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2023年7月の3件の記事

2023年7月24日 (月)

SFマガジン2023年8月号

『ハロー、シザース。一緒に遊ぼうよ』
  ――冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第48回

弁明者の名を記そう。
アリストンの子アリストクレス。人々はわたしを、プラトンと呼ぶ。
  ――吉上亮「ヴェルト」第一部

樹木はすばらしい。種子ならもっとすばらしい。
  ――イザベル・J・キム「宇宙の底で鯨を切り裂く」赤尾秀子訳

昔、まだずっと小さかった頃、ここで飛行船を見た記憶がある。
  ――高野史緒「グラーフ・チェッペリン あの夏の飛行船」冒頭試し読み

 376頁の標準サイズ。

 特集は「≪マルドゥック≫シリーズ20周年」として、冲方丁のエッセイやシリーズガイドなど。

 小説は12本。

 うち連載は5本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第8回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第48回,飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第18回,新連載の吉上亮「ヴェルト」第一部,夢枕獏「小角の城」第70回。

 読み切りは7本。小川一水「殺人橋フジミバシの迷走」,ジョン・チュー「筋肉の神に、敬語はいらない」桐谷知未訳,イザベル・J・キム「宇宙の底で鯨を切り裂く」赤尾秀子訳,草上仁「毒をもって」,パク・ハル「魘魅蟲毒」吉良佳奈江訳,高野史緒「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」冒頭試し読み,SF作家×小説生成AIで松崎有理「超光速の遺言」。

 特集は「≪マルドゥック≫シリーズ20周年」、冲方丁特別寄稿「『マルドゥック・アノニマス』精神の血の輝きを追い続けて」。「初期のプロットにハンターはいなかった」にびっくり。あれだけ魅力的で物語を引っぱる人物が、最初の構想にはなかったとは。創作って、そういうもんなんだろうか。

連載小説。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第48回。ラスティとシルヴィアは、暴走して<楽園>への襲撃を企てる。二人を待ちうけていたのは、意外な勢力の連合だった。

 今回は急転直下な驚きの展開が次々と訪れる。ラスティとシルヴィアを待ちうける面々もそうだし、その後に明かされる過去の因縁も、長くシリーズを追いかけてきた読者へのプレゼントだ。加えてイースターズ・オフィスの面々が、実に似合わない話し合いをする羽目にw

 新連載の吉上亮「ヴェルト」第一部。ソクラテスは理不尽な裁判により死刑の判決が下り、牢に送られた。幸いにして処刑は延期され、師を救うためプラトンは奔走し、脱獄の手配までするが、肝心のソクラテスは判決に従おうとしていた。

 ソクラテス(→Wikipedia)とプラトン(→Wikipedia)は名前だけ知ってたが、クセノフォン(→Wikipedia)は知らなかった。テセウスの船(→Wikipedia)も、そうだったのか。意外とプラトンが体育会系なのは、史実に沿ってて、ちょっと笑った。いやシリアスな雰囲気のお話なんだけど。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第8回。バンカーバスターの邀撃に成功し、基地に帰投した深井零と田村伊歩。しかし雪風は滑走路の途中で止まり、燃料と弾薬の補給、そして零と伊歩の席の交換を要求する。

 零と桂城の関係って、伊歩にはそう見えるのかw お互いに相手の性格と能力と限界を掴み、生き残るための最善策を選べるってのは、そういう事なんだろうけど、うーんw 人工知能が出した、ジャムの攻撃手段の予想も凄い。まあ、明らかにジャムは既知の物理法則を超えた存在ではあるんだが、それを予想できる人工知能なんて、どうやって創るんだか。

 飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第18回。学園祭の日。目玉は二つ、映画部による「2001年宇宙の旅」上映と、美術部の遠野暁の作品展示だ。ところが実行委員は頭を抱えている。2001年のフィルムは届いたが、フィルムを調達した映画部の唐谷晋が登校していない。遠野暁も姿をくらましている。

 この作品は、なんとも不気味で居心地が悪い。その原因の一つは、登場人?物たちが、自分たちも世界も作りものだと分かっている点だ。小野寺家の「おかあさん」の異様さも、早都子は気づいているらしい。それが斬新でもあるし、座りの悪さでもある。

 読み切り小説。

 小川一水「殺人橋フジミバシの迷走」。可航橋フジミバシはミフジ川にかかる橋だ。毎日七時から19時までは船を通していたが、千一大祭でミフジ川の水が涸れた。これでは船を通せず、可航橋ではない。そこで船を通すために、フジミバシは船を求め動き出した。

