女。60年代には暴力的なヒッピー集団「ストーム・フロント」の一員として暴れまわり、警官や大企業の役員を殺しまくったお尋ね者。

 かつてのドラッグの後遺症か、オツムは相当にイカれちゃいるものの、20年も逃げ回った実績は伊達じゃない。常に尾行には気を配り、追手の臭いは鋭く嗅ぎつけ、私服警官は目ざとく見分ける。バーガーキングのオバサンを演じちゃいるが、心の奥にはテロリストの魂が眠っている。

 そんなメアリーの魂を目覚めさせたのが、雑誌のメッセージ。かつての仲間からの集合の合図と思い込み、心は激動の60年代へと戻ってゆく。

 狂気に憑かれながらも、いや狂っているからこその、メアリーの常軌を逸した暴走っぷりが、最後までこの物語を強引に引っ張り続ける。

 いい歳こいたオジサン・オバサンには、なかなかキツいお話だ。なんたって、メアリーを筆頭に、登場人物の多くは、かつてヒッピーだったオジサン・オバサンたちだし。

 開放や反体制を叫んで青春を過ごしつつも、食ってくためには稼がにゃならん。ってんで、会社員になりきったり、バーガーキングで働いたり。それぞれに忸怩たるものを心の中に抱えてる所に、否応なく青臭かった「あの頃」の香りを突き付けてくる。こんな風に。

  • Jefferson Airplane : Somebody to Love(→Youtube)
  • Doors : Light my Fire(→Youtube)
  • Fifth Dimention : Aquarius(→Youtube)
  • Crosby, Stills & Nash : Marrakesh Express(→Youtube)

 対するローラは、ごく普通に人生を歩んできたインテリ女。理想に燃えて新聞記者にはなったものの、凄惨な事件に神経が耐えられず、社交欄に回されつつも大人しく「働く女」を務めてきた。誰からも好かれる「いい子」だったローラだが、否応なしにメアリーの引き起こす嵐に巻き込まれ…

 前に立ちふさがる者を、誰彼構わず容赦なく突き飛ばし殺し、“神”のもとへと突っ走るメアリー。なりふり構わずそれを追いかけるローラ。対照的だった二人の女が、命がけのチェイスを続けるうち、次第に似通ってくるのも皮肉な所。

 と、物語を引っ張る二人の女は、やたらとパワフルで強靭なのに対し、男はどいつもこいつも情けないのが、ちと苦笑い。ローラの夫ダグを始め、ヒッピーの生き残りマーク・トレッグスなども、フヤけちまったオッサンに描かれてるのは、ワザとなんだろう。

 などと、極力、超自然的なネタを排しつつ、それでもヒョッコリと好みが漏れてしまうのもご愛敬。「少年時代」もそうだったが、やっぱり好きなんだろうなあ、デカい生き物が。やっぱりね。男の子なら、一度は憧れるよなあ…って、やっぱし男ってのは大人になりきれない生き物なのかも。

 青春の残り火を激しく燃やし、“神”の元へと突っ走る女。己の生きる証を取り戻そうと、全てを捨てて追いかける女。二人の女の執念を、凍てつく冬のアメリカを舞台に描く、手に汗握るロードノベル。繰り返すが、妊娠中や新生児を抱える人は近寄らないように。

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2017年7月24日 (月)

「教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集」国書刊行会 中野善夫訳

「永遠の愛、残酷な愛」
  ――永遠の愛

ああ、呪われた人間の声。肉と血のヴァイオリン。その声を作り出す油断のならない道具と狡猾な手は、悪魔のものに他ならない。歌とは何と忌まわしい芸術なのか。
  ――悪魔の歌声

ああ! ああ! ああ! あいつがまた笛を吹いている!
  ――フランドルのマルシュアス

【どんな本?】

 1856年生まれの女性作家ヴァーノン・リー Vernon Lee(本名バイオレット・バジェット Violet Paget)の、幻想的な作品を集めた短編集。

 イタリアと18世紀の世界に抱く著者の憧れが強く出ており、また、「特異な形の激しい愛情」を扱う作品が多い。次第に雰囲気を盛り上げつつも、最後まで敢えて真相をハッキリさせない怪異譚が中心。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年2月24日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約434頁に加え、訳者あとがきが豪華31頁。9ポイント47字×19行×434頁=約387,562字、400字詰め原稿用紙で約969枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。聖書からの引用やギリシャ/ローマ神話のネタが多いので、それらに詳しいとより楽しめる。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題。

永遠の愛 シュピリディオン・トレプカの日記から / Amour Dure
 若いドイツ人学者シュピリディオン・トレプカは、かねてから憧れていたイタリアのウルバニアを訪れた。仕事とは別に、ある女性の記録を熱心に調べ始める。メデア・ダ・カルビ、1556年生まれ。類まれな美貌で次々と男を魅了し、破滅させた女。彼女のゆかりの地を訪ねた際に…
 イタリア,過去への憧れ,魔性の女,そして独特の形の激しい愛と、ヴァーノン・リーの得意技がたっぷり詰まった作品。出だしはちとかったるいが、洗礼者ヨハネ(→Wikipedia)が出てくるあたりからグングンと盛り上がってくる。
教皇ヒュアキントス 弾圧されたノナントーラ大修道院のエブルネウス写本の一部を成す物語 / Pope Jacynth
 神は悪魔に許した。これから生まれる赤子のうち、私が選ぶ者の一人を誘惑してもよい、と。悪魔はオドーという男を選ぶ。豊かで高貴な家に生まれたオドーだが、彼は家柄にも財産にも興味を示さず、船乗りとなる。悪魔はオドーに美貌と美声を与え…
 初訳の日本語タイトル「教皇ヒヤシンス」を「教皇ヒュアキントス」に変えたのは見事。キリスト教の寓話でありながら、その裏に込めた作者の微妙な気持ちが、読者に伝わりやすくなってる(ヒュアキントス→Wikipedia)。
婚礼の櫝 / A Wedding Chest
 デシデリオは櫝に「愛の勝利」を描く。彼は雇い主セル・ピエーロの一人娘マッダレーナと結婚することになっていた。だが、名家の若者トロイロ・バリョーニがマッダレーナに目を付ける。情熱的にマッダレーナを口説こうとするトロイロだが、マッダレーナはなびかず…
 15世紀の櫝にまつわる、悲しく激しい愛の物語。トロイロにいちいち「高潔」とつけるあたりが、著者の意地の悪さを感じさせる。
マダム・クラシンスカの伝説 / The Legend of Madame Krasinska
 友人のチェッコ・バンディーニに連れていかれた貧者救護修道院に、そのシスターはいた。気品と魅力にあふれ、動きはきびきびとして、老人たちに温かく話しかける。だが、どこか重苦しい苦しみを抱えているようで、哀愁を漂わせている。
 ソルフェリーノの戦いは、フランス&サルディーニャ連合軍とオーストリア軍の戦い(→Wikipedia)。コスプレと言うとアレな人たちによる最近の流行りのように思われがちだけど、実は昔から多くの人が楽しんでたんだよ、という話←全然違う
ディオネア / アレッサンドロ・ド・ロジ博士からサビーナの王女レディ・エヴェリン・サヴェッリへの手紙 / Dionea
 トスカーナの海岸に流れ着いた褐色の幼い女の子は、ディオネアと名付けられ修道院に預けられる。愛らしい顔立ちに育ったものの、勤勉さには欠け、仲間たちからも好かれない。妙に鳩になつかれ…
 気になって銀梅花(→Wikipedia)を調べたら、そういう事か。ウェヌスはヴィーナス(→Wikipedia)。ディオネアを調べたらハエトリグサ(→Wikipedia)。酷い名前だw 古の神々に所縁のある者が、キリスト教世界の社会に迷い込み…と思って読むとわかりやすい。
聖エウダイモンとオレンジの樹 / St Eudaemon and his Orange-Tree
 人里離れた荒野に二人の聖者が住んでいた。そこに聖者がもう一人やってきた。エウダイモン。ウェヌスの神殿の廃墟に草木を植え、神殿の奥に礼拝堂を作る。近くの貧しい者のために小屋を建て、役に立つ技術を教えた。新しい葡萄園を作ろうと地を掘ったとき…
 エウダイモンは幸福を意味するらしい(→コトバンク)。やはり Wikipedia を漁ったら、『多くの言語で、「黄金の林檎」とはオレンジのことである』とあった。そうだったのか! ディオネア同様に古の神々の息吹を強く感じさせる物語。
人形 / The Doll
 骨董を集めるのを止めたのは、フォリーニョへの旅が原因です。夫の都合がつかず一人で出かけたのですが、ある邸宅を見つけました。かつては高貴な家柄でしたが、今は破産して、老いた女中が一人で管理しています。17世紀後期の様式の大邸宅で…
 語り手が女なのは珍しい。確かに女じゃないと、こういう気遣いはできないだろうなあ。
幻影の恋人 / Oke of Okehurst, or A Phantom Lover
 仕事を干されていた画家に、依頼が舞い込んだ。オークハーストのオーク氏が、夫妻の肖像画を描いて欲しいと。邸宅は美しいが、オーク氏は生真面目で口ごもりがち、そしてオーク夫人は美しいが誰にも何にも興味を示さず…
 これを「人形」の次に持ってきたのは、何か意図があるんだろうか? ちょうどテーマが鏡のように映しあっているが、結末は…。
悪魔の歌声 / A Wicked Voice
 音楽家のマグナスは、ヴェネツィアで18世紀の歌手の肖像画を見つけた。バルタサール・チェーザリ、綽名はザッフィリーノ。「自分の歌に抗える女はいない」と豪語し、王からも溺愛された歌手。
 クラッシュのジョー・ストラマーは、セックス・ピストルズを観た後にスランプに陥ったとか。またウィリアム・ギブスンは、映画ブレードランナーを見に行った時、開始数分で席を立ったという。中にはロビン・トロワーみたく開き直っちゃう人もいるけど。
七懐剣の聖母 十七世紀、ムーア人の幽霊物語 /  The Virgin of the Seven Daggers
 強引な方法で数多の女をモノにしてきたミラモール伯爵ドン・フアン・グスマン・デル・ブルガル。だが今回狙っている獲物は、格が違う。七懐剣の聖母に祈りを捧げて守護を願い、ユダヤ人の魔術師バルクの手を借りてまで手に入れようとしたのは…
 ドン・フアン伝説(→Wikipedia)に題をとった作品。色男の代名詞だから、洒落た会話などの手練手管を駆使して女を口説くのかと思ったら、全然違った。
フランドルのマルシュアス / Marsyas in Flanders
 1195年の秋、ニス川河口の岸辺に流れ着いたボートには、救い主イエスの石像が横たわっていた。デュンの小さな教会に置かれた像には、各地から信心深い人々が集ってくる。その像には、ある筈の十字架が欠けていたので、石工に作らせたところ…
 フランドルって、フランダースなのか。怪異譚なんだが、タイトルでネタをバラしちゃってる(→Wikipedia)。
アルベリック王子と蛇女 / Prince Alveric and the Snake Lady
 公爵バルタサールの孫アルベリック王子は内気で純朴だった。アルベリックの部屋にはお気に入りの古いタペストリーがある。金髪のアルベリックと蛇女オリアナを描いたものだ。公爵はこのタペストリーを嫌い、別の物に変えたが、アルベリックは悲しみ…
 童話のように親しみやすい語り口で、テンポよく話が進んでゆく。中盤から出てくる、修道士・侏儒・道化師の三人組が、コミカルでいい味出してる。
顔のない女神 アウグスティヌス・ブルトーの蔵書から / The Featureless Wisdom
 マンティネイアの賢女ディオティマは、フェイディアスの工房へ出かけた。フェイディアスは、いかなる神の像の注文を受けることで知られている。マンティネイアが望んだのは、どんな像とも一目で違いが判る神の像で…
 ディオティマはプラトンの「饗宴」に出てくる人物(→Wikipedia)だとか。客の無茶な要求に苦しむエンジニアやデザイナーには身に染みる話。
神々と騎士タンホイザー / The Gods and Ritter Tanhüser
 アプロディーテは、ドイツの詩人タンホイザーに首ったけ。そのタンホイザーは、ヴァルトブルクの歌合戦に出かけるという。話を聞いたアポロンとアテナは、面白がって一緒に歌合戦に向かうと決めた。
 ワーグナーのタンホイザー(→Wikipedia)をネタにした、ドタバタ喜劇。美声を披露するスキをうかがうアポロン、クールな女教師っぽいアテナ、荒事しか頭にないアレス、チクチクと浮気を責めるヘラ、なんとか事態を丸く収めようとするゼウスって図は、まるきしファミリー・ドラマ。
訳者あとがき

