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2021年9月 3日 (金)

アンドリュー・ナゴルスキ「隠れナチを探し出せ 忘却に抗ったナチ・ハンターたちの戦い」亜紀書房 島村浩子訳

本書では、世界がナチスの犯罪を忘れないように、彼らの当初の成功を覆すことに尽力した比較的少数の人々に焦点を当てる。(略)その過程で悪の本質にまで踏み込み、人間の行動について難題を提起した。
  ――はじめに

【どんな本?】

 ナチ・ハンター。ユダヤ人大虐殺を主導または積極的に協力しながら、それを隠して暮らす者たちの過去を暴き追い詰め、法廷に引き出し罪を明らかにしようとする者たち。ジーモン・ヴィーゼンタールなど有志の個人もいれば、イスラエルのモサドが組織的に狩る場合もある。また政府を動かそうとする合衆国下院議員のエリザベス・ボルツマンのような政治家や、ドイツの判事フリッツ・バウアーやポーランドの判事ヤン・ゼーンなど法律家の努力もあった。

 彼らはどんな人間なのか。なぜナチ・ハンターになったのか。どうやって元ナチを追い詰めたのか。彼らは何を目指し、何を変えたのか。そして元ナチはどんな人間なのか。

 ユダヤ人大虐殺を記録として残し人々の記憶に焼き付けるために闘った人たちの足跡を追い、その実績と人柄を明らかにするとともに、ドイツとイスラエルはもちろんアメリカ・フランス・オーストリア・ブラジル・ボリビア・アルゼンチン・パラグアイなどの諸国と元ナチの関わりを明らかにする、現代のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Nazi Hunters, by Andrew Nagorski, 2016。日本語版は2018年1月17日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約463頁に加え、訳者あとがき6頁。9.5ポイント43字×17行×463頁=約338,453字、400字詰め原稿用紙で約847枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、第二次世界大戦の欧州戦線の概要を知っていた方がいい。とりあえず東欧諸国およびバルカン半島諸国が一時期は枢軸側の支配下にあった、ぐらいで充分。

 冒頭に登場人物一覧があるのはありがたい。ついでにWJC(世界ユダヤ人会議)などの略語が多く出てくるので、略語一覧が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、できれば頭から読んだ方がいい。

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  • 登場人物紹介
  • はじめに
  • 第1章 絞首刑執行人の仕事
  • 第2章 目には目を
  • 第3章 共謀の意図
  • 第4章 ペンギン・ルール
  • 第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語
  • 第6章 より邪悪でないほう
  • 第7章 不屈のハンターたち ヴィーゼンタールとバウアー
  • 第8章 アイヒマン拉致作戦
  • 第9章 怪物か、悪の凡庸か アイヒマンとハンナ・アーレント
  • 第10章 小市民
  • 第11章 忘れられない平手打ち
  • 第12章 模範的市民という仮面
  • 第13章 ラパスへ
  • 第14章 戦中の嘘
  • 第15章 亡霊を追って
  • 第16章 旅の終わり
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 シャーロック・ホームズみたいな緻密なミステリや007みたいなスパイ活劇を期待すると、肩透かしを食う。

 一応「第8章 アイヒマン拉致作戦」でモサドが(アドルフ・)アイヒマン(→Wikipedia)を捕まえるあたりでスパイ・アクションが生々しく展開するが、それぐらいだ。誘拐の時に目撒くしとかベッドにつなぐとか、ホントなんだね。モサドの活躍が知りたい人は「イラク原子炉攻撃!」「モサド・ファイル」「ミュンヘン」がお薦め。

 実は最も多いのが、判事などの司法関係者。元ナチの裁判に関わった人たちだ。例えば…

  • ニュルンベルク裁判(→Wikipedia)首席検事ベンジャミン・フェレンツ(→ホロコースト百科事典)
  • ポーランド人調査判事ヤン・ゼーン
  • ドイツ人判事フリッツ・バウアー

 もちろん、私たちが思い浮かべるナチ・ハンターも登場する。

  • ジーモン・ヴィーゼンタール(→Wikipedia)
  • トゥヴィア・フリードマン
  • ベアテ・クラルスフェルト(→Wikipedia)&セルジュ・クラルスフェルト(→Wikipedia)

