サイモン・マッカシー=ジョーンズ「悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」インターシフト プレシ南日子訳
正義を守るのは気分がいい
――第2章 支配に抗する悪意人々は明らかに報復のために行動している場合でも、それに気づいていない。
――第4章 悪意と罰が進化したわけ不公平な行動をした他者を罰するのは高いコストがかかるため、人間は自分たちの代わりに罰を与えてくれる神を生み出したのだ
――第7章 神聖な価値と悪意神聖な価値は何よりも優先されるものであり、交渉の余地はない。
――第7章 神聖な価値と悪意
【どんな本?】
人間はときおり理屈に合わないことをする。その一つが「意地悪」だ。自分が損をしてでも、他の者に害を及ぼそうとする。、本書はそんな行いを悪意と呼ぶ。
では、どんな者が悪意を抱き、行動に移すのか。どんな動機・目的があり、どんな効果があるのか。生存競争で悪意は何か機能を果たしているのか。そして現代社会に悪意はどんな影響を与えているのか。
経済学者は、功利主義者が多い。そのためか、彼らは悪意を見過ごし、または愚かさとして軽んじてきた。だが、時として悪意は社会に大きな影響を与えてしまう。
臨床心理学と神経心理学の準教授が、悪意に基づく行動にスポットをあて、脳の機構から様々な実験そして社会現象など多様な挿話を取り上げ、生理学・生物学・心理学・経済学・社会学など多くの分野にまたがる視点で調べ分析し、その原因や社会に与える影響を語る、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Spite : and the Upside of Your Dark Side, by Simon McCarthy-Jones, 2020。日本語版は2023年1月30日第1刷発行。私が読んだのは2023年4月15日発行の第2刷。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約225頁に加え、本書出版プロデューサー真柴隆弘の解説4頁。9.5ポイント44字×17行×225頁=約168,300字、400字詰め原稿用紙で約421枚。文庫なら普通の厚さ。
文章は比較的にこなれていいる。内容も特に難しくない。人と人との関係がテーマの本なので、誰にとっても身近な話でもあり、興味が持てる本だろう。
【構成は?】
はじめに~第3章までは基礎を固める部分なので、頭から読んだ方がいい。以降はつまみ食いしてもいいだろう。
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- はじめに 人間は4つの顔をもつ
なぜ悪意は進化で失われなかったか?/悪の中にある全の起源 - 第1章 たとえ損しても意地悪をしたくなる
人間観をくつがえす研究/悪意に満ちた入札/最後通牒ゲームによる発見/配偶者や恋人への悪意/ビジネスでの悪意/選挙における鮎喰/終末論的な人/Dファクター - 第2章 支配に抗する悪意
平等主義はなぜ生まれたか?/ホモ・レシプロカンス/文化が違えば公平さの基準も違う/正義中毒/怒りと脳/共感は人間が本来持っている?/コストのかかる第三者罰/安上がりな悪意/善人ぶる人への蔑視/悪意のソーシャルネットワーク
- 第3章 他者を支配するための悪意
ホモ・リヴァリス/限られた場所での競争/セロトニンが減ると悪意が高まる/勝負に役立つ - 第4章 悪意と罰が進化したわけ
悪意をもたらす遺伝子/公平さと罰の起源/オオカミがヒツジのふりをする - 第5章 理性に逆らっても自由でありたい
ブレイブハート効果/ドストエフスキーと実存主義的悪意/不可能を可能にする - 第6章 悪意は政治を動かす
勝たせたくないから投票する/カオスを求める人々/悪意を刺激する/「悪党ヒラりー」/挑発的なメッセージと菜食主義/専門家にはうんざり/エリートが過剰になるとき
- 第7章 神聖な価値と悪意
神と罰/自爆テロ犯はなぜ生まれるか?/神聖な価値への冒とく/社会的疎外/宗教が新しいストーリーを提供する/アイデンティティ融合/人々の協力を促し、地球を救う方法 - おわりに 悪意をコントロールする
インターネット上の悪意にどう対抗するか?/気難しい性格と創造力/民主主義を弱らせないために/慈悲の怒り - 謝辞/原注/解説
【感想は?】
日本語で「悪意」と書くと、悪いことのように感じる。だって「悪」って文字が入ってるし。
とはいえ、悪意は必ずしも害ばかりをもたらすわけではない。確かに短期的には害をもたらす。悪意を持つ者・悪意を向けられる者の双方に。だが、長期的には利益をもたらす場合もある。もちろん、害ばかりの場合もあるんだが。
