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2021年10月の4件の記事

2021年10月21日 (木)

陳楸帆「荒潮」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉他訳

「シリコン島人の最大の希望は、子どもたちが島を出ることだ」
  ――p25

「これは戦争だ」
  ――p146

「ルールは一つだけ。すなわちジャングルの掟と適者生存だ」
  ――p155

「わたしはもどってきました」
  ――p240

台風の目が通りすぎたら、さらに強い暴風雨が来る。
  ――p309

【どんな本?】

 最近になって日本でも多く紹介されるようになった中国SF。そのきっかけとなったオムニバス「折りたたみ北京」では「鼠年」「麗江の魚」「沙嘴の花」の三篇でトップを飾った陳楸帆のデビュー長編。

 中国南東部の半島は俗にシリコン島と呼ばれ、ハイテク廃棄物=電子ゴミの処分場となっていた。ここには中国各地から「ゴミ人」と蔑まれる出稼ぎ稼ぎが集まり、汚染物質にまみれながら低賃金で電子ゴミから資源を選び出す。羅・陳・林の三家が仕切るシリコン島に、環境再生計画を掲げ国際的にビジネスを展開するテラグリーン社の代理人スコット・ブランドルが訪れる。

 方言を話し島の伝統に従う昔から住む島人と、中国各地から来た出稼ぎのゴミ人の緊張に加え、三家の力関係を崩す海外資本の進出は、不安定なシリコン島の社会を大きく揺さぶってゆく。

 一族を中心とした社会・独特の信仰に彩られた文化・通底重音として響く中央の権力など、伝統とハイテクが混在する現代中国をデフォルメした舞台で、「もう少し先」のテクノロジーがもたらす光と影を描く、今世紀ならではのチャイニーズ・サイバーパンク。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は「荒潮」、陳楸帆、2013。英語版は Waste Tide, ケン・リュウ訳、2019。日本語版は2020年1月25日発行。新書版2段組み本文約330頁に加え訳者あとがき「『荒潮』の中文と英訳と邦訳について」5頁+「著者について」3頁。9ポイント24字×17行×2段×330頁=約269,280字、400字詰め原稿用紙で約674枚。文庫ならやや厚め。

 文章はこなれている。中国と日本、お互いに漢字が使えるのは有り難い。内容はけっこう凝ってる。SF的にも、社会的にも。特にSFガジェットは中盤以降に斬新なアイデアが続々と出てきて、マニアは大喜びだ。

【感想は?】

 「中国のサイバーパンク」は嘘じゃない。

 初期のウィリアム・ギブスンに藤井太洋を足してパオロ・バチガルピをふりかけ、中華風に味付けして煮しめた、そんな感じ。

 まず気が付くのはパオロ・バチガルピ味だ。化石エネルギーの枯渇を背景とした「ねじまき少女」、都市インフラの老朽化を取り上げた「第六ポンプ」、水問題に焦点をあてた「神の水」など、パオロ・バチガルピの作品は環境問題をテーマとして暗い未来を描く作品が多い。

 本作も最大の舞台装置はゴミ問題だ。しかもグローバル経済化による国際的な構図なのが目新しい。先進国は、邪魔でヤバい電子ゴミを中国沿岸部に捨てる。自国の環境問題を札束で頬をひっぱたき他国に押し付ける、そういう形だ。日本でも国内で似たような図式があるよね。それが国際化してるあたり、安い人件費と緩い環境規制をテコに貿易を活性化し経済成長が著しい現代の中国を巧みに戯画化してる。

 ゴミ人の暮らしの描き方にも、社会的に弱い者を描くバチガルピ風の風味が漂う。実際、昔の集積回路には金(ゴールド)を使ってた。電気抵抗が小さく、金箔のように薄く細く加工しやすく、おまけに錆びにくい。ってんで、微細加工が必要な集積回路にはピッタリなのだ。これを回収すればガッポリ、なんて説もあった。

 まさしくそういう発想を地で行くのがゴミ人たちの暮らし。フィリピンのスモーキーマウンテン(→Wikipedia)から発想を得たのか、現実に中国にあるのかはわからないけど、彼らの仕事ぶりを描くあたりは、ちと背筋が寒くなる。

 ここで面白いのが、ただのゴミではなく電子ゴミって所。この世界は人体(というか生体)の機械化=義体も進んでて、先進国では眼や腕や足を機械化するのが当たり前だ。しかもソレはiPhoneみたく年々バージョンアップするんで、流行を追う人は次々と最新版に買い替えていく。となると、使い古しは電子ゴミとなり、シリコン島へ流れ着く。

 こういう生体改造の描き方が、いかにもニューロマンサーなんだよなあ。もっとも、ゴミとはいえ人体にソックリなワケで、冒頭近くにある、子どもがソレをオモチャにして遊んでる場面は、なかなかに気色悪い。この気色悪さは全編に漂ってて、苦手な人にはちと辛いかも。というか、私には辛かった。

 そんな世界を象徴するチップ犬は、とっても可愛らしいと同時におぞましく哀しい。今だって犬の躾で苦労してる人は多いから、こんな需要もきっとあるんだろうなあ。

 昔はキーボードもマウスも有線しかも専用の端子で繋がってた。でも最近はハードディスクもネットワーク接続のNASだったり自販機が無線の Bluetooth だったりと、プロトコルが標準化されて機器同士が簡単に繋げられるようになってきた。IPv6 とIoT(俗称モノのインターネット)とかで、あらゆる機器がネットワークに繋がるのが当たり前になってきてる。

 そういった技術が身の回りで当たり前になった世界観はウィリアム・ギブスンなんだけど、それを支える技術の細かい所をキッチリ詰めてくあたりが、藤井太洋ばりのシッカリした足場を感じさせるのだ。

 例えば原子力発電所とクラゲ、中国の海賊品天国ぶり、虹色の波、通信帯域を制限されたシリコン島でP2Pを実現する手口、原子力潜水艦の静寂性の秘密(どうでもいいがここは攻撃型原潜ではなく戦略型だと思う)など、先端的な科学や工業技術を巧みに引用して説明をつけるあたり、ご馳走が続々と出てくる嬉しさでSFマニアはヨダレが止まらない。

