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2023年10月の3件の記事

2023年10月29日 (日)

ローレンス・C・スミス「川と人類の文明史」草思社 藤崎百合訳

川から人間が得られる基本的な利益には5種類ある。アクセス、自然資本、テリトリー、健康な暮らし、力を及ぼす手段である。
  ――プロローグ

国際移住機関(IOM)は、「Missing Migrations Project(死亡もしくは行方不明の移民に関するプロジェクト)」という移民の死者数などの世界的データベースを作る政府間組織だが、このIOMによると、移民の死因でもっとも多いのが溺死である。
  ――第2章 国境の川

黄河は、毎年10憶トン以上の堆積物を海まで運ぶ、まさしく自然の脅威である。これは世界最大のアマゾン川が運ぶ土砂の量にほぼ匹敵する。年間流量は、アマゾン川のたった1%にも満たないというのに。
  ――第4章 破壊と復興

新しい発見が促されるのは、多くの場合、モデルと現実の観測値との間に食い違いがあるときだ。
  ――第8章 川とビッグデータ

現在、世界に何百万とある淡水湖のうち、水位をモニターされているのは1%にも満たない。
  ――第8章 川とビッグデータ

【どんな本?】

 古代の四大文明は、みな大河のほとりにある。今でも、ロンドンはテムズ川,パリはセーヌ川,カイロはナイル川,ニューヨークはハドソン川など、名だたる大都市は川と共に語られる。河川の恵みは人類社会の発展に欠かせない。

 と同時に、ハリケーン・カトリーナが示すように川は巨大な災害の原因にもなった。また、エチオピアがナイル川に築いた巨大ダムは、下流のスーダンとエジプトに大論争を巻き起こした。これはメコン川も同じで、ベトナムやカンボジアは中国と慎重な協議を重ねている。巨大技術を手に入れた人類は、河川との関係を変えつつある。

 都市の発展の基盤であり、それだけに争いの原因ともなった河川。人類は河川とどのように付き合い、お互いにどんな影響を及ぼし合ってきたのか。両者の関係は、環境をどう変えてきたのか。そして今世紀に入って、両者の関係はどう変わりつつあるのか。

 地球・環境・惑星科学教授である著者が、河川にまつわる近現代史を辿り、またダムや水質そしてウォーターフロントの開発など現代のトピックを取り上げ、河川と人類の歴史を手繰り現在を俯瞰し未来の展望を語る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rivers of Power : How a Natural Force Raised Kingdoms, Destroyed Civilizations, and Shapes Our World, by Laurence C. Smith, 2020。日本語版は2023年2月27日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約405頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×405頁=約313,470字、400字詰め原稿用紙で約784枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、ご想像の通り私たちに馴染みのない河川の名前が続々と出てくる。メコン川ぐらいは分かるが、トゥオルミ川とか知らないって。地図帳に出てないし。もいうことで、読みこなそうと思うなら GoogleMap などが欠かせない。いや私は読み飛ばしたけど。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • プロローグ
  • 第1章 川と文明
    ナイル川の氾濫を予測/為政者たちの権力の源泉/「川の間の土地」に生まれた最古の都市/チグリス・ユーフラテスの方舟/サラスヴァティ―川の消滅/大禹の帰還/「水利社会」がもたらしたもの/知識、それはハビ神の乳房から始まった/「水の管理」を定めたハンムラビ法典/川の所有権をめぐる歴史/水車の力/新世界の発展と川の役割/ジョージ・ワシントンの着眼点/アメリカの運命を決めた土地取引
  • 第2章 国境の川
    移民の死因でもっとも多い「溺死」/青い境界線/川を国境にするメリット/国の大きさと形/「水戦争」の21世紀/マンデラはなぜ隣国を襲撃したのか/「ウォータータワー」がもたらす支配力/アメリカ司法長官ハーモンの過ち/越境河川を共同管理するためのルール/メコン川をめぐる緊張
  • 第3章 戦争の話
    イスラム国の支配流域/あの川を越えて/分断の大きな代償/「南軍のジブラルタル」攻防戦/中国の「屈辱の世紀」/金属の川/イギリス空軍のダム爆破計画/独ソ戦の趨勢を決めた川/闘牛士のマント/ベトナムでの「牛乳配達」/メコンデルタの戦略的価値
  • 第4章 破壊と復興
    ハリケーンの爪痕/大洪水の後に起こること/アメリカの政治地図を変えた洪水/抗日に利用された「中国の悲しみ」/黄河決壊から生まれた共産中国/アメリカ社会を変えた大洪水
  • 第5章 巨大プロジェクト
    「大エチオピア・ルネサンスダム(GERD)」計画の衝撃/大規模ダム建設の20世紀/橋が紡いできた歴史/人口の川/ロサンゼルスに水を引いたアイルランド人技師/水不足に苦しむ40億人/インドが挑む河川連結プロジェクト/大いなる取引
  • 第6章 豚骨スープ
    問題のある水/アメリカの環境保護、半世紀の曲折/中国の河長制/拡大するデッドゾーン/河川に流れ込むさまざまな医薬品/グリーンランドのリビエラ/ピーク・ウォーター
  • 第7章 新たな挑戦
    絶滅危惧種の回帰/ダム撤去のメリット/土砂への渇望/ダムの被害を軽減する方策/未来の水車/おおくなちゅうごくの小さな水力発電/繊細な味わいの雷魚の煮込み/最先端のサケ/侵入種対策としての養殖業/河川利用におけるイノベーションの萌芽/危険な大都市の新たな洪水対策/暗い砂漠のハイウェイと、その先にあるホテル・カリフォルニア
  • 第8章 川とビッグデータ
    河川データの爆発的増加/川の目的と存在理由/「たゆまぬ努力」と「炎と氷」の対決/地球の記録者たち/3Dメガネをかけよう/ビッグデータと世界の水系の出会い/モデルの力
  • 第9章 再発見される川
    地球上で最高の釣りの穴場/加速する人類の「自然離れ」/自然と脳の関係/都市部の河川に関するトレンド/激変するニューヨークの河川沿岸/川を起点とする世界的な都市再生/多数派となった都市居住者/川が人類にもたらしたもの
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献・インタビュー

【感想は?】

 書名には「文明史」とある。確かに歴史のエピソードも出てくるが、現代のトピックの方が印象に残る。

 とまれ、現代の世界はいきなりできたワケじゃない。歴史の積み重ねがあって、現代のような形になったのだ。それを象徴するのが、現在の都市と河川の関係だ。例えば…

今日のほとんどの大都市は、中心部を貫いて流れる川によって二分されている。
  ――第5章 巨大プロジェクト

 ロンドンにはテムズ川が、パリにはセーヌ川が、バグダッドにはティグリス川が流れている。歴史ある大都市は、たいてい河川のほとりで発展したのだ。自動車と自動車道が発達した現代ではピンとこないだろうが、かつては河川がヒトとモノの重要な幹線だったのだ。