 こういった人々に焦点をあてつつ、その背景にある世界や世論の変化も描いてゆく。全体を通し著者は、ハンターたちの行いを「事実を明るみに引きずり出した」と讃えている。

戦後の裁判は罪人を処罰することだけが目的ではなかった。歴史的記録を残すうえできわめて重要だったのである。
  ――第3章 共謀の意図

 歴史に記した事こそが最大の功績である、と。

モサド長官イサル・ハウエル
「史上初めて、ユダヤ人を惨殺した人間をユダヤ人が裁く機会となる」
「史上初めて全世界に、イスラエルの若い世代に、一つの民族の全滅が命じられた物語が余すところなく語られる」
  ――第8章 アイヒマン拉致作戦

 もちろん、そこには復讐の念もある。

モサド高官「彼ら(元ナチ)がこの世を去る最後の日まで一瞬たりと平穏な時間を過ごせなくしてやるのだ」
  ――第11章 忘れられない平手打ち

 家族や親しい人を殺されて恨みに思うのは当たり前だが、それだけじゃない。彼らの無念を募らせたのは、世間の対応もある。ほじくり返すな、忘れよう、なかったことにしよう、当初はそういう反応が多かったのだ。

ニュルンベルク裁判首席検事ベンジャミン・フェレンツ
「ドイツにいたあいだに、わたしに近寄ってきて後悔の言葉を述べたドイツ人は一人もいなかった」
  ――第4章 ペンギン・ルール

セルジュ・クラルスフェルト「1965年の時点では、西側からアウシュヴィッツへ行こうとする人間なんていなかった」
  ――第11章 忘れられない平手打ち

ドイツ週刊誌「デア・シュピーゲル」記者クラウス・ヴィーグレーフェ
「アウシュヴィッツで行われた犯罪が正しく罰せられなかったのは、数人の政治家や判事の妨害に逢ったからではない」
「犯罪者を断固有罪にし、罰しようとする人々があまりに少なかったからだ。多くのドイツ人はアウシュヴィッツで起きた大量殺人に1945年以降、ずっと無関心のままだった」
  ――第16章 旅の終わり

 とまれ、そこには連合国側の思惑もある。対ドイツ戦が終わると冷戦が始まり、ナチ戦犯より赤狩りが重要になったのだ。日本の逆コース(→Wikipedia)みたいなモンです。その過程で、かのペーパークリップ作戦(→Wikipedia)のように連合軍も元ナチを匿い利用しようとする。

最新の文書の日付は1951年3月27日。(米国)陸軍諜報工作員二名による報告書で、彼らは(クラウス・)バルビー(→Wikipedia)に“アルトマン”名義の偽造証明書をわたしてジェノバまでつき添い、そこから南米へと送り出していた。
  ――第13章 ラパスへ

 そんな中、ナチ・ハンターたちは証拠を集め元ナチを司法の場に引きずり出し、マスコミも動かして世間の空気を変えてゆく。もっとも、なかなか届けるべき人には届かないんだけど。

「(アウシュヴィッツ裁判の新聞記事を)一番読む必要のある人たちが読みたいと思っていないのは確か」
  ――第10章 小市民

 こういうのは、どの国でも同じだよね。私も極右系の本や記事はまず読まないし。それに誰だって元加害者より元被害者の方が居心地いい。

「オーストリア人は、ベートーヴェンがオーストリア人で、ヒトラーがドイツ人だと世界に信じさせたからな」
  ――第14章 戦中の嘘

 それはともかく、やっぱり文字より映像の方が影響力は大きかったようで…

映画『ニュルンベルク裁判 現代への教訓』について米軍政府情報官
「われわれはナチズムについて三年かけてドイツ国民に語ってきたが、この80分間の映画のほうがより多くのことを伝えられる」
  ――第6章 より邪悪でないほう