 まあ、お話の都合で中盤以降になっちゃうんだけど、それまではジッと耐えてくださいマニアの皆さん。いやホント濃いから。義眼の描写とか、とっても悶えます。

 そんな先端テクノロジーがあふれるシリコン島だけど、どっこい生きてる中国四千年の伝統。バラエティに富んだ中華料理はもちろん、この作品ならではの味は風水や紙銭に代表される中国の宗教行事。この先端テクノロジーと迷信が混ざり合いぶつかり合う落神婆による叫代の儀式の場面は、緊張感が漂うと共に、人によっては笑いが止まらなかったり。

 やはり技術と迷信って点では、「米米メカ」も楽しい所。私は巨大メカキョンシーかい!と突っ込んだけど、その正体は想定外なんてモンじゃない。どっからこんなネタを引っ張り出してくるのやら。いやホント喝采したくなるぞ、米米メカ。

 ちょっとレイ・ブラッドベリをリスペクトしてたりとSFマニアへのクスグリも忘れず、数冊のシリーズ物を書くのに充分なSFガジェットをタップリ詰めこみつつ、急速に膨れ上がった中国の国際貿易の暗部など現代の社会問題もキッチリと書き込み、壮大な未来を感じさせるエンディングで〆た、サービス満点の迫真作だ。「近ごろのSFは薄い」とお嘆きのあなたにお薦め。

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2021年10月17日 (日)

リチャード・ローズ「エネルギー400年史 薪から石炭、石油、原子力、再生可能エネルギーまで」草思社 秋山勝訳

本書が正面から問いただそうとしているのは、エネルギーそのものをめぐる歴史である。
  ――はじめに

ウィリアム・グリルス・アダムズ「重大な発見のほぼすべては無視されるか、あるいは日の目を見ることのない段階を経過する世間の関心がほかに向いているか、あるいはその発見を受け入れる準備が世間にできていない時期に発見されたのか、そのいずれかの理由で黙殺されてしまうものなのである」
  ――第12章 滔々たる水の流れ

【どんな本?】

 熱源として、照明として、そして動力として。人は様々なモノからエネルギーを得て暮らしてきた。それらのエネルギーは暮らしを変えるとともに、人が住む環境も変えてゆく。

 21世紀初頭の今日、エネルギー源は、石油から天然ガスや原子力、または風力や太陽光などの再生可能エネルギーへと移り変わろうとしているが、多くの問題を抱え、決して順調とは言えない。