ごく最近まで、人々が内陸部を移動し探索するための主な方法は、川を辿ることだった。
  ――第1章 川と文明

(南北戦争の)1861年当時、アメリカの幹線路は河川と鉄道であって、中でもミシシッピ川とその支流はスーパーハイウェイとして北米の内陸部を自国にも他国にもつないでいた。
  ――第3章 戦争の話

 この章ではアメリが合衆国の発展にミシシッピ川とその流域が果たした役割を描いているが、それはさておき。かような歴史を辿り、かつ現代の都市化傾向の結果として…

世界人口のほぼ2/3(63%)が、大河川から20km以内に住んでいる。また、世界の大都市(人口100万人以上1000万人未満)の約84%が大河川沿いにある。世界のメガシティ(人口1000万人以上)だと、その割合は93%にのぼる。
  ――第9章 再発見される川

 ある意味、歴史上かつてないほど、人類と河川の関係は深くなっている。これは為政者も解っているらしく、様々な形で政策あるいは戦略として表れてくる。物騒な話では、自称イスラム国だ。

ISISにとって、川という形のこれらの回廊を支配することは、明らかに当初からの重要な目的だった。地理的に見ると、地域でも特に人口が集中している地区と豊かな灌漑農地は、川の周辺に広がっている。
  ――第3章 戦争の話

 確かに、あの辺じゃ川の水は貴重だろうしなあ。

 など、既にある河川をそのまま使うだけでなく、人工的に水路を作り、または既存の水路の流れを変えることで、社会を発展させられるのは、歴史が証明している。

運河とは、輸送の価値観を大きく覆す技術的進歩であり、運河によってヨーロッパの工業化とアメリカの西部への拡大が推し勧められたのだ。
  ――第5章 巨大プロジェクト

 ここではインドの水路整備プロジェクトも稀有壮大で驚くが、中国がメコン川上流にダムを造る計画は少々キナ臭かったり。大河はたいてい複数の国を通るので、どうしても争いのタネになりがちなのだ。

 もっとも、そのダムも、最近は色々と様子が違う。中国が力を入れているのは巨大ダムばかりでなく、小さな発電所も沢山造っているらしい。

典型的な(マイクロ水力発電の)設備の場合、渓流からトンネルやパイプなどの導水路へと分水し、下方に設置した小さなタービンに水を流し込んで、家一軒から数軒で使うのに十分な量を発電する。
  ――第7章 新たな挑戦

 少し前に話題になった水質汚染の対策に、河を仕切る河長制の採用など、政府が強権を持つ共産制らしい思い切った政策だろう。ハマれば迅速で強いんだよね、一党独裁は。ハズれた時の悲劇も大きいけど。

 その悲劇の代表が、洪水。最近は日本でも温暖化の影響か、台風による洪水が増えてたり。

現在生存している人類の2/3近くが大きな川の近くに住んでいるので、洪水は慢性的な危機であり、気が滅入るほど頻繁に人命や資産が奪われている。
  ――第4章 破壊と復興

 ダムを造る目的は幾つかあるが、その一つは洪水を防ぐこと。ダムは川を流れる水の量を調整するだけでなく、川の性質も変えてゆく。

河川の水が動きのない貯水池に入ると、含まれていた土砂の大部分が沈殿して貯水池の底に溜まる。その結果、ダム下流に放出されるのは、土砂がきれいに取り除かれた水となる。川は自分の河道の堆積物を自分で食らう状態になり、河道は削られて、深く、広くなる。河道が浸食されて拡大すると、氾濫の時期でも水が堤防を越えないようになる。
  ――第7章 新たな挑戦

 と引用すると、ダムを賛美しているようだが、本書の文脈はいささか違う。確かに住宅地の氾濫は困るが、氾濫が必要な場所もあるのだ。その一つが湿原。多様な生物の生存環境である湿原が、ダムによって失われるのは嬉しくない。近年の環境への関心の高まりか、アメリカではこんな動きも出てきている。

2019年現在までに、アメリカだけでも1600基近くのダムが取り壊された。
  ――第7章 新たな挑戦

 古いダムはダム湖の底に土砂が溜まって、貯水池としての役割が果たせなくなった、みたいな経営上の事情もあるんだけど。その土砂がいきなり下流に流れたら大惨事になりそうなモンだが、そこは少しづつ流すとか別の水路に流すとか、幾つかの対策法があるらしい。日本は、どうなんだろうねえ。流れのきつい川が多いから、事情は違うのかも。

 いずれにせよ、ダムがなくなる事で下流の環境も変わり、川魚も戻ってくる。このあたりの描写は、川を生き物のように捉える著者の視点が温かい。

 そんな著者の、科学者としての本性は、終盤で露わになる。近年の人工衛星やロボット/ドローンを用いた観測で、世界中の淡水のデータが大量に集まりつつある状況を伝え、読者をグリーンランドなどへと連れてゆく。

 中でも私の印象に残ったのが、川の源流を探るうちに見えてきた、奇妙な一致だ。

場所や地形、気候、植生とは関係なく、水源から最初に現れる水流の幅が平均で32cm(±8cm)だったのだ。
  ――第8章 川とビッグデータ

 正直、本書の記述は途中の説明をスッ飛ばし過ぎでよく分からないんだが、これが地球温暖化の原因、つまり温暖化ガスの増加に深く関係しているらしい。

 全体を通し川というネタは一貫しているが、その調理法は章により色とりどり。歴史から社会・国際問題、軍略的な意味や戦場としての川、都市住民の憩いの場であるリバ―フロント、そして農業用水&漁場として巧みにメコン川を使うカンボジアなど、バラエティ豊かな川の表情を伝える、川のファンブックだ。

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2023年10月23日 (月)

「アメリカ政治学教程」農文協

この本は(略)新しく政治学を学ぼうとする学徒に政治学の全貌を示そうとしている
  ――序文

有権者は候補者をそれぞれの政策のためにではなく個性や演説に基づいて選ぶらしい。
  ――第5章 実際問題としての民主政治

合法性の手っ取り早いテストは、それゆえにいかに多くの警察が必要であるかを見ることである。
  ――第7章 政治文化

20世紀においてはこの(裁判所の)政治的権力は増え続けている。
  ――第17章 司法制度と裁判所

病院や医師は、いったん支払いが保証されれば節約する誘因をもたない。
  ――第18章 公共政策

【どんな本?】

 アメリカ合州国の大学の政治学の教科書:基礎編。

 政治学は広く、多くの分野がある。また学派ごとに主張が異なる。本書は広く政治学の全般を見渡し、また様々な学派の主張を併記して、政治学の全貌を読者に示す。

 ただし、あくまでもアメリカ合州国における教科書であり、制度や政治状況などの例も合州国のものが中心だ。紹介する学派もアメリカ合州国の学派であり、例えば共産主義・共産国の評価はお察し。

