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2023年6月の3件の記事

2023年6月19日 (月)

パトリス・ゲニフェイ/ティエリー・ランツ編「帝国の最後の日々 上・下」原書房 鳥取絹子訳

本書は、それら帝国の崩壊をまとめてとりあげた初の歴史書である。
  ――まえがき 永遠のくりかえし

歴史で定説となっているのは、定住民族は歩兵隊や重騎兵隊を、遊牧民は軽騎兵隊を優先するということだ。
  ――3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜 七世紀初頭 アルノー・ブラン

ヨーロッパのスペイン帝国内部での反乱は、この時代(16世紀~17世紀)、フランスのような中央集権の国に比べても多くなかった。もっとも大きな反乱がおきたのは16世紀のオランダで、それも教会分離による宗教戦争の一環だった。
  ――10 スペイン帝国の長い衰退期 1588-1898年 バルトロメ・ベナサール

イギリス帝国は構築に三世紀以上かかったのに対し、解体には40年もかからなかった。
  ――17 イギリス帝国の後退 帝国から影響力のある国へ 1945年から現在まで フランソワ=シャルル・ムジュル

非植民地化はまた独立した国家間での紛争の引き金になることも明らかになった。
  ――17 イギリス帝国の後退 帝国から影響力のある国へ 1945年から現在まで フランソワ=シャルル・ムジュル

【どんな本?】

 ローマ帝国,モンゴル帝国,スペイン帝国,大英帝国,唐や清などcの中華帝国,そしてソ連やアメリカ合衆国。歴史上には帝国と呼ばれる、または帝国を自称する国家が数多くある。

 それらの帝国はどのような形で配下の国や地方を従え、なぜ/どのように滅びたのか。

 帝国の形はそれぞれに異なり、滅び方も様々だ。本書は敢えて一貫した法則を見いだそうとはせず、各帝国の滅びゆく姿をそのままに描き出す。

 フランスの歴史家たちが集い、帝国が滅びる模様を綴る、歴史エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La fin des empires, Patrice Gueniffey et Thierry Lentz, 2016。日本語版は2018年3月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約272頁+233頁=505頁。9ポイント45字×18行×(272頁+233頁)=約409,050字400字詰め原稿用紙で約1,023枚。文庫でも上下巻ぐらい。

 文章は、学者の文章のわりに読みやすい。内容は章によりマニアックだったり大雑把すぎたり。これは著者と読者の関心のズレのせいだろう。例えば日本人の私からすると、アラブ帝国や中国をたった1章だけで済ますのは大雑把すぎるのに対し、カロリング帝国や神聖ローマ帝国はマニアックすぎるというか、そもそも帝国の名に値しないと思う。が、現代のフランス人向けには妥当なバランスなんだろう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  •  上巻
  • まえがき 永遠のくりかえし パトリス・ゲニフェイ,ティエリー・ランツ
  • 1 アレクサンドロスの帝国の終焉 紀元前331-323 クロード・モセ
  • 2 西ローマ帝国の長い断末魔 ジャン=ルイ・ヴォワザン
  • 3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜 七世紀初頭 アルノー・ブラン
  • 4 カロリング帝国の五回の死 800-899年 ジョルジュ・ミノワ
  • 5 アラブ帝国の未完の夢 七世紀-15世紀 ジャック・パヴィオ
  • 6 モンゴル帝国、見掛け倒しの巨人 13世紀-14世紀 アルノー・ブラン
  • 7 コンスタンティノープルの55日間 1453年 シルヴァン・グーゲンハイム
  • 8 一つの帝国から別の帝国へ メキシコ人からスペイン人へ 1519-1522年 ジャン・メイエール
  • 9 予告された死の年代記 神聖ローマ帝国の最後 1806年 ミシェル・ケローレ
  • 10 スペイン帝国の長い衰退期 1588-1898年 バルトロメ・ベナサール
  •  下巻
  • 11 ナポレオンまたはフランスの夢の終わり 1812-1815年 ティエリー・ランツ
  • 12 中華帝国の九つの人生 ダニエル・エリセフ
  • 13 オーストリア王家の終焉 1918年 ジャン=ポール・ブレッド
  • 14 オスマン帝国の最後 1918-1922年 ハミット・ボザルスラン
  • 15 第三帝国の最後の日々 1945年 ダヴィッド・ガロ
  • 16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン
  • 17 イギリス帝国の後退 帝国から影響力のある国へ 1945年から現在まで フランソワ=シャルル・ムジュル
  • 18 フランスの植民地帝国の悲劇 1945年-1962年 アルノー・テシエ
  • 19 ソ連の最後またはロシア帝国の二度目の死 1989-1991年 ロレーヌ・ド・モー
  • 20 アメリカ帝国は衰退に向かうのか? ピエール・メランドリ
  • 執筆者一覧/参考文献