 だが、これは今日に始まった話ではない。薪から石炭へ、石炭から石油へと移り変わる際にも、幾つもの問題や軋轢があり、多くの人たちの創意工夫と努力が必要だった。

 産業革命の前日から現代まで、人々はどんな世界でどう暮らし、どんなエネルギーを用い、どんな問題を抱え、どう解決してきたのか。

 エネルギー源の開拓と変遷の歴史を辿り、歴史の視点から21世紀のエネルギー問題を問い直す、一般向けの歴史書。

 なお、気になる人のために示しておく。著者は原子力発電を認める立場だ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ENERGY : A Human History, by Richard Rhodes, 2018。日本語版は2019年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約535頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント45字×19行×535頁=約457,425字、400字詰め原稿用紙で約1,144枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。最近になって気づいたけど、草思社の翻訳本は読みやすい本が多いなあ。内容も分かりやすい。歴史を辿る本だが、各場面ごとに地理的・歴史的な背景事情を素人向けに説明しているので、私のように歴史が苦手な人でもスルリと頭に入ってくる。距離や重さの単位は原書だとヤード・ポンド法だが、訳者がメートル法で補っているのは嬉しい心遣いだ。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進む。ただし各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  • はじめに エネルギーをめぐる400年の旅
    • この世界を形作ったものたち
    • 「気候変動」という難題
    • 歴史から明日への道を学ぶ
  • 第1部 動力
  • 第1章 森なくして王国なし 材木/薪/石炭
    • シェイクスピアの材木争奪戦
    • 国家の安全保障を支える「木」
    • 新大陸に木材を求める
    • 忌み嫌われた「黒い石」
    • ロンドンの貧しき煙突掃除夫たち
    • 病と死をもたらす煤煙
    • 汚染都市をいかに浄化するか
  • 第2章 火で水を汲み上げる 石炭/真空ポンプ/大気圧蒸気機関
    • 子供も女性も家族総出の炭鉱労働
    • 炭鉱ガスによる大爆発事故
    • 水没して放棄される炭鉱
    • 「真空」を利用して水を汲み上げる
    • 火薬を使った動力の研究
    • 大気圧による蒸気機関の誕生
  • 第3章 意志を持つ巨人 セイヴァリの蒸気機関/ニューコメンの蒸気機関
    • セイヴァリの「火で揚水する機械」
    • ニューコメンの蒸気機関
    • 石炭の運搬をめぐる問題
    • 木製軌道のワゴンウェイ
    • 木炭からコークスへ
  • 第4章 全世界を相手にする ワットの蒸気機関
    • グラスゴー大学の実験工房
    • ニューコメンの機関を改良する
    • 「顕熱」と「潜熱」の発見
    • シリンダーから分離された「復水器」
    • ボールトン・アンド・ワット社
    • 直線運動から回転運動へ
  • 第5章 キャッチ・ミー・フォー・キャン 高圧蒸気機関/蒸気車/蒸気機関車
    • ブリッジウォーターの運河
    • 鉄製の軌条と車輪
    • 大気圧機関から高圧蒸気機関へ
    • トレヴィシックの「馬なし蒸気車」
    • 蒸気機関車と馬との競争
    • 「キャッチ・ミー・フォー・キャン」号
  • 第6章 征服されざる蒸気 スティーブンソンの蒸気機関車
    • 化石燃料の時代へ
    • 鉄製軌条を走るトーマスの鉄道
    • スティーブンソンの蒸気機関車
    • リヴァプール・アンド・マンチェスター鉄道
    • チャット・モスとの過酷な戦い
    • レインヒルの機関車トライアル
    • 「ロケット号」の圧勝
    • 時間・空間の観念と感覚が変わる
  • 第2部 照明
  • 第7章 灯心草からガス灯へ 獣脂/コールタール/医療用ガス/石炭ガス/ガス灯
    • 夜の暗闇の弱々しい明かり
    • 照明燃料としての石炭ガス
    • 華やかなガス灯による実演
    • ガス灯を建物に設置する
    • 「人工空気」による吸入ガス治療法
    • 「笑気ガス」による麻酔効果
    • ガス灯でパリを照らす?
    • 30マイルのガス管施設
  • 第8章 大海獣を追って 捕鯨/鯨油・鯨蝋
    • 北米ナンタケット島への移住
    • 灯油を得るための捕鯨
    • 商業捕鯨の再興を求めて
    • 大西洋から太平洋に鯨を追う
    • 最盛期を迎える商業捕鯨
  • 第9章 燃える水 テレピン油/カンフェン/瀝青/ケロシン/石油
    • ダイオウマツからテレピン油を採る
    • アスファルトからケロシンを作る
    • 新しい原材料「石の油」
    • 石油に秘められた商品価値
    • 照明にふさわしい油の発見
    • 石油を求めて井戸を掘る
    • アンクル・ビリー、石油を掘り当てる
  • 第10章 野生動物のようなもの 石油
    • 人口洪水を起こして石油を運ぶ
    • アルコール税で石油が圧勝する
    • 南部軍に追撃される捕鯨船団
    • 「捕獲の原則」と「共有地の悲劇」
  • 第11章 自然に宿る大いなる力 ライデン瓶/動物電気/電堆/電磁誘導/発電機
    • ライデン瓶とフランクリン
    • ガルヴァーニの奇妙な発見
    • ボルタに否定された「動物電気」
    • 電流が磁場を生み出す
    • ファラデーの発電機
  • 第12章 滔々たる水の流れ 直流・交流/水力発電/長距離送電システム
    • 天然の巨大な動力源
    • 直流電気と交流電気の戦い
    • 長距離送電をいかに実現させるか
    • ウェスティングハウスのもくろみ
    • 変圧器を並列に配置する
    • 中央発電所からの定期送電
    • エジソンとウェスティングハウス
    • エジソンの直流送電案
    • ナイアガラ・フォールズからの送電開始
  • 第13章 巨大なチーズの堆積 馬車/肥料/グアノ/馬車鉄道/路面電車
    • 都市の通りにあふれる馬たち
    • 島を覆う「非常に強力な肥料」
    • 病気を運ぶ目に見えないもの
    • 路面電車がもたらした変化
  • 第14章 黒雲の柱 煤煙/天然ガス/都市ガス
    • 町を覆うすさまじい煙
    • 煤煙が街に不道徳をもたらす
    • 天然ガスと製造ガスの競合
  • 第3部 新しき火
  • 第15章 神より授かりしもの 内燃機関自動車/ガソリン添加剤/テトラエチル鉛
    • 多種多様の「馬なし馬車」
    • 内燃機関が蒸気と電気に勝つ
    • ノッキング問題とオクタン価
    • ガソリンの添加剤を模索する
    • 有鉛ガソリンの登場
    • テトラエチル鉛中毒をめぐる攻防
    • 米国内の石油が枯渇する?
  • 第16章 片腕でもできる溶接 探鉱/原油掘削/アーク溶接/電気溶接/天然ガス/パイプライン
    • サウジアラビアに眠る原油
    • イブン・サウード国王との交渉
    • 繰り返される試掘
    • 3200万バレルの原油産出
    • 溶接技術が可能にしたもの
    • 第一次世界大戦と溶接技術
    • 広がるパイプラインと天然ガス
    • Uボートによる油槽船団襲撃
    • アメリカを横断するパイプライン
    • 天然ガスへの移行と炭鉱ストライキ
  • 第17章 1957年のフルパワー 原子炉/原子爆弾/ウラン235/プルトニウム/天然原子炉
    • フェルミの原子炉
    • 「趣意書」に描かれた未来
    • マンハッタン計画とウラン鉱
    • 原子力潜水艦の建造計画
    • 「アトム・フォー・ピース」
    • 民生用原子炉の開発
    • シッピングポート原子力発電所
    • アフリカの「天然原子炉」
  • 第18章 スモッグがもたらすもの 大気汚染/スモッグ/光化学スモッグ
    • ピッツバーグの犠牲者
    • 隠蔽される大気汚染
    • 排気ガスと光化学スモッグ
    • 自動車の公害防止規制
    • 環境クズネッツ曲線
  • 第19章 迫りくる暗黒時代 環境保護運動/優生学/新マルサス主義/水爆実験/LNTモデル
    • 世界の終わりと悲観主義の広がり
    • 「優生学」と「人口爆発」という悪夢
    • 資源の枯渇と人口過剰という恐怖
    • 「放射線」に対する恐怖と誤解
    • ビキニ環礁の水爆実験
    • 「いかなる線量でも危害をもたらす」
    • 直線閾値なし(LNT)モデル
  • 第20章 未来への出航 風力発電/太陽光発電/原子力発電/福島・スリーマイル・チェルノブイリ/放射性廃棄物/脱炭素化/石炭・石油・天然ガス・原子力
    • 風力発電、太陽光発電
    • 温暖化の抑制と「脱炭素化」
    • チェルノブイリ原発事故
    • 事故件数と就業者の死亡災害数
    • 地中深く埋められた廃棄物
    • マルケッティのグラフ
    • 科学とテクノロジーがもたらすもの
  • 謝辞/訳者あとがき/原註/参考文献/人名索引

【感想は?】

 本書の結論を一言で言うと、こうだ。

どのようなエネルギーシステムであれ、そのシステムには強みと弱みがある。
  ――第20章 未来への出航

 原子力発電は一定の電力を続けて出すのに向いている。逆にいきなり出力を上げるのは苦手だ。ベースロード電源とは、そういう意味である。それだけではない。見積もりでは安くあがるはずだったが、核廃棄物(俗称核のゴミ)の処理などを勘定に入れるとだいぶ違ってしまう。もっとも、これも高速増殖炉の是非などで変わるんだけど。

 現在の主なエネルギー源は、石油だろう。原子力であれ風力や太陽光であれ、石油以外のエネルギー源に代わるまでには、しばらくかかりそうだ。これは別に現代だけの話じゃない。歴史的に見てもそうだったんだよ、本書はそういう内容である。

政治学者ルイス・デ・ソウザ「ひとつのエネルギーが市場の1~10%の占有率を獲得するまでには40~50年かかり、1%の時点から、最終的に市場の半分を占めるまでには、ほぼ1世紀の時間がかかる」
  ――第20章 未来への出航

