吉田裕「日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実」中公新書
本書では(略)次の三つの問題意識を重視しながら、(略)凄惨な戦場の現実を歴史学の手法で描き出してみたい。
一つ目から(略)歴史学の立場から「戦史」を主題化してみたい。
二つ目は、「兵士の目線」を重視し、「兵士の立ち位置」から、(略)「死の現場」を再構成してみることである。
三つ目の問題意識は、「帝国陸海軍」の軍事的特性が「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることである。
――はじめに
【どんな本?】
1941年12月8日に始まり1945年8月15日に終わった太平洋戦争。日本人の死者は310万人に達するが、その9割以上が1944年以降と推定される。
なぜ、このような膨大な被害を出したのか。彼らは、どのように亡くなったのか。亡くなった方々は、どんな状況に置かれたのか。
防衛省の戦史研究センター所蔵の公式史料や当時の雑誌はもちろん、光人社NF文庫などの商業出版物や自衛隊発行の非売品そして戦友会の刊行物まで多量の資料を漁り、亡くなったがゆえに何も語れぬ兵士の立場で見たアジア・太平洋戦争の実態を再現する歴史書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2017年12月25日初版。私が読んだのは2019年2月10日の15版。売れてます。新書版で縦一段組み本文約215頁に加えあとがき4頁。9.5ポイント39字×15行×215頁=約125,775字、400字詰め原稿用紙で約315枚。文庫なら薄い一冊分。
文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすいし、特に専門知識はいらない。当時の歴史背景として、大日本帝国は対中戦争が思うように進まず、状況の打開を求め太平洋に打って出て対米英豪蘭にメンチを切り、最初は勢いがよかったけど次第に戦況が悪化して最後はボロボロになった、ぐらいに知っていれば充分。
ただし、下手なホラーは目じゃないほどグロい描写が多いので、そこは覚悟しよう。
【構成は?】
各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- はじめに
- 序章 アジア・太平洋戦争の長期化
行き詰る日中戦争/長期戦への対応の不備 歯科治療の場合/開戦/第1・2期 戦略的攻勢と対峙の時期/第3期 戦略的守勢期/第4期 絶望的抗戦期/2000万人を超えた犠牲者たち/1944年以降の犠牲者が9割 - 第1章 死にゆく兵士たち 絶望的抗戦期の実態 Ⅰ
- 膨大な戦病死と餓死
戦病死者の増大/餓死者 類を見ない異常な高率/マラリアと栄養失調/戦争栄養失調症 「生ける屍」の如く/精神神経症との強い関連 - 戦局悪化のなかの海没死と特攻
35万人を超える海没死者/「8ノット船団」拍車をかけた貨物船の劣化/圧抵傷と水中爆傷/「とつぜん発狂者が続出」/特攻死 過大な期待と現実/特攻の破壊力 - 自殺と戦場での「処置」
自殺 世界で一番の高率/インパール作戦と硫黄島防衛戦/「処置」という名の殺害/ガダルカナル島の戦い/抵抗する兵士たち/軍医の複雑な思い 自傷者の摘発/強奪、襲撃……
- 膨大な戦病死と餓死
- 第2章 身体からみた戦争 絶望的抗戦期の実態 Ⅱ
- 兵士の体格・体力の低下
徴兵のシステム/現役徴集率の増大/「昔日の皇軍の面影はさらにない」/知的障害者の苦悩/結核の拡大 一個師団の兵力に相当/虫歯の蔓延、“荒療治”の対応 - 遅れる軍の対応 栄養不良と排除
給養の悪化と略奪の「手引き」/結核の温床 私的制裁と古参兵/レントゲン検査の「諸刃の剣」/1944年に始まった「集団智能検査」/水準、機器、人数とも劣った歯科医療 - 病む兵士の心 恐怖・疲労・罪悪感
入隊前の環境/教育としての「刺突」/「戦争神経症」/精神医学者による調査/覚醒剤ヒロポンの多用/「いつまで生きとるつもりか」/陸軍が使った「戦力増強剤」/休暇なき日本軍 - 被服・装備の劣悪化
「これが皇軍かと思わせるような恰好」/鮫皮の軍靴の履き心地/無鉄軍靴の登場/孟宗竹による代用飯盒・代用水筒/背嚢から背負袋へ
- 兵士の体格・体力の低下
- 第3章 無残な死、その歴史的背景
- 異質な軍事思想
短期決戦、作戦至上主義/極端な精神主義/米英軍の過小評価/1943年中頃からの対米戦重視/戦車の脅威/体当たり戦法の採用/見直される検閲方針 - 日本軍の根本的欠陥
統帥権の独立と両総長の権限/多元的・分権的な政治システム/国務と統帥の統合の試み/軍内改革の挫折/罪とされない私的制裁/軍紀の弛緩と退廃/「皇軍たるの実を失いたるもの」 - 後発の近代国家 資本主義の後進性
兵力と労働の競合/未亡人の処遇と女性兵/少年兵への依存/遅れた機械化/体重の五割を超える装備/飛行場設営能力の格差/10年近く遅れた通信機器/軍需工業製品としての軍靴
- 異質な軍事思想
- 終章 深く刻まれた「戦争の傷跡」
再発マラリア 30年以上続いた元兵士/半世紀にわたった水虫との闘い/夜間視力増強食と昼夜逆転訓練/覚醒剤の副作用と中毒/近年の「礼賛」と実際の「死の現場」 - あとがき/参考文献/アジア・太平洋戦争 略年表
【感想は?】
東部戦線の地獄っぷりは知ってるつもりだったが、太平洋戦線もそれに匹敵する地獄だったとは。
