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2022年3月27日 (日)

ロネン・バーグマン「イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下」早川書房 小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳 1

本書が主に取り扱うのは、モサドなどイスラエルの政府機関が平時と戦時に行った暗殺と標的殺害である。
  ――プロローグ

【どんな本?】

 イスラエルの情報機関モサドは、優れた能力と手段を択ばない強引さで有名だ。だが、イスラエルの情報機関はモサドだけではない。他に軍の情報機関アマンと、イスラエル国内の治安を担当するシン・ベトがある。

 1948年の誕生の前から、イスラエルは周辺からの絶え間ない軍事圧力を受けてきた。小国でありながら、延々と続く危機に曝されつつも国家を維持できたのは、正面戦力に加え諜報および暗殺を含む秘密工作の成果が大きい。

 当然ながら、諜報や秘密工作の実態を、イスラエル当局は公開したがらない。

 そこで著者はイスラエル政府の正規文書はもちろん、引退した関係者やマスコミへの取材そして外国の資料などを駆使し、知られざるイスラエルの秘密作戦、それも最も昏い部分である暗殺に関わる事実へと迫ってゆく。

 厭われつつも卓越した実績を誇るイスラエルの諜報機関の実態を暴く、迫真のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rise and Kill First : The Secret History of Israel's Targeted Assassinations, by Ronen Bergman, 2018。日本語版は2020年6月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約402頁+332頁=約734頁。9ポイント45字×21行×(402頁+332頁)=約693,630字、400字詰め原稿用紙で約1,735枚。文庫なら3~4冊分の大容量。

 意外と文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただし、スパイ物の常で、登場人物が多く、かつ偽名を使う場面が多いので、ややこしい部分もある。落ち着いて読めばわかるんだけど。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進む。とはいえ、各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  •   上巻
  • 情報源に関する注記
  • プロローグ
  • 第1章 血と炎のなかで
  • 第2章 秘密組織の誕生
  • 第3章 神の裁き
  • 第4章 最高司令部を一撃で
  • 第5章 「頭に空が落ちてきたかのようだった」
  • 第6章 連続する災難
  • 第7章 「パレスチナ解放の手段は武装闘争のみである」
  • 第8章 メイル・ダガンの腕前
  • 第9章 国際化するPLO
  • 第10章 「殺した相手に悩まされることはない」
  • 第11章 「ターゲットを取り違えたのは失敗ではない。ただの間違いだ」
  • 第12章 過信
  • 第13章 歯磨き粉に仕込まれた毒
  • 第14章 野犬の群れ
  • 第15章 「アブー・ニダルだろうがアブー・シュタルミだろうが」
  • 第16章 海賊旗
  • 第17章 シン・ベトの陰謀
  • 第18章 民衆の蜂起
  • 第19章 インティファーダ
  •  原注/索引
  •   下巻
  • 第20章 ネブカドネザル
  • 第21章 イランからの嵐
  • 第22章 ドローンの時代
  • 第23章 ムグニエの復讐
  • 第24章 「スイッチを入れたり切ったりするだけ」
  • 第25章 「アヤシュの首を持ってこい」
  • 第26章 「ヘビのように狡猾、幼子のように無邪気」
  • 第27章 最悪の時期
  • 第28章 全面戦争
  • 第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」
  • 第30章 「ターゲットは抹殺したが、作戦は失敗した」
  • 第31章 8200部隊の反乱
  • 第32章 「アネモネ摘み」作戦
  • 第33章 過激派戦線
  • 第34章 モーリス暗殺
  • 第35章 みごとな戦術的成功、悲惨な戦略的失敗
  •  謝辞/解説:小谷賢/原注/参考文献/索引

【感想は?】

 いまのところ読み終えたのは上巻だけなので、そこまでの感想を。

 いきなり暗殺を正当化してるのにビビる。普通は後ろ暗いと思うよね。ところが…

暗殺という手段は全面戦争よりも「はるかに道徳的」だ、というのが彼(元モサド長官メイル・ダガン)の持論だった。少数の主要人物を消しさえすれば、戦争という手段に頼る必要がなくなり、味方側でも敵側でも数えきれないほどの兵士や民間人の命を犠牲にしなくてすむ。
  ――プロローグ

 戦争よかマシって理屈だ。まあ、建国以来、ずっと戦争が続いてるような国だけに、気合いというか心構えが違うんだろう。とまれ、落ち着いて考えると、一理あるかな、とも思う。

