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2023年4月の4件の記事

2023年4月27日 (木)

ドミニク・フリスビー「税金の世界史」河出書房新社 中島由華訳

この本の目的は、現代の人びとに改めて税について考え、語りあってもらうことである。
  ――第3章 税金を取るわけ

その社会が自由であるか、専制的であるか――開放的か、抑圧的か――は税制から判断できた。
  ――第4章 税金の始まりの時代

下院議会で、奴隷制こそが南北戦争の原因であったと自由党のウィリアム・フォースターが断言したとき、そこかしこからこんな声が上がった。「違う、違う。関税だ!」
  ――第10章 アメリカ南北戦争の本当の理由

通貨制度とテクノロジーはともに進歩してきた。
  ――第15章 労働の未来

取引と交換によって、われわれは進歩するのだ。
  ――第16章 暗号通貨 税務署職員の悪夢

「インターネットが無料ならば、ユーザーは商品である」
  ――第17章 デジタルは自由を得る

国民の税負担が小さいほど――したがって、国民がのびのびとしているほど――それだけたくさん新発明や新機軸が生まれ、富が増えることになる。これまでの歴史ではずっとそうだった。
  ――第19章 税制の不備

土地はもっとも基本的な富である。また、もっとも不平等に分配されている富でもある。
  ――第20章 ユートピアの設計

【どんな本?】

 政府は税金を取る。給料からは所得税と住民税をピンハネする。税金とは言わないが、社会保険料と年金も差っ引いていく。酒には酒税が、車にガソリンを入れればガソリン税がかかる。というか、何であれ買い物には消費税がかかっている。家を持てば固定資産税を取るし、ささやかな預金金利まで2割以上を税金でふんだくる。

 なぜ政府は税金を取るのか。それを何に使うのか。歴史上、どんな税金があり、どんな影響を及ぼしたのか。

 イギリスの窓税,ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の1/10税,米国の関税,そして隠れた税金である意図的なインフレなどの例を挙げ、様々な税のエピソードを紹介すると共に、国家の制御下にないビットコインやアップル社などの国際資本など現代のカネの動きを見つめ、理想の徴税と政府支出の形を考える、一般向けの歴史・経済解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Daylight Robbery : How Tax Shaped Our Past and Will Change Our Future, by Dominic Frisby, 2019。日本語版は2021年9月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約271頁に加え、訳者あとがき2頁。9ポイント46字×19行×271頁=約236,854字、400字詰め原稿用紙で約593枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。著者がイギリス人のためか、イギリスの例が多いが、高校の世界史の教科書に出ている話が大半だし、話の背景事情もちゃんと説明しているので、特に構えなくてもいいだろう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 第1章 日光の泥棒
  • 第2章 とんでもない状況からとんでもない解決策
  • 第3章 税金を取るわけ
  • 第4章 税金の始まりの時代
  • 第5章 税金とユダヤ教、キリスト教、イスラム教
  • 第6章 史上もっとも偉大な憲法
  • 第7章 黒死病がヨーロッパの租税を変えた
  • 第8章 国民国家は税によって誕生した
  • 第9章 戦争、借金、インフレ、飢餓 そして所得税
  • 第10章 アメリカ南北戦争の本当の理由
  • 第11章 大きな政府の誕生
  • 第12章 第二次世界大戦、アメリカとナチス
  • 第13章 社会民主主義の発展
  • 第14章 非公式の税負担 債務とインフレ
  • 第15章 労働の未来
  • 第16章 暗号通貨 税務署職員の悪夢
  • 第17章 デジタルは自由を得る
  • 第18章 データ 税務当局の新たな味方
  • 第19章 税制の不備
  • 第20章 ユートピアの設計
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/注と出典

【感想は?】

 カテゴリーは「歴史/地理」としたが、むしろ経済、それも政府の財政がテーマだろう。

 経済学の本は、著者の姿勢で好みが別れる。本書は小さな政府を好む立場だ。無政府主義とまではいかないが、不器用な政府より「神の見えざる手」の方がたいていの事は上手くやる、そういう考えである。

偉大な文明の誕生は低い税負担と小さな政府を、その凋落は高い税率と大きな政府をともなうのである。
  ――第5章 税金とユダヤ教、キリスト教、イスラム教

 理想の政府の具体例として挙げているのが、香港だ。

私の考えるユートピアは、大まかに香港を参考にしており、現行の制度の逆を行くものになっている。
  ――第20章 ユートピアの設計

 香港と言っても、中国共産党の政策を支持してるワケじゃない。むしろ逆だ。中国返還前の、イギリス統治の時代を理想としている。これがハッキリと現れているのが、第2章。当時の政府財政を担ったジョン・ジェイムズ・カウパスウェイト曰く…

「私はほとんど何もしなかった」
「ただ、余計なことをしでかしかねない要素のいくつかを排除しただけである」
  ――第2章 とんでもない状況からとんでもない解決策

 海に面していて貿易に有利って立地条件はあったものの、土地は狭いながらも経済的に繁栄したのは確かだ。似た例として、シンガポールを挙げている。つまり、著者はそういう人だ。

 改めて全体を見ると、読者が税金を憎むように仕向ける構成になってるんだよなあ。いや確かに私も税金は嫌いだけどw 確かに政府ってのは、あの手この手で税金を取ろうとするんだよな。そして頑として減税には応じない。

