ライアン・ノース「科学でかなえる世界征服」早川書房 吉田三知代訳
これは、科学の限界と、科学の未解決問題についての本だ。(略)
別の言い方をすると、本書は本物のスーパーヴィランになり世界を征服することを指南するノンフィクションである。
――おことわり不可能に違いないと思えるのに、どういうわけか不可能ではない領域こそ、スーパーヴィランの活躍の場なのだ。
――第1章 スーパーヴィランには秘密基地が必要だどんな犯罪にも3つの段階がある。計画、実行、そして逃走だ。
――第4章 完全犯罪のために気候をコントロールする地磁気は、方位磁石が使えるようにしてくれているだけでなく、太陽風の大半が地球に届かないように遮ってくれる。地球上に生物が存在できるのも、地磁気がこうして守ってくれているからだ。
――第5章 地球の中心まで穴を掘って、地球のコアを人質にする方法地球に存在した事のある種の中で、化石記録に一つでも載っているのは、1万種に1種でしかない
――第9章 あなたが決して忘れられないようにするためにこの世界は大きく複雑で困難で不公平かもしれないが、それは知ることができる。
――結び:今やあなたはスーパーヴィラン、宇宙にあるすべての世界の救世主
【どんな本?】
ヴィラン、悪役。漫画やコミックの世界では、悪役こそが物語を牽引する。悪役が卓越した技術と能力で世界を危機に陥れるから、ヒーローに活躍の場が与えられる。悪役は自らの主義と美学に従い、充分な時間と資金を用意し、周到に計画を練り、必要な技術を開発して計画を実施する。それでも、大抵の場合は幸運に恵まれただけのヒーローに計画を覆されてしまう。
それでも、本物の悪役はくじけない。潤沢な資金と先端の科学技術そして強い意志と充分な時間を掛けたなら、果たして悪役はどこまでできるのか。
まずは秘密基地を構築し、自らの国を興し、世界を混乱に叩き込み、己の名を永遠に残すには、どうすればいいのか。
コミックの原作者でもある著者が、「ゼロからつくる科学文明」に続いて送る、科学をオモチャにして「もしも」を妄想する、ユーモラスな科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は How to Take Over the world : Practical Schemes and Scientific Solutions for the Aspiring Supervillain, by Ryan North, 2022。日本語版は2023年7月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約417頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント33字×29行×417頁=約399,069字、400字詰め原稿用紙で約998枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。
文章はくだけていて親しみやすい。ただ、クセが強いので、好みは別れるかも。一応カテゴリは科学/技術としたが、実は歴史上のトリビアも豊かに載っている。そういう点では、アイザック・アシモフの科学解説書の伝統を受け継ぎつつ、独自の芸風を発展させた本でもある。
【構成は?】
一応タテマエとして、最初の「おことわり」は読んでください。以降は美味しそうな所を拾い読みしてもいい。
クリックで詳細表示
- おことわり
- はじめに:こんにちは、そして、世界征服について私が書いた本をお読みくださり、ありがとうございます
- 第1部:スーパーヴィランの超基本
- 第1章 スーパーヴィランには秘密基地が必要だ
- 第2章 自分自身の国を始めるには
- 第2部:世界征服について語るときに我々の語ること
- 第3章 恐竜のクローン作製と、それに反対するすべての人々への恐ろしいニュース
- 第4章 完全犯罪のために気候をコントロールする
- 第5章 地球の中心まで穴を掘って、地球のコアを人質にする方法
- 第6章 タイムトラベル
- 第7章 私たち全員を救うためにインターネットを破壊する
- 第3部:犯罪が罰せられなければ、犯人はそれを犯したことを決して悔いない
- 第8章 不死身となり、文字通り永遠に生きるには
- 第9章 あなたが決して忘れられないようにするために
- 結び:今やあなたはスーパーヴィラン、宇宙にあるすべての世界の救世主
- 謝辞/参考文献/訳者あとがき
【感想は?】
そう、この本の面白さは、科学・雑学エッセイ本の面白さなのだ。
独特の味付けはある。文体は今風にくだけているし、そもそも企画からしてアメリカン・コミックの悪役が主役だ。が、それも本書なりの狙いによるものだ。
何せ世界を征服しようと目論む悪の超人である。充分な資金があり、長期にわたる計画を強い意志で押し通し、そして倫理に縛られない。大抵の科学者・工学者が「出来るわけねえだろ」をオブラートに包んで言いかえる「理論的には出来ます」を、本当にやっちゃえる奴らなのだ。制限としては「科学的に可能か否か」だけ。妄想のネタとしては実に便利である。
