植村和代「ものと人間の文化史169 織物」法政大学出版局
織物技術は、今から一万年以上前に発明された人類初の機械生産技術であった。
――はじめに10~5万年前、ホモサピエンスの出現によって、人類は石器において石刃を開発するとともに、編みや組みの技術を生み出した。籠や袋や網などが作られるようになったのである。
――第1章 人間特有の織物文化人類初の機械化を成し遂げた織物文化の核心は、逆転の発想による、綜絖(そうこう)という一括操作の仕掛けである。
――第1章 人間特有の織物文化この書では、(織機の)三種類の基本形について、錘を下げて張る織機を「錘機」、地面を利用して張る織機を「地機」、人体の腰で張る織機を「腰機」と表記する…
――第2章 古代の織物と織機腰機は生産性を求めない。
――第2章 古代の織物と織機織物技術の衰退は、概して、まず染色が安易になり、糸を作らなくなり、織る時の手間をいやがる、という順序で起こるように私は思う。
――第4章 花織の源流弥生時代から古墳時代初期までの日本の織物は、絹を含めてすべて平織であった
――第5章 大和機の系譜
【どんな本?】
今ではふんだんに手に入る布/織物だが、かつては手作りだった。とはいえ、それなりに機械化・効率化はしていた。織機である。
人力ではあるが、織機の機構は複雑かつ精巧で、また地域・文化ごとのバラエティにも富む。もちろん、それを使う織り手の技術や、出来上がる織物も。
著者は古文書を漁り、日本各地はもちろんタイ・カンボジア・イランなどアジア各地にも出かけ現地の織機を取材し、また古墳から出土した布を再現するために自ら糸を紡ぎ機を織り、果ては多くの人の協力を得て織機まで創り上げ、その使い勝手や織り方のコツを探り、それぞれの織物と織機そして織り手の技術へと迫ってゆく。
主に東南アジアから日本を舞台とし、力織機より前の織機および織物の技術と歴史、そしてその伝播を探る、専門家向けの文化史。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2014年12月15日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約333頁。9ポイント47字×19行×333頁=約297,369字、400字詰め原稿用紙で約744枚。文庫なら厚い一冊分ぐらい。
文章はそこそこ読みやすい。ただし内容はかなり高度で、繊維や衣料そして織物に詳しい人向けだ。自ら機を織る人向けと言っていい。また縞や絣など専門用語の説明が後から出てきたりする。たぶん、元は六つの論文で、それをまとめ加筆訂正して一冊の本に仕上げたんだろう。
【構成は?】
古代から近世まで、時代ごとに進む。ただし各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- まえがき
- 第1章 人間特有の織物文化
- 1 人間と衣文化
人間独自の文化/最初の衣料 毛皮/衣文化の象徴 紐衣 - 2 編みと組み 織物はその簡易版
編組の技術/繊維の発見 - 3 組みから織りへ
スプラングと織物/織物とは/方形の平面 - 4 機械文明の曙
機械文明と現代日本/織物の美は品格の美
- 第2章 古代の織物と織機
- 1 古代の織物
織物の発明/聖なる布/緯糸と経糸の張り方 - 2 地機と錘機
三種類の基本形と地機/錘機の歴史/錘機と自在性 - 3 腰機 東アジア
腰機の背景/腰機の歴史/腰機と精神性/西と東の織物文化
- 第3章 幻の織物 倭文
- 1 縄文の布
アイヌの花ゴザ/アンギン編みと錘機/俵・薦作りの技術 - 2 弥生時代の絹織物
東アジア海域世界/弥生時代の絹織物 - 3 古墳時代初期の縞織物
下池山古墳出土絹織物/下池山古墳出土裂と古墳時代の絹織物/再現の問題点 六機か腰機か/再現の問題点 絹と麻の併用 - 4 倭文と卑弥呼の「斑布」
文献に見る倭文/(平安時代まで)/(中世以降)/倭文部について/古代の絹織物/「斑布」をめぐって
- 第4章 花織の源流
- 1 沖縄の花織
花の意味/沖縄の花織/東南アジアの紋機と腰機 - 2 花織の技法
インドネシアとブータンの技法/花織の基本技法 - 3 タイ族、ラオ族の紋機
雲南タイ族の紋機 退化形を考える/タイラオを訪れる/タイラオの織物文化/タイラオの機械 - 4 ラオ族から沖縄へ
タイラオの紋仕掛け/沖縄花織との類似/アユタヤ貿易と花織の伝来
- 第5章 大和機の系譜
- 1 近世上方の平織物
