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2024年9月の9件の記事

2024年9月30日 (月)

クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ「写本の文化誌 ヨーロッパ中世の文学とメディア」白水社 一条麻美子訳

「革命的」な影響をもたらして、その時代の人々から熱狂と同時に疑惑の目で迎えられたメディアの革新が、過去に二回あった。口承から書記への転換と活字印刷の発明である。このうちの最初の「革命」、つまり本の文化の形成と中世(西暦800年から1500年)における文学世界の成立がこの本のテーマである。
  ――序

カロリング朝のテキストを見る限り、書記は1日に1ページ25行を最大7ぺージ書写できた。
  ――第1章 本ができあがるまで 4 書記

(印刷が出現しても)16世紀初めまで本の出版点数が10から15%しか伸びなかった(略)。新たなジャンルの登場が必要だった。それがビラ、パンフレットの類いである。
  ――第1章 本ができあがるまで 8 印刷術という革命

絵を読むのはテキストを読むのと同じように、訓練を必要とする。
  ――第3章 本と読者 1 開く・読む

【どんな本?】

 中世ヨーロッパの写本は、当初は教会や修道院が主な製作の場となったために、時祷書などの宗教書が中心だった。だが時代が進むにつれ、王侯貴族が出資・発注するなど製作体制の変化があり、中身もドイツ語などの俗語で書かれた詩や物語が増えてゆく。

 カッセル大学の中世ドイツ文学講座で教鞭をとる著者が、中世の写本とそれをめぐる環境・状況を詳しく語りつつ、中世におけるドイツ語の文学が「本」として記録に残る形になってゆく経緯を描く、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Die literarische Welt des Mittelalters, Claudia Brinker-von der Heyde, 2007。日本語版は2017年8月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約237頁に加え、訳者あとがき8頁。9ポイント48字×20行×237頁=約227,520字、400字詰め原稿用紙で約569枚。文庫なら普通の厚さの一冊…だが、モノクロとはいえ図版が魅力的なので、たぶん文庫にはならないだろう。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすいが、中世の詩人を語る部分は、各詩人の作品mなどについて相応の前提知識が必要。素人の私は読み飛ばした。

 なお、あちこちで図版を参照しているので、図版目次が欲しかった。

【構成は?】

 全体として写本そのものから、写本をめぐる環境・社会状況、そして著者の関心事項である文学の写本へと向かってゆく。写本に疎いなら、素直に頭から読もう。

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  • 第1章 本ができあがるまで
  • 1 材料の調達
  • 2 書く・描く
  • 3 写本製作の場
  • 4 書記
  • 5 本の外見
  • 6 写本の値段
  • 7 保管とアーカイブ化
  • 8 印刷術という革命
  • 第2章 注文製作
  • 1 文学の中心地
  • 2 文学愛好家とパトロン
  • 3 文学マネージメント マネッセ写本
  • 4 愛書家 ある15世紀貴族の図書室
  • 第3章 本と読者
  • 1 開く・読む
  • 2 身体としての本
  • 3 五感と読書
  • 第4章 作者とテキスト
  • 1 詩人 匿名・自己演出・歴史性
  • 2 作品 伝承・言語・文学概念
  • 訳者あとがき/参考文献/町名・人名リスト/注と典拠/索引

【感想は?】

 写本関係も三冊目ともなれば、読む側も基礎知識ができて多少は飽きるかと思ったが、なかなかどうして。

 そもそも、中世ヨーロッパの世界が興味深い。「小説家になろう」の転生物でカブれた者にとっては、なにかと意外な事が多い。その一つが、都の不在または旅する都だ。

「旅する宮廷」というのは、初期中世において通常の支配形態だった。(略)君主は(略)宮廷の面々を引き連れて移動する。推定によると、王に付き従っておよそ1000人の集団が(略)都市のネットワークを渡り歩いた。
  ――第2章 注文製作 1 文学の中心地

 そうでもしないと、各地の有力者を抑えきれなかったんだろうか。押しかけられる諸侯や都市にとっても、大騒ぎだったろうなあ。ホテルの類は発達してないだろうから、君主は領主の館に泊まるとして、従者はどうしたんだろう。

 君主はともかく、物語を歌い語る詩人たちも暮らしは過酷だ。いや貴族階級の詩人もいるんだけど、身分のない者は。

街道にあふれていた危険に対し遍歴芸人は身を守る術を持たず、法の庇護も与えられなかった。(略)床屋、町医者、曲芸師、乞食、歌手等々がひとまとめにこのような扱いを受け…
  ――第4章 作者とテキスト 1 詩人 匿名・自己演出・歴史性

 定住しない芸人は極東でも似たような扱いだが、床屋と町医者はどういう事なんだろう? まあいい。少なくとも中世で貴族出身でない詩人は最下層の立場だったわけだ。そして、そんな時代に、写本製作は主に修道院が担っていた。

精力的に活動する修道院にとって本は贅沢な調度品ではなく、教育義務を果たし、説教をし、聖書研究を行うために必要不可欠な道具だった。(略)それゆえ本を保管する図書室と写字室は、常に修道院の中心だった。
  ――第1章 本ができあがるまで 3 写本製作の場

 しかも、それは教養ある者が独占する、格式高い世界でもあった。

12世紀以前のヨーロッパ文学は、修道院と聖職者に占有されたラテン語の世界だった。
  ――第2章 注文製作 1 文学の中心地

 このラテン語がヨーロッパの学問に与えた影響は極めて大きいと思う。現代は英語が学問の国際語みたくなってて、母語が英語の者が有利だけど、昔はラテン語が国際語だった。だから国や地域の母語による有利不利は小さい反面、学問を学ぶ前にラテン語を身に着ける必要があり、大きな関門になっていたはず。

 それはともかく、作られる写本にも、ハッキリとした格の違いがあった。

本のサイズは内容によって決まってくる。フォリオ(二つ折り版)が使われるのは豪華版聖書、典礼書、時祷書などで、文法書、短い論考などの実用書には四回折ってできるセクストデシモ(16折り版)が使われた。
  ――第1章 本ができあがるまで 2 書く・描く

 しつこいようだが、あくまでも中世初期の話である。当然ながら、話し言葉と書き言葉も違う。

中世では、話し言葉と書き言葉の間に明確な違いがあった。話されていたのはさまざまなドイツ語、書かれていたのはラテン語だったのだ。
  ――第4章 作者とテキスト 2 作品 伝承・言語・文学概念

 かような初期中世から、中世後期には俗語で書かれた物語の写本が世に出るようになる。教会や修道院の知識ある僧が用いる聖なる器具だったのが、俗世の者が俗な目的で造り使う道具も出てきたのだ。しかも、中身は英雄や恋愛や小話・ギャグからニュースや風刺など、バラエティ豊かに育ってゆく。

35.5×25cmという、(マネッセ)写本(→Wikipedia)の大きさも注目される。
  ――第2章 注文製作 3 文学マネージメント マネッセ写本

 そうなった原因の一つは、本が身近になった事だろう。なにせ羊皮紙は値が張る。

13世紀以降、新たな素材が重要性を増し、写本製作におおきな変革をもたらした。紙の登場である。
  ――第1章 本ができあがるまで 1 材料の調達

 この紙、安く手に入る代わりに、格は低かったのは前の記事にある通り。その分、俗な物語本への道が開かれたんだろうか。とまれ、その変化の様子を本書はあまり語らない。あくまで、社会での写本と物語と詩人の立場を記すのみだ。

 その物語の立場も、中世初期には写本に相応しいものではなかった。そもそも記すものではなかったのだ。

11世紀末までの俗語文学は、口承で伝えられることがほとんどだったし、またそうされるのがふさわしいジャンルだと考えられていた。旅芸人、歌手、詩人は歌、伝説、メルヘン、物語を、書写されたテキストを使うことなく歌い語った。
  ――第3章 本と読者 1 開く・読む

 それも、語るのではなく、歌うものだったらしい。ただし、曲と詩の関係はけっこうフリーダムだ。

抒情詩ミンネザング(→Wikipedia)は疑いなく「聞く」文学であったと言える。(略)中世の詩人たち(略)は自ら作曲するか、手持ちのレパートリーのなかの有名なメロディーに合わせて詩を書いた。使えるメロディーには限りがあったので、逆にテキストをメロディーに合わせて創作したのである。
  ――第3章 本と読者 1 開く・読む

 歌手が勝手に詩を変えたのだ。これは写本も同じで、当時の人たちは文章も勝手に書き換えた。少なくとも物語の写本は、そういう流儀だったのだ。これを印刷が変えてゆく。のだが、それは後の時代の話。

 しかも詩人たちは、その場その場のアドリブで歌を変えてゆく。

確かなのはミンネザングが、その時々の上演状況に合わせて形を変える可能性のある「ワーク・イン・プログレス(進行中)」の作品だったということである。
  ――第4章 作者とテキスト 2 作品 伝承・言語・文学概念

 これ、現代のジャズやロックやヒップホップのミュージシャンがライブでやってるのと同じだよね。というか、当時の詩人はまさしく現代の流行歌手みたいなモンで。ラブソングを歌う歌手は恋する乙女を演じているのであって、歌の主人公そのものじゃないように、恋の詩を奏でる詩人も、恋してるワケじゃない。まあ、ウケを狙い敢えて勘違いさせるって手口もあるけど。

 そんな物語の写本は、現代の出版とは大きく異なる経路・体制で製作が始まった。

中世の文学は後に買い手が見つかることを期待して書かれるのではなく、すべて注文制作で、まず「購入」され、それから制作された。
  ――第2章 注文製作 2 文学愛好家とパトロン

 パトロンが「こういう本を作れ」と命じて、プロジェクトが始まるのだ。ちなみにパトロンはたいてい王侯貴族ね。で、パトロンは、原本に対し「こう変えろ」と指示したりする。現代のように「オリジナルに忠実に」なんて思想はないのだ。

 お陰で同じ物語でも、写本によってあらすじが違ってたりする。

現代のわれわれから見て写本の第一の特徴とは、どれひとつとして同じものがないその個性である。(略)しかし、すべての写本の基礎となる、学校教育の最初に習うような標準文字があったこと、そして活字はすべて、古典古代を手本として中世に作り上げられた写本の書体を基にしていることについては、あまり知られていない。
  ――第1章 本ができあがるまで 2 書く・描く

 とすると、物語の原型はどうだったのか、なんて話も出てきて、現代は研究者の考え方も変わってきたらしい。

 それはともかく、このくだりではもう一つ、とても興味深い話題が展開する。様々な書体のデザインは、どこから来たのかって話だ。モダンな印象の Times New Roman も、ルーツにはカール大帝が関わってたり。

 文学研究者らしく、あちこちに当時の詩の引用が入るのはご愛敬だろう。モノクロながら豊富に収録した写本の写真も、見ていて楽しい。また、出資・プロデュースなど製作体制の話も面白かった。中でも最も興奮したのが、書体をデザインし生み出すくだりだ。こんな風に具体的に指摘されると、写本を見る目も一段と精度と解像度が上がる。特に中世ヨーロッパの文学に興味がある人は、ぜひ読んでおこう。

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2024年9月27日 (金)

クリストファー・デ・ハメル「中世の写本ができるまで」白水社 加藤麿珠枝監修 立石光子訳

中世写本を初めて見せてもらった人たちがたずねる三つの質問は、おおむねつぎのとおり。
これらの本はどれも修道士が作ったというのは本当ですか?
これほどの傑作を制作するのにどれだけ時間がかかったのでしょう?
どうやって作ったのですか?
(ときたま訊かれる四つ目の質問、「お値段はいかほど?」はさておくとして。)
  ――序

本書は、羊皮紙職人の仕事の材料である牧場の牛と羊から始まり、写字生の仕事全般、すなわち、罫線引き、羽根ペン作り、および筆写をたどってきた。
  ――3 彩飾と装丁

多くの写本画家たちが修道院の吹きさらしの回廊で作業していた
  ――3 彩飾と装丁

中世写本の表紙は一般に木材で作られた。
  ――3 彩飾と装丁

【どんな本?】

 中世のヨーロッパで知識の継承と伝達を担い、またローマ・カトリックの時祷書など教会や修道院と関係の深い写本。往々にして華麗な挿絵が鮮やかに彩色され、時には金箔が施されており、美術品とすら言える。そんな写本は、どんな原材料を使い、どんな道具を用いて、どんな工程を経て作られたのか。

 ザザビーズの中世写本部門で責任者を務めた著者が、写本制作の企画・監督・分業・管理体制から羊皮紙の調達・制作、レイアウトの決定、インクのレシピや羽根ペンの持ち方、挿絵画家への指示そして装丁・製本に至るまで、写本の作り方を初心者向けに懇切丁寧に語る、マニアックながら刺激に満ちた一般いや逸般向けの歴史・技術解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Making medieval Manuscripts, by Christopher De Hamel, 2018。日本語版は2021年7月10日第一刷発行。私が読んだのは2021年8月10日発行の第二刷。マニアックな本なのに、ちょっとしたヒットだなあ。

