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2023年9月の4件の記事

2023年9月29日 (金)

植村和代「ものと人間の文化史169 織物」法政大学出版局

織物技術は、今から一万年以上前に発明された人類初の機械生産技術であった。
  ――はじめに

10~5万年前、ホモサピエンスの出現によって、人類は石器において石刃を開発するとともに、編みや組みの技術を生み出した。籠や袋や網などが作られるようになったのである。
  ――第1章 人間特有の織物文化

人類初の機械化を成し遂げた織物文化の核心は、逆転の発想による、綜絖(そうこう)という一括操作の仕掛けである。
  ――第1章 人間特有の織物文化

この書では、(織機の)三種類の基本形について、錘を下げて張る織機を「錘機」、地面を利用して張る織機を「地機」、人体の腰で張る織機を「腰機」と表記する…
  ――第2章 古代の織物と織機

腰機は生産性を求めない。
  ――第2章 古代の織物と織機

織物技術の衰退は、概して、まず染色が安易になり、糸を作らなくなり、織る時の手間をいやがる、という順序で起こるように私は思う。
  ――第4章 花織の源流

弥生時代から古墳時代初期までの日本の織物は、絹を含めてすべて平織であった
  ――第5章 大和機の系譜

【どんな本?】

 今ではふんだんに手に入る布/織物だが、かつては手作りだった。とはいえ、それなりに機械化・効率化はしていた。織機である。

 人力ではあるが、織機の機構は複雑かつ精巧で、また地域・文化ごとのバラエティにも富む。もちろん、それを使う織り手の技術や、出来上がる織物も。

 著者は古文書を漁り、日本各地はもちろんタイ・カンボジア・イランなどアジア各地にも出かけ現地の織機を取材し、また古墳から出土した布を再現するために自ら糸を紡ぎ機を織り、果ては多くの人の協力を得て織機まで創り上げ、その使い勝手や織り方のコツを探り、それぞれの織物と織機そして織り手の技術へと迫ってゆく。

 主に東南アジアから日本を舞台とし、力織機より前の織機および織物の技術と歴史、そしてその伝播を探る、専門家向けの文化史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年12月15日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約333頁。9ポイント47字×19行×333頁=約297,369字、400字詰め原稿用紙で約744枚。文庫なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はそこそこ読みやすい。ただし内容はかなり高度で、繊維や衣料そして織物に詳しい人向けだ。自ら機を織る人向けと言っていい。また縞や絣など専門用語の説明が後から出てきたりする。たぶん、元は六つの論文で、それをまとめ加筆訂正して一冊の本に仕上げたんだろう。

【構成は?】

 古代から近世まで、時代ごとに進む。ただし各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • まえがき
  • 第1章 人間特有の織物文化
  • 1 人間と衣文化
    人間独自の文化/最初の衣料 毛皮/衣文化の象徴 紐衣
  • 2 編みと組み 織物はその簡易版
    編組の技術/繊維の発見
  • 3 組みから織りへ
    スプラングと織物/織物とは/方形の平面
  • 4 機械文明の曙
    機械文明と現代日本/織物の美は品格の美
  • 第2章 古代の織物と織機
  • 1 古代の織物
    織物の発明/聖なる布/緯糸と経糸の張り方
  • 2 地機と錘機
    三種類の基本形と地機/錘機の歴史/錘機と自在性
  • 3 腰機 東アジア
    腰機の背景/腰機の歴史/腰機と精神性/西と東の織物文化
  • 第3章 幻の織物 倭文
  • 1 縄文の布
    アイヌの花ゴザ/アンギン編みと錘機/俵・薦作りの技術
  • 2 弥生時代の絹織物
    東アジア海域世界/弥生時代の絹織物
  • 3 古墳時代初期の縞織物
    下池山古墳出土絹織物/下池山古墳出土裂と古墳時代の絹織物/再現の問題点 六機か腰機か/再現の問題点 絹と麻の併用
  • 4 倭文と卑弥呼の「斑布」
    文献に見る倭文/(平安時代まで)/(中世以降)/倭文部について/古代の絹織物/「斑布」をめぐって
  • 第4章 花織の源流
  • 1 沖縄の花織
    花の意味/沖縄の花織/東南アジアの紋機と腰機
  • 2 花織の技法
    インドネシアとブータンの技法/花織の基本技法
  • 3 タイ族、ラオ族の紋機
    雲南タイ族の紋機 退化形を考える/タイラオを訪れる/タイラオの織物文化/タイラオの機械
  • 4 ラオ族から沖縄へ
    タイラオの紋仕掛け/沖縄花織との類似/アユタヤ貿易と花織の伝来
  • 第5章 大和機の系譜
  • 1 近世上方の平織物
    麻と木綿/奈良晒/河内木綿/大和絣/木綿の普及と商品織物
  • 2 大和機の特性
    大和機導入の謎/製織性の実験/風合いとは何か
  • 3 傾斜織機の系譜
    傾斜織機の構造と機能/腰織の変遷/径糸傾斜の普遍性
  • 第6章 近世日本の織機
  • 1 『機織彙編』の織機
    『天工開物』と『機織彙編』/花機と木綿機/二つの絹機
  • 2 ペルシアの織機と大和機
    大和機/イランのチャドルシャブ織機/東南アジア大交易時代と大和機の成立
  • 3 カンボジアの織機と絹機
    カンボジアの織機/米沢の長機と関東の厩機/東日本の絹機/混合する形式
  • あとがき

【感想は?】

 技術史だ。歴史の一分野である。だが、著者の姿勢は、私たちが考える歴史家とは全く異なる。

 もちろん、文献は漁るし、その視野も広い。例えば「第5章 大和機の系譜」と「第6章 近世日本の織機」では、奈良晒とその製造機械である大和機を巡り、各地の古文書を漁っている。

 が、それ以上に、自ら糸を依り機を織る、ばかりでなく織機まで創り上げ、当時の工程を再現するのには驚いた。意外と肉体派・実践派なのだ。

 この姿勢のクライマックは、4世紀前半ごろとされる下池山古墳(→Wikipedia)から出土した縞織物を再現しようとする「第3章 幻の織物 倭文(しず、→コトバンク)」だろう。

