« リチャード・C・フランシス「家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」白揚社 西尾香苗訳 | トップページ | SFマガジン2021年8月号 »

2021年6月29日 (火)

スチュアート・D・ゴールドマン「ノモンハン1939 第二次世界大戦の知られざる始点」みすず書房 山岡由美訳 麻田雅文解説

本書は(略)第二次世界大戦の起源の解明という(略)試みにおいて、(略)ノモンハン事件というピースが見落とされている、あるいは誤った場所にはめこまれているという事実に光を当てるものである。
  ――序

(1937年に始まった日中戦争で)日本が中国の深みにはまり込んだことはソ連が極東にかかえる脅威を大幅に減じ、果たしてソ連の対日政策を転換させた。モスクワは、日本に対する宥和の必要がなくなったのである。
  ――第2章 世界の状況

【どんな本?】

 1939年5月から9月にかけて、当時の満州国とモンゴル共和国の国境をめぐり、大日本帝国(満州国)とソ連・モンゴル連合軍が衝突する。日本の歴史教科書ではノモンハン事件と名づけられ、第二次世界大戦の戦史でも軽く扱われがちな戦いだが、実際には両陣営を合わせ10万人以上の兵力が戦いに加わっており、モンゴルでは「ハルハ河の会戦」と呼ばれている。

 このノモンハンの軍事衝突こそが第二次世界大戦の機転となった、そう著者は主張する。

 大日本帝国はもちろん1991年のソ連崩壊に伴い公開されたソ連および赤軍関係の情報も含めた大量の資料を漁り、当時の世界情勢および各国政府の重要人物の目論見を分析した上で、第二次世界大戦の起源へと迫る、外交・軍事研究書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は NOMONHAN, 1939 : The Red Army's Victory That Shaped World Wide War Ⅱ, by Stuart D. Goldman, 2012。日本語版は2013年12月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約272頁に加え、麻田雅文の解題13頁+訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×272頁=約237,728字、400字詰め原稿用紙で約595枚。文庫なら少し厚めの文字数。

 軍事系の本のわりに文章はこなれている。あくまでも軍事系の本にしてはなので、慣れない人は堅苦しく感じるかも。おまけに外交文書からの引用もあって、まわりくどい言い回しも多い。脳内でド・モルガンの法則を使い二重否定を肯定に変換するなどの工夫をしよう。

 ノモンハンの戦いが当時の国際情勢にどう影響したか、を語る本だ。日本とソ連はもちろん、ドイツ・イギリス・フランスそして中国が主なプレイヤーとして登場する。なので、1930年代後半~1940年代前半の主な出来事について、ある程度は知っておいた方がいい。

【構成は?】

 原則として時系列順に進む。初心者は素直に頭から読もう。ただし「もし日本が南進ではなく北進していたら…」と考える人は、いきなり第7章を読んでもいい。

クリックで詳細表示
  • 謝辞
  • 第1章 過去の遺産
    戦争と革命/スターリンの産業革命/日本における恐慌、超国家主義、軍国主義/日ソ関係の悪化
  • 第2章 世界の状況
    ファシズムの脅威の出現と人民戦線・統一戦線/乾岔子島事件/日中戦争/ドイツと日本/西側民主主義諸国と日本・ドイツ・ソ連の関係/マドリードとミュンヘン 西欧における統一戦線の失敗/スターリン、徒手空拳の六カ月/分岐点/日独軍事同盟の行方
  • 第3章 張鼓峰
    幕開け/戦闘/張鼓峰の意味
  • 第4章 ノモンハン 序曲
    背景/関東軍の姿勢/紛争の発生/5月28日の戦闘
  • 第5章 ノモンハン 限定戦争における戦訓
    関東軍の七月攻勢/ジューコフの八月攻勢/脱出行動後の動き
  • 第6章 ノモンハン、不可侵条約、第二次世界大戦の勃発
    ノモンハンと不可侵条約/ソ連と日本の緊張緩和
  • 第7章 揺曳するノモンハンの影
    戦訓の選択/ノモンハン、そして真珠湾への道/歴史の岐路に立って考える/ノモンハンと限定戦争
  • 結語
  • 原注/解題 麻田雅文/訳者あとがき/写真一覧/参考文献/索引

【感想は?】

 軍ヲタが太平洋戦争を語る際に、よく出る話題がある。北進と南進の話だ。筋書きはこんな感じ。

  • 当時の日本は北進=対ソ連と南進=対英米欄仏の二方針で議論があった。
  • ところがノモンハンの戦いで日本は赤軍にボロ負けする。
  • そのため日本はソ連にビビり、北進を諦め南進に転じた。
  • それを日本にいたソ連のスパイのゾルゲが嗅ぎつけ、スターリンにチクる。
  • スターリンはドイツと日本の挟み撃ちを恐れていた。
  • 日本の脅威がないと安心したスターリンは極東の赤軍を対ドイツに振り向け、独ソ戦の逆転につなげる。
  • では、もし日本が北進=対ソ連に舵を切っていたら?