 単行本ハードカバー縦一段組み本文約179頁に加え、監修者あとがき7頁。9.5ポイント33字×16行×179頁=約94,512字、400字詰め原稿用紙で約237枚。文庫なら薄い一冊分だが、頁の半分近くは写本のカラー写真なので、文章量はその半分ぐらい。カラー写真が重要な本なので、文庫にはならないだろう。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。ただ、費用などを当時の金額で書いてあり、これが私にはピンとこなかった。多分、中世の歴史に詳しい人には分かるんだろう;現代と異なり、昔は物価や貨幣価値がほぼ安定していて、インフレなど滅多になかったのだ。

【構成は?】

 ほぼ工程通りに進むので、素直に頭から読もう。

  • 1 紙と羊皮紙
  • 2 インクと文字
  • 3 彩飾と装丁
  • 用語解説/謝辞/監修者あとがき
  • 図版出典/精選文献目録/索引

【感想は?】

 思わず唸ってしまうほどマニアックだ。

 いや今どき写本の作り方なんて知りたがる奴、滅多にいないでしょ。にも関わらず、著者の説明は具体的で懇切丁寧だ。

 読み終えてから気づいたんだが、著者はザザビーズの中世写本部門で25年に渡り責任者を務めてきた。これが意味するのは、おそらく中世写本の修復にも携わってきた、ということだ。単なる研究者じゃない。実際にヒト・モノ・カネを手配し作業する、いわば工房の棟梁なのだ。そりゃ詳しいわ。

 ということで、まずは羊皮紙作りから始まる。ちなみに名前は羊皮紙だが仔牛や山羊も使っていて、なら獣皮紙と綴るべきでは?とも思う。「以上で、羊皮紙作りで一番臭いのきつい第一段階はおしまいだ」とかあって、実に生々しい。

 タラス河畔の戦い以降、西方にも製紙技術が伝わり、ヨーロッパでも亜麻のボロを原料として製紙が始まったが、やはり羊皮紙の方が格が高いようだ。

羊皮紙は並外れて耐久性に富み、たとえば皮革と比べてもはるかに丈夫だ。保存状態が申し分なければ千年、あるいはそれ以上も長持ちする。
  ――1 紙と羊皮紙

もっとも美しく豪華な写本はつねに羊皮紙に書かれ、長寿を約束された時祷書やその他の伝統的な書物にも羊皮紙が用いられた。
  ――1 紙と羊皮紙

 その羊皮紙、丈夫で長持ちは良いんだが、反ったり丸まったりしがちなのが辛い。ちなみに外(毛が生えてた方)が縮み、毛側が内に巻く。

通常は本を閉じておくための留め具もつける。折りたたんだ羊皮紙は、いくらしっかり折り目をつけても、留め具のほどよい力で本を閉じておかないと、温度変化や湿気のせいで反ってしわになりやすいからだ。
  ――3 彩飾と装丁

 昔の本をベルトで締めてるのは、そういう下世話な理由があったのか。単なるカッコつけじゃなかったのね。

 さて、写本の制作なんだが、「中世の写本の隠れた作り手たち」にもあるように、多くの人による共同作業だ。しかも1頁目から順に始めるのではなく、折丁単位で同時並行的に進めたらしい。特に後期だと、書籍商が製作総指揮を担ったとか。モロに現代日本のアニメーション制作だな。

写本は、小さなまとまりを順番に束ねて作られた大きなまとまりなのである。写字生も写本画家も一度にひとつの折丁を担当した。
  ――1 紙と羊皮紙

 やはりアニメーション制作を思わせるのが、挿絵への塗りの指定。

12世紀のイングランド写本の多くには下絵素描がはっきり残っていて、「a」、「r」、「v」など小さなアルファベットが記されている。それぞれ青、赤、緑色(ラテン語では azura, rubeus, viridus)を表し、挿絵の各部を埋める色を示しているのだ。
  ――3 彩飾と装丁

 中には色の濃さや塗り方まで細かく指示してる場合もあって、まさしくアニメスタジオだよなあ。

 現代じゃコンピュータに指示すればどんな色でも作れるけど、当時は使える顔料や塗料は限られていた。本書は金箔の塗り方の三種類まで詳しく書いてある。さすがに金銀は別扱いとして、他に人気が高い色は…

群を抜いて珍重されたのは「海をこえてやってきた青」ことウルトラマリンで、原料のラピスラズリはアフガニスタンの山岳地帯でのみ産出された
  ――3 彩飾と装丁

 鮮やかにきらめく青だね。鉱物なので細かくすり潰すだけでも大変な手間だ。もっともシルクロードを行く商人にとっては、高価でかさばらず腐らず壊れない顔料は、都合のいい積荷だったろう。

 文字用のインクについても詳しく書いてあって、特に没食子(→Wikipedia)インクはレシピを詳しく書いてある。タマバチの虫こぶから作る奴ね。ちなみにもう一つのインクはカーボンインク、つまりは墨だ。

没食子インクは写本ページ上で空気にさらされると、いっそう黒くなる。羊皮紙によく浸透するので、カーボンインクとちがってこすっても簡単には消えない。没食子インクのほうが透明感とつやがある一方、カーボンインクはざらざらした触感で黒味が強い。
  ――2 インクと文字

 などの道具だけでなく、その使い方まで具体的に書いてあるのも本書の特徴。文字を書くのは羽根ペンで、鵞鳥の風切羽を干して使う。「右利きなら左側の羽が使いやすい」とか、きっと実際に使ったんだろうなあ。その羽根ペン、ペン先はすぐにヘタるので頻繁に削る必要がある。

12世紀のカンタベリー大司教トマス・ベケットに使えた学者のひとり、ティルベリーのジョンによると、口述筆記をする聖職者はペンをしょっちゅう削る必要があるので、あらかじめ切り揃えた羽根ペンを60本から100本用意していたという。つまり、多忙な写字生は一日に60回もペンを削っていたわけだ。
  ――2 インクと文字

 また文字を書く前に行のガイドラインとして罫線を引くんだが、この罫線の位置がディセンダ(→ビジプリ)の区切りではなく、まさしく行の区切りで、その理由が羽根ペンのクセにあるのも「言われてみれば」な発見で楽しい。羽根ペンを削る手間などを考えると、鉛筆や万年筆って、偉大な発明なんだなあ。鉛筆の歴史も味わい深いです。

 もうひとつ、意外な道具がナイフ。それも独特の三日月型。筆写する位置を示したり、ペン先や書き損じを削ったり。

実際の書写に際しては、写字生は左手にナイフを持つ。これは重要な点で、しかも中世ではどこでも共通だった。書くことは、食べることと同様、両手を用いる作業だったのである。
  ――2 インクと文字

 もう一つ、大事なブツがある。原本だ。高価なものだし、入手は難しそうだが、ギョーカイ内の者なら都合はついたようだ。

どうやら修道院間の往来は驚くほど盛んで、写本の持ち運びもずいぶん多かったようだ。
  ――2 インクと文字

 と、本の貸し借りは盛んに行われていた模様。こういう互いに蔵書を都合しあう性質は、現代の図書館にも図書館間相互貸借(→Wikipedia)として受け継がれているようで、私は嬉しい。そうか、あれはキリスト教の修道院の習わしが元だったのか。少し見直したぞキリスト教。

 そんなギョーカイで働く写字生はどんな人たちかというと…

中世の写字生は多くの場合、書物の複写が専業ではなかった。私用のために本を制作する蔵書家、公証人、学生アルバイト、副業にいそしむ王の書記官、棒給では生活できない教区司祭、債務者監獄の囚人等々がいたのである。
  ――2 インクと文字

 なんか現代日本の派遣事務員みたいだ。学生バイトはともかく、当時もインテリだからって暮らしが楽なワケじゃないのね。

 などの文字に加え、中世ヨーロッパの写本の特徴は、華やかで色鮮やかな挿絵や装飾だ。

中世写本の大部分には装飾が施されている。どの本にも含まれているわけではないが、完成した中世の書物が文字だけで構成されていることもまれである。
  ――3 彩飾と装丁

 安い紙が多く手に入る極東とは異なり、もともと高価な羊皮紙を使うんで、薄利多売は成り立たず、どうしても高級路線になっちゃうんだろうか←資本主義に毒されすぎ

 欄外の挿絵もあるし、装飾頭文字(イニシャル、→Google画像検索)もある。ちなみに装飾頭文字、紙面が貴重な当時は文字をギッシリ詰めて書いたので、段落の始めを示す役割もあったとか。その装飾頭文字にもハッキリとした序列があって…

彩飾の位階は厳密に定められている。
  ――3 彩飾と装丁

 これは上下関係に厳しい教会で発達したたため、だろうか。

 などの、下世話で具体的な知識と技術を記したのが本書だが、こういったノウハウや知恵の入手経路が、これまた「なるほど」なシロモノで。

未完成の写本はさまざまな制作段階を示してくれる。
  ――3 彩飾と装丁

 電気の有難さは停電時に痛感するように、往々にして優れた技術はその存在を意識させない。また様々な段階で制作が止まっていれば、工程の手順も分かる。だけでなく、後工程への指示が書き込まれていたりもするし。研究者には、イレギュラーも美味しいご馳走なのだ。

 また、アタリのヨレ具合から罫線のアタリをつける道具を思い描く所とかは、ちょっとしたハウダニットのミステリとしての面白さもある。

 などと長々と語っちゃったが、本書はまさしく書名のとおり、中世の写本の制作工程を下世話かつ具体的に記した本だ。それだけに細かい技術に関心がある人には生々しく迫力あるが、そんなマニアックな変わり者が果たしてどれぐらいいることやら。いや一か月で第二刷が出ているから、世間には意外と多く隠れ潜んでいるんだろうなあ。

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2024年9月26日 (木)

メアリー・ウェルズリー「中世の写本の隠れた作り手たち ヘンリー八世から女世捨て人まで」白水社 田野崎アンドレーア嵐監訳 和爾桃子訳

本書の冒頭数章では工芸品としての写本に注目し、その後は写本作成にかかわった具体的な人々について詳しく見ていく。
  ――はじめに

【どんな本?】

 洋の東西を問わず、印刷が発達する前は、手書きで本を写していた。日本や中国はモノクロで文字だけの本が中心だが、欧州ではカラーの挿絵を豊かに添えた凝った作りの本も多く、ケルズの書(→Wikipedia)に至っては、もはや美術品である。

 現代の私たちから見れば極めて貴重な資料である写本だが、戦争や襲撃・相続・火事など、様々な理由でその多くが失われてしまった。特にブリテン諸島ではヘンリー八世の宗教改革に伴う修道院の解散による散逸も大きい。

 これらの写本は、誰が注文し、どのような者たちがどのように作ってきたのか。どんな写本が今も残っているのか。いつ、誰が、どんな状況で発見したのか。

 大英博物館で写本の研究員も務めた著者が、写本に加えその作り手にも注目して記す、ちょっとマニアックな一般向け歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Hidden Hands : The Lives of Manuscripts and Their Makers, by Mary Wellesley, 2021。日本語版は2023年12月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約258頁に加え、監訳者あとがき9頁。9ポイント46字×19行×258頁=約225,492字、400字詰め原稿用紙で約564枚。文庫なら普通の厚さの一冊分…だが、まず文庫にはならないだろう。なんといっても、カラーで収録した写本の写真が素晴らしいのだ。

 文章は比較的にこなれていいる。内容はマニアックながら、必要な背景事情は本文内に説明があるので、歴史に疎くても大きな問題はない。贅沢を言えば、豪華な写本を見た経験があると迫力が増す。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • プロローグ 羊皮紙錬成
  • 第1章 発見
  • 第2章 惨事すれすれ
  • 第3章 写本の注文主たち
  • 第4章 画工たち
  • 第5章 写字生と書記たち
  • 第6章 写字生と著者の関係
  • 第7章 隠れた著者たち
  • エピローグ 写本の衰退
  • あとがき 過去の使用と誤用
  • 謝辞/年表/監訳者あとがき/用語集/図版一覧/文献目録/原註/索引

【感想は?】

 書名は「中世の写本」だが、主に扱っているのはブリテン諸島で、大陸はあまり出てこない。ちなみにケルズの書も出てこない。さすが英国人、陰険だぜ←違うと思う。

 著者は写本の作り手に注目しているが、私は写本そのものに目を奪われた。実際には粗末な写本もあるんだろうが、本書は豪華なものや貴重なものを主に扱っている。貴重なものの一つは、聖カスバート福音書だ。見た目は地味で手のひらに乗る大きさだが…

聖カスバート福音書(→Google画像検索)の名で知られるこの書物は、重さ162g、長さ14cm横10cmと小さいが、記念碑的文化財の地位に恥じない特徴を備えている。聖カスバート福音書は、八世紀当時の装丁のままで現存し後世の手が加えられていない、ヨーロッパ最古の書物なのだ。
  ――第1章 発見