 橋が動くって、どういうこと? と思ったが、文字どおりの意味だったw ちょっとチャイナ・ミエヴィルの「コヴハイズ」に似た、クレイジーなヴィジョンが楽しいユーモラスな作品。

 ジョン・チュー「筋肉の神に、敬語はいらない」桐谷知未訳。舞台は現代の合衆国。空飛ぶ男の動画が人気を博している。ハンググライダーなどの道具を一切使わず、身一つで飛ぶ。特撮でもCGでもない。その場に居合わせた素人が撮った動画だ。差別を受け傷つけられるアジア系の者を、なるべく暴力を使わず助けようとする。

 作品名に偽りなし。ここまで筋肉とトレーニングに拘ったSF小説も珍しいw 空飛ぶ男、まるきしスーパーマンなんだが、世間の反応は大歓迎とはいかず…。舞台は現代の合衆国だが、日本にも同じ問題はあるんだよね。にしても「計算機プログラムの構造と解釈」にビックリ。俺、まだ読んでないや。

 イザベル・J・キム「宇宙の底で鯨を切り裂く」赤尾秀子訳。マイカとシームは、解体されたステーションからオンボロ宇宙船を奪い脱出した。深宇宙で死んだ手つかずの世代宇宙船を見つけた二人は、残骸を漁って荒稼ぎを目論み巨大な宇宙船に乗り込むが…

 巨大宇宙船の残骸を漁る者たちと鯨骨生物群集(→Wikipedia)の例えが巧みだ。この作品世界の厳しさと、そこで生き抜く人々の逞しさを見事に表している。樹木が貴重ってあたりも、この世界にピッタリだ。

 草上仁「毒をもって」。わざわざ海外から毒物を取り寄せ、それを長期間にわたり夫に服用させ殺したとして、被告人席に立たされた妻。彼女を告発する検事と、被告を守ろうとする弁護士の論戦は…

 えーっと、まあ、アレです、私も身に覚えがあるので、わははw いいじゃねえか、好きにさせろよw

 パク・ハル「魘魅蟲毒」吉良佳奈江訳。蟲毒を用いた罪で呪術師の金壽彭は捕まり、取り調べで「王家は呪われている」と叫んで死んだ。県監の崔強意は不審に思うが、暗行御史の趙栄世は「王命に疑問を持つな」と言うばかり。どうも朝廷の後継争いが絡んでいるらしい。

 朝鮮王朝スチームパンク・アンソロジー「蒸気駆動の男」収録の一編。冒頭の引用は怪談風味で、そういう味付けではあるんだが、それ以上に、作品世界の厳しい身分制度の描写が怖い。崔強意の息子の報警が聞き取り調査に赴く場面でも、「これじゃロクに聞き取りできないだろうなあ」とつくづく感じる。

 高野史緒「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」冒頭試し読み。1929年、世界一周を目指す硬式飛行船グラーフ・ツェッペリンは、土浦の霞ケ浦海軍航空隊基地に着陸を試みる際、爆発炎上した。そして現代。高校二年の藤沢夏紀には、幼い頃に巨大な飛行船が飛ぶのを見た記憶がある。同年代の北田登志夫も同じ飛行船を見た記憶があるが、両者は異なる世界にいるようで…

 え? 本当に高野史緒? と言いたくなるぐらい、今までの芸風とまったく違う。高校生の夏を描くジュブナイルって感じ。少なくとも、今のところは。この季節に読むと、セミの声などが現実とシンクロして一味違う。強い日差し、授業で脱線しがちな教師、謎めいた老婦人。そんな道具立てが、眉村卓などの昔懐かしい青春SFの香りを掻き立てる。

 SF作家×小説生成AIで松崎有理「超光速の遺言」。対談がとっても面白い。「日本語の文学ってセリフがすごく多い」とか。原因の一つは、誰の発言かが分かりやすいからかな。一人称・二人称が多彩だし、語尾も活用できるし。

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2023年7月18日 (火)

ソフィ・タンハウザー「織物の世界史 人類はどのように紡ぎ、織り、纏ってきたのか」原書房 鳥飼まこと訳

衣服は、私たちの歴史から生まれたものなのだ。
  ――はじめに

糸の登場によって、人類の居住可能な地域が急速に拡大したというのだ。糸のおかげで、人類は網、罠、縄、紐、釣り糸を作ったり、複雑な道具を作るために物と物をつなぎ合わせたりすることができるようになった――つまり、獲物を捕獲し、食べ物を集めるための新たな手段を手に入れたというわけだ。
  ――第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ

多くの女性にとって、リネンは所有することのできる唯一の財産だった。
  ――第2章 下着

【どんな本?】

 サラリとしたリネン(亜麻),万能素材の綿,しなやかな絹,あたたかな羊毛,そして多様な合成繊維。これらが現代の私たち消費者の手元に届くまでには、世界中の人々の歴史と物語、暮らしと想いが織り込まれている。

 農民が畑の隅で育てた亜麻、土地と淡水を食いつぶす綿、先端の遺伝子技術を用いた絹、工場での大量生産を象徴する合成繊維、歴史を受け継ごうとする羊毛。織物の歴史と今を追い、著者は地元アメリカ合衆国の各地はもちろんホンジュラス・イギリス・中国と世界中を巡り、織物が生まれ私たちの手元に届くまで、その過程と関わる人々の姿を描き出す。

 エネルギッシュな取材と色とりどりの歴史エピソードで綴る、織物と人類のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Worn : A People's History of Clothing, by Sofi Thanhauser, 2022。日本語版は2022年12月21日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約392頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×392頁=約350,056字、400字詰め原稿用紙で約876枚。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらい。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。「織る」と「編む」の違いや、「セルヴィッジ」など、衣服関係の知識があると、更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  •  リネン
  • 第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ
  • 第2章 下着
  •  綿
  • 第3章 テキサスの大地
  • 第4章 衣料革命
  • 第5章 干ばつ
  •  
  • 第6章 揚子江シルク
  • 第7章 衣装騒乱
  • 第8章 マスファッションの台頭
  •  合成繊維
  • 第9章 レーヨン
  • 第10章 ナイロン
  • 第11章 輸出加工区
  •  羊毛
  • 第12章 小さきものの群れ
  • 第13章 羊毛の祭典
  • 第14章 織る者
  • おわりに
  • 謝辞/訳者あとがき/注/参考文献

【感想は?】

 織物そのものより、その製造・生産に関わる人々の話が多い。

 洋の東西を問わず、織物に関わるのは、たいてい女だ。物語でも機織りは女の仕事だし、現実でも有名な富岡製糸場で働いていたのは女だった――経営者は男だけど。そして、本書は経営者ではなく労働者に焦点を当てている。

 最初の「第1章 ニューハンプシャー最後のリネンシャツ」では、リネン(亜麻)の歴史を辿りつつ、元は農家で自給自足していた亜麻が工業化するに従い、土地と労働力を使い捨てにしていく織物産業の姿に軽く触れる。以降、全体を通し同じ論調が続く。

 女工哀史なんて小説もあるくらいで、どうも製糸や織物の労働者の雇用条件は悪い印象がある。つまり安い賃金と劣悪な労働環境だ。以下は合衆国の綿栽培で働く労働者のレポートの一部。

アメリカ国内に居住するラテン系農家の平均寿命は49歳。対して、それ以外の国民の平均寿命は73歳から79歳となっている。
  ――第3章 テキサスの大地

 昔の合衆国南部のサトウキビと綿栽培は奴隷労働が支えていただ、それは今もたいして変わっていないようだ。この引用は農薬ラウンドアップの害を訴えている。

 その綿織物、元はインドが本場だった。

19世紀以前に行われていた綿布の大陸間交易において、すべてを取り仕切っていたのはインドの織物職人だった。
  ――第4章 衣料革命

 これが産業革命により、イギリスが覇者の座を奪う。

産業革命は衣料の革命だ。
  ――第4章 衣料革命

 ガンジーが糸車をインドの象徴にしたのは、こういう事情がある。紡績機が糸車の立場を奪ったわけだ。でも、消費者としては、安いのは魅力なんだよなあ。今着てるTシャツも大量生産の安物だし。

機械化によって生産性は370倍に向上し、(略)イギリス産の布の値段も下がった。1780年代初頭には116シリングだった綿モスリンが、50年後には同じ長さで28シリングになった。
  ――第4章 衣料革命

 その綿、肌触りは良いし汗を良く吸うし、一種の万能素材ではあるんだが、同時に淡水を大量に消費するのが困りもの。

20世紀のあいだに、水の消費量は6倍に増加している。これは人口増加率の2倍だ。(略)
ほかのどの分野よりも農業に使用される分量が多く、(略)その多くは綿のために使用されている。(略)
綿1kg当たりに8500ℓもの水が必要となる。対して、米は1kgあたり3000ℓ、トウモロコシは1kgあたり1350ℓ、小麦に至っては1kgあたり900ℓだ。
  ――第5章 干ばつ