 極論すると、この本はそういう内容だ。特に第7章が詳しいので、お急ぎの方は第7章からお読みください。例えば、ノモンハン戦で日本が赤軍の評価を変えたことを、こう書いている。

ノモンハン事件を契機に、日本が赤軍についての評価に抜本的な修正を加えたのは確かである。またソ連の力をむやみにあなどることもなくなった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 これにより北進から南進に変わった事についても、こんな感じ。

ノモンハン事件で関東軍の味わった苦い経験は深い刻印を残し、それが北進から南進への日本の方針転換の主な原因となった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 そしてゾルゲが掴んだネタが独ソ戦に与えた影響については…

1941年秋、歩兵15個師団、騎兵3個師団、戦車1700両、軍用機1500機――言い換えるならソ連極東軍の戦力の半分以上――が東部からヨーロッパ・ロシアに移された。大半はモスクワ戦線に送られている。モスクワ攻防戦は、これによって流れが変わった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 となって、大胆な結論へと至る。

日本の軍首脳部が1941年の段階で、ノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していたとすると、事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろう。もし1941年7月または8月に北進が決定されていたなら、おそらくソ連は崩れ去っていたと思われる。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 つまりは、そういう結論に向かって、証拠を積み重ねていく本である。多くの軍ヲタ・歴史ヲタは、この時点で評価を決めるだろう。申し訳ないが、私は評価を下せるほど知識がないので、今は保留したい。

 ノモンハンの戦いは、日本でもあまり知られていない。ソ連とモンゴルじゃ有名だが、西欧とアメリカでは日本以上に知られていない。そういった状況への苛立ちというか、学者としては美味しいテーマを見つけたぞ、みたいな興奮が滲み出ている気がする。

 とはいえ、著者の筆は慎重だ。第1章では黒船来航から日露の歴史を辿り、第2章以降ではソ連を中心に独仏英との外交交渉をじっくり描く。ノモンハンの戦いについても、日ソそして中国の関係を、第3章からきめ細かく辿ってゆく。

 戦闘を描くのは第5章で、ここでは大日本帝国の困った点が嫌と言うほど書いてあるので覚悟しよう。ここを読むと、負けるべくして負けたのがよく分かる。

 敗因は、まず政治にある。そもそも大日本帝国は政策が一貫していない。現場の関東軍は対ソ全面戦争上等と前のめりだが、東京の陸軍省と参謀本部は外交的解決に望みをつなぎ及び腰。そのため偵察機を飛ばせないなど、戦術に足かせをかける。対してソ連はスターリン→ジューコフのラインに一本化されつつも指揮はジューコフに一任され、お陰で潤沢な補給が受けられた。

 これが兵站・火力・兵力の差となって現れる。当時の最大の輸送力である鉄道駅からの距離はソ連側に不利なのだが、そこはゴリ押しだ。例えば輸送能力では…

1939年時点で満州国にあった自動車のうち関東軍が使用できるものはわずか800台にすぎず、ソ連が4200台以上の自動車を動員して兵站業務を進めていたことなど、日本側には想像だにできなかった。
  ――第5章 ノモンハン 限定戦争における戦訓

 火力も砲の威力と射程距離など、ソ連が圧倒的に優勢だ。おまけに、最初は有効だったBT-5(→Wikipedia)/BT-7(→Wikipedia)戦車への火炎瓶攻撃も、カバーをかけガソリン・エンジンをディーゼルに変え封じてしまう。トドメは名機T-34(→Wikipedia)まで登場する始末。

 ソ連の総司令官で後のベルリン陥落の立役者ジューコフ(→Wikipedia)も、意外と芸の細かい所を見せている。ピアノ線で戦車を足止めするとか、予め戦車や航空機のエンジン音を音響設備で夜ごと流して油断させた所で総攻撃とか、偽電文を流すとか。でも、基本は味方の損害を顧みない力押し。

 人としては冷酷だが、当時のソ連の軍人、それも野戦指揮官としては理想的だ。そもそも地形は平坦で見晴らしが効き、火力・兵力・機動力で優っているんだから、当然だよね。

 このノモンハンの戦いでジューコフは砲と戦車の集中運用を実戦で磨き、後の独ソ戦で腕を振るうことになる。

 そんなワケで、北進派は是非とも読んでおこう。

【関連記事】

|

« リチャード・C・フランシス「家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」白揚社 西尾香苗訳 | トップページ | SFマガジン2021年8月号 »

書評:軍事/外交」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« リチャード・C・フランシス「家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」白揚社 西尾香苗訳 | トップページ | SFマガジン2021年8月号 »