税は、資金が必要なときに設けられる。たいていは戦費を賄うためである。
臨時税として設定されるが、後日にその期限が撤廃される。
  ――第1章 日光の泥棒

 そういや復興特別所得税、今調べたら2037年までってマジかい。本当に震災の復興に使ってるんだろうか。まあいい。震災は天災だが、戦争は人災だ。そして戦争はカネがかかる。そのカネはどうやって調達するか。大きく分けて二つ、税金と借金(国債・公債)だ。この借金が曲者で。

安易な借金は安易な戦争を招いた。
  ――第9章 戦争、借金、インフレ、飢餓 そして所得税

 もう一つの調達方法、税金も、税制を大きく変えてしまう。例えば所得税。

1938年、イギリスの所得税納税者は総人口約4750万人のうちの400万人だった。終戦時には、その三倍である1200万人を超えていた。アメリカの高所得者の税率94%も過酷だったが、イギリスのそれはなんと97.5%に達していた。
  ――第12章 第二次世界大戦、アメリカとナチス

 「21世紀の資本」の主張の一部は、こういう事なんだろうなあ。で、その性質は戦後も残り…

今日でも、所得税率は第二次世界大戦にかかわった国のほうが高い傾向にある。
  ――第13章 社会民主主義の発展

 イギリスの厳しい累進課税は1970年代まで残ってて、有名なロック・ミュージシャンの多くがアメリカに脱出してた。ちなみに銭ゲバと思われがちなポール・マッカートニーはイギリスに住み続け、社会性の強い芸風のジョン・レノンはアメリカに住んでた。

 もう一つ、隠れた増税がインフレである。先の引用で、イギリスの所得税納税者が増えた例を挙げた。インフレは、税収を増やし借金を減らすのである。

 2023年4月現在の日本では、年収が103万円未満なら所得税はかからない。年収100万円なら取得税はなしだ。だが、物価が10%上がり、年収も10%増えたら? 一見トントンだが、所得税の対象になる。政府は増税せずに、税収を増やせるのだ。

 それともう一つ、政府はインフレで美味しい思いをする。国債・公債の償還が楽になるのだ。

(政府が通貨価値の引き下げとインフレを引き起こす)最終的な目標は、ほぼつねに、債務、とりわけ政府債務の価値を減じることと、財政支出を可能にすることだ。結果として、資産――すなわち国民の財――の価値は政府に移動することになる。
  ――第14章 非公式の税負担 債務とインフレ

 今の日本の国債残高は1,029兆円でGDPの250%を超える(→財務省)。極端な話、物価が10倍になって給与も10倍になれば、単純計算でGDPも10倍になって国債残高はGDPの25%になる…日本円で考えれば。ラッキー。いや現実にはそう簡単にいかんだろうけど。

 政府がインフレを望むのは、そういう理由です。ちなみにインフレの影響は、誰もが同じってワケじゃない。負担の大きい人と少ない人がいるのだ。

インフレ税は資産――不動産、会社、株式、さらには美術品や骨とう品――を所有する人びとに恩恵をもたらす。通貨の価値が下がれば、こういう資産の価値が上がりやすいからだ。それと同時にインフレ税は、給与や貯蓄を頼みにする人々に損失をもたらす。
  ――第19章 税制の不備

 最近の政府やマスコミの「インフレは望ましい」って主張、なんか胡散臭いなあと感じてて、それは私がオイルショックを憶えてるからかと思ってたんだが、それだけじゃなかったんだな。

 とまれ、ビットコインなら日本円のインフレとは無関係でいられる。なにより、税務署の手入れから逃れられる。

ある対象(有形経済)は、その他にくらべて(税務署に)目をつけられやすいのだ。
  ――第18章 データ 税務当局の新たな味方

 今後は更にビットコインでの取引、それも国際的な取引が活発になるだろう。となると、政府はどこからどうやって税金を取ればいいのか。

 著者は、ちゃんと歴史的に実績のある例を示しているし、なかなか説得力があると思う。完全ではないけど、昔も今も完全な税制はなかった。議論のたたき台としては面白い案だ。

 税金をテーマとしながら、政府というシロモノの普遍的な性質に切り込んでいく。そこで見えてくる政府の正体は、(少なくとも日本の)社会科の教科書には決して載らない、まさしく「教科書が教えない歴史」である。消費税を含め税金を支払っているすべての人にお薦め。

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2023年4月20日 (木)

ランドール・マンロー「ハウ・トゥー バカバカしくて役に立たない暮らしの科学」早川書房 吉田三知世訳

これは、うまくないアイデアを集めた本です。
  ――こんにちは!

