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2021年9月の4件の記事

2021年9月27日 (月)

ザック・ジョーダン「最終人類 上・下」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳

ウィドウ類のシェンヤはほんの数年前まで冷徹な殺し屋だった。
  ――上巻p9

「てめえの生まれを知ってるぜ」
  ――上巻p60

きみがロック解除して、僕が経験する。
  ――上巻p188

「あなたにとって大きすぎるからといって、だれにとっても大きいとはかぎりません」
  ――下巻p43

来い。現実の正体を見せよう。
  ――下巻p99

高階層の精神に嘘をつかれて見破れるのか。
  ――下巻p163

「ようこそ――」
「――俺へようこそ」
  ――下巻p261

【どんな本?】

 米国の新人SF作家ザック・ジョーダンのデビューSF長編。

 銀河には数多の知的種族が住み、みなネットワークに繋がっている。各種族は知的レベルで階層化されており、2.09以上は亜空間トンネルを介し他星系にもつながる。3.0以上はたいてい集合知性だ。

 シェンヤは、クモに似て強靭で凶暴なウィドウ類だ。その養女サーヤには秘密があった。表向きはスパール類だが、実際は人類だ。その凶悪さゆえ銀河中から憎まれ嫌われ絶滅させられた人類の、最後の生き残り。秘密を守るためネットワーク接続に必要なインプラント手術が受けられず、知性も低いと思われている。

 母に守られつつも屈辱に耐えて生きてきたサーヤだが、彼女の秘密を知る者が現れ、彼女は激しい運命の渦に投げ込まれる。

 エキゾチックで魅力的なエイリアンや巨大スケールの技術が続々と登場し読者を翻弄する、今世紀の冒険スペース・オペラ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Last Human, by Zack Jordan, 2020。日本語版は2021年3月25日発行。文庫の上下巻で縦一段組み本文約332頁+331頁=663頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント40字×16行×(332頁+331頁)=約424,320字、400字詰め原稿用紙で約1,061枚。文庫上下巻は妥当なところ。

 娯楽作品としては文章はややぎこちない。これは新人のためでもあるが、作品世界があまりに異様なためでもある。内容もバリバリのスペースオペラで、奇妙な生態のエイリアンや謎のテクノロジーに満ちあふれている。上巻はスターウォーズのようにアメリカンなスペースオペラだが、下巻に入るとレムやステープルドンみたいな展開が味わえる。つまりは、そういうのが好きな人向け。

【感想は?】

 母は蜘蛛ですが、なにか?

 ごめんなさい。言ってみたかっただけです。

 最初に目につく魅力の一つは、異様なエイリアンの心だ。物語はウィドウ類のシェンヤの視点で始まる。人類より大きい、クモに似たエイリアン。そんな存在は、人類であるサーヤをどう感じるのか。

 シェンヤ視点の語りでは、出てくる数字に注目しよう。マニアックなイースターエッグが隠れている。

 様々なエイリアンが出てくるスペースオペラは多い。その多くは人類の視点で描かれるし、人類は銀河の主役級プレイヤーだ。だが本作はウィドウ類で始まるばかりでなく、人類は銀河中から憎まれ嫌われ、かつほぼ絶滅している。「俺達こそ最高」な気分が充満しているアメリカのSFで、こういうのは珍しい。

 「でも本当は…」みたいな展開を期待してもいいが、まあそこはお楽しみ。

 やはり異色な設定として、知性の階層がある。人類であるサーヤは出生を隠すため、ネットワークにつなげるインプラント手術が受けられず、本来より低い知性階層と評価されている。じゃ本来の階層はというと、実はこっちもあまり芳しくない。この世界には人類より遥かに賢い種族が沢山いるのだ。

 人類より肉体が強かったり武力が優ってる種族が出てくるも多いが、たいてい性格や精神構造で弱みを持っている。が、本作にはそういう弱点はない。本当に人類はおバカで凶暴で性格にも問題ありなのだ,、少なくともこの宇宙の水準では。あ、でも、賢い種族も性格はいいとは限らなかったりする。

 悔しい? でも、下には下がいる。本書では「法定外知性」と呼ぶ。雰囲気はスマートスピーカーのアレクサやアップルのSIRIに近いし、扱いもそんな感じだ。可愛いしソレナリに役立つけど、ちとおバカな上に出しゃばるとウザい。おまけに人格らしきモノがあるのも困ったところ。上巻の初めでサーヤが彼らをどう扱うか、ちゃんと覚えておこう。これが中盤以降で効いてくる。

 そんな風に、アメリカンな「俺達こそ最高」な発想をトコトン痛めつけた上巻に続き、下巻では更に上の階層が姿を現し、サーヤは世界の形を垣間見るとともに、その中での自分の位置を見せつけられる。

 ここで面白いのが、集合精神の扱い。スタートレックのボーグを代表として、多くのスペースオペラじゃ集合精神は悪役、それも強敵の役を演じる。これ朝鮮戦争での中国人民解放軍の印象が強いからじゃないかと思うが、この作品の集合精神はだいぶ扱いが違う。個体が集合精神に加わる場面も、グロテスクではあるが独特の雰囲気があったり。