【感想は?】

 歴史のつまみ食い。

 一応のテーマはある。世界史の中で、帝国が滅びる様を描く。とはいえ、滅びる原因となった共通した要素を見つけようとはしない。最初の「まえがき」で、あっさり「そういうのは無理です」と諦めている。潔い。

 だいたい「帝国」の定義すらハッキリさせていないし、「神聖ローマ帝国」みたく帝国の資格すらなさそうな例もあげたり。というワケで、あまし構えずに「歴史学者にテーマを示して記事を集めたエッセイ集」ぐらいに思って読もう。

 そういう気楽な態度で読むと、なかなか楽しい文章に出会えたり。

歴史では敗者はつねにまちがっていたことになる。
  ――8 一つの帝国から別の帝国へ メキシコ人からスペイン人へ 1519-1522年 ジャン・メイエール

 とかは、私たちが歴史と歴史書に抱く思い込みを見事に指摘してくれる。そうなんだよなー、なんとか理由や原因や責任者を見つけ、教訓を引き出そうとしちゃうんだよなー。それも自分の世界観に沿った形で。

 そういう歴史家らしい気の利いた表現もアチコチにあって、私はこれが好きだ。

あたかもローマ帝国はつねに死につづけているようだ。
  ――2 西ローマ帝国の長い断末魔 ジャン=ルイ・ヴォワザン

 ここで言うローマ帝国は、日本だと西ローマ帝国(→Wikipedia)と呼ばれる事が多い。「蛮族」により少しづつ覇権を失い衰えていったため、歴史家の間でも「いつ帝国でなくなったか」について、多くの説がある。それを表すには巧みな文章だ。

 この本、目次を見ればわかるように、欧州史に偏ってはいるが、世界全体を見渡す本なので、意外な発見もある。例えば「3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜」。ここではペルシアと中国の共通点を挙げている。

中国文明に次いで、ペルシア文明は歴史上もっとも衝撃に耐えてきた。
  ――3 ペルシアのササン朝、急転直下の失墜 七世紀初頭 アルノー・ブラン

 「ペルシア文明」であって、「ペルシア帝国」ではない点に注意。つまり地理的な話なのだ。中国は常に北方の遊牧民族の侵略に苦しんできた。ペルシアも同じで、やはり遊牧民族に苦しんできたとか。現代でも中国とイランが妙に仲がいいのは…いや、関係ないか。

 そんな西ローマ帝国に比べ、かなり長持ちしたのが東ローマ帝国ことビザンティン。でも苦労が続いたのは同じで…

ローマの普遍性という想像の産物を相続する千年をへた帝国、ビサンティンは、じつはほぼ永続的に戦争状態にあった。
  ――7 コンスタンティノープルの55日間 1453年 シルヴァン・グーゲンハイム

 まあ結局はオスマン帝国のメフメト二世によって滅びるんですが(→Wikipedia)。

 とはいえ、帝国とは言い難い政体を描く章も、歴史エッセイとして面白い。

 例えば「9 予告された死の年代記 神聖ローマ帝国の最後」は、ドイツ誕生前夜を語る。当時の神聖ローマ帝国は、日本の室町末期や戦国時代から大名どうしの争いを減らした感じだろうか。一応は皇帝が君臨するものの、実際は多くの諸侯の領が乱立し、国家としての政策はとれない状況だ。たぶん、当時の「ドイツ」は、国ではなく地域や文化を示す言葉だったんだろう。

