トーマス・レイネルセン・ベルグ「地図の世界史 人類はいかにして世界を描いてきたか?」青土社 中村冬美訳
地図は必ず何かの必要性に基づいている。
――プロローグ 世界は舞台「地図や計画性なくして社会を構築することはできない。地図には全てが正確な形や寸法で再現されているため、健全かつ合理的な社会発展の設計図だ」
――空からの眺め検索エンジンであるグーグルが地図に興味を持つのは、理にかなっていた。検索の約30%は、どこに何があるかといった内容だったからだ。
――デジタルな世界
【どんな本?】
地図は便利だ。買い物に、旅行の予定を組むのに、ニュースの現場を調べるのに、私はしょっちゅう Google Map に頼っている。昭和の時代には考えられなかった事だ。いや、昭和の頃だって、地図もなしに初めての土地を旅するなんて考えられなかった。私たちの暮らしは、地図に頼り切っている。
当たり前だが、人類は最初から地図という概念を持っていたワケではない。長い歴史の中で、少しづつ地図は浸透し、発展し、正確さを増してきたのだ。
ノルウェーのノンフクション作家が、有史以前の洞窟壁画から古代ギリシャのプトレマイオス,中世欧州のマッパ・ムンディと商人たちが使った海図,地質学に革命をもたらした世界の海底のパノラマ地図,そして現代のデジタル地図まで、地図とそれを作った者たちのエピソードを語り、豊かなカラーの図版と共に地図の歴史を描く、一般向けの少し変わった歴史ノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Verdensteater, by Thomas Reinertsen Berg, 2017。日本語版は2022年3月31日第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約320頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント34字×36行×320頁=約391,680字、400字詰め原稿用紙で約980枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。でも、歴史的な地図をカラーで大量に収録していて、それが本書の大きな魅力なので、たぶん文庫は出ないだろうなあ。
文章はやや硬い。まあ青土社だし。内容は特に難しくないが、主な舞台は西洋の地中海から北極海そしてカナダあたりで、中東や東アジアは出てこない。著者がノルウェー人のためか、スカンジナビア特にノルウェーの話が多いのはご愛敬。いやフィヨルドの名前を出されても分からんしw 特に「北方の空白地帯」あたりをじっくり読むには、Google Map なり北極海近辺の地図なりが必要。私はテキトーに流し読みしました、はい。
【構成は?】
原則として年代順に話が進む。各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- プロローグ 世界は舞台
- 最初の世界観
- 池の周りのかえるのように
- 聖なる地理学
- 最初の地図帳
- 外の世界へ
- 大規模な国土調査
- 北方の空白地帯
- 空からの眺め
- 青い惑星
- デジタルな世界
- 引用と参考文献、地図、挿絵リスト、人名索引
- 訳者あとがき
【感想は?】
本書の歴史観は、西欧の標準的な歴史観に近い。
なんたって、主な舞台はヨーロッパだ。中東はもちろん中国も出てこない。歴史の流れも黄金の古代ギリシャ文明→閉塞の中世→覚醒のルネッサンス、といった感じだ。
敢えて独特な点を挙げるなら、北欧や北極周辺の話が多いことだろう。なんたって著者はノルウェー人だし。また、海図や船乗など、海に関する話題が多いのも意外だった。
そんなワケで、最初のヒーローは古代ギリシャのプトレマイオス・クラウディオス(→Wikipedia)である。
プトレマイオスはほぼ1500年間、皆の導き手であり続けた。
――最初の地図帳
図書館で旅行記などの資料を読み漁り、地球が球であると考え、その大きさも計算した。だが、やがてその知識は中世の闇に沈む。
この地図(マッパ・ムンディ,mappa mun-di,→Wikipedia)は13世紀ヨーロッパのクリスチャンが持っていた世界観を示し、(略)目的は、世界の構造をできるだけ正確に描写することではなく、むしろどれほど地図に神の魂が宿っているかを示すことだった。
――聖なる地理学
「こうである」という事実より、「こうであるはずだ」という思い込みで世界が認識される社会。ここで披露される世界観は、今でも西欧人の心に生きている気がする。
彼らは世界を三分した。西のヨーロッパ・南のアフリカ・東のアジア。彼らにとっては、アラビアもインドも中国も、まとめて「アジア」なのだ。北米人の感覚も似たようなモンなんだろう。CNN や BBC の報道で出てくる「アジア人」に、日本人が違和感を抱くのも致し方あるまい。
もっとも、彼らも日本の報道に出てくる「ヨーロッパ」に違和感を抱くかもしれない。日本の感覚だと、バルカン半島もヨーロッパだし。
それはさておき、正確な地図も実は生きのびていた。海図だ。
…一方で、まったく別の種類の地図も中世ヨーロッパで発達した。地中海、黒海、ジブラルタルの南北の大西洋の沿岸を、驚くほどの精密さで示した海図だ。
――聖なる地理学
なぜか。ジェノバなどの商人や船乗りが、正確な海図を必要としたからだ。現実を直視させるカネの力は凄い。これ以降も、本書における地図製作は船乗りが大きな役割を果たす。特に、北極海周りの航路を見つけようとする船乗りたちの冒険は、強く印象に残る。これは、やはりノルウェー人ならではの視点だろう。
更に航空機の発明以降は、航空写真による更なる正確さを地図は獲得し、軍にも影響を与える。
ヴェルナー・フォン・フリッチュ(→Wikipedia)「最高の航空偵察を行う軍事組織が次の戦争に勝つ」
――空からの眺め
これまで足を使っての三角測量で作っていた地図を、航空機で写真を撮ればいいんだから、大きな進歩だ。まあ、実際は写真ならではの歪みなどがあるんで、それほど単純じゃないんだが。
そういった技術の進歩は海図にも及び、やがて大西洋中央海嶺(→Wikipedia)の発見から地質学の大転換プレートテクトニクスへと向かうあたりは、ちょっとした興奮を覚えた。
1925年から1927年の間に、ドイツの観測船メテオール号は、大西洋でソナーを使用して67,388か所の水深を測定した。手動で同じ回数分、錘で調査する場合、乗組員が毎日24時間作業したとしても7年かかることになる。
――青い惑星
こういった地図製作技術の進歩は、それまで貴重品で10年単位に更新されるモノだった地図を、数時間どころか数分単位で現実を反映し、瞬間で消費される渋滞マップなどのデジタル地図へと進歩させてゆく。
「地図作成に必要な情報のなかでも単純なものは、やがて自動的に地図上に掲載されるようになる。さらに同時期に作成される地図の量が増加し、その費用は軽減される」
――デジタルな世界
世界の姿を、私たちに見せてくれる地図。それは同時に、私たちの世界観も変えてゆき、また私たちの世界観も地図に反映されてゆく。などの大きな話もあるが、私には北極周辺に挑んだ船乗りたちの話が面白かった。
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