 もう一つのキモが、ネットワーク。世界の全ての知的種族を結ぶ情報網だ。どう見てもインターネットのアナロジーだろう。

 そのインターネット、小文字で始まる internet は「インターネット・プロトコル(通信規約)で繋がった機器の集合体」を意味する。インターネット・プロトコル以外にも、デジタル機器を繋げる手法はあるんだ。AppleTalk とか TokenRing とか。でもインターネット・プロトコルが圧勝しちゃったから、「ネットワークといえばインターネット・プロトコル」みたいな風潮になっちゃった。

 対して大文字で始まる The Internet は、ネットワーク同士をインターネット・プロトコルで繋げたものだ。実はインターネット・プロトコル以外にもデジタル機器を繋げる方法はあるし、ネットワーク同士を繋げる方法もある。例えば昔のパソコン通信とかね。

 ただ、今ある The Internet と繋げず、かつ別の通信規約で「もう一つのインターネット」を作るのは、やたら面倒くさく金がかかる上に利益も少ない。ケーブルやルータやネットワーク・ボードも独自規格で作り直さなきゃならんし。でも、理屈の上ではあり得る。

 その辺を考えながら下巻を読むと、また違った味が出てくる。いや著者の狙いがソコとは限らないけど。

 当たり前だと思い込んでいたモノ・コトを、「実はこういうのもあるぞ」と示して、世界観を根底からひっくり返すなんて荒業ができるのはSFだけだし、それがSFの最も大きな魅力でもある。ありがちな冒険スペース・オペラと思わせて、下巻に入ると読者の認識を根底から揺るがすSFならではの眩暈を味わえる、意外な拾い物だった。ファースト・コンタクト物が好きな人にお薦め。

【関連記事】

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2021年9月19日 (日)

市川哲史「いとしの21馬鹿たち どうしてプログレを好きになってしまったんだろう第二番」シンコーミュージックエンタテイメント

本書『いとしの21馬鹿たち どうしてプログレを好きになってしまったんだろう第二番』は、2016年12月に上梓した拙著『どうしてプログレを好きになってしまったんだろう』の続編になる。
まず最初に断っておくが、本書は明らかに前作ほどは面白くない。
  ――Walk On : 偉大なる詐欺師と詭弁家の、隠し事

メル・コリンズ「そもそも即興プレイヤーの俺に再現プレイなんて無理だから」
  ――§13 壊れかけの RADIO K.A.O.S.

【どんな本?】

 雑誌「ロッキング・オン」などで活躍した音楽評論家の市川哲史による、プログレ憑き物落とし第二弾。

 プログレッシヴ=進歩的というレッテルとは裏腹に、ポップ・ミュージックの世界にありながら半世紀以上も前の方法論で今なお矍鑠として音楽を続ける有象無象の老人たちの、群雄割拠と集合離散そして栄枯盛衰の裏側を赤裸々に描くプログレ・ゴシップ・エンタテインメント。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年6月17日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約468頁。9ポイント38字×18行×468頁=約320,112字、400字詰め原稿用紙で約801枚。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらい。

 クセの強い文章なので、好き嫌いがハッキリ別れるだろう…というか、好きな人しか読まないと思う。内容もお察しのとおり、わかる人にはわかるけど分からない人にはハナモゲラな文が延々と続く。ったって、どうせ分かる人しか読まないから問題ないよね。つまり、そういう趣味の本です。

【構成は?】

 各記事は独立しているので気になった所だけを読めばいい。

クリックで詳細表示
  • Walk On : 偉大なる詐欺師と詭弁家の、隠し事
  • 第1章 Not So Young Person's Gude to 21st Century King Crimson(21世紀のキング・クリムゾンに馴染めない)旧世代への啓示
  • §1 ロバート・フリップが<中途半端>だった時代 キング・クリムゾン1997-2008
  • §2 どうして手キング・クリムゾンは大楽団になってしまったんだろう
  • 第2章 All in All We're Just Another Brick in the Wall ぼくらはみんな生きていた
  • §3 どうしてゴードン・ハスケルは迷惑がられたのだろう
  • §4 荒野の三詩人 だれかリチャード・パーマー=ジェイムズを知らないか
  • §5 「鍵盤は気楽な稼業ときたもんだ」(或るTK談)
  • §6 どうしてピーター・バンクスは再評価されないのだろう
  • §7 恩讐の彼方のヴァイオリン弾き プログレで人生を踏み誤った美少年
  • §8 <マイク・ラザフォード>という名の勝ち馬
  • 第3章 From the Endless River 彼岸でプログレ
  • §9 ジョン・ウェットンがもったいない
  • §10 我が心のキース・エマーソン 1990年の追憶
  • §11 ビリー・シャーウッドの「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう」
  • 第4章 Parallels of Wonderous Stories 遥かなる悟りの境地
  • §12 ウォーターズ&ギルモアの「俺だけのピンク・フロイド」
  • §13 壊れかけの RADIO K.A.O.S.
  • 第5章 One of Release Days それゆけプログレタリアート
  • §14 吹けよDGM、呼べよPink Froyd Records
  • §15 地場産業としてのプログレッシヴ・ロック(埼玉県大里郡寄居町の巻)
  • ボーナス・トラック
  • §16 ロキシー・ミュージックはプログレだった(かもしれない)
  • 初出一覧