 また「13 オーストリア王家の終焉」は、オーストリア=ハンガリー帝国の視点で見た第一次世界大戦といった感がある。バーバラ・W・タックマンの「八月の砲声」にせよリデル・ハートの「第一次世界大戦」にせよ、主にフランス・イギリス vs ドイツに焦点を当てているので、なかなか新鮮だった。また、帝国の崩壊がバルカン半島を火薬庫に変えた点は、オスマン帝国とも似ている。

 それと、カリスマのある父フランス・ヨーゼフから、経験もないのに最悪の状況で皇帝の座をまわされたカール一世には同情したくなる。戦況は敗戦続き、民衆は飢えて不満が高まり、臣下は四分五裂、各民族の独立機運は高まり、講和を申し込もうにも後ろからドイツに刺される始末。悲惨極まりない。とまれ、飢えた国民や敵の砲弾にさらされる兵士たちは違う意見だろうなあ。

 国家の興亡ってのは不思議なモンで、時おり一人の天才が大きな変化をもたらす事がある。「1 アレクサンドロスの帝国の終焉」では、勢いのまま突っ走っちゃったら大帝国になっちゃったアレクサンドロス軍の後始末を描く。ボスのアレクサンドロスが前に進むことしか考えてなかったんだから、分裂と崩壊は当然の結果って気分になる。

 それと似ているのが、チンギス・ハンの帝国だ。勢いで突っ走っているように見えて、実は馬のリレーによる通信網を整備してたりと統治にも気を配っていたんだが、アレキサンドロス同様に彼の死と共に帝国は分裂し…

チンギス・ハンは帝国の偉業を示す建築物は何も残さず、首都だったカラコルム(バイカル湖の南に位置していた)も生きながらえなかった。
  ――6 モンゴル帝国、見掛け倒しの巨人 13世紀-14世紀 アルノー・ブラン

 記念碑みたいのを残そうとしなかったのは、そんな余裕がなかったのか、それとも遊牧民の性か。しかも資料が怪しげな元朝秘史(→Wikipedia)しかないってのも、なんとも謎めいている。

 さて、往々にして現代の独裁者は軍や秘密警察を使った恐怖政治を敷く。そんな独裁者の気持ちがわかるのが、「11 ナポレオンまたはフランスの夢の終わり」。それまでの王は生まれながらの貴種であり、幼い頃から周囲にかしづかれて育ったし、本人も「自分は尊い存在で支配するために生まれてきた」と思い込んでいる。

 でもナポレオンのように実力で権力をもぎ取った者は、そういう思い込みがない。だもんで、どうしても不安がある。そこで、力を見せつけようとするのだ。まあ実際、シリアのアサドに国民は不満タラタラだったし。

ナポレオン・ボナパルト「わたしがこの立場を維持できるのは力によってだけだ」
  ――11 ナポレオンまたはフランスの夢の終わり 1812-1815年 ティエリー・ランツ

 先に「中国をたった1章だけで済ますのは大雑把すぎる」と書いた。これは著者も同じ考えらしく、「12 中華帝国の九つの人生」では…

中国で「一つ」の帝国を語るのは不可能だ。中国には多くの帝国があり、それぞれ領土も権力も狙いとする目的も違っている。
  ――12 中華帝国の九つの人生 ダニエル・エリセフ

 と、愚痴ってるw そうだよね、やっぱり。あの中国史をたった20頁で語るのはさすがに無謀で、中身もやや散漫で投げやりだったりw

 やはり歴史が長く最近まで続いた帝国としてオスマン帝国がある。ジワジワと領土を削られ第一次世界大戦でとどめを刺されたオスマン帝国だが、末期には自覚して改革を試みてはいたのだ。でも…

