ウィリアム・バーンスタイン「交易の世界史 シュメールから現代まで 上・下」ちくま学芸文庫 鬼澤忍訳
世界の宗教のなかで唯一、イスラム教は商人によって創始された
――第3章 ラクダ、香料、預言者ペストは貿易の病である。
――第6章 貿易の病コーヒーは茶よりも一世紀早く広まっていた。
――第10章 移植ペニー郵便法がついに上院を通過したとき、彼(リチャード・ゴブデン)は「これで穀物法もおしまいだ!」と快哉を叫んだという。安い郵便は、穀物法廃止勢力の兵器庫も最も強力な武器、まさにプロパガンダの榴弾砲となった。
――第11章 自由貿易の勝利と悲劇ナポレオン三世「われわれフランス人は改革をしない。革命を起こすだけだ」
――第11章 自由貿易の勝利と悲劇ほかの条件がすべて同じであれば、豊かな社会では貿易量が増える。
――第13章 崩壊
【どんな本?】
文明の曙の頃から、ヒトは遠いところと交易してきた。交易は、帝国の勃興と共に盛んになることもあれば衰えることもある。家畜の飼いならしや航海技術の進歩が交易を進めることもある。海峡などの要所を巡り激しく非情な争いもあった。また、往々にして、金融や関税などの制度が交易の興亡を左右した。
アメリカの歴史研究家が、先史時代から現在のグローバル経済まで、人々の交易とそれが変えた社会について綴る、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は A Splendid Exchange : How Trade Shaped the World, by William J. Bernstein, 2008。日本語版は2010年4月に「華麗なる交易 貿易は世界をどう変えたか」として日本経済新聞社より刊行。2019年8月10日に筑摩書房より文庫版の上下巻で刊行。
文庫で縦一段組み本文約341頁+328頁=約669頁。8.5ポイント40字×17行×(341頁+328頁)=約454,920字、400字詰め原稿用紙で約1,138枚。ちょい厚めかな?
文章は比較的にこなれている。内容も親しみやすい。ただし世界各地の地名がしょっちゅう出てくるので、世界地図などを用意しておこう。また文中にも地図があるので、栞も幾つか用意しておこう。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むが、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。
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- 上巻
- はじめに
- 第1章 シュメール
- 第2章 貿易の海峡
- 第3章 ラクダ、香料、預言者
- 第4章 バグダッド-広東急行 1日5ディルハムで暮らすアジア
- 第5章 貿易の味と貿易の虜
- 第6章 貿易の病
- 第7章 ヴァスコ・ダ・ガマの衝動
- 原注
- 下巻
- 第8章 包囲された世界
- 第9章 会社の誕生
- 第10章 移植
- 第11章 自由貿易の勝利と悲劇
- 第12章 ヘンリー・ベッセマーが精練したもの
- 第13章 崩壊
- 第14章 シアトルの戦い
- 謝辞/訳者あとがき/原注/出典リスト
【感想は?】
今まで、モノや技術の由来やを綴る本を幾つか読んできた。
「砂糖の歴史」, 「バナナの世界史」, 「コーヒーの真実」, 「胡椒 暴虐の世界史」, 「マネーの進化史」, 「紙の世界史」, 「木材と文明」, 「完璧な赤」…
この本は、それらの集大成といった感がある。
改めてモノや技術の歴史を俯瞰して見渡すと、幾つか共通するパターンが見えてくる。上に挙げた本が扱うテーマは、砂糖・バナナ・ッコーヒー・胡椒・金融・紙・木材・染料だ。共通点は、身近であること。地球のどこかで生まれたモノや技術が世界中に広がり、私たちの手元に届いたのである。
どうやって広がったのか。当然、交易によってだ。だから、集大成なのも当然なのだ。
表紙には港に集う帆船を描いている。交易は、遠いところからモノを運ぶ。その際は、水路に頼ることが多い。遠い所に運ぶ場合、陸路より水路の方が有利なのだ。
水上輸送は陸上輸送よりもはるかに安上がりで効率もいい。ウマは約90kgの荷を背に乗せて運ぶことができる。荷馬車を使って平坦な道を行けば、約1.8トンを引っぱれる。だが、運河側道から船を曳かせれば約27トン――古代の小型帆船の積載量――を運べる。
――第1章 シュメール
そんなわけで、交易は水路の確保が大事だ。水路ったって、海は広い。海賊も沖に逃げれば捕まえようがない。だが、逃げようのない所もある。
ギリシアが西洋文明の発祥地だったとすれば、その独特な地形が西洋の海軍戦略の基礎を築いたといって間違いないだろう。
海軍戦略で重視されるのは海上航路の安全だ。(略)
