アイニッサ・ラミレズ「発明は改造する、人類を。」柏書房 安部恵子訳
本書では、材料が発明家によってどのように形作られたかだけでなく、そうした「材料」がどのように「文化を形作った」かを紹介していく。
――まえがき神経科学者の発見によれば、私たちは出来事の最中には時間の流れが遅くなっていくようには知覚しないけれども、出来事の想起は、時間の流れが遅くなったと自分に思い込ませるという。
――第1章 交流する私たちの知っているクリスマスは、企業の重役会議室で生まれ、鋼鉄に保護されたといえる。
――第2章 結ぶ電信の発明者サミュエル・F・B・モールスは、国じゅうに情報を伝えるワイヤーによって、「この国全体が一つの近隣地域」になると予測していた。
――第3章 伝える初期の風景写真が困難な仕事だったのは、重い装置類のためだけではなく、薬剤と技術はほとんどが自家製だったからだ。
――第4章 とらえるポール・ボガード「昆虫類のほぼ2/3は夜行性だ」
――第5章 見る(初の商用ハードディスク)RAMACは大きさが冷蔵庫二台分、主さは1トンを超え、データを500万バイト、すなわち5メガバイト保存できた(略)。
――第6章 共有するガラスは「見る」という科学的方法の心臓部に存在する。
――第7章 発見する「テキサスにシリコントランジスタがあるぞ!」
――第8章 考える
【どんな本?】
時計,鋼鉄,電信,写真,電灯,情報記録媒体,ガラス,半導体。これらが普及する前、人々はどのような暮らしだったのか。どんな人が、どんな目的で、どんな経緯で発明したのか。そして普及によって、人々の暮らしはどう変わったのか。
など、発明とそれに伴う暮らしの変化の物語に加え、本書は少し毛色の変わった趣向も語っている。
多くの人々に知られている発明者の物語ばかりでなく、その影に隠れあまり語られることのない様々な工夫をなした人々や、ちょっとした偶然で有名になり損ねた人たちも丹念に調べて拾い上げ、その時代を生きた人の物語として語ってゆく。
材料科学を修めた著者による、一般向けの歴史と科学・技術の楽しい解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Alchemy of Us : How Humans and Matter Transformed One Another, by Ainissa Romirez, 2020。日本語版は2021年8月2日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約325頁に加え、あとがき4頁+訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×325頁=約290,225字、400字詰め原稿用紙で約726枚。文庫ならちょい厚め。
文章はこなれていて読みやすい。内容も分かりやすい。数式や化学式は出てこないので、数学や理科が苦手な人でも大丈夫。むしろ必要なのは世界史の知識だろう。といっても、特に構えなくてもいい。19世紀以降の欧米の歴史を中学卒業程度に知っていれば充分。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。
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- まえがき
- 第1章 交流する
- 第2章 結ぶ
- 第3章 伝える
- 第4章 とらえる
- 第5章 見る
- 第6章 共有する
- 第7章 発見する
- 第8章 考える
- あとがき
- 謝辞/訳者あとがき/図の出典/引用の許可/参考文献/注/索引
【感想は?】
逸話を拾う著者の腕の巧みさが光る。
最初の登場人物ルース・ベルヴィルの物語から、一気に本書に引き込まれた。1908年の彼女の商売は、正確な時刻を売ること。当時は正確な時計が普及していない。でも鉄道や銀行や新聞そして酒場など、正確な時刻を知らなければならない業務は多かった。そこで彼女は…
「パリ職業づくし」や「アンダーグラウンド」もそうなんだが、世の中にはいろんな商売があるんだなあ、と感心してしまう。