 もう一つはファンタジイの定番、ベーオウルフ(→Wikipedia)だ。口絵に一部の写真がある。単色で文字ばかりだが、端正で丁寧な文字だ。

現存する古英語詩は実に希少なので、(略)現存する全作品を合わせても三万行ぐらいだろうか。『ベーオウルフ』は三千行ちょっと――現存する集成の実に1/10にあたる。さらに驚くのは、それらの詩の大半(ざっと2/3)がはわずか四冊の写本の中身なのだ。
  ――第2章 惨事すれすれ

 かと思えば、とんでもなく豪華なものもある。

この(アミアティヌス)写本(→ クリスチャントゥデイ のニュース)は一巻本の聖書だ――高さ50cm、重さ34kg、フォリオは1030葉だから515枚もの皮が使われている。
  ――第2章 惨事すれすれ

 サイズからして私たちの考える「本」とは別物だ。少なくとも「読む」ものではない。そんなシロモノを作るのに、どれぐらいの手間がかかったのか、というと…

ロマネスク時代(900-1200頃)の写字生は、一日に五から六時間労働で二百行の写字が可能だったと推定される。つまり、死ぬまでに作れる本は20冊程度だ。
  ――はじめに

 当時の読み書きできる者は、現代日本の大学卒業生より貴重だろう。こういうレベルの本を一冊作るには、そんな者を二年間雇い続けるに足る費用が、最低でも必要だったのだ。いや他にも羊皮紙または紙やインクとかが要るんだけど。

 しかも、挿絵が多い豪華本だと、チームでの作業だ。

写本作りや装飾は共同作業であり、製作者の個人名はほぼ資料に残らない
  ――第4章 画工たち

 ここで紹介される画工の集団は、現代のアニメ・スタジオみたいな雰囲気がある。おまけにスケジュールも、建物並みの年月がかかってたり。

ウィンチェスター聖書(→Google画像検索)は、中世の彩飾技法の製造工程が実地に判る比類ない好例であり、(略)装飾には15年ほどかけたが、ついに完成しなかった。
  ――第4章 画工たち

 そんな画工たちは、聖書の依頼主であるウィンチェスター大聖堂の壁画も手掛けていて、また職人の何人かはスペインのサンタ・マリア・デ・シヘナ王立修道院の壁画連作も請け負っている。当時は高名な工房というか職人集団だったんだろうなあ。

 ということで、実際に手を動かして写本を作るのは、修道士とは限らない。特に後の時代になると、プロが組織で請け負っているのだ。

 その写字生、けっこうフリーダムだ。というのも、勝手に注釈を書き込むなんてのは可愛い方で、文章を改竄して作品のテーマを正反対に捻じ曲げたりもする。

写本はわたしたちを原著者へ近づけはしても、完全に彼らにたどりつくことは決してない
  ――第6章 写字生と著者の関係

 もっとも、そのおかげで、20世紀以降の写本の研究者は、同じ文学作品の別の写本を集め比較して、系譜を辿ったり作り手を特定したりももできるんだが。こういうイレギュラーが、研究者にとっては貴重で…

(ダラム司教リチャード・)ド・ベリーは自分の本にこの若者が注釈を書き込んだといっておかんむりだが、その書き込みこそが写本史家の糧になるのだ。
  ――あとがき 過去の使用と誤用

 なんて呟いてる。そういった端々に、写字生や挿絵画家の個性が見えて、彼らも血の通った人間なんだと感じる瞬間も、研究者の喜びなのかな。その写字生、どんな人たちなのか、というと…

中世写本はすべて男性修道士が書いたのかという(略)世間通念には間違いが二つある。第一に、多くの写本は世俗の人々が書いているし、第二に、女性が手がけた写本も多数ある
  ――第5章 写字生と書記たち

 そんなワケで、本書では写字生に限らず、製作依頼者にもスポットをあててたり。

中世の写本の大半は著者に依頼された書記の手によるもので、著者と書記が同一の例は稀である。
  ――第6章 写字生と著者の関係

 その中で有名なのはヘンリー八世(→Wikipedia)だろう。彼が作らせた詩編集が、これまた強烈で。なにせ挿絵に本人がダゴリアテを倒すビデ役などで登場してたり。

 やはり高貴な身分ながら、あまり知られていないのがノルマンディー公女エマ(→Wikipedia)。幸い彼女は「エマ王妃頌」を残したため、波乱に満ちた生涯が歴史に刻まれている。

 対してマージェリー・ケンプ(→Wikipedia)は平民らしい。読み書きは出来なかったようで、「マージェリー・ケンプの書」は書記に書き取らせている。臨死体験や幻視などの神秘体験が中心のようだが、エルサレムに巡礼に行ったりと、なかなかに活動的で、それなりに豊かだった様子。

 そんなエネルギッシュな人とは対照的なのが、世捨て人(→Wikipedia)。男も女もいるんだが、本書は女に注目する。というか、著者は先のノルマンディー公女エマやマージェリー・ケンプなど、歴史に埋もれがちな女に敢えて焦点を当ててるのも本書の特徴。

女世捨て人(男性形はアンカラライト)とは祈りと瞑想三昧の日々を送るために、自ら進んで独房に死ぬまで閉じこもった人をさす。
  ――第7章 隠れた著者たち

 一種の引き籠りだね。さすがに独房の住み心地は快適とは言い難いようだが、食事などは差し入れてもらっていたようだ。

 他にもアーサー王の死(→Wikipedia)のトマス・マロリー(→Wikipedia)が、濡れ衣じゃなくて本当にロクデナシだったりと、面白エピソードは多い。全体としてはいささか散漫な印象はあるが、写本をテーマとして知られざる歴史トリビアの本として楽しめたし、何より大量に収録した写本のカラー写真が素晴らしい。

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【いいわけ】

 ということで、珍しく同じテーマ=写本を扱った白水社の本が三冊続きます。多分、写本が好きな編集者が担当したんだろうなあ。

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2024年9月23日 (月)

ロジャー・イーカーチ「失われた夜の歴史」インターシフト 樋口幸子・片柳佐智子・三宅真砂子訳

本書は、産業革命到来以前の西洋社会における夜の歴史を探求する試みである。
  ――はじめに もう一つの王国<

アメリカ独立後のニューイングランドの農村地帯では、花嫁の1/3が結婚式の時点で妊娠していた。
  ――第7章 共通の庇護者 社交、セックス、そして孤独

一般に、ベッドは一家の家具の中で最も高価だった。
  ――第10章 寝室でのしきたり 儀式

【どんな本?】

 現代の都市は夜も眠らない。光害なんて言葉もある。現代の夜は明るくなった。街灯や室内灯など、照明が発達・普及したためだ。これらは産業革命で発達した。では、それより前は、どうだったのか。

 当然ながら、明かりは乏しい。暗がりは、昼間と異なるルールが支配する、いわば異世界だ。人々は夜をどのように捉え、考えていたのか。

 実は「日暮れとともに眠り、夜明けとともに起き」ていたわけでは、ない。野盗はいるし、密会に出かける者もいる。酒場は夜更けも商いを続ける。夜も働く者もいる。パン屋は朝に焼き立てのパンを売るため、農民は中秋の満月で収穫を急ぎ、鉱山は昼も夜も関係なく、酒の仕込みも24時間休みなしだ。

 歴史学教授が、歴史書にはあまり現れない、人々の夜の暮らしに着目し、その意外な様子を明らかにした、ユニークな歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は At Day's Close, Night in Times Past : A History of Nighttime, by A. Roger Ekirch, 2005。日本語版は2015年2月15日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約477頁に加え、出版プロデューサー真柴隆弘の解説2頁。9ポイント45字×19行×477頁=約407,835字、400字詰め原稿用紙で約1,020枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすい。敢えて言うなら、本書が扱うのは近世であって中世ではない。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに もう一つの王国
  • 夕暮れ時
  • 第1部 死の影
  •  序
  • 第1章 夜の恐怖 天井と地上
    悪が跋扈する/月と有害な霧/悪魔・精霊・魔女たち/危険な夜
  • 第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事
    ナイトウォーカー/犯罪者たち/暴力と惨事の舞台/火事 最も恐るべき暴君
  • 第2部 自然界の法則
  •  序
  • 第3章 公権力の脆弱さ 教会と国家
    闇を照らす光/夜警の歌/法の空白
  • 第4章 人の家は城塞である よい夜のために
    夕暮れ、危険な予感/命と財産を守る/オカルト信仰、夜のまじない/さまざまな明かり/助け合う隣人たち
  • 第5章 目に見える暗闇 夜の歩き方
    夜の外出/暗闇教室/夜歩きのための光と感覚/不吉な時間/夜は人間を試す
  • 第3部 闇に包まれた領域
  •  序
  • 第6章 暗闇の仕事 仲間と共に
    広まる夜間の労働/夜、働く人々/夜にふさわしいし仕事/寄り合いと物語
  • 第7章 共通の庇護者 社交、セックス、そして孤独
    酒場の魅力/恋と情事/バンドリング(結婚前のお試し)/自己探求、瞑想と読書
  • 第8章 騎士ウォーカー 王侯貴族たち
    夜を支配する権力/仮面舞踏会/伊達男、ギャングたち
  • 第9章 束縛から放たれて 庶民
    少数派、受難者たちの聖域/若者、召使い、奴隷たちの気晴らし/窃盗、密輸、売春/もう一つの現実
  • 第4部 私的な世界
  •  序
  • 第10章 寝室でのしきたり 儀式
    睡眠の時間、就寝の時刻/安らかな眠りのための儀式/ベッドと階級/ベッドを共にする仲間
  • 第11章 心の糸のもつれ 眠りを妨げるもの
    眠りの恩恵/うつ病、悪夢/騒音、寒さ、害虫/睡眠を奪われた人々
  • 第12章 私たちが失った眠り リズムと天啓
    第一の眠り、第二の眠り/二回の眠りの間に何をしていたか/夢とヴィジョン
  • 夜明け
    夜の革命/夜を昼に変える/失われた暗闇
  • 謝辞/注・参考文献/図版クレジット/解説

【感想は?】

 なんとも厨二な感が溢れる書名だが、実はとても真面目な歴史の本だ。

 なにせ、元になった資料は、当時の手紙や日記・手記などで、こまごまとした断片を記したものが多い。そんな膨大な端切れを集め、全体像を描こうとしたのが本書である。もっとも、なかにはサミュエル・ピープス(→Wikipedia)のように膨大かつ貴重な資料を残した人もいるが。

 ただ、文書として残ったものを根拠としているため、どうしても偏りが出る。読み書きできる者も限られてるし、田舎より都市、庶民より身分のある者の割合が多くなるのは仕方がない。本書はその辺を認識しつつ、可能な限り農村の様子も描き出している。

 ちなみに人口の割合としては、こんな感じ。

初期アメリカの山麓からロシア西部の大草原に至るまで、各地域の農村地帯では、人口の3/4以上が、小作人や雇われ農夫、召使い、農奴、奴隷として土地を耕し、それより少数の自作農、小作人を抱える小地主、農園主がいた。
  ――第6章 暗闇の仕事 仲間と共に

 さすがに本書の記述は都会が半分以上を占めるが、かなり頑張っていると思う。

 まずは、当時の人々が夜をどう考えていたのかだ。暗くなるのを、私たちは「明かりが減った」と考えるが、当時の人々は全く違った。

当時、広く受け入れられていた宇宙論によれば、「夜」は毎晩、空から有毒な霧が降りてくるという形で、文字通り、「落ち」たのだ。
  ――第1章 夜の恐怖 天井と地上

 まさしく「夜の帳が降り」てきたのだ。しかも、それは毒を含んでいる。当時の人々は、そう思い込んでいたのだ。実際、危険で有害ではあった。暗い夜道は躓きやすいし、沼や川に落ちたりもする。当時の道路事情は劣悪で、デコボコだらけだし。

 それだけではない。人間もまた、危険を生み出している。

とりわけ悪名高かったのが、夜、開いた窓や戸口から通りに投下される糞尿の雨である。
  ――第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事

 都市の道は糞便だらけってのは、意外と本当だったようだ。当時は寝室に尿瓶やおまるが置いてあったし。

湿った夜気の中では尿瓶から臭気が立った。
  ――第11章 心の糸のもつれ 眠りを妨げるもの

 こういう生々しい記述が、本書の魅力の一つだろう。

 もちろん、ハッキリと敵意を持って人を襲う者も多かった。

近世を通じて、殺人事件の発生率は、今日のイギリスにおける殺人発生率の5倍から10倍だった。
  ――第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事

 犯人は色々だが、特に血の気の多い若者が徒党を組んで夜に暴れまわるのはl古今東西を通じて同じらしい。それじゃ困るってんで見回りもするんだが…

「老いぼれた」「弱々しい」「疲れきった」というのが、夜警によく使われる形容詞だった。
  ――第3章 公権力の脆弱さ 教会と国家

 現代の警官と違い、全く頼りにならないw なにせ貧しく食い詰めた者が小遣い稼ぎに就く仕事なのだ。暴漢に襲われた者も…

多くの場合、犯罪の被害者は、夜警でなく、「隣人」に助けを求めて叫んだ。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 意味ねえじゃんw