オスマンの法律家アフメッド・ジェヴデート・パシャ
「すでに存在する国を改革するより、無から国を作ったほうが簡単である」
  ――14 オスマン帝国の最後 1918-1922年 ハミット・ボザルスラン

 なんて愚痴は、巨大な旧システムの保守に携わるITエンジニア諸氏も激しく頷くんじゃなかろかw

 どうしても日本人として気になるのが「16 原爆で解体された大日本帝国」。有名なハル・ノート(→Wikipedia)で「中国からの撤退」を米国は求めていた。この中国ってのがクセモノで、満州は含んでいなかったって説がある。著者もそういう見解だ。

もし日本がもっと協調的な政策でのぞんでいたら、広大な満州を吸収することができていただろう。
  ――16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン

 だとしても、帝国陸軍の暴走はやっぱり止まらなかったと私は思うんだが、どうなんだろうなあ。いずれにせよ結果はご存知のとおり。やはり敗戦直後は国民の不信と不満は高かったようで…

われわれの指導層はアメリカ人についてこの点で嘘をついていたのだから、ほかの問題でもそうではないのだろうか? 1945年9月、左派系の「朝日新聞」がこのテーマをとりあげたら、読者から送られてきた手紙の約1/3が、開戦時1941年の指導層――とくに軍人――の処刑を要求していた!
  ――16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン

 と、政府と軍への批判は強かった。が、残念ながらキチンとした検証は行われず…

ドイツと違い、日本では戦犯が追跡されることはなかった。
  ――16 原爆で解体された大日本帝国 1945年 ジャン=ルイ・マルゴラン

 ウヤムヤのまま復興へと向かう。ちゃんとケリをつけてたら、戦後史はだいぶ違っていただろうなあ。

 最後の「20 アメリカ帝国は衰退に向かうのか?」では、合衆国市民の意外な気持ちを綴る。帝国の地位を失うことへの恐怖だ。

 私は逆に合衆国の影響力は日々増している、と思っている。IT関係に携わる人は、たいていそうなんじゃなかろか。だってCPUの基本設計は Intel だし、OS は Microsoft で、インターネットの共通語は英語だ。成功してるサービスだって Amazon とか Google とか Twitter とか。あ、でも、マウスは Made in China か。

 でも、合衆国市民は違うらしい。周期的に「合衆国の影響力は減った」みたいな話が盛り上がる。たぶん、こういう「俺たちは落ちぶれつつある」って考えを持つ人は、どの国でも一定数いるんだと思う。「昔はよかった」の一種だね。とはいえ、日本は本当に落ちぶれてきたと思う。

 「帝国の滅亡」という統一テーマを掲げながらも、各帝国の成り立ちや多かれた状況そして滅亡の様子は異なる上に、各章の著者も違う。何より最初から、滅亡に共通する要因を見つけるなあんてのは諦めてる。それだけに散漫な印象はあるが、同時にバラエティに富んだ内容にもなった。歴史家によるエッセイ集ぐらいに考えて、気楽に読もう。

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2023年6月 9日 (金)

ジャン・ジーグレル「スイス銀行の秘密 マネー・ロンダリング」河出書房新社 荻野弘巳訳

スイスは今日、「死の金」のマネー・ロンダリングとリサイクルの、世界でもっとも重要な中心である。
  ――緒言 スイス“首長国”

【どんな本?】

 漫画「ゴルゴ13」などで有名なスイス銀行。その特徴は極めて厳密に顧客の秘密を守ること。というと顧客を大事にする信用第一の組織のように思える。ただし、問題もある。どんな顧客の秘密も守るのだ。例えば「ゴルゴ13」では、殺し屋の口座を守っている。

 現在は様々な形で国際化が進んでいる。これは犯罪組織も例外ではない。例えばコカインなどの麻薬取引は、南米の生産・加工者から中米やアフリカの仲介者、そして密輸と販売に携わるイタリアのマフィアなど、幾つもの組織が関わっており、その摘発にも国際的な協力が欠かせない。