 やたらと Wikipedia へのリンクが多いことでわかるように、聖書や古典や神話の教養が必要な作品が多くて、ちとシンドかったが、それでよかったのかも。むさぼるように読むより、ゆっくりじっくり時間をかけて味わいたい作品集だし。

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2017年7月20日 (木)

チャック・パラニューク「ファイト・クラブ 新訳」ハヤカワ文庫NV 池田真紀子訳

 ファイト・クラブ規則
第一条 ファイト・クラブについて口にしてはならない。
第二条 ファイト・クラブについて口にしてはならない。
第三条 ファイトは一対一。
第四条 一度に一ファイト。
第五条 シャツと靴は脱いで闘う。
第六条 ファイトに時間制限はなし。
第七条 今夜初めてファイト・クラブに参加した者は、
      かならずファイトしなければならない。

【どんな本?】

 不眠に悩み北欧家具に囲まれて過ごすサラリーマン。彼は様々な業病を抱えた人たちの互助グループに、病を偽って通う。そうすると生命の実感を得て、なんとか眠りにありつけるのだ。二年ほど通ううち、幾つかの集会で、同じ女を見かける事に気づく。マーラ・シンガー。以来、彼は再び眠りを失う。

 しかしタイラー・ダーデンと出会った日から、彼の運命は変わる。タイラーは言う。

「おれを力いっぱい殴ってくれ」

 そして彼はタイラーと共にファイト・クラブを立ち上げる。最初は二人だけだったファイト・クラブだが、次第に男たちが集まってきて…

 映画化されて話題を呼んだ映画「フィアト・クラブ」の原作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は FIGHT CLUB, by Chuck Palahniuk, 1996。日本語版は1999年にハヤカワ文庫NVより刊行。私が読んだのは2015年4月15日発行の新訳版。文庫本で縦一段組み本文約307頁に加え、著者あとがき15頁+都甲幸治の解説「自分の人生を取り戻せ」10頁。9ポイント40字×17行×307頁=約208,760字、400字詰め原稿用紙で約522枚。文庫本としては標準的な厚さ。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。所々に化学物質の名前が出てくるが、わからなくても「そういうもんだ」程度に考えておけば充分。多少プロレス技を知っていると、バトルシーンで迫力が増す。

【感想は?】

 鬱屈をため込んだ若い男には、読ませちゃいけない作品。

 主人公「ぼく」は、自動車会社に勤める会社員。車の不具合で起きた事故を追い、全米を飛行機で飛び回る。被害の補償額を調べ、それがリコールの費用より安ければ、リコールせずに済ます。

 人の命を数字で測る商売だ。それでも、いやだからこそ、若くして安定した暮らしを手に入れたし、それを保つ方法も分かっている。が、眠れない。理屈通りに動きゃいいのなら、マシンでも構わない。そしてマシンに眠りは要らないのだ。

  私の持論だが。

 ヒトは誰でも、心の中にケダモノを飼っている。このケダモノは生命力の源泉だ。生きている実感を与えてくれる。だが、困ったことに、ケダモノは文明社会と折り合いが悪い。だから、なんとかしてケダモノと巧く付き合っていかなきゃいけない。

 「ぼく」のケダモノは、窒息寸前だ。そこで「ぼく」が奴に与えた興奮剤が、互助グループ。ここでは誰もが死にかけている。ケダモノは死の臭いを嗅ぎつけて目を覚まし、マシンの檻から顔を出す。しかし、その目覚まし薬を、マーラ・シンガーに奪われてしまう。

 そんな時に出会ったのが、タイラー・ダーデン、そしてファイト・クラブ。一切の得物を使わず、二人の男が闘う。そこで男はオスに戻る。心の中のケダモノを解放し、その身をケダモノに任せる。体の痛みを、命の危機を、ケダモノにじっくり味合わせる。

 面白そうじゃん、と思ってしまう。私の中のケダモノが、ムクリと頭をもたげる。奴はいつだって隙を伺っている。決して事態を好ましい方向に向かわせることはない。でも、気分を変えてくれる。

ファイトが終わったとき、何一つ解決してはいなかったが、何一つ気にならなくなっていた。

 これはヤバい。ケダモノは命の実感をくれる。だが、所詮はケダモノだ。暴れはじめたら何をするかわからないし、止めようもない。物語の中でも、ケダモノは次第に歯止めが効かなくなる。最初は自分の怪我や傷で済んでいたのが、次第に力をつけ、狡猾になり、ばかりか増殖を始め…

 そんなケダモノの化身が、タイラー・ダーデン。危険な、けれど蠱惑的な香りを放つ男。ヤバさの魅力だけでなく、妙な賢さも併せ持っているから困る。台詞もいちいちカッコいいし。