 それと原書の出版は1997年であり、四半世紀ほど古い。よってバラク・オバマもドナルド・トランプもウラジミール・プーチンも出てこない。合州国以外では西欧の例が多く、日本の記述はオマケ程度。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Sixth Edition Political Science : An Introduction, by Michael G. Roskin, Robert L. Cord, James A. Medeiros, Walter S. Jones, 1997。監修は小倉武一、訳は大戸元長・林利宗・有松晃・山下貢・井上嘉丸。日本語版は1999年3月5日第1刷発行。単行本ハードカバー横一段組み本文約604頁。9ポイント35字×29行×604頁=約613,060字、400字詰め原稿用紙で約1,533枚。文庫なら上中下3巻ぐらいの大容量。

 意外と文章はこなれていて読みやすい。内容のややこしさも中学の社会科の教科書程度だ。政治制度も意外と基本的な事から説明しているので、外国人の私もあまり戸惑わずに済んだ。例えば合州国の選挙では事前に登録が必要とか。ただし出てくる人名や例は合州国のものばかりだし、出版年の関係で古いネタが多いので、そこは覚悟しよう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 訳者序文/序文
  • 第1部 政治の基礎
  • 第1章 政治学とは?
    • 正当性(legitimacy)の三つの面
      正当性/主権/権威
    • 政治権力
      生物学的/心理学的/文化的/合理的/非合理的/合成物としての権力
    • 政治は科学か?
      明確に見るための努力/政治学の効用は何か?
    • 変化する政治学
      行動主義後の合成
    • 理論の重要性
    • 現実の単純化
      政治システム/システムの難点
    • 推奨文献/注記
  • 第2章 国民、国家、および政府
    • 国家(Nation)の観念
      独立国家としての地位の構成分子/国家建設上の難関/戦争の役割
    • 政府:政府とは何か、そして何をなすのか
      政府の共通の目標/近代化の主体としての国家/政府の分類
    • 近代政府:公共政策の作成
      公共政策:実質的と象徴的
    • 推奨文献/注記
  • 第3章 個人と憲法
    • 近代世界における憲法
      それぞれの土地での最高の法/憲法の目的
    • 憲法の適応性
      合州国憲法/憲法の適応性:それは権利を保障できるか?
    • 合州国における表現の自由
      表現の自由の歴史
    • 憲法による政府:それは何かを保証できるのか
    • 推奨文献/注記
  • 第4章 民主主義、全体主義、権威主義
    • 近代民主主義
      代表制民主主義
    • 全体主義政府
      全体主義とは何か?/全面支配のイメージと現実
    • 権威主義
      権威主義と開発途上国/権威主義体制の民主化
    • 推奨文献/注記
  • 第5章 実際問題としての民主政治:多元主義者とエリート主義者の見解
    • 二つの理論:エリート主義と多元主義
      エリート主義/多元主義
    • 誰がアメリカを支配するか?
      エリートの見解/多元主義者の見解
    • 複合エリート:総合
    • 推奨文献/注記
  • 第2部 政治的態度
  • 第6章 政治的イデオロギー
    • イデオロギーとは何か
    • 主要なイデオロギー
      古典的自由主義/古典的保守主義/近代的自由主義/近代的保守主義/マルキスト社会主義/社会民主性/共産主義/民族主義/ファシズム
    • われわれの時代におけるイデオロギー
      共産主義の崩壊/新保守主義/地域共同体主義/男女同権主義/環境保全主義
    • イデオロギーは終わったか?
    • 推奨文献/注記
  • 第7章 政治文化
    • 政治の環境:政治文化
      政治文化とは何か?/市民文化/アメリカにおける参加
    • 政治文化の衰微
      エリートと大衆文化/政治的下位文化
    • 政治的社会化
      政治的社会化の役割/社会科の担い手
    • 推奨文献/注記
  • 第8章 世論
    • 世論の役割
      世論の構造/世論の様式
    • 世論調査
      世論調査の歴史/調査の技法/世論調査はどれだけ信頼できるか?
    • アメリカの世論
      大統領の人気/自由主義者と保守主義者/誰が注意するか?/世論調査は公平か?/アメリカは世論調査によって統治されるべきか?
    • 推奨文献/注記
  • 第3部 政治的相互作用
  • 第9章 政治的情報の伝達とメディア
    • 政治におけるコミュニケーション
      コミュニケーションのレベル/現代マスメディア
    • ジャイアント:テレビジョン
      TVニュース/テレビジョンと政治/テレビジョン:所有と統制/欧州の経験
    • 私たちが受けているサービスは貧しいのか?
      敵対者:メディアと政府
    • 推奨文献/注記
  • 第10章 利益集団
    • 利益集団とは何か?
      利益集団と政党との違い/利益集団:誰が所属するのか?/利益集団と政府/利益集団としての官僚
    • 効率的な利益集団
      政治文化/金銭:政治活動委員会(PACs)の興隆/争点:単一争点集団の興隆/規模とメンバ―シップ/アクセス
    • 利益集団の戦略
      立法府への接近/行政府への接近/司法府への接近/その他の方策
    • 利益団体:ある評価
      利益団体は主張をどこまで明確に表明しているか?/利益団体:教育者か宣伝者か?/政治的権力の手詰まり化
    • 推奨文献/注記
  • 第11章 政党と政党制
    • 政党の機能
      民主主義における政党/共産主義諸国における政党
    • 政党の種類
      「全包含」(CATCHALL)政党の出現/政党分類の基準
    • 人員補充と資金の調達
      人員補充/政党の資金調達
    • 政党制
      政党制の類別/競争の程度/政党制および選挙制/合州国の政党制:変化の可能性は?
    • 推奨文献/注記
  • 第12章 投票
    • 人々はなぜ投票するのか?
      誰が投票するのか?
    • 人々はどのように投票するのか?
      政党への帰属性/誰がどのように投票するのか?
    • 選挙民の再編成
      選挙民の分解(Electoral Dealignment)
    • 誰が選挙を勝ち取るか?
      候補者の戦術と有権者のグループ
    • 推奨文献/注記
  • 第4部 政治制度
  • 第13章 政治の基本構造
    • 政治機関(Political institution)とは何か?
    • 君主国か共和国か
    • 一元国家か連邦制か
      一元的制度/連邦制度/合州国政府のバルカン化/一元的国家と連邦国家の混在
    • 選挙制度
      1人区選挙制(小選挙区制)/比例代表制/制度の選択
    • 推奨文献/注記
  • 第14章 立法府
    • 大統領府と議院内閣制
      議院内閣制の長所/議院内閣制の問題点
    • 立法府の役割
      法律の制定
    • 議会の構造
      2院制と1院制/委員会制度
    • 立法府の衰退
    • 議会制度のジレンマ
    • 推奨文献/注記
  • 第15章 執行部
    • 大統領と総理大臣(首相)
    • 任期の問題
    • 執行部の役割
      尊大な大統領職?
    • 大統領の人柄
      執行部の指導者像 干渉型か傍観型か
    • 不具の大統領
    • 内閣
    • 過大な期待は危険
    • 推奨文献/注記
  • 第16章 政府と官僚制度
    • 官僚制度とは何か
      合州国の連邦官僚組織/外国における官僚制度/官僚制度の特徴
    • 現代の政府における官僚制度の役割
      一般的役割
    • 官僚制度の問題点
      官僚組織:行政官か政策担当者か/官僚制度対策/官僚制度と社会
    • 推奨文献/注記
  • 第17章 司法制度と裁判所
    • 法の本質/法とは何か/法の種類
    • 法的制度(法制)
      英国の慣習法/ローマ法典/両制度に共通する特徴
    • 裁判所、裁判官、法曹界
      合州国の裁判所組織/裁判官/裁判所組織の比較/英国の裁判所制度/ヨーロッパの裁判所組織/旧ソビエト連邦における法
    • 裁判所の役割
      合州国最高裁判所/最高裁判所の政治的役割/裁判官の見解/裁判所の政治的影響力/裁判所の限界
    • 推奨文献/注記
  • 第5部 政治システムの営み
  • 第18章 公共政策
    • 政策とは何か?
    • 経済政策
      政府と経済
    • 誰に何の受給権があるか
      貧困とは何か?/福祉の費用/受給権のとりこ/福祉とイデオロギー
    • 結語:政府の大きさはどのくらいであるべきか?
    • 推奨文献/注記
  • 第19章 暴力と革命
    • 体制崩壊
      徴候としての暴力/暴力のタイプ/暴力の原因としての変化
    • 革命
      革命的政治戦争/革命の諸段階/事例研究としてのイラン
    • 革命の後
      革命の衰退/反共主義革命
    • 推奨文献/注記
  • 第20章 国際関係
    • 主権なき政治
      勢力と国益
    • なぜ戦争か?
      ミクロ理論/マクロ理論/誤認/平和の維持
    • 冷戦
      戦争抑止/「手を広げすぎた」ソ連
    • 国際体制
    • 外交政策:関与かそれとも孤立か?
    • 主権を越えて
    • 推奨文献/注記
  • 人名索引