悪意は誰にどんな利益があるのか。脳のどこが悪意を産むのか。文化や環境や心身の状態による違いはあるのか。ヒト以外の生物は悪意を持つのか。そして悪意は社会をどう変えるのか。そういった事柄を、本書は追及していく。
その基盤を成すのは、著者が「最終通牒ゲーム」と呼ぶ心理学の実験だ。
被験者は二人。被験者Aは10ドルを受け取り、被験者Bと分け合う。取り分の割合はAが決める。Bが納得すれば、Aの決めた金額で取引が成立し、双方が金を受け取る。だがBが取引を拒んだら、A・B双方が一銭も受け取れない。
Bの立場で考えよう。自分の利益だけで動くなら、取り分がどれだけ少なくても納得した方が得だ。だが、取り引きを拒む人もいる。自分の取り分を失ってでも、Aの取り分を潰したいのだ。
その理由は幾つかあるが、基本的には「ナメんじゃねえ」である。取り分が半々なら、なんの問題もない。だが、自分の取り分が極端に少ない場合は、全てをチャラにしたくなるのだ。
あなたが誰かに腹を立てれば、彼らはあなたにもっと気を使わなければならなくなる
――第2章 支配に抗する悪意悪意は他者を利用するためにも他者から利用されないようにするのにも役立つ。
――おわりに 悪意をコントロールする
と、周囲の者を牽制することもできる。本書が扱うのは個人の行動だが、組織や国家も悪意で動く事はある。大国が核ミサイルを突きつけ合うのが、その典型だ。「俺に撃ったらお前も滅びるぞ」って理屈ね。そう考えると、世界を理解するのに悪意は欠かせない概念でもある。
ちと先走った。本書は、先の実験の様々なバリエーションも見てゆく。金額を10倍にしたり、酔っぱらいを被験者にしたり、ケニアやモンゴルなど世界各地の人で試したり。
その結果、被験者の状況や生まれ育った文化・社会によって、悪意の現れ方が大きく違うのも見えてきた。金持ち喧嘩せずは、そこそこ当たってたりする。
などの、「どんな者が悪意を抱くのか」も興味深いが、それ以上に危機感すら覚えるのが、「誰が悪意を持たれやすいか」だ。これを扱っているのは「第6章 悪意は政治を動かす」で、2016年の合衆国大統領選のドナルド・トランプvsヒラリー・クリントンを掘り下げてゆく。
この選挙は激戦で、両候補の差はわずかだった。それだけに、「悪意が切り札となった」説には説得力がある。が、落ち着いて考えると、ほんのわずかであっても、両候補に差をもたらす原因は何だって切り札となってしまう。つまり悪意じゃなくても、例えばトランプ陣営はSNSの使い方が巧かったとしてもいい。が、この記事でそれを言うのは野暮だろう。
ここで調べているのは、いわゆるアンチ票である。嫌いな候補者の対立候補に投票した人、だ。両候補ともにアンチはいるが、ヒラリーの方が嫌われやすい。いわゆる「いけすかない」のだ。
その要因の多くは、日本のリベラルや左派の政治家や支持者にも多く見られる。その理由を知ると、アンチに対し思わず「愚かな真似を」と言いたくなるが、まさしくその言葉こそがアンチを増やしているのだ。誰だって、見下されたり愚か者扱いされたらムカつくし。
ではなぜリベラルが嫌われるか。その理由の一つは、リベラルは理性で考え決断を下すからだ。なんか理屈に合わないようだが…
理性はリソースを必要とする。
――第5章 理性に逆らっても自由でありたい
理性的に考え判断するには、相応の知識と思考能力が必要だ。だが、日々の暮らしに追いやられている者には、知識を蓄える余裕も、深く考える時間もない。貧しくて進学できなかった者は、高学歴の賢そうな奴のご高説なんざ聴きたくないのだ。貧しい者の味方であるはずのリベラルが、その貧しい者から嫌われる原因が、ここにある。
また、正論で追い詰めるのもよくない。
人間は正しくあるよりも自由でありたいと願うものだ。
――第5章 理性に逆らっても自由でありたい
これまた「お前は正しいかもしれんが、いけすかない」って気持ちだろう。
いずれにせよ、これらは理屈や利害ではない。感情の問題である。政治が感情で動くなんて…と嘆きたくもなるが、有権者の感情を逆なでしたら選挙で負ける。勝ちたければ、人の感情についてキチンと学び、落ち着いて考え相手の感情に配慮して行動すべきだろう。
経済学の基本、「人間は合理的に考え自分の利益を最大化すべく行動する」という前提に異議を唱え、実験やアンケートで仮定を実証し、今まで見過ごされてきた人間のもう一つの行動原理を明らかにした本。
というと凄い大発見のようだが、私たちの身の回りにも悪意は満ちあふれている。いささか居心地の悪い「あるある」集として読んでもいい。政治的には右派より左派向けで、それも「もちっと選挙を巧く戦いたい」と考える人には得る物が多い。もちろん、政治に興味は薄いが人間には深い興味がある人にもお薦め。
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