完璧な存在は、っそれもせいぜい一瞬しか続かない。
目を覚ます、それだけで充分だ。

「自分たちにまだどれだけの力が残っているか、世の男たちに再認識させることだ」

 などの主題に加え、タイラーが仕掛けるアレコレが、極めて実用性に富んでるのが困るw さすがに最近の映画館はフィルムを使ってないだろうけど、パーティでの嫌がらせは実に手ごろだし、錠前破りの手口は理にかなってる。どころか、更にヤバいアレやコレの手口まで…

 そういった「ぼく」やタイラーを、一歩引いた所で見守る役を担うのが、マーラ・シンガー。いや見守るだけでなく、なにかと「ぼく」を引きずり回すんだけど、それもまた世に生きるってことの一つの面。

 心の中のケダモノを呼び覚ます、実にヤバくて困った本。決して綺麗な話じゃないし、決して文科省推薦にもならないだろう。でも、昏い魅力を漂わせているのだ。

 あ、もちろん、腐った女性にもお薦め。

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【2017.07.21 追加】

 …などと危なさを強調したけど、幸いにして日本にはちゃんと毒消しがあるのだった。いわゆる「ヤンキー漫画」「暴走族漫画」である。

 本作の主な登場人物は、会社員の「ぼく」や映写技師のテイラーだ。ええ歳こいた大人である。彼らがファイト・クラブなどの無茶・無謀をやらかす物語だ。

 対して、ヤンキー漫画では、似たような真似を高校生がやっている。そして、世界観として厳格なルールを示す。「高校を卒業したら引退」と。これは子供の世界の話だよ、ええ歳こいた大人がやるこっちゃないぞ、みたいな考えが、自然と伝わってくるのだ。

 具体例としちゃちと古いが、佐木飛朗斗+所十三の「疾風伝説 特攻の拓」(かぜでんせつ ぶっこみのたく)を薦めておこう。タイラーに当たる奴が次々と出てきては独特の見栄を切って、飽きない。他にも柴田ヨクサル「エアマスター」や森恒二「ホーリーランド」も好きだ。

 にしても、日本の漫画がこれほどバラエティに富んでいるのは本当に有り難い。アメリカも規制なんかしなければ、豊かなコミック文化が広がっていただろうに。

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2017年4月24日 (月)

リチャード・バック「イリュージョン 悩める救世主の不思議な体験」集英社文庫 佐宗鈴夫訳

「人々がもとめているのは、ぼくじゃない。奇蹟さ!」

「魔法使いから知っていることを教えられたら、それはもはや魔法ではなくなる」

「学生たちはきまって簡単なことを難しくしてしまう」

【どんな本?】

 「かもめのジョナサン」で大ヒットを飛ばしたアメリカの作家リチャード・バックが、その7年後に出したメルヘン/ファンタジイ長編。

 夏も盛りを過ぎた頃。ジプシー飛行士のリチャードは、同業のドナルド・シモダに出会う。古い複葉機で田舎を飛び回り、広い牧草地を見つけては降り立ち、近くの客を集めては10分間3ドルで空の旅を楽しませる。気ままな商売だが、時には人恋しくなることもある。

 ちと風変りだが気が合いそうだし、商売も巧い。しばらく一緒に旅をしようと思ったが、実はとんでもない奴だった。ニュースに出ていた自動車修理工の救世主が、彼ドナルド・シモダだったのだ。

 著者リチャード・バックならではの極めて楽天的な哲学が色濃く出た、メッセージ色の強い寓話。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Illusions : The Adventures of a Reluctant Messiah, by Richard Bach, 1977。日本語版は、少なくとも以下4種が出ている。

  1. 1977年9月30日発行 村上龍訳 集英社 単行本 副題:退屈している救世主の冒険
  2. 1981年3月25日第1刷 村上龍訳 集英社文庫 副題:退屈している救世主の冒険
  3. 2006年4月 佐宗鈴夫訳 集英社 単行本
  4. 2009年5月25日第1刷 佐宗鈴夫訳 集英社文庫

 村上龍訳と佐宗鈴夫訳は、文体も内容もかなり違う。

 村上龍訳では、主人公の一人称は地の文だと「僕」で、会話中は「俺」。対して佐宗鈴夫訳は、いずれも「ぼく」だ。全般的に、佐宗鈴夫訳はお行儀がいいが、ジプシー飛行士同士の会話としては村上龍訳の方がしっくりくる。

 問題は内容。これは間違いなく佐宗鈴夫訳の方が原書に忠実で、よりリチャード・バックの思想に近い。村上龍訳は、独自のエピソードを勝手に加えてたりする。二人が美人局にひっかかる場面などは、村上龍の創作らしい。

実は手元に1978年版のペーパーバックがあって、ちと確認したんだが、やはり美人局の場面はなかった。もしかしたら原書もハードカバー版とペーパーバック版で違うのかと思ったが、そういう事でもないようだ。

 また、 2)村上龍訳の集英社文庫版に限り、円池茂のイラストが幾つか入っていて、なかなかいい味を出してる。

 結論として、村上龍訳は超訳で、佐宗鈴夫訳は原作に忠実。私は村上龍訳の方が好きだが、この作品が持つヤバさは、佐宗鈴夫訳の方がストレートに伝わってくる。

 今回読んだのは佐宗鈴夫訳の集英社文庫版。文庫本187頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント38字×16行×187頁=約113,696字、400字詰め原稿用紙で約285頁。バーナード嬢大喜びの薄さだ。

【感想は?】

 大好きで若い頃に村上龍訳で何度も読み返していた本だ。新訳でどうなるかと思ったが…

 驚いた。こんなにヤバい本だったのか。もともと、クリスチャン・サイエンスに入るなど、ちとアレな人だよな、と思っていたが、「ちと」どころではない。この人、紛れもない本物だ。

 お話は、思想的・哲学的なものだ。著者の思想を読者に伝える、そのために物語の形を借りる、そういう作品である。ジプシー飛行士のリチャードが、救世主のドナルド・シモダ(ドン)に出会い、ドンに導かれて救世主としての修業をする、そういう物語だ。

 この世はどういうものか。何のために人は生きているのか。どう生きるべきか。そのために最も大切なものは何か。そういった哲学的な問題を、リチャードとドンが語り合い、また幾つかの実習を通し、次第にリチャードが身に着けてゆく、そういう形で物語は進む。

 著者の哲学は、いかにもアメリカ人らしい楽天的なもので、大嫌いな人と大好きな人に分かれるだろう。その判断は簡単。冒頭、14頁ほどの短い寓話がある。この寓話が気に入れば他にも気に入る所があるだろうが、腹が立つなら、さっさと放り出すのが吉だ。この作品は、あなたの好みに合わない。

 どんな哲学か。

 それは、究極のリバタリアニズムと言っていい。私たちは、みんな自由だ。今のあなたの境遇は、あなたが自ら選んだものだ。私たちは、なんだってやっていい。なんだってできるのだから。

 無茶苦茶だと思うかもしれない。でも、この物語を読むに従い、次第に洗脳されてゆく人もいる。私もそうだった。まあ、洗脳は完全じゃなかったけど。

 これは、村上龍が勝手に追加した美人局のエピソードの効果が大きい。あの挿話で、著者が主張したかった完全性が損なわれた。その分、先鋭性は鈍ったが、親しみやすさは増した。

 お気楽ご気楽な哲学だが、それを可能にしたのは、1970年代のアメリカの状況が大きい。

 嵐の1960年代が過ぎ、政治の時代が終わった。好景気が続き、食い詰める者は減った。産業は発展を続けるものの、政府の監視は比較的に緩く、もともと自由と自立を尊ぶ国民性も相まって、社会にスキ間が沢山あり、ケッタイな商売が成り立つ余地が充分にあった。

 それを象徴するのが、主人公二人の稼業、ジプシー飛行士。私がこの作品に惚れた理由の半分以上は、この商売にある。

 時代遅れの複葉機に乗り、田舎を飛び回る。休耕地や放牧地などの適当な空き地を見つけては着陸し、地主の許しを得て臨時の飛行場にする。近くに住む人を集めては、10分間3ドルの空中散歩を味わってもらう。一通り稼いだら、荷物をまとめて次の町へと飛んでゆく。

 航空法なにそれ美味しいの?ってな無茶苦茶な商売だが、著者は実際にこの稼業で食ってけるか試している。その記録が「飛べ、銀色の空へ」で、近いうちに紹介したい。

 まさしくその日暮らしの風まかせ、自由気ままなドサ周りの暮らしで、いつだって野宿だし、メシはアリ付サンドイッチならマシな方で、リチャードのパンときたらオガクズと牧草だらけの石膏味。それでも、煩い上司に頭を下げる必要もなければ、出世の速い同期を嫉むこともない。

 満員電車に詰めこまれて通勤している者にとっては、羨ましくてしょうがない。こういう、思いっきり手足を伸ばして昼寝できる暮らしには、どうしたって憧れちゃうのだ。

 読み方によっては劇薬で、人生を誤る可能性もある。が、日々の暮らしや仕事で息が詰まる想いをしている人にとっては、頭の上の重苦しい雲の隙間から青空がのぞく、そんな気分になる。ちょっとだけ気分が軽くなる、そんな作品だ。

