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2021年6月の7件の記事

2021年6月29日 (火)

スチュアート・D・ゴールドマン「ノモンハン1939 第二次世界大戦の知られざる始点」みすず書房 山岡由美訳 麻田雅文解説

本書は(略)第二次世界大戦の起源の解明という(略)試みにおいて、(略)ノモンハン事件というピースが見落とされている、あるいは誤った場所にはめこまれているという事実に光を当てるものである。
  ――序

(1937年に始まった日中戦争で)日本が中国の深みにはまり込んだことはソ連が極東にかかえる脅威を大幅に減じ、果たしてソ連の対日政策を転換させた。モスクワは、日本に対する宥和の必要がなくなったのである。
  ――第2章 世界の状況

【どんな本?】

 1939年5月から9月にかけて、当時の満州国とモンゴル共和国の国境をめぐり、大日本帝国(満州国)とソ連・モンゴル連合軍が衝突する。日本の歴史教科書ではノモンハン事件と名づけられ、第二次世界大戦の戦史でも軽く扱われがちな戦いだが、実際には両陣営を合わせ10万人以上の兵力が戦いに加わっており、モンゴルでは「ハルハ河の会戦」と呼ばれている。

 このノモンハンの軍事衝突こそが第二次世界大戦の機転となった、そう著者は主張する。

 大日本帝国はもちろん1991年のソ連崩壊に伴い公開されたソ連および赤軍関係の情報も含めた大量の資料を漁り、当時の世界情勢および各国政府の重要人物の目論見を分析した上で、第二次世界大戦の起源へと迫る、外交・軍事研究書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は NOMONHAN, 1939 : The Red Army's Victory That Shaped World Wide War Ⅱ, by Stuart D. Goldman, 2012。日本語版は2013年12月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約272頁に加え、麻田雅文の解題13頁+訳者あとがき3頁。9ポイント46字×19行×272頁=約237,728字、400字詰め原稿用紙で約595枚。文庫なら少し厚めの文字数。

 軍事系の本のわりに文章はこなれている。あくまでも軍事系の本にしてはなので、慣れない人は堅苦しく感じるかも。おまけに外交文書からの引用もあって、まわりくどい言い回しも多い。脳内でド・モルガンの法則を使い二重否定を肯定に変換するなどの工夫をしよう。

 ノモンハンの戦いが当時の国際情勢にどう影響したか、を語る本だ。日本とソ連はもちろん、ドイツ・イギリス・フランスそして中国が主なプレイヤーとして登場する。なので、1930年代後半~1940年代前半の主な出来事について、ある程度は知っておいた方がいい。

【構成は?】

 原則として時系列順に進む。初心者は素直に頭から読もう。ただし「もし日本が南進ではなく北進していたら…」と考える人は、いきなり第7章を読んでもいい。

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  • 謝辞
  • 第1章 過去の遺産
    戦争と革命/スターリンの産業革命/日本における恐慌、超国家主義、軍国主義/日ソ関係の悪化
  • 第2章 世界の状況
    ファシズムの脅威の出現と人民戦線・統一戦線/乾岔子島事件/日中戦争/ドイツと日本/西側民主主義諸国と日本・ドイツ・ソ連の関係/マドリードとミュンヘン 西欧における統一戦線の失敗/スターリン、徒手空拳の六カ月/分岐点/日独軍事同盟の行方
  • 第3章 張鼓峰
    幕開け/戦闘/張鼓峰の意味
  • 第4章 ノモンハン 序曲
    背景/関東軍の姿勢/紛争の発生/5月28日の戦闘
  • 第5章 ノモンハン 限定戦争における戦訓
    関東軍の七月攻勢/ジューコフの八月攻勢/脱出行動後の動き
  • 第6章 ノモンハン、不可侵条約、第二次世界大戦の勃発
    ノモンハンと不可侵条約/ソ連と日本の緊張緩和
  • 第7章 揺曳するノモンハンの影
    戦訓の選択/ノモンハン、そして真珠湾への道/歴史の岐路に立って考える/ノモンハンと限定戦争
  • 結語
  • 原注/解題 麻田雅文/訳者あとがき/写真一覧/参考文献/索引

【感想は?】

 軍ヲタが太平洋戦争を語る際に、よく出る話題がある。北進と南進の話だ。筋書きはこんな感じ。

  • 当時の日本は北進=対ソ連と南進=対英米欄仏の二方針で議論があった。
  • ところがノモンハンの戦いで日本は赤軍にボロ負けする。
  • そのため日本はソ連にビビり、北進を諦め南進に転じた。
  • それを日本にいたソ連のスパイのゾルゲが嗅ぎつけ、スターリンにチクる。
  • スターリンはドイツと日本の挟み撃ちを恐れていた。
  • 日本の脅威がないと安心したスターリンは極東の赤軍を対ドイツに振り向け、独ソ戦の逆転につなげる。
  • では、もし日本が北進=対ソ連に舵を切っていたら?

 極論すると、この本はそういう内容だ。特に第7章が詳しいので、お急ぎの方は第7章からお読みください。例えば、ノモンハン戦で日本が赤軍の評価を変えたことを、こう書いている。

ノモンハン事件を契機に、日本が赤軍についての評価に抜本的な修正を加えたのは確かである。またソ連の力をむやみにあなどることもなくなった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 これにより北進から南進に変わった事についても、こんな感じ。

ノモンハン事件で関東軍の味わった苦い経験は深い刻印を残し、それが北進から南進への日本の方針転換の主な原因となった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 そしてゾルゲが掴んだネタが独ソ戦に与えた影響については…

1941年秋、歩兵15個師団、騎兵3個師団、戦車1700両、軍用機1500機――言い換えるならソ連極東軍の戦力の半分以上――が東部からヨーロッパ・ロシアに移された。大半はモスクワ戦線に送られている。モスクワ攻防戦は、これによって流れが変わった。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 となって、大胆な結論へと至る。

日本の軍首脳部が1941年の段階で、ノモンハン事件以前と変わらず赤軍を過小評価していたとすると、事態はまったく違う方向へ進んでいたことだろう。もし1941年7月または8月に北進が決定されていたなら、おそらくソ連は崩れ去っていたと思われる。
  ――第7章 揺曳するノモンハンの影

 つまりは、そういう結論に向かって、証拠を積み重ねていく本である。多くの軍ヲタ・歴史ヲタは、この時点で評価を決めるだろう。申し訳ないが、私は評価を下せるほど知識がないので、今は保留したい。

 ノモンハンの戦いは、日本でもあまり知られていない。ソ連とモンゴルじゃ有名だが、西欧とアメリカでは日本以上に知られていない。そういった状況への苛立ちというか、学者としては美味しいテーマを見つけたぞ、みたいな興奮が滲み出ている気がする。

 とはいえ、著者の筆は慎重だ。第1章では黒船来航から日露の歴史を辿り、第2章以降ではソ連を中心に独仏英との外交交渉をじっくり描く。ノモンハンの戦いについても、日ソそして中国の関係を、第3章からきめ細かく辿ってゆく。

 戦闘を描くのは第5章で、ここでは大日本帝国の困った点が嫌と言うほど書いてあるので覚悟しよう。ここを読むと、負けるべくして負けたのがよく分かる。

 敗因は、まず政治にある。そもそも大日本帝国は政策が一貫していない。現場の関東軍は対ソ全面戦争上等と前のめりだが、東京の陸軍省と参謀本部は外交的解決に望みをつなぎ及び腰。そのため偵察機を飛ばせないなど、戦術に足かせをかける。対してソ連はスターリン→ジューコフのラインに一本化されつつも指揮はジューコフに一任され、お陰で潤沢な補給が受けられた。

 これが兵站・火力・兵力の差となって現れる。当時の最大の輸送力である鉄道駅からの距離はソ連側に不利なのだが、そこはゴリ押しだ。例えば輸送能力では…

1939年時点で満州国にあった自動車のうち関東軍が使用できるものはわずか800台にすぎず、ソ連が4200台以上の自動車を動員して兵站業務を進めていたことなど、日本側には想像だにできなかった。
  ――第5章 ノモンハン 限定戦争における戦訓

 火力も砲の威力と射程距離など、ソ連が圧倒的に優勢だ。おまけに、最初は有効だったBT-5(→Wikipedia)/BT-7(→Wikipedia)戦車への火炎瓶攻撃も、カバーをかけガソリン・エンジンをディーゼルに変え封じてしまう。トドメは名機T-34(→Wikipedia)まで登場する始末。

 ソ連の総司令官で後のベルリン陥落の立役者ジューコフ(→Wikipedia)も、意外と芸の細かい所を見せている。ピアノ線で戦車を足止めするとか、予め戦車や航空機のエンジン音を音響設備で夜ごと流して油断させた所で総攻撃とか、偽電文を流すとか。でも、基本は味方の損害を顧みない力押し。

 人としては冷酷だが、当時のソ連の軍人、それも野戦指揮官としては理想的だ。そもそも地形は平坦で見晴らしが効き、火力・兵力・機動力で優っているんだから、当然だよね。

 このノモンハンの戦いでジューコフは砲と戦車の集中運用を実戦で磨き、後の独ソ戦で腕を振るうことになる。

 そんなワケで、北進派は是非とも読んでおこう。

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2021年6月25日 (金)

リチャード・C・フランシス「家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか」白揚社 西尾香苗訳

家畜化された動物はどれもみなおなじみのものであるため、その性質がどのように変化してきたのか理解しやすい。進化生物学の近年の進展や最新の知見を家畜化というレンズを通して考察したい。それが、本書でわたしが主に目指していることだ。
  ――はじめに

新しく進化した発生過程ほど進化による変更が生じやすい。
  ――第5章 進化について考えてみよう

【どんな本?】

 ロシアの遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフは画期的な実験を成功させた。本来なら人に慣れないギンギツネを巧みに交配し、人懐こい品種を作り出したのだ。交配の基準はただ一つ、人懐こさだけ。

 奇妙なことに、交配を重ねたギンギツネには、人懐こさ以外にも違いが現れる。茶や斑など毛色のバリエーションが増し、顔の幅が短くなり、垂れ耳や巻き毛も現れ、尾まで振る。

 人懐こさだけで選んだのに、なぜこんな変化が現れたのか。このような変化は、イヌ・ネコ・ウシなど他の人に飼われる哺乳類にも起きたのか。人に飼われる事が、動物たちにどんな効果を及ぼすのか。それは、ヒトにも影響を及ぼすのか。

 進化神経生物学の研究者からサイエンス・ライターになった著者が、家畜化をテーマに現代の進化生物学の基礎と楽しいトピックを紹介する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Domesticated : Evolution in a Man-Made World, by Richard C. Francis, 2015。日本語版は2019年9月30日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約437頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント47字×19行×437頁=約390,241字、400字詰め原稿用紙で約976枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はやや硬い。著者は研究者からサイエンス・ライターになった人で、日頃は専門家向けの論文ばかりを読んでるんだろう。内容もけっこう専門的で、高校卒業程度の生物学の素養が必要。

