マット・パーカー「屈辱の数学史」山と渓谷社 夏目大訳
どの分野でも、些細に見える数学のミスが、驚くような事態を引き起こす。古いものから新しいものまで、数ある数学のミスの中から、私が特に興味深いと思ったものを集めたのがこの本だ。
――第0章 はじめに2015年、通信インフラ企業のヒベルニアネットワークスは、三億ドルもの巨費を投じ、ニューヨークとロンドンの間に新たに光ファイバー・ケーブルを敷設した。通信に要する時間を6ミリ秒短縮するためだ。
――第8章 お金にまつわるミス計測の精度と正確さは混同されがちだが、両者はまったく別のものだ。精度はどれだけ細かく計測できるかを表し、正確さは計測値がどれだけ真の値に近いかを表している。
――第9章 丸めの問題コンピュータに何かをランダムに行わせるのは「難しい」どころではない。まったくの不可能なのだ。
――第12章 ランダムさの問題再テストを行わずにコードを流用すると、それが問題のタネになることが多い。
――第13章 計算をしないという対策
【どんな本?】
私たちの身の回りには、数字が溢れている。だが、往々にして人は数字が苦手だ。例えば私は風速がピンとこない。天気予報では風速を秒速?mで表す。でも私には時速の方がなじみ深い。なので、頭の中で3または4を掛け単位をkmに替えることにしている。
日常ではその程度で済むが、橋や建物の建設だと、こんな大雑把な計算じゃ困る。薬の投与量や放射線の照射量などの医療関係では、直接に命にかかわる。また、翻訳本を読んでいると、距離の単位がマイルだったりする。かと思えば、コンピュータ・ゲームのバグなど、微笑ましい数字のミスもある。
人間が犯したミスのなかでも、数字が関わり、かつ著者が興味深いと感じたものを集め、詳しく解説した、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Humble Pi : A Comedy of Maths Errors, by Matthew Parker, 2019。日本語版は2022年4月5日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約455頁。9.5ポイント42字×16行×455頁=約305,760字、400字詰め原稿用紙で約765枚。文庫なら厚い一冊分。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。書名に「数学」が入っているが、実際に使うのは加減乗除なので、むしろ「算数」が相応しい。
また、コンピュータのプログラムに関する話題も多い。プログラマは大いに楽しめるだろう。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- 第0章 はじめに
- 第1章 時間を見失う
- 第2章 工学的なミス
- 第3章 小さすぎるデータ
- 第4章 幾何学的な問題
- 第5章 数を数える
- 第6章 計算できない
- 第7章 確率にご用心
- 第8章 お金にまつわるミス
- 第9章 丸めの問題
- 第9.49章 あまりにも小さな差
- 第10章 単位に慣習……どうしてこうも我々の社会はややこしいのか
- 第11章 統計は、お気に召すまま?
- 第12章 ランダムさの問題
- 第13章 計算をしないという対策
- エピローグ 過ちから何を学ぶか
- 謝辞
【感想は?】
人間は数字が苦手だ。これは直感で分からないからだろう。
元来、人間は数を直線的ではなく、対数的なものととらえる生き物である。
――第0章 はじめに
例えば、そうだな、a)1億円と500憶円の違いと、b)1兆円と2兆円の違い、どっちが大きいと思います? 直感的にはa)と答えたくなるが、金額の差はb)の方が圧倒的に大きい。つい割合で考えてしまうのだ、私たちは。
とまれ、どうしても私たちの暮らしに数字はついてまわる。それは日々の暮らしだけでなく、社会全体にも大きく影響を与える。例えば暦だ。その元になるのは、日と年なんだが、これがけっこう面倒くさい。
宇宙が私たちに与えてくれる時間の単位は二つだけだ。それは「年」、そして「日」である。
――第1章 時間を見失う
1年はだいたい365日で、これは太陽のまわりを地球が一周する、公転に必要な時間。1日は地球の自転に必要な時間。この二つは、歯車みたく綺麗に揃ってるわけじゃなく、独立した運動だ。だから、どうしたってピッタリな数字にはならない。そこで、うるう年なんて面倒な計算が必要になる。これも4年に一度じゃピッタリこないから、プログラマは面倒な条件判定をしなきゃいけない。