 とまれ、そういった雰囲気を変える最大のキッカケは、モサドによるドルフ・アイヒマン(→Wikipedia)の誘拐とイスラエルにおける裁判だろう。これは国際的に大きな騒ぎとなり、アイヒマンの動機を巡り大きな論争を巻き起こす。

モサド長官イサル・ハウエル
「いったいどうして、こんなごくふつうにみえる人間が怪物になったのか?」
  ――第8章 アイヒマン拉致作戦

 中でも最も有名な論客はハンナ・アーレント(→Wikipedia)だろう。裁判を取材し著作「エルサレムのアイヒマン」で「悪の凡庸さ」を語り、今なお論戦は続いている。

(アドルフ・)アイヒマンを突き動かしていたのはイデオロギーやユダヤ人に対する憎しみではなく、出世第一主義(略)だった、と(ハンナ・)アーレントは主張した。(略)言い換えるなら、ナチの体制が標的としさえしたら、彼は人種や信仰に関係なくどんなグループであろうと、何百万人もの人々を死に追いやったということだ。
  ――第9章 怪物か、悪の凡庸か アイヒマンとハンナ・アーレント

 もちろん、これに反論する人もいる。

哲学者ベッティーナ・シュタングネト
「人の命を軽んじるイデオロギーは、伝統的な正義の概念や倫理を否定する行動が合法化される場合、自称支配民族の一員にとってきわめて魅力的に映る」
  ――第9章 怪物か、悪の凡庸か アイヒマンとハンナ・アーレント

 ヤバい奴はヤバい空気をチャンスと思う、そういう事です。「国際社会と現代史 ボスニア内戦」とかを読むと、この意見に同意したくなるんだよなあ。

 私の考えは、というと。やはりアイヒマンはヤバい奴だと思う。官僚として有能なのは、みんな認めてる。ただ、有能なだけじゃ熱心に仕事はしない。きっと好きだったんだ、その仕事が。仕事が孤児や捕虜の保護だったら、怠けるか転属を申し出ただろう。やる気にいなれないから。他の商売でも、優れたギタリストはギターが好きだし、優れたプログラマはプログラミングが好きだもん。

 「仕事だから仕方なく」と言うのはアイヒマンに限らず、ほぼ全ての元ナチに共通してる。例えばアウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘース(ナチ党副総統ルドルフ・ヘスとは別人、→Wikipedia)。

「わたしは個人的に誰かを殺したわけじゃない。私はアウシュヴィッツにおける絶滅計画の責任者だっただけだ。命令したのはヒトラーで、それがヒムラーによって伝えられ、移送に関してはアイヒマンから指示があった」
  ――第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語

 そうは言うものの、仕事の中身はちゃんと判ってた。

「ユダヤ人問題の“最終的解決”とは、ヨーロッパにおけるユダヤ人を一人残らず完全に絶滅させることを意味した」
  ――第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語

 そして、自分の仕事を誇りに思っていた。

「わたしの心は総統とその理想とともにあった。なぜなら、それは滅びてはならぬものだからだ」
  ――第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語

 加えて、いささか衝撃的な発言も飛び出る。「普通の人々」も実態に気が付いていた、と。

「絶え間なく死体を焼却しているせいで吐き気をもよおす悪臭があたりにたちこめ、近隣の住民はみな、アウシュヴィッツで大量殺人が行われていることを知っていた」

 これらはアウシュヴィッツ裁判(→Wikipedia)を通し、人々に考え方を変えるようメッセージを発してゆく。

アウシュヴィッツ裁判判事ハンス・ホフマイヤー
「“小市民”は先導したわけではないから無罪だとするのは間違いだ」
「彼らは絶滅計画を机上で作成した者に劣らず、その実施において重大な役割を果たした」
  ――第10章 小市民

 そして、歴史観も変えるべし、と迫る。例えばヒトラー暗殺事件(→Wikipedia)の首謀者たちも、反逆者ではなく愛国者である、と。

ドイツ人判事フリッツ・バウアー
抵抗者らが「ヒトラーを排除し、それによりヒトラーの体制を排除しようとしたのは、祖国への熱き愛と国民に対する自己犠牲も厭わぬ無私の責任感からであった」
  ――第7章 不屈のハンターたち ヴィーゼンタールとバウアー

