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2024年9月 3日 (火)

ニック・エンフィールド「会話の科学 あなたはなぜ『え?』と言ってしまうのか」文芸春秋 夏目大訳

私は本書で、これまでの主流となってきた言語研究で何が見過ごされ、除外されてきたかを話したい。そして、会話というものの内部構造を詳しく解説し、それこそが言語研究の主たる対象であるべき理由をわかってもらいたい。
  ――第1章 はじめに そもそも言語とはどういうものか

人間の会話の場合は、お互いに相手の行動を最大限、「関連性のあるもの」として扱って解釈するよう努力する。
  ――第6章 質問と答えの関連性

人間は「会話機械」を持つ(略)。この機械は、言語の基本的な特性、人間の社会的認知能力、そして相互交流の文脈などに依存して機能する。
  ――第9章 結論 会話の科学が起こす革命

【どんな本?】

 フェルディナン・ド・ソシュール(→Wikipedia)もノーム・チョムスキー(→Wikipedia)も、従来の言語学は「書き言葉」を中心に研究してきた。

 研究対象の文章は文法的に正しく、完結している。そして会話によく現れる「あー」「え?」「うんうん」などの無駄に思える言葉はない。また、声の高低や強弱・間の長短などの情報も含まない。

 だが、言語はもともと話し言葉から始まった。言語の歴史から見れば、書き言葉は遥か後になって現れた新参者だ。では、話し言葉=会話を研究・分析をすると、何が分かるだろう?

 英語・日本語・中国語など、世界には様々な言語がある。だが、会話の研究では、多くの言語に共通したルール/お約束が見えてくる。もちろん、言語による違いもある。

 従来の言語学とは全く異なった、会話を対象とした研究で見えてきた言語/会話の性質、そしてそこに現れる、人類の意外な能力と性向を描き出す、一風変わった言語学の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How We Talk : The Inner Workings of Conversation, by Nick J. Enfield, 2017。日本語版は2023年3月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約224頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント42字×19行×224頁=約178,752字、400字詰め原稿用紙で約447枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も分かりやすい。先にソシュールやチョムスキーの名を出したが、言語学を知らなくても問題ない。できれば「今のところ、著者は言語学の王道ではなく特異な分野を担っている」ぐらいに思ってほしい。日本語以外の言語も、あまり知らなくていい。英語のグラマーが苦手でも問題ない。映画やドラマで会話の場面を見たことがあればいい。

 要は「おしゃべり」の研究なのだ。必要なのは、友達や家族と、どうでもいいおしゃべりをした経験である。

【構成は?】

 第1章は本書の全体を案内する部分なので、最初に読もう。以降は美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

クリックで詳細表示
  • 第1章 はじめに そもそも言語とはどういうものか
  • 第2章 会話にはルールがある
  • 第3章 話者交代のタイミング
  • 第4章 その1秒間が重要
  • 第5章 信号を発する言葉
  • 第6章 質問と答えの関連性
  • 第7章 会話の流れを修復する
  • 第8章 修復キーワードは万国共通
  • 第9章 結論 会話の科学が起こす革命
  • 謝辞/注釈/参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 真面目な解説書である。そのくせ、やたらと「ツカミ」が巧い。

 なにせ「第1章 はじめに そもそも言語とはどういうものか」で、多くの言語(によるおしゃべり)に共通するこんな性質を、冒頭で惜しげもなくバラしてしまう。

  1. 質問されて答えるまでの時間は、平均で約200ミリ秒。
  2. どの言語でも、「はい」と返すより「いいえ」と答えるほうが時間がかかる。
  3. 約1秒で返答があれば普通と判断し、それより速ければ「早い」、遅ければ「遅い」または「返事がない」と判断する。
  4. 会話中、84秒に1度、「え?」「誰が?」など、必ず誰かが確認する。
  5. 約60語に1語は「えーと」「あー」など、無意味っぽい言葉が出る。

 この辺で「ほう?」と思った人は、本書を楽しめるだろう。

 なんとなく原因や理由の見当がつく性質もある。例えば 2. だ。この理由は、人間の意外?な性質を反映している。おしゃべりとは、参加者がルールを守って協力し合う作業であり、人間はおしゃべりを成立させるため律義にルールを守って協力し合う、そんな性質である。繰り返す。おしゃべりとは、共同作業なのだ。

 では、おしゃべりに必要な性質・能力とは、どんなものか。本書では、様々な言語を研究・分析するだけでなく、ボノボやチンパンジーなど他の動物も調べてゆく。そこから現れる人類の能力・性質は、実に心温まる姿をしている。

社会文化的な認知能力――他者の心を読む能力、関連性を推測する能力、社会関係に道徳的な義務を感じる能力――が人間の会話機械の核にあると思われる。
  ――第6章 質問と答えの関連性

 これらの機能を担っているのが、従来の言語学で無視されてきた「はい」「え?」「あー」などの、無意味に思える言葉…どころか、うなり声に近いシロモノだったりする。

 中でも最も印象に残ったのは、「ええ」「はいはい」「うんうん」に当たる言葉、つまりは「相槌」「うなずき」だ。従来の言語学では、ほぼ意味のない単語だろう。

 だが、会話では重要な役割を担う。「私はあなたの話を聞き取れた、そして理解した」「私は話し始める気はない」「話を続けろ」などのメッセージを相手に伝えているのだ。短い声にもかかわらず、なんと豊かな意味を含んでいることか。

 この章で紹介する、相槌を省いた実験の結果は、衝撃的なまでに切ない。相槌が得られないと、語り手はボロボロになってしまうのだ。

 とまれ、情報理論によると、頻繁に使う符号を短くすれば伝送効率が良くなるので、短い声なのは理に適っているのか…などと考えてしまうのは計算屋の悪い癖か。

 更に計算機屋の悪い癖を続けると、本書の研究対象はデジタル通信で言うOSI参照モデル(またはOSIの7層モデル、→Wikipedia)のセッション層あたりだろう。対してチョムスキーなどは、HTML や Python などの言語の文法を対象としている。つまり、両者は対立しているのではなく、異なる領域を調べているのだ。

 そこで先の相槌だ。これはデジタル通信だと ack(肯定応答、→Wikipedia)に当たる。だとすれば、会話で極めて重要な役割を担っているのも頷ける。

 対する nck(否定応答、→Wikipedia)に当たる言葉(というか声)の話題もあり、これまた会話の参加者が「できるだけ効率的に会話を進めよう」と努めている姿が見えてきて、「人間って、おしゃべりするために、ここまで真面目に頑張るんだ」と驚いてしまったり。

 これらを知ると、人間がおしゃべり好きなのも、当たり前だなあと思えてくる。おしゃべりとは、共同作業であり、お互いに協力し合って成り立つコトなのだ。つまり、おしゃべりする間柄とは、協力し合える間柄でもあるのだから。

 従来の言語学から見れば、いささか変わった分野・アプローチではある。が、真面目な学問・研究でもある。にも関わらず、本書の内容は分かりやすく親しみやすい。なにより、私たちが日頃から体験し行っていることでもあり、身近で興味深い。なんたって、本書が扱っているのは、私自身そしてあなた自身の事なんだから。

 言語学の難しい理屈は知らなくてもいい。先にバラした会話の5個の性質に興味を惹かれたら、きっと楽しんで読めるだろう。

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