ソフィ・タンハウザー「織物の世界史 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか」原書房 鳥飼まこと訳
衣服は、私たちの歴史から生まれたものなのだ。
――はじめに糸の登場によって、人類の居住可能な地域が急速に拡大したというのだ。糸のおかげで、人類は網、罠、縄、紐、釣り糸を作ったり、複雑な道具を作るために物と物をつなぎ合わせたりすることができるようになった――つまり、獲物を捕獲し、食べ物を集めるための新たな手段を手に入れたというわけだ。
――第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ多くの女性にとって、リネンは所有することのできる唯一の財産だった。
――第2章 下着
【どんな本?】
サラリとしたリネン(亜麻),万能素材の綿,しなやかな絹,あたたかな羊毛,そして多様な合成繊維。これらが現代の私たち消費者の手元に届くまでには、世界中の人々の歴史と物語、暮らしと想いが織り込まれている。
農民が畑の隅で育てた亜麻、土地と淡水を食いつぶす綿、先端の遺伝子技術を用いた絹、工場での大量生産を象徴する合成繊維、歴史を受け継ごうとする羊毛。織物の歴史と今を追い、著者は地元アメリカ合衆国の各地はもちろんホンジュラス・イギリス・中国と世界中を巡り、織物が生まれ私たちの手元に届くまで、その過程と関わる人々の姿を描き出す。
エネルギッシュな取材と色とりどりの歴史エピソードで綴る、織物と人類のドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Worn : A People's History of Clothing, by Sofi Thanhauser, 2022。日本語版は2022年12月21日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約392頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×392頁=約350,056字、400字詰め原稿用紙で約876枚。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらい。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。「織る」と「編む」の違いや、「セルヴィッジ」など、衣服関係の知識があると、更に楽しめるだろう。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- はじめに
- リネン
- 第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ
- 第2章 下着
- 綿
- 第3章 テキサスの大地
- 第4章 衣料革命
- 第5章 干ばつ
- 絹
- 第6章 揚子江シルク
- 第7章 衣装騒乱
- 第8章 マスファッションの台頭
- 合成繊維
- 第9章 レーヨン
- 第10章 ナイロン
- 第11章 輸出加工区
- 羊毛
- 第12章 小さきものの群れ
- 第13章 羊毛の祭典
- 第14章 織る者
- おわりに
- 謝辞/訳者あとがき/注/参考文献
【感想は?】
織物そのものより、その製造・生産に関わる人々の話が多い。
洋の東西を問わず、織物に関わるのは、たいてい女だ。物語でも機織りは女の仕事だし、現実でも有名な富岡製糸場で働いていたのは女だった――経営者は男だけど。そして、本書は経営者ではなく労働者に焦点を当てている。
最初の「第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ」では、リネン(亜麻)の歴史を辿りつつ、元は農家で自給自足していた亜麻が工業化するに従い、土地と労働力を使い捨てにしていく織物産業の姿に軽く触れる。以降、全体を通し同じ論調が続く。
女工哀史なんて小説もあるくらいで、どうも製糸や織物の労働者の雇用条件は悪い印象がある。つまり安い賃金と劣悪な労働環境だ。以下は合衆国の綿栽培で働く労働者のレポートの一部。
アメリカ国内に居住するラテン系農家の平均寿命は49歳。対して、それ以外の国民の平均寿命は73歳から79歳となっている。
――第3章 テキサスの大地
昔の合衆国南部のサトウキビと綿栽培は奴隷労働が支えていただ、それは今もたいして変わっていないようだ。この引用は農薬ラウンドアップの害を訴えている。
その綿織物、元はインドが本場だった。
19世紀以前に行われていた綿布の大陸間交易において、すべてを取り仕切っていたのはインドの織物職人だった。
――第4章 衣料革命
これが産業革命により、イギリスが覇者の座を奪う。
産業革命は衣料の革命だ。
――第4章 衣料革命
ガンジーが糸車をインドの象徴にしたのは、こういう事情がある。紡績機が糸車の立場を奪ったわけだ。でも、消費者としては、安いのは魅力なんだよなあ。今着てるTシャツも大量生産の安物だし。
機械化によって生産性は370倍に向上し、(略)イギリス産の布の値段も下がった。1780年代初頭には116シリングだった綿モスリンが、50年後には同じ長さで28シリングになった。
――第4章 衣料革命
その綿、肌触りは良いし汗を良く吸うし、一種の万能素材ではあるんだが、同時に淡水を大量に消費するのが困りもの。
20世紀のあいだに、水の消費量は6倍に増加している。これは人口増加率の2倍だ。(略)
ほかのどの分野よりも農業に使用される分量が多く、(略)その多くは綿のために使用されている。(略)
綿1kg当たりに8500ℓもの水が必要となる。対して、米は1kgあたり3000ℓ、トウモロコシは1kgあたり1350ℓ、小麦に至っては1kgあたり900ℓだ。
――第5章 干ばつ
淡水を多く使う綿を輸入するのは、淡水を輸入するのと同じ意味がある。そういう視点はなかった。気候だけでなく、輸出入で見ても、日本は淡水に恵まれているんだなあ。