【感想は?】

 モロに社会科の教科書・政治編だ。

 実は政治学を胡散臭く思っていたんだが、どうも政治哲学と混同していたらしい。

政治哲学者は、得てして、人々がそれらの決定に従うべきかまたは従うべきでないかを問うものであり、
政治学者は、人々が何故に従うのか、または従わないのかを問うものである
  ――第1章 政治学とは

 そして本書は政治学の本であり、「こうすべき」的な記述は少ない。とはいえ、やはり学派ごとに主張の違いはあり、ややこしい問題は複数の論とその反論を挙げ、「困ったもんだ」と投げ出す所も多い。それもまた基礎編の教科書としちゃ誠実だし、公平でもある…少なくとも、合州国の基準では。

 いや別に合州国が最高!な論調じゃない。ただ旧ソ連やクメール・ルージュは失敗と断じていて、そこに納得できない人もいるだろうし。そう考えると、政治学が許されるのは自由主義国だけだね。

 その自由主義の嬉しい点の一つは、言論の自由があることだ。様々な論が出てくるが、その原因の一つは人によりイデオロギーが違うからだ。このイデオロギーについて、本書はかなり皮肉な姿勢を示す。まずイデオロギーの定義だが。

イデオロギーは、物事が現在あるよりも、一層良くなる可能性があるという信念から始まる。
  ――第6章 政治的イデオロギー

 脳内には理想の社会があるが、現実は違う。現実を理想に近づけようとするのがイデオロギーの原動力ってわけ。なんか解る気がする。いずれにせよ結論は「俺が正しい」なんだけど。

 これが分かりやすい形で出てくるのが、福祉政策。合州国は福祉を削りたがる共和党と増やしたがる民主党って状態なので、教科書の例として実に都合がいい。

福祉あるいは受給権についての討論は強烈なイデオロギーに基づいている。
  ――第18章 公共政策

 これに対する本書の姿勢をハッキリ示すのが、次の一文。

イデオロギーが支配するところでは理性は聞き入れられるのが難しい。
  ――第18章 公共政策

 と、決着をつけず放り投げてたり。冷たいようだが、現実を直視した姿勢でもある。この辺は「社会はなぜ左と右にわかれるのか」が参考になります。

 また、各党内のイデオロギーのバラつきについても、意外な指摘があったり。

政治的指導者は実際上、追随者よりも強力なイデオロギー上の見解をもち、また、これに対して平の党員の弱体で一貫性のないイデオロギーが、指導者が争点に対して確固とした立場を取ろうとする足を引っ張っている
  ――第11章 政党と政党制

 政治家は誰でも多かれ少なかれ「俺が正しい」って信念を持ってるだろうけど、彼らを率いる者は信念がより強いんだな。まあ、支持者も、自信にあふれた候補者の方が頼もしく感じるしね。とすっと某首相の「聞く力」は…ゲフンゲフン。

 その某首相、最近は支持率が落ちてるけど、これは普遍的な現象でもあるのだ。

大統領は高い人気で出発し、やがて低迷する。
  ――第8章 世論

 昔は「ご祝儀相場」なんてのもあって、首相が変わると株価も上がったんだよね。つまり世間も新しい指導者に期待したんだ。合州国だと、「大統領は2期まで」って不文律があり、これが大統領の姿勢に影響する。

合州国の場合、(略)大統領は最初の任期の間は、再選の問題で頭がいっぱいだから、よいイメージづくりにかまけて、大胆な政策を実行する余裕がない。(略)第2期になってやっと自分の本領を発揮できる
  ――第15章 執行部

 最初から暴れまくったトランプは例外…というか、元々が政治家じゃないのも大きいんだろう。その大統領制、日本や英国のような議院内閣制との違いは、閣僚の面子だ。

合州国やブラジルのような大統領制の下では、長官や大臣は現職の政治家ではなくて、実業家とか弁護士とか学者が多い。
  ――第15章 執行部

 いわゆる民間からの登用が増える。コリン・パウエルみたく軍人もあるし。また内閣が行政に強い影響力がある。逆に議院内閣制だと、政治家が多い。これも善し悪しで。

合州国政府における腐敗汚職事件は、ほとんどすべてこれら政治的任命による政府職員のなす業であって職業的官僚のなすところではない。
  ――第16章 政府と官僚制度

 意外と生粋の官僚は汚職に手を染めないらしい。もっとも、これは状況によりけりで。

一つの政党が権力を独占する場合、そのイデオロギーの論理のいかんにかかわらず、必然的に腐敗に至る。
  ――第11章 政党と政党制

 合州国みたく10年以内に政権政党が変わるなら内閣が行政の人事に介入しても腐りにくいけど、長期政権が続くとどうしても腐るのだ。その典型が共産党一党独裁体制で。

旧ソ連は、近代世界におけるもっとも官僚的国家であったし、それこそがその崩壊の一因でもあった。
  ――第16章 政府と官僚制度

 と、官僚は実に評判が悪い。小役人なんて言葉もある。これは古今東西で共通らしい。

官僚制度を好む国は世界中どこにもない。
  ――第16章 政府と官僚制度

 にも拘わらず、やっぱり官僚は必要だし、どうしてものさばっちまうもんらしい。

古今東西の政府(民主政権、独裁政権、軍事政権のいずれを問わず)が、この官僚組織を完全に抑えきれなかった
  ――第16章 政府と官僚制度

 一定のルールや手続きに従ってモノゴトを進めるのは、融通が利かないように思えるけど、同時に世の中の急激な変化を抑える安全装置でもあるのかも。

 そういった、世の中の変化を先導するのが「世論」なんだが、本書の評価は辛らつだ。

「世」(public)論などというものはほとんどないことが多いのであって、問題に注意を払い、強烈にそれらに関心を持ちつつ散らばっている少数グループの意見があるだけである。
  ――第8章 世論