 最も最初に登場したエネルギー源は、薪すなわち木だ。

エリザベス一世が治めていたのは、木で作られた王国だった。
  ――第1章 森なくして王国なし

 だが当時のイギリスは木材が枯渇しつつあった。薪・造船・製鉄そして耕作地などで、国家は森林資源を食いつぶす。このパターンはイギリスに限らず、メソポタミアやローマなど多くの前例があるんだけど(→「エネルギーの人類史」、「森と文明」)。

 ってんで潤沢に手に入る石炭へと移っていくんだが、当時のイギリスの石炭は不純物の多い瀝青炭(→Wikipedia)。だもんでロンドンをはじめイギリス都市部の空は煤煙で真っ黒になる。

 これを動力に使ったのが有名な産業革命だけど、その際の技術史の挿話の中でも印象的なのが、圧力弁。

(ドニ・)パパンの弁は、現代の圧力調整器の安全弁と非常によく似ており、(略)調理器具の爆発を防ぐことができた。
  ――第2章 火で水を汲み上げる

 圧力鍋を作る際の副産物が圧力弁で、これが蒸気機関の発達で大きな役割を果たす。キッチンにある調理器具の工夫が力強いSLに役立つあたりが、技術の面白いところ。

 あと最近「小説家になろう」の異世界転生物にハマってる身として意外だったのが、当時の旅行事情。意外と馬車は使われていないのだ。

昔のイングランドの道は決して褒められたようなものではなかった。(略)
こうした状態は18世紀中頃まで続き、ほこりまみれの夏、地面がぬかるむ冬には、徒歩もしくは馬に乗って人は旅していた。
  ――第3章 意志を持つ巨人

 領主がメンテをサボるせいで道が悪すぎ、とてもじゃないが馬車は通れなかったんですね。

 とまれ、石炭の需要は増え、地表近くの石炭は掘りつくされる。だが地中深くまで坑道を掘ると、地下水が染み出てくる。その排水ポンプ開発の物語が、蒸気機関の発達の物語でもある。

18世紀初頭、エネルギー源としての石炭はイギリスの半分を担っていたが、19世紀初頭の時点で、その比率は75%に達し、その後もさらに増え続けていった。
  ――第4章 全世界を相手にする

 その蒸気機関も高効率化・小型化され、「これなら馬車馬の代わりになんじゃね?」と蒸気機関車が生まれたのはいいが…

「(リチャード・トレヴィシックの蒸気)機関の働きは見事だったが、しかし、その重量のせいで軌条の鉄板がよく割れていた」
  ――第5章 キャッチ・ミー・フー・キャン

 インフラが追い付かなかったんですね。エネルギーの転換で難しいのがコレで、現在でも電気自動車や水素自動車の普及を阻む原因の一つが充電スタンドや水素スタンドの少なさだったり。ちなみにトレヴィシック、最初に作ったのは蒸気機関車じゃなくて蒸気自動車だったりする。無茶しやがって。でも市場を考えたら、自動車の方が大きそうだよね。

 とまれ、産業革命による経済の爆発的発展は凄まじいもので。

1788年以降、イングランドの鉄の生産量は、8~10年ごとに倍増した。
  ――第6章 征服されざる蒸気

 今は(たぶん資本のグローバル化によって)あましアテにならないけど、数十年前までは鉄鋼生産量は国力の重要な指標だったんです。

 さて、動力源として注目された石炭だけど、第九代ダンドナルド伯爵アーチボルド・コクランは石炭からコークスを作る際の副産物コールタールに目をつける。海軍国イギリスは木造の船体に穴をあけるフナクイムシに悩んでて、これを避けるためコールタールを塗りゃいいと考えたのだ。更にその副産物が石炭ガスで、これはやがてガス灯に使われる。

 もっとも、石炭ガスの最初の使い道は肺病の治療用ってのがおかしい。とまれ、この発明は無駄になったワケでもなく。

(ジェームズ・)ワットの人口空気の発生装置は、原理上はガス灯用のガス発生装置とまったく同じだった。
  ――第7章 灯心草からガス灯へ

 こうう紆余曲折が技術史の面白いところだよね。産業革命にしたって、その基礎となる機械工学は小麦を粉に挽く水車で発達してたり(→「水車・風車・機関車」)。

 こういった石炭の利用は新大陸アメリカにも渡る。と同時に、煤煙による大気汚染も輸出されてしまうのが情けない。1861年にピッツバーグを訪れた作家アントニー・トロロープ曰く。

「町は濃密な煙の底に沈んでいる」
  ――第14章 黒雲の柱

 こういった経済の繁栄とともに煤煙ももたらす石炭をよそに、石油も発見されつつあった。ただ、その組成は複雑で。

試料から留出された油成分は、それぞれ沸点が異なっていた。
  ――第9章 燃える水

 詳しくは「トコトンやさしい石油の本」あたりが参考になります。お陰で蒸留によりガソリンや軽油や重油などに分ける事ができるんだけど。特にガソリンは内燃機関=自動車の普及とともに売れ行きが上がるんだが、一つ問題があった。太平洋戦争時の大日本帝国も悩んだオクタン価、すなわちエンジン出力をいかに高めるかだ。そこでガソリンに何かを加えてオクタン価を上げようと頑張り、悪名高い有鉛ガソリン(→Wikipedia)へとたどり着く。この発明も苦労の連続で…

元素が発する臭気がひどくなるほど、その元素のノッキングの抑制効果は高まった。
  ――第15章 神より授かりしもの

 そりゃ悩むよなあ。そうやって苦労して有鉛ガソリンを発明したはいいが、これが光化学スモッグや酸性雨に代表される大気汚染を引き起こすんだから、なんとも。私が若い頃も街頭スピーカーが「光化学スモッグ警報が発令されました」とガナってた。昭和ってのは、そーゆー時代でもあるんです。

 それはともかく、パワーの問題が解決したアメリカは自動車社会へと突き進む。当然、石油の需要も増える。幸い合衆国内には油田が多く、こっちも盛んに開発される。そのため…

(第二次世界大戦)当時、アメリカは全世界の原油生産量の60%以上を占め、一日あたり100万バレル(1憶6千万リットル)を超える余剰生産力を備えていた。
  ――第16章 片腕でもできる溶接