【構成は?】

 教科書として読むなら、「はじめに」から素直に読むのがいい。理論的な基礎を前の方で堅め、具体例を個々の家畜で見ていく構成だ。が、野次馬根性で読むなら、好きな動物から読み始めても充分に楽しめる。ただ、イヌ派とウマ派には、気持ち的に少々厳しい試練があるかも。

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  • はじめに
  • 第1章 キツネ
  • 第2章 イヌ
  • 第3章 ネコ
  • 第4章 その他の捕食者
  • 第5章 進化について考えてみよう
  • 第6章 ブタ
  • 第7章 ウシ
  • 第8章 ヒツジとヤギ
  • 第9章 トナカイ
  • 第10章 ラクダ
  • 第11章 ウマ
  • 第12章 齧歯類
  • 第13章 人間 Ⅰ 進化
  • 第14章 人間 Ⅱ 社会性
  • 第15章 人新世
  • エピローグ
  • 付録1 第5章の補足A 「現代的総合」は「拡張された総合」へ向かうのか?
  • 付録2 第5章の補足B ゲノミクスと系統樹
  • 付録3 第7章の補足 在来種から品種へ
  • 付録4 第10章の補足 ラクダの側対歩
  • 付録5 第11章の補足A ウマの進化
  • 付録6 第11章の補足B ウマ品種の系統
  • 付録7 第12章の補足 エピジェネティクスという次元
  • 付録8 第14章の補足 進化生物学・進化人類学・進化心理学
  • 付録9 第15章の補足 火の使用とその結果
  • 謝辞/訳者あとがき/註と参考文献/索引

【感想は?】

 「まえがき」で、いきなり驚いた。

多くの場合、家畜化過程をスタートさせるのは人間ではなく動物自身である。
  ――はじめに

 副題に「人間はいかに動物を変えたか」とあるから、人間が動物を捕まえて家畜にしたように思える。だが、たいていの場合は違うのだ。まず、動物がヒトの近くで暮らし始め、ヒトがソレを受け入れる…というか、追い払わない。動物が世代を重ねるごとにヒトとの暮らしに適した生態に変わり、ヒトも動物を利用し始める。まず動物から近づいてきたのだ。

 なのに、なぜか最初は例外的なキツネから始まる。かの有名なドミトリ・ベリャーエフ(→Wikipedia)のキツネだ。毛皮用に飼育されているキツネから交配を重ね、人懐こいキツネをつくり出した。動物から近づいたのではなく、ヒトが動物を飼いならしたパターンだ。

 野生のキツネはヒトを恐れ、無理に近づくと唸り、噛みついてくる。ベリャーエフは、その中からあまりヒトを恐れない個体を選んで交配を重ねた。選ぶ基準はあくまで人懐こさだけで、姿形はまったく考えない。

 にも関わらず、見た目や振る舞いも変わった。銀色ばかりだった毛は茶になったり斑になったり。垂れ耳や巻き毛も現れ、顔の幅が短くなり、尾を振りヒトの顔をなめる。まるきしイヌだ。

 これらの性質は、最初からキツネの遺伝子プールの中にあって、それが表に出てきただけだろう、と著者は考えている。

この進化的な変化のすべては、おそらく新たな突然変異なしで起こったのだろう。(略)
従順性を対象とした選択の成功は、むしろ「既存の遺伝的変異」と進化学者が呼ぶもの、つまり実験開始時にすでにキツネ集団の中に存在していた遺伝的変異だけによって達成されたのである。
  ――第1章 キツネ

 いわゆる潜性(かつては劣勢と呼ばれた)遺伝が表に出てきただけ、といわけ。

 この変化なんだが、不思議なことに様々な家畜で似たような変化が起きるのだ。

家畜にみられる類似した形質は(略)、従順性、社会性の向上、多彩な毛色(特に白色)、体のサイズの低下、四肢の短縮、鼻づらの短縮、垂れ耳、脳のサイズの減少、性差の減少などが含まれる。
  ――第5章 進化について考えてみよう

 幾つかは素人でも見当がつく。従順性は、ヒトに従う性質だ。ペットでも食肉用でも使役用でも、逃げたり襲ってきたりする奴は、家畜に向かない。穏やかでヒトに慣れ言うことを聞く奴の方が飼いやすい。逆らう奴は幼いうちに殺され、大人しい奴だけが生き延びる。結果、穏やかで人懐こいのが多くの子を残す。

 もっとも、いうことを聞くってのも、実はけっこう高度というか特殊な能力らしい。

イヌでもフェレットでも、人間の意図を読み取る際に重要なのは、人間の凝視に耐えられることだ。こうした種間コミュニケーションでは、アイコンタクトをとるのが第一段階なのだが、哺乳類の多くにとってアイコンタクトは攻撃的な行動でもある。
  ――第4章 その他の捕食者

 アイコンタクト、別の言い方だと「ガンをつける」となる。ソレを攻撃的な意図だと思わない事が、家畜化の最初の一歩なのだ。だとすると、街のカラスは既に家畜化の第一歩を踏み出してるんだろうか。カラスならいいが、もっと困った奴もいる。アライグマだ。これは日本だけじゃなく…

トロントの市街地には1平方マイル〔約2.6㎢〕あたり最高で400匹ものアライグマが生息している。もっと自然に近い環境下では、個体群密度は1平方マイルあたり1~5匹程度である。
  ――第4章 その他の捕食者

 ラスカルどもにとっては、自然な環境より市街地の方が住みやすいらしい。メシもゴミ箱を漁ればいいしね。

 それだけじゃない。ここまで増えるには、もう一つ大事なことがある。社会性だ。といっても、群れを作って狩りをするワケじゃない。他の個体と争わない、それだけだ。

 一般に野生動物は縄張りを持ち、侵入者と激しく争う。イエネコの祖先リビアヤマネコもそうだった。この性質を克服し、他のネコと争わないネコだけが、ヒトの穀物蔵を荒らすハツカネズミを食えた。一時期、猫鍋なんて動画が流行ったけど、あんな風に団子になるのは、イエネコだけなのだ。

 これらと全く関係なさそうなのが、毛色のバリエーションだ。

白は家畜化に特徴的な毛色である。
  ――第7章 ウシ

 ホルスタインの白黒斑とかは、家畜化に独特の現象らしい。ネコやイヌなど愛玩用なら新規な毛色が好かれるのもわかる。実用でも…

毛色の突然変異の中には、文化によっては野生型の毛色よりも好まれるものがある。たとえば、サーミ族にとって白い毛皮は価値がある。
  ――第9章 トナカイ

 と、毛皮用なら、高く売れる色の個体は多くの子を残すようヒトが働きかけるだろう。そうでなくても、「白馬の王子様」なんて言葉があるように、白はヒトに好かれるし。とはいえ、搾乳用や食肉用なら色は関係ない。では、野生状態と何が違うのか。

人間に支配された新たな生息環境下では、野生型の毛色を選択する圧力が低下したからである。
  ――第8章 ヒツジとヤギ

一般的に、哺乳類の毛色の場合、選択が緩和されているというのは、カムフラージュや隠蔽色を対象とする選択が弱くなることを意味する。家畜トナカイの場合、選択が緩くなったのは捕食されるのが減ったことを反映している可能性がある。
  ――第9章 トナカイ

 野生状態だと、目立つ奴はオオカミなどに狙われ食われる。でも家畜はヒトが守る。だから目立つ奴でも生き延びられる。そういう事だ。加えて、意外な理由も。

ウシバエなど、寄生性の昆虫である。(略)
家畜トナカイには、イベルメクチンなどの広域寄生虫駆除薬が投与される(略)。
ウシバエは明るい毛色のトナカイを好んで襲う。
  ――第9章 トナカイ

 薬は極端にせよ、家畜は大切な財産だ。だから大切に世話をするし、家畜小屋も掃除して清潔に保つ。だから寄生虫にも狙われにくい。獣医だっているしね。そんな風に、人が守ることで、それまで潜性だった遺伝的性質が表に出てきて、さまざまな毛色が生まれたのだ。

 ウシの身体が祖先のオーロックス(→Wikipedia)より小さくなったのは、なんか分かる。オーロックスはデカすぎて暴れたら手に負えないし。もっとも最近は品種改良で逆に大きくなってるみたいだけど。特にブタ。これ、実は性差が減ったのと関係が深いのだ。

体や角のサイズにおける雌雄の収斂が見られるのは、雄だけが変化した結果である。雄の体や角のサイズが小さくなるからだ。若い雄を間引くことにより雄の成獣同士の闘争が減り、その結果、性選択圧が低くなり、さらにその結果として雄の体や角のサイズが小さくなるというわけだ。
  ――第8章 ヒツジとヤギ

 野生状態だと、雌の奪い合いで雄同士が激しく争う。バトルじゃ体重と得物が大事だ。図体がデカく物騒な角を持つ雄がバトルに勝ち雌を得て子を残す。でも家畜だと気の荒い雄は早めに潰され、穏やかな雄だけが子を残す。角の大小は関係ない。それどころか、「種馬」や「凍結精液」なんて言葉があるように、ヒトの都合で交配を決めたりするし。

 野生と家畜では、性淘汰の条件が全く違うのだ。と同時に、性淘汰も進化において大きな役割を果たしている事がよくわかる。

 とかの家畜化に伴う変化も面白いが、身近な動物が家畜化する理由も、現代人の目からするとけっこう意外だったりする。いやいずれも「食用」なんだけど。例えばイヌ。白人が来る前の北米や中米じゃ食用に飼われてたし、今だって有名な中国・韓国の他にフィリピン・ベトナムや西アフリカで食われている。もちろん愛玩用に飼う場合もあって、区別は難しい。

アポリジニ―が食用犬と非食用犬とを区別する一つの方法は、非食用犬に名前を付つけることだ。
  ――第2章 イヌ

 名前の有無ってのは、なんかわかる気がする。こういう食用に飼われてた動物は他にもあって…

ウマはもともとは食肉用に家畜化された。
  ――第11章 ウマ

モルモットはアンデス山脈西部のインカ人の土地からやってきたのである。(略)
ペルーではケイビー(モルモット)はペットではなく、食材だったのである。
  ――第12章 齧歯類

 日本じゃ桜肉とか馬刺しとかでウマを食う文化が残ってるから、意外でもないかな? でもモルモットは知らなかったなあ。そういやローカル・ヒーローって映画があって、ウサギが重要な役割を… いや、話が逸れた。