【感想は?】

 いきなりの二番煎じ宣言w 書き出しがソレってどうよw いや正直でいいけど。

 それに続けて「もう、みんなこんな齢なんだぜ」と数字つきで見せつけるのは勘弁してほしい。当然、読んでる私たちも似たような齢ななわけで。しかもチラホラと見える「故人」の文字が切ない。こうやって見ると、1940年代後半生まれが主役だったんだなあ、70年代のプログレって。にしても50歳代で若手ってどうよ。衆議院議員かい。

 前回に続き表紙はピンク・フロイドだけど、紙面の半分以上がキング・クリムゾンなのは、著者の趣味なのか日本のプログレ者の好みなのか。やっぱりプログレのアイコンは宮殿のジャケットになっちゃうしなあ。フリップ翁は相変わらずの屁理屈&偏屈&我儘っぷりで、これはもはや至芸だろう。

 続いて多いのはピンク・フロイド。まあセールスと知名度じゃ順当なところか。後はイエス、ジェネシス、EL&P。そしてなぜかロキシー・ミュージック。まあブライアン・イーノやエディ・ジョブソンを表舞台に引っ張り上げた人だし、ブライアン・フェリーは。とか言ってるけど、どう考えても著者の趣味を無理やり押し込んだんだよね。

 レコードからCDそしてインターネットというメディアの変化・多様化は商売としてのプログレ(というよりポップ・ミュージック)にも多大な影響を与えているようで、ロバート・フリップがビジネスを語る「§1 ロバート・フリップが<中途半端>だった時代 キング・クリムゾン1997-2008」やレコード会社の日本語版担当者の声が聴ける「§14 吹けよDGM、呼べよPink Froyd Records」は、仙人ぶってるプログレ者にも現実を見せつける生々しい商売の話。

 なんなんだろうね、いわゆる「箱」が次々と出てくるプログレ界って。まあガキの頃から乏しい小遣いを西新宿の中古盤屋に貢いでた輩が、齢を重ねて相応の収入と資産を得たら、お布施も弾むってもんか。そんな老人の年金にたかるような商売がいつまでも続くわけが…と思ったが、「父親の影響で」みたいな若者もソレナリに居るからわからない。二世信者かよ。

 などのフロント陣ばかりでなく、エンジニアとしてのスティーヴン・ウィルソンなどにも焦点を当ててるのが、今回の特徴の一つ。いや焦点を当てるならポーキュパイン・ツリーでの活躍だろと思うんだが、これは読者の年齢層に合わせたんでしょう。

 にしても、90年代以降のイエスって、音創りが手慣れているというか「イエスの音ってこんな感じだよね」的な、バンドとしての方向性が完全に固まっちゃって金太郎飴みたいな印象があるんだけど、それはきっとビリー・シャーウッドのせいだろうなあ。

 などのビッグ・ネームが並ぶ中、「§7 恩讐の彼方のヴァイオリン弾き プログレで人生を踏み誤った美少年」はいささか切ない。タイトルでだいたい見当がつくように、あのエディ・ジョブソン様だ。とか書いてる今、MOROWで「デンジャー・マネー」がかかってる。日本の鍵盤雑誌編集部を襲撃した際の話は、いかにも彼らしい。

 やっぱり面倒くさい奴だった…と思ったが、プログレって演る側だけでなく聴く側も面倒くさい奴が多いよね。あ、はい、もちろん、私も含めて。

 とはいえ、同じ鍵盤弾きでもTKのお気楽さはどうよ。そんなにモテたのか。イーノといい、鍵盤弾きはモテるんだろうか。しかしなぜハウだけ「ハウ爺」w

 終盤の「§15 地場産業としてのプログレッシヴ・ロック(埼玉県大里郡寄居町の巻)」は思いっきり異色。なんとプログレ者の隠れた聖地にして著者曰く<プログレ道の駅>カケハシ・レコードの取材記。企業としてはなかなかにバランスのとれた組織で、充分な起業家精神(というか山っ気)を持ちつつ理性的に市場動向の計算もできる社長の田中大介氏と、溢れんばかりのプログレ愛を滾らせる若き社員たちの組み合わせ。長く続いて欲しいなあ。

 などの内容もいいが、やはり古舘伊知郎のプロレス中継ばりな文章スタイルがやたら楽しい。

 「デシプリン最終決戦」「悪のアーカイヴ・コンテンツ帝国」「周回遅れの青年実業家」「驚異の袋小路ロック」「狂気のひとり三人太鼓」とか、いったいどっから思いつくんだか。一晩じゅう寝ないで考えたんだろうか。

 いろいろあるが、屁理屈屋の多いプログレ界隈を書くには、こういうスタイルで毒消ししないと商売にならないのかも。いずれにせよ、「そういう人」のための本であって、万民に薦められる本ではないです。まあ普通の人は手に取ろうとも思わないだろうけど、それで正解です、はい。

 ちなみに冒頭でメル・コリンズを引用したのは私の趣味。だって元キャメルだし。石川さゆりさん、Never Let Go 歌ってほしいなあ。

【関連記事】

【今日の一曲】

Sandra - Maria Magdalena 1985 (HD version)

 ということで、RPJことリチャード・パーマー=ジェイムズの職人芸が堪能?できる Sandra の Maria Magdalena をどうぞ。ノってるシンガーとソレナリのベースに対し、お仕事感バリバリのドラマーと虚無感漂う鍵盤の対比が楽しいです。