そんな悪役が挑む課題は、秘密基地建設・独立国家建国・恐竜の復活・気候制御・不老不死などと、かつては男の子だった者たちの心が躍りまくるもの。しかも、それぞれに初期投資・期待収益・完了までの予測期間を示した事業計画概要つき。おお、本格的じゃないか。
その秘密基地なんだが、邪魔してくるのが既存の国家なのがいじましく切ない。本書は完全な自給自足を求めているのも、計画の達成を難しくしている。とまれ、考えてみたら、近くの町に買い出しに行く悪役ってのもシマらないかw
ここで披露する、長時間の閉鎖環境バイオスフィア2(→Wikipedia)の顛末や最長連続飛行記録そしてブルジュ・ハリファのラマダンの断食明けの時刻の話など、細かいトリビアも楽しい。
第3章では、恐竜を蘇らせる計画に挑む。だってカッコいいし。ただ、その手段はさすがに意表をついてきた。ついでに収益化の手段も。なんだよKFDってw
などの、いわば物理的な創造/破壊を目指す計画に対し、第7章はいささか毛色が違う。何せインターネットの破壊だ。歴史は浅く、最近になって人類が生み出した技術のクセに、やたらしぶとい。この章では、ケン・トンプソンの登場が嬉しかった。
そして、第3部では永遠に挑むのである。まずは己の生命を、次に己の記録を。
不老不死に挑む第8章では、不老不死を求めた歴史上の人物たちのエピソードが、なかなかクる。なんといっても、結局はみんな失敗してるワケだし。にも関わらず、皆さん自信満々な言葉を残すのは、なぜなんだろうね。
最後の第9章では、記録永遠に残す事業への挑戦だ。ここでも、今まで人類が試みた手段が紹介されるんだが、やはりコンピュータ関係はネタが豊富だなあw 電子化ってのは、意外と長くモタないんです。その次に突き当たる、別の「ソフトウェア」の寿命も、「その問題があったか!」と意表を突く問題。確かに数百年前の事を考えれば、そうなるよなあ。
しかもこれ、既に対策せにゃならん問題があり、今もなお増えつつあるのが怖い。本書が紹介するのは合衆国の話だけど、日本もヒトゴトっじゃないのだ。どうするんだろうね、マジで。
その記録を残す媒体も問題だが、場所も難しい。ここでは、墓場軌道(→Wikipedia)が面白かった。これを扱ったSF小説って、あるんだろうか? ちょっと読んでみたい。
などと気軽に読みつつ、最後の最後で、「もしかしてアメリカン・コミックの悪役より日本の変身ヒーローの悪の組織のがイケてね?」と感じさせるのも趣深い。いやきっと著者は気が付いてないけど。
コミックの悪役に夢を託し、技術的にも経済的にもそして倫理的にも困難な計画に挑み、そこに立ちふさがる科学的・社会的な壁とその越え方を妄想するだけでなく、かつて実際に試みた人々のトリビアを取り混ぜて語る、科学と歴史と雑学の楽しいエッセイ本。この著者の味付けだと、特に雑学が好きな人にお薦めだ。
【関連記事】
- 2024.6.6 ランドール・マンロー「もっとホワット・イフ? 地球の1日が1秒になったらどうなるか」早川書房 吉田三知代訳
- 2023.4.20 ランドール・マンロー「ハウ・トゥー バカバカしくて役に立たない暮らしの科学」早川書房 吉田三知世訳
- 2023.2.16 ライアン・ノース「ゼロからつくる科学文明 タイム・トラベラーのためのサバイバルガイド」早川書房 吉田三知世訳
- 2021.6.8 DK「イラスト授業シリーズ ひと目でわかるテクノロジーのしくみとはたらき図鑑」創元社 村上雅人/小林忍監修 東辻賢治郎訳
- 2017.01.11 ランドール・マンロー「ホワット・イフ? 野球のボールを光速で投げたらどうなるか」早川書房 吉田三知代訳
- 2016.10.09 ルイス・ダートネル「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」河出書房新社 東郷えりか訳
- 書評一覧:科学/技術
| 固定リンク
« ニック・エンフィールド「会話の科学 あなたはなぜ『え?』と言ってしまうのか」文芸春秋 夏目大訳 | トップページ | ソフィー・D・コウ/マイケル・D・コウ「チョコレートの歴史」河出書房新社 樋口幸子訳 »
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」柏書房 穴水由紀子訳(2024.09.19)
- ライアン・ノース「科学でかなえる世界征服」早川書房 吉田三知代訳(2024.09.08)
- ニック・エンフィールド「会話の科学 あなたはなぜ『え?』と言ってしまうのか」文芸春秋 夏目大訳(2024.09.03)
- アダム・クチャルスキー「感染の法則 ウイルス伝染から金融危機、ネットミームの拡散まで」草思社 日向やよい訳(2024.08.06)
- ランドール・マンロー「もっとホワット・イフ? 地球の1日が1秒になったらどうなるか」早川書房 吉田三知代訳(2024.06.06)
コメント