 もちろん他にも動物関係のトリビアが楽しかったり。著者はヤギがお気に入りらしく、その賢さと逞しさを讃えてる。ただし、賢く逞しいのも時として困りもので…

野生化したヤギは、大きな環境問題を引き起こしている。島に生息する多くの鳥類や哺乳類がヤギのせいで絶滅してしまったのだ。(略)比較的小さな島であっても、ヤギを根絶するにはヘリコプターに射撃手、イヌ、毒物などを総動員しなければならない。
  ――第8章 ヒツジとヤギ

 そういえば除草用の仔ヤギが逃げ出して、なかなか捕まらないってニュースもあった(→スポーツ報知産経新聞)。奴は山間部仕様で崖もヒョイヒョイ登るから、追いかけるのも大変なのだ。

 キリスト教文化圏じゃ悪魔のモチーフにもなって悪役なヤギだが、日本じゃそれほど悪く言われない。日本での悪役はラクダだろう。このラクダ、グローバル経済じゃ大きな役割を果たしている。

シルクロードが利用されていたのは紀元前150年~紀元1450年頃だが、この間ずっと、車輪を使った乗り物には適さない道だった。シルクロードはラクダが通ってできた道のネットワークだったのだ。
  ――第10章 ラクダ

 「情報と通信の文化史」や「紙と人との歴史」だとモンゴル帝国の情報ネットワークでウマが活躍したけど、物流はラクダが支えたのだ。「ラクダの文化誌」とかを読むと、実はラクダってかなりケナゲな動物なのがわかります。ヒトが乗るのには適さないけどね。

 終盤では、ヒトが自分で自分を家畜化したって説を検討してる。その過程で影響が大きいのは生物的なモノか文化的なモノかって議論があって、今のところ決着はついていない。

 両方が関係する例として、乳糖耐性を挙げてる。牛乳を飲んで腹を下すか否かだ。ウシを飼う文化だと、腹を下さない者の方が生き延びやすい。もっともチーズって逃げ道があるんだが(→「チーズと文明」)、それは置いて。

 最も大きいのは、やっぱり火の利用だろう。

ヒトが登場する以前に起きた文化的革新として、特に画期的だったのは料理の開始である。(略)
肉でも植物でも料理したほうがカロリーの摂取効率が高くなる。
料理への適応としては、顎の筋肉の退化や、歯のエナメル質の熱さや臼歯のサイズの減少などが可能性として挙げられている。
  ――第15章 人新世

 料理するには火を使わなきゃいけない。一般に動物は火を怖がる。そして若い個体ほど好奇心が強く恐れ知らずだ。ヒトの中でも精神的に若さを保った個体が火を使い始め、それにより食糧事情が改善し多くの子を成した…のかなあ。

 もっとも、こういう、根拠があやふやな説明に著者は批判的で、最近よく見る進化心理学に対しても、辛辣に切って捨てている。

進化心理学は、主流の進化生物学の枠組みの外で生まれ育ってきたものなのである。進化心理学は、信憑性を失った行動主義の枠組みに取って代わる、統一的で堅固な枠組みを探し求める心理学者たちが発展させてきたのだ。
  ――付録8 第14章の補足 進化生物学・進化人類学・進化心理学

 もちろん、新しいから駄目ってワケじゃなく、生物学の新しい概念であるエピジェネティクスについては、キチンと説明してる。

毛母細胞でも血球でもニューロンでも、あなたの身体を構成するどんな細胞も遺伝的に同一なのに、細胞によって表現型は大きく異なっている。表現型が異なるのは、エピジェネティックな面での差異があるからである。
  ――付録7 第12章の補足 エピジェネティクスという次元

 iPS細胞とかは、エピジェネティクス的に細胞を初期化する技術、なのかな? いや知らんけど。

 あと、この辺は、スティーヴン・ジェイ・グールドが唱えた断続平衡説(→Wikipedia)の論拠になりそうなんだけど、どうなんだろう?

遺伝的浮動(略)の程度は集団のサイズにより異なり、集団が小さいほど起こりやすくなる。母集団が小さいほど、ランダムに起こる現象の影響が大きくなるからだ。
  ――第3章 ネコ

 一つの個体に生じた変異が、集団の中で多数を占めるには、どれぐらいかかるかを考えよう。個体数が4なら、次の世代で多数派になり得る。でも個体数が1万だと、数十世代が必要だろう。そんな感じに私は理解した。

 とかの生物学の話とは別に、飼い猫の話など著者自身のネタもあって、親しみやすさに一役買っている。例えば最近の新型コロナ騒ぎ。宴会とかの親密な人付き合いが制限され、それが苦しい人と苦にならない人がいる。やはり苦しさは人それぞれらしい。

内向的な人に比べ、外交的な人は精神の健康を保つために社会的な相互作用を多く必要とする。実際、内向的な人には人との相互作用から解き放たれて一人になる時間がある程度は必要で、そうしないと心理的に落ちつけないのだ。
  ――第14章 人間 Ⅱ 社会性

 そうなんだよっ! 「戦地の図書館」に、二次大戦で従軍した兵が、常に集団生活の軍の中にあって、本を読んでいる間だけ一人になれた、みたいな話があった。程度の大小はあれど、一人になる時間が必要な人もいるのだ。

 えっと、まあ、そんな風に、基本は真面目な生物学の解説書なんだけど、ナニカと妄想を刺激される本でもあるのだ。今回の記事も無駄に長くなってしまった。

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2021年6月21日 (月)

J・J・アダムス編「パワードスーツSF傑作選 この地獄の片隅に」創元SF文庫 中原尚哉訳

アーマーを装着し、電源を医いれ、弾薬を装填せよ。きみの任務は次のページからだ。
  ――イントロダクション

【どんな本?】

 パワードスーツをテーマとした作品23編を集めたアンソロジー Armored から、12編を選び訳した短編集。

 ミリタリーSFの売れっ子ジャック・キャンベル「この地獄の片隅に」,ヤクザの抗争を扱うカレン・ロワチー「ノマド」,オーストラリアを舞台としたスチーム・パンクのデイヴィッド・D・レヴァイン「ケリー盗賊団の最後」,狂乱の戦場で人の認識が変容してゆくアレステア・レナルズ「外傷ボッド」など、バラエティ豊かな作品が楽しめる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Armored, 2012。日本語版は2021年3月12日初版。文庫で縦一段組み本文約350頁に加え、岡部いさくの解説7頁。8.5ポイント41字×18行×350頁=約258,300字、400字詰め原稿用紙で約646枚。文庫としては少し厚め。

 文章はこなれている。今世紀のSFアンソロジーだけあって、ガジェットはバラエティ豊か。とはいえ、アニメのガンダム・シリーズが楽しめる人なら、充分についていけるだろう。