 何であれ、一部のうるさい輩が騒いでるだけ、みたいな姿勢である。まあ、実際、たいていの問題は、その問題のスタアと結びついてたたりする…少なくとも、私たちの記憶のなかでは。これらの世論を郵送するのがマスコミだが、彼ら、特にテレビの焦点の当て方は…

TVによる候補者の放映はその人の主張ではなくて人柄に焦点を当てる。
  ――第9章 政治的情報の伝達とメディア

 某元首相のパンケーキとかは、モロにコレだね。タレントとして消費しちまうのだ。それより、某教団との関係とか、政治的に重大なネタは幾らでもあるだろうに。もっとも、視聴者にしたって、モノゴトの深い事情をじっくり聴きたいワケじゃなかったりする。この辺の事情は、「ドキュメント 戦争広告代理店」にも書いてあった。今、盛んに報道してるガザの紛争にしても、第一次中東戦争あたりからの歴史やイスラエル・パレスチナ双方の社会構造を知っている人は少ないと思う。いや私もよくわかってないけど。

 さて、その世論が候補者を選ぶのが民主主義社会なんだが、最近の日本は投票率がドンドン落ちてる。投票率によって、各政党の有利不利も変わる。投票率には様々な要因があるんだが、その一つが…

大きな危機が起こった年には、有権者の出足は高くなるが、物事が割合スムースにいった年には、有権者は比較的無関心になるようである。
  ――第12章 投票

 無関心というと悪口のようだが、大抵の選挙は新人や前職より現役が有利だ。それを考えると、不熱心な信認とも言えるんだろう。スムースにいってるんなら、今のままでいいじゃんって理屈だ。これはソレナリに民主主義の理念に沿っているのかも。

 投票率の低下には、他の原因もある。

1人区選挙制は(略)2大政党は(略)似通った政策を打ち出さざるを得ない。その結果、(略)有権者の無関心と低い投票率に終わることになる。
  ――第13章 政治の基本構造

 これは「二大政党制で両党の政策が似てくるわけ」なんて記事を書いたんで、覗いてみてください。とはいえ、最近の合州国大統領選挙は、ドナルド・トランプなんて強烈なキャラクターが出てきたため、あまり現状に合ってない気もするけど、あなたが住む土地の知事選挙や市町村長選挙を思い浮かべて欲しい。「誰に投票しろってんだ」的な愚痴はよく聞くし。

 さて、都道府県や市町村の議会は一院制だけど、日本の国会は二院制だ。参議院の存在意義を問う論説は昔からあった。これは本書も辛辣で…

一般に上院は、その名にもかかわらずその力は下院よりも下である。(略)
一元的国家における上院の有用性は、しかし明らかでない。
  ――第14章 立法府

 一元的国家ってなんじゃい、と言われそうだが、合州国やドイツみたいな連邦国家じゃない国の事です、はい。合州国だと、州ごとに2名づつの上院と、人口比で人数が違う下院って構成。日本だと参議院は良識の府とか言われてたけど、首相は衆議院議員ばっかりだよね。

 こういった平時の話だけでなく、終盤ではクーデターや革命や戦争など物騒な話も出てくる。革命について本書は極めて否定的で、ロクなモンじゃないとバッサリ。実際、強硬な独裁政権になりがちだし。フランス革命も、フランスじゃ賛否両論だとか。合州国独立も、革命か戦争かで論が分かれてる。明治維新は成功した例だと思うんだが、どうなんだろ。

 幸か不幸か、現代社会では…

重大な国内不安に対する最も普通の対応は、まったく革命ではなくて軍部の乗っ取りである。
  ――第19章 暴力と革命

 一時期のタイじゃしょっちゅう軍がクーデターやってた。まあ、アレは前陛下(→Wikipedia)への信頼あっての事らしく、代替わりしてからはムニャムニャ。シリアやミャンマーも軍が政権を握ったなあ。

 さて、たいてい革命政権ってのは、成立直後は不安定なモンで、反動も出る。ロシア革命も赤と白で争ってたり、合州国の裏庭である中南米も不安定な政権が多いが…

ラテンアメリカでは一部のクーデターに続く反革命テロは、革命家が果たしたどんな仕業よりもずっと血まみれである。
  ――第19章 暴力と革命

 チリのピノチェト政権(→Wikipedia)とかね。ぶっちゃけ中南米の軍事政権は合州国/CIAが関わってるのが多くて、「バナナの世界史」にも挿話が幾つか。まあ、冷戦時だし。

 そんな革命やクーデターの原因は、往々にして経済だ。貧しくなったんで不満が爆発ってのは分かりやすいが、豊かになるのも善し悪し。

経済的変化は最も(社会を)不安定にしうる。経済的変化についての奇妙なことは、改善が貧窮と同じくらい危険でありうることである。
  ――第19章 暴力と革命

 誰もが貧しければ、みんな諦める。一部の者だけが豊かになると、ヤバい。また、暮らしに余裕ができると、教師などのインテリが騒ぎ出すわけ。ポルポトもフランスに留学するような富裕層だったし。

 など内戦に加え、他国との戦争の話もある。本書は悲観的というか現実的で。

国家は可能なところではどこでも拡張する。(略)拮抗力だけがたぶん拡張衝動を止められるだろう。
  ――第20章 国際関係

 拮抗力というか、軍事力のつり合いだね。これが崩れる、または崩れたと認識すると、ロシアや大日本帝国みたく増長する。どんな国でも、国土を失えば国民は文句を言うし、国土を得れば政権の支持は上がる。だから潜在的とはいえ戦争の欲求はある。だが戦争はカネがかかる。その費用をどうやって賄うか。

戦争を始めなければならないならば、必ず同時に増税すべきだ(略)。もし増税しなければインフレで厄介なことになるだろう。
  ――第18章 公共政策

 はい、税金です。もしくは借金、国債だね。だが実質的な経済が成長していないのにカネだけ増やしたら、その分カネの価値が薄まる、つまり物価が上がってインフレになるのだ。いや最近はMMT(現代貨幣理論)とかあるらしいけど、私は名前しか知らない。