 終戦についても…

ドイツ大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(→Wikipedia)「あれ(終戦)は解放の日だった」
  ――第16章 旅の終わり

 これまた被害者ぶってると言えなくもないが、太平洋戦争敗戦後の日本人も、そう感じる人が多かったんじゃなかろうか。「やっと終わった」と。

 そんな風に、世論までも動かすナチ・ハンターたちは、どんな風に思われていたのか、というと。

(アリベルト・)ハイム(→Wikipedia)が――そして十中八九他の逃亡戦犯も(ジーモン・)ウィーゼンタールを恐れ、ほぼ全能の復讐者という世間的なイメージを信じていたのは確かだった。
  ――第15章 亡霊を追って

 KGBの組織力・調査力とシャーロック・ホームズの推理力、そしてインディ・ジョーンズの行動力を兼ね備えたスーパーマンみたいな印象だろうか。でも実際は「探偵1/3、歴史学者1/3、ロビイスト1/3」と地味なモンだったり。探偵にしたって、コナン君みたいなアクション型じゃなく安楽椅子探偵だしなあ。

 その相手の元ナチも豪邸に住み番犬にシェパードを飼う貴族然とした暮らしってワケじゃなく…

「わたしが相手にする元ナチはたいていが、危険な軍閥とはほど遠い70代か80代の白髪頭の凡人で、クリーブランドやデトロイトの郊外でぱっとしない余生を送っている」
  ――第12章 模範的市民という仮面

 はい、たいていの場合、現実は地味なんです。

 もっとも、中には華々しい立場に返り咲く者もいた。終盤では、その象徴でもある国連事務総長でありオーストリア大統領にもなったクルト・ヴァルトハイム(→Wikipedia)をめぐり、ナチ・ハンター同士の内輪もめが描かれる。

 バルカン半島でのヴァルトハイムの階級は中尉。歩兵なら中隊長か小隊長で200人程度の部下がいる立場だが、彼の役割は通訳または情報将校だから部下はいても数人だろう。疑いはマケドニアで三つの村の虐殺に関わったというもの。

 騒ぎになった1986年当時、ヴァルトハイムは大統領選に出馬していた。選挙ともなれば、参加陣営はDisの応酬になる。ここでヴァルトハイムの過去を持ち出せば、選挙に向けた宣伝ととられかねない…というか、ヴァルトハイム側は確実に「それは対抗陣営の選挙宣伝だ」と叫ぶだろう。

 実際、スキャンダルは国際的なニュースとなり、オーストリアは多くの非難を浴びるが、逆にオーストリアではナショナリズムに火を点け、ヴァルトハイムの当選に結びつく。

「当初は“ヴァルトハイムを選べ、世界は彼を愛している”がスローガンだった」
「いまや“ヴァルトハイムを選べ、世界は彼を憎んでいる”だ」
  ――第14章 戦中の嘘

 この件では「どう動くか」を巡り、ナチ・ハンター間での激しい対立が起きる。このあたりでは、理想通りにいかない切なさを感じるものの、同時に彼らも豊かな感情を持ちの血が通った人間なんだなあ、としみじみ感じたり。

ジーモン・ヴィーゼンタール・センターのエルサレム支局長エフライム・ズロフ
「ほかのナチ・ハンターについて、いいことを言うナチ・ハンターには一度も会った事がない」
「嫉妬や競争心、すべてそういうもののせいだ」
  ――第16章 旅の終わり

 どうでもいいがジーモン・ヴィーゼンタール・センターはジーモン・ヴィーゼンタールが作ったんじゃなくて、名前を貸してるだけなのね。ギブソン・レスポールみたいな関係か←一般人に通じない例えはやめろ

 原動力が正義感か私怨か名誉欲かはともかく、彼らの粘り強い働きは単に元ナチを吊るし上げるだけに留まらず、人々が歴史に向かい合う姿勢を大きく変えたのは事実だ。じゃ日本はというと、相変わらず目を背け続けている。それでも、いやそれだからこそ、歴史を掘り返す意味はあるんだと思う。

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