【収録作は?】

 作品ごとに解説が1頁ある。各作品は 日本語著者名 / 日本語作品名 / 英語著者名 / 英語作品名 の順。

ジョン・ジョゼフ・アダムズ / イントロダクション / John Joseph Adams / INtroduction
ジャック・キャンベル / この地獄の片隅に / Jack Campbell / Hel's Half-Acre
この小隊はヘル軍曹にちなんで“地獄の片隅”と名のっている。中尉はしょっちゅう代わる。まっさら新品の軍服でやってきて、まもなく死体専用チューブに入って去る。
 ヘル軍曹が率いる重機械化歩兵の小隊は惑星ニッフルハイムでカナリア族と睨み合う。一か月前に降下して以来、ずっとアーマーにはいったまま。強力な腐食性ガスの大気は兵を溶かしてしまう。たまに来る士官は、たいていすぐ戦死する。今日はカローラ中尉が来た。しかも数人の副官を率いたマクドゥーガル将軍を連れて。
 パワードスーツの必然性がよくわかる作品。真空や有害な大気中で人間が活動するには宇宙服が要る。呼吸用の酸素の循環や温度調整の機能も必要だし、そのためのエネルギーも。となると相応の重さになる。動きやすいように、筋力を補う機能もつけよう。もち、制御用のコンピュータやセンサーも。パワーがあるなら、重いモノ、例えば銃器や弾薬も持てるよね…と、宇宙服が進化すると、パワードスーツになってしまうのだ。
ジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン / 深海採掘船コッペリア号 / Genevieve Valentine / The Last Run of the Coppelia
船を下りたら――アルバはべつのだれかのものになる。考えると胸が痛んだ。
 コッペリア号はミネルバ星の海で藻などを採り稼いでいる。メカは水中の活動に適していて、腕と指は長く水かきがあり足は短い。その日、ジャコバは海に落ちた不審な物を拾う。メカの部品かと思ったが、データドライブだった。中のデータはとんでもないシロモノで…
 海が舞台なだけに、登場するパワードスーツはズゴックみたいなズングリムックリかつ短足手長。やっぱり人間が活動しにくい環境だとパワードスーツに説得力が出るなあ。ただし使っているのは小さい民間の採掘船で、船員も曰くありげな連中ばかり。採算が苦しい辺境の民間企業が使い古したメカをだましだまし動かしてる雰囲気がよく出てる。
カリン・ロワチー / ノマド / Karin Lowachee / Nomad
「ラジカルは鉄壁の防御をしているつもりでいるけど、あくまで機械だ。機械にはかならず脆弱性がある」
 ラジカルは人間と共に成長する。マッド&トミーはトラ縞のナンバー2と見込まれていたが、ギアハート縞との抗争でトミーが死んだ。トラ縞には単身の人間ディーコンがいるが、マッドは再融合する気はない。縞を去り無所属となってどこかへ行くつもりだ。
 軍→辺境のサルベージ船ときて、次はヤクザの抗争物。出入りで相棒を失ったラジカル(パワードスーツ)の視点で語られる物語。まるきし高倉健が演じる東映ヤクザ映画の世界なのに、語り手がメカというミスマッチが楽しい。
デヴィッド・バー・カートリー / アーマーの恋の物語 / Davvid Barr Kirtley / Power Armor : A Love Story
「僕は未来から来ました」
 優れた発明家として名高いアンソニー・ブレアはめったに人前に出ず、決してアーマーを脱がない。過去は謎に包まれている。そのブレアが邸宅を買い、パーティーを開いた。多くの名士が駆けつける中、ブレアは一人の女と話し込む。ミラ・バレンティック博士。彼女にも秘密があった。
 アーマーSFでもあり、引用からわかるように時間SFでもある。アーマー装着時の飲食というか栄養補給はどうするのかって問題の解は色々あるが、この作品の解は酷いw 某有名ホラー映画を思い出しちゃうじゃないかw
デイヴィッド・D・レヴァイン / ケリー盗賊団の最後 / David D. Levine / The Last of the Kelly Gang
「甲冑を四つつくってほしい」
 19世紀、開拓時代のオーストラリア。アイク老人は変わり者で一人暮らしだ。そこにケリー盗賊団が押し込んできた。甲冑を四つ作れ、と。連中が持ち込んだ図面のままじゃ使い物にならない。重くて動かせない上に、銃弾は防げない。だが動力を付けたら? 技術者の血が騒ぎだしたアイク老は問題に取り組み始め…
 ネッド・ケリーは実在の人物(→Wikipedia)。時代が時代だし、実在の人物が出てくるあたり、気分はスチームパンク。嫌がっていても、問題が示され解決法が思い浮かぶと、とりあえず試してみたくなるアイク老のハッカー魂が上手く書けてるw ネタバレだがアイク老はこちら(→Wikipedia)。
アリステア・レナルズ / 外傷ボッド / Alastair Reynolds / Trauma Pod
彼らが守ろうとしているのは俺ではない。
 最近、敵味方のメカの一部が暴走しているらしい。そこで深部偵察に出たケイン軍曹は負傷し、野戦医療ユニットに収容される。応急処置で右脚を切断したが、脳内出血の手当はこれから。周囲は敵に囲まれ、しばらくは脱出できない。タンゴ・オスカー基地のアナベル・ライズ医師が遠隔操作で治療を担当してくれている。
 野戦医療ユニットKX-457、最初の応急処置から遠隔で脳外科手術まで操作できる上に、索敵・移動・敵の排除までこなしちゃうあたり、医療ユニットというより移動陣地と言っていいぐらいの優れもの。なんて素晴らしい、と感心していたら…。ケイン軍曹の意識が少しづつ変わっていくあたりの描き方が実に見事で、スンナリとオチへと読者の思考を導いていく。
ウェンディ・N・ワグナー&ジャック・ワグナー / 密猟者 / Wendy N. Wagner & Jak Wagner / The Poacher
『承認しますか?』
 人口の八割は地球を出て火星や宇宙ステーションに移り住んだ。閉鎖ドームが完成する前の月で育ったカレンは、常に生体機械スーツを着た暮らしに慣れている。幼い頃に母星見学旅行で見た野生の風景に惹かれ、カレンは自然保護官を志す。最も優れた実績を誇る自然保護官のハーディマンと同じチームで働くカレンは、密漁船を見つけた。
 パワードスーツに付き物なのが、管理するAIと体調や精神を調整するための薬物投与。この作品ではAIというより、少々お節介なOSという感じ。舞台背景はもう少し複雑で、人類と生態が似たエイリアンシルク類が絡んでくる。冒頭、貿易封鎖で月が困窮する描写は、なかなかの迫力。
キャリー・ヴォーン / ドン・キホーテ / Carrie Vaughn / Don Quixote
「こいつは戦争を終わらせるかもな。ドン・キホーテ軍団にはだれも対抗できない」
 1939年、内戦末期のスペイン。従軍記者のハンクとジョーは、フランコ軍の部隊が蹂躙された跡を見つける。そこから伸びている一組の履帯の轍を辿ると、戦車に似た戦争機械と二人のスペイン兵に出会う。スペイン兵は自信たっぷりに戦争機械をドン・キホーテ号と呼ぶ。
 いかにドン・キホーテ号が優れていようと、補給も援軍も期待できない状況では逆転は無理だろう。そこを見越して商売を考えるあたりは、いかにもビジネスの国アメリカらしい。「ドイツがこれを知ったらどうなるか」の懸念が、既に手遅れだったのはグデーリアンの快進撃が示している。それを考えると、この結末はひたすら苦い。
サイモン・R・グリーン / 天国と地獄の星 / Simon R. Green / Find Heaven and Hell in the Smallest Things
「この惑星は巨大なジャングルにおおわれている。そのすべてが人間を攻撃する」
 アバドン星は植物に覆われている。焼き払っても植物はすぐに蘇り、人を襲う。ドローンとロボットが守る第一基地は植物に覆われた。第二基地には人間が居たが、皆いなくなった。原因は不明。そこで第三基地を起点にテラフォーム施設を守るため、ハードスーツ着用の12人が送り出される。
 前人未到の異星で先遣隊が消息を絶つ、SFの定型に沿った作品。いやルーツを探ると、少なくとも17世紀にはシェイクスピア「テンペスト」が見つかるんだけど。主人公ポールとハードスーツのAIの関係が、けっこう捻ってある。
クリイスティ・ヤント / 所有権の転移 / Christie Yant / Transfer of Ownership
男は彼女を殺した。わたしはそれを止められなかった。
 わたしはカーソン専用につくられている。男がカーソンを殺し、わたしを奪おうとした。男はわたしを使おうと色々試すが、なかなかうまくいかない。一部の手動操作方法は見つけたようだが、音声命令は知らないようだ。私の存在を知られてはいけない。
 語り手は、ならず者に強奪されたスーツ。粗野で冷酷で身勝手で衝動的、まるきしケダモノなならず者と、そんな屑に抗おうとするスーツの頭脳戦を描く掌編。
ショーン・ウィリアムズ / N体問題 / Sean Williams / The N-Body Solution
ここではだれもが遭難者だ。
 ループは一方通行のワープゲート網で、建設者も原理も不明。ここハーベスター星系はループの163番目で終着駅だ。送り側ディスクはあるが、機能しない。故障か、そういう仕様なのか、多くの科学者が調べたが、何もわかっていない。ハーベスター星系には複数の知的種族が居る。到着施設から出たアレックスは、バーでメカスーツを着たアイと名のる地球法執行局の女と出会う。
 ループ,具体,メカスーツと、SFガジェットは盛りだくさん。エイリアンもうじゃうじゃ出てくるけど、別に人類と特にいがみあってはいない様子。一方通行なのにループとはこれいかに。
ジャック・マクデヴィット / 猫のパジャマ / Jack McDevitt / The Cat's Pajamas
それじゃない。彼女だ。
 二秒弱の周期でビームを発するパルサーに近いオシレーション・ステーションには、三人の物理学者と仔猫のトーニーがいた。操縦訓練生ジェイクと教官ハッチンズは支援船カパーヘッド号で訪れるが応答がない。事故で壊滅し生き残りはトーニーだけ。パルサーの強烈なビームを防げるゴンゾスーツは一着だけで、人が着たら猫が入る余裕はない。
 エアロックを出入りできる宇宙服は一着だけ。人と猫が一緒に入るのは無理。では猫を救い出すか否か。ここで言い争いにならないあたり、落ち着いて見えるジェイクも実はw ギリギリのサスペンスが続く状況だってのに、猫らしくマイペースなトーニーが、見事に緊張感を削いでくれますw

 売れっ子だけあって、ジャック・キャンベル「この地獄の片隅に」は手堅くまとまっている。カリン・ロワチー「ノマド」はパワードスーツと東映ヤクザ映画路線のミスマッチが楽しい。ニワカ軍ヲタとしてはキャリー・ヴォーン「ドン・キホーテ」の苦さが染みる。猫好きにジャック・マクデヴィット「猫のパジャマ」は必読。

 そんな中で最も気に入ったのはアリステア・レナルズ「外傷ボッド」。主人公ケイン軍曹の自意識が次第に変わってゆく様子は、SFの醍醐味を凝縮した感があって、クラクラする酩酊感が味わえた。

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2021年6月18日 (金)

リジー・コリンガム「大英帝国は大食らい」河出書房新社 松本裕訳

本書は、イギリスの食糧探求がいかに大英帝国の誕生につながったかを語る。(略)
各章で語られるのは別々の物語だが、そのすべてが、帝国の推進力の源泉が食にあったことを明らかにするテーマへとつながってゆく。
  ――はじめに

【どんな本?】

 レシピを集めたサイト cookpad には、在日英国大使館も寄稿している。その一つクリスマス・プティングは、英国大使館料理長が「英国の伝統的なクリスマスのデザート」と認めている。その材料の多くは輸入品だ。レーズンはオーストラリア、ナツメグはマレーシア、牛脂(スエット)はニュージーランド、オレンジピールは南アフリカ、砂糖とラム酒は西インド諸島、ブランデーはキプロス、卵はアイルランド。

 イギリスは帝国へと成長する過程で、植民地から様々な食材を調達し、自国の料理に取り入れ、また植民地にも自国の料理を広めてゆく。中にはカレーや紅茶のように、世界中に広がっていったものもある。と同時に、植民地を帝国の部品の一つとするために産業構造・社会構造を大きく変え、また各地の伝統料理も改造し、または滅ぼしていった。

 親しみやすい料理をテーマとして、その材料がどこでどう作られ流通し、その過程で英国や生産地にどんな影響を及ぼしたのかを描き、大英帝国をモデルとして現在の食のグローバル経済の歴史をたどる、美味しくて少し苦い一般向けの歴史書。

 なお「イギリスとその帝国による植民地経営は、いかにして世界各地の食事をつくりあげたか」の副題がついている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Hungry Empire : How Britain’s Quest for Food Shaped the Modern World, by Lizzie Collingham, 2017。日本語版は2019年3月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約336頁に加え、訳者あとがき3頁+藤原辰史の「皿の上の帝国主義 解説にかえて」4頁。9ポイント44字×21行×336頁=約310,464字、400字詰め原稿用紙で約777枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は硬くはないんだが、少々ぎこちない。これは訳者のクセだろう。内容はわかりやすい。ただ、スエット(牛脂)やスグリ(→Google画像検索)など、料理に疎い者にはわからない素材がよく出てくる。というか、私は知らなかった。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進む。が、各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