理想的な状況で、物体を45度の角度で上向きに飛ばしたときの到達距離を求める、簡単な公式がある。
到達距離=速度2/重力加速度
(略)時速16kmで走るなら、あなたは約2mの距離を飛びこえられると見積もれる。
  ――第6章 川を渡るには

最高齢の木は最善の環境ではなく、最悪の環境に生えていることが多い。熱、低温、風、そして塩分などに曝されるような、特に過酷な環境にあるとき、ブリッスルコーンパインは成長のペースを遅くして、寿命をのばす。
  ――第25章 ツリーを飾るには

地球から直接太陽に向けて打ち上げるのは非常に難しい――実際、その物体を完全に太陽系の外まで届けるよりも多くの燃料が必要になるのだ。
  ――第28章 この本を処分するには

【どんな本?】

 デビュー作「ホワット・イフ?」で、馬鹿々々しい問いの物理面・経済面を馬鹿真面目に計算し、計算の楽しさを伝えると共に脱力のオチをつけ、全世界の読者の腹筋を崩壊させたランドール・マンローが、今度は真面目な相談に馬鹿々々しい手法で挑みつつも、やはり物理面・経済面を馬鹿真面目に計算して、再び読者の常識を破壊しようと目論む、楽しい科学・工学解説書。

 川を渡る・引っ越す・ などの常識的な相談に、 非常識かつ不合理、そして時にはファンタジイ要素満載の手法を示しつつ、 あくまでも大真面目に必要なエネルギーや費用を算出し、現在の技術で実現可能な手段を示す …のはいいが、まずもって無茶で無意味な手口ばかりなのが楽しい。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は HOW TO : Absurd Scientific Advice for Common Real-World Problems, by Randall Munroe, 2019。日本語版は2020年1月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約381頁に加え、訳者あとがき1頁。9ポイント33字×29行×381頁=約364,617字、400字詰め原稿用紙で約912枚。計算では文庫で上下巻ぐらいの文字量だが、1~2コマの漫画がアチコチにあるので、実際の文字量は7~8割ほど。

 ちなみに、すべてを読み終えるのにどれぐらい時間がかかるかは、冒頭の「読むスピードの選び方」でわかる親切設計。

 文章はこなれていて読みやすい。内容は、中学卒業程度の理科と数学ができれば充分に楽しめる。アチコチに数式が出てくるが、面倒くさかったら読み飛ばそう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

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  • おことわり
  • こんにちは!
  • 本を開くには
  • 読むスピードの選び方
  • 第1章 ものすごく高くジャンプするには
  • 第2章 プールパーティを開くには
  • 第3章 穴を掘るには
  • 第4章 ピアノを弾くには(すみからすみまで)
    音楽を聴くには
  • 第5章 緊急着陸をするには
  • 第6章 川を渡るには
  • 第7章 引っ越すには
  • 第8章 家が動かないようにするには
    竜巻を追いかけるには(ソファに座ったままで)
  • 第9章 溶岩の堀を作るには
  • 第10章 物を投げるには
  • 第11章 フットボールをするには
  • 第12章 天気を予測するには
    行きたい場所に行くには
  • 第13章 鬼ごっこをするには
  • 第14章 スキーをするには
  • 第15章 小包を送るには(宇宙から)
  • 第16章 家に電気を調達するには(地球で)
  • 第17章 家に電気を調達するには(火星で)
  • 第18章 友だちをつくるには
    バースデーケーキのロウソクを吹き消すには
    犬を散歩させるには
  • 第19章 ファイルを送るには
  • 第20章 スマートフォンを充電するには(コンセントが見つからないときに)
  • 第21章 自撮りするには
  • 第22章 ドローンを落とすには(スポーツ用品を使って)
  • 第23章 自分が1990年代育ちかどうか判別するには
  • 第24章 選挙で勝つには
  • 第25章 ツリーを飾るには
    高速道路を作るには
  • 第26章 どこかに速く到着するには
  • 第27章 約束の時間を守るには
  • 第28章 この本を処分するには
  • 謝辞/参考文献/訳者あとがき
    電球を交換するには

【感想は?】

 基本路線は前の「ホワット・イフ?」と同じ。お馬鹿な発想を真面目に計算して、ケッタイな結果を出す。その過程で出てくるイカれた発想を楽しむ本だ。

 ただ、「ホワット・イフ?」が狂った問いを真面目に解くのに対し、今回は真面目な問いを狂った手法で解くのが違うってぐらい。いずれにせよ、狂った状況を真面目に計算することに変わりはない。

 例えば、最初の「第1章 ものすごく高くジャンプするには」。

 まずは普通に跳びあがる。次に道具を使い始める。その時点で明らかに常識からズレてるんだが、気にせずドンドンとエスカレートして、しまいには11万5千メートルなんて無茶な数字まで出てくる。いや誰もそんなん求めてないってw

 「第6章 川を渡るには」も、なかなかに狂った発想で言印象深い。普通にジャブジャブと歩いて渡るまではいい。次のピョンと飛び越えるあたりから、次第に常識を外れてきて、カンザス州大停電まで引き起こしてしまうw そのくせ、「橋を渡る」なんて常識的な発想は決して出てこないw

 次の「第7章 引っ越すには」も、とりあえず持ち物を段ボールに詰め込むまではいいが…

たいていのターボファン・エンジン(ターボジェットエンジンの前後にファンをつけ、効率を上げ、騒音を抑制したエンジン)が最大の推力を出すのは、まだ静止しているときなのだ。
  ――第7章 引っ越すには