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2021年9月15日 (水)

SFマガジン2021年10月号

「おまえ、ジャムか」
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 アグレッサーズ」

「私なら、この集団訴訟を、八カ月で潰します」
  ――冲方丁「マルドゥック・アノニマス」

あなたたちは人生で二人、特別な人と出会います。
  ――津久井五月「環の平和」

俺は16歳の春に目を覚ました。
  ――宝樹「時間の王」阿井幸作訳

 376頁の普通サイズ。

 特集は「1500番到達記念特集 ハヤカワ文庫JA総解説 PART2 502~998」。

 少説は10本。

 連載は3本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 アグレッサーズ」第6話の続き,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第38回,飛浩隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第10回。

 読み切りは7本。上遠野浩平「従属人間は容赦しない」,平山瑞穂「鎧う男」,津久井五月「環の平和」,三方行成「メガ奥46k」,春暮康一「主観者 後編」,宝樹「時間の王」阿井幸作訳,S・チョウイー・ルウ「年年有魚」勝山海百合訳。

 「1500番到達記念特集 ハヤカワ文庫JA総解説 PART2 502~998」。コミックやSF以外も出てきて、幅が広がってきたのがわかる。コミックは坂田靖子・吾妻ひでお・水樹和佳子・横山えいじ・佐藤史生・清原なつの・森脇真未味・とり・みき・北原文野・ふくやまけいこ・いしかわじゅん・西島大介と、少女漫画出身の人が多い。少年漫画誌のSFはバトルに流れがちだけど、少女漫画は世界観とかで唸らせるのが多いんだよなあ。谷甲州の「エリコ」は、この著者からは想像できない異色作だった。冲方丁「マルドゥック・スクランブル」のカジノの場面は凄かった。野尻抱介「クレギオン」の「サリバン家のお引越し」は自転で重力を模すシリンダー型コロニー内の航法って地味なネタながら、みっちりセンス・オブ・ワンダーが詰まってる。小川一水「天冥の標」は長いけど確かにⅠ~Ⅴのどこから入ってもいいんだよね。

 春暮康一「主観者 後編」。クルーたちはその惑星の海で見つけた生物らしきものに、慎重な接近を試みる。光が全く届かない海底で、複雑な閃光を発するもの。発光器官のしくみは見当がついた。地球の深海魚などと同じ、化学反応によるものだ。だが目的がわからない。獲物をおびき寄せるためでもなければ、異性を誘うためでもない。観察しているうちに、行動パターンに変化がみられた。

 充分な考慮を重ね慎重なアプローチで少しづつファースト・コンタクトを進めていくクルーたち。デビュー作の「オーラリメイカー」もそうだったように、読者の想像をはるかに超える異星生物の奇怪極まる生態が楽しめる極上のファースト・コンタクト作品だ。スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」やピーター・ワッツ「ブラインドサイト」と充分に肩を並べるファースト・コンタクト物の傑作。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 アグレッサーズ」第6話の続き。離陸前から、今回のアグレッサー戦への認識を改めた田村伊歩大尉。だが、どの機が敵でどの機が味方かが分からない。既に発進前の雪風による「攻撃」で、飛燕が得る画像情報があてにならないのっは分かっている。自らの目でそれぞれの動きを確かめ、その目的を探ろうとする田村大尉だが…

 コミュニケーションの手段は様々だ。この作品の面白さの一つは、マシンとヒトのコミュニケーションを高い解像度で描く点にある。今までは雪風からのメッセージを零が解釈する形だった。今回は、雪風とレイフと飛燕そしてジャムのメッセージを、暴力の化身である田村大尉がどう受け取るか。田村大尉は獣みたいな人だけど、捕食獣だけに獲物の目論見を見抜く力は優れているのだw

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第38回。<誓約の銃>のアジトであるヨット<黒い要塞>への襲撃などで得た証拠などに基づき、イースターズ・オフィス側は闘いの場を法廷にも広げる。そこで闘いを仕切るクローバー教授バロットから、バロットはアソシエート(補佐)役を仰せつかった。と同時にもう一つ、中途入学の新入生の案内も頼まれる。その新入生とは…

 はい、意外な人物です。であると主に、アレがなぜ奴を重用するのかもわかる仕掛け。ああいう世界に住む者には珍しく、感情に流されず理性的に動ける上に、視野が広く長期的に考える能力も持つのは、あの襲撃の場面で描かれていたけど、そうくるかあ。

 飛浩隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第10回。杉原香里は児玉佐知を追う。既に佐知の家に寄り、牛乳瓶に埋め尽くされた玄関を見た。甘味処の前に降りる。この先の「來間先生の家」にいるはずだ。路地に入る。空気に抵抗感がある。やはり佐知はこの先にいる。

 今回は9頁。「自分に与えられている計算量の上限を測っている」などの記述で、読みながら目を覚まされる。そうなんだよなあ、登場人物たちは、自分が計算機内の存在だと分かっているんだよなあ。ボンクラなプログラムはCPUやメモリなど資源の使用量はOS任せで、ほっとくとメモリを使いつぶしちゃったりするんだよなあ。