クリックで詳細表示
  • はじめに
  • 第1部
  • 第1章 ポーツマスの港に居停泊したメアリー・ローズ号では魚の日だった話
    1545年7月18日土曜日/ニューファンドランドの塩ダラはいかにして帝国の基礎を築いたか
  • 第2章 ジョン・ダントンがオートケーキとバターで似たノウサギをコンノートの山小屋で食べた話
    1698年/アイルランドはいかにしてイングランド人に入植され、食料供給基地となって擡頭する帝国の台所となったか
  • 第3章 ホロウェイ一家がトウモロコシ粉のパンと塩漬けの牛肉入りサコタッシュをニューイングランドのサンドイッチで食べた話
    1647年6月/自由農民の夢を追い求めたイギリス人は、いかにして妥協を強いられたか
  • 第4章 ジェームズ・ドラックス大佐がバルバドス島のサトウキビ農園で宴を催した話
    1640年代/西インドのサトウキビの島々はいかにしてイギリス第一帝国の成長を促進したか
  • 第5章 ラ・ベリンゲールがアフリカ西岸でシェール・ミシェル・ジャジョレ・ド・ラ・クールブをアメリカ産のアフリカ料理でもてなした話
    1686年6月/西アフリカはいかにして人間をトウモロコシとキャッサバに換えたか
  • 第6章 サミュエルとエリザベス・ピープスがコヴェント・ガーデンのフレンチレストランでピジョン・ア・レステューヴェとブッフ・ア・ラ・モードを食した話
    1667年5月12日/イギリス人はいかにしてコショウによってインドに導かれ、インド更紗と紅茶に出会ったか
  • 第2部
  • 第7章 レイサム一家がランカシャー州スキャリスブリックで牛肉とジャガイモのシチュー、糖蜜がけプディングを食べた話
    1748年1月22日/イングランドの地方労働者の貧しさはいかにして大規模食糧生産につながったか
  • 第8章 奴隷の一かがサウスカロライナのミドルバーグ農園でトウモロコシ粥とフクロネズミを食べた話
    1730年代/サウスカロライナのアメリカ人入植者はいかにしてアフリカの米によって築かれたか
  • 第9章 レディ・アン・バーナードが喜望峰への船旅で絶品の夕食を楽しんだ話
    1797年2~5月/帝国はいかにして供給産業を奨励したか
  • 第10章 自由の息子たちがボストンのマーチャンツ・ロウにあるゴールデン・ボール亭でラム・パンチを飲んだ話
    1769年1月のある寒い晩/ラム酒はいかにしてアメリカ人入植者を団結させ、イギリス第一帝国を崩壊させたか
  • 第3部
  • 第11章 カマラがビハール州パトナ近郊で家族のために料理をした話
    1811年2月/東インド会社はいかにしてアヘンを茶に変えたか
  • 第12章 サラ・ハーディングと家族がニュージーランドのホークス・ベイ、ワイパワでおいしい食事をたらふく食べて太った話
    1874年7月29日/飢えはいかにして19世紀のヨーロッパ人大移住を加速させたか
  • 第13章 フランク・スワンネルがブリティッシュ・コロンビアで豆のシチュー、種なしパンとプルーンパイを食べた話
    1901年11月15日/加工食品はいかにして家庭を意味する魔法のシンボルとなったか
  • 第14章 ダニエル・タイアーマン牧師とジョージ・ベネット氏がソシエテ諸島のライアテア島でティーパーティーに出席した話
    1822年12月4日/ヨーロッパからの食料品のお普及はいかに味覚を植民地化していったか
  • 第4部
  • 第15章 ダイアモンド鉱山労働者たちが雨季にガイアナの酒場でイグアナカレーをこしらえた話
    1993年/非ヨーロッパ人たちはいかにしてイギリス人のために南国食材を生産する大規模農園で働くべく移住してきたか
  • 第16章 バートン家がマンチェスターのロンドン・ロードにあるスラム地区でウィルソン家をお茶でもてなした話
    1839年5月/労働者階級のパンを焼くための小麦はいかにしてアメリカ人と入植地で作られるようになったか
  • 第17章 プラカーシュ・タンドンがマンチェスターの公営住宅で大家の一家と日曜日のローストを楽しんだ話
    1931年/外国からの食糧輸入はいかにして労働者階級の食生活を改善し、イギリスを帝国に依存させたか
  • 第18章 イリオのレシピが変わった話
    ケニア、1900~2016年/帝国はいかにして東アフリカの自給農家に影響を与え、植民地の栄養不足を招いたか
  • 第19章 歩兵のR・L・クリンプが北アフリカの砂漠にある前線野営地で缶詰牛肉とサツマイモを食べた話
    1941年9月/帝国はいかにして第二次世界大戦中に英国を支えたか
  • 第20章 オールドノウ氏が帝国のプラムプディングを作る夢を見た話、およびブリジット・ジョーンズが新年にウナ・オルコンベリー主催の七面鳥カレービュッフェの昼食会に出席した話
    1850年12月24日/1996年1月1日/クリスマス料理はいかにして帝国をイギリスの家庭へと持ち込んだか
  • 謝辞/訳者あとがき
  • 皿の上の帝国主義 解説にかえて 藤原辰史
  • 註/参考文献/図版クレジット

【感想は?】

 イギリスの食卓が、どうやってできたかの話だ。だが、現在となっては、日本の食卓の話でもある。なにせ食料自給率は40%を切っている(→農林水産省)。飼料自給率に至っては25%だ。日本の食卓も、外国に頼り切っているのだ。

もっとも、日本の食糧自給率が低いのは今さらの話ではなく、戦前から低かったんだけど(→「ラーメンの歴史学」)。

 物語は16世紀から始まる。

大英帝国は、ニューファントランドの岩がゴロゴロする浜辺で生まれた。
  ――第1章

 ニューファンドランド、カナダ東岸の島。この沖グランド・バンクスは今でも豊かな漁場として名高い。ここのタラに目をつけたイギリスの漁師たちが遠征してタラを捕りまくり、英国海軍の胃袋を支えたのだ。漁師たちのバイタリティは凄い。最初に到着した船の船員は森から木を伐りだし、桟橋や小屋そしてボートまで現地で作りあげる。なんという逞しさ。

 だが農民たちは囲い込み(→世界史の窓)で食い詰める。自分の土地を得て腹一杯食うためにニューイングランドに入植した者たちは、原住民の農法やレシピを真似ながらも彼らから土地を奪い、次第に夢を実現してゆく。

アメリカの栄養がすぐれていたことは、独立戦争時のアメリカ兵の身長を見ればわかる。イギリス人兵士と比べると、彼らは平均して約9cmも高かった。
  ――第3章

 昔からアメリカ人はデカかったんだなあ。こういう身長の話はなかなか身に染みて、19世紀になっても…

(イギリスの)工業都市に住む労働階級の思春期の男子は、恵まれた環境の同年代の男子よりも平均してなんと10インチ(約25.5cm)も背が低かった。
  ――第16章

 なんて切ない話も出てくる。本国でさえこうなんだから、植民地の現地人については言うまでもない。

 対して新大陸南部というか西インド諸島に移民した者は、サトウキビで稼ぐ。そこで働くのは、西アフリカから連れてきた奴隷たちだ。その奴隷にしても、ヨーロッパ人が自分で調達するわけじゃない。西アフリカには、既に奴隷市場があったのだ。

(アフリカに)奴隷を探してやってきた彼ら(ヨーロッパ人)は、すでに確立されていた貿易制度に参入することになったのだ。実際、奴隷はアフリカ社会という織物に欠かせない要素であって、単なる動産ではなかった。
  ――第5章

 市場なだけに、ちゃんと需給は調整されている。

意外なことに、人口統計を見ると西アフリカの人口は、奴隷貿易のおこなわれていた300年間で増えなかったものの、安定していたことがわかる。
  ――第5章

 なぜか。新大陸に売られた奴隷のうち「女性は1/4程度しかいなかった」から。嫌な例えだが、一般に牛や羊などの家畜は雄より雌の方が値が張る。子を産むからだ。実際、奴隷たちは消耗品扱いで、「平均余命はたったの七年」。

 その見返りってワケでもないが、アフリカには新大陸からトウモロコシとキャッサバが入ってくる。今、調べたら、キャッサバ生産の世界一はナイジェリア(→Wikipedia)。それは同時に、この地域の伝統的な粟料理を駆逐した事でもある。そういやウガンダじゃバナナが大モテだった(→「バナナの世界史」)。

 そのトウモロコシ、カロリーが高いのはいいが、アルカリで処理しないとナイアシンが不足しペラグラ(→Wikipedia)を引き起こす。新大陸の者は消石灰で煮る調理法で防いでいたが、調理法までは伝わらなかった。「紙と人との歴史」にあるように、モノは伝わっても、技術や製法は伝わりにくいのだ。

 もっとも、アフリカも作物を輸入するだけではなく、輸出もしている。その代表が、意外なもの。

革命(1775年のアメリカ独立戦争)時、米がすべての北米入植地でタバコと小麦粉に次いで三番目に貴重な輸出品だったのも頷ける。
  ――第8章

 そう、米だ。しかも陸稲ではなく水稲。水稲栽培には高い技術とインフラが必要なんだが、奴隷たちが故郷から持ち込んだらしい。現場の者に任せた方が上手くいく場合もあるのだ。

 そうやって力をつけた北米植民地は、ラム酒の勢いもあって独立へと突き進む。

(アメリカの)地元の法廷審問は居酒屋の別室でおこなわれることが多く…
  ――第10章

 自分の土地を持ち豊かになるチャンスがある北米やニュージーランドに、イギリスの農民は移り住み、ヨーロッパ式の農法を広めてゆく。

19世紀を通じて、ヨーロッパからの移民は世界の耕作地や生産性の高い牧草地を拡大し、15~20億エーカー(600万~810万㎢)ほど増やした。これが農業生産に多大な影響を与え、19世紀の最後の四半期に誕生した新たな世界食糧体制の基礎を築いたのだった。
  ――第12章

 それでも故郷の味は懐かしい。とはいえ、気候も植生も違う植民地じゃ、故郷のレシピを再現するのは難しい。大英帝国は国際貿易の中心地で様々なモノが集まるが、辺境の植民地には回ってこない。この問題を解決したのが、食品の保存技術、すなわち缶詰だ。

缶詰食品に対する(イギリス)国内の反応はいまひとつだったかもしれないが、植民地では熱狂的に歓迎された。
  ――第13章

 日本じゃ客をもてなす料理に缶詰を使うのはあまり喜ばれないが、アメリカじゃそうでもないらしいのは、こういう歴史的経緯があるためだろうか。そういや「ナイル自転車大旅行記」では、エジプトの奥様が著者を鰯の缶詰でもてなしていた。

 この傾向を更に助長したのが、冷蔵技術。南米アルゼンチンで育てた牛の肉を、大西洋を越えイギリスまで腐らせずに船で運ぶ技術は、アルゼンチンを「世界で九番目に豊かな国」へと育て上げ、イギリスでも庶民が肉を食べられるようになる。

1890年代までに、イギリスは世界中で取引される食肉の60%を吸収していた。
  ――第17章

 ここでは地元の肉屋が示す冷凍肉への反発と、そのスキにチェーン店を展開するアメリカ等の精肉会社、逆に植民地に農園と工場を作る食料雑貨店の話が面白い。現代の産地から店舗までつながる国際サプライ・チェーンは、19世紀に生まれているのだ。

 もっとも、そういう故郷の味を世界中に持ち込めるのはいいが、現地の味を滅ぼしていくことにもなる。

白人入植者の大流入は、やがて伝統的な暮らしを忘れさせていった。(略)
北米の豆やカボチャ、トウモロコシ、プレーンズ・インディアンの塩漬けバッファロー肉、
マオリ族のシダの根やタロイモ、サツマイモ、
アポリジニのアシの根茎で作ったダンパーやカエルの丸焼き、
こうしたものがすべて、味気なく洗練されてもいない開拓者の食事に淘汰されてしまった。
  ――第14章