 つくづく、なんでこんな国と戦争する気になったんだか。

 その石油の副産物というか、たいていの油田じゃ一緒に天然ガスも噴き出す。まあ分子の形は似たようなモンだし。要は炭素を水素が取り囲んでるわけ。で炭素が多けりゃ液体つまりガソリンや灯油になり、もっと多けりゃ個体のワックスになり、炭素が少なきゃメタンとかのガスになる。

 ところが当初はガスの使い方がわからず、無駄に捨てたり燃やしたりしてた。

20世紀の数十年間、アメリカをはじめ世界中でどれほど莫大な量の天然ガスが意味もなく放出され続け、地球温暖化を推し進めたのか、その積算を試みた者はまだ誰もいない。
  ――第16章 片腕でもできる溶接

 いや、ちゃんと理由はあるんだ。石油は液体だからタンクで運べる。でもガスを運ぶ技術がなかった。もちLNGタンカーなんかない。今でも天然ガスは地産地消に近い(→「トコトンやさしい天然ガスの本」)。これを解決したのが、長距離パイプライン。

液体燃料の歴史とは、パイプラインの歴史でもある。(略)長距離輸送のパイプライン建造を可能にした技術こそ、放電現象を利用したアーク溶接にほかならなかった。
  ――第16章 片腕でもできる溶接

 当時のパイプの継ぎ目は重ね合わせたり詰め物をしたりリベット溶接とか。その継ぎ目からガスが漏れるんで、あまし長いパイプラインは作れなかった。この問題を解決したのが溶接技術ってのが、技術史の意外さというか面白さと言うか。まあ、言われてみりゃ納得なんだけど。

 終盤では焦点が電力と原子力に移り、配電網の直流と交流の対立から原子力発電の費用などに話が及ぶ。特に原子力発電の費用の試算じゃ燃料も大きな要素で、1950年代では増殖炉(→Wikipedia)などによる核燃料サイクルが可能として計算してたっぽい。いずれにせよ、ピッツバーグが苦しんだ大気汚染の心配はないわけで…

デュケイン・ライト・カンパニーの会長フィリップ・A・フレイジャーに聞いた話では、同社が原子力発電を手がけた基本的な理由は「公害防止」のためだったという。
  ――第17章 1957年のフルパワー

 と、当時はクリーンなエネルギーとして明るい未来を思い描いてたのだ。

 勝手な想像だが、アメリカは特に核への愛着と幻想が強いんだと思う。なにせ第二次世界大戦を終わらせたんだし。その後、キューバ危機やスリーマイル島事故などを経て印象が変わってきたけど。

 それはともかく、放射線被爆の長期的な影響は、そう簡単には分からない。1952年12月、カナダのチョークリバーで原子炉事故が起き、30年後の追跡調査では「平均寿命より一歳以上」長生きなんて結果も出てる。ただ、これには別の解釈もある。

「健常労働者効果」とは、選択バイアスの一種で、そもそも労働者は働けるだけの健康体を持ち、平均すると一般人よりも健康で、死亡率も低くなるという現象だ。
  ――第19章 迫りくる暗黒時代

 いずれにせよ、原子力だの放射線だのって話は、イマイチよくわからない。だもんで、どうしても印象で決めつけちゃう所がある。私も、こんな性質があるとは知らなかった。

(アーネスト・)カスパリの新発見が衝撃的だったのは、1日2.5レントゲンを21日間にわたって照射、合計52.5レントゲンの線量をキイロショウジョウバエに照射したにもかかわらず、突然変異の増加率はまったく変化していなかった点にあった。
  ――第19章 迫りくる暗黒時代

 ある閾値を超えない限り、ほぼ無害なのだ。ゲームのダメージ計算だとアルテリオス計算式(→ニコニコ大百科)ですね←もっとわかんねえよ

 現実問題として、じゃその閾値は具体的に幾つ?とか 1レントゲンは何ベクレル? とか聞かれると私もわかんないんだけど。どうも1レントゲンは10ミリシーベルトらしいWikipedia。シーベルトは被爆量で、ベクレルは放射量かあ(→Wikipedia)。うーむ、こんな事も知らずに私は原子力発電の是非を語っていたのか。

 風力や太陽光とかもエコっぽいけど、風が止まれば風力は使えないし、太陽光も夜は使えない。2016年アメリカの各発電方式の平均設備利用率は、というと。

  • 原子力発電所:92.1%
  • 水力発電網:38%
  • 風力発電:34.7%
  • 太陽光発電:27.2%
  • 火力発電所:50%

 火力と水力の稼働率がけっこう低いのが意外なんだけど、改めて考えればベースが原子力でピークの予備が水力・火力なら当然か。とすると風力は頑張ってる方なんだけど、風は人間の都合に合わせてくれないしねえ。

 全体としてみると、薪→石炭→石油→原子力とエネルギー源が変わるたびに、似たようなメロディを奏でているのがわかる。

  • エネルギーを見つけた当初は喜んで使い始める。
  • 竈や蒸気機関など、より効率的で使いやすい技術が広がる。
  • やがて身近な資源を使い潰し、より遠くから資源を運んでくる。
  • 費用が高騰するが、いまさら止められない。
  • 木を刈りつくして砂漠化、石炭の煤煙によるスモッグなど、ツケが回ってくる。
  • 新しいエネルギーを見つけ、そっちに移る。

 人類ってのは、いつまでたっても学ばない生き物なんだなあ、などと少し悲しくなるんだけど、生物はみんな似たようなモンなのかもしれない。

【関連記事】

【今日の一曲】

Mountain - Nantucket Sleighride

 微妙にテーマからズレた曲ばかりを紹介してる「今日の一曲」だけど、今回は珍しく(←をい)本書の場面の一つ、ナンタケット島の捕鯨を扱った曲を。ベースのフェリックス・パパラルディとギターのレスリー・ウェストが仕切ってたバンドだけど、この曲は珍しくスティーヴ・ナイトのオルガンがいい味出してます。でもライブだとやっぱりギターのレスリー・ウェストが暴れまくるんだけどw

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2021年10月 7日 (木)