 淡水を多く使う綿を輸入するのは、淡水を輸入するのと同じ意味がある。そういう視点はなかった。気候だけでなく、輸出入で見ても、日本は淡水に恵まれているんだなあ。

 続く「第6章 揚子江シルク」では、素材が絹に、舞台も中国に移る。かつて絹の名産地で桑畑が拡がっていた江南地方も、今は開発が進んで桑畑は滅びつつあり、生糸はベトナムなどから輸入してたり。ハイテク化も進んで…

「通常、繭は白いのですが」「今は黄色やピンク、水色などがあります。どうしてかというと……」「遺伝子組み換え」
  ――第6章 揚子江シルク

 なんか無茶やってる気もするが、もとの蚕からして家畜化して野生じゃ生きていけない種だしねえ。

 次の「第7章 衣装騒乱」では、フランスのパリがファッションの中心になった経緯が興味深い。これ、ルイ14世が意図的にブランド化したのだ。なかなか賢い政策だろう。

ルイ14世が統治していた1643年から1715年には、パリの労働者の1/3がファッション産業で働いていた。17世紀を通じて、特に最後の数十年間でパリは二倍になり、コンスタンティノープル、江戸、北京に次いで世界で四番目に大きい都市であったロンドンと並ぶまでになった。
  ――第7章 衣装騒乱

 続く「第8章 マスファッションの台頭」では、衣服の「作るもの」から「買うもの」への変化を描く。昔は服といえば家で作るか、仕立て屋に頼むものだったのだ。

南北戦争以前は、外に着るための既製服といえば船乗りか奴隷用に作られたものだけだった。
  ――第8章 マスファッションの台頭

 これを変えたのが、やっぱり出ましたよ戦争。

既製服産業がより大きな消費者市場に向けて大きく一歩を踏み出すきっかけとなったのが、標準サイズの登場だ。南北戦争のあいだ、軍服を作るにあたって徴集兵の採寸が行われた。大勢の人間の採寸データによって、汎用性のあるいくつかのサイズの幅を定めることができた。
  ――第8章 マスファッションの台頭

 「カレーライスの誕生」でも、日本でカレーライスが普及したきっかけは軍隊だ、なんて説もあって、どうも大規模な軍や戦争は、庶民の文化に大きな影響を与えるものらしい。

 これをさらに後押ししたのが、百貨店。

1880年代にデパートがアメリカで台頭し、1915年までには既製服売り場がデパートでは一般的なものとなった。
  ――第8章 マスファッションの台頭

 当時はデパートが流行の最先端だったのだ。

 こういったマスプロ化の象徴ともいえるのが合成繊維。ただし、労働環境への配慮が緩い時代には、多くの労働災害があった。

労働者の四人に一人が二硫化炭素に起因する深刻な中毒症状に見舞われていると結論づけられたのである。
  ――第9章 レーヨン

 この章が描く経営者側の強欲な姿勢は、資本主義の残酷な側面をまざまざと見せつけられる。タバコ産業とかも、こんな感じなんだよなあ。

 続く「第10章 ナイロン」は、太平洋戦争前後からの日米関係を取り上げていて、なかなか興味深い。

1939年10月24日、ナイロンのストッキングが初めて登場したとき、デラウェア州ウィルミントンでは4000足が三時間で完売した。
  ――第10章 ナイロン

 これと似たテーマは次の「第11章 輸出加工区」へと引き継がれ、グローバル化のダークサイドを暴きだす。

衣料品ブランドは、世界のどこであれ一番安く引き受けてくれる相手に製品の製造を委託し、消費者の目に映る自分たちと現場の真実を引き離す。
  ――第11章 輸出加工区

 消費者としちゃ服が安く買えるのは嬉しいが、そのツケは誰かが負ってるのだ。その分、生産地の仕事が増え賃金が上がってりゃともかく、そうはいかない構造があったりする。

 これらの暗い話題が続いた後の「羊毛」では、マスプロ化に逆らおうとする人々を描く。例えば…

日本の製造者は、細幅シャトル織機でセルヴィッジデニムを作る工程を発展させ、(略)アメリカの男性服の細部にまでこだわるべく、ノースカロライナの木造工場の床で鋳鉄機械を稼働したがために生じてしまったエラー箇所までも見事に模倣し、「スロー」な製造工程を開発したりもした。
  ――第12章 小さきものの群れ