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2017年4月 4日 (火)

アレックス・ヘイリー「ルーツ Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」現代教養文庫 安岡章太郎・松田銑訳

見よ、お前自身よりも偉大なものはあれだけだ
  ――Ⅰ巻15頁

人間にとって本当の言葉は一つしかない。その人間の生まれ育ったくにの言葉だ。その言葉が人を作り、魂をそだてる。
  ――Ⅱ巻129頁

「…お祖父ちゃんがいちばん大切に考えとったのは、母ちゃんにアフリカのことを話すことじゃったちゅうて――」
  ――Ⅱ巻391頁

「自由は飯をくわしてはくれん。飯を食べるために何をするかを自分できめられるということだけじゃ」
  ――Ⅲ巻326頁

「おれはあの世へいくときに、あの子がおれたちよりもチャンスに恵まれることは信じていけるからな」
  ――Ⅲ巻354頁

【どんな本?】

 「マルコムX自伝」で話題を呼んだアレックス・ヘイリーが、自らの先祖を手繰って調べ、西アフリカのガンビアで生まれ奴隷としてアメリカ大陸に売られたクンタ・キンテから、七代後である自分までの一族の歴史を語った、壮大な物語。

 アメリカでは1977年度のベストセラー・リストを荒らしまくってピュリッツァー賞を受賞し、ドラマ化したテレビ番組は史上最高の視聴率を稼ぎだした上に、人種を問わずご先祖様探しの大ブームを引き起こした化け物コンテンツである。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Roots : The Saga of an American Family, by Alex Haley, 1976。日本語版はⅠ巻:1978年3月30日初版第1刷発行、Ⅱ巻:1978年4月5日初版第1刷発行、Ⅲ巻:1978年4月8日初版第1刷発行。

 文庫本で縦一段組み、三巻でそれぞれ本文約377頁+412頁+399頁=約1,188頁に加え、Ⅰ巻に著者アレックス・ヘイリーによる「日本の読者へ」3頁、Ⅲ巻に安岡章太郎の「もう一つの『ルーツ』 あとがきにかえて」5頁+松田銑の「アレックス・ヘイリーについて」5頁。8ポイント43字×18行×(377頁+412頁+399頁)=約919,512字、400字詰め原稿用紙で約2,299枚。4~5冊に分けてもいい大長編。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えていえば、アメリカ合衆国の歴史を知っていると、ちょっとした驚きが味わえる。

 ただし、今は版元がなくなているので、新品を手に入れるのはまず無理。古本を漁るか図書館で取り寄せよう。映像派の人向けにDVDも出てます(私は見てないけど)。

【どんな話?】

 1750年の春。西アフリカのガンビアで、オモロ・キンテの妻ビンタが長男を産む。オモロの父カイラバ・クンタ・キンテにちなみクンタと名付けられた子供は、マンディンカ族の村ジュフレで健やかに育っていたが、17雨の時にトゥボブ(白人)に捉えられ、奴隷としてアメリカ南部に売り飛ばされてしまう。

 財産も家族も自由も言葉も、そして人としての誇りすら奪われ獣のように扱われながら、逞しく生き抜いたクンタ・キンテにも、やがて家族ができ…

【感想は?】

 著者は奴隷制を告発するつもりで書いたそうだ。しかし、読後感は全く違う。

 全体の3割ほどはクンタ・キンテのアフリカでの暮らし、6割ほどはクンタと彼の子孫の奴隷としての人生、そして残りの1割ほどが自由の身となった黒人たちの暮らし、そんな割合だ。

 滑り出しは、クンタ・キンテがガンビアのジュフレ村で過ごす少年時代を、じっくりと描いてゆく。クンタは普通の男の子で、自分が大人になるのが楽しみでしょうがない。裸で過ごし保護されるだけの第一カフォー,山羊の世話を任せられる第二カフォー,恐怖の成人訓練を経て大人と認められる第三カフォーと、段階を踏んで村の責任を任されてゆく。

 ここで描かれる村の暮らしは、男の子の成長物語として楽しいだけでなく、私たちが考える「アフリカ」の姿を大きく変えてゆく。そりゃ電気もテレビもないけど、社会制度としちゃ充分に考えられ安定したシステムになってるのだ。

 そんなわけで、「良き援助とは」なんて事も、ちょっと考えちゃったりする。が、それ以上に、じっくりと描かれたクンタ・キンテが、マンディンカ族の男でオモロの長男としての、自由な心と誇り高い魂を持っていると、読者に伝わってくる。これが、次の奴隷篇での衝撃を増幅する見事な隠し味だ。

 次の6割を占める奴隷篇は、嫌になるほどの恨み節の連続。次から次へと誇りを奪われながらも、必死に運命に抗うクンタ・キンテの姿は、先のアフリカ篇がのどかなだけに、その落差が凄まじい。相応のグロ耐性も必要だし、このあたりを読むと、正直アメリカの人種問題は解決不可能じゃないかと思えてくる。

 というのも。ここで語られるアメリカの歴史は、南部の黒人奴隷の目から見た歴史で、私が知っている歴史と全く違うからだ。アメリカ合衆国の独立戦争や南北戦争、アイルランドのジャガイモ飢饉なども、黒人奴隷の目から見ると、全く違った姿に見えてくる。

 ばかりでなく、今のアメリカの歴史は北部諸州から見た歴史なのだな、と今気が付いた。そう、黒人奴隷っばかりでなく、南部の白人から見た南北戦争も、私が知っているアメリカの歴史とは違うのだ。

 この奴隷解放が近づくにつれピリピリしてくる空気は、クンタの受けた屈辱とはまた違った恐ろしさが伝わってくる。黒人が白人を恨むだけでなく、白人もまた黒人を憎み、互いが己の命をかけてまで相手を殺そうとする、条理を越えた敵対感情。それの根本は、間違いなく奴隷なんぞという狂った制度だ。

 とか書くと小難しい話みたく思われそうだが、ベストセラーの実績は伊達じゃない。もちろん、魅力的な人物も沢山出てくる。

 最も脚光を浴びるクンタ・キンテはもちろん、彼の父オモロも、ちょっとシャイで無口ながら、日本の男なら是非こうありたいと願う父親の姿そのもの。息子への贈り物はギリギリまで隠し、そっけない態度でそれとなく渡しつつ、大事な所では大人としての威厳をバッチリ示す。そう言えば、私が幼い頃は親父が働く姿を間近で見られたんだよなあ。通勤って制度も良しあしだね。

 やはり印象に残るのが、クンタの孫チキン・ジョージ。性格はオモロと正反対で、口から先に生まれたような洒落男。幸いにして天職となる闘鶏師の仕事に巡り合い…。彼が全てを賭けて挑む決戦の場面は、この物語の中で異彩を放つ緊張が続き、ベストセラー作家の底力を存分に見せてくれる。

 そんな華やかな舞台が目立つチキン・ジョージだが、彼と「父親」が最後に出会うシーンに漂う冷たい緊張も、忘れがたい所。

 そこから後は、もう怒涛の奔流となって、現代へと押し寄せてゆく。

 この現代篇のインパクトが、これまた凄まじい。それまで著者の思惑通りに延々と積み重ねた恨み節が、著者の思惑を外れて全く違う所へと突き抜けてしまい、人種を問わず今生きている全ての人に伝わる強力なメッセージとなって炸裂するのだ。

 これから結婚する人・子供が生まれる人は、今のうちに読んでおいた方がいい。もちろん、男女を問わず。今後の子育てで大切なことを読み取るだろう。あなたにとって、そしてあなたの子にとって、最も大切な事は何か。それを、この本は教えてくれる。

 手に入れにくいけど、頑張って手に入れるだけの価値はある。もっとも、人によっては、その後に半端ない散財が待ってるんだけどw

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2017年2月 2日 (木)

「エジプト神話集成」ちくま学芸文庫 杉勇・屋形禎亮訳

私の遺骸が私の生まれた地に合一することより大事なことがあるだろうか。
  ――シヌヘの物語

【どんな本?】

 ナイルを中心として紀元前四千年より前から文明を築いてきた古代エジプト(→Wikipedia)は、ピラミッドや遺跡に刻んだ碑文や、パピルスに書かれた文書など、多くの文字の記録を残した。

 幸い現在まで残っている記録から、比較的に文学的であり、また解読が進んでいるものを集め、一般読者に紹介するのがこの本である。

 英雄漂流譚や冒険物語、辛い暮らしと暗い世相を嘆く詩、リズミカルな語りで描く喜劇、王名を帯びたレバノンへの旅の記録、神々や王に捧げた賛歌、若い学生へのお説教、熱い恋心を綴った唄、そして神々の争いを描く神話など、バリエーション豊かなテキストが楽しめる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1978年4月30日刊行の筑摩書房刊「筑摩世界文学大系Ⅰ 古代オリエント集」より、『エジプト』の章を文庫化したもの。文庫版は2016年9月10日第一刷発行。縦一段組みで本文約505頁に加え、解説が豪華123頁。8.5ポイント40字×18行×505頁=約363,600字、400字詰め原稿用紙で約909枚。訳注や解説も含めれば上下巻でもいい分量。