麻と木綿/奈良晒/河内木綿/大和絣/木綿の普及と商品織物 - 2 大和機の特性
大和機導入の謎/製織性の実験/風合いとは何か - 3 傾斜織機の系譜
傾斜織機の構造と機能/腰織の変遷/径糸傾斜の普遍性
- 第6章 近世日本の織機
- 1 『機織彙編』の織機
『天工開物』と『機織彙編』/花機と木綿機/二つの絹機 - 2 ペルシアの織機と大和機
大和機/イランのチャドルシャブ織機/東南アジア大交易時代と大和機の成立 - 3 カンボジアの織機と絹機
カンボジアの織機/米沢の長機と関東の厩機/東日本の絹機/混合する形式 - あとがき
【感想は?】
技術史だ。歴史の一分野である。だが、著者の姿勢は、私たちが考える歴史家とは全く異なる。
もちろん、文献は漁るし、その視野も広い。例えば「第5章 大和機の系譜」と「第6章 近世日本の織機」では、奈良晒とその製造機械である大和機を巡り、各地の古文書を漁っている。
が、それ以上に、自ら糸を依り機を織る、ばかりでなく織機まで創り上げ、当時の工程を再現するのには驚いた。意外と肉体派・実践派なのだ。
この姿勢のクライマックは、4世紀前半ごろとされる下池山古墳(→Wikipedia)から出土した縞織物を再現しようとする「第3章 幻の織物 倭文(しず、→コトバンク)」だろう。
この織物、密度が凄い。1cmに経糸65本×緯糸17本/50本×22本/48本×29本/56本×17本/53本×17本とか、とんでもねえ緻密さである。飛び杼もない古墳時代に、そこまで緻密な布を織るには、どんだけ手間をかけたんだか。
そもそも、絹ってのが凄いよね。桑を育て蚕に食べさせ蛹を茹でて糸を巻き取りと、糸にするまでの手間だけでも頭が言いたくなる。古墳みたくデカいモノは、それだけの労力を使役する権力の強さがひと目でわかるけど、布みたく細やかなモノにも、見る人が見れば、そこにも権力の強さが現れるのだ。
また、同じ絹でも、中国と日本の違いも興味深い。中国の絹は依らないが、日本では依るとか。
加えてこの織物、「経糸に絹と麻を同時に使っている」。素人の私は「だから何?」としか思わなかったのだが、著者が自ら織ると、大きな問題が浮き上がってくるのである。「緯打ちをするたびに麻糸はパラパラと切れた」。絹と麻の性質の違いが、トラブルを引き起こすらしい。
下池山古墳出土縞織物の最大の謎は、経糸に絹と麻を同時に使っている点である。絹と麻はそれぞれ繊維の特徴が違い、絹は柔軟で切れることも少ないので、適切に扱えばそれほど難しいものではない。むしろ一見素朴に見える麻の方が硬く、伸びにくく、切れやすく、扱いは難しい。
――第3章 幻の織物 倭文
これに対し、著者は麻を水で濡らしたりと様々な対策を講じるが、結局あまりうまい手は見つからなかったとか。こういう、実際に作ってみたら問題が見つかりました、なんてあたりは、身につまされるエンジニアも多いんじゃなかろか。現実というのは、ヒトの想像を超えて複雑なのだ。
ただ、ここで重要な概念となる「縞」の説明が、ずっと後の第5章に出てくるのは、ちと不親切。たぶん、原因はこの本の成立過程だろう。元は複数の論文だったのをまとめて加筆訂正し、一冊にしたため、こうなったんだと思う。
縞(嶋)というのは、予め色違いの糸を用意しておいて、整経の時にあるいは織る時に、色を変えて直線模様を表す織物の技法(略)またこの技法で織った織物を指す(略)
絣というのは、糸を括って染め、括った部分が染まらないことを利用して、色違いで文様を表す織物の技法(略)またこの技法で織った織物のこともいう。
――第5章 大和機の系譜
この第4章と第5章では、ラオスやカンボジアそしてイランを巡り、各地の織機や織物を調べる過程で、ユーラシア東部と海をめぐる壮大な仮説が浮き上がってくるのも面白い。その証拠が、個々の織機の構造や仕組みといった、実に細かい話なのも、ミステリっぽい味がある。
イランの織機を慶長の頃(1600年頃)奈良晒生産に導入し、日本近世の高機として確立したのが、大和機である可能性は高い。
――第6章 近世日本の織機
かなり専門的な本でもあり、素人の私は正直言って1割程度しか理解できてないと思う。それでも、実際に自らの手で過去の技術を再現しようとする著者たちの熱意は、否応なく伝わってきた。意外と汗臭い学問の現場の匂いが漂う、泥臭い本だ。こういう本が気軽に読める、現代という時代の有難みをつくづく感じる。
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