 いや、なんでターボファンエンジンが必要になるんだw

 そのターボファンエンジンは、当然ながら航空機のエンジンだ。「第5章 緊急着陸をするには」では、空を飛ぶ専門家、国際宇宙ステーションの船長も務めたクリス・ハドフィールド大佐まで引っ張り出して、いろいろと無茶な質問をしてる。私は「機体の外にいて飛行機を着陸させるには」が楽しかった。ハドフィールド大佐、よくもまあ、こんな馬鹿な質問に真面目に答えたもんだw

 やはりプロが出てくるのが、「第16章 家に電気を調達するには(地球で)」。普通に電気会社から電線を引けばいいのに、なんとか庭を使って再生可能エネルギーを捻りだそうと頑張る。初期費用の回収に3600万年もかかる手法なんて、誰が使うんだw ってな著者も酷いが、物理学者のケイティー・マック博士も自重してくれw いや似たような事を私も考えたことがあるんだけどw

 同じ電気の調達でも、火星の場合は「なんかイケそう」な気がしてくるから怖い。衛星フォボスの位置エネルギーを使って、電力を賄おうって理屈だ。どうやってエネルギーに変えるかは、読んでのお楽しみ。なんかSF小説で使えそうだが、どうなんだろ。いやこれ、フォボスじゃなくて、地球の月でも…いや、距離的に無茶か。

1人当たりのアメリカ人が使う電力は平均1.38キロワットなので、フォボスの軌道には、アメリカ人と同じ規模の人口が必要とする電力をほぼ3000年にわたって供給できるエネルギーが含まれていることになる。
  ――第17章 家に電気を調達するには(火星で)

 やはりSFに出てきそうなのが、DNAを記憶媒体として使うって発想。これ、本当にやってみた人がいるらしい。

DNAをストレージとして利用すれば、この問題を回避し、伝達速度を劇的に向上できる可能性もある。研究者たちはデータを暗号化してDNA試料のなかに埋め込み、その後DNAを配列を解読してデータを再現することにすでに成功している。
  ――第19章 ファイルを送るには

 もっとも、読み書きにかかる時間を考えると、実用性はないんだろうけど。少なくとも、今のところは。

 そんな創作物と現実の違いを思い知らされたのが、「第21章 自撮りするには」。アニメや映画でよくある、満月に人物の影絵が浮かび上がる構図。実際にアレをやろうとしたらどうなるか、簡単な図と計算式で教えてくれる。まあ、そうだよね。

 もちろん、相変わらずちょっとしたトリビアも満載だ。中でもアレ?と思ったのが、地球を周回するISSから紙飛行機を軌道上に飛ばして、地球に着陸させようって実験。

日本の研究者らのチームがISSから紙飛行機を飛ばして、これを試そうと計画した。
  ――第15章 小包を送るには(宇宙から)

 残念ながら、まだ実験は実現していないが、これ思いついた人は「銀河漂流バイファム」のファンじゃなかろうか。リメイクして欲しいなあ。

 手法のクレイジーさでは、「第14章 スキーをするには」が際立ってる。スキーは楽しい。でも、どんなゲレンデでも、麓まで滑り降りれば終わりだ。そこで、もっと長く滑り続けるにはどうすればいい? 普通は「長い斜面を探す」とかだろう。だが、そこは著者。どうしてそうなる?な発想が飛び出して…

 「ホワット・イフ?」と同じく、狂った発想と真面目な計算を組み合わせ、ケッタイな構図を笑うと同時に、「軽くザッと計算してみる」ことの楽しさと様々な計算法を伝える本だ。理科好きはもちろん、お馬鹿な発想が好きな人にお薦め。

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2023年4月16日 (日)

イアン・トール「太平洋の試練 レイテから終戦まで 下」文藝春秋 村上和久訳

いちばんむずかしいのは<腹部の患者>だと、医師たちは認めた――胃や腸などの重要な臓器を撃ち抜かれた患者である。
  ――第11章 硫黄島攻略の代償

もし向こう(地上を機銃掃射する戦闘機)が狙っていたらわかります。そのときは火花が散るのが見えますから。
  ――第12章 東京大空襲の必然

第六海兵師団所属のノリス・ブクターは、多くの日本兵が民間人のような恰好をして、一般市民に混じって前線をすり抜けようとしたと回想している。なかには女に見せかけようとする者さえいた。
「その結果、残念ながら、われわれは彼らを撃たねばならなかった。このとき多くの不運な沖縄人も殺された」
  ――第14章 惨禍の沖縄戦

【どんな本?】

 合衆国の海軍史家イアン・トールが太平洋戦争を描く、歴史戦争ノンフクション三部作の最終章。

 米国における第二次世界大戦は、欧州戦線の、それも陸軍を主体として描く作品が多い。対してこの作品は、太平洋戦争を両国の海軍を主体に描くのが特徴である。歴史家の作品だけに、日米両国の資料を丹念に漁りつつも、戦場の描写は日米双方の様子をリアルタイムで見ているような迫力で描き切る。

 最終巻となるこの巻では、戦時中の合衆国市民の暮らしと世論の変化で幕を開け、マッカーサー念願のルソン島侵攻&マニラ奪回、日米双方が多大な犠牲を出した硫黄島と沖縄の上陸戦、そして広島と長崎の悲劇を経て終戦へと向かう。