 この織物、密度が凄い。1cmに経糸65本×緯糸17本/50本×22本/48本×29本/56本×17本/53本×17本とか、とんでもねえ緻密さである。飛び杼もない古墳時代に、そこまで緻密な布を織るには、どんだけ手間をかけたんだか。

 そもそも、絹ってのが凄いよね。桑を育て蚕に食べさせ蛹を茹でて糸を巻き取りと、糸にするまでの手間だけでも頭が言いたくなる。古墳みたくデカいモノは、それだけの労力を使役する権力の強さがひと目でわかるけど、布みたく細やかなモノにも、見る人が見れば、そこにも権力の強さが現れるのだ。

 また、同じ絹でも、中国と日本の違いも興味深い。中国の絹は依らないが、日本では依るとか。

 加えてこの織物、「経糸に絹と麻を同時に使っている」。素人の私は「だから何?」としか思わなかったのだが、著者が自ら織ると、大きな問題が浮き上がってくるのである。「緯打ちをするたびに麻糸はパラパラと切れた」。絹と麻の性質の違いが、トラブルを引き起こすらしい。

下池山古墳出土縞織物の最大の謎は、経糸に絹と麻を同時に使っている点である。絹と麻はそれぞれ繊維の特徴が違い、絹は柔軟で切れることも少ないので、適切に扱えばそれほど難しいものではない。むしろ一見素朴に見える麻の方が硬く、伸びにくく、切れやすく、扱いは難しい。
  ――第3章 幻の織物 倭文

 これに対し、著者は麻を水で濡らしたりと様々な対策を講じるが、結局あまりうまい手は見つからなかったとか。こういう、実際に作ってみたら問題が見つかりました、なんてあたりは、身につまされるエンジニアも多いんじゃなかろか。現実というのは、ヒトの想像を超えて複雑なのだ。

 ただ、ここで重要な概念となる「縞」の説明が、ずっと後の第5章に出てくるのは、ちと不親切。たぶん、原因はこの本の成立過程だろう。元は複数の論文だったのをまとめて加筆訂正し、一冊にしたため、こうなったんだと思う。

縞(嶋)というのは、予め色違いの糸を用意しておいて、整経の時にあるいは織る時に、色を変えて直線模様を表す織物の技法(略)またこの技法で織った織物を指す(略)
絣というのは、糸を括って染め、括った部分が染まらないことを利用して、色違いで文様を表す織物の技法(略)またこの技法で織った織物のこともいう。
  ――第5章 大和機の系譜

 この第4章と第5章では、ラオスやカンボジアそしてイランを巡り、各地の織機や織物を調べる過程で、ユーラシア東部と海をめぐる壮大な仮説が浮き上がってくるのも面白い。その証拠が、個々の織機の構造や仕組みといった、実に細かい話なのも、ミステリっぽい味がある。

イランの織機を慶長の頃(1600年頃)奈良晒生産に導入し、日本近世の高機として確立したのが、大和機である可能性は高い。
  ――第6章 近世日本の織機

 かなり専門的な本でもあり、素人の私は正直言って1割程度しか理解できてないと思う。それでも、実際に自らの手で過去の技術を再現しようとする著者たちの熱意は、否応なく伝わってきた。意外と汗臭い学問の現場の匂いが漂う、泥臭い本だ。こういう本が気軽に読める、現代という時代の有難みをつくづく感じる。

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2023年9月19日 (火)

宮原ひろ子「地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか 太陽活動から読み解く地球の過去・現在・未来」化学同人DOJIN文庫

惑星がほどよい気温を保てるかどうかは、太陽が放出する光の量と太陽からの距離で決まります。けれども、その心地よさがわずかに変わるということが、太陽の状態が刻々と変化することによっておこってくるわけです。それを研究対象にしているのが宇宙気候学です。
  ――第1章 変化する太陽

電離圏には、雷雲によって上層に運ばれた正の電荷が溜まっていて、地表と電離圏のあいだには、数百キロボルトもの電位差が生じています。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

現在の地球では、炭素13が炭素12の1/100程度しか含まれていませんが、超新星残骸にある炭素には、炭素12と炭素13がほぼ同じ割合で含まれているのです
  ――第5章 変わるハビタブルゾーン

【どんな本?】

 太陽の活動が地球の気候に影響を与える。日中は温かいし、夜は冷える。「太陽の光が地球を暖めているんだから、当たり前じゃないか」と思うだろう。だが、冒頭で意外な事実が明らかになる。太陽の光の量はほとんど変わらないのだ。

 では、何が問題なのか。これも冒頭で想定外の仮説を著者は示す。宇宙から地球に降り注ぐ宇宙線が地球の天気を支配している、と。

 地球の気候と宇宙線に、何の関係があるのか。太陽の活動は?

 そもそも太陽とは何か、なぜ太陽活動が活発だと黒点が増えるのかなどの基礎的な事柄から、過去の太陽活動や地球の気候をどうやって調べるか、なぜ宇宙線が地球の気候を変えるのかなどの科学トピック、そして恐竜絶滅の謎に迫る壮大な仮説まで、極小の原子の世界から銀河系の運動へと様々な時間と空間のスケールで語る、エキサイティングな科学解説書。

 第31回講談社科学出版賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は2014年8月に化学同人DOJIN選書より刊行の同名の単行本。文庫版は2022年12月5日第1刷発行。文庫版は加筆・訂正していて、特に第6章などで最新の情報が加わっている。9ポイント38字×17行×205頁=約132,430字、400字詰め原稿用紙で約332枚。文庫でも薄め。いや中身は濃いけど。

 文章は意外とこなれている。中身も素人に親切でわかりやすい。とうか、涙を呑んで専門的な言葉や説明をバッサリ切った感がある。例えば宇宙線(→名古屋大学宇宙線物理学研究室)について、その詳しい実態は説明していない。数式も出てこないので、理科が得意なら中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