 ちなみに元の物語や文書は紀元前25世紀から紀元前10世紀頃までと幅広い。

 喜べ。かなり読みにくいぞ←誤字ではない。

 元々が既に滅びた言語で書かれている上に、残った碑文やパピルスもカスれたり破れたり散逸してたりと、一部しか残っていない。そのため文章の一部が抜けてたり、段落がゴッソリ飛んでたりする。訳者の仕事も、翻訳というより解読と呼ぶのが相応しい。

 そんな不完全な記録から、できる限り原本の意味を忠実に日本語に移し替えたのが本書だ。だから文の途中で単語や句が抜けてるし、物語も途中で途切れたりする。

 それだけ、原文に近い作品なわけで、オタクとしてはその濃さが嬉しいのだ。

 なお、成立した頃の世相を反映した作品も多いため、Wikipedia などで古代エジプトについて調べておくといいだろう。また地名も出てくるので、Google Map や地図帳があると便利。だいたい西はリビア、南はスーダン、東はイラク、北はレバノンとシリアあたりが出てくる。

【構成は?】

 それぞれの物語は独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。なお、素人は解説を読みながらでないと意味が分からない作品が多いので、複数の栞を用意しておこう。

  • シヌヘの物語
  • ウェストカー・パピルスの物語
  • 難破した水夫の物語
  • 生活に疲れた者の魂との対話
  • 雄弁な農夫の物語
  • イプエルの訓戒
  • ネフェルティの予言
  • ホルスとセトの争い
  • メンフィスの神学
  • 二人兄弟の物語
  • ウェンアメン旅行記
  • 宰相プタハヘテプの教訓
  • メリカラー王への教訓
  • アメンエムハト一世の教訓
  • ドゥアケティの教訓
  • アニの教訓
  • アメンエムオペトの教訓
  • オンク・シェションクイの教訓
  • ピラミッド・テキスト
  • アメン・ラー賛歌(1)
  • アメン・ラー賛歌(2)
  • ラー・ホルアクティ賛歌
  • アテン賛歌
  • ナイル賛歌
  • オシリス賛歌
  • 単一神への賛歌
  • センウセルト三世賛歌
  • トトメス三世賛歌
  • セド祭の碑文
  • ミンの大祭の碑文
  • 「後期エジプト選文集」より
  •  訳注/解説/索引

【感想は?】

 「エジオプト神話集成」というより、「古代エジプト文書集」が適切だろう。

 「神話」とあるが、ギリシャ神話や日本神話のように、創世記から始まり人の世が始まるとかの系統だった話を期待すると、肩透かしを食らう。というか、食らった。

 そもそも、全体として一貫したストーリーを持つ本ではない。今まで残っているテキストの中から、比較的に解読が進んでおり、かつ文学的な香りのするものを選んで集めた、そんな雰囲気の本だ。もっとも、Wikipedia によると、エジプト神話は時代によって大きく変わっているので、そもそも一貫した物語を期待するのが間違いなんだろう。

 神様が活躍する物語も少ない。「難破した水夫の物語」と「ホルスとセトの争い」ぐらいか。超自然な事柄が出てくる話も少なくて、人間が主人公の世情を映す話が多い。それより多いのが、若者への戒めや、神々や王への賛歌だ。中には「税を免じてくれ」とか「支払いはまだか」みたいな事務的な手紙も入ってる。

 だもんで、これで古代エジプト神話を知るのは、まず無理。そこは覚悟しよう。それより「数千年前の人がどんな記録を残したか」が、この本の大事な所。

 私が一番気に入ったのは、「雄弁な農夫の物語」。泣いて笑えるコメディだ。

 農夫クーエンアンプーは、家に妻と子を残し、収穫物を街へ売りに出かけたが、途中で小役人トゥトナクトにイチャモンをつけられ、売り物を巻き上げられてしまい、領主レンシに訴え出る。

 このクーエンアンプー、農夫とは思えぬ豊かな教養と見事な詩情で流れるように言葉を紡ぎ出すのはいいが、レンシは彼の雄弁が気に入って一計を案じ…

 クーエンアンプーの台詞、たぶん原文は韻を踏んだリズミカルな文章で、今でいうラップに近い感じなんだろう。当時のエジプトに演劇があったどうかは知らないが、巧みな役者が舞台で演じたら、きっとウケたに違いない。主役のクーエンアンプーは相当に難しいけど。今ならミュージカルにすると楽しいだろうなあ。

 最も神話らしい話は、「ホルスとセトの争い」。跡目争いの話だ。

 オシリスが没し、その子ホルスが後を継ごうとするが、オシリスの弟(ホルスの叔父)セトが割り込んでくる。ホルス側はイシス(オシリスの妻でホルスの母)・九柱の神々など、セト側は万物の主。セトは何度もホルスにイチャモンをつけては挑み…

 幾つもの難問を突き付けられてはクリアしていくホルスの姿は、後の英雄物語の元型だろう。にしても女神ハトホルが万物の主に向かう場面や、セトがホルスを家に招くあたりは、この時代ならではのおおらかさ。

 などの明るい作品ばかりでなく、メタルかブルースかって感じの暗い嘆きや不吉な予言の作品があるのも意外。

 「生活に疲れた者の魂との対話」は、まんまブルースの詞になりそうな作品。「仲間たちは邪悪だ/心は貪欲だ/暴虐さが万人に近づいて」なんてフレーズと、「今は誰に語りかけられよう」みたいなリフレインが交互に続いていく。

 対してデスメタルっぽいのが、「イプエルの訓戒」。これも「ほんとうに」のリフレインの後に、「弓手は準備ができている/悪疫は国中にあり/都市は破壊され」など、この世の終わりを感じさせる不吉な言葉が次々と続く。

 確か古代エジプトは絶対王政で、じゃきっと刑罰は厳しいんだろうなあ、なんて思い込みを覆してくれるのが「メリカラー王への教訓」。

 なんと「(たぶん罪人を)殺してはならぬ。(略)鞭打と拘禁とで罰せよ」ときた。ただし「謀反人は別」だけど。また「貴族の子弟と素性卑しきものとをわけ隔てするな。能力によって人をとりたててやれ」とかもあって、人道主義・能力主義は昔からあったんだなあ、と驚いた。リベラルな思想は昔からあって、別に近代の発明じゃないのね。

 教訓物じゃ「ドゥアケティの教訓」が資料的な価値が高い。これは若者に書記を目指せと説く文書で、他の職業の嫌な所を次々と挙げていく。出てくるのは彫刻師・木樵・床屋・葦細工師・陶工・左官・大工・庭師・農夫・隊商・漁師など。

 書記の待遇のよさを語る文書だが、加えて当時の職業がバラエティに富んでいて、分業が進んでいる事がうかがえると共に、ソレナリに職業選択の自由があった事もわかる。

 解説もオタクには嬉しいネタが載ってて、旧約聖書や千一夜物語との関連を示したり、セド祭の死と復活の儀式を解き明かしたりと、その手の話が好きな人にはご馳走の連発。

 元が元だけにスラスラと読める本ではないが、そこはオタクの執念と妄想力が試されるところ。伝説や民話の類が好きな人、ファンタジイのネタを探す人、怪しげな話が好きな人なら、是非読んでおきたい。なんたって、こういう実生活には役に立たない無駄知識こそがオタクの本領なんだから。

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2017年1月 4日 (水)

W.P.キンセラ「シューレス・ジョー」文春文庫 永井淳訳

「きみがそれを作れば、彼はやってくる」

【どんな本?】

 カナダ生まれの野球狂作家 W. P. キンセラによる、野球狂に捧げる長編ファンタジイ小説で、映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作。

 レイ・キンセラは小さな農場を営む青年。愛する妻アニーと可愛い娘カリンに囲まれたアイオワでの暮らしは気に入っているが、農場の経営は苦しく借金はかさむ一方。ある日、不思議なメッセージに導かれたレイは、トウモロコシ畑の一角を潰して野球場を作り始める。レフトの芝が整い始めた頃、なんとジョゼフ・ジェファスン・ジャクスンが球場にやってきた。そう、あのシューレス・ジョーだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SHOELESS JOE, by W. P. Kinsella, 1982。日本語版は1985年発行。のち文春文庫版より1989年11月10日に第1刷発行。文庫版で縦一段組み、本文約367頁に加え、訳者あとがき6頁。8.5ポイント42字×18行×367頁=約277,452字、400字詰め原稿用紙で約694枚、文庫本としては少し厚め。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、プロ野球や高校野球を楽しめる程度には野球のルールを知っている方がいい。特にメジャーリーグを頂点とするアメリカのプロ野球に詳しいと、更に楽しめる。

 重要なネタは、あと二つ。いずれも作品中で充分に説明があるので特に前提知識を仕込む必要もないが、気になる人のために余計なおせっかいをやいておく。

 まずは作品名にもなっているシューレス・ジョー(→Wikipedia)は、シカゴ・ホワイトソックスの選手。1919年に八百長疑惑で球界追放となる。もうひとつは作家のJ. D. サリンジャー(→Wikipedia)。「ライ麦畑でつかまえて」が有名だが、晩年は作品も発表せずマスコミから隠れて暮らしてた。

 でも最も大事なのは知識じゃなくて経験。野球場でドリンク片手に応援した事があれば文句なし。

【感想は?】

 熱烈な野球ファンの妄想話。

 正直、私は特に野球が好きなわけじゃない。昨年の日本シリーズ勝者も覚えてないし。でも、70年代ごろのロックならわかる。そこのロックおやぢやヘビメタ青年、こんな妄想した事はないか?