 平山瑞穂「鎧う男」。41で雇い止めされ借金を抱え、故郷の実家に舞い戻った的場に、中学の同級生でバンドを組んでいた棚橋から連絡がきた。棚橋の話では、やはりバンドのメンバーだった穴澤も故郷にいるという。音楽をやめた的場や棚橋と違い、的場はメジャーデビューを果たし、その後は敏腕プロデューサーとして女性アイドルグループをチャートに送り込んだが…

 「鎧う」が読めなかった。「よろう」なのか(→Goo国語辞書)。楽器に手を出したはいいが、自分の才能に見切りをつけた的場の気持ちが切ないというか、他人事じゃないw いや別に私は素人として音楽を楽しめればいい、ぐらいに思ってたけど、別の楽器を担当してるハズの人が自分より巧くギターを弾きこなした時の気分は、よく分かるw

 上遠野浩平「従属人間は容赦しない」。統和機構はヒノオを捕えたが、ウトセラ・ムビョウは行方をくらます。ヒノオから情報を引き出そうとするが、彼は何も話さない。そこで統和機構のナンバー2と目されるカレイドスコープがヒノオと話すことになった。

 リセットが「せっちゃん」でリミットが「みっちゃん」なのは巧い仕掛け(→Wikipedia)。終盤では、他にも懐かしい名前がチラホラ。

 S・チョウイー・ルウ「年年有魚」勝山海百合訳。春節を前に、夫婦は準備に余念がない。ふーだお<福倒>、逆さまにした福の字の賀紙(→Wikipedia)、福がやってくるおまじない。年年有魚、魚料理、豊かになる縁起担ぎ。

 3頁の掌編。日本じゃ正月に門松を飾りお餅を食べる。キリスト教はクリスマスにツリーを飾り七面鳥を食べる。多くの文化で、特定の日に特定の飾りをして特別な物を食べる。それぞれの飾りや食べ物には、祈りや願いが込められている。小さな幸せの象徴…とか思ってたら、なんじゃこりゃあ。

 津久井五月「環の平和」。宮下玲が生まれる前に交感が開発された。他人が知覚する光景や思い浮かべるイメージを知り理解する技術だ。人々の結束を強めると思われたが、実際は逆だった。世界は少数のリーダーと、それに集う多数の人々に分かれる。それぞれの集団はいがみあい、争い合う。これを解決するために環の平和実験が行われる。玲hその被験者だ。

 はい、まるきしインターネットのよるエコーチェンバーというかタコツボ化というか。実際、音楽の世界でも、少数のスーパースターと多数の稼げないミュージシャンの差は広がるばかり(→「50 いまの経済をつくったモノ」)。ラジオもネット化してチャンネル数が増え選択肢が広がったためプログレが好きな私はウハウハだけど、日本の流行歌はサッパリ知らず会話に難が出たり。中波ラジオで聞いてた頃はソレナリについていけたんだが。

 宝樹「時間の王」阿井幸作訳。1994年。十歳で入院したとき、俺は同い年の琪琪(チーチー)と出会った。「人って死んだらどこに行くと思う?」 入院患者で同年齢の子は俺と琪琪だけ。数カ月の入院中、俺たちは一緒に遊んだ。琪琪は急性白血病で、長くはなかった。

 冒頭は「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」を思わせるファンタジイっぽい仕掛けで、何度も出会う二人を描きつつ、終盤のオチでは読者に解釈の余地を与えながら静かな余韻を残す。「中国のカジシン」は言い得て妙。

 三方行成「メガ奥46k」。メガスケール大奥、略してメガ奥の開闢より4万6千年少し。延々と連なる車列から、早起きしたエンリコは親方に捕まってしまう。マワシをつけ八景を見回す親方。だが今朝もチャンクは見当たらない。こうやってチャンクを探すのが巡業だ。

 大奥と力士と牛の三題噺。にしても、どうすりゃこれだけ狂った話が創れるのかw 「化粧が終わればマワシである」とかの言葉遊びが楽しい作品。徳川家安の次が徳川家無料ってw そう読ませるかあw 「巡業」「取り組み記録」「年寄株」のこじつけもいいし、「力士」が妙にSFしてるのもw

 伴名練「『日本SFの臨界点』編纂の記録2021」。正確な書誌情報を集める方法はマニアにとってとても役に立つ。また同時期に書いた週刊少年ジャンプの記事では、いかに読者をSF沼に引きずり込むかの工夫が見事。やっぱり手に入れやすいかどうかは大事だよね。

 大森望の新SF観光局「ハヤカワ文庫JAのSFベスト55」。もっと頁数を寄越せ、という筆者の叫びが聞こえてきそうな紙面w そりゃベストnとかやると、ついそうなるよねw

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2021年9月 3日 (金)

アンドリュー・ナゴルスキ「隠れナチを探し出せ 忘却に抗ったナチ・ハンターたちの戦い」亜紀書房 島村浩子訳

本書では、世界がナチスの犯罪を忘れないように、彼らの当初の成功を覆すことに尽力した比較的少数の人々に焦点を当てる。(略)その過程で悪の本質にまで踏み込み、人間の行動について難題を提起した。
  ――はじめに