 例えば、2022年3月現在、ロシアがウクライナに攻め込んでいる。あれは「ロシアの戦争」ではなく、「プーチンの戦争」だ。侵略してもtロシアに利益はない。経済制裁でロシア連邦の経済はガタガタになる。でも、巧く領土をカスメ取れれば、プーチンの人気はうなぎのぼりだ。つまり、プーチンが権力基盤を固めるための戦争なのだ。

 なら、プーチンを暗殺すれば戦争が終わり万事丸く収まるんじゃね? ロシア・ウクライナ双方の将兵も死なずに済むし。

 ダガンの理屈は、そういう事だろう。プーチンの例が気に入らなければ、第二次世界大戦時のヒトラーでもいいや。

 この理屈は、1967年の第三次中東戦争以降に再確認される。

現在のイスラエルの国防軍や情報機関が掲げる(略)基本理念は、イスラエルは大規模な戦争を避けるべきだ(略)。なぜなら「第三次中東戦争のような圧倒的かつ迅速な勝利は二度と起こらない」からだ。今後イスラエルは(略)敵の指導者や主要な工作員を容赦なく追い詰めて殺害する
  ――第8章 メイル・ダガンの腕前

 実際、第四次中東戦争じゃ痛い目を見たし。人口の少ないイスラエルは、正面戦争が長引くと不利ってのもあるんだろうけど。

 そんなイスラエルの情報機関は、三つの柱で立っている。

モサドの設立によって、イスラエルに現在までほぼ同じ形で続く三本柱のインテリジェンス・コミュニティが確立された。
一つめの柱は国防軍に情報を提供する軍の情報局アマン(イスラエル参謀本部諜報局)、
二つめの柱は国内の情報活動と対テロ・対スパイ活動を管轄するシン・ベト(保安庁/イスラエル公安庁/シャバクとも呼ぶ)、
そして三つめの柱が国境を越えた秘密活動を担当するモサドである。
  ――第2章 秘密組織の誕生

 アメリカに例えると、アマンは国防情報局(DIA,→Wikipedia)、シン・ベトはFBI、モサドがCIAだろう。ただしUSAと違い、イスラエルの諜報三局はかなり綿密に協力しあってる。これは国や組織が比較的に小さいためもあるかな?

 そのアメリカとの関係は相当に気を使っているようで、例えばPLOのアラファートを目の敵にして暗殺の機会をうかがうのだが…

アマンの情報によれば、アラファートはサウジアラビアが提供した専用ジェット機をよく移動に使い、その二人のパイロットはアメリカのパスポートを持っているという。この飛行機を撃墜するのは論外だった。「アメリカ人には誰も手を出せない」とアマンのアモス・ギルアドは言う。
  ――第16章 海賊旗

 もっとも、今でこそCIAとは仲良くやってるようだけど、本書には米軍の中の人を取り込んで情報を吸い取った、なんて話も出てくるから諜報の世界はw そのCIAもアラファートとはつながりを持ってたりw

 こういう国による差別というか区別はやはりあって。

モサドがヨーロッパでPLOの要人を殺害していたころは、罪のない一般市民に危害を加えないという原則が厳密に守られていた。(略)だが、ターゲットが敵国におり、罪のない一般市民がアラブ人であれば、引き金を引く指にもためらいがなくなる。
  ――第14章 野犬の群れ

 これは1970年代で欧州でも極左が暴れてた頃。イタリアの赤い旅団(→Wikipedia)とか。日本の連合赤軍(→Wikipedia)も本書にちょい出てくる。当時の極左はアラブに肩入れしてた。そのアラブの後ろじゃKGBがチラホラするんだけど、イスラエルは正面切ってソ連とやる気はなかった様子。

 話をアラファートに戻す。彼に対するイスラエルの評価は高い。いや政治的な姿勢の評価じゃなく、彼の能力に対して。

「(ヤーセル・)アラファートは(略)天才と言ってもいい。あの男には、代理でテロ工作を実行する人物が二人いた。アブー・ジハードとアブー・イヤドだ。ある一件の例外を除いて、アラファートが直接かかわったテロ攻撃は一つもない」
  ――第13章 歯磨き粉に仕込まれた毒

 この辺では、アラファートが暗殺を避けるために行った工夫が幾つも書かれていて、当時の争いの熾烈さが伝わってくる。しょっちゅう居所を替えるのはもちろん、予定も直前まで決めないし、飛行機に乗る時も複数の便を予約したり。「サッカーと独裁者」で、独裁者のアポを取るのに苦労する話があったけど、その理由も納得できた。刺客をかわすには予定を決めてはいけないのだ。

