ソフィー・D・コウ/マイケル・D・コウ「チョコレートの歴史」河出書房新社 樋口幸子訳
バロック時代のヨーロッパこそ、チョコレートが征服した正真正銘の新領土だった。
――第5章 チョコレートのヨーロッパ征服17,8世紀のヨーロッパ人がすすったチョコレートの大半は、奴隷によって運営される「カラカス」カカオ農園から輸入されていたのだ。
――第6章 カカオ産地の変遷チョコレートを料理の材料として使うと聞いたら、アステカ人はショックを受けるにちがいない。(略)
だが今日では、多くの食物研究家たちが、(略)「パボ・イン・モレ・ポブラノ」こそ、メキシコの伝統料理の頂点だと考えている。
――第7章 理性と狂気の時代のチョコレート
【どんな本?】
私たちが知っているチョコレートは、板状だったりアイスクリームのトッピングだったり粒状で中にブランデーが入っていたりと、繊細な舌触りの甘くほろ苦いお菓子だ。だが、チョコレートの歴史を見ると、現代は極めて異様なチョコレートばかりが幅を利かせているのがわかる。
チョコレートというかカカオの原産地は中米である。オルメカ人が見つけ栽培を始めたカカオをマヤ族とアステカ族が受け継ぎ、スペイン人が欧州に持ち帰って独自のアレンジを加え、更に資本主義と産業革命により大幅な改造を受けた結果が、現代の私たちの知るチョコレートだ。
本書の特徴は、スペイン人来襲前の中米におけるチョコレート文化から、欧州での「飲み物」としてのチョコレートをじっくりと描く反面、産業革命以降のチョコレート激動の時代は駆け足で片付けてゆく点だ。
スペイン人による征服以前の米大陸の食生活を研究した妻で人類学者のソフィー・D・コウの遺稿を、同じく人類学者の夫マイケル・D・コウが引き継いで完成させた、チョコレートの香りと魅惑に満ちた歴史書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The True History of Chocolate, by sophie D. Coe and Michael D. Coe, 1996。日本語版は1999年3月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約371頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×371頁=約324,254字、400字詰め原稿用紙で約811枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。今は河出文庫から文庫版が出ている。
文章は比較的にこなれていいる。いや学者が書いた本のわりに、って程度だが。いずれも歴史に素養が深い人らしく、歴史上の有名人が説明なしに出てくるのが困りものだが、知らなかったら無視していい。何より大事なのは、チョコレートが好きか否かだ。
また、前半では中米の地名が頻繁に出てくるので、地図帳か Google Map があると便利だろう。
【構成は?】
原則として過去から現代へと向かうので、素直に頭から読もう。
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- まえがき
- 序章
- 第1章 神々の食物の木
- 複雑多彩な化学成分
- 第2章 カカオの誕生 オルメカ=マヤ時代
- オルメカ人
- イサバ文明から古典期マヤまで
- 密林の王たち 古典期マヤ
- 古典期マヤの黄昏
- 征服前夜のマヤ族
- 征服以降のマヤ族におけるカカオの調理法
- 第3章 アステカ族 五番目の太陽の民
- アステカ族の起源と初期の歴史
- 征服前夜のアステカ族
- 引力と斥力 オクトリとチョコレート
- アステカ族の「チョコレートの木」 カカワクアウイトル
- 王家の金庫
- アステカ式チョコレートの作り方
- 調味料、香辛料、その他の添加物
- 特権階級の飲み物
- 「夢のような通貨」
- 象徴と儀式におけるカカオ
- 第4章 出会いと変容
- 最初の出会い グアナファ、1502年
- 味覚の障壁を乗り越える
- 言語の障壁を乗り越える
- 医学の障壁を乗り越える
- 第5章 チョコレートのヨーロッパ征服
- スペインのカカオ 「完全の域に達したチョコレート」
- イタリアのチョコレート 「より精妙な優雅さ」
- 宗教的しきたりの障壁を乗り越える
- フランスのチョコレート
- チョコレートとイギリス人 海賊からピープスまで
- ヨーロッパ以外の地域
- 第6章 カカオ産地の変遷
- 新スペインと中央アメリカ 植民地経営始まる
- グアヤキル 「貧乏人のカカオ」
- ベネズエラ
- ブラジル イエズス会のチョコレート事業とその後
- 極楽 とはほど遠い 島
- 新天地の開拓 世界を巡るカカオ
- 第7章 理性と狂気の時代のチョコレート
- 医学専門家の証言
- スペイン
- イタリア
- チョコレートを使った料理 元祖はイタリアかメキシコか?