 さて、そな戦争を抑えるために国連があるじゃないかって声もあるだろうけど、おいそれと(でもないか)国連の平和維持軍は出動できない。

国連のブルー・ベレー帽を着用した(略)軍隊は、まだ進行中の紛争を停止させることによって「平和を強制」することはできない。
  ――第20章 国際関係

 戦いを止めることはできないのだ。できるのは、落ち着いた時点で、落ち着きを保つことだけ。だから、イスラエルのガザ侵攻が始まったら、国連軍が介入して止めるって手は使えない。

 などと、アチコチに悲観的というか現実的な記述が見えるあたりは、役に立たないとか歯切れが悪いとも言えるが、同時に事実に即しているとも取れる。なんたって、政治哲学ではなく政治学の教科書/入門書だし。分量は多く合州国視点で、しかも1997年と古いのは辛いが、派閥により意見が割れそうな政治を扱うわりに、最大限にバランスを配慮した結果だと思う。文章も比較的にこなれているし、入門書としては優れている本だ。

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【蛇足:合州国か合衆国か】

 この記事では「合衆国」ではなく「合州国」を使った。これは本書の表記に従ったためだ。原則として、このブログじゃ取り上げた本の表記に従っている。某作家の名前がベルナール・ヴェルベールだったりベルナール・ウエルベルだったりするのは、そういう理由です。

 「訳者序文」によると「小倉博士の強い意向を受けて」とある。意向の詳細は書いていない。根拠のない勝手な想像だが、こんな考えではないか。

United States を素直に訳すと、「州の連邦」が近い。だが「アメリカ州連邦」や「アメリカ連邦」は斬新すぎて、読者は戸惑うだろう。「アメリカ合州国」なら読みは同じで字面も近い。読者の慣れと意味の妥当さのつり合いで、ちょうどいい具合じゃね? 実態も政治学的に正しい(*)し。

 *野暮を承知で解説すると、この「正しい」は「倫理的に善/正義」の意味ではない。「事実に即ている」とか「実態に近い」みたいな意味だ(→「正しい」の四品種)。

 なお、意向の理由を書いてないのも、監修者/訳者の考えによるものだろう。これも根拠のない妄想だが、「訳者は黒子に徹し正確な訳を心がけ、自分の個性や主張は控えるべき」みたいな考えだと思う。

 こういう訳者の姿勢は、小説とノンフィクションじゃ異なるし、同じノンフィクションでもジャーナリストの本と学者の本でも違う。こういう違いも、本の面白さの一つだよね。

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2023年10月 8日 (日)

ニーアル・ファーガソン「スクエア・アンド・タワー 上・下」東洋経済新聞社 柴田裕之訳

本書は、これまでネットワークの役割を控えめに述べる傾向にあった歴史記述の主流派と、その役割を常習的に誇張する陰謀論者の間の、中道を行くことを目指す。
  ――第1章 イルミナティの謎

 本書の中心的テーマは、分散型のネットワークと階層制の秩序との間の緊張関係は人類そのものと同じぐらい古いということだ。
  ――あとがき

1851年から1864年にかけて清帝国を呑み込んだこの内戦(太平天国の乱、→Wikipedia)は19世紀最大の戦いであり、直接あるいは間接に、2000万~7000万人の命を奪い、中国の人口をおよそ1割減少させた。
  ――第30章 太平天国の乱

金融危機は、個人によって引き起こされはしない。集団によって引き起こされるのだ。
  ――第49章 ジョージ・ソロス対イングランド銀行

ネットワークを信頼して世の中を任せておけば無秩序を招くだけであるというのが歴史の教訓だ。
  ――第60章 広場と塔の再来

【どんな本?】

 組織には、大雑把に分けて二つの種類がある。一つは軍隊のように、隊長を頂点とした上意下達式の階層型。もう一つは、連盟や学界そして友達付き合いのように、ハッキリした階層のないネットワーク型、または結社。

 陰謀論では、イルミナティやディープステートなど、世界を陰から支配する秘密結社が取りざたされる。また、一時期のソフトウェア開発では、「伽藍とバザール」のように、ネットワーク型の組織(というか集団)での開発がもてはやされた。

 対して歴史家たちは、国王などを頂点とした階層型の組織を中心として研究・記述してきた。

 実際には、どちらが歴史を動かしてきたのか。そして、インターネットが発達した今後は、どちらが歴史の主役となるのか。

 スコットランド出身の歴史家・ジャーナリストが、階層型 vs ネットワークという新たな切り口で、近世以降の歴史と今後の見通しを語る、一般向けの風変わりな歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Square and Tower : Networks, Hierarchies and the Struggle for Global Power, by Niall Ferguson, 2017。日本語版は2019年12月19日発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約324頁+380頁=約704頁に加え、付録「ニクソン=フォード時代の社会的ネットワークのグラフ化」10頁+訳者あとがき6頁。9.5ポイント40字×17行×(324頁+380頁)=約478,720字、400字詰め原稿用紙で約1197枚。文庫なら少し厚い上下巻ぐらい。

 ジャーナリストの経歴もあるためか、比較的に文章はこなれている。ただ、内容は少し不親切。イギリス人やアメリカ人。それも1960年以前の生まれの人向けの本らしく、特に説明もなく人名がズラズラ出てきたりする。例えば「第39章 ケンブリッジのスパイたち」では、キム・フィルビー(→Wikipedia)ぐらいしか知らなかった。

 また、アチコチにレジリエンス(→Wikipedia)なんて言葉が出てくる。たぶん、「しぶとさ」みたいな意味だろう。一部に被害を受けた時、性能は落ちても機能は残る性質、とか。