 前の章を踏まえて後の章が続く構成なので、素直に頭から読もう。

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  • まえがき
  • 序論
  • 第1章 変化する太陽
  • 1 太陽とはどのような星か
    恒星の進化/太陽がつくり出すエネルギー/惑星を温める太陽のエネルギー/磁場を持つ太陽
  • 2 黒点とは
    太陽の自転と黒点の生成/太陽活動の長期的な変化の謎
  • 3 マウンダ―極小期の謎
    マウンダ―極小期の発見/小氷期の謎/太陽の光量の変動/月に残された太陽光の変化
  • 4 ダイナミックに変化する太陽と宇宙天気
    宇宙の天気とは/オーロラはなぜ発生するのか/宇宙天気災害/太陽フレアと放射線被ばく/磁場が引き起こすトラブル/通信機器への影響/宇宙天気災害と地磁気のかたち/太陽フレアの規模と宇宙天気災害の規模の関係性
  • 第2章 太陽の真の姿を追う
  • 1 太陽活動史を復元する方法
    樹木に記録される太陽の活動/太陽活動の指標となる炭素14/屋久島に残された太陽活動の記録/太陽の記録を残す南極の氷 ベリリウム10
  • 2 宇宙線の変動は何を映し出すか
    地球を包み込む太陽のシールド/太陽圏磁場のスパイラル構造/太陽圏はどのように宇宙線を遮るか/宇宙線量の11年周期変動/太陽磁場の反転の影響による宇宙線の22年周期変動/太陽圏の構造と宇宙線量
  • 3 復元された太陽活動
    過去に何度も起こっていた無黒点期/樹木に残された太陽の“心音”/正確な太陽活動の復元をめざして
  • 4 太陽活動を駆動するのは
  • 第3章 太陽活動と気候変動の関係性
  • 1 過去の気候を調べる方法
    年輪から探る過去の気候/樹木の年輪以外を使って気候を調べる方法/試料の年代決定
  • 2 ミランコビッチ・サイクル
    天文学的な要素による太陽の地球への影響/氷期と間氷期の10万年周期
  • 3 ボンド・イベント
    1000年スケールの気候変動と太陽活動/氷期における太陽活動と気候変動
  • 4 小氷期が社会に与えるインパクト
    小氷期の発生と太陽活動/社会に与えた影響
  • 第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか
  • 1 宇宙線の影響を見分けるには
    太陽活動が気候に影響するいくつかの経路/地磁気の変動を利用して宇宙線影響を探る/宇宙線だけに特徴的な22年周期変動を手がかりにする/太陽圏環境に左右される気候
  • 2 宇宙線と雲
    宇宙線が影響するプロセス/宇宙線の影響を受容しやすいホットスポットはどこか/宇宙線のもうひとつの効果
  • 第5章 変わるハビタブルゾーン
  • 1 地球の謎は解けるか?
    宇宙線の密集域への接近/地球史上の大イベント/地磁気変動との相乗効果/恐竜が滅んだのは?/数億年スケールの地球史を記録する地層/生命誕生と宇宙線
  • 2 暗い太陽のパラドックス
    暗い太陽のもとで生命は誕生した/パラドックスは解けるか/変わるハビタブルゾーン
  • 3 地球型惑星を探せ!
    地球型惑星の探査方法/住み心地のよい環境かどうかの観測
  • 第6章 未来の太陽と地球
  • 1 太陽はマウンダ―極小期を迎えるのか
    突然訪れた太陽活動の異常/マウンダ―極小期が再来するかどうかのカギ/地球への影響
  • 2 天気予報は変わるか
    宇宙天気と天気/太陽フレアと宇宙線のフォーブッシュ減少/天気予報につながるか?/得られ始めた太陽フレア予測への手がかり
  • 参考文献/あろがき/文庫版あとがき

【感想は?】

 宇宙気候学なんて名詞だけでもゾクゾクしてくる本だが、内容は思った以上に意外性に富んでいる。

 太陽の活動が地球の気候を変える。そんなの当たり前、と思うだろう。特に日差しが強くクソ暑い夏には。でも、太陽の光量は意外と変わらないのだ。変わるのは、宇宙線の量。

恒星の残骸から飛んでくる宇宙線は、太陽フレアが発生した際に太陽から飛んでくる放射線よりエネルギーが何桁も高く…
  ――第2章 太陽の真の姿を追う

 だが、宇宙線と気候の関係は冒頭で軽く仄めかされるだけ。冒頭で疑問を抱かせておいて、話は太陽の活動へと移る。イケズだが、必要なのだ。なに、親しみやすい言葉で書かれた文字数の少ない本でもあるし、スグに解が出てくる。ミステリだと思って、素直に読もう。

 その地球に降り注ぐ宇宙線の量を変えているのが、太陽の磁場。地球の磁場が数十万年に一度ぐらい反転するのに対し、太陽の磁場は忙しい。

太陽は頻繁に磁場の向きを変えているのです。(略)太陽活動が活発になって黒点数がピークを迎えたときに反転していますので、11年に1回反転していることになります。
  ――第2章 太陽の真の姿を追う

 太陽の磁場は、銀河の宇宙線から地球を守っている。太陽の磁場が弱まると、地球に降り注ぐ宇宙線が増える。実際はもっと複雑なんだが、その結果として…

太陽活動が11年周期で変動するのにともなう銀河宇宙線量の変動は、20~30%にもなります。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

 と、宇宙線の量が変わるのだ。その宇宙線が、気候にどう影響するのか、というと。

1997年にデンマークのフリス・クリステンセンとヘンリク・スペンスマルクは、銀河宇宙線の変動と地球をおおう雲の量がよく一致しているという驚くべき論文を発表しました。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

 宇宙線が増える→雲が増える→太陽光を雲が遮り地球が冷える、そんな感じ。でも、過去の宇宙線の量なんて、どうやって調べるのかっつーと、ハイ出ました、過去の気候調査の王道、木の年輪。

木の成長速度が気温に大きく依存する地域では、年輪幅の増減から気温の変動を知ることができますし、成長速度が降水に大きく依存している地域では、降水量の増減を知る手がかりが得られます。
  ――第3章 太陽活動と気候変動の関係

 これ、生きてる木だけでなく、いつ倒れたかわからん倒木でも調べる方法があるんだけど、その方法ってのが…

伐採年が分からない場合は、炭素14の濃度を測定し、1964年の年輪に特徴的な濃度の増加を検出します。これは、1963年に施行された部分的核実験禁止条約を前に相次いで行われた大気中での核実験によって、大量の中性子が大気中に放出され、それによって大量の炭素14がつくられ、濃度が急上昇したことによるものです。
  ――第3章 太陽活動と気候変動の関係