日と年のように、自然が生みだしたモノはどうしようもない。が、人は自分で橋や建物などを作り出す。が、作ってから、様々な不具合に気がつく。ここでは、かの有名なタコマ橋やロンドンのミレニアム・ブリッジを紹介する。
人間は自分の理解を超えたものを作ることがある。作ってしまってから理解する。(略)応用が先で、基礎となる理論は遅れてできるのだ。
――第2章 工学的なミス
問題が起きると、その原因を突き止めようとする。その過程で、理論が姿を現すのだ。この章では、エアロビクスでビルが揺れた話が面白い。たまたま振動数があったため、信じがたい現象が起きた。振動数にしても、横揺れ・縦揺れ・ねじれ等があり、モノを設計する際の難しさが伝わってくる。
3章は、IT技術者なら身につまされる逸話がギッシリ詰まってる。Steve Null 氏や Brian Test 氏やAvery Blank 氏の災難、Excel の型自動判別によるバグ。やはりプログラマならピンとくるだろう。
なお、某社の表計算ファイルの42.2%には一つも数式がなかったとかは、あまり笑えない。神Excelとか話題になってるし。どうでもいいけど、お役所は "Excel" ではなく "表計算" または "スプレッドシート" と呼ぶべきだと思う。政府が特定企業の特定製品を贔屓しちゃマズいよね。
5章もプログラマには身近な話題。確か Fortran は配列の添え字の最初は1だけど、c は0から。こういう境界値のバグは、よくあります。続く6章もオーバーフローや2進:10進変換の話。あなたのまわりにもいませんか、ピッタリ255とか言っちゃう奴。いや256だろって反論もきそうw
9章以降は、大きな事故の話が中心になる。そういう点では、「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」とカブる。
事故が起きたときは、それはシステム全体の欠陥のせいである。一人の人間に責任を負わせるのは正しくない。
――第9.49章 あまりにも小さな差
大きな事故は、たった一つのミスで起きるんじゃない。幾つのもミスが積み重なって起きる。機械でもソフトウェアでも組織でも、普通は何重もの安全装置がついている。それらすべてをスリ抜けた時に事故になる。なぜスリ抜けるか? ミスを隠そうとしたり、チェックを甘くしたがる組織の体質が原因だったりする。そもそもヒトってのは見栄っ張りな生き物で…
悪い結果は、良い結果に比べて隠される可能性が圧倒的に高くなるのだ。
――第11章 統計は、お気に召すまま?
手柄話をする酔っ払いは沢山いるが、失敗譚をする奴は滅多にいない。そういう事だ。それだけじゃない。問題が起きると、みんなが寄ってたかって悪役を仕立てて責め立てる。だから、みんな自分のミスを語ろうとしない。
「ミスを認めた人間をすべて排除したとしても、システムはよくならない」
――第13章 計算をしないという対策
この辺、航空機事故の調査などは極めて巧みにやっているみたいだ。逆なのが政治や経済だよね。福島の原発事故も、「電源喪失」だけで話を終わらせちゃマズいと思う。なぜ設計や導入検討の段階で気づかなかったのか。気づいたけどスルーされたのか。ちゃんと調べるべきでない? 誰に責任があるかはさておき。
とかのウザい調査や監査があると、ヒトは数字をデッチ上げようとする。元数学教師らしく、宿題を誤魔化す生徒を見破るために、デッチあげをあぶりだす方法も出ていて、その一つがベンフォードの法則(→Wikipedia)。
現実の世界に存在する数値データを十分な量集めて平均すると、先頭の桁が1のものがだいたい全体の30%になる
――第12章 ランダムさの問題
なぜそうなるのか、なんとなくわかる気がするんだけど、巧く説明できない。あなた、どうですか?
書名には数学とあるけど、加減乗除でわかるネタばかりなので、レベル的には算数とすべきかも。最初から最後まで、ヒトがやらかした失敗の話が並んでいる。他人の失敗の話ってのは、やはり楽しいのだ、野次馬根性で。いや真面目に事故を防ぐ教訓を学んでもいいけど。
ってんで調べたら、失敗知識データベースなんて楽しいサイトを見つけた。面白いバグを集めた本とかも、探せばあるんだろうか? ちなみに私がよくやるのは、文字列の二重引用符 "" の片方を忘れるって奴です。
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