続く登場人物ベンジャミン・ハンツマンは18世紀半ばの時計職人。彼が求めたのは、均一なばね(ゼンマイ?)。素材にバラツキがあると、速くなったり遅くなったり、酷い時には折れたりする。そこで彼は鉄の製造工程から改善に挑み、るつぼを発明する。
製鉄技術の進歩を、正確なばねを求めた時計職人がもたらしたのだ。発明ってのは、意外な人の意外な目的から始まってたりする。
続く「第2章 結ぶ」の主役は、ベッセマー製鋼法のヘンリー・ベッセマー(→Wikipedia)。彼の製鋼法が生みだす鋼鉄が鉄道のレールとなり、アメリカを一つの国に結び付けていく。
「小説家になろう」の異世界物に凝ってる私は、当時(18世紀末~19世紀初頭)の馬車の旅の逸話も楽しかった。一日の旅程は約29km、朝は3時に起こされ宿につくのは夜の10時。なんちゅう厳しい旅だ。
これが鉄道により州間の交易が盛んになり、各地の産業は特産物に特化し、単なる年末休暇だったクリスマスも…
「第3章 伝える」はサミュエル・F・B・モールスにスポットが当たる。そう、あのモールス信号のモールスだ。元は画家ってのが意外。電信の伝達速度は距離より文字数で決まる。そのためか、モールスが the の代わりに t を使うなど、省略表現を産み出していくのに笑ってしまう。
「第4章 とらえる」のテーマは写真。19世紀末の写真家の手作りぶりに驚く。20世紀後半でも現像は手作業だったが、19世紀は感光用の薬剤まで手作りだったのだ。ここではコダック社がフィルムの感度を白人の肌がきれいに映るよう調整していたが為に起きた社会問題を暴く。今でも色調整は職人芸に近くて、特に人の肌は難しいんだろうなあ。いやヒトって肌の色には敏感だから。
「第5章 見る」は電気照明。かのエジソンの功績は有名だが、夜が明るくなることで私たちの身体や社会にどんな変化が起きているかは、あまり語られない。光害は有名だが、それだけじゃないのだ。なお日本海は「地球上でも極めて明るい地点になっている」とか。
「第6章 共有する」でも、再びエジソンが登場する。ここのテーマは録音とハードディスクだ。グレイトフル・デッドのファンなら、カセットテープの偉大さをよく知っている。かと思えば、イスラムの過激派がカルト思想を広めるのに使ったり。IBMのジェイコブ・ハゴビアンが見つけた、ハードディスクに磁性体を均一に塗る方法には、ちょっと笑ってしまう。
「第7章 発見する」で取り上げるのはガラス。最初のヒーロー、オットー・ショットはガラス開発のために生まれたような人。なにせ実家はガラス工場ながら化学を志したのだ。19世紀当時のガラスは「泡や筋、しわ」が入ってたり「曇っていたり、濁っていたり、渦模様があったり」と、科学で使うにはアレだったのだ。こういう不具合を知ると、逆に身の回りにある技術の凄さを思い知るんだよなあ。
最後の「第8章 考える」は、電話交換機からトランジスタそして現代のコンピュータへと向かう。ここで最も印象に残るのが癇癪もちの葬儀屋アルモン・ストロウジャー。電話を交換手がつないでいた時代、自分の店に電話で注文が入らないのは交換手の嫌がらせだと思い込んだストロウジャー、意地になって自動交換機を開発するのだ。クレーマーもここまでくれば尊敬に値する。
終盤ではコンピューターとインターネットが私たちの脳や思考に与える影響を考える。確かに Google や Wikipedia は便利だが、この本を読まなければ私はルース・ベルヴィルやアルモン・ストロウジャーを知らなかっただろうし、ホウ素を調べようとも思わなかっただろう。未知のジャンルやキーワードを知るには、本の方が向いているのだ。とりあえず、今のところは。
テクノロジーが暮らしや社会をどう変えたか、またはそれ以前の人びとの暮らしがどうだったかを知るという点では、私が好きな技術史の面白さがある。それ以上に、ベンジャミン・ハンツマンなどの、あまり有名でない人物に光を当て、その人生を描く物語としての楽しさにも溢れている。過去の人びとの暮らしに興味がある人なら、きっと楽しめる。
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