ある推定によれば、中国軍と中国民衆の死者が1000万人以上、朝鮮の死者が約20万人、その他、ベトナム、インドネシアなどをあわせて総計で1900万人以上になる。
――序章 アジア・太平洋戦争の長期化
「モスクワ攻防1941」によると、東部戦線の死者はソ連関と近隣諸国だけで3千万近い。太平洋も似たような地獄だったのだ。ちなみに本書によると日本の戦没者は軍と民間を合わせ310万人。おまけにベトナムなどインドシナは日本が米から商用作物へ転作を強要したため戦後も飢餓に苦しんだとか(→「戦争と飢餓」)。
当時の大日本帝国陸海軍の補給音痴は「海上護衛戦」などで散々言われている。それが兵に与えた影響を、嫌というほど何度も繰り返し書いているのが本書だ。38頁のイラスト「生ける屍」の衝撃はすさまじい。
そもそも根本的な方針からして、略奪を前提にしてるんだから酷い。まるきし傭兵を中心とした中世の軍である。
野戦経理長官部(長官は陸軍省経理局長の兼任)は、1939年3月に、『支那事変の経験に基づく経理勤務の参考(第二輯)』を発行しているが、その第四項、「住民の物資隠匿法とこれが利用法」は、事実上、略奪の「手引き」となっている。
――第2章 身体からみた戦争 絶望的抗戦期の実態 Ⅱ
これが本土も物資が不足する末期になると、軍から兵への支給品も質が下がる。孟宗竹の代用水筒とか江戸時代かよ。靴も鮫皮だ。ゲバラは靴の大切さを強調してた(→「ゲリラ戦争」)けど、それすら兵に配れないとは。ゲリラ以下じゃん。
ちなみに飯盒は実に便利なモノらしく、これさえあれば野草すら調理できたとか。パンで生きる欧米にはできない芸当だね。
「銃も装備も何もなくなった兵隊が最後まで離さなかった物は飯盒である」
――第2章 身体からみた戦争 絶望的抗戦期の実態 Ⅱ
まあいい。そのくせ荷物は重く、インパール作戦の個人装備は「少なくとも十貫(40キロ)を超えていたと思う」から凄まじい。そんなんでロクな道もないジャングルを歩いて行ったのだ。
このインパール作戦の非道っぷりはアチコチで語られている。指揮する側もついていけない兵が出るのは分かっていたのか…
(インパール)作戦に従軍した独立輜重兵第二連隊の一兵士、黒岩正幸によれば、中隊に部隊の最後尾を歩き落伍者を収容する「後尾収容班」がつくられた
――第1章 死にゆく兵士たち 絶望的抗戦期の実態 Ⅰ
はいいが、その任務は…
その実態は「落伍兵に肩を貸すどころか、自殺を勧告し、強要する恐ろしい班」だった。
――第1章 死にゆく兵士たち 絶望的抗戦期の実態 Ⅰ
督戦隊ですらない。捕虜になれば敵の補給線に負荷をかけられるのに、敢えて殺して何の意味があるんだか。他にも古参兵による初年兵いじめとかの愚かさが続々と出てくる。なんなんだろうね、この出鱈目さは。当時の軍は兵を憎んでたんじゃないか、とすら思えてくる。
こういう不合理さの解釈は、終盤になって出てくる。まずは、よく言われる統帥権だ。
国力を超えた戦線の拡大や、戦争終結という国家意思の決定が遅れた背景には、明治憲法体制そのものの根本的欠陥がある。
一つには言うまでもなく、「統帥権の独立」である。(略)軍部は「統帥権の独立」を楯にとって、政府によるコントロールを排除していった。
もう一つの欠陥は、国家諸機関の分立制である。(略)明治憲法の起草者たちが政治勢力の一元化を回避し、(略)伸長しつつあった政党勢力が議会と内閣を制覇し、天皇大権が空洞化して天皇の地位が空位化することを恐れていたのである。
――第3章 無残な死、その歴史的背景
国家としての一貫した軍事方針がなかったのは、「太平洋の試練」でも指摘している。ただ、本書はこの辺が駆け足になっちゃってるのが少し残念。もっとも、そこを突っ込んだら、それだけで一冊になりそうな気配が。
あと、国全体としての誤りは書いてあるけど、自決の強要や特攻など、無駄に兵を殺す体質の原因は、この本じゃわからない。これを精神論で片付けられるほど単純な問題じゃないと思う。なんというか、病んでるんだよね、組織として。こういう病んだ気質が、今もブラック企業などに受け継がれてる気がする。
いや、他のところ、例えば戦場の兵が置かれた状況や統計数字などは、とてもしっかり調べているのだ。例えば25pの年ごとの戦没者数。「日本政府は年次別の戦没者数を公表していない」が、「岩手県は年次別の陸海軍の戦史者数を公表している唯一の剣である」とある。全都道府県を調べたんだろう。たった数行のために。
こういう所に、学者の執念というか矜持みたいなのを感じるのだ。
他にも潜水艦ではドイツのUボートが有名だけど、キルレシオじゃ米海軍が最も優秀だったりと、軍ヲタへの御褒美もちゃんとあって、なかなかのご馳走だった。太平洋戦争に興味があるなら、ぜひ読んでおこう。
以下、各国潜水艦の戦績。
国 | 喪失 | 撃沈(隻) | 撃沈(トン) | キルレシオ | |
米 | 52 | 1314 | 500万2千 | 1:25 | |
独 | 781 | 2828 | 1400万5千 | 1:3.6 | |
日 | 127 | 127 | 90万 | 1:1.4 |
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- 2011.05.22 大井篤「海上護衛戦」朝日ソノラマ 文庫版航空戦史シリーズ24
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