 世界的な地震計の設置も、冷戦時代に敵国の核実験を調べるために進んだなんて話もあって、なんだかなあ、と思ったり。さて、炭素14とかの同位元素、これが宇宙線の増減を知る手がかりになるってのも面白い。要は高エネルギーの荷電粒子(たいていは陽子)が他の元素にぶつかると、原子核が陽子を吸収した後に陽子が電子を放出し中性子に変わり同位体になるんだな。原発でトリチウム(三重水素)ができるのも、確か同じ理屈だったはず。

 これが終盤になると、話がドカンとデカくなる。なんと、天の川銀河系の中の太陽系の位置が謎のカギになってきたり。

超新星残骸の衝撃波が、荷電粒子を高エネルギーに加速するのです。ですから、太陽圏に飛んでくる宇宙線の量は、太陽系の近傍にどれくらい超新星残骸があるかということに依存して、変化することになります。
  ――第4章 宇宙はどのようにして地球に影響するのか

 この辺のゾクゾク感は、ブルーバックスの「恐竜はなぜ絶滅したか」以来だなあ。これには状況証拠もあって。

全球凍結が発生していた24憶~21憶年ほど前と8憶~6憶年前は、天の川銀河がスターバースト(→Wikipedia)を起こしていた時期で、太陽系が暗黒星雲をかすめてもおかしくない状況にあったことがわかります。
そのほか、1.4憶年ごとに繰り返す寒冷化のタイミングは、太陽系が銀河の腕を通過するタイミングと一致していますし、生物種の数に見られる6000万年~7000万年周期という変動は、銀河の中での太陽系のアップダウン運動と関連する可能性が指摘されています。
  ――第5章 変わるハビタブルゾーン

 他にも、天の川銀河内の太陽系の軌道も、私の思い込みと全く違ってて、小さい規模から大きい規模まで、「そうだったのか!」の連続で思い込みを覆されるネタが続々と出てきて楽しい本だった。

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2023年9月10日 (日)

SFマガジン2023年10月号

本特集「SFをつくる新しい力」はSFファン活動と、いまSF小説を読む若者に焦点を当てて、その動機や傾向を探ったものである。
  ――特集「SFをつくる新しい力」 特集解説

「どうせ目に見える美しさは、わたしにはよくわからないので」
  ――キム・チョヨブ「マリのダンス」ユン・ジヨン訳カン・バンファ監修

光合成してる、わたし。
  ――M・ショウ「孤独の治療法」鯨井久志訳

「きみの目は、邪眼だ」
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第9回

「私に完全な遊戯を作らせろ、<大三元>の天才よ、あんたの力が要る」
  ――十三不塔「八は凶数、死して九天」前編

 376頁の標準サイズ。

 特集は橋本輝幸監修「SFをつくる新しい力」。日本と中国のSFファン活動や若いSF読者の傾向そして若手SF作家の作品。プロとファンの境の曖昧さや、ファン活動が話題になるのもSFの特徴だろう。

 小説は11本。

 まず特集「SFをつくる新しい力」で3本。キム・チョヨブ「マリのダンス」ユン・ジヨン訳カン・バンファ監修,王侃瑜「隕時」大久保洋子訳,M・ショウ「孤独の治療法」鯨井久志訳。

 連載は5本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第9回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第50回,飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第19回,吉上亮「ヴェルト」第一部第二章,夢枕獏「小角の城」第71回。

 読み切りは3本。十三不塔「八は凶数、死して九天」前編,草野原々「カレー・コンピューティング計画」,SF作家×小説生成AIで池澤春菜「コズミック・スフィアシンクロニズム」。

 特集「SFをつくる新しい力」。

 最初の10代~20代SF読者アンケート結果が興味深い。アンケート対象は日本と中国の若いSF読者で、好きなSF作家や好きなSF小説を訊ねた。三体シリーズの劉慈欣は圧倒的な人気。中国ファンの強い支持を受けアイザック・アシモフやアーサー・C・クラーク,そしてまさかのジュール・ヴェルヌのベスト10入りが驚き。

 勝手な想像だが、二つの理由があるんじゃなかろか。

 一つは中国のSF出版の若さと薄さ。歴史が積み重なり書き手が増えると、古典より今勢いがある作家・作品の比率が増える。日本で小松左京がないのも、伴名練や円城塔が面白くて勢いがあるためだろう。逆に出版界が若く作家の層が薄いと、実績のある海外作家の翻訳の比率が増える。私が出版社を経営する立場なら、売れた(そして今も売れている)作家・作品を優先して出す。だって安全牌だし。

 もう一つは、ファンの気質。生真面目な人が多いんだと思う。だもんで、「んじゃまず基礎教養から」的な態度で、古典と呼ばれる作品から積極的に挑んでるのかな、と。

 いやいずれも全く根拠はないんだが。

 キム・チョヨブ「マリのダンス」ユン・ジヨン訳カン・バンファ監修。ソラは元ダンス教師。友人の頼みで、モーグのマリにダンスを教える羽目になる。モーグは視知覚に異常があり、今では未成年の5%ほどを占める。ダンスの美しさが、マリには理解できないはずだと思いつつも、ソラはレッスンを続ける。後にマリは「失敗したテロリスト」と呼ばれることになる。

 一種のミュータント・テーマだろうか。グレッグ・イーガン「七色覚」(「ビット・プレイヤー」収録)とシオドア・スタージョン「人間以上」を思い浮かべた。現実をどう認識するかってレベルで食い違っちゃうと、色々と共存は難しいだろうなあ。

 王侃瑜「隕時」大久保洋子訳。隕石から抽出した物質T-42は、人間の時間を加速させる。これにより時間当たりの生産性は上がり、人々はこぞってT-42を求めるようになった。だが、T-42の接種には思わぬ副作用があって…

 冒頭の、加速した人の描写が素晴らしいというか、とってもわかりやすい。 基本的なアイデアは本川達雄「ゾウの時間 ネズミの時間」中公新書に似ている。あんな違いが、人間同士のなかで起きたらどうなるかを、忙しい現代の世情で思いっきりデフォルメして描いた作品なんだが、オチが壮大で酷いw

 M・ショウ「孤独の治療法」鯨井久志訳。パンデミックで街はロックダウン。飼い猫のヘンリーは死んだ。元カレのグレームは身勝手でしつこい。会社は倒産寸前。家賃は値上げの危機。フォロデントロン(サトイモ科)の挿し木をピクルス汁の瓶に突っ込んだら、わたしはマジの植物女になった。

