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2021年11月11日 (木)

笠井献一「おしゃべりな糖 第三の生命暗号、糖鎖のはなし」岩波科学ライブラリー

「おしゃべりな糖」とは、情報をになう糖のことです。
  ――はじめに

【どんな本?】

 生物の体内では、常に様々な情報が行き来している。情報のメディアは主に三つだ。核酸、タンパク質、そして糖。核酸つまりDNAやRNAは、最近の新型コロナ禍でもニュースなどでよく取り上げられ、多くの人が知っている。タンパク質はホルモンやサイトカインなどがあり、これも病気などの記事で見かけることが多い。対して糖はせいぜい糖質制限ダイエットぐらいで、普通の人は「身体を動かすエネルギー源」「肥満の原因」ぐらいにしか考えていない。

 だが、近年の研究で、糖は体内の情報流通で多くの役割を担っていることが分かってきた。その働きやしくみは核酸ともタンパク質とも異なり、極めて多様かつ複雑だ。また筋ジストロフィーなどの病気にも糖が関わっている。

 ABO血液型など多くの場面で活躍・暗躍する糖鎖について研究者が基礎から最新の研究結果までを紹介する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年12月5日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約122頁。9.5ポイント41字×17行×122頁=約85,034字、400字詰め原稿用紙で約213枚。文庫なら薄い一冊分。

 文章はこなれている。著者曰く「高校の生物と化学の予備知識ぐらいで道をたどれるように書きました」。ということなので、普通科高校の生物と化学を修めた程度で読みこなせる…はず。正直言うと、私は少しシンドかった。化学が苦手なせいかも。だってレクチンとか耳慣れない言葉が続々と出てくるし。もっとも、たいていの専門用語にはちゃんと説明があるので、じっくり読めばちゃんと理解できる。

 あと、「はたらく細胞」は偉大。

【構成は?】

 基礎から積み上げていく構成なので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 1 おしゃべりな糖が命を支える
  • 2 糖鎖はどこで何をする?
  • 3 糖コードを読みとる 浮気なレクチンの秘密
  • 4 ミルクのオリゴ糖がきた道
  • 5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす
  • 6 糖コードと健康
  • おわりに

【感想は?】

 本書が扱う糖は、ショ糖(=砂糖)や果糖ではない。いやグルコース(ブドウ糖)はアチコチに出てくるんだけど。セルロース(植物の繊維)やキチン(蟹の甲羅)も含む、もちっと大きな分子だ。つかキチンって糖だったのか。

 ただし本書の主役は、セルロースでもキチンでもない。先の二つは構造材で、形を保つのが仕事だ。本書の主役は、情報を運ぶ糖であり、主にタンパク質と共に…というか、タンパク質の手先となって働く。

核酸とタンパク質、そしておしゃべりな糖の3つの生命暗号は、何が違うのでしょうか。(略)
核酸は遺伝情報の担当ですから、基本的に細胞の中で活動します。
一方、細胞の中・外ではたらくタンパク質や、細胞外ではたらく情報糖鎖は、主に細胞間のコミュニケーションを担っています。
  ――1 おしゃべりな糖が命を支える

 雰囲気、手先というよりタンパク質のアタッチメントというかタンパク質を修飾するというか。「はたらく細胞」で言えば、赤血球ちゃんの制服や白血球くんの帽子レーダーかな? 彼らはかなりの着道楽で…

細胞膜には、外の世界との窓口業務のために、少なくとも1000種類くらいの糖タンパク質が配備されています。(略)
膜の外側に露出した部分だけ糖鎖がつきます。
  ――2 糖鎖はどこで何をする?

 赤血球ちゃんも、実はアクセサリをジャラジャラつけてるのだ。

1個の赤血球に生えている糖鎖は、糖脂質と糖タンパク質を合わせて1憶本くらい。
  ――2 糖鎖はどこで何をする?

 ヤクザが見た目でわかるように、悪い奴も見た目である程度はわかったりする。そして、実際にそれが医術に応用されてたり。

「がん細胞である」ことをあらわす糖コードはあるのでしょうか。実は、少ないながらも、見つかっています。(略)
たとえば、肺がんなどのマーカーとして、「シリアルルイスx(SLX)」があります。
  ――2 糖鎖はどこで何をする?