 これが田舎になると、他人を頼らず自分たちでどうにかしようって方針になる。頼りになるのは…

夜間は番犬が屋内、屋外をうろついていた。農村地帯の番犬は、泥棒だけでなく、家畜を狙う動物を見張る役目も担っていた。交配によって番犬用に作られた「猛犬」は、きわめて獰猛なので、昼間は鎖につながれていた。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 鶏を狙う狐もいるしね。にしても、獰猛な犬を夜は放し飼いって、物騒だなあ。もちろん、ヤバいのは獣だけじゃない。

近世の田舎には、あちこちに絞首人のさらし柱が立っていたからだ。それは高い木の柱に一本か数本の腕木を取りけたもので、そこから重罪人の腐りかけた死体がぶらさがっていた。
  ――第5章 目に見える暗闇 夜の歩き方

 と、農村と言えど風景は殺伐としていた様子。また、「日が沈んだら眠り、夜明けに起きる」なんてのんびりした暮らしは、都市でも農村でも幻想らしい。例えば都市では…

イギリスで1563年に発布された職人法は、熟練職人やその他の労働者に対して、春と夏には朝の5時から夕方の7時か8時まで、秋と冬には夜明けから夕暮れまで(うち1時間半は休憩と食事に当てられた)働くよう求めていた。
  ――第6章 暗闇の仕事 仲間と共に

 滅茶苦茶なブラック待遇じゃん。そのためか、当時の人は昼によく居眠りしてたようだ。農村も忙しく、特に収穫機は月明かりが命綱だったようだ。ハーヴェスト・ムーンって、そういう由来かあ。また、女たちは季節を問わず…

女性たちの夜鍋仕事として最も一般的なのは、糸紡ぎや編み物、羊毛梳き、それに機織りだった。
  ――第6章 暗闇の仕事 仲間と共に

 産業革命以前の糸紡ぎは手作業だ。どんだけ手間かかるんだか。まあ、それだけに多少の稼ぎにもなる。近所の女たちは集まって、噂話や家族の愚痴をこぼし合いながら、夜鍋仕事に勤しんだようだ。特に冬は人が集まれば暖かいし、明かりもみんなで共有できるし。

 その明かり、当たり前だがLEDでも蛍光灯でも白色電灯でもない。蝋燭や松明、すなわち火だ。

近世の地域社会では、多種多様な光源が明りを供給していた。とはいえ、その多様性にもかかわらず、すべてが火というありふれた手段によるものだった。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 そのため、火事の危険も大きかった。欧米の家は石造りって印象があるけど、実際には木造が大半だったり、2019年のパリのノートルダム大聖堂の火事(→Wikipedia)で明らかになったように、重要な構造材は木材だったりする。それはともかく、そもそも火の明かりは電気の明かりに比べ弱い、というより電気の明かりが強すぎるんだが。

一個の電球から発する光は、蝋燭や灯油ランプが発する光の百倍も強い。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 ホント、電気ってありがたい。費用も激安になったし。

 本文まあ、そんなだから、当時の夜は暗かった。それだけに、人目をはばかる仕事も夜ならやりやすい。中には…

貧困家庭は家族が死んでも、教会に支払う金を逃れるために、夜中に遺体を埋葬してしまう。
  ――第9章 束縛から放たれて 庶民

 なんて悲惨なのもある。意外だったのが密輸だ。現代だと、ギャングやマフィアが組織的にやるシノギだが、当時は…

密輸に携わる者の大多数が貧困層出身だった。
  ――第9章 束縛から放たれて 庶民

 時代と地域によっては領ごとに関税がかかったりするから、川を小舟で渡るだけで相応の稼ぎになりそうだが、近世はどうなんだろ? まあ現代でもメコン川流域は真昼間から庶民が国境を越えて盛んに商売してるようなんで(→「インドまで7000キロ歩いてしまった」)、当局の目が届きにくい所は、どこもそんなモンなのかも。

 など、夜と言いつつ起きている人の話を中心にしてきたが、終盤で驚愕の事実が明らかになる。

近世の終わりまでは、西ヨーロッパ人はたいてい毎晩、一時間あまり覚醒したまま静かに過ごす合間をはさんで、まとまった時間の睡眠を二回取っていたのだ。
  ――第12章 私たちが失った眠り リズムと天啓

 年寄りは尿が近いんで、どうしても夜中に起きちゃうんだが、そういう事ではない。しかもこれ、西欧人だけではなく、同じ睡眠パターンの民族が見つかったり。どうやら人類の体質そのものが、大きく変わってしまったようだ。

 それはともかく、ガス灯に象徴されるように明かりの普及や、商業が盛んになるにつれ、都市の形も大きく変わってくる。例えば近くの農民は、食肉用の家畜を朝市に出すため、夜のうちに家を出て家畜を連れ都市へと向かい歩きだす。そんな連中にとって、都市を囲う城壁は邪魔だ。

都市の広がりと軍事技術の進歩を背景に、交易によって都市を囲む城壁が急速に不要になった(略)。要塞は商業にとっては妨げになる。ことに夜になって門が閉まれば、困ったことになる。18世紀の終わりには、ヨーロッパ中のほとんどの都市や町で、浄益は使われなくなるか、取り壊されるかしている。
  ――夜明け

 西欧と北米植民地に限定してはいるが、当時の人々、特に庶民や農民の日々の暮らしが見えてくるのが嬉しかった。また、今も昔も酒場が夜通し営業してるあたりは、洋の東西を問わないんだろうなあ、とも想像できる。そういやイスラム圏はどうなんだろ? まあいい。ベッド仲間やバンドリングなんて風習もあったり、意外性な挿話に満ちた本だった。歴史の雑学が好きな人にお薦め。

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2024年9月19日 (木)

アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」柏書房 穴水由紀子訳

本書では、生命の仕組み、とりわけ進化の仕組みに関する知識を活用して、ほかの惑星で暮らしているであろう生命について考察していきたい。
  ――第1章 はじめに

人間を初めとする地球上のすべての多細胞生物の体も、日和見的な協力関係の積み重ねの結果である
  ――第6章 知能 それが何であれ

社会集団は教育の機会を提供するのだ。
  ――第7章 社会性 協力、競争、ティータイム

コストのかかるメッセージは信頼できることが多いように、コストのかからないメッセージは信頼できないことが多い。
  ――第8章 情報 太古からある商品

結局のところ、私たちを地球上のほかの生物たちとは異なる存在にしているものは、言語なのである。
  ――第9章 言語 唯一無二のスキル

【どんな本?】

 SF作品には様々な異星生物が登場する。スタートレックのヴァルカン人やボーグ,スターウォーズのイウォーク,デューンのサンドワーム、そして ET Phone Home。魅力的ではあるが、現実に彼らは存在しえるのだろうか。

 近年になって、地球に似た、いわゆるハビタブル・ゾーン(→Wikipedia)に存在する惑星が見つかっている。とはいえ、本書では、地球型に限定しない。宇宙における惑星の環境は様々だし、そこに生まれる生物も色とりどりだろう。

 それを踏まえた上で、科学的に言えることはある。どんな環境であろうと、すべての生物は、幾つかの共通した条件に縛られているのだ。この共通した条件から、生物ならば満たす必要がある性質が見えてくる。それは異星生物であろうとも同じだ。

 動物学者が、地球上の動物に関する豊富な知識を元に、異星の生物の様子を科学鉄器に推論する、ちょっと変わった一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Zoologist's Guide to the Galaxy : What Animals on Earth Reveal about Aliens – and Ourselves, by Arik Kershenbaum, 2020。日本語尾版は2024年4月17日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約378頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×18行×378頁=約312,984字、400字詰め原稿用紙で約783枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。動物学者が書いた本なので、見慣れない動物の名前が出てくるが、「ふーん、そんな動物がいるのね」ぐらいに思っていればいい。あと、明らかに著者はSFファンなので、SF、それもファースト・コンタクト物が好きな人は見逃さないように。

【構成は?】

 科学の本だ。そのため、前の章を基礎として次の章が展開する。よって、できれば素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • 第1章 はじめに
  • 第2章 形態vs機能 すべての惑星に共通するものとは?
  • 第3章 動物とは何か、地球外生命体とは何か
  • 第4章 運動 宇宙を走り、滑空する
  • 第5章 コミュニケーションのチャネル
  • 第6章 知能 それが何であれ
  • 第7章 社会性 協力、競争、ティータイム
  • 第8章 情報 太古からある商品
  • 第9章 言語 唯一無二のスキル
  • 第10章 人工知能 宇宙はロボットだらけ?
  • 第11章 私たちが知る人間性
  • 第12章 エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき/もっと知りたい人のために/図版リスト/索引

【感想は?】

 ある意味、書名はペテンだ。最後にこう告白してるし。

みなさんは、本書が地球外生命についてのみ書かれた本だと思っていたかもしれないが、実際には生命一般、つまり最も基本的な意味におけるあらゆる生命に関する本であり、ほかの惑星の生命に負けず劣らず、地球の生命について扱っている。
  ――第12章 エピローグ

 まあ、これは、普通に読んでいればだいたい想像がつくんだがw 基本的には、「進化」を扱った本なのだ。それも、「いかに子孫を残すか」を目的としたゲーム、つまり生存競争から導かれる、「あらゆる生物に共通する性質」を見いだそうとする内容である。

 そのための道具の一つは、著者の動物学者としての豊かな、だが地球の生物に限られた、多様な生物の生態の知識だ。そしてもう一つの道具が、ゲーム理論である。地球の生物の生態を生データとして用い、ゲーム理論で検証・整理・構造化し、すべての生物に共通する性質を見つけ出し、異星生物に適用する、そんな仕掛けである。

 もう一つ、書名はペテンを含んでいる。実は、エイリアンの「姿」には、あまり触れてない。むしろ能力や性質や振る舞いが中心だ。いや一応、平行進化(→Wikipedia)に触れて「似たニッチの生物は似た形になる」ぐらいは語ってるし、複雑な生物はたぶん左右対称だろう、とも匂わせている。

スピードとエネルギー効率の点で、左右対称性を欠く動物は、脚やひれなどの左右対称の付属器を持つ動物には太刀打ちできない。
  ――第4章 運動 宇宙を走り、滑空する

 また、脚は意外と重要な発明なんだな、と感じさせたり。私が脚フェチなのは、そのせいか←違う

圧倒的多数の動物は、摩擦を小さくするために脚を使って表面から体を持ち上げた。
  ――第4章 運動 宇宙を走り、滑空する

 話がヨレた。本論に戻ろう。本書が基盤とするのは、次の理屈だ。

進化の法則はどの惑星でも似ている
  ――第2章 形態vs機能 すべての惑星に共通するものとは?

 進化の法則、つまりは生存競争だ。そこでより多くの子孫を残す者が生き延びる。とはいえ、進化が生じるには条件がある。

進化には圧力と競争と欠乏が必要である。
  ――第3章 動物とは何か、地球外生命体とは何か

 とはいえ、普通に増えていけば資源が足りなくなって必然的に競争になるんだが。

 競争を生き延びるため、生物が用いる手段の一つが進化だ。子の形や能力や性質が、親とは少し変わる。ただし、変化そのものは中立というか闇雲で、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」なんだが。そのうえで、うまいこと当たりの変化を引き当てた者が勝者となる。ちなみに進化を語るには条件があって…

 動物行動学者ニコ・ティンバーゲン(→Wikipedia)が唱える、動物の行動/機能を説明する際に満たすべき四つの異なる方法

  • メカニズム
    1. どう機能するのか
    2. どう体内で発達したのか
  • 理由、原因
    1. 進化のなかで、なぜ生じたのか
    2. 進化上で、どう得なのか

 だそうで、本書は主に「4. 進化上で、どう得なのか」を中心にエイリアンを考えてゆく。

 構成の関係か、扱うエイリアンは段階的に複雑になってゆく。原始的な生物から複雑な生物へ、そして社会を形成し知能を獲得するのだ。そのためか、前半では物理的・力学的なネタも出てきて、先の脚もそんなネタの一つだ。

 だが水棲生物は脚を持たぬ種も多い。つかイルカは脚がヒレになってるし。このヒレ、単に揚力や推力を生み出すワケじゃないらしい。

魚が尾びれを左右に振ると、たばこの煙の輪のような回転する水の輪(渦輪)が次々にできる。隣り合う渦輪は互いに逆向きに回転して後方への噴流を作り出し、それが魚に推力を与えているのである。
  ――第4章 運動 宇宙を走り、滑空する

 そんな複雑なことが起きてたのか。だとすると、尾びれの表面の摩擦力も、ある程度は決まってきそう。

 など、序盤では主に単独での振る舞いを扱うのに続き、中盤以降は他の生物との関わりを考えてゆく。まずは相手に何らかのメッセージを送る方法だ。音・光・電流など、幾つか候補はあるが、最も便利なのは音だ。

