ジャン・ジーグレル「スイス銀行の秘密 マネー・ロンダリング」河出書房新社 荻野弘巳訳
スイスは今日、「死の金」のマネー・ロンダリングとリサイクルの、世界でもっとも重要な中心である。
――緒言 スイス“首長国”
【どんな本?】
漫画「ゴルゴ13」などで有名なスイス銀行。その特徴は極めて厳密に顧客の秘密を守ること。というと顧客を大事にする信用第一の組織のように思える。ただし、問題もある。どんな顧客の秘密も守るのだ。例えば「ゴルゴ13」では、殺し屋の口座を守っている。
現在は様々な形で国際化が進んでいる。これは犯罪組織も例外ではない。例えばコカインなどの麻薬取引は、南米の生産・加工者から中米やアフリカの仲介者、そして密輸と販売に携わるイタリアのマフィアなど、幾つもの組織が関わっており、その摘発にも国際的な協力が欠かせない。
こういった国際犯罪組織の捜査では、取引される麻薬だけでなく、資金の流れも重要な証拠だ。特に、犯罪組織のトップに迫るには、カネが集まるポイントを抑えなければならない。だが、カネの流れを追う捜査官に、鋼鉄の扉が立ちはだかっている。
顧客の情報を守る、スイス銀行だ。スイス銀行に入ったカネは、足取りを追えない。
ジュネーヴ大学の社会学科教授とスイス連邦下院議員そして弁護士を兼ねる著者が、金融機関ばかりでなく国家ぐるみで闇資金の洗浄に携わるスイスの現状を明かす、迫真の告発の書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は La Suisse lave blanc, Jean Ziegler, 1990。日本語版は1990年12月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約196頁に加え、訳者による解説が豪華25頁。9ポイント44字×17行×196頁=約146,608字、400字詰め原稿用紙で約367枚。文庫ならやや薄め。
文章は読みやすいが、ややクセがある。根拠のない想像だが、たぶん訳者の工夫だろう。恐らく原文は一つの文が長い。学者にありがちな文体だ。それを訳者が複数の短い文に分け、親しみやすくしたんだと思う。他にも、日本人が知らないスイスの事情などは注釈を入れるなど、訳者が気を配っている。注も巻末ではなく文中にあるのが嬉しい。
内容も分かりやすい。ただ、一つの事件に多くの人物が関わっているケースが多い。それも政治・経済犯罪によくあるパターンだ。加えて資金洗浄である。犯人たちもアシがつかぬよう、資金は複雑なルートを辿る。そういう所は、注意深く読んでいこう。
最大の問題は、肝心の「スイス銀行とは何か」について、本文には詳しい説明がない点だ。そもそも「スイス銀行」とは、一つの銀行を示す言葉ではない。日本銀行のような国家の中央銀行でもないし、みずほ銀行のような一つの企業や組織を示す言葉でもない。Wikipedia を見てもいいが、訳者が解説でわかりやすく丁寧に説明しているので、できれば解説を先に読もう。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- 緒言 スイス“首長国”
- 第1部 麻薬は現代のペスト
- 1 ミッテラン大統領の警告
- 2 コップ家の崩壊
- 3 謎の人物、ムッシュー・アルベール
- 4 空翔ける司祭
- 5 メデジン・カルテルの友
- 6 社会の癌
- 7 正義の不履行
- 第2部 血にまみれた庭
- 1 独裁者たちの宝島
- 2 人を喰う魔神モレク
- 第3部 国家の腐敗
- 1 スフィンクス
- 2 スイス知識人の批判は国民の敵
- 3 病める国
- エピローグ 反乱
- 解説
【感想は?】
マネー・ロンダリング。資金洗浄。犯罪など後ろ暗い手口で稼いだカネを、綺麗なカネに変えること。
その主な道具としてスイスの銀行が使われ、そればかりでなくスイスの政府が国を挙げて協力している事を白日の下に晒した、いわば内部告発の本だ。何せ著者は弁護士であると同時に当時は現役の国会議員である。当時は大きな話題を呼んだだろう…少なくとも、スイスでは。
さすがに原書は1990年の出版といささか古く、その分だけ衝撃も薄れてしまった。だが、パナマ文書(→Wikipedia)などで、資金隠しや資金洗浄といった言葉が一般にも浸透した分、私たちにとっても身近な問題ともなっている。
全体の半分を占める第1部では、国際的な麻薬・コカイン取引の資金を取り上げる。悪名高いコロンビアのメデジン・カルテル(→Wikipedia)や、当時の流通を担ったトルコ=レバノン・コネクションなどの資金洗浄を、スイスの銀行ばかりでなく政府までもが協力し、また合衆国やイタリアの司法組織の捜査を冷酷に断った様子を、実名を挙げて告発してゆく。
ちなみにコカインの流通については「コカイン ゼロゼロゼロ」が詳しい。合衆国ばかりでなくイタリアの司法も協力している理由は、こちらの本が参考になる。
民間の営利企業である銀行が犯罪組織に協力するのは、、稼ぎ目当てだろうと見当がつく。だが、なぜ政府も協力する?