 レイテ沖の海戦で日本の海軍は壊滅状態となった。ルソン上陸を果たしたマッカーサーは陸戦兵力をマニラへと急がせるが、日本軍は雑多な住民もろとも都市内に立てこもり、徹底抗戦の姿勢を崩さない。マッカーサーが航空戦力の支援を断ったため、マニラ占領は都市戦の混沌へと突き進む。追い詰められた日本軍は…

 徴兵だけでなく戦時特需が生みだす米国の市民生活・文化の変化、 圧倒的な火力と航空戦力にも関わらず多大な犠牲を出す硫黄島と沖縄の陸戦、 敗戦の現実を受け入れられない日本の権力機構の欠陥、 日本本土占領を目指した幻のオリンピック作戦、 そして戦後の人々の暮らしと心境の移り変わりなど、 豊富な取材と資料を元に多様な視点で太平洋戦争を描く、重量級の戦争ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Twilight of the Gods : War in the Western Pacific 1944-1945, bg Ian W. Toll, 2020。日本語版は2022年3月25日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約353頁+530頁=883頁に加え、訳者解説「壮大な交響曲の締めくくりにふさわしい最終章」10頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約794,700字、400字詰め原稿用紙で約1987枚。文庫本なら4巻でも言いい大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。

 日本側の航空機名・地名・作戦名など、原書では間違っていたり、日米で異なる名で呼んでる名称を、訳者が本文中で補足しているのは嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  上巻
  • 序章 政治の季節
  • 第1章 台湾かルソンか
  • 第2章 レイテ攻撃への道
  • 第3章 地獄のペリリュー攻防戦
  • 第4章 大和魂という「戦略」
  • 第5章 レイテの戦いの幕開け
  • 第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗
  • 第7章 海と空から本土に迫る
  • 第8章 死闘のレイテ島
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第9章 銃後のアメリカ
  • 第10章 マニラ奪回の悲劇
  • 第11章 硫黄島攻略の代償
  • 第12章 東京大空襲の必然
  • 第13章 大和の撃沈、FDRの死
  • 第14章 惨禍の沖縄戦
  • 第15章 近づく終わり
  • 第16章 戦局必ずしも好転せず
  • 終章 太平洋の試練
  • 著者の覚書と謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下」では、帝国陸海軍のパイロット養成制度のお粗末さに触れていた。少数の精鋭を育てるならともかく、多くの新兵を補充できる制度ではなかった、と。対して合衆国は…

(米国)海軍は<金の翼章>を1941年には新米搭乗員3,112名に、1942年には10,869名に、1943年には20,842名に、1944年には21,067名に授与した。この驚異的な拡大は、訓練水準を落とすことなく達成された。(略)
1944年の新米たちは、平均して600時間の飛行時間を体験して第一線飛行隊に到着した。そのうち200時間は彼らが割り当てられる実用機で飛行したものだった。
  ――第9章 銃後のアメリカ

 そのために必要な航空機や航空燃料そして飛行場の建設といったハードウェアや社会・産業基盤の差は、もちろんあるだろう。また、リチャード・バックの「飛べ、銀色の空へ」や「翼の贈物」に見られる、航空文化みたいなのも、日本にはない。

 が、それ以上に、この国には人を教え育てる能力が欠けている。それこそ旧ソ連の赤軍のように、ヒトは田んぼでとれるとでも思ってるんじゃなかろか。政府も軍も民間も、とにかくヒトの扱いが粗末なんだよなあ。

 もっとも、それ以前の根本的な問題として、組織や制度を作るのが下手だってのもある。これは「終章 太平洋の試練」で指摘しているが、大日本帝国の制度には、根本的な欠陥があったのだ。

 さて、それは置いて。シリーズの終幕を飾るこの巻では、海戦ばかりでなく陸戦も多くなる。それも、広い平野での決戦ではなく、島への上陸・占領作戦だ。まずはマニラ大虐殺(→Wikipedia)で、日本人読者の心に錆びた釘を打ち込んでくる。

マニラの戦いで罪のない人間が何人死んだかは誰にも分らないが、膨大な数であることはまちがいない――だぶん10万人以上だろう。
  ――第10章 マニラ奪回の悲劇

 ここで描かれる帝国陸海軍将兵の狂態は、統率を失った軍がどうなるかを嫌というほど読者に見せつける。東部戦線では独ソ双方が、半ば組織的に蛮行に及んだ。焦土作戦のためだ。だが、ここでの帝国陸海軍の蛮行は、少なくとも戦略・戦術的には何の意味もない。単に自暴自棄になった凶悪犯が暴れている、それだけだ。

 日本では情けないほど知られていない虐殺だが、著者はこう皮肉っている。

 日本の右派の反動的なひと握りの神話作者をのぞけば、世界中の誰からも称賛されていない。

 激戦の悲劇として名高い硫黄島の戦いや、やはり双方が多大な犠牲を払った沖縄戦では、上巻のペリリューの戦いと同様、いかに火力と航空戦力が優れていようとも、地形を活かし丹念に要塞化した陣の攻略が、どれほど難しいかを痛感させられる。

 硫黄島を得た米軍は、B-29による日本本土への空襲に本腰を入れる。原則としてB-29の発着はサイパンとテニアンなんだが、硫黄島には二つの意味があった。一つは緊急時にB-29が着陸できること。もう一つは、護衛のヘルキャットが発着できること。焼夷弾も開発した米軍は、東京や名古屋など都市部への空襲を本格化させてゆく。

