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2022年5月22日 (日)

香川雅信「江戸の妖怪革命」河出書房新社

本書では、次のような問いを発してみることにしたい。
フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか。
  ――序章 妖怪のアルケオロジーの試み

妖怪が存在しないことを認識することによってはじめて、人は妖怪を作り出すことができるのである。
  ――第3章 妖怪図鑑

近世の「妖怪手品」は、催眠術にその座を明け渡すこととなった。(略)催眠術が抱え込んでしまった解析不能の闇は、やがてそのなかに「心霊」という正真正銘の妖怪を胚胎させることになる。
  ――第6章 妖怪娯楽の現代

【どんな本?】

 狐と狸は人を化かす。鬼,天狗,カッパなど、古来から日本にはさまざまな妖怪がいた。それに加え、江戸時代の18世紀後半には豆腐小僧などの新しい妖怪が続々と現れる。現代では水木しげるの漫画やアニメから始まり、妖怪を扱う作品が断続的に人気を得て、妖怪は親しみが持てる存在となった。中には遠野市のように。河童を可愛らしくデフォルメして観光資源にしている町まである。

 このように、妖怪が明確な姿形を持ち、いわばキャラクターとしての地位を獲得したのは、江戸時代の18世紀後半だ。

 この頃、妖怪の概念は大きく変化した。その理由を、本書はミシェル・フーコーの言うアルケオロジー(→コトバンク)の手法で探ってゆく。

 ヒトはモノゴトを認識する際、エピスメーテー=何らかの枠組み(→Wikipedia)に従う。世界観と言ってもいい。この世界観が、18世紀後半に大きく変わった。

 それまでの世界観はどうだったのか。それが、どんな原因で、どのように変わったのか。

 18世紀後半の起きた人びとの世界観の変化を、お馴染みの妖怪を通して描き出そうとする、異色の民俗学の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約280頁に加え、あろがき4頁。9ポイント46字×19行×280頁=約244,720字、400字詰め原稿用紙で約612枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれていて読みやすい。一部には江戸時代の文献の引用があるが、たいていは著者が現代文で解説しているので、読み飛ばしても大丈夫。前提知識も特に要らない。中学卒業レベルで日本史を憶えていれば充分。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進むので、できれば頭から順に読もう。

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  • はじめに
  • 序章 妖怪のアルケオロジーの試み
    かわいい妖怪たち/妖怪研究の二つのレベル/アルケオロジーという方法/妖怪観のアルケオロジー/本書の構成/妖怪という言葉
  • 第1章 安永五年、表象化する妖怪
    『画図百鬼夜行』の登場/平賀源内と『天狗髑髏髏鑒定縁起』/怪談から幻想文学へ/『其返報怪談』と「表象の時代」/化物づくしの黄表紙と表象空間/民間伝承から表象空間へ/鬼娘 見世物にされた妖怪
  • 第2章 妖怪の作り方 妖怪手帳と「種明かしの時代」
    永代橋の亡霊/妖怪手品本『放下筌』/狸七ばけの術/科学応用妖怪手品/『天狗通』の光学的妖怪/ファンタスマゴリアと妖怪手品/化物蝋燭 妖怪手品の商品化/写し絵 江戸のファンタスマゴリア/妖怪狂言 機械仕掛けの幽霊/怪談噺 視覚的落語の誕生/幻術から手品へ/からくりと「種明かしの時代」/「種明かしの時代」の怪談/「化物化」する人間/「人間化」する世界/貨幣に支配される神仏/流行神 心霊との市場交換/妖怪手品と博物学 平瀬輔世をめぐって
  • 第3章 妖怪図鑑 博物学と「意味」の遊戯
    「百鬼夜行」のイメージ/『山海経』と『化物づくし絵巻』/妖怪画と博物学/18世紀における博物学の転換/博物学的思考・嗜好の広がり/「神の言葉」としての怪物/「記号」から「生物」へ/情報化とキャラクター化/パロディ版「妖怪図鑑」/見立て絵本/見立て絵本と博物学的思考・嗜好/宝合 「意味」の遊戯/「類似」から「表象」へ/空を飛ぶ摺子木 表象としての妖怪/「画図百鬼夜行」とパロディ
  • 第4章 妖怪玩具 遊びの対象になった妖怪
    遊びの対象になった妖怪/化物双六 玩具化された妖怪図鑑/妖怪カルタ 博物学の遊戯化/妖怪のおもちゃ絵 江戸のポケットモンスター/亀山の化物 変化する玩具/妖怪花火「眉間尺」/妖怪凧と幽霊凧/妖怪人形 信仰と遊びのあいだ/妖怪玩具の三つの特徴
  • 第5章 からくり的 妖怪を笑いに変える装置
    妖怪シューティング・ゲーム「からくり的」/象徴操作としての遊び/アノマリーとしての妖怪/グロテスクと笑い/からくり的の性と妖怪/妖怪の「過剰な肉体性」/変化から博物学へ/消えゆく「からくり的」の笑い
  • 第6章 妖怪娯楽の現代 「私」に棲みつく妖怪たち
    井上円了の妖怪学/「理学の幽霊」と近代の妖怪/光学玩具と「主観的視覚」/月岡芳年の『新形三十六妖怪撰』/「神経」と妖怪娯楽/妖怪手品から催眠術へ/動物磁気から心霊へ/「千里眼」の商品化/こっくりさんと心霊玩具/ドッペルゲンガー 「私」という不気味なもの/「霊感」考 現代の「霊」をめぐる言説/自分探しとオカルトブーム/妖怪とのつきあい方/妖怪ブームと「私」
  • 註/図版出典一覧/あとがき