 元カレのストーカー気質も酷いが、語り手の一言居士っぷりも相当なもんw 語り手は元々なのか変異の影響なのか、判然としないあたりも、この作品の味だろう。一人暮らしの奇行は、きっとよくある話。静かに、だが着実に、現実も語り手の心境も変わってゆく。懐かしのTVドラマ、トワイライト・ゾーンのような風味の作品。

 連載小説。

 飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第19回。仮想リゾート<数値海岸>の<陶の区界>。ラーネアはゲストに手を添えて土を捏ね轆轤を回し陶器を焼いてきた。だが<大途絶>でゲストの訪れは途絶えたが、ラーネアたち区界の住人はゲストの訪れを待っていた。そこに<天使>が現れ、一夜で壊滅寸前に追いやる。住民たちを救ったのは<園丁>と蜘蛛。

 舞台も登場人物も前回までとまったく違って驚いた。いや数値海岸なのは同じなんだけど。とまれ、描かれる<陶の区界>とゲストの関係は、相変わらずグロテスクで想像を絶している。ここに現れた<天使>とその能力も、実に禍々しい。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第50回。<イースターズ・オフィス>はシルヴィアを確保し、ハンターらの情報を掴もうと尋問を始めたが、シルヴィアのガードは固い。彼女に希望を与えるべく、レイ・ヒューズの協力を得てセッティングしたバジルとの会食は相応の効果を発揮したが、ハンターへのシルヴィアの忠誠は揺るがず…

 シルヴィアの生い立ちが語られる回。シリアスな回想のあとに何言ってんだアビーw <イースターズ・オフィス>の面々が、シルヴィアの忠誠をカルト教団の信仰になぞらえているのは、分かるようなヤバいような。にしても、ペル・ウィングの乱入には笑ったw 言い訳してるけど、趣味だろ、絶対w 

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第9回。今度は零が前席に、伊歩が後席で出撃した雪風。基地をバンカーバスターで攻撃した超音速爆撃機オンロック3機を追う雪風だが、零と伊歩の認識は食い違い…

 ジャムを見破る田村伊歩大尉が、いよいよ本領を発揮しつつあるのがワクワクする。彼女の登場に取り、零ばかりか雪風までも大きく変わってきているのもいい。これまで、零も雪風も互いを道具として認識していたのが、彼女が加わることでチームとしてまとまり始めたのか、またはシステムとして機能しはじめたのか。

 吉上亮「ヴェルト」第一部第二章。ソクラテスは死刑宣告を受ける。師を救おうと駆けずり回るプラトンを、暴漢が襲う。プラトンの危機を救ったのはクセノフォン。ペルシアに出征していたが、いつの間にかアテナイに戻っていた。暴漢の遺留品を頼りに黒幕を追う二人だが…

 悪妻として有名なクサンティッペ(→Wikipedia)が、なかなかに楽しい人に描かれてるのが好き。連れ合いがあれぐらい浮世離れしてると、これぐらいでないと務まらないのかもw 死刑の仕掛け人アニュトスも、駆け引きに長けた商人/政治家なんだが、ソクラテスの頑固さは読み切れなかった模様。

 読み切り小説。

 SF作家×小説生成AIで池澤春菜「コズミック・スフィアシンクロニズム」。宇宙最大のスポーツイベント、コズミック・スフィアシンクロニズム。惑星アストロニアまで小惑星を運び、惑星軌道を輪のように取り囲むソラリスの穴へ小惑星を押し込む競技だ。有名な競技者の父が突然に失踪したため、ライアンは素人ながら出場する羽目になった。ところがライアンはとんでもない方向音痴で…

 今までのSF作家×小説生成AIでは、最も短編SF小説としてまとまっている。このまんま映像化してもいいぐらい。語り口はスピーディでユーモラス、お話はトラブルとアクション満載で波乱万丈ながら大きな破綻もなく、登場人物は個性的でキャラが立ってる。特にミラの口の悪さがいい味出してるw

 草野原々「カレー・コンピューティング計画」。AIというか大規模言語モデルの進歩と普及により、小説家のわたしは追い詰められていた。芸風がAIとカブっているのがマズい。あてどもなく散歩に出たわたしは、さびれた地区で万物極限研究所なる家に迷い込み…

 出だしから著者の不安と開き直りが炸裂するあたり、いかにも草野原々らしくていいw 怪しげな研究所に怪しげなマッド・サイエンティストが巣食い、怪しげでやたら稀有壮大な理論を披露するあたりは、懐かしい50年代のアメリカSFを古風な日本文学の文体で語りなおした雰囲気。

 十三不塔「八は凶数、死して九天」前編。19世紀半ばの清。陳魚門は童試に及第したが、賭場に通いつめ無為に日々を過ごす。豪商の白蛟爬とチンピラの彭侶傑を相手に素寒貧になった陳は、夢のようなものを見る。勝負中に見えたモノを白蛟爬に告げた時、陳の運命は大きく変わった。

 日本じゃ専門の漫画雑誌があるぐらい普及している麻雀の起源を扱う作品。今WIkipediaで調べたら、それなりに史実を踏まえてるんだなあ。白蛟爬は大物感と胡散臭さが漂う、いかにも裏がありそうな老中国商人なのがいい。

 伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡 第九回 稀代の幻想小説家とSF界をめぐって 山尾悠子」。荒巻義雄の「現実な問題として山尾悠子のようなタイプの作家を育てる土壌は、今日、SF界以外には存在しないからだ」が、当時のSF界の気概を示していて嬉しい。ホント、そういう役割を引き受けてこそSFだと思う。

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2023年9月 8日 (金)

私が好きな社会学の名著

 某所で社会学がネタになっているので、それに便乗して。

 と言っても、私は大学で社会学を学んだワケじゃない。小中学校で社会科を学んだ程度だ。だもんで、社会学はどんな学問なのか、よく分かってない。とりあえず「三人以上の人間がいる時の人間同士の相互作用」ぐらいに考えている。要は人間関係の学問だね。

 つまりは文学や科学と並ぶ、大きなくくりの学問分野だと思っている。この理屈だと社会学の一分野として経済学や史学も入るんだが、敢えて経済学は外した。あと、妙に物騒な分野が多いのは、私の好みです。