 こういった国際犯罪組織の捜査では、取引される麻薬だけでなく、資金の流れも重要な証拠だ。特に、犯罪組織のトップに迫るには、カネが集まるポイントを抑えなければならない。だが、カネの流れを追う捜査官に、鋼鉄の扉が立ちはだかっている。

 顧客の情報を守る、スイス銀行だ。スイス銀行に入ったカネは、足取りを追えない。

 ジュネーヴ大学の社会学科教授とスイス連邦下院議員そして弁護士を兼ねる著者が、金融機関ばかりでなく国家ぐるみで闇資金の洗浄に携わるスイスの現状を明かす、迫真の告発の書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La Suisse lave blanc, Jean Ziegler, 1990。日本語版は1990年12月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約196頁に加え、訳者による解説が豪華25頁。9ポイント44字×17行×196頁=約146,608字、400字詰め原稿用紙で約367枚。文庫ならやや薄め。

 文章は読みやすいが、ややクセがある。根拠のない想像だが、たぶん訳者の工夫だろう。恐らく原文は一つの文が長い。学者にありがちな文体だ。それを訳者が複数の短い文に分け、親しみやすくしたんだと思う。他にも、日本人が知らないスイスの事情などは注釈を入れるなど、訳者が気を配っている。注も巻末ではなく文中にあるのが嬉しい。

 内容も分かりやすい。ただ、一つの事件に多くの人物が関わっているケースが多い。それも政治・経済犯罪によくあるパターンだ。加えて資金洗浄である。犯人たちもアシがつかぬよう、資金は複雑なルートを辿る。そういう所は、注意深く読んでいこう。

 最大の問題は、肝心の「スイス銀行とは何か」について、本文には詳しい説明がない点だ。そもそも「スイス銀行」とは、一つの銀行を示す言葉ではない。日本銀行のような国家の中央銀行でもないし、みずほ銀行のような一つの企業や組織を示す言葉でもない。Wikipedia を見てもいいが、訳者が解説でわかりやすく丁寧に説明しているので、できれば解説を先に読もう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 緒言 スイス“首長国”
  • 第1部 麻薬は現代のペスト
    • 1 ミッテラン大統領の警告
    • 2 コップ家の崩壊
    • 3 謎の人物、ムッシュー・アルベール
    • 4 空翔ける司祭
    • 5 メデジン・カルテルの友
    • 6 社会の癌
    • 7 正義の不履行
  • 第2部 血にまみれた庭
    • 1 独裁者たちの宝島
    • 2 人を喰う魔神モレク
  • 第3部 国家の腐敗
    • 1 スフィンクス
    • 2 スイス知識人の批判は国民の敵
    • 3 病める国
  • エピローグ 反乱
  • 解説

【感想は?】

 マネー・ロンダリング。資金洗浄。犯罪など後ろ暗い手口で稼いだカネを、綺麗なカネに変えること。

 その主な道具としてスイスの銀行が使われ、そればかりでなくスイスの政府が国を挙げて協力している事を白日の下に晒した、いわば内部告発の本だ。何せ著者は弁護士であると同時に当時は現役の国会議員である。当時は大きな話題を呼んだだろう…少なくとも、スイスでは。

 さすがに原書は1990年の出版といささか古く、その分だけ衝撃も薄れてしまった。だが、パナマ文書(→Wikipedia)などで、資金隠しや資金洗浄といった言葉が一般にも浸透した分、私たちにとっても身近な問題ともなっている。

 全体の半分を占める第1部では、国際的な麻薬・コカイン取引の資金を取り上げる。悪名高いコロンビアのメデジン・カルテル(→Wikipedia)や、当時の流通を担ったトルコ=レバノン・コネクションなどの資金洗浄を、スイスの銀行ばかりでなく政府までもが協力し、また合衆国やイタリアの司法組織の捜査を冷酷に断った様子を、実名を挙げて告発してゆく。

 ちなみにコカインの流通については「コカイン ゼロゼロゼロ」が詳しい。合衆国ばかりでなくイタリアの司法も協力している理由は、こちらの本が参考になる。

 民間の営利企業である銀行が犯罪組織に協力するのは、、稼ぎ目当てだろうと見当がつく。だが、なぜ政府も協力する?