もしいちばん多い死亡者数の推定が正しければ、東京空襲は、広島と長崎を合わせたより多くの人々を(当初は)殺していたかもしれない。
  ――第12章 東京大空襲の必然

 ところで「B-29日本爆撃30回の実録」では、東京を襲うB-29の飛行コースを高空から低空に変えた。それって危なくなるだけじゃないの? と思っていたが、ちゃんと理由があったのだ。

 まず、燃料を節約できる。ジェット気流に晒されないし、上昇時の燃料も使わずに済む。また、爆弾からナパーム弾に変えたので、より広い範囲を攻撃でき、精度が悪くても問題なくなる。加えて時刻を夜にしたので、日本軍の迎撃も減るはず。なら迎撃用の50口径機関銃と弾薬も要らないよね。ということで、爆弾や焼夷弾の搭載量が4トン→6~8トンに増やせた。

 ちなみに下町を狙ったのは、よく燃えるから。わかるんだが、どうせなら大本営のある市ヶ谷か、権力者や金持ちが住む山の手の方が戦意をくじくのに効果がああったんじゃなかろか。

 また、ここでは、サイパンやテニアンをあっという間に航空基地に作り変える土木力と、それを維持する兵站力に舌を巻いた。必要なモノを必要な時に必要な所に届けるには、パワーだけじゃ足りない。先を見通す計画性や、時と場合に応じ計画を変える柔軟にも大切だ。モノゴトをシステム化し、かつソレを状況に応じて変える能力が凄いんだ、米国は。

 ってな時に、日本が計画したのが大和特攻である。「海上護衛戦」で大井篤海軍大佐が怒り狂ったアレだ。著者も、これを徹底してコキおろしている。

大和と九隻の護衛艦の士官と乗組員たちは、幻想を抱いていなかった。彼らの任務は海上バンザイ突撃だった。実際の戦術目的には役立たない。無益な自殺行為の突進である。
  ――第13章 大和の撃沈、FDRの死

 戦略上の利害ではなく、エエカッコしいの感情で作戦を決めているのだ。もっとも、戦意を失いつつある国民への政治宣伝って政略はあるのかもしれない。でも、それにしたって、時間稼ぎにはなっても傷を深めるだけなんだよなあ。

 そんな日本に対する諸国の目は、というと。

ポツダム会談は主として、同年のヤルタ会談で未解決だったヨーロッパの問題をあつかうことになっていた。(略)日本にたいする最後の攻勢と、戦後のアジアに広まることになる取り決めは、主要な会議の議題の合間に、おもに主導者たちのあいだの非公式な集まりでのみ、取扱われた。
  ――第15章 近づく終わり

 もう、ほとんどオマケ扱い。当時の世界情勢だと、日本の地位なんてそんなモンだったんだろう。今でも太平洋戦線は軽く見られてる気配があって、だからこそ著者もこの作品を書いたんだろうけど。もっとも、自分の影響力を過大評価する傾向ってのは、どんな人や国にも多かれ少なかれあるんだけど。

 まあいい。残念なことに、当時の日本の権力者たちは、そういう世界情勢を分かってなかった。原爆が炸裂しソ連が満州を蹂躙している時にさえ、こんな事を言ってる。

強硬派(阿南惟幾陸相,梅津美治郎参謀総長,豊田副武軍令部総長)はさらに三つの条件をあくまで要求した。
まず第一に、日本本土は外国に占領されないこと。
第二に、外地の日本軍部隊は自分たちの将校の指揮下で撤退、武装解除すること。
そして第三に、日本は自分たちで戦争犯罪人の訴追手続きを行うこと。
  ――第16章 戦局必ずしも好転せず

 米国は日本を徹底的に改造するつもりだし、その能力もあるんだってのが、全く分かってない。

 往々にして組織のなかで地位を得るには、ある種の楽観性というか、強気でモノゴトを進める性格の方が有利だったりする。とはいえ、それが行き過ぎると、組織そのものの性格がヤバくなってしまう。当時の帝国陸海軍は、その末期症状だったんじゃないか。

 いずれにせよ、著者が下す太平洋戦争への評価は、みもふたもないものだ。

太平洋戦争は東京の政治上の失敗の産物だった――壊滅的規模の失敗、どんな政府、どんな国家の歴史においても屈指のひどい失敗の。
  ――終章 太平洋の試練

 そして、その原因についても、実に手厳しい。これはシリーズ冒頭の「真珠湾からミッドウェイまで 上」でも詳しく書いている。

何十年にもわたって、海軍は計画立案の目的でアメリカを<仮想敵国>と指定してきた――アメリカと実際に戦いたいとか、戦うことを予期していたからではなく、そのシナリオが予算交渉において目的を達成するための手段となったからである。
  ――終章 太平洋の試練

 もっとも、そんな風にコキおろしているのは上層部だけで、例えば硫黄島を要塞化した栗林忠道陸軍中将や、沖縄であくまでも籠城戦を主張した八原博通陸軍大佐には、その戦術眼に好意的な記述が多い。また、米軍についても、マッカーサーやハルゼーなどの自己顕示欲旺盛な将官には厳しく、理知的なスプルーアンスには好意的だったりと、好みが伺えるのもご愛敬。