自らの繁栄と存続をはるか遠くの海上交通の海上交通路や戦略上の要所(略)に依存していたのだ。
――第2章 貿易の海峡
この要所とは、海峡だ。多くの船が通るので、一網打尽にできる。海賊だろうが、密輸船だろうが、敵国の船だろうが。いかに海峡を抑えるか、が西洋の海軍戦略のキモになったのだ。
逆に海軍を疎かにすると…
海軍がいない海では、海賊がはびこる。16世紀の半ば、日本の「倭寇」が中国沿岸を恐怖に陥れた。
――第4章 バグダッド-広東急行
これは現代でも言えることで、紅海の入り口マンデブ海峡はソマリアの海賊が荒らしたし、マラッカ海峡も海賊が出没するとか(→「貧困と憎悪の海のギャングたち 現代海賊事情」)。しかもマラッカ海峡付近は役人とグルになってるからタチが悪い。
それでも商人が海に出るのは、儲かるから。意外だったのは、船員の待遇。彼らは単なる雇われ人員じゃない。
インド洋における商人と船員の区別はとても微妙なもので、給料をもらっている乗組員はほとんどいなかった。大半の乗組員は自分の裁量で貿易品を船に持ち込み、それで商売をして生計を立てていたのである。
――第4章 バグダッド-広東急行
元船乗りが書いたSF小説「大航宙時代」で、若い宇宙船乗りが手荷物で稼ぐ場面があるけど、あれは昔からの船乗りの伝統だったのか。ジャック・ヴァンスも商売ネタが多いのは、船員時代の小遣い稼ぎの経験が活きてるんだろうなあ。
なんてSFネタはさておき。彼らが運ぶ商品は色々あるが、ヴェネツウィアやジェノヴァの商人たちが運んだのは、意外な商品だ。
だいたい1200年から1500年にかけて、イタリア人は世界で最も成功した奴隷商人となり、黒海の沿岸で奴隷を仕入れるとエジプトやレヴァントで売った。
――第5章 貿易の味と貿易の虜
クリミアあたりで仕入れた奴隷を、マルムーク朝のエジプトに売るんですね…って、「ヴェニスの商人」(→Wikipedia)のアントーニオは奴隷商人かよ。今の感覚だと、アントーニオこそ悪役だよなあ。
もっとも、そんな貿易も当たればデカいがハズれると…
オランダの波止場から東洋に向かって船出した100万人前後の男性のうち、半数以上は帰らなかった。
――第9章 会社の誕生
それでも、一攫千金の夢を見て彼らは海に乗り出してゆく。目的地はインド。ちなみに地中海からインドへの航路は、かなり昔から知られてはいたらしい。
大西洋を横断してインドに行くルートの起源は、紀元前一世紀のローマ時代の地理学者ストラボンにさかのぼる。ひょっとしたらアリストテレスにまで行きつくかもしれない。
――第7章 ヴァスコ・ダ・ガマの衝動
ちなみに紅海経由のルートでネックとなるのがスエズの地峡。これを水路で繋ぐスエズ運河、レセップス以前に2回ほど作られている。まあいい。ここをイスラム勢力に抑えられた欧州は、羅針盤や貿易風の利用などで喜望峰周りの航路を見いだし、南アジアへと進出してゆく。ここで牽引役となるのは国家ではなく…
航海術の発達のおかげで、(イギリス・オランダ)両国の戦いは世界各地のヨーロッパの交易拠点とプランテーションをめぐってくり広げられてゆく。そのほとんどが、国の陸軍や海軍同士の衝突ではなく企業同士の衝突だった。
――第8章 包囲された世界
現代でもグローバル企業は問題にされるけど、実際にヤバい実績があるのだ。いやホント、「胡椒 暴虐の世界史」や「バナナの世界史」を読むと怖くなるよ。
とまれ、そんな国際企業をテコに発展する都市もある。本書ではマラッカや広東が例だ。現代だとシンガポールだろう。そういう交易都市が栄えるのにはコツがあって…
こんにちに至るまで、世界市場での成功と失敗を分ける要因は、規模ではなく、発達した政治、法律、そして金融機関である。
――第9章 会社の誕生
そういえばシンガポール、「明るい北朝鮮」なんて揶揄される事もあるけど、司法や役人の腐敗の少なさもピカ一って言われてるなあ。さすが華僑の国だ。
さて、第10章以降は、自由貿易 vs 保護主義の議論が表に出てくる。著者は自由貿易を推す立場だ。例えばアメリカ人が誇りとするボストン茶事件も…
(ボストン茶事件の原因となった)この(タウンゼンド諸)法は新たな課税ではなく、アジアからアメリカへの紅茶の直接輸入をイギリス東インド会社にはじめて許可するものだった。この法のおかげで紅茶の価格は半分に下がり、植民地の消費者はむしろ恩恵を受けた。
――第10章 移植
と、私が教科書で学んだストーリーとだいぶ違う。やはりインド独立の父ガンジーのシンボル糸紡ぎ車に対しても…
(イギリスの機械織り綿布による)インド経済全体の損失は比較的軽微ですんだ。インドの生産高の大半は農業が生みだしていたからだ。失業者は200万から300万――労働力全体のせいぜい3%――程度で、マルクスやネルーの黙示録的散文が記したように何千万というわけではなかった(略)。
――第11章 自由貿易の勝利と悲劇