 これはVANかな? 70年代の日本の若者にとって、アメリカは憧れの国だったのだ。UCLAのトレーナーとか、今でもあるし。でもって、エラーまで再現するあたりは、B-29を完全コピーしたソ連のTu-4を彷彿とさせる。

 次の「第13章 羊毛の祭典」は、イングランド北部~スコットランドの牧羊の歴史を辿りつつ、イングランド北部コッカーマスで催されるウールフェストのレポートが楽しい。羊毛も、多くの種類があって、マニアも細かい拘りがあるのだ。

中世イングランドの羊毛の品質が素晴らしかったのは、皮肉なことに牧草が貧弱だったおかげだ。羊がもっと栄養のある牧草を食べていれば、体はもっと大きくなり、それに比例して繊維径も太くなっていたことだろう。
  ――第13章 羊毛の祭典

 羊が良い環境で育てば羊毛も良くなるワケじゃないってのが、面白い所。

 また、織物には、創作としての側面もある。創作だから、別に伝統に沿ったものに限らず、作者が創造力を発揮してもいい。

アフガニスタンで編まれたパイル織りの絨毯には、ソビエトのヘリコプターを撃ち落とすスティンガーミサイルが織り込まれている。
  ――第13章 羊毛の祭典

 この伝統と創造の葛藤を描くのが、次の「第14章 織る者」。ここでは、ナバホ織りを現代に蘇らせようとする人々を報告しているんだが、肝心のナバホ織りが、時代によって積極的に新技術や斬新なデザインを取り入れてきた歴史があり、伝統って何だろうね、などと思ったり。それはともかく…

地面の穴を抜ける際に、蜘蛛女――ナバホ族の織物の女神であり、偉大なる助力者であり、教師であり、人類の保護者――に出会うことができると信じられている。
  ――第14章 織る者

 あ、やっぱり、どこでも蜘蛛は織る者の象徴なんだ、と妙な点に感心してしまった。

消費者が安く手に入れることができるのは、コストを外部化しているためである。
  ――おわりに

 「ツケを他人に回してるから安く上がるんだぞ」と厳しい姿勢で、その具体例を歴史上の文書や統計から世界の各地の現地レポートも含めてかき集めた労作で、読後感は苦い。と同時に、今の「あたりまえ」がどのように成り立ってきたのかがわかる、身近なモノの歴史の面白さもある。技術史や産業史が好きな人にお薦め。

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2023年7月 9日 (日)

アブラハム・ラビノビッチ「激突!! ミサイル艇 イスラエル高速ミサイル艦隊 vs. アラブ艦隊」原書房 永井煥生訳

ミサイルによる駆逐艦の撃沈は艦砲の導入、さらには一世紀前の鋼鉄艦の出現と同様に海上戦の性格を劇的に変える出来事であった。
  ――第1章 1967年、駆逐艦エイラートの悲劇

ロシアのミサイルはガブリエル・ミサイルよりも遥かに大きな射程を有していたが、イスラエル艇部隊は激戦中に54発のソビエト・ミサイルに対して完璧な役割を演じてきた立証済みの電子戦システムを保有していた。
  ――第27章 グランドピアノ

【どんな本?】

 1967年10月21日。エジプト海軍のコマール級ミサイル艇は、ソ連製スティックス・ミサイル(→Wikipedia)で、イスラエル海軍の駆逐艦エイラートを沈める。たった85トンのミサイル艇が、1,710トンの駆逐艦を沈めたのだ。

 この事件はイスラエル海軍を震撼させる。もはや艦砲では対抗できない。だが、どうすれば?

 同じイスラエル軍でも、精強で知られる空軍・陸軍に対し、海軍は規模も知名度もなく、予算も少ない。加えて当時のイスラエルは多くの国から武器の禁輸措置を受けていた。

 少ない予算で、他国の力も借りず、自力でソ連製スティックス・ミサイルに対抗できるミサイルおよびミサイル艇を開発し、その戦術も創り上げなければならない。

 この無理難題に対し、イスラエル海軍は小国の小海軍ならではの独自の道を切り開き、ガブリエル対艦ミサイルおよびサール級ミサイル艇を開発し、またスティックス・ミサイルへの対抗手段も産みだしてゆく。