【構成は?】

 お話はほぼ時系列で進むが、各章の結びつきは弱いので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  • 上巻 ネットワークが創り変えた世界
  • はしがき ネットワークにつながった歴史家
  • 第1部 序 ネットワークと階層性
  • 第1章 イルミナティの謎
  • 第2章 ネットワーク化された私たちの時代
  • 第3章 偏在するネットワーク
  • 第4章 国家や企業はなぜ階層性なのか?
  • 第5章 7つの橋から6次の隔たりまで
  • 第6章 弱い紐帯と急速に広まるアイデア
  • 第7章 さまざまなネットワーク
  • 第8章 異なるネットワークが出合うとき
  • 第9章 ネットワーク理論の7つの見識
  • 第10章 解明されたイルミナティ
  • 第2部 大航海時代の皇帝と探検家
  • 第11章 古代と中世の階層性
  • 第12章 ネットワーク化された最初の時代
  • 第13章 ルネサンス期の取引の技法
  • 第14章 新たな交易ルートの発見者たち
  • 第15章 ピサロとインカ皇帝
  • 第16章 印刷術と宗教改革
  • 第3部 科学革命と啓蒙運動
  • 第17章 宗教改革の経済的結果
  • 第18章 アイデアを交換する
  • 第19章 啓蒙運動のネットワーク
  • 第20章 アメリカ独立革命のネットワーク
  • 第4部 王家による階層性の復興
  • 第21章 フランス王政復古の失敗
  • 第22章 フランス革命からナポレオンによる専制政治へ
  • 第23章 列強による秩序の回復
  • 第24章 ザクセン=コーブルク=ゴータ家
  • 第25章 ロスチャイルド家
  • 第26章 産業革命のネットワーク
  • 第27章 5大国体制からイギリスの覇権主義へ
  • 第5部 大英帝国の秘密結社
  • 第28章 「ラウンド・テーブル」あるいはミルナーの「幼稚園」
  • 第29章 間接支配と中央集権
  • 第30章 太平天国の乱
  • 第31章 アメリカにおける中国人排斥運動
  • 第32章 南アフリカ連邦という大英帝国の幻想
  • 第33章 ケンブリッジ「使徒会」のネットワーク
  • 第34章 第1次世界大戦の勃発
  •  原注/参考文献/図版出典/口絵出典
  • 下巻 権力と革命 500年の興亡史
  • 第6部 革命と独裁者
  • 第35章 三国協商に対するジハード
  • 第36章 ボリシェヴィキ革命と強制労働収容所
  • 第37章 ヒトラーの躍進
  • 第38章 ナチスと反ユダヤ主義
  • 第39章 ケンブリッジのスパイたち
  • 第40章 スターリンの全体主義国家
  • 第41章 マフィアのネットワーク
  • 第7部 冷戦とゲリラ戦
  • 第42章 冷戦下の「長い平和」
  • 第43章 ネットワーク化された戦闘
  • 第44章 複雑化する消費社会
  • 第45章 ヘンリー・キッシンジャーの権力ネットワーク
  • 第46章 インターネットの誕生
  • 第47章 ソヴィエト帝国の崩壊
  • 第48章 ダヴォス会議のネルソン・マンデラ
  • 第49章 ジョージ・ソロス対イングランド銀行
  • 第8部 21世紀のネットワーク
  • 第50章 アメリカ同時多発テロ
  • 第51章 リーマン・ショック
  • 第52章 肥大した行政国家
  • 第53章 Web2.0とフェイスブック
  • 第54章 グローバル化と不平等
  • 第55章 革命をツイートする
  • 第56章 ドナルド・トランプの選挙戦
  • 第9部 結論 サイバースペースの攻防戦
  • 第57章 階層制対ネットワーク
  • 第58章 ネットワークの機能停止
  • 第59章 FANGとBATとEU
  • 第60章 広場と塔の再来
  •  あとがき 広場と塔の起源 14世紀シエナにおけるネットワークと階層制
  •  付録 ニクソン=フォード時代の社会的ネットワークのグラフ化
  •  訳者あとがき
  •  原注/参考文献/図版出典/口絵出典/索引

【感想は?】

 たぶん、図書分類としては、歴史になるんだろう。だが、語っているのは、歴史の流れじゃない。

 本書の主題は、権力・影響力や組織の形と、その性質だ。組織の形を二つの極、塔=階層型と広場=ネットワーク型として、それぞれの得手・不得手を、史実を例に挙げて語る、そんな感じの本だ。

 そのためか、ハードカバーの上下巻なんて迫力ある見かけのわりに、意外と親しみやすい。塔vs広場の視点で歴史トピックを語るエッセイ集みたいな雰囲気も漂う。その分、著者の主張はアチコチにとっちらかって見えにくくなっている感もある。

 著者の主張の一つは、イルミナティやDSなど陰謀論への反論だろう。そもそも計画的に事を運ぶのには向かないのだ、ネットワーク型の組織は。

歴史を振り返ると、イノベーションはこれまで、階層制よりもネットワークから多く生じる傾向にあった。(略)
ネットワークは自然と創造的になりうるが、戦略的ではない。第二次世界大戦は、ネットワークによっては勝てなかったはずだ。
  ――第8章 異なるネットワークが出合うとき

 第二次世界大戦というより軍隊は、たいてい階層型だ。そして総力戦など軍事優先の社会も、階層型の統制社会/経済でないと巧くいかない。スペイン内戦じゃ国際旅団の一部が合議制で作戦を決めたらしいが、今じゃ嘲笑の的だ。でも戦争が終わり復興が進むと、チャーチルやドゴールなど戦争指導者たちは退場を余儀なくされる。

計画策定者にとっての問題は、総力戦という活動には非常に適していた階層構造の制度が、消費社会にはまったく不向きだという点にあった。
  ――第44章 複雑化する消費社会

 この辺、日本はどうなんだろうね。護送船団方式の半ば計画経済で戦後の復興を乗り切り、オイルショックまではいい感じだったけど、その頃に出来上がった政府主導の政治/経済構造と感覚を今でも引きずってる気がする。

 それはともかく、逆にネットワークがイノベーションには向くのは、技術史や産業史を調べるとよくわかる。先に読んだ「織物」の終盤は、イランから日本までの織機の技術の伝達を追ってたし。

 蒸気機関についても、こう主張している。

ジェイムズ・ワットは、グラスゴー大学のジョゼフ・ブラック教授や、バーミンガムのルナー・ソサエティの会員たちも含むネットワークに所属していなければ、蒸気機関の改良は達成できなかっただろう。
  ――第26章 産業革命のネットワーク

 だが、教科書や歴史書は、階層型の組織に多くの頁を割く。仕方がねーのだ、だって階層型組織は多くの文書を残すけど、ネットワーク型はあまし残さないし、残ってもアチコチにとっちらかってる。その結果、奇妙な状況になる。

歴史の大半では、成功は誇張される。勝者が敗者よりも多くの記録を残すからだ。ところが、ネットワークの歴史では、その逆があてはまることが多い。成功しているネットワークは世間の注意を巧みに逸らし、失敗しているネットワークは注意を集める。
  ――第32章 南アフリカ連邦という大英帝国の幻想

 ネットワークの成功例として本書が挙げているのが、ロシアの革命だ。著者曰く、主なスポンサーの一つはドイツだ、と。第一次世界大戦で行き詰っていたドイツにとって、ロシアがコケるのは実に嬉しい話だし。

ボリシェヴィキ革命はある程度までは、ドイツが出資した作戦だった。
  ――第36章 ボリシェヴィキ革命と強制労働収容所

 と、時としてネットワークは階層型の社会を壊す。だもんで、階層型のボスはネットワークを厭う。主な対抗策としては…

全体主義の成功の秘密は、(ナチス)党と国家の階層制の組織の外にある、ほぼすべての社会的ネットワーク、それもとりわけ、自立的な政治活動を取りたいと願うネットワークを、非合法化したり、麻痺させたり、公然と抹殺したりすることだった。
  ――第38章 ナチスと反ユダヤ主義