音はある重要な特性をもっているがゆえに、(地球上では)コミュニケーションの主要な手段となっているのだ。それは障害物の裏側に回り込む「回折」という特性である。
  ――第5章 コミュニケーションのチャネル

 障害物があったら、光は届かない。でも音なら聞こえる。しかも広い範囲に。加えて…

音の第二の利点は速さである。
  ――第5章 コミュニケーションのチャネル

 光と比べたら桁違いに遅いとはいえ、例えば「捕食者がいる!」みたいな警告を伝えるには、充分な速さだ。おまけに…

音にはほかにも大きな利点がある。(略)非常に簡便かつ大量の情報を伝達できることだ。このことを専門用語で「帯域幅が広い」という。
  ――第5章 コミュニケーションのチャネル

 帯域幅なんて言うと偉そうだが、短い声でも「嬉しそう」「怒ってる」「悲鳴」みたいな、表情・感情を乗せられるのだ、音は。ちなみに悲鳴には、特徴があって、ちゃんと科学的に分析もできてる。

私たちが悲鳴を表現するのに使う「鋭い」とか「耳をつんざくような」とか「耳障りな」といった形容詞は、その音の周波数が予測不可能な変化をすることを表している。
  ――第8章 情報 太古からある商品

 黒板を爪で引っかく音も、そうなんだろうか。

 まあいい。いずれにせよ、生物が音を出すには、何か目的がある。雄が雌を惹きつける、縄張りを主張する、捕食者がいるとの警告、雛鳥が餌をせがむ等。いずれも、他者の行動を変えるのが目的だ。

自己の利益のために他者に影響を及ぼすこと。これこそがコミュニケーションの本質である。
  ――第8章 情報 太古からある商品

 とすると、独り言はなんなんだろ? もしかして知性の印なのか? まあいい。いずれにせよ、音を出すにはコストがかかる。雌を惹きつけるための歌は、同時に捕食者も引き寄せる。捕食者が居ると警告すれば、自分の位置を捕食者に教えてしまう。

すべての社会的動物は社会的シグナルを発達させているはずだ。なぜなら、あらゆる協力には本質的な対立が内在するからである。他者を助けるために自分を犠牲にするとき、自分は搾取されるおそれがあるのだ。
  ――第7章 社会性 協力、競争、ティータイム

 ということで、タダ働きはあり得ない。社会的シグナルには、何らかの見返りがあるはずなのだ。…とすると、ボイジゃーのゴールデンレコード(→Wikipedia)は、エイリアンにどう解釈されるんだろうか?

 などの下世話なネタとは別に、著者の科学者としての姿勢が心地よかったりもする。口ぶりは穏やかだが、内容はリチャード・ドーキンス並みに過激だったり。やはり「種の起源」で大論争を巻き起こしたチャールズ・ダーウィンに連なる生物学者の矜持だろうか。

科学の歴史とは、人間が万物の頂点の座から引きずり落される歴史である。
  ――第1章 はじめに

 なんてね。地動説で大地は宇宙の中心から辺境に落ちぶれ、進化論で「神に似せて創られしもの」ではなくなった。ほんと、ある種の人から科学が嫌われるのも頷ける。

科学の仕事の一つは、確立された真実を覆し、新たな真実に置き換えることだ。
  ――第11章 私たちが知る人間性

 とかもね。科学は、常に変わってゆくものなのだ。

 また、これは科学というより哲学に近いんだが、こんなのも。

あらゆる二分法と同じく知能の二分法もほぼ間違っている
  ――第6章 知能 それが何であれ

 これの具体例としては、犬・狼・コヨーテなどは一つの種か別種か、なんて問題を挙げる。これの解が、私にはストンと腑に落ちた。

生物学者リチャード・ドーキンス(→Wikipedia)「現生の鳥類と原生の非鳥類(哺乳類など)の区別が明確なのは、共通祖先にまで遡って集約される中間にいた生物がすべて死んでいるからこそなのだ」
  ――第11章 私たちが知る人間性

 そして「やっぱりコイツSF者じゃん」と確信したのは、このくだり。

SF作家というのは、人類が目を見張るような新たな能力を進化させた未来の世界――あるいは地球外の世界――の哲学的意味合いを、真剣に問い続けてきた数少ない人々なのだ。
  ――第10章 人工知能 宇宙はロボットだらけ?

 具体的な作家名はフレッド・ホイルとC.S.ルイスぐらいしか出てないし、どうもそういう時代の作品がお好みらしい。きっとオラフ・ステープルドンも好きなんだろうなあ。

 一見イロモノっぽいタイトルだし、実際に著者もSFファンらしく、そういう発想の柔軟性は充分に発揮している。が、その基盤となっているのは、冷酷な生存競争とゲーム理論の原理だ。実際に想像しているのは姿形より性質・性格・思考法・振る舞いなどだが、進化の原理からどこまで想像できるか、が面白い。当然ながら、ファースト・コンタクト物が好きなSF者にお薦め。

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2024年9月15日 (日)

菊池秀明「中国の歴史 10 ラストエンペラーと近代中国 清末 中華民国」講談社

本書があつかう中国の近代史とは、具体的にはアヘン戦争後の19世紀半ばから、日中戦争が始まる直前の1936年までを指している。
  ――序章 南からの風

魯迅「暴君治化の臣民は、たいてい暴君よりも暴である」
  ――第6章 若者たちの季節

中国共産党の結成は各地の知識人を媒介に、細い糸をより合わせるようにして進められた
  ――第6章 若者たちの季節

成立当初の南京国民政府は二つの政治課題に直面していた。その一つは張作霖らの北京政府、汪兆銘の率いる武漢国民政府に続く第三の政府として登場したために、政権の正統性をアピールする必要があったことである。
  ――第7章 革命いまだ成らず

「これ以上内戦があってはならない」
  ――第9章 抗日の長城を築かん

【どんな本?】

 東アジアの歴史が始まって以来、その中心として君臨したてきた中国。だが欧米諸国や日本が権益と植民地化を狙い、砲艦外交を仕掛けてくる。従来の朝貢外交では対応しきれず、かと言って列強の軍事力にも対抗できず、別の手を取ろうにも屋内の保守派は不平の声をあげるばかり。

 各地で国を憂う者たちは集い立ち上がり、だが既存の秩序の転覆を清王朝は認めず、東アジアの大国は混乱の渦に巻き込まれてゆく。

 講談社が刊行した中国通史の叢書の第10巻は、近代化の荒波に翻弄されながら沈んでゆく清帝国と、新たな中国を築こうとする群雄たちを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2005年9月22日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約385頁に加え、主要登場人物略伝9頁と歴史キーワード解説7頁、おまけに参考文献がズラリ14頁。9.5ポイント44字×19行×385頁=約321,860字、400字詰め原稿用紙で約805枚。文庫なら薄めの上下巻ぐらい。今は講談社学術文庫から文庫版が出ている。

 文章はこなれていて親しみやすい。歴史書としては人物、それも権力者を中心とした王道の形であり、内容も興味を惹きやすくわかりやすい。とはいえ、激動の時代だけに登場人物が多く、キッチリ覚えようとすると苦労する。また、中国の地名が頻繁に出てくるので、Google Map か地図帳があると便利。

【構成は?】

 原則として時代順に進む。章によっては冒頭に現代の中華人民共和国の話題を語り、読者の関心を掻き立てる構成をとっている。

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  • 序章 南からの風 辺境からの中華再生の試み
  • 第1章 「南からの風」吹く 太平天国運動と列強
  • 洪秀全のキリスト教受容と拝上帝会
    洪秀全の故郷を訪れた日本人/洪秀全の幻想とキリスト教受容/紫荊山での布教活動と偶像破壊運動
  • 太平天国の蜂起と南京進撃
    天父・天兄下凡と金田蜂起/太平軍の南京進撃とその主張/太平軍の宣伝活動とその規律
  • 地上天国の現実と湘軍の登場
    太平天国の北伐とその失敗/天京の建設と「天朝田畝制度」/曽国藩と湘軍の結成
  • 天京事変と第二次アヘン戦争
    太平天国の内部分裂/第二次アヘン戦争と清朝/太平天国の外交と北京条約
  • 「資政新編」と太平天国の滅亡
    洪仁玕の天京行きと「資政新編」/太平天国の滅亡と常勝軍/太平天国運動の遺産
  • 第2章 ゆらぐ中華の世界 洋務運動と日清戦争
  • 洋務派の登場と近代化事業
    中国近代化のルーツ/西太后の登場と洋務運動の開始/洋務運動の拡大と官僚資本主義
  • 「中体西用」論の理想とその現実
    洋務派の思想とその源流/近代化と儒教的正統論/洋務運動と地方ナショナリズム
  • 「辺境の危機」と清仏戦争
    清朝支配の衰退とイリ問題/ビルマとヴェトナムをめぐる動向/清仏戦争と辺境経営の行きづまり
  • 琉球と朝鮮李朝をめぐる日清関係
    近代初期の日清関係と台湾出兵/清朝辺境統治の見直しと日朝修好条規/朝鮮をめぐる日清間の確執
  • 日清戦争と下関条約
    日本の戦争準備と光緒帝親政/甲午農民戦争と日本・中国/日清戦争の勃発と李鴻章/下関条約と台湾民主国
  • 第3章 ナショナリズムの誕生 戊戌変法と義和団
  • 列強の中国分割と変法派の登場
    政治都市・北京/列強の中国分割/「天演論」の衝撃と変法派の登場/強学会と譚嗣同の「仁学」
  • 変法運動と戊戌政変
    日本モデルの提起/戊戌変法の開始/伊藤博文の中国行きと戊戌政変
  • 反キリスト教事件と義和団の登場
    宗教的な時代/キリスト教の中国布教と仇救事件/義和団の登場
  • 北京における義和団と清朝、列強
    義和団の北京進出/清朝の宣戦布告と北京籠城戦/八ヵ国連合軍と北京議定書
  • もう一つの義和団 中国人移民問題とアメリカ製品ボイコット運動
    日本人の義和団観と中国保全論/アメリカの反華僑運動と黄禍論/アメリカ製品ボイコット運動とナショナリズム
  • 第4章 清帝国のたそがれ ラストエンペラーと辛亥革命
  • 清末中国人の日本留学と日露戦争
    100年前の日本留学熱/留学生の派遣と日本ショック/留学生の反清と反日本
  • 孫文の登場と日本
    孫文の生い立ちと洪秀全/興中会の結成と広州蜂起/宮崎滔天との出会い両広独立計画と恵州蜂起
  • 革命派の成長と中国同盟会
    急進派留学生と孫文/革命派の成長/中国同盟会の成立/中国同盟会における孫文
  • 救国の方途を求めて
    梁啓超と中国同盟会の論戦/中国同盟会の路線対立と内紛/光緒の新政と張騫の立憲改革
  • 清帝国のたそがれと辛亥革命
    宣統帝溥儀の生い立ち/摂政王の政治と鉄道国有化問題/同盟会中部総会と武昌蜂起/袁世凱の再登場と清朝の滅亡
  • 第5章 「民の国」の試練 袁世凱政権と日本
  • 中華民国の成立と臨時約法
    一発の凶弾がもたらしいたもの/袁世凱の臨時大統領就任と臨時約法/袁世凱の開発独裁と地方ナショナリズム
  • 第二革命と袁世凱政権
    孫文の訪日と日本の辛亥革命への対応/善後大借款と第二革命/袁世凱政権とその特質/中華革命党と孫文
  • 第一次世界大戦と21カ条要求
    第一次世界大戦と日本の青島占領/21カ条要求と中国/反日ナショナリズムの高揚
  • 袁世凱の帝制復活と日本
    袁世凱の野望と不安/グットナウと帝制運動/日本の動向と坂西利八郎
  • 第三革命と袁世凱の死
    段祺瑞政権と西原借款/清朝復辟事件と護法戦争
  • 第6章 若者たちの季節 五・四運動とマスクス主義
  • 「新青年」と北京大学
    天安門事件と5.4運動/北京大学の改革と蔡元培/国語制定と女性解放をめぐる議論
  • 魯迅と文学革命
    魯迅の日本時代と役人生活/文学革命と「狂人日記」/「阿Q正伝」と中国社会
  • パリ講和会議と5.4運動
    二つの講和会議/5.4運動の開始/運動の拡大と条約調印拒否/日本留学生の動きと吉野作造
  • マルクス主義の受容と中国共産党の成立
    中国におけるマルクス主義の受容/コミンテルンと中国共産主義運動/中国共産党の結成と第一回全国代表大会
  • 第7章 革命いまだ成らず 第一次国共合作と北伐
  • ワシントン体制と孫文の革命方策
    /孫文の「大アジア主義」講演/ワシントン条約と軍閥混戦/陳炯明の聯省自治とマーリング
  • 第一次国共合作と蒋介石
    第一次国共合作の成立/黄埔軍官学校と蒋介石/孫文の北上とその死
  • 「花なきバラ」と北伐の開始
    魯迅と3.18事件/蒋介石の台頭と中山艦事件
  • 北伐の展開と湖南農民運動
    魯迅の広州行きと北伐軍の勝利/北伐下の政治抗争と毛沢東の湖南農民運動視察
  • 4.12クーデターと国共合作の崩壊
    南京事件の発生と蒋介石/共産党の上海蜂起と4.12クーデター/国共合作の崩壊と魯迅
  • 第8章 内憂と外患のなかで 南京国民政府と満州事変
  • 北伐の再開と山東出兵
    張作霖爆殺事件と日本/蒋介石の下野と日本訪問/済南事件と佐々木到一
  • 北伐の完成と南京国民政府
    張学良の登場と南北統一/関税自主権の回復と日本/中原大戦と広州国民政府
  • 毛沢東の辺境革命と包囲討伐戦
    大いなる田舎者・毛沢東/井岡山革命根拠地の建設と梁漱溟/包囲討伐戦と中華ソビエト共和国
  • 満州事変とラストエンペラー
    柳条湖事件と日本/戦火の拡大と南京国民政府/ラストエンペラーの再登場
  • 第9章 抗日の長城を築かん 満洲国と長征・西安事変
  • 満州国の成立とその現実
    上海事件の勃発と魯迅/満州国の成立と善意の悪政/リットン報告書と熱河侵攻
  • 安内攘外と長征の開始
    安内攘外策の提起と第五次包囲討伐戦/起死回生をかけた長征/遵義会議と周恩来
  • 高まる抗日のうねり
    蒋介石の抗戦準備と独裁体制/中国民権保障同盟と魯迅/日本の華北分離工作と12.9学生運動/義勇軍行進曲と8.1宣言
  • 西安事変と張学良
    苦悩する東北群総帥/事実をもって答えん/監禁された蒋介石/実現した蒋介石・周恩来会議
  • 第10章 辺境の街と人々 香港・台湾そして上海
  • 異文化の窓口としての香港と上海
    時代の活力を示す辺境/草創期の香港と上海/にっぽん音吉とからゆきさん/近代文明の洗礼と東亜同文書院
  • 台湾と日本型近代のゆくえ
    台湾総督府と後藤新平/「台湾青年」と議会設置請願運動/霧社事件と「サヨンの鐘」
  • 大革命時代の上海と香港
    5.30運動と省港スト/台湾共産党と朝鮮人の独立運動
  • エピローグ 魯迅の遺言と日本人たち
    魯迅の死と内山完造/鹿地亘の日本人反戦同盟/21世紀の日本と中国
  • 主要人物略伝/歴史キーワード解説/参考文献/年表/索引