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2021年版」早川書房

草野原々「大事なのはボツになる恐れを捨てることだ」

 恒例の年に一度のお祭り本。ったって半年以上も遅れてるけど。

 やはり「アメリカン・ブッダ」は評判いいなあ。まあ、当然だよね。「オーラリメイカー」もランキングにはいってる。「息吹」の高評価も納得。願わくば、もちっと執筆ペースを上げてくれれば…。

 とかの、自分の推しが他の人にどう受け取られてるかってのもあるけど、見逃してた美味しそうな本が見つかるのも、このムックの楽しさの一つ。「ワン・モア・ヌーク」「荒潮」「バグダードのフランケンシュタイン」「海の鎖」「おしゃべりな糖」「地磁気逆転と『チバニアン』」とか、いかにも面白そう。とはいいえ、最近は読書ペースが落ちちゃってブツブツ。

 「星界の戦旗」、本当に出るんだろうか? 東京創元社のアンソロジー・シリーズも期待してます。あと「フレドリック・ブラウンSF短編全集4」は期待以上の濃さだった。

 酉島伝法「自作解題」。「いつにもまして造語を多く作らねばならなかった」って、やっぱり苦労して造ってたのね。

 水鏡子と梶尾真治の肩書き、なんじゃそりゃw にしても「目標は生きのびること」な人の多さよ。とまれ、痩せちゃったら柴田勝家じゃないよね。

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2021年10月 5日 (火)

ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 上・下」河出書房新社 柴田裕之訳

歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。
約7万年前に歴史を始動させた認知革命、
約1万2千年前に歴史の流れを加速させた農業革命、
そしてわずか5百年前に始まった科学革命だ。(略)
本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。
  ――第1章 唯一生き延びた人類種

特定の歴史上の時期について知れば知るほど、物事が別の形でなくある特定の形で起こった理由を説明するのが難しくなるのだ。
  ――第13章 歴史の必然と謎めいた選択

【どんな本?】

 なぜネアンデルタール人は滅び私たホモ・サピエンスだけが生き残ったのか。狩猟採集から農業による定住生活の移行は何をもたらしたのか。科学の発展と産業革命は、私たちの世界観・価値観をどう変えたのか。その前の人たちは、世界や人生をどう捉えていたのか。そして、未来のサピエンスはどう変わっていくのか。

 イスラエルの歴史学者が、ホモ・サピエンスの歴史全体を見渡し、歴史上の曲がり角とその原因を探り、私たちの歴史観・世界観の足元を揺さぶる、衝撃の人類史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Sapiens : A Brief History of Humankind, by Yuval Noah Harari, 2011。日本語版は2016年9月30日初版発行。私が読んだのは2018 年9月9日発行の58刷。猛烈に売れてます。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約248頁+257頁=約505頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント47字×19行×(248頁+257頁)=約450,965字、400字詰め原稿用紙で約1,128枚。文庫でもやや厚めの上下巻ぐらい。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。世界史から多くのトピックを取り上げるが、たいていは「いつ・どこで・だれが・なにをして・どうなったか」をその場で説明しているので、歴史に疎い人でも大丈夫。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進む。とはいえ、各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  •   上巻
  • 歴史年表
  • 第1部 認知革命
  • 第1章 唯一生き延びた人類種
    不面目な秘密/思考力の代償/調理をする動物/兄弟たちはどうなったか?
  • 第2章 虚構が協力を可能にした
    プジョー伝説/ゲノムを迂回する/歴史と生物学
  • 第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
    原初の豊かな社会/口を利く死者の霊/平和か戦争か?/沈黙の帳
  • 第4章 史上最も危険な種
    告発のとおり有罪/オオナマケモノの最後/ノアの方舟
  • 第2部 農業革命
  • 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇
    贅沢の罠/聖なる介入/革命の犠牲者たち
  • 第6章 神話による社会の拡大
    未来に関する懸念/想像上の秩序/真の信奉者たち/脱出不能の監獄
  • 第7章 書記体系の発明
    「クシム」という署名/官僚制の驚異/数の言語
  • 第8章 想像上のヒエラルキーと差別
    悪循環/アメリカ大陸における清浄/男女間の格差/生物学的な性別と社会的・文化的性差/男性のどこがそれほど優れているのか?/筋力/攻撃性/家長父制の遺伝子
  • 第3部 人類の統一
  • 第9章 統一へ向かう世界
    歴史は統一に向かって進み続ける/グローバルなビジョン
  • 第10章 最強の征服者 貨幣
    物々交換の限界/貝殻とタバコ/貨幣はどのように機能するのか?/金の福音/貨幣の代償
  • 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
    帝国とは何か?/悪の帝国?/これはお前たちのためなのだ/「彼ら」が「私たち」になるとき/歴史の中の善人と悪人/新しいグローバル帝国
  • 原注/図版出典
  •   下巻
  • 第12章 宗教という超人的秩序
    神々の台頭と人類の地位/偶像崇拝の恩恵/神は一つ/善と悪の戦い/自然の法則/人間の崇拝
  • 第13章 歴史の必然と謎めいた選択
    後知恵の誤謬/盲目のクレイオ
  • 第4部 科学革命
  • 第14章 無知の発見と近代科学の成立
    無知な人/科学界の教義/知は力/進歩の理想/ギルガメシュ・プロジェクト/科学を気前良く援助する人々
  • 第15章 科学と帝国の融合
    なぜヨーロッパなのか?/征服の精神構造/空白のある地図/宇宙からの侵略/帝国が支配した近代科学
  • 第16章 拡大するパイという資本主義のマジック
    拡大するパイ/コロンブス、投資家を探す/資本の名の下に/自由市場というカルト/資本主義の地獄
  • 第17章 産業の推進力
    熱を運動に変換する/エネルギーの大洋/ベルトコンベヤー上の命/ショッピングの時代
  • 第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和
    近代の時間/家族とコミュニティの崩壊/想像上のコミュニティ/変化し続ける近代社会/現代の平和/帝国の撤退/原子の平和
  • 第19章 文明は人間を幸福にしたのか
    幸福度を測る/化学から見た幸福/人生の意義/汝自身を知れ
  • 第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ
    マウスとヒトの合成/ネアンデルタール人の復活/バイオニック生命体/別の生命/特異点/フランケンシュタインの予告
  • あとがき 神になった動物
  •  謝辞/訳者あとがき/原註/図版出典/索引