 理由の一つは、スイスの法体系がある。最初から、そういう風に設計しているのだ。

銀行や金融会社やその他の機関が死の儲けのロンダリングをしていたときには、罰則規定がなかった
  ――コップ家の崩壊

 ばかりでなく、この件では現役の法務相エリザベート・コップが関わっていた。加えて夫のハンス・W・コップは、資金洗浄の一端を担うシャカルキ・トレーディング社の副社長でもあった。この辺のカラクリは、後に詳しく説明がある。スイスは、国家をあげて資金洗浄を産業として育て守っているのだ。これは司法も同じで…

彼ら(メデジン・カルテル)の口座の大部分はチューリヒの大銀行に開かれているので、アメリカ司法当局はこれを差し押さえるように要請してきている。(略)彼ら(チューリヒやジュネーヴやルガノの首長たち)の弁護士は異議を申し立て、メデジン・カルテルのボスたちの言い分を通すために、才能を発揮した。そして勝った。
  ――メデジン・カルテルの友<

 ちなみに圧力をかけたのは、コワモテの合衆国大統領レーガンだ。この本が出版された遠因の一つも、合衆国による外圧だろう。この外圧によって流出した情報が、本書の元ネタとなっている。実際、合衆国の圧力にスイス政府が対応を苦慮する場面も出てくる。その合衆国が目をつけた麻薬組織の規模は相当なもので…

この年(1988年)、イタリアでの消費と中間卸で麻薬業者が手にした金は、600億スイスフラン以上に達したと見積もられているが、その大半はスイスで洗濯された。
  ――社会の癌

 ちなみに1990年ごろの相場だと、1スイスフランは80円~110円。

 こういった犯罪組織ばかりでなく、世界中の独裁者たちの資産もスイスは守っている。これを明らかにしているのが「第2部 血にまみれた庭」だ。

(フィリピンの第10代大統領フェルディナンド・)マルコスの資産の合計は(略)クレディ・スイスやその他のスイスの40数行に預けた戦利品は、10億ないし15億ドルに上るものと見られている。
  ――独裁者たちの宝島

(ザイールの元大統領)ジョゼフ・デジレ・)モブツはネッロ・チェリオという人物の有益なアドヴァイスを受けている。チェリオはルガノの事業弁護士で、クレディ・スイスの重役、そして連邦蔵相、そしてついにスイス大統領にもなった。
  ――独裁者たちの宝島

 また、「ショック・ドクトリン」が触れていた、独裁/軍事政権の権力者が、国の利権を外国に売りさばいて自分の懐に入れ、ヤバくなったらズラかる手口も、スイスが手伝っている。ああ、もちろん、これらのパクったカネは、スイスが政府をあげてお守りします。

1987年6月、アルゼンチン大統領ラウル・フランセスコ・アフロンシン(略)「外国の個人口座に預けられたアルゼンチンの個人預金は200億ドルに達するが、これはわが国の対外債務の1/3にあたる」
  ――人を喰う魔神モレク

 これがカネだけではなく身柄も守っているのが、スイスの怖い所。そういえば北朝鮮の金正恩もスイスに留学していたっけ。もっとも独裁者だけでなく、例えばレーニンとかの亡命者も匿うあたりは懐が深いというべきなんだろうか。

 ちなみに資金の隠し方については、「最後のダ・ヴィンチの真実」にも、ちょっとだけ出ていた。

 スイスがこういう体質なのは、国家の体制や性質も大きい。州の権限が強い連邦国家だし。その辺も本書は触れているが、印象的なエピソードはこれ。

スイスはこの地球上で、イスラエルに次いでもっとも軍国化している国家である。生粋のスイス生まれの住民580万について、65万の兵士と士官がいる。(略)
すべての地位ある首長は(政治家もそうだが)、この国民軍の少なくとも大佐である(非常に幸いなことに、将軍も職業軍隊もスイスにはない)。
  ――スイス知識人の批判は国民の敵