- 革命前夜のフランス
- ジョージ王朝のイギリス チョコレートハウスからクラブまで
- 産業革命の黎明期におけるチョコレート
- 一時代の終焉 「聖侯爵」とチョコレート
- 第8章 大衆のためのチョコレート
- 過去との決別 ファン・ハウテンの発明
- クエーカー教徒の資本家たち
- 混じりけのないチョコレートを求めて
- スイス 牛とチョコレートの国
- ミルトン・ハーシーと「お馴染みのハーシーの板チョコ」
- 現代のチョコレートの作り方
- 「質」対「量」 より良いチョコレートを求めて
- ようこそ、新しいチョコレート
- 結び 円の完結
- 訳者あとがき/図版 出典・所蔵一覧/索引
【感想は?】
まず驚くのが、チョコレートの歴史の長さだ。中米のオルメカ人が、カカオの木を見つけたらしい。
チョコレートとその原料となる素晴らしい木を発明したのは、アステカ族(→Wikipedia)ではなく、すばらしいマヤ族(→Wikipedia)とその遠い先祖たち、つまりミヘ=ソケ語を話していたオルメカ人(→Wikipedia)なのだ…
――第2章 カカオの誕生
その歴史は紀元前から始まる。茶やコーヒーより、はるかに古い。しかも、特権階級の「飲み物」だ。
少なくとも28世紀の間、チョコレートは特権階級や非常に裕福な人だけの飲み物だった。
――第8章 大衆のためのチョコレート
そう、「飲み物」なのだ。
チョコレートは、その長い歴史の約九割に相当する期間、食べ物ではなく飲み物だったのだ。
――序章
んじゃココアみたいな? と思いたくなるが、まったく違う。その説明の前に、チョコレートの作り方を。原料はカカオの実だ。ポッドの中に果肉にまみれ、種=豆が入っている。手順は四つ。1)発酵,2)乾燥,3)焙煎(火で焙る),4)風選(ふるい分け)。ここまでは古代から同じだ。
現代のチョコレートは、風選した種をカカオバターと固形分=ココアに分ける。ちなみにカカオバターはホワイトチョコレートになる。
1828年(略)クンラート・ヨハンネス・ファン・ハウテン(略)の機械は、それ(チョコレート原液中のカカオバター)を28%から27%まで減らすことに成功した。そこで、残った「固形分」を非常に細かい粉末状にすることが可能となった。これが私たちの知っている「ココア」である。
――第8章 大衆のためのチョコレート
どうでもいいがファン・ハウテン、ある年齢の人にはヴァン・ホーテンの綴りでお馴染みだろう。さて、次にカカオバターと砂糖を入れたココアを混ぜる。これで固形のチョコレートができる。
1847年に、(略)フライ社は、砂糖入りのココアの粉末を、湯ではなく溶かしたカカオバター(略)と混ぜる方法を開発したのである。(略)これが世界で最初の本格的な「食べる」チョコレートだった。
――第8章 大衆のためのチョコレート
やがてチョコレートはミルクと魅惑の会合を果たす。
彼(ダニエル・ペーター)は、ネスレの粉末(粉ミルク)を使って新種のチョコレートを作るというすばらしい手を思いつき、1879年に最初のミルク入り板チョコが作られた。
――第8章 大衆のためのチョコレート
それまでのチョコレートはザラザラしていたが、コンキングにより繊細でなめらかな舌触りとなり、高級感が数段ました。
1879年は(略)ルドルフィ・リント(略)が「コンキング法」を発明し、それによってチョコレート菓子の質が大幅に向上したからだ。
――第8章 大衆のためのチョコレート
固形の「食べ物」であること、ミルクと砂糖が入った甘い味であること、口の中で溶けるなめらかな舌ざわりであること。いずれも現代チョコレートの特徴だ。しかし、本来のチョコレートは全く違う姿としている。
風選までの手順は同じ。本来のチョコレート飲料は、ここから豆をすりつぶし、水や湯で溶き、充分に泡だてる。マヤ式のチョコレートは、泡が大事らしい。味付けも今と全く異なる。そもそも中米なんで砂糖がない。本書によるとチリ(トウガラシ)・トウモロコシ・バニラなどを混ぜる。