 加えて、植民地同士の味の交流も増えるのが面白いところ。産業革命で大英帝国は更に発展するが、そのあおりを食らう者たちもいる。

イギリス国内に独自の大量生産可能な紡績工場ができ、(略)安価なマンチェスターの綿がインドに流れ込み、(インドでは)何百万人もの手工芸職人が職を失った。
  ――第15章

 職を失ったインド人たちは、仕事を求めて他の植民地に稼ぎに行く。大英帝国が奴隷貿易を禁じたため、植民地では働き手を求めていたのだ。故郷の味が恋しいのは白人ばかりじゃない。彼らは移り住むと共に自国の料理も植民地へと広げてゆく。

 そうやって食のグローバル化が進み、農産物は商品化して価格の変動が大きくなる。植民地では換金作物の栽培や一つの産業への集中が進む。巧くいってる時はいいが、ひとたびコケると…

1875年から1914年の間には、1600万人ものインド人が飢餓で命を落としている。(略)
自由市場がなんの制御もなく機能し、商人たちが最も高値をつける外国の入札者に小麦粉を売り続け、インフレによって貧困層が食べ物を買うことができなくなったためなのだ。
  ――第16章

 現在でも、独立した植民地が発展に苦労している原因の一つがこれだ。英帝国は大きな機械みたいなモンで、各植民地はその部品だった。部品に過ぎない植民地は、大戦後に政治的に独立しても、経済的には宗主国に依存したまま。

(第二次世界大戦中の)イギリスはヨーロッパの端にぽつんと浮かぶ小さな島だったのではない。兵士や武器、弾薬、原材料、そしてなんといっても食料を調達する強力なネットワークの中核だったのだ。
  ――第19章

 ドイツ海軍のUボートが脅威だった理由も、ネットワークを切り刻んだためだ。これに対応するためチャーチルはインド洋の船舶を大西洋に回す。当然ながらインド洋の輸送はひっ迫し…

北アフリカ戦線でい命を落とした連合軍の歩兵は3万1千人を少し超えるぐらいだったが、飢餓と栄養失調で死んだベンガル人の数はおよそ300万にのぼった。
  ――第19章

 ベンガルの飢餓は知らなかったなあ。そりゃガンジーも縁を切りたがるよね。

 なお、戦中・戦後に船舶が足りず人々が飢えたのは太平洋も同じ。敗戦後に日本が飢えたのは皆さんご存知だが、インドシナも飢えている。原因の一つは船舶の不足だが、大日本帝国が米どころのビルマやベトナムに換金作物の麻栽培を押しつけたのも大きい。帝国の崩壊は物流ネットワークをズタズタにして、特定の産業に特化した地域も苦境に陥れるのだ。

 食のグローバル化は私たちの食卓を豊かにする面もあるが、同時に地域の独立性を奪い伝統的なレシピをすりつぶしてゆく。大英帝国をモデルとして個々の食卓を描きつつ、その材料の由来やレシピが生まれた背景を掘り下げることで、トラファルガー海戦などの表向きの歴史が大洋の向こうに与える影響も見えてくる。

 各章には主題となる料理のレシピも出ていて、これもなかなか楽しい。中にはウミガメとか無茶な素材もあるけどw どんな味なんだろう?

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2021年6月11日 (金)

伴名練「なめらかな世界と、その敵」早川書房

うだるような暑さで目を覚まして、カーテンを開くと、窓から雪景色を見た。
  ――なめらかな世界と、その敵

「そんな風に俺たちの物語を終えられたら、どれだけ簡単だっただろう!」
  ――美亜羽へ贈る拳銃

私は、姉様と二度と面と向かい合わずに済む、それだけで心底、安らかな気持ちです。
  ――ホーリーアイアンメイデン

「我らソヴィエトの人工知能――『ヴォジャノーイ』は、技術的特異点を突破した」
  ――シンギュラリティ・ソヴィエト

「卒業生二人しかいないんだから」
  ――ひかりより速く、ゆるやかに

【どんな本?】

 「アステリズムに花束を」収録の「彼岸花」や「伊藤計劃トリビュート」収録の「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」で広く深いSFへの愛と知識そして圧倒的な発想力で多くのSFファンに衝撃を与えた新鋭SF作家・伴名練による、初のSF作品集。

 誰もが幾つもの世界を渡り歩く世界を舞台に二人の少女の再会から始まる表題作「なめらかな世界と、その敵」、いきなり「そっちかよっ!」と突っ込みたくなる「ゼロ年代の臨界点」、伊藤計劃「ハーモニー」へのトリビュートながらドンデン返しの連続に翻弄される「美亜羽へ贈る拳銃」など、SFおよび短編小説の面白さが詰まった傑作ぞろい。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2020年版」のベストSF2019で堂々のトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年8月25日初版。私が読んだのは2019年9月10日の5版。爆発的な売れ行きです。単行本ハードカバー縦一段組み本文約295頁。9ポイント43字×21行×295頁=約266,385字、400字詰め原稿用紙で約666枚。おお、獣の数字だ。文庫ならやや厚め。

 文章はこなれていて読みやすい。「ゼロ年代の臨界点」と「ホーリーアイアンメイデン」はワザと昔風の文体を使っているが、不思議なほどスラスラ読める。けっこう凝ったSFアイデアを使っているんだが、説明がアッサリしているのは好みが別れるところ。もちろんマニア向けのイースター・エッグはドッチャリ埋まってます。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出。

なめらかな世界と、その敵 / 稀刊 奇想マガジン準備号 カモガワSFシリーズKコレクション2015年12月
 架橋はづきは、登校していきなり担任の剣崎に呼び出される。小学生の頃に仲が良かった厳島マコトが転校してくる、事故に遭って体に影響が残っているので支えてやってくれ、と。三年ぶりに再会したマコトはかたくなに心を閉ざし、部活にも入らないと言う。下校時にはづきは警官の須藤淳に呼び止められ、マコトを事故に巻き込んだ犯人がマコトを狙っている、と…
 出だしから、あり得ない風景。いや舞台は普通の現代日本だし、主人公の架橋はづきも普通の高校生だ。ところが、彼女を取り巻く風景や状況が、「うだるような暑さ」なのに「雪景色」だったり、雑誌を読んでいる父の命日が今日だったり。ロバート・チャールズ・ウィルスン「ペルセウス座流星群」収録の「無限による分割」と似たアイデアを使いながらも、鮮やかに仕掛けを逆転している。
ゼロ年代の臨界点 / Workbook93 ぼくたちのゼロ年代 京都大学SF幻想文学研究会 2010年8月
 初めて読んだのは「年刊日本SF傑作選2010 結晶銀河」。てっきり評論か、と思ったら、出だしから見事にハズされたw 詳しくは述べません。じっくり、著者の騙りに翻弄されよう。
美亜羽へ贈る拳銃 / 伊藤計劃トリビュート 京都大学SF幻想文学研究会 2011年11月
 神冴家は神冴脳療を仕切っている。だが神冴家の次男、神冴志恩は家を出て東亜脳外を設立し、急速に業績を伸ばしている。その原動力は養女の美亜羽。彼女の卓越した頭脳に目をつけた志恩が養女にしたのだ。神冴家の三男、実継は、偵察を兼ね志恩の結婚披露宴に潜り込む。そこで実継は初対面の美亜羽から…
 伊藤計劃「ハーモニー」へのトリビュート。エキセントリックなヒロイン美亜羽と、財閥の三男ながら自称凡庸な実継の二人を軸に、脳に作用して感情を操る技術を絡め、二転三転する物語が展開する。改めて考えると、「敵は海賊」シリーズのアプロの能力って、凶悪でもあるけど使い方によっちゃ役に立つんだなあ。もっとも、真面目に仕事をこなすアプロって想像できないけど。
ホーリーアイアンメイデン / 年刊SF傑作選91~99を編む パイロット版 カモガワSFコレクションKシリーズ2017年12月
 時は太平洋戦争のさなか。本庄鞠奈は、不思議な力を持っていた。彼女に抱きしめられた者は、ガラリと人が変わって善人になる。泣き叫ぶ子供、手の付けられない悪餓鬼、そして凶悪犯罪の常習者まで。そこに目をつけた陸軍は、宗像清一大尉を派遣し、彼女の能力を調べ始める。
 妹の琴枝から姉の鞠奈に宛てた手紙の形で語られる作品。ベルナルドーレは、たぶんアッシジのフランチェスコ(→Wikipedia)だろう。それが示すように、アントニイ・バージェス「時計じかけのオレンジ」同様に、善悪と自由意志の葛藤をテーマとしている。ただし、語り手を日本人とするなど、扱い方はキリスト教と大きく違うけど。
シンギュラリティ・ソヴィエト / 改変歴史アンソロジー パイロット版 カモガワSFコレクションKシリーズ2018年5月
 冷戦のさなか。ニール・アームストロングを船長とする着陸船が降り立った月には、スターリンの銅像があった。ソ連は西側に先立って人工知能『ヴォジャノーイ』を創り上げ、技術的特異点を突破していたのだ。
 人類の知能を遥かに超える知性に世界を任せたら、そりゃ「この世で起こっていることの半分は人間の理解が及ばぬ事態」になるよなあ。とはいえ、「労働者現実」や「党員現実」なんてのは、やっぱりソ連だったり。大通りを這う大勢の赤ん坊や警備用のレーニンなど、ソ連らしい悪趣味が雰囲気を出してる…と思ったら、結末は更にイカれた事態に。
ひかりより速く、ゆるやかに / 書き下ろし
 私立紀上高等学校第四十七期生の卒業生は、伏暮速希と薙原叉莉の二人だけ。他の者は、修学旅行から帰ってこない。乗った新幹線が、事故に遭った。乗員も乗客も、生きてはいる。ただ、我々とは全く異なった時間の中で。新幹線で1秒過ぎる間に、世界は二千六百万秒=約三百日も過ぎてゆく。
 時間事故に遭った同級生と、取り残された二人。彼らをめぐる社会の騒ぎは、かつての筒井康隆が描く騒動と似ていて、いかにもありそうな猥雑さに溢れている。が、全体を漂う雰囲気としては今風の若者らしい清潔感が漂うのは、芸風の違いか時代の変化か。梶尾真治の「美亜へ贈る真珠」を思わせる涙が流れる場面もあるんだが、このアレンジはヒドスw

 スレたSF者たちは、膨大に隠されたイースター・エッグを話題にする。そのためマニア向けの芸風と思われがちだが、とんでもない。確かにSFガジェットを駆使してはいるが、ドラえもんで育った今の若者には日常の風景だろう。なにより、登場人物の多くが若者であり、また若者らしい疎外感や勢いそして潔癖さを備えている。ハードカバーだけど、良質なジュブナイルの清廉で少し苦い味わいを備えた、「小説の楽しさ」に溢れる作品集だ。

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2021年6月 8日 (火)

DK「イラスト授業シリーズ ひと目でわかるテクノロジーのしくみとはたらき図鑑」創元社 村上雅人/小林忍監修 東辻賢治郎訳

人の手では1時間あたり6頭だが搾乳機では1時間で100頭の搾乳が可能
  ――酪農

水耕栽培では使用される水は従来型の農場のわずか10%である
  ――土を使わない農業

光学式選別機の処理能力は1時間あたり35tに達する
  ――収穫から出荷まで

【どんな本?】

 私たちの身の回りには、さまざまな技術が溢れている。自転車,エレベーター,電子レンジ、スピーカー、テレビ…。それらは、どんな技術を使っていて、どんな原理で動いているんだろう? また、ニュースで話題になる人工知能や遺伝子組み換え技術やペースメーカーとは、何をするものなんだろう?