 ジミ・ヘンドリクス、あっちで何やってんだろ。やっぱバンド組んでんのかなあ。キース・ムーンやフェリックス・パパラルディとつるんだら、とんでもねえ変態な音になるだろうなあ。ロニー・ジェイムズ・ディオも、ランディ・ローズと組んでフィル・リノットとコージー・パウエルを捕まえ…

 うひゃあ、涎が止まらん。

 そういう妄想の野球版を小説にした、そんな作品だ。「ボクの考えた最高の野球チーム」を作る話と言ってもいい。

 主人公はドン詰まりの農家。妻アニーと娘カリンとの暮らしは満ち足りているし、アイオワの土地も気に入っている。ただこのご時世、小さな農場の経営は苦しく、借金で首が回らないってのに、畑の一角を潰して野球場を作るなんてイカれた真似を始める。

 それというのも、天啓を受けたから。「きみがそれを作れば、彼はやってくる」。どう考えてもアレな人だが、奥さんのアニーは温かく見守ってくれる。よくできた奥さんだ。

 やがてシューレス・ジョーが姿を現すが、当然、野球は一人じゃできない。そこで再び声が聞こえる。「彼の苦痛をやわらげてやれ」。声に導かれ、レイは旅立つ。

 こうやってお話の筋書きを取り出すと、主人公のレイは頭のおかしい人みたいだし、本人もそれはわかってる。確かにバカバカしい話ではあるのだ。

 それでも、細かい場面の描写が読者を引きこんでいく。冒頭の野球場を作る所でも、寒い冬の間に芝生を労わる方法なんてマニアックなのもあるが、やはり真に迫っているのは野球観戦のシーン。

 サッカーと違い、野球はインターバルが多い。だもんで、プレイを観ながらおしゃべりしたり飲み食いしたりして、それが野球観戦の欠かせない味でもある。球場で売ってる食べ物なんて、決して高級なモノじゃないんだけど、やっぱりホット・ドッグは欠かせない。そういう決まりなのだ。

 「ボクの考えた最高の野球チーム」を作る話だけに、レイの道中はスカウト道中でもあって、これがちょっとしたロード・ノベルの楽しみを添えている。サリンジャーを連行するために訪れるヴァーモント州ウィンザーの静かな様子もいいが、次の鉱山町チザムは、まさにアメリカならでは。

 日本と違い、アメリカの歴史は浅い。だけでなく、国の成り立ちが全く違う。

 アメリカはボトムアップでできた国だ。植民者たちが住み着き、地域を収める自治政府を住民たちが自ら作り、それが集まって州になり、州が集まって連邦政府になった。そのためか、住民の町に対する関心も深いし、新聞も地域の小さい新聞が多く、地元の人の結婚や訃報がニュースになる。

 ここでレイとジェリーがドックを蘇らせてゆくあたりも、名前だけだった人物が次第に血肉を備え、細かい出来事や困ったクセを伴った人間となってゆくあたりは、人探しの話としてありがちといえばありがちだが、読んでいくと次第にドックとチザムが好きになってくる。

 それとは別にアメリカだよなあ、と思うのが、夜のスタジアムに忍び込むシーン。なんと「たぶん西海岸ではまだ試合中ですよ」ときた。アメリカは東西に広いから、時間帯が四つもあるんだよなあ。深夜のプロ野球ニュースとか、どうしてるんだろ?

 まあいい。野球ってスポーツの独特な所は、プレーの記録が細かく残っていること。ピッチャーが投げる一球ごとに球種とコースを残す事も出来る。おかげで、この作品じゃベースボール・エンサイクロピーディアが大活躍したり。これに疑問を呈した「マネー・ボール」なんてのもあるけど。

 かと思えば、記録に残らないプレイもある。エディが語る、石ころを12個ポケットに入れるショートの話とかは、もう爆笑もの。ったく、何がフェアプレーだw

 古き良きアメリカと、それを象徴する野球を、現代に無理やり蘇らせ、「ボクの考えた最高の野球チーム」を創り上げる、ホンワカしたファンタジイ。読むなら野球シーズンの方がいいかも。東京ドームみたいな大きい球場もいいけど、神宮みたいな球場も選手が間近に見えるので違った楽しみがあります。

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2016年11月14日 (月)

デイヴィッド・ピース「TOKYO YEAR ZERO」文芸春秋 酒井武志訳

 見かけ通りの人間は誰もいない……

【どんな本?】

 東京在住のイギリス人作家デイヴィッド・ピースによる、敗戦後の占領期の日本を舞台としたシリーズ<東京三部作>の開幕編。

 昭和20年8月15日、東京、玉音放送の日。品川にある海軍第一衣糧廠の女子寮で変死体が見つかった。警視庁捜査第一課にお呼びがかかり、第二班の担当となる。現場に向かった刑事の三波と藤田は、汚水が溜まった地下室から、半ば腐った若い女の全裸死体を引きずり出す。

 これが、連続強姦殺人事件の幕開けだった。

 有名な小平事件(→Wikipedia)を題材に、捜査に走り回る刑事の視点から、闇市を仕切るヤクザ・体を売って稼ぐ女たち・戦争で家や家族を失った者・食料の買い出しに出かける者・窃盗で生き延びる戦災孤児など、価値観が逆転した戦後の混乱期のなかであがく者たちの姿を、独特の文体で描く暗黒小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TOKYO YEAR ZERO, by David Peace, 2007。日本語版は2007年10月10日第一刷発行。今は文春文庫から文庫版が出ている。単行本ハードカバー縦二段組、本文約350頁。8.5ポイント25字×20行×2段×350頁=約360,000字、400字詰め原稿用紙で約900枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。

 ハッキリ言って、文章はかなり読みにくい。地の文の中に、意味ありげながら雑音のような太字の文が何度も繰り返し出てくる、独特の文体がずっと続く。内容は特に難しくないが、舞台が敗戦直後の時期なので、その頃の風俗がわかると更にわかりやすい。

 なお、小説としては一種のミステリでもあり、細かい所にヒントが隠されている。謎を気にしながら注意深く読んでもいいし、気にせず作者に弄ばれても楽しめる。

 それと、ネタバレが嫌な人は、巻末の解説はもちろん、ネット上の書評も読まない方がいい。どうやら読者層はいわゆるミステリ・ファンばかりでなく、純文学系の人が多いらしい。ミステリ・ファンは作者の仕掛けをバラさぬよう心掛けるが、純文学系の人は違うマナーに従ってて、けっこう容赦なくバラしてたりする。

 ちなみに巻末の解説はネタバレも含むが、ネタバレの前にちゃんと「以後ネタバレあり」と警告を出している。

【感想は?】

 敗戦直後の東京の闇を、容赦なく描き出した問題作。

 そう、終戦ではない。敗戦だ。ここ大事。私たちは負けたのだ。が、日本人の作品で、ここまで容赦なく「日本は負けた、日本人は敗者だ」としつこく繰り返す作品は、まずないだろう。

 「それでも私たちは頑張って生きてきた」みたく、なんとか前向きにお話を仕立てようとする本能が、どこかで働く。なんたって私たちの父母・祖父祖母の話なんだし。その点、この著者は全く容赦ない。繰り返し繰り返し、敗戦で心が折れた当時の人々の鬱屈した想いを抉り出してゆく。

 出てくる人も、あさましく屈折した連中ばかりだ。

 主人公を務める三波刑事からして、プロローグじゃいきなりヤクザにタカって煙草をせしめている。おまけに時流に関しても刑事の三波よりヤクザの松田の方がよっぽど詳しかったり。