【どんな本?】

 ナチ・ハンター。ユダヤ人大虐殺を主導または積極的に協力しながら、それを隠して暮らす者たちの過去を暴き追い詰め、法廷に引き出し罪を明らかにしようとする者たち。ジーモン・ヴィーゼンタールなど有志の個人もいれば、イスラエルのモサドが組織的に狩る場合もある。また政府を動かそうとする合衆国下院議員のエリザベス・ボルツマンのような政治家や、ドイツの判事フリッツ・バウアーやポーランドの判事ヤン・ゼーンなど法律家の努力もあった。

 彼らはどんな人間なのか。なぜナチ・ハンターになったのか。どうやって元ナチを追い詰めたのか。彼らは何を目指し、何を変えたのか。そして元ナチはどんな人間なのか。

 ユダヤ人大虐殺を記録として残し人々の記憶に焼き付けるために闘った人たちの足跡を追い、その実績と人柄を明らかにするとともに、ドイツとイスラエルはもちろんアメリカ・フランス・オーストリア・ブラジル・ボリビア・アルゼンチン・パラグアイなどの諸国と元ナチの関わりを明らかにする、現代のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Nazi Hunters, by Andrew Nagorski, 2016。日本語版は2018年1月17日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約463頁に加え、訳者あとがき6頁。9.5ポイント43字×17行×463頁=約338,453字、400字詰め原稿用紙で約847枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないが、第二次世界大戦の欧州戦線の概要を知っていた方がいい。とりあえず東欧諸国およびバルカン半島諸国が一時期は枢軸側の支配下にあった、ぐらいで充分。

 冒頭に登場人物一覧があるのはありがたい。ついでにWJC(世界ユダヤ人会議)などの略語が多く出てくるので、略語一覧が欲しかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、できれば頭から読んだ方がいい。

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  • 登場人物紹介
  • はじめに
  • 第1章 絞首刑執行人の仕事
  • 第2章 目には目を
  • 第3章 共謀の意図
  • 第4章 ペンギン・ルール
  • 第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語
  • 第6章 より邪悪でないほう
  • 第7章 不屈のハンターたち ヴィーゼンタールとバウアー
  • 第8章 アイヒマン拉致作戦
  • 第9章 怪物か、悪の凡庸か アイヒマンとハンナ・アーレント
  • 第10章 小市民
  • 第11章 忘れられない平手打ち
  • 第12章 模範的市民という仮面
  • 第13章 ラパスへ
  • 第14章 戦中の嘘
  • 第15章 亡霊を追って
  • 第16章 旅の終わり
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 シャーロック・ホームズみたいな緻密なミステリや007みたいなスパイ活劇を期待すると、肩透かしを食う。

 一応「第8章 アイヒマン拉致作戦」でモサドが(アドルフ・)アイヒマン(→Wikipedia)を捕まえるあたりでスパイ・アクションが生々しく展開するが、それぐらいだ。誘拐の時に目撒くしとかベッドにつなぐとか、ホントなんだね。モサドの活躍が知りたい人は「イラク原子炉攻撃!」「モサド・ファイル」「ミュンヘン」がお薦め。

 実は最も多いのが、判事などの司法関係者。元ナチの裁判に関わった人たちだ。例えば…

  • ニュルンベルク裁判(→Wikipedia)首席検事ベンジャミン・フェレンツ(→ホロコースト百科事典)
  • ポーランド人調査判事ヤン・ゼーン
  • ドイツ人判事フリッツ・バウアー

 もちろん、私たちが思い浮かべるナチ・ハンターも登場する。

  • ジーモン・ヴィーゼンタール(→Wikipedia)
  • トゥヴィア・フリードマン
  • ベアテ・クラルスフェルト(→Wikipedia)&セルジュ・クラルスフェルト(→Wikipedia)

 こういった人々に焦点をあてつつ、その背景にある世界や世論の変化も描いてゆく。全体を通し著者は、ハンターたちの行いを「事実を明るみに引きずり出した」と讃えている。

戦後の裁判は罪人を処罰することだけが目的ではなかった。歴史的記録を残すうえできわめて重要だったのである。
  ――第3章 共謀の意図

 歴史に記した事こそが最大の功績である、と。

モサド長官イサル・ハウエル
「史上初めて、ユダヤ人を惨殺した人間をユダヤ人が裁く機会となる」
「史上初めて全世界に、イスラエルの若い世代に、一つの民族の全滅が命じられた物語が余すところなく語られる」
  ――第8章 アイヒマン拉致作戦

 もちろん、そこには復讐の念もある。

モサド高官「彼ら(元ナチ)がこの世を去る最後の日まで一瞬たりと平穏な時間を過ごせなくしてやるのだ」
  ――第11章 忘れられない平手打ち

 家族や親しい人を殺されて恨みに思うのは当たり前だが、それだけじゃない。彼らの無念を募らせたのは、世間の対応もある。ほじくり返すな、忘れよう、なかったことにしよう、当初はそういう反応が多かったのだ。

ニュルンベルク裁判首席検事ベンジャミン・フェレンツ
「ドイツにいたあいだに、わたしに近寄ってきて後悔の言葉を述べたドイツ人は一人もいなかった」
  ――第4章 ペンギン・ルール