なんて Dis ってる。まあ、ガンジーは「技術者を農場に送れ」とか、産業振興じゃアレな所もあるんだよね。もっとも、アジアを軽んじてるワケでもなく…
南京条約(→Wikipedia)の屈辱感はこんにちに至るまで中国の国家意識のなかでくすぶっている。この条約を知るアメリカ人が100人に1人もいないという事実は、21世紀の米中関係にとってよい兆しではない。
――第11章 自由貿易の勝利と悲劇
と、アジア側から見た歴史も、一応は抑えている。この辺を読むと、現在の中国が香港に拘る理由が少しわかるかも。いや、だからって中国共産党のやり口が適切だとは思わないけどさ。
いずれにせよ、香港の問題の原因は貿易にある。この貿易、かつては移動の難しさに阻まれていた。いくらいいモノでも、遠くにあるモノを運ぶには高い費用がかかる。これを変えたのが羅針盤や航海術であり、近年では…
ベッセマー法(→Wikipedia)がチャールズ・ウィリアム・シーメンズとピエール・マルタンによって完成されると、鋼鉄の価格は1トン当たりわずか英貨数ポンドに下がり、それ以前のほぼ1/10になった。
――第12章 ヘンリー・ベッセマーが精練したもの
鋼鉄を作る技術だ。これにより蒸気エンジンの出力が上がり、船体が丈夫になり、更には肉の冷凍輸送も可能になった。こういった技術革新は輸送の費用を減らし…
輸送費の低下は価格の収束につながる。
――第13章 崩壊
国や地域ごとの価格や賃金の違いを減らしてゆく。この現象は勝者と敗者を生む。誰が勝ち、誰が負けるのか。
彼ら(ウォルフガング・ストルーパー&ポール・サミュエルソン)のモデルでは、保護貿易は(土地・労働・資本のうち)相対的に乏しい要素を多くもつ者に恩恵をもたらし、相対的に豊富な要素を多くもつ者に害を与えると予想された。自由貿易では逆のことが起きる(略)。
――第13章 崩壊
日本じゃ土地が乏しい。そして農業は多くの土地が要る。農産物・畜産物の保護は、日本じゃ乏しい土地を多く持つ農家が得をする。逆に自由化したら、農家や牧場は潰れるが、消費者は肉が安くなってラッキー、そういうことです。当然、農家は納得いかないわけで…
自由貿易は全体としては人類を豊かにするが、唯々諾々と新たな秩序を受け入れるわけにはいかない敗北者もつくりだす
――第11章 自由貿易の勝利と悲劇
そんなワケで、今でもTPPとかが熱い話題になってるんだけど、こういう議論は昔からあったようで…
グローバリゼーションをめぐるこんにちの議論は、場合によってはほぼ一言一句違わず、かつての議論をくり返している。
――第14章 シアトルの戦い
いや私もTPPが何かはよく知らないんだけど←をい
などと、全般的に自由貿易を推す著者なんだけど、今まさに起きているロシアのウクライナ侵略に伴う原油価格の暴騰とかは、グローバル経済ならではの現象だよなあ、などとも思ったり。まあ石油だから、かもしれないが。
数量、金額、戦略上の重要性のうちどの尺度をとっても、輸送商品のなかで石油は最も重要であり、つねに地球全体の交易量の半分近くを占めている。
――第14章 シアトルの戦い
世界はそんな痛みを引き受けてでも、ロシアへの経済制裁を続けるつもりだけど、それで最も大きなダメージを受けるのは…
貿易保護法は普通、弱く無力な者に最も打撃を与える。
――第11章 自由貿易の勝利と悲劇
少なくとも、プーチンではないんだよね。最も苦しむのは、ロシアの貧しい人たち。それでも、戦争よりはマシだと思うけど。
私も今回のロシアの暴挙には驚いてて、それはこんな考えを持ってたから。
経済学者フレデリック・バスティア「財が国境を越えることを許されないとき、兵隊が越えるようになる」
――第14章 シアトルの戦い
「マクドナルドのある国同士は戦争しない」なんて俗説もあったけど、それが今回の戦争で覆されてしまった。
なんかまとまりのない記事になっちゃったけど、そもそもこれだけ膨大な内容の歴史書を私ごときのオツムでまとめようってのが無茶なのだ。それでも、本書の持つ強烈なインパクトだけは伝わったと思う。歴史、それも国や政治家や軍人ではなく、モノや技術の歴史が好きな人にお薦め。
【おまけ】
「第6章 貿易の病」は、ペストを扱う。本書によると発生は中国で1331年で、1347年にジェノヴァに至る。日本史だと鎌倉末期~南北朝~室町時代初期だが、流行ったとは習っていない。不思議だったんだが、実際に流行ってないようだ。どうも当時の日本は大陸との交流が途絶えていたらしい。元寇の影響で半島や大陸との交流が途絶えていたとか。ソースはNHKの感染症の日本史 ②/元寇ロックダウン!? ~ペスト~。
なお、同時期は倭寇も暴れていたはず。とすると、倭寇の基地は別の所にあったのか、有名なわりに規模が小さかったのか。やはり謎は残るなあ。
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