 ロシア革命を後押ししたドイツが、後に対抗策を徹底するのも皮肉な話。身近な所で「三校禁」なんてのを思い出すのは年寄りだけかな。

 もっとも、ネットワークを恐れたのはスターリンも同じ。そこでスターリンが取ったのは、情報の統制だ。

スターリンの権力は、3つの別個の要素から成り立っていた。
すなわち、党官僚制の完全な統制、
クレムリンの電話ネットワークを中心的ハブとするコミュニケ―ション手段の完全な統制、
自らも恐れの中で生きている人員から成る秘密警察の完全な統制だ。
  ――第36章 ボリシェヴィキ革命と強制労働収容所

 この辺だと、ナチス・ドイツの暴走の原因が、「暴走する日本軍兵士」が描く帝国陸軍の暴走の原因と似ているのが気になる。

(多頭制の)混沌のせいで、ライバル関係にある個人や機関が、それぞれ総統の要望と解釈したことを実行しようと競い合い、多義的な命令と重複する権限が「累積的な過激化」を招いた。
  ――第37章 ヒトラーの躍進

 帝国陸軍は、政府の意図の外で桜会などの壮士ネットワークが暴走を煽ったんだが、ヒトラーは意図してやったんだろうか。

 そんな風に、権力者はネット―ワークを恐れるものだ。中でも誇張されがちなのが、外国人だろう。よく右派は外国人の集団を槍玉にあげる。著者はアメリカの例を挙げてるけど、日本でも似たような言説がネットを賑わせてるなあ。

移民反対者は、新来者の貧しさをけなすと同時に、彼らの指導者と思われている人々の力を誇張した。
  ――第31章 アメリカにおける中国人排斥運動

 これ民間人がデマを振りまくのも困るが、政治家が票を集めるため流れに乗っかるからタチが悪い。

18世紀米国の政治家アレクサンダー・ハミルトン(→Wikipedia)
「彼らは扇動政治家として出発し、ついには専制的支配者となるのだ」
  ――第20章 アメリカ独立革命のネットワーク

 ヒトラーはモロにコレだね。ドナルド・トランプも似た傾向がある。こういう民主主義のバグを、18世紀に見つけてたってのも驚きだ。いまだにデバッグできてないのも悲しい。巧いパッチはないものか。なお、本書は直接トランプを罵っていないが、明らかに扱いは悪い。例えば…

トランプに投票した郡は、アメリカ全土の面積の85%を占めている。(略)EU離脱キャンペーンに勝利をもたらしたのは、大都市ではなくイングランドとウェールズの「州」に主に居住する、中高年の有権者だった。
  ――第56章 ドナルド・トランプの選挙戦

 と、ブレグジット同様、それは問題であるかのように扱っている。というか、そういう場所の票を丹念に拾っていったんだな、トランプは。そのトランプが活用したのがフェイスブック。世界中の人々を繋げるかのように宣伝しちゃいるが…

フェイスブックのネットワークは地理に基づくクラスター化を示している。
  ――第53章 Web2.0とフェイスブック

 意外とインターネット上の繋がりは、直接に顔を合わせての繋がりを反映してたりする。実際、ブログでも Twitter でも、顔も名前も知らない人に話しかけるのは、ちょっと構えちゃうし。

 そんなワケで、一時期の「インターネットでユートピアが来る」って幻想は、見事に打ち砕かれた。

世界中の人をインターネットに接続させれば、サイバースペースでは誰もが平等となるネット市民のユートピアを創り出せるという考えは、常に幻想だった。
  ――第58章 ネットワークの機能停

 うん、ブログでも人気ブログと零細ブログの格差は大きいし。二度ほど試算したんだが、ブログの人気の分布は収入の分布と似て、スケールフリー的な性質があるようだ(→記事1記事2)。

 そんなインターネットを巧みに使ったのが、イスラム原理主義のテロリストたち。アルカイダが有名だが…

はるかに大きなジハーディストのネットワークが存在し、その中でアルカイダはとてもつながりが弱い構成要素だった。
  ――第50章 アメリカ同時多発テロ

 実際、ビン・ラディンを殺しても、パキスタン・アフガニスタン・イラク・シリアじゃ暴力の応酬は収まってない。ただ、最近は欧米でのテロのニュースがないけど、これはテロがなくなったのかメディアが興味を失ったのか、どっちなんだろ? 今はウクライナ情勢ばかりを取り上げるけど。

 それはともかく、どんな奴がテロリストになるのかは、「テロリストの誕生」にあるのと一致する。

ジハードは常に(略)軽犯罪者を狂信者に変える、暴力は伴わないものの心を蝕む過激化の過程から始まる。
  ――第55章 革命をツイートする

 真面目な青少年じゃない。素行の悪いチンピラがムショで勧誘されるのだ。とはいえ、彼らの育成・生活環境である、欧米に住むイスラム教徒たちの世界観も結構アレで…

(2016年に)イギリスのイスラム教徒を対象とした意識調査の結果は、(略)9.11テロを「ユダヤ人」のせいだと非難する人(7%)が、アルカイダの仕業だという人(4%)より多かった。
  ――第55章 革命をツイートする

 このユダヤ人憎悪ってのは、なんなんだろうね。かくいう私はユダヤ人の定義すらわかってないんだが。日本人の朝鮮人/韓国人憎悪みたいなもん?

 とかの社会学的な視点に加え、数学的な視点を加えているのも本書の特徴だろう。いきなり初めの方で、こんな事を言って読者にヒザカックンかましてたり。

階層性はネットワークの対極には程遠く、特別な種類のネットワークにすぎない
  ――第7章 さまざまなネットワーク

 うん、確かにネットワーク理論(→Wikipedia)じゃそうなるけどさあw

 とはいえ、あまし数学の突っ込んだ話はなくて、こんなネタとかは親しみやすい。

コンピュータ科学者メルヴィン・コンウェイ(→Wikipedia)
「システムを設計する組織は、必然的にその組織のコミュニケーション構造によく似た設計しか生みだせない」
  ――第46章 インターネットの誕生

 また、IT系の技術者は、こんな言葉に思わずうなずくと思う。

「システムは迅速か、開放的か、安全になりうるが、これら3つのうちの2つだけしか同時に成り立たない」
  ――第58章 ネットワークの機能停

 これはITシステムに限らず、人間同士の集団/組織でも成り立ちそうだ。迅速かつ開放的なら、スパイや扇動者が潜り込みやすい。少人数の閉鎖的な組織は迅速に動けて秘密を保てるが、誰にでも開かれてはいない。判断を慎重に下すなら開放性と安全性を確保できるだろうけど、臨機応変な対応は無理だ。

 と、そんな風に、組織や集団の性質を、塔=階層型 vs 広場=ネットワーク型という2極の座標系で見て、それぞれの性質や向き不向きを考え、数学のネットワーク理論も活用し、また歴史上の様々な組織/集団を当てはめて検証した本だ。数学を史学や社会学に応用する手法も感心したし、大作で圧迫感がある割には意外と読みやすかった。

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