【感想は?】

 18世紀後半に起きた、日本人の世界観の変化を、「妖怪」を通じて浮き上がらせること。それが本書のテーマだ。

 それ以前の人々は、妖怪をどう捉えていたのか。それが18世紀後半以降、どう変わったのか。これは第2章までで、アッサリとケリがつく。

 意外なことに、従来の妖怪はハッキリとした姿がなかったのだ。例えば家鳴(→Wikipedia)のように、原因がわからない現象にとりあえずの理由をデッチあげるケース。この場合は、姿がハッキリしなくてもいい。見えなくても構わないのだ、現象が説明できれば。あなたの家にもいませんか、妖怪靴下片方隠し。

民間伝承のなかの妖怪は、ある不可思議な現象、日常的な思考によっては理解できない物事を説明するために持ち出される「概念」にすぎない(略)。
  ――第1章 安永五年、表象化する妖怪

 またはカッパのように、「むやみに水辺に近づくな」と注意するための方便だったり。これまた目的が果たせればいいんで、姿は定まらない方が不気味さが増して良かったり。

 ところが、こういう「ワケわからなさ」が、18世紀後半に追放されてゆく。著者が主張する原因が、みもふたもない。

18世紀後半とは、(略)貨幣によって人間世界の「外部」が消失し、すべてが人の力によって動かせるという信念が広まっていったのである。
  ――第2章 妖怪の作り方

 技術の進歩でも教育の普及でもなく、貨幣経済の浸透だってんだから、まさしく現金なものだ。

 この主張の是非はともかく、本書に収めた資料の数々が、妖怪好きにはとても美味しい。

 何せ妖怪である。現代でもイマイチ学術的とは言い難いテーマだ。それは江戸時代の当時でも同じで、本書に収めた資料の多くは黄表紙や玩具、双六などだ。現代なら週刊少年ジャンプなどの漫画雑誌や、玩具屋で売ってるキャラクター商品に当たるだろう。からくり的なんて、まるきしゲームセンターだ。

 こういう庶民的な娯楽は、往々にして学問の世界から軽く見られがちだろうし、だからこそ、これだけの資料を集めた執念には頭が下がる。

 そう、なんといっても、本書の大きな魅力は豊富に収録した図版なのだ。見越入道などの妖怪の絵や、おばけかるたなどの玩具が、実に楽しい。伏見人形の人魚とか、まるきし最近の新型コロナ流行で話題になったアマビエじゃないか。

 これらの黄表紙や玩具からは、当時の人びとが意外と人生を楽しんでいた様子が伝わってくる。まあ、娯楽なんだから当たり前なんだけど。

 また、今でこそ伝統の芸が重んじられる落語や芝居が、当時はビンビンに外連味を利かせていたのも意外だった。いずれも庶民の娯楽なんだから、そりゃウケるためにはハッタリや演出にも凝るよね。

 これは私が勝手に現代語訳しての引用だけど、今でも小咄として使ってるんじゃないかなあ。

1773年の『再成餅』収録の小話。
頼朝のしゃれこうべが回向院で開帳となった。
参詣「頼朝公にしては小さくないか?」
僧「これは頼朝公、三歳のこうべ」
  ――第3章 妖怪図鑑

 この章で展開する、寺社の開帳がショウ化する過程も、なかなか楽しかったり。「靖国」に「霊場には必付属の遊興場あるへし」なんてのがあるけど、そのルーツはこの時代だったのか。

 いずれにせよ、かつてはモヤモヤとした「概念」だった妖怪は、この時代に姿形を得て、今でいうキャラクター化してゆく。

妖怪たちは視覚的な存在になることによってはじめて、人間の「遊び」の対象となることが可能になったのだ。
  ――第4章 妖怪玩具

 昔から日本人は擬人化するクセがあったんだなあ。艦これの種は江戸時代に既に芽が出ていたのだ。

 妖怪という卑俗な視点だからこそ見えてくる、当時の人びとの世界観はなかなか新鮮だった。が、それ以上に、なんといっても妖怪をテーマとして取り上げているのが嬉しい。妖怪が好きな人にお薦め。

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