 そんなアラファトも、1980年代末には肝心のパレスチナの空気がわかっていなかったようで…

アブー・ジハードもアラファートも、(第一次)インティファーダ(→Wikipedia)を始める命令など下してはいない。この二人のイスラエルの情報機関同様、この事態(インティファーダ)には驚いていた。インティファーダは純然たる大衆暴動であり、PLOとは関係のない10代後半や20代前半の若者たちが火をつけたものに過ぎない。
  ――第18章 民衆の蜂起

 そのくせ「俺が指示した」と声明を出すんだけどね。機を見るに敏なんです。これだから政治家の言う事は…。

 などとガードが堅いアラファートなどの懐に、なんとか食い込もうとするイスラエルは、内通者をスカウトする。そのコツは、案外とありきたり。

国防軍情報部隊レハヴィア・ヴァルディ「三つのPのいずれかを与えれば、どんなアラブ人でも雇える。その三つとは、称賛(praise)、報酬(payment)、女(pussy)」
  ――第3章 神の裁き

 「飲ませて抱かせて握らせる」かと思ったら、ムスリムは酒がダメなんですね。そのかわりに名誉をデッチあげるわけ。このスカウトの工夫も狡猾で。

「この段階でいちばん重要なのは、最初に向こうから接触してくるよう仕向けることだ。(略)たとえば自分がバス停に行く場合、自分のあとから来た人には疑念を抱くかもしれないが、すでにバス停にいる人には疑念を抱かない」
  ――第19章 インティファーダ

 相手が興味を持っているネタをさりげなく示し、後はバス停の例みたく動いて向こうから話しかけるのを待つのだ。もちろん、その前に「どのバスに乗るか」を調べておく。狡猾だなあ。

 かと思えば、とんでもない奴をスカウトしてたり。

かつてヒトラーに気に入られ、親衛隊の作戦に参加してユダヤ礼拝堂を焼き払っていた人物、いまや世界中で指名手配されているナチ戦犯(→Wikipedia)が、当時のイスラエル情報機関にとって重要な作戦の鍵を握るスパイとなったのである。
  ――第5章 「頭に空が落ちてきたかのようだった」

 第二次世界大戦でドイツの特殊部隊を率い、1964年当時は最も危険な男と呼ばれたオットー・スコルツェニーと取り引きしてる。確かに取引に値するだけの価値ある成果も引き出してるんだが、やはり「モサド内で激しい議論が起きた」。そりゃそうだよね。

 優れた実績を積み重ねるにつれ、他国からの評価も高くなり、モサドも様々な取引を持ち掛けられる。中には「俺に逆らう奴を消してくれ、かわりに…」なんて殺し屋まがいの話も来るんだが、そこは一線を引く。

モサド長官メイル・アミット「われわれに直接の利益がないのに、他国の厄介な任務に関与してはならない。暗殺の場合は特にそうだ。殺害するのはイスラエルの利益を脅かす者だけでなければならない。そして、青と白(イスラエル人)だけでその裁きを下さなければならない」
  ――第6章 連続する災難

 うーむ、じゃプーチンをってのは…いえ、なんでもないです。でも、情報ぐらいは提供してるんじゃないかなあ。知らんけど。

 暗殺の手口も様々で、本書には銃はもちろん書籍爆弾や毒殺のネタものってる。ジェームズ・ボンドほどじゃないけど、ガジェットの研究も怠りない。だもんで、最近流行りのアレも、実はイスラエルが起源だったり。

自動車爆弾は、イスラエル国防軍の特殊作戦部で開発された。最初期のドローンを利用し、そこから爆弾の起爆装置を作動させる信号を送るタイプの爆弾である。
  ――第14章 野犬の群れ

 後にはその自動車爆弾でイスラエルが痛い目を見るんだけど。

 とかの活躍ばかりでなく、レバノン内戦(→Wikipedia)でのファランヘ党(→Wikipedia)とのつながりを描く14章~16章や、シン・ベトによるPLO狩りの暴走を暴く17章は、事実を明らかにしようとするジャーナリストの矜持を感じさせる。

 今まで読んだスパイ物の中でも、本書はとびっきりの濃さだ。既にお腹いっぱいなんだが、お話は下巻へと続く。

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