 冒頭は昭和20年8月15日、敗戦の日だ。玉音放送の直前まで「露営の歌」(→Youtube)なんて勇ましい曲を流す傍ら、役所からはヤバい証拠書類を焼き捨てる煙が立ち上る。連中は予め知ってて、身を護る手立てを講じたってわけだ。まあ民間人も松田みたく敏い者は気づいてるんだが。

 その次の、被害者の遺体が見つかる現場の場面でも、戦時中の無茶苦茶さが良く出ている。ややこしいようだが、登場人物たちはまだ玉音放送を聞いていないので、気分は戦中だ。ここでは憲兵の出鱈目っぷりを充分に見せつけられる。

 タテマエとしちゃ、そういう連中は公職追放で消えた事になってるんだが…。実際、今でも公安調査庁(→Wikipedia、警察の公安とは別)なんてのが生き延びてて、しょっちゅう人員整理の対象となるけどいつもなぜか復活してる、なんて不気味な噂も。

 主題となる小平事件の被害者たちも、実に哀しい。犯人の小平義雄は、若い娘たちを食べ物で釣って連れ出し、犯して殺した。食べ物が貴重だったのだ、あの頃は。

 食べ物に必死なのは若い娘だけじゃない。田舎の農家まで買い出しに行く場面も、あさましいやら悲しいやら。そもそも一介の民間人が農家まで食料を買いに行かにゃならんのも、流通網が完全に潰れてるからで、当時の大日本帝国政府の無能っぷりを否応なしに示してるんだが。

 流通網が潰れてるわけで、列車も満員なんてもんじゃない。おまけに乗客はみんな膨れ上がった荷物を持ち込んでる。今でこそ通勤の満員電車はお行儀よく並んで乗り降りしてるが、命がかかってるとなれば…

 関係者に聞き込みに行く場面でも、なかなか当人が見つからない。みんな家を焼かれ家族を失い、親戚などの家に移り住んでたり。当時の東京じゃ、それが当たり前だったんだろう。

 そんな中、ヤクザは闇市を仕切ってのし上がってゆく。なんたって警官の多くが公職追放でいなくなっている上に、路上には飢えた者があふれている。そこでヤクザが闇市を仕切るわけだが、美味しいシノギにゃタカりたがる者も多い。軍需品の横流しもあったようで、市中には武器も溢れ…

 ってな人々のあがきも辛いが、主人公の三波がシラミに悩まされガリガリと体を搔きまくる描写も、なかなか気分的に堪えた。ついつられてこっちも掻きたくなるんだよなあ。

 戦後の混乱期。誰もが負け犬の立場に叩き落された頃。食うため、生きるため、他人を情け容赦なく押しのける者たち。そんな日本の昏い時代の、更に暗黒の部分を、8月の太陽さながらに明るみに引きずり出し、私たちに見せつける、あまりに残酷で厳しい物語だ。

 文章の読みにくさも加え、気力・体力を充実させて充分に覚悟して読もう。でないと、読者の心まで闇に引きずり込まれてしまう。

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2016年7月17日 (日)

R.D.レイン「結ぼれ」みすず書房 村上光彦訳

わたしの欲しいものときたら、手に入ったためしがない。
手に入ったのは、いつだって、欲しくないものだった。
欲しいものは
        わたしの手には入らないだろう。

【どんな本?】

 反精神医学(→Wikipedia)を掲げた20世紀の精神医学者 R.D.レイン(→Wikipedia)が著した、詩集。

 ここに描かれるのは、人の心の情景だ。絡み合いもつれあい、身動きが取れなくなった、または更にもつれてゆく、人と人との関係である。お互いがお互いの気持ちや思惑を探り合い、投影しあい、反射しあう形で、わだかまりが膨れ上がってゆく様を、詩にすることで戯画化し、わかりやすく読者に示す。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は KNOTS, by R. D. Laing, 1970。日本語版は1973年11月25日第1刷発行。私が読んだのは1985年8月5日発行の第10刷。だいたい年に一回の増刷だから、着実に売れている。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約147頁。なにせ詩なので、行は長短いろいろだし空行も多い。単純に文字数を見積もると、400字詰め原稿用紙で100枚を切るぐらいで、小説なら短編の分量だろう。

 文章はこなれていて読みやすい。が、内容はややこしい。というか、じっくり味わって読む本だ。とまれ、文学としての詩とはいっさか異なり、語られるのは風景ではない。まっさらな背景の中で展開する、人と人の心がスレ違いほつれてゆく過程だ。そんなわけで、「私はブンガクは苦手で」という人でも、親しい人と仲たがいした経験のある人なら、楽しめるだろう。

【感想は?】

 ややこしい。

 なにせ、描かれる情景がしち面倒臭いシロモノばかりだから。たいていループしてたりマトリョーシカみたく再帰してたり合わせ鏡みたく反射に反射を重ねてたり。

 しかも、辛気くさい。

 「これは凄い、感動した」というタイプの詩ではなく、二人の人間の関係が、ちょっとしたスレ違いからもつれ、互いに自分の気持ちや勘ぐりで深みにハマり、身動きが取れなくなってゆく過程を描くものばかりだから。

 詩とはいっても、風や林や海は出てこず、歴史的な人物や事件も出てこない。どこにでもいるような人たちが、家族や恋人どうしなどの親しい関係の中で、いつでも演じているような場面を、お互いの心の声を拾い上げて言葉にしたような、そんな物語が続いてゆく。

 そして、人それぞれ好き勝手に解釈できる。具体的な事柄は出てこないので、読者が都合のいいように、最近の経験に当てはめて考える事ができる。たとえば、こんな部分は…

それゆえ
 私たちは彼を手助けして悟らせなくてはならない――
 彼にはなにか問題があるなどとは
 彼が考えもしないという、その事実こそ
 彼にいろいろ問題があるなかの
 ひとつなのだ、と

 考えようによっては、自称霊能者や健康食品のセールスマンが、カモを脅す文句とも取れる。また精神医学者という著者の立場を考えると、「俺は狂ってない」「狂ってる人はみんなそう言うんです」的な場面も思い浮かぶ。逆に人を狂人扱いする者こそ狂っている、みたいな場面でもいい。そして、結局、回答編はない。

 詩だけでなく、図を使った作品もある。これなんかは、ありがちな風景かもしれない。

ジャックは思う(ジャックが思うから)ジルは
  ↑             ↓
 なぜなら     けちだと 欲張りだと
  ↑             ↓
 けちだと 欲張りだと   なぜなら
  ↑             ↓
ジルは思うから(ジルは思う)ジャックは

 ケチな奴ほど相手を欲張りだと思う。ありがちな構図かも。これがけちと欲張りの関係なら、単に仲が悪くなるだけだが、もっと物騒な関係もある。

ジャックがジルを恐れていると
    ジルが思っていると
    ジャックが思うならば
ジャックはジルをますます恐れる

 そして互いに「お前なんか怖くないぞ」ってフリをして、それが更に互いの恐怖を煽ってゆく。この本ではジャックとジルだからただの痴話げんかみたいに思えるけど、同じ構図がイスラエルととパレスチナや、キリスト教徒とイスラム原理主義者に置き換えても成り立っちゃうから、わたしはますます恐れる。

 などの、相手があって成り立つ風景もあるが、一人でも成り立っちゃう詩もあったり。

わたしはそれをする、なぜなら、それが正しいから。
それは正しい、なぜなら、わたしがそれをするから。

 ヒトゴトだと思うと気楽に読めるし、嫌いな奴を思い浮かべれば「うんうん、アイツはそういう奴だよ」と思えるんだが、自分を振り返ると、そういう部分もあるんんだよなあ、困ったことに。

 そう考えると、別に病的な風景を描いた作品集ってわけでもなく、「ヒトってそういうモンだよね」みたく気楽に構えて読むのも、いかもしれない←と、自分の欠点を人類全部の欠点にスリ変えて誤魔化してます

 難しくはないけれど、ややこしいし、しち面倒くさい内容が多い。とはいえ、人と人が親しく付き合っていると、よく嵌り込みやすいドツボな構図を、余分な背景や風景を排し、敢えて顔なしの人形に演じさせたような形にすることで、多くの人が「ああ、こういう事ってあるよね」と思い当ってしまう作品にした、そんな情景を集めた本。

 メタな記述にアレルギーがないなら、またはメタな構成が好きなら、とりあえず読んでみよう。

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2016年7月 3日 (日)

ジョーゼフ・ヘラー「キャッチ=22 上・下」ハヤカワepi文庫 飛田茂男訳

彼は文学についてあらゆることを知っていた――文学をいかに楽しむかということ以外ならば。

「ドイツ軍はいま追い立てられておる。そしてわしらは相変わらずここにおる。二、三年もたてばあんたがたもいってしまうじゃどうが、わしらはやはりここにおるじゃろうて」

「本官らは本官らのいまだ知らぬ犯罪や過失をおかしたかどによっておまえを告発する」

「おれとあらゆる理想とのあいだに、いつも幾人ものシャイスコプフども、ペケムども、コーンども、キャスカートどもが立ちふさがっているのをおおれは感じるんだ。そして、言ってみればそれが理想を変えてしまうんだな」