 もちろん、タンパク質や細胞は、単なるオシャレで糖鎖を身に着けてるんじゃない。糖鎖が他の細胞やタンパク質にメッセージを送り、または受け取っているのだ。例えば…

細胞外に送り出された「隠れレクチン」タンパク質は、どこではたらくべきか教えられていません。一方、そのタンパク質を待ちうける細胞や組織は、看板(糖コード)を掲げます。そこでタンパク質は、血液や体液にのって移動する中で、自分の中のレクチン部分で糖コードを読んで、ここが赴任地だと判断するのです。
  ――3 糖コードを読みとる

 そんな糖鎖をつくるのは、もちろん細胞君だ。

糖鎖はどこでつくられるのでしょうか。(略)細胞質ではなくて、細胞内の隔離された区画(小胞体、ゴルジ体)の中でつくられるのです。
  ――5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす

 細胞を学んだ際にゴルジ体が出てきたけど、デカい割に何やってるのかわかんなかったけど、そんな仕事をしてたのね。このゴルジ体や小胞体も膜で覆われてるのも面白い。もっとも、この仕事はけっこう杜撰で…

細胞がつくるタンパク質のうちの3割くらいがフォールディング(折りたたんで三次元構造にする、→Wikipedia)に失敗するようです。
  ――5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす

 歩留まり7割かよ。ひでえ…と思ったが、失敗した分はちゃんと細胞内で回収し、再利用するのだ。というか、タンパク質の三次元構造って、今でも解析が難しいと言われてるけど、そもそも作るのが難しいのね。

 まあタンパク質までいかなくても、本書に出てくる糖からして構造がやたら複雑で、α結合とβ結合があったりするんで、化学式じゃ表現しきれなかったり。だから化学は難しい。

 そんな糖は、タンパク質とのチームで本領を発揮する。

タンパク質は均一な構造の、いわばクローンとしてつくられます。そして細胞内ではたらくタンパク質ならば、そのまま仕事につきます。
一方、細胞外ではたらくタンパク質は、(略)小胞体とゴルジ体を経由する間に多種多様な糖鎖をつけられるので、構造が完全に同じものなどほぼなくなってしまいます。
  ――5 糖鎖をつくる、糖鎖をこわす

 部屋の中じゃタンパク質は裸族で、お出かけのときだけ服=糖鎖を着るのだ。なんか親しみがわくなあ。そして着る服のコーディネートはバラエティに富んでて、それぞれ独特のファッション・センスで着飾っているのだ。なんちゅう二重人格。いや人間じゃないけど。

 とまれ、これぐらい複雑だと、バックドアから侵入する奴もいる。

病原体の多くが、私たちの細胞表面の糖鎖を狙って感染するのです。
  ――<6 糖コードと健康/p>

 今、流行ってる新型コロナウイルスも、これですね。本書じゃインフルエンザ・ウイルスを例に出してる。なお、このインフルエンザ・ウイルスを説明する部分、短いながらもインフルエンザ・ワクチンを創る難しさが少しだけわかるんで、本書のテーマとは関係ないながらも嬉しい拾い物だった。

 それはともかく、「新しいインフルエンザは中国で生まれる」って説がある。なぜか。中国では、ブタとアヒルを同時に飼っている場合が多いから。この説の理屈がわかった。

ブタの呼吸器の細胞表面には、3-シアル酸(カモの腸管の細胞に多い)と6-シアル酸(ヒトの呼吸器の上部に多い)の両方があります。だから鳥型ウイルス、ヒト型ウイルスのどちらにも感染できます。もし一つの細胞に両方が同時に侵入したら、両方のウイルスの遺伝子に由来する部品が混ざり合った雑種ウイルスができる可能性があります。
  ――6 糖コードと健康

 ブタは鳥のインフルエンザとヒトのインフルエンザの両方に罹る。だもんで、アヒルとブタをいっしょに飼ってると、ブタの中でアヒルの鳥インフルエンザとヒトのインフルエンザが混じり、鳥のインフルエンザがヒトに感染するよう変異しちゃうのだ。本書に出てくるのはメキシコの例だけど。

 糖鎖のバラエティの多さやその原理を説明しているあたりでは、超人物SFのネタがチラついたりして、とても楽しく読めた。新しい分野の本だけあって、「今はよくわかっていない」「これからの研究に期待」とか所もあるが、SF者にはむしろそういう所こそがご馳走だったり。最新科学のエキサイティングな現場を、わかりやすく親しみやすい文章で説明した本だ。SF者にお勧め。

 などと書いてて感じるんだが、つくづく「はたらく細胞」は偉大だ。

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