 小国で軍事的には中立ってのもあって、どうしても防衛コストは高くなるんだろう、軍事的にも経済的にも政治的にも。

 現在でも、EUにもNATOにも参加せず、中立を守り続けているスイス。だからこそジュネーヴには国連関連機関が多いなど、国際的にも重要な役割を果たしているが、同時に世界中の闇が集まってもいる。30年前の刊行といささか古くはあるが、スイスという国の裏面がのぞける、なかなか貴重な本だった。

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2023年6月 5日 (月)

ジェフリー・S・ローゼンタール「それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学」早川書房 石田基広監修 柴田裕之訳

意味のないただの偶然という単純明快な説明は、はっきり言って退屈なのだ。(略)
人は身の回りの運やランダム性について考えるとき、それらには特別な意味があってほしいと願う。
魔法に飢えているのだ。
  ――第5章 私たちは魔法好き

統計学は素晴らしく、役に立ち、重要で、発展中の領域だ。
ただし、一つだけ小さな問題がある。
誰もが大嫌いなのだ。
  ――第12章 統計学の運

誤差の範囲には単純な公式がある。98%をコインを放り上げた回数の平方根で割るというものだ。
  ――第17章 ラッキーな世論調査

【どんな本?】

 運の良し悪しとは何か。マクベスを引用すると不幸が訪れるって、ホント? 宝くじを当てる秘訣は? バンビーノの呪いってマジ? 生き別れの兄弟に出会えたのは奇跡? シューレス・ジョーはなぜ面白い?

 世の中には様々な迷信やジンクスが流布している。超能力の報告や霊能力者を名乗る者もいる。マスコミは奇跡の出会いをはやし立てる。これらは、本当に運命なのか。

 13日の金曜日に生まれたカナダの統計学者が、多くの運命の導きエピソードや古来からの言い伝えを紹介しつつ、その実態を暴いてゆく、一般向けの数学エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Knock on Wood : Luck, Chance, and the Meaning of Everything, by Jeffrey S. Rosenthal, 2018。日本語版は2021年1月25日初版発行。2022年8月にハヤカワ文庫NFから文庫版が出ている。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約386頁に加え、訳者あとがき3頁+徳島大学社会産業理工学研究部教授の石田基広による解説6頁。9ポイント45字×18行×386頁=約312,660字、400字詰め原稿用紙で約782枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。数式も出てくるが、大半は掛け算と割り算で、ごく一部に平方根が出るぐらい。しかもxやyは使わず、90/430,666*100.00 とかの具体的な値を示した式なので、数学が苦手でも大丈夫。あ、もちろん、解も示しているので、算数が嫌いでも問題ない。

【構成は?】

 各章は穏やかに独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 第1章 あなたは運を信じていますか?
  • 第2章 ラッキーな話
  • 第3章 運の力
  • 第4章 私が生まれた日
  • 第5章 私たちは魔法好き
  • 第6章 射撃手の運の罠
  • 第7章 運にまつわる話、再び
  • 第8章 ラッキーなニュース
  • 第9章 この上ない類似
  • 第10章 ここらでちょっとひと休み 幽霊屋敷の事件
  • 第11章 運に守られて
  • 第12章 統計学の運
  • 第13章 繰り返される運
  • 第14章 くじ運
  • 第15章 ラッキーな私
  • 第16章 ラッキーなスポーツ
  • 第17章 ラッキーな世論調査
  • 第18章 ここらでちょっとひと休み ラッキーなことわざ
  • 第19章 正義の運
  • 第20章 占星術の運
  • 第21章 精神は物質に優る?
  • 第22章 運の支配者
  • 第23章 ラッキーな考察
  • 謝辞/用語集/訳者あとがき/解説:石田基広/注と情報源