 現代では陸海空いずれの戦場でも常識となった誘導ミサイルと、その対抗策である電子戦を築き上げ、海軍史上の革命を成し遂げたイスラエル海軍の奮闘を描く、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Boats of Cherbourg, by Abraham Rabinovich, 1988。日本語版は1992年3月31日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約351頁に加え、訳者あとがき10頁。9ポイント47字×21行×351頁=約346,437字、400字詰め原稿用紙で約867枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はいささか古くさく、お堅い。なにせ訳者が当時は現役の防衛大学助教授なので、軍人っぽい言い回しになる。とまれ、これは慣れれば大丈夫。内容は特に難しくないが、できれば第三次中東戦争(文中では六日間戦争、→Wikipedia)~第四次中東戦争(文中ではヨム・キプール戦争、→Wikipedia)について知っているといい。

 あと、浬(かいり)は約1852メートル、1ノットは時速1浬、主機はメイン・エンジン。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  序文
  •  第1部 構想
  • 第1章 1967年、駆逐艦エイラートの悲劇
  • 第2章 まず二隻
  • 第3章 ローン・ウルフ
  • 第4章 ドイツへの旅
  • 第5章 ガブリエル
  • 第6章 木の葉落とし計画
  • 第7章 シェルブール
  •  第2部 脱走
  • 第8章 極秘計画
  • 第9章 手品
  • 第10章 秒読み
  • 第11章 続いて五隻
  • 第12章 逃避行
  • 第13章 嵐の目
  • 第14章 帰国
  •  第3部 戦争
  • 第15章 戦闘艦艇へ
  • 第16章 紅海部隊
  • 第17章 仕上げ稽古
  • 第18章 戦争へ
  • 第19章 ラタキア
  • 第20章 ファントム追跡
  • 第21章 ゼロ距離
  • 第22章 ガンマン
  • 第23章 バルディーン沖の海戦
  • 第24章 小競り合い
  • 第25章 コマンド作戦
  • 第26章 米海軍第六艦隊
  • 第27章 グランドピアノ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 実は「無人暗殺機 ドローンの誕生」で教えていただいたのだが、他に読みたい本が山積みだったので後回しにしていた。が、お薦めどおり、とても面白い本だ。

 もちろん新技術開発史としても面白いが、それを「誰が、どのように使うか」の物語としても楽しい。

 第二次世界大戦で、海戦の様子は大きく変わる。それまでの大艦巨砲主義に対し、空母の時代となった。だが、カネと技術のある大国ならともかく、小国は金食い虫の空母なんか持てないし、艦載機だって開発できない。そこで考え出されたのが、誘導ミサイルだ。

(米ソ)両艦隊とも、基本的武器としては“火砲”を放棄していた。すなわち米艦隊は第二次世界大戦中に太平洋で得た膨大な経験から海上航空戦力に頼っており、一方、ロシアは航空母艦の分野で対決することを期待しないで射程250浬に達する艦対艦ミサイルを開発していた。
  ――第26章 米海軍第六艦隊

 米国が航空機に頼りミサイルを軽視してソ連に出し抜かれるあたりは、両者の核戦略の歴史と重なって興味深い。

 さて、ミサイルの威力について、ちょっとお節介。本書に出てくるスティックス・ミサイルの射程距離は約46km。これは戦艦大和の主砲の射程42kmに優る。大和の排水量は64,000トンだが、スティックスを撃つコマール級ミサイル艇は85トン。桁が三つ違う。ちなみに浅草とお台場を結ぶ水上バスのエメラルダス(→Wikipedia)は132トン。水上バスより小さい船が、大和の主砲以上の射程を持つのだ。もっとも、船が小さい分、弾数も2発と少ないんだけど。

 そんなワケで、対艦ミサイルの登場は、海軍艦艇の思想を大きく変えてえ行くことになる。本書は世界の海軍の革命の曙を描く物語でもあるのだ。

まさに行われようとしている試験がもし成功すれば、イスラエル海軍とってもはや駆逐艦の必要性は全くないであろう。
  ――第7章 シェルブール

 なおイスラエルが開発するガブリエルMK-1の射程は22.5kmで、母艦のサール級は排水量250トン。排水量こそ大きいものの、ミサイルの射程はスティックスの半分以下。この差をいかに詰めるかも、本書の読みどころ。

 読んでいて楽しかったポイントは三つある。一つはイスラエルの軍事物にありがちな、他国における諜報/非合法活動。次にガブリエル・ミサイルの開発物語。そして最後にミサイル艇の運用すなわち戦闘場面だ。