【文化人類学関係】

 いきなり世間が考える社会学とは全く異なるのを出したけど。世の中にはどんな社会があるのか、それぞれに共通する法則はあるのか、どんな要素がどんな制度に影響するのか、とかは、社会の原理・原則を洗い出そうとしてるワケで、科学における物理学のような、いわば社会学の王道ではないか、と思うワケです。

ルース・フィネガン「隠れた音楽家たち イングランドの町の音楽作り」法政大学出版局 湯川新訳

 イングランドの人口12万人の町、ミルトン・ケインズ。どこにでもありそうな町を対象とし、アマチュア音楽活動を続ける人々を調査した本。クラシック,ブラスバンド,オペラ,ジャズ,カントリー&ウェスタン,フォーク,ロック/ポップなど広い分野で、楽団の構成員・活動内容・収支・社会的地位・聴衆などの統計的調査の他、実際に演奏会に訪れその様子を記録し、また楽団の構成員どうしの交流関係も探ってゆく。

 学者が書いた本だけあって、文章が硬いのが唯一の欠点。でも、私が音楽が好きなのもあって、内容はとっても楽しく読めた。フォークとロックとカントリーの意外な関係とか。アマチュア音楽家に興味があるなら、ぜひ読んでみよう。そう、そこの「ぼっち・ざ・ろっく」のファン、君のことだよ。

ジェラード・ラッセル「失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて」亜紀書房 臼井美子訳

 エジプト、レバノン、シリア、イラク、イラン、パキスタンなどは、イスラム教の国だと思われている。だが、実際には多種多様な宗教があり、その信者が住んでいる。彼らはどんな教えを信じ、どんな所にいて、どんな暮らしをしているのか。他の宗教との兼ね合いはどうか。そして、彼らの未来は。

 宗教というと面倒くさそうだが、少数民族を訪ね歩き、その社会と暮らしを観察したレポートとしても面白い。結局のところ、「そういう習わしだから」みたいな宗教もあって、「宗教とは何か」を真面目に考えると、かえって混乱しちゃうかもしれない。

高野秀行「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」本の雑誌社

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をモットーとする辺境旅行作家の高野秀行が、当時は海賊王国のように言われていたソマリアへ赴き、そこに住む人々と体当たりの付き合いを重ね、ソマリアの実情を描き出した捧腹絶倒の旅行記。

 いやホント、捧腹絶倒の内容なのに、なぜ南部ソマリアでは争いが絶えないのか、なぜソマリランドが平和を得られたのかとか、けっこう真面目な問題にも、ソレナリに納得できる解が得られるから油断できない。地元の人たちとカートをクチャクチャやった結果カート依存に陥ってまで得た現地の実情は、奇想天外でありながら「そりゃそうだよな」とも思えるあたりが、この本の楽しい所。

 って、ジャーナリストの突撃レポートであって、全く学者の本じゃないんだけど、面白いからいいよね。

テオドル・ベスター「築地」木楽舎 和波雅子・福岡伸一訳

 一時期は豊洲への移転で大騒ぎになった築地卸売市場。なぜ築地に卸売市場ができたのか。どんな人たちが、どんな経緯で築地に店を構えるようになったのか。などの築地ローカルな話題に加え、日本における水産物の様々な流通経路とその特徴などのマクロな構造の分析も交え、人類学的な視点と知日的なガジンの目線で描く、築地市場と日本食のレポート。

フィリップ・ボック「現代文化人類学入門 1~4」講談社学術文庫 江渕一公訳

 はい、まんま、文化人類学の入門書。社会学者には左派が多い、みたいな印象があるんだけど、この本を読むと、その理由が少しわかると思う。左派が多いというより、「俺の国/民族は特別」みたいなナショナリズムを洗い流されるんだな。自分の国や民族を、外側から眺める視点が得られるというか。

 中でも私が強く印象に残っているのは、交叉いとこ婚をめぐる分析で、自由恋愛が普通な現代日本の感覚だとアレに見えるけど、その背景にある社会構造が分かってくると、ソレナリに合理的に思えてきたり。

 とはいえ、最大の欠点は、まずもって書店じゃ見当たらないこと。古本屋でもまず見つからないので、図書館に頼ろう。埋もれた、そして埋もれさせてはいけない名著だと思う。

【林学】

ヨアヒム・ラートカウ「木材と文明 ヨーロッパは木材の文明だった」築地書館 山縣光晶訳

 木材がなんで社会学なんだ?と思うだろうが、木…というか森や林と人間の暮らしは、深い関係がある。これは単に技術的な話だけでなく、どんな立場の者が・どんな目的で関わるかによって、森も人間の運命も大きく変わってしまう。だが、歴史的な資料は往々にして権力を持つ者つまり領主などの立場で書かれる。領主にとって森は狩りの場だが、住民にとっては薪の供給地だったり豚の放牧場だったり。

 薪で分かるように木材は燃料すなわちエネルギー源なんだが、石油に比べるとやたらかさばり、運ぶのが難しい。これが地域の産業や発展にも影響を与え…と、社会の在り方にも関わってくるのですね。

ジョン・パーリン「森と文明」晶文社 安田喜憲・鶴見精二訳

 そんなワケで、かつて森は社会というか文明や国家の盛衰の原動力でもあった。「木材と文明」が主に森のそばで暮らす人びとを緻密に描いたのに対し、こちらはもっと俯瞰的な視点で森と人間の関わりを描いてゆく。

 例えばメソポタミア。神話のギルガメシュは、フンババを訪ねて杉の大木が立ち並ぶ森へと赴く。これから窺えるのは、かつてのメソポタミアには鬱蒼とした杉の森があった事であり、メソポタミア文明が発達した原動力は杉の森が提供する豊富な木材だって事だ。現在のイラクの風景からは想像もできないよね。そんな風に、歴史の見方が大きく変えてしまう本なのだ。

【政治学】

 政府とは、最も大きく明文化された社会でもある。そんな政府を運営するのは政権であり、その仕組みや挙動を分析するのが政治学なら、これは立派な社会学の一分野だろう。

ブルース・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス「独裁者のためのハンドブック」亜紀書房 四本健二&浅野宣之訳