 現代社会を支える基礎技術から、華やかな最先端技術まで、多くの人が興味をそそられる技術トピックを集め、見て楽しめるフルカラーのイラストで説明する、技術の図鑑。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How Technology Works: The Facts Visually Explained (How Things Work), by DK, 2019。なお DK はイギリスの出版社(→Wikipedia)。日本語版は2020年9月30日第一版第一刷発行。単行本ハードカバーで本文約220頁。

 図鑑なのでイラストが中心。イラストはフルカラーで、Adobe Illustrator で描いたようなCG。

 シリーズ名に「授業」とあるように、子ども向け、または親子で楽しむための本だろう。出てくる項目は、いずれも真面目に説明したら一冊の本が要るぐらい込み入った技術も多い。それをたっぷりのイラストを交え見開き2頁に収めるのだから、どうしても駆け足になる。

 関係の深いキーワードを散りばめて、「理解する」というより、「カッコよく人に説明できる」ことを目指した本だ。もちろん、数式は出てこない。

 ただ、訳文は子供向けにしてはやや硬い。細かいことだが、「利用する」より「使う」を、「増加する」より「増える」にするなど、より親しみやすい言葉遣いを心がけてほしかった。

【構成は?】

 各項目は見開き=2頁で完結しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。というか、むしろ拾い読みするための本だろう。

クリックで詳細表示
  • 第1章 動力とエネルギーの技術
    動力とエネルギー/上下水道/石油精製/発電機/モーター/発電所/送電/原子力発電/風力発電/水力・地熱発電/太陽エネルギーとバイオマスエネルギー/電池/燃料電池
  • 第2章 移動と輸送の技術
    輸送機械/自転車/内燃機関/自動車のしくみ/電気自動車とハイブリッド車/レーダー/速度違反取り締まり装置/列車/帆船/内燃機船/潜水艦/ジェットエンジンとロケット/飛行機/ヘリコプター/ドローン/無人宇宙探査機
  • 第3章 材料と建設の技術
    金属/金属加工/コンクリート/プラスチック/複合材料/リサイクル/ナノテクノロジー/3Dプリンティング/アーチとドーム/掘削/油圧ショベル/橋/トンネル/高層ビル/エレベーター/クレーン
  • 第4章 家庭の技術
    住宅の設備/暖房/電子レンジ/電気ケトルとトースター/食器洗い機/冷蔵と冷房/真空掃除機/トイレ/錠前/防犯装置/布/衣類/洗濯・乾燥機/スマートホーム
  • 第5章 音と光の技術
    さまざまな波動/マイクロフォンとスピーカ/デジタル音響/望遠鏡と双眼鏡/電灯/レーザー/ホログラム/プロジェクター/デジタルカメラ/プリンターとスキャナー
  • 第6章 コンピューターの技術
    デジタルの世界/デジタル回路/コンピューター/コンピューターのしくみ/キーボードとマウス/ソフトウェア/人工知能/ロボットのしくみ/ロボットのできること/バーチャルリアリティ
  • 第7章 通信と伝達の技術
    電波信号/ラジオ/電話/遠隔通信網/テレビ放送/テレビ/人工衛星/衛星測位システム/インターネット/ワールドワイドウェブ/電子メール/Wi-Fi/モバイル機器/スマートフォン/電子ペーパー
  • 第8章 農業・牧畜と食品の技術
    種まきと灌漑/酪農/ハーベスタ/土を使わない農業/精密農業/収穫から出荷まで/食品の保存/遺伝子組み換え
  • 第9章 医療の技術
    ペースメーカー/X線撮影/MRI/内視鏡手術/義肢/肺インプラント/遺伝子検査/生殖補助医療
  • 索引/謝辞

【感想は?】

 前にも書いたように、かなり駆け足の説明が続く。

 どの項目も、与えられた紙数は見開きの2頁だけ。そこにタップリとフルカラーのイラストを載せて、話を終わらせなきゃいけない。だもんで、どうしても駆け足になる。そこは覚悟しよう。

 とまれ、扱う範囲は社会インフラから微細技術そして生命科学と幅広い。これらすべてに通じている人は、滅多にいないだろう。自分が得意な分野では「全く説明が足りない」と不満を抱く人も、他の分野では「そうだったのか!」と発見があったりする。

 私は、いきなり上下水道でやられた。上水道の水は塩素で消毒している。あくまでも菌を殺しているのであって、消してはいない。だから、水道水には菌の死骸が残っている。完全なH2Oじゃない。考えてみりゃ当たり前なんだが、この本を読んで初めて気が付いた。

 やはり「言われてみれば」なのが、この一節。

多くの輸送機関は、気体は暖めると膨らむという単純な原理を利用している。
  ――輸送機械

 「空気と人間」にある「気体は、お互いに信じられないほど似通っている」とは、この事か。気球もジェット・エンジンも自動車の4サイクルエンジンも、みんな熱い空気が膨らむ際の力を使って動いている。

 多少違うが、銃や砲も、火薬が気体になって膨らむ力で弾丸を撃ちだしてるんだよね。いや、「だから何なの?」と言われたら、答えられないけど。

 思い込みを覆されるのも、本を読む楽しみの一つ。ホラーやサスペンス映画では、エレベータが落ちる場面があるけど、実際は…

エレベーターは最も安全な移動手段であり、階段の50倍の安全性がある。
  ――エレベーター

 と、階段より遥かに安全なのだった。意外と危険は身近な所にあるんです。ところでエレベーター、あれ人が乗る駕籠の反対側に、釣合錘があるのね。人がたくさん乗ると、それだけ多くのエネルギーを使うのかと思ったが、そうでもないのだ。

 そんな乗り物の中でも、子どもに人気が出そうなのが、油圧ショベル(俗称ユンボ)とクレーン。こういう力強さと器用さを兼ね備えたマシンは、男の子も元男の子も大喜びだ。いずれも油圧やてこの原理や滑車を巧みに組み合わせて、大きな力と複雑な動きを実現している。こうう、知恵とパワーを肌で感じさせてくれるメカって、いいよね。巨大ロボットみたいで。

 もちろん、ロボット・ファンばかりでなく、ミステリ・ファンが喜ぶネタだってある。

多くのプリンターはマシン識別コードと呼ばれる微小な点をすべてのページに印刷している。
  ――プリンターとスキャナー

 Wired にニュースが乗ってた。技術的には電子透かし(→Wikipedia)らしい。いや詳しい事は知らんけど。そこらのプリンターで脅迫状を印刷したら、アシがつくワケです。

 また、技術の進歩というか肥大を感じさせるものも。月へ行ったアポロ11号のコンピューターは任天堂のファミリーコンピューターより貧弱って話はよく出る。そして当然、ハードウェアだけでなくソフトウェアも…

NASAのスペースシャトルのコンピューターで使われたコードは現代の携帯電話より少なかった
  ――ソフトウェア

 と、現代のソフトウェアは巨大化・肥大化の一途を辿っているのですね。日本語フォントだけでも馬鹿にならん容量になるしなあ。それだけ、メモリも増えてるんだけど。今や手のひらどころか指先にギガ単位のメモリが乗る時代だし。そのうちテラ単位のメモリを載せた iPhone が出るんだろうなあ。

 後半になると、いかにも21世紀といった時代を感じるネタが増えてくる。こういう新しいネタは、わかってるつもりになってるけど、実はよくわかってなかった、みたいのもあって。例えばGPSは複数の人工衛星との通信の時間差で位置を計算してるってのは有名だが、幾つかの方法で計算を補正してる。その一つは…

大気効果:GPS衛星との通信に使用される電波は、負に帯電した電子が多い電離層と水蒸気を含む対流圏を通過する。これらの環境では電波の錯乱が生じ遅延が生じるが、この遅延は数学的に計算できる。
  ――衛星測位システム

 とすると、磁気嵐とかで計算が狂う可能性もあるのか? なんかサスペンスSFで使えそうな気が。

 などと、この辺は「なるほど」と納得できるんだが、「なぜにそうなる」なネタも。

ヤギのDNAにクモから発見された絹のタンパク質を挿入し、絹を含んだ乳を出すヤギも作り出されている
  ――遺伝子組み換え

 いやクモの糸から絹を作ろうってのは、発想としてわかる。わからんのは、なぜそこにヤギの乳が出てくるのか、だ。ちょっと調べたところ、Wired に記事があった。曰く「クモの糸分泌線と山羊の乳腺が解剖学的に似ている」とか。そうなのか。

 そして最後に、われわれブロガーが Google 様に頭が上がらない理由が、コレだ。

75%の人々は検索結果の最初のページより先を見ない
  ――ワールドワイドウェブ

 はい、Google 様のご機嫌はメッチャ気になります。

 などと文章ばかりを紹介したが、この本の最大の魅力は、フルカラーのイラストだろう。だって図鑑だし。私が最も気に入ったのは、ハーベスタ。やっぱりデカくて器用で力強く自分で動くメカには惹かれるのだ。

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2021年6月 3日 (木)

「フレドリック・ブラウンSF短編全集 4 最初のタイムマシン」東京創元社 安原和見訳

「あんたの1ドルに対して13ドル賭けますから、悪魔なんぞ信じてないって証明してみせてくださいよ」
  ――翼のざわめき

「神は存在するのか」
  ――回答

「わたしは地球外生物で、全権公使として参りました」
  ――人形劇

「それでは、わたしの最初の質問ですが――あなたが犯人ですか」
「そうです」
  ――事件はなかった

【どんな本?】

 1940年代から60年代にかけて活躍したアメリカのSF/ミステリ作家フレドリック・ブラウンのSF短編を、執筆順に編集した短編集の完結編で、1951年から1965年までの作品を収録している。

 余計なものを徹底してそぎ落としつつも、親しみやすく読みやすい文章で、鋭くヒネリの利いたアイデアでストンと落とす彼の芸風は、今でも星新一や草上仁などに受け継がれている。