 六巻もの長大なシリーズは、書籍としても充分すぎるボリュームだろう。にもかかわらず、「私は太平洋戦争について何もわかっていなかったし、今もわかっていない」と思い知らされる、そんなシリーズだった。

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2023年4月 9日 (日)

イアン・トール「太平洋の試練 レイテから終戦まで 上」文藝春秋 村上和久訳

1944年8月、(ジェイムズ・)フォレスタルは(アーネスト・)キングにこういった。「宣伝は兵站や訓練と同じぐらい今日の戦いの一部であり、われわれはそのように理解しなければならない」
  ――序章 政治の季節

1940年以前には、アメリカは日本の屑鉄輸入の74%、銅輸入の93%、そして(もっとも重要なことに)石油輸入の80%を供給していた。
  ――第7章 海と空から本土に迫る

【どんな本?】

 合衆国の海軍史家イアン・トールが太平洋戦争を描く、歴史戦争ノンフクション三部作の最終章。

 米国における第二次世界大戦は、欧州戦線の、それも陸軍を主体として描く作品が多い。対してこの作品は、太平洋戦争を両国の海軍を主体に描くのが特徴である。歴史家の作品だけに、日米両国の資料を丹念に漁りつつも、戦場の描写は日米双方の様子をリアルタイムで見ているような迫力で描き切る。

 最終章の上巻では、大統領選を控えた米国の政治情勢から始まり、ペリリューの戦いや空母信濃の撃沈を経て、レイテ島の戦いがほぼ終わる1944年末までを扱う。

 次の目標は日本本土を睨める台湾か、またはマッカーサーが固執するフィリピンか。結局はフィリピンに決まったものの、その途中にあるペリリューは日本軍が丹念に要塞化しており、上陸・占領部隊は想定外の被害を受けてしまう。

 マッカーサーのレイテ上陸を支援するためレイテへと向かう合衆国の艦隊に対し、満身創痍の日本海軍は死に花を咲かせようと不利を承知で決戦を挑む。

 背景となる合衆国の政治情勢、密かに進められていた特攻作戦、防空から対地攻撃まで万能となったF6Fヘルキャット、潜水艦たちの戦い、悲劇の<捷一号>作戦、そして新兵器B-29の登場など、米国海軍を中心としながらも様々な視点からモザイク状に太平洋戦争の終盤を映し出す、重量級の戦争ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Twilight of the Gods : War in the Western Pacific 1944-1945, bg Ian W. Toll, 2020。日本語版は2022年3月25日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約353頁+530頁=883頁に加え、訳者解説「壮大な交響曲の締めくくりにふさわしい最終章」10頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約794,700字、400字詰め原稿用紙で約1987枚。文庫本なら4巻でも言いい大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。  日本側の航空機の名前など、原書では間違っている所を、訳者が本文中で直しているのが嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  上巻
  • 序章 政治の季節
  • 第1章 台湾かルソンか
  • 第2章 レイテ攻撃への道
  • 第3章 地獄のペリリュー攻防戦
  • 第4章 大和魂という「戦略」
  • 第5章 レイテの戦いの幕開け
  • 第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗
  • 第7章 海と空から本土に迫る
  • 第8章 死闘のレイテ島
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第9章 銃後のアメリカ
  • 第10章 マニラ奪回の悲劇
  • 第11章 硫黄島攻略の代償
  • 第12章 東京大空襲の必然
  • 第13章 大和の撃沈、FDRの死
  • 第14章 惨禍の沖縄戦
  • 第15章 近づく終わり
  • 第16章 戦局必ずしも好転せず
  • 終章 太平洋の試練
  • 著者の覚書と謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 緒戦では活躍した零戦だが、この巻が扱う1944年になると、完全にF6Fヘルキャットの優位になってしまう。

第二次世界大戦で屈指の撃墜数を誇るF6Fの撃墜王デイヴィッド・マッキャンベルは、彼らがほぼかならず日本の対戦相手を自分たちの下方で発見して、急降下で襲いかかることができたと指摘している。
  ――第2章 レイテ攻撃への道

 陸でも空でも、とにかく戦いは上にいるほうが有利なのだ。「兵士というもの 」でも、捕虜になったドイツ空軍の将兵は、エンジン性能で航空機を評価したとか。

 上巻冒頭の読みどころは、次の攻略目標が台湾かフィリピンかで揉めるところだろう。海軍は台湾を推すが、マッカーサーはフィリピン奪回に拘る。当時は人気絶頂だったマッカーサーだが、どうも著者はあまり好みでないようだ。もし台湾になっていたら、恐らく米国は大陸に足掛かりを得ていただろうし、戦後の極東情勢は大きく変わっていただろう。

 まあ、それは後知恵だから言えることだ。これは太平洋戦争のどの島でもそうで…

以下の法則は太平洋戦争の全期間を通じて、ほとんどの場合、あてはまった――アメリカ軍の指揮官が島を迂回する選択肢を検討し、議論して、結局、当初の計画どおり島を占領することを決断するたびに、彼らの決断はあとからふりかえると悲劇的に間違っていたように思えることになる。
  ――第2章 レイテ攻撃への道