 まず、最初の諜報/非合法活動だ。当時のイスラエルは六日間戦争=第三次中東戦争の影響で、世界中からハブられてた。お陰でサール級ミサイル艇も、フランスに発注したは良いが、武器禁輸を食らいシェルブールから出られなくなってしまう。ってんで、コッソリとトンズラかます。

「我々は本日、ハイファへ向け出港する。なおフランス人はこの件について知ってはいない」
  ――第2章 まず二隻

 こういう他国での工作はモサドが協力しそうなモンだが、珍しく?本件では海軍だけで計画・実施してる。そのため、艇を奪うためフランスを訪れたイスラエル海軍将兵は入国審査で目をつけられたり。

「パスポートは全て続き番号で、皆さっぱりした頭髪をしており、全員同じ種類のジャケットを着ていますね」
  ――第10章 秒読み

 言われてみりゃ疑われて当たり前だが、軍人さんはそういう所にまで気が回らないのだw

 なんとか艇を奪って海に出たはいいが、もちろん大騒ぎになる。ここでフランス政府の政策と国民の世論のズレが見えるのも楽しい。このあたりでは、ミラージュIII改ことクフィル(→Wikipedia)の誕生秘話もちょろりと出てきたり。

世論調査はフランス人の3/4がイスラエル艇の逃走を拍手喝采して称賛していることを示していた。
  ――第14章 帰国

 やはり国際世論では、奪った艇が地中海に入ってからの沿岸諸国の対応も、各国の事情を反映してて、意外な国がイスラエルに好意的だったり。

「もし艇が国際的に認知された旗章を掲揚しているならば、ギリシャは国際法の定めるところにより、燃料補給の便宜提供を拒否できない」
  ――第13章 嵐の目

 各国の事情と言えば、まさしく今キナ臭いNATOとロシアの海軍の軍事姿勢も少し出てくる。海における米・欧の役割分担は、みもふたもないもので、ほぼ米軍にお任せ。

「いかなる大規模な対決においても、NATOの枠組み内での自己の任務は船団護衛や対潜戦などの端役的な任務に限定される」(略)
彼ら(ヨーロッパ人)にとってソビエト海軍との対決は、アメリカ海軍、特にアメリカの空母任務部隊の問題だったのである。
  ――第4章 ドイツへの旅

 いいのか、それで。バルト三国・フンランド・ポーランドが加わったバルト海だと、今はどうなんだろう?

 さて、読みどころの二つ目、開発物語では、異端の技術者オリ・エベントブがミサイル開発の中心となる。既に対艦ミサイルの開発は始まっていた。問題は誘導方式で、最初は目視による誘導つまりラジコン式だった。これがコケる描写は、技術者の胸をえぐる。やはり現場での運用を、細かい所までキチンと想定してないとダメなのだ。

 対してオリ・エベントブは、独自の方法を唱えるが会社じゃシカトされる。そこで顧客の海軍に直接売り込むのだ。

「昼夜を問わず、ミサイルが自分で目標を探し出すことのできる自動誘導システムについて僕なりのアイデアを持っているのだけどね」
  ――第3章 ローン・ウルフ

 売り込んだはいいが、やっぱり開発じゃ何度も失敗するんだけど。試射でミサイルが海に突っ込む場面と、そのバグを見つけ対応するあたりは、技術者の心に迫る。ゲームなどのプログラムと違い、何度もテストできないのも、この手の開発じゃ辛いところ。加えて、「バグは一つとは限らない」のも厳しい現実で。

これによってガブリエルの高度計に関する諸問題全てを取り除いたことになる、という確証はなかった。
  ――第5章 ガブリエル

 漫画などでは、必殺技を開発したら、その対応策も考慮するのが定石。しかもイスラエル軍のガブリエルは、ソ連製スティックスより射程が短い。だから、イスラエル海軍はミサイル開発と同時に、敵ミサイルを躱す技術も開発しなきゃいけない。つまりは電子戦の幕開けも描いているのだ、本書は。

推進されつつある戦術開発方針の中で基本的な狙いとなったのは、長射程のスティックス・ミサイルを電子線装置、速力及び運動によって回避し、もし全てが失敗したならば砲火で対処しつつミサイル帯を横断することにあった。
  ――第15章 戦闘艦艇へ