【感想は?】

 いわゆる「歴史の教科書」な印象だ。

 歴史の捉え方としては古典的というか王道で、権力者たちを中心に政治の話題が大半を占める。とはいえ、この巻の政治は大平天国やら義和団やら北伐やらと、物騒な話題ばかりなのだが。

 登場人物の多くは、天の小口側に写真が載っていて、これがまた教科書な印象を強めている。あと、人物の名前は「しょうかいせき」や「もうたくとう」など、日本語の読みでルビがついてる。

 実は浅田次郎の「中原の虹」を拾い読みして、「俺、この時代の中国について何も知らないや」と思い知ったのが、本書を読むきっかけ。そういや大好きなパール・バックの「大地」も、この時代が背景だった。

 いや、名前だけは知っているのだ。大平天国とか義和団とか西太后とか袁世凱とか孫文とか。でも、何が起きたのか、何をした人なのか、まったくわかってない。

 その点、本書は状況つまり舞台設定の説明から入るので、とってもわかりやすい。当時の中国が欧米や日本に食い荒らされていたのはボンヤリと知っていたが、その先というかその奥がわかってなかった。

 これも本書の特徴なんだが、大平天国も義和団も、彼らの思想背景から語り始める。一見、遠回りのようだが、彼らの世界観が見えてくると、問題の恐ろしいほどの根深さがジワジワと染みてくるのだ。

 問題は二つ。中華思想と孔子信仰である。

 中華思想は、そこらのお国自慢とはレベルが違う。理屈をつけて「俺たちは偉い」とするんじゃない。「俺たちこそが文明の始祖」って前提で、世界のすべてを解釈するのである。

 儒教というか孔子信仰も根深い。太平天国はキリスト教の強い影響下にあり、加えて中華思想と孔子信仰が悪魔合体して意味不明な思想体系…なんだが、本人たちには心地よい世界観なんだろうな、とも伝わってくる。なにせガイジンたちはノサばり国の軍人役人は頼りにならず、ヘコんでる所に民族の誇りを呼びかけるのだ。そりゃ気持ちイイわ。

 結局は潰れる太平天国だが、革命を求める思想と動き、そしてその奥にある中華思想と孔子信仰はしっかりと受け継がれてゆく。

太平天国運動は失敗に終わったが、彼らの播いた種はその後の歴史のなかで着実に根をおろしたのである。
  ――第1章 「南からの風」吹く

 こういった中国の変化は、単に中国一国だけで完結する話ではない。東アジアの有史以来の国際関係・国際秩序が、根本的にひっくり返った事でもある、と歴史を俯瞰した視点を与えてくれたのは嬉しい。

日清戦争は清朝の完敗に終わった。それは長い間東アジアの世界秩序だった朝貢体制を崩壊させると共に、19世紀後半の中国が試みてきた洋務運動の挫折を意味した。
  ――第2章 ゆらぐ中華の世界

大平天国の金田蜂起から60年、270年近く続いた清朝はついに倒れた。それは単に一つの王室が倒れただけでなく、秦の始皇帝以来2000年近くにわたって続いた専制王朝体制の終焉だった。
  ――第4章 清帝国のたそがれ

 そこにガッツリ食い込んでくるのが大日本帝国だ。中国の若き知識人の多くは「日本に学べ」と日本に留学するのだが、必ずしも暖かく歓迎されるとは限らず。まあ食べ物が合わないのはしょうがないけど、当時の日本人の思い上がりも悲しくなる。この時代の中国に最大の影響を与えた国は、間違いなく日本だろう。

 巧くやれば中国の次世代を担う若者たちを取り込めただろうに、当時の日本は暴走がちで…

21カ条要求(→Wikipedia)は(略)日本に親近感をよせ、日本モデルの改革を志してきた中国知識人を、日本との決別へ踏み切らせてしまった。
  ――第5章 「民の国」の試練

 確かに21カ条要求は無礼で欲深で傲岸不遜なシロモノだ。もっとも、留学生たちの世界観もいささか狭い。これを冷徹な理屈で「弱肉強食な世界秩序」の現れとは考えず、感情的な「日本への好き嫌い」になってしまうのは、どこかに「同じ極東人」としての情があったんだろうか。

 いずれにせよ、今も昔も、中国の変化・改革を先導するのは「学生などの知識人」といった構図だ。百家争鳴なお国柄だしね。知性を敬う風潮は、ちと羨ましい。日本は長く武力がモノを言ってきたし、維新も半ば勢いなんだよな。

学生などの知識人が中心となり、ボイコットを呼びかけるという運動の構図は、その後も長く中国のナショナリズム運動に受けつがれることになる。
  ――第3章 ナショナリズムの誕生

 それはともかく、清帝国の崩壊は大陸に嵐を巻き起こす。二千年来の秩序の崩壊だけに、混迷の度合いも深い。

民国時代は、(略)各地に大小の軍事勢力が割拠し、中央政府のコントロールがきかなかったこの時代は、ファーストエンペラー登場以前の春秋、戦国時代に似ている。
  ――第5章 「民の国」の試練

南の革命政府、北の段祺瑞政府以外にも各地に大小の軍事勢力が割拠して、中国はいわゆる軍閥混戦の時代に突入した。
  ――第5章 「民の国」の試練

 そんな中、不気味に勢力を伸ばしてきたのが共産党だ。ここでは、中国現地の事情を全く知らず無謀な指令を下すコミンテルン(→Wikipedia)の傲慢な間抜けっぷりが印象に残る。そうか、毛沢東は海外留学してないのか。と同時に、教師が社会運動のリーダーになりがちな理由も少しわかった。

人々をやる気にさせる術を心得ていた教師出身の毛沢東は、革命教育のリーダーとしては彼ら(国民党の蒋介石や太平天国の楊秀清)よりも一枚上手だった。
  ――第8章 内憂と外患のなかで

 知識があって、かつ集団を統率する術に長けてるんだな。ライバルの蒋介石も、軍学校の校長って経歴が権力の礎になってるのが興味深いところ。こういう時代の軍の士官は、武力を持つのに加え洋風の知識も得ているわけで、「我々が国を率いるべきだ」と思い込むのも自然なんだろう。

 最後の第10章は、明らかに本流から外れ、反体制と言うかカウンター側の人々の話題が中心で、それに加えいわゆる「租界の魅力」を巧みに描いている。異国の見慣れぬ文化が流れ込み、国家の権力が及ばない、闇鍋のような世界が現れるのだ。

中国公権力の力が及ばない香港と上海は、中国内外の革命や独立運動にとって絶好の拠点を提供した。たとえばヴェトナムの革命指導者であるホー・チ・ミンは1926年にコミンテルンの東方極委員として広州を訪れ、ヴェトナム青年革命同志会を設立した。
  ――第10章 辺境の街と人々

 後半に入ってから、著者は興味深い指摘をしている。袁世凱・孫文・蒋介石など、新時代のリーダーたちは、いずれも自らの権力の強化に余念がなく、独裁者=皇帝を目指している。対して日本の維新勢力は薩長土肥と呼ばれるように寄り合い所帯で、卓越したリーダーがいない。

 それでよく単一の軍事戦力として内戦を制し得たと思う。天皇という神輿が効いたのもあるだろうが、佐幕側も連携できてない。とすると、大政奉還の意味も違ってくる。あれで佐幕側は戦力が統一できなくなったのだ。だって中心になるはずの徳川家がトンズラしちゃったし。

 いずれにせよ、維新側は雑多な勢力の群体なだけに、強力な独裁者は現れず、また多少の偏りはあるにせよ「国家はなぜ衰退するのか」が説く包括的な権力構造になったのが幸いしたのか。

 などと考えると、ますます明治維新の特異さが見えてくる。雑多な勢力の集合体になれたのは、当時の各藩は私たちが思う以上に独立性が高かったから、だろうか。そういや薩英戦争とかやってるな。

 逆にエジプトやトルコ、そして一昔前の中国などが国家制度の近代化に苦労しているのは、リーダーが強力すぎるためなんだろうか。

 などと、異国人に食い物にされる挫折と屈辱を味わいつつ、国内でも権力争いで多くの血を流しながら、紆余曲折を経て近代化を目指した中国を描いた本で、確かに波乱万丈の物語が展開するし、その展開はジェットコースターどころかアチコチでワープした感すらある急激さに満ちている。特に後半は私も流れを追い切れていない。

 まあ、現実に事件が盛りだくさんなんで、仕方がないか。本書の姿勢は王道の歴史の教科書を目指すもので、政治権力者を中心としつつ、ときおり魯迅などの文化人を交える構成で、庶民文化や産業技術などにはあまり踏み込まない。まあ、そっちまで踏み込んじゃったら頁が幾つあってもキリないし。

 ということで、教科書的に中国の近代を知るための最初の本としては、全体を俯瞰しつつも重要な事件は充分に解説しているので、かなり良質な入門書になっていると思う。中国の近代は何も知らないが常識程度には身につけておきたい、そんな私のような人にお薦め。あと、日本の明治維新を分析するための比較・対照サンプルとしても役に立つ。

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2024年9月11日 (水)

ソフィー・D・コウ/マイケル・D・コウ「チョコレートの歴史」河出書房新社 樋口幸子訳

バロック時代のヨーロッパこそ、チョコレートが征服した正真正銘の新領土だった。
  ――第5章 チョコレートのヨーロッパ征服

17,8世紀のヨーロッパ人がすすったチョコレートの大半は、奴隷によって運営される「カラカス」カカオ農園から輸入されていたのだ。
  ――第6章 カカオ産地の変遷

チョコレートを料理の材料として使うと聞いたら、アステカ人はショックを受けるにちがいない。(略)
だが今日では、多くの食物研究家たちが、(略)「パボ・イン・モレ・ポブラノ」こそ、メキシコの伝統料理の頂点だと考えている。
  ――第7章 理性と狂気の時代のチョコレート

【どんな本?】

 私たちが知っているチョコレートは、板状だったりアイスクリームのトッピングだったり粒状で中にブランデーが入っていたりと、繊細な舌触りの甘くほろ苦いお菓子だ。だが、チョコレートの歴史を見ると、現代は極めて異様なチョコレートばかりが幅を利かせているのがわかる。

 チョコレートというかカカオの原産地は中米である。オルメカ人が見つけ栽培を始めたカカオをマヤ族とアステカ族が受け継ぎ、スペイン人が欧州に持ち帰って独自のアレンジを加え、更に資本主義と産業革命により大幅な改造を受けた結果が、現代の私たちの知るチョコレートだ。