【感想は?】

 歴史の本…ではあるんだが、王様や将軍の名前はあまり出てこない。

 本書が描くのは、それぞれの王様や国が何をしたか、ではない。「農業」や「貨幣」や「科学」などの制度や考え方が、私たちの暮らしや考え方をどう変えてきたか、だ。

 そこで描かれる物語は、私たちの思い込みを次々と覆す。これがとっても気持ちいい。この感覚は、「エコープラクシア」や「オーラリメイカー」などの優れたファースト・コンタクト物の本格SFで味わえる感覚と似ている。脳ミソの溝に溜まった垢や澱を洗い流される、そんな感じ。

 まずはネアンデルタール人などのライバルを駆逐し、私たち=ホモ・サピエンスだけが生き延びた理由について。

虚構、すなわち架空の物事について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
  ――第2章 虚構が協力を可能にした

 虚構、ファンタジイときたもんだ。なんじゃそりゃ、と思うだろうが、後に貨幣=お金を語るあたりで、否応なしに納得させられる。

 次に驚くのが、狩猟採集から農耕&定住生活への移行。これは最近よく言われているように、個々のヒトにとっては、あまり愉快なモンじゃなかった。食べ物のバリエーションは減るし伝染病は増えるし農業には手間がかかるし。

農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。(略)
私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ。
  ――第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇

 なお、本作では狩猟採集生活じゃ常に移動してるように書いてるけど、実は集団ごとに巣とナワバリがあったんじゃないか、と私は思ってる。群れをつくる野生生物だって、たいていはそうだし。

 とまれ、巣は家となり、様々な道具が家に溜まってゆく。最初は「ちょっと便利」なだけの道具も、次第に生活必需品にり、モノが家に溢れ移動生活が難しくなってゆく。これ引っ越しするとよく分かるんだよね。なんでこんなに荷物があるんだ、と驚くから。

歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。
  ――第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇

 昭和の頃はインターネットなんかなかったけど、今はスマートフォンが当たり前だしねえ。なお、農耕生活を促した原因は酒だって説もあるんだけど、あなたどう思います?

 まあいい。そんな農作物の人類に対する支配力は相当なもので。

近代後期まで、人類の九割以上は農耕民で、毎朝起きると額に汗して畑を耕していた。
  ――第6章 神話による社会の拡大

 歴史の教科書じゃ王様や軍人ばっかり出てくるけど、そんなのはごく一部で、大半は農民だったんです。平安時代も戦国時代も歴史や物語の登場人物は貴族や武士だけど、人口の大半は農民なんだよなあ。

 とまれ、村が集まって国ができたりすると、官僚や軍人などの専門家も生まれてくる。こういう専門家の考え方ってのは、それぞれが独特で…

整理係や会計士は普通の人間とは違う思考法を採る。彼らは書類整理用のキャビネットのように考えるのだ。
  ――第7章 書記体系の発明

 そしてプログラマはコンピュータのように考える…人もいる。たまにいるんだよね、「コンパイラの気持ちになって考えよう」とか言っちゃう人が。いや言いたくなる気持ちは分かるんだけどさ。でもさすがに最近のCPUの気持ちになるのは無理だわ。パイプラインとか分岐予測とか難しすぎて。

 とかの冗談はおいて。虚構はサピエンスを地上の王者にしたけど、弊害もあった。その一つが、差別だ。

想像上のヒエラルキーはみな虚構を起源とすることを否定し、自然で必然のものであると主張するのが、歴史の鉄則だ。
  ――第8章 想像上のヒエラルキーと差別

たいていの人は、自分の社会的ヒエラルキーは自然で公平だが、他の社会的ヒエラルキーは誤った基準や滑稽な基準に基づいていると主張する。
  ――第8章 想像上のヒエラルキーと差別

 あるねえ。というか、某匿名掲示板とかを見ると、サピエンスは常に差別をつくり出そうとする性質があるんじゃないか、とまで思えてくる。この点は著者も悲観的で…

差別ときっぱり訣別できた大型社会を学者は一つとして知らない。
  ――第8章 想像上のヒエラルキーと差別

不正な差別は時が流れるうちに、改善されるどころか悪化することが多い。
  ――第8章 想像上のヒエラルキーと差別

 いわゆる「上級国民」なんて言葉が流行る最近の日本の風潮を見ると、納得したくなるから困る。

 そんな虚構だけど、もちろん役に立つものも多い。その一つが貨幣、お金だ。

これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。
  ――第10章 最強の征服者 貨幣

人々は互いに理解不能の言語を話し、異なる規則に従い、別個の神を崇拝し続けたが、誰もが金と銀、金貨と銀貨を信頼した。
  ――第10章 最強の征服者 貨幣

 今だって合衆国とイランは睨み合ってるけど、どっちもドルは大好きだしね。なお欧米の経済制裁でイラン通貨のリアルが暴落するたびに、イランの政治家と金持ちは金(ゴールド)とドルを買い漁るとか。金こそが世界で最も信仰されているモノなのだ。

 悪く言われてるのはカネばかりじゃない、スターウォーズでも帝国が悪役だったように、帝国って言葉には悪い印象が付きまとう。が、しかし。

帝国は人類の多様性が激減した大きな要因だった。
  ――第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

帝国は過去2500年間、世界で最も一般的な政治組織だった。この2500年間、人類のほとんどは帝国で暮らしてきた。帝国は非常に安定した統治形態でもある。大半の帝国は叛乱を驚くほど簡単に鎮圧してきた。
  ――第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

帝国はたいがい、支配している諸民族から多くを吸収した混成文明を生み出した。
  ――第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

 同時に帝国は多くの文化の交流を促し、グローバル化も推し進めたのだ。中国は秦帝国が母体だし、現代ヨーロッパもローマ帝国の遺体から芽を出したようなもんだ。お陰で学問の世界じゃ今でもラテン語がブイブイいわしてる。「大英帝国は大食らい」では、大英帝国が諸国の文化に与えた影響が味わえます。その(オスマン)帝国が潰れた後の混乱の真っ只中にいるのが中東。

 虚構でもう一つ重要な地位を占めている宗教なんだが、これ前から思ってた事を見事に明文化してくれたのが嬉しい。

じつのところ一神教は、(略)一神教や二元論、多神教、アニミズムの遺産が、単一の神聖な傘下で入り乱れている万華鏡のようなものだ。
  ――第12章 宗教という超人的秩序

 例えばキリスト教だと、悪魔がウジャウジャいれば天使も沢山いる。守護聖人とかって、学問の天神様や商売の恵比寿さん、芸事の弁天様と何が違うのよ? アイルランドの聖パトリックとか、モロに土地神様じゃん。結局、サピエンスって、アニミズムから逃れられないんでない?