【どんな本?】

 アメリカの作家ジョーゼフ・ヘラーによる、第二次世界大戦中の米軍を舞台とした、不条理とブラック・ユーモアあふれる戦争小説。

 第二次世界大戦のイタリア戦線。米軍は地中海に浮かぶピアノーサ島(架空)に航空基地を置き、激しい対空砲火にもめげず連日の出撃を続けているが、隊員はみなイカれていた。

 連隊長のキャスカート大佐は昇進のために責任出撃回数を増やして隊員の帰国を認めず、冗談で少佐にされたメイジャーは人を避け、CID(特捜部)が捜すワシントン・アーウィングは何処かに潜伏し、ペケム将軍は正装での爆撃出撃を画策、マイローはマルタで7セントで買った卵を5セントで隊に売っている。

 帰国を望むヨッサリアン大尉は狂気を装い、さまざまな奇行に走るが、謎の規則キャッチ=22に阻まれ…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CATCH-22, by Joseph Heller, 1961。日本語版は1977年3月にハヤカワ文庫NVより刊行。私が読んだのは2016年3月15日発行のハヤカワepi文庫版。文庫本の上下巻で縦一段組み、本文約(436頁+415頁)=851頁に加え、訳者あとがき6頁+訳者による「『キャッチ=22』の時間構成について」9頁+松田青子の解説7頁。9ポイント41字×18行×(436頁+415頁)=約628,038字、400字詰め原稿用紙で約1,571枚。文庫本なら上中下の三巻でもいい大容量。

 文章はやや読みにくい。おそらく原文は地口や韻などの仕掛けがタップリ仕込んであって、かなりクセの強い文体なんだろう。お話も時系列をシャッフルした形で進むので、ドコで何が起きているのか、なかなか読者には見えてこない。登場人物は強烈なキャラクターが多いのだが、次から次へと多数の人物が出てくるので、なかなか覚えきれない。できれば登場人物一覧が欲しかった。

 作品中で主人公の所属は空軍となっているが、当時の米軍に空軍はない。陸軍航空隊だ。カバーの著者紹介には「陸軍航空隊に所属」とあるので、著者・訳者ともにわかった上で、作り話である由を強調するためワザと架空の歴史・組織をわかりやすくデッチ上げたのかも。

 舞台は第二次世界大戦の終盤、連合軍がイタリアに上陸し北上をはじめ、イタリアは降伏するがドイツ軍が頑強に抵抗を続けている頃。連合軍はノルマンディー上陸に備え戦力を出し惜しみし、結果としてイタリア戦線は苦戦に陥っている。詳しくは以下の Wikipedia を参照しよう。知らなくても作品を楽しむには大きな問題はないけど。

 イタリア戦線イタリア侵攻

 なお、主人公の乗機B-25(→Wikipedia)は双発の爆撃機で、乗員6名(正副操縦士,航法士兼爆撃手,回転銃座兼機関手1名,無線手兼側面銃座1名、尾部銃座手1名)。

【感想は?】

 出世欲旺盛でわからずやの上司の下で働いた経験のある人には、とても身に染みる作品。

 始まってしばらくは、趣味の悪いドタバタ・ギャグに思える。例えば最初の病院の場面で出てくるギブスとガーゼに包まれた動かない病人。動かないばかりでなく、声すらださない。生きている証拠は、彼につながった2本のチューブだけ。そう、入力と出力だ。ところが…

 と、いきなり凄まじく悪趣味なギャグをかましてくる。

 もっとも、この環境じゃ狂うのも仕方ないなあ、と思ったり。舞台がイタリア戦線だけに、彼らが置かれているのは戦場だ。そりゃ歩兵と比べりゃ敵の姿は見えないが、それだけに恐怖の得体の知れなさは大きい。現実には対空砲も人が撃ってるんだが、爆撃機に乗ってる乗務員には単に「弾が飛んでくる」としか思えない。

 こういった出撃の恐怖は、下巻での出撃場面が巧く描けている。「B-29日本爆撃30回の実録」でも、無敵に見えたB=29の乗員が、ほとんど制空権を失っていた帝国陸海軍の戦闘機に怯える場面が描かれていた。まして優れた対空砲アハト・アハト(→Wikipedia)を擁するドイツ軍が相手なら…

 そんなわけで、主人公のヨッサリアン大尉は、できる限り早く帰国したい。そこで狂気を装おうと軍医に相談するが。

  • 出撃は怖い。よって出撃を望む者は狂っている。
  • 狂った者は飛行任務を免除される。
  • 飛行任務を解くには、軍医に免除願を出す必要がある。
  • だが、軍医に免除願を出す者は正常と看做される。

 どないせえちゅうねん。このルールのイカれ具合が、キャッチ=22だ。

 戦場における狂った論理にも見えるが、現在日本の組織でも、こういった変な規則は珍しくない。例えば生活保護を受けるには住所が必要だが、最も保護を必要とするホームレスには住所がない。虐待する親から逃げた子供が警察に「保護」されると、確実に親元に戻される。

 なんて硬い例を持ち出すまでもなく、似たような身動き取れない状況は多い。私が思わず同情しちゃうのがメイジャー少佐。悪ふざけで変な名前をつけられ、その名前が原因で幼いころからからかわれ続ける。「彼はあまりにも絶望的に友だちを必要とするために、かえってひとりも見つけることができなかった」。切ないねえ。

 あまりに真面目で従順なため、誰からも嫌われる羽目になるメイジャー少佐。軍に入り着任して書類仕事を始めるが、彼が書類を書くたびに仕事の量は膨れ上がってゆく。そこで彼が編み出した書類の処分法は…。

 こういう官僚主義っぽい組織体質をあげつらうエピソードにはこと欠かないし、風通しの悪い組織で働いた経験があれば、「うん、ありがち」と感じるネタも沢山ある。だいたい書類ってのは論理的な構造こそが大事で、見た目なんざどうでもいいだろうに、なんで罫線の位置でゴタゴタ言われにゃならんのだブツブツ…と感じる人も多いだろう。

 これの最たるのがシャイスコプフ中尉。分列行進に入れ込み、分列行進を完璧にするため労を惜しまず、あらゆる改善案を検討する。仕事人間としちゃ立派なもんだが、現代の空軍に分列行進が何の意味があるんだろう。これも今の日本での組体操への拘りとかを考えると、別に軍に限った事じゃないと思えてくる。

ただし、自動小銃が発達する前の昔の陸軍じゃ行進の訓練には確かに意味があったのだ。この辺はマクニールの「戦争の世界史」や「戦闘技術の歴史」シリーズに詳しい。

 こんな組織の中で出世する人ってのは、やはりどこかイカれた人が多いようで、連隊を率いるキャスカート大佐の権威主義・出世主義もなかなか相当なもの。コテコテの軍人である彼と、従軍牧師の会話は、思わず笑っちゃうものの、技術を全く知らない管理職の無茶振りに苦しめられるエンジニア諸氏には、他人事とは思えぬ切実さを感じるだろう。

 そんなキャスカート大佐と陰険にやりあうのが、ペケム将軍。彼も組織の論理を知り尽くした男で。

わしらのこの大部隊においては、実のところ果たすべき非常に重要なことはないし、急を要することもなにひとつ存在しない。その反面、人々にわしらが非常に多くのことをしていると知らせるのは重要なことなのだ。

 あなたの職場にもいませんか、無駄に忙しそうな人。こうなると笑っていいんだか泣いていいんだか。

 そんな軍務に惜しい潰されまいと、ヨッサリアンはじめ隊員たちは度を越した悪ふざけで気を紛らわすしかない。だが、ただ一人、権力の亡者キャスカート大佐を巧くあしらう人物が出てくる。隊員に充分な食事を提供するためあらゆる手を尽くす善意の男、マイローだ。最初は冴えない厨房担当に見えた彼だが…

 お話も終盤に行くに従い、更にブラックさが増してゆき、登場人物の多くも悲惨な運命をたどる。これが単に悲惨なだけでなく、その多くが無駄で無意味で間抜けな死なのがやりきれない。

 くだらない地口や繰り返しのギャグ、ガキに凶器を持たせたが故の危ない悪ふざけも多いが、若者が狂ってゆく戦場と組織の不条理も、いささかワンパターンのドタバタ風味ながら巧く描けている。ただ、アメリカの圧倒的な物量に負けた日本人としては、著者が無意識に当然として描いた米軍の豊かさに複雑な気持ちを抱いてしまう。

 などとは別に、官僚的な組織の不合理さは、アメリカ人より日本人のほうが、よりリアルに感じるんじゃないだろうか。ただ長丁場な上に複雑な構成なので、時間をとって一気に読むのがいいだろう。 

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