 この悲劇を象徴するのが、ペリリューの戦い(→Wikipedia)。太平洋戦争の島への上陸作戦がたいていそうであったように、米国海軍の大規模な艦砲射撃や航空攻撃にも関わらず、ここでも日本軍は地形を充分に活用し丹念に準備された陣に籠り、頑強に抵抗を続ける。

実際には、少人数の日本兵は何カ月も戦いつづけ、何十名もの敗残兵が終戦後も洞窟でひきつづき暮らしていた。1947年3月、対日戦勝記念日のゆうに18カ月後、少尉指揮下の33名の日本軍敗残兵の一団が発見され、説得を受けて投降した。
  ――第3章 地獄のペリリュー攻防戦

 航空戦力が発達していても、堅牢な陣を築いての籠城戦は充分に効果があるのだ、少なくとも戦術的には。ウクライナも、クリミアのセヴァストポリを攻略しようとすると、かなり苦戦するんじゃないかな。

ただし、あくまでも戦術面に限った話で、戦略的にはサイパンもペリリューも無意味だったと私は思う。籠城戦に意味があるのは、時間を稼げば事態が良くなる場合だけだ。援軍が来るとか、敵の補給が尽きるとか、他のもっと重要な地点を味方が占領するとか。どれもこの時点じゃ日本には望みがない。

 この章では最初に上陸し戦闘に突入した第一海兵師団の戦いは丁寧に描いてるのだが、後に投入した陸軍第81歩兵師団の戦いはややアッサリ気味なあたり、著者の海軍中心な視点を示してる。

 そして台湾沖航空戦(→Wikipedia)の幻の大戦果に続き、レイテ湾海戦(レイテ沖海戦)へと挑む帝国海軍の目論見を暴いてゆく。

海軍軍令部第一部長・中澤佑少将「帝国連合艦隊に死に場所を与えてもらいたい」
  ――第4章 大和魂という「戦略」

 つまり戦略的にはなんの意味もなく、単にカッコつけたいだけなのだ。もっとも、日本国内での厭戦気分が広がってて、それを追い払おうって政治宣伝の意味もあるんだけど。いずれにせよ、勘定じゃなく感情で決めてるんだよなあ。なお、特攻についても…

特攻隊は戦術的手段であると同時にプロパガンダの手段でもあった。
  ――第8章 死闘のレイテ島

 と、目論見の半分は政治宣伝だ、としている。これは戦後も相変わらずだったり。

 そして大日本帝国海軍の組織的な戦いとしては最後となるレイテ湾海戦に突入。ここでは帝国海軍の戦術が書かれていいるのが嬉しい。例えば雷撃機の迎撃方法。

日本軍は太平洋戦争初期からこの手を使ってきた――低空飛行する雷撃機の進路に砲弾の水しぶきを上げて、撃墜するか、すくなくとも彼らを攻撃射程から逸れさせることを期待するのだ。
  ――第5章 レイテの戦いの幕開け

 また、艦砲射撃で上がる水柱が七色の色付きなのも知らなかった。「どの艦/砲の水柱なのか」を識別するために、色を付けたんだろうか。

 海戦は西村艦隊の壮絶な全滅で幕を開ける。

西村祥治海軍中将「本隊指揮官に報告。我、レイテ湾に向け突撃、玉砕す」
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 日米それぞれに齟齬があった戦いだが、著者の筆はハルゼーに厳しい。はやって囮の小沢艦隊に全力で食い付いてしまった、と指摘する。

小沢治三郎中将「囮、それがわが艦隊の全使命でした」
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 対して、有名な栗田ターン(→ニコニコ大百科)については…

実際には、日本艦隊に乗り組んでいた将兵は、本気で<捷一号>作戦に賛成してはいなかった。現実的な成功の見こみがなかったからである。
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 「もともと、やる気なかったし」みたく推論してる。だったら出撃そのものを拒めよ、と考えてしまう。兵の命を何だと思って…いや、そんな事を考えたら、そもそも戦争なんかできないか。

 いずれにせよ、帝国海軍は、ここで事実上の壊滅状態となる。まさしく「死に場所」となったのだ。そこに政略または戦略的な意味はなかった、と私は思う。

この海戦は太平洋戦争の海戦を事実上、終わらせた。
  ――第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗

 傷だらけの帝国海軍が無理矢理に進水させた空母信濃の潜水艦アーチャー・フィッシュによる撃沈(→「信濃!」)や、サイパンからのB-29の空襲(→「B-29日本爆撃30回の実録」)などの有名なエピソードを挟みつつ…

B-29パイロット「日本を爆撃するのには、わずかな時間しかかからない。人を参らせるのは、目標へ行って、基地に戻ってくる激務だ」
  ――第7章 海と空から本土に迫る

 海の戦いでは、敵は海軍だけではないことを思い起こさせる、ハルゼー艦隊への台風直撃で上巻は終わる。ここでもハルゼーに著者は厳しい。

台風は790名のアメリカ軍将兵の命を奪った。
  ――第8章 死闘のレイテ島

 フィリピン奪還に執念を燃やすマッカーサー、勝利の目はほぼ消えたにもかかわらず戦争を続ける大日本帝国などを背景に、戦いの記録は下巻へと続く。

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