【感想は?】

 アイザック・アシモフやスティーヴン・ジェイ・グールドの科学エッセイに連なる系統だろう。終盤では奇術師で懐疑論者のジェイムズ・ランディ(→Wikipedia)がヒーローとして登場するし、そういう姿勢の本だ。

 つまりは迷信やジンクスや運命の出会いなどを否定し、その手口を統計の手法で暴いてゆく。ただ、著者の語り口は柔らかめだし、なるべくユーモラスであろうとしている。と同時に、なぜヒトは迷信やジンクスに惹かれるのか、といった考察も多い。

 著者の武器は統計である。とはいえ、その切り口は様々だ。正攻法で計算する場合もあるが、むしろ嘘やインチキを暴いたり、マスコミの大げさな表現を揶揄するエピソードの方が多い。そういう点では、ジョエル・ベストの「統計はこうしてウソをつく」が近いかも。

 大げさな表現では、「銃の夏」が印象深い。著者の住む町で、殺人事件が急に増えたのだ。どれぐらい? 著者が調べると、10万人あたり2.6件から3.2件に増えた。約25%の増加だ。凄いように思えるが、実は「カナダの全国平均よりも低い」。しかも次の年には12.5%減ったが、「それについての新聞記事は事実上皆無だった」。悪いことは騒ぐがいいことはスルー、マスコミの対応としちゃありがちだよね。

 なお、ここでは注が興味深い。FBIの統計によると、2005年の謀殺と故殺は10万人当たりニューヨークが6.64、ロサンジェルスは12.63、アトランタは20.9、デトロイトは39.29。ニューヨークって、意外と安全なんだなあ。

 マスコミが関わる話では、世論調査を語る「第17章 ラッキーな世論調査」が面白かった。なんといっても、2016年の合衆国大統領選挙の大外れは記憶に新しい。マスコミの論調では民主党のヒラリー・クリントンが僅差で有利だったが、実際には共和党のドナルド・トランプが勝った。

 著者は原因を「サンプルの偏り」としている。実際、「ほとんどの世論調査で、回答率は10%を下回る」そうで、答える人の方が特殊ではあるのだ。とはいえ、調査する側も、偏りがあるのは分かった上で、なるべく偏りがないようにサンプルを選んで調べてるハズなんだが、読み切れなかったワケだ。

 やはりサンプルの偏りが如実に出ているのが、宗教だ。「世界には5憶人近い無神論者がいる」とかで、世界人口を約80憶だとすると、約6.25%だ。だがアメリカの科学アカデミーで「人格神の存在を信じる人は7%」、「イギリス王立協会フェローの64%は、神が存在するとはまったく思っていない」。凄まじい偏りでだなあ。

 「第8章 ラッキーなニュース」では、最近流行ってるニューラルネットワークを使った論文を槍玉にあげている。見た目で同性愛者と異性愛者を区別できる、精度は男は81%で女は74%。使ったデータは三万五千枚以上の写真。

 冒頭の引用にある誤差範囲の公式だと、約0.524だ。なんか信用できそうじゃね?

 と思ったが、ちゃんとオチがついてた。データは出会い系サイトで集めたものだったのだ。誰だって、その界隈に好まれる格好や表情をする。中には Phootoshop などで写真をイジる人だっているだろう。つまりは、その界隈での好みや流行りの違いだったのだ。

 他にも、論文などで意味ありげな関係性をでっちあげる手口や、インチキ医療が統計ではなく逸話をアピールする傾向など、好きな人にはお馴染みのネタを取り上げている。また、「スコットランドの悲劇」や「ウサギの足」、そして書名にもなっている Knock on Wood とかの、西欧のジンクスが判るのも楽しい。珍しく著者が活躍した話では、宝くじの不正を暴いたエピソードが痛快だ。

 難しい印象が強い統計学の本だが、章ごとに独立した短いエピソードを連ねる構成で親しみやすい。また出てくる式も掛け算と割り算だけなので、数学が嫌いでも大丈夫だろう。星占いやジンクスを叩いているので、そういうのに入れあげている人にはむかないが、そうでなければ楽しく読める。

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