 人が集まり組織ができれば権力勾配ができる。権力の形は様々だが、独裁政権はその極端な例の一つであり、権力というものの性質を分析するには優れたサンプルだ。独裁者たちがどのように権力を得て、どうやって維持しているのか。そのカラクリを、独裁者向けのマニュアルって形でわかりやすく分析・説明した本。

 多民族国家の独裁政権で少数民族の者が閣僚に加わってたり、傀儡国家が独裁政権ばっかりだったり、独裁政権下の国家が発展しにくい理由も、この本を読めばちゃんと分かります。

レイ・フィスマン+ミリアム・A・ゴールデン「コラプション なぜ汚職は起こるのか」慶應義塾大学出版会 山形浩生+守岡桜訳

 汚職は少ない方がいい。でも、なかなか減らない。おまけに汚職の度合いを調べるのも難しい。考えてみよう。政治家の汚職が連日ニュースになる国と、全く報道されない国では、どっちが汚職が多いだろうか。じゃ、どうやって調べりゃいいのか。微分方程式や望遠鏡は、科学の発達に大きく貢献した。手法や道具の進歩は、学問の進歩につながる。同様に、本書が紹介する汚職度合いを調べる手法は、社会学の進歩に貢献するはずだ。

 ってな風に真面目に読んでもいいけど、興味本位の野次馬根性でワイドショウを楽しむ感じで読んでも、もちろん面白い本だ。

【犯罪学】

 これも「なぜ犯罪学?」と思われるだろうが、犯罪とは社会のバグの一つと考えれば、これも立派な社会学の範疇だよね。

小宮信夫「犯罪は『この場所』で起こる」光文社新書

 著者の主張は意外なようだが、私たちの本能は著者を支持する。つまり、犯罪はいかにもヤバそうな時にヤバそうな場所で起こる、そういう主張だ。では、ヤバそうな場所とは、どんな所か。その具体的な特徴を挙げ、ヤバい場所を避けるアドバイスを教えてくれる。が、それは本書のごく一部。

 公園や建物などを造る際も、デザイン次第で犯罪の危険性は大きく変わる。また、地域の人々の活動によっても、犯罪を減らせる。これは自警団なんて直接的なモノではなく、もっと微妙で賢明で、住民の反感を買いにくく、かつ誰もが参加しやすい方法でもある。地域社会への提言として、貴重な内容を多く含む本だ。

田中辰雄・山口真一「ネット炎上の研究 誰があおり、どう対処するのか」勁草書房

 インターネット上の炎上もまた、社会のバグの一つだろう。その炎上は、どんな人がどんな手口で煽り参加するのか。どんな理由で炎上し、どんな経過をたどり、どれぐらい続くのか。そして、炎上したときには、どう対処すればいいのか。

 調査の方法がアンケートによる自己申告なので、炎上参加者のプロフィールはやや眉唾だと私は思う。だが、ニコニコ動画や2ちゃんねる(当時)の管理者がログを解析して暴いた、炎上を煽るいわば火付け人/放火犯たちの手口は、とても参考になる。いやブログやってる立場だから、ヒトゴじゃなくて興味津々だってのもあるけど。

【革命論】

 犯罪が社会のバグの一つなら、革命/クーデターは社会のセキュリティ・ホールを突く行為だろう。以下の本は革命/クーデターの手口を説明する本だが、同時にセキュリティ・ホールを塞ぐための優れた参考書でもある。

チェ・ゲバラ「新訳 ゲリラ戦争 キューバ革命軍の戦略・戦術」中公文庫 甲斐美都里訳

 ゲリラ闘争でキューバをひっくり返したチェ・ゲバラによる、革命のレシピ。なにせ火炎瓶を遠くに飛ばす方法や戦車を頓挫させる落とし穴の掘り方とかの戦闘技術を、あまりにあけすけに語っているのが凄い。他にも抵抗組織をつくり運用するためのコツや、予算も装備も劣るゲリラ軍が正規軍に挑む戦略とか、「こんな本を出版して本当に大丈夫なのか?」と、読んでいて不安になるほど。

クルツィオ・マラパルテ「クーデターの技術」中公選書 手塚和彰・鈴木純訳

 同じ武力で政権を奪うにせよ、革命は中・長期的な戦闘を続け政権を倒すのに対し、クーデターはより短期的・突発的に政権を乗っ取る方法だ。本書はそのクーデターを、倫理的な是非を完全に無視し、単に技術として巧拙を評価する本だ。特に著者が高く評価するのは十月革命のトロツキーで、曰く「反乱は、状況とは無関係に起こす事が可能」とまで言っている。ここが政治状況を前提としたゲバラと大きく異なり、また本書がより物騒な点でもある。

 とにかく手口を具体的の書いてるのが怖い。さすがに1931年の本だけあって、幾つかは手直しが必要だが、基本的な原理が分かってしまえば、現代風にアレンジもできる。と同時に、どこにセキュリティ・ホールがあって、どう塞げばいいかも分かるんだが、現代の日本はファイアウォールの一部が弱体化してるんだよなあ。

【軍事・戦争論】

 戦争は社会の危機だ。そして、それをもたらすのも社会だ。自分の社会か、敵の社会かはともかく。そんな戦争が起きる原因を探るのも、社会学の重要な役割だろう。

佐原徹哉「国際社会と現代史 ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化」有志舎

 ボスニアが内戦に至ったのには、ボスニア特有の事情が幾つかある。拮抗した民族構成、各民族間の流血の歴史、周辺の元ユーゴスラヴィア諸国の思惑と情勢、元連邦軍の軍備・人員構成そして配置など。これに加えユーゴスラヴィアの経済・社会構造に、導入した選挙制度の問題点が加わり、もともと火薬庫と呼ばれた土地が燃え上がった。

 などの情勢はあるが、その情勢を利用し敢えて火を焚きつけた連中もいる。そういう連中は世界のどこにでもいて、もちろん日本にも潜んでおり、今もなお隙を窺っているのだ。

ウイリアム・H・マクニール「戦争の世界史 -技術と軍隊と社会-」刀水書房 高橋均訳

 暴力装置なんて言葉があるくらいで、社会学と軍事力は関係が深い。本書は青銅の時代から技術と軍事力そして社会の構造について分析し、それぞれの時代の主力となる兵器や戦術そして技術が、社会というか権力の構造までにも決定的な影響を与えた由を明らかにしてゆく。