 本書の特徴は、スペイン人来襲前の中米におけるチョコレート文化から、欧州での「飲み物」としてのチョコレートをじっくりと描く反面、産業革命以降のチョコレート激動の時代は駆け足で片付けてゆく点だ。

 スペイン人による征服以前の米大陸の食生活を研究した妻で人類学者のソフィー・D・コウの遺稿を、同じく人類学者の夫マイケル・D・コウが引き継いで完成させた、チョコレートの香りと魅惑に満ちた歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The True History of Chocolate, by sophie D. Coe and Michael D. Coe, 1996。日本語版は1999年3月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約371頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×371頁=約324,254字、400字詰め原稿用紙で約811枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。今は河出文庫から文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれていいる。いや学者が書いた本のわりに、って程度だが。いずれも歴史に素養が深い人らしく、歴史上の有名人が説明なしに出てくるのが困りものだが、知らなかったら無視していい。何より大事なのは、チョコレートが好きか否かだ。

 また、前半では中米の地名が頻繁に出てくるので、地図帳か Google Map があると便利だろう。

【構成は?】

 原則として過去から現代へと向かうので、素直に頭から読もう。

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  • まえがき
  • 序章
  • 第1章 神々の食物の木
  • 複雑多彩な化学成分
  • 第2章 カカオの誕生 オルメカ=マヤ時代
  • オルメカ人
  • イサバ文明から古典期マヤまで
  • 密林の王たち 古典期マヤ
  • 古典期マヤの黄昏
  • 征服前夜のマヤ族
  • 征服以降のマヤ族におけるカカオの調理法
  • 第3章 アステカ族 五番目の太陽の民
  • アステカ族の起源と初期の歴史
  • 征服前夜のアステカ族
  • 引力と斥力 オクトリとチョコレート
  • アステカ族の「チョコレートの木」 カカワクアウイトル
  • 王家の金庫
  • アステカ式チョコレートの作り方
  • 調味料、香辛料、その他の添加物
  • 特権階級の飲み物
  • 「夢のような通貨」
  • 象徴と儀式におけるカカオ
  • 第4章 出会いと変容
  • 最初の出会い グアナファ、1502年
  • 味覚の障壁を乗り越える
  • 言語の障壁を乗り越える
  • 医学の障壁を乗り越える
  • 第5章 チョコレートのヨーロッパ征服
  • スペインのカカオ 「完全の域に達したチョコレート」
  • イタリアのチョコレート 「より精妙な優雅さ」
  • 宗教的しきたりの障壁を乗り越える
  • フランスのチョコレート
  • チョコレートとイギリス人 海賊からピープスまで
  • ヨーロッパ以外の地域
  • 第6章 カカオ産地の変遷
  • 新スペインと中央アメリカ 植民地経営始まる
  • グアヤキル 「貧乏人のカカオ」
  • ベネズエラ
  • ブラジル イエズス会のチョコレート事業とその後
  • 極楽 とはほど遠い 島
  • 新天地の開拓 世界を巡るカカオ
  • 第7章 理性と狂気の時代のチョコレート
  • 医学専門家の証言
  • スペイン
  • イタリア
  • チョコレートを使った料理 元祖はイタリアかメキシコか?
  • 革命前夜のフランス
  • ジョージ王朝のイギリス チョコレートハウスからクラブまで
  • 産業革命の黎明期におけるチョコレート
  • 一時代の終焉 「聖侯爵」とチョコレート
  • 第8章 大衆のためのチョコレート
  • 過去との決別 ファン・ハウテンの発明
  • クエーカー教徒の資本家たち
  • 混じりけのないチョコレートを求めて
  • スイス 牛とチョコレートの国
  • ミルトン・ハーシーと「お馴染みのハーシーの板チョコ」
  • 現代のチョコレートの作り方
  • 「質」対「量」 より良いチョコレートを求めて
  • ようこそ、新しいチョコレート
  • 結び 円の完結
  • 訳者あとがき/図版 出典・所蔵一覧/索引

【感想は?】

 まず驚くのが、チョコレートの歴史の長さだ。中米のオルメカ人が、カカオの木を見つけたらしい。

チョコレートとその原料となる素晴らしい木を発明したのは、アステカ族(→Wikipedia)ではなく、すばらしいマヤ族(→Wikipedia)とその遠い先祖たち、つまりミヘ=ソケ語を話していたオルメカ人(→Wikipedia)なのだ…
  ――第2章 カカオの誕生

 その歴史は紀元前から始まる。茶やコーヒーより、はるかに古い。しかも、特権階級の「飲み物」だ。

少なくとも28世紀の間、チョコレートは特権階級や非常に裕福な人だけの飲み物だった。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 そう、「飲み物」なのだ。

チョコレートは、その長い歴史の約九割に相当する期間、食べ物ではなく飲み物だったのだ。
  ――序章

 んじゃココアみたいな? と思いたくなるが、まったく違う。その説明の前に、チョコレートの作り方を。原料はカカオの実だ。ポッドの中に果肉にまみれ、種=豆が入っている。手順は四つ。1)発酵,2)乾燥,3)焙煎(火で焙る),4)風選(ふるい分け)。ここまでは古代から同じだ。

 現代のチョコレートは、風選した種をカカオバターと固形分=ココアに分ける。ちなみにカカオバターはホワイトチョコレートになる。

1828年(略)クンラート・ヨハンネス・ファン・ハウテン(略)の機械は、それ(チョコレート原液中のカカオバター)を28%から27%まで減らすことに成功した。そこで、残った「固形分」を非常に細かい粉末状にすることが可能となった。これが私たちの知っている「ココア」である。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 どうでもいいがファン・ハウテン、ある年齢の人にはヴァン・ホーテンの綴りでお馴染みだろう。さて、次にカカオバターと砂糖を入れたココアを混ぜる。これで固形のチョコレートができる。

1847年に、(略)フライ社は、砂糖入りのココアの粉末を、湯ではなく溶かしたカカオバター(略)と混ぜる方法を開発したのである。(略)これが世界で最初の本格的な「食べる」チョコレートだった。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 やがてチョコレートはミルクと魅惑の会合を果たす。

彼(ダニエル・ペーター)は、ネスレの粉末(粉ミルク)を使って新種のチョコレートを作るというすばらしい手を思いつき、1879年に最初のミルク入り板チョコが作られた。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 それまでのチョコレートはザラザラしていたが、コンキングにより繊細でなめらかな舌触りとなり、高級感が数段ました。

1879年は(略)ルドルフィ・リント(略)が「コンキング法」を発明し、それによってチョコレート菓子の質が大幅に向上したからだ。
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 固形の「食べ物」であること、ミルクと砂糖が入った甘い味であること、口の中で溶けるなめらかな舌ざわりであること。いずれも現代チョコレートの特徴だ。しかし、本来のチョコレートは全く違う姿としている。

 風選までの手順は同じ。本来のチョコレート飲料は、ここから豆をすりつぶし、水や湯で溶き、充分に泡だてる。マヤ式のチョコレートは、泡が大事らしい。味付けも今と全く異なる。そもそも中米なんで砂糖がない。本書によるとチリ(トウガラシ)・トウモロコシ・バニラなどを混ぜる。

 泡だっているから、舌触りは抹茶に近いんだろうか? 味は…少なくとも、甘くはない。チリが入っているので、現代のスタミナ・ドリンクに近い、心身にカツを入れる感じの飲み物って気がする。

 その原料のカカオ豆は、大雑把に3種がある。弱くて実りは少ないが美味しいクリオロ種、強く実りも多いが味と香りはイマイチなフォラステロ種、両者の雑種トリニタリオ種だ。コーヒーだとクリオロはアラビカ、フォラステロはロブスタにあたるんだろうか。

 困ったことに、現代ではクリオロ種はほぼ手に入らない。どうも特定の高級ブランド・チョコレート企業が、高級レストラン向けに少量を売っているだけらしい。まあ、昔からチョコレートは特権階級向けだったから、そういう意味じゃ伝統を受け継いでいると言えるのか。

フォラステロ種は(略)今や世界の総生産量の80%を占めている。そしてトリニタリオ種が10から15%で、クリオロ種は第三位に甘んじている。実際、メキシコやグアテマラをはじめ、コスタリカ、アンティル諸島、スリランカの栽培者もフォラステロ種を採り入れている。
  ――第6章 カカオ産地の変遷

今では、クリオロ種は世界のカカオ生産のわずか2%を占めるにすぎない
  ――第8章 大衆のためのチョコレート

 コーヒーでアラビカがこんな体たらくだったら、世のコーヒー党は暴動を起こしかねない。熱心なコーヒー好きは豆を買って自ら豆を挽くが、チョコレートは加工の手順が多く消費者はまず豆に触れない。豆への拘りの違いは、豆との関係の近さが理由なんだろうか。

 しかも、けっこうな割合でクリオロとフォラステロは自然に交雑するらしい。ちなみにカカオの受粉は虫媒つまり虫まかせです。

(おそらくオリノコ川中流沿いに自生していたフォラステロ種が)トリニダードに持ち込まれると、これらの木と、わずかに残っていたクリオロ種との間で交雑が始まり、新たな変種トリニタリオが誕生した。
トリニタリオは、クリオロのように味が良く、しかもフォラステロのようにたくましい生命力を持ち、たくさんの実をつけた。この新種とフォラステロ種が、世界各地でのカカオ栽培を可能にし、時にはクリオロ種に取って代わりさえした。
  ――第6章 カカオ産地の変遷

 この虫任せってのが、カカオの栽培の難しい所で。つかそれ以前にカカオは気難しい。

北緯20度と南緯20度の間でしか実を結ばない。(略)最低気温が摂氏16℃以下になる土地には適さない。(略)一年中水分を必要とするので、乾季がはっきりした気候では感慨が不可欠だ。
  ――第1章 神々の食物の木

 なんと脆弱な。お姫様かよ。さて虫媒、当然ながら虫が必要で、虫が暮らせる環境が要る。そのため、カカオ畑は雑草を綺麗に刈り込んではマズいし、そもそも直射日光に当てず大きな木の下で育てにゃならん。

 …などと長々と講釈してきたが、それだけ現代のチョコレートは本来のチョコレート飲料とは別物になっている、と言いたかったのだ。

 で、本書は、本文の最終頁377頁のうち、145頁をスペイン人襲来前に充て、329頁までは欧州での浸透と拡散を描いている。つまり、本書が扱う「チョコレート」の大半は、私たちが知っているチョコレートとは別物なのだ。

 そこに登場するチョコレートは神の飲み物だったり宴会の最後の締めに振る舞われたりカカオ豆が小銭の代用だったり、欧州ではイエズス会のシノギになったりコーヒーハウスで飲まれたり薬だったりと、なかなかに数奇な運命を辿ってゆく。あのサド侯爵まで出張ってきたのには驚いた。

 人類学者が書いた、真面目な歴史書だ。それだけに根拠には強くこだわり、恐らくは始祖であるオルメカ人については物証がないためアッサリした記述で済ませている。だが、全般に漂うカカオの複雑で豊かな香りは否応なしに読者を覚醒させる。チョコレートの本を読むのはこれが三冊目だが、内容の本格さでは本書は別格だ。我こそはチョコレート・マニアだと言い張るなら、ぜひ読んでほしい。

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2024年9月 8日 (日)

ライアン・ノース「科学でかなえる世界征服」早川書房 吉田三知代訳

これは、科学の限界と、科学の未解決問題についての本だ。(略)
別の言い方をすると、本書は本物のスーパーヴィランになり世界を征服することを指南するノンフィクションである。
  ――おことわり

不可能に違いないと思えるのに、どういうわけか不可能ではない領域こそ、スーパーヴィランの活躍の場なのだ。
  ――第1章 スーパーヴィランには秘密基地が必要だ

どんな犯罪にも3つの段階がある。計画、実行、そして逃走だ。
  ――第4章 完全犯罪のために気候をコントロールする

地磁気は、方位磁石が使えるようにしてくれているだけでなく、太陽風の大半が地球に届かないように遮ってくれる。地球上に生物が存在できるのも、地磁気がこうして守ってくれているからだ。
  ――第5章 地球の中心まで穴を掘って、地球のコアを人質にする方法

地球に存在した事のある種の中で、化石記録に一つでも載っているのは、1万種に1種でしかない
  ――第9章 あなたが決して忘れられないようにするために

この世界は大きく複雑で困難で不公平かもしれないが、それは知ることができる。
  ――結び:今やあなたはスーパーヴィラン、宇宙にあるすべての世界の救世主

【どんな本?】

 ヴィラン、悪役。漫画やコミックの世界では、悪役こそが物語を牽引する。悪役が卓越した技術と能力で世界を危機に陥れるから、ヒーローに活躍の場が与えられる。悪役は自らの主義と美学に従い、充分な時間と資金を用意し、周到に計画を練り、必要な技術を開発して計画を実施する。それでも、大抵の場合は幸運に恵まれただけのヒーローに計画を覆されてしまう。