セルジュ・クラルスフェルト「1965年の時点では、西側からアウシュヴィッツへ行こうとする人間なんていなかった」
  ――第11章 忘れられない平手打ち

ドイツ週刊誌「デア・シュピーゲル」記者クラウス・ヴィーグレーフェ
「アウシュヴィッツで行われた犯罪が正しく罰せられなかったのは、数人の政治家や判事の妨害に逢ったからではない」
「犯罪者を断固有罪にし、罰しようとする人々があまりに少なかったからだ。多くのドイツ人はアウシュヴィッツで起きた大量殺人に1945年以降、ずっと無関心のままだった」
  ――第16章 旅の終わり

 とまれ、そこには連合国側の思惑もある。対ドイツ戦が終わると冷戦が始まり、ナチ戦犯より赤狩りが重要になったのだ。日本の逆コース(→Wikipedia)みたいなモンです。その過程で、かのペーパークリップ作戦(→Wikipedia)のように連合軍も元ナチを匿い利用しようとする。

最新の文書の日付は1951年3月27日。(米国)陸軍諜報工作員二名による報告書で、彼らは(クラウス・)バルビー(→Wikipedia)に“アルトマン”名義の偽造証明書をわたしてジェノバまでつき添い、そこから南米へと送り出していた。
  ――第13章 ラパスへ

 そんな中、ナチ・ハンターたちは証拠を集め元ナチを司法の場に引きずり出し、マスコミも動かして世間の空気を変えてゆく。もっとも、なかなか届けるべき人には届かないんだけど。

「(アウシュヴィッツ裁判の新聞記事を)一番読む必要のある人たちが読みたいと思っていないのは確か」
  ――第10章 小市民

 こういうのは、どの国でも同じだよね。私も極右系の本や記事はまず読まないし。それに誰だって元加害者より元被害者の方が居心地いい。

「オーストリア人は、ベートーヴェンがオーストリア人で、ヒトラーがドイツ人だと世界に信じさせたからな」
  ――第14章 戦中の嘘

 それはともかく、やっぱり文字より映像の方が影響力は大きかったようで…

映画『ニュルンベルク裁判 現代への教訓』について米軍政府情報官
「われわれはナチズムについて三年かけてドイツ国民に語ってきたが、この80分間の映画のほうがより多くのことを伝えられる」
  ――第6章 より邪悪でないほう

 とまれ、そういった雰囲気を変える最大のキッカケは、モサドによるドルフ・アイヒマン(→Wikipedia)の誘拐とイスラエルにおける裁判だろう。これは国際的に大きな騒ぎとなり、アイヒマンの動機を巡り大きな論争を巻き起こす。

モサド長官イサル・ハウエル
「いったいどうして、こんなごくふつうにみえる人間が怪物になったのか?」
  ――第8章 アイヒマン拉致作戦

 中でも最も有名な論客はハンナ・アーレント(→Wikipedia)だろう。裁判を取材し著作「エルサレムのアイヒマン」で「悪の凡庸さ」を語り、今なお論戦は続いている。

(アドルフ・)アイヒマンを突き動かしていたのはイデオロギーやユダヤ人に対する憎しみではなく、出世第一主義(略)だった、と(ハンナ・)アーレントは主張した。(略)言い換えるなら、ナチの体制が標的としさえしたら、彼は人種や信仰に関係なくどんなグループであろうと、何百万人もの人々を死に追いやったということだ。
  ――第9章 怪物か、悪の凡庸か アイヒマンとハンナ・アーレント

 もちろん、これに反論する人もいる。

哲学者ベッティーナ・シュタングネト
「人の命を軽んじるイデオロギーは、伝統的な正義の概念や倫理を否定する行動が合法化される場合、自称支配民族の一員にとってきわめて魅力的に映る」
  ――第9章 怪物か、悪の凡庸か アイヒマンとハンナ・アーレント

 ヤバい奴はヤバい空気をチャンスと思う、そういう事です。「国際社会と現代史 ボスニア内戦」とかを読むと、この意見に同意したくなるんだよなあ。

 私の考えは、というと。やはりアイヒマンはヤバい奴だと思う。官僚として有能なのは、みんな認めてる。ただ、有能なだけじゃ熱心に仕事はしない。きっと好きだったんだ、その仕事が。仕事が孤児や捕虜の保護だったら、怠けるか転属を申し出ただろう。やる気にいなれないから。他の商売でも、優れたギタリストはギターが好きだし、優れたプログラマはプログラミングが好きだもん。

 「仕事だから仕方なく」と言うのはアイヒマンに限らず、ほぼ全ての元ナチに共通してる。例えばアウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘース(ナチ党副総統ルドルフ・ヘスとは別人、→Wikipedia)。

「わたしは個人的に誰かを殺したわけじゃない。私はアウシュヴィッツにおける絶滅計画の責任者だっただけだ。命令したのはヒトラーで、それがヒムラーによって伝えられ、移送に関してはアイヒマンから指示があった」
  ――第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語

 そうは言うものの、仕事の中身はちゃんと判ってた。

「ユダヤ人問題の“最終的解決”とは、ヨーロッパにおけるユダヤ人を一人残らず完全に絶滅させることを意味した」
  ――第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語