続く「第6章 揚子江シルク」では、素材が絹に、舞台も中国に移る。かつて絹の名産地で桑畑が拡がっていた江南地方も、今は開発が進んで桑畑は滅びつつあり、生糸はベトナムなどから輸入してたり。ハイテク化も進んで…
「通常、繭は白いのですが」「今は黄色やピンク、水色などがあります。どうしてかというと……」「遺伝子組み換え」
――第6章 揚子江シルク
なんか無茶やってる気もするが、もとの蚕からして家畜化して野生じゃ生きていけない種だしねえ。
次の「第7章 衣装騒乱」では、フランスのパリがファッションの中心になった経緯が興味深い。これ、ルイ14世が意図的にブランド化したのだ。なかなか賢い政策だろう。
ルイ14世が統治していた1643年から1715年には、パリの労働者の1/3がファッション産業で働いていた。17世紀を通じて、特に最後の数十年間でパリは二倍になり、コンスタンティノープル、江戸、北京に次いで世界で四番目に大きい都市であったロンドンと並ぶまでになった。
――第7章 衣装騒乱
続く「第8章 マスファッションの台頭」では、衣服の「作るもの」から「買うもの」への変化を描く。昔は服といえば家で作るか、仕立て屋に頼むものだったのだ。
南北戦争以前は、外に着るための既製服といえば船乗りか奴隷用に作られたものだけだった。
――第8章 マスファッションの台頭
これを変えたのが、やっぱり出ましたよ戦争。
既製服産業がより大きな消費者市場に向けて大きく一歩を踏み出すきっかけとなったのが、標準サイズの登場だ。南北戦争のあいだ、軍服を作るにあたって徴集兵の採寸が行われた。大勢の人間の採寸データによって、汎用性のあるいくつかのサイズの幅を定めることができた。
――第8章 マスファッションの台頭
「カレーライスの誕生」でも、日本でカレーライスが普及したきっかけは軍隊だ、なんて説もあって、どうも大規模な軍や戦争は、庶民の文化に大きな影響を与えるものらしい。
これをさらに後押ししたのが、百貨店。
1880年代にデパートがアメリカで台頭し、1915年までには既製服売り場がデパートでは一般的なものとなった。
――第8章 マスファッションの台頭
当時はデパートが流行の最先端だったのだ。
こういったマスプロ化の象徴ともいえるのが合成繊維。ただし、労働環境への配慮が緩い時代には、多くの労働災害があった。
労働者の四人に一人が二硫化炭素に起因する深刻な中毒症状に見舞われていると結論づけられたのである。
――第9章 レーヨン
この章が描く経営者側の強欲な姿勢は、資本主義の残酷な側面をまざまざと見せつけられる。タバコ産業とかも、こんな感じなんだよなあ。
続く「第10章 ナイロン」は、太平洋戦争前後からの日米関係を取り上げていて、なかなか興味深い。
1939年10月24日、ナイロンのストッキングが初めて登場したとき、デラウェア州ウィルミントンでは4000足が三時間で完売した。
――第10章 ナイロン
これと似たテーマは次の「第11章 輸出加工区」へと引き継がれ、グローバル化のダークサイドを暴きだす。
衣料品ブランドは、世界のどこであれ一番安く引き受けてくれる相手に製品の製造を委託し、消費者の目に映る自分たちと現場の真実を引き離す。
――第11章 輸出加工区
消費者としちゃ服が安く買えるのは嬉しいが、そのツケは誰かが負ってるのだ。その分、生産地の仕事が増え賃金が上がってりゃともかく、そうはいかない構造があったりする。
これらの暗い話題が続いた後の「羊毛」では、マスプロ化に逆らおうとする人々を描く。例えば…
日本の製造者は、細幅シャトル織機でセルヴィッジデニムを作る工程を発展させ、(略)アメリカの男性服の細部にまでこだわるべく、ノースカロライナの木造工場の床で鋳鉄機械を稼働したがために生じてしまったエラー箇所までも見事に模倣し、「スロー」な製造工程を開発したりもした。
――第12章 小さきものの群れ
これはVANかな? 70年代の日本の若者にとって、アメリカは憧れの国だったのだ。UCLAのトレーナーとか、今でもあるし。でもって、エラーまで再現するあたりは、B-29を完全コピーしたソ連のTu-4を彷彿とさせる。
次の「第13章 羊毛の祭典」は、イングランド北部~スコットランドの牧羊の歴史を辿りつつ、イングランド北部コッカーマスで催されるウールフェストのレポートが楽しい。羊毛も、多くの種類があって、マニアも細かい拘りがあるのだ。
中世イングランドの羊毛の品質が素晴らしかったのは、皮肉なことに牧草が貧弱だったおかげだ。羊がもっと栄養のある牧草を食べていれば、体はもっと大きくなり、それに比例して繊維径も太くなっていたことだろう。
――第13章 羊毛の祭典
羊が良い環境で育てば羊毛も良くなるワケじゃないってのが、面白い所。
また、織物には、創作としての側面もある。創作だから、別に伝統に沿ったものに限らず、作者が創造力を発揮してもいい。
アフガニスタンで編まれたパイル織りの絨毯には、ソビエトのヘリコプターを撃ち落とすスティンガーミサイルが織り込まれている。
――第13章 羊毛の祭典
この伝統と創造の葛藤を描くのが、次の「第14章 織る者」。ここでは、ナバホ織りを現代に蘇らせようとする人々を報告しているんだが、肝心のナバホ織りが、時代によって積極的に新技術や斬新なデザインを取り入れてきた歴史があり、伝統って何だろうね、などと思ったり。それはともかく…
地面の穴を抜ける際に、蜘蛛女――ナバホ族の織物の女神であり、偉大なる助力者であり、教師であり、人類の保護者――に出会うことができると信じられている。
――第14章 織る者
あ、やっぱり、どこでも蜘蛛は織る者の象徴なんだ、と妙な点に感心してしまった。
消費者が安く手に入れることができるのは、コストを外部化しているためである。
――おわりに
「ツケを他人に回してるから安く上がるんだぞ」と厳しい姿勢で、その具体例を歴史上の文書や統計から世界の各地の現地レポートも含めてかき集めた労作で、読後感は苦い。と同時に、今の「あたりまえ」がどのように成り立ってきたのかがわかる、身近なモノの歴史の面白さもある。技術史や産業史が好きな人にお薦め。
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