 完結編の本作は、発表当時に勃興しつつあったPLAYBOY誌などの月間男性誌に掲載した作品もあり、お色気ネタを含むとともに、1~3頁の極短編も多く、キレの鋭さに磨きがかかっている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

  原書は From These Ashes : The Complete Short SF of Fredric Brown, 2001。日本語版は2021年2月26日初版。単行本ハードカバー縦一段組み本文約330頁に加え、牧眞司の「収録作品解題」13頁+渡邊利通の解説5頁。9ポイント43字×20行×330頁=約283,800字、400字詰め原稿用紙で約710字。文庫ならやや厚め。

 文章はこなれていて親しみやすく読みやすい。SFとは言ってもそこはブラウン、難しい理屈は全く出てこないどころか、悪魔まで出張ってくるので、理系っぽいのは苦手な人でも大丈夫。

 なお、先に書いたように短い作品が多く全68作を収録しているため、収録作は記事の最後に一覧としてまとめた。

【感想は?】

 怒涛の掌編ラッシュ。

 晩年の作品なので腕が上がっているのもあるし、とにかく短い作品が多いためか、オチのキレがグッと増している。そう、アイデア・ストーリーは、短ければ短いほどオチのキレが増すのだ。そんなわけで、読む側としては、キレキレのカミソリ・ジャブを次々と浴びて血だるまになる、そんな気分を味わえる。

 短い理由の一つは、Playboy/Adam/Dude などの男性月刊誌に発表した作品もあるため。アッチの原稿料は1語いくらなので、短いのは作家にとっちゃありがたくないんだが、SF雑誌とは違い発行部数も桁違いなため、原稿料も高いから、充分に稼げたんだろう。お陰で私は「煮しめたブラウン」が味わえる。なんとも幸福なことだ。

 もちろん、そういう雑誌なため、SF味は多少薄めで、そのかわりにシモネタが入ってたり。でもまあ、ソレはソレで美味しい。「ロープ魔術」とか、実にしょうもないオチなんだけど、私はそういうのが大好きだw 「意地悪」も、しょうもなさはドッコイドッコイで、そこが楽しいw

 やはり掲載誌で本作独特なのが、エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンなどミステリ雑誌掲載の作品も混じっていること。ミステリ雑誌じゃないけど「青の悪夢」から始まる悪夢シリーズなども、ブラウンのもう一つの顔が拝める。いずれもSF雑誌じゃないのでSF味は薄めだが、オチのキレの鋭さは変わりなく、読者の想像の裏をかく腕は見事。

 ってだけでなく、ミステリ系の作品は、なまじ現実味が強いせいか、ブラウンのユーモアの黒さが余計に出ているように感じるのはなぜだろう? 人類を滅ぼしても実感がわかないんだけど、人を一人殺すと生々しく感じるんだよね。つまりは星新一と同じで、基本的に黒い人なのだ、フレドリック・ブラウンは。いずれも文章が乾いてるから、あまし黒さは感じないけど。

 いやホント、「青の悪夢」の黒さはハンパない。たった3頁で、よくもここまでおぞましい物語を書けるもんだ。

 やはり短さゆえのキレが目立つのが「回答」。さすがに時代が時代だけにリレーとか道具立ては旧いけど、そこはLEDとか今風に読み替えればいいワケで、基本的なアイデアは今でも充分…というか、今日もどこかで二番煎じ・三番煎じの作品を書いているに違いない。

 短いが故のキレでは、「唯我論者」もすごい。唯我論とは、「実在するのは俺だけ、他はみんな俺の想像」って考え。あなたも幼いころ、そういう発想にたどり着いたでしょ? それを極限まで推し進めると…。最後の一行が見事すぎる。

 キレが鋭い理由の一つは短さだが、同時にネタのヤバさもある。「ジェイシー」とか、よく発表できたなあ、と思うんだが、短編集用の書き下ろしみたいだ。鍛えられた読者が多いSF雑誌ならともかく、一般の雑誌に載せたら炎上間違いなしのヤバさ。

 どの作品もとっつきやすい上に、短くてオチのキレがいい。だから、「ご飯が炊けるまで」とか「お風呂が沸くまで」とかの隙間時間に読むのにちょうどいい…と思うでしょ。ところがどっこい、読み始めちゃったら「もうちょっと」「あと一作だけ」とズルズルと読み続け、気がついたら日付が変わってた、なんて羽目に陥りそうなんで、あましそういうのはお薦めしない。もちろん、お茶やコーヒーを口に含んでの読書も厳禁。

 とっつきやすく、親しみやすく、わかりやすい上に、オチのキレはピカ一。「SFを読んでみたいけど、小難しいのはちょっと…」な人、星新一や草上仁が好きな人、そして50年代~60年代のアメリカの短編小説が好きな人にお薦め。

【収録作一覧】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出。

  1. 緑あふれる / Something Green / 短編集 Space on my Hnads 1951
  2. おれとフラップジャックと火星人 / Me and Flapjack and Martians / Astounding Science Fiction 1952年12月
  3. 愛しのラム / The Little Lamb / Manhunt Detective Story Monthly 1953年8月
  4. 翼のざわめき / Rustle of wing / The Magazine of Fantasy and Science Fiction 1953年8月
  5. 鏡の間 / Hall of Mirrors / Galaxy Science Fiction 1953年12月
  6. 実験 / Experiment / Galaxy Science Fiction 1954年2月
  7. 辺境防衛 / Sentry / Galaxy Science Fiction 1954年2月
  8. 立入禁止 / Keep Out / Amazing Stories 1954年3月
  9. ごもっとも / Naturally / Beyond Fantasy Fiction 1954年9月
  10. ヴードゥー / Voodoo / Beyond Fantasy Fiction 1954年9月
  11. 回答 / Answer / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  12. デイジー / Daisies / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  13. 相似形 / Pattern / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  14. あいさつ / Politeness / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  15. 荒唐無稽 / Preposterous / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  16. 和解 / Prconciliation / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  17. 探索 / Search / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  18. 宣告 / Sentence / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  19. 唯我論者 / Solipsist / 短編集 Angels and Spaceships 1954年
  20. 血 / Blood / The Magazine of Fantasy and Science Fiction 1955年2月
  21. 想像 / Imagine / The Magazine of Fantasy and Science Fiction 19955年3月
  22. 最初のタイムマシン / First Time Machine / Ellery Queen's Mystery Magazine 1955年9月
  23. ひどすぎ / Too Far / The Magazine of Fantasy and Science Fiction 1955年9月
  24. 至福千年紀 いつか訪れる正義と平和の時代 / Millennium / Magazine of Fantasy and Science Fiction 1955年3月
  25. 遠征隊 / Expedition / Magazine of Fantasy and Science Fiction 1957年2月
  26. ハッピーエンド / Happy Ending / Fantastic Universe 1957年9月
  27. ジェイシー / Jaycee / 短編集 Nightmares and Geezenstacks 1961
  28. 不運続き / Unfortunately / The Magazine of Fantasy and Science Fiction 1958年10月
  29. 意地悪 / Nasty / Playboy 1959年4月
  30. ロープ魔術 / Rope Trick / Adam 1959年5月
  31. 雪男 / Abominable / The Dude 1960年3月
  32. クマんにひとつの / Bear Possibility / The Dude 1960年3月
  33. 退場 / Recessional / The Dude 1960年3月
  34. ファースト・コンタクト / Contact / Galaxy Magazine 1960年6月
  35. こだま / Rebound / Galaxy Magazine 1960年4月
  36. 失われた大発見そのⅠ 透明人間 / Great Lost Discoveries Ⅰ Invisibility / Gent 1961年2月
  37. 失われた大発見そのⅡ 不死身 / Great Lost Discoveries Ⅱ Invulnerability / Gent 1961年2月
  38. 失われた大発見そのⅢ 不死 / Great Lost Discoveries Ⅲ Immortality / Gent 1961年2月
  39. 趣味と実益 / Hobbyist / Playboy 1961年3月
  40. ジ・エンド / The End / Dude 1961年3月
  41. 青の悪夢 / Nightmare in Blue / Dude 1961年3月
  42. 灰色の悪夢 / Nightmare in Gray / Dude 1961年3月
  43. 赤の悪夢 / Nightmare in Red / Dude 1961年3月
  44. 黄色の悪夢 / Nightmare in Yellow / Dude 1961年3月
  45. 緑の悪夢 / Nightmare in Green / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  46. 白の悪夢 / Nightmare in White / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  47. ユースタス・ヴィーヴァ―のつかの間の幸福 Ⅰ / The Short Happy Lives of Eustace Weaver Ⅰ / Ellery Queen's Mystery Magazine 1961年6月
  48. ユースタス・ヴィーヴァ―のつかの間の幸福 Ⅱ / The Short Happy Lives of Eustace Weaver Ⅱ / Ellery Queen's Mystery Magazine 1961年6月
  49. ユースタス・ヴィーヴァ―のつかの間の幸福 Ⅲ / The Short Happy Lives of Eustace Weaver Ⅲ / Ellery Queen's Mystery Magazine 1961年6月
  50. 輝くひげ / Bright Beard / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  51. 猫泥棒 / Cat Burglar 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  52. 脅迫状 / Dead Letter / Ellery Queen's Mystery Magazine 1955年7月
  53. 山上に死す / Death on the Mountain / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  54. 致命的な失敗 / Ellery Queen's Mystery Magazine 1955年6月
  55. 魚の流儀 / Fish Story / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  56. 馬かしあい / Horse Race / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  57. 家 / The House / Fantastic Science Fiction Stories 1960年8月
  58. 悪ふざけ / The Joke / Detective Tales 1948年10月
  59. ハンス・カルヴェルの指輪 / The Ring of Hands Carvel / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  60. 起死回生 / Second Chance / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  61. 三羽のふくろうの子 / Three Little Owls / 短編集 Nightmares and Geezenstacks1961年
  62. ばあばの誕生日 / Granny's Birthday / Alfred Hitchcock's Mystery Magazine 1960年6月
  63. 猫恐怖症 / Aelurophobe / Dude 1962年9月
  64. 人形劇 / Puppet Show / Playboy 1962年11月
  65. ダブル・スタンダード / Double Standard / Playboy 1963年4月
  66. 事件はなかった / It Didn't Happen / Playboy 1963年10月
  67. エージェント / Ten Percent / Gent 1963年10月
  68. 小夜曲 / Eine Kleine Nachtmusik / The Magazine of Fantasy and Science Fiction 1965年6月

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【今日の一曲】

Centerfold · The J. Geils Band

 PLAYBOY誌のウリは、やっぱりセンター・グラビア。とくれば、この曲でしょう。「学校時代の憧れのあのコがセンター・グラビアに」という、嬉しいけど切ない野郎の想いを歌った曲。ハネるようなリズムに乗ったピーター・ウルフの歌声も心地よいです。

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