 そして、自分の仕事を誇りに思っていた。

「わたしの心は総統とその理想とともにあった。なぜなら、それは滅びてはならぬものだからだ」
  ――第5章 忘れられたナチ・ハンター、ヤン・ゼーンの物語

 加えて、いささか衝撃的な発言も飛び出る。「普通の人々」も実態に気が付いていた、と。

「絶え間なく死体を焼却しているせいで吐き気をもよおす悪臭があたりにたちこめ、近隣の住民はみな、アウシュヴィッツで大量殺人が行われていることを知っていた」

 これらはアウシュヴィッツ裁判(→Wikipedia)を通し、人々に考え方を変えるようメッセージを発してゆく。

アウシュヴィッツ裁判判事ハンス・ホフマイヤー
「“小市民”は先導したわけではないから無罪だとするのは間違いだ」
「彼らは絶滅計画を机上で作成した者に劣らず、その実施において重大な役割を果たした」
  ――第10章 小市民

 そして、歴史観も変えるべし、と迫る。例えばヒトラー暗殺事件(→Wikipedia)の首謀者たちも、反逆者ではなく愛国者である、と。

ドイツ人判事フリッツ・バウアー
抵抗者らが「ヒトラーを排除し、それによりヒトラーの体制を排除しようとしたのは、祖国への熱き愛と国民に対する自己犠牲も厭わぬ無私の責任感からであった」
  ――第7章 不屈のハンターたち ヴィーゼンタールとバウアー

 終戦についても…

ドイツ大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(→Wikipedia)「あれ(終戦)は解放の日だった」
  ――第16章 旅の終わり

 これまた被害者ぶってると言えなくもないが、太平洋戦争敗戦後の日本人も、そう感じる人が多かったんじゃなかろうか。「やっと終わった」と。

 そんな風に、世論までも動かすナチ・ハンターたちは、どんな風に思われていたのか、というと。

(アリベルト・)ハイム(→Wikipedia)が――そして十中八九他の逃亡戦犯も(ジーモン・)ウィーゼンタールを恐れ、ほぼ全能の復讐者という世間的なイメージを信じていたのは確かだった。
  ――第15章 亡霊を追って

 KGBの組織力・調査力とシャーロック・ホームズの推理力、そしてインディ・ジョーンズの行動力を兼ね備えたスーパーマンみたいな印象だろうか。でも実際は「探偵1/3、歴史学者1/3、ロビイスト1/3」と地味なモンだったり。探偵にしたって、コナン君みたいなアクション型じゃなく安楽椅子探偵だしなあ。

 その相手の元ナチも豪邸に住み番犬にシェパードを飼う貴族然とした暮らしってワケじゃなく…

「わたしが相手にする元ナチはたいていが、危険な軍閥とはほど遠い70代か80代の白髪頭の凡人で、クリーブランドやデトロイトの郊外でぱっとしない余生を送っている」
  ――第12章 模範的市民という仮面

 はい、たいていの場合、現実は地味なんです。

 もっとも、中には華々しい立場に返り咲く者もいた。終盤では、その象徴でもある国連事務総長でありオーストリア大統領にもなったクルト・ヴァルトハイム(→Wikipedia)をめぐり、ナチ・ハンター同士の内輪もめが描かれる。

 バルカン半島でのヴァルトハイムの階級は中尉。歩兵なら中隊長か小隊長で200人程度の部下がいる立場だが、彼の役割は通訳または情報将校だから部下はいても数人だろう。疑いはマケドニアで三つの村の虐殺に関わったというもの。

 騒ぎになった1986年当時、ヴァルトハイムは大統領選に出馬していた。選挙ともなれば、参加陣営はDisの応酬になる。ここでヴァルトハイムの過去を持ち出せば、選挙に向けた宣伝ととられかねない…というか、ヴァルトハイム側は確実に「それは対抗陣営の選挙宣伝だ」と叫ぶだろう。

 実際、スキャンダルは国際的なニュースとなり、オーストリアは多くの非難を浴びるが、逆にオーストリアではナショナリズムに火を点け、ヴァルトハイムの当選に結びつく。

「当初は“ヴァルトハイムを選べ、世界は彼を愛している”がスローガンだった」
「いまや“ヴァルトハイムを選べ、世界は彼を憎んでいる”だ」
  ――第14章 戦中の嘘

 この件では「どう動くか」を巡り、ナチ・ハンター間での激しい対立が起きる。このあたりでは、理想通りにいかない切なさを感じるものの、同時に彼らも豊かな感情を持ちの血が通った人間なんだなあ、としみじみ感じたり。

ジーモン・ヴィーゼンタール・センターのエルサレム支局長エフライム・ズロフ
「ほかのナチ・ハンターについて、いいことを言うナチ・ハンターには一度も会った事がない」
「嫉妬や競争心、すべてそういうもののせいだ」
  ――第16章 旅の終わり

 どうでもいいがジーモン・ヴィーゼンタール・センターはジーモン・ヴィーゼンタールが作ったんじゃなくて、名前を貸してるだけなのね。ギブソン・レスポールみたいな関係か←一般人に通じない例えはやめろ

 原動力が正義感か私怨か名誉欲かはともかく、彼らの粘り強い働きは単に元ナチを吊るし上げるだけに留まらず、人々が歴史に向かい合う姿勢を大きく変えたのは事実だ。じゃ日本はというと、相変わらず目を背け続けている。それでも、いやそれだからこそ、歴史を掘り返す意味はあるんだと思う。

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