 などの宗教に代わって台頭したと言われる科学なんだが、逆になぜソレまで科学や産業が表に出なかったのかというと、それは人々の世界観や考え方が昔はまったく違ってたから、と著者は説く。

西暦1500年ごろまでは、世界中の人類は、医学や軍事、経済の分野で新たな力を獲得する能力が自分らにあるとは思えなかったのだ。
  ――第14章 無知の発見と近代科学の成立

 パイの大きさは決まっていて、多くのパイが欲しければ他の者から奪うしかない、そういう考え方ね。あとエデンの園や北欧神話のラグナロクみたく、「昔はよかった、これから先は悪くなる一方」みたいな歴史観。これ今でもそういう世界観の人が多いよね。実際は交通事故も減って治安も良くなってるのに。

 では、何がソレを変えたかというと、「己の無知を認めたから」ってのが著者の主張。

科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々を知らないという、重大な発見だった。
  ――第14章 無知の発見と近代科学の成立

 自分は知ってると思い込んでたら、改めてソレについて調べようとは思わない。ダニング=クルーガー効果(→Wikipedia)の「馬鹿の山」(→Twitter)でふんぞり返ってたわけ。

 もっとも、そういう考え方に落ちいていたのも、ちゃんと理由があって。

歴史の大半を通じて、経済の規模はほぼ同じままだった。たしかに世界全体の生産量は増えたものの、大部分が人口の増加と新たな土地の開拓によるもので、一人当たりの生産量はほとんど変化しなかった。
  ――第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 実際、人々の暮らしはたいして良くなっちゃいなかったから。「21世紀の資本」でも、歴史を通じて世界の経済成長は年2%ぐらい、とあった。しかも、本書によれば、ソレは規模がデカくなっただけで、効率は変わっちゃいない、と。

 たとえそうであっても、規模をデカくするのはいいんだよ、それで食える人は増えるんだから、と説いたのが経済学の祖アダム・スミス。事業を起こして稼ぎ、稼いだ金で更に事業を拡げろ、そうすりゃ仕事が増えて失業者が減りみんなハッピー、それが資本主義。

資本主義の第一の原則は、経済成長は至高の善である、あるいは、少なくとも至高の善に代わるものであるということだ。
  ――第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 明治維新以降の大日本帝国も、太平洋戦争後の日本国も、そういう思想で成り上がりました、はい。戦争やオイルショックやバブル崩壊で行き詰ったけど。とまれ、そんな風に成り上がった国は日本ぐらいだったのにも理由があって。

資本は、個人とその財産を守れない専制的な国家からは流出し、法の支配と私有財産を擁護する国家に流れ込む。
  ――第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 腐った国で事業を起こしても、腐った政治家に喰われるだけ。だから事業主は逃げ出す。本書はオランダがスペインから独立した80年戦争(→Wikipedia)を例に挙げてる。この辺は「国家はなぜ衰退するのか」が詳しいです。今だって香港に資本を投入して事業を起こすのは、ちと度胸がいるよね。中国共産党にコネがあるならともかく。

 とまれ、まっとうな資本主義でも、やっぱり格差は広がるのだ。

自由市場資本主義は、利益が公正な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない。
  ――第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

 公害とかもあるけど、食べ物の歴史を見ると、利益目的で無茶やらかした例にはこと欠かないんだよな。奴隷貿易(「砂糖の歴史」)とか土地の買い占め(「バナナの世界史」)とか。

 とまれ、科学と資本主義の結びつきは、産業革命で大きな果実をもたらす。それはサピエンスが新しいエネルギー、石炭や石油を調達できたからだ。

歴史を通して人々のやったことのほぼすべてが、植物が捉えた後、筋肉の力に変換された太陽エネルギーを燃料としていた。
  ――第17章 産業の推進力

 それまでの単に規模が大きくなるだけの経済成長から、機械化によって効率をハネあげる経済成長が生まれてくる。これによって「人のぬくもりが消えた」なんて言う人もいるけど、血が流れることも減ったのだ。

暴力の現象は主に、国家の台頭のおかげだ。
  ――第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

 現代じゃ見知らぬ人同士が駅などで平気でスレ違うけど、これはサピエンス史上じゃ画期的な状態なのだ。群れで狩猟採集してた頃は、ヨソ者=ヤバい奴だったんだから(「文明と戦争」「昨日までの世界」)。

 確かに二つの世界大戦とかもあったけど…

1945年以降、国連の承認を受けた独立国家が征服されて地図上から消えたことは一度もない。
  ――第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

 せいぜいイラクのクウェート侵攻ぐらいだしね。二次大戦前だったら、イギリスやフランスは喜び勇んでシリアに攻め込んでただろう。例えロシアと事を構える羽目になっても。

 戦争ばっかりみたいな印象があるけど、実際はやたら平和なのだ、今の世界は。

 などと歴史を振り返ったそれまでの章とはガラリと変わり、未来を見つめるのが最後の章。ここはまるきしSFだから楽しい。つまり、バイオテクノロジーなどにより、今後はサピエンスそのものが変わる時代が来るぞ、と説く。その何が問題か、というと。

私たちが真剣に受け止めなければいけないのは、テクノロジーや組織の変化だけでなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も含まれるという考えだ。
  ――第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

 ニュータイプだのコーディネイターだのが生まれるとして、彼らは何を望むんだろう? 昔の人は私たちと全く違う考え方をしていたように、新人類も私たちと全く違う考え方をするはずなのだ。そんな彼らと、私たちは巧く付き合えるんだろうか。ガンダム・シリーズじゃ不幸な結末ばかりが描かれるけど。

 …と、結局はSFな話になっちゃったけど、こういう「認識の変革」を伴う本ってのは、どうしてもSF的な視野になっちゃうんだよね。そんなワケで、グレッグ・イーガンの「しあわせの理由」はいいぞ←結論はそれかい

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