 それでも、本物の悪役はくじけない。潤沢な資金と先端の科学技術そして強い意志と充分な時間を掛けたなら、果たして悪役はどこまでできるのか。

 まずは秘密基地を構築し、自らの国を興し、世界を混乱に叩き込み、己の名を永遠に残すには、どうすればいいのか。

 コミックの原作者でもある著者が、「ゼロからつくる科学文明」に続いて送る、科学をオモチャにして「もしも」を妄想する、ユーモラスな科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How to Take Over the world : Practical Schemes and Scientific Solutions for the Aspiring Supervillain, by Ryan North, 2022。日本語版は2023年7月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約417頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント33字×29行×417頁=約399,069字、400字詰め原稿用紙で約998枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はくだけていて親しみやすい。ただ、クセが強いので、好みは別れるかも。一応カテゴリは科学/技術としたが、実は歴史上のトリビアも豊かに載っている。そういう点では、アイザック・アシモフの科学解説書の伝統を受け継ぎつつ、独自の芸風を発展させた本でもある。

【構成は?】

 一応タテマエとして、最初の「おことわり」は読んでください。以降は美味しそうな所を拾い読みしてもいい。

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  • おことわり
  • はじめに:こんにちは、そして、世界征服について私が書いた本をお読みくださり、ありがとうございます
  • 第1部:スーパーヴィランの超基本
  • 第1章 スーパーヴィランには秘密基地が必要だ
  • 第2章 自分自身の国を始めるには
  • 第2部:世界征服について語るときに我々の語ること
  • 第3章 恐竜のクローン作製と、それに反対するすべての人々への恐ろしいニュース
  • 第4章 完全犯罪のために気候をコントロールする
  • 第5章 地球の中心まで穴を掘って、地球のコアを人質にする方法
  • 第6章 タイムトラベル
  • 第7章 私たち全員を救うためにインターネットを破壊する
  • 第3部:犯罪が罰せられなければ、犯人はそれを犯したことを決して悔いない
  • 第8章 不死身となり、文字通り永遠に生きるには
  • 第9章 あなたが決して忘れられないようにするために
  • 結び:今やあなたはスーパーヴィラン、宇宙にあるすべての世界の救世主
  • 謝辞/参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 そう、この本の面白さは、科学・雑学エッセイ本の面白さなのだ。

 独特の味付けはある。文体は今風にくだけているし、そもそも企画からしてアメリカン・コミックの悪役が主役だ。が、それも本書なりの狙いによるものだ。

 何せ世界を征服しようと目論む悪の超人である。充分な資金があり、長期にわたる計画を強い意志で押し通し、そして倫理に縛られない。大抵の科学者・工学者が「出来るわけねえだろ」をオブラートに包んで言いかえる「理論的には出来ます」を、本当にやっちゃえる奴らなのだ。制限としては「科学的に可能か否か」だけ。妄想のネタとしては実に便利である。

 そんな悪役が挑む課題は、秘密基地建設・独立国家建国・恐竜の復活・気候制御・不老不死などと、かつては男の子だった者たちの心が躍りまくるもの。しかも、それぞれに初期投資・期待収益・完了までの予測期間を示した事業計画概要つき。おお、本格的じゃないか。

 その秘密基地なんだが、邪魔してくるのが既存の国家なのがいじましく切ない。本書は完全な自給自足を求めているのも、計画の達成を難しくしている。とまれ、考えてみたら、近くの町に買い出しに行く悪役ってのもシマらないかw

 ここで披露する、長時間の閉鎖環境バイオスフィア2(→Wikipedia)の顛末や最長連続飛行記録そしてブルジュ・ハリファのラマダンの断食明けの時刻の話など、細かいトリビアも楽しい。

 第3章では、恐竜を蘇らせる計画に挑む。だってカッコいいし。ただ、その手段はさすがに意表をついてきた。ついでに収益化の手段も。なんだよKFDってw

 などの、いわば物理的な創造/破壊を目指す計画に対し、第7章はいささか毛色が違う。何せインターネットの破壊だ。歴史は浅く、最近になって人類が生み出した技術のクセに、やたらしぶとい。この章では、ケン・トンプソンの登場が嬉しかった。

 そして、第3部では永遠に挑むのである。まずは己の生命を、次に己の記録を。

 不老不死に挑む第8章では、不老不死を求めた歴史上の人物たちのエピソードが、なかなかクる。なんといっても、結局はみんな失敗してるワケだし。にも関わらず、皆さん自信満々な言葉を残すのは、なぜなんだろうね。

 最後の第9章では、記録永遠に残す事業への挑戦だ。ここでも、今まで人類が試みた手段が紹介されるんだが、やはりコンピュータ関係はネタが豊富だなあw 電子化ってのは、意外と長くモタないんです。その次に突き当たる、別の「ソフトウェア」の寿命も、「その問題があったか!」と意表を突く問題。確かに数百年前の事を考えれば、そうなるよなあ。

 しかもこれ、既に対策せにゃならん問題があり、今もなお増えつつあるのが怖い。本書が紹介するのは合衆国の話だけど、日本もヒトゴトっじゃないのだ。どうするんだろうね、マジで。

 その記録を残す媒体も問題だが、場所も難しい。ここでは、墓場軌道(→Wikipedia)が面白かった。これを扱ったSF小説って、あるんだろうか? ちょっと読んでみたい。

 などと気軽に読みつつ、最後の最後で、「もしかしてアメリカン・コミックの悪役より日本の変身ヒーローの悪の組織のがイケてね?」と感じさせるのも趣深い。いやきっと著者は気が付いてないけど。

 コミックの悪役に夢を託し、技術的にも経済的にもそして倫理的にも困難な計画に挑み、そこに立ちふさがる科学的・社会的な壁とその越え方を妄想するだけでなく、かつて実際に試みた人々のトリビアを取り混ぜて語る、科学と歴史と雑学の楽しいエッセイ本。この著者の味付けだと、特に雑学が好きな人にお薦めだ。

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2024年9月 3日 (火)

ニック・エンフィールド「会話の科学 あなたはなぜ『え?』と言ってしまうのか」文芸春秋 夏目大訳

私は本書で、これまでの主流となってきた言語研究で何が見過ごされ、除外されてきたかを話したい。そして、会話というものの内部構造を詳しく解説し、それこそが言語研究の主たる対象であるべき理由をわかってもらいたい。
  ――第1章 はじめに そもそも言語とはどういうものか

人間の会話の場合は、お互いに相手の行動を最大限、「関連性のあるもの」として扱って解釈するよう努力する。
  ――第6章 質問と答えの関連性

人間は「会話機械」を持つ(略)。この機械は、言語の基本的な特性、人間の社会的認知能力、そして相互交流の文脈などに依存して機能する。
  ――第9章 結論 会話の科学が起こす革命

【どんな本?】

 フェルディナン・ド・ソシュール(→Wikipedia)もノーム・チョムスキー(→Wikipedia)も、従来の言語学は「書き言葉」を中心に研究してきた。

 研究対象の文章は文法的に正しく、完結している。そして会話によく現れる「あー」「え?」「うんうん」などの無駄に思える言葉はない。また、声の高低や強弱・間の長短などの情報も含まない。

 だが、言語はもともと話し言葉から始まった。言語の歴史から見れば、書き言葉は遥か後になって現れた新参者だ。では、話し言葉=会話を研究・分析をすると、何が分かるだろう?

 英語・日本語・中国語など、世界には様々な言語がある。だが、会話の研究では、多くの言語に共通したルール/お約束が見えてくる。もちろん、言語による違いもある。

 従来の言語学とは全く異なった、会話を対象とした研究で見えてきた言語/会話の性質、そしてそこに現れる、人類の意外な能力と性向を描き出す、一風変わった言語学の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How We Talk : The Inner Workings of Conversation, by Nick J. Enfield, 2017。日本語版は2023年3月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約224頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント42字×19行×224頁=約178,752字、400字詰め原稿用紙で約447枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も分かりやすい。先にソシュールやチョムスキーの名を出したが、言語学を知らなくても問題ない。できれば「今のところ、著者は言語学の王道ではなく特異な分野を担っている」ぐらいに思ってほしい。日本語以外の言語も、あまり知らなくていい。英語のグラマーが苦手でも問題ない。映画やドラマで会話の場面を見たことがあればいい。

 要は「おしゃべり」の研究なのだ。必要なのは、友達や家族と、どうでもいいおしゃべりをした経験である。

【構成は?】

 第1章は本書の全体を案内する部分なので、最初に読もう。以降は美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

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  • 第1章 はじめに そもそも言語とはどういうものか
  • 第2章 会話にはルールがある
  • 第3章 話者交代のタイミング
  • 第4章 その1秒間が重要
  • 第5章 信号を発する言葉
  • 第6章 質問と答えの関連性
  • 第7章 会話の流れを修復する
  • 第8章 修復キーワードは万国共通
  • 第9章 結論 会話の科学が起こす革命
  • 謝辞/注釈/参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 真面目な解説書である。そのくせ、やたらと「ツカミ」が巧い。

 なにせ「第1章 はじめに そもそも言語とはどういうものか」で、多くの言語(によるおしゃべり)に共通するこんな性質を、冒頭で惜しげもなくバラしてしまう。

  1. 質問されて答えるまでの時間は、平均で約200ミリ秒。
  2. どの言語でも、「はい」と返すより「いいえ」と答えるほうが時間がかかる。
  3. 約1秒で返答があれば普通と判断し、それより速ければ「早い」、遅ければ「遅い」または「返事がない」と判断する。
  4. 会話中、84秒に1度、「え?」「誰が?」など、必ず誰かが確認する。
  5. 約60語に1語は「えーと」「あー」など、無意味っぽい言葉が出る。

 この辺で「ほう?」と思った人は、本書を楽しめるだろう。

 なんとなく原因や理由の見当がつく性質もある。例えば 2. だ。この理由は、人間の意外?な性質を反映している。おしゃべりとは、参加者がルールを守って協力し合う作業であり、人間はおしゃべりを成立させるため律義にルールを守って協力し合う、そんな性質である。繰り返す。おしゃべりとは、共同作業なのだ。

 では、おしゃべりに必要な性質・能力とは、どんなものか。本書では、様々な言語を研究・分析するだけでなく、ボノボやチンパンジーなど他の動物も調べてゆく。そこから現れる人類の能力・性質は、実に心温まる姿をしている。

社会文化的な認知能力――他者の心を読む能力、関連性を推測する能力、社会関係に道徳的な義務を感じる能力――が人間の会話機械の核にあると思われる。
  ――第6章 質問と答えの関連性

 これらの機能を担っているのが、従来の言語学で無視されてきた「はい」「え?」「あー」などの、無意味に思える言葉…どころか、うなり声に近いシロモノだったりする。

 中でも最も印象に残ったのは、「ええ」「はいはい」「うんうん」に当たる言葉、つまりは「相槌」「うなずき」だ。従来の言語学では、ほぼ意味のない単語だろう。

 だが、会話では重要な役割を担う。「私はあなたの話を聞き取れた、そして理解した」「私は話し始める気はない」「話を続けろ」などのメッセージを相手に伝えているのだ。短い声にもかかわらず、なんと豊かな意味を含んでいることか。

 この章で紹介する、相槌を省いた実験の結果は、衝撃的なまでに切ない。相槌が得られないと、語り手はボロボロになってしまうのだ。

 とまれ、情報理論によると、頻繁に使う符号を短くすれば伝送効率が良くなるので、短い声なのは理に適っているのか…などと考えてしまうのは計算屋の悪い癖か。

 更に計算機屋の悪い癖を続けると、本書の研究対象はデジタル通信で言うOSI参照モデル(またはOSIの7層モデル、→Wikipedia)のセッション層あたりだろう。対してチョムスキーなどは、HTML や Python などの言語の文法を対象としている。つまり、両者は対立しているのではなく、異なる領域を調べているのだ。

 そこで先の相槌だ。これはデジタル通信だと ack(肯定応答、→Wikipedia)に当たる。だとすれば、会話で極めて重要な役割を担っているのも頷ける。

 対する nck(否定応答、→Wikipedia)に当たる言葉(というか声)の話題もあり、これまた会話の参加者が「できるだけ効率的に会話を進めよう」と努めている姿が見えてきて、「人間って、おしゃべりするために、ここまで真面目に頑張るんだ」と驚いてしまったり。

 これらを知ると、人間がおしゃべり好きなのも、当たり前だなあと思えてくる。おしゃべりとは、共同作業であり、お互いに協力し合って成り立つコトなのだ。つまり、おしゃべりする間柄とは、協力し合える間柄でもあるのだから。

 従来の言語学から見れば、いささか変わった分野・アプローチではある。が、真面目な学問・研究でもある。にも関わらず、本書の内容は分かりやすく親しみやすい。なにより、私たちが日頃から体験し行っていることでもあり、身近で興味深い。なんたって、本書が扱っているのは、私自身そしてあなた自身の事なんだから。

 言語学の難しい理屈は知らなくてもいい。先にバラした会話の5個の性質に興味を惹かれたら、きっと楽しんで読めるだろう。

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