理由の一つは、スイスの法体系がある。最初から、そういう風に設計しているのだ。
銀行や金融会社やその他の機関が死の儲けのロンダリングをしていたときには、罰則規定がなかった
――コップ家の崩壊
ばかりでなく、この件では現役の法務相エリザベート・コップが関わっていた。加えて夫のハンス・W・コップは、資金洗浄の一端を担うシャカルキ・トレーディング社の副社長でもあった。この辺のカラクリは、後に詳しく説明がある。スイスは、国家をあげて資金洗浄を産業として育て守っているのだ。これは司法も同じで…
彼ら(メデジン・カルテル)の口座の大部分はチューリヒの大銀行に開かれているので、アメリカ司法当局はこれを差し押さえるように要請してきている。(略)彼ら(チューリヒやジュネーヴやルガノの首長たち)の弁護士は異議を申し立て、メデジン・カルテルのボスたちの言い分を通すために、才能を発揮した。そして勝った。
――メデジン・カルテルの友<
ちなみに圧力をかけたのは、コワモテの合衆国大統領レーガンだ。この本が出版された遠因の一つも、合衆国による外圧だろう。この外圧によって流出した情報が、本書の元ネタとなっている。実際、合衆国の圧力にスイス政府が対応を苦慮する場面も出てくる。その合衆国が目をつけた麻薬組織の規模は相当なもので…
この年(1988年)、イタリアでの消費と中間卸で麻薬業者が手にした金は、600億スイスフラン以上に達したと見積もられているが、その大半はスイスで洗濯された。
――社会の癌
ちなみに1990年ごろの相場だと、1スイスフランは80円~110円。
こういった犯罪組織ばかりでなく、世界中の独裁者たちの資産もスイスは守っている。これを明らかにしているのが「第2部 血にまみれた庭」だ。
(フィリピンの第10代大統領フェルディナンド・)マルコスの資産の合計は(略)クレディ・スイスやその他のスイスの40数行に預けた戦利品は、10億ないし15億ドルに上るものと見られている。
――独裁者たちの宝島(ザイールの元大統領)ジョゼフ・デジレ・)モブツはネッロ・チェリオという人物の有益なアドヴァイスを受けている。チェリオはルガノの事業弁護士で、クレディ・スイスの重役、そして連邦蔵相、そしてついにスイス大統領にもなった。
――独裁者たちの宝島
また、「ショック・ドクトリン」が触れていた、独裁/軍事政権の権力者が、国の利権を外国に売りさばいて自分の懐に入れ、ヤバくなったらズラかる手口も、スイスが手伝っている。ああ、もちろん、これらのパクったカネは、スイスが政府をあげてお守りします。
1987年6月、アルゼンチン大統領ラウル・フランセスコ・アフロンシン(略)「外国の個人口座に預けられたアルゼンチンの個人預金は200億ドルに達するが、これはわが国の対外債務の1/3にあたる」
――人を喰う魔神モレク
これがカネだけではなく身柄も守っているのが、スイスの怖い所。そういえば北朝鮮の金正恩もスイスに留学していたっけ。もっとも独裁者だけでなく、例えばレーニンとかの亡命者も匿うあたりは懐が深いというべきなんだろうか。
ちなみに資金の隠し方については、「最後のダ・ヴィンチの真実」にも、ちょっとだけ出ていた。
スイスがこういう体質なのは、国家の体制や性質も大きい。州の権限が強い連邦国家だし。その辺も本書は触れているが、印象的なエピソードはこれ。
スイスはこの地球上で、イスラエルに次いでもっとも軍国化している国家である。生粋のスイス生まれの住民580万について、65万の兵士と士官がいる。(略)
すべての地位ある首長は(政治家もそうだが)、この国民軍の少なくとも大佐である(非常に幸いなことに、将軍も職業軍隊もスイスにはない)。
――スイス知識人の批判は国民の敵
小国で軍事的には中立ってのもあって、どうしても防衛コストは高くなるんだろう、軍事的にも経済的にも政治的にも。
現在でも、EUにもNATOにも参加せず、中立を守り続けているスイス。だからこそジュネーヴには国連関連機関が多いなど、国際的にも重要な役割を果たしているが、同時に世界中の闇が集まってもいる。30年前の刊行といささか古くはあるが、スイスという国の裏面がのぞける、なかなか貴重な本だった。
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