泡だっているから、舌触りは抹茶に近いんだろうか? 味は…少なくとも、甘くはない。チリが入っているので、現代のスタミナ・ドリンクに近い、心身にカツを入れる感じの飲み物って気がする。
その原料のカカオ豆は、大雑把に3種がある。弱くて実りは少ないが美味しいクリオロ種、強く実りも多いが味と香りはイマイチなフォラステロ種、両者の雑種トリニタリオ種だ。コーヒーだとクリオロはアラビカ、フォラステロはロブスタにあたるんだろうか。
困ったことに、現代ではクリオロ種はほぼ手に入らない。どうも特定の高級ブランド・チョコレート企業が、高級レストラン向けに少量を売っているだけらしい。まあ、昔からチョコレートは特権階級向けだったから、そういう意味じゃ伝統を受け継いでいると言えるのか。
フォラステロ種は(略)今や世界の総生産量の80%を占めている。そしてトリニタリオ種が10から15%で、クリオロ種は第三位に甘んじている。実際、メキシコやグアテマラをはじめ、コスタリカ、アンティル諸島、スリランカの栽培者もフォラステロ種を採り入れている。
――第6章 カカオ産地の変遷今では、クリオロ種は世界のカカオ生産のわずか2%を占めるにすぎない
――第8章 大衆のためのチョコレート
コーヒーでアラビカがこんな体たらくだったら、世のコーヒー党は暴動を起こしかねない。熱心なコーヒー好きは豆を買って自ら豆を挽くが、チョコレートは加工の手順が多く消費者はまず豆に触れない。豆への拘りの違いは、豆との関係の近さが理由なんだろうか。
しかも、けっこうな割合でクリオロとフォラステロは自然に交雑するらしい。ちなみにカカオの受粉は虫媒つまり虫まかせです。
(おそらくオリノコ川中流沿いに自生していたフォラステロ種が)トリニダードに持ち込まれると、これらの木と、わずかに残っていたクリオロ種との間で交雑が始まり、新たな変種トリニタリオが誕生した。
トリニタリオは、クリオロのように味が良く、しかもフォラステロのようにたくましい生命力を持ち、たくさんの実をつけた。この新種とフォラステロ種が、世界各地でのカカオ栽培を可能にし、時にはクリオロ種に取って代わりさえした。
――第6章 カカオ産地の変遷
この虫任せってのが、カカオの栽培の難しい所で。つかそれ以前にカカオは気難しい。
北緯20度と南緯20度の間でしか実を結ばない。(略)最低気温が摂氏16℃以下になる土地には適さない。(略)一年中水分を必要とするので、乾季がはっきりした気候では感慨が不可欠だ。
――第1章 神々の食物の木
なんと脆弱な。お姫様かよ。さて虫媒、当然ながら虫が必要で、虫が暮らせる環境が要る。そのため、カカオ畑は雑草を綺麗に刈り込んではマズいし、そもそも直射日光に当てず大きな木の下で育てにゃならん。
…などと長々と講釈してきたが、それだけ現代のチョコレートは本来のチョコレート飲料とは別物になっている、と言いたかったのだ。
で、本書は、本文の最終頁377頁のうち、145頁をスペイン人襲来前に充て、329頁までは欧州での浸透と拡散を描いている。つまり、本書が扱う「チョコレート」の大半は、私たちが知っているチョコレートとは別物なのだ。
そこに登場するチョコレートは神の飲み物だったり宴会の最後の締めに振る舞われたりカカオ豆が小銭の代用だったり、欧州ではイエズス会のシノギになったりコーヒーハウスで飲まれたり薬だったりと、なかなかに数奇な運命を辿ってゆく。あのサド侯爵まで出張ってきたのには驚いた。
人類学者が書いた、真面目な歴史書だ。それだけに根拠には強くこだわり、恐らくは始祖であるオルメカ人については物証がないためアッサリした記述で済ませている。だが、全般に漂うカカオの複雑で豊かな香りは否応なしに読者を覚醒させる。チョコレートの本を読むのはこれが三冊目だが、内容の本格さでは本書は別格だ。我こそはチョコレート・マニアだと言い張るなら、ぜひ読んでほしい。
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