 私が特に印象に残っているのは、いわゆる封建時代の権力・支配構造に、馬が大きく関係していること。本書では主に西洋の事情を扱っているけど、同じような事が同時代の日本でも起きているワケで、なかなか感慨深かった。

マーチン・ファン・クレフェルト「戦争文化論 上・下」原書房 石津朋之監訳

 「戦争は政治の延長」と主張するカール・フォン・クラウゼヴィッツの戦争論に真っ向から喧嘩を吹っ掛け、もっとヤバくてみもふたもない戦争の原因とヒトの本性を、豊富な例で容赦なく暴き立て読者に見せつける、おぞましく挑発的で衝撃的な本。

 著者はイスラエルの軍事史家で極端なタカ派でもある。特に下巻では著者の思想が前面に出て、いささか辟易するものの、イスラエルの歴史と状況を考えると、まあ仕方がないか。

 そんな著者が書いた本ではあるが、むしろハト派こそ本書を読むべきだ。タカ派がどうやって好戦的な世論を煽るか、その根本にあるヒトの性質と欲望を白日の下に晒す点で、本書が容赦なく本質をついているのは、各国の志願兵募集のポスターを見ればよくわかる。

ダニ・オルバフ「暴走する日本軍兵士 帝国を崩壊させた明治維新の[バグ]」朝日新聞出版 長尾莉紗/杉田真訳

 ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニは、確固たる意志を持ち強力なリーダーシップで国を戦争へ引き込んだ。だが、太平洋戦争に向かった大日本帝国は、いささか異なる。そこに強力なリーダーはいなかった。前線の指揮官たちの暴走により、次々と外交上の選択肢を失い、戦争以外の手段を失ったのだ。

 なぜそんな国になったのか。帝国陸軍は、なぜ前線の指揮官を統制できず、彼らの暴挙に引きずられたのか。著者はその原因を明治維新に求め、維新の志士が残した文化や思想へと行きつく。

 文化史・思想史の色が濃いが、制度や組織構造への具体的の言及も多い。戦争を厭う人はもちろん、組織を立ち上げ維持・統率し運営する人にも得る物が多い本だ。

【その他】

モートン・D・デービス「ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで」講談社ブルーバックス 桐谷維・森克美訳

 ゲーム理論の生みの親は、数学と科学の天才ジョン・フォン・ノイマンだ。それが社会学と関係があるのかというと、確かにゼロ和ゲーム(全プレーヤーの利害を合計すると差し引きゼロになる)ではあまり関係がなくて、数学が中心だ。しかし、非ゼロ和ゲームでは様相が異なる。

 合理的に考えれば、プレイヤーは自分の利益の最大化を狙うはずだ。だが、実際には違う。敢えて自分が損をしてでも、他のプレイイヤーに損をさせようとする場合もある。ここに、社会的な動物であるヒトの性質が顔を出す。なんか難しそうだが、経済制裁や戦争って、そういう事だよね。

 更に、ゲームが繰り返される場合や、プレイヤー同士が連絡を取り合えるか否かなど、ゲームをとりまく状況でも、プレイヤーの振る舞いは変わる。社会とは互いが協力しあう、少なくとも協力し合うように促すゲームでもある。ならば、より優れた社会を設計し運営するには、ゲーム理論の知見が役に立つはずだ。

ジョエル・ベスト「統計はこうしてウソをつく だまされないための統計学入門」白揚社 林大訳

 続けて数学っぽい本だが、著者は社会学者を名乗っている。実際、本書に難しい数式は出てこない。なんで社会学者が統計の本を? と思うだろうが、ニュースの世論調査や社会運動家の演説では統計数字がよく出てくるからだ。

 それらの数字は、どこからどうやって出てきたのか、その調査方法や加工方法、そして社会学者も含め世論を動かそうと目論む者たちは、どのように数字を操るのか。その手口を容赦なく暴きだし人々に注意を促す本だ。真面目に読んでもいいが、野次馬根性で読んでも面白い。

エドワード・ヒュームズ「『移動』の未来」日経BP社 染田屋茂訳

 私たちの暮らしは移動が支えている。例えばスマートフォンが出来るまでに、部品は中国と台湾と日本の工場を行き来する。こういったグローバル化を支える基盤の一つは、港湾や海運業界だ。その港湾や海運業界は、どんな人たちがどんな組織でどのような役割を果たしているんだろうか。現代の港湾や海運業界は、どんな情勢にあるんだろうか。

 もちろん、陸上の話も扱っている。合衆国はクルマ社会だ。それは政策や司法にまで影響を及ぼしている。自転車が好きな私にはいささか辛い話も多い。UPS社の右折と左折の話など、身近ながら役に立つ逸話もチラホラ。乗り物好きにはお勧めの一冊。

エドワード・グレイザー「都市は人類最高の発明である」NTT出版 山形浩生訳

 都市化は世界的な傾向だ。だが、環境問題に関心がある人は、都市より田園の暮らしを良しとする人が多い。都会の空気は汚いし、スラムだってある。でも、本当に田園生活は地球にやさしいんだろうか。首都圏に住めば自家用車は要らない。鉄道と路線バスでたいていの用事は済む。とはいえ、通勤ラッシュは辛いよね…

 など、都市にまつわる色々なテーマについて、環境問題や社会問題、交通渋滞や都市の盛衰の鍵など、様々な角度で面白エピソードと統計数字を交え、私たちが気づいていない都市の性質を描き出し、事によっては政策提案にまで踏み込んだ本。ちなみに著者の姿勢は「都市化賛成」です。

【終わりに】

 なんかズレてるのばっかだよな、と思うなら、それは私の考える「社会学」がズレてるからだ。

 科学が化学・天文学・物理学などを含むように、社会学も政治学・史学・経済学・民俗学などを含む、大きな分野を示す言葉なんだと思っている。

 …とか書いてて、気が付いた。この理屈はおかしい。というのも。

 それは肩書き/名乗りだ。普通、科学者は、科学者を名乗らない。有機化学者や電波天文学者や理論物理学者を名乗る。そこで「あなたは科学者ですか?」と訊ねられたら、「はい」と答えるだろう。

 じゃ、経済学者や史学者や民俗学者は?

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