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2024年8月19日 (月)

イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説

(1945年の)ドイツ崩壊の理由は明白であり、よく知られている。しかし、なぜ、また、どのようにして、ヒトラーの帝国が最後の土壇場まで機能し続けたのかは、それほど明白ではない。本書はこのことを解明しようとするものである。
  ――序章 アンスバッハ ある若者の死

戦争最後の10カ月の戦線死者数が開戦以後1944年7月までの五年間のそれにほぼ等しいのだ。
  ――第9章 無条件降伏

【どんな本?】

 1945年4月30日、追い詰められたアドルフ・ヒトラーは自殺する。翌日、海軍総司令官カール・デーニッツが政権を引き継ぎ、連合軍との交渉に当たり、(書類上は)5月8日に無条件降伏を受諾、ドイツの戦争は終わった。これによりナチ・ドイツは完全に消滅する。

 戦争の終わり方は色々あるが、一つの国が完全に消えるまで戦い続けることは稀だ。たいていはどこかで条件交渉に移り、停戦へと至る。

 なぜナチ・ドイツは最後まで戦いつづけたのか。続けられたのか。

 ヒムラーなど政権上層部やヨードルなど軍の上層部はもちろん、東西両戦線の全戦で戦った将兵、空襲に怯える市民、地域のボスとして振る舞う管区長など、様々な立場・視点から戦争末期のドイツの様子をモザイク状に描き出し、政権が国を道連れにして滅びゆく模様を浮かび上がらせる、重量級の歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE END : Hitler's Germany 1944-45, by Ian Kershaw, 2011。日本語版は2021年12月5日第一刷発行。私が読んだのは2022年1月20日発行の第二刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約501頁に加え小原淳の解説7頁+訳者あとがき8頁。9ポイント45字×20行×501頁=約450,900字、400字詰め原稿用紙で約1,128枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの大容量。

 文章はやや硬い。内容は特に難しくないが、第二次世界大戦の欧州戦線の推移、特に1944年10月以降について知っていると迫力が増す。ドイツの地理に詳しいと更によし。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進む。特に忙しい人は、「終章 自己破壊の解剖学」だけ読めば主題はわかる。

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  • 主な登場人物/地図/謝辞/初めに
  • 序章 アンスバッハ ある若者の死
  • 第1章 体制への衝撃
  • 第2章 西部での崩壊
  • 第3章 恐怖の予兆
  • 第4章 束の間の希望
  • 第5章 東部の災厄
  • 第6章 戻ってきたテロル
  • 第7章 進みゆく崩壊
  • 第8章 内部崩壊
  • 第9章 無条件降伏
  • 終章 自己破壊の解剖学
  • 解説:小原淳/訳者あとがき/写真一覧/参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 多くの日本人は、特にこの季節だと、戦争というと太平洋戦争を思い浮かべる。

 太平洋戦争で、大日本帝国は消滅した。ナチ・ドイツ同様、大日本帝国も完全に滅びたのだ。領土を失い、政権が変わっただけじゃない、大日本帝国憲法を基盤とした、国家の体制そのものが潰れた。私はそう思っている。

 世界史的に、そこまで悪あがきを続けるケースは珍しい。例えば中東戦争だ。イスラエルと周辺のアラブ諸国は、武力衝突と停戦を何度も繰り返している。大日本帝国だって、日清戦争と日露戦争は、利権や賠償金や一部の領土の割譲でケリをつけた。

 そういう意味で、本書のテーマ、「なぜナチ・ドイツは国家を道連れにしてまで戦いつづけたのか」は、「終戦史」が描く大日本帝国の終焉と通じる所がある。が、その経緯はだいぶ違う。少なくとも、この二冊を読む限り。

 ナチ・ドイツは、トップがハッキリ決まってる。言わずと知れたヒトラーだ。そのトップは、確固たる信念を固めていた。

「われわれは降伏しないぞ」(略)「絶対にするものか。われわれは滅びるかもしれぬ。だが、世界を道連れにして滅びるのだ」
  ――第4章 束の間の希望

 連合国にとっても、ドイツ国民にとっても、迷惑な話ではある。が、滅びるときは国を道連れにする、そういう決意を国のリーダーは固めていた。となれば、残る疑問は、なぜ他の者は逆らわなかったのか、となる。

 戦況が不利になると、特に東部戦線でヒトラーは軍に無茶な命令を連発する。「一歩も退くな」とかね。で、「いや無理です」とか言い返せば更迭だ。それを歴戦の国防軍の将軍たちはどう見ていたのか。

ゴットハルト・ハインリキ(→Wikipedia)<自分のヴィスワ軍集団に課せられた任務は、ほんのわずかであれ成功する見込みは、まったくありません>
  ――第8章 内部崩壊

 判っていたのだ、駄目じゃん、と。にもかかわらず、将軍たちはヒトラーに従い続けた。この理由の追求が、本書の狙いの一つだ。

 この辺、将軍たちの評価は厳しい。例えばカール・デーニッツ。今まで実直な海軍提督だと思ってたけど、著者は「いやあんた盛んにヒトラー持ち上げてたじゃん」とバッサリ。

 戦後の国防軍神話、つまり国防軍は国を守るために戦ったのであって侵略を企てたのではないって説も、「将軍の皆さんはヒトラーとその思想に心酔してたよね、戦後の回顧録じゃ誤魔化してるけど」と容赦ない。

 本書が追及しているのは、軍だけではない。政府の高官も、だ。具体的にはハインリヒ・ヒムラー/マルティン・ボアマン/アルベルト・シュペーア/ヨーゼフ・ゲッペルスの四人である。もっとも、こっちの解答は、実にみもふたもないんだけど。

 この面子では、軍需大臣アルベルト・シュペーアの野心的かつ優秀ながら、やや冷めた感覚が異色だった。実業界との関係が深い分、良くも悪くも計算高いのだ。

 そんな、ヒトラーのそばにいた将軍や大臣たちだけでなく、ケルンなど地域の様子も、本書は豊かなエピソードを収録している。幾つかの地域、特に西部では、戦わず連合軍に投降した都市もあれば、最後まで足掻いた都市もある。これは当時の管区制度の影響が大きく、ヒトラーとの連絡が取れなくなっても、最後まで総統に忠誠を尽くした地域も多い。

 かと思えば、自分だけ逃げだした大管区長もいたり。いずれにせよ、ナチの統治体制はかなりしぶとかったのが伝わってくる。本書が暴くその理由は、少なくともドイツ人に心地よいものではない。だけでなく、一般のドイツ国民に対しても、「負けたとたんに被疑者ムーブ」と著者の筆は容赦ない。

 他にも、バルジの戦いとも呼ばれるルントシュテット攻勢(→Wikipedia)、名前からしてまるきしゲルト・フォン・ルントシュテット元帥がノリノリだったような印象だが、本音は「いや無茶だろ」と思ってたとか、なかなか切ない挿話も。

 国を道連れに滅びた独裁者は、他にイラクのサダム・フセインとルーマニアのニコラエ・チャウシェスクが思い浮かぶ。いずれの国も人物もドイツのヒトラーとは異なる経緯を辿った。何が違ったのか、それを考えてみるのも面白い。

 京極夏彦並みの分厚く迫力あるハードカバーだし、中身も見た目に劣らない充実ぶりだ。腰を据えてじっくり挑もう。カテゴリは一応二つ、軍事/外交と歴史/地理としたが、歴史と政治の割合が高いと思う。特に独裁を許すことの恐ろしさは、嫌というほど味わえる。

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