 これはミサイルだけでなく、艇の設計にも大きく関わってくる。ってんで、壮絶な場所取り競争が始まったり。民間の製品開発でもよくあるパターンだね。

敵艦船を探索する捜索用レーダーとミサイルを目標に向け誘導する射撃指揮用レーダーは、マストのより高い位置を求めて争い合った。火砲と魚雷発射管は、甲板上のよりよいポジションを競い合った。ソーナーは重量軽減の目的で犠牲にされてしまうことに反対した。
  ――第6章 木の葉落とし計画

 かくして駆け足で準備を整えたイスラエル海軍は、ついに決戦の時を迎える。イスラエルが奇襲を食らったヨム・キプール戦争(第四次中東戦争、→「ヨム キプール戦争全史」)である。

「これは戦争であると申し上げます」
  ――第17章 仕上げ稽古

 開戦当初の戦力比は、こんな感じ。

イスラエルの作戦可能ミサイル艇11隻とミサイルのないサール級2隻に対し、エジプト地中海艦隊はオーサ級12隻とコマール級2隻を、シリア海軍はオーサ級3隻とコマール級6隻を保有していた。
  ――第18章 戦争へ

 ここからが第三の読みどころ、ミサイル艇の運用すなわち戦闘場面。なおイスラエル海軍、公式には取材に非協力なんだが、非公式に退役軍人を紹介してたりして、まあアレです、タテマエとホンネだね。お陰で戦闘場面は「レッド・プラトーン」と並ぶ分単位の緊張感あふれる場面の連続。

最初のガブリエルがその最大射程である20キロでガーシの甲板を離れた時には、スティックスはいまだ来襲中であった。二発のミサイルはお互いに近距離ですれ違った。
  ――第19章 ラタキア

 小国だけに海軍と空軍の仲もいいようで、ちょっとした空海共同作戦もあったり。

彼(イスラエル空軍ファントムのパイロット)はミサイルの軌跡が普通の火砲の射撃のように修正できるものと思って、「400メートル近、500メートル左」という具合に修正を指示し始め、しばしの間、海軍の将兵を喜ばせた。
  ――第20章 ファントム追跡

 電子戦の始まりは、海の戦いを大きく変える。それを実感したのが、こういう描写。もはや夜の帳は、安全を保障するものではないのだ。いや昔も火船の襲撃とかはあったんだけど。まさしく24時間休みなしの戦いとは。

海軍はその作戦のほとんど全部を夜間に実施することになるであろう。暗闇は敵をしてレーダーに依存させることになり、その結果、イスラエル艇の電子戦上の優位を全幅活用させることになるであろう。暗闇はまた、敵性海域における航空攻撃に対して良好な防御を提供した。
  ――第22章 ガンマン

 やはり戦いの迫真性を感じるのが、こんな描写。射程ギリギリだと、こんな状況も起こったり。

ガブリエル・ミサイルの射程は20キロであったが、目標は逃中であった。この結果、最大射程で発射された全ミサイルはその二分間の飛行を完了するまでに目標が既に遠ざかってしまっていることを認識することになる。
  ――第23章 バルディーン沖の海戦

 ヨム・キプール戦争の激しさは陸軍と空軍ばかりが語られるが、海軍も小さいながら全力を振り絞っている。というか、ここまで酷使される海軍も珍しいだろう。まあ、それぞれの出撃が一晩で終わるってあたりも、小海軍であるイスラエル海軍らしいけど。

大半の艇と乗組員はこの三週間の間、ほぼ毎夜出撃してきた。
  ――第24章 小競り合い

 やはり戦場が狭いからか、こんな漫画みたいな場面も出てきたり。こういう、現場での臨機応変な対応というかドサクサ紛れのその場しのぎが、意外と有効だったりするのも、「戦場の霧」の性質の一つなんだろう。

揚陸艇の開放式格納庫からハーフ・トラック上に載せた迫撃砲をもし正確に発射できるならば、エジプトの泊地を沖合から砲撃することが可能であり、これによって火力を有する艦艇がイスラエルに欠如していることを補うことができるであろう。
  ――第25章 コマンド作戦

 などと頑張っている現場じゃ、すっかり要らない人扱いされる彼の姿に、思わず涙してしまう技術者も多いのでは?

「皆、オリ・エベントブを忘れていないか」
  ――第26章 米海軍第六艦隊

 技術開発の物語として、海軍の革命の記録として、国際的秘密工作の秘話として、そして迫真の戦闘の描写として。いささか古くはあるが、色とりどりの面白さがギッシリと詰まった、文句なしの掘り出し物だった。ご紹介下さった方に深く感謝します。

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